最高裁第3小法廷;痴漢事件で防衛医大教授に逆転無罪(09年4月14日)
冤罪で国民を処罰するのは国家による人権侵害の最たるものであり,これを防止することは刑事裁判における最重要課題の一つである。刑事裁判の鉄則ともいわれる「疑わしきは被告人の利益に」の原則も,有罪判断に必要とされる「合理的な疑いを超えた証明」の基準の理論も,突き詰めれば冤罪防止のためのものであると考えられる=那須裁判官の補足意見の一節。 最高裁判決を受けて、警察庁の吉村博人長官は09年4月16日の定例会見で、「現場の警察本部や署と認識を共有し、捜査のあり方について検討する必要がある」と述べた 同庁は近く、警視庁など首都圏の警察本部の担当者らを集めて検討会を開く。 吉村長官は痴漢事件の捜査について一般論として「目撃者を確保できないことも多く、立証が難しい」との認識を示した上で、DNA鑑定などの科学捜査を活用するなど多角的に検討していく考えを明らかにした。 |
1.判決全文
3.ポスター
4.映画
5.身を守る5カ条
6.新聞論説
06年4月18日朝、東京都世田谷区内の小田急線成城学園前〜下北沢駅間を走行中の準急内で女子高校生(当時17)の下着に手を入れて下半身を触ったとして、強制わいせつ罪に問われた国語・国文学専攻の防衛医大教授(63=95年に女子高の国語教師から大学講師に転身、助教授から教授に昇格したわずか18日目の06年4月18日、通勤中に突然、警視庁北沢署に逮捕、所持品の弁当や教材まで押収された上に30日間拘置、さらに大学の研究室や自宅にも家宅捜索が入った)=無期限の休職中=の上告審判決があった。
教授は一貫して無罪を主張、取り調べの警察官は、「DNA鑑定をやる」と告げたが、なぜか鑑定は行われなかった。
1審・東京地裁、2審・東京高裁(07年8月23日)は「スカートのすそに腕が入っており、ひじ、肩、顔と順番に見て、教授の左手で触られていることが分かった」とする女性の証言の信用性を認めて有罪(懲役1年10カ月の実刑)とした。
最高裁判決は、満員電車の痴漢について「客観証拠が得られにくく被害者の証言が唯一の証拠である場合も多い。被害者の思い込みなどで犯人とされた場合、有効な防御は容易でない」と、「特に慎重な判断が求められる」との初判断を示したうえで、鑑定で指から下着の繊維が検出されていないなど客観証拠がなく、起訴内容を支える証拠は女性の証言だけと指摘、「(1)女子高生は痴漢の被害が始まってから一度電車を降りたにもかかわらず、再び同じ車両に乗って教授の隣に立った(2)痴漢行為が執拗(しつよう=しつこいさま)なのに、車内で積極的に避けていない」などと女子高生の痴漢被害に関する供述には疑いがあると判断、「教授が犯行を行ったと断定するには、なお合理的な疑いが残る」と結論づけ、1、2審判決を破棄し、無罪を言い渡した。
さらに、補足意見で、那須弘平裁判官は、「冤罪で国民を処罰するのは国家による人権侵害の最たるものであり,これを防止することは刑事裁判における最重要課題の一つである。刑事裁判の鉄則ともいわれる「疑わしきは被告人の利益に」の原則も,有罪判断に必要とされる「合理的な疑いを超えた証明」の基準の理論も,突き詰めれば冤罪防止のためのものであると考えられる」と指摘した上で、検察官と被害者の入念な打ち合わせで、「公判での供述が外見上、『詳細かつ具体的』になる」と踏み込み、それだけで被害者の主張が正しいと即断するには危険が伴うとまで言及した。
警察庁は05年11月、電車内での痴漢犯罪について、全国の警察本部に、「目撃者の確保▽被害者らの供述の裏付け▽容疑者に付着した被害者の衣服の繊維鑑定など科学捜査の推進」などを文書で要請している。
捜査当局はこれを改めて確認し、繊維・DNA鑑定など客観的証拠を重視して、起訴を判断するとともに、裁判所も被告と被害者の供述が鋭く対立する際には、事実認定に慎重を期すことが求められる。
最高裁が痴漢事件で2審の有罪判決を覆したのは初めてだが、98年以降、少なくとも30件以上の無罪判決が出されている。また、書面審理中心の最高裁が2審の判断を覆す場合、通常、憲法違反や判例違反、法令解釈の誤りを理由とするが、事実誤認だけを理由に自ら判決で無罪を言い渡すのは異例で、今回は「重大な事実誤認があり(2審を)破棄しなければ著しく正義に反する」としている。
本裁判は、5人の裁判官が審理し、田原裁判長と堀籠幸男裁判官が「女性の証言を信用できるとした1、2審の認定に不合理はない」と反対意見を述べる3対2の小差だった。
なお、防衛医大は同日、教授の復職手続きに入り、教授は、09年4月27日、3年ぶりに復職した。
東京高裁判決(平成18年(う)第2995号/2007年8月23日)要旨
1 上告審における事実誤認の主張に関する審査は,原判決の認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかの観点から行うべきである。
2 満員電車内の痴漢事件においては,被害事実や犯人の特定について物的証拠等の客観的証拠が得られにくく,被害者の供述が唯一の証拠である。場合も多い上,被害者の思い込みその他により被害申告がされて犯人と特定された場合,その者が有効な防御を行うことが容易ではないという特質を考慮した上で特に慎重な判断をすることが求められる。
3 満員電車内の痴漢事件について被告人が強制わいせつ行為を行ったと断定することに合理的な疑いが残るとして無罪が言い渡された事例。
裁判官の判断一覧(かっこ内は出身職業。○は無罪 ●は有罪 ◎は裁判長)
那須弘平(弁護士)
○<無罪> 被告が罪を犯していないとまでは断定できないが、グレーゾーンの証拠状況にあり、合理的な疑いを超えた証明がなされていない。
近藤崇晴(裁判官)
<無罪> 被害者と被告の供述が水掛け論になっており、他の証拠に照らしても真偽不明であれば、起訴事実は証明されていないことになる。
○藤田宙靖(学者)
<無罪> (個別の意見述べず)
●堀籠幸男(裁判官)
<有罪> 無罪とした多数意見が被害者の供述の信用性を否定する理由は、いずれも極めて薄弱。それだけでは信用性は否定できない。
◎●田原睦夫(弁護士)
<有罪> 被害者は裁判でも証言しているが、その内容は首尾一貫している。供述の信用性を肯定した下級審判決に重大な疑義があるとは到底認められない。
痴漢犯罪は、東京都の場合、通常、東京都迷惑防止条例第5条(正称;東京都公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例)第1項のいわゆる「卑(ひ)わい行為」の規定を適用して取り締まることとなるが、犯行がエスカレートした場合には、刑法の「強制わいせつ罪」が適用される。
1.卑わい行為
条例第5条第1項
何人も、人に対し、公共の場所又は公共の乗物において、人を著(いちじる)しくしゅう恥(ち)させ、又は人に不安を覚えさせるような卑わいな言動をしてはならない。
第8条(罰則)
6月以下の懲役又は50万円以下の罰金
常習の場合は、1年以下の懲役又は10万円以下の罰金
2.強制わいせつ罪
刑法第176条
13歳以上の男女に対し、暴力又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、6月以上10年以下の懲役に処する。
13歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。
13歳以上の男女に対して暴行または脅迫をもってわいせつ行為をする罪。13歳未満の男女に対するわいせつ行為については、暴行、脅迫の有無に関係なく同様に罰せられる。被害者からの届け出がなければ起訴できない「親告罪」で、量刑(りょうけい=刑法などで定められた法定刑の範囲内で、被告に科す刑を決める手続き)は6月以上7年以下の懲役刑のみで、罰金刑の規定はない。
なお、わいせつ(猥褻)とは、いたずらに人の性欲を刺激し、正常な羞恥心(しゅうちしん=恥ずかしく感じる気持ち)を害して、善良(性質のよいこと。性質がおだやかですなおなこと)な性的道徳観念に反すること。
東京・地下鉄(東京メトロ)のポスター
痴漢はかつて軽微な犯罪とみなされ、女性が被害を訴えても、起訴されるのは悪質で証拠が確実な事件に限られる傾向があった。しかし、女性が泣き寝入りする原因になっているとの反省などから、近年は被害証言が具体的で信用できれば、客観証拠がなくても起訴されるケースが増加し、1998年以降は無罪判決も目立つようになった。警察庁の統計によると、痴漢行為の多くが対象となる迷惑防止条例違反事件の検察への送致数は全国で、90年が1081件だったが、22年は4974件に増加、さらに05年には8018件にまで急増している(なお、東京都内を走る電車内での迷惑防止条例違反の検挙件数は96年の682件から04年には1897件)。 また、全国痴漢冤罪弁護団によると、96年ごろまでは、科学鑑定や目撃情報などの裏付けのない痴漢事件を検察が起訴する例は少なく、無罪判決は1件も把握されていない。ところが、警察からの送致件数が急増し始めた97年ごろから、被害証言だけを証拠とした起訴が目立つようになり、98年以降、痴漢事件で少なくとも30件の無罪判決があったという。無罪が相次ぎ、加害者とされた男性らが手記を出版したことなどから、02年ごろから痴漢冤罪が社会問題化し、07年には実在の事件をモデルにした映画「それでもボクはやってない」(『Shall We ダンス?』の周防正行監督が、11年ぶりにメガホンを取った本格的な社会派ドラマ)が公開された(09年04月15日付『東京新聞』)。 痴漢で1審有罪となり、2審で無罪が確定した経験をまとめ、「お父さんはやってない」(太田出版)を出版した東京都内の会社員、矢田部孝司さん(45)は「信じられない」と驚く。当時弁護士から「最高裁では変わらない」と言われたからだ。矢田部さんの事件は映画「それでもボクはやってない」のヒントになった。他の痴漢冤罪(えんざい)事件の支援にも携わった経験から、矢田部さんは「積み重ねで流れが変わったのでは」と語った(09年04月15日付『毎日新聞』)。 |
(1)ドア付近や車両の隅に立たない
(2)つり革・手すりを両手でつかむ
(3)女性の側に立たない
(4)荷物は棚に上げる
(5)誤解されるような態度を取らない
首都圏の警察で痴漢など迷惑行為の相談にあたるプロの担当者は、「まず誤解されないようにすることが重要。カバンは荷棚に上げ、つり革や手すりをつかんで両手を挙げること」とアドバイスする。車内のポジションも重要で、乗車ドアの両サイドや、車両の隅に設けられた車いす用のスペースは“痴漢最多発地帯”。乗車口から少し離れてドアとドアの間に立ち、女性の隣や後ろは極力避けるべきという。
痴漢犯罪の7割は午前7〜9時に集中しているが、「夜も注意が必要。朝のような緊張感がなく、お酒を飲んでいる人も多いだけに周囲から疑われるような態度は慎むべき」という。
【その場で弁護士(当番弁護士)を呼び、仲裁依頼を】
一方、JRや私鉄各社には、冤罪トラブルを防ぐ対策はないに等しく、夕刊フジの問い合わせにも「当事者の問題」「ノーコメント」とあくまで第三者の立場。修羅場に遭遇した際、真っ先に対応するのは駅員だが、実はまったく頼りにならないのだ。
「万一、冤罪被害に遭遇したら、まず冷静に相手と話すこと。怒鳴って女性を逆上させるのは最悪です」と語るのは、痴漢冤罪被害者の救済に努めている関係者。「そのまま駅の事務所に行くのはNG。電車から降りたら、その場で弁護士を呼び、仲裁をしてもらうのがベストです」という(09年04月15日付『夕刊フジ』)。
09年04月17日付『読売新聞』−「社説」=痴漢無罪判決 「やってない」証明の難しさ
09年04月16日付『朝日新聞』−「社説」=漢無罪判決―二重の悲劇を防ぎたい
09年04月16日付『毎日新聞』−「社説」=最高裁で無罪 痴漢締め出す環境を
09年04月16日付『産経新聞』−「主張」=痴漢逆転無罪 証拠収集に一層の努力を
09年04月16日付『北海道新聞』−「社説」=痴漢逆転無罪 供述頼りの捜査に警鐘
09年04月16日付『東京新聞』−「社説」=痴漢無罪 『やってない』に耳を
09年04月16日付『中国新聞』−「社説」=「痴漢」逆転無罪 泣き寝入りも防がねば
09年04月16日付『信濃毎日』−「社説」=痴漢逆転無罪 鉄則貫いた重い判断
09年04月16日付『岐阜新聞』−「社説」=痴漢逆転無罪 冤罪も被害も防ぎたい
09年04月16日付『神戸新聞』−「社説」=「痴漢」逆転無罪/捜査のあり方が問われた
09年04月16日付『山陰中央新報』−「社説」=痴漢逆転無罪 冤罪も被害もなくしたい
09年04月17日付『山陽新聞』−「社説」=「痴漢逆転無罪 慎重な審理求めた最高裁
09年04月16日付『沖縄タイムス』−「社説」=痴漢逆転無罪 判決が問うものは何か
09年04月16日付『琉球新報』−「社説」=痴漢」逆転無罪 重い課題ばかりが残った
09年04月15日付『読売新聞』夕刊−「よみうり寸評」
「やられた」「やってない」――とかく水かけ論になりがちだ。電車内の痴漢という犯罪は、捜査でも裁判でも、判断が難しい。
かつては軽微な犯罪とみなされ、被害者の女性が訴え出ても、よほど悪質で証拠も確かな件でないと、なかなか取り合ってもらえず泣き寝入りが多かった。
が、いつごろからだろうか、逆に男性の側がやっていないのに濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せられたというケースが目立つようになってきた。〈それでもボクはやってない〉(周防正行監督)という映画もつくられた。
きのうの最高裁判決はそんな痴漢事件の過去の流れも考えさせる。電車内で女子高生に痴漢をしたとして1、2審有罪の防衛医科大教授に逆転無罪。
裁判官3人が多数意見、2人が反対意見というきわどい審判だった。被害者の供述が唯一の証拠である場合の多い痴漢事件、改めて刑事事件の原則〈疑わしきは被告人の利益に〉が確認された。
被害者の泣き寝入りもゆゆしいが、容疑者の無実の罪は一生を台無しにもする。取り返しがつかない。
09年04月17日付『読売新聞』−「社説」=痴漢無罪判決 「やってない」証明の難しさ
5人の裁判官のうち3人が無罪、2人が有罪と判断が割れた。痴漢事件の真相究明がいかに難しいか。そのことを如実に示す判決といえる。
最高裁が、満員電車内で女子高生に痴漢をしたとして強制わいせつ罪に問われた63歳の男性教授に逆転無罪を言い渡した。
判決は、痴漢事件の裁判について、「特に慎重な判断が求められる」と指摘した。
女性の供述だけが証拠である場合が多い。男性側が「やってない」と言っても取り合ってもらえず、「有効な防御を行うことが容易でない」――。痴漢事件のこうした特性を考慮したためだ。
裁判官が被害者の供述を過信することへの戒めともいえよう。
今回の裁判でも、男性教授は一貫して否認していた。女子高生の供述内容が信用できるかどうかが争点だった。
判決が導き出した結論は「供述には疑いの余地がある」というものだった。痴漢被害を受けていた女子高生が、途中駅でいったん車外に出ながら車両を替えず、再び男性教授のそばに乗ったなどとする内容を不自然とみた結果だ。
唯一の証拠である供述に疑問がある以上、判決は「犯罪の証明が十分でない」とした。
「疑わしきは被告の利益に」という刑事裁判の原則に沿った判断である。
2人の裁判官は「供述は具体的で信用できる」などとして、1、2審の実刑判決を支持した。同じ記録を読んだ裁判官が正反対の見方をする。そこに供述内容だけで判断する難しさが表れている。
痴漢は厳しく罰すべき犯罪であることは言うまでもない。被害を訴え出る勇気がなく、泣き寝入りしている女性も少なくない。
痴漢の摘発件数は10年ほど前から大幅に増え、それとともに冤罪にも目が注がれるようになった。痴漢事件の法廷闘争を描いた映画「それでもボクはやってない」も話題になった。
冤罪をなくすには、警察が男性を一方的に犯人視せず、双方の言い分を公平に聞く適切な初動捜査が何よりも大切だ。
容疑者の指先から繊維片を採取したり、DNA鑑定を実施したりして、客観的証拠を得ることも欠かせない。それが、裁判官のより正確な判断につながる。
示談金目当てに、女が痴漢の被害をでっち上げ、共犯の男が目撃者を装うといった事件も起きている。このような悪質な犯罪こそ厳しく摘発しなくてはならない。
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09年04月16日付『朝日新聞』−「社説」=漢無罪判決―二重の悲劇を防ぎたい
電車内の痴漢事件では、物証などが得られにくく、被害者の供述が唯一の証拠である場合が多い。被害者の思い込みにより犯人とされると反論が難しく、慎重な司法判断が求められる。
おとといの最高裁判決はこのように述べて、強制わいせつの罪により1、2審で有罪判決を受けた防衛医大教授の男性に、逆転無罪を言い渡した。
63歳の男性は3年前の朝、東京の私鉄の満員電車に乗っていて、痴漢の疑いで逮捕された。車内で17歳の女子高生の下着の中に手を入れ、体を触ったというのが起訴事実だった。
男性は当初から無罪を主張した。物証や目撃証人はなく、女生徒の供述が信用できるかが争点となった。
最高裁小法廷の5裁判官の意見は二つに割れた。多数意見の3人は、女生徒の供述には疑いが残ると判断した。根拠として、女生徒が積極的に被害を避けなかったこと、それなのに男性を駅長に突き出した行為は必ずしもそぐわないこと、被害のあと途中の駅でいったんホームに出ながら、再び男性のそばに乗車するという不自然な行動をとったことを指摘した。
有罪の立証は検察の責任であり、その立証に合理的な疑いがあるなら無罪としなければならない。この刑事裁判の原則を踏まえ、最高裁は痴漢事件の特質から、いっそう慎重な姿勢を示したといえる。痴漢事件では下級審でも無罪判決が目立つが、さらに裁判や捜査に大きな影響を与えるだろう。
ただ、反対意見を述べた裁判官は、女生徒が反撃に出たのは我慢の限界に達したからで、同じ車両に再び乗ったのも、ほかの乗客に押し込まれたからであり、女生徒の供述は信用できると判断した。
被害者の供述しかない裁判では、判定がいかに難しいかを改めて思い知らされる。警察には、初めの捜査の段階で、物証や目撃者の確保にこれまで以上に努めてほしい。
しかし、それでも、痴漢事件の捜査には、人違いによる冤罪の危険がつきまとう。また今回の無罪判決により、相手が不起訴や無罪になったりするのなら、と被害者が訴えること自体を尻込みするのも心配だ。
そうである以上、大事なことは痴漢被害を未然に防ぐ手だてを、いかに社会全体でとっていくかだ。
電車での痴漢被害は、都内で届けられただけで年に2千件前後ある。首都圏では17の鉄道会社が44路線で女性専用車両を設けているが、ふつうは1列車に1両だけだ。もっと増やすことを考えてほしい。
痴漢行為は卑劣な犯罪だ。被害を受けた女性に大きな傷を残すだけではない。冤罪によって人生が狂ってしまう新たな被害者を生むかもしれない。この二重の悲劇を防ぎたい。
09年04月16日付『朝日新聞』−「天声人語」
ひとくくりに「痛勤電車」と恨まれても、イタさは各様だ。すし詰めともなれば、つり革や握り棒にすがるまでもない。青年の背が支えになり、おじさんの腹がクッションと化し、乗客はひとかたまりで揺れる。身を任せながら、昨今、手の位置だけは気をつけている。
痴漢の疑いで捕まり、1、2審で懲役1年10カ月の実刑判決を受けた防衛医大教授(63)に、最高裁が逆転無罪を言い渡した。痴漢事件では過去10年、30件以上の無罪判決が出たが、さすがに最高裁は初めてという。
教授は3年前の朝、通勤の満員電車で女子高校生に突然ネクタイをつかまれる。悲劇の始まりだ。下着に手を入れた容疑だった。しかし最高裁判決は、彼女がしつこい被害から逃れようとしていないなどと、不審の目を向けた。
狂言とは思いたくない。女子高校生の思い違いとすれば、冤罪により真犯人が笑い、善人の人生が暗転したことになる。卑劣な犯罪に泣いた被害者は無罪判決をどう消化するのだろう。
物証なし、目撃者なし、あるのは被害者の供述と容疑者の全面否認だけ。こんな「藪(やぶ)の中」で裁けるものかと思うが、検察の幹部は「泣いている人がいるのに、やらないわけにはいかない」と語る。慎重の上にも慎重に吟味するほかない。
「痴漢したでしょう」とにらまれ、一番うろたえるのは身に覚えのない場合だろう。涙声でとがめる少女を前にして、冷静に「両手のアリバイ」を立証する自信はない。女性の尊厳を踏みにじり、時に男性まで泣かせる鬼畜の病に、つける薬を知らない。
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09年04月16日付『毎日新聞』−「社説」=最高裁で無罪 痴漢締め出す環境を
東京の小田急線の電車内で痴漢を働いたとして強制わいせつ罪に問われた大学教授に、最高裁第3小法廷が異例の逆転無罪を言い渡した。
判決は客観証拠を得にくいことなど痴漢事件の特性を指摘した上で、「特に慎重な判断が求められる」と強調した。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則を徹底するように求めたものと言える。冤罪(えんざい)防止の観点からは当たり前と映る判示だが、裁判員裁判のスタートを前に、厳罰化の風潮の中で軽んじられることがないように、最高裁が警鐘を鳴らしたと受け止めたい。
痴漢事件の容疑者は「推定有罪」として扱われがちだ。女性が恥ずかしさをおして被害を訴えるには勇気が必要で、その分、証言の信ぴょう性は高いと評価されるからだ。実際は別人の犯行を装う巧妙な手口に、被害者や目撃者が誤認することも珍しくないのだが、犯人に擬せられると、判決が指摘するように、有効な防御は容易でない。
警察は繊維片など証拠品の採取や目撃者の確保に努めているが、証拠がないからといって無実の証明とはならず、結果的に被害者の証言が重要視されてしまう。痴漢は有罪無罪のどちらも立証が難しいやっかいな犯行で、付け入るように示談金目当ての虚偽申告も相次ぐ。疑われたくないと多くの男性がつり革や手すりを両手で握る“バンザイ通勤”を励行しているのが実情でもある。拘置を嫌って、無実なのに犯行を認めて罰金刑に応じる人も少なくない。
こうした司法の機能不全状況は、早急に改められねばならない。今回の判決を機に、捜査の適正化が進むことを期待したいが、一方で被害女性が訴えを控えたり、捜査が消極的になる事態を招いてはならない。
警察当局は多発する時間や区間の警乗に力を入れて摘発と抑止に努め、同時に発生への即応態勢を整えて証拠類の収集に万全を期すべきだ。この際、自白偏重主義と裏表の関係にある長期間の拘置に頼る捜査を改め、証拠に基づく立証に徹すべきでもある。事件現場に居合わせた乗客らも痴漢を共通の敵と心得て、進んで捜査に協力したい。容疑者検挙より犯行の防止、中止を優先する対応も重要だ。不審な動きを察知したら注意し、被害者も振り払ったり、声を上げる勇気を持ってほしい。
痴漢の元凶は、人権を無視した満員電車にある。鉄道各社は輸送力増強に努め、効果を検証しながら女性専用車両の増結なども検討すべきだ。ラッシュ時間が限られていることを注視し、企業などは時差通勤にも本腰を入れたい。卑劣な痴漢行為に泣かされる被害者をなくすため、社会を挙げての対策が求められる。
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09年04月16日付『日本経済新聞』−「春秋」
「押し屋」と呼ばれる仕事がある。ラッシュアワーに電車に乗りきれない客をぎゅうぎゅう押し込んでくれる、あれだ。初登場は1955年の新宿駅だという。この国の通勤風景の非人間的なること、半世紀を経ても変わってはいない。
卑劣なヤカラもいるから女性にとっては身構えっぱなしの車内だろう。いや男性だって、もし痴漢に間違われて警察にでも突き出されたら一巻の終わり、と思えば心臓が縮む。現に昨今は冤罪(えんざい)の訴えが増え、裁判での争いも少なくない。それでもまさか最高裁で逆転無罪とは……。防衛医大教授が疑われた事件だ。
痴漢は被害者の供述だけが証拠というケースが多い。この人の場合もそうだった。供述は信用できるのか、誤認ではないのか。裁判官は激論を交わしたようだ。めったなことでは動かない最高裁がこれほど証拠を再吟味したのには感心する。裁判員制度が始まるのを前に、分かりやすい司法を心掛けたのだろうか。
同じような事件について判決は「特に慎重な判断を」と述べた。冤罪防止には大きな前進だが、被害申告をためらわせはしないのか心配も残る。泣き寝入りをしていた女性たちが勇気を奮って名乗り出るようになった歴史もあるのだ。押し合いへし合い、男も女もじっと我慢。けさも超満員の密室を恨みたくなる。
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09年04月16日付『産経新聞』−「主張」=痴漢逆転無罪 証拠収集に一層の努力を
満員電車の車内で女子高生に痴漢をしたとして、強制わいせつ罪に問われた防衛医科大学校教授(休職中)に対する上告審判決で、最高裁第3小法廷は実刑とした1、2審判決を破棄し、逆転無罪を言い渡した。
最高裁が事実認定の2審判決を覆して無罪判決を下すのは異例で、痴漢事件では最高裁の逆転無罪判決は初めてである。
痴漢行為は極めて卑劣で悪質な犯罪だ。厳しい処罰が求められることに変わりはないが、最高裁は判決の中で、痴漢事件は「客観的証拠が得られにくく、被害者供述が唯一の証拠の場合が多いなどの特質から、特に慎重な判断が求められる」と指摘した。今後の同種事件の審理や捜査当局に警鐘を鳴らしたものといえる。
防衛医大教授は、2006(平成18)年4月朝、通勤客で混雑する小田急線で女子高生=当時(17)=の下半身を触ったとして警視庁に逮捕、起訴された。教授は一貫して無罪を主張したものの、1、2審判決とも女子高生の供述の信用性を認めて懲役1年10月の実刑判決を下したため、上告していた。
最高裁は双方の言い分を詳細に吟味した結果、「女子高生の供述には疑いがある」と判断し、教授については、「犯行を行ったと断定するには、合理的な疑いが残る」と結論付け、教授側の主張に軍配を上げた。
5人の裁判官のうち3人が教授の無罪を認めたが、2人は女子高生の供述は信用できるとして、反対意見を述べるというきわどい判断で、証拠に乏しい痴漢事件の審理の難しさを反映した。
痴漢事件は、最高裁も判決の中で指摘するように、決定的な物的証拠がないのが大半である。このため、被疑者、被害者双方の供述のどちらが信用できるかが、裁判では争点の中心となる。このため、冤罪(えんざい)も生まれやすい。
痴漢行為を犯したとして、いったん逮捕、起訴されると被告側が反論するのは極めて困難な状況に置かれるのが現状だ。そこで慎重に捜査し、審理も双方の意見を十分に聞いた上で判断することが肝要である。
しかし、それによって痴漢事件の捜査が萎縮(いしゅく)するようではならない。警察・検察当局は客観的証拠の収集に一層の努力を傾け、多くの目撃証言や、DNA鑑定など科学捜査を駆使して公正さを確保したい。
09年04月16日付『産経新聞』−「産経抄」
生物学者の本川達雄さんが、琉球大学から東京工業大学に移ったとき、一番面食らったのが満員電車だった。込み具合を数値化してみるところが、さすが科学者である。
電車に定員の2倍が乗っていたとすると、1平方メートル当たり約5人、1平方キロメートル当たり500万人の密度になる。動物の正常な生息密度は、体の大きさで決まるそうだ。ヒトサイズの動物なら、1平方キロメートル当たり1・4人。つまり通勤電車には、360万倍もぎゅうぎゅうに詰まっていることになる(『世界平和はナマコとともに』)。
痴漢は、そんな異常な空間が生み出した犯罪といえる。一昔前までは、被害に遭った女性が、泣き寝入りするケースも多かった。その反省から近年、警察当局は摘発に力を入れている。一方で被告が無罪となるケースも目立ち、痴漢冤罪(えんざい)は、映画のテーマになるほど社会問題化していた。
14日には、強制わいせつ罪に問われていた大学教授に、最高裁が、1、2審の実刑判決を破棄して、逆転無罪を言い渡した。無実を訴えてきた大学教授は、「有頂天になる気もない」と語る。冤罪に苦しむ人が、まだいるはずだというのだ。
今回の判決は、捜査当局にも大きな衝撃を与えた。今後捜査に消極的になるようなら、卑劣な犯罪者たちを喜ばすことになる。2年前、西武鉄道を経営する西武ホールディングスの株主が、痴漢を防ぐために、防犯カメラの車両への設置を提案したが、実現に至らなかった。もちろん、究極の対策は混雑の解消だ。
それまでは、痴漢の被害と冤罪におびえながら乗るしかない。本川さんも、痴漢に間違えられないように、じーっと体を硬くしていたら、肩が凝って、磁気ネックレスを手放せなくなったそうだ。
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09年04月16日付『北海道新聞』−「社説」=痴漢逆転無罪 供述頼りの捜査に警鐘
電車内で女子高生に痴漢行為をしたとして、強制わいせつ罪に問われた防衛医科大教授の上告審判決で、最高裁は逆転無罪を言い渡した。
教授は1、2審で実刑判決を受けていた。最高裁判決は、満員電車内の痴漢事件について「客観的な証拠を得にくく、被害者の供述が唯一の証拠となる場合が多い。特に慎重な判断が求められる」と指摘した。
従来の供述頼りの捜査や裁判に警鐘を鳴らしたものといえよう。
痴漢行為は被害者の心や体を深く傷つける。許し難い卑劣な行為だ。犯罪抑止のために、摘発の手を緩めるべきではない。
しかし、容疑者として逮捕、起訴されると、真犯人ではなくても、職を失うばかりか、家庭が崩壊してしまう例は少なくない。人生は一瞬にして暗転する。
冤罪(えんざい)を生まないために、捜査機関には犯罪を裏付けるのに十分な証拠の収集が求められる。
無罪が確定した名倉正博さん(63)=休職中=は教授に昇格した2006年4月、満員電車の中で女子高生にネクタイをつかまれ、「この人、痴漢です」と叫ばれた。
最寄りの警察署に連行、逮捕され、長期間拘置された。研究室や自宅も捜索された。
首都圏など大都市のすし詰め状態の満員電車を経験した人であれば、ニュースに接し、人ごとではないと思ったことだろう。
痴漢容疑で逮捕された青年の捜査、裁判の過程を克明に再現した周防正行監督の映画「それでもボクはやってない」がヒットするなど、このところ痴漢冤罪への社会的関心は高まっている。
弁護団によると、痴漢事件の裁判は、過去10年で30件以上の無罪判決が出ている。今回の判決は冤罪防止に力点を置いたものといえよう。
判決に際し、最高裁小法廷を構成する5人の裁判官のうち3人が無罪、2人が有罪と意見が割れた。
人込みに紛れて行われる犯罪の立証の難しさがあらためて浮き彫りになった。
警察庁は目撃者の確保や、容疑者の指などに付着した衣服の繊維の鑑定など科学的捜査の重視を打ち出している。何よりも大切なのは初動捜査段階での証拠集めだ。
札幌市の地下鉄を含め、各地で通勤ラッシュ時に女性専用車両が導入されている。鉄道やバス会社には、痴漢行為を防止する環境整備を一層推し進めてほしい。
痴漢行為を受けても泣き寝入りするケースは多い。不審な行為を見て見ぬふりをせず、乗客同士が協力し合って、被害を未然に防ぎたい。
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09年04月16日付『東京新聞』−「社説」=痴漢無罪 『やってない』に耳を
電車内で痴漢をしたとされた男性に、最高裁が無罪判決を出した。1、2審の実刑判断を「慎重さを欠く」と破棄したのだ。女性の尊厳を汚す卑劣な犯罪だが、捜査が安易であってはならない。
東京都内の満員電車で、2006年春に起きた事件だった。高校に通学途中の女性が、下着の中に手を入れられるなどの痴漢被害に遭った。
女性は嫌悪感を覚え、初めはその行為を目で見ることもできなかったほどだ。その苦痛と屈辱を思いやれば、許せぬ卑劣な犯罪、極まりないといえる。
だが、問題は犯人がどの人物かである。女性は、体がくっついた状態になっていた男性が犯人だと思った。駅で男性のネクタイをつかんで、駅長に突き出した。
「関係ない」と男性は、捜査段階から一貫して犯行を否認していたが、強制わいせつの罪で起訴され、1審、2審とも懲役1年10月の実刑判決を受けた。
弁護側によれば、男性は指から微小物を採取され、警察官から「DNA鑑定をすれば分かる」と言われたという。だが、その鑑定書は法廷に提出されなかった。繊維の鑑定でも、女性の下着と同じものは検出されなかったという。目撃証人もいない。つまり女性の供述だけが判断材料だったのだ。
物的証拠など客観的証拠は存在しない。かつ、最高裁は女性の供述にも「疑いをいれる余地がある」とし、「1、2審の判断は慎重さを欠く。破棄しなければ正義に反する」と批判した。
事実にまで踏み込んだ異例の判断の背景には、もともと痴漢事件では、女性側の供述の信用性を肯定して、有罪に導く判決例が相当数あるからだ。それだけ事実誤認の危険が潜んでいるといえる。冤罪(えんざい)の発生する可能性が大きいわけだ。
「疑わしきは被告人の利益に」の鉄則は、冤罪を防ぐためにある。最高裁はその原則に照らし、今回の判断を示したといえる。
大都市での公の場所で、痴漢という卑劣な犯罪は多発している。同時に「やっていない」と訴えても、「犯人だ」と汚名を着せられる事態も起きていよう。無実が聞き入れられねば、さらなる深刻な人権侵害を生んでいるに等しい。
捜査当局が被害女性の声に耳を傾けるのは当然だ。だが、同時に先入観にとらわれず、客観的な証拠収集による、慎重で公正な捜査が求められてもいよう。
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09年04月16日付『中国新聞』−「社説」=「痴漢」逆転無罪 泣き寝入りも防がねば
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3年前、満員電車で女子高生に痴漢をしたとして強制わいせつの罪に問われていた防衛医大教授が逆転無罪となった。唯一の証拠だった被害者の供述について、最高裁は「信用に疑いの余地がある。重大な事実誤認」と1、2審で言い渡された懲役1年10月の実刑判決を破棄した。
教授は被告席から解放された。しかし女子高生の被害は残されたままだ。「ぬれぎぬ」だけでなく、「泣き寝入り」も防がねばなるまい。社会全体として、どう取り組んでいけばいいのだろうか。
最高裁は、高裁で使った証拠を基に審理する。事実誤認を理由に判断が覆るのは異例であり、痴漢事件での逆転無罪は初めてのことだ。
判決では、証拠が被害者の供述しかない場合、犯人と名指しされた者は「有効な防御が難しい」と誤審の可能性にまで触れ、より慎重な審理を促した。
背景には1998年以降、痴漢事件で30件以上の無罪判決が相次いでいることがありそうだ。供述だけに頼る捜査は「ぬれぎぬ」を着せる恐れがある。そうなってしまった者は家族や職場、友人関係を失い、一生を棒に振りかねない。そんな警鐘を鳴らしたと受け止めるべきだろう。
「グレーゾーンの証拠状況」と、判決文は表現している。教授を有罪とするには、女子高生の証言に割り切れない疑いが残るという意味だ。審理も三対二と判断が割れる際どいものとなった。
3人は被害証言を不自然と判断した。しつこい痴漢行為を避ける強い行動を取っていないこと。一方で教授のネクタイをつかみ、非難した態度が不釣り合いなこと。途中の駅で下車した後、再び教授のそばに乗ったこと。
すし詰めの電車は死角が多い。そこにつけ込んだ痴漢事件は、目撃証言や物証が乏しい。今回も「触った」「いや触っていない」の水掛け論となった。
補強となる証拠がない限り、被害証言に厳しい点検を迫ったのがこの判決といえる。今後、捜査や裁判の在り方に大きく影響するだろう。目撃証言や物証が欠かせないとなれば、痴漢の申告をためらう女性も増えかねない。
人格を傷つけられた被害者に、これ以上の心の負担を負わせるわけにはいくまい。
初動捜査の段階から、できる限りの証拠集めが欠かせない。警察庁は既に、目撃者の掘り起こし、容疑者に付着した衣服の繊維鑑定に取り組むよう都道府県警に通達を出している。今回の事件で教授が望んだDNA鑑定も導入を検討していいのではないか。
痴漢は、朝の通勤、通学時間帯に集中している。ラッシュ時に合わせ、ホームや電車内を捜査員が見回るパトロールの強化も必要だろう。証拠集めには、周りの市民の協力も大切だ。見て見ぬふりは破廉恥な犯罪を助長するだけ、と肝に銘じたい。
痴漢を許さない多くの目があることが抑止力になる。
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09年04月16日付『信濃毎日』−「社説」=痴漢逆転無罪 鉄則貫いた重い判断
痴漢事件をめぐり、最高裁が踏み込んだ判断を示した。
「疑わしきは被告の利益に」という刑事裁判の鉄則をあらためて確認した重い判決である。今後の捜査や裁判に与える影響は大きい。
2006年に首都圏の私鉄車内で女子高生が痴漢に遭った事件だ。防衛医大教授が強制わいせつの罪に問われ、1、2審判決で実刑を言い渡されていた。これを最高裁が覆した。
判決は、今回のような満員電車での痴漢事件について、目撃者や物的証拠が乏しく、被害者の供述が唯一の証拠となることが多い特質などを踏まえ「特に慎重な判断が求められる」と指摘した
その上で、被害女性の供述の信用性を「なお疑いの余地がある」と判断、「犯罪の証明が十分でない」として無罪を言い渡した。
「疑わしきは被告の利益に」の鉄則に従えば、立証責任は検察側にある。この鉄則を貫いた最高裁の判決は明快である。
万が一にも、ぬれぎぬを着せるようなことがあってはならない。捜査側による自白の強要を防ぎ、冤罪(えんざい)の芽をつみ取ることが重要になる
判決を通じて、痴漢事件の裁判の難しさが浮かび上がった。裁判官5人の判断は無罪3、有罪2に割れた。反対意見は、女性の供述の信用性を認めている。
一度犯人扱いされると、社会的な地位や名誉を回復することは難しくなる。痴漢を疑われ、飛び降り自殺した人もいる。最高裁が指摘するように、慎重な捜査、審理が欠かせない。
今回の判決で注目されるのは、高裁に審理のやり直しを命じず、最高裁自ら判断した点である。
裁判員制度が来月、スタートする。供述に頼る捜査や裁判のあり方に、最高裁が警鐘を鳴らしたとみることもできる。
痴漢は卑劣な行為だ。欲求を満たすために、女性の人権を踏みにじる。そんな犯罪を放っておけない。取り締まりにもっと力を入れなくてはならない。
長野県内を含めて、全国各地で痴漢事件が相次いでいる。なくすには、痴漢行為は絶対に許さないとの決意を共有すること、そして見て見ぬふりを周りがしないことが大事になる。
鉄道では、女性専用車両も運行している。男性と空間を分けるのは一つのアイデアだけれど、ラッシュ時の混雑を解消することが何より重要である。社会全体で痴漢の追放を目指したい。
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09年04月16日付『伊勢新聞』−「大観小観」
映画『それでもボクはやってない』を地でいったといえようか。女子高生に痴漢をしたとして強制わいせつの罪に問われた63三歳の防衛医大教授に対し、最高裁が1、2審の判断を覆し、逆転無罪を言い渡した。映画は実話をモデルにしたというし、同教授も「同じような状況の人は大勢いる」と語っている。
電車の中でいきなり女子高生からネクタイをつかまれ「痴漢したでしょ」と言われ、どんなに否定しても相手にされなかったという同教授の体験は電車利用の男性を震撼(しんかん)させたと言って過言ではない。女性の近くに立つのを避ける、空いた手は必ずつり革をつかむなどの用心は東京出張時の電車利用心得となったが、不心得者が現実に存在する以上、判決に手放しで喜べるほど事は簡単ではない。
最高裁小法廷の5人の判事の判断は無罪3、有罪2のきわどさだった。目撃証言や証拠がなく、当事者の供述のどちらを信用するかという心もとなさがあるが、立証できなければ罪に問えないということになれば、捜査当局の被害者調べが微に入り細をうがつことになって、被害者が泣き寝入りする状況に逆戻りすることになりかねない。
電車内で居眠りして隣の女性にもたれ、痴漢に間違われた話をおもしろおかしくエッセーにしていた人がいたが、公共の場のエチケットをみんなで守ってこそ、痴漢などに付け込まれない社会ということだろう。
「捜査に影響が出る」と検察は不気味なコメントを出したようだが、卑劣漢を許さず、冤罪(えんざい)を出さずは検察の当然の使命。どちらかを放棄するようなことではいけない。
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09年04月16日付『岐阜新聞』−「社説」=痴漢逆転無罪 冤罪も被害も防ぎたい
3年前に満員電車内で女子高生に痴漢をしたとして強制わいせつ罪に問われた防衛医大教授が上告審判決で逆転無罪を手にした。最高裁は「事実誤認がある」と1、2審の懲役1年10月の実刑判決を破棄。その上で、満員電車での痴漢事件の審理について「客観的証拠が得られにくく、特に慎重な判断が求められる」と指摘した。
法廷で被告らと向き合うことなく書面審理が中心の最高裁が事実誤認を理由に判断を覆すのは異例。痴漢事件が最高裁まで争われ、逆転無罪となるのも初めてのことだ。裁判官5人は多数意見3と反対意見2に分かれ、唯一の証拠である女子高生の供述の信用性をめぐり綿密な議論が交わされたことがうかがえる。
その結果、被害に遭ったとの供述に疑いをはさむ余地があると判断。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則を踏まえ結論を出した。慎重な審理の背景の一つとして、電車内の痴漢事件で被告が冤罪(えんざい)を訴え、無罪判決が各地で目につくようになってきたことが挙げられるだろう。
痴漢事件は物証に乏しく、多くは「触った」「いや触っていない」の水掛け論になる。被害者に泣き寝入りさせず、かつ冤罪を防ぐにはどうしたらいいか。
被害申告を受けた時点で警察ができる限り証拠―例えば、加害者に付着した下着の繊維片―を収集したり、電車内の混雑や人の流れを確認するなど基礎捜査を尽くすことが不可欠だ。
難しいのは承知の上で、最大限の努力を期待したい。今回の判決はそれを促したともいえる。
これまで「痴漢冤罪事件」を手掛けてきた弁護士らによると、典型的なケースはこうだ。混雑した電車内で突然、女性から痴漢と決めつけられ駅の事務室に連れて行かれる。目撃証言も客観的証拠もないまま、警察は女性の供述だけをよりどころに自白を迫り、弁明に耳を傾けてくれない。
早く解放されたい、失職するのかと、どんどん追い詰められていく。逮捕された後に、携帯電話の使用を注意された女性が腹いせに虚偽の申告をしたことが分かり、不起訴になった例もある。
防衛医大教授は警察の取り調べ段階から一貫して犯行を否認。起訴事実を裏付ける証拠は「下着の中に手を入れられた」という女子高生の供述だけだった。
1、2審判決は、供述が「詳細かつ具体的」「迫真的」で、しかも弁護人の反対尋問にも揺らがなかったことを挙げ信用性を認めた。
だが最高裁判決はそれだけで即断できないと指摘。1、2審判決も「いささか不自然」とした女子高生の行動(最初の被害後に下車し再び同じ車両に戻った)などに注目し、「なお合理的な疑いが残る」と結論づけた。供述を虚偽としたわけではなく、難しい判断だったようだ。3対2の僅差(きんさ)がそれを示している。
「『被害者』の供述するところはたやすく、これを信用し、被告人の供述するところは頭から疑ってかかるというようなことがないよう厳に自戒する必要がある」。判決のこの一節は重い。当然、警察や検察についても言えることだ。
警察庁は2005年、目撃者の発見や容疑者に付着した下着の繊維片の鑑定に取り組むよう全国の警察本部に通達した。それでも、防衛医大教授のようなケースは後を絶たない。
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09年04月16日付『山陰中央新報』−「社説」=痴漢逆転無罪 冤罪も被害もなくしたい
3年前に満員電車内で女子高生に痴漢をしたとして強制わいせつ罪に問われた防衛医大教授が上告審判決で「逆転無罪」となった。最高裁は「事実誤認がある」と懲役1年10月の実刑だった1、2審判決を破棄。その上で満員電車での痴漢事件の審理について「客観的証拠が得られにくく、特に慎重な判断が求められる」と指摘した。
法廷で被告らと向き合うことなく書面審理が中心の最高裁が事実誤認を理由に判断を覆すのは異例。痴漢事件が最高裁まで争われ、逆転無罪となるのも初めてだ。裁判官5人は多数意見3と反対意見2に分かれ、唯一の証拠である女子高生の供述の信用性をめぐり綿密な議論が交わされたことがうかがえる。
その結果、被害に遭ったとの供述に疑いをはさむ余地があると判断。「疑わしきは被告人の利益に」との刑事裁判の鉄則を踏まえ結論を出した。慎重な審理の背景の一つとして、電車内の痴漢事件で被告が冤罪(えんざい)を訴え無罪判決が各地で目につくようになってきたことが挙げられるだろう。
痴漢事件は物証に乏しく、多くは「触った」「触っていない」の水掛け論になる。被害者に泣き寝入りさせず、かつ冤罪を防ぐにはどうしたらいいか。被害申告を受けた時点で警察ができる限り証拠を収集したり、電車内の混雑や人の流れを確認するなど基礎捜査を尽くすことが不可欠だ。
難しいのは承知の上で、最大限の努力を期待したい。今回の判決はそれを促したともいえる。
「痴漢冤罪事件」を手掛けてきた弁護士らによると、典型的なケースはこうだ。混雑した電車内で突然、女性から痴漢と決めつけられ駅の事務室に連れていかれる。目撃証言も客観的証拠もないまま、警察は女性の供述だけをよりどころに自白を迫り、弁明に耳を傾けてくれない。
早く解放されたい、失職するのかと、どんどん追い詰められていく。逮捕された後に、携帯電話の使用を注意された女性が腹いせに虚偽の申告をしたことが分かり、不起訴になった例もある。
防衛医大教授は警察の取り調べ段階から一貫して犯行を否認。起訴事実を裏付ける証拠は「下着の中に手を入れられた」という女子高生の供述だけだった。1、2審判決は、供述が「詳細かつ具体的」「迫真的」で、しかも弁護人の反対尋問にも揺らがなかったことを挙げ信用性を認めた。
だが最高裁判決は、それだけで即断できないと指摘。1、2審判決も「いささか不自然」とした女子高生の行動(最初の被害後に下車し再び同じ車両に戻った)などに注目し「なお合理的な疑いが残る」と結論づけた。供述を虚偽としたのではなく、難しい判断だったことを3対2の小差が物語る。
「『被害者』の供述するところはたやすく、これを信用し、被告人の供述するところは頭から疑ってかかるというようなことがないよう厳に自戒する必要がある」。判決のこの一節は重い。
警察庁は2005年、目撃者の発見や容疑者に付着した下着の繊維片の鑑定に取り組むよう全国の警察本部に通達した。それでも、防衛医大教授のようなケースは後を絶たない。
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09年04月16日付『神戸新聞』−「社説」=「痴漢」逆転無罪/捜査のあり方が問われた
満員電車内で女子高校生に痴漢をしたとして、強制わいせつ罪に問われた大学教授に、最高裁が無罪判決を言い渡した。
懲役1年10月の実刑とした1、2審判決を「被害者の供述を全面的に信用し、慎重さを欠く」と破棄した。最高裁が初めて痴漢事件の審理のあり方を示した形だ。
痴漢は、女性の尊厳を踏みにじる性犯罪である。しかし、目撃者や物証が少なく、被害者の証言が唯一の証拠となる場合が多いため、誤認逮捕の危険もある。
判決は、こうした客観的な証拠が得にくい痴漢事件の特質を挙げた上で、「被害者の思い込みで犯人とされた場合は防御の手だてが容易ではない」として「特に慎重な判断が求められる」と指摘した。
今後の警察の捜査や裁判にも大きな影響を与える判断といえる。
教授は、東京都内で走行中の電車内で女子高校生の下着の中に手を入れるなどしたとして起訴された。教授によると、電車の中でいきなりネクタイをつかまれて「痴漢です」と駅員に突き出されたという。教授は一貫して無罪を主張していた。
判決は、女子高生の供述が、被害を受けた後、いったん駅で下車して再び乗車し教授のそばに立った点などを不自然と判断。「供述には疑いの余地がある」とした。
かつては痴漢が立件されることは少なかったが、最近では被害証言が具体的で信用できれば起訴されるケースが増えた。しかし、冤罪(えんざい)の訴えも目立ち、この10年ほどで痴漢事件の無罪判決は30件を超えるという。昨年には、交際中の男女による痴漢でっち上げ事件が大阪で起きた。
証拠が少ない犯罪だけに真相は見えにくい。無罪を主張しても、長期にわたって拘束され、仕事を失うなどの恐れもある。
判決は「疑わしきは被告の利益に」という刑事裁判の原則の徹底を求めた。冤罪被害は決してあってはならない。それを防ぐための慎重な判断は当然、必要だ。
一方、この判決で起訴のハードルが上がり、被害の訴えをためらうことにつながりかねないとの声もある。もっともな懸念であり、痴漢という卑劣な犯罪で、泣き寝入りを防ぐための厳しい摘発は要る。
科学鑑定や目撃情報などの客観的証拠をこれまで以上に重視して調べ、より慎重な捜査、起訴判断が求められる。
人権を尊重した公正な捜査、裁判を前提に、犯罪防止に努めねばならない。それをあらためて示した判決と受け止めたい。
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09年04月17日付『山陽新聞』−「社説」=「痴漢逆転無罪 慎重な審理求めた最高裁
電車内で女子高生に痴漢をしたとして、強制わいせつの罪に問われた大学教授の上告審判決で、最高裁第3小法廷は1、2審判決を破棄し、逆転無罪を言い渡した。痴漢事件で最高裁が逆転無罪判決を出したのは初めてだ。
事件はちょうど3年前、4月の朝に起きた。混雑する東京の小田急線の車内で、大学教授は女子高生の下着の中に手を入れるなどしたとして起訴された。1、2審判決は懲役1年10月の有罪判決を言い渡したが、最高裁は「被害に関する供述には疑いの余地がある」と判断した。「疑わしきは被告の利益に」という刑事裁判の鉄則を貫いたわけだ。
満員電車での痴漢被害が後を絶たない。しかし、事件になっても目撃者や物証などの客観的な証拠が得られにくいため、被害者の供述が唯一の証拠となることが多い。容疑者が否認する場合、1、2審で判断が正反対になることも珍しくないという。
今回の最高裁判決も裁判官5人のうち3人の多数意見によった。2人は女子高生の供述は信用性があるなどと反対意見を付けた。供述だけに頼る審理の難しさを如実に物語っている。
注目されるのは、最高裁として初めて痴漢事件に関する審理の在り方を示した点だ。「被害者の思い込みその他により犯人と特定された場合、有効な防御を行うことが容易ではないという特質が認められる」としたうえで「特に慎重な判断が求められる」と強調した。冤罪(えんざい)を防ぐために、もっともな指摘だろう。
ただ、今回の判決によって、被害者が申告をためらうようなことになってはいけない。痴漢は女性の人権を踏みにじる卑劣な犯罪行為だ。社会全体で痴漢を許さない環境づくりや意識醸成を図ることが求められる。
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09年04月16日付『沖縄タイムス』−「社説」=痴漢逆転無罪 判決が問うものは何か
有罪か無罪か。5人の裁判官の注目の審理結果は無罪3対有罪2の小差だった。
込み合う電車の中で女子高校生に痴漢をしたとして強制わいせつ罪に問われた防衛医大教授(63)=休職中=の上告審判決で、最高裁は、懲役1年10月の実刑だった1、2審判決を破棄し、逆転無罪を言い渡した。
何が判断の分かれ目になったのだろうか。
被告は女子高校生の下着に手を入れたとの理由で起訴された。しかし、目撃証言や客観的証拠はなく、被告は一貫して無罪を主張した。
判決は、女子高校生が痴漢被害を受けた後、いったん下車したにもかかわらず、再び同じ車両に乗って教授のそばに立った点などを不自然と判断した。
「無罪」の多数意見は次のようなものだ。
「冤罪は国家による人権侵害の最たるものである。『疑わしきは被告の利益に』という推定無罪の原則は、冤罪防止のためである。込み合う電車の中での痴漢事件を被害者の証言だけで有罪とするのは危険だ」
電車での痴漢事件について「特に慎重な判断が求められる」と指摘した今回の判決は、今後の捜査や裁判に大きな影響を与えることになるだろう。
過去の痴漢事件では、逮捕された後に、携帯電話の使用を注意された女性が、腹いせに虚偽の申告をしたことが明らかになり、不起訴になった例もある。捜査の段階で慎重さが求められるのは当然だというべきである。
ただ、被害者供述の信用性について、5人の裁判官の間で、かなり突っ込んだ論争をした形跡がある。
「有罪」を主張した意見は次のようなものだ。
「女性の供述が信用できない理由として、車内で積極的な回避行動をとっていない点を挙げるが、身動き困難な超満員の中で気後れや羞恥心などから我慢することはありうる」「再び被告のそばに乗車した点も女性の意思ではなく、押し込まれた結果にすぎない」「本件では虚偽の被害申告をうかがわせる証拠はない」
無罪と有罪を主張したそれぞれの意見を読み比べると、あらためて今回の事件の難しさが浮かび上がる。それは痴漢事件そのものの難しさでもある。
今回の判決によって痴漢被害者に対する救済の道が狭まり、泣き寝入りが増えるのではないか、との懸念も消えない。
今回の判決は、供述証拠に頼る捜査のあり方に対して警鐘を鳴らした判決であり、捜査当局に負わされた責任は重い。
満員電車での痴漢事件は後を絶たない。冤罪を防止し、同時に、卑劣な犯罪に対してもきちんと対処していくことが重要だ。
捜査当局に対しては、目撃者の発見、容疑者に付着した繊維片の収集・鑑定など、基礎捜査の一層の充実を求めたい。痴漢事件は客観的証拠が得られにくいだけになおさらだ。
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09年04月16日付『琉球新報』−「社説」=痴漢」逆転無罪 重い課題ばかりが残った
電車内の痴漢事件で、最高裁が逆転無罪を言い渡した。審理の在り方を示す異例の判決だ。供述証拠に頼る捜査や裁判の危うさに警鐘を鳴らした形だが、望ましい方向は示しきれていない。後味の悪さと重い課題ばかりが残った。
痴漢をめぐる「冤罪(えんざい)」が大きな社会問題とされて久しい。審理の在り方は問われてしかるべきだ。捜査や裁判の当事者は省みて、より判断に慎重を期し、冤罪をなくす一層の努力が求められる。
同時に、社会的背景があることを踏まえたい。痴漢被害が後を絶たない要因に、首都圏の超異常ともいえる満員電車が一向に解消されない状況があるが、このことは裁判であまり触れられない。
それだと「木を見て森を見ず」の論議にもなりかねず、この種の事件を一掃できまい。痴漢被害をどう食い止めるか、鉄道会社や行政の責任も問われている。
訴訟の事件は2006年、東京・小田急線の車内で起きた。女子高生に痴漢をしたとして、防衛医大教授が強制わいせつの罪に問われた。教授は一貫して無罪を主張したが、1、2審判決は懲役1年10月の実刑を言い渡していた。
上告審では一転し「被害に関する供述には疑いの余地がある」と判断。1、2審判決を破棄し、逆転無罪となった。
判決を受け、教授は「初めて胸のすく思い」と涙した。一方で「人の一生を何だと思っているのか」とも話し、裁判の在り方に怒りをぶつけた。疑いは晴れても、人生が大きく狂わされたとの思いは残るだろう。
被害を受けたと主張する女性もしかり。今回の判決には納得がいくまい。供述の不自然さから「疑わしきは被告の利益に」との刑事裁判の鉄則を貫かれたが、「虚偽の供述をした」とのレッテルを張られかねず、心身ともに深い傷を負うことになる。
こうした状況を招いた司法当局の責任は重大だ。ぬれぎぬで人生を狂わすことがあってはならないし、真の被害者の泣き寝入りも防がねばならない。容易ではないが、人権擁護に立脚して道筋を示すしかない。
加えて乗車環境の改善だ。身動きの取れない満員電車が放置状態にあるのはおかしい。女性専用車両の導入例はあるが、十分ではない。状態を解消し、安心して乗れる環境をつくってもらいたい。