想学サロン2.0

非活の壮年部が、今の組織についてつづります

   

創価学会折伏考

こんにちは。

関東地方は梅雨に逆戻りした感じの天候です。
日差しが隠れているので少しは涼しくなるかと思ったのですが、ものすごい湿気で動くだけで汗が滝の様に流れ出てきます。

こんなときは体調を崩しがちになってしまいますが、くれぐれも体調管理にはお気をつけ下さい。

さて本日は創価学会の折伏について少し考察をしてみたいと思います。

組織からは2013年の選挙へ向けて、組織強化をするという話も聞きもれてきます。
そしてその一環として、これから組織の活動として折伏に取り組む様です。

ところで折伏ってなんでしょうか?

僕も創価学会の幹部履歴として御本尊授与数は「5世帯」と記録されています。

ここでまずは創価学会の活動としての折伏から説明をしましょう。

1.折伏活動の進め方
 ここで言う折伏とは「会員に創価学会から御本尊を授与し、入会させる事」として話を勧めます。また進め方として幹部目線からの説明をしてみたいと思います。

 まず折伏を進める際、幹部としては組織の中に折伏活動に取り組む活動家数がどれだけいるのか?これががポイントとなります。

 そのために座談会とか活動者会などで、担当幹部を入れながら活動家に友人に仏法対話をする事、そして折伏活動に取り組むことを促します。

 そのためには体験談あり、様々なエピソードありで、それこそ折伏で人生が変わるという事を全面に出してアピールをしていきます。

 その後。活動家はビデオや聖教新聞を片手に友人宅に行き、仏法対話をするのですが、この時には幹部が随行する事が推奨されます。

 ここで何故幹部が随行する必要があるかと言えば、「友人に仏法対話をする際、仲がいいからこそ話を切り出せない事もある。先輩幹部が同行して仏法対話をするという事で、その幹部が切り出し仏法対話を進める事ができる」という事を言っています。

 そして仏法対話を進める中で「入決(入信決意)」というハードルがあります。これは友人が「入会希望カード」の記入をするというもので、幹部が同行したりして友人と仏法対話を進める中、その友人が「創価学会を前向きに見ていいかな・・・」という事で記入してもらうカードです。

 この折伏活動期間、男子部では各支部毎に、壮年婦人では各地区毎に毎週報告をとり、その報告内容は上位組織にあげていきます。

 ・活動家数:一週間の間に折伏活動に取り組んだ人数
 ・折伏現場数:一週間の間で、幹部の動向した対話の数
 ・入信決意数:入会希望カードの枚数
 ・御本尊授与数:御本尊を授与した数
 (※:この内容は地域や組織により、若干の差分もあります)

 そして上位組織ではそれぞれの組織がどれだけ活動家を増やし、現場数を増やすことが出来たかをチェックし、停滞気味や後退が見えるところには手を入れてきます。

 また当然、この数字の「御本尊授与数」については、活動当初に幹部の間で「目標数」を定めていますので、その活動期間にいかに目標数字を達成できるか。

 これが組織にとって大命題になります。
 何と言っても「勝利」「敗北」の分かれ目ですからね。

 壮年婦人部ではそれほど過激ではありませんが、僕が青年部の時には圏部長会や本部部長会で、この目標値に近づく事の出来ない男子部の部長は「死ね!!」の一歩手前の言葉で圏男子部長や圏書記長から怒鳴られました。

「お前は広宣流布の邪魔になっている!」
「池田先生からお預かりしている組織をお前が殺している!」

こんな罵詈雑言を会合中で立たされて浴びせられたりする事が当然の様にありました。またその影響で突然引越しをする部長とか、姿が見えなくなる部長などもたまに出る始末。

 だから創価学会の表の規則では、「座談会に出席して、聖教新聞も購読して、本部長面接で本人が同意していなければ創価学会に入会できない」とありますが、この期間目標を達成するという大命題の前に無視され、かなり無理な方法をとる事もままあります。

対話、即日御本尊授与!
半ば強制に御本尊授与!

 また友人が何かと様々な問題で入会をする事が出来ない状況が出たり、御本尊を安置できない問題が発生すると「魔が出来した!」とばかりに、幹部がなかば強引な方法を指示して(例えば友人の職場の前や自宅の前で待ち伏せかけたりして)、その友人を捕まえ、何とか御本尊を持たせようとしたりします。

 この背景にあるのは、結局は期間闘争内で目標達成して「勝利」する。
 この「勝利」への執念なんですね。

 幹部は執念を持って取り組まなければならない。これはよく言われてきました。

 その結果、創価学会が進める御本尊授与とは杜撰なことも多く、例えば入会して御本尊を授与されたが、結果としてお巻きしたままタンスの中に隠し持ち、その結果なくしてしまったり、また御本尊は安置したけど、その後に誰も訪問指導する事をしなかった為に、結果として「幽霊会員」になったり。ひどいのにあると、本人に入会した意識がないから、統監を持っている組織の幹部が訪問した時に返納される等・・・その状況も様々です。

 まあ、まともに会員として五年後に存在している人数がどれだけいるか。
 その事について追跡調査をすると面白いかもしれませんね。

以上が創価学会の折伏です。

2.本来の折伏について
 日蓮大聖人の御書を見てみるに、仏法の修行法としては「摂受」「折伏」の二門があり、この二門の修行法は「時」によると随所に書かれています。

「今の時は権教即実教の敵と成るなり、一乗流布の時は権教有つて敵と成りてまぎらはしくば実教より之を責む可し、是を摂折二門の中には法華経の折伏とは申すなり、天台云く「法華折伏破権門理」とまことに故あるかな、然るに摂受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば冬種子を下して春菓を求る者にあらずや、鷄の暁に鳴くは用なり宵に鳴くは物怪なり、権実雑乱の時法華経の御敵を責めずして山林に閉じ篭り摂受を修行せんは豈法華経修行の時を失う物怪にあらずや」(如説修行抄 503ページ)

「仏法は摂受折伏時によるべし譬えば世間の文武二道の如しされば昔の大聖は時によりて法を行ず雪山童子薩・王子は身を布施とせば法を教へん菩薩の行となるべしと責しかば身をすつ、肉をほしがらざる時身を捨つ可きや紙なからん世には身の皮を紙とし筆なからん時は骨を筆とすべし、破戒無戒を毀り持戒正法を用ん世には諸戒を堅く持べし儒教道教を以て釈教を制止せん日には道安法師慧遠法師法道三蔵等の如く王と論じて命を軽うすべし」(佐渡御書 957ページ)

 では今の時代は如何なる「時」であるのか、少し段階を持って考えてみてみたいと思います。

 1.日蓮大聖人の仏法と創価学会及び宗門が主張している教義の内容について、
   実は不確定要素が多い事。これは日蓮大聖人在世の時代の「権実雑乱」
   に匹敵する内容ではないかと思えます。

 2.御書を読んでみるに、正法が隆盛しているときには摂受が主体となり、
   仏法の高低浅深が混在し混乱している時代は折伏が中心となる事が随所
   に書かれている。

 以上、考えてみるとやはり「時」として折伏を取り組むのは、日蓮大聖人の観点から見てみても外れてはいないと思われます。

 ただし本来の観点から考えてみるならば、日蓮大聖人の仏法の原点に立ち返り、その仏法から高低浅深を大いに語らい、との中で仏法思想を広げるという事が、本来の折伏に通じるものではないでしょうか。

3.創価学会の折伏における問題点
 では先に上げた活動が果たして日蓮大聖人の折伏という考えに合致しているのか?そこについて考えてみると、実はいろいろな問題点が見えてきます。

・折伏で語る内容について
 折伏をする際、多くの活動家は「創価学会の素晴らしさ」「池田先生の素晴らしさ」を語る事や、「この御本尊に祈って叶わない事は無い!」と願望成就の事を仕切りに訴えます。

 しかしこれは本来あるところの「折伏」とは違っています。

 本来の折伏であれば、先の御書にあるように「権実雑乱の時法華経の御敵を責めずして」「儒教道教を以て釈教を制止せん日には道安法師慧遠法師法道三蔵等の如く王と論じて命を軽うすべし」とある様に、まずは法の浅深を論じるものであり、その途上で仏法を広めていくものであり、けして組織の素晴らしさを語るというもんを「折伏」とは言いません。

 何故ならば、今の創価学会の組織を見てこれを宣揚する事が正法を語るという事になると思いますか?

 ・政権闘争をオブラートに包んだ政治闘争を信仰にする組織。
 ・職員や本部の都合で、読みもしない新聞を多くとる事を推奨する組織。
 ・そして組織で「師弟不二」をさせる師匠は生死の状況もわからない。
 ・そんな人間を師匠として信じきれないと、「信心がおかしい」と言われる組織。

 これは常識人であれば違うと十分理解できると思います。

・御本尊授与について
「日興の弟子分に於ては在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若は又在所を追放せられ一分信心の有る輩に忝くも書写し奉り之を授与する者なり。」(富士一跡門徒存知の事)

 これは日興上人の言葉ですが、日興上人は御本尊を無闇に授与する事については否定的であったようです。

 ところが創価学会では組織活動として御本尊授与を推進し、そこに数字目標をたてさせ組織を煽ることで、多くの御本尊をご不敬させてしまったという事実があります。

 また活動から離れると、簡単に会員から手を引き、面倒を見なくなってしまいます。

 この「御本尊ばら撒き」というスタンスについては、今の時代に改めて見直す必要があるのではないかと思えてならないのですが、皆さんはどう思いますか?

4.本来あるべき組織の折伏
 ここから話すのは、あくまで僕の今までの経験から話をします。

 まず組織で折伏を進めるならば、せめて五大部の御書については、学習をした方が良いと思います。そしてその学習の中で、会員には様々な事を感じてもらい、自発的に友人と対話を出来るように進めるべきではないでしょうか。

「創価学会は素晴らしい団体だから一緒にやろう!」
「とにかくこの信心は食べなければわからない!」

などという、低いレベルの語りしか出来ないのでは、広宣流布とは呼べないと思うのです。

「我もいたし、人へも教化候へ」ではないでしょうか?

 またお題目を唱えるという、いわば信仰の基本についても会員に徹底して指導すべきだと思います。

 また日々の生活の中で、お題目を唱える事で感じる事は様々あると思います。組織幹部はそういった会員の「信仰した実感の生の声」を聞く役に徹し、そこでお互いの人生について触発する活動を主体におくべきだと思います。

 そういう中で会員が友人と仏法について語りあったと言うことについては、最大限に賞賛をすべきです。よく組織であるのが、友人に語ったとなると「次は座談会につれて来い」とか「幹部と一緒に行って入会決意をさせろ!」という性急な動きをしがちで、やもすると会員のそういった純粋な小さな行動というのは見落としています。

 これは日蓮大聖人の言葉とは違いますね。やはり仏法対話をしたならば、最大限に賞賛すべきなんです。

 あとけして数字は追わない。御本尊授与も無理はしない。こういうところも大事に考えるべきではないかと思うのです。

 もし御本尊を授与するのであれば、それなりに本人が自発的に希望をして始めて授与すべきだと思いますし、そうする事で御不敬もかなり減ると思います。

「そんなことしても拡大は進まない!何を甘っちょろい事を言っているんだ!」

そう感じる人もいるでしょう。おそらく幹部であればあるほど、そう思うはずです。

でも考えてみてください。

創価学会が今のような折伏をして、本当に組織として発展すると思いますか?
逆にそういった雑な活動、本来の意義からかけ離れた活動に専念した結果が今の組織であり、人材不足に拍車をかけたのではないでしょうか?

組織活動として折伏を進めるのであれば、またその主体者であれば、もっともっと真剣に考えるべきではありませんか?

だって信仰とは、本来は一人ひとりが主体者のはずです。
けして組織の幹部から責められるから行うものでもないはずです。

もし活動家幹部の方がいましたら、いま少し再考される事をお勧めします。

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やっぱりね

  • by トニー
  • 2011/07/30(Sat)07:05
  • Edit
>壮年婦人部ではそれほど過激ではありませんが、僕が青年部の時には圏部長会や本部部長会で、この目標値に近づく事の出来ない男子部の部長は「死ね!!」の一歩手前の言葉で圏男子部長や圏書記長から怒鳴られました。

やっぱりあったんですね、このテの締め上げが…。本来権利のはずなのに、いつの間にか義務になっちゃってる、創価学会の不思議なところ…。しかも、幹部から酷い言われ方をされても、「自分の命を見せてもらってるんだ」と思わなければならないし、反対に下の立場から苦言を訂しても、幹部は絶対に「命を見せてもらってる」とは考えない。本来なら合わせ鏡で幹部もそう思うべきなのに…。嫌だ嫌だ。
こんな活動のいったいどこが幸福だというんでしょう?

こんにちは

  • by すず
  • 2011/07/30(Sat)07:37
  • Edit
昔は折伏行進みたいにすごかったですが、時代が変わりましたからね。
昔は何にもなくて情報もなくて、でも将来には希望が持てた。
しかし、今は、情報はあるし、あらゆる方向に人の価値観が広がっている。
折伏が昔みたいなのりでできないように思います。

トニーさん

  • by 運ちゃん
  • 2011/07/30(Sat)12:00
  • Edit
当時の部長会の様子ですが、販売会社の営業部隊のミーティングみたいでした。

まあ地域によって差はあるみたいですが。

いい年したおとなが顔を真っ赤にしてマジギレしなから怒鳴る様、外部にはみせられたものではありません。

「池田先生は決意はいらないんだよ!」
「目標達成出来ないときは、どう責任とるんだ!」

こんな罵声が続く部長会は、本当に修羅場でした。

ネットがない時代

  • by 運ちゃん
  • 2011/07/30(Sat)12:49
  • Edit
ネットが無い時代は、折伏はやりやすかったと思います。

また情報は限られたものであったし、だから会員がブレる事も少なかったのではないかと。

ただその分、組織に疑問を持っても、さの受け皿的なものは無く、泣き寝入りしたり「反逆者」のように法華講へ行く事くらいしか無かったですからね。

No Title

  • by グルニエ
  • 2011/07/30(Sat)18:54
  • Edit
もう一歩踏み込んで考えれば、自発的に入って活動したいと思わせるような教団ではないということでしょう。
はっきり言って魅力ないですよ。
祈りが叶うったって、祈って、動いて、自分の努力で結果が出るわけであって創価が何かしてくれるわけではありません。
一昔前であれば日蓮正宗が唯一正しい真の教えと言われていましたが、それも崩れました
敢えて言えば、社会で陽の目を見なかった人間が学会の役職に就くことでいばれるということ。それも人事によってなので儚いものなのですが

俺の敵!糞邪教池田宗の俗物どもに吐く台詞

  • by ラカン
  • 2011/07/30(Sat)18:56
  • Edit
「お前は抗戦流布の邪魔になっている」
そうだぁ!池田邪教を広めさせん為にな!

「池田センセーから預かっている組織をお前が殺している」
上等だコラ!池田代作共々貴様らをぶち殺して
地獄を見せたろうかコラァ!

「死ね!!」
俺にその生意気な口を利いたとたん
コインを握り締めその野郎の
アホ面に速射砲パンチを叩き込んでやったわぃ!w
俺は昔、城東のテルに似てたらしいからなw

こんばんは

  • by すず
  • 2011/07/30(Sat)20:13
  • Edit
〉2013年の選挙へ向けての組織強化。
〉その一環としての組織の活動として折伏に取り組む。


危機感から勧誘がうるさくなるのでしょうか?
コマーシャルも利用しているし。

似てるよな…。

  • by トニー
  • 2011/07/30(Sat)22:03
  • Edit
学会のイメージアップを狙ったCMなんて逆効果なだけだとだと思うんですけど…。マスコミのやってる韓流のプロデュースと一緒ですよ。

無題

  • by 流れ星
  • 2011/07/31(Sun)09:17
  • Edit
結局は、先にある選挙を見込んでの組織強化なのですね。。

ところでわたしが容易に想像できるのは、新聞の闘い?と似たり寄ったりの安易な折伏活動。。

例えば、ご本尊を持たずに結婚した子どもの折伏でご本尊授与達成1。。とか。

結婚して誰だって、様々な悩みが出てくるもの。。
そこにつけ込むのですね。。

多分、ほとんどが未入信家族に対しても折伏なのではないでしょうか。。?

そんな気がします。。

一般の人は、常識人であればあるほど。。創価の実情を知り、恐ろしくなり。。まるで火の中に敢えて飛び込むようなことはしないでしょう。。

世間でも少し外れた方をターゲットに折伏していくのではないかと思われます。。

まあ、それでも将来の貴重な票に繋がると思えば良しなのでしょうね。。
残念なことに。。


No Title

  • by 北斗
  • 2011/07/31(Sun)12:25
  • Edit
お久しぶりです。
自分も部長経験者なので、今回の記事は特に興味深く読ませて頂きました。
自分が部長だった頃に、家族が反対している外部の人に御本尊をもたせるためにお守り御本尊授与ということで数を稼いでいました。
かつてお守りご本尊というものは信心経験が長い人とか幹部しかもらえなかったものですが、ある時期から青年部部幹部以上は希望者OKとか急にハードルが下がりましたね。いずれにしても、御本尊を欲する方に信心のすばらしさを体験させてあげるというよりも、数稼ぎの策だったことは間違いないでしょうね。
部長会での暴言も日常茶飯事でしたね…「池田先生は、私は結果のない人間は絶対に信用しないっておっしゃられているんだ!!」みたいに(笑)
でも、そうゆう暴言を吐く幹部に限ってこっちがキレたら急に黙り込んだりしてね(苦笑)周りの別の幹部が「まあまあ、○○県男子部長も命をかけて指導しているんだから…」みたいなとりなしをしたり。でも、こっちからみたら全然命をかけているって感じはなくてただのパワーハラスメントにしか見えなかったですけどね(笑)

お守り御本尊

  • by トニー
  • 2011/07/31(Sun)18:00
  • Edit
北斗さんが言われるようにハードル下がった感はありますよね。
確かにある程度の役職者だけが持つことを許されていた時代があったというのは聞いたことがあります。それが、出張などの事情がある人に許されるようになり、ある日を境に「大量生産」されるようになったと記憶しています。
「もしもしトニー?あれお前、もうお守り御本尊さま頂いたんだっけ?今幾ら(金額忘れた)でやってるんだけど…」
ある日突然こんな電話がかかってきたことがありましたが、お金なかったんで要領よくスルーしたことがありました。当時、「逃げた俺が言うのはなんだけど、信仰の対象を安売りしてよいのかしら」と疑問に感じたのをよく覚えています。
学会にとっては、けっきょく商品にすぎないということなのでしょう。

No Title

  • by 北斗
  • 2011/07/31(Sun)20:13
  • Edit
トニーさん、こんばんは。

>「もしもしトニー?あれお前、もうお守り御本尊さま
>頂いたんだっけ?今幾ら(金額忘れた)でやってる
>んだけど…」

そうですね(笑)授与されるときの御供養額は確か5000円だったと思います。現在でもお守り御本尊の授与をもって入信なんてことはやっているんでしょうか?自分が部長だった頃は男女青年部限定の方法で、確か本尊流布数とお守り流布数は分けて報告を上げていたと思いました。
部長の頃に感じたことは、ブログの記事にもありましたが結果ばかりで、それまでなかなか行動を起こせなかった部員さんが友人と対話できたとか、仏法対話などの経緯をほとんど評価してくれなかったことでしょう。
仮に口先だけで評価しても「○○日までに決めるんだ!」みたいな(苦笑)部長会で「本尊流布だけが全てでしょうか?△△君(自分の部の部員さん)は学会の”味方”をつくる戦いをしてくれたのですが、それではダメなんですか?」なんて聞いたら、すごい「指導」がはいって…本部長まで巻き添えで指導を喰らって…なんてこともありました。

こんばんは

  • by すず
  • 2011/07/31(Sun)20:19
  • Edit
新聞啓蒙が嫌で選挙も嫌で会合に誘うのも嫌な私は、創価からいなくなって良かったわけですね。
自分もやめてからプレッシャーがかからなくなりほっとしてます。

No Title

  • by ラカン
  • 2011/07/31(Sun)20:25
  • Edit
お守りご本尊=糞池田宗作成のニセ本尊!

折伏の結果

  • by 河童
  • 2011/07/31(Sun)22:23
  • Edit
地元の地区ではここ10年での新入会員数はわずか5人ほど。
古参の退会者はそれ以上いるから、会員が増えるはずはない。
この5人のうち3人も既に退会、残る2人は完全未活。
アフターフォローが全く出来ていない、というか地元非居住者が殆どなので顔も知らない。

新入会員の居住地域が紹介者と遠く離れていてはフォロー出来ない。
かといって新入会員がいきなり見ず知らずの地元地域で単独で配属されたら普通は躊躇する。
フォローなしでは常識人なら入会そのものが間違いであったと気づくまでに時間はかからない。
折伏は紹介者との人間関係の深さで決まるはずなので、物理的距離が離れるほど時間をかけた
信頼関係構築が重要なのは当たり前。
例え近くにいても数年間は紹介者とべったりでなければ信仰のモチベーションは維持しにくい。
尤も、現時入会しても新聞書籍・選挙・友好拡大・財務しかないので、信仰は全く深まらないのだが。
本気で信仰を根付かせる気があるのなら、都道府県をまたぐ安易な折伏は無責任だから禁止だ。


見聞きした例

ある婦人部が遠方の紹介者により入会した。
グループやブロック、地区、支部に連れ回され、行くたびにスピーチを求められることに辟易。
「何も分かりませんと言っているのに何を話すのか。この一年、何度自己紹介させられたことか」と退会。

他府県人から折伏された後に地方転勤で未活。その後地元に戻った男子部がいた。
程なく上から勧められるままに、未活からいきなり人材グループに入れられた。
活動の過激さは言うまでもなく、仕事・生活に支障を来したが、訴えても聞いてもらえず退会。
「こんな非常識な団体とは知らなかった」と。

学生部の女子が同級の彼氏を折伏した。
その後、男女関係のもつれで別れた。
「もう係わりたくない」と彼女。
共に卒業したが、元彼氏は下宿のアパートを引き払い行方不明で退会処理。

入会の浅い人ほど辞める判断が早いようだ。
常識が残っているうちに触れる悪材料が近年、組織に多すぎるからか。


仏法対話では相手の世界を少しでも広げてあげられればそれでよし。
判断は相手がすること。すぐに受け入れて貰う必要もなし。
入決数? アホか。そんなことどうでもよい。
新聞啓蒙? 記事に価値があるというのなら古新聞の贈呈、切り抜きもカウントしなさい。
組織報告のために信仰などしていない。
仏法を勉強することは一つの価値観として勧めるが、創価は絶対に勧めない。聖教も。

仏法に限る必要もない。世間一般の思想・哲学・科学の良いところ取りで何が悪い。
固定も固執も無用。世界観が偏狭になる。天と対話するための言語(方法)を探求すべし。

言っていることとやっていることが違うのが創価クオリティ。

「ひとりを大切に」と言いながら結果的に愚弄する。
「桜梅桃李」と言いながら個性を認めず画一化を押しつける。

あぁ虚しい。

凄まじいまでの自己肯定

  • by トニー
  • 2011/08/01(Mon)07:34
  • Edit
ある学会の先輩から聞かされたブッ飛んだ話を、今から再現します。

『創価班大学校のとき、僕はなかなか折伏できなかったんだ。だからある友人にお願いしたんだ。“頼む!これにサインしてくれ!”って。その友人はサインしてくれたよ。…結果僕は友人を一人なくしてしまった。
…でもそれだってもしかしたらそれが縁になって今頃信心をしているかも知れないしね…』。

どうです?非常識も甚だしいとってもシュールな主張だと思いませんか?この話を聞いて、当時の僕が「は?」と思ったのは言うまでもありません。が、何も言いませんでした。その人はとにかく口が達者で、かつ人の言い分にはまったく耳を貸さないという、典型的な「創価学会性利己主義的神経症」を患ってるキ○○イで、言うだけ無駄だと思ったからです。
たとえばその人にこう言ったとしましょう。「でも言ってしまえば学会活動なんてある意味ボランティアでしょう。それなのに何故入会をノルマ化したり、ノルマが達成できなきゃバッチを渡さないみたく半人前みたいな扱いをするのかが解りません。おかしいでしょう」。恐らく途中で口を挟んで激しく自己主張してくるでしょう。つまり、最後まで聞かないと相手が最終的に何を言いたいのか解らないときがあるってことが解らないんですよ。…たとえどんなに凶悪な犯罪者だって、一度裁判になったら言い分を聞いてもらえるのに。…だってもしかしたら無実かも知れないでしょう?

その人には、キチンと話を聞いてもらえず一方的に叱責され、深く傷ついたことが何度もありました。が、このキャラクターからいって、彼は一生学会の呪縛から逃れることが出来ないザマアミロな人生を送るに違いありません。ムカついた先輩や幹部には、心の中で中指をおっ立ててやればいいんです(笑)。

北斗さん

  • by トニー
  • 2011/08/01(Mon)07:52
  • Edit
昔付き合っていた女の子が、僕じゃなくて僕の先輩のプッシュで入会しました。…5000円で「買った」お守り御本尊でしたよ。たぶん今頃はもっとルールが変わってるんじゃないですかね(笑)

そうそう、さっきの北斗さんのコメントを読んで思い出しました。
「結果が全てだ!」という壮年部に、「下種仏法じゃなかったんでしたっけ?」と言ったことがあるんです。激怒されましたよ。
「男子部のくせに口答えをするんじゃない!」
「壮年部のくせに逆ギレしてんじゃねーよ」

もう無茶苦茶。まとめてかかってこいって感じです(笑)。

No Title

  • by 流れ星
  • 2011/08/01(Mon)09:25
  • Edit
トニーさん、相当イヤな想いをしていますね。。

付き合っている彼女を先輩が折伏しちゃった!?
その先輩、成果に追われていたのでしょうか。。

>彼は一生学会の呪縛から逃れることが出来ないザマアミロな人生を送るに違いありません。

この気持ち。。すっごくよく分かります。。
創価を離れて見て実感できることですよね。。

創価の人から見たら、退会した人はお気の毒で可哀想な人という見方が強いですけれど。。

こちら側からしたら、いつまでも創価の呪縛から逃れられない人は
ほんとうにお気の毒です。。

でもその事実に気がつくのは、だいぶ後になってからかもしれません。。



無題

  • by 流れ星
  • 2011/08/01(Mon)10:50
  • Edit
あ。あの誤解のないように。。
気の毒だと思うのは、真実に目覚めない自己中心的なバリ活動家に対してです。。

時々言葉足らずでゴメンなさい。。m(_ _)m

御守り御本尊雑感

  • by 運ちゃん
  • 2011/08/01(Mon)10:53
  • Edit
その昔の御守り御本尊は金属製のカプセルに収められ、授与対象者もそれなりの功労者に限られていました。

また今のペンダント型の御守り御本尊も当初はある幹部以上の希望者に対して授与をされていました。

しかしながら十年ほど前から、青年部を皮切りにバラマキ始めたように記憶しています。

当時、僕は圏男子部長をしてましたが、部長会で発表したさいに、幾人かの部長から反対意見がでました。
「ご不敬が増えてしまうのではないか?」
「そんな安易な授与をして良いのか?」

その部長会の結論は「無闇な授与は進めない」ということになったのですが、その後、分県からチャチャが入りました。

「何故こんなに良い施策を積極的に勧めないのか?」

分県以上からは、希望者をつのり授与を進めよとお達し。

当時、僕の圏が一番少なかったと思いますよ、分県の中では。

しかし何故あんなにバラマキたかったんでしょうか。
その後、御守り御本尊による入会を進め、幽霊会員も増えたとか耳にしたこともあります。

またある地方では署名した人に配布して「大勝利」を勝ち取り顕彰までされています。

結局、創価学会は何をしたいのでしょうか?

日蓮さんの広布観

  • by 運ちゃん
  • 2011/08/01(Mon)11:44
  • Edit
未だに学会は入会と御本尊授与の数字にこだわっているが、やはり最近思うのはわか日蓮という僧が考えていた広布観は題目の流布と立正安国論の思想だったのでは無いかと思うのです。

であれば御本尊授与の数字にこだわる今の行動は本筋では無いと思います。

友人に語らい、共感の輪を広げる事を賞賛し、もっと緩い連帯を目指せば良いのではないかなぁ。。と思います。

一時、創価ルネサンスの時はそんな感じでした。

友人で来るモノは拒まず、さるモノは追わず。

組織の垣根らがメチャ低かった時代でしたし、選挙もない、折伏もない。あったのはオープンハウス大学校運動で社会の問題を今よりみていた感じもしました。

会合も強引な勧誘なんかありませんでしたので、結構気軽に友人らも来ていたり。

あの時代の方が、今よりマシだったんじゃないのかなぁ。。。

No Title

  • by グルニエ
  • 2011/08/01(Mon)11:48
  • Edit
流れ星さん
>でもその事実に気がつくのは、だいぶ後になってからかもしれません。。
心に残っているというか、言い得て妙ですね
創価での「出来事」は、列車から見るの車窓の風景に似ていると思います。要は、「抜けて」しまうとどんどん過去に流されていってしまうのです。で、しばらくして「あれはなんだったんだろうか?」と思索に至ります。実際にはフラッシュバックもありそう簡単にはいかないのですが、創価に触れる機会が減るので自然と他人事に思えるようになるんですよね

No Title

  • by グルニエ
  • 2011/08/01(Mon)11:55
  • Edit
運ちゃんさん
私も少なからずその時代を知っています。実は或る幹部に「あれは失敗だった」と言われましたね
校友だの会友だの言われてその先の方向性が示すことができなかった。人材Gへの登用も幹部登用もなかったんですよね。
新進党内の創価アレルギーも強く実際の支持層は以前とまったく変わらなかった。しかも、選挙の結果も良かったとは言いがたい
対宗門への論戦は今より活発でしたが、教宣関係ってそんなに人数いらないですし・・・
だから、学会独自で、本尊授与開始と同時に以前に先祖帰りしたのだと思います。

失敗の意味

  • by 運ちゃん
  • 2011/08/01(Mon)11:57
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メッセージをどうぞ

失敗?したのは

  • by 通教魂
  • 2011/08/01(Mon)13:31
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はじめまして。ここ数日でひと通り通読しました。
運ちゃんさんとほぼ同じ役職歴を経て現在地区部長兼副支部長をしております。
けっこう癒されております(笑)。

さて大学校運動が失敗?したのは、継続性が維持できなかったから、言葉を換えれば、各地域で10年20年単位で継続して取り組める課題を見つけるまでに至らなかったことが挙げられると思います。

第2次宗門問題が起きたのが平成2年暮れ、破門が翌3年11月、日寛上人書写の御本尊授与開始が平成4年ですから、
実質1年~2年足らずで、取り組みの成果が出始めた頃に終了となってしまいました。

おそらく青年部は大学校でよかったが、壮年婦人は拡大がない分、袋小路の状態。それが2年3年続いては水が澱むという判断と推測できます。

それでも、青年部独自で継続できれば、地域に根ざした文化団体としての基盤を作れたかもしれません。
しかし、青年部の人事も1~2年でどんどん変わっていきますし、その後の政治家やマスコミからの圧力はすごかったですからね。
(1年に800回以上中傷記事が出て、秋谷会長も国会に呼びつけられました)

それに対抗するために、学会青年部は折伏と文化祭運動をもってきました。校友の糾合もねらいだったでしょう。
各地のドームで大々的に開催され、私も何度か参加しました。

いま、学会では地域貢献と言っていますが、活動家の少ない地では組織運営で手一杯で、なかなか地域活動にエネルギーを配分しがたい状況であるのも事実。

とはいえ、私も自治会の班長や、業界団体の理事、ボランティア団体への所属など、いろいろやりはじめています。

折伏について

  • by 通教魂
  • 2011/08/01(Mon)14:49
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連続ですみません。
本題の折伏についての記事は、よくぞここまで克明に(笑)と共感しながら読みました。
私もよく怒られましたね~。わたしは今も活動家ですが。

でもね、時代背景として、20年ぐらい前は教育現場でも体罰は普通のことでしたし、怒られるほうも免疫ができてたし、叱るほうも手加減さじ加減ができてたものです。パワハラ・セクハラという言葉はまだなかった。
殴られないだけずいぶんマシ、という感覚でしたね。

それに、お互いの暗黙の相互了解とでもいうんでしょうか、
「立て!」「帰れ!」と言われても、
「ここで帰ったらまるっきりコドモだな」ということがわかっていましたし、
怒鳴った方も、終了後にそっと呼び止めて
「恥をかかせて悪かったな・・・」とか「がんばれよ」とか、
正役職が吼えた時は副役職者が、副が吼えた時は正が、後でフォローしたものです。
お互いが大人だったんですね。

いまは違います。
ちょっと怒ると(だいぶ手加減しても)、20代の男子部が母親に泣きついて、
その母親も息子に言われたそのままを鵜呑みにして婦人部幹部に苦情をいい、
それが婦人部経由でこちらに返ってくる、というありさま。
「帰れ!」なんて言おうものなら、さっさと帰ってしまうでしょうね(苦笑)。とても言えない。
学会の人材育成以前の問題かと。


しかしコメント欄を拝見しますと、皆さんかなりうっぷんがたまってますね。
でも、まだ会員である方はくれぐれも、同志誹謗にならないよう注意してほしいと思っています。

批判的精神は大事ですが、ガセネタの類(強姦した、数十社の個人筆頭株主でカネまみれだ、など)を根拠とする誹謗は排していかれたほうが、会員非会員を問わず人間としても心が荒れなくてすみます。

池田先生もまぎれもなく同志の一人ですし、間違いも判断ミスも当然あるし、同志に離反されてしまうこともある、一人の人間です。十界互具なわけですから。
その上で、仏法の信仰を基に人間を大事にする、という思想と行動の根幹は正しいものだと思っております。

四六時中ピッタリそばについて見てるわけではありませんので、枝葉末節はそりゃいろいろあるかもしれませんし、ないかもしれませんが、
一般の人付き合いでも同じことですが、根幹を台無しにする誤った行為がないかぎり、
その人はいちおう信用して付き合う、というのが我々がごく普通にやっていることと思います。

信仰は真っ白であるべきですが、現世の師という一人の人間にまで真っ白を求める必要はないし、そんなことはどだい無理なことです。

組織も同じで、欠点だらけの人間が多数集まっている限り、問題がない理想的な組織なんていうのはあり得ません。
その中で、「自分として」どうより良くなっていき、自分の手の届く範囲をどう良くしていくか、縁ある同志や地域をどうよくしていくかが大事と思います。
成熟とはグレーに耐え、受容でき、それでも染まらないで白を目指せる、責任感なのではないかと。
難しいことですが(かくいう私も黒に近いグレーに耐えられず転職の経験あまたあり(苦笑))

そういう意味で、私はくだらんと思った活動は極力やりませんし、意見は直接当事者や分県や圏に言いますし、新聞社や本部、党や議員にも遠慮なく言っています。
まあ、支部・本部幹部みたいな中間管理人にはなりたくないので、登用されないようにあえて「ウルサいキャラ」として各所に噛み付いているという意図もあるんですが!?
そういう意味では、元青年部幹部兼地区部長、というのは絶好の立ち位置だと思っています。

ついでにいえば永遠の指導者、というのも創価学会という一宗教法人の会則であって、自分としてそう信じなければならない、という「教義」ではない、各人の自覚に任されている、というのが私の理解です。

通教魂さんへ

  • by 運ちゃん
  • 2011/08/01(Mon)17:47
  • Edit
はじめまして。青年部出身で地区部長兼副支部長では、組織内の立ち位置は僕と同じですね。

在籍する組織の体質が違うのでしょうか。
僕は先輩の支部長から「そろそろ地区部長に、、」と打診を受けた際、「新聞多部数購読の取りやめ」「自民党支持の取りやめ、任意投票」を述べたら「じゃあ良いや」で役職の話は消えました。

また「永遠の指導者」についてはブログにも書きましたが、僕がリアルに収集した名誉会長の実状をただし、名誉会長も日蓮門下では人師であること、また無用な祭り上げは教義に反することを指摘したところ、当時の圏長からは「池田先生が例え極悪人であろうと、着き従うのが信心なんだ」といわれ、結果、組織内で危険視される事になりました。

通教魂さんの言うように、本来は会則であるはずが、教義になっていると僕は以上の体験から実感しています。

この問題は僕の地域だけではなく、かなり広範な地域でも同様の解釈がまかり通っていますので、もう教義といっても差し支え無いのではありませんか?

ただ以上の事も組織的な問題なので、最近の僕にはどうでも良いと考えていまして、実はこれより大きな問題は、創価学会が大聖人直結と言いながら、その事を一番蔑ろにしている事だと思います。

この件は別の機会に。

大人の対話ができれば幸い

  • by 通教魂
  • 2011/08/01(Mon)22:00
  • Edit
>この件は別の機会に。

そうですね。実りある大人の対話ができればうれしく思います。おそらくそういう方だとお見受けしております、勝手ながら。

>在籍する組織の体質が違うのでしょうか。

というよりおそらく私のほうがちょっとだけズルいのかもしれませんねw。
私の場合は、壮年になる前、圏男子部長から分県幹部になった途端、壮年婦人に対する正役職の立場的なくびきを解き放って私本来の「うるさキャラ」全開になっていましたし、
青年部卒業時はいきなり副支部長・地区部長でしたので、流れのままにしれっと受けて、受けてから地区の人に「くだらん活動せんでええですよ」と言い続けてました(いまも)。
なので、多部数購読なし(活動家の多い家族のみ本人希望により計2部上限)、他党支援自由。
私自身、圏での党の会合や地区・支部内で「私は友人に支援の話はするが頭下げて頼んだりしません。当日確認もとりません。報告?話した時ので入れとけばいいですよ」
「自民党には生涯で1回しか入れたことがありません。基本的に信用できず嫌いですから」
「各種調査をみると、10年与党にいて十分な実績出してるとは言いがたい。もっと頑張らんかい」
と公言してました(笑)。
でも、恐れをなしてか、誰も何も言ってきませんね~(ちょっと拍子抜け)。


しかし、運ちゃんさんの役職の話が「じゃ、いいや」で消えるなんて、支部長の覚悟や慈悲が無さ過ぎますし、
「極悪人でもついていくのが信心」に至っては、論外ですね。

まあこちらでもそれに近いことを言う人が居ない訳ではありませんが、こちらが相手にしない、会合に呼ばない、
会合後に「何ですか、あれは」と他の幹部に意見を求める、などで別に問題なしです。

あとでこちらが「あれ、まちがっとる」としかるべき場で修正すればOKなんですね。
部員を起こす実績も、自分の功徳も、誰も否定しようがない形で出しているという自負はありますので。

ですので、わたしの実感では「教義」ではないですね、今のところ。

ただ、たしかに全体として組織運営の事務や効率優先で、哲学性が非常に薄くなっていることは感じます。
御書なんて会合に誰も持ってきてない、大白のみですし、信仰歴にふさわしい人格的成長を感じさせる方も少ないように感じます。

基本的に思考停止のほうがラクですからね、組織の中で生きるには。
まあこれは信仰の組織に限ったことではありませんが。

ちなみに

  • by 通教魂
  • 2011/08/01(Mon)22:55
  • Edit
原田会長は、5月の本部幹部会で、
以前までの「入会3原則の遵守」という言い方ではなく、
「入会3項目の厳守」と言っていました。

あ、ちょっと舵を切ったな、と思いましたが、
私より上位幹部に聞いたら「え?そうだっけ?」と気付いてなくてガッカリ。
問題意識もってない方は、役職関係なく、そうしたもんだ、と。

話すに値する相手かどうか、吟味してから話そう、と再認識したことでした。
こちらに影響がおよぶ立場の相手がバカなら、強いて説き聞かす必要もあり。メンドクサイけれど。

連投失礼しました。

要領が悪いのは昔から

  • by 運ちゃん
  • 2011/08/01(Mon)23:13
  • Edit
通教魂さん

コメント拝見しました。

つくづく思うのは、僕は要領が悪いんですね。多分。

でも青年部の時、裏を見すぎた事もあり、創価学会には幻滅を通り越して諦めています。

また師弟不二が教義であるかないか、これは最終的には信心している一人ひとりに課せられるものなのでしょうか、以前に本部幹部会で名誉会長が言った「仏法の究極は師弟なんです」という宣言では、まさに教義化したものと感じています。

結果、様々な矛盾点は「先生にお応えしよう」で丸められている観がありますので。

あと問題なのは「師弟」を強調する創価学会として、師匠の名誉会長の状況を隠蔽しているのも問題ですね。
こちらの方は、後々まで禍根を残すことになりかねないと感じています。
これは現場の活動家に対して、信濃町界隈がですが。。。

流れ星さん

  • by トニー
  • 2011/08/02(Tue)01:19
  • Edit
もうどうだっていい話ですけど、事実上、その彼女を折伏したのは僕だということになってます。その彼女だって、恐らく学会なんかとうの昔に止めてるでしょうしね…。

むかついたことならたくさんですよね~。オイコラ創価学会、俺の人権を返せ!

無題

  • by コナ
  • 2011/08/02(Tue)02:15
  • Edit
時々ブログ拝見しています。
くだらない組織批判はやめませんか。

信仰の目的は何なのでしょうか。

運ちゃんさんの思いはよくわかりますが、私の心情は通教魂さんに近いですね。

うちの方の地域は今後の折伏については、運ちゃんさんが語っていた内容に近い取り組みをしていますよ。

学会の組織運営も金銭面も含めてどんどん地域主体に変わっていますよ。

具体的運動については、各地域に任されていることが増えていると思います。

初です

  • by 名有り
  • 2011/08/02(Tue)06:28
  • Edit
はじめまして
ずーっとROM専していた名有りと申します
以後宜しくお願いします

いざ、コメントデビューと思いきや、荒れそうなコメントじゃあーりませんかw

私も創価原理主義者やキチガイアンチなどのブログなどを数々拝見しましたが、
ここは冷静、かつ道理を持って意見を述べている方が多いと思います。よって居心地がよいw

今の巨大な組織に批判というか、意見を言ったところで変人か退転者扱いでしょうな。「恩知らず!」とかねw
昔、日本の社会を村社会だと批判してましたけど、まさしく今の組織は巨大な村社会。

自浄作用の無い組織は崩壊するのみ


ここに常住する方々は、純真に広布の為自身の命を捧げ、苦労を重ねてこられた人と思います。
そういった人達の意見を、くだらん組織批判の一言で片付ける神経が今の創価学会なのでしょう。

では、また

コナさんへ

  • by 運ちゃん
  • 2011/08/02(Tue)07:36
  • Edit
はじめまして。
「くだらない組織批判」ですか?
でもその意見の対極にあれのは「組織批判する前に戦え」という事になり。これは二つの意味を持ちます。

○組織の指導通りに戦え
○組織を無視して戦え

僕が懸念している事は「思考停止」です。
いまの創価学会の中で思考停止していない人はどれだけいるのでしょうか?

また組織なんか無視して戦えというスタンスが増えるならば、本来組織は「従」であり信仰としては必要なものでは無いと言うことであり、であればそういった組織の在り方に問題提起をする事も自由ですよね。

あと金銭や活動も地域主体と言ってますが、前より中央主体の感じも受けますが、どうですか?

まあ結局のところ、コナさんの様な意見の方が創価学会の宗門化を推進している事にはかわりないと思いますよ。

自浄作用の無さ

  • by 運ちゃん
  • 2011/08/02(Tue)07:45
  • Edit
名有りさん

僕が初めて創価学会に疑問らを持ったきっかけがまさに自浄作用の無さでした。
仏敵とか言いながら、政治の世界において竹入、矢野などの「忘恩の輩」を輩出しながらも、何ら総括も出来ず、目黒区議会議員の不正問題でも黙りを決め込む。

これは偽装建築の姉歯やヒューザーに対しても同じでしたね。

簡単に言えば、学会本部は宗教官僚の巣窟であり、会員は思考停止して本部の打ち出しに忠実に動いている。

そしてそれが宗教官僚達を余計に増長させてます。

無題

  • by 流れ星
  • 2011/08/02(Tue)08:04
  • Edit
批判。。と、個人の信心の問題であると、その原因本質を封じ込めてきたから、創価は、変わることなくいまに至る。。そう思います。

実際に創価は、問題だらけであるのに、それに対して。。見猿、言わ猿、聞か猿を決めつけているのが創価の会員一人一人なんですね。。

何故そうなのか。。?
誰もが自らの心に聴いてみれば分かることでしょう。。

批判と取り潰すのか。。それとも、そこに隠された問題点を見つけ出し、そこから自浄作用で変えて行くのか。。

創価は、押し並べて前者を選択してきた。。
だから、有能な人材が組織から消え。。会員は
ただ、黙ってしまったのですよ。。

会員は思っていますよ。。
言わぬが勝ち。。って。。

そして、組織は次第に衰退してゆく。。

No Title

  • by 河童
  • 2011/08/02(Tue)12:18
  • Edit
> くだらない組織批判はやめませんか。
> 信仰の目的は何なのでしょうか。

常識人に「信仰の目的」を見失わせたのが今の組織の実態です。
真の信仰団体に戻すべく、皆が意見を述べることは価値的・生産的です。
述べた意見がひねり潰される組織のあり方を批判することが「くだらない」でしょうか?

ここにおられる方の多くが、既に組織内で前向きな意見を何度も述べられました。
そして失望しました。
創価学会は変わることを望みません。
しかし多くの問題点は把握しているのです。
但し、問題の捉え方は組織階層によって180°違ったりします。
「正義ありき」からスタートするので、現実との乖離は信心という名の屁理屈で埋めるしかないのです。

なぜ変わりたくないのか・・・
既にその理由に気づいた人たちが昔から大勢います。
知りたければ自分の頭で考えることです。

とは言え問題点の本質が何処に起因しているのかは意見が分かれるところです。

何れにしても大きな多数の問題放置が続く以上、作為不作為によらず最高位者にその責任があると見るのが世間常識です。
責任者には対処が求められますが・・・何も変わりません。

まさか名誉だけで実権が無いなどとは言わせません。

くだらない?

  • by トニー
  • 2011/08/02(Tue)14:23
  • Edit
コナさん、教えてください。人権擁護法案や外国人参政権を推し進める団体を批判をすることのいったい何が「くだらない」んでしょうか?…どうせ無理でしょうけど(笑)。
コナさんは宗教上の理想で頭がお花畑になっちゃってませんか?それも、「白い花が咲いててピンク色の象さんが空を飛んでるお花畑」。…いや失礼。ロックンロールテイストたっぷりなユーモラスな批判、これは見方を変えたらそれこそ「くだらない」かもですね。ま、解る人には解るネタです。あっ、言っときますけど共産主義者じゃありませんからね(笑)。

そんなあなたには、「創価学会依存性利己主義的神経症」の診断をラベリングさせていただきます。名誉あるこの勲章、お釣りはいらないからとっておきたまえ。ワッハッハッ。ザマアミロ。

No Title

  • by グルニエ
  • 2011/08/02(Tue)15:15
  • Edit
コナさんへ
>学会の組織運営も金銭面も含めてどんどん地域主体に変わっていますよ。

使い古された常套句ですね
夏が終われば新体制
顔ぶれが変われば新しく変わったとしたいのでしょうね
あんまり、人に期待させておいて後でガッカリさせないで欲しい。

暑中御見舞い申し上げます。

  • by 桃太郎
  • 2011/08/02(Tue)21:19
  • Edit
河童さん、流れ星さん、トニ―さん、こんばんは。

仏法のことは良くわからないのですが、部外者の私でも激しく同意です。心の奥深く同意です。

毎日暑い日が続いていますが、意見交換の盛り上がりに大いに元気づけられました。

また、自分なりの素朴な思い考えかも知れませんが、お邪魔させてください。

まだこれからも暑い日が続きます。ご自愛ください。

どうもお久しぶりです。

  • by 創密
  • 2011/08/02(Tue)23:22
  • Edit
お邪魔します。
運ちゃんさん、こんばんは。
創密です。例によって長いんですが、久しぶりに書き込みます。

僕は現在の日本の状況を見ると、一般向けには折伏よりもむしろ、摂受だと思いますよ。一般の人は仏教がなんなのか、よく分かってないのが、実状じゃないでしょうか?つまり、「無知・悪人」の範囲であって、「邪智・謗法」の輩ではないのではないでしょうか?
一応、専門家的位置にいるのであろう、仏教関係者(含創価学会員)に対しては折伏となると思うんです。

「仏法隆盛時は摂受」というのは、そりゃそうでしょと思います。「仏法」といえば「仏の教え」のみを指すわけですから。
ところが「仏法」といっても「阿弥陀仏」だとか、いやいや「真言」こそがとか、なにいってんの「法華」でしょとか、そんな場合はガツンと折伏になるのは当然のことですよ。
本来の摂受折伏の用法というのはそれだけのことに思います。

日蓮の仏法が現在混乱している、といっても、それは各教団宗派間の話であって、「時代」そのものの「時」ではありません。時代そのものは日蓮の仏法どころか、宗教といったもの自体がその力を失っています。今もまだ盛んですが、拝金主義こそが今のところの社会の支配的な思想かと思いますよ。

日蓮の生きた時代は現代よりも社会そのものが宗教的信仰的であって、仏教そのものも深い理解はないものの、民衆の中にも必要とされた時代だと思います。
つまり、現代とは違い、宗教に対するアレルギーがなかったといってもよい時代ではなかったかと。そのような時代に於いては、折伏という方法も専門家以外の人にも有効だとは思います。
しかし、現代に於いては、うまく、双方が共有する問題を考察する中で話さないと、単に自己の宗教的信条を一方的に話しているのに等しいのではないかと。けして対話にはなりません。

なぜなら、相手が宗教的世界にはなっから興味がないからです。賛同する者も中にはいますが、それは「対話」なんでしょうか?折伏は対話ではないなら、それでいいですが。
そこには問題を解決するためにするものか、なんらかの違った思惑があってなされるものなのかは、似ているようですが別物といっていいでしょうね。いずれにしろそこでは互いに「信頼」を築くというところでしょうかね。

学会員にでさえ、本来の折伏は通用しないのかもしれません。
なぜなら、全く仏教に無知だからです。勧誘は一応、得意の部類に入れている。

僕は、宗派性に偏った布教方法というのは、いずれ限界があると思いますし、所詮それはセクト主義でしょう。現段階の「日蓮仏法」なるものも限界だと思っています。「方法論としての日蓮式修行法」と「批判に耐えうる客観的研究を経た仏教思想」とかいう感じ(がんばって難しそうな名前にしてみました)で「通仏教的」なものでないと、どうかなとも今は思ってます。でも、本来日蓮の立ち位置こそ「通仏教」的だとも思うんですけど、後世変わってしまいましたがね。
幸いなことに仏教というのは、読経したり題目を唱えたりというのが、方法論でしかないのであって(それが究極と考える人も多いですが)、本来「法」を理解し、生活という実践の中で実感し、自己の様々な問題を乗り越えていくという、そういった「意識の変革」をしていくことだと思うのです。法を実感していくための方法論こそが、仏教諸派の歴史といってもいいんじゃないでしょうか?まさに道場でしかありません。

また、折伏ということで、この話は「他者性」もっと言えば「対社会」ということだと思いますが、ここでは特に「対社会」についてを考えてみますと、一体社会の「意識」というのを、どこにもっていくのか。という課題もあると思います。ちょっと上から目線ですが…。
まあ、どのように仏教者という立場としての社会参加・貢献をするかということですが(別段、そんな特別なものでもないですけど)、権力闘争や、単純に「ご本尊」とかいうのではないと思います。(要するに広宣流布ってなんなのか、ですかね)。
ま、これも究極的には「人としての振る舞い」ということにはなってしまうんですが(もちろんそれは法を理解し、実感した上での人の振る舞いだと思いますが)、もう少し考察してみると、それはひとつには、時代を見る目を持ち、時代の潮流に感じ応え、その上で提案していく柔軟性と力強さと、また簡単に流されてしまうのではなく、流行といったムーブメントとは区別できる確固たる判断力が必要でしょうか…その働きは即ち「観世音」でしょうかね。また、それは他者を教団に入れるとかいうことではないんです。振る舞いの部分でしょうか。
勉強しなければなりませんね。

僕は現在の情報革命は、本当に大きな時代の節目だとも思います。「マーケティング3.0」などはまさに、単純な経済至上とは趣きがかわり、消費者との共感、パートナーシップ、などといったそれこそ初代牧口の言う「人道的競争の時代」に通ずるのではないかとさえ思います。まさに「経済的競争の時代」の主役ともいってよい、企業そのものからの変化なんですね。もちろん情報革命による時代の潮流を捉えた上のアクションです。B to Bもそうなって欲しいもんです。

つまりそこにはなにがあるのかといえば、情報というのが、一握りの限られた者の手にあるのではなく、ひとり一人が、有効な情報を得ることができ、己れの判断の下に行動可能ということですね。また、搾取する側される側、支配する側される側という構造も変化せざるを得ない状態になるわけです。人間精神の開放にまたひとつ、近づいているのであると思います。無明を破るための助けとなる、情報ということです。行動の基準となる情報なわけです。


要するにいつまでも抹香くさい仏教じゃダメだと思います。
本来、洗練された思想なんですよ。僕は仏教は宗教を超えるべきだと思いますね。「存在は様々な要因によって成立しているひとつの現象」といったような考え方って、当たり前のように広まってもいますし、様々な分野でも明らかにもされてきていますけれども、それはすでに仏教は「縁起」という概念で説いているなどとということまでは知りません。ま、知ったところで、仏教教団自体が時代の脇道にいますからね、幻滅でしょ。

まあ、そう考えると創価学会の「平和・教育・文化」というのは、おしいところまではいってたのではないかなとも思いますが、いかんせん人や社会でなく、あくまで創価学会を中心とした思考でしかないのではないかなと。全体主義的だと思います。結局は教団の発展こそが、目的なんだなと。まあ、教団経営者ですから当たり前かもしれませんね。教団にプラスに働くことならば、奨励するのも当たり前のことなのかもしれません。例えそれが、本来の仏教の目指すものとは微妙に違っていたって。小さい政府ならぬ小さい教団を目指す教団経営者っていうのも、ある意味おかしいんでしょうが、しかしながら現在の経営手法も老朽化しているのかもしれないと考えるべきなんですが、真逆の「永遠」ですから、目も当てられない。教団化している時点で、話半分に聞いといた方が利口ですね。というか、会員がそういう運動を積極的にしているわけでないですからね。要するに、そういったものが、一握りの限られた人間の占有物でしかなく、人々は一方的に垂れ流された情報だけを知らされるだけという…。「池田大作劇場」を見せられているだけであって、会員はいつまでたっても視聴者のまま。そしてそれに憧れるフォロワーの多いこと…会員の義理人情でたもってるんだろうな。その人気。

ひとり一人が、賢く時代の常識を越える理性の目で物事の本質を見、判断していくこと。また判断できる力を持つこと。
それはまさに「依法不依人」「自灯明」に通ずることなのではないかと、感じるわけです。また、人の精神の底上げですね。

摂受か折伏かなどは、方法論であって、本質ではないと思っています。状況に応じて効果的な方法をとればよいだけのことなんじゃないかなと。
折伏という概念も広すぎててね、なかば暴力も辞さない(広げれば有徳王の軍隊は折伏ということですよね?)思想すら含んでいます。
「俺は昔はワルだった」とかいう感じを漂わせられる「折伏」という戦闘的な概念や言葉の響きに、いい気になってる二昔し前くらいの単純な庶民とやらには自分が強くなった気がしてよかったんじゃないでしょうか。それも時代ですね。

偏っているかもしれませんが、そんなふうに考えています。

組織内で言論の自由が保障されている通教魂より

  • by 通教魂
  • 2011/08/02(Tue)23:59
  • Edit
昨日の補足・・・の前に。

コナさんこんばんは。多少なりとも共感していただきありがとうございます。
でも、「くだらない」はちょっとマズかったかもしれませんね。

批判を聞いた上で、そこから真の問題点を探り、実りある改善に昇華していく、というプロセスが大事ですので。
特に、この場所では。
そういう、組織の大きさに比例した度量の広さが、求められているのだと思いますよ。

で、本題の補足ですが。
>「極悪人でもついていくのが信心」に至っては、論外ですね。
と昨日書きましたが、具体的なその場の状況を見てないのでなんとも判断つきかねますが、
そこには言外の真意というか、行間を読むというか、文底を感じるというか、
そういうことが必要な場合もひょっとしたらあるかもしれないと感じました。

というのも、戦時中、戸田理事長(当時)が牧口初代会長とともに投獄され、
のちに「牧口先生は私を牢獄にまで連れて行って下さった」と述べたときも、
戦時中の法律では牧口先生は国法違反の国賊の極悪人であったわけですし、

戸田先生が事業の失敗で窮地にあったときも、
経済事犯に問われる寸前の師匠に池田青年は最後まで付き従ったわけですし、
(債権者にとっては、命の次に大事な金を返せない極悪人)

次元と方向は違いますが、日蓮大聖人の御書にも、弟子が地獄に堕ちるなら私も一緒に地獄へおもむこう、との記述があります。

また、運ちゃんさんが元青年部幹部ということもあって、圏長のほうも
「言外の意味」をわかってくれるだろう、というある程度の信頼感というか期待があって、
そういう極端な言葉になった可能性もあるかと。

また、そこには対話者同士の関係性や個々の性格、互いにキャラを解っている度合いなどもからんできます。
卑近な言葉で言えば、「イヤよイヤよも好きのうち」ってとこでしょうか(笑)。

これは私の体験ですが、圏男当時、人心掌握がうまくいかない出来事がありまして、
そのときフォローに入った分県長が本部長に対して、
「黒いカラスも圏男が白と言ったら白いんだ。はい白ですと、そういうのが信心じゃないか」
と言ったんです。
言葉だけ切り取ってみると、「んなわけねえだろ!」の世界ですが、
その場では、言っている真意がなんとなく腹に落ちたみたいでして。

そういうことって、往々にしてあるんですね。

「師弟不二」にしても、旧「人間革命」から既に書かれていますし、
本部幹部会の対告衆は、基本的にはその場にいる各方面の選ばれた幹部たちですし、
仏法の「修行の」究極は、師弟不二である、という意味だと私は理解していまして、
そうとらえれば、特別なことではない、というのが私の解釈です。
なお私が最もはっきり一字一句記憶しているのは、
「師弟不二こそ人生勝利の奥義である」という指導です。
(20年ほど前は「師弟共戦」という言葉が一般的でしたけどね。)
これも池田先生自身の生の体験からでた言葉で、
それについては他から、違うよと言うようなものではないことは当然でしょう。

まあ、話す側の池田先生にとっては、
指揮を執れる人生の残り時間が少なくなっている自覚が深まるほど、
究極のエッセンスだけは、できるだけ多くの毎回違う本会場の参加者に、直接伝えたい、
とお考えで「師弟不二」を繰り返し語るのでしょうし、
ただ聞く側にとっては、「毎回同じことを繰り返し・・・」と思う方がいても不思議ではないでしょう。
それはあくまで各人の自覚と感得の次元ではないでしょうか。

さらに、池田先生自身が時折言われているように、50年後100年後200年後の人々に伝えたい、
という思いもあるのだと理解しています。

摂受と折伏

  • by 堅皇
  • 2011/08/03(Wed)01:08
  • Edit
> 僕は現在の日本の状況を見ると、一般向けには折伏よりもむしろ、摂受だと思いますよ。
> 「無知・悪人」の範囲であって、「邪智・謗法」の輩ではないのではないでしょうか?
> 一応、専門家的位置にいるのであろう、仏教関係者(含創価学会員)に対しては折伏となると思うんです。

僕もこの創密さんのこの考えに同意ですね。

そもそもこの摂受と折伏と言う言葉は「妙法蓮華経」にも「大般涅槃経」ない言葉であり
そのルーツを辿ると「勝鬘経」「大日経」「瑜伽論」等の大乗経に登場している物を
天台教義で「妙法蓮華経」を折伏、「大般涅槃経」を摂受と当て嵌めた者。

日蓮自体は、この解釈には悩んでどうあるべきかを考えたのではないかと思います。
どうも日蓮の真蹟部分での解釈では天台教義と逆を行き
「妙法蓮華経」を摂受、「大般涅槃経」を折伏と当ててる節が感じられます。

かと思えば真偽未決の御書では天台教義通り「妙法蓮華経」を折伏、「大般涅槃経」を摂受となっているので
これまたややこしい。

ただ天台・日蓮に共通するのは「無知・悪人」には摂受、「邪智・謗法」には折伏と言うことですね。
でもって日蓮の行動から考えてみると摂受と折伏の二門の住み分けはしていると思いますね。

日蓮が折伏を行ったのはあくまでも「邪智・謗法」である国主及び僧侶が対象。
加えて摂受を行ったのは「無知・悪人」である弟子や一般民衆を対象としていると思います。

さて、創価学会はと言えばこれらの対象とまるで逆の行為と言う事になりますね。
「無知・悪人」である会員や一般市民に対しては上から目線で折伏
「邪智・謗法」にあたる国家権力者や仏法に長ける他宗の僧に対しては摂受ですね。

そもそも法を広めようとするなら何故に国家権力者や他宗の僧との法論を行わないかと言うところ
「無知・悪人」に説法したところでなにが正しいか正しくないかも解らないだろうにと言うことですね。

これらの事を考えても僕は仏法に関して語る人間に対しては、どんどん折伏を行うつもりです。
もちろんその結果、自分の考えに行き詰まりが出るようなら、どんどん折伏されるつもりでいます。
そうする事により何がベストな回答なのかと言う事が見えてくると思いますから。

対する宗教なんていらないよと言ってる相手には、あくまでも摂受の形をとり
選択肢は当人の判断に委ねようと考えています。

今の世はどうなのかと言う二極論の話ではなく
対話する相手の機根に合わせて、この二門の両輪と言う話ではないかと思います。

僕の立場は、仏法の信仰者であると自負しておりますから出来る範囲で
創価であろうがアンチ創価であろうが、仏法を語る内容が「邪智・謗法」と判断されるなら
遠慮なく折伏をもって望もうと考えます。

もちろん僕の解釈が「邪智・謗法」と感じられるなら
遠慮なく折伏していただければと考えています。

無題

  • by 流れ星
  • 2011/08/03(Wed)01:22
  • Edit
通教魂さん、始めまして
わたしも40年近く、そう言い聞かせて頑張ってきたのですよね。。
純粋に陰日向なく頑張ってきました。。

幸せになるために始めた宗教も。。次第に幸せから遠ざかって行くようでした。。
なにより、こころの平和を保つのがより困難でした。。
常にこころの葛藤に苦しむ日々でした。。組織で。。

それでも世界平和に貢献しているのだという自負もありました。。
でも、2001.9.11に。。それが大きな疑問符へと変わりました。。
また、イラク人道復興支援と公明党も創価もアメリカのイラク戦争への肯定と加担に参加する形に大きな疑問を感じ、
組織でいろいろな人に投げかけましたが、誰も明確な答えを言う人はいませんでした。

組織では、殆どの人が幹部が右といったら右、左と言ったら左。。
なにも考えずに、いとも簡単に扇動されて行く人ばかりでした。。

戸田会長の遺訓である原水爆禁止宣言。。
なのに、組織ではいとも簡単に原発推進の候補を組織を挙げて応援する。。
日本は核兵器を持つべきだ。。と公の場で公言する候補も組織あげて応援しましたよね。。?

まだまだお話ししたいことは、山のようにありますが。。
この事に関して通教魂さんは、どのようにお考えになりますか。。?
ぜひ、ご意見を伺いたいです。。

これも池田氏との師弟不二から出たことだったのでしょうか。。?
イラクのことも先般の選挙も池田氏との師弟共戦の闘いなのでしょうか。。?
とても真面目にお聞きしています。。

通教魂さんへ

  • by トニー
  • 2011/08/03(Wed)03:20
  • Edit
あなたが学会員としては比較的マシな方だというのは分かりました。ただし、学会内において言論の自由など存在しないという僕の立場は絶対に変わりません。幹部に対し、自由闊達な意見や批判をしようものならたちまち怒鳴られ、耳も貸さずに反論する、いわゆる「創価スイッチ」の入る人を何人も見てきました。通教魂さんだって、こういう場所だから我慢しているだけで、いつキレちゃうか分かったもんじゃありませんしね。

流れ星さんも言われていますが、限りなく批判に近い疑問に、キチンと答えてください(どうせ無理でしょ?)。学会や公明党は政治的にも金銭面でも非常にダークな部分をたくさん持っているんですよ。
例えば偽田代作にしたって、「私有財産はゼロ」とかのたまわっていますよね。でも、四ツ谷税務署から発表された納税額からおおよその資産がいくらなのか明るみに出ているんです。ちなみにこれ、アンチならみんな知ってる話です。「先生だって人師」とかのレベルじゃありませんよ。そういうのは、「先生だって人間だから、トイレでケツ拭いたときに手についちゃった」とか、そういうときに出てくる言葉です。

どうせ答えられはしないでしょう。構いませんよ。でも、答えもせずに別のことを発言するのだけは止めてくださいよね(学会員のお家芸)。分かりますか?宗教で傷ついた人達をこれ以上傷つけるような発言は控えてくださいと言っているんです。

平和・文化・教育

  • by 名有り
  • 2011/08/03(Wed)08:16
  • Edit
流れ星さん、はじめまして

イラク戦争の時は、緊急会合があり公明党の言い訳ビデオを観た記憶があります。
平和団体が戦争にしょうがなく賛成とか、エセ団体すぎw
その理由の大量破壊兵器も無かったわけですから、謝罪なりの
声明を出せばいいものを、また沈黙、そして無かったことに

実際、最近は社会に対して平和活動なんかしてないので、
平和団体の看板は下ろすべきです

平和・文化・教育

  • by 名有り
  • 2011/08/03(Wed)09:11
  • Edit
流れ星さん、はじめまして

イラク戦争の時は、緊急会合があり公明党の言い訳ビデオを観た記憶があります。
平和団体が戦争にしょうがなく賛成とか、エセ団体すぎw
その理由の大量破壊兵器も無かったわけですから、謝罪なりの
声明を出せばいいものを、また沈黙、そして無かったことに

実際、最近は社会に対して平和活動なんかしてないので、
平和団体の看板は下ろすべきです

No Title

  • by peach daisuki dayo
  • 2011/08/03(Wed)10:29
  • Edit
カルトって怖いですね。

名誉会長をどう見るかで議論に温度差が出る

  • by 河童
  • 2011/08/03(Wed)12:49
  • Edit
組織にモノ申すとき。
その人の性格にもよるけれど、言いっぱなしで満足する人もいる。
その人のキャラにもよるけれど、潰されたり放任されたり、相手の出方も変わる。
でもこれは入口の話。

疑問や改革を訴える人は出口を求めて意見を言っている。
問題解決への具体策を議論し、実行しようとしている。
受け入れず、歩み寄らず、行動に移せない組織と見切ったならば、あとは衰退を眺めるしかない。

上層の打ち出しには個人的に逆らうことが出来ても、ローカル組織全体として逆らうことを
許された実例を見たことがない。
ローカル幹部には遂行の責任はあっても決定の権限が与えられていないのだから当たり前。
ローカル幹部は自己決裁権に縁のない社会的底辺の人が多いから、従うことに慣れきっている、と言ったら言い過ぎか。社会的地位のある人ほど、目の前の問題を放置出来ない習性があるものだ。

人の使いには三種類の人間がいる。極めて愚かだが私見を交えずに確実に伝える人が人材だ・・・みたいな指導(衆生身心御書)が以前あった。
メッセンジャーの心得としては理解する。学会活動も同じだという指導にはほとほと呆れた。

毒にも薬にもならない組織なら「どうぞご勝手に」だが、オカシイことを続ける組織はいずれ
社会悪となる。
学会員の知らないところでは、既に悪の中心かも知れない、という見方が社会に広がりつつある。

これ以上の被害者・加害者を増やしてはいけない、と思うから、善意の覚醒者は黙っていられない。
創価学会本部や名誉会長は何故、黙っていられるのか?


三代の会長が「永遠の指導者」というのは、会則と言うよりは事実上の新教義だ。
新興宗教だからそれも良しとしよう。

では「永遠の指導」とは具体的に何か。
曖昧にせず「永遠の指導集」を直ちに著し、(当然無料で)全会員に配るべきであろう。

そもそも三代それぞれの指導の一貫性、連続性は検証されているのか。
第三代だけを見ても、歴史的に甚だしい自語相違が散見される。

「永遠」に使える陳腐化しない指導など、真理を語ること以外にあるはずがない。
仏法と世法をインターフェイスするものが「指導」であるならば、時代と共に変化する世法に対して「指導」も変化しなければならない。
「永遠の指導者」が不老不死でない限り、その「指導」は「永遠」に固定化されてしまう。

都合が悪くなったら「文底」で解釈するから、何でも有りなんだろうが。

「無知・悪人」には摂受、「邪智・謗法」には折伏

  • by 堅皇
  • 2011/08/03(Wed)14:49
  • Edit
ここで対比させると言う事は
「無知・悪人」と「邪智・謗法」言うものは対極にあると言う事も考えられるんですね。
つまり、この「無知・悪人」と「邪智・謗法」言うのは両者とも貶し言葉を意味していますが
これを両者とも褒め言葉としても表現出来ると。

「無知・悪人」とは言い換えれば「聖智・法を謗らない人」の事であり
「邪智・謗法」とは言い換えれば「智者・善人」の事であると。

何故に悪人が聖智なんだと疑問を持たれるかと思いますが
悪人は確かに聖智といえますね。
何故なら悪人は自分の考えが悪であると言う事を正しく認識しているわけですから聖智です。

対する善人と言うものは自分には全く悪の考えがないと判断しているわけですから
これは正しく増上慢と言えるわけで邪智の類であると言えますね。

また、自らが善人や正義を主張し信じて行動する人と言うのは
必ずと言って謗法を行います。
「あ~あ、そんな事しちゃ、い~けないんだ~。」ってやつですね。
自分の考えが正しいと信じているため、相手の法を阻止しようと働きかけますからね。

対する悪人は謗法はあまり行わないものです。
自らも悪行を行っていると言う引け目がありますから他人の法も認めようとするわけですね。
「お主もワルよの~。」ってやつですね。
悪人が謗法を行う時は、自身の善を思うようになったときとも言えますね。

相対的には悪に通じることとはなるが、これはあくまで自分を守るための
正当な善と言う理由があるからだと言い聞かせるため。
つまりは自身の中の正義を主張する瞬間と言えるわけですね。

摂受と折伏の関係性は
仏法で言う悪人には法を説くな、善人には法を説けと言う主張にも合致しますね。

要するに自分が悪いと思っている人に対しては
悪いと思っている事をやめるのを待ち続け摂受に勤め
自分が正しいと思っている人に対しては
それが本当に正しいかどうかを解らせるためにも折伏を用いると言う事ではないかと思います。

ですから、学会員に対しては当然折伏で対応し
アンチ学会員に対しても自らが正しいと言い始めた時点で折伏を持って対応すべきなのではないかと。

>>運ちゃんさん

僕は、運ちゃんさんの言動の源は良かれと思った善行から発しているものと思っています。
だからこそ責めの対象と成り得るわけです。
自身がただ悪態を吐いているだけと認識している人に対しては摂受で接しますけどね。

無題

  • by 流れ星
  • 2011/08/03(Wed)18:13
  • Edit
名有りさん
そっか、もう平和とか広宣流布とか、どうでも良くなっちゃったんですね。。

わたしは、イラク問題で。。しきりに疑問を投げかけていたら、組織では。。流れ星さんの話は聞いちゃダメってことになっちゃって、いわゆる憎上慢扱いになってしまいました。。

そして、そのことがキッカケに組織から離れ、新聞も読むと精神衛生上よろしくない気持ちになり、購読も辞めて。。公明党の不信から票も投じなくなり。。結局、組織にいる理由もなくなり創価を退会したのでした。。

辞めた今でもイラク問題のことは、わたしの中では疑問のまま昇華されずにいます。。

通教魂さんなら、このことに関して明確なお答えを持っているのではないか?と聞いて見たのです。。
決して、批判のための批判ではなく、大いなる疑問なのです。。

誠実なお答えを待っております。。m(_ _)m

暑いのに熱くなってしまいました

  • by 河童
  • 2011/08/03(Wed)21:16
  • Edit
桃太郎さん
こんばんは

お声がけ有り難うございます。
暑いですね・・・って8月ですから当たり前ですね。

創価学会が宗教界の王者と言うのなら、清く正しく美しくが当たり前なのに・・・
学会本部は一体何をやっているんだか???
内部でも思想はバラバラで・・・外部の目線が痛く、本当に恥ずかしい限りです。

学会本部の民主化を叫びたいですね。全く信用ならぬ組織です。
散々選挙を煽って来たのだから、会長を始め人事も選挙制にして会員に投票させろ、と。

皆が当たり前のことを当たり前にやる、これだけで今の日本はかなり救われると思います。
学会はちゃんと率先垂範で会員を指導しろ、と言ってやってください。

失礼致しました。

PS:
水分不足、水中毒、ペットボトル症候群・・・にご注意下さい。
何事も極端はいけませんね。

汚いぜ!

  • by トニー
  • 2011/08/03(Wed)23:42
  • Edit
今日は休みだったんで何度も想学サロンにアクセスしました。むろん、通教魂さんの答えを「楽しみ」にしていたからです。俺ってば本当にドSだなぁ、と自分でも思いますよ、はい。
ところがいつまでたっても返事がありません。政治とか金とか、自分の権限では答えられない問題だと判断し、今頃「お窺い」でも立てているのでしょうか?それとも答えにくいからだんまりですか?偽田代作が億を越える資産の持ち主と知ってパニックで何も言えなくなりましたか?
なんとか言ったらどうです?逃げるんですか?

自灯明、法灯明

  • by 桃太郎
  • 2011/08/03(Wed)23:54
  • Edit
最近、宗教ってなんだろうかと考えてしまうことが多い。

京都・奈良に比較的近いので、古い寺院・神社を訪ねることがある。拝観料が高いので、あまり中には入らないで周辺の散歩だけにすることが殆んどである。

寺社は拝観料など税法上の保護を受けていて強盗まがいのぼったくりかと思うことがしばしばである。福徳・功徳を頂きたいのが人情だろうが、新興宗教は特にこのご利益で誘っての繁盛であろう。創価学会はどうか? 拝観料はいらないが、大差ないのかな?
そもそも、功徳・福運で信仰を誘う宗教を仏教と呼べるのか?・・と考えたりもする。

観光地の寺院神社が気に入らなければ、拝観しなければよいが、我が家のお寺さんの供養・寄付・寄進は逃れ難い。建設基金などでは各戸が50万~100万円、戒名料も20~50万とも聞こえてくる。値切りたいがなかなか言えないものだろう。

それでも、創価学会以外の宗派は選挙活動の負担がほとんどないのでまだ楽かも知れない。創価の活動家は特に新聞・書籍拡張、寄付・財務の拡大などと大変なようで、宗教団体かどうかも疑わしい。宗教を利用しての大きなビジネスのようでもある。

折伏・摂受の論考がすすんでいるが、仏教徒でない宗派宗教に執着がない自分としては、深く考えたことがなく十分に理解できない。ほとんど一般人にはわけのわからない関心のない世界だろう。ただ、折伏であれ摂受であれ他からされたくないと考えるのが一般的だと思われる。

どこからが邪教なのか判断の基準も無いのかもしれないが、少なくとも他の人に薦めることのできる、他の人が
自ずと求めるような宗教に磨いてからの話であって、単なる方法論の善し悪しの論議の問題ではないだろう・・・?と思われる。
外部へ対しての新たな信者を増やすことより内部の浄化・改革が先ではないのか?

正義のためであっても「争う」のは既に仏道でない、と思われる。仏法には本来「摂受」はあっても、「折伏」ということはない。それは修羅道であって釈迦の教えにはない筈。「他を生かす行と祈り」が大乗仏教の真髄でしょう。

日蓮さんの教えは、使い方によっては「薬」にもなれば「毒」にもなると思われる。法華教についても同じだろう。『四箇の格言』は断じて認められない。人情味のある日蓮さん、愛国心のあふれた日蓮さんの良いところは残しながらも、現代に通用する仏教に高めねばならないと思うのは、私一人ではないだろう。

創密さんのコメント(論説)に実に多くのものを学ぶことができると思う。

<宗派性に偏った布教というのは、いずれ限界が有ると思われる。所詮それはセクト主義でしょう。>
<現段階の日蓮仏法なるものも限界だと思っています。>
<批判に耐えうる客観的研究を経た仏教思想、「通仏教的」なものでないと、どうかな?と・・・>

宗派仏教はそれぞれに「俺が俺が」の世界であって、或る意味の「お花畑」でもあるのが現状でしょう。パソコンのブログランキングの「宗教・思想・哲学」分野で上位50位になんと「スピリチュアル系」の多いことか。
若者の9割以上は仏教への関心どころか、胡散臭いものとして拒否反応さえ見られる。中年層・壮年層でさえ宗教離れが大きく進んでいる。
日本にとって、政治・経済が大きな転換点であるというだけでなく、思想文化宗教にとっては危機的な状況とも言えるのかも知れない。

<幸いなことに仏教というのは、・・・、生活という実践の中で実感し、自己の様々な問題を乗り越えていくという「意識変革」をしていくことだと思うのです。>
<折伏ということは「他者性」「対社会」ということだと思いますが、・・・・、どのように仏教者としての社会参加・貢献をするかということですが、・・・、要するに広宣流布ってなんなのか、ですかね。>

<これも究極的には「人としての振る舞い」ということになってしまうんですが・・・。それは他者を教団に入れるとかいうことではないんです。>

仕事世界の重さの実感も、家族を支え養っていくことの厳しさも、人生の甘いも辛いもわからない若干20歳そこらの青年が、知たり顔で仏法を振り回し、折伏をかけるとは何たることか、邪教の何ものでもない。新興宗教に見られる多くの光景である。50歳過ぎの「人としての振る舞いのおかしい人」が折伏・布教に回っている。よくぞまあやれるものだと思うのは、私一人ではないだろう。

仏教は寛容と慈悲を柱とした多神教であり、キリスト教やイスラム教のような1神教ではない。くずれたキリスト教の真似をすべきではない、と私は思う。

法華経・日蓮の教えの中に折伏することが功徳になるということが唱えられているとしても、鎌倉時代とは違っている現代の社会状況において、その意味づけや方法論については、長い歴史から学ぶ検証がなされなければならないと思われる。

創価学会の「平和・教育・文化」という理念は目のつけどころがよかったが、
<全体主義だと思います。結局は教団の発展こそが目的なんだなと。>
<・・・・「永遠」ですから、目もあてられない。・・・
教団化している時点で、一握りの限られた人間の専有物でしかなく、・・・、一方的に垂れ流された情報だけを知らされるという「池田劇場」を見せられているだけであって
・・・、いつまでたっても視聴者のまま、・・・。>
<一人ひとりが理性の目で物事の本質を見、判断していくこと、また判断できる力を持つこと。・・・人の精神の底上げですね。>

近所に83歳で一人暮らしのお婆さんがいる。
朝5時頃起き、掃除をし、一人で朝食を済ませ、涼しいうちに1時間少々畑作業をし、その後新聞を2時間ほどかけてゆっくり楽しんで読む。野菜が一人では食べきれないので近くのご老人・仲間を訪ね配っている。そこで大話が弾み、みんなに元気を与えている。話題が実に豊富でみんなが来てくれることを楽しみにしている。時には、自分の家に5~7人を招待し、忘年会や花見会などもする。 病気がちな人、家族問題の厳しい人などが気さくに話すことができ大いに励ましを受けている。

何の宗教にも信仰が篤いというわけではないが、沢山の人に心の支え癒しを与えている。周りで見ていてもこちらまで元気を貰えるように感じる。誰かのために「題目」を唱えたり「念仏」を唱えたりはしていない。自分のことについて面白可笑しく話すが、他の人に自分の考えを押し付けることは最も嫌いであると言っていた。決して宗教的な話はしない。他の人の領分をきちんとわきまえている。川柳をうたい、その中に世間や社会の問題を巧みに織り込む。

このお婆さんが、もしも信仰について語ったとしたら耳を塞ぐだろうか、耳を傾けるだろうか?
宗教とは何か、折伏とは何か、大いに考えさせられるところかと思う。

質問。

  • by カツ丼
  • 2011/08/03(Wed)23:58
  • Edit
通教魂さんて、創大通教生ですか?

なぜ?

  • by トニー
  • 2011/08/04(Thu)00:21
  • Edit
投稿した文章がきちんと載ってないようですが…?

No Title

  • by 通教魂
  • 2011/08/04(Thu)00:49
  • Edit
こんばんは。
今日は仕事で根詰め過ぎたので、0時から書き始めますが、続くところまで・・・。

流れ星さん、はじめまして。
40年近い信仰歴のあと退会ですか・・・随分つらい思いをされたのですね・・・ちょっと言葉がみつからないほどです。のちほどまた。

他の方も学会組織の中でかなりの煩悶を経て、ここにいらっしゃっているとお察しします。

しかし、その強烈に根付いた感情はわかりますが、それによって過度に自分の考えを固定化したことからくる、他への決め付けにまで進んでしまうと、
それこそ皆さんが批判する、(このブログの言葉をお借りすると)「罵詈活学会員」と同じになってしまいませんか?

私自身が現在も学会内の正役職にありながら言論の自由を保障され、少しずつの改善を進めることができ、
師弟観や会則を私なりの解釈でとらえて現に活動できているのに、
学会内に言論の自由は絶対存在しないとか、事実上の新教義だと、有無を言わさずという感じで言われても、困ってしまうのですよ。

その上、聞いたこと以外は発言を控えよ、ではまさに
>自由闊達な意見や批判をしようものならたちまち怒鳴られ、耳も貸さずに反論する、いわゆる「創価スイッチ」』
の逆バージョンの陥穽にはまってしまいませんか?
そこを皆さん批判しているにもかかわらず。
対話が成立しない相手とみられては、損だと思いますが・・・
(『創価スイッチ』のネーミングには座布団1枚進呈します(笑)。あ、いらないかな?失礼)

まあここはある程度は、癒しと鬱憤晴らしの場でもありますから、これ以上は申し上げませんが、
私としては実りある、大人の、深まっていく対話を望んでいます。

あはは!

  • by トニー
  • 2011/08/04(Thu)01:11
  • Edit
公明党のイラク派兵や、偽田代作の私有財産についての返答がそれですか?

都合の悪い質問に正面から答えないということを学会の方はよくしますが、通教魂さんもけっきょく同じでしたね。それを事前に「するなよ」と言っているのに、分かった風な言い回しをして実際には何も分かってない。僕のコメントをちゃんと読んでないのか、読んだんだけど都合が悪いから分かったふりをしてとぼけているのか、一体どっちなんでしょう?

いずれにせよ、相手のコメントを正確に理解しない人に「大人の対話」なんて言葉を口にする資格はありません。対話が成立しない世界に染まった結果、対話の意味すら分からなくなってしまったんですかね。かわいそうに…。

こんばんは

  • by タバサ
  • 2011/08/04(Thu)01:43
  • Edit
またもやお久しぶりです。
皆さん白熱してますねf(^^;)
話をぶった斬るようで恐縮ですが、人権擁護法案と、外国人への地方参政権を今年度中に通そうとする動きが見られているようですね。(二つセットできましたね。)
前々からその法案成立の危険性が指摘されていましたが、実際民主が与党ですし、現実味を帯びてきて恐ろしいです。
外国人参政権は、元々公明党が出した案ですよね。
学会員でどれだけの人がこの法案の事を知っているのでしょう?少なくとも私の回りの学会員は知らなかった…。
こんな大事なことを知らぬまま、選挙活動をさせているんですよね。意図的に知らせなかったといってもいい。やはり、信仰と政治は別物です。それを一緒くたにして「福運がつくから」などと言って会員に選挙活動させる団体は悪魔だと思います。
いくら一幹部が自由に投票していいと言ったって、周りが公明党への選挙活動をしていたら、しかも宗教指導者がやれと言っていたら、そちらに流れるのが信徒でしょう?宗教団体とはそういうものです。普通の組織ではない。

そして人権擁護法案とセットです。通れば言論封殺は学会員にも適用されますよ?悠長に構えて「池田先生~♪」なんて言ってていいのでしょうかねぇ。
学会内でだって、外国人と日本人の格差も広がるんじゃないですか?

この日本の行く末が心配です…。

どうか杞憂に終わって…と切に願っています。

なんでコメント消えるの?

  • by タバサ
  • 2011/08/04(Thu)01:53
  • Edit
なんで?

コメントが消える理由…。

  • by トニー
  • 2011/08/04(Thu)02:02
  • Edit
コメントが消えるのは、すでに人権擁護法案が発動しているからでしょうか?
…と、まったく笑えないブラックジョーク、大変失礼しました。それはさておき、これが本来学会や公明が成立させようとした法案の正体であり、それが成立した暁には、ブラックジョークではなく現実に起こる危険性があるんです。

通教魂さん、これについてどう思いますか?
大人の対話が出来るなら、どうかキチンとお答えください。

またお邪魔します

  • by 創密
  • 2011/08/04(Thu)02:13
  • Edit
堅皇さん、桃太郎さん、なにか僕の書き込みに触れていただきまして、ありがとうございます。
そして通教魂さん、確かにここは創価学会に対して似たような考えを持っている人達が多いですから、脱線し、偏る場合もあると思います。みんな似たようなトーンはありますからね。
そういう意味でも、通教魂さんは別の立場でいられますから、僕としては貴重な存在だと思っていますし、いろいろお聞きしたいこともあります。
僕としては創価学会であろうが、そうでなかろうが、そんなことはどうでもいいので、よりよい方向を得たいという気持ちです。
僕は学会からは身を引いてるつもりですが、人間関係は閉ざしていませんので、たまにきたりして、仲良くやってるんです。
いろいろ話もするんですが、失礼ながら皆さん拍子抜けするくらいあまり物事を考えていないみたいなんで、いつも糠に釘状態でして、僕の言うことに「はあ、そうなんですね、初めて知りました」とかで、逆に大丈夫なんだろうかと、不思議でなりません。

ということもあって、ひとつ質問したいのですが、よろしいでしょうか?

『仏法の「修行の」究極は、師弟不二である』

とはどういうことなのかを詳しくお聞きしたいです。僕は以前からここがよくわかりませんでしたので、理解してみたいと思います。

なんか、トニーさんとの件で忙しそうなんで、いつでも構いませんので、お聞かせ願えればと思います。

本気で疑問(゚ω゚?)

  • by トニー
  • 2011/08/04(Thu)02:15
  • Edit
タバサさんの「こんばんは」というタイトルのコメントとか、とても大事なことが書いてあるのに、なぜ消えちゃったんでしょうか?
もしかしたらこのブログも、「失われた…」のように学会本部から目をつけられて圧力がかかってきたんでしょうか?言論出発妨害とか、なんのタメライもなくやる団体ですからね、ありえない話ではないと考えます。

トニーさんへ

  • by タバサ
  • 2011/08/04(Thu)02:24
  • Edit
ポータブルの方で、運ちゃんさんが学会本部がしょっちゅう見に来ているっておっしゃってましたから、穿ってしまいますよねf(^^;)
もしかしてパソコンじゃないからかな?

皆さんのコメントがランダムに今も見れたり見れなかったりです。

私こういうことに詳しくないのでわかりません…(--;)

夜更かしは通教生の得意技、のはずが・・・・

  • by 通教魂
  • 2011/08/04(Thu)02:33
  • Edit
わたしは創大通教の卒業生です。
現役通教生なら、ブログなんか見てんじゃねえ、レポート書いたのか、って世界でしょうね(笑)。夏のスクーリングも近いし。
通教では、自分がほとんど何も知らない存在だということや、懐疑、思考の柔軟性を学びました。

では本題に戻りたく。
コメントの流れは、8月2日8:04の流れ星さんのコメントでまとめて下さっています。
キーワードは「思考停止」「対話の不成立」「自浄作用(=改善の実行)」ということですよね。
で、もっと大筋の本題は、折伏とその運動の進め方、でしょうか。

ですので、個々の政策論議にここで入り込んでしまうのは、あるじで話題提供者の運ちゃんさんをなおざりにしかねず、礼を失するのではないかと危惧しますので、
運ちゃんさんがそれぞれのテーマでブログを書かれた時にそこのコメント欄で議論するか、
(もうすでにいろんなテーマで書かれてますので、あかんかもしれませんけど)
もしくは個人的にメールでやりとりした方がよいかと思いますが、流れ星さん、いかがでしょうか?
いちおうメルアドは入れておきますので。

そこで、ここでは議論の流れにできるだけ沿って意見をいいますと、
1、まず自分が問題意識を持って思考する(先入観や固定観念をなるべく柔らかくもみほぐして)
2、その上で、対話の成立しそうな相手を選び、相手にも思考を促す
3、意見が伝わったという感触を得たら、粘り強く改善の実行まで促し続け、実行を見届けるまであきらめない

というプロセスが必要ではないかと感じております。
私自身も何度も砂をかむような思いや腹立つことや、コミュニケーションの失敗を経験してますので。

1・・・他人が思考停止であることを嘆いても、自分と関係の薄いその人は、まず変わりません。

2・・・相手を選ぶ、ここでつまづくんですよね。対話の成立しない相手を相手にしたら、それこそ疲れるだけです。皆さんお疲れになったと思います。
ただ、成立する人が周囲に全くいないということは、私の経験上では、ないと思います。幹部ならできれば正役職。
圏がだめなら分県→総県→方面と、議員なら国会議員に直接言えばいいんだと思います。
直接いえる顔の見える関係でないとだめです。本部や聖教本社、党本部、これは全然ダメ(苦笑)。

3・・・急いで変革の結果を求めない。でもしつこく聞き続ける。あれ、どうなりましたか?と。

ここまで書いてきて、これ、折伏もいっしょだな、と(笑)。

さて、対話を成立させるためには、こちらが怒ったりネガティブな感情を表にあらわしていてはマイナスですので、
あくまでポーカーフェイスで、ときには池田先生の指導を根拠に利用させていただいて、
「『強い人間、優秀な人間、建設的な反対意見の言える人間をそばにおけるようになれば、偉大な指導者である』(1997・8・27東京牧口記念会館 本部幹部会)とありますよね? で、これは建設的反対意見として言いますが・・・云々」
などと相手の退路をふさいでから、ものを言ったりしています、私は。
根拠をちゃんと示すにはこちらも勉強してないと言えませんし、その過程で自分も思索を深められます。

そしてこれは、学会組織だけでなく、地域や国を変えることにも適用できると思います。
日本国の行政・政治・司法なんて、学会の比でないレベルで、国民のことなんか考えてない思考停止・自浄作用なし・対話不成立の最たるもんでしょう。

そこに踏み込んで行かせるために、顔の見える関係を作れる議員を送り込む、それが公明党支援の原点のひとつだと理解しています。
せっかく送り込んでいるのだから、直接会う機会をなんとしても作って対話すべきですよね。
公明党の支部会などに行けば、国会議員が来てて、会合中や終了後に政治課題について議論を交わしたことは何度もあります。

・・・さすがに今日は体力思考力の限界がきました。さわりしかたどりつけなくてごめんなさい。また今度。おやすみなさい。

桃太郎さん

  • by 堅皇
  • 2011/08/04(Thu)07:51
  • Edit
> 正義のためであっても「争う」のは既に仏道でない、と思われる。

この辺は少し微妙ですね。
仏法にも戒律を重んじる考えが存在しています。

戒は守るものであり、律は規制するという物。
守るものがあり、制するものがあるとなれば既に「争う」の概念は仏法にも内に秘めらる事になります。
ですから仏法だから争わない物だという考えが逆に争いを生む種となってしまいます。

そもそも修羅の心と言うものは人間の中に存在して消す事が出来ないと考えるのが大乗仏教であり
その修羅の心をどの様に転じさせ争いを回避させる事ができるかが大乗仏教であると言えます。

つまり、使い方を間違えれば非常に危険な物であると言う事を認識する必要があると言う事ですね。
今の仏法感はこの辺の思索、葛藤を蔑ろにして、利便性だけを追求した結果が
最悪な事態を招いていると思います。

使うと便利であるが、使い方を間違えれば危険なものと言うのは別に仏法だけに限った話ではありません。

> 仏法には本来「摂受」はあっても、「折伏」ということはない。
> それは修羅道であって釈迦の教えにはない筈。「他を生かす行と祈り」が大乗仏教の真髄でしょう。

これもそんな事はないと思います。
「釈迦の教えにはない筈」と言う事に関しては同意ですが
大乗仏教の真髄と言うのは違うと思います。
そもそも「折伏」と言う概念は大乗仏教により登場の事柄です。
但し、法華経の中には存在しませんし、法華経自体は「他を生かす行と祈り」つまりは利他の考えにありますが
法華経が利他である以上、大乗仏教にある「折伏」もそのまま「摂受」する事となりますから
結果的に「折伏」を認めていることになります。

と、考えると「摂受」を説く釈迦の小乗経も結果的に、「折伏」を容認していると言う事にもなります。

> 日蓮さんの教えは、使い方によっては「薬」にもなれば「毒」にもなると思われる。

これは日蓮の教えに限らず、仏法全般、宗教全般に当て嵌まる物であると言えます。
また、この「使い方によっては「薬」にもなれば「毒」にもなる」と言う事が説かれているのが
法華経であり「毒」を「薬」に転じようとするのが法華経であるとも言えます。

つまり、結果的に「薬」とならなく「毒」の症状が現れているとすれば
それは法華経の指針から外れ、法華経を信じた上の行動ではないとも言えます。

そもそも創価学会と言う組織は法華経を信じている団体ではなく
既存の法華経を打ち消し、法華経ではない物を新たな物を法華経と位置づけ信じ行動している団体だと言えます。
これは創価学会で指導している教義を見れば一目瞭然です。
ですから「毒」の症状が現れて当然と言う事ですね。

> 『四箇の格言』は断じて認められない。

これに関しては真っ向から反対させていただきます。
『四箇の格言』は法華経には存在しない物と言えますが
日蓮が、こう言った法華経の教えから外れたものを指摘するために作られた規範です。

ですから『四箇の格言』自体に問題があるのではなく
この『四箇の格言』を使い、自分たちの宗教観の教義、指導に当て嵌めて精査していないところにこそ問題を感じます。

これは『四箇の格言』の意味をよく理解しないまま
その言葉だけを他に押し付けようとしているだけですからね。

よくよく読んで意味を理解すれば創価学会の指導、教義内容は悉く『四箇の格言』に抵触していると思います。

通教魂さん

  • by 堅皇
  • 2011/08/04(Thu)07:52
  • Edit
一つだけ質問よろしいでしょうか。
先にも触れた事ですが

「無知・悪人」には摂受、「邪智・謗法」には折伏と言うのは日蓮の御書にも出てきてますよね。
創価学会は公式の会則にもありますように
「日蓮大聖人の仏法を広宣流布することを使命とする仏意仏勅の教団である。」とのお話。
当然、日蓮の言葉は創価学会にとっては根本とされる物であると言えますよね。

そこでなのですが、何故、創価学会と言う組織
もとい、池田名誉会長を始めとした組織幹部の方たちは
各国の国家指導者や各宗の僧侶といった「邪智・謗法」にあたる方々に対して摂受を行い
一般会員や一般市民と言う仏法に対する「無知」の人たちを対象にだけ折伏を行っているのでしょうか。

少なくとも日蓮と言う人は国家の指導者及び各宗の僧侶に対して折伏を行った人でした。
しかし、池田さんは違いますよね、完全に日蓮とは逆の行動をされている方に見受けられます。

何故に学会員の方たちは、このように日蓮と逆の行動を繰り返す
池田さんを信心の根本に据え、永遠の指導者であると信望されているのでしょうか。

通教魂さんなりの見解で構いませんので
宜しければお聞かせ願いたいと思います。

無題

  • by 流れ星
  • 2011/08/04(Thu)09:10
  • Edit
通教魂さん
真夜中の投稿ということで、もしかして話し半ばなのでしょうか。。?
わたしは、対話の成立する創価の人と見て、個人としてのわたしの問題点へのお答えが聞きたかったので有り、わたしが公明党へ働きかけよ。。という方法論を聞きたかったわけではないのですね。。

なに気に話しをはぐらかされたようで、とても残念です。。
また、ネット上で正体のよく分からない人に個人情報を教えるほど、わたしが馬鹿であると思われたようで、それも残念であります。。

話は変わります。。
桃太郎さん。。そのおばあちゃま素敵ですね。。
世の中、ほんと素敵な生き方をされている方はたくさんいますね。。
創価にいると、それが見えませんでした。。
選挙や啓蒙の対象相手とか、または、違う宗教をしていたら、批判対象とか。。とても残念な自分でした。。

無題

  • by 流れ星
  • 2011/08/04(Thu)09:29
  • Edit
追記
いつも理知的なコメントをされるタバサさんの書き込みが消えたなんて、とても残念です。。
読みたかったです。。ほんとうに残念。。(ーー;)

ちなみに

  • by 堅皇
  • 2011/08/04(Thu)14:16
  • Edit
通教魂さんが提示された
「弟子が地獄に堕ちるなら私も一緒に地獄へおもむこう、との記述」とは

華果成就御書(真蹟なし)
「よき弟子をもつときんば師弟仏果にいたりあしき弟子をたくはひぬれば師弟地獄にをつといへり、
師弟相違せばなに事も成べからず委くは又又申すべく候、
常にかたりあわせて出離生死して同心に霊山浄土にてうなづきかたり給へ、」
だと思われます。

ここで言う師匠は道善房であり、弟子は日蓮である。

道善房が何を日蓮に教え、それに対して日蓮が何を悟り広めようとしたかは
今更言うまでもないと思います。

とすると、これを創価学会に当て嵌めるなら
師匠が池田さんであり、弟子が会員と言う事になりますね。

この後、文証として法華経五百弟子受記品より上げられています。
「衆に三毒ありと示し 又邪見の相を現ず 我が弟子是の如く 方便して衆生を度す」
(示衆有三毒 又現邪見相 我弟子如是 方便度衆生)

ここで言う、衆に三毒ありと示して邪見の相を現すのは師匠の方ですね。
これは方便により衆生を試さんがためと言うことですから
弟子は、この邪見の相に惑わされる事なく更なる悟りを開きなさいと言う事ですね。

創価学会で言う、ただただ師匠の言いなりになりなさいと言う事ではなく
要するに師匠超えを説いている文面になりますね。

良き弟子を持つと、師弟が共に悟りを開き
悪い弟子を持つと、師弟が共に地獄へ落ちる

つまるところ、仏果か地獄かの選択の鍵は師匠ではなくその弟子にあると言う事。
やはり、創価が考えるところの師弟論は法華経の逆を目指しているように思われます。

いつまで経っても
「黒いカラスも圏男が白と言ったら白いんだ。はい白ですと、そういうのが信心じゃないか」
と言う事に、ハイそうですかと頷いている弟子ばかりだとすると
師弟が共に地獄へ落ちると言う状態に陥る事も納得の行く話であると思いますね。

無題

  • by 流れ星
  • 2011/08/04(Thu)21:00
  • Edit
余計なことですが。。
ここ、携帯での閲覧や書き込みに不具合が出ているようですが、皆さんは大丈夫ですか。。?

談話室の方で、ちょっと聞いたので。。
原因は、不明なのですが。。

立ち位置が違う

  • by グルニエ
  • 2011/08/04(Thu)21:29
  • Edit
そもそも、「活動家」と「非活退会者」とではベースが異なっているので話が噛み合う訳ありません。
私の言うベースとは・・・
1.池田氏を絶対の指導者と信じている
2.創価の組織に希望を持っている
非活退会者は、池田氏を信じていませんし、組織に絶望こそすれ希望は持っていません。
通教魂さんが言うような「創価スイッチ」逆バージョンですが、これは多分誰しもが経験する「フラッシュバック」から来るものです。逆を言えばそれだけ、組織で嫌な目、辛い目にあってきているのです。誰しも、退会や非活動になることを前提に組織活動に励んで来た人はいないはずです。だったら、最初から活動なんてしませんから・・・かすかな望みや希望を散々裏切られたのですから、多少は頑なになるのは仕方がないと思います。だからと言って「魔」だの「センセーの側に立った戦い」とかそういう言葉も散々聞き飽きました。
通教魂さんが登場して興味を持って読んでいましたが、彼に対して自分が求めているような答えは最初から期待していませんでした。それだけ、自分の中で学会問題の存在が小さくなり始めているのかもしれません。
とりとめなく書いてしまい申し訳ないです

多くの方が何十年も活動家でしたよ

  • by 河童
  • 2011/08/04(Thu)22:12
  • Edit
通教魂さん。
なんだか10年前の話に聞こえてしまいます。

学会に自浄力がないという仕組みの欠陥の存在を認めた上でのご発言ですよね。
世界平和を目指して入会しているのに、なぜ内部の欠陥で悩まなければならないのか。
宗教団体の前提を覆すような、組織の是正・更正に労力と神経を使わなくてはならないのか。

手取り足取り対話の方法論を講釈されても、ここではKYかと。

声を上げてご活躍の様子ですが、幹部と対話が成立して、それで創価学会は何か変わりましたか?
適切なマネジメントが実施されていれば、部分最適ではなく全体最適化が成されるはずです。
私たちの目の前には、会員の意見など何処吹く風、全国各地で同様の問題を抱えたままの旧態依然とした創価学会が続いていますよ。方面幹部をやっつけたぐらいで何が変わるのでしょう。
仕組みの再構築を実現するには、会長クラスの強力なトップダウンしかないのは明白です。

問題は、学会本部そのものが自己批判を抑圧しているところにあります。
頭が腐っていたら、末端でちまちま動いても全く無駄でしょう。
形の上では上層幹部ほど話は聞いてくれますが、逆に上層幹部ほど解決に向けて動けなくなります。
動く人が大勢いたら、とっくの昔にスバラシイ創価学会になっています。
だから皆、諦めて離れていくのではありませんか?
もうクーデターしか手段がないぐらいに学会本部は病んでいると認識しています。

私の周りの社会的地位のある優秀で話の分かる壮年幹部たちは、次々と非活化しています。
合い言葉は「妻を組織から取り戻そう」です。
お花畑にいる婦人部が一番哀れで厄介です。

これが現実なんです。

逆創価スイッチ

  • by トニー
  • 2011/08/04(Thu)22:38
  • Edit
通教魂さん、やっぱり満足に答えてはくれませんでしたね。最初に僕が指摘した通り、都合の悪い質問には真っ向から答えてくれないくせに対話とか矛盾したことを言う。「対話する相手を選ぶとかなんとか」なんて、公明党のイラク派兵とはなんの関係もありません。他でもない今回あなたがやったことそれ自体が、学会員のいつもの王道パターンなんですよ。

てゆーか、バリ活さんに「四ツ谷税務署」という公共期間の名前を出して現実から逃避する道を塞いでから、「実は偽田代作ってトンデモナイ大金持ちなんだよ」なんて刺激が強すぎたのかしらん…。それこそ○俗のお姉さんがチェリーボーイにものすごい過激なエッチを教えちゃうぐらい(笑)。さすがは、いっけんお上品そうに見える「創価教育」というお花畑で優雅に暮らしてるだけはありますよ。そこには、赤青黄色と三色旗みたいなお花が咲いていて、ピンク色の偽田代作がお空を飛んでいます。…お目目を醒まして欲しいんで少々お下品な言い方をしますねん、その方がよい気付になるでしょうからん♪要するに、「宗教なんてヤクと一緒だ」って言ってるんですよ、通教魂さん(笑)。
僕らはね、薬物依存症ならぬ宗教依存症を克服したという意味において、アンタたちよりちぃとばかし前に進んだ生活をしているんですよ。逆創価スイッチ?上等です。アンタたちの言葉を使うなら、破折してあげているんですよ。貴重な時間を使って、依存している人から依存の対象を取り上げるという、尊いボランティアをしてやっているんです。ありがたく思うんだな!
「トニー君、間違ってるのは君の方だ」と言うなら、答えてみやがれ!なんで学会止めたのに罰当たらないんだよ?えっ?止めて返って幸福になったんですけど?

それと、「創価スイッチ」なんてアンチの間では使い古された常套句なんです。発案したのは僕じゃありません。自分のアイデアでもなんでもないのに勲章だけはちゃっかり頂こうなんて、それこそ偽田代作みたいな恥ずかしい真似は出来ないんで丁重に辞退しま~す。人のアイデアなんかパクらなくたって、…「偽田代作」、これ俺のアイデア。「退転発表」…これは学会やめて幸せになりましたっていう体験の発表の意味ね。まだまだいくよ。「人体実験」…学会版偽本尊を粗末にしても自分に罰が当たらないという実験のこと。もちろんこの実験、成功しました。ぜひ通教魂さんも試してください。「立正暗黒論」…もし公明党が政権盗ったら言い出しっべのオイラはさらし首級の超過激発言。広布した社会は暗黒になるって意味。毒舌なら人後に落ちない俺だけど、今日はこのへんにしといてやるよ。早く学会止めちまいな。アディオ~ス(^-^)/

河童さん

  • by グルニエ
  • 2011/08/04(Thu)22:50
  • Edit
>声を上げてご活躍の様子ですが、幹部と対話が成立して、それで創価学会は何か変わりましたか?

自分に文章力無いんで、思わず拍手喝采!!!
そう!そう!そうなんです
変わるどころか、声を上げてご活躍の幹部(むしろ人間的には魅力のある人が多い)は、副書記だの副青だの主任部長だのに祭り上げられて、壮年行ってドロン
金太郎飴のように同じ話しかできない職員幹部ばかり増殖して何も期待できませんね

グルニエさん

  • by トニー
  • 2011/08/04(Thu)22:55
  • Edit
>通教魂さんが登場して興味を持って読んでいましたが、彼に対して自分が求めているような答えは最初から期待していませんでした。それだけ、自分の中で学会問題の存在が小さくなり始めているのかもしれません。

少し感動しました。グルニエさんは大人なんだな、って。最初僕は通教魂さんを、「少しはマシかも」と期待してしまっただけに、少々荒れています。ガッカリでしたよ。

河童さん

  • by トニー
  • 2011/08/04(Thu)23:00
  • Edit
僕も河童さんのコメントに感動しました。オルタナティブから脱会に至る心理の過程を見事に、しかも端的に表現してます。コメントのタイミングが被ってばかりで、後から付けたような言い方かも知れませんが、本気でそう思いました。

無題

  • by 流れ星
  • 2011/08/04(Thu)23:21
  • Edit
みなさん、とても過激ですね。。
お気持ちは分かりますが、もしかしたら通教魂さんは、昨晩遅くてまだすべてをお話しできていないのかもしれません。。

彼の良心を信じて、わたしや他の方の投げかけた疑問に
答えてくれることを待ちたいです。。

わたしはもう創価を退会しましたが、憎んでもいませんし、正直、創価の行く末も気になるところです。。
母も、いまも創価にいますし。。良く変われるものなら少しは期待したいです。。
甘いと言われそうですが。。

ただ、いまのままの創価でしたら、間違いなく日本の社会の悪です。。
政治と結びついてやっていることが、そもそも日本を悪くしていることばかりです。。

わたしは、人間革命の人材グループに何度も入り旧人間革命全巻を何度も読みました。

そこでわたしは、山本伸一よりも戸田城聖に強く惹かれました。
作られた話しかもしれませんが、戸田城聖の平和に対する深く強い想いに共感したのです。。

ですから、創価と公明党の言動が、とても解せないのです。。
創価は、このまま扇動されつつ、扇動しつつ、どこへ向っているのでしょうか。。?

目を醒ます必要があるのではないでしょうか。。?
それとも、このまま進んで行くのでしょうか。。?

皆さん熱い

  • by 名有り
  • 2011/08/04(Thu)23:49
  • Edit
本来、組織でこれだけの自由闊達な意見が許されればなー、と思った次第ですw

私自身は、特定されると面倒くさいので曖昧にしかお伝えできませんが、
それなりの幹部です。しかも、創価教育の一端に触れてます。
が、最近は私生活9活動1ぐらいですかねw

自分が経験した裏学会のことを母親に話すと、母は聞きたくないようです。
運ちゃんが言ったように、それなりに年齢を重ねた方はそのまま生涯を過ごされる方が幸せと思います。

私が学会から離れないのは、純粋な方々や後輩の為だけですね

名有りさん

  • by 創密
  • 2011/08/05(Fri)00:48
  • Edit
名有りさん、はじめまして。

ちょっと質問してもいいでしょうか?

 創価教育の一端に触れているというと、学園とか創価大学出身ということでしょうかね?

すいません、質問していいですか?(誤解しないでくださいよ。なにか活動家や幹部会員をハンティングしようなんてことはないですから)

大学では「創価教育」などといった教育論やまたは、「創価教育学説」の講義とかカリキュラムとかあるんですか?「創価教育を受けた」(触れたか。なんか微妙な表現ですね)というからには、やはり他の大学とは違う独自の教育学なり教育論があるということなんでしょうか?ま、創価教育学説に則ったものなのだとは思いますけど。

純粋に聞いてみたいだけなんですが。いかがでしょうか。

集中砲火の通教魂

  • by 通教魂
  • 2011/08/05(Fri)04:40
  • Edit
こんばんは。集中砲火を受けている通教魂です。
そんなにいっぺんにああだこうだ言われても対応できまへんがな(笑)。
うっぷんをぶつける格好のターゲットが来やがった、というところでしょうかね。
テニスも一人で壁打ち練習より相手がいたほうが楽しいし。
文字だけのコミュニケーション、ほんとに難しいですね。あらためて実感しております。

堅皇さん
>「弟子が地獄に堕ちるなら私も一緒に地獄へおもむこう、との記述」とは
華果成就御書(真蹟なし)
「よき弟子をもつときんば師弟仏果に・・・・」

いいえ、そこではなく、
「設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮を・いかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし」(P1173 4行目~)
です。四条金吾に与えられた御書、という記憶はあったのですが、明確な個所までは忘れており、実はこれを探すのに1時間ほどかかってしまいました。しかしおかげで思わぬ研鑽ができました。

創密さん
ご質問承りました。大事なことですので、大いに語りましょう。
ただし、私が何か確定的に正しいことを知っている、とは思わないで下さいね。対等の立場でお願いします。対話の中から、新しい止揚されたものを生みだすのが、醍醐味ですので。
対話について「問題を解決するためにするものか、なんらかの違った思惑があってなされるものなのかは、似ているようですが別物といっていいでしょうね。いずれにしろそこでは互いに「信頼」を築くというところ」とのご意見には共感します。
そこでお願いですが、もう少し質問を分解して具体的にしていただくとありがたいです。名有りさんへの質問のように。できればご自身の見解も入れていただいて。
というのも、大まかな質問に大まかに答えても、話がかみ合わない恐れがありますし、
総合的な答えを書こうとしたら、質問やチャチャ入れ等の何十倍何百倍の労力がいります。
それで答えたらまた集中砲火やチャチャ入れや、「ケッ、そんな答えを望んでたんじゃないよ」とかとなったら、目も当てられませんので(笑。創密さんはそのような反応はされないと思いますが)

流れ星さん
上にも書きましたが、私が何か明確な答えを持っているとはお思いにならずに、お話しましょう。
要求水準が高すぎるとあとが大変ですから(^^;

ここにいる方は、おしなべて要求水準がかなり高いように感じます。
宗教団体は(特に創価学会は)清く正しく組織も十全に機能せねばならない。
自分より上の幹部はすべからく人格高潔でなければならず、間違いがあってはならない・・・等々の思いが強すぎるのかもしれませんね。
私はそんなことは創価学会に(というか人間の組織に)さらさら、もとい、少ししかw期待していませんので、ある意味ラクです。当然、課題はいっぱいあり改善に努力はしていますが。
>信仰は真っ白であるべきですが、現世の師という一人の人間にまで真っ白を求める必要はないし、そんなことはどだい無理なことです。
組織も同じで、欠点だらけの人間が多数集まっている限り、問題がない理想的な組織なんていうのはあり得ません。
その中で、「自分として」どうより良くなっていき、自分の手の届く範囲をどう良くしていくか、縁ある同志や地域をどうよくしていくかが大事と思います。
成熟とはグレーに耐え、受容でき、それでも染まらないで白を目指せる、責任感なのではないかと。
・・と以前書いた通りです。

>真夜中の投稿ということで、もしかして話し半ばなのでしょうか。。?

はい、そうです(苦笑)。いまも疲労と戦いながらです。昨日も
・・・さすがに今日は体力思考力の限界がきました。さわりしかたどりつけなくてごめんなさい。また今度。
・・・とご挨拶したつもりでしたが、物事を伝えるのは、ほんとに難しいですね。

>方法論を聞きたかったわけではないのですね。。
なに気に話しをはぐらかされたようで、とても残念です。。
また、ネット上で正体のよく分からない人に個人情報を教えるほど、わたしが馬鹿であると思われたようで、それも残念であります。。
>彼の良心を信じて

・・・というところに不機嫌さと、徒党を組んで答えを迫る心を感じ、対話の前提として、少し違うんじゃないかと。
当たり前のことですが、私がいろんな方のご質問に、十分に答えなければならない責務がある、答えなければ良心がない、ということになるのはおかしいのではありませんか?
流れ星さん個人としての、一信仰者としての切実な疑問だと感じたからこそ、私も対話に応じようと考えたのです。

繰り返しになりますが、たとえ1行の質問でも、だからこそまじめに総合的な答えを提示するには数百倍のエネルギーを使うのです。
その不均衡な状態のまま意見を述べても、「私聞く人、あなた答える人」という固定した関係性のなかで、聞く側の不満だけが不可避的にたまるか、
「あなたの答えはそれですね。わかりました。私は私の考えがありますので。ではさようなら」
になってしまい、私にとっては「こりゃたまらん」ということになりかねません。

個々の政策に関することなのか、
煽動に流される組織人の思考停止を問題にしてらっしゃるのか、
学会と公明党との関係、支援のあり方の問題点なのか、
池田先生との師弟不二のあり方とらえ方のほうを主として疑問に思われているのか、
それとも、
>それでも世界平和に貢献しているのだという自負もありました。。 でも、2001.9.11に。。それが大きな疑問符へと変わりました。。
とおっしゃるように、創価学会が世界平和に役立っていないとお考えのことについてのご質問なのか、
はたまた
>幸せになるために始めた宗教も。。次第に幸せから遠ざかって行くようでした。。
という創価学会の信仰そのものへの疑問あるいはそこから派生する組織への疑問、ということが主なのか、
いちど整理して質問を投げかけていただくとありがたいです。できれば具体例やご自身の意見をもいただければ、実りある対話になるのではないかと考えます。
なお、以前に
>個々の政策論議にここで入り込んでしまうのは、あるじで話題提供者の運ちゃんさんをなおざりにしかねず、礼を失するのではないかと危惧しますので、
運ちゃんさんがそれぞれのテーマでブログを書かれた時にそこのコメント欄で議論するか、・・・
・・・・と書きまして、これは私は変わりませんので、
サブでお持ちのフリーメールでも嫌だということでしたら、
コミュニケーションの手段は、流れ星さんのほうで提示していただければ幸いです。
ただ私も一職業人かつ活動家かつ家庭人かつボランティア活動者かつ読書好きですので(苦笑)、1日1回か2日に1回ぐらい、いつものごとく深夜0時すぎか朝しかやりとりできませんが、お互いに有益なことならば喜んでやるつもりです。

痛いことには答えないというスタンスに変わりはない

  • by トニー
  • 2011/08/05(Fri)05:12
  • Edit
>ここにいる方は、おしなべて要求水準がかなり高いように感じます。
宗教団体は(特に創価学会は)清く正しく組織も十全に機能せねばならない。
自分より上の幹部はすべからく人格高潔でなければならず、間違いがあってはならない・・・等々の思いが強すぎるのかもしれませんね。

違いますね。清くもなければ美しくもないのに、ことさらに清いんだ美しいんだと主張し、人格高潔でもなんでもないのに、信心の深い分人格高潔だと言わんばかりに踏ん反り返ってるのが学会や学会員の真の姿なんです。また、「答えなければならない義務はない」とかなんと言っていますが、これは欺瞞以外の何物でもないと考えます。本当は、「答えられない」んですよ。客観的なデータをもとに学会の主張が嘘であると指摘され、それについてどう思うかと聞かれても、明確には発言できない、下手に発言した日には目も当てられない結果になりかねないから、「学会だって人の作る組織、グレーの部分もありますよ」と受け流すにとどめて対話から逃げているんです。
集中放火がいやなら来なければいいじゃないですか?ここはアンチの掲示板です。アンタが黙っていれば尻尾を巻いて逃げたことなんか組織にはバレませんよ。

通教魂さん

  • by 創密
  • 2011/08/05(Fri)10:19
  • Edit
通教魂さん、ありがとうございます。
よろしくお願いします。

今、僕は出勤中でして、電車の中です。そして明日、明後日も休日ですが出勤です。あ、今ついた。
ということもありまして、なかなか通教魂さん同様、すぐアクションは難しいかも…。
整理して、改めて質問させていただきます。

なお、運ちゃんさんが別のお題を立てられましたら、自動的に我らもそこに移動し、その中でやりとりしたいと考えますが、いかがでしょうか?題の内容とズレちゃうかもしれないですけどね。新鮮な場所でやりとりした方がいいなぁと。

よろしくお願いします。

今日も暑い

  • by 名有り
  • 2011/08/05(Fri)10:48
  • Edit
創密さん、はじめまして

創価教育学体系を学ぶのは教育学部とかじゃないんですかね?
すいません、不真面目なもので「触れた」ということでよろしいでしょうか?w
ただ、創立者の理念というか息吹というかなんというか、そんなものが超絶に前面にでていますね。しかも周りは学会員だらけだしw
それ以外は、普通の学校と変わらなかったと思います。


…なんか、朝まで生テレビみたいな状態ですがw、
恐らく通教魂さん(あ、はじめまして)が現役活動家ということで、
皆さんはただ単純に、個人的な意見を聞きたいのではないでしょうか?
答える義務はない、と言われればそれまでですがw

あまりにも総括(これ左翼用語です)がなさ過ぎた。
暴走車のように、あちこちぶつけても謝ることもなく、反省することなく突き進んできた結果が現在です。
なぜ、学会は絶対無比の正義であらねばならないのか?
なぜ、名誉会長は一つも誤りがないという事にしたいのか?

とまあ、またコメントで熱くなると長くなりそうなんで
やめまーすw

No Title

  • by グルニエ
  • 2011/08/05(Fri)13:23
  • Edit
>こんばんは。集中砲火を受けている通教魂です。
>そんなにいっぺんにああだこうだ言われても対応できまへんがな(笑)。
>うっぷんをぶつける格好のターゲットが来やがった、というところでしょうかね。

ネット上で自分の意見を書き込むということはそういうことです
「集中砲火」などとまで言うのなら最初から書き込まなければいいのに


トニーさん

  • by グルニエ
  • 2011/08/05(Fri)13:26
  • Edit
いいえ、褒めすぎですよ
私もかつては、この人なら違うはずだとか、期待ばかりしていましたが、結局裏切られました。
だから、愛想が尽きたんです。期待もしていないほど・・・

通教魂さん

  • by 堅皇
  • 2011/08/05(Fri)13:41
  • Edit
なるほど、崇峻天皇御書(真蹟なし)と言うことですね。
前後に文証となる文面が無かったので少し解りにくかったのですが
要するに師匠がいくら立派であっても弟子が間違いを起こすと師弟共に地獄行きであると。
こちらも内容を読むと弟子が主体となっているものですね。

ただ、創価学会で言われるような師匠の言いなりになりなさいと言う物ではないと思われます。

師弟となると、ある種特殊な関係となるので
これを誰もが共感できる親子関係で考えて見ますと
親がいくら立派な人であっても子供が犯罪を犯すと、親子共に世間から冷たい目で見られますよね。
つまりは地獄行きと言うような表現が取られる事だと思います。

これに対して親が必ずしも立派な人と言う事は限りませんよね。
ダメな親の中に育ったとしても、子供が立派に成長するとダメな親も育て方が良いと言われると言う話。
つまりは親子共に仏果を得ると言う事になろうかと思います。

崇峻天皇御書でも華果成就御書でも共通しているのは
弟子が中心として描かれている物であり師匠が中心ではないと言う事ですね。
師匠がどうの、親がどうのと言う前に先ずは己の真贋を見る目を養い行動する事により
師匠も親も仏果を与える事が可能であるという話ではないでしょうか。

どうも創価の方は師匠を中心と捉え、それに必ず従わなければならないと言う考えに
固執して辻褄を合わせようとしているように思われますが
師匠や諸仏に対して、間違いであるとすれば指摘しても良いと言う事は
日蓮は他にも記されているんですけどね。
その代表的な御書は諫暁八幡抄等になるかと思います。

そこへ持ってきての1つの質問
> 少なくとも日蓮と言う人は国家の指導者及び各宗の僧侶に対して折伏を行った人でした。
> しかし、池田さんは違いますよね、完全に日蓮とは逆の行動をされている方に見受けられます。

> 何故に学会員の方たちは、このように日蓮と逆の行動を繰り返す
> 池田さんを信心の根本に据え、永遠の指導者であると信望されているのでしょうか。

だったのですが、この部分はご返答いただけないのですかね。

堅皇さん ありがとうございます

  • by 桃太郎
  • 2011/08/05(Fri)22:35
  • Edit
堅皇さん こんばんは
昨晩早速、コメント・ご指導を下さりありがとうございました。
私は前に自己紹介したように1年半ばかり前から仏教や学会について一人学習を始めたばかりの者で、教皇さんから回答をいただけるとは大変に恐縮です。

私には堅皇さんのように教義・教論を専門的に解釈評価する力はありません。とても教義解釈に対して私の考えを交換するなんてできないので、失礼ではありますが、ご了解ください。今後、様々な宗教人、宗教学者の書籍、学会の方の生の声などを参考に勉強してみたいものと思います。

唯、私は宗派宗教に執着がないので宗教問題を考えるときに、外からの目線で考えていきたいと考えています。私は日本の伝統・文化・風俗習慣を大切にし、又、日本の風土の良さも深く感じて生きて行きたいと思っています。
それだけに、現代日本人の「生活観・価値観・道徳観・教育観」などの危うさを強く感じるもので、ついては将来へわたっての「宗教の在り方」についても考えてみたいものと思っています。

具体的には、日本の伝統仏教はなぜ地盤沈下してきているのか、日本の教育はなぜ退化してきているのか、新宗教や新興宗教の功罪はどうか等々に強い関心があります。この意味で、私の「立ち位置」は教皇さんとはかなり違っているかも知れません。

特に、創価学会についてその現状を見るとき、大教団で政党も抱えているため、日本の政治や社会への影響も大きく、見逃すことのできない、緊急に改善されねばならない問題があるということを強く感じているものです。

「折伏」についてもその一つで、昭和30年代の暴力的な折伏の反省の上にあってなお現在はどうなのか、疑問に感じることが多いのです。                教団と教団との教義についての論争、在家信者でも一定の教義解釈のある人どうしの論議であれば成り立ち得ることとも考えられるが、若者が若者に対してとか、一人の相手を数人で囲んでの勧誘とか、「人としての振る舞い」の寂しい人が折伏など、しかも相手が社会的弱者でその弱みに付け込んでの「折伏」ということになれば、問題は穏やかでは済まされないということになるでしょう。また、生まれて間もない子供や十分に判断力のつかない幼い子供を入信させるなども大変に厳しい問題であり、退会希望者へ執拗に圧力をかけることも「折伏」の変形の一つでしょう。
更に、結婚直前や結婚直後の折伏などでなんとトラブルの多いことか、これらのほとんどが人権侵害に近い状態の問題となっています。
一般人の新興宗教へのアレルギーは、まさにこれらの不信感・不安感からくるものと思われるのです。

私は、伝統仏教や他の新宗教が抱えている様々な問題をいい加減に見過ごして良いと考えていません。程度の差はあれどの宗派にも大いに改善すべき問題があると理解しています。
しかし、「毒」とも「薬」ともなる宗教を「薬」へと導いて行かねばならない筈の「創価学会」が、法華経と日蓮さんの教えを悪用し、間違った「折伏」をかけ、今日大教団化し、個人崇拝を絶対化し、邪教化してしまった。

こうした創価学会の「折伏」は、次のいくつかの点で誤ってしまったと思われるので書いてみたいと思います。  ① 目標を信者獲得の質ではなく、会員数の数量に置いてしまった。・・・数が多ければよいというものでもない。水膨れの組織で遠い展望を持てるのかどうか?
勝手な想像をしてみると、会員の5人に1人は脱会者同然であり、5人に1人は休活お休みで、5人に1人はアンチ改革派ではなかろうか?と思われますが???

② 折伏の対象・相手を間違えてしまった。・・・・組織を盲信し、指導に盲従し思考判断の停止しやすい会員であればよいというものではない。むしろ、自立した判断ができ、組織を磨き上げるための主体的判断のできる質の高い会員をじっくり集めるべきであった。(創価学園、創価大学はこの目的を達成しているか?。又その方法が適切であったか?)

③ 間違った方法・手段を定番化し、効率を優先させてしまった。・・・・「罰・功徳論」はどんなに効率よい方法であっても、一度味をしめたら「麻薬」のようなものでやめられないものでしょう。戸田会長の「幸福製造機」発言の威力は大変なものだったでしょう。理性の目で物事の本質を判断することの重大さを諭して政治へ参加をうながすのでなく、「法戦」と称して選挙の票取りを信仰にしてしまったこともおおきな誤りでしょう。折伏とは、会員を獲得することだけでなく、その後の固定化する営みこそが重大であることは自明のことだからです。

生活の苦しい人には、宗教ではなく先ずは社会保障・生活保護でしょう。病気の人には先ずは、病院へ安心して通えることでしょう。貧乏や病気から逃れるために宗教に縋りつかせることは、宗教を麻薬として使うものです。
貧乏人や病気がちな人に宗教を勧めるのは邪教でしょう。

④ 「折伏」とはきわめて高度な質の高い営みであり内容である筈のもの、それが釈迦の教え、法華経の教えからも外れた内容も構わずに取り入れての内容となってしまったり、「日々生活への気づき、人としての振る舞い」の問い直し、即ち対社会性・他者性が一般社会との関係で開かれたものになっていたかどうかの問いなおしが十分でなかったのではないのか。同じパターンの座談会、会合での話題の発展性の無さなどでは、何時かは腐敗し堕落していくことは必然かと思われます。

教学とか教論とかは解りませんが、自分なりにいろいろと考えて学んでいます。

最後に、私は日々宗教観を考えるにあたって、前回コメントに載せた「83歳のおばあさんの生きざま」をイメージしています。時々訪ねて行き話をしてみて、これからの自分の老後の生き方の方向性を暗示してくれているように感じます。「 依法、不依人 」「 自灯明 」でしょうか。
とても長くなってすみません。




オタク

  • by トニー
  • 2011/08/05(Fri)23:34
  • Edit
先生・「さあこれから“対話”をしましょう」。
生徒・「“対話”してくれるんですね先生。じゃあ社会のことを教えてください。イラク派兵問題とか人権擁護法案ってなんですか?」
先生・「確かに“対話”と言ったが、あらゆる疑問に答える疑問はない。なぜなら私は創価学会のやり方に疑問を持っていて学会の幹部にアレコレ意見しているが、私が全て正しいわけではないし、また学会が全て正しいわけでもないからだ」。
生徒・「いいえ先生。正しいとか間違ってるとかじゃなくて“おかしい”と感じることがあるんです。その疑問に対し、先生がどう思っているかを聞きたいんです。だいたいそれじゃ“答えない理由”としては不十分です」。
先生・「おっ、堅皇くん、どうやら君は御書をたくさん読んでるみたいだね。実は僕もなんだよ。ここは一つ対話でもしないかい?」
生徒・「いやだから、先生!先生はどう思うんですか?絶対に正しい答えじゃなくて、先生がどう思うのかを聞きたいんです。対話するんじゃなかったんですか?」。
先生・「対話?それはスルッとスルーするよ。実は対した知識を持ってないとバレてしまうのは歯痒いし、御書の話なら対応できる。だから“対話”と言ったことは忘れてくれ」。
生徒・「でも先生、忘れてくれって言っても、証拠が残ってますよ」。
先生・「聞こえないな。御書の話がしたいから静かにしてくれたまえ」。

そんな“通教魂先生”には、『教学オタク』の称号を与えます。ありがたく思いなさい!

まずは名有りさんへ

  • by 創密
  • 2011/08/05(Fri)23:47
  • Edit
名有りさん
どうもありがとうございます。

いやぁ、慌ただしい。
仕事してんだか、想学サロンやってんだか、わからなくなってきた。
ハマっちゃうんですよ、想学サロン。なかば中毒に近い。
だから、一時中断してたんですけど、禁断症状が強くなってしまい、屈してしまいましたよ。


そうですか、教育学部では学ぶらしいが、他の学部では別段学ぶわけではないんですね。
そうかー、ですから創価教育に「触れた」となるわけですね。
つまり、具体的には教育学部でそういうことを学んでいる人と大学が一緒だったということでしょうかね。

名有りさんの出身母校でしょうから、あまりどうこう言うのも嫌な思いをさせてしまうかもしれませんね。そこはなんだか申し訳ないと思っていますが、名有りさんのことをとやかくいう気持ちはありません。代表として、たまたま名有りさんだったというだけのことですから、何卒ご容赦ください。

なんだか一般的(学会内の)にも「創価教育!」なんてよくい聞きますんで、全学部共通に、それなりにそれに則ったことを学ぶから、卒業後も他分野に進んだとしても、教育の向上や教育に対する意識が高く、また、単に教育だけに限らず、牧口会長の人生地理学に代表されるような、人と社会の関係性を学び、実社会に展開していこうだとか(だって逆にいえばほとんどが学会員なんだから、そのぐらいラジカルでも可能でしょ)、大学の一般教養課程や専門とは別に全学必須の「創価教育」を学んだ人間の共通意識があるのかなとか、
あるいは学校側が「創価教育」なる理念に沿った教授法なりを全学共通に、システムとして講義カリキュラムに運用展開しているのかな?とか思ってましたが、けして、そういうわけではないのですね?うーむ…。

いやなに、やはり「創価教育」「創価教育」とよく聞きますから、なんらかのものがあるのかいな?と思いもしましたが、息吹の問題なんですね(なんの息吹かはよくわかりませんが、なんとなく凄そうな「創価教育」のイメージの息吹でしょうか)。雰囲気、イメージ、感覚ですか。創価学会組織がそのまま学校になっただけみたいな?うーむ…。

つまり、ごく普通の大学なんですね(普通ではないか)。一応、宗教団体がなにやら独自の教育理念があるような物いいで設立しましたが…。ただ、創価学会の子弟がたくさん入学しているだけという…。つまり牧口会長は学校法人の経営をしたかったと…うーむ。
変な意味でなく、いい意味で普通でない大学であって欲しかったなぁと思います。

単純な理解でやはりいいわけですね。

どうもありがとうございました。

訂正

  • by トニー
  • 2011/08/05(Fri)23:48
  • Edit
誤>「確かに“対話”と言ったが、あらゆる疑問に答える[疑問]はない」

正>「確かに“対話”と言ったが、あらゆる疑問に答える[義務]はない」

[疑問]と[義務]を間違えました。お詫びして訂正します。

深謝

  • by 通教魂
  • 2011/08/06(Sat)01:57
  • Edit
運ちゃんさんが新しいブログ記事を書かれました。
私もコメントを書いていて、書くという作業がいかに労力を使うか、ということをあらためて実感しています。
また、コメントのカオス的状況を適時に引き取っていただきまして、ありがとうございます。

創密さん
そうですね、新鮮な場所で、なるべくブログ記事に沿った内容でやりたいですね。ご提案、賛成です。

さて、今日は7時からこの時間まで、楽しいお酒をしこたま飲んでいい気分ですので、これまでにします。
鎌田實さんの「いいかげんがいい」「がんばらない」の精神で、たまにはちょっといいころ加減にいきましょうよ。キツキツだと何事もすべりが悪くなりますんで(笑)
読書好きに加えて、オチャケ好きの通教魂です。

桃太郎さん

  • by 堅皇
  • 2011/08/06(Sat)02:32
  • Edit
宗教を考える時、桃太郎さんが仰るように
外からの目線で考えると言う事はとても大切なことだと思います。

と言うよりこれまであまりにも外からの目線で考えられなかったというべきですか。

けっこう誤解されているのが、仏法だから良い物である
間違いがない、ありがたいものであるという考えが蔓延っているような気がするんですね。
この思考停止の宗教感が宗教を用いた大事故に発展しているように思われるからです。

僕は仏法と言うものはあると便利な物だといえますが
使い方を間違えると大変危険な物となると思っております。
仏法、もとい、世界の戦争の影には必ずと言っていいほど宗教の存在がありますからね。

仏法とは単に利便性を説く物ではなく
物事の道理を説く物であると考えています。
ですから、仏法から外れる行為と言う事は即ち道理から外れるものであると。

一口に仏法といっても、何でもかんでもありがたがる必要は無いと言うことと
ありがたい話ばっかりする宗教は先ず疑ってかかる必要があると僕は思います。
世間一般の甘い話となると、それを鵜呑みにしないで、よくよく考える物ですが
宗教となると利便性だけを求めて思考停止になる人が多いという事が言えます。

桃太郎さんがご指摘である戸田さんの「幸福製造機」発言は
正にこの利便性だけを追求した物であるとも思います。

「幸福製造機」であると言うのであれば
どういった道理の上で幸福が製造される仕組みとなるかを明確に伝える必要があると言う事ですね。
それが無ければ単なる胡散臭い儲け話と同じと言う事になります。

何故、幸福になれるの?と聞いてみても
創価学会では誰も明確に答えられる人はいないと思っています。

No Title

  • by 流れ星
  • 2011/08/06(Sat)08:44
  • Edit
通教騙しいさんのはぐらかし論理に深く傷つき、涙まで出そうになりましたが、ここの場が荒れるのがイヤでしたのでコメントを控えていましたが、やはり少しだけお話ししようと思います。

なぜ通教騙しいさんが、キチンとわたしの疑問にお答えにならなかったのか考えてみました。

① わたしの感じた創価に対する疑問点が、通教騙しいさんには見えなかった。感じたことすらなかった。。あるいは、創価の真実を見ようとしない。そして向き合って行こうとしない。また、わたしの通教騙しいさんに対する真摯な姿勢を見ることができなかった。

(見ざる状態)

② なにか理由があって、自らの意見を述べられなかった。思っていても率直に言えない状況にある。言っても仕方ないと過去に散々感じていて、もう自分の意見を言うことを諦めている。創価の人が良く陥る現象。

(言わ猿状態)

③ 最後に上の状態が総じて、なるべく創価の問題点には耳を塞ぐようにしている。なかったことにしよう。。

(聴か猿状態)

押し並べて、いまの通教騙しいさんの状態は、この3つではないかと想像しましたが、違うでしょうか?
(残念です。。もっと文章力のある河童さんや桃太郎さんなら、的確に書かれるのでしょうけれそ。。)

それで、わたしが通教騙しいさんに感じたのは、根深い諦観観念です。
創価をより良くしていこうなんて気持ちは、とうの昔に捨て去っている。いまは、ただ淡々と業務をこなすだけ。。?(違いますか。。?)

何故に、通教騙しいさんが、ここに様々なことを書きこまれようとされているのか、その本心は測りかねますが、このあとも何事もなかったかのように、しらっと書きこまれている。
その真意が、よく理解できません。
この場で、なにをされようとしているのでしょう。。?
アンチな方々に、モノ申したいだけなのでしょうか。。??

なんにしても通教騙しいさんのお答え次第では、まだ創価も捨てたものじゃないな。。と思えたのかもしれませんが。。
正直、わたしは、通教騙しいさんの対応で、一事が万事。。もう創価は変わることはないだろう。また変えることもできないだろうと思うに至りました。

何故なら、通教騙しいさんの対話を重んじ創価の組織の現場で活動されていながら、このようなお粗末な状態なのですから。。

腐りきっているのは信濃町界隈だけかと思っていましたが、現場の幹部までそれは浸食しているのだな。。それが、通教騙しいさんのコメントで感じたことです。
それとも、ほんとうは通教騙しいさんも、その信濃町の中枢にいる人物なのでしょうか?
そうだとしたら、とても良く理解できます。
その現場の一会員をはなっから馬鹿にしたような言動で。。

きっと、こうやって一会員の疑問をしら~っと、はぐらかし続けていくのでしょう創価は。。この先もずーっと。。
とても残念なことで、涙が出そうになりましたよ。。

それにしてもグルニエさんの嗅覚は、大したものだと感心しました。
真偽を鋭く嗅ぎわける能力=自らの身を守るためには、とても必要ですよね。。

わたしは、少しでも通教騙しいさんに期待をした自分が、ほとほとバカだったな~と思うに至りました。

そして、わたしが組織でその疑問をぶつけた数年前よりも遥かに組織は悪くなっていると直感しました。

これは、単なる批判とかではありません。
わたしの率直に感じたことです。
長々とすみませんでした。。

追記
通教騙しい。。=パソコンで偶然に変換されたものですが、あまりにぴったりなので使わせていただきました。。

No Title

  • by 流れ星
  • 2011/08/06(Sat)09:18
  • Edit
追記
いまふと感じたのですが。。
通教騙しいさんは、創価に疑問を感じたり離れている人に、正しい信心の姿勢を敢えて言いたいのかもしれませんね。。

つまり、ここに来るROM宣の会員に対してなのかもしれません。。
だったら分かりますね。。
わたしの疑問に対しての答えではなく、疑問に対する対処の仕方をご教示されたのが。。

違うでしょうかね~。。??
やはり信濃町中枢の幹部かも。。

かな~り腹黒いとみた。。

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プロフィール

HN:
運ちゃん
性別:
男性
職業:
サラリーマンっぽい事
趣味:
バイクとタバコと読書、あと映画
自己紹介:
非活になって、早10年。
最近では独自に教学研鑽を進めています。
最近、創価学会については客観的に見れるようになってきたところです。
ブログはコツコツ更新することとしていますので、よろしくお願いします。

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