広島市は毎年8月6日に、原爆死没者への追悼とともに核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を願って平和記念式典を行い、広島市長が「平和宣言」を世界に向けて発表しています。広島・長崎の悲惨な体験を再び世界の人々が経験することのないよう、核兵器をこの地球上からなくし、いつまでも続く平和な世界を確立しようと、これからも平和宣言は訴え続けていきます。
平 和 宣 言
「ああ やれんのう、こがあな辛(つら)い目に、なんで遭わにゃあ いけんのかいのう」―――65年前のこの日、ようやくにして生き永らえた被爆者、そして非業の最期を迎えられた多くの御霊(みたま)と共に、改めて「こがあな いびせえこたあ、ほかの誰(だれ)にも あっちゃあいけん」と決意を新たにする8月6日を迎えました。
ヒロシマは、被爆者と市民の力で、また国の内外からの支援により美しい都市として復興し、今や「世界のモデル都市」を、そしてオリンピックの招致を目指しています。地獄の苦悩を乗り越え、平和を愛する諸国民に期待しつつ被爆者が発してきたメッセージは、平和憲法の礎であり、世界の行く手を照らしています。
今年5月に開かれた核不拡散条約再検討会議の成果がその証拠です。全会一致で採択された最終文書には、核兵器廃絶を求める全(すべ)ての締約国の意向を尊重すること、市民社会の声に耳を傾けること、大多数の締約国が期限を区切った核兵器廃絶の取組に賛成していること、核兵器禁止条約を含め新たな法的枠組みの必要なこと等が盛り込まれ、これまでの広島市・長崎市そして、加盟都市が4000を超えた平和市長会議、さらに「ヒロシマ・ナガサキ議定書」に賛同した国内3分の2にも上る自治体の主張こそ、未来を拓(ひら)くために必要であることが確認されました。
核兵器のない未来を願う市民社会の声、良心の叫びが国連に届いたのは、今回、国連事務総長としてこの式典に初めて参列して下さっている潘基文閣下のリーダーシップの成せる業ですし、オバマ大統領率いる米国連邦政府や1200もの都市が加盟する全米市長会議も、大きな影響を与えました。
また、この式典には、70か国以上の政府代表、さらに国際機関の代表、NGOや市民代表が、被爆者やその家族・遺族そして広島市民の気持ちを汲(く)み、参列されています。核保有国としては、これまでロシア、中国等が参列されましたが、今回初めて米国大使や英仏の代表が参列されています。
このように、核兵器廃絶の緊急性は世界に浸透し始めており、大多数の世界市民の声が国際社会を動かす最大の力になりつつあります。
こうした絶好の機会を捉(とら)え、核兵器のない世界を実現するために必要なのは、被爆者の本願をそのまま世界に伝え、被爆者の魂と世界との距離を縮めることです。核兵器廃絶の緊急性に気付かず、人類滅亡が回避されたのは私たちが賢かったからではなく、運が良かっただけだという事実に目を瞑(つぶ)っている人もまだ多いからです。
今こそ、日本国政府の出番です。「核兵器廃絶に向けて先頭に立」つために、まずは、非核三原則の法制化と「核の傘」からの離脱、そして「黒い雨降雨地域」の拡大、並びに高齢化した世界全(すべ)ての被爆者に肌理(きめ)細かく優しい援護策を実現すべきです。
また、内閣総理大臣が、被爆者の願いを真摯(しんし)に受け止め自ら行動してこそ、「核兵器ゼロ」の世界を創(つく)り出し、「ゼロ(0)の発見」に匹敵する人類の新たな一頁を2020年に開くことが可能になります。核保有国の首脳に核兵器廃絶の緊急性を訴え核兵器禁止条約締結の音頭を取る、全(すべ)ての国に核兵器等軍事関連予算の削減を求める等、選択肢は無限です。
私たち市民や都市も行動します。志を同じくする国々、NGO、国連等と協力し、先月末に開催した「2020核廃絶広島会議」で採択した「ヒロシマアピール」に沿って、2020年までの核兵器廃絶のため更に大きなうねりを創(つく)ります。
最後に、被爆65周年の本日、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げつつ、世界で最も我慢強き人々、すなわち被爆者に、これ以上の忍耐を強いてはならないこと、そして、全(すべ)ての被爆者が「生きていて良かった」と心から喜べる、核兵器のない世界を一日も早く実現することこそ、私たち人類に課せられ、死力を尽して遂行しなくてはならない責務であることをここに宣言します。
2010年(平成22年)8月6日
広島市長 秋 葉 忠 利
■平和宣言について
広島市が世界最初の原子爆弾の惨禍を経験し、2年目の昭和22年(1947年)に、永遠の平和を確立しようという広島市民の願いを全世界の人々に伝え、世界的行事の一つにまで発展させたいと念願して、平和祭が行われることになりました。
平和祭は、同年8月5日から3日間行われましたが、6日には現在の平和記念公園の広場で式典が開かれ、この中で初めての平和宣言が浜井信三市長によって読み上げられました。この時の平和宣言は、
「この恐るべき兵器は恒久平和の必然性と真実性を確認せしめる「思想革命」を招来せしめた。すなわちこれによって原子力をもって争う世界戦争は人類の破滅と文明の終末を意味するという真実を世界の人々に明白に認識せしめたからである。これこそ絶対平和の創造であり、新しい人生と世界の誕生を物語るものでなくてはならない」
「今われわれが為すべきことは全身全霊をあげて平和への道を邁進し、もって新しい文明へのさきがけとなることでなければならない。
この地上より戦争の恐怖と罪悪とを抹殺して真実の平和を確立しよう。
ここに平和塔の下、われわれはかくのごとく平和を宣言する」
と述べています。
このように戦争を否定し、平和を求める広島市民の心の底からの叫びが、一つの形となって表れました。
平和宣言は、広島市長が毎年8月6日の平和記念式典において発表していますが、その表現や内容には、その時代が反映されています。原水爆禁止の文字が平和宣言に初めて現れたのは、第1回原水爆禁止世界大会が開かれた翌年、昭和31年(1956年)の渡辺忠雄市長のときでした。また、戦後26年目の昭和46年(1971年)、山田節男市長は「次の世代に戦争と平和の意義を正しく継承するための平和教育」を平和宣言に明示し、昭和57年(1982年)荒木武市長は、6月の第2回国連軍縮特別総会で提唱した平和のための世界的な都市連帯の呼びかけを、その年の平和宣言に取り入れました。今日では、この都市連帯の輪は、平和市長会議として世界144か国・地域の4,069都市(平成22年8月1日現在)に大きく広がっています。
平成3年(1991年)平岡敬市長は、「日本はかつての植民地支配や戦争で、アジア・太平洋地域の人々に、大きな苦しみと悲しみを与えた。私たちは、そのことを申し訳なく思う」と述べました。また、平成8年(1996年)の平和宣言では、包括的核実験禁止条約の合意が「核実験の全面禁止につながること」への期待を表明するとともに、被爆の実相を語り継ぎ、広く伝えていくために「平和文化の創造」と「被爆資料の集大成」を求めました。平成9年度の平和宣言では、核兵器のない世界を実現するために、日本政府に対して「「核の傘」に頼らない安全保障体制構築への努力」を求めると同時に、私たちが言語・宗教・習俗などの違いをこえて世界の人々と率直な対話を進めることの必要性を訴えました。
平成11年(1999年)2月に就任した秋葉忠利市長は、同年の平和宣言で、被爆者が原爆の惨苦や絶望を乗り越え、ひたむきに核兵器の廃絶を訴え続けてきた足跡を称えた上で、核兵器は人類滅亡を引き起こす絶対悪であるとの真実に基づき、核兵器を廃絶する強い意志を持つことが何よりも大切であることを訴えました。また、宣言の歴史で初めて「です・ます調」の文体を用いました。
平成12年(2000年)の平和宣言では、戦争と科学技術の世紀であった20世紀を振り返り、憎しみや暴力の連鎖を断ち「和解」への道を拓くよう訴えるとともに、広島が世界に和解を広める都市、科学技術を人間的目的に用いるモデル都市になりたいとの決意を表明しました。
平成13年(2001年)には、21世紀最初の平和宣言として、21世紀を核兵器のない「平和と人道の世紀」にするため、和解や人道を重視する勇気を持つよう訴えるとともに、広島を「人道都市」、「万人のための故郷」にしたいとの決意を表明しました。
平成14年(2002年)の平和宣言では、報復の連鎖や力の論理が蔓延する世界情勢を踏まえ、人類共有の記憶を貴び「平和と人道の世紀」を創造することを誓うとともに、時代への警鐘や広島の決意を表明し、とりわけアメリカ政府・国民に対し批判や要請を一歩進めるメッセージとしました。
平成15年(2003年)の平和宣言では、力の支配が蔓延する世界情勢を踏まえ、自国中心主義を押し進める米国の政策を強く批判するとともに、2005年のNPT再検討会議に向け、平和市長会議加盟都市に核兵器廃絶のための緊急行動を呼び掛けたほか、日本政府に対し、「作らせず、持たせず、使わせない」を内容とする「新・非核三原則」を国是とするよう要求しました。
平成16年(2004年)の平和宣言では、被爆後75年目に当る2020年までに地球上から全ての核兵器を廃絶するために、2005年8月9日までを「核兵器のない世界を創るための記憶と行動の一年」と位置付けて、被爆者の証言を世界に届け、「広島・長崎講座」の普及や被爆体験記を読み語るプロジェクトを展開するとともに、NPT再検討会議に向け、「核兵器廃絶のための緊急行動」への支持を訴えました。
平成17年(2005年)の平和宣言では、2006年8月9日までを「継承と目覚め、決意の年」と位置付けて、世界の多くの国、NGOや大多数の市民と共に、核兵器廃絶に向けた多様なキャンペーンを展開することを表明するとともに、国連総会の第一委員会が核兵器のない世界の実現と維持とを検討する特別委員会を設置するよう提案しました。
平成18年(2006年)の平和宣言では、「核兵器の使用・威嚇は一般的に国際法に違反する」とした国際司法裁判所(ICJ)による勧告的意見から10周年を迎えたことを踏まえ、核軍縮に向けた「誠実な交渉義務」を果たすよう求めるキャンペーン(Good Faith Challenge)を「2020ビジョン(核兵器廃絶のための緊急行動)」の第二期として位置付け展開するとともに、核保有国に対して、都市を核攻撃の目標にしないよう求める「都市を攻撃目標にするな(Cities Are Not Targets(CANT))プロジェクト」に取り組むことを呼びかけました。
平成19年(2007年)の平和宣言では、「21世紀は市民の力で問題を解決できる時代」であるという時代認識を示すとともに、「少数の指導者たち」が「力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき」、人類を滅亡の危機に陥れている中、市民と共に都市が立ち上がり、民主的な政治や国際ルールなど人類の叡智を基に、市民の声で国際政治を動かそうとしていることを世界の都市の事例を紹介しながら訴えました。
平成20年(2008年)の平和宣言では、まず、「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」という真理の重みと、世界の多数派が核兵器の廃絶を求めている事実を指摘しました。さらに、2020年までの核兵器廃絶に向けた道筋を示す「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を紹介するとともに、相互理解と信頼にもとづく都市間関係をモデルとして世界を考える「パラダイム転換」の重要性を訴えました。
平成21年(2009年)の平和宣言では、世界の多数派である私たちを「オバマジョリティー」と呼び、その力を結集すれば2020年までの核兵器廃絶は実現可能であり、共に行動しようと呼び掛けました。大多数の世界市民の意思を尊重し市民の力で問題を解決する地球規模の民主主義が今、発芽しつつある事実を指摘し、これらの市民の声が国連の中に届く仕組みの必要性を訴えました。
平成22年(2010年)の平和宣言では、市民社会の声と潘基文国連事務総長・オバマ大統領等のリーダーシップがNPT再検討会議を成功に導いたように、大多数の世界市民の声が国際社会を動かす最大の力となりつつあることを指摘し、私たちも国家・NGO・国連等と協力しながら2020核廃絶広島会議で採択した「ヒロシマアピール」に沿って行動することを表明しました。
広島・長崎の悲惨な体験を再び世界の人々が経験することのないよう、核兵器をこの地上からなくし、いつまでも続く平和な世界を確立しようと、これからも平和宣言は訴え続けていきます。
■平和宣言の歴史
平和宣言は、1947年(昭和22年)以来、1950年(昭和25年)を除き毎年8月6日に広島市長によって発表されてきました。主な年の特徴は次のとおりです。
1947年 第1回平和祭で最初の平和宣言
1950年 朝鮮戦争勃発のため、第4回平和祭が中止となり、平和宣言をしていない
1951年 平和宣言の代わりに市長あいさつ
1954年 歴代最短(320字)
1955年 初めて被爆者の窮状に触れる
1956年 初めて「原水爆禁止」の文字が登場
1958年 初めて明確に原水爆禁止を主張
1962年 被爆体験の継承の必要性
1963年 部分的核実験停止条約締結の評価
1965年 「原水爆の禁止」と「戦争の完全放棄」/ベトナム戦争への憂慮
1968年 明確な核抑止論批判
1971年 平和教育の必要性
1972年 初めて国連に言及/初めて戦争以外の環境・資源問題を取り上げる/初めて「ヒロシマの心」という表現を使用
1973年 核保有国を厳しく非難
1974年 核拡散防止を中心テーマ/初めて具体的な国際政治(国連)への提唱
1975年 詳細に被害の実相
1977年 広島・長崎両市長の国連訪問の成果を報告
1978年 国連軍縮特別総会開催の評価
1979年 放射線被曝の問題を指摘/初めて飢餓・貧困問題に触れる/初めて原爆被爆者援護対策に触れる
1980年 中東や東南アジアの紛争により生じた難民問題を憂慮/原爆被爆者援護対策の法制化を念願
1981年 初めて「非核三原則」に触れる
1982年 広島市長の国連特別総会での訴えを報告/都市連帯の提唱/広島への国際的な平和研究機関の設置を提唱
1983年 広島・長崎両市長の「世界平和都市連帯」の呼び掛けを報告
1985年 「世界平和連帯都市市長会議」開催を報告/国際青年年に当たり青少年への期待
1986年 ソ連のチェルノブイリ原発事故に言及/人権抑圧問題に触れる
1987年 国連軍縮週間創設十周年と翌年の第3回国連軍縮特別総会への期待
1988年 第3回国連軍縮特別総会の成果報告
1989年 「第2回世界平和連帯都市市長会議」開催報告
1990年 核軍縮の評価と要望/非核三原則の法制化/アジア・太平洋地域の非核化/初めて外国人被爆者の援護に言及
1991年 アジア・太平洋地域の人々への謝罪(95年まで毎年)/初めて「被爆者援護法」という表現を使用/初めて「ヒバクシャ」という表現を使用/湾岸戦争を憂慮
1992年 核抑止論の明確な否定/国連軍縮広島会議の報告
1993年 核拡散防止条約の無期限延長の動きに対する危惧/戦後処理問題に速やかな決着をつけるよう日本政府に決断を求める
1994年 原爆ドームの世界遺産化の意味/核拡散防止条約の無期限延長に反対
1995年 原子爆弾は明らかに国際法に違反する非人道的兵器である/アジア・太平洋における新たな非核地帯の設定を求める/共通の歴史認識を持つために被害と加害の両面から戦争を直視すべき
1996年 国際司法裁判所が「核兵器使用の違法性」を明言/包括的核実験禁止条約への期待/被爆の惨禍が生んだ広島の生と死の経験を平和文化として永遠の人類共有財産に/多様な被爆資料の集大成が必要
1997年 科学技術文明の未来に大きな不安/米国の「臨界前核実験」に抗議/日本政府に対し「核の傘」に頼らない安全保障体制構築への努力を要求
1998年 インド、パキスタンの核実験強行に抗議/世界各国へ「核兵器禁止条約」の締結を呼び掛け/広島平和研究所の設置に言及
1999年 ヒロシマのたどった歩みを振り返り、被爆者の足跡を称える/世界の指導者が核兵器を廃絶する意志を持つことが何よりも大切であることを訴える
2000年 戦争と科学技術の世紀であった20世紀を振り返り、憎しみや暴力の連鎖を断ち「和解」への道を拓くよう訴える/広島が世界に和解を広める都市、科学技術を人間的目的に用いるモデル都市とする決意を表明
2001年 21世紀最初の宣言として、21世紀を核兵器のない「平和と人道の世紀」にするため、和解や人道を重視する勇気を持つよう訴える/広島を「人道都市」、「万人のための故郷」とする決意を表明
2002年 報復の連鎖や力の論理が蔓延する現在の世界情勢に大きな不安/広島を「万人のための故郷」とし、人類共有の記憶を貴び「平和と人道の世紀」を創造する決意を表明/米国政府・国民に対し、力の論理からの脱却を説得/日本政府に対し、戦争のできる「普通の国」にならないよう要求
2003年 力の支配が蔓延する現在の世界情勢に大きな不安/自国中心主義を押し進める米国の政策を強く批判/2005年のNPT再検討会議に向け、平和市長会議加盟都市に、核兵器廃絶のための緊急行動を呼び掛け/世界中の影響力を持つリーダーに、核兵器廃絶のため、日常のレベルで祈り、発言し、行動することを呼び掛け/日本政府に対し、「作らせず、持たせず、使わせない」を内容とする「新・非核三原則」を国是とするよう要求/初めて「黒い雨降雨地域」の被爆者援護に言及
2004年 2005年8月9日までを「核兵器のない世界を創るための記憶と行動の一年」とすることを宣言/2020年までの核兵器廃絶を決意/米国市民に人類愛の観点から唯一の超大国として核兵器廃絶の責任を果たすように期待/被爆者の証言を世界に届け、「広島・長崎講座」の普及や被爆体験記を読み語るプロジェクトを展開/日本政府に対し、平和憲法の擁護、戦争並びに核兵器容認の風潮を匡すよう要請/NPT再検討会議に向け、「核兵器廃絶のための緊急行動」への支持を訴え
2005年 未来世代への責務として、「汝殺すなかれ」特に「子ども殺すなかれ」を人類最優先の公理として確立する必要を訴え/2006年8月9日までを「継承と目覚め、決意の年」と位置付けて、核兵器廃絶に向けた多様なキャンペーンを展開することを表明/国連総会の第一委員会が核兵器のない世界の実現と維持とを検討する特別委員会を設置するよう提案
2006年 「核兵器の使用・威嚇は一般的に国際法に違反する」とした国際司法裁判所(ICJ)による勧告的意見から10周年を迎えたが核軍縮の義務は果たされていないことを訴え/核軍縮に向けた「誠実な交渉義務」を果たすよう求めるキャンペーン(Good Faith Challenge)や、核保有国に対して都市を核攻撃の目標にしないよう求める「都市を攻撃目標にするな(Cities Are Not Targets(CANT))プロジェクト」に取り組むことを表明
2007年 被爆者の苦しみの中から生まれたメッセージの重要性と、忘れてしまいたい体験を語り続け三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を訴え/「少数の指導者たち」が「力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき」、人類を滅亡の危機に陥れている現状の問題点を指摘/「21世紀は市民の力で問題を解決できる時代」/市民と共に都市が立ち上がり、民主的な政治や国際ルールなど人類の叡智を基に、市民の声で国際政治を動かそうとしている世界の各都市の活動事例を紹介/核兵器のない地球を未来の世代に残すために行動することを誓う
2008年 「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」という真理/世界の多数派が核兵器の廃絶を支持/人類の生存を最優先する多数派の声に耳を傾ける米国新大統領が誕生することを期待/核兵器の廃絶を2020年までに実現するため、平和市長会議で「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表/相互理解と信頼にもとづく都市間関係をモデルに世界を考える「パラダイム転換」の重要性を訴え/G8下院議長会議の広島開催で「被爆者の哲学」が世界に広まることを期待
2009年 今なお続く被爆者の苦しみと、被爆体験の重みが勇気ある司法判断により法的にも支えられていることを指摘/核兵器廃絶を求める世界の多数派を「オバマジョリティー」と呼ぶことを提案/大多数の世界市民の意思を尊重し市民の力で問題を解決する地球規模の民主主義が今、正に発芽しつつある事実を指摘/国連の中に市民の声が直接届く仕組みとして国連に下院の創設を提案/最後に、英語で世界に、力を合せて核兵器の廃絶を実現しようと呼び掛け
2010年 「こんな思いをほかの誰にもさせてはならない」という被爆者のメッセージを広島弁で表現/被爆者のメッセージは世界の行く手を照らす/NPT再検討会議の最終文書により広島市・長崎市・平和市長会議等の主張こそ未来を拓くために必要であることが確認されたことを指摘/市民社会の声と潘基文国連事務総長・オバマ大統領等のリーダーシップがNPT再検討会議を成功に導いた/大多数の世界市民の声が国際社会を動かす最大の力になりつつある/日本国政府や内閣総理大臣に被爆者の願いを真摯に受け止め核兵器廃絶に向けてリーダーシップを発揮するよう要請/我々も、国家・NGO・国連等と協力し、2020核廃絶広島会議で採択した「ヒロシマアピール」に沿って行動することを表明
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