しかし、
なぜ何週間・何カ月たっても、煙の原因がわからないのでしょうか?これが火事である可能性が仮にあるのだとすれば、本来、すぐにでも消化活動を行わなければ、以後の復旧作業に差し支えるのではないでしょうか?なぜ、彼らはこの煙を放置したままでいられたのでしょうか? 実は、5月16日に東電は3号機パラメータの膨大な修正資料を提出しました(
http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/f1/images/11051612_level_pr_data_3u-j.pdf)。その結果、以前よりも詳細で正確な分析が可能となっています。このデータから、圧力容器内の原子炉圧力(A)をグラフ化したものがこれです。
図14 3号機原子炉圧力(A)の動き
3月21日の未明に、著しく異常な事態が発生していることが見てとれます。具体的には、それまで0.1MPa前後を推移していたのに、突然21日1時25分には8.968MPaを、1時45分に11.571MPaを、2時30分に10.774MPaを記録し、その後4時には0.2MPaまで下がっています。 さて、以上の数字が突出しすぎているため、細かい動きがほとんどわからなくなってしまっていることを踏まえて、もっと細かいグラフを出します。
図15 3号機原子炉圧力(A)(B)および格納容器圧力(ゲージ圧に換算)
まず、19日未明に格納容器圧力と原子炉圧力(B)ともに大幅に下がっているのが確認できます。このときに、何が起きたのかははっきりわかりませんが、その後格納容器・圧力容器とも圧力が上昇したことから、両者とも健全性が保たれていると思われるため、おそらく、この時点でベントを行ったのではないかと推測できます。実際、図16を見れば、格納容器の圧力低下とともに、格納容器内の放射線量が低下していることが確認できます。
図16 格納容器圧力と格納容器内放射線量の比較
しかし、18日に格納容器内放射線量が54.4Sv/hから105Sv/hまで急増していること、その後おそらくはベントとともに急落し、その後上昇をする、これは何を意味しているのでしょうか?
単なるメルトダウンでは、ここまでの放射線量の増減を説明することは困難ではないでしょうか。ここで
再臨界が発生していた可能性を指摘することは可能かも知れません。実際、図8で示した、筑波における空気中の核種分析で見られたテルルやテクネチウム99m(半減期6時間)などは、そうした可能性を示唆しているようにも思われます。また、既出の
官邸資料によれば、20日の午前8時に炉内の温度が、通常運転時よりも高い三百数十度を記録したことも、これを裏付けています。
※追記
放射線量の急激な上昇については、メルトダウンでは考えにくい、と言いましたが、必ずしもそんなことはないことを、Web上のご指摘でいただきました。たしかに、圧力容器外部に大量に溶けた燃料が落ちると、放射線量が増大する可能性はあります。 
圧力変化の分析を続けましょう。3月19日のお昼ぐらいから、圧力容器・格納容器ともに上昇を続けています。また格納容器内放射線量のデータは19日の大部分が抜けているのですが、20日に入ったあたりから急上昇を続け、この三つのパラメータは20日午前4時にピークを迎えます。その後、圧力容器・格納容器圧力は緩やかに下降していきますが、格納容器内放射線量はほぼ一定水準を保ったままです。このときの圧力低下が、何かしらの爆発的事象なのか、それともベントなのかははっきりとは判明しませんが、おそらくは何らかの形で放射性物質が漏れており、それが図1の、茨城県の20日12時前後の小さなピークと対応していると考えられます。
その後、9-11時前後に不可解な微増減がありますが、それから15時ぐらいまで、格納容器圧力・圧力容器圧力ともに漸減していっています。このとき、原子炉水位が上昇していることから、注水作業が行われたことが推測でき、圧陸低下はその結果だと考えると、この時点まで圧力容器・格納容器の健全性が保たれていたと考えるのが妥当でしょう。
その後、
15時から格納容器圧力・圧力容器圧力ともに急降下しています。この前後の敷地内の放射線量はほとんど公開されていないのですが、唯一公開されている事務本館北の放射線量の数値が、14時までの2.5mSv前後から15時前後に3.3mSvまで急増したことから、このときに一度目、
格納容器内の爆発など、なんらかの形で格納容器の健全性を損なう出来事があったことは想像に難くありません。そのとき、ちょうど西風が吹いており、また
夕方になって南風に変わったため、20日19時以降西に110km離れた山形市でフォールアウトが発生し、また北の秋田市でも午後9時ごろ、わずかに放射線量が増大したものと考えれば、完璧につじつまがあいます。
図17 東北地方の空間線量