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復興100キロマラソン:原発従事の49歳男性が挑戦

新潟県の東京電力柏崎刈羽原発(奥)から自宅までの通勤ルートを走る上原敏明さん=同県柏崎市で、宮地佳那子撮影
新潟県の東京電力柏崎刈羽原発(奥)から自宅までの通勤ルートを走る上原敏明さん=同県柏崎市で、宮地佳那子撮影

 新潟県の東京電力柏崎刈羽原発で原子炉の保守管理を担うメーカーグループの社員、上原敏明さん(49)=柏崎市日吉町=が9日に地元で開かれる100キロマラソンを走る。3度目の挑戦だが、今年は事情が違う。上原さんは07年7月16日の新潟県中越沖地震では原発内で被災し、今年3月の大震災では福島第1原発の事故処理に携わった。そして、福島県南相馬市の実家は津波で全壊し、両親は避難生活を送る。上原さんは「複雑な立場だが、自分が走ることで少しでも被災者の励みになれば」と話している。【宮地佳那子】

 ◇柏崎で被災、福島では事故処理…思い複雑、でも「励みになれば」

 マラソンコースは柏崎市内41カ所に設置されていた仮設住宅跡地を巡る。市内の飲食業、大図辰芳さん(58)が08年から中越沖地震の復興を願い、避難者たちを励まそうと始めた。今年は上原さんを含め19人が参加する。

 上原さんは当時、柏崎刈羽原発2号機の原子炉建屋の使用済み燃料プールそばにいた。突き上げるような揺れだった。「茶わんを揺すったような勢いで水があふれ出した」。プールから飛び散る生ぬるい水が、両膝下までかかり、ビニール袋で両脚を覆い、警報音が鳴り響く中、原子炉建屋出口に走った。しかし、故障した二重扉が開かず、屋内に閉じ込められた。「怖かった。なるようにしかならないと思った」

 東日本大震災では業務応援で3月14日、福島第1原発の事故現場に入り、同月30日までタービン建屋などで復旧作業をした。地下に高濃度の汚染水がたまった2号機では、放射線量の測定器の針が振り切れた。「事前に放射線量は高いと聞いていたが……。でも、だれかがやらないと事故は収束しない」

 復旧作業のため、津波で全壊した南相馬市の実家にも行けず、家族とも会っていない。両親と兄家族は無事だったが、今は同市内の仮設住宅と民間賃貸住宅に散り散りに住んでいるという。

 上原さんは毎日、原発から自宅まで約12キロを走ってマラソンに備えている。中越とともに東北の被災地の復興を願い完走を目指す。 新潟水害(04年7月)などで災害ボランティアの経験もある。

 「時間ができれば大震災の被災地で、がれき撤去などのボランティアをしたい」

毎日新聞 2011年7月6日 12時11分(最終更新 7月6日 12時32分)

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