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[27798] 妖精文書 (エルフさんに転生 改訂版)
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/05/15 14:14

オリジナル転生系ファンタジー?と思う。

注意:この作品にはTS成分が含まれています。アレルギー等がある方はご遠慮ください


異世界のエルフさん(女の子)に転生してしまった主人公が、異世界から日本に帰ってきたり、戦ったり、わりと酷い目にあったり、萌キャラだったりする話です。

シリアス5に萌え4だったりします。現代日本編だけ読むと萌え成分だけを効率的に摂取できます。後の1は無駄な設定で出来てます。



作者です。
ミスをして前スレッドを消去してしまいました。勝手ながら新しいスレッドをたてさせてもらいます。
いままで読んで下さった方、感想を書いて下さった方、ご迷惑をおかけいたします。




H23.5.13 何を思ったのか全編改訂(あるいは改悪)してしまった。反省はしていない。後悔はいつだってしている。



[27798] Prelude000『彼岸の彼方』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/05/15 14:14





― A.D.1969 アメリカ合衆国オレゴン州アストリア近郊 ―



絶え間なく打ち寄せる波。

海水が砂を洗う音だけが空間を支配する。

低い灰色の雲が垂れ込め、海は黒く淀む。生臭い海の匂いが鼻をつく。

その美しさで名高いオレゴンコーストも、色を失えば見るものを憂鬱にさせる。



色を失ったのは彼の瞳に映る世界だ。

男は虚ろな瞳で故郷の海をただ見つめる。


彼は敗北者だった。

完膚なきまでに敗北した。

今は知る由もないが、彼の祖国もまた敗北する。


友人を失い、

誇りと名誉を失い、

そして右足を失った。


全て最初から間違っていたのだ。


彼は父親のような勇ましい英雄にも成れず、彼が望むような、母親が期待するような何者にも成れなかった。

得たのは嘲笑と非難。そして僅かな年金だけ。

そして惨めな、哀れな、汚い、反吐の出るような、薬と酒に溺れるだけの敗者に落ちぶれた。


終止符を打つべきだろう。


彼は義足を引き摺り、故郷の海に還ろうと彼岸を目指す。

どす黒く淀んだ海は、自分のようなちっぽけな負け犬などたやすく飲み込み、無為へと還元してくれるだろう。


そして彼は、


「?」


ふと足元に何かを見つける。

それは鮮やかな赤色のガラス板のような小さな欠片。

普段ならそんなものに気をとられなかっただろう。

だが彼にはそれがどうしようもなく、尊いものに見えた。

色のない世界に現出した、彩

無意識に手を伸ばす。

それは数センチほどの大きさの宝石板。

彼はそのまま欠片を天にかざす。目に映るのは欠片の中で踊る見たこともない文字のような、黄金の文様。

そして彼は思わず―




「おじいさま」




意識が急速に浮上する。

鈴の音のような声音が40年以上もの過去から彼を呼び戻した。

砂の上に立つのは先ほど居たみすぼらしい若者ではなく、身なりの良い義足の初老の男。

男は松葉杖を軸に後ろを振り返る。

その視線の先には、人形のように、否、人形じみた、作り物めいた美しさを持つ少女。


「おじいさま。始まります」


彼女はどこか焦点の合わない瞳で、赤いウサギのヌイグルミを抱きしめて静かにたたずみ、もう一度小さく呟く。


「……そうか、もうそんな時間か」

「はい」


少女は頷き、老人の傍へと歩み寄る。そして老人の手をとり、


「危険ですので」

「判っている。……さあ、帰ろうか」


そして老人は少女の手を借りて砂浜を後にする。




そのちょうど6時間後、

太平洋上空高度10000mにおいて航行中だった旅客機が人知れず消息を絶った。







― 新暦885年 トラキア半島西崩壊面 ―



絶え間なく打ち寄せる波。

海水が岸壁を洗う音だけが空間を支配する。

水平線上に入道雲が頭を垂れ下げ、海は深く紺碧に果てしなく。潮風が魔女の髪を揺らす。

高さ百数十メートルを誇る断崖が両側に果てしなく連続し、あたかも世界を断絶する壁のよう。絶景と評するのが正しいだろうか?



これは傷痕である。数多の命を飲み込んだ悲劇の地。

魔女は瞳を閉じて祈るように、右目を覆う眼帯を撫でながら風に身を任せる。


彼女は勝利者である。

完膚なきまでに敵を蹂躙した。

しかし彼女は知っている。そのあまりにも大きすぎた代償を。


大地は崩落し、

億を数える数多の命が失われ、

そしていくつかの文明が消失した。


間違ったとは言わない。思っていない。


戦いは必然であり、それは彼女の誕生からすでに宿命づけられていたものだった。

戦いは彼女が望もうと望まざろうと続き、彼女は多くを守り、多くを失った。

失うことには慣れていたが、だがそれでも、200年前のあの災厄はいまだ深く彼女の心に影を落とす。


終止符はいまだ打つことが出来ない。


彼女は左手に持った花束を岸壁に投げ入れる。故郷を失った人々へ、命を失った人々へ、家族を失った人々へ。悼むように。

青く果てしない目の前の海は、嘆きと悲しみと共に花束を飲み込む。花は海の底に眠る人々への手向けになるだろうか?


そして彼女は、


「?」


ふと足元に何かを見つける。

それは鮮やかな赤色のガラス板のような小さな欠片。

魔女は左目を細め、そして溜息をつく。

光の反射の加減が、色を見間違えさせたようだ。

真紅ではなく赤紫。

女は手を伸ばす。

それは1センチにも満たない小さな欠片。

そのまま欠片を天にかざす。欠片に映るのは文字の呈すら為さない黄金の文様。

俗に書片(レターピース)と呼ばれる、文書の欠片だ。

これが小指第一関節ほどの大きさ、欠片の中で踊る黄金の文字が判別できる大きさにもなれば、それは『妖精文書』と呼ばれる。



『妖精文書』



その大きさからは想像できないほどの力を秘めた神秘の宝石板。その内部には黄金の古代文字が現れては消えるように見える。

文書は全13種類。その一つ一つが魔術とは一線を画する力を有している。

有史以来、その力は多くの欲望を引きつけ、数多の栄光と破滅を歴史の舞台に刻んできた。

200年前の悲劇もまたその一つに過ぎない。

そんな一つさえ、防ぐことが出来なかった。

そんな自分が英雄と、真紅の魔女と讃えられる。

魔女は皮肉気に自嘲し―


「………―様」


ふと後ろからかけられた抑揚のない声に振り向く。

その声は200年の時を溯っていた魔女の精神を現実に呼び戻した。

振り向いた先に佇むのは一人の女。頬から首筋にかけて幾何学的な刺青のような文様を持つ長い銀色の髪の。

魔女はふっと笑い、刺青の女に正対する。人形のように、否、人形じみた、作り物めいた美しさを持つ女。


「ロベリア様、それそろ時間です」


女は感情の見えない瞳で魔女を正視する。詰まらない女という印象を与えるが、魔女は彼女が意外と感情豊かであることを今回の旅で発見している。


「……ふむ」


魔女は顎に手をやって少しばかり思案する。何やら予感がしたのだ。何かが始まる、そういう前兆じみた何か。


「いかがなさいましたか?」

「……いや、なんでもない。ここは冷える。帰ろう」

「はい」


魔女はそう言い残すと、岸壁を後にした。




そのちょうど6時間後、

この惑星全域の上空において、まるで異界の彼岸を思わせる鮮やかなオーロラが観測された。












[27798] Phase001-a『エルフさんといつかのプロローグ①』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/05/15 16:57



「で、まじでエルフっ娘になったのか」

「娘って言うな。娘って」


少し小洒落た和風飲食店の席。後藤隆は先程の事件で自分を救った魔法少女(仮)と相対していた。

少女はヨーロッパ人種の容貌をしており、生粋の日本人である後藤との組み合わせは、客観的に見て違和感がある。違和感の原因はそれでけではないが。

少女の三つ編みで後ろにまとめられた髪は明るい日の光のような金、大きく愛らしい瞳もまた宝飾の黄金。歳のころは12、3歳ぐらいだろうか?

清楚ながら金糸の刺繍が入った淡い青のワンピースを纏い、椅子の上で足を揺らす姿はどこに出してもおかしくない、異国のお嬢様に見えるだろう。


その妙に長く尖った耳を除けば。


そして二人が放つ最大の違和感の正体は、中学生ぐらいの金髪少女と30くらいのおっさんという、どことなく犯罪性を思わせる組み合わせであった。

が、男はそんなコトを気にも留めず目の前の絶世の美少女ならぬ、エルフ耳魔法少女(仮)にその視線を注いでいた。


「ていうか、何で来たそうそうに正体バレたんだろう。しかもこんなヤツに…」

「いや、それは単純にお前が迂闊なだけだろう。つーか、お前隠すつもりあったのか?」

「いや、まあ、だって、そもそもお前と会うなんて想定外だったし…」


少女はごにょごにょと言い訳を独りごちりながら、出された湯飲みを右手で取って緑茶を音を立てずに口にする。

そして首をひねった。


「緑茶は久しぶり…、けどなんかどこか違うような?」

「そうか? 普通の茶だぞ」


男はそんな少女の言葉に怪訝な眼を向けて湯飲みを手にズズっと音を立ててすする。と、少女ははっとした様に声をあげた。


「おうっ、それだそれ。何か忘れてると思ったら、日本人って茶を飲むとき音立てるんだよな」


少女はうんうんと納得し、嬉しそうに湯飲みをとって口をつけ、止まる。そして湯飲みから口を離し、


「…長年の習慣ってのは恐ろしいな。音を立てて啜ることにものすごい抵抗を感じちまったぜ」

「欧米かっ」

「懐かしいなーソレ…。何だったっけ? 思い出せねぇ」


少女はあーでもないこーでもないと腕を前に組んで考え込む。

男は苦笑する。本当に今日はとんでもない日だ。訳のわからない事件に巻き込まれ、魔法少女(仮)に間一髪で助けられた。

そして、その魔法少女の正体は、気の置けない彼の親友だった。ただし、男が覚えている限りにおいては彼女は彼、つまり生物学的には男であった

本当にとんでもない展開だ。

本当にとんでもない展開。まるでテレビアニメのワンシーンのような。

二人を引き合わせたのは白昼堂々の怪異。男が心のどこかで望んでいた非日常。

しかしそれは、彼の夢想していた心躍らせる冒険ではなく、無辜の人々を牙にかける脅威だった。





Phase001-a『エルフさんといつかのプロローグ①』






― A.D.2010.July  ―


「…結構時間食ったな」


それは丁度、男、後藤 隆が出先から職場に帰る途中だった。白のワイシャツと、灰色のスラックスに身を包む彼は、30代前半ぐらいだろうか。精悍な顔つきであるため、良い男の部類には入るであろう。

うだるような夏の暑さに焦がされた大気。地上を焼くような強烈な日差しと、鉄板焼きにも似たアスファルトの照り返しの灼熱。

時節はまだ7月の下旬であり、これから8月9月とこの猛暑が続くのだろう。諦観にも似た気分に後藤はため息をつき、ネクタイを緩め、空を仰ぐ。

晴天。圧力すら感じる陽の光を遮る雲は無く、男はもはや我慢の限界だったようで、時刻は丁度昼前ということもあり、涼をとるついでに昼食でもと考えていたその時だった。


「こ…これは俺の金だっ!」

「だから、それを確認させて下さいと言ってるんです」


何やら前方で揉め事があったらしい。カバンを抱きしめるように抱えた男が、警察官二人に職務質問されている姿。

カバンを抱えた男はどこかよそよそしく、何か後ろめたいことがある様子にも見える。

と―


「コレは俺のものだ…、渡さねぇ…、絶対に渡すもんかぁっ!!」

「ちょっ、待てっ!」


カバンの男が急に警察を振り切って走り出す。警察官はそれを追いかけ、カバンの男に掴みかかる。そうして、路上に押し倒されるカバンの男。


「大人しくしろっ。署まで同行してもらうぞっ」

「クソッ、渡してたまるかっ! この…カバンは俺のだっ! うわぁぁぁぁぁぁっ!!」


大声で喚き叫ぶカバンの男。押し倒された拍子に宙を舞う茶色のカバン。

周囲の通行人たちは白昼の逮捕劇を、カメラ付き携帯電話で撮影する。事件はこれで終わるはずだった。

本来ならば。


「おい何だ?」「様子がおかしいぞ」


何やら周囲の野次馬がざわめく。偶然通りかかった後藤もまた、何かと背伸びして様子を伺う。そして次の瞬間、


「は?」


それは目を疑う光景だった。まるで爆風のように、野次馬の群れの中心から吹き出した無数の紙ふぶき。否、それは無数の紙幣。一万円札の嵐だった。


「…っ! 何の冗談だコレっ!?」


白昼堂々引き起こった怪異。野次馬たちが逃げ出す中、紙の洪水が視界を塞ぐ。しかし後藤隆は目撃した。

事象の中心部から眩い青い光。それに呑み込まれた人間が、その肉体が紙、紙幣に変わっていく姿を。

目を疑う。眼前の男の肉体が四肢の先からどんどんと紙幣へと変じてゆき、めくり上がって散乱していく。それはまるで、人間の身体が最初から紙で出来ていたかのようにも見える錯覚。

後藤もまた身の危険を感じ逃げ出す算段を取るが、


「なっ!?」


ずぶりと、後藤の足が大地に呑み込まれる。

慌てて足元を見ると、そこには紙、紙、紙。

アスファルトが、道路が紙幣に変わったかのように、否、実際に置き換わったのだ。

大地が大量の紙幣へと置き換わり、後藤の足を呑み込んだのだ。そして、眼前で膨れ上がる紙の壁。後藤は紙幣の洪水に飲み込まれる。


「ぐわぁぁぁぁっ!!?」


理解できない。意味がわからない。だがこのままでは自分もあの光に飲まれ、紙幣に変わってしまう。性質の悪い冗談にしか聞こえないが、それだけは後藤にも漠然と理解できた。

だから後藤は必死に成って紙幣の海を泳ぐ。一刻も早く事象の中心から離れるため。この怪異から逃れるにはそれしかないからだ。そして、なんとかその海から顔を出した瞬間―、



「―ウグ・ラ・レイ!!」


― 閃光 ―


「熱っ!?」


一条の白雷が後藤の顔の真横を掠り、通過した。光は白熱。肌を焦がすような熱を放ち、事象の中心部へと到達、爆発を引き起こす。

後藤はその爆風ではね飛ばされる。そのままアスファルトをゴロゴロと転がる途中、彼は一部始終を目撃した。

事象の中心、青い光の源に向かって疾走する、金色の髪の少女の姿を。

少女はそのまま光の源に右手を伸ばし―


「封書っ!!」


クレーターのようにすり鉢状になった地面の上、少女は青い光を放つ、何か石のようなものを右手の平で掴み取る。

すると、少女の手の中で青い光は徐々にその明るさを失い、終にはただの青い石へと変わってしまう。

理解しがたい光景。しかし、これだけは理解できた。自分は助かったのだと。自分は目の前の少女によって救われたのだと。

舞い散る紙片は爆発によりちりじりになり、紙幣としての価値はもはや無い。そんな巻き上げられた紙片が舞う中、後藤は少女から目を離せないでいた。そうして思わず、


「魔法…少女?」


そんな頭の悪い発想を口に出してしまう。この男の脳の構造では、こういう事態を収拾してしまう金髪の少女=変身ヒロインという図式が成り立っているらしい。

魔法少女(仮)が男に振り向く。その視線の先にはおそらく自分。その表情は、何か気遣うような、心配そうな表情で、


「怪我は無いか?」


魔法少女(仮)はそう言って後藤に左手を差し出す。その時、後藤は自分が腰を抜かして立てないでいる自分に初めて気づく。

とはいえ、目の前の少女は西洋人の容貌であるが、おそらくは十代前半に見え、そんな年下の少女の手を借りて立ち上がるのに気恥ずかしさを覚えた後藤は、差し出された手に首を横に振り、


「いや、自分で立てる」

「そっか、何よりだ」


後藤は立ち上がり、改めて魔法少女(仮)を見つめる。舞い散る紙片の量が少なくなり、ようやく互いの顔がはっきりと確認できるようになる。

少女は男が今まで会ったどんな女性よりも愛らしく美しい。創作の中で語られる絶世の美少女という表現が当てはまるとするならば、それは彼女だろうと評するほどに。

だが最も目についたのは、その耳。ホモ・サピエンスの平均的な丸みを帯びたその形とはかけはなれた、細長くピンと尖った耳。

後藤はそんな少女の容貌に息を呑んだ。

しかし、息を呑んだのは魔法少女(仮)も同じだったらしい。

魔法少女(仮)は目を丸くして、


「後藤?」


何故か、見ず知らずの自分の名前を口にした。後藤は追及する。


「なんで俺の名前を知ってる?」

「…はっ、しまった!? なんということだ」


―そうして、

そんなワケで、問い詰めてみたら正体が露になり、警察から逃げるようにして現場を離れ、冒頭に至るわけである。


「ていうか、その身体でその口調は似合わないぞ」

「判らんでもねぇーけどさ、お前に会ったら、なんか昔の口癖が出てきたんだよ」


少女は苦笑しながら応える。実のところ、後藤との再会もまた天文学的な確率での偶然だったらしい。

後藤は、大きく変わってしまった親友の姿とかつての姿を見比べるように、改めて目の前の少女を上から下へとまじまじと診察でもするかのように見つめる。そんな視線に少女は居心地の悪さを感じる。


「しかしお前が…ねぇ」

「う、なんだよ」

「異世界トリップ+転生+TSとか、どんだけテンプレなんだよ。ありえねー」

「言うな。ありえないってのは十分承知だぜ」


さらに後藤が茶化す。少女は渋々同意する。それは確かに、あまりにも突飛な話。文字通り“ありえない”。

後藤の目の前にいるお嬢さんは、間違いなく4年前に死んだはずの親友と呼んでも差し支えの無い人物なのだから。

ただし、後藤の記憶が確かならば、当時その親友は生物学的には男であった。断じて、こんなに愛らしい、妖精のような容姿の少女ではなかった。

そう、後藤の親友であるところの『彼』だったモノは、何の冗談か異世界などに輪廻転生し、あまつさえエルフさん(♀)になって帰ってきたのである。

本来ならば正気を疑うような展開。


「しかもエルフ耳で魔法少女、どんだけって感じだな」

「うっさい、あと魔法少女言うな。アタシは決してカードを集めたり、砲撃とかしたりはしない」


とはいえ、後藤の方はこの正気を疑うような展開に難なく適応しているらしい。どうやら、先程に遭遇した怪異のおかげで、ある程度のサプライズに耐性を獲得したらしい。


「つか、一人称『アタシ』?」

「変か? 一応目立たないようにって口調とかは気をつけてみたんだけど」

「…お前さ、言葉以前に何故耳を隠さない。そんな耳してたら周囲から浮きまくりだぞ。ただでさえこの国じゃ外人は浮くからな」

「うっ…」


後藤は少女の耳を指差す。図星を指されて少し落ち込んだのか、長く尖った少女の耳は下向きにしなっとなっている。


「いやさ、ちゃんと術が効いてれば大丈夫なはずだったんだぜ」

「術? 魔法か?」

「まあな。認識阻害系の奴で、ちゃんと作動してたら耳とか普通に見えてたはずなんだけど、全然効果なくてさ」


いわゆる灯台元暮らしというか、誤認による認識阻害。人間は目で見たモノそのままを視覚情報として認識するわけではなく、脳内である程度修正を加えた上で認識する。

曰く、そういった『勝手な思い込み』を利用した幻術を使用しており、正しく作動していれば、相手は視覚情報を自ら常識によって修正し、勝手に誤認するはずだったのだとか。

と、ここで店員がお盆に赤い漆器で出来た箱を二つと汁物の入った椀、そしてお新香を運んでくる。


「うな重竹二つ、お待たせしました~」

「う…」


少女が箱を凝視し、呻く。


「う?」


後藤が少女のうめき声に怪訝となるが、その瞬間少女は、


「うな~~~~っ」


妙な声を上げた。


「うな?」

「う~~なっ♪ う~~なっ♪」


少女は満面の笑みを浮かべ踊るように箱の蓋をとる。どうやら相当、目の前にある鰻の蒲焼にご満悦の様子らしい。

そして変な歌を歌いながらリズムに身体を揺らしつつ、うな重に箸を勢い良く突き入れて、


「いっただっきまーすっ」


たどたどしく一口、鰻を口に運ぶ。箸の使い方をイマイチ思い出せていないようだ。


「はく…。ん~~~、ん~~~」


笑みを浮かべながら悶えだす。喜びを表現しているらしい。


「これは、反則…」


後藤は良くわからないが、エルフのその表情に密かに萌えていた。不覚にも、かつて男であった親友に。

やはりかつての『彼』と目の前のエルフっぽい何かを完全に同一視することは少しばかり困難らしい。

というわけで、後藤は思考を放棄し、目の前の生物に素直に萌える事にする。人間、素直になるのが一番なのだ。


「なんという破壊力」

「だよな、やっぱり土用の丑の日は鰻だよなっ」

「この魅力には抗えないものがあるからな」

「この油の旨さと醤油と味醂の香りがっ」

「輝きと形が違う」

「そうそうこの照りが。やっぱ国産が一番だよな。ふわふわだなっ」

「俺はふにゃふにゃになりそうだ」


微妙にかみ合っていて、噛み合っていない会話。しかしと後藤は尋ねる。


「蒲焼はまあ、判るとして。鰻は向こうにいないのか?」

「似たようなのはいくつか居るな。だけど醤油と味醂がないと。あと米」

「米ないのか?」

「ねぇな」


少女が小さな口で白いご飯を口に入れる。顔がまたふにゃっと綻んだ。男は萌えもだえる。


「へ、へぇ、そ…そりゃあ帰ってきたくもなるよな」

「米で納得かよっ」


後藤は挙動不審な自分が目の前の少女に気付かれなかったことに安堵した。


「日本人が異世界から帰る理由は米」

「断言かよ。まあ確かに米には飢えてたが」

「しかしよく(米のためだけに)帰ってこれたよな」

「語られなかった部分についてはあえて突っ込まんが……。協力してくれたヒトたちもいるからな」


遠い眼をして、どこか楽しそうな。


「ふぅん。手ぇ貸してくれる奴いたんだな」

「まぁな。何ていうか、迷惑かけっぱなしっていうか」


少女は思い出すように、苦笑する。


「お前はヘタレだからな。それぐらいで丁度いい」

「うっさいわ」


憤慨する少女をからかい笑う後藤。少女は舌打ちしつつ、お茶がなみなみと注がれた湯飲みに手を伸ばす。


「へゃうっ!?」


いつの間にか店員さんがお茶を淹れ直していたせいで、高温のお茶に舌を火傷。エルフさん涙目。


「あづひ…」

「お前、どれだけ人を萌えもだえさせれば気が済む」

「萌へ?」


舌を冷ましながら少女は怪訝な表情で問いかける。


「お前。もう、どこからどうみても萌えキャラな」

「も、萌へキャラ…? どこをどう見たりゃしょうにゃりゅ?」


抗議の声。ちなみに舌はまだ痺れてるらしい。


「なんていうか、そのバカっぽいトコとか、迂闊なトコとか」

「ば……バキャっ!? 喧嘩売ってんにょきゃっ?」

「じゃー、さっきのウナ重踊りは?」

「うにっ…」


確かにバカっぽい。


「猫舌で涙目?」

「にょ…」


まだ舌がヒリヒリしているそうです。


「ロリ・エルフ耳・魔法少女。ほら、要素詰め込みすぎだろ? ランドセル(赤)が似合うだろ? 白スク水が似合うだろ? 俺の事はおにいたんと呼べ」

「にゃ、にゃんということだ…。あ、アタシは、萌えキャラだったのか…」


少女は愕然と頭を抱え、両肘を机の上について苦悩する。


「まあ、エルフ(女)に転生した時点でアウトだろう」


ストライクとも言う。


「そ、そうだよな…、エルフ(♀)に転生したら普通だよな、これぐらい」


エルフは錯乱している。


「その時点で普通じゃないことに気付け」

「うっせぇ…。もういいや、萌えキャラで…」


少女はうな垂れた。そのまま肝吸いに手を伸ばす。香りをかいで少し笑顔になった。割と単純らしい。

と、ここで後藤がコホンと咳払いをし、ずいと身体を前に出す。


「ところで…改めて聞くが、さっきのは一体なんだったんだ?」

「さっき?」

「おう。あの、人間が万札に変わっていったやつだ。その、魔法とかと関係あるのか?」


話は、ほんの二十分前の出来事に。あの後、二人は警察の事情聴取などの厄介事から逃げるように、この和風料理店に席を移したのだが、その間、少女から件の怪異についての説明は一切無かったのだ。

自分の命にも関わったことでもあり、後藤は改めて先の件について少女に尋ねる。


「コイツが分かるか?」

「ん?」


少女は腰の小さなポーチから何かを取り出し、テーブルの上に置く。それは見間違い出なければ、先の事象の中心で青い光を放っていたモノだった。

それは一辺が3cmほどのガラスのように薄い板状の欠片であり、金色を散らした澄んだ瑠璃色。良く見ればその金色は何やら文字のようにも見え、不思議なことに宝石板の表面に浮かんでは消え、踊っているようであった。

神秘的な青の宝石。まるで小宇宙のような煌めきに、後藤は引き込まれるような錯覚を覚える。


妖精文書(グラム・グラフ)と、そう呼ばれてる」

「さっきの事件の時のヤツ…だな。…その、大丈夫なのか?」

「ああ。封書…、つまりは、一応封印処理はしてるから、さっきみたいに暴走はしないぜ」

「暴走?」

「うん」


少女は頷き、一呼吸置いた後説明を始めた。

少女曰く、妖精文書とは魔法とは全く異なる原理により、あらゆる原則を覆す超常のアーティファクトであり、13色13種類の、金色の古代文字が内部に躍る宝石板である。

ヒトのあらゆる願いに感応し、それを無秩序に叶えようとするが故に、適当な制御系に組み込まなければ、大規模の文書に至っては暴走し、大災害―『文書災害』を引き起こす可能性を孕む凶器でもある。


「さっき暴走したコイツは、妖精文書第四類型『青』。存在の性質を改変する力を持つ文書だ。制御されていない妖精文書は自らの持つ能力に従って、所有者の願いを勝手な解釈で叶えちまう。例えば、金持ちになりたいなんていう願望なら、周囲の物質を紙幣に変えたり…だとかな」


そうして妖精文書は暴走し、所有者以外の存在、彼を取り押さえようとした警官、野次馬達、アスファルト、土くれを一万円札へと『変換』したのである。


「危ないな、ソイツは。なんでそんなモンがあんな場所に?」

「さあ? それはアタシも判んねぇ。ただ…、アタシの師匠はアタシが転生した原因に妖精文書が関わってるって疑ってるみたいでさ。アタシがこっちの世界に戻って来たのもソレがらみなんだぜ」

「あの事故にか? じゃあ、お前はその、妖精文書とやらを集める為に魔法の世界からやって来た魔法少女という設定なのか?」

「何でアタシがそんな面倒なことせにゃならん。スポンサーの思惑は別みたいだけど、アタシは単に、もう一度日本に戻ってきたかっただけだぜ」

「なんだ、ヘタレめ」

「うっさい、ヘタレ言うな」


そう悪態をついて、少女は最後の鰻の一切れを口に放り込む。どうやら後藤の方も食い終わったらしく、


「…そろそろ出るか。ご馳走様」


一服の後、二人して席を立つ。すると後藤は上着の懐から財布を取り出し、


「ここは俺のオゴリな」

「むしろアタシはこっちの金もってねぇ」


文無しだと少女はひらひらと手を振る。


「…そういやお前泊まるトコあんのか?」

「唐突な話題だな。まさかっ?」


少女が我が身を庇うように男から一歩下がる。


「いや、違う。そもそも家には嫁がいるから」

「お前、結婚してたの? マジでっ?」

「まあな、1年前に…じゃなくて、そのだな、泊まるトコないんだったら―」


本気で心配している目。少女はため息をついた。


「アタシみたいなの、どうやって泊める気だ? 今日から犯罪者やってみっか?」

「無理か…」

「嫁さんになんて説明すんだよ。ロリエルフ拾いますた? マジ笑える。家出少女拾うよりもありえねぇ」

「召喚?」

「アホ。まあ心配すんな。サバイバルとかは魔女の基本だぜ?」


と、少女は胸を張って大丈夫だと主張する。しかし、後藤はそんな彼女の言い分をいぶかしむ。


「で、具体的には?」

「…野宿とか?」

「ド阿呆」

「いて」


おどける少女に後藤は軽くデコピン。そして、


「お前の耳と、何か魔法でも見せてくれれば嫁さんも納得するとおもうからさ」


後藤は照れ隠しに頬を指で掻きながら少女に語る。その言葉の真摯さに、少女は目を見開いて、面白いほど焦りながら声を荒げた。


「いやいやいや、お前少しは考えろよ」


後藤は笑う。やはりコイツのヘタレは死んでも治らないらしい。コイツが何よりも嫌がるのは、自分の周囲が自分のせいでリスクを負う事だ。身内が困っているときは率先して手を差し伸べるくせに。

だから、いつも苦労を背負い込んで、いつも肝心なときに行き詰る。


「それに…死んだと思ってたバカがこうして帰ってきたんだ。しかもこんなナリでな。ほっぽり出せるわけないだろう? 大人しく来い。反論は許さん」

「………」


少女は少しの間逡巡する。

そして見逃してしまうぐらいに小さく口元に笑みを浮かべて、後藤に聞こえないぐらいの小さな声でバカ野郎と呟くと、


「お前、すげぇイケメンな」

「今頃気づいたか」

「はっ、後悔するぜ阿呆が。新婚さん家庭に突撃かよ……。寝取ってやる。主にベッドの位置。オマエはソファーの上だ!」


宣言した。


「酷でぇ…」

「ちなみに前の名前とかで呼ぶなよ後藤。これからはルシア様と呼べ」

「ルシアたん萌え~」

「やっぱ殺すか…」


手から雷をビリビリするエルフ。そんな少女を見て、男は、


「でもまあ、まさかお前とこんなカタチで再会するなんて、人生何があるかわからないよな」


何があるか分からない。開けてみないと判らない。

ふと少女は何かを思い返すように、静かな笑みを浮かべ。出入り口の戸に手を掛ける。


「どうした?」

「いや、そうだな…。今日もいい天気だって、思っただけだ」


少女は思い切り引き戸を開き、妙に吹っ切ったような笑顔で後藤に応えた。

振り向き様に振り乱された彼女の髪を、夏の日差しがまるで光の糸のように輝かせる。

だけどそれ以上に、少女の笑顔が明るく輝いて見えて、後藤は思わず息を呑んだ。









[27798] Phase001-b『エルフさんといつかのプロローグ②』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/05/16 00:45

それは、彼女の主観においておよそ半年前のこと。彼の主観においてはほんの一月前のこと。


「………」

「…えーと」


ルシアは冷や汗を掻きながら苦笑いを浮かべ、重厚な木製のデスクの前に座る女性に対峙していた。

ルシアを冷ややかな視線で射抜くのは、ウェーブがかった灰色の長い髪の、隻眼の女性。金の刺繍に飾られ黒を基調とした、深いスリットと大胆に胸元が開いたドレスを着こなす姿は、いわゆる妖艶な魔女といったところか。

彼女はルシアにとって魔術の師であり、大恩ある人物。

ロベリア=イネイ。

真紅の魔女との異名をとる彼女は、この世界でも屈指の魔法使い。しかしその肩書きに似合わず、フランクな性格の持ち主で、気安い相手でもある。今で家族と言っても良いほど信頼を寄せている相手だ。

そんな彼女の前でルシアが緊張を強いられているのは、要は大ポカをやらかしたからだ。

致命的なミス。いや、あんなモノを見せられたのだから仕方がないといえば仕方が無いのであるが。

ルシアはロベリアの視線を前に居た堪らなくなり、視線を女性から外す。周囲には所狭しと書物や、魔術工芸品が無造作に散乱しているのが目に入る。

ルシアはこのヒト相変わらず片付けられない女だよなぁと、なかば現実逃避する形で取りとめのないことを考える。


「今までは不問としていたがの。今回ばかりは答えて貰わんとな」

「えーと、なんのことでせう」


気だるそうに、ロベリアはルシアに視線を向ける。必死にあさっての方向へ目線を逸らすルシア。挙動不審さがモロバレである。

大ポカ。

ロベリアに呼び出され見せられたモノ、それにルシアは思わず絶句をしたのだ。

自動小銃。

この世界には在り得ない武器。ルシア自身はミリタリー系の知識に前世でもさほど詳しくは無かったが、映画やニュースなどで何度も目にしたことがある。米軍の歩兵がよく手にしているヤツだ。

とはいえ、銃という兵器体系自体はこの世界にも存在している。

火薬を用いて金属の礫を高速で射出する武器は、魔法が発達したこの世界でも有用な武器として認知されているからだ。

とはいえ、問題はルシアがコレを銃であると見抜いたことではない。問題となったのは、ルシアがコレを見たときの不審な反応であり、そしてこの銃を構成する物質にある。

材質はアルミニウム合金であり、そしてアルミニウムそのものはこの世界にも存在する。しかし、発見された銃に用いられたタイプのアルミニウム合金を生産している国や組織はこの世界の何処にも存在せず、さらに―


「この銃の材質からは霊子あるいは霊電子が検出されなかったそうじゃ」

「へ、へぇ~、そーなんですか~。第一都市の発掘ででも見つかったんですか?」

「より厳密な検査によれば、この物質の原子核を構成する陽子には霊荷が無い事も判明した」


しらじらしいルシアの反応を無視して、ロベリアは説明を続ける。


「………」

「驚かんようじゃな」

「い、いえ、とってもとっても驚いています」


この世界の物理は、前の世界のそれと根本的に違うことがある。つまりは、魔法というものがあり、それを実現する物理、魔力相互作用が存在する点だ。

魔力。この世界には洒落でも冗談でもなんでもなく、魔法が存在し、魔力という力が厳然と世界に存在する。魔力とは、この世界において重力や電磁気力と同様、この世界の基本的な5つの相互作用の一つだ。

その物理に従うならば…、この世界の物質には霊荷と呼ばれる、電荷や色荷とは似て非なる力が働いている。

この世界の標準模型についての説明は省くが、要は、霊荷を持つ原子核は、電子を捕捉して電磁気学的に安定化するように、霊子あるいは霊電子と呼ばれる霊荷を持つレプトンを補足することで魔力物理学的に安定化しているはずなのである。

よって、この世界のAl原子ならば、原子殻の内部に必ず霊子を原子内に保有しているはずだ。

要は、この世界のアルミニウム原子には霊子という成分が含まれているはずなのに、今回問題となった銃に使われているアルミニウムにはそれが無い。つまり、この銃に使われている物質は根本的な意味で『この世界にはありえない』のだ。

この世界には。


「お主、何故異なる世界の武器を知っておる?」

「いいい異世界ですか?」

「何故、儂の目を見て話さん?」


隻眼の魔女の瞳がジロリとルシアを捉える。


「気のせいです。果てしなく気のせいです」

「…お主、要らん所で強情じゃな。うむ、ならばこちらにも考えがある」

「か、考えですか? できれば考え直してもらえませんか…なんて」


冷や汗ダラダラのルシアさんはカタカタ震えながら、おそるおそる魔女様に懇願。

しかし、ルシアが次に見たのは、両手をワキワキさせながら、いつのまにか彼我の距離を目と鼻の先程にまで接近し、とってもとっても邪悪な笑みを顔に貼り付けた―


「さあ、吐くのじゃ♪」

「ひっ、ひぃぃぃぃぃぃっっっっ!!?」


ざんねん。ルシアのぼうけんは、おわってしまった。





Phase001-b『エルフさんといつかのプロローグ②』




「はっ!?」


ばっと顔を上げ、周りを見れば車内。隣にはハンドルを握る後藤の姿。どうやら少し眠ってたらしいと、ルシアは助手席で一度伸びをする。


「起きたか。疲れてたのか?」

「…まあな」


内装はゆったりとしており、座席のカバーは黒いレザー調。インテリアトリムは木目を模したもので、曲線を描く肘掛など高級感を感じさせる。

ルシアは時の流れをしみじみと思う。

大学時代は痛車で峠を席巻していたコイツが、今ではこんなに大人し目の車だなんて、ホモサピエンスって成長するもんだなあと。


「アタシ、どのくらい寝てた?」

「ほんの20分ぐらいだ。何かうなされてたようだが?」

「ちょっと、夢見が悪かっただけだぜ」

「ふうん」


ルシアはさきほど見た夢を思い返す。

アレはおよそ1年前の事だ。この世界と異世界の間になんらかの物流があることの証拠。そして、そのブツについて何か知っているらしい自分。

あの後、ルシアは彼女の師匠に洗いざらい、それまで曖昧な形で隠していた転生者であるといった秘密などを吐かされたわけである。

まあ、そのお陰もあって、こちらの世界に渡る術式の開発を手伝ってもらえ、帰還が早まったのだけれども。


「はぁ」


ため息をつく。

先の昼食の後、後藤は一度仕事に戻り、ルシアは久しぶりの日本を散策を楽しんだ。そして、その後待ち合わせをして、車で拾ってもらい、今に至るわけである。

後藤の住むマンションは、車で1時間ほどらしい。6月であり、まだ空は明るいものの、しばらくすれば夜の帳が降りるはずだ。

高速に乗り、FMをBGMにしばらく抑揚のない景色が続く。コンクリートやアスファルトで固められ、無数の乗用車が所狭しと行きかう現代都市は、長い時間異世界に放り込まれていたエルフの少女にとっては懐かしいのか、彼女は珍しそうに周囲の景色を眺める。


「やっぱ、こっちの車は快適だよな」

「向こうはどんなんだったんだ? やっぱファンタジーらしく馬車?」

「ん~、基本的には馬車が多いかな。普通に出回ってる馬車はこっちみたいなタイヤとかサスペンションとか無いし、街道の状態も良くないからな」


向こうの世界で一般的な馬車などは、車輪にゴムを装着するなどの工夫はされているものの、空気を充填したものや、質の良いバネが無いので、大抵の馬車は振動がひどい。

魔術による振動軽減は、空気バネの原理を用いたものであるが、高価なので一部の馬車にしか装着されていない。


「つーことは、文明レベルは中世ぐらいか?」

「いや、中世と近代が混ざったような感じ…かな。魔法関連の技術で、精霊機関っていうエンジンがあって、自動車とか列車とか…、あと飛空艇とかあるぜ」


ファンタジーという要素がある以上、コチラの文明とは異なる進化を辿るのは必然。コチラから見た時、『アチラ』の世界の文明はさぞ歪に見えるだろう。


「飛空艇っ? ファンタジーっぽいのキタっ!」

「こっちには食いつくのな」

「ロマンだろうっ。シドだろうっ! プロペラ萌えっ!!」

「声おっきい」


でもまあ、分からないでもないとルシアは同意する。ファンタジーのギミックの代表格。男というイキモノは空を飛ぶ乗り物に憧れるものだ。


「しかしエルフもいるとなると、俄然ファンタジーってかんじだな。オークとかゴブリンとかもデフォ?」

「ドラゴンもスライムもいるぜ」


ちなみに異世界だからってドラゴンはお姫様を攫わないし、スライムの頭は尖がってはいない。ゴブリンもそんなにヒトを襲わない。

そもそも爬虫類が哺乳類に性的な魅力は感じないし、スライムは表面張力で丸くなるのが自然。ゴブリンは今では辺境に行かなければお目にかかれない。


「ほう、夢が広がる」


後藤の脳裏に美少女が竜に騎乗して空を飛ぶ浪漫溢れるファンタジーな世界が再現される。


「ドラゴン超強暴だけどな。目の前にしたらロマンとか夢とか言ってる間に胃の中だぜ」


ルシアの脳裏に後藤が竜に咥えられて空にかっ攫われる仁義無きファンタジーな世界が再現される。


「リアルドラゴン見たことあるのか?」

「まあな。火竜とか超カッコイイぜ。超音速で飛ぶし、熱線吐きやがるんだ。連中、たぶんこっちの戦闘機よりも強ぇえぜ」


さらに言うなれば防御力は若い竜でも第三世代MBTの前面装甲以上(リアクティブアーマー付き)。熱線の焦点温度は6,000℃、射程は10kmに及ぶ。戦闘機の速度とヘリコプター並みの機動力を持ち合わせたチート生物である。


「ほう。じゃあ、竜殺しってのは夢のまた夢か」

「いんや、アタシの魔術の師匠なら多分できるんじゃねぇかな。アタシでもワイバーンぐらいなら狩ったことはあるぜ」

「おおうっ、リアルモンハンですか?」

「紋斑? ああ、モンスターハントか。まあ、竜鱗は高く売れるからな」


熱や衝撃に強く、硬くて軽量。しかもエレガントな艶と質感から、高価な鎧や装飾品に使用される高級素材。


「むふ~、じゃあ、もしかして触手モンスターとかに(性的な意味で)襲われたこともあったり?」

「…しょく?」


と、後藤は変態という名の紳士なのでそういう展開をちょっと期待。うねうね。


「はっはっは、流石にソレは無いか。いくらエロゲの定番でも、実際に女を(性的な意味で)食べるモンスターとか在りえないもんなー」

「…しゅ」


あっはっはと笑う後藤。

そもそも触手を使って女性にあんなことやこんなことをしてしまうモンスターなど、色々な意味でネタ生物である。在り得るはずは無い。

が―


「(ガクガクガクガク)」

「へ、何震えだしてるの?」


ルシアの様子が突然おかしくなり、


「らめぇ…、触手はやーの、ひゃうっ、うう…もう嫌ぁ」

「…ってまさか触手プレイ体験済み? それなんてエロゲ」

「はっ…、トラウマがフラッシュバックしちまったぜ」


エルフはふうと息を吐いて額の汗を袖で拭く。


「お、おらワクワクしてきたぞっ! らめぇって、ひぎぃじゃなくて?」

「シャラップッ! それ以上何も聞くな。OK?」


エルフさんの指の爪の先端が後藤の首に突きつけられる。


「OKOK。地味に怖いからヤメテクダサイ。特にノドはヤメテ」

「判ればいい」


突きつけられた爪が引っ込められる。後藤は左手の袖で額の冷や汗を拭き、ふうと息を吐き、運転中になんてことするんだとぼやく。


「しかし、色々面白そうだなファンタジー世界。俺も行って見たい。二泊三日で」


そして気軽な発言。まあ、RPGなどのテレビゲームや、アニメを見ている世代にとって剣と魔法の世界は憧れの対象ではある。が、それを聞いたルシアはヤレヤレと肩をすくめる。


「気軽に言うな。大体、ファンタジーなんて面倒だらけだぜ? ヌルイ現代日本万歳。アタシは思うね、島国農耕民族は大人しく中に引きこもるべきだって。大体さ、ファンタジーって言っても実際血生臭ぇもんだぜ」

「そうなのか?」

「向こうは人間の命が軽い。すぐに命のやり取りに発展するかんな」


解決手段が暴力に直結することが少なくない。国家が管理する警察機構が未熟なせいでもあり、武器の普及率が高いこともこれに拍車をかける。魔術師にいたっては、無手でも大量虐殺が可能な歩く戦術兵器とも言える。

傭兵崩れや食い詰めた農民が、盗賊や山賊を兼業する事も多く、また農民同士の水利権を巡る紛争みたいなのもある。

人里を離れれば、そこは魔獣やオークのような人を襲う危険な生物が徘徊しており、毎年これらに襲われて命を落す者も少なくない。

要は、剣と魔法の世界というのはつまり、剣と(攻撃)魔法がモノを言う世界という意味なのである。


「あと、向こうとコッチじゃ時間の流れの速さが違うから、老けるぜ」

「ウラシマ効果?」

「逆だけどな。向こうの時間、こっちの5倍速みたいだぜ」


ルシアになった『彼』が死んだのは、地球の時間、後藤の体感においては約4年前。だが、異世界の時間、ルシア自身の体感においては20年近い時間が経過していた。


「いや、それはお徳情報じゃないか? だって有給が5倍になるんだぞ」

「む、そういう見方もあるか」


こちらの時間で2泊3日の旅が、向こうで過ごせば2週間の大型休暇に大変身。有給休暇が5倍増など、趣味に生きる人種にとっては夢のような話。


「だろ? だから、何とかならないか? 危険地帯だって足踏み入れなきゃいいだけだろ?」

「…いや、ダメだって。そもそも行き来自体が難しいんだよ。今回だって結構無茶な方法使ったんだ」


しつこく粘る後藤に対し、ルシアは面倒そうな様子で説明する。


「無茶な方法?」

「膜宇宙論的な話になるんだけど、3次元の世界に属してるアタシ達の身体…というか物質が異なる世界に渡るためには、高次元との境界っていうか、そう、壁みたいなものを通過しなきゃいけなくて、…んで、トンネル効果って分かるか?」

「量子論のアレだよな。だけど―」


単純に言えば粒子が通れないはずの壁をすり抜けるって効果。難しく言えば粒子が自身が持つエネルギーよりも高いポテンシャルをもつ壁を通り抜けることが出来るという現象。

これは量子力学の不確定性原理、波動方程式に裏付けられ、これが無ければ太陽だって輝かない。トンネル効果により電磁気力の壁を飛び越える事できるからこそ、本当に必要な温度よりも低い温度で原子核同士が融合できる距離に至る事ができる。


「そこで変身の応用ってやつだ。量子論がモノを言う状態に変身すれば―」

「トンネル効果が発生するのか。つーか、変身って…」


後藤は少し突飛すぎる話に苦笑する。彼が想像する変身といえば、ゲームや漫画、創作で出てくる魔法や忍法とかだ。

とはいえそれらも狼やら近しい生物に化けるもの。素粒子に変身するという話はいまいちピンとこない。


「まあ、そもそも通常の変身魔術とは根本から違うけどな。ただでさえトランスフォーム自体高位魔術だし、第一、普通に使い魔と知覚を共有したほうが早いから使うやつは少ねぇ。ましてや変身ってのは身体への負担が大きいし、元に戻れなくなったり、自我が再現できなくなったりと結構怖くてな。多分、生物ですらなくなる変身に成功したのはアタシが始めてかもしれねぇな。量子化を基本にした今の方法だと直接こっちに妖精文書を持ち込めねぇし、純粋な魔術だけでだと不可能だから、結構な大掛かりな儀式魔法陣を―」


人差し指を立てて何やら説明しだすルシアさん。しかし男は飽きたのか、


「ストップ。お前は相変わらず理屈っぽいな。ヘタレの癖に」

「うっさいわ! あと誰がヘタレだっ」


一言多いと長耳を逆立てて憤慨するルシア。いちいちむきになる少女に、後藤はなんだか加虐心をくすぐられ、これは不味いと咳払い。


「コホン。まあ、それはいいとしてだ。お前、これから何するつもりだ?」

「ん? 何って?」


後藤が何を言いたいのか解せず首を傾げるルシア。


「いや、昼間言ってただろう。別に、妖精文書とやらを探したりするわけじゃない、単に日本に帰ってきたかったんだって。この後、家族にでも会いに行くのか?」

「家族か…、どうしようかな」


後藤の問いに対して、ルシアは両手を首の後ろで組んで空を仰ぐ。どうやら家族に会うことに対して迷っているらしく、そのことに後藤は疑問を覚える。


「何迷ってんだヘタレ」

「いや、そういうの予定してなかったし…。だいたいさ、一人息子はエルフ女になっていますた…だぜ? どんな顔して会いに行けと」

「喜ぶんじゃね? しがない隠れオタクが、金髪ロリエルフに」

「そんなシチュエーションにときめく親は、なんかヤダ」


大体、いまさら会ってどうしろって言うんだよとかなんとかと、ごにょごにょと煮え切らないエルフ。後藤はそんな彼女を、相変わらずヘタレだなと苦笑する。


「正直な話、死んだはずの息子が帰ってきたんだ。どんな変わり果ててても、五体満足で帰ってきたら喜ぶってのが親だろう」

「あー、まあ判らんでもないが…。つか、なにいきなりマジになってんの?」


少女が突然の男の真剣な表情に引く。


「いや、さっき結婚してるって言ってただろ。実は去年さ、娘が生まれてさ」

「マジかよっ!? ままままあ、オメデトウ」


衝撃的事実。かつて一緒にバカをやっていた親友に娘さんが出来ていたことに、大いにうろたえるエルフさん。

そもそもこの男が結婚していたという事実すらも信じがたいことなのだ。

確かに、この男は学歴も見た目も悪くはなかったし、話によるとこのご時勢で外資系の企業に就職してるらしい。そこそこイケメソでもあり、モテル要素は十分、つーか良物件という奴だろう。

しかし、コイツはOTAKUで、HENTAIで、同人サークル(親にはとても言えない品々を扱う)を主催してたり、学生時代には痛車で堂々と通学していたという、おそるべき経歴の持ち主なのだ。


「でも、なんて心の広い嫁さんなんだろう」

「うるさい、ヘタレエルフ。で、まあそういうわけで親の気持ちってやつ? なんとなく分かるようになってきたわけよ」

「ほー」

「写真見るか?」


そして、スッと胸ポケットからサッと取り出される1枚の写真。どうやらこの男、結構な親バカらしい。

写真にはコロコロと可愛らしい赤子が、自分を撮ろうとするカメラを掴もうと両手を上げる姿。


「お、カワイイじゃん。へぇ、お前が父親か…。もう立てるのか?」

「もうすぐだな。壁に掴まって立ったりしてるぞ」

「へぇ」


見せられた写真に写る赤ん坊の寝顔。少女の顔が綻ぶ。

その表情に男は一瞬息を呑み、そして慌てて首を振って冷やかした。


「なんだ、ロリエルフになっただけじゃなくて母性本能も完備か」

「…まあ、その、なんだ、アタシも女だからな」


なんだか気恥ずかしそうな、そんな表情で―


「………」

「どした?」


からかったつもりが素で返されて少し面食らう男。そんな反応に怪訝な表情になる少女。


「…ほっほっほ、いい奥さんになれるんじゃありませんこと?」

「そいつは勘弁だぜ…」


照れ隠しに誤魔化す男。苦笑するエルフさん。


「なんだ、母性は肯定しても、男関連は無理か」

「当たり前だ、キモイ」


少女の声に嫌悪の棘が混じる。性別が変わったからといって、そういう部分については簡単に受け入れられるわけではないらしい。


「もったいないな。MOTTAINAI!!」

「何がMOTTAINAIだ。どう言われよーと、アタシは男とかいらねぇの。大体、女なんて星の数ほどいるだろーが」

「それはそうと、実際のところどうするんだ? 家族のこと。4年前になるのか、お前の葬式。結構、大変みたいだったぞ」

「…想像つかねぇな。アタシが死んだ時のこと、コッチではどうなったんだ?」

「飛行機事故ってことになったんだが、あの事故はアレだ。なんていうか、…死体が一つもあがらなかったからな」


後藤は4年前を思い出し、一瞬言いよどむが、意を決したように話し始める。

4年前の夏の日、乗員乗客百余名を乗せたボーイング747-400型機はその日、太平洋上で突如消息を絶った。原因は不明。

必死の捜索がなされたが、関係者の努力も虚しく、誰も帰ってはこなかった。後日回収された航空機の残骸を除いて。


「でも、確かに、思えば変な事故だったな。乗客乗員全員が行方不明らしいからな。一時は神隠しだとか、UFOにさらわれただとか色々騒がれたんだけどよ」


男は思い出すように語る。

一応、事故調査委員会は事故について、突発的に発生した乱気流によるものと結論付けたのだとか。

しかし、あくまでもそれは推測で、確証は無い。機体の大部分は発見されず、遺体の一つもあがらないという異常。

憶測が憶測を呼び、果てはオカルトや超科学へと結び付けられていったのだとか。


「お前が異世界に転生したってことは、他の乗員とかもそうなのか?」


ルシアという事例がある以上、その可能性があるのではないかと後藤は尋ねる。しかし、ルシアは首を振り、


「判らねぇな。おおっぴらに調べられることじゃねぇし。少なくともアタシの知る範囲では同郷のヤツはいなかったな」


自分には前世があると周囲に公表する人間はほとんどいない。いたとしても、ほとんどが頭がおかしいか、変な宗教にかぶれているかどちらかだ。

そんな中から本物の転生者を見つけ出す等、砂漠から砂一粒を探し出すのに等しい。


「…んで、話は戻るが、お前の葬式の時なんだが、お前の遺体が無い状態でな」

「ああ…」

「お前のお袋さん、お前が死んだこと最後まで認められなかったらしい。葬式にも出席してなかったな」

「…そっか、悪い事したな」


その光景が思い浮かぶ。

認められない我が子の死。そんな中行われる葬儀。空っぽの棺。それは酷く残酷だっただろう。父親はそんな母親を前にどうしているだろう? 妹は? 様々な想いがルシアの脳裏に錯綜する。


「会いに行かないのか?」

「…考えとく」

「ヘタレめ」


と、そんなことを話している時、ラジオから―


『…なお事故現場には大量の紙幣が散乱しており~』


「ん、これ、昼間の事件のことだよな」

「だな」


昼間の、後藤とルシアが出くわした事件について、ラジオのニュースが伝える。どうやら事件は原因不明の爆発事故として報道されているらしい。

散乱した紙幣については、全ての一万円札について、記番号が同一であったことから、精巧な偽札と推定されるなどとラジオは伝える。


「後藤、こういう事件って多いのか?」

「どういうことだ?」

「つまりその、今回の件と、もしかしたらアタシの飛行機事故の時も妖精文書が絡んでるわけだ。もしかしたらさ、他にも文書が絡んでる事件があるかもしれねぇだろ?」

「そういえば…、2年ほど前だったか。インドネシアの何とかって島がさ、抉り取られたみたいに消失したってニュースになってたな」


後藤曰く、その事件は4年前の飛行機事故同様に不審な点が多く、一時期世界をにぎわせていたらしい。

島民3000名ごと消失した南洋の島。隕石衝突や地殻変動、津波といった痕跡も無く、ただ単に、ごっそりと抉り取られたような痕だけが残った事件。

そして、近くの島、特に西側に位置する島には、未曾有の強烈な突風が吹き荒れた痕跡があり、その二つだけが島消失の手がかりだったそうだ。

プラズマ説からUFO説など様々な原因が叫ばれたが、最終的には特殊な地殻変動による津波が原因だと言うことになったらしいが、今でも消失した島の残骸は見つかっていないらしい。


「…ってことがあったんだが、何かわかるか?」

「文書が原因なら…第五か第八が原因…か?」


そんな後藤の話を聞いて、ルシアは独りブツブツと呟きながら考え込む。


「よくは分からんが、その、妖精文書ってのが関わってるとすれば綺麗さっぱり説明できる問題なのか?」

「情報が断片的すぎて即答はできねぇな。ただ、似たような文書災害は聞いたことがある」


そんなことを話している間に、車は門をくぐり高層マンションが立ち並ぶ区画へと差し掛かる。


「着いたぞ」

「へぇ、いいトコ住んでんのなお前」


マンションが立ち並ぶ区画の歩道はレンガにより幾何学に飾られ、周囲は花壇や凝ったデザインのプランターとベンチが配置され、奥に見えるロータリー中央には円形の池と噴水がある。

花壇に植えられているのはマリーゴールドだろうか? 

高層マンションはそのロータリーを取り囲むように聳えており、ロータリーはちょうど中庭のような様相を呈しているようだ。

車はその中庭には入らずに、裏の地下駐車場の入り口へと入っていく。内部は地上と違い、打ちっぱなしのコンクリートがむき出しに生った無骨な空間。


「家賃いくらだ?」

「買ったから家賃は無い。維持管理費とかそんぐらいじゃね?」

「このセレブリティーめ。ここに全国の労働階級の敵がいますっ! つか、親の金か?」

「HAHAHA、確かにいくらかは出してもらった」

「死ねばいいと思う」

「暑いな」

「夏だからな。階級闘争の夏だ」


ルシアの嫉妬の炎がメラメラと燃える中、電子音と共にエレベーターが7階のフロアに止まる。

そして、後藤の部屋に向かう途中、ルシアはふと気がついたように、


「そういや、アタシのことは嫁さんには電話してるのか?」

「おう、一応な。って言っても大学の頃のダチを泊めることにしたとしか伝えてないがな。なんというか、電話越しでお前のことを説明できる自信が無いからな。ちょっと複雑な事情があるってだけ伝えてある」

「ふうん(ニヤリ)」


確かに、今のルシアの事を彼女本人を抜きにして説明することは困難だろう。そして、致命的なことに後藤は今のルシアの不穏な笑みを見逃してしまった。


「それじゃあ、先に入るから、お前は俺が呼んだときに来てくれ」

「おー(棒読み)」

「なんだろう、ものすごく嫌な予感しかしない」

「気のせいなんだぜ(棒読み)」


若干の不安を抱えながら、後藤はドアの鍵穴にキーを差し込み、ひねる。そしてドアを開け、


「ただいまー」


若干声を大きめに帰宅を告げる。すると奥からパタパタとスリッパが床を叩く音が聞こえてくる。

現われたのはショートボブに纏めた髪を軽く茶色に染めた、スレンダーな体型のエプロン姿の女性。エプロンの下はTシャツにデニムのパンツという、カジュアルな姿であるが、かわいい感じの美人さん。

女性は後藤の持つカバンを受け取りながら、


「お帰りなさい、隆さん」


と、後藤に笑顔で応える。


「今日はお友達が泊まりにこられるって聞いてるけど?」

「ああ、今から―」


女性に促され、後藤がそう言いながらルシアを紹介しようとしたその時―


「こんにちは…です」


ルシアはオドオド(する振りをして)、彼らの目の前に現われた。


「隆さん、この子は?」

「えっ、だから大学のときの…って、お前何をっ?」


後藤がばっとルシアにふり返る。しかし、全ては遅かった。そこには、どう考えても気弱で、押しの弱そうな美少女しかいなかったのだから。


「あのっ、私、こっちに泊まるところがなくて…、そしたらこのおじさんが…。ここ、どこですか?」

「…タ・カ・シさん? 少し聞いている話と違うのだけど?」


どう見ても、変態紳士に色々言いくるめられて連れてこられた家出少女です、本当にあり(ry

少し声のトーンが低くなった女性を前に、後藤の額に汗が吹き出る。


「ちっ、違うんだ佳代子これはっ、くっ、貴様まさかこれを狙ってっ!?」

「くけけけっ。何の事か判らないぜ」

「裏切ったなっ! 僕の気持ちを裏切ったな! 父さんと同じに裏切ったんだ!」

「ふはははは、これで貴様は犯罪者確定だっ!」

「くそっ、痴漢の冤罪並みの地雷じゃねぇかっ、このヘタレエルフめっ!」

「やるかコイツ、消し炭にしてくれるわっ!」


よくわからない内に取っ組み合いが始まる。後藤の妻である佳代子は、状況は理解できないまでも、とりあえず安心する。どうやら、懸念していた状況ではないらしい。


「ハイハイ、隆さんも…、貴女もさっさと中に入って。ご近所に迷惑だから」

「「は~い」」


そうして、数奇な運命を辿った少女の、帰還一日目が暮れる。







[27798] Phase002-a『エルフさんとお母さん①』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/05/20 05:30

走る。息を切らしながら走る。

闇に閉ざされた森の中を、ただ眼前の背中だけを見てひたすらに走る。

鋭い木々の枝が身体を傷つけるのにも構わず、追い立てられるように走る。

背後には暗く不気味な森と、赤く照らされた空。故郷だった場所。

目の前には、同い年の少年と自分の二人を先導して獣道を駆け抜ける<この世界での>母親。

だからこれは夢なのだと、少女は悟る。さりとて、悟ったところで身体の自由は利かない。これはもう終わってしまったことなのだから。

そして道が開ける。まるで予定調和。

いつものとおり、そこには森の中に出来た小さな野原があって、いつものとおり、やけに明るい月に眼が眩んで、

そしてそこには、やっぱり、一人の、自分と同じ色の髪の男が、巨大な岩の巨人を従えて佇んでいて、

これはいつもと同じ夢で、だからその結末もいつもと同じで、

判っているのに、どうしようもないのに、目を逸らす事ができなくて、

そして、男に命じられた巨大な岩の巨人が、その大きな手で母親を掴みとり―



ゴキリ



酷く、生々しい、耳を塞ぎたくなるような、圧搾音。全てを見せられる。全てを聞かされる。

握られた巨大な岩の手から伝う、赤い、赤い液体が月に照らされて―


「…お母さっ!?」


次の瞬間、目に入ったのは、すこし黒ずんだ白い壁紙。カーテンの隙間から差し込む光で作られた陰影。

森の濃厚な臭いは立ち消え、在るのは僅かな布団を日干ししたときの臭い。突然の変化に、一瞬思考が追いつかないが、


「ん…、ルシアちゃんどうしたの?」

「え?」


隣で寝ていた女性の、少し寝ぼけた声が自分の名を呼んだことで、ルシアはようやく『今』に立ち返った。窓を隔てた外からは小鳥の鳴き声、それに混じって新聞配達のバイクの音が遠くに響く。

寝巻きがじっとりとした寝汗で張り付き気持ちが悪い。気温が高いせいか、それとも夢のせいか。

スプリングの弾力が利いたベッドの上には自分と、古い友人の伴侶。後藤佳代子。あのバカの嫁さんとしては、あまりにも上等な美人さん。


「ごめん、起こした?」

「ん…、気にしないで。時間も良い頃合だから」


と、同時に目覚まし時計の電子音が鳴り響いた。彼女は枕もとの小棚の上に置かれた目覚まし時計の頭をポンと窘めるように叩き、朝っぱらから自己主張するファンシーな柄のソイツを黙らせる。


「ほらね」


女性はふわりと笑う。それにつられ、思わず自分も笑みで返す。

やはりあのバカにはもったいないほどの美人さん。確かに夢見は悪かったが、女性の微笑みはその憂鬱な気分を幾分か和らげてくれた。


「おはよう、ルシアちゃん」

「おはよー、佳代子さん」


朝の挨拶を交わす。そうして、ルシアの脳もようやく回転を始める。ここは後藤宅。かつての親友の家。マンションの一室。ルシアは昨日の記憶を手繰り寄せる。

そう、昨日の。

この世界への転移、あるいは帰還が成功した。完璧だった。快挙とも言えるだろう。何もかもが上手くいった。

しかし、到着早々に事件に出くわしてしまう。しかも、向こうの世界のモノであるはずの妖精文書に絡んだ事件。それは、この世界と、向こうの世界との間に何らかの繋がりが生じていることのなによりの証であり―

…端っからトラブルに巻き込まれてやがる。

まあ、それはもういい。

その後のアタシの行動は完璧だったからだ。トラブルを全て帳消しにできるぐらい。アタシは奴からウナギを貢がせる事に成功し、さらに奴の住むマンションを接収することに成功。

そして多少ひと悶着あったものの、奴の嫁さんである佳代子さんと、娘さんである舞耶ちゃんを人質にとり、奴を書斎に追いやり、見事に人妻を寝取ったのである。ざまぁ。

だから決して、「アタシは居候なんでソファーでいいっす」と主張したところ、佳代子さんに「ダメ、一緒に寝ましょう♪」とか押し切られてベッドに連れ込まれたわけではない。

ましてや、決して、抱き枕にされたなどあろうはずもない。アタシがっ、人妻をっ、(相対的に)抱き枕にしてやったのDA!

主導権はアタシにあるのであるっ!


「そーゆーわけで、佳代子さん、頭を撫でないで」

「ふふ、良く眠れたかしら?」

「まあ、昨日は疲れてたんで割りと。あと、頭を撫でないで」

「今日はいい天気ね。久しぶりに洗濯物干せるかしら?」

「昼から崩れるって、昨日の天気予報で言ってたぜ。だから頭を撫でないで」

「そうなの。最近洗濯物乾かなくて困るわ」

「夏だからな、夕立とか怖い。まあ、夏のこういう蒸し暑さは、なんというかアタシとしては懐かしいんだか、なんなんだか。ところで、いい加減頭を撫でないで」

「ルシアちゃんの髪、サラサラで綺麗ね」

「いや、だから…。もういいっす、好きに撫でやがれコンチクショウ」


そんなこんなで、少女にとっての、元の世界に戻っての初めての朝は、少し寝覚めが悪くて、とてもとても穏やかだった。





Phase002-a『エルフさんとお母さん①』





「だぁだぁ」

「はっはっは。かわいいなお前。あんな野郎の子種から生まれたとは信じがたいぜ。ほら高い高い」

「きゃっきゃっ」


カーペットの上で、耳の尖った少女が両手赤ん坊を抱えてクルクルと回る。その表情は双方共ににこやかで、はたしてどちらがあやしているのか。

対面式のキッチンからそんな少女を眺める後藤佳代子はそんなことをとりとめもなく考えながら食器を洗っていた。

見た目はまだ幼さの残る、中学生ぐらいの少女。

しかしその髪は夏の太陽の光を閉じ込めたように明るい金色、微笑みで薄く開かれた瞳から覗くのもまた宝飾のような金の色。

大きな瞳と、コーカソイド系の彫りの深い整った目鼻立ち。お人形のように可愛らしい姿。そして最も特徴的なのはその耳。長く尖った、創作に登場するエルフと一致するその形。

昨日、彼女の夫が連れ帰った少女。信じがたい経歴の持ち主で、彼女が実際に『魔法』を見せてくれるまで、私は彼女の言葉を信じることは出来なかった。

一瞬だけ夫を疑ってしまったことは少し後悔しているのだが、

まあ、端から見れば、いい歳した大人の男が、年端もいかない白人の少女にエルフのコスプレさせて連れ帰ってきたようにしか見えないのだから仕方が無いのだが。

佳代子はそう思いながら最後のコップの水をきった。


「(しかし、いくらなんでも子種はないわね……)」


佳代子はそう苦笑し、二人、生前(?)は夫の友人だったという少女ルシアと、まだ1歳の一人娘である舞耶の元に足を踏み出した。


「ごめんなさいね、娘の世話押し付けちゃって」


驚くのは彼女の多才ぶり。家事全般だけではなく赤ん坊の世話までソツなくこなす。

とても元男性とは思えない主婦ぶりに、夫にも見習ってほしいと佳代子はふと思う。まあ、夫も家事はそれなりに手伝ってくれるので表立って文句は無いが。


「(でも、口の悪さだけはいただけないかも)」


とはいえ、確かに言葉遣いはアレなのだけれど、見た目は息を呑むほどと言ってよいほどの北欧系の美少女であり、目の前にいるだけで目の保養になる。家の中が一気に華やいだ感じだ。

あるいは、こういう言葉使いもエルフよろしく妖精を思わせて、むしろ趣が在るかもしれない。

二人に近づくとルシアは舞耶をカーペットに下ろし、何か手伝う? と佳代子に尋ねる。しかし特には無い。

ルシアは客人であり、佳代子は舞耶の世話をしてもらうことと、話し相手になってもらうだけで十分以上と思っていた。

夫が仕事に出れば、ほとんどの時間を娘と二人きりで過ごすことになるので、そういう意味で彼女の来訪はそれだけで大歓迎。

だというのに、掃除や洗濯だけでなく朝食の用意まで手伝わせてしまい、逆に申し訳ないという気持ち
が大きくなる。


「いえいえ、アタシゃしがねぇ居候の身なもんですから」

「あら、気にしなくてもいいのに」

「いや、ほら、居候3杯目にはそっと出しって言うぐらいだからな」

「でも出すのね」

「遠慮は互いのためにならないんだぜ」


ルシアはそう冗談めかして答える。ルシアは舞耶をカーペットに両膝をついて座る佳代子に手渡しつつ、


「(あの後藤がこんな可愛い嫁さんをね…)」


心の中で苦笑する。

少し目じりの下がった大きな瞳が特徴の美人というよりは可愛いと表現すべき女性。

エプロンの下はデニムを纏うすらりと伸びた長い足、スレンダーな彼女の体型を浮かび上がらせる。

軽く茶色に染めたショートボブの彼女の髪は、彼女の放つ向日葵にも似た明るさを際立たせていた。


「(悔しいから昨日は佳代子さんと一緒に風呂入ってやったぜ)」


と後藤への当て付けにとルシアは彼女とお風呂を同伴したのだが、むしろセクハラを受けたのはルシア自身であった。


「(何故そこまで耳にこだわるのか…?)」


再び佳代子の手の中から離れてルシアの耳を引っ張ろうとする舞耶を眺めつつ昨夜のことを思い出し…、ルシアは呻る。


「むぅ…」


舞耶に好きに耳を引っ張らせるルシアを見て、佳代子は何か感心したように独りごちる。


「でも本当にエルフさんなのよね~」

「あっ、ちょ、くすぐったい」


今度は佳代子がルシアの尖った耳に触れる。母娘に両耳を弄られ、ルシアの我慢ゲージの限界は近い。

そんなルシアの気も知らず、耳を撫でたときに妙に敏感に反応するルシアに、佳代子の悪戯心が鎌をもたげ、


「やっぱり性感帯なのかしら?」

「か、佳代子さんっ? どこでそんな設定を?」

「隆さんの持ってる漫画とかで?」


すでに佳代子さんは手遅れだ。ルシアは昨日からそんな気がしてならない。一緒に風呂に入った時だって、乗り気だったのはむしろ…。

そんな風にルシアが思考の海に潜行するのをよそに、母娘のエルフ耳弄りはエスカレートの一途をたどり、



「だりゃぁぁぁぁぁっ!」



「きゃっ」「あうっ?」


エルフが両手の拳を天にかざして暴走した。我慢ゲージが振り切れたらしい。

そんなエルフと母娘との平和(?)な朝のひと時。赤ん坊を見つつ、ルシアはふと、今朝見た夢のこと思い出していた。


「(ここ数年は見てなかったんだけどな)」


おかげで、佳代子さんの目の前で「お母さん!」などと叫びつつ飛び起きるという失態を演じてしまった。よくある、小学生が担任の先生をお母さんと呼んでしまうあの気まずさである。

佳代子さん自身はあまり気にしていなかったのが救いだが、この歳で怖い夢を見てうなされていたなどという姿は見られたくない。

何故今になってあんな夢を見たのかは判らないが、もしかしたら疲れているのかもしれない。世界を越えるという大魔術を行使し、しかも到着早々にトラブルに巻き込まれていたのだから。

そう、トラブルといえば、妖精文書だ。

以前、師匠との話で、自分の転生にあるいは妖精文書が関わっているのではないかという話をしたことがある。

しかし、それはあくまでも妖精文書がこの世界に紛れ込んでいることを前提としたものであった。そしてその前提は成立してしまった。

しかし、何故この世界に妖精文書が紛れ込んでいるのか?

師匠によると、この世界と向こうの世界の間に何らかの交流がある可能性が高いらしい。それならば、妖精文書もそれに紛れて?


「ルシアちゃんどうしたの?」

「え? 別に何も」

「そう? 少し難しい顔をしていたから。気のせいかしら?」


佳代子さんが少し心配そうな顔で覗き込んでくる。どうやら顔に出ていたらしい。

こんな風に感情が表に出やすいのは悪い癖だが、治そうと思っても中々治らない。ポーカーフェイスを気取ろうとしたら、今度は耳がピョコピョコ動く始末。


「いや、何ていうかこの世界に戻って早々、妙なことになったなって思ってさ」

「昨日のこと?」

「そう。本当は行って戻るだけの簡単な仕事だったのに、ついてねぇぜ」

「こっちに帰ってくるのは仕事だったの?」

「ん、話してなかったか」


ルシアは「ん~」と、どう話したものかと少し考えた後、口を開く。


「アタシ自身、本当はこっちに帰る気はなかったんだ」

「そうなの?」

「帰る方法なんて見つからないと思ってたからさ。それに―」

「それに?」

「いや、なんでも」


佳代子さんが聞き返すが、ルシアは説明しづらそうに言いよどんで、誤魔化すように苦笑いで応じる。


「今回、こっちに来たのはさ、色々と偶然が重なってこっちに帰る方法が見つかって、それをアタシが興味本位で研究してたからってのと、後は調査依頼があったからなんだ」

「依頼?」

「うん。まあ、アタシの魔術の師匠と『機族』って連中が依頼主なんだけど。最近、向こうの世界でコッチの世界の武器、自動小銃が大量に見つかって、その調査を依頼されたんだ」


ルシア曰く、本来ルシアは日本への帰還については消極的だったのだという。それは動機面だけでなく、費用面での問題があったから。

そもそも、世界を渡るなどという大規模魔術の開発や研究には結構な時間と費用がかかる。特に、術式の触媒として大量の妖精文書の欠片、書片(レターピース)を要し、実際のところ、個人でそれをまかなう事は不可能だったのだ。

その問題を依頼主が解決してしまった。そして、半ば師匠からの命令に従う形でルシアはこの転移術式を完成させ、行使したというのが実情である。


「ふうん」


ちなみに、彼ら『機族』は向こうの世界で超古代文明、ネタでもなんでもなく4000年前に滅びたってゆー文明の超技術を継承している種族で、飛空艇などの基幹技術とか、妖精文書の制御技術を握っている、いってしまえばチート技術を持ったヒト達のことである。

そんな彼らは、向こうの世界の国々の科学技術や魔法技術なんかを牛耳ることで他の種族に対してアドバンテージを維持しており、そんな世界で、地球の高度な工業力で作られた武器が大量に出回りだした、ということで、彼らはそれに危機感を覚え、この異世界調査に協力を申し出たという経緯である。


「それはつまり、この世界のモノをルシアちゃんの世界に持ち込んでいる『誰か』がいるっていうことかしら」

「まあ、多分、連中はその辺を疑ってるんだろうけど。アタシの今回の実験は、まあ、その調査の前段階に当たるんだ。アタシの役割は異世界への橋頭堡を作ること」


ルシア曰く、ルシアの作り出した世界間を渡る転移術式は、ほぼ確実に異世界である地球へと到達できるが、ルシア以外の人間は適合しない仕組みになっている。

一方、機族が持つ転移技術は、誰でも異世界に渡ることが出来るが、出口に何らかの目印がなければ、出口を指定することができない。つまり、どこに転移するか分からない。

故に、ルシアが先に地球に転移し、次にルシアが出口となる地球に目印を作成、最後に機族が世界間を繋げる恒常的なゲートを作成という手順をとることになっている。


「つーわけで、目印さえ作ればアタシはお役御免なんだけどな」

「お役御免? もしかして向こうの世界に帰ってしまうの?」

「まあ、そういうこと。向こうには向こうの生活があるからさ」


この世界での自分の生活は既に失われ、自分の全ては向こうに置いてある。向こうにいくつもの大切なものが出来てしまったから、いつかは帰らなければならない。


「ふふ。もしかして恋人さんがいるのかしら?」

「いやいやいや、いないから」


全力で否定。


「そうなの? ルシアちゃん可愛いからきっとモテるでしょうに」

「勘弁だぜ。つーか、佳代子さん、アタシが元オトコだってこと忘れてね?」

「なら彼女さんがいるのかしら?」


佳代子さんはにこやかに。何処の世界でも、女というモノはこの手の話題が大好きな生き物らしい。


「もうこの話は勘弁してください」

「ふふふ♪」


ルシアの萎えた表情に、佳代子さんが悪戯っぽく笑う。多分このヒトはドSなんじゃないだろーかとルシアは思う。


「ったく。まあ、こんなナリじゃしかたねぇんだけどな」


ルシアはちょっと呆れたように息を吐き、うーんと唸り声を上げて傍にあるソファに倒れこむようにお尻から身を沈めた。


「あら、怒っちゃったかしら?」

「いんや、別に気にしてねぇぜ。そういう話振られるのは初めてじゃねぇし」


というより、女子が集まれば恋愛関係の話題に流れていくのは避けがたく、そして今の自分は立派な女子だった。


「やっぱりそうなんだ。ルシアちゃん可愛いもの」

「可愛い…ね。いつ聞いても聞き慣れないぜ」


とてもとても複雑な身の上。と、佳代子さんがちょっと申し訳なさそうな表情でルシアに尋ねる。


「えーと、やっぱり女の子扱いとかは嫌なのかしら?」

「えっ? いや、気にしてないぜ。さっきも言ったけど、女扱いされるのには慣れてるし、今更だからさ」

「そう?」

「じゃねぇと、スカートとか女物の下着とか着けられないから」


実際、今では女になってしまったことに嫌悪や後悔のような感情は無い。むしろ性同一性障害のような精神的に深刻な状況に陥らなかったことは感謝すべき幸運であった。

まあ、確かに最初の数年は戸惑いもあったし、男への未練もあった。女の身体ということで、生理学的に苦労する事も多々あったことは事実である。


「戸惑う事も、面倒事も多いけどさ。まあ、いい加減慣れたし、この身体にも立場にも愛着もあるからな。それに、こっちの身体はまだ生きてるから」

「ふふ」


少し照れくさくてルシアは頬を掻く。

実のところ、男の身体に成ることや、元の生前の姿を取り戻す事は不可能ではない。色々な方法がある。

妖精文書という反則を使えば、それは驚くほど簡単だ。何しろ下手をすれば死者を黄泉から連れ帰ることが出来るとっておきのアーティファクトなのだから。

それでも、既に向こうには<ルシア>としての日常があり、友人や大切なヒト達がいる。それを壊すリスクを抱えてまで男に戻る意義は見出せない。

それに、向こうでの母親や父親が愛情をかけてくれた<ルシア>という存在を、否定したくは無かった。

まあ、死んでしまった『彼』という存在には悪いが、そちらはもうどうしようもないことだ。前川圭介という人間は既に死んでしまったのだ。終わってしまったものより、今在るものを優先すべきなのだから。


「ふうん、隆さんは『奴はヘタレだから、周りから浮くのが怖くて、惰性で女の子を続けてるんじゃないか』って言ってたけど、やっぱりそんなことはないわよね」

「ギクゥッ。そそそそそそんなことある訳ないぜ。別に波風立てるのが嫌だとか、告白するのが億劫だとか、そんなヘタレな理由じゃないんだからなっ!」

「ふふふ、ルシアちゃんは可愛いわねー」

「ちょっ!?」


と、いきなり佳代子さんはルシアを抱き寄せ、頭を撫で始める。

ルシアは自分がこういう容姿のため、そのような扱いには慣れているというか、半ば諦めてはいるものの、恥ずかしいものは恥ずかしいので、顔を赤くして抗議する。


「かっ佳代子さんっ? 朝にも言ったけど頭撫でるのはちょっと…」

「あら、ごめんなさい。だってルシアちゃんがあんまりにも可愛いから。ほら、耳の先まで真っ赤にして、しかもピョコピョコ動いて…、やぁん♪」


仔犬じみた可愛さ。逃げようとするルシアを佳代子さんは回りこんで逃がさない。

るしあ しっているか だいまおうからは にげられない。


「放せーっ、放せーっ! つーか、アンタ、アタシのリアクション楽しんでるだけじゃねっ!? うわっ、すげぇドS顔っ」

「うふふふふ、ほら、昨日お風呂に入ったときみたいな声を、聞・か・せ・て♪」

「っ!? やっぱ昨日のはワザとなんだなっ! 洗いっことかいって、変なところ触ろうとしてきたのっ!」

「あら、あれは偶然よ。ルシアちゃんが自意識過剰な・だ・け」

「うわっ、この人妻、表情と言動が一致してねぇっ!? ぎゃー!」


ものすごい苛めっ子な顔の佳代子さんに抱きすくめられ、もがくルシア。しかし抵抗も空しく、ルシアの身体は持ち上げられ、佳代子さんの膝の上へ。


「やめてよして堪忍して」

「もう、逃げられないわ」

「やーの、それやーのぉ! あぅん、耳はだめだめ、みみみみみみみみ」

「うふふふふふ」

「ぎゃわーーーーーっ!!」


もはやルシアさんの貞操は風前の灯。しかし―


「うーっ」

「あら?」


救世主現る。佳代子さんの膝の上という定位置をルシアにとられたと思った舞耶ちゃんが、佳代子さんのエプロンの端を引張って抗議の意を表明。

そんな様子に佳代子さんとルシアは揃って笑い、


「ごめんなー、舞耶ちゃん。お母さんとっちゃって」

「ほら、舞耶来なさい」


そういう訳で、玉座は王女様の下に帰る。ルシアは舞耶ちゃんのご機嫌をとるため、魔術で生み出した光の玉をジャグリングして見せたりする。

宙を踊る無数の光球に、舞耶ちゃんの機嫌も直ったのか、手を叩いてきゃあきゃあと笑う。

そんな様子を、優しく見守る佳代子さんの顔はとても母親で、だから唐突に、ルシアは朝から抱いていたつっかえのような物が春の雪のように融けていくのを感じた。


「(そっか、だから…いまさらあんな夢―)」


きっと彼女と一緒のベッドで寝たせいなんだろう。ルシアは思わず苦笑する。

もう何年も見なかった夢。彼女の中で、極最近であるが一定の区切りのついた問題。憎しみと、罪と、許しと、贖罪。

だからどうして、今更あんな夢を見たのかが理解できなかった。疲れが原因と片付けようとしたが、


「どうしたの?」

「いや、自分の子供っぽさに少々呆れ返ってただけだぜ」


お笑い種である。まさか、目の前の母親という存在が呼び水になって、自身の母親の記憶が夢として浮上してきたなんて。

『母親』といっても、この身体、ルシアの母親だ。

前の、前川圭介だった頃の母親については、声とか顔とかはもう正確に思い出せないのだけれど、

ルシアとしての母親の記憶は鮮烈に記憶に焼きついている。

別に、前世(?)での母親が嫌いなわけではなく、単純に今の身体の母親との別れがあまりにも凄惨で、否応無く記憶に刻まれたから。


「(本当に、まだまだだな、アタシも)」


少し自嘲気味に笑う。

こんな有様では、きっと心配をかけているだろう。あのヒトは割りと放任主義に見えて、実のところ結構子離れできていなかったから。

彼女は、前の母親と違って快活で、天真爛漫というか、活動的でよく笑うヒトだったのを覚えている。少し周りの子供とは違っていた自分にも愛情を注いでくれた、大好きだったヒト。

よく考えれば、あのヒトと一緒に過ごしていたあの頃が、生前を含めて一番穏やかな時間だったかもしれない。


外部から隔絶された、深い緑の森の合間に築かれた小さな小さな隠れ里。

そんな小さな集落の端の、大きな樹の上に作られた、どこか秘密基地めいた小さな家で暮らしていた。

燃料になる薪や木の葉を集めるのは毎日の日課で、

春は家の周りの菜園を一緒に耕したり、新芽を採りに森へ出かけた。

秋には木の実を拾ったり、川を上る大きな魚を採った。

大抵のものは森の恵みから。

時間の流れがとてもゆっくりで、良く言えば穏やかな、悪く言えば変わりばえのしない世界。

心のどこかでは、狭くて、不便で、つまらない場所だと思っていたけれど、

それでも、今思い返せば、きっとあの頃は―


「ルシアちゃん?」

「ふぇ?」


と、唐突に佳代子さんに呼ばれて、ルシアは思わず気の抜けた返事をする。

佳代子さんは少し心配そうにルシアの顔を覗き込む。


「いえ、何だか悲しそうな、というより寂しそうな顔をしていたから」

「えっ、えーと、気のせいだぜ?」

「そう?」


どうやら顔に出ていたらしい。ルシアは少しバツが悪そうに苦笑いで返した。それに対して佳代子さんは少し引っかかるような表情になる。

そんなやり取りの中、ルシアはふと思う。


「(そう言えば母さんも、こういうのは鋭かったな)」


そう、良く詰まらない事で思い悩んでいた自分の顔を、あんな風に覗き込んできた。

そうして今みたいに曖昧な笑いで誤魔化して、今の目の前の女性のように釈然としない顔にさせていたっけ。

だから、ルシアは何だか急におかしくなって、


「くっ…くくっ……、はははっ」

「?」


急に笑い出したルシアに、佳代子さんはついていけずにキョトンとなる。


ああ、こんなやり取りもよくあった。


思い出す。

きっとあの頃は幸福だった。

大好きだった。毎日が楽しかった。

便利な生活とは言えなかったけど、

精霊の声は皆みたいに上手く聞こえなかったけど、

弓の腕は年下の妹分にも敵わなかったけれど、

新しい家族がいた。友達がいた。

母さんがいればそれだけで十分に思えた。

思い出すのは木々が生い茂る緑のドームのような、川に沿って森の中にぽっかりと空いた空間。

鳥たちが歌い、風が木の葉を揺らす、静かで賑やかで穏やかで騒がしいあの陽だまり。

そこが彼女の生まれた集落だった。








[27798] Phase002-b『エルフさんとお母さん②』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/05/21 22:04







「私、ルシア。ルブールの森のエルフの女の子。将来の夢はカワイイお嫁さんかな♪ なんちゃって、テヘッ。……だめだ、死にたくなった」


世の中は原則として確率的だ。

例えそこに何らかの因果が隠されていたとしても、余りにも要素が複雑に絡み合いすぎて、神ならぬ身には未来は見えない。

不確定性原理の前にはラプラスの魔もお手上げ。一寸先は闇。何処に落とし穴が口をあけているか分からない。

統計データによる傾向と対策は、マクロ的視点の俯瞰する立場からは確かに有効だが、ミクロ的視点の個別のケースでは当てにならない場合が多々ある。

例えば『飛行機事故でヒトが死ぬ確率は、車の事故で死ぬ確率よりも低い』は確かに真理だろう。だから我々は安心して飛行機に乗る。

飛行機事故で死ぬのが怖いから、僕は飛行機に乗りませんなんてのは馬鹿げた考え。そんなのをいちいち気にしていたら、きっと飴玉もこんにゃくゼリーも食べられなくなる。


「で、まーそういう訳で、飛行機事故で死んだわけですが」


世の中は、ままならないもので、まあ要は運が悪かったのである。万が一の確率も、一万回やれば一回ぐらいは大当たりするわけで。

過ぎたことをあれこれ考えても仕方が無い。覆水盆に返らず。理不尽への憤りに振り上げる拳も、ぶつける相手がいなければいつかは降ろさなければならない。

だから、要は諦めが肝心で、例え少しばかりの不満が在ろうとも、この現状にもある程度折り合いをつけなければならないのである。


「んー、顔が美人なのが唯一の救い…なのか?」


水面に映った自分のしかめっ面を見て少女は独りごちて、ため息を一つ。幸せが一つ逃げていく。

とてもとても女の子。しかも前世ではリアルでお目にかかったことが無いほどの美少女。歳の頃は5歳ぐらい。ピチピチの幼女である。

幼女。すごく変態チックな響き。実際になるのと、外野から鑑賞するのでは大きな違いがあるが。

日の光を反射してキラキラ輝く柔らかい金色のブロンド。それよりも少し濃い金色の、宝石のような瞳が自分自身を見つめる。

幼いながらも堀が深く目鼻立ちの整った面は、少女が口を開きさえしなければ色気すら醸し出すだろう。

変わった特徴と言えば、この頭部の両側から突き出る、ホモサピエンスとか目じゃないぜ的に自己主張の激しい長く尖った耳だろうか?

昔、夢か何かと思って何度かこの長い耳を引っ張ってみたことはあるが、とれなかった。少なくとも作り物ではなかった。

あまりにも、かつての自分からはかけ離れた姿。とはいえ、別に遺伝子の異常というわけではない。



『転生』



そんな言葉が脳裏に浮かぶ。

いわゆる、ヒンドゥー教や仏教といったいくつかの宗教が提唱する死生観の一つ。輪廻転生とかリインカーネーションとかいうやつである。

元唯物主義者な自分としては非常に興味深い現象であり、にわかには受け入れられない事象であった。

故に最初は、まあ夢じゃないかと漠然と考えていた。走馬灯のようなものだろうと。

実際、ごく最初の頃は意識もはっきりとしていなかった。まるで靄がかかったような、白昼夢のような感覚。故に、これは夢なんだろうと考え、傍観していた。

赤ん坊になって、母親と思われる女性に世話をされて。漠然と、自分には妙な願望があったのではないかと疑ってしまうことも。

今考えると、意識が漠然としていたのはある種救いではあったかもしれない。

それが、だんだんと意識がはっきりとしてきて、次第に周囲のものに違和感を覚えだす。そのいくつかは、生きていた頃には見た事も聞いた事もないもの。

特に言語が決定的で、文法的には大学で履修していた中国語に近いと思われたが、語彙については自分の知る言語とは全くの一致が見られなかった。

これは夢ではないのではないか?

そんな疑問が生じてからは、意識の覚醒は早かった。この身体が2歳になる頃には、ほぼ完全に意識は覚醒していた。

で、まあ、今に至るわけである。


「異世界。系外惑星? パラレルワールド? ブレーンワールド?」


この世界は地球ではない。少なくとも、自分がかつて生きた時間軸の地球ではない。これが夢ではないと確信すれば、おのずと導き出される結論だ。

少なくとも、自分が知る地球ではこのような素敵な耳を持つ人間がいるなんて聞いた事は無い。

異星、多世界解釈、膜宇宙論。

興味は無いわけではないが、検証も出来ないので、まあ今はどうでもいい。

死後の生、生まれ変わり、輪廻転生。

原理は判らないがきっと幸運なのだろう。少なくとも、ミジンコとかブロイラーの鶏とかに生まれ変わるよりは遥かに幸運だ。

だから、自給自足っぽいこの集落での生活の不便さは素直に受け入れるべきだ。

唯一、不満があるとすれば―


「奥さん、奥さん聞きました? 前川さんの所の圭介君、幼女になったそうよ。オホホホホ」

「怖いわ、またお野菜高くなっちゃうのかしら?」


少女はふざけた口調で、誰に話しかけるでもなく、嘲るように独り寸劇を演じる。

つまり、あれである。

この世界にも男女という性別が存在し、おそらくは遺伝子の交換という意味で優位であるために進化上の収斂により同様の性差がこの世界でも形成されたのだろうが、つまるところ生まれてくる子供は発生学的におそらく50%の確率で男女どちらかとして発生する訳で、そして生まれるべき自分にそのどちらかを選択する権限はないのであって、そもそも自意識が明確になったのはおよそ2歳ぐらいの頃であったため選択を行う場にすら立ち会ってないのであって、

まあ、要するに、前世とは違う性別に生れ落ちたということである。

幸いな事に、まだ十歳にも満たないお子様であるため、性別問題について重大な局面はいまだ迎えていない。時間の問題ではあるが。


「だからってどうしようもないんだけどさ」


そう、どうしようもない。

これから自分は異世界で、『ルシア』という名の一人の少女として生きていかなければいけない。既に自分がルシアという少女であることに違和感はない。

今も思考はこの世界の現地の言葉。日本語などは意識しなければ再現できない。もはや自分が前川圭介なる人物であった事の方が夢の話に思える。

それでも、


「はぁ、やっぱこればっかりは慣れるしかないか」


改めて水面に映る自分の姿を見て少女はぼやく。女の子。女の子。とっても女の子。すかぁとひらひら。


「…」


そう、『すかぁと』である。この、元男としては妙に不安をかきたてられる、すーすーするような、なんだか女装しているような気分、いや今はれっきとした女の子なのだけれど、


「くるり」


泉の前でくるりとターンを決める。円錐状に広がるスカート。すごく可愛い。

調子に乗って、両手でスカートの端を摘み、軽くお辞儀。にこりと笑ってみる。水面に映るとびきりの美少女。人差し指を頬に当てて、ニコリとスマイル。


「エヘッ、今日も私はカワイイのよ♪ ……死にたい」


両手を地面についてゲッソリうな垂れた。自分でやってて気持ち悪くなった。盛大な自爆だった。


「うう、なんということだ…」


そんな風に、余人には理解しがたい苦悩に打ちひしがれているルシアに、


「ルシア、調子はどうだい?」

「うおっ」


唐突に呼び声がかけられた。現われたのは銀色の髪の、どことなく自分と似た顔立ちの女性。

そして、同じく彼女も自分と同じく長い耳の持ち主。この世界の母上様である。皮をなめして作った簡素で動きやすそうな服は、所々に木の葉がついていて、狩猟から戻ったばかりらしい。

一応断っておくが、この細長く尖った耳、自分が住んでいる集落の構成員全員が同じような遺伝的形質を発現している様なので、この体や母親が特別なわけではない。

この尖った耳ゆえに、この集落の人々の外見は創作に登場するエルフのようだ。仮にミタ・メ・エルフと名付けよう。

さらに、この集落の住人は精霊なる不可視の存在と交信することが出来るらしく、それによって精霊術なる魔法のような特殊技能を用いる事ができる。

まるで創作に登場するエルフのようだ。マル・デ・エルフと名付けよう。

まあ、見た目もまるでも何も、エルフ・ソノ・モノである。


「またダメだったのか。何処が悪いんだろうねぇ」

「まあ、焦ってもしかたないって」

「それをアンタが言うかい…」


バカらしい思考を切り上げ、ルシアは立ち上がり母親に向き合う。

名をセレヴェナ=ルブール=ラトゥイリ。この身体として産まれた時からずっと一緒にいてくれた、この新しい人生での新しい家族。

かつて「彼」だった頃の両親を忘れてなどいないけれども、今のルシアにとって親とは間違いなく彼女を指した。


「帰ろうか」

「うん」





Phase002-b『エルフさんとお母さん②』





さて、話は変わる。

穏やかな森の集落での生活。とはいえ、エルフの生活は森における自給自足が基本となる。そしてそのライフスタイルには一つ、必要不可欠なモノが存在する。

しかしルシアにとって、それは思った以上に困難を伴うものであった。

ルシアは他の分野においては、集落の同世代、いや、年上の世代にだって負けやしなかったが、ある一点において落ちこぼれの類だった。つまりイマイチ。


「大丈夫さ、アンタだってすぐに聞こえるようになるよ。アタシの娘なんだからさ」

「うん」


セレヴェナに励まされ、ルシアは顔を上げて、母親の後について歩き出す。

集落は、森の合間に出来た空間で、綺麗な小川のそばの、少し小高く丘になっている場所に作られている。

一歩外に出れば暗く鬱蒼とした森になるが、ここには太陽の光が差し込んで明るく、木の葉に透ける光は色とりどりのステンドグラスのようにも見える。

ルシアがいた泉から、大木をそのまま倒して渡しただけにも見える苔むした橋の上を渡り、石を丁寧に並べて作った階段を登ると、木漏れ日の向こうにロッジのような家がまばらに並ぶのが見える。

家の傍には小さな畑が所々にあり、ニンジンに似た根菜であるダーセクが植えられているものの、畑の規模はそれほど広くは無い。主な食料源は森の恵みだ。

森の恵みは非常に豊かで、今のところ食料がなくなって飢えるなんて場面に出くわした事は無い。とはいえ、森が無尽蔵の資源をもたらしてくれる訳ではなく、上限は日本と言う飽食の国に比べればとても低い。

例えば衣服。

スカートが嫌だとか、せめてスパッツは欲しいとか、そういう我侭は通らないのである。決して自分がヘタレなのではなく、

母親が頑張って直してくれたお古の服を拒否できるほど自分は人でなしではない、そういうことなのである。

あと、食事の味が薄いのが如何ともし難い。森の自給自足では塩など手に入らないので、供給は極たまに行う交易がもたらす物のみだ。

無いモノを数えていけばキリが無い。

とはいえ、慣れてしまえば、ここでの生活は言うほど悪いものではない。

確かに水洗トイレだって無いし、蛇口を捻ったらお湯が出てくるワケじゃない。

虫や蛇は出るし、料理のバリエーションだって煮るか焼くか蒸すか。システムキッチンなど望むべくもない。

それでも、この長閑な村での生活は、あくせくしていた前世とは比べ物にならないほど時間がゆっくりと流れている。

森から採れる食料も豊富で食うには困らない。

医療については、ファンタジーらしく魔法などという便利なツールがあり、比較的問題は無かったりする。

そう、差し当たって重大な問題は無いのだ。先に気にした女になったことも、そもそもエルフは長命で、百歳を超えても未婚というのは珍しくは無いので、嫁入りとか深刻な問題は発生しない。


「そういや、あっちはどうなってるのかね」


そんなことを思っていたせいか、ふと頭に浮かんだ言葉をそのまま口に出してしまう。


彼女はなんとなしに呟く。

『あちら』あるいは『向こう』。地球と呼べばいいのか、日本と呼べばいいのか。前の世界と今の世界を明確に区別する呼称をルシアは知らない。

確かに未練はある。

ここはゆっくりと時間が流れる反面、かつて自分が持っていたものは何も無い。

あの小さくも自分だけの部屋も、

テレビもネットも、

必死で勉強して手にした学歴も、

そして、残してきた家族も。


もちろん、それらはもうどうしようもない事だ。前世での自分は死んでしまったのであり、ましてやここはかつての『彼』が生きていた世界とは全く違う。

元の姿に戻る手段も、元の世界に帰る手段も手近では見つからない。

もしかしたら、この世界のどこかに在るかもしれないが、今のこの安定した生活を投げ打ってまでそれを探すという選択肢を選ぶのには勇気が相応に必要だった。

つまるところ、<戻りたい・帰りたいという想い>と、<在るかも判らない手段を探すというリスク+今の安定した生活>を天秤にかけたところ、

とりあえず大人になるまで答えを出すのは保留という、非常に情けない結論に達したのが今の少女だった。


「(なんてヘタレ……)」


かつて前世で自分をそう評価した友人の言葉をふと思い出す。内心で、そんな中途半端な自分に自嘲する。


「あっちって、どっちだい?」


と、独り言を耳にしたのか、ルシアの前を歩く母親がふり返り、首を傾ける。ルシアは苦笑して、「なんでもねぇよ」と誤魔化す。

すると、前方に子供達の一団がなにやら集まってるのが見える。その中の幼馴染にあたる少年がこちらに気がついたようで、


「やーい、耳なしーっ」


出会った早々に、何故かその少年がルシアを冷やかすように声を上げる。ルシアは気にも留めないが、しかし耳が長いのに耳無しとはこれいかに。


「もうっ、ラベルお兄ちゃんの馬鹿っ、ルシアお姉ちゃんを苛めたらメッなんだからっ」


と、子供達の一団の中から弁護の声。


「なんだよアネットっ。本当のコト言っただけだろ」

「知ってるもん、うーくんが言ってたもんっ。ラベルお兄ちゃん、実はルシアお姉ちゃんのことが好きだから意地悪してるんだってっ」

「なっ、何言ってんだよっお前」


そうルシアを庇ったのは巻き毛の少女、ルシアの一つ年下の幼馴染であり、ルブールの森の長老の孫娘に当たる。

しかし妙な方向に話が流れだした。


「へっへっへぇ、坊主ぅ、素直になれよぉ。ルシア嬢ちゃんは大人びてるから気にしてねぇみたいだがぁ、そんなんじゃぁ気は引けねぇぜぇ。最初は優しくぅ、次に一気に押し倒すのが基本さぁ」

「お前かっ! アネットに妙なことを吹き込みやがったのはっ!」


中年のオヤジじみた発言をするのはアネットの頭にしがみ付いたウサギのヌイグルミ、『うーくん』。

包帯をぐるぐる巻きにしているのでドコと無くバイオレンスな魅力を持つ、なんというかファンタジーな存在だ。

そんなやかましい一団を、ルシアは苦笑しながらじゃあなと手を挙げて後にする。


「気にするんじゃないよ」

「別に気にしてないぜ」


タイムリーだったのか、柄にもなくルシアにフォローを入れるセレヴェナ。気にしていないといえば嘘になるので、ありがたく励ましの言葉に感謝する。



『耳なし』



というのは、今のルシアを揶揄するためにあるような言葉だ。

ルシアは精霊の声を聞く事ができない。それは、エルフの間では知的障害に近い扱いを受ける先天的な形質だ。

エルフにとって精霊の声を感じることは呼吸することと同義である。

それは人間と呼ばれる系統において、エルフに特異的に備わった、進化の系統樹の解答例。

ヒト族、エルフ、ドワーフ、人狼etc…

この世界には様々な霊長種が軒を連ねる。ファンタジーらしい世界構成。


「精霊術以外は何でもできるのにねぇ」

「精霊術が使えない時点で致命的だぜ」


精霊術というのは、ヒトと共存する精霊達の力を借りて、超常の現象を引き起こす技だ。精霊術こそがエルフの証であり、力である。

故に、ルシアはエルフとして不完全だった。何度も、あの泉で精神集中や瞑想など、出来そうな事を試しているが、からっきしであった。


「(やはりエコロジーな思考が足りないんのだろーか?  エコライフの道は存外厳しい)」


心の中でぼやきながら、鼻歌を歌う母親の背中を見る。

明るい、細かい事にこだわらない母親。今の自分と似た顔立ちの女性。ルシアはそんな母親に少しばかり罪悪感を抱いていた。

『前の時』は親にそんな思いはさせたことがなかったから。それはある意味において子供らしい悩みであった。


「ただいま」

「おかえり」


一緒に戻ってきたのに、おかえりと応ずる母親。何が面白かったのか一緒に笑いあう。


「今日は大物がとれたんだ」

「へぇ、すごいじゃん。見せて」

「ああ、いいよ」


母親は一家の大黒柱だ。ちなみに、父はいない。

行きずりの恋だったのだとか。生殖能力の低いエルフにとってはどういった形でも純血の子が生まれることはめでたいことで、

アタシたちは集落総出で大切に育てられた。皆が家族のようなもの。それでも母親が特別なのは言うまでもない。

母親が持ってきたのは、大きな肉の塊を縄で吊るしたものだ。曰く、かなり大きな牡鹿だったらしく、とどめは自分が刺したのだとか、母親は狩の様子を自慢げに話す。

そうして、夕飯の支度を始める。余った肉は燻製にして保存食となるが、今日の分の肉は、漬け汁に浸した上で焼き上げる焼肉である。


「それにしても、ラベルにも困ったもんだね」

「まあ、聞こえないのは本当だから」


怒っても仕方がない。そうルシアが母親に告げると、


「アンタ、やっぱ変わってるわ」


とてもとても心外な一言。


「変かな?」

「そうだね、まあ年相応に子供っぽいところもあるけどね」

「…」


年相応に子供っぽいという言葉にダメージを受けるルシア。


「ルシア」


セレヴェナがルシアの目を覗き込む。鼻が触れる距離。ルシアは少し驚くと共に、胸の鼓動が早くなるのを感じた。

心臓に悪い、とルシアは思う。美人の母親。偶にこういう事があると、ルシアはセレヴェナをどこまで母親として見れているのか不安になる。


―やはり中途半端


ルシアはそんな自分を嗤った。そんな娘の葛藤も知らず、当人はというと、


「お腹すいたわね」

「いま肉を漬けてるところだから。我慢して」


ルシアは一気に脱力した。軽くため息をつく。


「そうだっ、エリンカの実を採りに行こうか。狩の時、ちょっとした穴場を見つけたのよ」

「え、ちょっ、待てっ」


母が無理やり私を連れて行く。なんというか、いつも思うが、フリーダムなヒトである。


「はぁ、変わってる度合いなら母さんも負けてねぇぜ」

「ん、何か言った?」

「いんや。エリンカの実、いっぱいあったらジャム作っていい?」


バイタリティ溢れる母親に引っ張られて家を後にする。

こんな、母親とか、周りに引っ掻き回される穏やかな毎日がずっと続くと、このときは信じていた。









[27798] Phase003-a『エルフさんと一つの再会①』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/05/24 20:10






「さて…」


7月下旬の焼けるような日の光にめまいを覚えつつ、ルシアは立ち上がる。午後から天気が崩れるとのことだが、今のところそういった兆候は無い。

空を見上げれば、突きぬける様な青空に、綿飴のような積乱雲が浮かび、天頂を一筋の飛行機雲が通る。

そして、足元には血で描かれた魔法陣。

一見、極普通(?)の夏の風景。

さて、ここは、見晴らしのいい郊外のマンションの屋上。無一文のルシアが転がり込んだ後藤宅の真上である。

後藤のマンションは4LDKと、いまだ20代の夫婦としては結構大きな買い物。あの男がイイトコのボッちゃんだということは前々から知っていたが、あるいは奴の両親がポンとお金を出したのだろうか?

ブルジョア死すべし。全国の労働者よ団結せよっ!

屋上から見渡すと、山の稜線と、周囲に立ち並ぶ高層マンション群、そして空の青。屋上にはルシア以外の人影は無い。

ルシアは独り、ぐいっと背を伸ばして息を吐く。すると、


「ルシアちゃん、って、何やっているの?」


声はルシアの背中から。振り向けば佳代子さんの姿。佳代子さんは屋上のコンクリートの床に描かれたモノを訝しみながらルシアに話しかける。


「ちょっと仕事してたんだ」

「仕事?」

「ん。今終わったとこだけどな」


屋上の床に描かれた魔法陣は、円と線を組み合わせた、赤黒い線で形作られる幾何学模様。色は正しく血の色であり、何も知らない一般人から見れば、悪魔召喚の儀式にしか見えないだろう。


「向こう…、つまり『異世界』と『この世界』を繋ぐための下準備って奴だぜぃ」

「ふうん、そうなの」


魔法陣は、ルシア自身の血液を獣脂に溶かしたもので作られている。

血液は儀式魔術において必須の素材だ。重要なのは術者自身の血液を用いる事で、生きた細胞が含まれていなければならない。

これにより儀式魔法陣は、術者の肉体の延長として初めて機能する。

ルシアの造った魔法陣は、いわばランドマークとして機能する。二つの世界という隔たりの中で、正確な位置を示すための灯台である。

この灯台の光を道標に、異世界からこちらの世界へと通り道が渡されるのである。


「まあそういう訳で、コイツが完成すればアタシはお役御免。後は向こうの連中が全部やってくれるんだ」

「そうなんだ。つまり侵略しにくるのね♪」

「違うから。あと、なんで嬉しそうなんだ?」

「あら、違うの? ルシアちゃんは地球侵略を企む悪の組織の先遣隊で、私たちはその協力者に仕立て上げられるの。きゃー、大変ね」

「どうしてそうなるのか」


嬉々として佳代子さんの脳から愉快なB級映画のシナリオが垂れ流される。どうやら、佳代子さんはかなり深いレベルで後藤に汚染されているらしい。


「それで、これからどんな悪事を働くの?」

「侵略者扱いは決定なのかよ」

「ワクワクするわ」

「せんでよろしい」


とはいえ、ルシアはふと考える。侵略する…でなく、世界間を行き来するためのゲートを作る下準備は終わってしまい、ルシアができる事など待つことだけだ。

それまで、何もしないのは余りにも芸がない。


「(うわっ、アタシ、こっちに来ることばかり考えてて、他に何も考えてなかったし)」


今更に自分の無計画さにルシアは気づく。と言うより、世界を越えるという事業がメインであって、それ以外のことに気が回らなかったというのが正解であるが。


「(さて、どうしたものか)」


かつて、何度もこの世界に帰りたいと嘆いたことはある。でも、当時は何の力も無くて、それはただの無いモノねだりでしかなかった。

今はその願いは叶い、しかしその事実を持て余している。

かつての家族に会いに行く? どんな顔をして行けばいいのだろう。考えるだけで億劫だ。


「ヘタレ…ね」


自嘲する。その一歩を踏み出せない自分に。逃げ道を探している自分に。そうして、少しの間、貫けるような青空を見上げて、


「そうだな。どうせ暇なんだし」

「?」


佳代子さんが首を傾げる横で、ルシアは何かを決意したように頷いて、


「佳代子さん、この辺りで一番大きな図書館って何処か知ってる?」


そう尋ねた。





Phase003-a『エルフさんと一つの再会』





県内で最大の蔵書を誇るらしい、某大学に付設された広大な図書館は4階建て。地下の階層を含めれば、おそらく一生かかっても読みきれない書物が納められているだろう。

こういう雰囲気は嫌いではない。ルシアはぶらりと図書館を散策する。

建物の中央には1階から3階まで貫く大きな吹き抜け構造があり、蔵書でごった返していながら、それなりの開放感がある。ただし、広すぎて管理が行き届いていないのか、所々においてある観葉植物の葉にはホコリが積もっていた。


「まずは…パソコンで検索した方が早いかな」


あるいは、ムームーなオカルト系の雑誌を当たってみたほうが早いかもしれない。

探しているのは、未解決の怪異に関する事件の情報。この世界に紛れ込んだ妖精文書に関わる事件を探し出す。

上手くいけば、妖精文書そのものがどこかに保管されている、なんて情報も見つかるかもしれない。

ルシアはまず、PCが置かれているスペースに腰を下ろす。久しぶりに触れるコンピューターに戸惑いつつも、触れている内に扱い方を思い出していく。

検索するのは、まずはあの事件、自分が転生するきっかけとなった、飛行機事故について。他に、後藤から昨日に聞いた、南洋の島の消失事件などを検索していく。

すると、未解決の超常現象を扱うサイトに行き当たる。


「うさんくせぇ」


一言で言えば、そういうサイト。体裁もどこか怪しく、とてもじゃないが、信じるに足るとはいえないダメな感じのサイト。

とはいえ、手持ちの情報が無い以上、こういうサイトから得た情報を検証していく必要がある。ここから、過去の新聞や雑誌のバックナンバー当たっていき、妖精文書が関わってるっぽい事件を探していくのだ。


―そして、そんな作業を始めて2時間ちょっと。

新聞や雑誌のバックナンバーをひっくり返して、出てくる情報は、人体発火とかミステリーサークルだとか、スカイフィッシュだとか、そんなものが大半。


「頭がおかしくなりそうだぜ」


とはいえ、そんな中にいくつか目に留まる記事がある。実際に新聞などの記事になり、原因が良く分からずうやむやになった事件。

そして、特に注目したのがとある二つの記事についてだ。

一つが、5連続で宝くじを当てたという男の話。獲得した賞金は総額で20億円以上にもなったらしい。もう一つが、どんな病気でもたちどころに治してしまうという奇跡を起こしたインド人の話。

注目した最大の理由は、二人の人物が共に妖精文書を保有していたという確たる証拠写真があったこと。二人は奇跡の石として、マスコミの前で妖精文書自体を見せている。


「探せば見つかるもんだな」


宝くじを5連続で当てたというのは、望む未来を手繰り寄せる能力を持つ第一類型の妖精文書『赤紫』の力だ。

いかなる病も治すというのは、完全性を実現する第十二類型『赤』の力。どちらも雑誌の写真にその姿がはっきりと映し出されている。

そしてもう一つ、この二つの件に共通する点がある。


「二人とも殺されてる…か」


そう、殺されているのだ。そして、件の妖精文書もまた奪われて消失しているらしい。


「偶然か? それとも…」


と、そんなことを考えていると、なにやら周囲が騒がしくなる。周りにいた来館者たちが、ガラス窓に集まりだす。


「火事でも起こったのか? つか、図書館なんだから静かにしろよな」


最初は無視をしていたモノの、騒ぎはどんどんと大きくなり、しまいには図書館の外へ駆け出す者まで現われる。流石にルシアも無視を決め込むわけにはいかなくなり、窓へと向かうと、


「なんだ…、コレ?」


それは、黒い何かだった。大学のキャンパスを埋め尽くす黒い何か。それが波立つように蠢き、学園を呑み込もうとしている異様な光景。


「ネズミ?」


何やら全体が生物の内臓のように蠢き不快感を催させるそれは、良く目を凝らせば小さな生物の群集。黒く薄汚れたネズミの集団であった。

ルシアは直感的にこの現象の裏にあるモノに感づく。というよりも、それはこの大学の図書館にて調べていたモノと奇しくも一致する。

妖精文書。脳裏に掠める。


「クソッ、いきなりかよっ。どこからだ、どこにあるっ?」


一息に吹き抜けのから階下に飛び降り、その姿に慌てふためく人ごみをすり抜けて、一気に図書館から駆け出す。

ネズミ達の行動は極めて攻撃的で、それらは黒い津波のように押し寄せて、学生達の身体によじ登り牙をむいているようだ。

周囲の人々の中には血を流している者もいる。うずくまる女性にワラワラと襲い掛かる無数のネズミ、それをカバンで追い払おうとする人、大学構内は混乱の坩堝の中に放り込まれたような様だ。

そんな逃げ惑う群集をかいくぐり走る。

見れば、ネズミの群集は大学のとある一つの棟を中心として湧き出すように這い出ている。

ルシアはその棟の中、開いていた二階の窓へ一気呵成に飛び込んだ。


「うおっぷ、臭ぇっ」


窓枠に掴まり息をしたとたん、獣臭と排泄物様々が混ざった悪臭が肺の中に入り込む。建物の中はそんな汚臭に満たされており吐き気がする。

そして床一面には走り回る有象無象。キィキィと無数の不快な鳴き声が辺りから響き渡る。

そんな中、


「助けて誰かっ!」


建物の中、左奥から女性の声が響く。振りぬけば、廊下の向こうに一人の女性が手持ちのカバンを振り回してネズミの群集の中で孤立している姿。


「ちっ、待ってろっ」


細胞を活性化する。強烈な自己暗示のよる無詠唱による術式の構成。ルシアの四肢より紫電が弾ける。


「行くぜっ」


リノリウムに躍り出る。瞬間、強烈な電流が床の表面を走り、周囲のネズミどもの蚤の心臓を停止させ、血液を沸騰させる。

ルシアは千切れ暴れる高圧線だ。触れるもの、近づくものは容赦なく彼女の纏う高圧電流の前に心臓を打ちぬかれる。

一足飛びで女性の下にたどり着くと、腕を振るって女性にまとわりつこうとしていたネズミの群集を払いのける。同時に手からほとばしった青白い火花が蛇のようにネズミたちに食らい付き、息の根を止める。


「大丈夫か?」


ルシアは女性に手を差し伸べる。女性は出された手を取り、その時、


「「え?」」


時間が停止する。

ルシアは信じられないものを見たように表情を引き攣らせて凍りつき、口をあんぐりとあけて女性を見つめる。


「(待て待て待てっ!? 有り得ないだろう普通。大体、昨日だってあの馬鹿と出くわしてビビったのに、今度はいきなり妹と遭遇とか絶対ありえないって。どれぐらいありえないかというと、新学期早々に曲がり角で食パンを咥えた転校生の美少女とぶつかった挙句に縞パンを目撃して学生カバンで殴打されるぐらいありえないっつーか、落ち着けアタシ考えろ、いや、素数を数えろ0、1、1、2、3、5、8、13、21、34…)」


エルフさんは混乱している。素数じゃなくてフィボナッチ数を数えるくらいには混乱している。

それもそのはずだった。目の前の女性は、前世、ルシアが転生する前、かつての、前川圭介の妹である、前川春名その人であったから。


「あ、あの、ありがとうございますエルフさん?」

「へ…? エルフさん?」


おずおずと声をかけてきた妹さん。しかしエルフさんとはコレ如何に。と、ここでさらなるミスが発覚。


「ふおぁっ!? 帽子が無ぇっ!」


耳を隠すための耳当て付き飛行帽が頭の上からなくなっていることに今更気づく。


「なんということだ。つーか、何やってんだアタシっ」


自分のバカさ加減にようやく気づいたエルフさん。頭を抱えて嘆く。


「えっと、取り込み中なんなんだけど、今はそういうコトしてる暇ないんじゃない?」

「ほえ?」


と、気づけば再び包囲網を狭めようとするネズミの大群。どうやら自分の迂闊さに苦悩するのは後にしておいたほうが良いらしい。

見回すと、すぐ近くにドアがあり、その中ならばしばらくはネズミの大群にも持ちこたえそうに見える。


「こっちだ」

「うん」


ルシアは春名の手を引いて、周囲のネズミを蹴散らしながら、近くのドアを開け放ち中へと駆け込んだ。そしてすぐにドアを閉ざして、ネズミを締め出す。

二人はようやく落ち着いた場所に来れたためか、深く息を吐いて床に座り込んだ。

内部はどうやら実験用具などの資材を保管するための部屋らしく、メスシリンダーやメスピペット、ビーカーなどが入ったダンボールが積み上げられて、空気は少しほこりっぽい。


「ふう、怪我はなかったか?」


そしてルシアは春名に振り向き、無事を確認しようとする。と、何故か春名さんは目と鼻の先にまで顔を近づけて、目をキラキラさせてうずうずしていた。

何事ですのん?


「ね、ね、ね、アナタ、何者なの? その耳本物? さっきの電撃みたいなのどうやったのっ?」

「え、いや」


ルシアは戸惑い押されっぱなし。記憶の中のかつての妹の姿と、今の興味津々な表情の彼女の姿にものすごいギャップを感じる。

ルシアの記憶の中の彼女は、もっと素っ気なくて可愛げ気が無かったはずなのだが、今の春名はまるで新しい玩具を発見した子供のように興味津々で、表情豊か。

想定外の再会と、妹の記憶の中の姿との相違と矢継ぎ早の質問でルシアは戸惑い狼狽する。


「もしかして、アナタ、この騒動を解決する為に来たの?」

「え、まあそんな所だけど」

「じゃ、じゃあ、そうなのね。いや、科学的にあり得ないのは分かってるけど、現実に目撃したもの。アナタ、魔法使いだったりするのっ?」

「い、一応」

「つまり。ずばり、アナタは魔法少女なのねっ!!」

「ええっ?」


ルシアは混乱する内に質問に答えてしまい、何故か魔法少女(笑)ということに。


「何故そんな発想になるっ?」

「え、だってエルフ耳だし、狙ってるとしか」

「いや、それだけで魔法少女なわけないだろう?」

「魔法少女って言えば、不思議な怪奇現象を魔法で解決する存在でしょ? で、アナタは魔法を使ってこの変な騒動を解決するんでしょ? ほら、アナタは魔法少女。間違いないわ」

「ぐっ」


完璧な三段論法。


「ていうか、その耳本物? 触らせて」


と、次のターゲットはルシアの耳。おもむろに近づいて、耳を引っ張ってくる。


「え、いや、まだ許可してないからぁっ」

「うわっ、本物なんだ~」

「ひゃん、息吹きかけんなっ」

「感じるの?」

「感じねぇよっ! 話聞けよっ!」

「解剖していい?」

「もっとダメだよっ!! つか、アンタいきなり失礼だなっ」

「あ、ごめんね。私、前川春名。春名って呼んで」

「アンタ唯我独尊だなっ」

「アナタのお名前は?」

「ルシアだよっ、パトラッシュ僕はもう疲れたよ…」

「ルシアちゃんっていうんだ。やーん、カワイイっ。抱きしめていい?」


異様にハイテンションな春名さん。とってもグッタリなルシアさん。とっても対照的。おかげで、ルシアの妹との再会による感動も感傷も一瞬で吹っ飛んだ。

先程の緊張感溢れる場面が一転、春名はルシアを抱きしめ頬ずりをしている。どうしてこうなった。


――しかしコイツ美人になったよな。


ルシアはぼんやりと考える。昔からそんな素養はあったとは思う。冴えない兄に、美人な妹。よく友人たちに比較されていたっけ。

とはいえ、今はそんなことをしている場合ではなく、


「はいそこまで、アタシにはやんなきゃならん事があるんだ」

「事件の解決?」

「イエス。何か原因みたいなこと知らないか?」


ルシアは一旦春名から離れ、正座させてから改めて尋ねる。すると、春名はうーんとと考えた後、


「そういえば、先輩が地下からネズミが沸いてきたとか言ってたかな」


とのこと。


「十分だ。じゃあ、アタシは行ってくるぜ。アンタはここで待ってろ、すぐ終わるから」

「大丈夫?」

「任せとけ」


そう言い残し、ルシアはドアに手をかける。向こうには無数のげっ歯類。一度だけ電流を流し、一気に外に飛び出す。

廊下に出ると、左右にネズミの大群がこちらを伺っている。ルシアが危険であることを認識しているのか、大群はルシアが歩くとずずっと後退して道を開けていく。

そこには、何やら知性のようなものと、一糸乱れぬ統率力が見て取れた。


「…ネズミに知性ね。アルジャーノンかっての」


とはいえ、創作の天才ネズミは人間に対して敵対的ではなかったが。

ネズミは道を開けていく。それはまるでルシアをある場所へと案内するようにも見える。否、案内しているのだ。ルシアはネズミの作りだした道を辿り、階下へと降りていく。


「ふん、鬼がでるか蛇がでるか」


道は建物地下の一室へと続いていた。キィキィと耳障りな鳴き声を後にして、ルシアはその引き戸を開ける。

内部は電気が点いてなくて暗闇。鼻は、先ほどからのネズミ達の獣臭などでバカになってて効かない。しかし、ネズミの大群はいないようで、後方のネズミの鳴き声だけが嫌に響く。

否、部屋の隅で何かカリカリと齧るような音が、


瞬間、閃光、轟音―


ドンッという爆音と共に全てが光に包まれ、急激に膨れ上がった圧力により引き戸を吹き飛ばされ、天井の蛍光灯は全て破砕され、部屋に置かれていた棚はひしゃげて床に転がった。

それはガス爆発。部屋に充満した可燃性のガスが千切れた電源プラグの火花によって点火された結果であった。

内部にいた生物は死んだか、虫の息だろう。おそらく高温により気道を焼かれたか、急激な気圧の変化に肺が傷つけられたはずだ。証拠に、まんまとこの部屋に誘い出された少女は、部屋の真ん中でうずくまり、ピクリとも動かない。

だからだろう、勝ち誇ったように一匹のネズミ、否、異形の獣が砕かれた蛍光灯のガラスを踏みしめて部屋の内部へと足を踏み入れた。足元でバリバリと砕かれるガラス破片の音は彼の勝利への花道を飾る万雷の拍手であった。

彼は、白い、雪のような純白の毛皮を持つ小型犬ほどの大きさを持つげっ歯類だった。彼はバイオリンの弦を力任せに擦ったような不快な高音で奇妙な笑い声を上げる。


「チュッチュッチュッチュ。全て計画通りでチュウ」


うねる巨大なミミズにも似た尻尾を振り上げ、彼は勝鬨をあげる。彼を取り囲む無数のネズミたちもまたキィキィと喝采をあげる。

全ては彼の栄光の未来を祝福していた。


「これは天チュウ。我々の壮挙の前座にすぎないでチュウ。我々小型げっ歯類を実験動物と称し、拷問の苦しみの中での虐殺を繰り返すサル共への復讐っ!!」


前足を上げて演説を行う。すべてはこの日のためであった。あの飼育用のケースから脱走したあの日から、雨の日も風の日も下水道の中で(中なら雨の日も風の日も関係なさそう)、汚濁と寒さの中で耐え忍び、機会を伺い力を蓄えてきた。

大学の講義を盗み聞き知識を深め、食堂の食べ残しをかすめて体力をつけた。

今日、全てが報われる。

すなわち、全世界げっ歯類一斉蜂起。サル共のインフラをズタズタに引き裂き、コレラやチフスをばら撒いて、混乱のふちに追いやるのだ。

地球を我が物であるかのように汚し、陵辱し、我々を家畜や実験動物と蔑んで不当な扱いをするサル共に鉄槌を下すのだ。


「将軍、この女どうしてくれまチュウか?」


側近のチュウ佐が部屋に転がっている女の死体の処遇を聞いてくる。もちろんガジガジだ。そうチュウ佐に指示を出そうとした時、


「何があったのっ?」


人間のメスが部屋に乱入してくる。どうやら爆発の音を聞きつけて駆けつけたらしい。飛んで火にいる夏の虫とはこのこと。同胞達の視線が人間のメスに集チュウする。


「ル、ルシアちゃんっ? 何てこと…」

「チュッチュッチュッチュ。この愚かなサルの仲間でチュウか? 残念だったでチュウね。このメスのチュウ殺は既に完了したでチュウ。だが安心するでチュウ。お前もスグに後を追わせてやるでチュウ。チューッチュッチュッチュ!!」


無力なサルを前に高笑いする。実験動物と自分たちを蔑んできたサル共が、今や自分の手の平の中と思うともはや笑いが止まらない。


「さあ、恐れおののくでチュ…、あれ? どういうことでチュウか? 何故か視線が高くなっていくでチュウ」


むんずと、彼の頭部を掴みとる手。それが彼をUFOキャッチャーの景品であるかのごとく掴みあげる。


「つーかまーえた」

「チュチュッ!?」


のっそりと、彼を掴んだまま少女が立ち上がる。口元は三日月のようにニヤッと吊り上がる。それは狡猾な悪魔のような笑みだった。


「ルシアちゃんっ、無事だったのね」

「まぁな。つか、何で出てきたんだよ。待ってろって言っただろ」

「だって、すごい音がしたし、心配になって」


思わず駆けつけてしまったらしい。ヤレヤレとルシアは肩をすくめる。そして、掴みあげた巨大ネズミを睨みつける。


「何故生きて…?」

「手前ぇに答える義理はねぇぜ。さあ、さっさと妖精文書を出せ」

「何のコトでチュウか? って、やめるでチュウ、振らないでっ」


ルシアは暴れるネズミを逆さにしてブンブンとシェイクする。


「ギ、ギボチワル…、オエッ」


すると、口の中からカランコロンと軽い音を立てて小さな石片、1cm大のエメラルドグリーン色をした欠片が飛び出してきた。


「ちっ、汚ねぇな」


唾液にまみれてはいるが、表面に浮かんでは消える黄金の文字の文様、間違いなく妖精文書。でっかいネズミを放り出して、ハンカチでくるんでそれを拾う。

妖精文書第六類型『翠緑』。存在の上限を取り払う、限界突破の力を持つ文書だ。おそらく今回反ネズミの生物としての限界、知性の上限を取り払ったのだろう。


「これで二個目かよ。ついてるんだか、憑いてるんだか」

「これで終わったと思うなでチュウ。貴様らはこの地球にとって害悪でチュウ。この星の全ての生命とため、今すぐ血祭りにあげてやるでチュウ。さあ、お前たち…、あれ? 皆、どこでチュウか?」


見渡せど、部屋には彼以外のネズミは一匹も無し。既に遁走済み。理を超越したネズミたちの統率も、彼の持つカリスマも、神秘の秘蹟が失われれば手の中からこぼれ落ちるのは必定であった。


「なんでチュってぇっー!?」

「うっさい」

「ひでぶ」


ルシアは白くて丸っこいのを蹴っ飛ばし、踵を返す。こんな獣臭い場所からはとっとと帰りたいのだ。


「春名、帰ろうぜ」

「うん。でもいいの、アレ?」

「ほっとけ」


ルシア達は焼け焦げた部屋を後にする。残された白いケダモノは一匹、恨みがましく二人を睨み捨て台詞。


「おのれサル共、お前たちはいつもそうでチュウ。好き勝手やって、他の生物のことなどお構いなし。貴様ら等、地球のガン細胞でチュウ」

「阿呆が。生物なんて、みんな自己中心的だっつうの」


人間なんて、そんな大層なモノではないのである。




外に出ると、既に日は傾いてキャンパスは緋色に染まり、建物の影が長く伸びていた。構内を埋め尽くしていたネズミの群れは既に無く、大学は安寧を取り戻していた。


「ねえ、あの宝石って何なの?」

「さあな」


春名を連れて建物を出る。すると、春名に駆け寄ってくる男が1人。ルシアは思わず身構えるが、


「春名君、無事だったんだね」

「あ、先輩」


どうやら大学の学生らしい。春名とは仲がよいのか、談笑している。微妙に春名の顔が浮かない様子ではあるが。

男は馴れ馴れしく春名の手を握り、しきりに怪我は無いかと心配そうに声をかけている。ルシアは会話に入り込む機会を失い、手持ち無沙汰になってしまう。

ルシアはなんだかイラついて、しかし、だからと言って何か言える立場でもないので、その場から足早に離れる。


「(ちっ、何なんだよ…。アイツに彼氏の1人や2人いたところで関係ないっつうの)」


不快な気持ちを理屈で無理矢理押さえ込む。大丈夫だ、妹が元気でやってるってだけで十分じゃないか。アタシはもうアイツを守るとかそういう立場にないんだから…。


「(でも、これでいいんだ)」


妹の恋路を邪魔する必要は無い。ノドに骨が引っかかるような気分を残し、ルシアは去ろうとする。が、


「ちょっと待って!」

「!?」


ルシアが離れようとしたのに気づいて、春名が男を振り切ってルシアを追いかけてくる。


「アイツはいいのか?」

「そんな変な気を使わなくていいのっ。ね、これから時間ある?」

「は?」


何を言っているのか理解できず、ルシアは気の抜けた返事をする。すると、春名はニコっとほころばせて、


「色々説明してほしいな。いいでしょ?」


それは有無を言わせない天使のような笑みだった。







[27798] Phase003-b『エルフさんと一つの再会②』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/05/27 20:07







大学でのネズミ騒動を後にして、ルシアは(強引に)妹さんに連行されていた。しかし、ルシアは諦めていない。その瞳には、どうにか妹の手から逃れようとする策略の光が見て取れた。


「えっと、そうだ、アタシ早く家に帰らないといけないんだ」

「じゃあ、送っていってあげる」

「それにはおよばないぜ。じゃあ、そういうことでー」

「ダーメ、逃がさないんだから」

「……」


第一次逃亡計画失敗。がっしりと肩を掴まれる。それはもう、がっしりと。


「あっ、あんなトコロにUFOがっ!」

「今、私の目の前には未確認魔法少女が存在するわ」

「……」


第二次逃亡計画頓挫。


「えっと、遅くなるって家に電話しなきゃ。公衆電話はどこかなぁ?」

「携帯電話持ってないの?」

「まあ、うん。ほら、アタシって魔法の世界のヒトだから」

「じゃあ、貸してあげるね」

「……」


第三次逃亡計画破綻。

春名は肩に下げたカバンから携帯電話を取り出し、ルシアに手渡す。少し大きめのストラップ。ウサギの縫ぐるみ。

愛らしいのであろうが、ルシアにとってウサギの縫ぐるみは妙な因縁があって複雑な気分になる。


「かわいいでしょそれ。ミッヒーっていう某有名ウサギキャラクターの偽者なんだ」

「偽者かよ…」


胡散臭さまで一緒かとルシアはあきれ返る。そうして、携帯電話を手に取り一考。


「じゃ、電話借りるぜ」


とてとてと、その場を離れてコールを四回。春名の視線はこちらを離れない。ため息。


「もしもし…佳代子さん? ルシアです…。いや、ちょっと遅くなっちまうからよろしく。え、いや、特にトラブルとかは…、うん、もう解決したぜ」


案の定、心配していた佳代子にルシアは簡単な経緯を説明する。


「男の子とデートっ!? ありえないからソレ。…まあデートには…じゃなくてっ。うん、メシは適当に喰ってくるから…。それじゃあ」


妙な勘繰りをしてくる佳代子さんをいなし、電話を切る。と、


「うわっ、何?」

「じ~」


目と鼻の先まで顔を近づけこちらをじとーっと見つめる春名さん。ルシアはのぞけって驚く。


「どこかのお家にご厄介になってるんだ」

「ま、まあ、何ていうか、ホームステイみたいな?」

「ふうん、すごく魔法少女的設定ね。ところで、ご飯どこかで食べて帰るんでしょ?」


春名は前置きの後に本題に入る。

先程から何かにつけて逃げようとしている少女。しかし、春名はもっとこの少女と一緒に居たい、否、仲良くなりたかった。

魔法の事や、先程の事件に好奇心が動かされたと言うのも事実ではあるが、何か心の底で、この少女を逃してはいけないという、本能的な何かが自分に訴えかけているのだ。

だから、彼女を引き止める方法を模索していた。そして、どうやらルシアは外食で夕飯を済ませてしまうらしい。こんな少女が独りで夕食というのも問題ありと勝手に理由を正当化して、


「ご一緒しない? ちょうど私もおなか空いてきたところなの」


どうやら、ルシアさんは春名から逃げられそうにないらしい。ルシアは少しの間逡巡し、視線を迷わす。


「どうかな?」


ルシアの目の前には少し不安げな『妹』の視線。ルシアは少し息がつまり、


「分かった。アタシ、この辺の美味しい店知らないから助かる」


そんな言い訳でルシアはその誘いを受けてしまう。ホッとするような春名の表情に、内心喜びと安堵に似た感情を覚えたことにルシアは天井を仰ぎ、


「(アタシは何がしたいんだろうな)」


思わず、心の中で自分を嗤った。





Phase003-b『エルフさんと一つの再会②』





やってきたるは豆腐屋じょでぃい。


「なんて巫山戯たネーミングだ」


きっとどこかの豆腐屋さんに喧嘩を売っているのだろう。


「でも結構美味しいのよねーここ。ネーミングは巫山戯てるけど」


和食を所望すると連れてこられたのは豆腐を使った創作和食。ネーミングの割には結構お客が入っている。


「雰囲気はいいよな」

「でしょっ。こうノスタルジックというかそんな感じで落ち着くのよね」


和紙の質感を生かした小道具や照明に、洒落たデザインの波打つ土壁には植物の枝や葉が塗り混まれており、全体が一種の作品のような雰囲気を醸し出している。

和風の衣装の店員(背中に「じょでぃい」という文字が達筆で書かれている)に通された座敷は小さな個室。メニューを見ると、とてもルシアの今の予算では対応できない。


「アタシの財布が泣いてるぜ…」

「いいわよルシアちゃん、私が払うからさ。今日は奢りっ」

「ん、でも悪いような…」

「いいのいいの、ルシアちゃんは命の恩人なんだから。お姉さんにどんとまかせなさい。竹コースでいいかな?」


妙に上機嫌な春名をよそに、ルシアの心情は少し複雑。前世のとはいえ、妹に奢られるという状況にルシアはなんとも言えない気分になる。

なんというか、ヘタレ?


「でも、ルシアちゃんは最初何食べるつもりだったの?」


メニューを仕舞い、店員に注文をつけた春名が出されているほうじ茶を啜りつつルシアに尋ねる。

財布の中身曰く「贅沢は敵だ! 鬼畜米英! 月月火水木金金!」

ルシアは少し唸ってから、


「牛丼?」

「却下、もう一度」


応えた回答は即座に差し戻しを受ける。


「えーと…、カツ丼?」

「何故、丼モノに拘るのかな……」


呆れ返る春名。それでも米に拘るルシア。こめかみに指を当てて考え、


「じゃあ、親子…」

「同じネタはダメよ」

「いや、予算の関係で割りと本気なんだけどさ。アタシの今年度予算は不況のあおりを受けて寒々しい限り。言うなれば夕張級?」

「財政再建団体?」

「借金だけがかさんで行くんだ。まるで人生だぜ」

「その心は?」

「利子ばかり増える」

「深いわね」

「何の話だったっけ?」

「天丼についてじゃなかったかしら」


話が妙な方向に脱線したところで突出しが運ばれてきた。白和えとかオカラとかをアレンジしたっぽい小鉢物。


「でも牛丼なんて…男の子らしいというか、なんていうかアンバランスね」

「そうか?」

「うん。貴女って性格は大雑把で、口調は男の子っぽいのに、こんなにお人形さんみたいに可愛らしいんだもの」

「むぅ」


可愛らしいと言われて、素直に喜べない複雑な身の上。


「可愛いって言えば、さっきの事件の真犯人、あのネズミさん。良く見ると可愛かったよね」

「そうか?」

「ネズミの大群は流石に気持ち悪かったけど」

「はっはっは。確かに」


ネズミとかは一匹だけならまだ可愛いと言えるが、大群になると気味が悪くなる。黒くて脂ぎっててカサカサ高速で動いて近づいたら飛び掛ってくるアレは一匹でも気持ち悪いけど。


「でも、ルシアちゃんすごかったよね。あの電気ビリビリってヤツ」

「春名だって落ち着いてたじゃないか。そっちの方がスゴイと思うぜ」


命の危機、しかも出来る事が少ない中で、落ち着いて対処できるという精神力の強さは驚嘆に値する。普通ならパニックになってもおかしくないだろうに。


「いやあ、褒めたって何もでないんだからっ。他にも魔法使えるの? 空を飛んだり?」

「まあ、一応は」

「すごーい、本当に魔法少女なんだぁ」

「魔法少女言うな」


何やらこだわりが在るのか、ルシアはそこの所は引かないらしい。その後もあの巨大ネズミが吐き出した石片、妖精文書についても尋ねられるが、ルシアははぐらかしながら適当に答える。


「つまり、ルシアちゃんはその妖精文書ってのを封印するために日本にやって来た魔法少女なのね!」

「だから、魔法少女違う」


とはいえ、ルシアにも似たようなコトをしているという自覚はあったりする。何しろ二日続けて妖精文書に関わる事件に出くわし、それを解決しているのだから。


「(偶然…だよな?)」


妖精文書は向こうの世界でも、そんな頻繁にお目にかかれるモノではない。出てくるのは、大抵が単独では何の力も発揮しない妖精文書の小さな破片、『書片(レターピース)』ばかりだ。

だからこそ、ルシアはこれが何か良くない事がおこる前兆ではないかという、言いようの無い不安を感じた。

そんなことを内心考えるルシアに対し、春名は浮かれている様子。目の前の非日常は、彼女にとってよほど刺激的だったらしい。


「魔法も使えて、こんなに可愛い女の子なんだから、魔法少女だって言っても誰も文句言わないのにー」

「そんな称号はいらん」

「まさか、魔法の国のお姫様とかそういう設定?」

「アニメの見すぎだぜ」

「マスコットキャラクターは?」

「そういうのは向こうに置いてきたなぁ。つーか、なんでそんな知識?」

「えっと、兄貴の残したパソコンに…」

「ぎゃぁぁぁぁぁっ!!」


なんとなしに口にした春名の言葉に、ルシアは絶叫する。恐ろしい事実だった。忘れてた、否、忘れようとしていた事実。

男の子のパソコンに残されたハードディスク。不慮の死で亡くなった英霊たちが真っ先に抹消すべきだったと悔やむ物品、堂々の一位にランクイン。


「(うわっ、死にたい、今すぐ死にたい。バカバカバカ、アタシのバカ!! なんで渡米する前に隠滅しとかなかったしっ!!)」


テーブルにつっぷしてジタバタしたり、頭を抱えたりするルシア。でも、もう遅すぎる。お前はもう終わってる。


「どしたの?」

「いえ、若気の至りです。はい」


どうにか理性を総員して平静を取り戻すルシア。釈然としない様子だが、ふうんと受け流す春名さん。しかし、


「でね、お兄ちゃんの残したハードディスクなんだけど、見てたらエッチい画像が―」

「ぐふっ」


吐血。ダメージカウンターがレッドなラインに突入。


「お兄ちゃんで実はメイドさんが好きだったみたいで―」

「ぷげはっ!?」


るしあさんに致命的なダメージ。


「どしたの?」

「い、いや、家族のだからってハードディスク覗くのは感心しないぜ。てか、男のパソコンの中身なんて絶対女には見せたくないモンじゃね?」

「いや、ちょっと気になってさ」

「おいおい」

「あはははは」


空笑いする春名を、ルシアは呆れ返ってジト目で睨む。


「(てか、コイツってこんな性格だったっけ?)」


ルシアは久しぶりに会った妹の現実とイメージとのギャップに軽く眩暈を覚える。否、今は女同士として会話しているのだからイメージとの違いがあったとしても驚くべきことではない。

そう、無理やり言いきかす。と、料理が運ばれてきた。なにやら饅頭のようなものに餡をかけた和風テイストなお料理。


「へえ、美味そうだな」

「でしょ、いただきまーす」


さじで掬って一口食べると、ふんわりなめらかとした食感、カツオの香り、出汁の程よい旨みと塩味が口に広がる。美味である。

で、そんな久しぶりの本格的な和食に感動しているルシアさんに対し、春名さんは神妙な顔になって覗き込んできた。


「何っすか?」

「いや、なんかね、ルシアちゃんと話してるとお兄ちゃんのこと思い出しちゃった。なんでだろうね…」


ルシアはその言葉に一瞬ぎくっとするが、目の前の妹の少し寂しそうな表情に息を呑む。


「へ、へぇ。アンタ、兄弟いるのか。そういやハードディスク覗いたとか言ってたか」

「うん、いたっていうのかな。五年前に飛行機事故で死んじゃったけど…。なんて言うのかな、ルシアちゃんみたいに口が悪くて…、ふふ、それに何かおかしなヒトだった」


――悪かったな。


「あと、ヘタレ」

「アタシもか? アタシもなんだなっ?」

「アハハ、ごめんごめん」


向かい合いじゃれあう。新鮮だとルシアは思った。


「でも悪いこと聞いたな」

「ん?」

「いや、兄貴のこと」

「あ、ううん。全然気にしてないよ。全然ね…」


そう言いながらもどこか寂しそうで、


「本当にイキナリだったんだよね、あの事故。しかも最初は乗員乗客全員が行方不明だったから、お父さんもお母さんも、兄貴が生きてるって希望が捨てられなくてさ。結局、誰の遺体も見つからなくて…。結局は二人とも疲れきっちゃって…。あの後はいろいろ大変だったな…」


春名が思い返すようにポツポツとその時のことを話していく。ルシアはそれに黙って耳を傾ける。

胸からこみ上げるのは罪悪感。そして郷愁の思いだろうか。思い返すならば、あの飛行機事故についての前後の記憶はほとんど無い。

だけれども、家族が死んでしまった時の残された者の悲しみは判っているつもりだった。そう、

死なんてものは突然だ。何の前触れもなく、理不尽に死は訪れる。そう、あの時も―

記憶に刻まれたのは赤。

漆黒の曇天を照らす朱。

流された血液の紅。

ルシアの、

ルシア=ルブール=ラトゥイリの小さくて幸せな箱庭は、

6歳の誕生日。森のエルフとしての最後の誕生日の夜に破局した。








[27798] Phase003-c『エルフさんと一つの終わり』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/05/30 23:17






それは、全てが終わってしまった記憶の欠片。





Phase003-c『エルフさんと一つの終わり』






「どうして村の位置がバレた!?」

「分からん、結界が人間ごときに破られるなどありえん!!」

「くそ、囲まれてる! 子供たちをこっちへ!」



喧騒と怒号に包まれ、赤く燃える空。焦臭い臭いが辺りを一面に満たす。森の迷いの結界を謎の武装集団が破ったらしい。

完全に不意をつかれた村の防衛線は、ろくな組織的な抵抗も出来ずに脆くも崩壊した。


「母さん、これって!」

「ルシア! ラベル君も早くこっちへ!」


母であるセレヴェナに誘導されて森の外れの避難場所にルシアを含めた子供たちが連れられていく。

振り返れば村の方角の空は煌々と赤く燃え、黒い煙が血の色に照らされていた。ルシアは膝が震えるのを感じた。夢であって欲しいと意味も無く願った。


「…アネットはっ?」


ふと周囲を見回して思い至る。アネット=ルブール=サフィーサリス。一つ下の幼馴染の少女。いつも妙なウサギのヌイグルミと一緒にいる妹分。

彼女の影が見当たらないことに今更ながらルシアは気付いた。


「…アネットちゃん?」


母は逡巡する。だけど今更引き返すわけには行かず―


「大丈夫さ。きっと…長老様の所で守ってもらってるはずだよっ…」



―無理に言い聞かすように。



「さあ、こっちに…!?」


その瞬間、セレヴェナが子供たちを庇う様に立塞がって手を前にかざす。風の防護結界。しかし、間髪いれず、森の闇の中から突如驟雨の如く矢が降り注ぎ、



「がああああああああっっ!?」



いくらかの矢が風の盾を抜けて、その中の一本が連れられていたエルフの青年の右目に刺さった。矢の刺さった右目を押さえ彼は転げまわる。

まるで自分の右目が穿たれたかのような感覚をルシアは覚え、吐き気を催す。


「いやあああああっっ!」「ママ~~!?」「ダメだ、バラバラになったら!」


そして子供たちがパニックを起こして蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。護衛の大人たちはそのフォローに回りきれず、飛び交う矢に護衛の大人までも次々と倒れていく。


「ひぅ、早く、に…にげっ、ないとっ」


自分に言い聞かせるために言葉にだす。けど舌が回らない。膝が笑う。どうにかして逃げなきゃいけないのに、次の行動が思い当たらない。マズイ…マズイ…。



『GAAAAAAAA!!!!!』



「なっ、虎!?」
 

そして茂みから突然身を踊りだしたのは体長3mを超える一匹の巨大な虎。否、その剣のように伸びた犬歯はサーベルタイガーそのもの。


すなわち、最強の肉食哺乳類『王虎』。


その王虎が藪の横合いから護衛役の女性に踊りかかり押し倒したのだ。


「姉ちゃんっ!?」


ルシアの幼馴染であるラベルが叫ぶ。押し倒されたのはラベルの姉フォーミス。頭を噛み砕こうとする巨大な顎をフォーミスはなんとか両手で抑えるが、鋭い爪が彼女の体に食い込み、その抵抗は既に時間の問題となっていた。

子供達はその雄叫びに恐慌状態になって、ある者は腰を抜かし、ある者は頭を抱えて蹲る。同時に茂みから現れたのは獣人の傭兵と盗賊風の人間たち。

彼らは槍や巨大な剣、弓で子供たちを、まるで的を射抜くように次々と切り裂き、貫いていく。まるで遊んでいるかのように。

酷く残酷な、赤い赤い舞踏。


「うあ…」


ルシアは吐き気でその場に蹲ってしまう。目の前が朦朧となり、震えは止まらず、足を止めてはいけないと理性では判っていたのに。

恐怖と焦りでルシアは思考することを放棄してしまいそうになった。しかし―


「我が爪は疾風、其は大樹を薙ぐ大剣!」


声が響き渡った。その瞬間、旋風が巻き起こり大気が悲鳴を上げる。不可視の剣が振るわれ、武装した男たちと虎をまるで木の葉のように巻き上げ撥ね飛ばした。

澱んだ絶望と血の臭いを引き裂くように、凛と響き渡ったのはセレヴェナの、母親の声。

精霊術の詠唱。

セレヴェナの声に精霊が応え、加速され収束された大気の斧が周囲の樹木ごと対象をなぎ払ったのだ。


「これは…、そうかい…」


意外なことに、目の前の事象に驚いたのはセレヴェナも同じ。セレヴェナはまさかこれほどの威力になるとは思わなかった。だがその理由にすぐに行き着く。

精霊魔の性能は交渉する精霊の力でその威力が左右される。

普段の彼女の魔術よりも性能が飛躍的に高まったのなら、それは精霊の質が違うことを意味した。それはつまり、いままで『彼』が守護していた者が倒れ―

セレヴェナの表情に一瞬影が差すが、


「大丈夫かいっ?」


そんな思いを振り切り、すぐにセレヴェナは友人の安否を確認する。感傷に浸る暇などありはしなかった。


「くっ、セレヴェナ…助かったわ」


フォーミスはセレヴェナの手をとって警戒するように立ち上がった。肩には深い爪による裂傷。精霊術による治癒は気休めにしかならない。

しかしそれでも、今は生き残った子供たちを連れて逃げ出すのが最優先であった。

問題はあの虎だった。

あんなモノを使う賊など彼女には一つしか思い至らなかったが、同時に何故そんな厄介な相手がこの森を標的にしたのかがさらに問題であった。

フォーミスとセレヴェナは薄々、今回の武装集団の目的が何であるかに思い至っていた。


―ならば、標的から離れれば助かる可能性は高くなる。


「ルシア、ラベル君、森を突っ切るよ。彼らの目的はアタシたちじゃないからね。村から離れれば…。フォーミス!」

「セレヴェナ、ちょっと皆一緒ってわけにはいかないみたいだわ」

「え? 王…虎っ!」


目の前にはいまだ健在の巨大な虎。先ほどの烈風には少し驚いた様子ではあるが、首を振って再びゆっくりと間合いを詰め始める。

最強を冠する理由はその膂力と牙のみに非ず。鋼の刃すら通さぬその毛皮の鎧こそ彼の王の象徴。


「セレヴェナ、弟を、ラベルをお願い」

「フォーミスっ?」


フォーミスが肩の傷を押して、三人を庇うように王虎の前に出る。腰の曲刀を構えるは正眼。



きっと勝ち目などない―



「後で森の外で落ち合いましょう。さあ、行って!」

「そんな、姉ちゃんっ、ダメだっ、死んじまうよっ!」


ラベルが姉に駆け寄ろうとする。が、それを引き止めたのはセレヴェナ。


「ラベル君、ゴメンよっ」

「離せよっ! おばちゃん!」

「行きなさいラベルっ! お願いだからっ」

「姉ちゃんっ、姉ちゃんっ!!」

「ラベルっ!!」


フォーミスは叫ぶ少年に叱咤する。その瞳には涙が溜まっていて、


「いくよっ!」


セレヴェナが二人の手を掴み、森の中へ駆け出していく。ラベルも泣きながらそれに引きずられるように懸命についていった。

三人は道なき暗い森を走り抜ける。森の民であるアタシたちには造作の無いこと。一刻も早く森から脱出しなければならない。

何故ならもう村は―


「!?」


セレヴェナが左手を水平に上げて私たちを制止させる。

意図せずとも森の守護精霊と契約を交わした彼女には分かってしまう。前方に良くないモノがいるということに。

そして木の陰にルシアとラベルを誘導して、


「其は我が不可視の皮、我等が身は大気…」


そう、彼女は呪文を唱えた。すると不可視のベール。ルシアとラベルの二人の周りをレンズのように透明な空気の膜が周囲の風景を歪ませながら包み込む。透明化と消音の高位精霊術。

セレヴェナは二人に向かってシーっと指を唇に当てる。


「すぐに戻ってくるから、いい子にしてな。絶対に、出てきたらダメだからね」


ルシアは頷く。それが彼女と母親と交わした最後の言葉。



―それが母親の最後の声であったなら良かったのに。



セレヴェナは藪に身を隠しながらそれらに近づく。

木々の間から覗くと、その先に森が開けた一帯があり、そこに一人、誰かが立っているのが見えた。顔はよく見えないものの、幸いに王虎らしき影は無い。

しかし、良く見れば特長的な細長く尖った耳。エルフと判る。もしかしたら集落の住人かもしれない。そんな考えがセレヴェナの脳裏によぎった時、

突然、アルトの良く通る声が投げかけられた。


「隠れていないで出てきたらどうです?」

「……」


どうやら、感づかれているらしく、セレヴェナは大人しく男の前に姿を現す。そうすると今まで良く見えなかった相手の顔を視認できるようになり、


「ほう、セーハが貴女についたということは。他の直系は皆死んだということでしょうか?」


その声の主は、彼女のよく見知った、金色の髪のエルフ。


「あっ、あんたは・・・っ!?」

「久しぶりですねセレヴェナ。5年ぶりですか」

「どうして…あんたが?」


セレヴェナは唖然として問いただす。しかし、相手の男はそんなセレヴェナの狼狽する姿がおかしいかのように嗤う。


「どうしてとはご挨拶ですね。この森が襲われる理由、当然判っていますよね」

「やはり…文具、妖精文書を?」

「どうでしょう、セレヴェナ。私の貴女の仲です。私と共に来ませんか?」

「裏切り者! 我が爪は疾風、其は大樹を薙ぐ大剣!」


セレヴェナの怒気に合わせて風が唸る。森を大地ごと切断するであろう大気の断層。それが金切り声を上げて放たれ―


「ミーミル!」


轟音。不可視の断層は突如大地から突き出した巨大な岩の腕によって阻まれた。


「なっ…、ゴーレム!?」

「その通りです。ミーミル、セレヴェナに姿を見せてあげなさい」


隆起する大地。森を覆う影。ゴトゴツとした岩山が瞬く間にせりあがる。その頂上にある小高い丘には、窪みに爛々と輝く二つの光。瞳。巨躯のヒトガタ。


「くっ、セーハ…!」

「無駄です」


疾風を放つセレヴェナの攻撃をモノともせず、ゴーレムが地響きを上げてセレヴェナに掴みかかる。疾風はゴーレムの表面を削るだけに留まり、彼女はむんずと巨大な岩の手で掴まれてしまう。


「ぐっ」

「どうです、考えを改めていただけませんか?」


勝ち誇ったように男が笑う。が、苦悶の中にいるはずのセレヴェナもまたどういうわけか、嘲るように男を見下ろした。


「クイント、残念だけどアンタには『アレ』は使えない。いや、この世の誰であっても」

「む?」


男の表情が固まる。それを見届けると、今度はセレヴェナは勝ち誇ったように笑みを浮かべ叫んだ。


「堕ちた貴様に下るアタシじゃないよ! 風よっ!!」

「くっ!?」


風と岩が交錯する。

それは一瞬の事だった。ルシアは目を覆うことができなかった。本当は見てはいけなかった。

風は重厚な土壁に阻まれてかき消えた。そして―


「あがっ―」


脊椎が折れる鈍い破砕音。耳に刻まれた。


「ぎっ」


血が喉に詰まり濁った母親の声。心に刻まれた。


「ご―」


血が喉から噴出す音。目に焼きついた。


「――」


岩の手の指の間から赤いのが流れ出し―


「ひぁ…」


ルシアは叫ぶことも出来ず赤を視界に刻み込まれる。そしてボトリと母親だったモノが大地に落下した。

そして、それを顔をしかめて見下ろす男。彼は手を巨大なゴーレムに当てて責めるような視線をぶつける。


「くっ、しまった…。ミーミル、力加減を誤るとは、この馬鹿者が。しかし、私に『聖鍵』が使えないとはどういう? ナーソフ殿に報告すべきでしょうか?」


男は指を顎に当てて考え込む。人を今殺したのに、おそらく見知った相手を殺しただろうに、その声は酷く落ち着いていた。それが、ルシアにはひどく苛つかせるものだった。

悲しさとか、恐怖とか、悔しさとか、怒りとか、そんな激情がルシアの中でグルグルと暴れ、外に出ようと脳を沸騰させる。

だけれども、今出て行けば母親の犠牲が全て無駄になる事は理解できた。だから、右腕を噛んで声を押し殺す。涙を流して感情を押し殺す。

だけど、だからこそ、ルシアは隣の少年を気にかけることはできなかった。青ざめ、ガタガタと振るえ、既に幼い精神に限界をきたしていたラベルのことなど考える暇は無かった。


「うわっ…、うわぁぁぁっ!!」


だから、恐慌に陥って叫び、逃げ出したラベルを制止させることが出来なかった。不味いと思った時は既に手遅れで、腰の抜けたラベルがつまずいて転んだ後だった。そして、


「誰ですかっ?」


動き出したために隠蔽の術が解かれたためか、ラベルの醜態はゴーレムを操る男の知るところとなった。男の視線がこちらの位置を貫く。

ルシアにとって、初めて向けられた殺意は首元に当てられた鋭利な刃のようで、


「ひっ…」


息が引きつった。気がつけば身動きが取れなくなっていて、ルシアは恐怖という名の檻の中に囚われていた。

しかし、そんなことに構わず男は殺気を含んだ声で呪文を唱えた。


「…わが手は土、其は天を睨む蛇」

「うあっ!?」


男が水平に上げた右手の平を返したその瞬間、足元の地面が一気に隆起して二人を跳ね飛ばす。地面を転がって、気がつけば目の前には、金色の髪をした蒼い眼のエルフの青年。


「子供ですか。…ふむ、震えているようですね、可哀想に」


エルフの青年が口を歪める。酷く整ったその顔が、ルシアには恐ろしく邪悪なものに見える。故郷を焼かれ、母親を殺され、恐怖で泣き喚いたらむしろ楽なのかもしれない。

刻まれた赤。目から離れない。胃からせりあがる。怖くてたまらない。悲しいとかは通り過ぎた。しかしルシアは、隣で腰が砕けて震えながら呆けるように男を見る少年の姿を見て、


「アンタ、エルフ…だろう?」


ルシアは立ち上がる。立ち上がってしまう。そんなもので支えなければ、きっとどうにかなってしまいそうだから。

そんな少女の姿に、青年は一瞬目を丸くする。


「ええ、そうですよお嬢さん。それが何か?」


青年が押し殺す様に嗤う。怖気が走る。それでも震える身体を押してルシアは声を振り絞り、問う。


「なんで…お母さんを殺したっ!!」

「母親…? っ! なるほど、年齢的には…、つまり貴女はセレヴェナと私の…。ふむ」


男は驚いたように目を見開くと、何かを考えるように俯き、


「守護精霊、セーハはそこの少年ではなく貴女に憑いているようです。どうですお嬢さん、僕のモノになりませんか?」


突然、男の雰囲気が変化する。君の悪い怖気と、その中にあった鋭利な冷気が消え、だけどルシアの怖気は消えない。


「何…言ってる?」


何を言っているのか。ルシアには急な青年の心変わりに疑念を抱く。それは当然のこと。


「何、不自由はさせませんよ。何故なら、貴女は私の娘なのですから」

「娘…? 冗談だろう」

「冗談ではありません。貴女は私とセレヴェナの娘ですよ。真名を言い当てましょうか? アリーリス」

「!?」


真名。それは呪術から身を守るための、一種の儀式魔術だ。名前は呪術の鍵に利用されやすいが故に、通常の名前とは別に「真名」を付けることで呪術からある程度身を守ることが可能となる。

故に「真名」を知るものは限られ、兄弟親類であっても知らされる事は無い。それを知ることが出来るのは3人だけ。本人と、両親だけのはず。

故に、その名、アリーリスという「真名」を知るのは、ルシアと母親であるセレヴェナ。そして、ルシアが顔も知らない父親だけのはず。


「だったらっ、何でお母さんをっ!!」

「力加減を間違えましてね。非常に残念なことです」


激昂するルシア。つまり、この男は妻である女を殺しておいて、こんな平然としているのだ。そのことが、ルシアをさらに怒らせる。対照的に男は酷く冷静な表情で言葉を続ける。


「ふむ、…そうですね。では、こういうのはどうでしょう。もし、私の元に来ると頷いてくれるのであればそこの少年を見逃して差し上げることもやぶさかではないのですが」

「なっ、そんなこと信じられるかっ!」

「信じる信じないは貴女の自由です。私としては、貴女を無理やり奪って、そこの少年を殺すこともできるのですがね」

「ぐっ」


その提案にルシアはグッと拳を握って、感情を押さえ込んだ。

脳裏に掠めるのは、赤。

母親を目の前で惨殺した男の言葉を信じるのか、父親だと嘯くこの男を。そもそもこの男を許すことが出来るのか。

だが、この交渉を持ち出したこの男のメリットは何か。確かに、自分を欲するなら無理やり奪うことぐらい簡単だろう。

ただ目の前の鼠を嬲る猫を気取っているのか。しかし自分たちに採りうる選択肢などあるのだろうか。

逃げ切れる? 後ろを振り向くと、腰を抜かしてガタガタ震える少年。

ルシアの判断は、否。子供の足で、よりにもよってこんなゴーレムを操るような相手を前にそれは無謀すぎる。

恐怖で震える中、ルシアの思考は冷静に状況を分析しようとしていた。

母親を目の前で惨殺されたその直後に。

内心で自嘲する。


「本当に…」


そもそも目の前の男を信用できない。だがこの男言うとおり、この男の力なら私たちを殺すなんて造作も無いはずだ。

助けてくれるなんて確証はないし、ラベルが背を向けた瞬間、後ろから笑いながら殺すかもしれない。そして自分はきっとひどい目に遭わされるのだろう。だけど、


「本当に…ラベルを見逃してくれるのか?」


ルシアは相手を真っ直ぐに見据える。


「ほう…、母親を目の前で殺されてなお、良い目をする。ええ、セーハと貴女さえ手に入ればそんなガキの一人や二人どうなろうと」


多分、ろくな目には遭わないだろう。こんな状況に酔っているのか?

ルシアは思う。悲劇のヒロインでも演じているつもりなのか。それはなんという自己満足。しかしそれは実際には現実逃避であった。今の彼女がそれに気付くことなどなかったのだけれど。


「なら…分か―」


「ふざけるな!!」


「あ…ラベル…っ?」


その時、うずくまっていたはずのラベルがルシアの前に立ち塞がった。


「ルシア、逃げろ! セーハ、ルシアを頼む!」


少年の周囲に風が巻き起こる。


「せっかくの生き延びる最後の機会でしたのに…。馬鹿な少年です」


渦巻く風。母が為した風に比べればあまりにも頼り気無い。だが巨人が巨腕を振りかぶる。


「逃げろラベルっ!!」
「逃げろルシアァァァァァ!!」


巨大な岩の拳が少年を弾き飛ばす。血が、


「あ…」


赤いがアタシの顔に、服に。


「あ…」


いやだ。こんなのは―


「何、今日のことは明日になれば全て忘れてしまいますよ。さあ…」


赤い。紅い。急に冷たい月の光が差し込む。

顕になる母親だったモノのナニカ。

べっとりと体にこびりついた友人の身体を流れていた命。



― そして月は、彼女は独りを照らし出した ―


こんなのは違う。


「いや…」


――来るな、


「ん…これは?」


 ― パリッ ―


「来るなぁぁぁっ!!?」


視界が白い閃光に焼かれ、ルシアの意識はそこで―




「僕のゴーレムを…、腕一本とはいえ蒸発させると…、うぐっ」


金の髪のエルフの青年は頭を抱える。それは脳を切り裂くような痛みであり、彼にかけられた強力な呪詛を無理やりに引き裂かれた反動だった。


「そうか、私はあの時、あの男に…っ。ぐっ…、そんな…私はなんてことを。セレヴェナ…すみませんっ」


男は片手で頭を抱えて頭痛に耐えるような仕草をとる。記憶が逆流しているのだ。そして、その目には先ほどまでの狂気は無く―


「この屈辱…。いつか報いを受けてもらいますよ…」


憎しみに顔を歪めながら、しかし眼下で涙を流し気絶する少女の頭にガラス細工に触れるように手を当てる。

雷、彼女が放った。とてもセーハの力だけとは思えない。おそらくは周囲の下級精霊を総動員したのだろう。


とても5歳前後の少女の技とは思えない。


「エルフの戦士顔負けの精霊術ですか…。しかし…」


男は少女を抱き上げる。あくまでも無表情に。そして―


「しばらくは…。あくまでも道化のごとく…」


そんな言葉を残し、二人は森の闇にその姿は消えた。







「…でさ、私もさ、お兄ちゃんはもう死んだんだって思ったとき、なんだかすごく、唖然としたっていうか、なんていうかすごく後悔した。なんでもっとあの時、ってルシアちゃんっ?」

「ふぇ?」


気付けば、ルシアの瞳には大粒の涙が溜まっていて。


「ごっ、ごめんっ!」


ルシアは慌ててハンカチを探す。そんな彼女の目元に春名はハンカチを添えて涙をふき取った。


「私こそゴメンね、こんな話いきなり聞かせちゃって。でも、なんで貴女にこんな話聞かせちゃったのか判らないけど―」


春名は一息置いて、


「泣いてくれてありがとうね」


優しくそう微笑んだ。

ルシアはズキリと胸が痛んだ。


そうして、会話を楽しみつつ、夕餉に舌鼓を打つ。内容は、豆腐を主体としたシュウマイやサラダ、ザル豆腐など多様で、豆腐一つでも色々食べ方があるんだなとルシアは感心する。

そして、


「「ごちそうさま~」」


和やかに夕食は終わる。


「そうだっ、メルアド交換しない?」

「メルアド?」


春名は唐突に携帯電話を取り出す。ルシアは何のことかと首をかしげ、


「あ、そっか…」


春名はハッと気付き、


「持ってなかったんだっけ…、ゴメンね」


シュンとする。ルシアは何故か、春名にそんな表情をして欲しくなくて、


「い、いや。そろそろこっちで使えるやつ買おうかなって思っててさ」


思わずそんな事を言ってしまう。で、結果として―


「じゃあさ、今度、一緒に携帯電話買いに行かない?」

「へ?」


ルシアは思わず気の抜けた声を上げた。








[27798] Phase004-a『エルフさんは魔法使い』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/06/02 20:26






Phase004-a『エルフさんは魔法使い』







「で、結局『元』妹と携帯電話買いに行くことになったわけか。お前、アホじゃね?」

「アホ言うな。うう、なんでこんな約束したんだアタシ…」

「相変わらず墓穴の中で墓穴掘ってんのな、お前」


かつての友人と向かい合わせに座るエルフがテーブルに伏す。

ダイニングのテレビからは日本人大リーガーの活躍を映す夜の報道番組が流れ、それを眺めながら受け答えする後藤は手元の缶ビールを飲み干して微妙に手持ちぶさたになっている。

ちなみに舞耶ちゃんは寝室のベビーベッドの中。


「いいんじゃないかしら、楽しかったんでしょ?」


妹さんと久しぶりに会ってと、佳代子さんがお茶をトレイに載せてやってくる。


「いや、予算ないし、身分証ないし、口座ないし」


ルシアはこっちのお金は生憎持ってはいなかった。よって買わされるだろう数万もの値が張る最新機種など到底手が届かない。

そもそも身分証も口座とか無いのに契約とかどうするんだろう。頑張って偽造するか?

ルシアは考える。


「そうよね、どうにかならないかしら?」

「いや、無理だろ」


佳代子の善意を軽くあしらう後藤。ルシアは考え事をしながら独り言を呟く。


「まあ、明日は一日空くから、役所とかいろいろだまくらかして身分証なり手に入れるとして…」

「ねえ、隆さん…」

「判った判った、口座ぐらい貸してやるよ。金はださんぞ、この迂闊エルフめが」


佳代子さんの視線に耐えかねた後藤が折れた様子。何故か話が進んでいた状況に、ルシアは呆れるものの、


「ありがとな…」


そう感謝の意を。そんな反応に照れ隠しにそっぽを向く後藤に、ルシアの悪戯心がもたげ、


「予算なんだけどさ。一応当てはあるんだよ」

「盗むとか言うなよ」



 ルシアはポーチから小さな袋を取り出し、テーブルの上にその中身を広げた。それは―


「「は?」」


夫婦二人は目を丸くする。そこに広げられたのは無数の、


「ダイヤ。換金してこっちでの活動資金にしようと思っててさ」

「本物か?」

「少なくとも向こうでイミテーションは見たことがねぇな。向こうじゃブリリアンカットとか開発されて無くて、そんなに言うほど価値ないからさ」

「お前のポーチは四次元か…」


カッティング技術が進まないとダイヤモンドの本当の価値は生まれない。光を美しく散乱してこそのダイヤモンドだ。


「綺麗ね、でも確かに普通のダイヤとはちょっと違うみたい」


ルシアは目をキラキラとさせる佳代子の手に一粒のダイヤを落とす。


「ま、宝石商に適正価格で買い取らせれば一千万分ぐらいはあるんじゃね?」


魔女であるルシアには適正に買い取らせる手段ならいくらでもあった。一千万と呻いて黙り込むかつてに友人に向かい、


「まあ予算に関しては本当はそんなに気にしなくていいんだけどさ」


ふふんと自慢げに胸をそらすエルフ。


「てか、未成年だと大人が付き添わなきゃいけなかったんじゃないか?」

「げ」


そんな後藤の反撃に、しまったと口に手を当てるうっかりエルフ。


「やっぱりこの身体が問題なんだな…、くそっ、アタシにもっと身長(ちから)があれば」


本気で悔しがるエルフ。


「あ、私が行きます。妹さんにも会ってみたいし」


と、ここで助け舟とばかりに佳代子が挙手。


「なんということだ」
 

佳代子+舞耶と春名の遭遇。脅威の化学式。ルシアは想像し、天井を仰ぐ。と、後藤がふと気づいたように。


「ところで、お前の肉体年齢っていうか、向こうでは何歳なんだ?」

「ん? たしか、今年で19歳だったかな。言ってなかったか」


唐突な質問に、そう答えるルシア。と、唐突に周囲の空気が停止する。


「そうなの? 私はてっきり12、3歳ぐらいかとおもっていたのだけれど」


「その、13の時に妖精文書の暴走に巻き込まれてさ。肉体の成長が止まったっぽいっていうか…」


停止した空気から解かれた佳代子さんが、改めて確認するように尋ね、ルシアはそれにごにょごにょと答える。

そこに後藤は何故かズズイと身を乗り出した。


「つまり合法ロリだな」

「合法…、いや、まあ、確かに見方によったらそういう表現もあながち間違いじゃないっていうか」

「つ・ま・り・永遠の○学生?」

「いや、エルフは基本的に不老だし。単純に成長が止まっただけで…」

「おお、神よ。ここに我々の永遠の理想が具現化しています」

「は?」


何故かキラキラとした瞳で、いきなり天に感謝をささげだす後藤。大して意味がわからないという表情で、男を唖然と見上げるエルフ。


「すばらしいっ! 本来ロリとは女性のほんの僅かな一時を瑞々く彩る蕾の時。本来ならば数年で花開き、「女」へと開花してしまうであろうその通過点でしかないその一瞬の輝きを、お前は永遠のものとしたのだっ!!」

「うわぁ、超他人のフリしてぇ」


ロリについて高らかに力説する男。伴侶がいる前でなお、容赦なくこんなことが出来るのが変態たる由縁。


「フハハハハっ!! フゥーアッハッハ!! 喜べっ! つまり、お前は永遠に萌えキャラだ。ロリキャラだ。我らが悲願はここに成った!!」

「はい、そこまでよ」

「ぶぐぅ」


佳代子さんの容赦の無い右ストレートが後藤の顔面にめり込む。ノックアウト。ルシアは「おおぅ」とちょっと慄く。ナイスリセット。しかし、すぐにおきあがりこぼしみたいに再起動する後藤。打たれ強いらしい。


「しかし、なんというあざとい設定」

「あざといとか、設定とか言うな。アタシもどうしてこうなったんだって思ってるんだから」


そう言ってルシアは苦笑する。

原因となった事件は少し長い話なので今は割愛。実際のところ、ルシアはその事件で死に掛けているので、成長が止まっただけで済んだのは御の字なのだが。


「13の時だっけか、その妖精文書の暴走とやらに巻き込まれたのは。お前、向こうで結構妙な事に巻き込まれてるのな」

「まーな。うんざりするぜ、本当に」

「お前、向こうで何やってるんだ?」

「え、えと、魔法使いの弟子?」


何故か疑問系で答えるエルフ。


「そういや、魔女だとか魔法少女だとか言ってたよな。向こうの世界の魔法って具体的にはどんなんなんだ?」

「どんなというと?」

「前にお前が見せたのは、あの妖精文書とやらを封印した奴だろう。他には? 見せてプリーズ」


冗談めかして後藤が尋ねる。すると、その話に佳代子さんも興味を示した様子で期待に満ちた視線をルシアに向ける。


「私も見てみたいわ。ルシアちゃんお願い」


佳代子さんにも懇願され、ルシアはしょうがないなと一言おいて、呼吸を整える。


「じゃあ、いくぜ」

「おう」


後藤の相槌と共に、少女が上に一本つき立てた人差し指をくるりと時計回りに回す仕草をする。すると、


「おっ!?」


風。

三人が座るテーブルを中心に、渦巻くような空気の流れが形成される。それは自然のものではなく、ひどく一定な、止むことのない人工的な風。

それを受けて、ヒュウと囃し立てをする後藤。それを見て少女は少し気を良くし、


「んでもって、こんな事もできる」


続けてルシアは右手の親指と中指を合わせて、パチンと指を弾く。すると突然、周囲の温度、室温が急激に下がってゆき、


「寒っ」

「氷属性の魔法はあんまし得意じゃないけど、これぐらいならな」

「すごいわ…」


佳代子はパチパチと拍手をルシアに送る。後藤は感心したようにうなり、

男はいまだ目の前の現象を信じられないような表情で固まり、ルシアは得意げに言葉を続ける。


「こっちでも、古代語魔術…、つまり物理的な変化を生み出す魔術は問題なく使えるんだ。精霊術も、向こうから連れて来た精霊の分だけは一応は使える。ただ、呪術だけは効果が無いみたいでさ、魔力を先天的に持たない人間には呪術の効果が及ばないって話は聞いたことがあるんだけど…」


少女が人差し指を反時計回りに回と、風が止まる。そして再び周囲の気温が上がり始めた。


「お菓子とか、そういうのは出せないの?」

「それは手品の領域だぜ。お菓子があるように幻覚を見せることは出来ても、何もない所から飴玉を出すのは無理だな。妖精文書を使った封書術なら話は別だけど」


ルシアは佳代子の質問にそう答える。

ルシア曰く、何もない場所から飴玉を出すという行為は糖、つまりグルコースC6H12O6、炭素、水素、酸素を生み出す行為だ。それは元素の合成であり、さらにそこから糖という分子を形成しなければならない。さらにフルクトースやらを合成していって…ということになる。

そんな事は現代科学でも不可能だし、やろうとしたらとんでもない大きさの粒子加速器と、気の遠くなるような規模のエネルギーが必要になる。そんなことをする労力があれば、スーパーマーケットで飴玉を購入したほうがはるかに早い。


「そうなんだ」

「いや、十分すげぇって。俺にも使えるか? 俺もメラとかホイミとか唱えてぇ」

「しかしMPが足りない(笑)」


少女は非情な一言で男の幻想を斬って捨てる。(笑)付きで。


「ぐっ、ちょっと自分が魔法少女だからって馬鹿にしやがってっ」

「ふはははっ、悔しかったら面接官の目の前でイオナズンと叫んでみろっ。あと、アタシは魔法使いあるいは魔女であって、決して魔法少女じゃあない」


Not魔法少女。妙な所に拘りがあるらしい。しかし、後藤は冷ややかな表情で、


「はぁ? 何言ってる。お前は魔法(が存在する世界)の国からやってきたんだろう? そしてお前は少女かつ魔法が使えるんだろう? 違うか?」

「え? …ま、まあ」


だいたい合ってる。ゆえに、思わず頷くエルフ。


「なら、詰まる所、お前は魔法少女だ。魔法少女以外にありえない。魔法少女に決まってる」

「はぁ…」


見事な三段論法。妙な迫力に妙な説得力が付属する。


「しかるに、いつ変身するんだ?」

「は?」


前後の文脈が繋がらない訳のわからない展開に、エルフ耳魔法少女は目を丸くしてきょとんとした表情に。


「だから、バトルコスチュームだ、バリアジャケットだ、フリルだ。お前なら判るだろう? お前は魔法少女で、魔法少女は変身するものだ。故にお前は変身しなければならない」


完璧な三段論法…?


「まて、その理屈はおかしい。何でアタシが変身しなきゃならねぇんだっ? 魔法少女が変身しなきゃならんと誰が決めたっ」

「何言ってるんだ。最高じゃないかっ! 変身シーンだぞっ! エルフ耳魔法少女だぞっ! はぁ…はぁ」


妙な話の流れ。息を荒くする男。犯罪者がここにいる。ルシアは何故か身の危険を感じ始めた。


「ま…待て、落ち着け、話せばわかる。場所を考えろ」

「はぁはぁ、ロリエルフ魔法少女万歳っ。変身シーン希望っ! もちノーカットで」

「話を聞け変態っ! それと何気にロリを追加するなっ!」

「フリル多めで。あと、変身時に裸になるのはデフォで」


なんかキラキラの光につつまれつつ、何故か裸になって、妙に短いスカートが特徴のコスチュームのパーツが一つづつ装着されていくアレ。


「は…裸っ? なんでっ!?」

「当たり前だろうっ! 大丈夫だ、ディフェンスに定評のある光のエフェクトで肝心なところは映らない」

「そういう問題じゃねぇっ!! てめぇはアホかっ!?」


定評が在ろうがなかろうが、実際にやる方はたまったものじゃない。


「なんならディフェンスに定評のあるリボンで隠しても…、はっ!? 裸リボンだとっ!? けしからんっ、けしからんぞぉっ!!」


自分で言って、自分で驚愕する変態。


「けしからんのはお前だっ!」

「フヒヒ、そして胸の宝石が接続するとき、顔を赤らめて官能的な表情で感じるんですねわかります。接続? な、なんて卑猥な単語。フォォォォォっ!」

「駄目だこいつ…早く何とかしないと…」


ねぶるような視線がルシアを襲う。変質者である。ルシアの背筋を寒気が襲う。このままでは不味い。早く通報しないと―


「ラケーテン・ブラートプファンネっ!!」

「―ゴギュルあっ!?」


と、その瞬間、赤いフライパンが閃いた。後藤の顔面をジャストミートで捉え―

ルシアは見た。

平らに変形して吹き飛ばされる後藤の醜い顔を、

そして鬼を、

笑顔で真っ赤なフライパンをメジャーリーガー顔負けのフルスイングで振りぬく佳代子さんの姿をっ!


「隆さん。向こうで少しお話しましょうか?」

「シュ、シュミマセン、ユルシテクダサイ。も、もう、十分だ…から、やめっ、フライパン止めてっ、角はやめっ…あぎゃああああああっ!!」


赤き鉄槌の騎士の登場。ルシアさんはガタガタ震えながら死に逝くかつての友を見送った。


そして数分後。


「ぼくわるいスライムじゃないよ」


矯正され、更正したかつての変体紳士、今は賢者が戻ってきた。ルシアはとてもソレと目を合わせることが出来ない


「なんということだ。あれほどの紳士が、たった数分で…。佳代子さん、なんて恐ろ―」

「何かいったかかしら、ルシアちゃん?」

「イイエ、ナニモ」


即回答。ルシアもあんな矯正は受けたくないので必死なのである。フライパン恐怖症になるそうだったと、ルシアは後に語る。


「でも、隆さんにも困ったものだわ。全く、誰に似たのかしら?」

「さ、さあ?」


ルシアはおどおどと回答。ルシアはこの家の真のヒエラルキーを目撃し、ブルブル震えるのみである。


「そういえば、ルシアちゃんは魔法使いの弟子って言ってたけど、先生はどんな人なの?」

「ん、そうだな。なんていうか、いい加減っていうか、自由って言うか。でも悪いヒトじゃない」


ルシアは思い出す。何かと適当なヒトだし、セクハラするし、フラッと何ヶ月か居なくなったりする自由人。しかし、彼女はルシアにとって恩人である。命の―


「どういう経緯で、魔法使いの弟子になったんだ? やっぱ魔法使いになりたいとかそういうのか?」


と、不死身の変態力で復活を果たした後藤。話に割って入ってくる。


「…ま、そんな所だ。やっぱ、魔法の世界にいるなら魔法を使ってみたいからな」

「ふうん。俺もその人に習ったら―」

「しかしMPが足りない(笑)」

「ちくしょう」

「フフフ」


後藤とルシアのいつものコントに佳代子さんが笑う。と、ふと後藤が何かに気づいたように質問を変える。


「そういや、お前って向こうで生まれたんだよな」

「何をいまさら」

「じゃあ、お前って向こうにも両親がいるってことか?」

「…まあ、な」

「何だ、歯切れが悪いな」


視線を逸らしてつっけんどんに答えるルシアに、後藤は顔をしかめる。


「何かあったのか?」

「なんでもねぇよ」

「だったら-」

「隆さん」


追求しようとした後藤を、何かを察したらしい佳代子が止めに入る。そこで後藤はようやく、ルシアが話したくないことがあって言いよどんでいるのだと気がついた。

だから、素直に謝った。


「悪かったな、気が利かなくて」

「いや、ただ、二人とも死んだって、それだけの話だから」

「そうか」

「うん」


後藤はこれ以上この話題に触れるべきではないと感じ、違う話題を考え始める。それは、ルシアの態度からして、両親の話題が地雷であると感じたからだ。

ルシアとしては、その気遣いが逆に重苦しかったが。

両親。

母親はあの日の夜、森の中、岩の巨人に握りつぶされた。

そして父親は―










[27798] Phase004-b『エルフさんといつかの日常』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/06/05 21:46






記憶の中の父親は殺人者であり、そして優しかった。






Phase004-b『エルフさんといつかの日常』






「ん…あ……」


窓のカーテンの隙間から朝日が差し込み、その眩しさに目を覚ます。清潔な天蓋付 ベッドの上、少女は伸びをして床に降り立った。


「今日は、この服かな?」


顔を洗い、錬金術で作った化粧水をつけ、髪をすいて身だしなみを整え、服を選ぶ。仕立ての良いフリッツ絹の服。淡い緑のワンピース。

軽い足取りで食堂へと向かう。食堂へのドアの前で、扉を開こうとしている我が家の執事のベイルムントに出くわした。


「おはようございます、お嬢様」

「おはよう」


ベイルムントと挨拶を交わす。ルシアが生まれる前からこの家に仕えている老執事だそうで、真面目が取り柄だけど少し頭が固い。でも、すごく良く気の利くすばらしい執事だ。そして、


「おはようございます。お父様」

「ああ、おはようルシア、よく眠れましたか?」

「はいっ」


私のお父様。

クイント=バフォール。

王国屈指の魔術師であり、伯爵位を持つ名門の貴族バフォール家の当主。街の誰もがお父様を尊敬し、賞賛する。自慢のお父様。

ベイルムントが引いた椅子に座ると給仕のメイドがスープを運んできた。


「どうだい、今度の家庭教師は?」

「話にもなりません。やっぱり魔術と数学は独学でやったほうがいいかも」


得意科目の魔術と数学は大人顔負けのレベルにまで達していて、家庭教師の方が格下というのはどうもいただけない。

音楽や歴史に関しては微妙なんだけど。アレは今一興味がわかない。とはいえ、ちゃんと修めなくては伯爵令嬢としてどうかと思うので、ちゃんとこなしている。


「はは、ルシアの精霊術はもう僕よりも上かもしれないね」

「もう、お父様ったらご冗談ばかり」


精霊術に関しては呼吸するように扱えた。古代後魔術や錬金術については少しコツを掴むと大体のことはこなせるようになった。

判らないのは―


「(何で知らないはずのことを知っているのか)」


父や教師たちには妄想と片付けられた知識たち。だけど私はそれを正しいものと確信していた。実践してみれば簡単に判る。

そしてそれはきっと4年前の事故以前に秘密があるはずだ。


「そういえば、今日は舞踏会ですね。ルシア、貴女もそろそろ出席してみませんか?」

「いやですわお父様、私にはまだ早いです」


たわいない会話。4年前に関して尋ねると、お父様は知る必要が無いと怒り出す。そう、私が馬上から落ちて記憶障害を負ったあの日以前の記憶。


「(にしては馬の乗り方を覚えてなくて、弓の扱いを覚えていた・・・なんていうのも変な話)」


そんな思索をしながらカリンカの実の一切れを口にする。私がお父様にお願いしていつも食卓に出すにさせている果物。

程よい歯ざわりが少し寝ぼけていた頭を覚醒させる。食事が終わる頃、街の商人ギルドの長がやってきて、お父様は執務室に行ってしまう。日曜だというのに仕事熱心なことだ。

さて、


「ベイルムント」

「はい、お嬢様」


そろそろ教会に行く時間。日曜日の礼拝。エントランスに向かい、用意してあった馬車に乗り込み教会へ。


「あいも変わらず雑多ね」


揺れる馬車の中、ルシアは街の風景を一瞥してカーテンを閉める。

端から見れば美しい都市も、中に入れば死んだ魚のような目をした乞食や豚、汚物、異臭にまみれていた。

主要な通りでさえあまり見れたものではないのに、少し外れれば何があるのかなど想像すらしたくない。何故彼らには自分たちの街を綺麗に維持しようという意思が欠けているのか。

やはりエルフは木々に囲まれ緑豊かな清潔な場所が似合う。ルシアはそう蔑んだ。


「お嬢様、教会に到着いたしました」

「ええ、ありがとう」


従者たちが馬車と教会の間に絨毯を敷く。ルシアはベイルムントの手をとって絨毯の上を歩き教会へと向かった。

雑多な教会への礼拝者たちが道を開ける。そして、一斉にルシアへと視線を集めた。領主の娘であるルシアはこの街でも有名人だ。

しかし、別の意味の視線もある。ルシアの耳に注目しているのだ。街に住むエルフは希少で、魔力が高いエルフ族は魔術師や医療術師として大成しやすく、富裕層を占める場合が多い。

また、エルフの女は美女が多く年老いてもその美しさが衰えない。過去の古エルフ王国の威光や魔術的素養もあってか人間の王族や貴族との婚姻も少なくない。

だから、こんな風に耳の長い貴族や王族も珍しくは無い


「(下卑な視線・・・。神聖なる教会には似合わない)」


エルフの女を娶ることは貴族にとっても一種のステータスとされる。私もいつかはどこぞの王侯貴族に嫁ぐことになるのなろう。ルシアは想像した。


―ぞっとする。人間の、しかも男に触れられるなんて。


とはいえ、最近は舞踏会への出席を勧められたりと、彼女の父親はルシアを社交界に出そうと考えているらしく、

最悪、婚約者が決まっている可能性も少なくなかった。ルシアは天を仰ぐ。


「くだらないぜ」


父に直せといわれていた粗野な言葉遣いがつい口に出る。修練が足りないと自分を笑い、ルシアは首を振り静かに神に祈りを捧げた。



パルミラ聖教。



北ヌーナ大陸はアラム法国の聖地に起源を持つとされる唯一神パルミラを信仰する一大宗教。

その奇跡の前には精霊術も古代語魔術も霞んでしまう……と、言われている。まあ、実際にはあまり変わらないのだが、そこを言及しないということが大人な対応なのである。

さておき、聖教は人々に分け隔てなく救いを与え給う偉大な神を信仰する宗教だ。世界中の人々が聖教の奉ずる神を信じ、敬っている。

しかしルシアにとってそんなお題目はどうでもよく、周りがそうするからという理由だけで、単なる習慣として日曜礼拝に出かけていた。

彼女は周囲から見れば模範的な信徒ではあったが、ルシア自身は自分ほどこの宗教を冒涜している者はいないだろうと思っていた。


「(まあ、三大欲求の塊みたいなあの連中に救いなんてモノがあるとは思わないけどさ)」


地獄に落ちてしまえばいい。下卑た視線を自分に向ける男共を一瞥し、祈りが終わると、ルシアは颯爽と教会を出る。

厳かな教会の外は不潔で醜悪な下賤の世界。


「(さっさと書籍か緑の匂いに囲まれたい)」


それが美しいあり方。そんな風にルシアが思っていた矢先、




「ルシアッ!!!」




唐突に自分を呼ぶ声。少年の高い声。ルシアは咄嗟に声のした左前方の屋根の上に視線を送る。


「エルフ…の?」


彼女よりも4、5歳ほど年上だろうエルフの少年。服装からして街ではなく森のエルフ。


―何故そんな存在が人間の街に…? じゃなくて、


「何故、私の名を?」

「ルシア…、ははっ、ルシア。無事だったのかっ!」


気安そうな口調で、風に乗って少年がルシアたちの前に止まっている馬車の上に降り立った。周りの護衛たちは一瞬戸惑うものの、すぐさま少年を取り囲み、残りがルシアを庇う位置に立つ。


「どけっ、人間!」

「貴様こそルシアお嬢様に何用だ!」


護衛とエルフの少年が言い合いを始める。しかし相手はエルフ、護衛は相手がどこの貴族かも分からないので下手に手を出すことも出来ないでいる。


「あなた達、どきなさい。彼と話をします」

「しかしっ!」

「どきなさいと言っている。死にたいのか下郎」

「ひっ…」


ルシアの周りに烈風が渦巻くと、護衛たちが彼女の周りから退いていく。風と雷の精霊術を扱うルシアは、そこいらの魔術師が束になっても負けないぐらいの実力があると自負していた。

彼女にとって護衛など肉の壁に過ぎない。


「ルシア、俺だ、ラベルだっ!」


必死に訴えかけるような少年の表情。だがルシアにはその顔に覚えは無く、


「ラベル…さん? どこかでお会いしましたか?」

「っ! 覚えていない…のか?」


少年の顔が失望の色に染まる。心苦しい限りだけど、


「申し訳ありません。私、4年前より以前の記憶が曖昧なのです…。一体どのようなご関係だったのでしょう?」


ルシアは正直わくわくしていた。同年代のエルフの少年。彼女は父親以外のエルフを、見たことはあっても話した記憶は無かったからだ。だから、基本的には消極的なルシアも好奇心に負けようとしていた。


「4年前…っ、そうか、あの野郎ルシアの記憶を消したのかっ!」

「記憶を…消す?」


―それは一体…?


剣呑というべき表現。それはルシアの知る知識とは大きく異なっていた。これ以上は聞いてはいけないと、頭の片隅で何かが警告する。

だけれども、ルシアの後悔と好奇心の天秤はまだ好奇心に傾いている様子で、


「来るんだルシア、全部思い出させてやるから!」


少年がルシアに手を差し伸べる。ルシアは少し考えるように瞼を閉じた。

目の前のエルフの少年は年上だけど、魔術の腕はきっと私のほうが上だ。でも少年の仲間がいないとは言い切れない。

エルフを欲する王侯貴族はいくらでもいるし、美しいエルフを奴隷として売ろうなどと考える不届きな輩もいると聞いている。

そしてルシアは折衷案を提案する。


「…行き先は私が決めてもいい?」

「お嬢様!?」


ベイルムントがルシアを制止するように体で進路を塞ぐ。


―お父様には後で謝ろう。


ルシアは悪戯っぽく笑みを浮かべると、ベイルムントを押しのけた。

今は、目の前のエルフの少年が気にかかっていた。トンとジャンプをして少年の隣にふわりと着地する。


「…分かった」


渋々少年が頷いた。


「そういうわけだから、ベイルムント、後のことはよろしくね♪」


冗談交じりにルシアはベイルムントに向かってウインクを投げた。


「ま、待ってください!」


手を伸ばして制止しようとする執事を無視して、


「其は我が翼 我が身は鳥」


風が巻き起こる。

擬似的に視覚化された大きな白い半透明の翼がルシアの背中からバサッという音と共に広がった。

まるで白鳥や白鷲が羽を広げたような。

太陽に輝く銀の翼。

精霊セーハはいつだってルシアと一緒だった。

ルシアと少年は風に乗って一息に跳躍し、建物の屋根伝いに街を翔け抜けていく。


「お嬢様~~~~っ!!」


ベイルムントの声が後にむなしく響いていた。そのテンプレ的な光景に苦笑する。

―テンプレってなんだっけ?


「あはは、あの塔の上にしましょう!」


いつになくハイな気分のルシア。セーハもまたいつに無く上機嫌じゃないかとルシアは感じる。隣の少年の背中には擬似的に視覚化されたトンボの羽のような翼。

ルシアのそれと見比べれば劣るように見えるだろうが、下級精霊の扱いという点ではかなりのモノだとルシアは内心思った。


「へぇ、ルシア、随分精霊術が上手くなったんだな」


二人は一跳びで塔の上へ。


「4年前は上手くなかったの?」

「ああ、精霊との交渉が下手でさ。耳無しなんて言われてたんだぜ」


――耳無し…? ああ、精霊の声が聞けないっていう意味か。


ルシアはクスリと笑う。


「酷い言われようだわ」

「まあ、ルシアは全然気にしてなかったみたいだけどな。他は全部完璧だったのにさ」

「精霊術か使えない時点で致命的だわ」


―それはいつかの口癖。

ラベルはそんなルシアの軽口に懐かしさを感じつつも、なんとも言えない違和感を感じていた。

何が違う…? そんな風に思っていると、


「貴方の術も大したものだわ。精霊との同調の丁寧さとか見習うところがあるかもしれない」

「……なぁ、そのしゃべり方、なんとかならないか?」


違和感の正体はその口調。


――なるほど。彼は真実『アタシ』を知っているようだ。


ルシアは確信する。


「お父様に直せって言われてさ。まあ女の子がこんなしゃべり方じゃあ行儀わりぃし」


その変わりのない、なつかしい、粗野で、優しい、


「ハハ、やっぱりルシアだ。本当に、ルシアぁ…っ」

「ちょっ、おまっ、何泣いてるの? あー、ほら、ハンカチ」


渡されたハンカチ。少年は涙を拭いて鼻までかむ。それにルシアは顔をしかめるも、同時に苦笑もしていた。

それに、


――本気で泣かれると・・・その・・・困る。


「悪いな」


少年はなんとか落ち着いた様子。それを見計らってルシアは切り出した。


「で、本題なんだけどさ。記憶消されたってどういうことだ?」

「ああ、そうだな。ところでさ……ルシア。今、幸せか?」


唐突に少年の表情が真剣なものとなった。戸惑ったのはルシア。一体何を言いたいのか。それでもルシアは面を喰らいながらも正直に答える。


「え、まあな。お父様も優しいし。魔術だって好きなだけ勉強できる。屋敷も庭が広いから、緑も多くてさ。それに…」

「そっか…」


少年はどこか寂しそうに街を見下ろす。ルシアもそれに倣って尖塔からの俯瞰を見渡した。橙色の屋根と白い壁の建物が道にそって放射状に伸びていて、いくつかの中心点を作っては合流している。

街と外の境界には城壁があり、外は青々とした田園が広がっている。街もこういう風に俯瞰すると美しいのだけれども。ルシアはそう思う。


「ここがルシアがいる世界なんだな」

「もう少し清潔にしてくれれば文句も出なくなるんだけどな」

「言えてるな。人間どもは自分の住処だけは綺麗に保とうとするくせに、周りには全然気を配らない」

「人間はエルフが潔癖症なんだって言うけれどな。まあ周りに気を配れないなんてのは、エルフにも人間にも往々にある。力を割ける範囲なんて限られてくるさ。特にこんな街みたいな所じゃあな」

「4年前、俺とお前、それとお前の母さんはある魔術師に襲われたんだ」

「え…?」


唐突に変わる話題。今彼はなんと言ったのか。セレヴェナお母様…? 病気で死んだとお父様が…。

 
「俺はお前を全然守れなくてさ、大怪我して、たぶん相手は俺が死んだものと思ったんだろうけど。
怪我もようやく治ってさ、久しぶりにお前に会いに来たら俺のこと知らないとか言い出すし」


少年はオーバーに両手を挙げて皮肉気に笑う。それは演技であったがルシアが気づくことは無かった。それよりもルシアの頭の中では母親の死因について思考が錯綜する。そして勝手に納得した。


「(そうか、それでお父様は事故だといってお母様が殺されたことを…)」


きっとショックを受けたあげく記憶に障害を受けた私を守るために嘘をついたのだろう。苦笑いする目の前の少年。多分、アタシ達は、


「アタシ達は友達だったのか?」

「お前が生まれてからずっとな」

「でもアンタは森のエルフじゃ?」

「え、えっと…だな。街のエルフが森のエルフと知り合いじゃ変か?」


どうだろうか。ルシアはそういうケースは聞いたことが無かった。一般的に森のエルフは必要以上に街に住むエルフと関わらない。森のエルフはそれを堕落と捉えているからだ。

逆に言えば街のエルフは森への羨望を捨てきれない。中には何度も森を訪問して、隠居する許可を求める老いたエルフもいる。


「それで、お母様を殺した魔術師ってのは?」

「…名前は分からない。同じエルフで、地属性の術を使うってことぐらいだな」


エルフで地属性。火属性や天の三属性のどれかを持つエルフならすぐに見つかるかもしれない。だけれども地。森に生きるエルフの属性は風・水・地が多数を占める。

そんなのはゴロゴロいる。お父様も確か地属性が得意だったはず。


「あの嫌らしい顔だけは忘れない…。絶対見つけ出して殺してやる…っ」


少年が激しい憎悪を顔に顕にする。それをルシアは悲しく思った。


「無理はするな。見つけたら、まず最初にアタシに伝えてくれよ」


怒りとかは、記憶が無いから実感がルシアには伴わない。薄情なのだろうか。だけれども、母親の仇だということは十分に敵対する理由にはなる。

必ず討たなければならないのだろう。ルシアにはそんな義務感があった。


「それで、お前今どこに住んでるんだ?」

「あ、ああ。西のはずれの森だ」


それからたわいの無い話をした後、太陽がだいぶ傾いてきたのにふと気づく。夕日が少年の髪を赤く染める。

それはルシアについても同じだった。透き通る金が夕日に染まり黄金に輝く。ラベルは思わず息を呑み、かつての古い記憶を掘り起こす。



いつだったか、

フリッツの大木の太い枝の上で、赤く染まった太陽を睨みながら、

まるでこことは違う空を探しているような、

涙一つ流さず、しかしあたかも泣いているように、

遥か遠くの空をまっすぐ見据えていた彼女を見たのはいつの頃だったか。

そんな彼女の孤高が、どうしようもなく美しくて、寂しかった。



「もう、いい時間だな」

「ああ」

「また会えるか?」

「もちろんだ」


ルシアは少年の寂しそうな横顔を見て思う。多分、彼とはもう―


「じゃあ、そろそろ帰らないとベイルムントが誤魔化しきれなくなる」

「そうか。久しぶりに会えて良かった」

「アタシも。記憶は戻らずじまいだったけど、楽しかったぜ」


ここで二人は分かれた。後ろ髪を引かれるような思いを胸に。

そしていつか後悔する。





「仕方ないよな…」


夕闇、もうヒトの顔も判別できないほどに世界には闇の帳が落ちている中で、ラベルは独りつぶやく。

思い出さないほうがいいと思う。

あんな無残な母親の死など思い出さず、復讐なんてつまらない感情に支配されないで、裕福な街にエルフとして、昔のように強く幸せに。

変なヤツ、最初の印象。頭が良くて、何でもソツなくこなせて、何を考えてるかイマイチわからない。

そのクセ精霊術だけはてんで下手だった少女。

弓が上達しないと嘆きながらも、精霊の声が聞こえないとぼやきながらも、

俺に耳無しだなんてからかわれても、泣くことなんて一度も無くて、いつだって不平を言いながらも独り一番努力を重ねていた。

そんな彼女が、あの黄金の空の下で涙を流さず泣いていたのを見て、

そんな彼女の孤高が、どうしようもなく美しくて、寂しくて、

胸を締め付けられたのはいつのことだったか。


今はどうだろう。


ルシアが語る父親のこと。

あんなにも彼女が楽しそうに誰かの事を語るのはセレヴェナさん以外には思いつかない。


―きっと良い父親なんだろう。


ラベルは思う。

なら話は決まりだ。復讐は俺が果たす。彼女の幸せは俺が守る。そして全てが終わったら、



一緒にあの森に、村を守っていたフリッツの木の花を見にいこう。



ラベルはいまだ少し明るい西の空を睨むと、踵を返して宵の闇に溶け込んでいった。

終わりの夜は近い。










[27798] Phase004-c『エルフさんと青ざめた月①』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/06/09 00:18




「お父様」


一息おいて、ルシアはカチャリという小気味良い金属音を立てて陶磁器のティーカップをソーサーに置く。

すると、執事のベイルムントが空っぽになったカップにお茶を注ごうとするが、ルシアは手でそれを断った。

バフォール伯爵家の庭園は広く、それ自体が一つの森林公園を形成している。それはエルフが森の民であることの証でもあり、同時に広大な森は俗世から屋敷を隔離する役割を担っている。

3人は屋敷の庭園にある東屋で午後のティータイムをとっていた。東屋は石造りの鳥かご状の建物で、庭園の森の中、造成された小さな泉の傍らに立っている。


「お尋ねしたいことがあります」

「なんですか、ルシア?」


ルシアの問いにクイントは優しく微笑んで応じる。彼は愛娘の会話を心から楽しんでいた。午前は商人ギルドの長との楽しくもない会談に付き合わされたばかりで、彼にとっては、愛娘と過ごす幾ばくの時間こそが、心から安らかに過ごせる時間であった。


「お母様のことです」

「…ああ、セレヴェナの。彼女の事が聞きたいのかい?」


クイントは少しばかり困った顔をした。実のところは、クイントはセレヴェナのことについて話すのも思い出すのも苦痛であった。

それは、罪と後悔の記憶であり、そして目の前の愛する娘に嘘をつき続ける自らへの自己嫌悪にまみれるためだ。

しかし、何度も繰り返された質問であったので軽く頷く。


「お母様はご病気で亡くなられたと聞いておりますが、先ほど、お母様は殺されたのだと言う者がおりまして」

「…誰がそんな事を?」


唐突な問いにクイントは驚きつつも、それを顔に出さないようにして平静を装う。


「森のエルフだと」

「ルシア、君の母親は決して他の誰かに殺されたなどということはありません。決してね」

「お父様?」


まるで自分に言い聞かすように答えるクイントを不審に思い、ルシアは問い返すが、


「ルシア、そのような嘘を君に吹き込むような不審な者とは今後会わないように。わかりましたか?」

「しかし―」

「わかりましたか?」

「…はい」


強く言い聞かせるクイントに、ルシアはもう何を言っても無駄だと悟る。


「すみませんね、ルシア。そうですね、お詫びといってはなんですが、今度、服を買ってあげましょうか」

「本当ですかっ、うれしいですお父様」


二人は談笑に戻る。クイントは僅かな胸の痛みを無理やりに無視して、娘の花の咲いたような微笑をみつめていた。

そんな和やかな空気が再び流れ始めた東屋より、離れた場所、ひときわ高い広葉樹の太い枝の上、険しい視線を向ける少年がいた。


「なんでアイツがルシアの隣に座っている…っ」


怒気が漏れ出し、周囲の鳥たちが一気に彼から離れるために羽音を立てて飛び立つ。射殺さんばかりの視線は真っ直ぐにルシアと対面して茶を飲む男の顔を貫いた。

忘れるはずが無い。あの夜の、あの光景を。

少年は拳を血がにじむほどに強く握り、踵を返した。





Phase004-c『エルフさんと青ざめた月』





「ではそのように…」


長距離魔術通信を切る。相手はあの男、今も自分を自らの傀儡であると信じて疑わない、聖職にありながら唾棄すべき邪法に手を染めた破戒僧。

クイントはため息をついて独りグラスに残ったワインをあおる。


「不味い」


この4年の間、酒を美味いと感じたことなど数えるぐらいしかない。

贖罪と虚飾に埋もれた煉獄の年月において、唯一の清涼であったのは愛娘のみであったが、それさえ時に苦痛になることがある。何故ならば彼女の本来の幸福を奪ったのは自分に他ならないのだから。

むろん、この幾星霜を無為に過ごしてきたわけではない。

密やかに、感づかれないように、自身にこのような屈辱を与えた相手について調査を行ってきた。判った事はそれほど多くはないが―

そうしてグラスを置いた時、不意に屋敷の窓ガラスに小石がぶつかる音。

クイントはいぶかしむ。

彼が知覚できる範囲から何者かが小石を投げたと思われる大地の震動は検出されていない。大地の精霊術を得意とする自分ならば感知する範囲は数百メートルに達するだろう。

しかし、自分の感知できる範囲それ以上の遠方から投擲したのなら、窓がその運動に耐えられるはずはなかった。

つまり空から―

昼間の。ルシアの話を思い出す。


「なるほど…」


警戒しながら窓に近づく。満月の明るい光が窓枠の影を床に落とす。来るときが来たと、クイントの気分はさらに重くなった。

既に彼の姿は無かった。あるのは窓の傍に落ちている、手紙を巻きつけた木の実。

フリッツの実だった。


「西の外れの森に来い」


実に単純明快な決闘の申し出だった。

そういえばとクイントは思う。

あの夜もこんな明るい月の夜だった。







「来たか…」


そこは森の中にぽっかりと穴が開いたかのような草原。風になびく草むらが月に照らされる光景は息を呑むほどに美しい。

草を踏む乾いた音。少年は足音の方向に眼をやり、


「良い月夜ですね。君が僕を呼んだのですか?」


二人のエルフが対峙した。


「独りで来たんだな…」

「ええ、こんな深夜ですから…」

「悪かったな。こんな時間にこんな場所に呼び出して…。聞きたいことがあったんだ」

「なんなりと。僕が答えられる範囲であれば…。そうですね、申し遅れましたが、私はクイント=バフォール。今はこの地方ミトラダトケルタを統治する伯爵位を王より戴いています」

「ラベル。ラベル=ルブール=クールセルス」

「クールセルス。フォーミスの…」

「弟だ。やはりアンタ、ルブールの村に…」

「ええ。…っ! まさか君はあの時の少年っ」


クイントは目を見開く。失態だった。まさか生きているとは思っていなかった。


「ようやく思い出しやがったか…。そうだ、俺はあの時、アンタのゴーレムに弾き飛ばされたガキだよ。
そんなことはどうでもいい。なんでアンタは森を襲った。アンタが案内したんだろう」

「そうですね…。確かにそうです。古エルフ王国の遺失魔術を用いて張られたルブールの森を覆う広域結界を潜るには僕の知識と血が必要でした」


迷いの森の結界と呼ばれた森の木々そのものを用いた結界。

森の風景や木が揺れる際に発生する音に紛れて、術式の核として使用される『紫』の書片(レターピース)の機能を通行権限の無い相手に発揮させる。


「妖精文書(グラム・グラフ)だったか?」

「ルブールの森に住むエルフの中には古エルフ王国崩壊時に落ち延びた王室の直系がいました。彼は王室所蔵の妖精文書、文具と共に王国を脱出したとされます」


妖精文書の加工品たる『文具』。

なるほどと、ラベルは理解は出来た。

あらゆる魔術とは一線を画する機能を持った文具の中には、時に戦争の行く末すら左右するモノすらあるという。


しかし、当事者にとっては到底納得できる話ではなかったが。


「そんなモノのために森を滅ぼしたのか?」

「そうでしょうね」

「そうでしょうね…だとっ?」


まるで他人事のような言葉にラベルの血は熱くなる。今にも飛び出して殴りつけようとするその憤りを、彼はギリギリの所で思いとどまった。

正面からでは到底敵わない相手。


「…ただの言い訳に過ぎません。実に反吐が出る。くくっ…、いまだに免罪符を求めるなんて、なんて無様な…」


クイントは自らを嗤うと、ゆっくりと月を見上げた。


「…あの娘は、ルシアは天才です。否、特異とも言うべきでしょうか。彼女の肉体と魂には大きなズレがある。おかげで彼女の記憶の封印には手を焼きました」

「何を言っている?」

「ですからそれ故に…、あの邪法にも耐性を持つはず」

「アンタはルシアに何をさせる気だ」

「させませんよ……と言いたいところなのですが。父親としては情けない限りです」


悔しさを滲ませた表情は、


「アンタは一体なんなんだ」


まるで、


「父親です。ルシアは僕とセレヴェナの間に生まれた、たった一人の娘ですよ」

「なっ…!?」

「粗野な面は隠しているようですが…。美しく優しい娘に成長してくれました。魔術の腕も次期に僕を抜き去るでしょう」


その優しげな瞳は、あの夜に見た狂気に染まった瞳とはあまりにも違う。


「なんで……アンタが森を?」


ラベルは理解できなかった。目の前にいるのは出来のいい娘を誇る親そのもの。

あの森でセレヴェナを殺した男とはまるで別人。


「だからこそ……、今、君に出てこられると困るんです」


その表情に闇がさす。


「ルシアの記憶封印は不安定。いつ、何が拍子で記憶が戻るとも知れない。実に自己中心的な考えです。記憶が戻ることで彼女が苦しむのを見たくないのか、それとも彼女に僕を嫌ってほしくないのか。ですから……貴方には再び死んでもらう必要があります!」


「くそっ、どっちにしてもこうなるのかっ」


明確な殺意がラベルに叩き込まれる。大地からは轟音。アレが姿を現す。


「ミーミル! せめて苦しませずに殺してあげて下さい」


月を隠す巨躯。大地を揺るがす質量の化物。ソレが草原から隆起し、クイントの後方に立ち上がった。高さ30mを超えるだろうその圧倒的な存在感は1000の軍勢に匹敵する。

否、純粋な戦力とすればそれは万の兵力に劣らない。


魔術師クイントの名を大陸に轟かす最強のゴーレム『ミーミル』。


その拳は難攻不落の城砦の壁を一撃で粉砕し、その大地を揺るがす振動は周囲の人間に立つことを許さない。

産毛が総毛立つ。曰く、その威容を目にすればどのような歴戦の戦士でもその心を挫かれる。最強の言は誇張などではない。



「■■■■■■■■■■■■!!!!!」



巨人が月に吼える。ビリビリと響く大気の振動。

ラベルの表情はあたかも笑みを浮かべているように引きつっていた。


「はっ、あの夜のゴーレムがあの『ミーミル』だなんてな」

「名乗ったはずですが?」


ラベルがすぐさま後ろに跳び、巨躯との距離をとる。そして両手を広げ、


「そんな細かいことはいちいち覚えてないんだよっ…。だがな、ゴーレム使いだってことは忘れたことはない! 其は巨人の腕、森の守護者、我が爪は根となりて彼に食い込み 我が掌は大山を掌握する!!」


その言葉に対応したのは草原から突如突き出した無数の木の根。


「ほう、これは」


クイントが感心する中、木の根は一気に数十メートルの高さにまで成長し、雪崩を打つようにその切っ先を向けてクイントとゴーレムに殺到する。

まるで樹木の津波。

ミーミルはその豪腕を振るってその根という根を引き裂き引きちぎる。

しかし無数の根は引きちぎられた途端に、すぐさま再生して襲い掛かった。その姿はガジュマルの木に飲み込まれる遺跡を思わせる。


「悪いがそこいらに霊木グレイドートの種を蒔かせてもらった。例え焔の魔術であってもこの根を破壊することなど―」

「シャキア・ウタ・オル・シーラ・モサ」


樹木が殺到してまるで籠のようなドームの中、


「ヴィーエ・シグ・セネ・ガン」


その言葉が漏れ出してくる。あくまでも落ち着いた声。古代魔術言語。


―馬鹿な…ありえない。そもそもこのグレイドートの樹皮は鋼すら通さず、1000℃の焔に焼かれても燃える事のない、


「コー・シア・ペイル・ラ・ジュ」


そしてソレは起こった。

繭を構築していた木々が軋みを挙げて崩壊していく。

ありえない事象にラベルは気付いた。


「…霜っ?」


周囲の草に降った白い、


「確かに霊木グレイドートは生半可な焔にも負けず、鋼の斧ですら切り倒せない樹皮を誇りますが、」


男はゆっくりと語る。


「その生息域は南方の亜熱帯。北方の冬に、かの霊木は適応していません」


樹木に含まれた水分の凍結。それは氷の結晶に成長し、無数の楔となってその組織を散り散りに分断する。

北方の樹木であれば糖などを溜め込みその凝固点を降下させることで対応する現象であるが、南方の樹木にそのような機能は備わっていない。


「そん…な」


クイントは肩につい枝を払う。


「それと…」

「…?」


そして、


「足元が疎かですよ」

「がふっ…」


大地から突き出した鋭利な岩の槍が少年の腹部を貫いた。






ルシア=バフォールは朝のこと、そして昼間のことを思い返していた。

母親のこと。

顔も声も覚えていない。ただ、思い出そうとするときゅっと胸を締め付けられるような感じがする。

お父様はやはり、お母様は病気で死んだのだと言う。しかし、ルシアにはあの少年が嘘つきであると思えなかった。

そのメリットが判らないし、何より、あの少年のことは信用できる気がするのだ。はじめて会った…、否、彼の言葉によると昔からの知人らしいが。

では、お父様が嘘をついているのか?

ルシアは混乱気味で熱くなった頭を振るう。

そして、ルシアは籠に盛り付けられたカリンカの実を取り、美しい樹木をモチーフにした装飾で柄が飾られたミスリルの果物ナイフで皮をむく。

ルシアはこの果物が一番の好物であった。理由は判らない。


―林檎と桃を足して2で割ったような…


ふと思い浮かんだ言葉。ルシアは首をかしげる。林檎と桃とはいったい何か?それはいつもの知らないはずの正しい知識。

どうしてこんな知識を持っているのか。4年前までの自分はどんな人間だったのか。そんなことを思い、ルシアは窓の外を眺める。


闇を払う真白い真円の月。眩いほどの。


ヒトは皆、こういった月夜を美しいと感じるのだという。

しかしルシアは満月が苦手だった。

美しいとは思う。嫌いというワケではない。ただ苦手。見ていると、頭がクラクラして、胃の中身がこみ上げてくるような感覚に襲われる。

人狼族(ワーウルフ)は月を見ると興奮して遠吠えをするという話を聞いたことがあるが、エルフにそんな性質があるなんてことは聞いたことがなかった。

急に胸騒ぎがする。

月にあてられたのだろうか。感じるのは焦燥。どうしようもない不安感。喪失感。こんな日は早く眠るに限るのだけど、今日はどうも勝手が違った。


「セーハ?」


不安がっていたのは私だけではなかったようだ。訴えている。そんな気がする。

馬鹿げた話。

中級精霊にそんな高等な思考が行えるはずがない。判断と学習能力は上級精霊のみに与えられた特権のはず。

生物として分類するなら中級精霊は魚類や昆虫程度の知能しか持たないはずだった。

そしてルシアは、



屋敷から抜け出していた。



「何がしたいんだろうな、アタシは」


粗野な言葉が口に出る。それぐらいルシアは自分の行動に苛立っていた。保守的な性格と、ルシアは自分自身でそう評するぐらい、変化することが嫌いだった。自分が変化していくことも、周りが変化していくことも。まるで何かを恐れているみたいな。

だから、何かが起こりそうなえも言われぬ感覚に、ルシアは酷く苛立つと共にこれを無視することができない。

月の下、ルシアは飛翔する。

翼は月の光を受けて輝き銀。髪は砂金のように風になびき金。



しかし世界は、少女が変化を望むまずとも理不尽に突きつける。



「あれは…!?」


遥かな高みから下界を眺める。そこにあったのは、父と対峙するあの少年の姿。

そして巨躯に岩の異形。

知識では知っていた。お父様の巨神兵。最強のゴーレムと謳われし『ミーミル』。危ないからと、何度せがんでも一度も見せてもらったことが無かった『彼』。


――吐き気がした。


ルシアはそんな自分に戸惑いつつ、草原に生える一本の大木の裏に降り立つ。

父親の振動感知に検知されると厄介なので彼女は消音と迷彩に気をつけてその場でホバリングしながら二人の戦いを見守った。

そして、

少年が父の放った岩の槍で串刺しになり、


「嘘……」


その瞬間、ルシアの手が大木の幹を思わず強く掴んでしまう。


「誰ですか!?」


振動は伝わった。




「ル、ルシアっ?」


クイントは唖然と声に出す。何故こんなところに彼女がいるのか。何故よりによってこんなタイミングで。


まさか―


クイントは串刺しになった少年を睨む。だが、驚愕の表情を貼り付けていたのはむしろ少年のほうだった。ラベルは信じられないものを見るようにして、血を口から吐き出しながら呟く。


「ル…シ……ア、なんで…こんな……」


ルシアは唖然とした表情で大地に降り立つ。背には半透明の白い鳥を思わせる翼。

二人は一瞬、パルミラ聖教の語る天使の姿を彼女に投影した。断罪の天使。


「お…父様、な、なんでこんなことに?」


ルシアはゆっくりと草原を歩く。まるでいまだ浮いているかのように、足元がおぼつかないかのように。


「あ…れ?」


ルシアは左手を側頭に当てる。ズキリとした痛み。ラベルは死の間際で認識した。記憶が、


「ル…シア……見ちゃ…だめだ……」


真円の月。


蹲るエルフの少年。


対峙する金色の髪のエルフの男。


その後ろに控える巨躯の岩のヒトガタ。


そして赤。


そして赤。


そして赤。


それは再現であった。



「あ…れ……? 何が足りない?」



足りない。

足りない足りない足りない足りないタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイ。

思い出せない。思い出したくない?思い出させない?


両手で頭を抱えたルシアの表情が悲壮なものに変わっていき、


「ダメですっ! ルシア! それ以上は…っ!!」



ああ、あったじゃないか。そう、アレだ。赤くて、ぐちゃぐちゃで。ぐちゃぐちゃで?




―それが母親の最後の声であったなら良かったのに。





「あ、お母さ…? あれ、あれ、なんで、どこに…いるの? あ、ああ」


ルシアは膝から草原に崩れ落ちる。まるで壊れた人形のように空を視線を惑わせ、

そしてかつてのように血がべったりついた両手を幻視した。

唖然と両手を眺め、


「ル…シ…ア……」


事切れる寸前に少年が聞いた 愛する少女の声は、



「ああああああああああああああああああぁああぁああぁぁぁ!!?」








[27798] Phase004-d『エルフさんと青ざめた月②』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/06/12 21:54






―どこで間違ったのか。


そんな自問に応える者はいない。彼は最善を尽くしてきたはずだった。

もし間違っていたとするならそれはきっと、


―最初から間違えていたのだろう。


初めから間違っていた。ならばこれからも間違えていく以外にはありえなかった。

正すには既に時を失していた。





Phase004-d『エルフさんと青ざめた月②』





「ルシアっ、しっかりしなさいっ、ルシアっ!」


クイントが狂ったように叫び続けるルシアに駆け寄る。だが、


「お前は来るなぁっ!!」


落雷がクイントの足元に落ちる。圧倒的な威力。大地が抉れ、クイントは馬車に跳ね飛ばされたかのように大地に転がる。

それに反応し、主人を守るためにミーミルが吼え、ルシアに向かって大地を震わせながら突進していく。


「や、やめろミーミルっ!」


巨躯の岩の腕がルシアに向かって振るわれる。だがそこには少女は既にいなかった。声は上から。とっさにクイントは月を見上げた。


「アンタ誰だ?」


感情の無い声。月を背に翼を広げる断罪の天使。クイントは一瞬その姿に見惚れた。だが次の瞬間、ルシアは右手を米神にあて、呻き始める。


「くっ、なんだ、なんだったっけ? なんでアタシにセーハが憑いている?」


記憶の混濁。まるで時系列の統一されていない映画のフィルム。ルシアは頭を抱えながら辺りを見回す。最初に目が留まるのは巨大な岩の異形。毛が逆立つような怖気。赤。


「あ……」


改めて再生される記憶。母親の、


「そうだ、ラベル…君……は」


まるですがるようにルシアは振り向き、

突き出した岩の杭に串刺しになった彼の、


「…そ…んな……」


唖然と呟く。


「ルシアっ! 聞いてくれ、これはっ」


クイントがルシアに向かって叫ぶ。しかし、


「…黙れ」


ルシアに映ったのは4年間彼女と共に暮らしていた彼ではなく、4年前の森で哄笑していた悪魔のような男。


「ルシア…?」

「黙れって言ってるだろうがぁっ!!」


少女の怒声に応えるかのように落雷がクイントに向けて落とされる。放たれた雷はあくまでも威嚇であったが、それは巨大な岩の腕によって防がれ霧散した。

その巨人の頭部に淡く光る二つの光を見て、ルシアの目が見開かれる。


「…ゴーレム、ああ、ああっ、ソイツだっ! 知ってるぞお前!」


その瞬間、ルシアは翼をたたみ急降下するように滑空する。

そのまま地面にぶつかるのではないかとクイントをヒヤリとさせるが、急旋回で大地を滑るように翔ける。

そのままミーミルを掠めるような軌道で翔け抜け、


「レイ(雷)!」


闇を引き裂くかのような鋭利な雷撃を手から放つ。しかしミーミルの巨腕が滑るように動いてその電撃を防ぎきった。


―速い。


それは双方の印象。

ルシアにとっては、鈍重そうなゴーレムの腕があれほど滑らかに動いたことへの驚きであり、クイントは彼女の翼が生み出す圧倒的な機動力に目を剥いた。


堅牢な岩の巨人を盾にする男に直接攻撃を仕掛けることは不可能に見える。故にルシアはそのまま旋回して再び急降下を始める。
次はより複雑な軌道で、フェイントをかけるように。巨人を掻い潜るコースを思い描いて、

しかし、


「其は我が足、我が一足は千里を跨ぐ」


クイントがそう詠い、すぐさまゴーレムの足の甲に飛び乗る。その瞬間、


「はぁっ!?」


あろうことか、巨大なゴーレムが濛々と土煙を上げながら大地をスケートリンクのように滑るように移動する。

そのままゴーレムは体を開いてルシアの軌道を塞ぐように待ち構える。


「ちいっ」


急に軌道を変えられずに、ルシアはゴーレムの真正面に突入してしまう。

そしてゴーレムの巨大で険しい岩肌の手がルシアを捕まえようと伸びる。その瞬間、


「舐めるな!」


ルシアは急制動をかけるように翼を開く。

ルシアはそのまま滑り込むように地面に触れ、迫る岩の両掌を掠めるように、一気にスライディングするようにゴーレムの又抜きを実現する。

草原にルシアが削った軌道が刻まれた。ミーミルの股の間を抜ける見事な一文字の曲線。

空ぶるゴーレムの巨腕。そのままルシアは後ろに抜けると、一気に上空へ翔け上がる。


「浮いている…? 違う、土自体を動かしてるのか?」


ルシアはぼやく。

冗談ではなかった。あの俊敏性と堅牢性に加え、機動性まで実現しているとは反則もいいところだ。



―厄介すぎる。



だが舌打つのはクイントであった。

ミーミルの反応速度はクイントのそれよりも速く対応が可能だ。それは相手が殺しても良い相手である限り何の問題も無かった。

だが相手は最愛の娘。怪我さえさせたくなかった。

問題は、彼女の速度が自分の反応速度を上回り、ミーミルの反応速度には届かないという一点に尽きる。

一般にゴーレムと呼ばれるものは反応速度に劣り、鈍重で、敵陣の突破や動く壁役ぐらいにしかならないと思われがちだ。

だがミーミルは違う。

彼はヒト以上の反応速度と機敏さを持ち、関節という意味の無い構造を必要としないが故にヒトには真似できない遥かに自由な運動が可能だ。

ミーミルを本気で稼動させれば彼女に対応すること自体は難しくない。

だがその時、ミーミルの操作は確実にクイントの手を離れ、半自律状態で稼動せざるをえない。中級精霊を封じて造り上げてはいるものの、細かな気遣いが出来るように組み上げたわけじゃない。

ほぼ間違いなくルシアに大怪我を、最悪は殺してしまうかもしれなかった。


―ならばあの機動性を奪えばいい。


「ヴィーエ・メヌ・ガン・ドル・トゥス、リッタ・ミガ・ブラム・モノフェ、エジン・ビア・クエイン・アム・フェミ・エクス・シュルト!」


クイントは素早く古代魔術言語を組み上げる。古代魔術言語とは一種のショートカットキーワードである。

その単語一つ一つを己が細胞に刻み込み、これを詠唱することで特定の術式を自動的に稼動させる。

そしてそれらを再統合して一つの術式として運用することを可能とするのが、古代語魔術の本質であった。

ヒトが精霊に匹敵する魔術行使を行うために開発した解答の一つ。


草原より無数の腕が突き出る。それらはまるで這い出るようにその腕で大地を掴むと、土から引き抜かれるかのようにその胴体を地上に引き出す。

生み出されたのは無数のゴーレム。

土くれの軍勢。

ソレが月明かりの下で草原を埋め尽くす。


「兵馬俑かよっ!?」


ルシアは唖然と見渡す。草原から突如湧き出た土くれの軍勢。


「すまないルシア、少し…痛いかもしれないけれど。もう一度、君の記憶を封印させてもらうよ」


土くれの軍勢が一斉に投石機を動かす。軋み動くは土くれで出来た巨大なバネ仕掛けの兵器。

そして緊張が解き放たれ、ルシアに向かって無数の投網が投擲された。


「ちぃっ・・・、そんなんじゃアタシは・・・・・・」


それをルシアは踊るように上手く掻い潜るが、


「!?」


ルシアの目が驚愕に見開く。彼女は投網を回避することに集中しすぎた。そして先入観があった。

彼女の目の前には、巨大な岩の掌。

ミーミルが、岩の巨人が、あろうことか60mの上空に滞空していた彼女の元に跳躍していたのだ。

大気を唸らせ振りかぶられる岩の巨腕。

それをルシアは紙一重で回避するものの、翼に巨腕が掠め、ルシアはバランスを失い失速する。

そしてそれを見計らったように投擲された投網。絡め取られた銀の翼。


「うああああああああああっ!?」


錐揉みするようにルシアは網を広げて待ち受ける土くれの兵士の上に落下する。


――後は彼女を失神させれば


クイントがそう力を抜いたその時、


「我が叫びは雷鳴、夜の嵐、我が右手は稲妻、我が左手は旋風、我が両手は大地を浚う」


土くれの兵たちの中心で澄んだ声が響き渡る。


「くっ、早くルシアの意識をっ!」

「其は天罰の雷、断罪の斧!!」


次の瞬間、彼女に殺到していた兵士たちがまるで木の葉のように舞い上げられ、砕け散っていく。

放電する竜巻の繭。中心には天使。徐々に拡大する繭は兵士たちを次々と巻き込み、彼らを削岩機のように破砕していく。


「…これ程とは」


見縊っていた。ルシアとセーハの相性を。古エルフ王国の守護精霊龍の分株、中級精霊ではあるがその出力は上級精霊に見劣りしない。

そもそも出力という分類で上級と中級を区別しないのは精霊術を学ぶものにとっては基本中の基本。しかしセレヴェナが彼を行使していたときは、不完全な契約とはいえあれ程の脅威では無かった筈。

ルシアの才能は信じがたいことにセーハの性能を底上げしているというのだろうか?

ミーミルを呼び戻す。

アレは対軍広域破壊魔術。戦術レベルで投入される強大な嵐の精霊術。そして繭が解き放たれ、


世界が白熱する。



烈風が収まる。ミーミルはその破壊に耐え切り、自らの主人を守りきった。しかしその背中には無数のクレーターじみた傷が穿たれている。

ミーミルが退き、次にクイントが見たのは、無数に穿たれた穴と土が解けて結晶化した光沢に覆われた、かつての美しい草原の成れの果て。

300を数えた土の軍勢は跡形も無く消失し、広場を囲むようにあった森も今は更地となっている。その光景に、クイントはむしろ笑いがこみ上げてきた。


不謹慎にも血が沸きあがる感覚を覚えたのは何故か。



「くそったれが…、本気で死に掛けただろうが」


ルシアは毒づく。網に落ちたときは真実失神しかけたが、なんとかセーハが直前で減速をかけてくれたらしい。

だが何故あの男は自分を殺そうとはしないのか。


「ぐっ…」


顔の見えない男の顔、屋敷、使用人たち、知らない光景が脳裏で点滅する。

なんだったっけ、大切なことを忘れているような。

頭を振る。今はそんなことを考えている暇などない。あの男を倒さなければ。


…何故、倒す?


そうだ、母親とラベル君の仇。涙が溢れるような喪失感。恐怖。憤り。

どうしようもない、行き場の無い感情。何に疑問を持っているというのか。ルシアは息を吸い込み、そして再び急降下の姿勢に入る。ただ先ほどとは違うのは、


「ガーブ・ミガ・カプ・イゼイ ケペム・イゼイ・ヘリコム」


詠いながら滑空しているということ。

クイントはルシアの古代魔術言語の使用という可能性を失念していたワケではなかった。

だからと言って彼に、コイルガンなどという概念や、自らを弾丸として加速するという馬鹿げた発想が抜け落ちていたことを誰が責められるだろうか。



「なっ…この速度は―」


常識外の加速。その速度は音速を突破し、一気にクイントの元に突入する。

鳴り響いたのは衝撃波の炸裂音であるが、その音波はいまだクイントには届かない。

クイントはまるで彼女が消えたかのような錯覚を覚え、


思考する時間は無く―



「止めろ、ミーミ―」


クイントには反応できない速度。しかしミーミルには、


轟音。


ミーミルの拳とルシアが正面衝突する。軋む大地とミーミルの右腕。

両者の激突による衝撃波が大気を弾き、クイントは無様に跳ね飛ばされる。


「はぁああああああああ!!」


本来なら押しつぶされただろうルシアは背中から生えた翼によって守られ、両者は拮抗するかに見え、


「や、止めろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」


ミーミルの左腕が振りかぶられた。クイントの叫びは空しく、

拳は叩きつけられる。


そして破砕音。


ガラスの砕け散るような高音の破砕音が鳴り響く。ルシアは跳ね飛ばされ土の上を転がり、クイントは安堵の息を吐く。


「…無事、なんですね?」


誰に話しかけるでもなく自然と口から出た独白。クイントはゆっくりと立ち上がる。


「う…あ……」


うめき声。ルシアのもの。彼女は膝と腕でなんとか立ち上がろうとし、そして気付いてしまった。


「あ、セーハ…?」


もう声が聞こえないことに。


「セーハ、セーハ、セーハ、セーハ、セーハ、セーハ、せーは?」


壊れたように繰り返す。

契約精霊の喪失。その感覚は視力を奪われるに等しいと聞く。


「ルシア、セーハはもう…」


クイントの言葉。ルシアは停止し、


「ふふ、あはは、また…独りだ」


自嘲するように。


「ルシア…?」

「はは…、うん、判ってたさ。ダメなんだって。ああ、やっぱり悲しいなぁ。悲しいけど、それだけ。浮かんでこない。それ以上何も。うん。ははははは」

「ルシア…っ、何を言って」


そしてルシアから表情が消える。


「さあ、そろそろ幕だ」


そう呟いて、ルシアは大地に両の掌を当てて、


「チェギム・ウタ・オル・シーラ・モサ・イゼイ(電気分解による地中および大気中の水素の遊離)」

「ミーミル!」


唐突に狂ったように詠唱される古代魔術言語。総毛立つ感覚を覚えたクイントはミーミルを、


「コン・ニーラ・デル・ウタ・アム・トモス(水素および大気との混合比率設定)」


クイントは大気から水気が失われたのを感じる。否、大気だけではなく大地からも。

彼が知る由も無いが、それらは電気分解によって大気および地中に何らかの形で固定されていた水素が大気中に放出された現象であった。

しかしクイントは直感した。これは本当に―


「レイ・ファム(着火)」

「ルシアを投げ飛ばしなさい!」


ミーミルの手が伸びてルシアを掬うように投げとばす。

それでも体は主人を守る位置についていたことに、クイントは己が従者の優秀さに感心し、



爆発が起きる。



滞留した水素が大気中の酸素を喰らう化学反応。ガス爆発とでも称されるべきそれは、酸素を奪い、気圧差によって器官を圧壊させる。

ミーミルという壁は無意味であった。衝撃は壁を迂回し、酸素は無慈悲に食い尽くされる。クイントが大量の血を吐き、むせ返る。酸素は一向に肺に供給されなかった。


世界が再び静寂に包まれたとき、荒れ果てた草原に動いているのは独りの少女のみだった。


「あ・・・れ・・・・・・? 生きて・・・・・・?」


投げ飛ばされたルシアがきょとんと宙に視線を迷わす。

そしてゆっくりと視線は地上に降りて、その先に蹲るクイントを見つめる。視線の先には赤。


赤、

赤、赤、

赤、赤、赤、赤。


「あ…れ、お父様…?」


そんな今更ながら、彼女の記憶は。



全てがおかしかった。何もかもが。始めから。


―何故、お父様を殺さなければならなかったんだっけ?


ああそうだ、仇だからだ。仇だから…?

違う。それは違う。だって今でもこんなに大好きなのに。

きっと何かが間違っていた。アタシが今まで一緒にいたお父様は、あんな狂気に染まった目をしていなかった。

愚かしいと思われようとも、きっと何か理由があったんだとしたら、




正すには既に時を失していた。




よろよろとルシアはクイントに近づく。謝らなきゃいけなかった。だけど、


「ル……シ………ア………………」


何を言っているのか聞き取れない。否、聞き取ろうと脳が働かない。だから、


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」


ルシアは父親に縋る。ただ謝罪の言葉を壊れたように繰り返し、

そしてクイントの手がルシアの手に一瞬だけ添えられると、

力を無くして大地に落ちた。


「あ…」


青ざめた月が暴く。動いているのは独り。また独り。

違う。

違う。

こんなのは違う。間違っている。

アタシじゃない。アタシじゃない。アタシじゃない。


「ふふ…、あはは……」


ルシアは耳を閉ざした。







「おい、ルシアたんどうした?」

「んあ?」


突然、後藤に声をかけられ気の抜けた返事をするルシア。どうやら非生産的な回想にふけっていたらしい。


「お前、ルシアたんとか呼ぶな。『たん』付けいらない」

「ぼーっとしてるお前が悪い。思わずお前の唇を奪いそうになったじゃないか」

「…嫁さんの前で?」

「もち」


どうやらこの男、先ほどの赤い騎士様による矯正がたりなかったようだ。


「佳代子さん、この変態がこんなことを言ってやがるぜ?」

「ふふ、お話が足りなかったかしら?」

「ボク、わるいスライムじゃないよ」


こうして夜は更けていく。








[27798] Phase005-a『エルフさんと公文書偽造』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/06/15 23:17






雨。

ざあざあと降りしきる。今日は朝からあいにくの天気。

地面を叩く雨音のリズムと、雨の日の特有の匂い。視界は霞み、世界はモノトーンに近くなる。空気も重い。

洗濯物は干せないし、外を歩けば傘をさしていても足元が濡れる。それでもこの国にとっては必要不可欠な天の恵み。

個々にとって都合の悪いモノでも、全体にとって必要だというモノはよくあることだ。

税金や義務教育。挙げればきっと枚挙が無い。

ルシアは雨が嫌いではなかった。

何故か安心できる。雨音のリズム。匂い。世界が静寂に包まれるような。

空が低いことだけが難点だが。

傘をさして建物から出る。


「ちょろいぜ」


ルシアは一枚のカードを手に悪びれた様子も無く呟く。

外国人登録証明書。

公文書偽造は犯罪です。ましてや登録原票レベルの改竄は言うまでもありません。

写っている写真には耳の長いエルフさんの写真。完璧だ。すばらしい出来にルシアさんはご満悦。


―後は宝石商とかをだまくらかして、


汚れていくエルフを、雨は決して洗い流してなどくれない。傘をさしているからだ。



ルシアは上機嫌で水溜りを避けながら踊るようなステップで雨の街を闊歩する。

かつての「彼」だった頃はそんな無意味なことなどしなかったはず。

今のルシアが評するには『きっとツマラナイ人生、だけど他人に恥じ入ることのない全うな道』。

実に模範的な人生だった。程度で表すなら、鋼鉄のレールぐらい堅い。そうルシアは振り返る。誇らしげに語るほどでもない小人の道。

それでも、ツマラナイとは思っても、ルシアは否定はしなかった。

特に教育熱心な親と言うわけではなかった。だけど『彼』は自分で社会が模範的と評する道を選んで歩いていった。

楽だったからだ。不確定な未来に身を預けるなどもっての他。そんな彼を優秀だと周りは評し、彼自身もその評価に酔っていた。



安定した道程。挫折の無い人生。



地域で一番とされた進学校を出て、一流と言われた大学に入った。

酒もタバコも嗜まない。ギャンブルなんてもっての外。適当な友人との付き合い程度の友情。紹介された女との付き合い程度の恋愛。

…後藤に唆されてソッチに足を半分踏み入れたことだけが瑕疵と言えなくも無い。

そんな人生のどこが楽しいのかと、妹に蔑まれたのはいつだったか。



―全くだ。


思わず自嘲して、そして気分を変えるために空を見上げた。


虹。


いつの間にか雨が止み、前方には天に大きな弧を描く鮮やかな弓。

左の先端を地上に降ろし、右の先端は中空で掠れ見えなくなっている。不完全な半円。


―駆け出したくなる。


子供っぽい衝動は体に引き摺られているからか、それともひたすらに自己防衛に勤めた中身が年齢以上に幼かったからか。

そんな理屈っぽい自己分析にルシアは苦笑する。


―いつまでも成長しないな。


虹の下。まだ雨雲が東の空を覆う境界線の天候。

ルシアが思い出したのは向こうの母親が枕元でよく話したあの定番の。



「貴女が産まれた年、夜空に大きな虹のベールが覆ったのよ。虹の梯子って呼ばれてて、きっと貴女はその梯子から降りてきたのね」

「夜に虹?」

「そう、バーンていう感じで、ゆらゆらー、って感じだったわ」

「ばーんでゆらゆら…」



夜空の虹のベール。オーロラのことだろう。

いま徐々に消えようとしている空の弓とは異なる天体現象。

少し違う。

百年以上のスパンで不定期に現れる『虹の梯子』

中天を支配する負の精霊が引き起こす現象、あるいは一種の文書災害とも囁かれていたが詳細は一切不明。


こちらの世界においてオーロラは天と地を結ぶ架け橋だなんていう伝承が北欧かどこかにあったはず。


なら向こうは天国というわけだろうか。ろくでもない話だとルシアは苦笑する。そういえば北欧では死者は永遠に戦い続けるのだったっけ?

曖昧な知識で確信は持てないでいたが、もしそうなら天国も地獄もさして変わりないのだろう。そもそも現世でさえ生存競争なのだから、結局はどれも延長線でしかないのかもしれない。

取り留めの無い思考は車のクラクション音で中断された。


「後藤?」






Phase005-a『エルフさんと公文書偽造』






「よう」

「なんでこんなトコにいる? まさかストーカーっ?」


ルシアは身を庇うように後ろに下がって、


「そのネタはもういいから」

「そうか? じゃあこんどはロリペドってなじろうか?」

「癖になったら困るだろう」

「なるほど、それは問題だな。そんなんになったら佳代子さんに怒られるぜ」

「アイツ、変なところでノリがいいから…」

「一緒になじりそうだな。やだな。そんなプレイ、アタシはお断りだぞ」

「そろそろこの話題から離れないか?」

「そうだな、アタシに夫婦の愛の営みに加わる趣味はねぇ。で、こんな所でどうした?」

「出先からの帰りだ。たまたま白昼堂々とステップ踏んでるエルフを見つけてな。どうだ、昼飯一緒に喰うか?」

「先生、ここに少女買春の現行犯がいます」

「…じゃあな」


後藤は黙ってエンジンをふかす。


「待てっ、アタシが悪かったっ」

「黙って後ろに乗れ」

「サーイエッサーっ」

「何食う?」

「ラーメンがいいと小生は思うでありますっ」


ビシっと敬礼をしてルシアは助手席に入り込む。そんなエルフに、後藤は可愛かったので許すと返答。やはりロリペドである。

まあ、そういうわけで二人は後藤のおすすめのラーメン屋へ。レトロな店のたたずまい。のれんをくぐると、目に飛び込むのは赤い合板のテーブル。

壁には「ビール」だの「カルピス」だのの日に焼けた昭和の香りプンプンなポスター。手書きのメニューは達筆なのか字が下手なのかルシアには判断がつかない。多分下手なのだろう。

テーブルについて注文を頼む。


「えーと、アタシはネギ醤油・・・・・・ネギ多めで」

「俺は焦がしバターとチャーシューめし」

「麺の固さはどういたしましょう?」

「アタシは普通のでいいや」

「俺は固めで頼むわ」

「かしこまりましたー」


アルバイト店員の女の子が営業スマイルをふりまき注文を受け取る。後藤曰く最近出来たラーメン屋で、穴場的存在。

レトロでノスタルジックな雰囲気。口コミで美味いって噂だけど、まだ行列が出来るほどじゃない…というなんともご都合主義なお店。

向かい合わせで座る二人。


「前々から…まあ大学ん時からだけどさ、思ってたんだけど、お前何処でこういう店の情報掴んでんの?」


雑誌にも載っていない。さほど噂にもなっていない。


「ふっふっふ、交友関係がネコの額並に狭いお前と違って色々とあるんだよ、コネがさ」

「ネコの額…、まあ自慢できるほど顔は広くなかったけどさ。そこそこダチはいたんだけどな…」


ルシアはぼやく。そしてかつて『彼』だったころ交友を持っていた面々を思い浮かべ―


「……」

「どうした?」

「ヤベ、全然思い出せねぇ。てか、何でお前以外の顔が思いうかばねぇんだろ…」

「惚れたか?」

「だとしたら大学ん時のアタシはどーせーあいしゃだな」

「マジか? まあ今なら許すが」

「本気にすんな。つーか、今ソレなら女同士ってことになるぜ?」


百合ん百合ん。


「それもまた良し」

「良いのか?」

「グッドだ」

「…それはまあいいとして、本気でダチの顔が思い浮かばねぇってのは自分でもどうかと思うんだ」

「オンナもか?」

「……」

「マジかよ…」


あきれ果てる後藤。


「真由美ちゃんとかは?」

「?」

「ほら、あの、変な関西弁の」

「あー、真由美か。思い出したぜ。あの笑い声が大きな…」


ルシアさんは「あー、あー、あいつかぁ」なんて感じで当事を思い出す。芋づる式。


「てか、お前らつきあってたんじゃなかったの?」

「へ? なんで?」


キョトンとしたエルフさん。逆に聞き返す。


「いや、なんでって言われても。本人がそう言ってたし。お前の葬式で」

「…そんな楽しげな事実は記憶に無いな」

「なんか藪蛇っぽい話題だったか?」

「そだな。過ぎたことだし忘れようぜ。うん、それがいい。それで思い出した。アイツ…誰だったっけ、あの、調子に乗って…そう、バッファローのタトゥー腕にいれたバカ」

「鹿島な」

「そうそう鹿島。似合わない金髪ロンゲに、日焼けサロンな色黒バカ。うん思い出した。真由美と駄弁ってる時、アイツ妙にアタシに絡んできてさー」

「だろうな。アイツ、真由美に惚れてたし」

「…マジ?」

「マジ」


微妙な空気が漂う。

そして一息、ルシアはグラスに入った水をあおる。


「つーか、お前もモテてたじゃねーか。つーか、佳代子さんとどーやって知り合ったんだ?」

「あー、あれだ、ネトゲ」

「微妙にお前らしいな」

「まあな。ノヴァリースっていう、当時じゃ結構人気のMMORPGでな」

「ネット廃人発見」

「偏見いくない」

「で?」

「でだ、いくつかPC持ってたんだけど、その中で1キャラはネカマプレイ専用のキャラだったわけ」

「やっぱネット廃人じゃねぇか。つかネカマ…、お前が、ネ・カ・マ」


うぷぷとルシアは含み笑い。そんなエルフを後藤は睨みつけ、


「リアルTSロリエルフのお前には負けるけどな」

「んで?」


それをさらりと流す。


「んでだ、そのキャラでよくつるんでたヤツがいてさ、キャラは男だったんだけどさ」

「段々読めてきたな」

「まあ、相手には俺が男ってこと最後の最後までバレなかったんだけどよ」

「…マジ?」

「マジらしい」

「ありえねぇ」

「んで、俺も相手の本当の性別を男だと思い込んでたわけ」

「ほー」

「それでさ、オフ会開くことになって―」

「あらビックリと」

「まあそういうワケです、ハイ」


それからトントン拍子に話が進み、子供をこさえたと。


「んで、お前はファンタジーな世界で浮いた話の一つでもあったのか?」

「無いな。全くといっていいほど無いな」


断言する。


「ツマラナイ奴だな。転生したんだろう? TSしたんだろう? ハーレムの一つでも作るべきじゃないか?」

「何故、アタシが、そんなモノを作らにゃならん」


というか、どうやって作れと?

ルシアは後藤に「こいつバカじゃね?」的な生ぬるい視線を向けて肩をすくめた。


「メイドさんとかあるだろう?」

「…ああ、いたな」

「ネコミミさんだってあるだろう?」

「まあ…いるな」

「なら何故作らない? 作るだろう普通」

「アタシにはお前の普通が分からん。全くといっていいほど分からん」


力説する後藤にあきれ返るルシアさん。


「ちっ、使えない奴」

「なんか酷い言われようだな」


舌打ちする後藤。最悪だ。ルシアはグラスの水に口をつける。カランと氷の音。


「やっぱヘタレなお前じゃ無理か。しかも萌キャラだし」

「ヘタレ…萌キャラ…」

「水溜りの周りでステップを踏むエルフはどう考えても萌キャラだ。保障しよう」


されたくもない保証をされてしまうルシア。ヘタレは昔から言われているが、萌キャラ呼ばわりへの耐性はまだ出来ていないらしい。


「うー」

「うーうー唸るな、萌えるから。ところで、ハーレム繋がりで聞くんだけど、向こうでお前の周りに女子とかいるのか」

「まあ」

「可愛い子とかいるか?」


後藤は男の子なのでそういう話題が好きらしい。ルシアは向こうでの知り合いの面子を思い浮かべ、苦笑いする。


「まあ、アタシの知り合いは女子が多いから」

「そこんとこ、詳しく」


食いつく後藤。


「えと、セティだろ、アネットにステラ、ウィスタ、エミューズとエリンシアは入るのか?」

「説明しろ。みんな可愛いのか? エルフはいるのか?」


ずずいと身を乗り出してくる後藤。


「アネットはアタシの妹分みたいなもので、お前の期待するエルフだ。巻き毛で目がクリクリしてて可愛いっていえば可愛いな」

「ほう」


同郷の幼馴染で妹分。とある事件で再会を果たすことが出来た。一時は二度と会えないと思っていた彼女だが、今では自分よりも背が高くなって美しく成長している。一番の仲良しだ。


「ステラはドワーフで、アタシの姉弟子にあたるヒトだ。色黒で、お前の大好きなロリだぜ」

「ドワーフ…。ドワ子キターッ!! 髭はないよな?」

「ねぇよ。あと、メガネかけてるぞ」

「ドワ子っ、メガネ、ロリっ! 要素多すぎワロスっ!」

「お前、声大きい」


興奮して叫びだす男。ルシアは周りの視線を感じて少しいたたまれない。


「ふう、俺としたことが、スマン。で、猫耳は?」

「まったく懲りてねぇなお前。猫耳さんはそうだな、姉弟子とかにはいないけど、近くに魔女の教会って孤児院やってるとこがあって、そこの出身なんだけど、ケイナって奴がいる」

「猫耳メイドなのか?」

「何故そういう発想をするのか。今は街の酒場でウェイトレスやってる」


何故か猫耳とメイドを接続して考える後藤にルシアは冷ややかな視線を送りながら答える。


「ふうん。男はいないのか?」

「魔女の教会にはいるぞ。あと、居候?な感じで、爺さんが一人」

「本当に女ばかりだな。ハーレム乙」

「まあ、師匠からして女だし」

「師匠ね。やっぱロリババアだったりするのか?」

「何故そういう発想をするのか。歳は千年越えしてるらしいけど、ボンキュッボンの超絶美人ではある」


鈍色の髪の隻眼の魔女。別に赤いものなんて一つも身につけていないのに、何故か真紅の魔女とか呼ばれている。


「強いのか?」

「べらぼうに。あのヒト多分、山一つ吹き飛ばすなんて朝飯前だとおもうぜ」

「おお、インフレインフレ。じゃあ、お前も結構強かったり?」


その質問には、ルシアは「ん~」と考え込み、そして少しだけ遠い目をして答えた。


「強くなったとは思う。うん。私は強くなったんだ」

「ルシア?」


突然表情が変わったルシアに、後藤はどこか危うげなものを見出して戸惑い、思わずオウム返しのように聞き返す。しかし、ルシアは


「何でもねぇよ」


とだけ呟いて黙りこくってしまう。


「何でもねぇって表情じゃないだろ。このヘタレ」

「ヘタレ言うなっ!」

「なら、話せ」

「お前はアタシのお母さんかっ」

「え、どっちかというとパパの方がいい。なあ、俺のことパパって呼んで」

「…アホらしくなってきた」


ルシアは付き合ってられないとため息をつく。そうしてぼんやりと思う。最近、昔のことを思い出すことが多い。

それはきっと、妹との再会とか、色々な事が重なったせいだろう。

それでも、昔の弱かった自分とは違うんだとルシアは改めて自身に言い聞かす。

何も出来なくて、母親を失ったあの夜、幼馴染や父親を失ったあの月の下。そして、それらに押しつぶされて、全てに無気力になっていたあの頃とは―


「ネギ醤油ネギ多め、焦がしバター、チャーシューめしお待たせしましたぁ。ご注文は以上でよろしかったですか?」


と、ここでラーメン登場。微妙な空気になりかけていたので、ルシアはそれを変えるために話題をラーメンへと変えようとするが―


「おっ、美味そ…あれ?」


目の前に置かれたラーメン。ルシアさんは目をゴシゴシして疑う。


「ネギが…ネギがぁっ!?」


うず高く盛られる白髪ネギ。下が見えない。

メニュー開いてお勧めと書いてあったが、これほどとは…。


「言おうかどうか迷ってたんだけどさ、お前チャレンジャーな」

「そういうの先に言え。うわ…ネギしか見えねぇじゃねぇか」


麺の量より多いんじゃね?

ルシアはネギがこぼれない様にスープに沈めていく。


「うう、なんということだ…」


そして一口。


「んっ・・・・・」

「どした?」


レンゲでスープを口に運んだエルフが一瞬だけ停止し、


「ん~~~っ! うーまーいーぞーっ!!」

「大げさな、お前」


生ぬるい視線を向ける後藤。ルシアは気付かない。


「何コレ、めちゃくちゃ美味いじゃん。うはっ、麺もうまいなっ。ちぢれ麺うまーっ」


ご満悦なエルフさん。ラーメン啜るエルフはウナギを食うエルフよりも希少かもしれんと後藤は思う。

やはり音を立てて啜るのに抵抗があるのか、ゆっくりと音を控えめにラーメンを食するエルフさんだが―


「おっ、煮卵。 にったまごっ♪ にったまごっ♪」


何が楽しいのか、煮卵を発見すると何故か陽気に歌いだす。

変なリズムで体を揺らして踊りながら煮卵を割り、黄身とスープをレンゲで溶かしてスープを一口。


「ん~~っ♪ ん~~♪」


握った拳をシェイクして身悶えるエルフ。鼻を押さえて萌え悶える後藤。


「おお、すばらしいな」

「だよな。この黄身のコクとスープが混ざったトコが最高なんだよ」

「見事なコラボ」

「判ってるじゃねぇか後藤。やっぱ『にったまご』はラーメンには欠かせないよな」

「不可欠…か。やはり深いな」

「だよなー。家で作るときは煮卵って手間かかるし入れないけどさ」

「他では味わえん」

「そうなのか? そう聞くとなんだかさらに美味しく見えるぜ」


途方も無く噛み合わない会話が続く。


「萌える」

「ああ、燃えるなっ」

「ダメになりそうだな」

「ああ、ダメになりそうなぐらい美味いなっ♪」


どこまでもどこまでもダメな感じの二人だった。










[27798] Phase005-b『エルフさんとラーメン屋さん』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/06/19 01:32
Phase005-b『エルフさんとラーメン屋さん』






「はふはふ、ずずっ」


およそ20年ぶりのラーメンに夢中のエルフさん。その横で、美少女がモノ食べてる構図っていいよねっとかそんなことを考える後藤。


「向こうではラーメン作らなかったのか?」

「豆から作った味噌みたいな調味料があったから、それで作ってみたけど、やっぱ本格的なのはなー」

「へぇ、お前って料理するのか?」


意外そうに後藤が問う。彼の記憶では、転生前の目の前の友人は料理をしていたという覚えはない。


「向こうで覚えた。ほら、アタシって魔女の弟子してるだろ。だから、料理当番が回ってくるんだよ」

「へぇ、他にどんなもん作ってるんだ? 米はないんだろ?」

「米はないけど、こっちでいう小麦に対応するやつはあるんだ。そのまんまってわけじゃないけど。だから、パスタとかピザとか、パイなんかかな。キッシュなんかも作るけど。あと、米的な位置にある穀物で…マノってのがあるんだけど、それでチマキとか餅をか作ったりだな」


世界が異なると食材も異なる。こちらの世界でも大航海時代以前は新大陸と旧大陸に大きく分かれた食文化があったことを考えれば当然とも言える。


「考えてみると面白いんだよな。向こうとこっちじゃ食一つとっても大違いだぜ」

「他に違いとかあるのか?」

「どういうわけか、文化的には似てるんだよな。宗教だってあるし…、服も似てるし、法律だってある。まあ、人間自体のベースとなる形が同じだからしかたないけど。魔法が一般に認知されてるって違いはあるけどな」


リアルで剣と魔法の世界。とはいえ、魔法の存在は認知されていても、魔法を使える人間はそんなに多くはない。

遺伝的な適正と、高度な教育を必要とするからだ。ルシアは魔法の適正がもともと高いエルフなので、最初のほうはクリアしている。


「他には…精霊がいるってことぐらいかな」

「精霊ねぇ。ファンタジーじゃ魔力とか精霊とかデフォルトで出てくるけどさ、実際のところどうなんよ?」


後藤が椅子に深く座りなおし、水をあおる。


「どうって?」

「例えば魔力とかな。RPGとかじゃ使い果たしたら魔法が使えなくなったりとかあるけど、実際に使うとかなったらそんな単純なものじゃないだろ?」

「まあな。MPとかそういう単純な量で計るもんじゃねーし。どっちかっていうとさ、エンジンみたいに何ccとか排気量みたいな出力で表したりー。持久力とかも問題になってくるけど」

「何か数値とかで表してんのか?」

「一応な。潜在的な魔力…、出力の個人差は整数倍で表せるからな」

「ふーん?」

「エネルギーだって量子の世界じゃ整数倍で示されるだろ? まあ個人の魔力の大きさは細胞内のマナ小胞…、細胞内精霊の数で決まるんだけどさ」

「細胞内…? 細胞の中に精霊住んでんのか?」

「ミトコンドリアとかと一緒な」


ルシアさん曰く、精霊さんは元をただせば原始生命から分化した…、人間とかと起源を同じくする生物だとのこと。

ごく初期の精霊、古精霊は原始的な生命としての性質を強く持つので…当時の他の生物と同様に酸素に弱い。

そのせいで酸素を発生させるシアノバクテリアの登場を以って一時的に存亡の危機に陥ったとか。ルシアはチャーシューを一口かじって、言葉を続ける。


「で、まあそれから古精霊は3つの道を歩むことになる。一つは古細菌みたいに熱水噴出孔とか嫌気条件の過酷な環境で細々と生き残ること。一つは原子で構成する自らの身体を捨てて、霊子だけで身体を構成する純粋な精霊に進化すること。そんでもう一つが―」

「細胞の中に共生すること…ね」

「そゆこと」


細胞内に共生することで、酸素からの直接的な脅威から免れることが出来る。しかし、そのうちに細胞の一部として退化の道を辿っていき、細胞の一つの器官となった。


「んで、魔術師は自分の細胞の中にあるマナ小胞を制御して魔法を使うんだ」


レンゲでラーメン鉢を叩きながら講釈を足れるルシアさんの声を聞き流し、後藤はラーメンを啜る。焦がしバターが香ばしくてよい感じ。


「それと、魔法には大きく分けて二種類あるんだ。一つは自分の力だけでいろいろな現象を起こす魔法。もう一つが、他の存在の力を借りていろいろな現象を起こす魔法。前者には古代語魔術と呪術、後者には精霊術とか神霊魔術がある」

「違いは?」

「古代語魔術は全部自分の力でやるから、燃費が悪いし、細かな調整も自分でやらなきゃいけない。だけど、出力とかアレンジとかは自由に出来る。精霊術の方は、細かい調整とかは精霊が勝手にやってくれるからコストの割りに複雑な現象とか起こせたりするんだけど、出力も精霊次第で安定しないし、起こせる現象もある程度きまった型に収まってる感じだな。なんていうか例えると…、古代語魔術が化学合成で、精霊術が生物発酵みたいな関係?」

「その例えも微妙な感じな」

「じゃあ自力と委託の違いかな? …なんか違う気がする」

「俺が知るか」

「ん、まあな。んで古代語魔術とか呪術と違って、精霊術ってのは術者じゃなくて、精霊に現象を起こしてもらうわけだから実質的に力を運用する主体は術者じゃなくて精霊になる」

「術者は何すんの?」

「術者は精霊の力を借りる変わりに、精霊の住処を提供すんの。より良い住処を提供できるかどうかが精霊術の適正に直結すんだぜ」


人間のような高等生物は生存しているだけで精霊にとって住みやすい場を形成する。場は一種の霊地となり、精霊にとっての外敵を排除し、栄養となる豊富な霊子を提供する。

このため人間を含めた高等生物の周囲には精霊の群落(コロニー)が、体細胞内のマナ小胞と一定の相互作用を持ちながら、その個体独自の精霊相(フローラ)を形成する。


「だから、精霊術で命令できるのはソイツのフローラに居る精霊だけなワケ。当然、大っきいフローラを持ってる方が精霊術は強くなるんだぜ」

「ふーん」


後藤がレンゲでご飯モノを掬い、口に運ぶ。


「精霊相(フローラ)を形成する精霊の組成とかは、個人の得意な魔術属性に関わったりするんだけど……何食ってんの?」

「チャーシューめし」


細切れのチャーシューをご飯の上に乗せ、特製の出汁を注いだお茶づけ風の一品。

後藤が薬味を混ぜ、レンゲで掬う。

ルシアさんの目に留まる。


「……で、でだ、弾力性があるから簡単な精霊術ならほとんどコスト無しで使えるんだけど、酷使するとフローラから精霊が脱落していく恐れもでてくんの。なあ、それ美味い?」

「ワサビが効いてなかなかだな。チャーシューの香ばしさと旨さが、和風出汁のお茶漬けと良く合ってる」


後藤がチャーシューめしを口の中にかきこむ。ほお張る。かみ締める。


「…そ、それはいいとして、精霊の消耗が大きくなったり、脱落が増えたりすると精霊術の成功率とか出力が目に見えて落ちてくんだ。フローラが一旦崩壊したら、修復には手間と時間がかかるし…、あと肌荒れとか自分自身も体の調子が悪くなってくんだぜ」

「ふぇんひとか?」

「口の中にモノ入れながらしゃべんな。…んで、そうならないようにフローラを維持するのに結構魔力が食われるんだ。結局、フローラの元になる『場』自体が魔術的なモノだから…。なあ、それ美味い?」

「美味いぞ。脂っこいラーメンとの相性も悪くない」

「じ~~」


後藤のレンゲの動きが止まる。エルフさんの瞳が睨むようにレンゲを射抜いているからだ。

後藤が視線を茶碗から正面のルシアに移すと、ルシアはとっさにそっぽを向いて興味ないフリ。


「授業の続きはどした?」

「…あー、えっと、何だったっけ?」

「フローラとかビアンカとか」

「ああ、そうそう、どっちと結婚するかだったよなっ。…アレ?」

「…やっぱ断然ビアンカだろう」

「幼馴染は強しって感じか」

「デボラは?」

「誰それ? てか本当にこんな話だったか?」


超関係ない話に移行。それでもチラチラとルシアさんの目線がチャーシューめしに。


「…欲しいのか?」


エルフさんの長い耳がピコンと上に上がる。


「べ、別にそんなんじゃねぇよ…。ちょっと気になっただけだぜ」

「ふうん」


説得力は限りなくゼロなエルフさんの言い訳。

それはそれ、これはこれという感じで後藤は匙で掬ったチャーシューめしを口にする。


「じ~~」


再び感じる視線。後藤は居心地が悪くなり視線の主に顔を向けるが、


「♪~~ ♪~~」


再び視線を明後日の方向にくいっと向け、鳴らない口笛で誤魔化しきれると思っているエルフ。


「欲しいのか?」

「違うって言ってるだろーが」

「欲しいって言えばやるぞ」

「アタシはそんなにさもしくねぇんだよ」

「つーか、お前も注文すればよかったんじゃん?」

「食いきれねぇんだよ…」


しょぼんとエルフさんの耳が下がる。

微妙に可愛いと思ってしまう後藤。


「まあ一口ぐらいならやるぞ…」

「だからいらねぇって」

「俺も食いきれないかなって思ってたところなんだよ」

「…そうなのか?」


エルフさんの耳が中ぐらいまで上がる。もう一押しなのかもしれない。

というか、何をやっているのかと内心苦笑する後藤。


「ああ、このままじゃ残しちまうかもな。どうしようかな」

「そ、そいつはもったいないよな…。うん、もったいない。しかたねぇから貰ってやるよっ」


エルフさんの耳が幾分か持ち上がる。後藤は内心激しく萌える。


「ほらよ」


思わず後藤はレンゲで掬った一匙をエルフさんに差し出す。


「あ~ん、はくっ」


エルフさんが身を乗り出してレンゲにかぶりつく。後藤は本当にダメになりそうだった。


「もう一口いくか?」

「っ?」


エルフさんの耳がこれでもかという感じでピコンと上がる。


「最高ですか?」

「最高だぜ…って、どした? 鼻血か?」

「いや、生命の躍動だ」

「大丈夫か? むしろ生命の危機って感じだぜ?」


首を傾げるエルフさん。でも目線はレンゲに固定。


「ほれ、あ~ん」

「あ~~ん。はくっ」


レンゲに喰らいつくルシアたん。

横を通ったアルバイトの女の子が犯罪者を見るような、ゴミを見るような視線で後藤を見つめる。


「はぁ…はぁ…る、るるるルシアたん、ももももう一口どうだい?」

「おうっ♪」


あながち間違いじゃなかった。確かに犯罪者がそこに存在していた。




そして10分後。


「…くそっ、お前のせいでラーメン残しちまうだろうがっ!」

「何その理不尽な怒り?」


ルシアさんはご立腹だった。

後藤の卑劣な罠により、もうお腹いっぱいでラーメンが食べられないからだ。

…怒っている理由がアレなので後藤は微妙な視線でルシアさんを見つめる。


「お前が調子乗ってアーンってやるから…やるから……」


と、何故か少しづつ声が小さくなっていくルシアさん。


「どーした?」

「あ、アタシは…アタシってヤツはぁっ!? よりにもよってお前なんかにアーンされてただとっ!!?」


両手で頭を抱えて首をぶんぶん振るエルフさん。


「なんだその今更感いなめない苦悩は」

「不覚…ルシア様一生の不覚」

「お前はいつだって前後不覚だとおもうが?」

「くそっ、大体なんでお前そんなにアーンがナチュラルなんだっ!? 思わず食いついちまっただろうがっ!!」


今度は逆に後藤を非難し始めるルシアさん。というか、普通そんなのには食いつかない。


「それ、どんな責任転嫁?」

「責任転嫁じゃねぇっ! お前の『あーん』はあれだっ、なんと言うか一切の警戒心を呼び起こさないほどのナチュラルな、つまり『ステルスあ~ん』」

「何言ってるのかよく分からん。分からんが、まあ、舞耶に離乳食とか食べさせたりしてるし」

「そ、それかっ…。どおりで、どおりで騙されたわけだ…。このルシア様を謀るとは、やるな後藤。お前には今日から『あーんマスター』の称号をくれてやるぜ」


何故か誇らしげに妙な称号を後藤につけるルシアさん。


「なんだその称号は?」

「ぐっ、しかしこんなトコ、セティには見せられねぇ…」

「セティ?」

「いや、なんでもねぇ(つーか、コイツにセティのことがバレたらなんてからかわれるか…)」


ルシアさんは呼吸を整え心を静める。これ以上失態を重ねることなど出来ないからだ。

そんなルシアさんを改めて眺めてみる後藤。


「なんつーか、ヘタレで迂闊な所は昔と変わってないけど、微妙に性格変わったよなお前」

「ヘタレで迂闊は余計だっ」

「そうそう、なんつーか感情表現がストレートになった?」


微妙に自信なさげな評価を口にする後藤。


「あー、身体がちっこいと性格引きずられるんかもな。あとは、まあなんつーか…」


ルシアは逡巡する。

後藤は言葉を飲み込む。「お前、アホな子になった?」なんてセリフはとてもとても言えない。


「まあいい。とりあえず、お前の残り食ってやるから貸せ」


そう言って後藤がルシアさんのラーメンの鉢を手元に持っていく。

ツルツルと後藤がラーメンを啜る。それを「む~」という感じのしかめっ面で見つめるルシアさん。


「なんだ? まだ食いたいのか?」

「いんや。なんて言うかさ、男ってたくさん食えるよなーって思ってさ」

「そうか?」

「アタシ、タダでさえ身体ちっこいからさ、胃が小さいのなんの」

「まあ、これだけラーメン残してたらな」


半分以上残している。もったいない。


「男だったときが懐かすぃ~」

「女になった感想がソレ?」


だらーんとやる気なさげに椅子に体を預けるルシアさんに後藤がふざけて問う。


「ん~、まあ、他にもいろいろなー。別に嫌ってわけじゃねぇけどさ。女だからこそってモンもあるし。でもまあそういうのも含めて、オンナってやっぱ面倒臭いぜ?」

「そーなの?」

「体力ないしー、背とかちっさいしー、侮られるしー、あと男のときなんて身だしなみとかほとんど気にしてなかったけどさー。女になると朝とか起き抜けで出てくとか出来ねぇじゃん?」


なるほどと後藤は頷き、


「そーいや、お前、生理とか来てんの?」

「ぶっ! 何だそのセクハラ発言。最悪だ。何でコイツ結婚出来たんだろ…」


ジト目で睨むルシア。


「やっぱTSモノなら避けて通れない道だろう?」

「人を何だと思ってやがる」

「萌えキャラ?」

「死ね」


呆れ返るルシアさん。冷ややかな視線を送る。


「んで、実際どうなん?」

「まだ聞くか…呆れてモノが言えないぜ」


溜息交じりにヤレヤレと首を振るルシアさん。コップの水を一口。


「言えないってことは…マサカっ!? まだ来てないのかっ!!」

「ぶーーっ!!」


吹く。虹がかかる。


「てめっ、真っ昼間から大声でなんてこと言いやがるっ!!」


周囲から少女に視線が集まる。『ソーカー、マダキテナインダー』的な。


「やっぱマダなんだな。そうかそうか。うん、悪かった。妙なことを聞いたな」


何故か気まずそうに視線を逸らす後藤。


「てめっ、何を勝手に自己完結してやがるっ!? 月の物ぐらいアタシだってとっくにっ…」


頬を紅潮させてまくし立てるルシアさん。が、途中でその勢いが失われてゆき、


「とっくに?」

「…ぎゃーーっ!? 何アタシは口走ってんだーーっ!!?」


掘りぬいた墓穴の底で絶叫するエルフさん。啄木鳥のようにテーブルに頭を打ち付ける。

周囲からはアホな子を見る憐憫の目線が集まる。


「ち、違うんだ…。これは何かの間違いなんだ」


頭を抱えて苦悩する。そんな少女に、目の前の男はさわやかな微笑みたたえて、


「なんだ、来てるんだったら正直に言えよな。まあ来てなくてもそれはそれで萌ゆるけどなー」


トドメを刺した。



  ― ブチッ ―



そしてその瞬間ルシアさんの心の中で、理性とか堪忍袋とか自制心とか、そーゆーのが一斉に分断される。


「そーいえばさー、この前エロゲでエルフさんには生理周期に合わせて発情期があるってゆー設定があったんだけどその辺どうな――」

「…少し、頭冷やそうか」

「って? ギギギギギギギギッ!?」


アイアンクロー。ルシアさんの怒りの右手が後藤の顔面を鷲摑み。

細腕に関わらずその握力は万力のよう。流石はファンタジー帰り。痛みに喉を潰したような声を上げる後藤。

肉体言語による会話。


「言い残すことは…?」

「まっ、待てっ、モチつけっ! 話せば分かるっ」

「……」

「ちょ、ちょっと調子に乗りすぎただけなんっす。マジで反省してるっすっ」


ルシアさんの割と本気度の高い怒りを察知した後藤。下手に下手に出て機嫌を取ろうとする下っ端モード。

流石に変態でも命まで投げ出す愚は犯さないようだ。

功を奏したのか、後藤の顔面に食い込むルシアさんの指の握力が弱まる。


「で、それでですね、最後に一つだけ…」

「?」


後藤はゴマをするように、猫背になり上目遣いでルシアの様子を伺いながら、言い放った。


「…エルフって発情するん?」


やっぱり変態は変態だった。

耳を真っ赤にしてフルフルとルシアさんが震えだす。


「えっ、やっぱ発情するのっ? すっげ、それなんてエロゲ――」

「……契約しよう。おまえを生きたまま、少しずつ、高熱で熔かすように咀嚼すると」

「ひっ」


変態は見た。鬼を。だがしかし、この絶体絶命の状況下、それでも――


「だがっ! 引かぬっ! 媚びぬっ! 省みぬっ! 発情した時のエロいルシアたん見てみたいぃぃぃっ!!」


後藤の瞳からは光が失われないっ。


「審判の日だ」

「―――――っ!!?」


アイアンクローwithサンダーボルト。脳に伝わる素敵な刺激。セクハラは裁かれる運命にあった。









[27798] Phase006-a『エルフさんとお人形さん』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/07/09 19:41


「スマートフォンって格好いいけど、アタシじゃ使いこなせないぜ」

「じゃあ、これなんかいいんじゃない? なんかこう、変形していくのが燃えるというか」

「なんだそのジョグレス進化は。春名、アタシはそんな無意味な機能は…」


明くる日。

ルシアは前世妹春名(こう表現すると胡散臭くなる)と佳代子さんおよびその娘の舞耶ちゃんと一緒に携帯電話の購入という崇高な使命を胸に携帯ショップにやってきてしまったワケだが。

彼女が知る5年前とは市場も大きく変化したらしい。


「じゃあ、ルシアちゃん、これなんかどう?」

「なんだこのキラキラは…。佳代子さん、もう少し大人しめのを…」


佳代子さんが手に取ったのはド派手なピンクにキラキラ輝くビーズやらでデコレートされたもの。ラメでハート型とかマジ勘弁。

なんでも最近の流行らしい。これが可愛いのかどうかルシアには判断しかねた。


「じゃあこっちのいぶし銀っ」

「自分で持ってみるか? てかなんで葵の紋?」


天下の副将軍用の携帯電話なのだろうか? これで控えおろうなんて言うのだろうか。ルシアには判らない。

何でも歴女向けの戦国携帯電話シリーズらしく、様々な家紋のついたシックなデザインらしい。印籠みたいでなんかヤダ。


「わがままねぇ、じゃあこのレースのついた」

「何故携帯電話にレースが付いている…。この会社、絶対脳みそ膿んでんな」


ヒラヒラだ。実用性に乏しいという以前に製作者はどこかおかしいと気付かなかったのだろうか。


「あー、うー」

「舞耶ちゃん、エビフライ型は勘弁な…。そこ、バナナはおかしいからっ」


エビフライを指差す舞耶ちゃんと、バナナ型形態を自慢げに突き出す春名。帰っていいですか?

ふと横を見れば魚介類型携帯が並ぶ。鯖とかは明らかにネタに走っている。DHA携帯特集。電波で頭が悪くなりそうだ。


「じゃあ、次はまともなところに行こうか」

「最初から連れて行けっ!」

「でも、ここの携帯かわいいわね~。舞耶が持つようになったらココで買おうかしら」

「多分、虐待だぜソレ」


自分なら娘にそんなモノを持たせない。


「あ~、あ~」

「次は、伊勢海老…。だからエビは勘弁な」






Phase006-a『エルフさんとお人形さん①』






一行は通信業界の魚介の宝庫から離れ、大手デパートの携帯ショップへ。


「おおっ、まともなのが並んでいる」

「つまんない」

「つまらないわね」

「ぶ~ぶ~」


口々に不平を漏らす面々。


「待て、ヒトの携帯だからってネタに走らせようとしてねぇか?」

「「めっそうもない」」


なんだこの二人の名タッグは……。あまり理不尽にルシアはうなだれる。


「くそっ、もう誰も信じられねぇ…っ、アタシの道はアタシが決める!」


そうだっ、自分の一部となる携帯電話ぐらい自分で決めなくてどうするというのだろうっ。

そうルシアはそう強く宣言し、


「君に決めた!」


一つの携帯電話をむんずと掴んだ。


「……………」

「……………」

「……………」

「…あ~、ぶー?」


高齢者向け、ボタンが大きくて文字も大きい。機械オンチなあなたでも安心。


「…えと」


ルシアが振り向いた先には爽やかな笑顔の二人の美女。


「じゃあ行こっか、ルシアちゃん」


春名がルシアの右腕をガッチリホールド。


「さっそく買いましょう」


佳代子さんがルシアの左を抑える。


「待てっ、コレ違っ」

「店員さ~~んっ」


――春名さーーん!?


「すみません、ごめんなさい、アタシが悪かったですぅっ」


必死に二人を思いとどまらせるために無様に謝るヘタレエルフ。


「でもさっき自分で決めるって言ってたよね」

「他人の意見にも耳を貸すのが人類の調和と協調に必要だと思うんだ」


ヒトは分かり合える生き物なんだぜ♪


「私たちのことを信じられないっていってたわよねー」

「信じるってすばらしいなと思います。だよな、舞耶ちゃんっ?」


親指を立てて赤子に同意を求める。信じる☆パワーが世界を、皆を動かすんだぜ!


「う~?」

「「なら」」


あれ、声がまたハモった?


「「これでどう?」」


そういうワケで世界的に大人気な子猫のキャラクターがプリントされた素敵携帯になりました。

拒否権? そんなモノが敗戦国にあるとでも?


「はろぅ…き○ぃい。なんということだ」


崩れ落ちるエルフ。




「へえ、結構いろんな機能が付いてるのな」


ルシアは購入した携帯電話のカタログを興味深そうに眺める。子猫うんぬんは忘れることにした。ささやかな現実逃避。

大概、先送りした問題は後からより深刻になって立ちはだかるもの。しかしルシアは目の前の『カワイイッ!』を直視することはしない。ヘタレだからだ。


「もう分け判らないよね~。私も全部使いこなせてないかも。魔法の世界にはこういうの無いの?」

「人形通信っていう呪術通信とかはあるけどな。こんなゴチャゴチャした機能は無い。こういうのってガラパゴスとかいうんだろ」


ルシアは今朝見たニュースで出ていた単語をそのまま引用する。


「うん、アレでしょ。日本の携帯だけ世界とは違う感じに進化していってるってヤツ」

「ふうん…」


佳代子は二人を微笑ましく見守る。

そういえば昨日のことだったか。

ルシアにどうして妹さんに本当のことを話さないのかと聞いたのだけど、


―決めてたんだ。本当は前の家族にはもう会わないって……


そう少し寂しそうな表情でルシアは答えた。それきり何も言わなくなったので深く追求することはなかった。

自分なら、会いに行くだろうか?

変わり果てた自分。受け入れられるだろうか?

時間の経過。こちらの時間では5年間、しかしルシアにとっては20年もの時間。

確かに怖くはなるかもしれない。それでも自分なら、きっと家族に会いに行くだろう。


そんな考えを彼女に押し付けるつもりは毛頭ないのだけれども。


「佳代子さん?」

「え、何、春名ちゃん?」

「いえ、なんだかぼーっとなさっていたような。疲れましたか?」

「なら店にでも入ろうぜ。そろそろいい時間だしな」





時計は12時を回りお昼ごろ。パスタ専門店に入って昼食。通されたのは二階のテラス席。


「おおおお、パスタもいける…」


ルシアさんは生パスタを堪能していた。


「向こうには無いの?」

「ん…、あれだ、日本の外食産業はスゴイなって話」

「じゃあ、私の料理はすごくないのかしら?」

「めっそうもございませんっ。佳代子さんの手料理は最高だぜっ」

「舞耶、こぼしちゃだめよ」

「うーーうー」

「聞いてねぇ……」

「はぁ、ルシアちゃんのヘタレっぷり最高に可愛いわ…」

「へ、ヘタレっぷり…?」


どんな可愛さなんだろう? 春名の一言にルシアはうな垂れた。

食後のコーヒー。ルシアはソーサーを片手に香りを楽しむ。


「エスプレッソか。結構本格的だよな…」


口に入れたときの濃厚なコクがドリップ式とは一味も二味も違う。そんなルシアの姿に佳代子と春名はふと見入ってしまう。


「あん…? なんだよ?」

「いや、これで口調さえ直してくれたらって思って」

「そうよねー、なんていうか言葉遣い以外は全部乙女というか」

「お、おと…め」

「お人形さんみたいよね」

「………」


急にルシアが押し黙り、二人は怪訝な表情となる。


「へ、どうしたのルシアちゃん?」

「え、いや、なんでも無い」


空笑い。妙な空気を感じた佳代子は、


「でも隆さんが昨日言ってたんだけど」

「あん?」

「昨日、出先の帰りでルシアちゃんが―」

「え、ちょ、まって、言っちゃだめだからな」

「水溜りの際でステップ踏みながら踊ってたのを見たって」


暴露した。


「………………」

「………………」


じーっと見つめてくる春名。そして挙手。


「先生、ここに夢見る乙女がいますっ。天然記念物です」

「絶滅危惧種ね。保護して愛でましょう」


ルシアは夢見る乙女の称号を手に入れた。


「ふふ、もういいや、夢見る乙女で…。訂正するなら虹のたもとで踊ってたんだよ」


諦観と共に受け入れるエルフ。ヘタレで夢見る乙女。どんなキャラクターなんだろう。



店から出て三人+1人で街路を歩く。瀟洒な門構えの専門店が並び、道には色とりどりに着飾った女性たちやカップルが練り歩く。

賑やかな繁華街。向こうとはだいぶ違う感じ。

服の売り方一つでもかなり異なる。大量生産が確立しているのと、ないのとでは店舗の在り方も異なるのだろう。

向こうで市場といえば、粗末な敷物の上、あるいは良くて屋台に雑多に商品を並べていたような。店主の客寄せの声が煩い位に響き、客との値段交渉に熱を上げる。

大道芸もあったっけ。

南方流民のエキゾチックな独特の音楽をバックに曲芸じみたパフォーマンス。

対するこちらは客と店の人間がある程度の距離を置いているような。ゆっくりと商品を選べるし、安心感はあるけど少し物足りない感はいなめない。


「で、次はどこに行く?」

「そうねぇ……」


そんな風に行き先を考えていると、突然、春名がばっと後ろを振り向いた。


「…あれ?」

「どうした?」

「なんか、さっきから視線を感じて…」


春名がキョロキョロと周囲を見渡す。ルシアや佳代子さんも同様に振り向いてあたりを見渡すが、特に変わったところはなく、


「気のせいじゃないか?」

「そうかな」


と、ここで、


「うー、うー」


ベビーカーに鎮座なされる舞耶ちゃんがショーウインドウのテディベアに興味を示した様子。


「あ、このお店可愛いかも」


ファンシーショップ。中はまるで西洋の御伽噺に出てくるようなロッジ風。確かに可愛いとルシアも店を覗き込む。

春名も視線のことを気にしていたようだが、吹っ切ったようで、一緒にショーウインドウの中を覗き込んだ。


「入ってみましょうか?」

「賛成っ、そだ、ルシアちゃんの携帯ストラップ買おうか」

「まあ、いいけどさ」


店内はすっきりと整頓されてごちゃごちゃとしていないところが良い。

並べられている小物類は文房具や食器類などさりげないものばかりだが、逆に可愛さと趣味のよさを両立している。

春名などは可愛いと言って店内のものを次々と物色し始めた。佳代子さんは舞耶ちゃんが興味をもった物を中心に見て回っている。そして、ルシアは少し渋い顔をしながら、子供向けの玩具らしきものを見て回る。


「(お土産にでも何か買っていこうかな)」


ルシアがそんな事を思ってると、視界の端で春名が一体の西洋人形を持ち上げた。春名の目に留まったのは棚の上に飾られた一体の西洋人形らしく、どういうわけか、春名の目はその人形に釘付けになっているよう。

とはいえ、見た目は何の変哲も無い人形。ルシアは春名も妙なものに興味を持つなと思い、視線を外す。

と、


「あら、お嬢さん、この人形が気に入ったのかしら?」

「えっ、あれ?」


春名に話しかけてきたのはこの店の店主らしい。髪がすっかり白くなった背の低い老婆。掛けたレンズの小さい眼鏡が彼女を可愛らしいおばあちゃんという雰囲気をかもし出している。

急に話し掛けられたためか春名は狼狽しているよう。


「いえ、特徴的な目をしているなって思いまして」

「あら、気づいちゃったのね。ふふ、この人形は特別なのよ。この人形は私の兄が置いていったものでねぇ。もう十年も前になるのだけれど」

「へぇ、これお兄さんから戴いたんですか。何か、瞳に金色の文字みたいなのが浮かび上がっていて、不思議ですね」

「兄はこの人形を大層大切にしてたのだけれど…、突然ふらっとやってきてお店に置いていったの。その後すぐに兄さんは行方不明になってねぇ。家族みんなで兄さんのことを方々を手を尽くして探したんだけど…」


春名は店主のおばあさんと笑いながら談笑する。が、ルシアは今の春名の言葉にびくっと反応する。『金色の文字が浮かび上がる』。ルシアは血相を変えて二人に駆け寄り、人形を覗き込んだ。


「どうしたの、ルシアちゃん?」

「!?」


そこには、人形の右目には、ルシアの瞳にも似た透き通る琥珀色の、黄金の文字が躍る宝石の瞳。ルシアはそれを目にした瞬間凍りつく。


「……マジかよ」


ルシアは思わず呟き天を仰いだ。

妖精文書。3つ目。あり得ない頻度で遭遇した異常に、ルシアは乾いた笑いを浮かべて肩を落とした。










[27798] Phase006-b『エルフさんと人形姫』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/06/25 19:58






帰り。

道は混雑している。帰宅する車の群れ。赤いテールランプが羅列をつくり、対する右方は白い光の帯。

街頭は橙色。ナトリウムランプの独特の。両側を飾るのは我こそはと己が美しさと艶やかさを競うライトアップされた店頭と広告たち。

夜を彩る摩天楼の森。

耳障りなクラクション音を除けば、それはヒトが生み出す星の流れ。星と言うには少し俗で、少しけばけばしいかもしれないけど。

明暗の具合は窓を鏡に変える。

ルシアはゆっくりと流れる景色を眺めながら、時折くっきりと映る自分の横顔を見て、少し目を細めた。


「舞耶は疲れちゃったみたいね」

「はしゃいでたからな。携帯ショップでも雑貨屋でも」


先ほどまでルシアの耳を引っ張っていたお子様は今は既に夢の世界の主。また信号に引っかかり、運転席から後部座席に佳代子さんが顔を覗かせた。


「あのお人形のことを考えているのかしら?」

「…あの人形の眼がさ」


右目に嵌め込まれた琥珀色。金色の文字が躍る特徴的な。ルシアは知っている。

妖精文書第十類型「琥珀」。時間そのものを操作する力を持つ文書である。

これで、この世界に来て3つ目。二つまでなら偶然で済まされるが、3つ目となると話は別だ。妖精文書なんて、向こうの世界ですらめったに見かけないものなのに。

妖精文書が向こうの世界でも数少ないのは、それを管理する者がいるからだ。機族とその国家であるヴィゲーテル、そして聖教会がかなりの額で買い取っている。

妖精文書の小片である書片を採掘して輸出することを国家の基幹的な産業としている国もあるほどだ。

そしてこの世界。

確かに文書を管理する公的な機関は無いだろうが、もし妖精文書が向こうの世界同様に所かしこに存在するなら、それ自体が一般に知られているはずだし、ニュースにもなるはず。

それが無いなら、この世界における妖精文書の数は極めて少ないはず。にもかかわらず、この世界に来て4日という短いスパンで、ルシアは3つもの妖精文書と遭遇していた。

これを異常と言わずになんと言うのか。

ルシアはそこに意志めいた何かが働いているような、そんな得体の知れない不気味な予感がした。


「妖精文書…だったかしら。あのお人形に入っていたの、大丈夫なの?」

「店主さんの目の前で掠め取ったり出来ないし、危ないとか呼び掛けるなんてできねぇけど。まあ、第十類型のあの大きさだし、そこまで大きな悪さはしないと思う」


妖精文書の力の大きさは、文書そのものの大きさに正比例する。問題の文書の大きさは大体が一辺1cm程度の小さなもので、単独での効力はそこまで大きくない。

これが10cmぐらいの大きさになれば、時間凍結や死者蘇生、時間旅行なんてことも起こしかねなくなるのだが。


「それなら、そんなに難しく考え込む必要は無いのではないかしら?」

「…そうだな」


ルシアは頷いて視線を車窓に移す。

そう、今気にしても仕方が無い。何か起こっても自分が対処すればいいだけのこと。

自分は強くなったのだから。あの頃の自分とは違う。何も守れなかったあの頃、全てをあきらめて、あの人形のように心を閉ざしていたあの頃とは―





Phase006-b『エルフさんと人形姫』





車窓から見える景色が変わる。

森を抜けたのだ。

鬱蒼とした木々の世界が途切れ、瞳に飛び込んでくるのは眩いばかりの黄金の夕暮れ視界に広がるのは紅に染め上げられた一面の草の絨毯。

王国北部の、メディア王国との国境に広がる高原地帯。

無数の湖沼と美しい高原植物、そして風光明媚な山々で知られる王国随一の景勝地、タビュル高原。

陰鬱だった森の風景が嘘だったかのように遠くまで見渡せる赤く燃える空、そして赤い夕日の光を反射する切り立った、白の万年雪を纏った山脈が視界一円に横たわる。



右手を見れば盆地が広がり、下方には黄金に輝く鏡のような湖沼。そして、その上空にて赤い夕日を受けて影を伸ばす浮遊島が点々と浮かぶ。そこに夕暮れ時故に帰巣する鳥の群れが舞う。

暮れなずむ空を背景に黒い影絵のような鳥の飛ぶ姿が馬車の真上を横切る。草むらからヒョコッと顔を出したのは草を食んでいた鹿のつがい。じっと馬車を睨む。

音に反応したのだ。馬車が残す蹄と車輪の音。危険がないと悟った鹿は興味を失ったのか再び食事に専念しだす。

馬車は車体を揺らしながら高台の道を進む。それを追うように馬上の騎士が二人それにつき従う。

馬車は簡素ながら夕日を反射して輝く真鍮の飾りや彫刻があしらわれ、高価な窓ガラスまで嵌め込まれている。

職人の手で作られた馬車は丈夫で乗るものを不安にさせるような軋みなど一つも上げない。

馬車に乗るのは御者を除いて3人。

一人は深い皺を顔に刻む白髪の老人で、黒いスーツに身に纏う執事。

その隣には色素の薄い茶色の髪を馬の尻尾にように後ろで結んだ白銀の鎧を着込んだ女性であり、剣を腰にさした女騎士。

そして後方の一際高価な絨毯とタピストリーで飾られた席に一人座るエルフの少女。年の頃は12、3歳ぐらい。白色の華やかなレースで飾られたワンピースとボレロで身に纏う。

ネックレス、イヤリング、髪飾り、指輪。全て黄金で作られ、エメラルドやルビーといった宝石をあしらった。彼女の年齢にしては過剰ともいえる装身具の数々。

絹で織られたカーテンの隙間から流れ行く景色をぼんやりと物憂げに眺める少女。

ただ瞳を閉じ、静かに佇む執事である老人。

そんな静寂の中、一人、女騎士は落ち着かない様子で隣に座る老人や目の前のエルフの少女、彼女の護衛対象であるところの貴人たる、の様子を何度も伺う。

目の前の貴人たるエルフの少女、ルシア=バフォールはパルティア王国の北東部に広がるバフォール伯爵家の一人娘である。

あったと言うべきか。

彼女の父親は2年前、所属不明のエルフの少年と相討ちとなり他界しており、伯爵領を継承するのは彼女であった。正式に継承するまでの間、中央から補佐、事実上の代官として聖教の司教が派遣されているらしい。

女騎士、ディーネは2年前よりルシアの身辺を護衛する任についている。年若い未来の領主と、近い年齢であるディーネにその任の白羽が立ったのは偶然であるが、伯爵家に仕える家臣の家の生まれである彼女にとっては光栄なことであり、また絶好の機会でもあった。

とはいえ、自らの主人は2年前の事件以来、硬く心を閉ざしてしまい、ディーネとの仲が良好であるかと問われれば首を横に振らざるをえない。

流れる砂金のような金色の髪を後ろで三つ編みに束ねる黄金色の瞳の少女、ルシア=バフォール。ディーネのご主人様。

しかし、言葉を聴いたのは最初の挨拶の時だけ。

事情を知っているがゆえに、最初は同情が先立ったものの、その無表情・無感情で、虚ろにも見えるその意思のこもっていない瞳は一向に改善することはなく、ディーネはこのままちゃんとやっていけるのかどうかと、多少自信を失いかけていた。

そうして、2年。ディーネの主人は周囲から、あるいは巷からこう呼ばれるようになった。

『人形姫』


最初は人形のように可愛らしいから―ではない。確かに作り物めいた美しさだからという理由も一つなのであるが。

作り物。

あながち間違ってはいない印象。

その生気の無い、意思の感じられない彼女を見ているうちになるほどと、上手く表現したものだと思ってしまう。

浮世離れした彼女のまとう空気は、彼女をこれでもかと飾り立てる宝飾のせいでさらに御伽噺めいた雰囲気をかもし出す。

彼女自身は宝飾自体に興味はなさそうに見える。隣に座る執事にも言える。

犯人は…、ディーネは思い至り渋い顔になる。

彼女の出発を見送った人間の一人、彼女の補佐として派遣されたと言う司教。ナーソフという名前だったか。

白亜の彫刻もかくやという酷く整った顔をしたまだ司教というには若い男。

趣味の悪い金銀をちりばめた法衣を纏わなかったら、あのヒトを見下したような気持ちの悪い薄ら笑いさえなければさぞご婦人方に騒がれるだろう、というのが印象。

つまり最悪。

それでいて花だの月だの黄金だのと12歳の少女を称え賞賛し、熱い視線を送る姿はディーネをドン引きさせた。

ディーネは少なくともお友達にも部下にもなりたくないと思った。

ちなみに今回の旅行においては、かの司教からルシアに傷一つでもつけたらどうなるか判ってんだろうな的なありがたい説法までいただいていた。しくじったら社会的に抹殺されそうだ。

気が付けばすでに村落の中に入っていた。

のどかな、それでいて美しい高原の村。夕日を受けて赤く染まる姿は幻想的。

窓の向こうでは羊飼いが数十頭の羊をつれて野原を歩く姿が見える。村に帰るところだろうか。

牧歌的な光景。

村の中を流れる小川の上に架けられた小さな石橋を渡ると、滞在する別荘が見えてくる。

馬車はゆっくりと石のアーチで作られた門を潜り、街のものよりも少し上等な石畳の道を進む。

噴水を取り囲むようなロータリー。石畳に沿って木々が植わり、花壇が配置される。黄色と赤の花を咲かせる花壇。

前庭を見下ろすのは凝った彫刻で玄関を飾る、一際目立つ壮麗な屋敷。三階建て。全ての窓には板ガラスが嵌めこまれ、大理石で枠をあしらう。

その玄関の前に一列に整列して馬車を迎えるのは屋敷の管理人と、臨時に村や周囲の集落から雇われたであろう女たち。

少し身なりの良いのは村長らしい。

ベイルムント氏が馬車の扉を開け、御者が長い赤絨毯を地面に引く。ディーネはルシアの手をとり、彼女を馬車からトンットンッと体重を感じさせずに降りてきた。

そして簡単な挨拶。村長が長ったらしい祝辞を述べ、ルシアがそれに短く答えるのみ。

村の面々はその後の宴会のために集落に戻っていく。

貴族の観光が村にとっての主要な現金収入源なのだとか。


―そういえば、


「今日も、8時間近くも一緒にいて一度も会話が成立しなかったであります…」


ディーネは思わずため息をついた。





屋敷の床は複数の種類の木材でモザイク調に飾られている。とはいえ廊下に用いる木材の種類は二種のみで、デザインも単純なものとなっている。

玄関や応接間などはもっと凝っており、4種の木材を幾何学模様を描くように組み合わせて床を彩った。

莫大な予算がかかったに違いないその装飾に用いた資金がどこから出たものかなど聞くのは野暮な話。

笑う者もいれば泣いたものもいる。概して公共事業というものはそういった面があるのかもしれない。

ディーネが赤みがかった南方の木材で作られた重厚なドアを叩く。


「ディーネ=ソーティーでありますっ」

「…来ましたか」


迎え入れたのは真っ白の白髪を持つ老執事のベイルムント。バフォール家に仕えて既に40年の月日が経とうとしていた。短いようで長かった時間。

すでに年齢を考えれば、彼にとってルシアが最後の主人となるだろう。目に浮かぶのは限られた相手にしか見せない、彼女の髪に似た太陽のような明るい、屈託の無い笑顔。

孫娘がいるならばこのような感覚だろうか。二年前のあの日まではそう思って主人に仕えていた。

今は固く心を閉ざした己が主人の一人娘。

最初は時間が解決してくれるだろうと甘く見ていたが、この2年、ルシアの状態が良くなったとは全く思えなかった。

いつも通りならば今回も、ルシアはまるで休暇を消化するために休暇をとるように、無為に過ごしてしまうはずだろう。

流石に焦りを感じたベイルムントは一つ手を打つことにした。それが、件の女騎士である。

ディーネ=ソーティー。

ベイルムントの友人である、名の知れた騎士の娘。バフォール伯爵家に仕える、戦場においても勇名を轟かせる騎士の家の出の少女。

歳の頃もルシアとそうは変わらず、信用の置ける家の娘。腕も立つらしく、しかもハーフエルフ。エルフの女性同士ならと、2年前より彼女はルシアの護衛の任についていた。

当の本人が部屋に入ってくる。窓から満点の星を見上げていたベイルムントは振り向いた。


「ディーネさん、そろそろ、お嬢様の護衛を任されて2年になるかと思います」


そう切り出す。


「はい」

「しかし、私から見ましても、お嬢様と良好な関係を築けているとは言い難い。違いますかな?」

「それは…」


ディーネが言葉に詰まる。とはいえ、ベイルムントは彼女を責める為に呼んだわけではないので、咳払いを一度。


「2年前、お嬢様がどれほど恐ろしい目にあったのか…私には分かりません。しかし確かなことはアレ以来お嬢様から笑顔が失われたことだけです」

「笑顔…でありますか?」

「元々、あまり表情が豊かな方ではありませんでしたが、それでも私やクイント様の前ではころころとよく笑っておられた」


想像できないとでもいうような表情。

この2年間、人形のように静謐で在ったルシアを見てその顔に笑顔が咲く光景をディーネは思い描くことさえ出来ないらしい。


「ディーネさん」

「は、はい!」


ベイルムントはズイと身を乗り出しディーネに語りかける。


「私は老い先短い身。いつまでもお嬢様の傍にいることは出来ないのです」

「そのようなことは…」

「いえ、実際、私も数年先は判らない身。どうしても私の代わりにお嬢様を見守る信用に足る誰かが必要なのです」

「……」

「そこで貴女です」

「はぁ」

「歳の近い同性の友人のような存在が出来れば、あるいはお嬢様にも笑顔が戻るかもしれないと」

「な、なるほど…、って私でありますかっ?」

「そうです。貴女は混血とはいえエルフの血を半分受け継いでおられる」

「はい」

「であるならばお嬢様も少しは親しみ易いはず…、ですのでっ!!」

「はいっ!?」


ベイルムントの顔がどアップになり腰が退けるディーネ。


「貴女には滞在の最終日前日の夜までになんとしてもお嬢様と仲良くなっていただこうと考えています。手段は問わずに」

「は、はぁ」

「ただし…」


ギロリとベイルムントの眼が光る。


「ただし?」

「失敗した暁には…、私はお嬢様に相応しい別の人間を探すことになりそうです。意味はわかりますか?」

「…ゴクッ」





翌日。

よく晴れた日差しの、テラスの木陰で本の上に目を落とすエルフの姿があった。見るものによっては優雅に見えるかもしれない。

ルシアの読書の最中に前からの影が文字を隠す。顔を上げると髪を後ろに馬の尾のように一つにまとめた女騎士。


「と、言うわけでありまして。ルシア様、ずっと本ばかり見ていても健康に悪いですのであります。遠乗りにお付き合いいただけますか?」


どういうワケかルシアには分からなかったが、特段目の前の本には興味は無かったので、ルシアは本を畳む。そのままぼんやりと視線をディーネから逸らすが、


「お付き合いいただけますか?」


しつこかった。誘いを断るもの億劫になってきたルシアは、


「…判りました」


了承する。ディーネと影からひそやかに見守っていた老人が胸を撫で下ろした。着替えを済ませ、ルシアはディーネが駆る馬に同乗する。


「では行くであります。疲れましたら私に身を預けて頂いてもかまわないであります」


すぐ後ろからディーネの声。ディーネに抱きすくめられるような格好でルシアは遠乗りに出発した。


「大丈夫ですか、辛くないですか?」


その問いにルシアは首を振る。

人形姫。

思った以上に小柄で透き通るような金色の髪。確かに愛らしくそう表現したくなる気持ちも分かるとディーネは思う。

しかしきっとそれは良くないことなんだろう。

ディーネは頭を振る。今は自分のなすべき事を為せばいい。


それに―


ディーネは自分の前にいる少女の笑顔に少しだけ興味が合った。

そんなワケでいざ出発。



小高い丘。

鏡のように青い空と雲を映す湖のふちに立てられた洋館と、まるで白で空を切り裂くような山脈の稜線というパノラマ。

まるでミニチュアを見ているかのような感覚を覚える。


「ルシア様見えるでありますか?屋敷があんなに小さいであります」

「……」


一応は目を向けてくれた様子。




丘の向こうにもあった小さな泉。

光を反射してきらめく水面。葦が生い茂り、水鳥たちが戯れる。

水面に目をやれば魚影が水中を飛ぶがごとく泳ぎ回っているのが良く見える。


「ルシア様、小さな泉であります。鳥だらけですねー」

「……」


一応は目を向けてくれた様子。




少し行くと野原が見え、そこには一面の色とりどりの高原植物の花。

まるでブーケかモザイク画。

美しい花びらのピースが緑色の下地に埋め込まれていったような。


「ルシア様、花畑があったであります。降りてみてみませんか?」


ディーネに促され、面倒くさそうに馬上から降りるルシア。


「あちらであります」


一々反対するのも億劫なのかゆっくりとした足取りでディーネの背中についていく。ディーネは花畑に入り適当な花を見繕って編むように円環を作ってく。花の冠。


「どうでありましょう…って、アレ?」


ディーネが目を離した隙にルシアは勝手に歩いていってしまった様子。


「が、ガン無視でありますか…」


置いてきぼりなディーネは少し落ち込むが、すぐに気を取り直す。


「どうしたで―」


駆け足で追いかけたディーネが見たのは、じっと花畑の向こうに在る小さな森。しかしルシアはすぐにそこから視線を外す。

しかしディーネは初めて見た。目の前の少女が始めて何かに興味を示したことに。


「行ってみるでありますっ」

「……」


ディーネは森を指差す。再びルシアが森を見つめ、そしてそっぽを向く。それでも、


「さあ」

「…好きにしなさい」


それはディーネがここに来て始めて聞いた、感情が篭められた声だった。



小さな森。高原の強い日差しを受け、木々の葉が翠緑色に透ける。宝石のよう。エメラルドの伽藍。

風に揺られ木々が静かにざわめき、半分とはいえエルフの血が流れているディーネにとっては、まるで故郷のように落ち着くオアシスのような場所。

木漏れ日が明と木の葉を写す暗のコントラストが眩しい獣道をしばらく歩くと、少し小さな空間がぽっかりと空いていて、その真ん中には、


「これは…」


一本の老木。シワが寄った太い幹は彼の重ねてきた星霜を思わせる。一本一本のシワが彼の生きた証。そして気付く。ディーネはその幹に駆け寄る。


「フリッツの木」


特徴的な鋸の歯のような乱食い歯の入った木の葉、そして何よりも特徴的なのはその幹にある―


「見事な蜘蛛繭でありますねー」


フリッツの木にのみ生息する蜘蛛の一種、フリッツ蜘蛛。雑食性の彼らはフリッツの樹液や、木に付く虫や担子菌類を捕食する。

故に基本的に他の蜘蛛のように蜘蛛の糸で作った罠を必要としない。その代わりに造るのは鋼鉄糸よりも丈夫とさえ言われる糸で作った繭のような城砦。

天敵である小鳥に食われぬように造るもので、フリッツの樹液を食するからこそ作れる丈夫な繭である。

この蜘蛛の糸を縒って作った絹糸を、フリッツの木の皮を煮出した液を発酵させたもので染め付けることで、エルフが常用する丈夫で緑鮮やかな妖精の絹糸が作られる。


「ルシア様?」


気付けばルシアもまたこの一本の老木の傍に来ていた。その目に留まったものは、


「蕾…でありますか?」


季節はずれだとディーネは思い、すぐに思い直す。確かに下界では咲き終えたはずだが、ここは高原。


「もうすぐ、咲きそうであります」

「……」


ルシアの視線は一点、蕾に留まる。膨らみ今にも開きそうなフリッツの花。だからディーネは思いついた。


「また明日もご覧になられるでありますか?」


ルシアは静かに頷いた。




それから数日、二人はこの老木に通い詰めることとなる。







[27798] Phase006-c『エルフさんと謎の襲撃者』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/06/29 19:31



Phase006-c『エルフさんと謎の襲撃者』








「今日は咲いていると良いであります」


滞在する期間も残り僅か。いつものコースを馬で駆け、モザイク画の花畑を通り過ぎる。

馬から下りて、翠緑の伽藍を抜け、老木が木々の元へと向かう。

ここ数日で老木の蕾は一段と大きくなった。もうそろそろ一つ二つ、花が咲いても良い頃合。

ここでディーネは気がついた。


「この香りは…」


独特の甘ったるいと表現しても良い独特の芳香。

それが奥から空気の流れに乗って二人の鼻腔をくすぐる。

咲いている。

少し早足になる。

少し高揚とした気分になったのは花が咲いているからだけではない。

何故ならば足早になったのはディーネだけではなく―

結局のところ、彼女はやはりエルフだったのだ。エルフは森が無ければ生きてはいけない。

フリッツ。

ヒトの手の入っていない森にしか根付かない繊細な樹木。

エルフにとっては様々な理由で特別な意味を持つ。

恋愛に関する逸話も多いのがこの木。曰く、この木の下でというヤツだ。





獣道がひらける。

天蓋のように頭上を覆っていた緑のベールが途切れ、狭かった青い空が光と開放感を伴って展開する。

目の前には一際目立つ老木。

星霜を自らの幹に皺として刻んだ、まるでこの小さな森の主であるかのような存在感。

その枝には無数の小さな白い五枚の花弁を持つ花。まるでブーケのよう。いくつもの小さな花が球状に塊をつくり、老木を飾り立てる。

甘ったるいと表現しても良い独特の芳香。

エルフの森では夏の始まりを告げる花。美しい緑に映える白。

ディーネの傍、ルシアは老木を惚けた様に見上げた。

そういえばと思い出す。


昔、今となっては遠い昔、母とこの花を見ては花は桜に、香りは金木犀に似ていると評したことがあったような。


酷く懐かしい記憶だった。

擦り切れた思い出がフリッツの花の強い方向に誘引されたのか、鮮やかに蘇る。

花見と称してカリンカの実で作った果実酒を片手に自分を連れ出した母親。

その内、村のヒトたちが集まりだして収拾がつかなくなった。

元来は静かに酒を嗜むのがエルフの流儀のはずだが、こういう時にはハメを外してしまうこともあるらしい。

幼馴染がくすねて来た果実酒を隠れて呑んで、村で神木扱いされていた大きなフリッツの大木に登って酔いを醒ました。

見つかってこっぴどく叱られた。

この森の雰囲気がどことなく失われた場所に似ていたからだろうか。

ルシアは香りと共にそんな遠くの出来事を思い出していた。



―帰りたい。



そんな遠い世界を思い出していた。


「ルシア様…」


花をじっと凝視するルシアとは裏腹に、ディーネの視線はルシアの目元に注がれていた。

溜まっていたのは一滴の雫。それが一筋の光の跡を残してスッと流れた。



―ザッ



「危ないでありますっ!」


突然ルシアはディーネに腕を引っ張られて後ろにバランスを崩す。間髪いれず、彼女の目の前には一本の矢が高速で通り過ぎた。紙一重。


「何者でありますか!?」


ディーネはすぐさまルシアを後ろに庇い、剣を腰から引き抜く。

刃渡り90cmほどのロングソード。

一介の新米騎士が持つには少し上等すぎるように見える品は精霊銀(ミスリル)製であり、彼女の父親が現役時代に扱っていたモノである。

彼女の尊敬する父親は本当は長男にこの一振りを渡したかったようではあったが、生憎と長男は騎士となることを拒み、泣く泣く長女であったディーネの手に渡ったという経緯がある。

装飾は少ないものの、純度の高いミスリルは耐久性に優れ、刃こぼれ一つ起こしていない。


ディーネが剣を構えると共に、ザザッという木の葉が擦れあう音が周囲から漏れる。

黒い布で顔を隠す全身黒ずくめの男たちが二人を囲むように現れた。

異様な集団。

つや消しに黒く塗られたクロムレザーの軽装鎧を着込む男たちの手にはロングソードやボウガン。

放つ雰囲気は明らかに山賊とは異なる。


「むむっ、何やら怪しい奴らでありますっ! あなた達は何者でありますかっ?」


そんなディーネの問いを無視して男たちが四方からボウガンを放つ。


「ヒトの話を聞くでありますっ!」


ディーネはそれらを剣で一息で叩き落す。

早業。

同時に剣を手に黒子たちが間合いを詰める。

慣れた動き。統制されたソレは明らかに特殊な訓練を受けたもの。

視線の合図と共に剣を腰にすえて4方よりディーネに襲い掛かり、


「ならばっ、火精装填(ロード・サラマンダー)っ」


その刹那、ディーネのロングソードの刃が煌々と燃え上がる。そして、


「カーマイン・スプレッド!!」


そのまま燃え盛る剣を水平に払った。

その瞬間、剣の焔が撒き散らされ、二人の周囲に焔の壁を作り出す。

一人先行していた黒子がその炎の斬撃を直接浴び、燃え移った炎を消すために大地に転がる。


「ルシア様っ、こっちであります!」


そこに出来た包囲の崩れをみるやいなや、ディーネはルシアの腕を引いて駆け抜ける。

燃え盛っていた炎の壁が割れ、二人はそこに飛び込んだ。

そのまま藪の中に踏み込む。

黒装束の男たちも二人に包囲を抜けられたことを悟り、間合いを確実に詰めようと追いすがる。

木々の間を縫いながらディーネはルシアの腕を引いて失踪する。

後方からは黒でつや消しされたボウガンの矢が飛来してすぐ傍の樹木にタンッという音を立てて突き刺さった。

森の土壌は柔らかく、走るには向いていない。

しかし二人は森に適応するエルフの端くれであり、人間族よりもはるかにこの場は有利であるはずだった。

だが追跡者たちとの距離はむしろ狭まっているように思えた。


「しつこいでありますっ…。ルシア様、大丈夫でありますか……くっ?」


ディーネがそう気遣おうとしたその時、


「きぇぇぇぇぇっ!!」


黒装束の男が突然木の上から双剣を手にルシアにむけて剣を振り下ろす。

それをディーネは剣でもって受け止めるが、その隙によって後方の追跡者たちも二人に追いついてしまう。

双剣の男が役割を果たしたかのようにすぐに二人の後方に跳んで間合いを放しつつ進路を塞ぐ。再び包囲がなされようとした。

ボウガンを片手に下男たちが膝を森の柔らかい土について、石弓を構える。


「ルシア様、私の後ろに―」

「セダリム・ディト―」


そうディーネが言い終わる前に、ルシアは追いすがる追跡者に向けて手をかざし、


「―ラ・ルノ・フォージ!」


その瞬間、ルシアの掌から前方に向けて眼球を焼くほどの強烈な閃光と雷が落ちたような大音響が咆哮する。

指向性の音響閃光魔術。

叩きつけられた追跡者たちは一瞬気を失ったのか或る者は棒立ちに、或る者は前のめりになって倒れこむ。


「おのれっ!」


進路を塞いでいた双剣の男がすかさず切りかかってくるが、


「甘いであります!」


ディーネが前に踏み込んで剣を斬り上げた。双剣を撃ち上げられ、男の双剣の片方が跳ね飛ばされる。

そのままディーネの剣が翻り、


「がはっ!?」


片側だけになった右手の剣もろとも男を両断した。


「お見事であります、ルシア様」

「別に…」


そっぽを向くルシアにディーネは苦笑すると、男たちが蹲っている隙にすぐさまそのか細い腕を引いて森のなかに再び踏み出した。

そのまま森を走り抜けると一本の獣道に出遭う。後方からは追跡者の気配は無い。


「まったく、あの狼藉者たちはいったい何だったのでありましょう?」



二人はそのままその道に沿って森を出ようと、



一筋の黒き三日月が円弧を描いてディーネの首を刈り取らんと迫る。


「なぁっ!?」


ディーネが前のめりに前転してこれを紙一重で回避する。

目の前には黒装束の女。

手には漆黒の、あまりにも細く打ち合えばすぐに折れそうな曲刀。


「刀…?」


ルシアは呟いた。色は黒い。柄は西洋の刀剣に似ており宝石が嵌めこまれている。

だがそのそそり立つ様な反りと僅かに黒から見て取れる波紋は正に彼女の知る日本刀そのものであった。


「今度はサムライ…でありますか。次から次にと珍妙な」


意外によく知られているらしいことに、少しばかりルシアは驚く。

黒装束の女はゆっくりと刀を右方に下げるように低く構えた。

ディーネは剣を正眼に構えて対峙する。


サムライ。

細長く弧を描く美しい剣を操る剣士。

その起源についてはいくつもの説が唱えられるもはっきりした出自は不明。

サムライという単語の意味さえ判らないらしい。

最初こそはその頼りないとも受け取れたその刀という武器から敬遠されていたと聞くが、

その比類なき技と、刀の持つ切れ味が戦場において数多の命を刈り取っていくと、

そういった初期のイメージは払拭され、戦場では絶対に出会いたくない相手の5指に数えられることとなった。

圧倒的な技で対象を一撃で持って両断する。

ディーネのイメージするサムライとはそういうイメージであった。


「ですがっ、私、トラス=ソーティーが子、ディーネ=ソーティーを甘く見ないことであります!
 我が家に伝わる精霊剣、とくとご覧に入れましょう! 火精装填(ロード・サラマンダー)っ!」


ディーネの気勢を顕すかのように剣から炎が立ち上がる。灼熱は赤い光を纏い、ディーネの頬を髪と同様に赤く照らし出す。


「ルシア様、ここは私が抑えるであります。このまままっすぐに行けば私の馬がいるはずですので」

「…判った。死ぬなよ」


ルシアは一瞬だけ逡巡した後、獣道に沿って走り出した。

残した言葉はいつもは聞きなれない、少し粗野な感じ。

ディーネは少し元気が出た。

黒装束の女がルシアを追いかけようとする。が、


「レッドライン・スプリット!」


その目前に一直線の炎の壁が敷かれる。女が視線を壁に沿って末端に目をやると、燃え盛る剣を振り上げた赤髪のハーフエルフの姿。


「貴女の相手は私であります」

「騎士の鑑というわけですの?」

「クビがかかっているのであります」


初めて口を開いた女に、ディーネは不適な笑みを浮かべて応えた。





ルシアは魔術によって身体機能を高め、獣道を駆け抜ける。露出した土を踏みつける音だけが聞こえ、鳥の声などには一切耳を傾けない。


「はぁ、はぁ…」


息を切らせる。

かつてのルシアならば、精霊術を用いて飛翔すれば走る必要などなかっただろう。

しかし今の彼女には精霊の声は聞こえなかった。きっとセーハだけが義理で付き合ってくれていたのだろう。ルシアはそう思う。


―耳無しか…。


自嘲する。酷く懐かしい響きだった。胸が詰まった。


――何をいまさら。


精霊の声は聞こえない。

罪人の自分にそんな資格などあろうはずが無かった。

父親を殺してしまった。

復讐なんてそんな理由じゃなかった。第一ガラじゃない。ただ怒りに任せて、考えも無しに、好きだった人を殺した。

そしてあろうことか、故意ではないとはいえその罪を、幼馴染に押し付けていた。

二年もの間、その事実に、罪に目を背けてきたのは誰だったのか。


自嘲する。


あのフリッツの木を見て、思ってしまった。

罪人には過ぎた願いだ。

たくさんの命を踏み台にして生き残ってきたくせに。

いまさら帰りたいだなんて。




そして見覚えのある広い獣道に出たそのとき、


「待ちくたびれましたわ」


刃が振るわれた。ルシアの首を狙う鋭利な円弧。それをルシアは身を捩って避けるものの、


「痛っ…」


肩口を切っ先が引き裂いた。ルシアは森の木の葉の上に勢いあまって転がる。


「……」


すぐさま膝を突いて相手に向き直るものの、ルシアの肩は血に赤く染まる。

目の前には先ほどの黒装束の女。ルシアは焼け付く様な痛みを堪えて、肩を手で押さえて対峙する。


「ディーネは?」

「ふふ、他人の心配をする前にご自分を心配なされてはいかかですの…?」

「……」


ルシアの瞳に僅かな苛立ちが映る。それをソナタは面白そうに見つめる。


「才能の有る娘でしたわ。まあそれだけでしたけど」

「……そう…か」



―また無くした。



抑揚の無い声。瞳には明らかな怒りとも悲しみとも取れる感情が映った。


「よほどお気に入りだったようで」

「アンタの飼い主ほどは酔狂じゃない。何が目的だ?」

「…ふふ」


女は口元に笑みを浮かべ、再び刀を構える。

大気が凍えるのをルシアは感じる。

刹那、女の姿が消え、ルシアの目の前に。

しかし、


「レイ・ダ・イェナ」


まばたきにも満たない時間だけルシアが速かった。

肌で危険を感じた女が後方に一息で跳躍する。

その時、地につけたルシアの右掌を中心に同心円状に電撃が地を這う。


「ヴュネ・ダ・リコム!」


すぐさまルシアが放つのは螺旋に逆巻く風の槌。

それと同時にルシアは左肩を抑えながら相手に向かって右に獣道に沿って駆け抜ける。

放たれた魔術を女は紙一重で躱す、が、十分。

風の槌は馬といった大型哺乳類をも跳ね飛ばすほどの威力を秘める。掠るだけでも、ベルヌーイの定理による圧力が相手を引きずりこみ、拘束する。

その隙を突いてルシアは距離を稼ごうとする。


が、


「甘いですわ」


既に女はルシアの横につけており、そのまま刀を振るおうと、


「知ってる」

「え?」

「セダリム・ディト・ラ・ルノ・フォージ!」


ルシアの左手から強烈な光と音の爆発が指向性を持って女に放たれた。

直撃。

数秒の間、意識が飛ぶはず。

その隙を見越してルシアは腰に挿していた護身用のナイフに手をかけ、


目を見開いた。


そこに女の姿は無く、


「少し驚きましたわ。ですが二番煎じというのは感心しません」


いつの間に移動していたのか。女は先ほどと全く逆の位置。

今はルシアの背後に。

神速の太刀をルシアの背中に向けて振り下ろす。

ルシアはほとんど反応できず、女は己が太刀が完全に入ったことを確信していた。

そのはずだった。



― ゾクッ



その悪寒が彼女の背中に駆け上がらなければ。

剣速が鈍る。

ルシアは前のめりに倒れこみ、少女を両断する筈だった一撃は、その背中を裂くだけに終わる。


「くあっ…」


しかし傷は浅くなく、ルシアの背中に赤い線が刻まれる。

ルシアは何とか立ち上がりフラフラとした足取りで崩れそうになりながらもその場から離れようと藪の中に入っていく。

しかし黒装束の女はそれを追いかけることが出来なかった。睨まれていた。

それ以上近づけば死ぬのは貴様だという意思に。


「…騎士はもう一人いた、というわけですの」


女は結局最後まで動くことができずに、森の中に消えていく少女を見送り続けた。






「いたかっ!?」

「いたぞっ、こっちだ!」

「気をつけろ、魔術を使うぞっ」


黒装束の男たちの粗野な男の声。

まだ遠い。だが少しずつ近づいている。

血液を流しすぎ、朦朧とした意識の中、男たちの喧騒は、

まるで罪人を責め立てるよう。

あの優しかったはずのあの森はどこにいったのだろう。

あの綺麗だった世界はどこにいったのだろう。

こんな血生臭い森は嫌だった。こんな世界は大嫌いだった。



――帰りたい



ルシアはただただ帰りたかった。

あの美しく静かな森に。

あるいは騒々しいコンクリートに囲まれたあの街でもいい。

全てが怖かった。

奪われるのが怖かった。

保有するのが怖かった。

呼吸することさえ怖いのかもしれない。

まるで責め立てられているような。

守ってほしかった。

あの優しく静かで賑やかだった翠緑の森や母親のように。

あの毎日が変わらない、平和ボケしたコンクリートの森のように。




――だけど帰る場所はもうどこにも在りはしなかった。




「ごめんなさい…、ごめんなさい………」


だからルシアはうわ言の様に許しを請うた。

帰ることが出来ないのなら、せめて、

もう許して欲しかった。

もう止めてほしかった。

楽しい事なんてもう願ったりしないから、

欲しい物なんてもう何もないから、


お願いだから、



「誰か、助けて…」


少女はこの世界に生れ落ちて初めて何かに助けを求めた。


「■■■■■■■■■■■■!!」


その声に応える者があった。

しかしそれは、声に応えた者の姿は、あの二つの夜に目に焼きついた巨大な岩の巨人だった。


「ひぁ」


ルシアはのど奥から掠れた声を上げて、後ろへと下がっていく。巨人は大気を揺るがすような咆哮をあげて、豪腕を振るう。

目の前で繰り広げられるのは嵐だ。莫大な質量がわななき、ルシアを襲っていた黒装束たちを跳ね飛ばし、蹂躙していく。


「ごめんなさい…」


ルシアの口から漏れたのはそんな謝罪の言葉だった。きっと、あの巨人は自分を殺しに来たのだろう。母さんやお父様、ラベル君や、村の皆を見殺しにして、自分だけ今ものうのうと生きている罰を与えに来たんだと、ルシアはそう思った。


「ごめんなさい、ごめんな…」


そして、血飛沫がルシアの頬を塗らした。赤い、赤い、赤い、赤い。


「いゃ…、ああっ!」


ルシアはまた一歩、一歩と後ろへ下がっていく。全てから逃げるように。そして、巨人がルシアに振り向いた。息が止まる。

巨人の手がルシアを掴もうと迫ってくる。ルシアはその威容に恐怖した。だから、また一歩後ろへ下がって―



そこには、大地が無かった。


「えっ?」


ふっと重力が失われる。ルシアは気づかなかった。そこは断崖絶壁の淵だった。巨人の手がルシアを掴もうと伸ばされるが、それも間に合わなくて、ルシアは巨人の手が空振りするのを見た。

そこでルシアの記憶は途切れる。







「ルシアちゃん?」

「ん?」


車が止まる。目の前には、近くまで顔を覗き込んできた佳代子さんの顔。どうやら、すこしウトウトしていたらしい。

すでに、車は地下の駐車場に止まっていて、周囲はむき出しのコンクリートが蛍光灯の光で照らされるのみ。


「大丈夫?」

「何が?」


佳代子さんは気遣わしげにルシアの声をかけるが、ルシアは意味がわからず首をかしげる。


「いえ、なんだか…、うなされていたようにも見えたから」


佳代子さんは少し言いにくそうにしながらも、そう言葉を続けた。どうやら、眠っていたときにうなされていたか、寝言を言っていて、それで心配させてしまったのだろう。ルシアは苦笑して、


「いや、ちょっと昔のことを夢に見てただけだぜ。何も問題ねぇよ」

「そう?」

「うん。全部終わったことだからさ」


ルシアはわざと明るく振舞うことで、佳代子さんに心配させないようにした。






[27798] Phase007-a『エルフさんと琥珀の瞳』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/07/02 22:34


Phase007-a『エルフさんと琥珀の瞳』






「で…、その人形ってのは危なくないのか?」

「あむ…んぐんぐ。さっきも言ってたけどさ、見たところ危険ってなほどじゃねぇよ」


夕食時。カチャカチャと鳴る食器と箸がこすれる音とテレビの野球中継。メインディッシュは大皿に盛られた酢豚。パイナップルは入っていない。

話題は雑貨店で見たという人形の話。

しかし場には緊張感が足りない。


「……」


チラリとルシアは横に座る佳代子の横顔を盗み見る。にこやかな笑顔が返ってきた。

全ては彼女の知るところだった。

先ほど酢豚の中に入っていたピーマンを横に避けようとして、佳代子さんの顔をこっそり伺っていたことも。

ピーマン排除作戦の凍結を議決したヘタレエルフは答える。


「妖精文書っていってもピンキリなんだよ」


曰く、

妖精文書(グラム・グラフ)とは古代文明の遺物であると言われている宝石の総称。

形状は色・形様々の宝石板。13色が確認されており、色によって保有する機能が異なる。板の厚さ2mm、まるで液晶画面か何かのように内部で黄金の古代文字が浮かび上がる。

文書の機能はその破片の大きさに比例する。大規模なものになると下手をすれば一国を滅ぼすほどの災害、『文書災害』を引き起こす。

ただし文字が判別できなくなる1cm四方以下の大きさになると単独でその機能を発揮できなくなる。こういった小破片は書片(レターピース)と呼ばれ、魔術の触媒や魔法薬の原料となる。

発見される文書の多くが書片であり、これらは8000年前と4000年前の地層から採掘される。


「っとまあこんな感じな」

「ふうん。で、肝心の人形に入ってたのはどんなヤツなんだ?」


後藤は豚肉を噛み千切りながら尋ねる。


「琥珀色。第10類型『琥珀』だったな。機能はあれだ…時間の制御」

「つまり、タイムマッスィーーンってやつか?」

「文書の規模がでかくなるとそういうことも出来るってのは聞いたことあるな。でもまあ、今時向こうでも見つかるのはそんなに大きくないのばかりだし、大きいのは機族とか聖教会が管理してる」


ワクワクな後藤に、ルシアは冷ややかな目で人参をつつく。そして勢いをつけ、目をつぶって口に放り込んだ。相応の覚悟を要する行為らしい。


「お前、そんなに好き嫌い多かったか?」

「いや、昔は、その、椎茸は苦手だったけど。この身体になって味覚がさ…」


遠い目をするエルフ。


「その大きさだと、どの程度のことが出来るの?」


余計な方向に反れた話を佳代子さんが元に戻す。


「あの大きさだとそんなに出力はでねぇな。動いたとしても限定的に未来とか過去の画像が見えたりするだけじゃねえの?」

「未来視…? そりゃ十分すごくね?」

「望む未来が見れるならな。多分、普通に見てもどの時代の光景か判らねぇだろうな。制御にはどうしても専門の技術が必要になるんだよ。それにいきなり店のモノを包帯でグルグル巻きにするってのもなー」

「包帯?」

「一時的な封印なら血を介してできるんだけど、長期的に妖精文書を封印する場合は、それ専用の布、封紙で包んで外部からの刺激から隔離するんだ。」


妖精文書の制御には専門の技術『封書術』と少なくない資材が必要になる。そういったモノは一部の組織に握られていて、凡俗が手を出せる領域には無い。


「ルシアちゃんは使えるのね」

「まな、師匠から仕込まれた。後藤、お前にも見せただろう」

「よく見てなかったから判らん」


呪術や古代語魔術、果ては錬金術まで広範な知識が必要となる高難度技法。向こうの世界では門外不出の秘奥とされることも少なくない。

習得したものには畏敬の念をこめて『司書』の称号が与えられる。そして、使い手が限られることから文書の封印が後手に回ることが多く、暴走時の被害を無駄に拡大させるらしい。


「まあ、モノがモノだから、機会があればまた見に行ってもいいけど」

「ありがとうルシアちゃん」

「べ、別に。気が向いたら行くってだけだ」

「お前、ツンデレ属性まで手にして何したいんだ?」


佳代子の笑顔の感謝にそっぽを向くルシア。後藤はそれを冷やかし、ビールを一気に飲み干す。


「ツンデレ…、ツンもデレも無いと思うんだけどな」

「耳は尖ってるわね」

「ツンは説明がついたな。でも何でエルフの耳って尖ってるんだ?」


後藤がふと疑問を口にする。


「集音と体温調節のため…じゃねぇの?」


ウサギの長い耳は確か体温を逃がすためだと聞いたことがある。


「人間だったころとなんか変わったか?」

「…判んねぇな。比べたことなんか無いし」


エルフに転生して冷静に前世の耳と比較できる人間がいたらお目にかかりたい。


「難しい問題ね」

「ところでダークエルフとかいるのか?」

「だーく? 黒っぽい肌の奴なら南方の大陸に住んでるって聞いたことはあるな」

「それって単にメラニンが多いだけじゃね? こうなんていうか、闇の種族っていうか……」

「邪神崇拝?」

「そうっ、それっ!」

「エルフは自然精霊崇拝だから神様とかは特にな…。街のエルフとかは便宜上一神教に帰依する場合もあるけどさ」


特定の神様を奉じることで肌が黒くなったりとかはしない。


「ドワーフはいたな。合法ロリの」

「合法…、それは配偶者の前でする発言じゃないな」

「大丈夫よ、諦めてるから」

「はっはっは。思い知ったか」

「ダメだコイツなんとかしないと」

「手遅れよ」

「何でアンタこんなのと結婚したんだ…………」


この夫婦がいまいち理解できないルシア。


「ねぇねぇ、もしかして狼男とかもいるの?」


少し目を輝かせる佳代子さん。ファンタジー風味に興味津々。


「人狼族ってのがいる。月に吼えるぜ」

「すごいわねっ」

「他にも人魚もリザードマンとか、あと翼持ってる連中もいるな」


さらに洋物アニメとかで見る二足歩行するウサギな兎族。ライオンな人獅族。吸血鬼っぽい蝙蝠人間な夜族。牛や羊な角人族。3mを超える体格の巨人族。果ては機械と融合したような機族なんていう妙なものまである。


「節操が無いな」

「それはアタシも思ったことがある。霊長類って認められてないゴブリンとかオーク、あと未発見のを合わせたら途方も無い数になりそうだぜ?」


とはいえ、亜人と呼ばれる彼らが優勢だった文明圏は200年前に崩壊したのであるが。


「俗説じゃ、元々はオリジナルの原種から枝分かれしたらしいんだけどさ。精霊とか幻獣と交雑した結果じゃないかって」

「異種交雑…、アブノーマルな世界だな。すごいな異世界、蛇とおんにゃのこが…」

「佳代子さん、コイツそろそろなんとかしようぜ」

「ちょっと待って、フライパン持ってくるわ」

「角でいこう。こう抉りこむように」

「待て、佳代子、何振り上げてっ!? おぐっ!?」

「ところで何の話だったっけ?」

「異世界の生物学的見地についてじゃなかったかしら?」








街に雨が降る。

空は薄暗く、灰色が圧迫する。降り続く雨はコンクリートの白を黒く染め上げ、街全体を陰鬱にするよう。

―カランカラン

店の戸が明けられ、取り付けられていた鈴の小気味良い音が店内に鳴り響く。少しはこの季節の憂鬱を晴れやかにしてくれるかもしれない。

街の一角にひっそりとたたずむ、可愛らしい小物を揃えた雑貨屋。女学生風の少し気の強そうな女が店内に入ってきた。


「おやおや、こんな雨の日に。おや、お嬢さんは昨日の…」

「あ、はい。前川春名と申します」


春名は傘をたたみ、入り口に立てられていた傘立てに挿した。


「こんな日にどうしたんだい? 何か欲しいものでも?」


老婆はポットを取り出し、カップに暖かな紅茶を注ぐ。ソーサーに乗せた湯げだつ紅茶を春名に勧めた。


「ありがとうございます」


春名は紅茶を手に持つと、そのまま視線を迷わし、ある一点に留まった。

人形。

店主さんもその視線に気付いた様子で、彼女はゆっくりと人形に近づきそれを手に取る。

レースで飾られた黄色を基調とした花柄の洋服を着せられた可愛らしい西洋人形。髪の色はライトブロンド。まるで日の光を浴びた小麦畑のような。

胴に対して大きな顔の、そのまた大きな眼に嵌め込まれた瞳の宝石は黄色のガラス玉。だが良く見ると右目に少し違和感がある。ガラスの瞳の奥にある何かが映し出す金色の文字。

それらは現れたり消えたり、浮かび上がったり、泳いだり、沈み込んだり。

規則性の無い動きをする見慣れない金色の幾何学模様はパーソナルコンピューターのディスプレイに映るスクリーンセーバーにも似た。


「この娘は売り物じゃないんだけどねぇ」

「い、いえ。そんなつもりじゃなくて、なんというか……気になったというか……」


店主さんの言葉にしどろもどろになりながらもその視線は人形に向かったまま。


「あの…お人形さんみたいな女の子が気にしてたからかい?」

「そ、それはあの…。はい、そうです」


店主さんが苦笑する。夕日を封じ込めたような黄金の髪と目を持った少女。

一目見たときから印象的だった。

その愛らしさにしてもそうだが、どこか無理をしている感じがする。同時に目の前の春名もまた彼女にとっては印象的だった。

具体的には指摘できない、どこか金色の少女に似たところがあったような。

人形に釘付けになっていた金色の少女に、逆に釘付けになっていた女の子。あの時、連れの赤ん坊が泣き出さなかったらそのまま二人は微動だにしなかったかもしれない。


「この娘、持ってごらんなさい?」

「えっ、いいんですか?」


店主さんはゆっくりと春名に、あの少女にどことなく似ているかもしれない人形を差し出した。

春名は手に持っていたカップをフロントに置くと、まるで赤ん坊を抱くように大切に人形を受け取る。思った以上に重い。まるで彼女が過ごしてきた星霜をそのまま質量に変えたような。

春名はその瞳に視線が吸い込まれる。浮かび上がり、踊る黄金の文字。やっぱり不思議だと春名は感じる。神秘的で神聖。決してぞんざいに扱ってはならぬ聖域の―


「っ!?」


一瞬、何かの映像が春名の脳裏にフラッシュのように刻み込まれる。古い映画にようにくすんだセピア色の動画。

それは古い古い、五年と少し前の出来事。春名の16の誕生日の前日の、兄と話した最後の日の。

あまりにも幼稚な理由で彼を拒絶した。最後の兄の表情が、いつもの、大嫌いなあの自嘲するような。

溜息をついて出て行った。その後の兄の、私の知らない過去の記録。

手にしているのは小さな紙袋。綺麗に包装された。記憶にあった。

あれは…そうだ、誰がくれたのか結局判らなかったプレゼント。

当時好きだったバンドの、インディーズ時代の。

なかなか手に入らない、私の当時のお小遣いじゃとても手が届かなかった。

すごく嬉しくって、誰がくれたか探し回った記憶がある。だからあの小さな袋のことは覚えていた。

結局誰がくれたのか判らなかった。

何故、今まで思い出せなかったのか。見ていたはずだ。そう、兄があの日あの小さな袋を持っていたことに。

なんであの時、あんな言葉しか―



「ど、どうしたのっ?」

「えっ、あれっ…?」


肩を揺すられて春名の意識がこちら側に返ってくる。


「びっくりしたわ。急に黙り込んで…」

「い、いえ…」


春名は人形を店主さんに返す。


「あら、どうしたの?」

「え?」


店主さんがハンカチを手渡してきた。気がつけば、頬を伝わっていたのは、

店主さんは何も言わずに微笑みかけて、


「よっぽどこの娘を気に入ってくれたのね」

「えと、その…」


気に入った。少し違う。気に入ったではなく気になって仕方が無い。あの娘がしきりに気にしていたからかもしれない。

あるいは、この人形があの娘に似ているからだろうか? もしくは、あの娘が兄にどことなく似ていたからだろうか?

もう5年も昔の話だ。第一そんなに仲が良かったわけじゃない。

否、子供の頃はすごく仲が良かった。というよりも一方的に付きまとっていた気がする。

口は汚いけども、温厚で、不満をいいながら結局は回りにお節介を焼いていた。

父と母も兄のことが大好きだった…、というよりも人一倍期待をかけていた。

兄はなんでも独りでソツなくこなす、優秀と言っても過言じゃないヒトだった。

たいして教育熱心じゃなかった両親も、県で一番の進学校、一流の大学へと確実に進んでいく兄に過大な期待をかけていた。

親戚もトンビが鷹を産むとか、囃し立てていたっけ。

そんな話を聞いていて、私も自分のことのように自慢に思っていたこともあった。

その内、いつしか疎遠になって、比べられるようになって、何かにつけて突っかかっていくようになった。

今となっては、後悔している。

突然だった。

いきなり海外留学のために渡航の途中で、飛行機の中で、逝ってしまった。

しかも中途半端に行方不明というカタチで。

母親は兄が戻ってくることを強く信じた。信じきった。自己暗示するように。そして疲れきった。そんな母と向き合っていた父親も。

そして、父と母は…。


「(何をいまさら…)」


自嘲する。まるで母さんみたいだ。兄貴がいまだに帰ってくるなんて本気で信じている。兄貴に負けないぐらいの成果を出せば、両親が正気に戻るなんて本気で信じていた時のよう。

自嘲。そういえば兄貴が私の前でよくやる癖の一つだった。

嫌いだったあの癖。兄貴が両親の期待を一心に受けていたことに、羨ましいと思っていたのは私だったはずなのに。

あの日、ひがんで、つまらない人生だって言ってやった時も、怒ることなくあの自嘲を見せた。

そもそも、兄貴が怒るところなんて見たことも無かったのだけど。

あの時の自分ほど殴ってやりたい自分はいなかった。

最後にかけた言葉があれだなんて、あまりにも酷すぎる。

だからだろうか。兄貴に似ていると思ってしまったあの娘に、こんなにもかまってしまうのは。

あの娘が釘付けになった、あの娘にどことなく似た、この人形が気にかかってしまうのは。


「(それに、あのイメージ…)」


あの人形が思い起こさせてくれたのだろうか。少し怖い気もする。

でも…。

まあいい。気になったのなら仕方が無い。思い悩むなんてガラじゃない。


「よしっ」


春名は決めた。気が済むまでこの人形に関わろうと。

春名は店主のおばあさんに人形を手渡し、


「また来ていいですか?」


と尋ねる。すると、おばあさんは一瞬だけ目を丸くして、そしてにこやかな笑顔を見せた。


「ええ、いつでもどうぞ」

「ありがとうございます」


そして、意気揚々と店を出る。


「(そうだ、今度ルシアちゃんを誘ってお買い物に行こう。きっと楽しいはず)」


春名にとってこの数日は久しぶりとも言ってよいほど充実した日々だった。それはきっと、一昨日に会った金色の少女のせい。

と、


「ん?」


ふと、何やら視線を感じた。








[27798] Phase007-b『エルフさんと二人の春名』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/07/09 19:56


Phase007-b『エルフさんと二人の春名』





夜空を眺める。

先ほどまで降り続いていた雨は止み、雲間に浮かぶ月は少し欠けた八分目ぐらい。向こうの月も大きさはそう変わらない。ただし模様は違う。向こうの月ではウサギが餅をつくことはない。

多少、湿度は高いが、昼間に比べれば気温も大分下がっているようで、頬に当たる風はそれなりに涼しく、風鈴を奏でる。都会の夜空は地上の明るさに制されて、星はいまいち見えない。


「…向こうはどうなってるかな?」


この世界に帰還して、今日で4日が過ぎた。向こうで過ごした時間とこちらで経過した時間から考えて、向こうの時間は5倍速。つまり向こうではおよそ20日経ったことになる。

きっと、帰る頃にはちょっとした浦島太郎の気分を味わうことになる。

帰る。

そう、帰るのだ。

向こうにはとても大切なものがある。向こうとこちら、選べといわれるならルシアは向こうを選ぶだろう。それだけのものを残して来ている。

向こうではたくさんのモノを失くしたけれど、それでも、それらと同じくらい、あるいはもっと大切なモノを手に入れたのだから。

と、


「飲むか?」


後藤が両手に持った缶ビール片手に聞いてくる。風呂あがりの一杯という奴。ルシアが頷くと、後藤はポンと右手に持ったそれを放り投げてきた。ルシアはそれをナイスキャッチ。

プルタブを引いて缶を開けると、プシュッと中の気が抜ける音がする。ルシアはそのままカンカンに冷えたビールを喉に流し込んだ。

んで、


「げほっ、ごほっ、ごほっ」


むせた。

後藤がそんなエルフさんを指を指してゲラゲラ笑う。


「笑うな。つーか、ビールってこんなに苦かったっけ?」

「普通だろ? ラガーだからそこまで苦くはないと思うが?」

「向こうじゃエールが一般的なんだよっ」

「子供舌め」

「うっさいわ」


ビールの苦味はホップが出すもの。日本ではホップを使用した黄金色のピルスナーが主流であるが、ルシアの世界では一般的ではないらしい。


「とはいえ、異世界の酒か。興味があるな」

「そうか? こっちと似たようなもんだぜ」


カリンカと呼ばれる林檎に似た果実の酒や、麦に相当する穀物の酒など。似通っている部分は多い。とはいえ、


「果実酒も多いけど、穀物の酒は麦芽で作る酒が大半だな。麹がないんだよ、向こうじゃ」

「じゃあ、日本酒とかは東洋系の酒はないのか」

「うん。でも特別な、精霊の力を借りて熟成させる酒、霊酒とか神酒とかあるぜ」

「ほう、黄金の蜂蜜酒とか?」

「いあ! いあ! はすたあ!」

「星間飛行ってやつだな」


石笛とセットで特別な呪文を唱えると、宇宙をいくタクシーにタダ乗り出来る素敵アイテム。主に図書館に行くときに使う。と、馬鹿な二人は笑いあう。


「失踪した教授の話はおいて置いて、その霊酒とかMPが回復しそうな酒は旨いのか?」

「モノによるな。エルヴンワインの50年物とかはすごい値段で取引されるらしいけど。アタシが飲んで一番美味いと思ったのはドワーフの作ったウイスキーかな」

「ほう、ドワーフときたか」

「クシャーニヤっていう都市で作られてるやつで、水精霊で熟成させたシングル・モルトで、トロっとしてて、すげぇ飲み口が良くて香りも良いの。前に師匠が開けたのを飲ませてもらったんだけどな」


ドワーフは酒好きでうわばみ。エールが似合う連中ではあるが、鍛冶・細工技術の延長で、蒸留酒の製造も盛んなのだとか。

と、突然後藤の背後に現われる影。それはにゅっと、手を伸ばし、後藤の手からビールを奪い取る。


「隆さーん、ルシアちゃんと二人だけでお酒なんてずるい」

「うお、佳代子か」


正体は佳代子さん。彼女は奪い取った缶ビールをその場のノリで一気にあおる。すごくいい飲みっぷりに、後藤も目を張る。


「ていうか、俺のビール…」

「うーるーさーいー」


抗議する後藤に佳代子さんによるチョークスリーパーが入る。


「絡み上戸かよ。つーか、酔うの早ぇえな」

「もうっ、隆さんのバカー」

「ちょっ、クビ絞まるっ! ギブッ、ギブッ」


バンバンと机を叩いてギブアップのサインを送る後藤。笑いながらそれを無視して首を絞め続ける佳代子さん。ルシアはイチャついてんじゃねぇよ的なふて腐れた表情で二人から目を離し、夜空に視線を戻す。

と、そんな不良レフェリーに不満を抱かれたのか、佳代子さん、突如ターゲットを変更する。


「ルーシーアーちゃーん」

「ぎゃーっ、酔っ払いがコッチ来たっ」

「酔ってなんかいませーん」

「酔ってる奴は大抵そう言うんだっ! つか、耳、耳噛まないで、みみみみみみみみ」


後ろから羽交い絞めにしてルシアの耳を甘噛みしだす佳代子さん。ルシアは公然セクハラにから逃れようともがくが、佳代子さんは逃がさない。


「おお、レズシーンですね、分かります」

「後藤っ、お前の嫁だろなんとかしろっ」

「佳代子もっとやれ」

「なんということだ」


そんなこんなで、佳代子さんの暴走が停止したのは、この数分後だったとさ。そして、佳代子さんが舞耶ちゃんの様子を見に子供部屋へ。再びリビングに静寂が戻る。


「ところで、お前さ、妹さんには本当のこと言わないのか?」

「言わねぇよ」

「何で? 妹さんに会ったのだって何かの縁だろう」


半眼で尋ねる後藤。ルシアは目をあわさずに、星のない空を眺めながら黙り込んだ。気に食わなかった後藤は、少し顔をしかめて、もう一度尋ねる。


「このまま、黙ったままにしておく気か?」

「うっせぇな、アタシはどうせすぐに向こうに帰るんだから、言ったってしょうがないだろっ」

「それと、これとは別じゃないか?」


論理的じゃないと後藤はルシアの言い分に突っ込む。いつ帰るのかと、正体を隠す理由は別問題だと。ルシアは一瞬唸って再び黙り込み、そして、少した後口を開いた。


「楽なんだよ、今のほうが」


そんな理由。後藤はそれに失笑し、ヤレヤレと肩をすくめた。


「ヘタレめ」

「うっさい」


二人はそう言い合うと黙り込み、缶ビールをあおる。今度はルシアもむせなかったらしい。とはいえ、舌には合わないようで「不味い」と一言。

と、突然部屋の置くから携帯電話の発信音。


「お前のだぞ」

「ん」


どうやら充電中だったルシアの携帯電話が音の元らしい。有名な可愛らしい白いネコのキャラが描かれた携帯電話だ。

ルシアは充電器に接続されたそれを取りに部屋に戻る。携帯をとると、液晶には前川春名の文字、妹からだ。

ルシアは、女って世話話好きだなーとか思いつつ、着信ボタンを押して携帯電話を耳に当てる。すると、向こうから聞こえるのは荒い息遣い。


「春名?」

『ル、ルシアちゃんっ、助けてっ!!』

「!?」


それはSOSのサイン。ルシアは慌てつつも携帯電話に集中する。


「何があった!?」

『なんか、先輩が変な様子でっ、それで、もう一人、私がっ!』

「今どこに居る!?」

『え、えと、駅前の商店街から路地にっ』


ルシアは早足で玄関から靴を取ると、そのまま回れ右で一気にベランダの外へと向かう。


「どうした?」

「緊急事態だ」


ビール片手に目を丸くする後藤を後にし、ルシアはそのままベランダの縁に足をかけ、


「おっ、おい!」

「後で連絡するっ」


そのまま、夜の空へと跳躍した。重力から開放され、ルシアの髪が舞い上がる。そして、そのまま大気を切って、マンションを垂直に落下する。


「其は我が翼、我が身は鳥!」


しかし、少女が呪文を唱えた瞬間、彼女の背中に銀色の翼が生まれた。月の光を受けて水晶のように輝くそれは、風を受けて大きく広がる。

翼の大きさはルシアの身長よりも大きい。それが一度だけ羽ばたかれると、ルシアの身体はグンと持ち上がり、落下速度は前方への運動速度へと変換され、ふわりと浮き上がって、そして滑るように街を翔け抜ける。

夜の街を歩く人の何人かが、空を滑空する少女を見上げて唖然とするが、ルシアはそれに構いはしない。電線を飛び越え、ビルとビルの間をすり抜けて、ルシアはあっという間に駅前近くに到達した。


「春名、今どこだ?」


ルシアは空を飛びながら携帯電話に話しかける。風を切る音のせいで音を拾いにくいが、そこは集中力でカバーする。


「えと、今は公園に…、キャァッ!」

「春名っ!?」


携帯電話が途切れ、ツーツーという音だけになる。ルシアは舌打ちをし、一度大きく羽ばたいて上方へとかけ上り、周囲を見渡した。




前川春名は訳も分からず走っていた。

目の前の曲がり角を左にそれて、住宅街の中に入る。夜の街の人通りは少なく、助けを求める相手はいない。

いや、そもそも彼女はどういうわけか人気の無い場所へとむしろ自分から進んでいるようであった。そして、それを自覚しているのは彼女自身だ。それが一層彼女を追い詰め焦らせる。

助けてと声を張り上げる。だというのに何も、誰も応えない。否、通りがかる者さえ周囲にはどこにも居ない。

ただ、夜道には自分の走る足音と、確かに聞こえる自分以外の足音。懸命に走っているのに追跡者は今も自分の後ろにぴったりとついて来ている。


「はぁっ、はぁっ…。なんでこんな…」


どうしてこんな事になっているのか? 何故自分がこんな目に遭わなければいけないのか?

春名はただ祈りながら走る。先ほど、携帯電話で助けを求めた相手。警察よりも、他の友人たちよりも、彼女の顔が脳裏に掠めて、助けを求めた。

ルシアと名乗った、金色の髪の美しい少女。どこか懐かしい面影を持つ、魔法使いの少女。

彼女に助けを求めたのは、追跡者が普通の犯罪者や変質者ではないと直感的に思ったから。

追跡者は誰か分からない。あの雑貨屋さんから出た直後から、自分に対して向けられた悪意ある視線から逃げてきたのだ。

直感的なものだった。それは良くないものであると、理由もなしに理解したのだ。だから逃げた。駆け出した。そして、今、現実に彼女は何者かに追われていた。

とはいえ、息があがってきた。闇夜の追跡劇は思った以上に春名の体力を奪っていた。走る速度も段々と遅くなってきた。

だからふと、後ろを振り向く。すると、誰も居ない。

春名は力尽きるように立ち止まり、荒い息を整える。耳には自分の息遣いしか聞こえない。逃げ切れた、彼女がそう思ったその時、


「やあ、春名君」

「ひっ?」


闇の向こうから声が投げかけられた。春名は恐怖に顔を引きつらせて身構える。声の主は男だった。それも、意外にも春名のよく知る人物。

男は春名が参加するゼミの先輩で、普段から良くしてもらっていたはず。春名は息を吐いて肩を落とし、笑みを浮かべた。


「先輩、どうしてこんな所に?」

「いやいや、電話を受けてね」

「電話?」

「ああ、本物の君からだよ」


月の光が彼を映し出す。顔には笑みが張り付いているが、しかし、その目には狂気が宿っていた。左手の携帯電話を耳に当て、右手には月光をギラギラと反射させる凶刃。その姿は異様。


「せん…ぱい?」

「なるほど、良く出来ている」

「何を?」

「良く出来た…偽者だ」

「え?」


春名には男の言葉が理解できなかった。春名には男が、先輩のカタチをした怪物のような存在に見えた。男はしきりに携帯電話の先の誰かと会話をして、その瞳には狂気が宿っていた。


「わかってるよ、春名。目の前のアレは偽者なんだよね。うん、大丈夫だよ、僕が何とかする。ふひひひ、愛してるよ春名」


男の言葉に春名は身の毛がよだった。男は携帯電話で誰と話しているのか? 携帯電話の先には誰がいるというのか?


「先輩っ、正気に戻って!」

「うるさいっ! 偽者は黙っていろっ! ホンモノの春名はもっと僕に優しくて、僕のことを愛してくれているんだっ!」


男は包丁を振りかぶり、春名に切りつけてきた。春名は必死に身をよじってその刃を避ける。アスファルトの上を転がり、視線を男に戻すと、


「これで終わりだ。フヒヒ、死ね偽者」


月明かりを背景に男が逆手に持った包丁を振り下ろす。春名は恐怖で身動き出来ず、目を固く瞑って身を縮めた。その時、


「ひっさぁぁぁつっ!! スゥゥパァァァァっ ルシアぁぁぁぁぁっ スタァダストォォォ ロケットォッ キィィックッ!!!」

「ぷげぇお!?」


それは天より降る流星の如き。月光に照らされた銀の翼を広げ舞い降りた金色の髪をした少女が、狂気に囚われた男の顔面に膝蹴りを喰らわせたのだ。

男は大型車にでも跳ね飛ばされたかのように、アスファルトの上を跳ねながら吹き飛ばされていく。それを尻目に金色の少女はパサリと翼を納めて着地した。

春名が唖然と口を開けて呆けているうちに、ルシアは立ち上がり、それと同時に彼女の背中の半透明の銀色の羽も空気に溶けるように消失する。そして、ルシアは春名に向けてサムズアップ。


「大丈夫か? 間に合ったみたいだな」

「えと、うん。ありがとう。でも、先輩、大丈夫かな?」


とりあえずお礼、と同時に吹き飛ばされた男を心配する春名。彼女の見た感じでは、ルシアの膝蹴りで彼の首はヤバイ感じに曲がっていたような気もする。


「へ? アレ、知り合いなのか? マズったな…、そうと知ってりゃ手加減したのに」

「えーと…、たはは」


そんなルシアの返答に苦笑いする春名。ルシアはとりあえず蹴り飛ばした男の様子を見に近づく。もしかしたら応急手当しないと拙いかもしれない。

と、


「ぐっ、何なんだ君は…!?」

「あ、生きてるみたいだな」


顔を押さえ、起き上がる男。どうやら大事に至らなかったらしく、春名は胸を撫で下ろす。


「分かった、分かったぞ。お前も偽者の仲間だなっ! ふひひ、道理で僕の邪魔をするはずだ…。僕の春名君がこんな酷いことをするはずがないからね。ああ、僕の愛しの春名君、春名君…。あれ? 春名君はどこ? どこだ? どこにいったぁぁぁぁ!?」


と、唐突に男は何か訳の分からない事を叫びながらアスファルトにへばりついて、何かを探し始める。それは彼にとって大層大切なものなのか、男はまるで地を這う虫のようにアスファルトを這いずり回る。


「なんだ、アイツ? ヤバイ薬でもやってやがるのか?」

「分からないよ。今日会ってから、先輩ずっとあんな感じで」


顔をしかめて問うルシアに、春名は困惑したように応える。そのまま、奇行を続ける男を眺めていると、男は道端に転がった携帯電話を見つけ、


「おおっ、おおっ、春名君! こんなところにっ」


それを大事そうに天に掲げ、感動に打ち震えてむせび泣く。その姿は一種おぞましいほどに滑稽で、ルシアたちは目を丸くしてその様を見守る。


「アイツ、携帯を春名と勘違いしてやがる。 …こいつは警察か病院か何かに電話したほうがいいんじゃないか?」

「うん…、先輩に限ってそんなことはないとおもうけど。そうした方がいいよね」


春名は寂しそうに頷いて携帯電話に手をかける。最近のテレビのニュースでは、大学でも麻薬が蔓延していると聞く。春名は先輩もきっとそういう手合いに騙されたのではないかと自分を納得させた。

と、その時、男は突然二人の居る方に振り向いて、怒りの表情を向けてくる。それは非常に醜く、その瞳は昏く混濁していた。


「許さないぞぉぉお前らぁぁぁぁぁ…、許さないぞぉぉぉぉぉ! 春名君は言っているぅぅぅ、お前たちを殺すべきだとぉぉぉぉ」


異様な、とても人間の喉から出るとは思えない声を上げて、男は憤慨を二人に叩きつけるように叫びだす。それに恐れおののいたのか、春名はぎゅっとルシアの手を握った。


「大丈夫だ。何があってもお前だけは守る」

「うん」


男の迫力にルシアは身構え、同時に春名を後ろに下がらせて彼女に励ましの言葉を送る。と、突然、男の携帯電話に着信音。


「えぇ、うん、ああぁ、春名君、聞こえてるよぉぉ。え? 力を貸してくれるのかいぃぃっ!? 嬉しいよぅ、その言葉だけで僕は達してしまいそうだよぉぉう!!」


そうして、突如、携帯電話が見ていてもおかしいほどに振動しだす。それは男の右腕をガクガクと振るえさせるほど。だが、変化はそれだけではなかった。携帯電話は唐突にその振動を止め、


「な、なんなんだあの携帯?」


指が生えた。

二本、三本、四本。

携帯電話の液晶画面の中から、それを押し広げるように。そして、携帯電話はまるで虫のサナギが孵化する際に割れるように裂けてゆき、

そして、白い光を全身から発する、女が、携帯電話の体積を無視した、人間の成人女性と同じぐらいの大きさの裸の女が、携帯電話から孵化したのだ。

女はするりと携帯電話の中から這い出る。その姿は全身から発する光と、美しいプロポーションとあいまって女神のようで、どこか神々しさすら感じさせる。

そして、その女の顔は、どこからどう見ても春名のそれと一致していた。女は微笑みながら男を抱きしめる。それはどこか祝福にも似た光景。

ルシアたちは言葉を失って、ただその様を黙って見続けるしかなかった。


「ああぁぁぁ、春名君、春名くぅぅんっ! 会いたかったよ。待っていたよ。さあ、僕と一つに。僕は君と一つになりたいぃぃぃ!」


女神の抱擁を、男は絶頂したかのような恍惚の表情を浮かべ受け入れる。彼は春名という女神に見も心も殉じた従順な信徒であった。

そして、


― 彼の願いは受け入れられた ―


「いぎぃ」


女神は彼との同一化を了承する。


「えがぁ」


女神は彼を咀嚼する。


「ごぼぉ」


女神の抱擁は彼を圧縮する。


「え、何、コレ?」


春名は目の前の荘厳な儀式にガタガタと身を震わせ、へたり込んだ。血の滴る、赤い儀式。彼は女神と一つになることを望み、女神は彼を捕食した。ただそれだけ。

ルシアは目の前の邪悪に舌打ちする。


「くそっ、見誤った! 妖精文書第七類型の暴走。アイツ、願いを叶えやがったっ!」


妖精文書は願いを叶える。

ただし、その成就の結果は、願ったそれと同一であるとは限らない。

妖精文書は13種類。その能力も13種類。願いに合致した文書を用いなければ、願いを制御する技術がなければ、それはただ暴走するのみ。

それを、『文書災害』と称する。


「La La Laaa」


女神は歌う。信者の願いを成就したからだ。第七類型は妄想に現実の形を与える文書。飴玉の雨を降らせ、砂糖菓子の城を創り、悪魔を召喚し、神を招聘し、女神を生み出す力を持つ。

青年は、とある女性の愛を得たいと思っていた。

それは、下心は無いといえば嘘ではあったが、平均的に見れば純粋な思いだった。しかいs、彼は奥手で、最初は彼女の声を聞きたいと願ったに過ぎなかった。

だから、『彼女の声を聞かせる携帯電話』が現われた。

携帯電話は彼に愛を囁く。彼はそれが手放せなくなった。生きがいになった。信者になった。虜になった。彼はそれ無しでは生きていけなくなった。

だが、現実の女性は彼には振り向いてくれない。その矛盾に、青年の心は酷く痛んだ。だから、携帯電話は囁いた。

『偽者を殺せ』

女神は歌う。歓喜の歌だ。青年は念願かなって、女神と永遠の時間を過ごすことが叶った。あとは、偽者を排除するだけだ。

女神の瞳が、春名を捉えた。そして、おおきく息を吸い込み―


「やべっ、其は我が翼、我が身は鳥!」

「きゃああっ!?」

「LaLaaaaAAAAAAAAAA!!!」


呆けて眺めていたルシアはとっさに我に返り、呪文を唱えて春名の腕を掴む。そして、一気に翼を羽ばたいて上昇する。次の瞬間、先ほどまで二人がいた場所に不可視の衝撃が放たれた。

それは、一瞬でアスファルトと左側面にあったコンクリート塀、電信柱を粉々に粉砕する。何も触れていないにもかかわらず、削岩機でも持ち出したかのような傷痕が刻まれる。


「超音波攻撃!? どこのマンガだよっ!?」


上空から破砕された地面を見つめ、ルシアは思わずそんな言葉を呟く。そして、腕を掴んだままぶら下げている状態の春名を引き上げて、おんぶするように彼女を背負う。


「重くない?」

「無問題。しっかり掴まってろ」


心配そうな春名にルシアは笑みを。そんな空を飛ぶ二人を輝く幻想の春名は見上げ、顔をしかめて睨む。そして、腕を広げた。すると、彼女の背中より二対の羽、蜻蛉のそれに似た羽がニョキリと生えた。


「飛ぶのかよ…、何でもありだな」

「来るよっ!」


幻想の女神は羽を高速で羽ばたかせてフワリと浮き上がる。ルシアは羽を翻して逃げの姿勢、一気に後方へと加速した。

追いかける女神。同時に音の指向性ビームを放つ。ルシアはそれを大きな螺旋を描いて、バレルロールで飛行して掻い潜る。逸れた音波攻撃は、周囲の民家の屋根や電信柱を破砕していく。


「ヴィーエ・サク・デレイ、テセラ・アシス・ビフ―」


破壊を逃れながら、ルシアは魔術詠唱を開始する。銀翼を背負うルシアの周囲に放電現象が起こり、そして、


「―セダリム・ディト、ウグ・ラ・レイ!!」


ルシアが後方に向けて右掌を突き出す。同時に放たれたのは強烈な、白い電撃の槍。目も眩む電子の奔流が春名の姿をした幻想へと突き刺さった。


「どうだっ?」


十億ボルトもの高圧電流の直撃は苛烈であり、有機物ならば消し炭になるほどの威力である。が、幻想の女神は、仰け反って少しの間硬直したのみで、しばらくすると再びルシアに向けて視線を戻す。


「効いてねぇ…」


そして再びの音波攻撃。ルシアは急上昇でそれを回避するが、直撃したビルの窓ガラスは全て粉々に破砕され、コンクリートの外壁に亀裂が入り崩落を始める。


「どうしようっ? このままじゃ街が大変なことにっ」

「分かってる。あのビルで迎撃するぜ」


10階建てのビルディング。ルシアは急上昇して音の一撃を回避する。音のビームはそのままビルの隣に駐車中のワゴン車を直撃、車は窓ガラスが粉々になり、車体はひび割れ、そしてついには爆発炎上してしまう。

ルシアはビルの屋上にフワリと着陸する。そして春名を背負っていた降ろすと、すぐさま踵を返して駆け出した。

ルシアがビルの縁に到達する頃、幻想の女神もまたビルの下から上昇してくる。そして走るルシアと丁度鉢合わせになり―


「死にさらせっ!」

「La!?」


ルシアは拳を突き出す。拳は正中。しかし―


「ちっ」


拳が鈍る。それが隙となり、幻想の女神は声の砲撃を放った。ルシアは体を逸らしてソレを紙一重で交わすが、肩を掠めた砲は少女の衣服を引き裂いた。


「(同じ顔だとやりにくいったら仕方ねぇぜ…、て言ってもられねぇか)」


ルシアは自嘲するように嗤うと、そのまま勢いに任せて空中でアクロバティックのように体を回転させ、右足を振り上げた。つま先が女神の顎を捉える。


「らぁっ!!」


蹴り上げる。かち上げられた女神はのけ反り、ルシアは反動でビルの下へと落下する。ルシアは仰向けになって落下しながら銀色の翼を広げ減速しつつ、右腕を天に掲げた。

幻想の女神は上空。彼女はのけ反った姿勢を戻し、視線を下へと降ろす。睨み付けるは自らを足蹴にした不遜な少女。息を吸い込み彼女を粉砕せんとする。


「これで終わりにしてやるぜ偽者っ! 右腕術式開放っ、ヴィエ・アウラミスラグ、エグ・ラ・リグ・ハルテ、ハスタ・ネセディア・リプレム―」


ルシアの右手の平の先に青く輝く無数の小型魔法陣が幾重にもなり展開される。それは円筒状に重なった架空の砲身。ルシアの魔術詠唱と共に砲身の青き輝きは増し、放電を開始する。

そして、


「LaLaaAAAAA!!」

「―リオス・ジオ!!」


両者はほぼ同時。放たれたのは閃光。だが、勝敗は一瞬でついた。幻想の女神の放つ不可視の砲は為す術もなく霧散する。突き抜けたのは黄金の光の柱。

空気分子を励起させ、暗雲を吹き晴らし、光条は月を穿つ。目も眩む光の奔流はその途中にあった偽者の虚像など一顧だにせず屹立し、飲み込んだ。

黄金色の光は創世を再現する極光、彼女はほんの一瞬さえ存在を許されず、まばたきよりも刹那に蒸発した。その光の本質は光子(フォトン)ではない。もっと別の、

位相エネルギー整流作用(フェイザー)と呼ばれるべきものであった。


「?」


光の収束。再び世界に闇が戻る。ルシアがフワリとアスファルトの上に降り立ったとき、蒸発したはずの女神があった場所から、何か宝石の欠片のようなものが落下してきた。

それは半透明の黄緑色の美しい石の欠片で、表面には黄金の文字が躍る、事件の元凶。それをルシアは手を伸ばして掴む。事件の解決だった。


「…何なんだこの状況は? 四つ目とか、何がどうなってる?」


ルシアのそんな呟きは誰にも聞かれず、月夜に消えていった。





「ルシアちゃんっ!」

「終わったぜ。もう安心だ」


ビルの屋上に取り残された春名の下に、ルシアは舞い降りる。すると春名はルシアに駆け寄り抱きついた。ルシアは苦笑いしながらそれを受け入れる。


「大丈夫っ? 怪我はなかった?」

「なんともないぜ」

「そっか…、本当にどうなるかと、私、怖くて、怖くて、先輩があんなことになって、私、私…、ひっく」


春名はルシアに抱きついたまま涙を流す。緊張が解けて、一気に感情が表に表れたのだろう。ルシアは春名の背中をさすりながら、ふと、心底自分がほっとしていることに気がついた。


「(良かった、間に合って)」


先輩とか言う人はダメだったけど、大切な人は守ることが出来た。今度は間に合った。その安息がルシアの心を占めた。

そして、改めて思う。


「ああ、そっか」


色々と細かくて、どうでもいい事にこだわって、そのことを理由に逃げていた。答えはこんなにも簡単だった。

春名のことが大切で、失いたくなくて、悲しませたくない。

春名に無事でいて欲しい。幸せであってほしい。喜んでほしい。

家族だから。妹だから。一度は失ってしまったから。二度と、そんな思いはしたくないから。させたくないから。

怖かったのだ。小さなことが。変わり果てた自分がどう思われるかとか、自分の死に改めて向き合うことが。だから避けていたけど、

知って欲しい、自分のことを知ってほしい。そう、心から思った。


「(こんなんじゃ、ダメだよな)」


この日、ルシアは決意した。妹に、春名に、全てを打ち明けようと。







[27798] Phase008-a『エルフさんと重大な宣告』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/07/09 19:59


Phase008-a『エルフさんと重大な宣告』




「むう」

「どうした、帰って来るなり黙り込んで」


羽をつけてベランダからダイブしたエルフは、同じくベランダから戻ってきたあたりから、ソファに座ったきり難しい顔で黙り込んでいた。

そんな少女に隣に座る後藤は理由を尋ねる。すると、少女は返答にしばらく逡巡したものの、意を決したのか、ポツリと話し始める。


「言うことにした」

「何を?」

「春名に。アタシのこと。転生したんだって」


告白。ルシアはまっすぐとした目で答える。そんな少女を後藤はヤレヤレと笑い、


「なんだ、ようやく決めたのかこのヘタレ。んで、決めたはいいが、どう言えばいいか判らなくなって煮詰まっているんだろヘタレ」

「なあ、アタシってそんなにヘタレか?」

「ステータス欄を確認しろ。お前はデフォルトでヘタレエルフになっているはずだ。だが安心しろ。転生前はただのヘタレだったから、一応上のランクに昇格している」

「エルフだと上なん?」

「あたりまえだろうが。ただのオタク(雄)と、エルフ(美少女)。比べようもないだろう。どんなゲームだって上に行くほど萌成分も増えていくんだぞ」

「その判定方法はどうかと思う」


少なくともルシアは自分のステータス欄を見る手段を知らない。というか、メニューすら開けない。まあ、あたりまえだが。しかし、後藤には見えているらしかった。ヘタレエルフ。嫌な称号。


「つーか、何で今更、正体を明かそうと思ったんだ?」

「…知ってもらいたくなったんだ」

「ほぅ?」


強い意志を持った返答。後藤は感心したように聞き返す。


「アイツが助かった時、心底ほっとした。その時、思ったんだ。アタシはアイツのことこんなに大切に思ってたんだって。今でもちゃんと、愛してるって分かったんだ。だから、嘘をつき通すのが嫌になった。知ってほしいって、アタシが春名のことが大切なんだって、知って欲しいなんて、思っちまった。このまま、何も言わずに帰って、春名を失うのは嫌だ」

「ふうん」

「バカだよな、アタシ。変な意地張っててさ。死んだままで、余計な波風たたせたくないなんて思ってたけど、やっぱ、生きてるって伝えたい。アタシは今でも生きてるって、ちゃんとアイツのこと忘れてないんだって」

「そうか、このシスコンめ」

「なあ、そこでそう言うか普通?」


やはりこの男の辞書にデリカシーの文字は記載されていないらしい。マジメな話をからかう後藤。


「妹を公然と愛しているなんていう百合娘にはシスコンって称号を与えてやる」

「アタシ、兄」

「今は?」

「…姉?」


かつては兄であっていたが、今やルシアさんは女の子であった。しかも、肉体年齢的には春名よりも年下にしか見えない。複雑な状況。


「でも、お前って前のときもそんなにシスコンだったか?」

「いや、そこまでは。つーか、実の妹に萌える兄はそうはいないぞ。いたら、むしろキモい。会ったら会ったで、いつも険悪な雰囲気になってた」


確かに仲はそれほど良くなかった。アイツが小さい頃はすごく可愛がってたけど。春名が思春期に入ったあたりで、すっかり疎遠になった気がする。

それでも、気にはかけていたし、多分、家族としてちゃんと愛していたようには思う。そういえば、自分が飛行機事故に遭う直前、アイツの誕生日があったのを覚えている。

妹の誕生日の前日だった。

たまたま実家に帰ることになっていて、その少し前に、ふと思い出したように方々を回って誕生日プレゼントを探した。

なんでこの歳で妹なんかのために誕生日プレゼントを探し回らなければいけないのかと苦笑しながら。家族に孝行するなんてガラじゃないと自嘲しながら。

とはいえ、短期留学が決まったせいでちょっとハイになっていたのだろう。最近は喧嘩ばかりしている妹のご機嫌取りとでも言うべきか。

少し前、妹が欲しいと唸っていたインディーズバンドのCD。たまたま後藤の知り合いでツテがあったので手に入れることが出来た。

結構な値段をふっかけられたが、留学で寮を引き払うからと、処分する予定だった電化製品で攻勢をかけて安く抑えた。

そして実家。

何気ない挨拶から、何故か喧嘩に発展したのを覚えている。そして、プレゼント片手に肩を落として自嘲した。嫌われたものだと。

難しい年の頃だったからだろうと自分に言い聞かせ、しかし、おかげでプレゼントを渡すのが億劫になった。このままだとヘタレめと後藤に冷やかされるのが目に見えていた。

だから母親に頼んで置いといてもらうことにした。誰のモノかは絶対に言わないでほしいと頼み込んで。

酷く古い記憶だった。酷く懐かしい記憶だった。


「あの頃は、アタシも妙な意地張ってたからな。今思うと、恥ずかしいぜ」

「もったいない。お兄たんって呼んでもらったこともないのか」

「そんな妹は二次元か夜のお店にしかいない」

「なん…だと?」

「お前はせいぜい舞耶ちゃんに、パパー大好きーって言ってもらって萌え死ね」

「それは…萌える。よし、教え込まなくては」

「駄目だこいつ…早くなんとかしないと」


どこまでも、どこまでも、思考が変態的な後藤に、ルシアは舞耶ちゃんの将来を案じる。この家庭で育った場合、あの子はどんな風に育ってしまうのか。

とはいえ、ルシアが今第一に考えなくてはならないのは、告白、正体を妹に明かすこと。


「緊張する…。ああっ、何て言えばいいんだっ」

「そのまま、思ったとおり伝えればいいだろ。お前はいつも難しく考えすぎだ」

「うう、確かに」

「理屈っぽいのは、長所でもあるが短所にもなるぞ。時には勢いに任せて突っ切るのも必要だ」

「そっか」

「誠意を見せれば伝わる。お前に足りないのは勇気だけだ」

「勇気…。そうだな。アタシは強くなったんだ。あの頃とは違う」

「どうした?」

「いや、なんでもねぇよ」


勇気。

ルシアは改めて自分を信じなければと心に決める。


「(そうだ、もう失わない。手に入れる。アタシは強くなったんだから。勇気だって手に入れたんだから)」


かつて、全てを失った。力が足りなかったからだ。勇気が足りなかったからだ。意思が弱かったからだ。

今は違う。大切なものが、まだ、こんなにたくさんある。これ以上は失いたくない。

あの日、たった一つ手の平に残った希望を見出したあの日、決めたのだ。もう失わない。これ以上は失わない。奪われてたまるかと。

運命的な出会い。運命的な偶然。光はルシアの全てとなり、ルシアは独りではなくなった。だから、今日まで歩いてこれた。

あの日、あの場所。ルシアは再生したのだ。







「…あ?」


目を薄っすらと開く。見慣れない部屋。部屋?

ルシアはガバッと勢いをつけて起き上がる。が、


「・・・・・・こごあっ・・、ごほっ、ごほっ・・痛っ・・・・・・」


声が上手く出ずに咳き込み、その反動で背中と肩から痛烈な痛みか走る。


「あ、起きましたか…? って、まだ起きちゃだめだよ!」


少女が湯を張った桶をその場において駆け寄ってきた。ウェーブのかかった明るい茶色の髪を肩のあたりまで伸ばした小柄な少女。

彼女はルシアの肩を抱き、ゆっくりとベッドに横たえる。ルシアは大人しく少女に従いながら、ゆっくりと記憶を辿っていた。

記憶。

思い出したくもない記憶。

フリッツの花を、従者の女騎士と見に行って、その途中で黒装束の輩に襲われて、そして、そして、

岩の巨人が―


「お師匠様の薬もまだ効いてきたばかりだから、動いたら傷口がひらいちゃうよ」

「ここは…?」

「ここはね、真紅の塔だよ。安静にしてね、一週間も眠りっぱなしだったんだから…」

「真紅の?」


ルシアはその言葉を反芻し、記憶の引き出しからその塔に関する知識を引っ張り出す。

真紅の塔。

パルティア王国とメディア王国の国境線を描くアム川の西岸に広がる原生林のどこかにあるとされる。

伝説の魔女『真紅の魔女』の住むという。そんな民間伝承の類。


真紅の魔女ロベリア=イネイ。


寝物語には定番の。いわゆる御伽噺に登場する。弱きを助け、悪しきを討つ。時には一国の滅亡の危機を救う。…時には滅ぼす。

浪花節が好きなヒトには好まれるエピソードに欠かない人物。多分に脚色はされているとはいえ実在の人物。

旧暦の時代より生きる古き魔女の一人。


「真紅の魔女…」

「呼んだかの?」


ルシアがその名前を諳んじたその時、無造作に扉から入ってきたのは鈍色の長い髪の妖艶な魔女。イブニングドレスに似た、上半身を多く露出した金刺繍の黒い装い。

鷹揚な態度。腕を胸の前に組みながら不敵な笑みを浮かべる。右目を紫のバラの模様をあしらった黒い眼帯を髪で隠したその伝説の魔女・・・は、


「のわっ!?」

「「は?」」


床に置いていた桶に盛大に蹴躓いて、


「痛っ…!?」


床に倒れこむ。顔から。そこに蹴飛ばされた桶から大量の熱湯が床一面に、


「熱っいぁああ~~~!?」


踊るように跳ね起きる魔女。涙目だ。本当に色々と台無しだった。


「はわわわわわ…、うん、なかったことにしよう」


テンパり狼狽する少女は、その一言で無関係を決め込んだ。いい笑顔で気付かないフリをする。


「なに遊んでいるんですかマスター?」

「おっ、エルフが起きてる…、って、なんで今度は師匠が倒れてるのん?」


また見知らぬ二人。一人は長身の女性、その顔立ちはルシアを介抱していた少女に良く似ている。

もう一人は眼鏡をかけた色黒の小柄な、几帳面そうなドワーフの少女だった。


「ああ、ほらほら立ってください。顔拭きますよ」

「ステラ、痛い痛い、もう少しいたわりというものをじゃな」


眼鏡のドワーフの女は溜息をつきながら桶に入っていた手ぬぐいを使って魔女の顔をゴシゴシと拭いていく。

ルシアは段々どうでも良くなってきた。


「師匠は相変わらずだらしないよな~」

「エミューズ、聞こえておるぞ」

「げっ、しまった!?」

「お主は今日から一週間、厠の掃除当番決定じゃ!」

「そ、そんな~っ、姉さん助けてっ」

「エミューズ・・・、いつも言ってるでしょ、モノは置きっぱなしにしちゃいけないって」

「って、姉さん!?」

「エリンシア、何さりげなく濡れ衣を弟に着せようとしているのかは知らんが、お主も同罪じゃ」

「が~んっ」

「エリンシア、自業自得です。それとマスター、エミューズは兎も角、エリンシアは掃除を魔術で済ませてしまいます。やはりこれを機に倉庫の整理を行わせては?」

「が~んっ」

「ステラ姉、余計なことを!」


ルシアは本当にどうでも良くなって、思わず溜息をついた。


「…コホン。では怪我の様子をみるぞ。あと、おぬし等は出て行け」


咳払いを一つ。魔女は人払いをすると、ルシアのベッドの脇に腰をかけ、ルシアの診察を始める。ルシアは服を脱がされ、巻かれた包帯を剥がされる。


「うむ、薬も効いてきたようじゃの。まあ後一週間は安静にしておくことじゃ」

そう言って魔女はかっかっかっと笑いルシアの背中をバンと叩く。


「痛っ」

「痛覚は神経が生きている証拠じゃからの」

「…助けていただいた事、深く感謝致します」


ルシアは静かに魔女に礼を伝える。

部屋には魔女とルシアの二人だけ。

先ほどのコントじみた遣り取りで忘れていた魔女の美貌をルシアは改めて認識する。

鈍色のウェーブのかかった腰まで届く長い髪。右の目は黒い眼帯で覆われている。そして左目。琥珀色の深く澄んだ。そこに少し笑みが浮かぶ。

不適な笑みに彩られた、自信に溢れた強そうな女性。そうルシアは感じる。先ほどのコントじみた騒ぎで大分印象が崩れたが。


「お主、名は?」

「ルシア。ルシア=ルブール=ラトゥイリと申します」

「ルブール…、6年前に滅びたエルフの集落の縁者かの?」

「そうだ…、いえ、そうです」


ルシアは少し逡巡してから答えた。


「えらく手ひどくやられたようじゃの。手傷から言ってサムライか何かか?」

「……」


黙り込むルシアに、魔女は少し間をおく。


「ふぅん、成るほどのぅ…。しばしこの塔で休むがよい。帰りはステラの奴に送らせる故」

「帰り…?」


―帰る場所。ああ、あの屋敷か…


「ありがとうございます」


ルシアは少し自嘲気味に頭を下げる。


「なんじゃ、家を無くしたか?」

「別に…無くしてなんかいません。何故そんなことを?」


無くした。ある意味においては正しいのかもしれない。ルシアはぼんやりと思う。

帰りたい場所はもう失われて久しい。


「家なら…あります」


その様子を見て、魔女は少しだけ目を閉じて思索する。

その、まるで全てを諦めたかのような表情。少し苛立ちを感じた。


「気に入らんな…」

「はぁ?」


魔女の突飛な発言にルシアは怪訝な表情となる。


「うむ、決めた。これも何かの縁じゃろう」


そう宣言した。何事かとルシアが魔女に目をやったその時、


「むに?」


ほっぺを摘まれるルシア。ふわふわ。


「ふむふむ、柔らかいの~」

「ふぁ…ふぁにふぃやあうっ!?」(略:何をなさっておいでなのですか?)

「うむ、それがお主の地か」


ロベリアの突飛な行動に呆気に取られるルシア。

抗議の目で睨むが、何故か気を良くした魔女はもう片方のほっぺも摘まれ、


「子供があんな表情をするものではないからの。ほーれ、ほーれ」

「ふみ~~~っ!?」


左右に伸ばされる。


「若い肌じゃのう。伸びる伸びる」


十代の少女のソフトなタッチ。


「やうぇろ~~、ふぁおあろうぃるやろうあ~~~っ!?」(略:顔が伸びてしまうので止めてください)

「むに~~、むに~~」

「ひゃめひぇ~~~っ」


なんだか当初の目的を忘れたのか、そもそも何をしたかったのか、魔女はだんだんルシアのほっぺをいじるのに夢中になり、


「そ、そうじゃ、次はその耳をばっ!」


まるで名案を思いついたかのように今度はルシアの耳を…


「アンタは子供かっ!!」

「へぶっ?」


いつの間にか背後のいた眼鏡ドワーフの少女に魔女はスパーンと叩かれた。ドワーフさんの手にはどこから取り出したのか、金属製のスリッパ?

そんなコントを前に、涙目で目を白黒させるエルフの少女。魔女は満足げに頷く。ルシアはこの人は多分ドSだろうと思う。


「うむ、ようやくその鉄面皮を剥がせたの」

「それがっ このっ 行動ですかっ?」

「しかたないじゃろう、気に入らなかったのじゃから」

「マスター…、理由になっていません」


先ほどと同じ魔女と眼鏡ドワーフ女の掛け合い。


「アンタ、何がしたい?」


ルシアは思わず粗野な口調で声をだしていた。気分はささくれ立っていた。


「うむ。お主、ワシの弟子になれ」

「は?」


ルシアは思わず聞き返す。意味がわからなかった。

隣では眼鏡ドワーフ女が米神を抱えてまたかとぼやいている。


「マスター、前から言っていますが子猫を拾う感覚で弟子を取らないで下さい…」

「何を言っておる。そこに可愛い娘か少年がおったら攫ってきたく―」

「なっちゃいけません! 犯罪者です! 人間失格ですっ! 大体アーネイドート姉弟を拾ってきた時だって同じように、気に入らなかったからの一言で・・・・・・」


くどくどと弟子に説教を受ける魔女。その掛け合いに、ルシアは遠い何かを感じたような。


「ルシア」


魔女が急に名前を呼んだ。視線は真摯に。ルシアの目を貫く。


「最後の判断はお主に委ねる。まあ、気が向いたら返事するがよい」

「だからマスターっ、聞いていますかっ!」


ルシアは目を閉じる。領主としての生活に未練など最初から無かった。

そもそも森で出会った刺客は――



―だけど帰る場所はもうどこにも在りはしなかった。



ルシアは自嘲する。そして、


「アンタ、変なヒトだな」

「変とは失礼なヤツじゃの」

「どの口がそんなこと言いますかっ!」


それも悪くないかもしれない。ルシアは何故かそう思った。


「…少し考えさせてくれ」

「うむ」

「ちょ、ルシアさんっ? 早まっちゃだめよ、この魔女は…」


保留。それでも心は傾いていた。ここは自分に何にも関係が無かった。むしろそれが楽に思える。ルシアは心が少し軽くなるのを感じた。と、

ここで、魔女は最後に大きな爆弾を―


「そういえばお主、受胎しておるぞ」

「は?」








[27798] Phase008-b『エルフさんと触手さん』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/07/12 21:38




「そういえばお主、受胎しておるぞ」

「は?」


それは、あまりにも軽く、あたかもついでであるかのような気安さで放たれた、言葉の爆弾。ルシアと魔女の傍らにいたドワーフの少女、ステラもまた事態がよく飲み込めず、唖然と口を開く。


「受胎? こんな子供が?」

「うむ。間違いあるまい」

「マジですかマスター」

「何度言わせる。事実じゃ。この娘は受胎しておる」


何度も問い返し確認するステラに、魔女は憮然と頷く。そうしている間にも、ルシアの頭の中はぐちゃぐちゃに混乱して、目を回していた。


「(受胎、ジュタイ、ニンシン、人参…? へ? アタシ? 何が? 何なの?)」


全く身に覚えの無い宣告。ぐるぐる思考が空転する。受胎するには、つまり卵子に精子がパイルダーオンして、遺伝子がミキシングになって、ヒャッホウとならなければいけない訳で、

しかし、ルシアは女の子なわけであって、種をつける側じゃなくて、受け入れる側であって、つまり、そういう何かしらの行為、つまり接合、合体したはずであって、

だけど、ルシアにはそんな記憶は全くなくて、というか男の凶悪なマグナムを自分のデリケートな場所にインサートするなど絶対に許すわけもなくて、

しかしながら、この一週間の間は自分は気絶していたわけで、もしかしてその間に? いやいやいや、そんなのは絶対にアリエナイ。アリエナイ。アリエナイ。


「うむ、面白いほど混乱しておるの」

「あたりまえです」

「受胎とは言っても、上級精霊を…なのじゃがの」

「言葉足りな過ぎ…、って、『受胎告知』!?」

「うむ。この娘、聖母という奴じゃの。儂も久しぶりに立ち会った」


驚きに目を丸くするステラ。ルシアは意味がわからず、問うような目線を魔女に送る。


「言ったとおりじゃよ。お主、精霊と契約しておったじゃろう?」

「あ、うん。セーハと…」


ルシアは苦虫を噛み潰した表情で思い出す。セーハ。自分のバカで軽率な行動で失ってしまった、ルブールの守護精霊。ルシアはズキリと胸の痛みを感じる。


「その精霊、死んだのじゃな?」

「っ…」


ルシアは息が詰まりながらも、弱弱しく頷いた。魔女は、ロベリアは「ふむ」と頷き、言葉を続ける。


「やはりな。死の間際に契約者の体に芽胞を産み付けたか」

「芽胞…」


反芻する。芽胞。精霊の生殖細胞たる、卵。しかし、それが植え付けられたのは2年も昔。もうとっくに孵っているはず。そして、その感覚はルシアにも判るはず。


「そんな、そんな感覚全く…」

「感じられぬ? ふむ…」


ロベリアがルシアの胸を指で触れてゆく。ひんやりとした感覚にルシアが少し呻くのは無視。そして、魔女は「ふむ」と呟き指を離す。


「やはり少しズレておるの」

「ズレ?」

「魂と肉体の乖離とでも言うのかの…。馴染んでおるように見えて、根本で接続しきれておらん」


奇妙な症状。まるで肉体と魂が別々に形成されたような。少女を在り方を象徴するような。通常ではありえない話だった。そもそも魂とは肉体が生み出す現象の一つに過ぎない。

系に形は無い。脳を刻んでも意識は取り出せない。個人を取り出し尋問しても組織の本質は見えてこない。

魂とは、脳の中に在る自己が魔力波によって余剰次元に投影された影のような存在。上位記録構造。

脳の中にある自己、すなわち精神が変容すれば魂も変容し、魂が変容すれば精神しいては肉体が変容する。しかし影の安定性は肉体のそれに著しく劣り、肉体の優位性は変わらない。

だが少女にはその二つにおおきなズレが、本質的な部分で感じられる。肉体と魂の相違。少女の真名を知らぬが故にそれ以上の分析は困難。

しかし、芽胞が孵らない理由はおそらくそこにあるのだろう。


「死に掛けておるかもしれん」

「死に…?」

「うむ。お主の体質と芽胞が合わないのじゃな。このままではおそらく―」

「そんな…また……?」


ルシアの顔が蒼白に変わっていく。


――また、失う…?



「ふむ」


良くない傾向。ロベリアは目の前の少女を見つめる。どのような経緯でここに流れ着いたのかは判らない。

だが、契約精霊の消失。エルフにとってはおそらくは腕をもがれるような、視力を失うようなものだ。

そしてそれだけでなく、他にも少女を苛む要因が見受けられる。ルブールの森の住人であったならば家族を殺されていても不思議ではない。

ロベリアはそう思い、思案して、


「そういった呪術医療に関しては儂よりも数段上のヤツが弟子に一人おるんじゃが…」

「だ、誰だ!? 何処にいる!?」

「急くな、今話す」


豹変したようにロベリアに掴みかかる少女に魔女は少し驚く。このような行動をするほど活発な少女には見えなかったからだ。


「でじゃ、その不肖の弟子、ウィスタという魔女なんじゃが。三ヶ月前から工房代わりの洞窟から出てこなくなって…」


ルシアが唐突にロベリアの手を振り払って寝台から立ち上がる。


「待て、お主はまだ…」

「あがっ、ごほっ、ごほっ」


案の定、少女は咳き込み床に蹲った。ロベリアは溜息をついて少女を抱え、寝台に連れ戻す。表面上傷は塞ってはいる。しかし奪われた体力も戻りきってはいなかった。

動くにはリハビリも必要になる。それでも少女は魔女の手を振りほどこうと、


「どけ…」

「阿呆が」


ロベリアがルシアの後ろ頸に手刀を落とした。


「あ…」


ルシアが倒れこむ。魔女は抱きとめ、


「今日明日で死ぬようなものではない。今は休め…」

「また…、アタシのせいで…皆……」


意識が落ちた。

魔女は少女を寝台にゆっくりと横たえ、毛布を肩にかける。そして笑った。また厄介なのを拾ってしまったと。


「マスター」

「大丈夫じゃ。この娘、おもしろいの」

「…はぁ。判りました。ウィスタ姉さまは私が呼んで参りますので」

「うむ。たのむぞ」


そうしてこの日は過ぎることになる。




次の日の朝、ルシアが目覚めると、香ばしい良い香りが室内に漂うのにきがついた。部屋の脇の暖炉ではコトコトと鍋が煮立つ音。

最近、気絶ばかりしていると、そんな風にルシアは自嘲する。ルシアはふぅと息を吐き、体をベッドに沈ませた。

そこで、ばっと思い出したかのように起き上がる。やらなければならないこと、この身に宿る、精霊の卵を生かさなければならない。

と、その時、扉が開かれる音。


「そろそろ、起きられる頃だと思っていました」


入ってきたのは、膝の辺りまで伸ばした長い黒髪の、大和撫子を西洋風にアレンジしたような、落ち着いた物腰の美女。

白い磁器のような肌が黒髪に映え、少し眠そうなたれ目気味の瞳は優しさに満ち溢れているようであり、同時にエロティックでもある。

黒いドレスを纏い、腰は折れるほどに細い。それでいて女性らしい身体のラインは一つの芸術作品にも似ている。


「あんたは?」

「ウィスタ=ハーキュリーと申します。可愛らしいエルフさん」

「…ウィスタ、もしかして、アンタが医者?」

「うふふふー、そうです。呪術医療はわたくしの得意分野です」


かの魔女が語っていた呪術医療の専門家。おそらく、自分が寝ていた間に呼び寄せてくれたのだろう。ルシアは魔女に感謝しつつ、女呪術医に向き直る。と、


「起きたかしら?」


するともう一人。扉から色黒の眼鏡の少女が現れた。ステラ。眼鏡をかけたドワーフの少女。紫のジャケットと白のプリーツスカート。肌はチョコレートのような褐色で、背はルシアよりも低いかもしれないが、これはドワーフの特徴。


「どうも」


ルシアは一応彼女にも挨拶をする。


「ええ、元気そうでなによりね。とはいって、あの後、丸一日眠っていたようだけれど。ところでウィスタ姉さま、彼女の様態は?」

「うふふー、芽胞については今から診察するところです。まずは怪我の方から治さなければですからね。可愛らしいエルフさん。目立った傷はもう治しておきましたが、どこか痛むところは?」

「…ん?」


ルシアは肩をまわしたりして各部をチェックする。すると、昨日まであんなに痛んだ傷はもうすでに完治しているかのようだった。


「すごい」

「いえいえ、女の子の身体に傷が残ったら大変ですから」


ウィスタはそう微笑み、二度拍手を打つ。すると彼女の影からにゅっと生えてきた触手が鍋の中に入ったスープをカップに注ぐ。

真っ黒な、器用で、太くたくましい、うねうねした、触手さん。触手さん?


「は?」

「ステラ、スープはいかがですか? 温まりますよ」


のほほんと、にこやかに笑う黒髪の女呪術医。よく見ると、彼女の影はなにやら深遠の闇か墨汁のように真っ黒で、なにやら揺らいでるよう。ルシアはその影を思わず凝視すする。


「何か?」

「い、いえっ」

「そうですか。おかしなエルフさんですね」

「(おかしいのはアンタの影だ)」


ルシアは自分に言い聞かせる。流石は真紅の魔女の弟子、きっと高等な魔術で影の中に恐ろしく強力な使い魔を飼っているのに違いない。高等な使い魔の触手だから、きっとあんなに器用にスープをよそうことができるのだ。そうに違いない。

にょろにょろ。シュールな光景だった。なんだか、見ていると脱力するような。ルシアは頭をふり、思考を切り替える。目的を見失いかけた。


「貴女もスープ、召し上がりますか? 栄養をつけなければいけませんよ」

「そんなことよりもっ」


触手が器用にカップにそそがれたスープを持ってくるが、それをルシアは手で退けて身を乗り出す。今は、そう今は―


―きゅー。


その時、ルシアのおなかがきゅーと鳴った。耳まで真っ赤になる。


「……えと」

「タイミングの悪い胃ね」


ステラがふうふういいながらスープを口にし、冷ややかにつぶやいた。ウィスタは柔らかい笑みを浮かべ、


「うふふふっ、召し上がりますか?」

「…いただきます」


説得力は皆無だった。触手さんからスープとスプーンを受け取る。意外に気が利くのかナプキンまで用意してきた。万能な触手さんだった。

ミルクがたっぷり使われたクラムチャウダーのようなスープ。具材はシーフードのようで、イカリングのようなものや、ホタテの貝柱のようなものがたくさん入っている。プリプリとした身は歯ざわりが良く、スープもコクがあり、香りも味も絶品といえた。


「これ、なんのスープですか?」

「触手のスープですよ」

「…は?」


ウィスタの返答に再びルシアは目を丸くして停止する。そして、ゆっくりとせかせか働く触手さんに視線を向けた。触手さんはルシアの視線に気づき、身をくねらせて照れた。キモイ。


「この子じゃありませんよ。食用触手の研究で生まれた高タンパク、高収率の新食材です。触手分泌物の擬似ミルクに、触手リングに触手の輪切り。その他様々な素材を―」


ウキウキ説明するウィスタさん。ルシアは背中に冷や汗が流れるのを感じた。しかし、スープはすでにルシアの胃の中だった。忘れることにした。


「ああ、それと話は戻りますが、大体の経緯はロベリア様から聞いております」

「そ、そうですか」


話は本題へ。ルシアにとって今、最も重要な懸案。セーハの、ルブールの森から持ってきた最後の形見。


「では、治療を行いますが、覚悟は良いですか?」

「覚悟?」


ルシアは首を捻る。一体どのような診察を?


「ルシアさん、…ご愁傷様」


ステラは同情のこもった瞳をルシアに投げかける。そしてウィスタが指を鳴らすと、


「診察と治療にはこの子を使います。何故か皆さん嫌がるのですが」


合図にこたえて触手さんが部屋の隅にいつの間にかあったカーテンを開ける。その先には、


すごい触手さん。


どこから見ても、どう見ても。すごく立派な触手さんの群れ。

細めタイプを基本として、太いのから先端が分かれてたり、突起がいっぱい付いてたり。それらが丸い大目玉から生えていた。先ほど食器を持ってきたりしていた触手さんとは違って、少し表面がぬめっとしている。

グロテスクです先生。横でステラ先生が米神を押さえて溜息を吐いていた。


「先生、質問です」

「はいどうぞルシアさん」

「どーしてウネウネしているの?」

「細かい作業がしやすいからですよ~」

「どーしていっぱいはえてるの?」

「いろんな機能をつけるためですよ~」

「どーしてヌメヌメしているの?」

「患者さんを傷つけたりしないようにですよ~」

「…そもそも何故触手にこだわるのか」


なんだかさっきから触手さんばかり見てきたルシアさんはうんざりだった。


「この形態が一番合理的だからですが?」

「合理的…」

「はい。なかなか理解していただけないのですが、機能と形態を追求していって、無駄を一切省くと触手が理想的な形態であると行き着くわけです。そもそも全ての多細胞生物の基本は触手・・・つまりワームにあります。消化器官しかり、血管しかり、神経細胞しかり、指、四肢、生殖器。全てワームを基本とした設計と言えるでしょう。その機能性は多岐にわたり、運動性だけでなく物を掴むという機能、物を輸送するという機能、それらを兼ね備えた――」


ウィスタの触手講釈が止まらない。そして段々ルシアも触手がすばらしいものに思えてきた。たしかに電子機械の中を開けても、中身はコードだらけ。一種の触手にも見える。


「なるほど。あらゆる余計を省いていくと、結果的に触手に行き着くわけか」

「ええ、その通りです。ルシアさん、貴女はなかなかスジがいい」


ウィスタが微笑む。ステラが騙されてるわよと呟く。


「でだ、アレなーに?」


改めて指を挿す。触手さん。どう見ても触手さん。蠢いている。心なしか照れているようだ。ルシアさんは最悪のケースを脳裏に思い浮かべた。というかそのケース以外に考えられなかった。

触手プレイ。とってもとってもマニアックだった。そういうのは二次元だけにしてほしかった。


「はい。使い魔59号(医療用⑧)さん、エイザック君です。最新型なんですよ」

「…使用方法は?」


一縷の希望をこめて問う。


「まず粘液分泌触手によって検査等の効率を良くするための薬液を体中に塗布した後に、精密検査触手による全身検査。つまり触診ですね。さらに霊子的治療用触手や注射触手による治療をシステマティックに行うことで、従来なら数ヶ月以上かかる治療をなんとっ、2日で終わらせてしまう正に新時代の医療用生体器具なのですっ! 聞いてます?」

「……」


儚い希望だった。


― ダッ


エルフさんは逃げ出した。


「エイザック君、フィッシュ!」


触手が鞭のようにしなって逃げ出そうとしたルシアの足に絡みつく。


「ふふっ、生きのいいエルフげっと」

「はっ、放せっ…この変態っ!」

「ダメです。こんな珍しいサンプル…もとい、困っている患者さんを放っておくことなど出来ようか、いやできません」

「今サンプルって言ったなっ、言ったよなっ、た~す~け~て~っ!」


引き摺られていくエルフ。ドワーフは既に見捨てている。あは~と笑うマッドさん。はぁ~~と溜息をつくステラさん。ルシアはそんなウィスタを諦観に満ちた目で睨み、愚痴をこぼす。気分はやさぐれていた。


「あんた、ぶっ飛んでるって言われるだろう」

「私は普通ですよ?」

「貴女が普通でしたら、世の中が狂っていると私は判断しますけどね」


ルシアはステラに同意する。自分を普通と言い張る人間ほど…。ルシアはどうでも良くなった。


「そういうわけでルシアさん。(主に私のために)始めましょう」

「……」


ルシアの視線がカーテンの奥に自然に留まる。蠢いている。引きずり込まれている。

治療のため…。

セーハが残してくれた卵。セーハの子供だ。

何も残ってなんかいないと諦めていた。

それが残っていた。残っていてくれていた。ホッとした。またやっていける理由がそこにあった。

だからどうしてもこの命だけは助けたかった。

だから…、そう覚悟してルシアは奥に潜む件のソレに目をやる。

触手さんの大きな目が、ニコリとウインクしたように、そうルシアには見えた。

イメージ的には「お嬢さん、何も心配はないさ。僕に全てを委ねるんだ」そんな感じ。

やっぱり信用できなかった。


「うわぁぁぁっ…放せっ、放せっ!」


ルシアは土壇場で暴れだす。そしてついには魔術を室内でぶっぱなそうと―


「無駄です。エイザック君、ダイレクトアタック!」


触手が鞭のようにしなってルシアの脇腹と脇の裏を襲撃する。その卓越したテクニックは、


「ひひひっ、やめっ…くすぐったっ」

「ふふふ、ルシアさん。もう全ては遅いのです。ジ・エンドです。さあ、さあっ、ワタクシの好奇心と魔術の発展のために、この崇高な目的のためにその身を捧げてくださいね♪」

「ひひひ~~~っ、今っ、ひふっ、治療って目的が無くなってっ…ひゃはっ」

「あっ、そうでしたね。じゃあついでに治療です」


エルフさんの弱いところを的確にくすぐる。


「ひゃううっ、やめっ…たすけてっ!」

「ごめんなさいね。私にはどうすることも」

「ちょっ、おまっ、スプーン置いてから言えっ!」


同情の涙を拭う振りをしてから、スプーン片手にスープに向かう眼鏡ドワーフ。触手にくすぐられながら足をつかまれ引きずり込まれていくエルフ。


「また料理の腕を上げられましたね、ウィスタ姉さま」

「あっ、わかります? 最近、すごくおいしいのの栽培に成功しましてねっ♪」

「話聞けっ…、あっ、まてお前、そこ違う、違うからっ。ごめん、ごめんなさい。耳はだめ、耳はだめなの、やら、ヌルヌルやらの…耳らめぇっ! ぎにゃーーーーーーーーっ!!?」








[27798] Phase009-a『エルフさんと白の襲撃』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/07/16 16:08
「ぎにゃぁぁぁっーーーー」


ルシアさんは飛び起きる。と、そこは普通のベッドの上。となりにはまだ睡眠中の佳代子さん。どうやら悪夢を見ていたらしい。

とびきりの悪夢だ。必要だったとはいえ、恐ろしい、今でも身も心もガクガクブルブル震える恐ろしい体験だ。恐ろしく夢身が悪かった。

それもきっと、昨日、酒を飲みながら昔のことを思い出していたからだ。芋づる式に封印していた記憶の扉を開けてしまったらしい。

ルシアはパンパンと両手で頬を叩き、眠気を覚ます。今日は大切な日だ。こんな悪夢を引きずることはあってはならない。

今日は、今日こそ、春名に告白するのだ。自分の正体が、飛行機事故で死んだはずの兄であることを。そう決意した瞬間、再び緊張が襲ってくる。


「どないしよ」


ルシアは思わず独り呟いた。とはいえ、こんな所でマゴマゴしてはいられない。そんな風ではどこぞのバカにまたヘタレ扱いされてしまう。

そうしてルシアさんは勇気を出して春名に会いに行くことを改めて誓うのだった。んで、





Phase009-a『エルフさんと白の襲撃』





―帰りたい

ルシアはぼやく。

そもそも今日、春名に会いに来たのはもっと真面目な、大切なことを伝えるためであったはずだった。だというのに、これはどういうわけだろう。


何故か、着せ替え人形にされていた。すでに心が折れそうだった。


「ねぇねぇ、こんどはコレ着てみない?」

「コチラも似合うのではないでしょうか?」


そもそも、ルシア自身はこちらには私物をあまり持ち込んではいない。量子化でこちらの世界に転移する際に運搬できる量に制限があったからで、同時に帰りの切符が存外かさばったからだ。

そもそも長居するつもりなど毛頭なかったので、衣服に関しても二日前に数点そろえたのみ。それで足りるはずだった。

だというのに、どうしてこうなった。

ルシアは遠い目をする。なんで春名といっしょに洋服探しをするハメになっているのか。それ以前に、なんでこの店員は春名と一緒になってアタシを着せ替えるのか。

判らない。判らない。


「はい、どうぞ」


春名がチョイスした服を受け取る。見る。見る。見る。目を疑う。


「あの、春名さん?」

「何?」

「ホットパンツは…面積がやばいと愚考しますが」

「似合うよ?」

「勘弁してくれ」


思うのだが、最近の女子はどうしてあんな面積の少ない衣服を身に纏うのか。なんというか、見えそうだぜ? 短パンは小学生男子の特権ではないのだろうか。


「似合うよ?」

「だから―」

「…じゃあお姉さんが着替えさせて―」

「ヤメレっ!」


ぱすんと春名のおでこにチョップ。うむ。やはりNOと言える日本人にならなければ。

そして―


「なんで履いてるんだアタシ…」


店員とのタッグに押されて履いてしまった自分のヘタレ具合に絶望するエルフ。NOと言える日本人以前に、既にルシアさんはエルフさんだったのだ。

心もとない防御力。主に股というか太ももが。

漫画とかではエルフの戦士がハイレグの露出度高めの鎧を着ていたりするが、そんな無意味なことは誰もしない。

そんな一昔前に流行った男のロマンで身は守れないのである。少なくともルシアの知るエルフはもっとこう、なんていうか、貞操観念が強いと言うか…。


「かーわーいーいっ!」

「すごくお似合いです、お客さ…うっ」


可愛いとルシアに頬ずりする春名の横で鼻を押さえて蹲る店員さん。綺麗系の女性なのに、全て台無しにしている。ダメだコイツ。


「では今度はこちらなどは?」

「あっ、それイイっ!」

「って、なんだその布の切れ端はっ!?」


黒のひらひらのミニスカート。その多数点。トレーナーとのコントラストがポイントか?


「じゃねぇっ! まて、早まるな。アタシはそういう防御力の低いのは…あ、あーーーーーーっ」


鏡の前にはキュートにデコレートされた金髪エルフ少女。くるりと回るとミニスカートが遠心力を受けてふわりと広がる。

可愛いときゃーきゃー騒がしい妹と、変な方向に興奮し始める店員。ルシアは鏡の前で思う。


―もうどうにでもなれ


「店員、そこにあるニーソックスを貸せ」

「えっ、ただいま」


ルシアは人が変わったように店員に指示。目当てのものを受け取るとカーテンを閉めて、そしてお披露目。

エルフ耳、金髪、白と黒のコントラストを基調としたトレーナーとミニスカート、そしてニーソックス。

髪は何故かツインテール。

完璧だった。何が完璧なのか説明しかねるが、完璧な萌がそこに爆誕した。


「な、なんと…」


卒倒しかける店員。


「…たった一つのアイテムでここまで。ルシアちゃん、恐ろしい子っ!?」


少女マンガ風に衝撃を受けている春名。


「ふっ、まだまだアタシのターンは終わらないぜっ」


いい感じに振り切れたルシアはその後もエロカワイイ上等の勢いで試着を開始。複数のお店を梯子し、

そして、


「なんでこんなに買い込んでるんだアタシ…」


気がつけば両手に花ならぬ紙袋。内容はとても実生活に必要なさそうな、いわゆる『カワイイ』で統一。

佳代子さんだけでなく、間違いなく後藤にも冷やかされるだろう。というか、目的を忘れて、春名のテンションに巻き込まれている時点でヘタレであることこの上ない。

ルシアは素で凹む。


「じゃあ次は下着いってみようか」


いつの間にか腕を組んで一緒に歩いている春名に連行される。ヤヴァイ。そこは罠の匂いがする!?


「マジかよ…?」

「マジです」

「議長、拒否権を―」

「却下です」

「なんということだ」





そこは色とりどりの花畑であった。

小さく丸められた柔らかな布がいくつも並べられており、マネキンに試着された下着の数々はデザインともに可愛らしいものから大人っぽいものまで様々。

かつての『彼』であったならば、その独特の雰囲気が鉄壁の結界となってその侵入を拒んだことだろう。

だが今は違った。今のルシアは何処に出しても恥ずかしくないエルフ(女)だった。

そして侵入。麗しき女性の肌を覆う布たち。ルシアは少し怯んだ。

スケスケのネグリジェに唖然としながら、それを着用した自分を想像し、凹み、そして気を取り直す。

綺麗に陳列された絹の花。

ルシアはその中の一つを手に取る。フワフワだった。


「(向こうでこういう感じの下着は馬鹿みたいに高いんだよな・・・・・)」


異世界でも舶来モノの中には日本のモノと代わり映えしないような高品質なものがある。兎族の行商が扱っていたもので、話によると機族の国で製造されたのだとかなんとか。

貴族なんてモノをやってたころはそういうものを身に纏っていたが、今ではとても手が出せるものではない。

それと、

一応断っておくがエルフはフンドシではない。そこ、期待しないように。


「これなんてどう?」

「なんだその紐は?」


お約束にも程があった。下着として何を期待しているのか理解しがたいライン。


「アタシ的にはこう…、防御力というか、もうちょっと安心感が欲しい」

「そうよね、ルシアちゃんには子供っぽいこういうのが似合うよねー」

「クマさんパンツ…、極端から極端に走るな」


なんでそんなモノが陳列されているんだと首をかしげながら、ルシアは春名の暴走を無視して目に留まったものを手に取る。

派手でもないパステルカラーのショーツとブラ。安心感と安定感がルシアの目と精神に優しい。春名には物足りない。


「こんぐらいで十分だ」

「つまんな~いっ」

「ならその紐、自分で着てみるか?」

「ならこっちのレースがついた大人しめの」

「露骨に避けたな今」

「ど・う・か・な?」

「まあ、それぐらいなら」


渡されたレースやフリルが控えめに配置された可愛らしいピンクのショーツを手にとって、ルシアははたと止まった。

待てルシア、考えろ。ここで流されたら最後、さっきの洋服みたいに最終的には紐パンだぞっ―


「えっと、まあこういうのは今度ということで――」

「じゃあ試着してみよっか」


と、突然春名さん。


「って、待って待って一人でできるからぁ~~」


手首を掴まれ試着室に連行されかかる。このままでは脱がされる。

それはマズイ。どのくらいマズイかというと―


「じゃ、これとこれも試してみてね」

「ちっ、判ったよっ」


あっさり手首を放され、数点の商品を渡される。カーテンそ閉めて上着を脱ぎだすルシア。


―あれ? どこか間違っているような?


ルシアは首を捻る。おかしい。何故試着する流れになっているのか?

ルシアは密やかな胸をカップで覆い、ホックを留める。

まあ試着室に同伴されるよりマシだろうとルシアは考える。



イロイロと手遅れだった。



そしてルシアさんの下着試着ファッションショーが開催される。

途中から開き直ってポーズまでとった。当然写真だけは泣いて勘弁してもらった。

正気に返って崩れ落ちた。

身に着けていたのは面積のほとんどがスケスケな防御力低そうな一品だった。





「何故こげなことに…」


喫茶店。女の子の買い物の神秘を実感しつつボックス席のテーブルに前のめりでうな垂れるエルフ。

春名はちょっと元気をなくして垂れ下がり気味なルシアの長い耳を撫でて愛でる。

正しいエルフさんの愛で方だった。


「そういえば、ルシアちゃんの家族いるの?」

「家族…ねぇ」


春名のいつもどおりの突拍子も無い質問。あまり嘘を重ねてもボロが出る。かといって向こうの親は既に他界していた。

春名をあまり心配させたくないルシアは今いる場所の家族とも言うべき面々をそれぞれの役に割り振っていく。割と適当に。


「爺さんに、母親、父親、姉1人に、兄1人、妹3人、あとペットもいるな」


何気に自分の立ち居地を下から2番目に置いてしまったことに内心愕然とするルシア。


「(アーネイドート姉弟はどう考えても下だろうに…)」


さらに姉弟子の一人(ロリドワーフ)を父親役に置いたことが本人にばれれば、それはそれで問題かもしれない。

あとエリンシア・エミューズ姉弟の姉のほうを下に、弟のほうを上に配置したことは秘密。あの二人の関係はいろいろと複雑なのである。女装?してたり。


「え、姉妹いるんだ」

「ま、まあな…」

「どんなヒトたちなの?」

「ん、うう~ん、姉の一人は、なんていうか、マッドサイエンティスト的な感じというか…。もう一人は底抜けに明るい感じ? 妹3人はいつも姦しいというか」


いつも姦しい姉弟子と妹分たち。何かしらの騒動をいつも起こす、連中のハイテンションに巻き込まれ常にドタバタとしていた記憶をルシアは思い出す。


「大家族って楽しそうだね」

「うるさいだけだぞ」

「彼氏とかはいないの?」

「ねぇよ」

「もったいないなー、ルシアちゃんこんなに可愛いのに」

「いや、そんなもんいらねぇし。つか、春名こそより取り見取りじゃねぇの?」

「いや、だいぶ前に別れた彼氏それっきりだよ」

「新しいの作らねぇのか?」

「いや~、なんかしっくりこなくって」


そんな妹の男関係に微妙にホッとするルシア。…普通だよな?


「(…話し出すきっかけがみつからねぇ)」


春名との会話の中、なかなか本題をきりだせずに焦るルシア。このままだと、何も話せずにバイバイなんて展開も予想すらできる。というわけで、これ以上の話の脱線は避けたかったので、そろそろ本題に入るべきと考える。

伝えなければいけなかった。自分のことを。


「あのさ、春名。実は…さ、」

「あ、あー、そういえばさっ」


ルシアの言葉が遮られる。


「この前行った雑貨屋さんなんだけど」

「雑貨?」

「ほら、ルシアちゃんがじっと眺めてたお人形が置いてあった」

「ああ、あれね」


件の人形。金色の髪の、金色の目の。かつての自分を思い出させた忌々しい。であるのに眼球に妖精文書が埋め込まれていたが故に無視することも出来ない。

この世界で見つけた3つ目の文書。昨日のを含めて4つだ。この数に、この短期間で遭遇するのはあまりにも異常。ルシアにとっても引っかかっている懸案でのあった。


「うん。なんか気になっちゃって、また見に行ったんだけど―」

「やめろ」

「え?」


普段のルシアからは考えられない、低く冷たい声。切り替わる空気。春名は背中に氷の棒を差し込まれたような。急に厳しい表情に変わったルシアの怒りにも似た瞳が彼女を貫いた。


「あの人形には関わるな」

「ど、どうしたの?」

「え、あ…、いや、ごめん」


戸惑う春名。恐れにも似た表情。それでもルシアとしては、春名にアレに関わってほしくなかった。

後藤や佳代子には心配がないと大見得を切ったが、実際に親しい人間が関わるとなると話は別になる。

妖精文書は人生を狂わせる。

向こうでは常識とも言える感覚。歴史上数多の人間がこのジンクスに捕まり、そして―


「いや、いきなりゴメン。でも、あの人形は良くないんだ。大学のネズミ騒動とか、昨日の先輩さんの件と同じなんだ。妖精文書って魔法のアイテムが関わってる」

「え、そうなの? 店主のおばあさん、危なくない?」

「今すぐ何とかなるってモンなねぇから。だけど、この前のこともあるから、春名にはあんまし関わってほしくない」

「…うん」


打って変わってすまなそうな、それでいて真摯な言葉。春名は思わず雰囲気に飲まれて頷いてしまう。そんな春名に少しルシアは安心したのか、


「ありがとうな。…その、悪かったな。妙な雰囲気にし―」



「ママーーーーーーっ!!」

「ぷぎょらっ!?」



しんみりした空気は突如飛来した何かによって押しつぶされた。カエルが潰されたような声を上げて痙攣して座席に倒れこむルシア。

そんな彼女の胸に顔を押し当て抱きつく5、6歳ぐらいの少女。

春名は目を白黒させる。


「せ、せてぃ…、なんでこんな…?」

「あれ? ママ? どうしたの?」

「せ、セティ、アタシはもう…ダメだ」

「そんなっ!? ママっ、だめっ、死んじゃヤダっ!!」

「ふふ、セティ。ヒトはな、いつか死ぬものなんだ。でも、それは必ず世界に何かを残していく。だから寂しいことは一つもない…」

「ダメだよっ、目を開けてっ、ママっ」

「だから、泣いちゃダメだ。セティ、強く生きて…ガクッ」

「ママ~~~~~っ!!」


よく判らない寸劇を繰り広げ、ルシアに抱きついている少女は真っ白な雪のような肌と髪を持つ妖精のような女の子。

耳はルシア程じゃないが尖っており、顔立ちもどことなくルシアに似ている。

ちょっと釣り目気味のルシアの目を、少し柔らかい雰囲気にしたような大きな翠緑色の瞳。

長くふんわりとした雲のような白銀の髪が彼女を現実から浮き上がらせている。

だが何よりも気になったのは、


「ママ?」


少女の発したその言葉だった。








[27798] Phase009-b『エルフさんとときどき魔女裁判』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/07/19 22:57





「ではこれより裁判を始める。被告人前へ」

「前にって、目の前に座ってんだろうが」


テーブルを挟んで向こう。後藤とルシアは向かい合う。左手には赤ちゃん用の座椅子に座る舞耶ちゃんが飴を舐めている。

向かって右手には佳代子さん。笑顔でお茶を飲んでいる。


「私語は慎むように。弁護人、準備はよろしいか?」

「きゃーう」


何も判らず応える舞耶ちゃん。首を傾げる。可愛い。…というか、


「待て後藤、何故弁護人が舞耶ちゃんなんだ?」

「私語は慎むように。検察官、起訴状の朗読を」

「はい。公訴事実、被告人ルシアちゃんは21世紀型転生系ロリ萌えエルフという立場にありながら、こんなに萌え~な娘を持ち、さらにそれを私たち後藤家に伝えず、あたかも清らかな身ですよーっという振りで私たちを欺き続けた。これは明らかな背信行為ね。罪名、業務上過失萌え。刑法第301条第2項のイ」


スラスラと湯飲みを手に応える佳代子さん。突っ込みどころ満載。


「無駄にリアルだな。てか業務上過失萌えってなんだ…」


意図せず萌えるということか、意図せず萌えさせるということか。


「私語は慎むように。さらに言えば貴様には黙秘する権利も無い」

「どうしろと…」

「では弁護人、先ほどの公訴事実はその通りで間違いないか?」

「うー」


興味なさ気に、椅子の上で脚をバタつかせながら呻る舞耶ちゃん。


「待て、アタシには聞かないのかっ?」

「私語は慎むように。では判決を告知する。有罪。有罪。有罪!!」


後藤がトントントンと湯飲みをテーブルに打ち付ける。行儀が悪い。じゃなくて、


「ってかもう判決かよっ!」

「…我侭だなお前。じゃあ証人前へ」

「はーい」

「セ、セティ!?」


手招きに応じて純白の髪を揺らしてちょこちょこと居間の方からやってきたセティ。テレビが珍しくて齧り付いていたはず。


「君はルシアの娘OK?」

「おっけーだよ♪」

「せ、セティ?」


笑顔で即答。この場は妹として通すと約束したはず。なにゆえ母を裏切るか我が娘よ。と、ふと目に留まる。


「って、お前、口の周りに何をつけて!?」

「えっ、セティ、アイスクリームなんて貰ってないよ?」


挙動不審に目をキョロキョロさせるセティ。口元には白い…バニラアイスクリームがついている。


「ば、買収かよ…。てめぇ、いたいけなアタシの娘になんてことをっ!」

「これは正当な取引というものだよ、ルシア君」


詰め寄るルシアをヤレヤレという上から目線でさげすむ後藤。


「なっ、何も知らない無垢な子供をモノで釣るなんてっ。なんて奴だっ! 血も涙も無い悪魔めっ! この邪悪な資本主義の走狗めっ!」

「ふっ、ヤレヤレ相変わらず青臭いな。世の中はカネだよ。パワー イズ ジャスティス、マネー イズ パワー。故に、マネー イズ ジャスティスだよ。ふははははははははっ」

「くっ、後藤…、いつのまにそんな無様な漢(オトコ)に成り果ててしまったんだっ!? かつてのお前、そうっ、あの頃のっ、『宇宙戦艦少女ハヤテたん1/10DXフィギュア犬耳軍服履いてないヴァージョンwithエクスカリバー』さえあればカネも名誉も要らぬと吼えた、アノ逞しくも雄雄しかったお前は何処に消えたんだっ!!」

「認めたくないものだな…自分自身の、若さゆえの過ちというものを」

「なっ、なんという斬りかえしっ!?」

「言っただろう。世の中はカネだと。フィギュアもっ、DVDもっ、抱き枕もっ、トレーディングカードもっ!! 全てはカネで解決できる…」

「カネで解決…。まっ、まさか手前ぇ!? 注ぎ込んだのか…全てをっ?」

「そのまさかだよルシア君。我が初任給、全て投入した。これが世に言うO・TO・NA買いという奴かな?」

「な、なんということだ…」

「ふっ、就職前に萌えエルフに転生してしまった貴様などには出来ぬ、偉大な勝利だ」


うな垂れ、この世の終わりのように絶望するルシア。勝ち誇る後藤。圧倒的な戦力差がそこにあった。


「面白いヒトだね。タカシって」

「ええ、見ていて飽きないわ」


その横で、良く判らない寸劇を眺める二人。白い少女と柔らかな雰囲気の女。


「ママと仲いいんだ…」

「うらやましい?」

「う、う~~ん…、見てる分には面白いけど」

「…そうね。」


二人は笑いあう。穏やかな時間。

対して、妙な寸劇を繰り返す二人はだんだんと変な方向に脱線しつつあった。


「くそっ、レーニンよっ、スターリンよっ、全国津々浦々の革命戦士たちよっ!! この腐敗したブルジョアジーに赤き鉄槌をっ!!」

「革命? 蟹工船? どれもくだらない20世紀の遺物だ。唾棄すべき年寄りの懐古主義、敗北主義者の同窓会だっ」

「敗北主義…だとっ!? この胸に溢れる熱きソウルをっ、革命精神をっ、手前ぇは間違いとでも言うつもりかっ!」

「そうだ。大きな勘違いだ。たった一つのキャラ愛でどんな苦難にも耐えられるだとっ!? 馬鹿馬鹿しい。OTAKU産業とは消費そのものっ、使い捨て文化の象徴っ! 新しい萌え! 新しい属性! 常に古い萌えは更新され、新しい萌えの時代が到来する…。怪盗美少女から魔法少女に乗り換えた貴様が知らぬワケではあるまい」

「ぬっ、しかしっ、だからといってっ、全てが新しいものに塗り替えられるわけではないっ! 繰り返される栄枯盛衰の中に、新しく芽生える萌えの中にっ! 決して変わらぬモノがあるとアタシは信じているっ!!」

「はっ、そのようなモノあるものか。理想に溺れて溺死しろっ、この恥ずべき赤色野郎っ。 新自由主義万歳っ! 市場万能論万歳っ! アメリカ帝国主義万歳っ!」

「な、なんという傲慢さ…」

「傲慢? 勝者の特権だよ。悔しかったら反論してみるがいい」

「くそう、こうなったら…こうなったらぁ……」


上目遣い、興奮しすぎて潤んだ瞳、上気した頬、ちょっとしょげた長い耳、先まで赤くなった。


「後藤の…バカァ」

「お? おおおおおお……」


後藤が驚愕の瞳でルシアさんを凝視する。そしてルシアはちょっと恥ずかしそうに目線を外し、


「そ、そんなジロジロ見るなよ…。は、恥ずかしいだろ、すけべ」

「なっ、る、ルシアたん萌えぇぇぇぇぇえぇぇぇぇっ!!」


後藤が悶絶する。


「ふっ、勝った」


悶絶してテーブルにつっぷした後藤を蔑むルシア。その奴隷を足蹴にする女王様っぽい視線がさらに後藤を悶えさせる。


「見たか、このすばらしき…、すばらしき? ……アタシは一体何をぉぉぉぉ!?」


今度はエルフが苦悩し始めた。


「何やってんだアタシ、何が『バカァ』だっ!? うぁぁぁぁぁぁぁっ!」


自己嫌悪。盛大な自爆。肉を切らせて骨を断ったが、肉も斬られれば致命的。


「み、見事だマエヤン」

「昔の呼び名で呼ぶなゴトー」


復活する後藤。つっぷすルシア。


「確かに、確かにエルフ耳、上目づかいは萌えの一つの完成形。認めよう。思い出したよ、大切なものを。ハァ、ハァ…」

「そ、そうか…」

「ああ、良いものだ。三次元も…、ハァ、ハァ…」

「ちょ、後藤? 目が怖いデスヨ?」


ゆらりと立ち上がる後藤。目がギラギラして、口からは蒸気機関のようにと白いモヤが吹き出す。

そしてゆっくりとルシアの前に近づき、


「な、なあ後藤、冗談だよな? 佳代子さんもいるのに…」

「る…、ルシアたん、俺…もう我慢できないっ!!」

「ぎゃぁぁぁぁっ!? 何トチ狂ってんだお前っ!?」


ケダモノとなって襲い掛かる。ルパンダイブのごとく飛びかかる。もうダメだっ。ルシアさんが諦めかけた、その時―


「佳代子のことは放っといてっ、さあ、俺と一緒にハァハァしないか―」

「ラケーテン・ブラートプファンネっ!!」

「―ゴギュルぁっ!?」


瞬間、ルシアは紅い軌跡を見た。それはまさに赤い流星。ルシアが見たのは一瞬の紅い閃きと、平らに変形した変態の顔のその残像だけだったのだ。

赤色の正体が佳代子さんがどこからともなく取り出した赤いフライパンであったことに気づいたのは、それが振りぬかれた後であった。

後藤はすでに視界から消えていた。多分、恐るべき速度で放たれた鉄の塊に吹き飛ばされたのだろう。そして、佳代子さんは悠々とした歩みで吹き飛ばした汚物に近づいていく。そして、獲物を再び振り上げる。


「貴方というヒトはっ、毎回っ、毎回っ!」

「ピギィッ! ピギィッ!」


その後、ルシアは何も出来なかった。むしろ視ることさえためらった。微動だにできず、ただ下をうつむいて悲鳴を聞き続けた。

屈託の無い癒し系の笑顔で獲物を振り回し、追撃を続ける佳代子さんに一言申すことも。

『見せられないよ!』的なプラカードで隠さなければ放送倫理に抵触しそうな状態になっていく後藤に、慰めの言葉をかけることも。


「ふぅ、隆さん。おいたが過ぎたわね。さあ、続きは向こうの部屋で、もっとじっくりOHANASIしましょうか。ウフフフフフフ」

「タシュケテ、ルシアタン、ボク、反省シテルカラッ! チャント、反省シテルカラ! アアッ、アアッ、許シテッ! アアッ、アアアアアアアァァァァァァァァァ!!?」


紅の鉄騎に引きずられていく変態紳士。ルシアは彼の助けを求める悲痛な叫びに耳を閉ざし、ガタガタ震えながら何も出来ず、ただうずくまるしか出来なかった。

そして、


「…何もなかったことにしよう」


遠く断末魔が響く中、


「抹茶アイスうま~」


ルシアさんはアイスクリームに舌鼓を打っていた。

鈍器で何かを殴殺するような鈍い音とか、豚が屠殺されるような悲鳴とか、普段聞くことなどない、とある女性の哄笑だとか罵詈雑言だとか、

ちょっと喜んでるっぽい豚の悲鳴とか、

そういうのは聞こえないフリ。

色鮮やかな緑色の氷菓は抹茶風味。爽やかな苦味と甘みが舌の上で融解する。熱を奪う心地よさと同時に舌の感覚が一瞬だけ麻痺するが、それも蒸し暑い日本のこの時期には心地よい。


「セティ、あ~ん」

「あ~ん」


いい具合に融けて柔らかくなったアイスクリーム。ルシアはスプーンに乗せて白い少女の口の中に運ぶ。


「どうだ?」

「つべたーい」

「そっかそっか」

「抹茶アイスうま~」


セティがルシアのセリフの真似をする。ルシアは笑いを堪えるが、すぐに耐えられなくなり二人揃って笑い出す。


「それとセティ」

「?」

「アイス美味いからって浮くな。行儀が悪い」


気を抜けば重力を無視してフワフワと浮き始める白い少女。身体を霊子と大気中の空気分子の固定によって構成する彼女には見た目どおりの質量は無い。

幽霊とは違う。アレは間際の呪いじみた感情が呪術的な作用を持って周囲の精霊に転写される現象にすぎない。幽霊は言うなれば残骸。望まれて生まれた彼女とは違う。


蒼空を流れる雲のような、

大海を渡る風のような、

天の頂を旋回する鳥のような、


セティ=ルブール=ラトゥイリ。


雪のような、雲のような、初夏の風を糸に縒ったような。白く柔らかなウェーブを揺らす髪の少女。瞳は透き通る大粒のエメラルド。白磁にも似た透き通るような輝く白。


我が娘。


要はセティがそれだけ可愛いということだ。将来絶対に美人になる。顔の感じから言って、将来この女の子は美人になるっていうのが確実に判るような。軽くウェーブのかかったこの娘の透き通る髪を梳く時とか、夜寝かしつける時とかいつも思う。それに賢い。記憶力とかそういうのじゃなくて、学習能力とか気遣いとか。文字だってもう読み書きできるし(※仕様です)、世界間転移術だって一人でやってしまった。性格だって、こんなに優しい娘はいないと思うのだ。いつだってアタシのことを気遣ってくれるし、手伝いだって率先してやってくれる。たまに姉弟子達と共謀して母親を嵌めることぐらいまったく許してしまえる。

完璧だ。わが娘ながら完璧だ。

(※注 ルシアさんの主観が多分に含まれた評価です。実在の人物や団体とはなんの関係もありません)

なので、勝手に向こうからやってきた娘だが、ルシアは内心会えて嬉しかったりする。時間の流れが4倍の向こうにいたセティにはきっと寂しい思いをさせたに違いない。

胸が痛くなる。

きっと4倍どころか16倍ぐらい寂しかったに―


「で、誰の子なんだ?」


野暮な野太い声にルシアは現実に引き戻される。佳代子さんの全力全壊で撲☆殺されたはずの後藤が突然何事も無く蘇っていた。


「いきなり唐突だなお前。もう少し『OHANASI』してたら良かったのに」

「人民裁判の続きだ」

「なんだその確実に首吊るされそうな響きは。…それにだ、誰の子も何もセティはアタシの娘だ。なあセティ」

「うん」


いつの間にかルシアの膝の上に座るセティ。指定席。ルシアはスプーンでアイスクリームを掬うと、膝の上のセティの口に持っていく。

少女はパクッとスプーンに食いつき、「ん~~」とひんやりとしたアイスクリームを楽しむ。美味しかったのか、勢いあまってフワフワと浮遊しだす。


「こら~、セティ、だから浮くなって言っただろ」

「ん~、ごめんなさいー」

「それで…お父さんは誰なのっ?」


こんどは佳代子さん。妙に肌がツヤツヤしているのは気のせい。

目を輝かせる。期待のまなざし。興奮気味。好奇心に負けたらしい。


「いや、その…」


期待の眼差しを避けてあさっての方向に視線を迷わすルシア。と、後藤がポンと閃いたかのように右拳を左手の平に打ち付けて、


「まさか触し…」

「シャラップっ! 殺すぞっ」

「しょく…?」

「佳代子さん、今のは忘れるように…。ああ、また震えが…」


懇願する。あんなモノと夫婦になりたくない。


「じゃあ誰だよ。お前の子宮に子種を植え付けた不遜な輩は?」

「隆さん、下品」

「サイテーだなお前」

「タカシ、サイテー」

「きゃーう」


あきれ果てる。4人の冷たい視線(内1名は意味も判らず)が後藤に集中。


「でもやっぱり気になるわ。セティちゃん、貴女のお父さんは誰かな~?」


佳代子さんの搦め手。セティから聞き出そうと画策。何故か手にはチョコ菓子。


「か、佳代子さん、まさかアンタが暗黒資本主義の首魁っ!?」

「違うわルシアちゃん。これは司法取引という正当な行為なの」

「くっ、カネさえ積めばムショの中だってやりたい放題…、どこの南米の刑務所だっ!」

「ふふふ、失礼しちゃうわ。清濁併せ呑まないと世の中は円滑に動かないものなのよ」

「神は死んだのか…、革命精神は世界から消えてしまったのか…」


うな垂れるルシア。しかし次の瞬間には余裕の笑みを口元に浮かべる。

そもそもセティに父親などいないのだ。強いて言えばセーハ? まあ、アレは死に際にルシアの身体に芽胞、卵を産みつけたというだけで、ルシアとどうこうしたワケではないのだが。

しかし、セティは指を顎に当てて考えた末、少し悪戯っぽい表情で回答。

ルシアはその表情に一抹の不安を―


「んーー、お父さんは…ロベリア?」

「はぁっ!?」


予想GUY。ルシアは一瞬言葉を失う。


「ロベリア?」

「うんっ。ママはね、ロベリアのことが―」

「あーーっ、あーーっ、本日は晴天なりーーっ」


セティの言葉をかき消そうと無駄な努力のエルフさん。耳の先まで真っ赤。


「ロベリアさん…、そういえばルシアちゃんの師匠さんが確か」

「でも魔女じゃなかったか? 女だろう?」

「うん。ロベリアはすごく綺麗なヒトなんだよ」

「流石は剣と魔法の異世界ねー。女の子同士でも子供作れるのね」

「も、萌えるな。お、お姉さまとか呼び合って、ストロベリってるわけだな。百合なんだな。スールーなんだな?」

「てめぇらいい加減にしろーーーっ!!」


ルシアさんはムキーッと両腕を上げて激昂。セティはルシアの膝の上でお腹を抱えてコロコロ笑う。それを複雑な表情で見下ろすルシア。


「女同士の禁断のLOVEか…」

「ルシアちゃん結婚してたんだ」

「してねぇっ。つーか、セティの親はアタシだけだ!」

「認知してもらってないのか?」

「違ぁぁうっ! 師匠は関係ないのっ! 女同士で子供なんて作れないのっ! セティは精霊の子供なんだよっ!」


ルシアはギャーと叫びながら必死に説明。セティはというと息を詰まらせながら笑い転げている。




「精霊?」

「あっちの世界じゃ上級精霊ってのは人間の胎とかを借りて繁殖すんだ」

「胎?」

「正確には胎盤。哺乳類なら子宮、鳥類なら卵。ドラゴンとかの卵からも生まれるんだぜ」


簡単に説明していく。

単純に言えばカッコウとかの託卵に近い。違いは宿主と親密な親子関係を築くことと、外見上は宿主に酷似した筐体を得ることか。

精霊は単為生殖が基本。ただし宿主の形質を強く発現させるため、ルシアの子供と表現することは間違いではない。


「まあ、着床率が天文現象クラスに低いから上級精霊の数はあんまし多くないんだけどさ」


ほとんどの精霊芽胞が着床せずに中級精霊として発生する。着床し、宿主の形質を取得し、再現し、高等生物の進化の過程を完全に模倣し、発生する。

これにより上級精霊は、中級のそれとは比べ物にならないほどの複雑性を獲得し、高等な知性や、高い身体的ポテンシャルを再現することができるのだ。


「と、言うわけで、セティには父親はいないし、アタシは結婚もしてなければ恋人もいねぇんだよ」


参ったかと胸を張る。あまり豊かでない胸を張る。恋人がいない云々のあたりで精神的ダメージを受けたのは気のせい。


「じゃあお前、処女?」

「後藤、お前下品な。てかアタシが処女であることはそんなに重要か?」


もう少し、何か感想はないのだろうか?


「重要かだと? ロリ萌えエルフが処女じゃなかったら暴動が起きるぞ?」


どんな暴動だろう。ルシアさんには理解しかねた。そもそも、


「そういうの配偶者の前で言うのはお勧めしない」

「いいわ。もう諦めてるもの」

「どんなもんだ」

「胸を張って自慢するところじゃないな。もう一度『お話』聞いてくるか?」


ルシアは溜息をつく。すると佳代子さんが一息ついて、ルシアの目をじっと見つめる。


「胎盤…ってことは、ルシアちゃん、出産したの?」

「まーなー」


出産。あの時はもうなんというかすごく大変だったとルシアは振り返る。佳代子さんの表情が少し驚いたものになり、そして柔らかく変化する。

まあ、アレは経験者じゃないと判らないだろう。

痛さとかそういうのは、助産関連の専門家たる魔女が揃いも揃ってたので耐えられないほどじゃなかった。まあ、よくもあんな大きなものが出たなという感想。

それよりも、お腹の中に命があるという感覚とか、セティが無事生まれてきたときのあの…


「妊娠ロリエルフ、これも一種の萌え― ぶぎゅっ」


おバカなオトコの顔に佳代子さんのフライパンが光速で突き刺さる。めり込んだ。吹っ飛んだ。容赦が無い。









[27798] Phase009-c『エルフさんと狂う歯車』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/07/22 22:00






対面式のダイニングキッチン。カチャカチャという陶器同士がぶつかる音。

洗い物。

小さな泡が宙を浮かぶ。隣には佳代子さん。最後のコップを洗い終わり、キュッと水道の蛇口を閉める。


「いつも手伝ってくれて助かるわ」

「いんや、居候だからな」


笑顔を交わす。所帯じみたシンパシー。

向こうに目をやればセティが後藤と舞耶ちゃんの三人でテレビっ子。アニメ番組。アニメ映画をやっているらしい。

遠目に映るカラフルなキャラクター達。ポップな音楽。舞耶ちゃんがキャイキャイ喜びだす。

セティも舞耶ちゃんといっしょにテレビに釘付け。

向こうには、テレビなんていう文明の利器は普及しておらず、機族の都市であるエジン=ザクやセレウキアなら別だろうが、この手のエンターテインメントは演劇か吟遊詩人のライブぐらい。

だから珍しいのだろう。

セティにはこちらの世界のことは予備知識として話聞かせたりしているので、薄型テレビの中に人がいるんじゃないかと探し回るベタな行動は行わなかったが、ジャパニメーションは世界標準なので、面白いほどに夢中になっている。

ちなみに、一緒に後藤までもが盛り上がっている。…父親のそれとしての行動と信じたい。

とはいえ、キッチンから横目で見る最近のアニメはCGやら何やらが発達して映像がえらく美麗。映画ともなればかなり作りこまれているのがわかる。

デフォルメされた可愛らしいモンスターが飛んだり跳ねたりするのは確かに可愛らしい。かつての「彼」とではアニメの楽しみ方に差異が生まれていることに、ルシアは少し苦笑した。


「セティちゃん、可愛いわね」

「まあな」

「でも、ルシアちゃんはお母さん歴で私の先輩だったみたいね」


お母さん歴。妙な経歴もあったものだ。


「そうは言っても、アタシに似ずに、セティは出来が良すぎてさ。ほとんど手がかかんねーんだよ」

「親馬鹿?」

「かもな。よく言われる」


再び笑いあう。


「春名さんには例のコト、ちゃんと伝えられたの?」


例のこと。

伝えなきゃいけないこと。

ルシアの生活の基盤は向こうの世界にある。もう日本の住人ではない。しかもこの世界と向こうとの時間の流れの速さの違い、およそ4倍の速度差のおかげで長居しにくい。

この世界に帰還して5日目。向こうでは20日は経っている計算になる。短いといえば短く、長いと言えば長い。しかし、その間、セティに寂しい思いをさせたのは事実だ。

だから来る前から決めていたことだ。もうすぐ、この地を離れる。

だから、時間は限られている。だから、向こうの世界に帰るその前に、どうしても、生きていたんだと。元気にしているんだと、伝えたい。

まあ、そのはずだったんだけど―


「それがその、セティがいきなり来て、うやむやに…」

「えっと、ルシアちゃんらしいわね♪」

「フォローになってないぜ」


ヘタレエルフは、どこまでいっても、徹頭徹尾、ヘタレさんであった。


「結局さ、セティのことは妹だってことにして…」

「無理のない説明だと思うわ。セティちゃん、ルシアちゃんにそっくりだもの」

「うん。んで、とてもじゃないけど伝える雰囲気じゃなくなってさ…」


思い出す。

昼下がり。

喫茶店。

春名に真実を伝えるために会いに行ったはずなのだが、ルシアは突如襲来した白の少女のタックルにより、何故か先ほど服飾店で購入した紙袋を押しつぶして座席に押し倒され、

場はこれでもかというぐらいに混乱に叩き込まれたわけである。


「ママ?」


春名が唖然と両者を見比べる。

セティとルシアの顔立ちは、髪の色と質感を覗けば良く似ている。10人中9人は二人の間に強い血縁を見出すだろう。多分。

当然だ。セティの外見上の構成要素はルシアのそれを再構成したもの。黄金と白銀のコントラスト。対照的で対称的。

ママとセティが呼んだこと。春名はしっかりと聞いている。そんな春名に気付いて冷や汗を垂らすルシア。考える。考えろ。考えるべきだ。考えなきゃ。考えるしかない。

そして―



「審判っ、テクニカルタイムアウトを申請します!」

「へ?」


ルシアが挙手して中断を申請。突然の事態に春名は戸惑う。


「よしっ、じゃあ春名。5分だけ頼む」

「えっ、あ、うん」

「ありがとな」


春名を勢いで押し切り、ルシアはセティを連れて店舗の隅に一目散に駆け出した。


「ど、どうしたのママ?」

「何でこんな所にいるんだ。危ないから師匠のところで大人しくしてろって言ってただろう!」

「う、だって…、だって、一ヶ月近くも経つのにママ全然帰ってこなくって…、それで、それで…」

「あ、う、泣くな泣くな。ああもうっ、判ったから」


涙目。ルシアは思わずセティを抱き寄せて撫でる。

別方向からの視点があれば、ルシアの胸の中で「ニヤリ、計画通り」と笑う少女の顔が見えたはずだが、もちろんルシアさんにはそんなことは分からない。


「でもどうやって来たんだ? あの術式の適合はアタシしか…」

「うん、あのね、機族の人たちが重力式膜世界間連絡通路の接続に成功したの」

「早いな。二ヶ月ぐらいはかかると思ってたぜ」

「まだ試験的な運用で、あんまり大きなものは通れないんだけど、私って精霊だから」

「…なるほど。でも無茶しすぎだぞ。何かあったらどうするんだ!」

「う、勝手なことしてごめんなさい」


神妙な顔つきで謝罪するセティ。ルシアはそのやわらかな髪を撫でて笑顔で返す。


「いい娘だ。…でだ、いいかセティ、よく聞くんだ。これは重要な任務なんだ」

「に、任務。…ゴクッ」


息を呑むセティ。


「前に話したとおりママは今、異世界にいる。ここではママみたいな年齢の女が子供を持っていることは怪しまれてしまうんだ」

「う、うん」

「でだ、ゴニョゴニョ」


安易なカクカクシカジカ的説得の末―


「うん、判ったママ、じゃなくて、お姉ちゃんっ」


そんな平和な母娘の会話。




「と、まあそういうワケで。ごまかしただけで終わっちまったんだよ」

「あははは。よくフォローできたわね」

「当然だぜ。セティの演技は完璧だったからな」

「(こうやって親の目は曇っていくのね。気をつけなきゃ)」


えっへんと胸を張るエルフ。ウチでは速攻でバレてんじゃんと内心で突っ込む奥様。


「どしたんだ佳代子さん?」

「いいえ、なんでもないわ。おほほほほ」


笑って誤魔化す。


「…? まーいーや。それでまあ、こんどまたセティも交えて一緒に遊ばないかって言って」

「ふうん。どこへ行くの?」

「まだ決めてない。一応、明後日の日曜日にって約束はしたけど」


行き先未定。だけど楽しい場所がいい。ルシアはそうぼんやりと思う。何故なら、


「これで最後になりそうだしな」

「最後って?」

「セティがこっちに来れたってことは、もうすぐ向こうとのゲートが完成するってことだ。そうしたら、アタシは近いうちに向こうに帰ることになる」

「でも、またこっちには来るんでしょ?」

「さあな。目的も果たしたから、もう来る必要も無いし。私用で来れるほどお手軽なモンじゃねぇしな」


世界の境界を越えるということは、この世界で言うところの有人宇宙飛行に類するような大事業だ。宇宙飛行に手軽に行くことができないように、ルシアもまた世界間転移を気軽に行えるわけじゃない。

件のゲートだって、使用には色々と許可が必要だったり、おそらく使い勝手の良いものではないだろう。ヒトに会いたいからなんていう理由で許可が下りるとは思えない。


「そうなんだ。じゃあ、ちゃんと伝えなきゃね」

「ああ」


ルシアは頷く。こんどこそはちゃんと伝えようという決意をにじませながら。




その、同時刻。




春名は一人繁華街を歩いていた。天頂の月が煌々と夜の闇を暴く。本当はそこへ行く予定にはなかったけれど、春名は吸い寄せられるように歩を進める。

向かう先は小さな雑貨屋。優しげで可愛らしい老婆が経営する、金色の少女に似た人形が静かに店内を見下ろすあの。

つい先ほど、とある少女に関わるなといわれた場所。それでも、どうしても気になった。あの人形が見せた幻視の続きがどうしても。

扉を開ける。カランカランという金属音。涼しげな鈴の音が店内に響き渡る。少しノスタルジーを感じさせる音が木で作られた店の内装に染み渡る。

老婆が春名に気付き、柔らかな笑顔で出迎える。すっかりと顔なじみになってしまった。でも、それも今日で最後と春名は決めていた。


「いらっしゃい。久しぶりねぇ」

「はい。今日は、その、この娘にお別れを」


春名が人形に近づく。人形の表情は硬い。春名は西洋人形を手に取った。店主には好きに見てもいいと言われている。


「そうかい、さみしくなるわねぇ」

「はい」

「さあ、立ってないでお座りなさいな」

「あっ、ありがとうございます」


春名は可愛らしい柔らかな曲線のデザインの椅子に腰掛ける。店主は店の奥へお茶の準備のために入っていった。

春名はいつものように人形の右目の釘付けになる。ルシアの、この人形に関わるなという必死の形相を思い出す。

曰く付き。それも飛び切りなのだろう。あの大学の事件や、先輩のことを思い出すと及び腰になる。それでも来てしまったのは何故だろう?

それは、この人形から失ってしまったものを感じ取れたからだ。

失ってしまったものは、かつて幼かった自分が思っていた以上に大きなもので、それはいとも簡単に春名の世界をバラバラに壊してしまったほどで、

だから、きっとこの人形を見るとホッとするのだ。失われたものが帰ってきたようなきがして。あの少女と会うときのように。

そして今日も、春名は人形の目を覗き込む。


幻視するのは飛行機の中。

今は亡き兄が狭苦しい窓際の席で外を眺める。

藍色の海が垣間見える。

下界の青には白い軌跡。

飛行機雲ではなく、大型の船が立てた白波の軌跡だ。

春名は違和感を感じる。

どうして今日の幻視はこんなにも色鮮やかなのか。

アナウンス。まだ高度は低い。

シートベルト着用のサインは消えていない。

この時は『まだ』この飛行機は大丈夫だった。

春名が調べたところによれば、兄が乗っていた機体が消息を絶ったのは日付変更線を過ぎてから。

東京―サンフランシスコを結ぶ航空路の、北太平洋の真ん中で通信を断った。

1週間の捜索の末、見つかったのは飛行機の破片と貨物だけ。

乗員乗客の遺体は、腕一本すら見つからなかった。

ベルト着用のサインが消える。200人もの人間を輸送する巨大な鉄の鳥は安定軌道に乗る。

人々は思い思いに過ごす。席を立つ者、映画を見る者、雑誌を開く者、携帯ゲーム機を取り出す者。

狭いエコノミー席で体を捩り、『兄』が背伸びをする。MDプレーヤー(当時は主流だった)のイヤホンを両耳につけ、瞳を閉じて体を席へと沈ませる。

誰もが疑わない。

当然だ。

空の旅は陸上のそれよりも安全とまで謳われているのだから、

片道であることなど想像だにしない―



「春名さん、お茶はいかが?」


かけられた言葉。春名の意識は急速に表層へと引き上げられる。


「え、あ、はい。いただきます」

「やっぱり変わってるねぇ…」


怪訝な表情。人形をじっと見つめるというのは少し奇妙な構図かもしれない。


「それだけ気に入ったのなら、この人形、貴女に」

「いえ、そんな結構です。それに今日はこの娘にお別れを言いに来たんですから」


言葉ではそう語る。しかし、同時に老婆の申し出に心が動かされたのは事実。

名残惜しい、というのとは少し違う。

どうしようもなく気になるのだ。この琥珀の瞳が映し出す幻視が。

だから、そして思ってしまった。



「(もっと…、あの続きを――)」



春名は望む。

これが最後だからと。

人形を手に取る。

琥珀色の瞳。

再び意識が幻想に沈み込む。

当然のように春名はそれに身を任せた。

疑わない。

何度も通った道だから。

浮かび上がるのは先ほどと同じ風景。

しかし少し時間がたっているらしい。

窓から覗くのは蒼空と雪のように白い地平。

雲海。

真っ白な真綿が浮かぶ天上の世界。

上空には雲ひとつ無く、地上からは見ることの出来ない澄み切った青と一際眩しい太陽。

天国なんて陳腐な表現。

大抵の天の世界といえば、この雲海がモデルとなっているのかもしれない。

乗客たちは前の座席に付属している小さなテーブルを広げ軽食をとっている。

コーヒーや紅茶の入ったポットを手にしたフライトアテンダントたちが細い通路を行き来し、

乗客たちの持つプラスチック製のカップに注ぎ―

落下するような、振動。

カップが床に落下し、熱いコーヒーが飛び散る。

添乗員たちがバランスを崩し、両先にある席に手をつく。

乗客たちがざわざわと騒ぎ出した。

まだ…、まだ危機感は無い。

空の旅を繰り返しているならばよくあること。

そしてアナウンス。

案の定、乱気流に突入したというフライトアテンダントの声。

ベルトの着用サイン。

多くの乗客たちは笑いながら、時には冗談めかして落ちるかもなんていう冗談を口にする。


しかし―


しかしおかしい。

空は快晴。

ちいさな、綿菓子のような積雲がいくつか浮かぶほかは、天も地も蒼。

どこに乱気流があるというのか?

幻視が揺れる。否、春名が見る画像そのものが乱れ始めた。

異常に乗客たちが気付きだす。

機体の揺れは収まらない。



むしろ酷く―

乗客たちがパニックを起こしだす。

怒鳴り声。

添乗員は客の混乱を収めようとアナウンスを流すが、その声には明らかに焦り。

窓ガラスが激しく振動し、

そして亀裂が、


亀裂が、


空間に白い亀裂が、


同時に映像の乱れが限界を迎える。

意識が浮かび上がろうとする。


「(もうちょっとっ、もう少しで―)」


春名は抵抗する。

しかし不可能だ。

彼女に文書を制御する技術など持たないのだから。

それでも―


「(もう少し…、お願いだからっ)」






―― 願いは聞き届けられた ――






「え?」


人形の瞳の奥でカチリという音が鳴る。

その瞬間、人形の目玉が裏返り、琥珀の代わりに紫の宝石眼に切り替わる。

春名はそれを覗き込んでしまう。


「あ、あぁぁぁ…」


『紫』に怪しく輝く瞳。黄金の文字が躍る。

しかし、春名を拘束する力は琥珀の瞳とは比較できないほどに強い。

当然だ。

そもそも『琥珀』には視覚を奪う機能は備わっていない。

そもそも、『琥珀』に過去を『見せる』機能など備わってはいない。


「あ…」


春名は直視する。

彼女が望む光景。

白い光。光に混じるのは黄金の文字。

まるで、人形の右目に浮かんでいたあの文字。

白が侵食する。

ジェット機の中央から眩いばかりの光の奔流。

そして飛行機が音も無く真っ二つに裂かれる。

光を浴びた乗客たちはまるで霧になったかのように薄れていく。

恐怖に叫ぶ乗客たち。しかし生き残る術はすでに残されていない。

上空数千メートルから生身で投げ出されて助かる可能性など一縷も無い。

そして白は、兄のシートにまで侵食し、そして彼の手足が白い霧に―



世界が


「どうしたの?」


口を開いて痙攣しだす春名。何事かと店主は近づくが―


「あがががっががっがががががががっががっがががががっがががっががががっががっ!!?」


春名は壊れた機械のように呻き声を上げ、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。


「はっ、春名さんっ!? ちょっと、誰かっ、誰かっ~~~!!!」






彼女の物語が始まる。









[27798] Phase10-a『エルフさんと面会謝絶』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/07/26 16:29



「「じゃんけんぽん」」


出した手は握りこぶし、グー。対する透き通る白い髪の少女の手は開かれた、パー。


「パイナップル」


6文字。文字の数と同じ数の階段を少女が昇り、ルシアの横を追い抜いていく。時間帯がラッシュ時からずれたためか駅の構内の人気はまばら。

それでも太陽にも似た金色の髪の少女と雲にも似た白い髪の少女は目立つらしく、構内の人々の注目を浴びる。

大抵が微笑ましそうな視線。一部ヨコシマな視線も混ざる。うん、日本の黄昏は近い。

陽は高くなり気温も上がる。少し汗ばむぐらい。ホームを吹き抜ける風が無ければ少し辛い。


「来ないねー」

「遅いな」


2段ほど階段の上に昇ったセティに応える。かれこれ30分は待っていた。


「約束の時間、間違えてんのかな」


思い返す。伝えた時間は間違ってないはず。携帯電話を取り出す。


「えと、ダメだ、繋がんねぇ」


春名を待っていた。

今日は春名と、セティと3人で遊びに行く約束なのだ。そして、ルシアはこれを機に今度こそ自分が何者かを春名に伝えるつもりだった。

だが来ない。ルシアは首を捻り呻る。春名はおっちょこちょいな所はあっても、約束を勝手にすっぽかすようなことは無い。

何かあったのだろうか?


「どうしようかママ?」

「そだな、もう少し待って……ん?」


するとポーチに仕舞った携帯電話が震えだす。着信。ルシアは取り出す。

後藤佳代子。


「もしもし、ルシアです。どうかした?」

『あっ、ルシアちゃんっ!? 大変なのっ、春名さんが―』

「え…?」


電話越しの焦ったような、焦燥感。途中から思考が停止し言葉が耳から入ってこない。そのままルシアは携帯電話を持った手をだらんと力なく下ろす。


「ま、ママっ、どうしたのママっ!?」

『ルシアちゃんっ!? 聞こえてるっ? ルシアちゃんっ!?』





Phase10-a『エルフさんと面会謝絶』





駆けつけたのは街でも一番大きな病院。

少し高い丘にそびえ立つ白亜の城は、著名な建築家がデザインしたらしく、エントランスは開放的でガラスが多用された吹き抜け構造。

こうして税金は消えていく。

そんなお洒落な院内は平日だというのに結構賑わっているらしい。商いが盛況で何より。病的に白いリノリウム。白い壁。椅子を占拠する老人たち、せかせかと動く看護士。

ルシアはそれらを横目にナースステーションで春名の病室を聞きだそうとするが、


「面会…謝絶……」

「ママ、しっかりして」


顔を真っ青して、俯き床をじっと見つめるルシアをセティの小さな腕が支える。

面会謝絶。

本人の意向によりという場合も考えうるが、基本的には医者が外部からの隔離と集中管理する必要があると判断した場合になされるはず。


「…一体、何があったっていうんだ?」

「とりあえず、お姉ちゃんの部屋、探しに行こうよ」

「……」

「ママっ」

「あ、ああ。そうだな」


思考の迷路に迷い込んだルシアを、セティの一喝が現実に引き戻す。ルシアは深呼吸する。


「(落ち着け…、まずは状況を把握しねぇと)」


ルシアは幾分か気を落ち着かせると、とりあえず春名の部屋を探し出す算段を考え出す。と、


「セティ、とりあえず…、なっ!?」

「え、ママ? どうした―」


ルシアが何かに気付いたのか急にセティの腕を引っ張り柱の影に身を隠す。


「ま、ママ?」

「シっ」


ルシアは唇に指を当て、セティを黙らせると、柱の影から向こう側を伺いだす。

すごく不審人物。

周囲の患者さんたちが見てみぬフリをする。

ルシアの視線は一点。男女4人組にまっすぐに向けられる。


「…まあ、当然だよな」

「誰?」


初老の男女と、背が高くがっしりとした体型の長身の40代ぐらいの男、そして白衣を着た医者の男。初老の男女はそわそわとして落ち着きが無い様子であり、長身の男が二人を気遣うそぶりを見せている。

白髪交じりの、深い皺が目立つ男女は老夫婦と見て取れる。年齢は70~80代と言われても不思議ではない。その顔をルシアは良く知っていた。


「老けたな…親父たち」

「お父さん?」


ルシアがふと漏らした言葉。


「ああ、あの老けこんだ二人が…アタシの前の、というか春名の両親だな」

「じゃあ、セティのおじいちゃんとおばあちゃんになるのかな?」

「…どうだろうな」


前は…、『彼』が死ぬ前までは、彼らはあんなに疲れたような、あんな老け方はしていなかったはずだ。ルシアは記憶を辿る。

確かに白髪が混じっていたが、おそらく父はまだ定年すら迎えていないはず。母親だってまだ50には届いていないはずだ。

しかし、目の前にはまるで精気を奪われたかのような二人。

もしかして―

かつての『彼』が死んだせいだろうか?

胸が締め付けるような痛みをあげる。ルシアはあんな姿になった両親は見たくはなかった。


「ママ、あの背の高いヒトは?」

「見たことは無ぇな」


親戚でもない。特に興味は湧かなかった。それよりも、


「ついていけば……」

「あっ、お姉ちゃんの病室に行けるね」


家族以外は面会が制限されているのだろう。と、言うわけで尾行。『家族』ですので。両親と背に高い男がエレベーターに。


「すみませんっ、乗りますっ」


わざとらしく駆け込み、エレベーターに相乗りする。


「ありがとうございます」「ありがとー」

「構わないよ。何階ですかお嬢さん方?」

「あ、同じ3階です」「です」


背の高いスーツの男が受け答えする。横にいる母親は俯き、父親はそんな母の肩に手を回して支えている。

そんな二人をじっと見るルシアの視線に気がついたのか、父親のほうが軽くルシア達に会釈した。おもわずルシアもそれに応じて頭を下げる。


「お見舞いかな?」

「えっ、はい、友達が入院してて」

「なるほど、友達思いだな」

「いえ」


男が少し似合わない笑顔で話しかけてくる。親父の知り合いだろうか?

そして3階。

勧められてルシア達は先にエレベーターから降りる。

正面の壁に貼り付けられている部屋の番号が書かれた矢印のプレートを眺め、時間稼ぎ。


「こっち?」

「あっち?」


セティと部屋がある場所をさがしているフリをしていると、両親が右の方に今にも崩れ落ちそうな足取りで歩いていく。

ルシア達はいったん両親が向かう方向とは逆の方向に進み、そして尾行。清潔な白い廊下の右手からは夏の日差し。

三人を追って行き当たったのは個室。両親と男が部屋に入るのを確認し、ルシアは部屋の前に忍び寄る。

まるでスパイでもしているよう。

部屋の中に聞き耳を立てる。聞こえてきたのは母親のすすり泣く声。


「どうして…この子までっ」

「気をしっかりお持ちください奥さん。我々が必ず春名さんを救って見せます」

「番場さん、本当にご迷惑をおかけます」

「いえいえ、お互い様ですよ。本当に。春名さんのことは我々にお任せください。しかしこの病院では」


どうやら背の高い男は番場という名前らしい。面会謝絶にも関わらず同席していたり、春名のことを任せろと言っている辺りから医療関係者だろうかと推測される。


「(何が原因でこうなった…?)」


昨日まで春名は健康そのものだった。一昨日に事件に巻き込まれはしたが、怪我はなかったはず。急に昏睡状態に陥るなど考えられない。

で、あるならばと、ルシアの脳裏に掠めたのは―


「(まさか、あの人形か…? いや、でも)」

「(人形って、雑貨屋さんでママが見つけた?)」

「(ああ。でも、あれは第十類型で、精神とかに直接作用するタイプじゃないし、規模もそんなに大きくはなかったから…)」


とはいえこの所、異様な頻度で妖精文書が関わる事件に遭遇しているのは事実だ。もしこの予想が当たっていたら、おそらく現代医学では春名を治療することは出来ないだろう。

と、


「(あ…ママ、見つかったっ)」

「へ?」


その瞬間、ガラリと病室の引き戸が開け放たれる。目の前には仁王立ちの、番場と呼ばれていた背の高いスーツの男。


「盗み聞きは感心しないな。何か用かな、お嬢さん方?」

「えっと、その、えと、面会謝絶って聞いてて…ゴメンなさい」


緊急事態。とにかく、面会謝絶のなった友達を案じる女の子を演じてみる。シュンと、反省するように、目を伏せながら。


「…春名さんのお友達かい?」

「あの、春名は大丈夫なんでしょうかっ?」

「ああ、大丈夫だよ。今は眠っているけど、すぐに元気になる」


そう、微笑みながら応じる男。


「あの、会わせてもらってもいいですか?」

「ん~、一応面会謝絶だしね」


男はそう言って両親の様子を伺おうと、部屋の中に首を向け―


「春名お姉ちゃんっ!!」

「なっ、待ちなさい君っ!?」


その時、セティが一瞬の隙をついて部屋の中に飛び込む。


「春名お姉ちゃん、起きて、今日もセティと一緒に遊んでくれるって約束してたでしょ?」

「こら、君っ、春名さんは病人なんだよっ」


眠る春名に駆け寄り、すがりつくセティ。それを医者は引き剥がそうと後ろから近づくが、


「いいんですよ、お医者様」


驚いたことに男を制したのは、母親だった。

先ほどまで泣き崩れていた母親。しかし今は目元に僅かながら笑みを浮かべ、春名のベッドにすがりつくセティを見つめる。


「春名には…こんな可愛らしいお友達がいたのね」


そのまま母はアタシを病室に招き入れる。

父は黙って母の好きなようにさせている様子で、少し表情が柔らかくなったような気もする。

セティが隠れてニヤリと笑う。末恐ろしい娘。


「始めまして、ルシアです。こっちが妹のセティ、ほらセティ、挨拶」

「はじめましてー」

「ええ、始めまして。とても礼儀正しいのね」

「いえ」

「私は春名の母の椿です。こっちが夫の…」

「前川慎太郎です」


父がぼそりと答える。相変わらず。

そんな相変わらずな父親がおかしかったのか、母は笑みを浮かべるが、少し弱弱しい母親。春名も心配だが…。


「ごめんなさいね、春名が…こんなことになっちゃって」

「そんな…。アタシこそ、あの時、もっと気を使ってたらこんな事にはならなかったかもしれません」

「あの時?」

「あの日、春名が倒れた日なんですけど、一緒に遊びに行ってまして」

「そう。ありがとうね。でも、貴女のせいではないわ」

「……」


その言葉にルシアは軽く会釈で返す。

そしてそっと春名が眠るベッドに手をのせ、じっと彼女の顔を見つめ、そして脚にまで視線を動かしていく。


「(…身体はどこも異常無しってか?)」

「(みたいだね)」


ベッドの横に置かれたモニタ。脈拍・心電図にも異常無し。魔術的な異常も見当たらない。ルシアは春名の頭を撫でる。


「(脳波は、覚醒状態。呪術が使えたら中に入れるんだけど)」


表面上判るのはここまでだろう。ルシアは一度だけ目を閉じた後、かつての母親に向き直る。


「いったい、どうしてこんなことに? アタシ、春名が倒れたってだけしか聞いてなくて」

「私にも判らないの。ねぇ、先生」

「はい、手を尽くして調べてはいますが」


とのこと。ルシアは少し考えた後、質問を変える。


「春名はどこで倒れたんですか?」

「街の雑貨屋、ファンシーショップだと聞いています」

「…あの店か」

「知っているの?」

「え、まあ。一度、春名と一緒に行ったことがあります」


いやな予感は的中するもの。妖精文書、あの人形が原因であるという線が濃くなる。後はあの店に直接行く必要があるかもしれない。


「(…アタシがもっと早くに対処しておけば)」


ルシアは悔やむ。店主に遠慮して、理由をつけて人形への対処を後回しにしていた結果がこれだった。もっと早く、夜中に忍び込むか何かして早急に対処すべきだったのだ。


「ルシアちゃん、で良いかしら?」

「え、はい」


と、ルシアの思索を割ってはいるように母が声をかけてきた。


「春名のこと…聞かせてもらえるかしら?」

「春名のこと?」

「こんなこと話すのは恥ずかしいのだけれど、最近はめったに家に帰ってきてくれなくなっちゃって…」

「椿」


伏し目がちに話そうとした母を、父が割ってはいる。身内のことを赤の他人に聞かれるのが嫌なのだろう。


「…そうね、ごめんなさい、お父さん。ルシアちゃんも、こんな愚痴っぽい話聞かされても迷惑よね」

「いえ、その、アタシと春名と友達になったのはごく最近なんですよ」


なんとか取り繕うように、春名との出会いや、交流についてかいつまんで聞かせる。終始、母親は笑みを浮かべ、アタシの話に相槌を打って、どこか寂しそうに耳を傾ける。

そして―


「…それじゃあ、アタシ達はそろそろ」

「今日は春名のために本当にありがとう」

「あの、また来てもいいですか?」

「ええ、春名も喜ぶと思うわ。病院の方には私から言っておくから」

「ありがとうございます。じゃな、春名。また来るから」

「バイバイ、お姉ちゃん」


そうして席を立つ。

命には別状なさそうだ。今の医療技術なら、おそらく何年だって維持できるだろう。

だから、ルシアは部屋を後にする。

妖精文書が生み出した症状は妖精文書でしか治療できない。ならば行き先は決まっている。ルシアは番場という男に迷惑をかけたことの謝罪をした後、部屋を退出した。


「お人形さんのトコロに行くの?」

「まあな。原因が文書にあるなら、あの人形があれば春名は助かる」


セティを連れて病院のロビーに降りる。すると、


「あっ、ルシアちゃんっ、セティちゃんっ」

「佳代子さん?」

「なんでここにいるの?」


エントランスには佳代子さんの姿。アタシ達を見つけると、早足で駆け寄ってきた。


「春名ちゃんはっ?」

「ん、ああ、命とかは問題ねぇな。でも…」


どうやら春名のことが心配で、来てしまったようだ。


「面会謝絶だって言われて。やっぱり、あの人形が関わってるのかしら?」

「さぁな。今からそれを…、佳代子さんは車で?」

「ええ」

「なら、ちょっと件の場所まで乗せてって欲しいんだけど、頼めるかな?」

「あのお店ね。判ったわ、玄関のところで待ってて」


二つ返事で佳代子さんが駐車場へ早足で行ってしまう。

なんか鼻で使ってしまうようで心苦しいが、


「じゃあ、行こうかセティ」

「うん。そのお人形、ママに似てるんだよね。ちょっと楽しみ」

「そんなに似てねぇと思うぜ?」


佳代子さんの車で一路、件のファンシーショップへ向かった。しかし、店の扉には臨時休業との文字が書かれた張り紙。


「事件があったばかりだからかしら?」

「中にヒト、いるかな?」


呼び鈴を鳴らす。するとしばらくして、店主のおばあさんが応対してくれた。


「あら、貴女たちはあの時の」

「すみません、いきなり」

「いえ、でも、ごめんなさいね。春名さんの事、私、なんて言ったらいいのか…」


おばあさんはこちらが申し訳なくなるぐらいに、ひどく落ち込んだ表情で応える。


「あの、少しだけ話を聞かせてもらっていいか?」

「ええ、どうぞ中に入って」


案内されるままにルシア達は店の中へと足を踏み入れる。店内は照明が落ちていて、以前きたときとは雰囲気がまるで異なり、可愛らしい小物たちもどこか不気味ささえ感じさせる。


「春名はもしかして、人形を見てるときに?」

「え、ええ。どうしてそれを?」

「そっか」

「ママ、当たりだね」


セティの言葉にルシアは頷く。で、あるならば話は難しくない。人形の中にある文書を回収できれば、春名の治療は不可能ではない。

ということで、


「あの、その人形みせてくれませんか?」


ルシアは件の人形を見せてくれるように店主のおばあさんに頼み込む。しかし、返ってきた返答はルシアの予想の斜め上をいった。


「へ? 人形、持っていかれたっ!?」

「ええ、なんでも警察の方らしくて。昨日、捜査のためだと仰って」








[27798] Phase10-b『エルフさんと異世界からの侵略者』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/07/28 20:15





「春名ちゃんの容態はどうだった?」

「あー、まあ、最悪ってわけじゃねえぜ。しかしなぁ…」


夜。後藤宅。午後11時。

いつもより遅く帰宅した後藤。携帯で大まかなところは聞かされているものの、流石に春名のことが気になっていたらしい。リビングのテーブルを囲みつつ、ルシアに質問を投げかける。


「どうした?」

「原因は一応アテがついたんだ。けどさ―」


後藤に事情を説明する。春名が妖精文書を内包した人形のせいで昏睡状態に陥ったと思われること。人形を病院の人間が持っていったこと。


「あの人形だけじゃいろいろ説明つかないこともあるんだけど、そこはおいて置いて、実は人形の行方が判らねぇんだ」

「警察が持っていったんじゃないのか?」

「それがどうも違うみたいなのよ」


首を傾げる後藤に、佳代子さんが応える。


「何が違うんだ?」

「それは…」


そう。確かにファンシーショップのお婆さんが言うには、今朝、複数のスーツの男たちが検査のためと称して人形を持ち去ったらしく、その際に確かに警察手帳と思われるものを見せられたのだという。

しかし―


「警察の方に問い合わせてみたのだけれど、人形なんか知らないって。というか、春名の件で警察自体が動いてない」

「はっ? つまりなんだ、盗まれたってことか?」

「多分な。おかしな所が多いんだけど」


警察手帳まで用意して、事件の聞き取りなんて面倒なことを行ったあげく、件の人形だけを盗む手口。計画的な犯行と思われるが、それにしては顔を見せるなどリスクが大きすぎる。

それなら、深夜にピッキングして忍び込み、こっそりと盗んだほうがはるかに効率が良いだろうし、足もつかないはずだ。

そもそも金銭目的で、人が昏睡状態に陥るようないわくありげな人形だけをピンポイントで盗むような泥棒がいるだろうか?


「たかだか人形一つ盗むのに手が込んでるってことか」

「でも、何のために持っていったんだろーね?」

「さあな。警察に任せるしかないだろう」

「というか、なんで人形に拘ってるんだ? 他に方法とかはないのか?」


ふと、後藤はルシアに疑問を呈する。確かに他に手段があればそれに越したことは無いが。


「妖精文書の症状、特に感覚とか精神に関わるヤツが原因の症状だと、魔術とか医学じゃどおにも出来ねぇんだよ」

「原因の文書が無いとヤバイかもってとこか…。てか、何か向こうの世界から持って来れないのか?」

「最悪それも考慮に入れる必要はあるな。ただ、向こうで発見されてる妖精文書ってのはかなり厳重に保管されててさ、私用とかで勝手に持ち出せねぇんだ。連中頭固いし、貸してくれるかな?」

「今までの事件で見つけたのを、いくつか持ってなかったか?」

「妖精文書にも相性があるんだ。今アタシが持ってる文書じゃ無理だな。第二類型、第八類型、第十二類型あたりがほしい」


今ルシアが手元にもっているのは、存在の性質を改変する第四類型『青』、限界をとりはらう第六類型『翠緑』、幻想にカタチを与える第七類型『黄緑』。これらは治療には向かないものばかりだ。

そして、今は無いものねだりは意味を持たない。異世界、向こうの世界との連絡路が開通すればまた話は別なのではあるが、


「つうか、まだ向こうとの連絡路が繋がってねぇからどうしようもねぇんだけ……ど?」


と、その時、突如として後藤邸リビングの中空にて突如歪みのようなものが発生しだす。まるで空間がたわむかのような。

虹のような光彩を放つ渦のようなそれはどんどんと肥大化する。後藤は驚きおののいてバランスを崩し、椅子からずり落ちそうになる。


「な、なんじゃこら!?」

「るるるるルシアちゃんっ、何が起こってるのっ?」

「…うわ、まさか連中、Z軸の座標間違えやがったか?」


歪みはうにょうにょとテーブルの上で大きくなっていく。そして一瞬だけ眩く光を発すると、その中心に孔が開く。繋がったのだ。世界と世界を結ぶ門が。

孔は二次元の円盤状であり、覗き込めば『向こう側』が見えるはずだ。孔は大きくなっていく。そして、それはブゥンという低い振動音を出しながら、およそ直径にして1.5mほどの大きさに広がって安定する。


「セティ、第二段階から第三段階ってこんなに短かったっけ?」

「んと、私、そういう難しいことわかんない」

「そっかー」


後藤一家の面々が目を丸くして事態を静観する横で、ルシアが和やかにセティと会話する。そうしている内に、孔からにゅっと顔が生えた。


「うむ、異世界とは狭きものじゃな」(※注:日本語でしゃべってません)


声の主は鈍い鉛色の髪の美しい妙齢の女。細い両腕をテーブルの上につき、豊かな胸を揺らせて孔から身体を這い出させる。

大胆に胸元がカットされた黒のドレスのせいで胸の谷間が強調されており、テーブルの前にいる変態という名の後藤はゴクリと生唾を飲み込んだ。


「師匠、何やってるんスか?」(※注:実は日本語でしゃべってません)

「ルシアか、ひさしぶりじゃの」

「ロベリアだー」

「セティ、無事にルシアに会えた様でなによりじゃの」


あまり感動的ではない再会を果たす師弟。

一方、絶景(たわわに揺れる乳)から目を離すことが出来ない後藤は、とりあえずこほんと咳払いをし、横目でたわわな実りをチラチラしつつ、


「コホン。ルシアよ、この麗しい谷間の女性を紹介してくれないか?」

「ん、ああ、このヒトはアタシの魔術の師匠のロベリア=イネイ」

「ほう、この神々しい谷間の女性がお前の師匠だというのか。すばらしい」


何がすばらしいのかはさておき、感心する後藤。と、ロベリアも後藤に興味を持ったらしく、身を乗り出してルシアに尋ねる。


「ところでルシア、この方々は誰じゃ?」(※注:もしかしなくても日本語でしゃべってません)

「ああ、コッチで世話になってる後藤隆と、その奥さんの佳代子さんです。ええっと、いわゆる、前世での知り合いって奴でして」

「なるほど、例の話のか。面白い男のようじゃの。ロベリアじゃ、よろしく」


少し楽しげな表情で後藤を見るロベリア。それに応じ、後藤は多分女の子が色めき立つかもしれない爽やかな笑みを浮かべ握手を求める。ロベリアもとりあえず握手に応じる。


「お会いできて光栄です。挟まれてみたい谷間の君」


ただし発言は残念きわまりなかった。救いは言葉が通じていないことだけだった。ルシアもあえて通訳するような愚行は起こさない。


「すみません師匠。コイツ、師匠の乳ばかり凝視してますが悪い奴じゃないんです。ただ変態で、どうしようもないクズで、信じがたいほどの馬鹿なだけなんです」

「散々な言い様じゃの」


そうして魔女が虚空の孔からゆっくりと這い出してくる。そうして露になる肢体はしなやかで豊満。女性としての形態における美の理想を体現したようなシルエット。

肌は千年を超える時を経た魔女とは思えないほどのしなやかで透き通る。しかし特徴的なのはその右目を隠す眼帯であり、それだけが美しい彼女において一際異彩を放つ。

だが、この場にいる一人の男にとってそんな設定はどうでもよかった。彼にとって重要なのは、今彼の目の前でテーブルの上、胸を強調するような前のめりのポーズでいる魔女様だった。


「ふひょぉっ! キタッ! 妖艶魔女の雌豹のポーズっ! そしてスリットからチラ見えするナ・マ・ア・シっ! おいしいです。本当にありがとうございま…ぶぐぉっ!?」


そして、容赦なく男の顔面にめり込む佳代子さんの裏拳。奥様の顔は変わらず笑顔、手馴れている。表情一つ変えず振りぬいた裏拳には経年の積み重ねられたクンフーを確かに感じさせる。


「な、仲睦まじい夫婦じゃの」

「オホホホ、すいませんロベリアさん。このヒト、貴女の胸ばかり凝視してますが決して悪いヒトじゃないんです。ただ変態で、どうしようもないクズで、信じがたいほどの馬鹿で、救いようもないクソムシなだけなんです」


裏拳を夫にめりこませながら笑顔で謝罪する佳代子さん。ルシアは佳代子さんのセリフを一句も間違えずロベリアに通訳。そして佳代子さんは笑顔でそのままロベリアにテーブルの席を勧める。

しかし、孔から出てくるモノはロベリア一人だけではなかった。また一人、孔から這い出ようとしている。女性のようだ。彼女が孔から出ると、それに続き男が這い出てくる。


「なんだこの超展開」

「でも、なんだか楽しいわ」


事態の急変にルシアがぼやく中、リビングの人口密度は上昇する。出てくる面々は人種的に同一らしく、銀色の髪に、首筋から頬にかけて電子回路にも似た特徴的な刺青をした制服の者達。全員、医療用マスクと手袋を着用し、判らない機械で後藤邸を検査しはじめる。

彼らは機族という種族である。異世界において科学・魔術共に卓越した技術を誇る種族だ。今回のルシアの世界間転移実験におけるスポンサー兼協力者的な立場にある連中である。

そうして、リビングは瞬く間にヒトで溢れ、日本の一般家庭のお茶の間に異様な空間が完成した。


「…ところで師匠、なんでヒトん家のリビングに連絡路が繋がったんですか?」

「うむ、儂もよく判らんの。クレアベル、説明を」


ロベリアがそう言うと、孔から出てきた機族たちの一人である女性、銀色の長い髪の凛とした雰囲気を持つ美人のお姉さんであるクレアベルがロベリアの傍らに立った。


「推測ですが現地の重力測定値に若干の誤りがあったせいではないかと。膜世界間を繋ぐパスは重力に大きく影響を受けますので」(※注:もしかしなくても日本語でしゃべってません)


そう言いつつ、彼女は長々と専門用語を交えた説明をソツ無く始める。ルシアは途中から理解が追いつかなくなったので聞き流す。セティは始めから興味なし。佳代子さんはというと、


「お茶っ葉足りるかしら」


突然のお客さんを前にてんてこ舞い。ワリとこのヒトは天然さんじゃないのだろうかと、ルシアは今更ながらに思う。


「無人偵察機の報告どおり放射能レベルに問題ありません」「自然霊子検出無しです」「同じく、低級精霊検出されません」「窒素78.09パーセント、酸素20.95パーセント、アルゴン…」(※注:日本語でしゃ(ry )


と、よく判らない機械を持った機族たちがクレアベルに報告を始める。クレアベルは光の文字が表示される半透明の薄いボードとにらめっこ。どうやら、後藤家は放射能汚染されていないようだ。安心だね。


「ルシア、このなんだかハイテクな人達は何者だ?」


と、後藤がようやく復活を果たして、リビングの異様な有様に顔を引きつらせている。当然だ。入ってきた彼らは皆、土足なのだから。フーローリングが痛む。


「ああ、こいつらは何ていうか、お前から見れば異世界人って奴で、この世界を調査に来た調査隊の第一陣ってやつだ」

「ウチは未開の惑星か何かか?」

「異世界視点で見れば似たようなもんだろ。とりあえず、お前らが地球人のサンプルとして拉致されないようには交渉しとく」

「拉致するのか?」

「するんじゃね? 浮浪者とか家出少女とか適当にとっつかまえたり」

「キャトルミューティレーションとかするのか?」

「するんじゃね? 和牛とか霜降りとか」

「インプラントとかするのか?」

「するんじゃね? 首筋にとか歯茎とかに」

「ミステリーサークルとか作るのか?」

「セティ、やってないよな」

「何個か作ったよ。やっちゃだめだった?」

「異世界人テラ怖ぇえ。日本、侵略されてるぞ」


怯える後藤。ちなみに、セティは悪戯で草原に巨大なアートを描くことがある。向こうの世界でミステリーサークルの主犯といえば上級精霊がまっさきに候補に挙がる。草がいっぱい生えているとウズウズするらしい。

ルシアは苦笑いしながらお茶をすする。横ではクレアベルは差し出されたお茶を飲んでよいものかどうか悩んでいるようで、スポイトで採取したりしている。魔女様は一切気にせず飲み干している。


「なんだか、ファーストコンタクトみたいでワクワクするわ。ねぇ隆さん」

「佳代子さん、わりと適応力高いのな。あ、髪の毛採取させて欲しいって」

「いいわよ」


一方、佳代子さんはまったく動じず笑顔を維持したまま。ここまでくると、天然さんとか言う以前に、偉大さすら感じさせる。


「というか、このまま我が家は地球侵略の拠点にされるのか」

「いや、近いうち適当な場所に移すだろ。山の中とか海の中とか」


こんなリビングのような空間では大型の機器は持ち込めないので不便という意味でも、おそらく適した場所に移ることになるだろう。


「ところで、師匠は何しにこちらに?」


と、ルシアはロベリアに対して聞く。クレアベルたちは仕事だから良いとして、魔女様がわざわざこちらに足を運んだ意味がわからない。


「うむ、なんとなく一番乗りしたかったからじゃ」


胸を張って応える。胸が揺れる。ルシアは「(馬鹿じゃないのこの人)」とか密かに思う。


「それで、お主はこれからどうするのじゃ?」

「一度、向こうに戻ろうと思ってます。それで頼みたいことがあるんですけど」(※注:日本語でしゃ(ry )


と、ルシアはロベリアにこちらでの出来事、妖精文書の存在、妹である春名が倒れたこと、それに妖精文書が関わっていること等を説明し―


「で、機族の連中に口利きして欲しいんです。第二類型、第八類型、第十二類型あたりのどれかを貸し出ししてもらえたら助かるんですが」

「ふむ」


ロベリアは一考する。


「難しいの。貸し出しまでならなんとかなりそうじゃが、それをこちらの世界に持ち込むことに連中が簡単に首を縦に振るとは思えん。目的も私用じゃしな」

「…なんとかなりませんかね?」

「難しいのう。審査だけで数ヶ月はかかりそうじゃ。連中、頭ばかり固くてな」

「数ヶ月っスか。役所仕事万歳だぜ」


向こうの時間で数ヶ月としても、こちらで一ヶ月はかかることになる。長すぎるとルシアはむぅと唸る。そんなルシアを見て、ロベリアはふむと頷いて、ルシアにぼそぼそと耳打ちする。


「確か儂の知己の者が第八類型の文具を持っていたはずじゃ。儂の言付けがあれば借りることができるじゃろう。それを使ってはどうか?」

「持ち込みできるんですか?」

「そこはこっそりとじゃな」


にやりと笑いあう。テーブルの向こうでクレアベルが首をかしげているが気にしない方向で。ルシアはぐっと拳を握り気合を入れる。

春名は昏睡状態にあるだけであり、静脈からの点滴がされている以上、病状が悪化することはないだろう。それに文具を取って戻るだけならさほど時間はかからないし、異世界とこちらでは時間の流れが違う。現実にはこちらの世界の時間で一週間もかからないはずだ。


「よしっ、当面の目標は決まったな」

「行くのか?」

「ああ」


ルシアは一言、後藤に応える。ルシアの瞳には決意と希望が見て取れた。


「よし、それじゃあ…超絶天才エルフ、ルシア様出撃だぜ!!」

「おーーっ!」


拳を掲げる。隣の白いお子様も元気よく両手を上げる。


「…セティ、別にアタシ一人でも。行って帰ってくるだけだから」

「ダメっ、今度はちゃんとついていくんだからっ!」

「いや、でもな…」


渋るルシア。お母さんなルシアさんはセティが危険な目に遭うかもしれないと思うと気が気でない。しかしセティは負けずくらいつく。


「前に一人で大丈夫だからついてくるなって言って、結局大怪我して帰ってきたよね」

「う…」

「あの時もセティが駆けつけなかったらどうなってたかなぁ」

「いや、それはそれ、これはこれ…」

「それで…そのままウィスタのお世話に」

「ひきっ」


ルシアさんの脳裏に悪夢が蘇る。そう、治療と称して…、称して、称して――


「いやぁ、もうやら、しょくしゅもうやらのぉっ…」


トラウマが発動したらしい。頭を両手で抱えてブンブンと悪夢を振り払うように首を左右に振るヘタレエルフ。

そんなダメエルフの両肩をむんずとセティさんが掴み、


「ねぇ、ママ。聞いて。大丈夫、セティとママが一緒なら無敵なんだから」

「む、むてき?」

「もちろんっ! もうエイサック君ともベルベリオン君ともお別れ間違いなしだよっ」

「そ、それは…でも……」


心が揺れるルシア。思索の海に沈むルシアさんに、セティさんが影で「あともう一息で堕ちるっ」とかいうガッツポーズは見えない。


「今度はセティがママを守るんだからっ」

「いや、でもな」

「だから…、ママもセティのこと守ってねっ♪」


― ズッキューンッ☆ ―


「グハァっ」


潤んだ瞳、上目遣い。セティさんの純真な眼差しがルシアさんの柔いハートをスナイピングっ。瞳がハートマークになるルシア。


「侮れないわね、セティちゃん」

「つーか、どんだけヘタレなんだあいつ」


一部始終を生暖かく見守る仲良し夫婦。


「しょしょしょしょうがねーな、ちゃんとママの言うこと聞くんだぜ」

「ありがとーっ、ママ大好きっ!!」


喜びを身体一杯に表現し、セティはルシアの胸に飛び込んだ。「しょうがないなー」とか顔を緩ませて娘の頭を撫でる親バカエルフ。

その腕の中でちょろいぜと笑う幼女一人。


「(こういう親にだけはならないように気をつけないと…)」


そして固く胸に誓う佳代子。


「(腹黒ロリ幼女萌え~~っ)」


そして熱く魂で萌える後藤。


「つうわけで、アタシらは行くぜ」


ルシアは元気よく椅子から立ち上がり、テーブルの上にポンっと飛び乗る。


「それじゃあ、ルシアちゃん、気をつけてね」

「達者でなー」


テーブルの上に開いた孔に向かうルシア達を、後藤と佳代子さんが見送る。


「佳代子さんも身体に気をつけて。後藤、お前は少し自重することを覚えるように」

「二人ともまたねー」


ルシアとセティは孔をくぐる。そして舞台は異世界へ―


「あ、靴忘れた」









[27798] Phase011『エルフさんと異世界への帰還』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/08/03 21:53



「なんつーか、宇宙船かよ」


世界を繋ぐ路はワームホール。ルシアとセティは一瞬で歪曲された世界の境界を跨ぐ。そうして通り抜けた先にあったのは、真っ白な壁に囲まれた大きな部屋だった。

部屋はちょっとした倉庫と同じくらいの大きさで、壁面は宇宙ステーションのように白いクッションのような材質が敷き詰められている。正面には大きな扉と、その上の二階部分にこちらを見下ろす窓があり、数人の白衣の機族たちがこちらを見下ろしている。

先ほど通った世界を繋ぐ孔は円形の巨大な金属の輪によって固定?されており、その周囲は巨大なよく判らない装置に囲まれている。その様子はどこか未来じみていて、昔見たハリウッドのSF映画を思い起こさせた。

二人が物珍しそうにキョロキョロと辺りを見回していると、スピーカーを通してアナウンスが。正面の扉が開き、その先に行くようにという指示。扉の先は小さな小部屋、というより二つの扉で仕切られた通路のよう。

二人はとりあえずアナウンスに従い、扉の向こうに誘導される。中に入ると同時に扉が自動的に閉まり、突然轟音を伴って室内の空気が入れ替えられる。そして同時に天井や周囲の壁から二人に向かって大量の霧が吹き付けられる。霧はわずかに薬臭く、セティはそれに顔をしかめる。


「ママ、これ何?」

「消毒とか、世界間の時間の流れの違いを調整するための部屋…だったか。エアロックのちょと大げさなバージョンみたいなものか?」


世界間を繋ぐ門を剥き出しにしておくのは危険だという判断だろう。気圧の違いや、微生物などの生態系の違いだけでなく、時間の流れの違いまであるのだから。大気や時間を調節する部屋を間に置くことで、行き来する人間を守ると共に、異世界からの影響を最小限に抑えることが出来る。

とはいえ、なんというか趣が無い。異世界の門というのだから、トンネルを抜けた先には全く異なる世界風景が広がっているとか、そういう演出はできないものか。


換気が終わると正面の扉が開く。その先には白い防護服を身に纏った機人たちが二人を待ち受けていた。


「まだ何かあるのか?」

「おかえりなさいませルシア様、セティ様。何分、異世界とのコンタクトは初めてでございまして、申し訳ありませんがマニュアルに従っていただきます」

「めんどくせぇな」


これだから役所仕事は面倒なのだと、ルシアはひとりごちる。

どうやら次は検閲らしい。異世界から持ち込んだ物品が危険ではないか隅々まで調べるようだ。ルシアはポーチの中身を差し出されたトレイの上に広げる。


「これはなんですか?」

「コアラのマー…、異世界の菓子だ。異世界の食料についての研究試料だ」

「これはなんですか?」

「醤油…、異世界の調味料だ。これも異世界の食料についての研究試料だ」

「これはなんですか?」

「携帯電話。携帯用通信端末だ。異世界の技術を研究するためのサンプルだ」

「これはなんですか?」

「PSP…、異世界の携帯娯楽用機械だ。これも異世界の技術を研究するためのサンプルだ」

「これはなんですか?」

「鋼の錬金術…、異世界の漫画、書物だ。異世界の文化を研究するための参考文献だ」

「これはなんですか?」

「水銀燈のフィギュ…、異世界の手工芸品、芸術作品だ。異世界の文化を研究するための参考資料だ」


ルシアはこれらの品々がとっても重要な研究資料であると主張する。

若干、検閲官のヒトの目が「アンタ何しに異世界に行ってたんだ」的なしょっぱい眼になっているよな気がするがルシアは気にしない。これはルシアの研究に必要な重要なサンプルたちなのだ。

そうしてルシアの持ち物検査は続いていく。ルシアのポーチは月属性の重力制御を応用した……つまり四次元ポケット的な魔法がかかった特別性で、見た目よりも多くのモノが入っているのだ。


「ねぇママ、いつの間にこんなにマンガとかゲーム買いこんだの?」

「やっぱり、異世界に行った以上は技術水準や文化水準を示す資料のサンプリングは大切だからな。決して、続きが気になっていたマンガとかを大人買いしたわけじゃないんだからな。ムフー♪」

「……」


そうして120冊ほどのマンガ、携帯ゲーム機、50タイトル超のゲームソフト、美少女フィギュアなどの山がベルトコンベアに乗せられてX線と霊子線、放射線検査にかけられていく。

エルフさんはゴトーに負けないくらいのOTAKUであった。愛娘はルシアに冷たい視線を投げかける。

そうして検閲やら血液検査などのマニュアル通りの工程が終わり、ルシア達は施設の外へとようやく出ることができた。


「んっ…、ようやく終わったな」


研究棟を出て、ルシア達は思いっきり背伸びをする。外の景色は青空の下に真っ白な摩天楼が立ち並び、舗装された道の上を自動車が行きかっている。異国情緒はあるものの、景色自体はあまり地球と変わらないように思える。

後背には天を覆うような、卵の殻という表現がぴったりな真っ白な半ドーム上の天蓋が見える。天蓋は都市の半分を覆っていて、その下に無数の摩天楼が抱かれている。空を見上げれば飛空挺などが空を行き交い、そして正面に目をやれば遠方には海が見え、カモメの鳴き声が聞こえる。とはいえ、ここは海に面した港湾都市というわけではない。

『漂流都市エジン=ザク』

機族たちの国家ヴィゲーテルの三大都市の一つにして、首都。海洋に浮かぶ巨大な人造島。大海を自由に移動する、海上移動都市である。

機族の文明は地球のそれと同等か、それ以上に進んでいて、彼らの街はなんというか近代的というか未来的にも見える。他国が中世や近世レベルの文明水準であるのと比べればこの文明格差は一種異様とも見えるが、これは機族の閉鎖的な気質によるものだ。彼らは自分たちの技術や文物が外部に漏れることを酷く嫌う。


「ママ、すぐに塔に帰るの?」


塔とはこの世界においてルシア達が居候している、真紅の魔女ロベリアの居城『真紅の塔』のこと。kの漂流都市の港には空間転移ポートが設置されていて、帰るだけならすぐに帰ることが出来る。


「どうせ第八類型の文具を手に入れたらどうせここに戻るんだし、その予定だったんだけど。どっか寄って行きたいか?」

「…ううん、じゃあ帰ろうか」


セティはちょっと残念そうな顔をしたが、そう言うとすぐに明るい表情に戻ってルシアの前方を駆けていく。本当は少し遊んでいきたかったのだろうか?


「セティ、別に急いでるわけじゃねぇぜ。ちょっとお茶していこうか」


そう言うと、セティの顔がパッと綻んだ。




そうして、喫茶店でこの街でしか嗜めないような高級なお茶とお菓子を楽しんだ後、二人は港へと向かう。漂流都市の中央港は、海港と空港、そして空間転移ポートの3つの機能を集約した物流の要だ。

政治の中心としての他、軍事要塞としての色彩が濃い漂流都市であるが故に、外部との接点を最少に抑えるという目的によるのかもしれない。

ちなみに、ヴィゲーテルの三大都市は『漂流都市エジン=ザク』の他に、『工廠都市セレウキア』、『月面都市チェル=イディア』がある。ちなみに月面都市については、ルシアは行ったことはないが本当に月にあるらしい。宇宙進出しているあたり、完全にSFの世界である。

受付をすませると、巨大な円形の装置が埋め込まれた床のある部屋へと移動する。この転送装置はワームホールを利用するものではなく、妖精文書の書片を用いて構成された文書機関で、人体を量子レベルに分解した挙句に、ビームにして飛ばし、受信地点で再構成させるという某SF作品的なアレである。

装置が起動する。眩い白い光に包まれたと思うと、ルシア達は量子に変換され、光線となり、衛星を中継して、パルティア王国とメディア王国の国境、真紅の塔近郊へと転移した。その間はまばたきをする程で、ルシア達の視界は光と共に、文明的な施設から、針葉樹林の森林地帯へと切り替わる。

転送された場所は真紅の塔の目前。真紅の塔とはいっても、当の外観は真っ赤ではなく、赤褐色の石材で造られた、10階建ての円筒状の塔だ。漂流都市の摩天楼に比べれば小さなものであるが、歴史を重ねた石材が塔に重厚な威風を与えている。


「到着っ、とぉ? もごぉっ」

「お姉さまっ!? お帰りになられたんですねっ!!」


転移早々に、ルシアはいきなり女性にタックルを…でなく抱きしめられる。相手のほうがルシアより背が一回り高いので、相手の胸に顔をうずめるような形になる。大きさはCカップぐらい…ではなくて、


「もがっ、ファネッフォ、ふるひいっふぇっ」

「あ、ごめんなさい」


ようやく解放され、ルシアは苦笑いしながら、あらためて女性に向き直る。目の前には頬をパァッとほころばせた、金色の癖っ毛の、可愛らしいエルフの少女。歳の頃は18歳ほどだけども童顔気味。その頭上には包帯でグルグル巻きの人相の悪いウサギのヌイグルミが乗っかっている。


「アネット、ただいま」「ただいまー」

「おかえりなさい、お姉さま。それにセティちゃんも」

「よぉく戻ってきたなぁ、ルシアぁ」

「うーくんも、ただいま」

「息災みてぇだなぁ」

「まあな。アネットも病気とかしなかったか?」

「はいっ。お姉さまもお変わりなさそうですね。どうでしたか、異世界は?」

「…まあ、なんつーか、トラブル続きだったぜ」

「そうなんですか、お姉さまらしいです」

「らしいって、お前はアタシをなんだと思ってるんだ」

「へっへっへっへぇ、そいつぁ、自分の胸にぃ聞いてみなぁ」


アネットはルシアの幼馴染の、1つ下の少女。一度は生き別れたものの、奇縁により再会を果たしたのだ。彼女も今はロベリアの元で居候をしている。とはいえ、真紅の魔女の弟子という立ち居地ではなく、純粋に同居人としての立場だ。

そして、アネットの頭上で気味の悪い笑い声を上げるヌイグルミ、「うーくん」は、ルブールの森にいた頃からアネットの傍にいた謎のイキモノ?だ。以外に妖精文書や歴史について博識だったりと、謎が多い。


「お姉さまがおられなくて、アネットは寂しかったです」

「ははっ、長く空けて悪かったな」


アネットは歳が1つ下といっても、成長が13歳で止まってるルシアとは違い、背が頭一つ大きく、彼女がルシアを「お姉さま」と呼ぶのは微妙に違和感があったりする。ちなみに、彼女がルシアを「お姉さま」と呼称するのは元からではなく、とある事件以降の話だ。


「皆、変わりないか?」

「はい。あ、おじいちゃんも向こうにいますよ」


アネットが指差す先に視線を向けると、老人と薪割りをしているのが見える。巻き割りとはいえ、その様子は非常にダイナミックだ。老人は2mほどの長さの丸太を片手でポンと放り投げるやいなや、右手に持った鉈を目にも留まらぬ速さで振りぬき、薪を量産していく。

流石はサムライマスター、相変わらずのスゴ技の持ち主だ。


「爺さん、今帰ったぞ」


声をかけると片手で応じて、再び薪割りに戻ってしまう。さすが渋いお爺さんである。彼、ザライ=ビト、はアネットの命の恩人で、成り行きでアネット同様に塔の住人となった人物だ。今は鉈を手にしてるが、本当の獲物は刀。本気でヒテンミツルギリュー的なトンでも剣術を扱う武芸者なのである。


「おじいちゃん、ただいまーっ」


セティがザライに駆け寄って抱きつく。爺さんは困ったような表情をしているが、実はまんざらでもないのである。意外とあの二人は仲がいい。

と、塔の正面玄関が開く。


「何やら、外が騒がしいと思っていたら、帰ってたのね」


現れたのは色黒の、メガネをかけたドワーフの少女。何故かフリフリのメイド服。右手を腰に、左中指でメガネを直して、彼女はすました表情でルシアを見下ろす。


「ステラ、ただいま」

「おかえりなさい。案外、早かったわね」

「まぁな」


ドワーフの少女、ステラはルシアの姉弟子にあたる。ドワーフ族特有の低身長ゆえに、背のほうはルシアと大体同じぐらいなのだけれども、年齢のほうは5つほど上になる。錬金術の分野では世界最高峰とも称される尊敬すべき魔女だ。

そうして、ステラを皮切りとして塔の中から住人が続々と現れる。


「あっ、ルシアちゃんだっ」「あらあら、帰ってきていたんですねー」「おかえりーっ、お土産買ってきたかー?」


現れたのは3人。

ルシアよりも少し背の低い、真っ赤な髪を腰まで下ろした少女、エリンシアは元気良くこちらに駆け寄ってくる。年下に見えるが、実はルシアとはタメである。とある事情でルシア同様成長が止まっているのだ。魔術の腕はあまり上手くないが、歌が上手く、呪歌の使い手でもある。

そのエリンシアの後ろをゆっくりと歩く、膝下まで伸ばした艶やかな黒髪の、おっとりとした表情の美女はウィスタ。塔の同居人の中ではロベリアを除けば最古参という、ルシアやステラにとっては姉弟子にあたる存在。医療魔術や使い魔の作成については超一流という魔女だ。

そして、そのウィスタの後ろをのんびりと、手を首の後ろで組んで歩く長身の女性はエミューズ。炎のように真っ赤な髪を後ろに束ねたポニーテールの、スタイルの良い美少女であるが、少年のような無邪気な笑みを浮かべ、ボーイッシュな雰囲気も併せ持つ。まあ実のところ、中のヒトは男、というか、正確に言えば先ほどのエリンシアの弟という立場なのだけれど、とある事情で身体は生物学的に純粋に女性になっている。とある事情は姉のエリンシアと同じようなもので、まあ、妖精文書関連である。


「おう、エミューズ。お土産ならちゃんと買ってきたぜ」

「マジっ? 食い物か?」

「おうっ。向こうのお菓子」


ルシアはエミューズと仲がいい。なんというか、中身が元男というあたりでシンパシーがあるというか、女所帯の真紅の塔では一番話が合うからというのが大きな理由だ。

ルシアはポーチから次々とお菓子を取り出していく。それを物珍しそうに眺めたり、手に取るエミューズ。そんなこんなしている間に、他の女性陣もルシアの取り出すお菓子に興味を示したようで、わらわらと近寄ってくる。


「これ、食っていいか?」

「いいぜ。ちゃんと包装紙破って食えよ」

「あ、これ美味しい。苦くて…香ばしくて甘い?」

「チョコレートって言うんだ。向こうじゃメジャーな甘味なんだぜ」

「ルシアちゃん、これなあに?」

「そいつは、お菓子じゃなくてカップラーメン。即席麺…、保存食ってやつだな」


そうして、塔の前で即席のお菓子パーティーが催され―


「これは…、異世界の春画ですか? うふふふふー、ルシアさん、いけない子ですね~」

「ちょっ、ウィスタっ、勝手にポーチの中身空けないでっ。ぎゃーっ!?」

「へっへっへぇ、やっぱりルシアの嬢ちゃんは巨乳好きかぁ?」


いつのまにやら、奪われ簒奪されるルシアのポーチ。しかもジャストミートにグラビア写真集を釣り上げられる。餞別とか言って後藤に渡されたものだ。決してルシアが自ら買い求めたモノではないのである。


「うわぁ、すごく際どい水着…、こんなの私着れないよぉ。でも、この腰巻がついてるのはカワイイかも。エミューズはこれ似合うんじゃない?」

「むぐむぐ。いや、俺はこういうのは。ルシアー、こっちのも食っていい?」

「お姉さま、やはり胸の大きな方が……?」

「私もこれぐらい大きくなったら、ママ喜ぶのかなぁ?」

「おまえらっ、これは没収だっ! 返せっ!」


慌ててブツを回収するルシア。だがそうしている間にポーチの中身はステラとウィスタの姉弟子二人組みによって捜査されていく。


「これは何かしら?」

「うふふー、ステラ、これはおそらく下着ですよー。とっても被服面積が少ないですねー。ルシアさんもようやく色気づいてきちゃったんでしょうかぁ?」

「それは春名に無理やり買わされた紐パンっ!? らめぇっ! 返してぇっ!」


二度と身につける勇気が出ない紐パンツを広げるステラに掴みかかるルシア。しかし、


「ウィスタ姉さま、パス」

「ちょっ、返せよぉっ」

「ヘイッ、パスッ」

「やめてよぉっ、やめてよぉっ」


姉弟子二人の息のあったワン・ツーパスワークに翻弄され、半泣きになるヘタレエルフ。


「ヘイ、アネットさん」


そうしてルシアさんの恥ずかしい下着は一番手にしてはいけないヒトの元へ。


「こ…こんな下着をお姉さまが……はいて…?」

「あ、アネット、落ち着いてそれを渡すんだ。いいな?」

「いけませんっ、ああ、いけませんっ! 没収ですっ! フォォォォォッ!!」

「ちょっ、アネット、それかぶるモノじゃないっ」


そんなこんなで、魔女たちによるお土産検分がしばらく続き、


「疲れた。なんでこんなに疲れるんだろう」

「うふふ、やっぱりルシアさんが帰ってくると楽しいですねー。からかいがいがあって」

「このPSPっていうの、なかなかに興味深いわね。しばらく借りるわよ」


げっそりとうなだれるエルフさん。うふふふと笑うウィスタ、ゲーム機一式を接収したジャイアニズム全開のステラ。何故かルシアの衣類に異常な興味を示すアネット。お菓子に群がるその他大勢。残されたルシアを慰めるのはタダ一匹。


「まあなんだぁ、お前ぇはそういう星のぉ生まれなんだぁ。あきらめなぁ」


ルシアの肩を叩く包帯ウサギ。ルシアはさめざめと泣いた。





「ふうん。じゃあ、すぐに出発するの?」

「ん。あんま時間かけたくないからな。明日には出発するぜ」


お土産物の検分が終わった後、ルシアは塔の住人たちに日本での出来事と、妖精文書が必要になったことなど、もろもろの事情を説明した。ルシアの予定としては明朝に塔を出て、ロベリアが話していた知人、パルティア王国より北部の村『メルブ』の村長に会いに行く予定を立てる。

ルシアが欲している第八類型の文具はその村において保管されている宝物であるらしく、本来なら軽々しく借りることはできないのだが、ロベリアの紹介状があれば問題は無いのだという。


「ずいぶん急いでるんですねぇ」

「まあな。とはいっても、行って帰るだけだから、せいぜい3日程度の行程でしかないんだけどな」

「あのっ、お姉さま」


と、ここでアネットが挙手をする。


「私もご一緒してよろしいですか?」

「ん…、別にいいけど。なんで?」

「へっへっへぇ、そうつぁアネットがこのぉ一ヶ月間お前ぇに会えなくてぇ寂しがってたからさぁ」

「ちょっと、うーくんっ、余計な事言わないで! じゃ、じゃあ、私、早速旅の用意してきますね♪」


そういい残すと、アネットはパタパタと自室の方へ走っていく。まるで遠足か修学旅行にでもいくようなノリだ。


「お前も来るのか、うーくん」

「あたり前ぇよぉ」


ヌイグルミは気味の悪い笑い声を上げながら応える。と、いうわけで今回の旅のメンバーはルシア、セティ、アネットとこの包帯ウサギということに。

と、ここでステラがそういえばと口にする。


「そういえば、メルブは確かパルティア王国だったわね」

「それが?」


ステラは語る。


「いえ、ただの世話話よ。この間、パルティア王が急死したらしいの。それが、クーデターらしいわ」

「王室の人間関係はドロドロだかんな」


それは、本来ならばルシアには何の関係も無い話。ただのゴシップに過ぎないはずだった。






<同刻 メルブにて>



「騎士様、身体のお加減がいかがですか?」


この家の娘が粥をトレイに乗せて部屋に入る。青っぽい髪色の、特徴的な狼のそれに良く似たピンと上方に立つ三角形の獣耳を持つ彼女は人狼族(ライカンスロープ)である。そんな彼女が世話をするのは、村の近くで保護された女騎士であった。


「大分よくなったであります」


女騎士である彼女は人狼の娘にそう応じる。彼女は王国北辺の村メルブの近郊の森において傷だらけの姿で保護された。傷は致命的なものではなく、彼女を保護した人狼族の青年の家において看護を受け、今は歩けるまでに回復していた。

女騎士の名はディーネという。色素の薄い茶色の髪を肩まで伸ばした、おそらくは美女に分類されるであろうハーフエルフであり、由緒ある武門の生まれである。

そんなディーネがこの辺境の村でこのような形で世話を受けているのには、少々込み入った理由があった。そんな複雑な事情を察し、理由も聞かずに治療を施してくれたこの村の住人にディーネは深い感謝を覚えていた。


「お粥です。簡単なもので申し訳ないのですが」

「滅相も無い。ありがたく頂かせてもらうであります」


人狼の娘、レアという名前であるが、彼女に差し出された粥を口に含みながら、ディーネは今までの経緯を、そしてこれからの算段を考えていた。

ベッドの傍らに置かれた、布に包まれたモノにディーネは目をやる。とびきりの厄介事。王家の至宝。

それは一週間前の出来事であった。王都の守備隊に配属されていた彼女が夜の巡回中に遭遇した人物、彼はこの国の第一王子で、王太子。ディーネは彼が敵に追われている場面に遭遇したのだ。敵は十人からなる獣操兵と軍用魔犬、それに1人の魔術師と彼の操る装甲ゴーレム1体。

ディーネはこの国の騎士として王太子の側に回って戦い、敵を倒すことには成功した。が、肝心の王子オロデスは敵魔術師の魔術により致命傷を既に負っており、虫の息であった。

ディーネはそこで王子より王都においてクーデターが発生したことを聞かされる。首謀者は現国王の弟ヴォロガセス。王を殺害し王座を簒奪した王弟に対して、王子は果敢にも王宮の奪還に望んだとのことだが、破れたとのこと。

だが、王子はただ敗れたわけではなく、ヴォロガセスの下より選定の聖鍵を奪い取ったというのだ。選定の聖鍵は王家の至宝たる『聖鍵ウルスラグナ』。聖鍵は豪奢に装飾された鞘に納まる剣の形骸をした第三類型の文具。只人には鞘から抜くことはできず、古エルフ王国の直径の末裔たる王家のものしか抜けないものだ。

そして聖鍵は王の証であり、これを抜いてこそ初めて王国の王として認められる。王子はディーネに奪い取った聖鍵を託してこう命じたのだ。これを持ってメディア王国に留学中の第二王子の下へ行くのだと。


「(…大役でありますね)」


それはディーネにとっては身に余るほどの大役であった。ディーネはこの一週間、聖鍵を守りながら北方へ、メディア王国国境を目指した。だが王都を陥落させ、貴族と軍の一部を掌握した王弟による追手の追撃は厳しく苛烈であった。

彼らは騎兵だけではなく、空の兵、竜騎兵まで投入して聖鍵の奪還を図ったのだ。空を支配する竜騎兵には流石のディーネも分が悪く、力尽きかけたが、ギリギリのところで命永らえたらしい。だが、次も助かるとは限らない。保身のためならば今すぐ投げ出すべきだが、


「今度こそは、やり通すであります。もう二度と失敗は許されない…」


ディーネは改めて意志を固める。そして苦い記憶を思い出した。6年前の出来事。とある伯爵令嬢を護衛するという任務において失敗した記憶。令嬢は行方不明になり、未だ見つかってはいない。

それが経歴の汚点となり、ディーネはそれ以来、重要な役や任務に就くことができていない。なによりも少女一人守ることができなかったことに、ディーネの自尊心は深く傷ついていた。だからこそ、失敗は出来ない。


「…レア殿、ここまでしていただいたこと、大変感謝しているでありますが、これ以上この場に留まれば村の方々にも迷惑がかかるであります」

「迷惑だなんてそんなことは…」

「いや、自分にすぐにでもはこれを、選定の聖鍵を第二王子フラテス殿下に届けなければならないのであります」







[27798] Phase012『エルフさんと選定の剣』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/08/03 21:56



「セティ走るな、こけるぞ」

「大丈夫だよっ」


石造りの廊下を行く。床の敷石のいくつかがぼんやりと青い光を放ち照明となっているが、これはおそらく蛍石が魔石化したもの、聖光石を利用したタイルであろう。

エントランスからまっすぐ伸びた回廊の側壁と天井には、交差する直線を多用した蔦のような幾何学模様が彫刻されている。第二期古代文明レムリア文明のものだ。

廊下の突き当たりには入り口と比べてはるかに小さな入り口。この建築物の中央へと繋がる扉だ。


『レムリア神殿』


世界各地に点在する、第二期古代文明の足跡であり、重力式ワームホールによる空間転移を可能とする神秘の遺跡である。各地に点在する神殿間は、この転移装置により瞬間移動が可能であり、ルシアらの旅はこれを利用することで大幅に短縮することができる。

レムリア神殿とは古代の空間転送ネットワークシステムなのだ。

これにより、本来ならば真紅の塔からメルブまでおよそ10日はかかるはずが、神殿を利用すれば、その行程を1日に短縮できる。古代遺跡の機能の為せる業である。


「クテシフォンは久しぶりだぜ」

「私は初めてです」

「アネットはクテシフォンに行った事がなかったっけ?」


扉の向こう、神殿の奥には円筒形の伽藍堂。直径20m程度の円形の部屋の壁には、円周に沿ってこの部屋の入り口と同じ形の扉…のレリーフが彫られている。総数11。この扉のレリーフこそが転移扉の役割を果たすもの。暗くてよく分からないが天井には星図が描かれている。

床には12芒星が精霊銀(ミスリル)によって象嵌されており、12芒星それぞれの鋭角が扉のレリーフを指し示す。

その12芒星の中心、つまり円の中心には腰の高さぐらいの円筒形の石の台座がある。台座の頂上は無数の古代文字が彫刻されており、文字は淡く青い光を湛えている。

ルシアはその台座の上におもむろに手を置いた。すると、台座の上に空間投影ディスプレイとでも言うべき画面が浮かび上がる。

投影されるディスプレイには楕円形の世界地図と、その横に古代語で記述された日時、そして転移に使用された際の過去のログが表示されている。

台座の中心には小さな三角形の穴。


「そらじゃあ、起動するぜ」


ルシアはポケットから水晶の棒を取り出す。ロゼワインのような透きとおる赤の三角柱。『鍵晶』。これが神殿の機能を使用する際のキーとなる。

とはいえ、『鍵晶』さえあれば世界中のどの神殿にでも行くことが出来るわけではない。古代文明はこの転移システムに一定のセキュリティーをかけたらしく、転移可能な場所は一度でも利用したことのある神殿のみ。『鍵晶』にルートを覚えさせなければ新しいルートは開設できない。

例えば、神殿Aと神殿Bを行き来できる『鍵晶』があるとする。しかし、この鍵晶では神殿Aから神殿Cに行くことは出来ない。神殿Aと神殿Cを行き来できるようにするためには、一度でも何らかの手段で神殿Cに到達し、『鍵晶』に神殿Cのデータを覚えさせる(台座の穴に差し込む)必要がある。

などの、面倒な制約があっても神殿はそれを補って余りあるほどに利便性の高い施設だ。それを用いれば、大陸の端から端まで一瞬で移動できるのだから。

とはいえ、これさえあれば船も馬車もお役御免になる…というわけではない。理由は第一に『鍵晶』そのものが非常に高価で、複製も困難であることから、限られた人間しか保有できないこと。第二に、主要な神殿には関所が設けられており、かなりの高額な通行料が取られるということだ。


「ルシアよぉ、通行証はぁ忘れてねぇかぁ?」

「はは、そんな大事なもの忘れるわけ…、あれ? あれ? あ、あった」

「相変わらずぅ危なっかしいなぁ、嬢ちゃん」


ちなみに真紅の魔女ロベリアは各国に顔が利くので、預かっている通行証さえあれば通行料は割引される。とはいえ、大きな出費には違いないので、ルシアもそう軽々とこの神殿を利用できない。

ルシア達はまず、真紅の塔の近くにあるレムリア神殿から、要塞都市クテシフォンの神殿に転移する。クテシフォンはパルティア王国北東の、ソグド帝国との国境に位置する軍事要塞都市だ。

ルシアは鍵晶を台座の穴に差し込む。すると、台座表面の古代文字の光が緑色に変わる。同時に足元の12芒星の輪郭が白い光を放ちだす。そしてルシアは空間投影ディスプレイに触れ、指先で触れることで行き先を指定。タッチパネル式だ。

すると、前方正面の扉のレリーフが淡い光を発しだす。そして、扉のレリーフの石の表面が鏡のようになり、その中心において水面のような波紋が浮かび上がる。


「じゃあ、アネット、セティ、行こうか」

「うん」「はい」「おいよぉ」


扉のレリーフは次の瞬間、真実、扉となる。扉の向こうはクテシフォンの神殿。ルシア達は扉の先に足を踏み入れた。





Phase012『エルフさんと選定の剣』





「バスは動いてるみたいだな」

「街はものものしい雰囲気ですけどね」

「クーデターてぇ話だからなぁ。ソグドがぁ攻めてこねぇかぁビビってやがるんだぜぇ」


クテシフォンは王国北東の守りの要、要塞都市だけあり、内戦の影響でものものしい緊張感に包まれているように思える。

とはいえ、ルシア達にとってはあくまでも中継地点なので、ここには特に用は無いし、この街の臨戦態勢にも興味は無い。

唯一心配だったのは、目的地のメルブの近くまで運行しているバスが動いているかどうかだったが、杞憂だったらしい。


「バス来たよっ」


セティが指差す。運行表よりも少々遅れてバスが到着したようだ。

バス。

基本的に中世から近世の文化レベルであるこの世界には一見相応しくないモノであるが、これは機族が各国に輸出している精霊機関搭載の機械の一つだ。この世界ではレムリア神殿や馬車の他に、こういったバスやトラック、列車、飛空挺などが交通手段として利用されている。

ちなみに、多額の交通料をとられるレムリア神殿に比べて、バスはこの世界でも比較的安価な交通手段だ。ちなみに自家用車はあまり存在しない。火精排霊タービンエンジンの小型化が困難であるためと説明されているが、多分嘘である。機族の連中が諸国の文明水準を調整するため輸出制限をかけているのだ。

エンジンの唸りを上げてバス停に止まった。そして出稼ぎ労働者たちがバスをぞろぞろと降り、それに続いてルシア達はバスの乗り込む。

ファンタジー世界には似合わないバスでの行程はおよそ5時間。昼ごろには到着する計算になる。ルシアはセティ、アネット、うーくんと適当に駄弁りながらゆっくりと時間を過ごす。


「こっちのバスは…やっぱ揺れるな」

「向こうのバスは揺れないのですか?」

「向こうはどこもかしこも道がちゃんと舗装されてるからな」

「アネットよぉ、ちゃんと俺を掴んどけよぉ」


車窓から見える風景は、左手には水平線まで広がる小麦畑、右手には小高い山々が連なる。セティは楽しそうに外を眺めているが、基本的に単調な風景が続く。天気のほうは上々で、雨はふりそうにない。


「お姉さま、向こうはどうでしたか?」

「ん、どうって言われてもな。トラブル続きで息つく暇も無かったぜ」

「へっへっへぇ、ルシア嬢ちゃんらしいじゃねぇかぁ」

「そうなんですか。異世界と聞いていましたので、もしや恐ろしい化け物でもいたのですか?」

「いねぇよ。むしろ基本的にこっちより平和で治安がいいぜ。ただ、妙なことに巻き込まれるし…、それに―」


ルシアは向こうの世界に残したかつての妹の顔を思い浮かべる。今回のたびもまた彼女を救うため。何事もなく終わるようにとルシアは願う。

そんなルシアの表情を読み取ったのか、アネットはルシアの手を握る。


「大丈夫です。お姉さまなら」

「そっかな?」

「はい、だから不安そうな表情をしないでください。アネットはいつだってお姉さまの味方ですから」

「そりゃ、心強いな」

「はい、愛の力です」

「愛なのか?」

「愛です。お姉さま、愛しています。お慕いしています。愛の力は偉大なのです」


至極真面目な顔をして、アネットはルシアの左腕をとり、胸元に引き寄せる。ルシアよりも幾分育った胸がルシアの腕に当たる。ルシアはちょっとドギマギする。


「セティも、ママのこと愛してるよっ」


と、ここで対抗馬登場。アネットの果敢なアタックにムッとした表情になったセティがルシアの左腕をとり、胸元に引き寄せる。ルシアよりも一回り小さい彼女なので、腕を引き寄せるというよりぶら下がるに近い感じ。


「愛って重いぜ」


両方から腕を引っ張られ、重量がかかる。このバスの中では大岡裁きは期待できそうにも無い。


「支えあうのが夫婦の愛です」

「夫婦なんだ」

「お姉さまは私の嫁です」

「アタシが嫁なんだ」

「違うよっ、ママはセティのお嫁さんなのっ!」

「やっぱり、アタシは嫁なんだ」


そんな感じで、座席の上、セティさんとアネットさんの間でルシアの奪い合いが開始される。腕を両方から引っ張られてルシアは苦笑い。


「これは両手に花という状況なのだろうか?」


元男の子的なルシアとしては、嫁よりも婿と言って欲しいとか複雑な心情。第三者から見た場合、次女を取り合う長女と三女的な微笑ましい光景。

そうしてバスはいくつもの丘や河川を越えて、少し大きめの集落の停留所に無事到着する。ここまでバスの車窓から見てきた茅葺屋根の農村然とした集落とは違い、大半が瓦葺の屋根を持つ煉瓦造り建物で、教会を中心として放射状に広がり、外部との境界に城壁を持つ中世ヨーロッパ然とした平均的な街並み。

ルシア達はバスを降りて、ここからは徒歩となるが、上手くいけば馬車に便乗できるかもしれない。メルブの村はこの集落の裏手にある山を越えた場所。日没までに到着できるようには計算しているものの、急ぐに越したことはない。


「つーか、5時間もバスに揺られると流石にケツが痛ぇな」

「あはは、私もです」


ルシアは思いっきり伸びをした後、ポーチから地図を取り出し道を確認する。


「ママー、早く行こうよっ」


あいかわらず元気印なのはセティだけ。手を振ってルシアを呼ぶ。そもそも精霊である彼女は肉体的疲労とは無縁なので、ルシアやアネットと比べるわけにはいかないのだけれども。


「待てよセティ。アタシらはちょっと休憩とるから」

「ションベン漏らしそうってかぁ?」

「うっさい、このセクハラウサギ」


ルシアは苦笑しながらセティを留める。急がなければならないけど、休憩は必要。というか、トイレ的な問題で限界が近かったのである。

そんなこんなで、少しの休憩を入れた後、ルシア達は本格的に山越えへ。集落の裏手に続く道を行き、山道に入る。4~5時間ほど歩けば目的地に到着するらしい。と、後方から幌馬車が。ちょうどいい。


「すみません、アタシ達メルブまで行きたいんですけど。便乗させてもらっていいですか」「いいですか~」

「お嬢ちゃんたち3人で山越えしようとしてたんかい? 危なっかしいねぇ、乗ってきな」

「ありがとうございます」


そういうわけで、ルシア一行は運よく馬車を拾うことに成功。どうやらこの馬車は行商にメルブや他の山村を回るらしい。その関係か、馬車の荷、岩塩や薬、小麦粉などの穀物。帰りには魔獣の毛皮や角、書片などを運ぶのだとか。

そんな、行商人との世話話をしながら、ルシア達は幌馬車の後ろに座る。馬車はなだらかな坂道に入り、山を登っていく。ルシア達は馬車に揺られながら用意したランチボックスを広げた。もう太陽も昇ってお昼ごろだからだ。


「この分ですと、夕方にはメルブに着きそうですね。お姉さま」

「ねぇねぇ、メルブってどんなとこなの?」

人狼族(ワーウルフ)の集落てぇヤツさぁ。近くにぃ書片(レター・ピース)の鉱脈がぁあるんだぜぇ」


書片(レター・ピース)は妖精文書の破片のようなもので、単独でその能力が発現しないものを指す。おおよそ2000年前と4000年前の地層から発見されることが多く、重要な鉱物資源として各国で採掘がなされているのだ。


「じゃあ食うか」


ランチボックスの内容はサンドイッチ。フランスパンに似たバゲットの中心に切れ込みをいれ、そこに具材であるシーフードらしき何かのマリネを挟んだ、ウィスタ謹製『シーフードらしき何かのマリネのサンドイッチ』だ。味のほうはすごく良いのだが、ルシアはどうしても葛藤を覚えてしまう。

ぶつ切りにされ、酢漬けにされてもなお蠢くシーフードらしき何かをかみ締めながら、ルシア達は高所からの風景を眺める。先ほどの集落も大分遠く、小さくなった。

のどかな風景。日本や漂流都市とは異なる、この世界での平均的な中世の風景で、なんとなくノスタルジーを感じさせる。


「ほら、セティ、そんなに頬張るな。ノド詰めるぞ」

「あむあむ」

「お姉さま、お茶はいかがです?」

「いただく」


そうして、しばらくは何事もなく、カッポカッポという馬の蹄の音と、馬車の振動に身を任せながらルシアは居眠りを決め込み舟を漕いでいると、


「なっ、なんじゃありゃぁっ!?」


突然、前方から行商人の叫び声。そして馬車が急停車し、ルシアたちはもんどりを打つ。ルシアは何が起こったのかと、馬車を飛び降りて前方を見ると、


「煙…? おっちゃん、あれってメルブの村か?」

「あ、ああ」


山の上から見えるのは、川の傍に密集する小さな集落が炎を上げて燃える姿。そして、その上空には数騎の竜騎兵が円を描いて滞空している。アネットたちも後ろからやってきて、その光景に目を丸くする。


「竜騎兵…って、どこの軍ですかっ?」

「判んねぇが…、厄介な事になりやがったぜ」


ルシアは視力を魔術で強化してその様子を見ると、どうやら村はどこかの兵士によって襲撃されているらしい。数は中隊規模。兵員輸送用のトラックが随伴していることから自動車化歩兵部隊と考えられ、さらに兵士たちは統一された小銃を装備していることから、兵士たちは傭兵部隊ではなく、おそらく正規軍と思われる。

上空を見れば竜騎兵。懸架した爆弾を投下する他、重装甲の騎乗兵が肩に棒状のものを担いでいる姿を確認する。おそらくは携帯用ロケット砲。ここからも、目の前の軍隊が正規の軍であることが確認できる。

尋常ではない。こんな辺境の村にこれだけの戦力を投じる意味がわからない。


「ママっ、誰か来るよ!」


と、ここでセティが声を上げた。ルシアたちは身構えてこれに応じる。すると、前方から走ってきたのは、


「なっ?」


現れたのは、何か布に包まれた棒状のものを抱える茶髪の女騎士。そしてルシアはその女騎士の顔に見覚えがあった。そして向こうも、女騎士もまたルシアの顔を確認すると、驚愕したような表情になり、


「お前は…ディーネか?」

「もしや、ルシア…様でありますかっ!?」


しばらく、互いに固まり視線を交し合う。まるで、死人にでも出会ったような表情であるが、それも当然。ルシアは彼女、女騎士ディーネが死んだものだと思い込んでいたし、ディーネもまたルシアが無事生きてるなど今更思いもしなかったのだから。


「おぃおぃおぃ、お前らぁぼぉっとしてんじゃねぇよ。何かぁ追ってきたぜぇ」


そんな二人は、包帯ウサギの一言で我に帰る。そう、彼女の後ろ、ディーネらの後背より続いて現れたのは軍用魔犬の一群。ディーネは剣を構えてこれに応じる。どうやら再会の感動に浸る時間もないらしい。


「お姉さま、知り合いですかっ?」

「ちょっとしたな。アネット、連中に手を貸すぞ」

「はい」


魔犬は総数6。頭部や脇などに装甲が施してあるものの、たいした数ではない。ルシアは魔術を詠唱し始め、ディーネは飛び掛ってきた魔犬を剣でもって切り払う。


風精装填(ロード・シルフ)、サンダーブレードッ!!」


続いてディーネは剣に雷を纏わせる魔法剣を持って一体の魔犬を切り伏せた。傷は浅いが、ほとばしる電撃が傷口から魔犬の体内組織を破壊し、これを撃破する。同時に、ルシアの魔術が完成して、


「ウグ・ラ・レイ(超高圧電撃)!!」


網膜を白く焼く、強烈な電撃の槍がルシアの右手から発せられる。それは幾筋にも枝分かれし、残りの魔犬を追尾するように直撃した。圧倒的な電撃は一瞬にして魔犬の肉を焼き尽くし、消し炭へと変えてしまう。

一応、追ってきた犬の方はなんとか処理できた。しかし、上方を見るとメルブの村の上空を舞っていた竜騎兵のうち、2騎がこちらにむかって近づいてきた。ルシアは視力を魔術で強化し、これらを見ると、騎兵が棒状の何かを担ぐ姿を確認する。あれは―


「ロケット砲っ!? 皆っ、茂みに隠れろっ!」


とっさに脇道の茂みに転がり込む。そして、発射されたロケット弾は煙を吐きながら性格に馬車を捉え、大爆発を起こす。


「ヒュゥッ、派手じゃぁねぇかぁ」

「クソっ、いきなりなんだってんだ」

「お、俺の馬車がぁっ」


ルシアは天を睨む。竜騎兵は高速でルシア達の上空を通過した後、方向転換をして再び舞い戻ってくる。今度こそこちらを殲滅するつもりだ。

竜騎兵、しかもロケット砲を装備しているということは、敵は確実にどこかの軍の正規兵。

竜騎兵とは、ワイバーン種の竜に騎乗する兵種であり、その装備は基本的に爆弾とロケット砲、近接武器として突撃槍(ランス)を装備する強力な精鋭部隊である。

風属性の現象行使を可能とするワイバーン種に騎乗ことから、時速300km~500kmの速度で飛翔し、空中でのホバーリングや方向転換を可能とする、戦場における空の支配者だ。

そんなモノが、クーデター真っ最中のこの国において、こんな辺境の村で作戦行動をとっているのかは一切不明であるが、迎撃しなければラチがあかない。ルシアはセティの手をとり、


「セティっ、潰すぞっ!」

「うん、ママ!」


天には2騎に続き数騎の竜騎兵が舞う。確かに彼らは戦場における空の支配者。矢などの生半可な攻撃など意も解さぬ防御と、鳥類を上回る飛行能力を誇る。

だが、今回ばかりは相手が悪すぎた。

彼らが対峙したのは風の精霊。しかも、時によっては風の神と崇拝されうる上級精霊である。それに加えて、その風神の巫女が加わればその力は万の兵に匹敵する。


「我が叫びは雷鳴、夜の嵐、我が右手は稲妻、我が左手は旋風、我が両手は大地を浚う 其は天罰の雷、断罪の斧」


上級精霊とその巫女による上位精霊術の行使がなされる。急激な気圧の変化により大気が咆哮を上げ、木々が悲鳴を上げ始め、そして、巨大な竜巻が生まれた。

Fスケールにして4に匹敵するその猛威は天の怒り、龍の招来。しかも、それだけではない。竜巻の中心部からは青白い光、十億ボルトの電撃が放たれたのだ。

そんな、最大級の天災とも言える竜巻が4つ、大地を、大気を蹂躙する。

空に舞う竜たちは、一切の抵抗も出来ずに、木枯らしに舞う枯葉のように猛威に翻弄され、同じく巻き込まれた木々や岩と衝突しては引き裂かれ、電撃に打たれ、竜巻に巻き込まれていく。そうして彼らが積載するロケット弾が爆砕し、精鋭たる彼らは焼け焦げた肉片としてバラバラに解体されてしまった。

猛威が収まった頃には、空を支配していた彼らの影は一つもなくなった。ルシア達の周囲にあった木々もまた根こそぎ引っこ抜かれ落着している。風景は一変し、全てが破砕された瓦礫の山と化した。


「…うん、セティ、やりすぎだ」

「えへへ、でも手加減はしたんだよ。ほら、本気出したらあの村まで吹き飛ばしちゃうし」


明らかなオーバーキル。風神の名に恥じない大災害だが、ルシアが想定していた威力より一段階高かった。精霊術の最大の欠点は、出力の調整が術者本人には出来ないこと。その威力に呆れ、あるいは唖然とするギャラリーを前にルシアはコホンと咳払いをして、女騎士に声をかける。


「ディーネ、久しぶりだな」

「やはり、ルシア様なのでありますか?」

「ああ、6年ぶりだったか」

「どうしてっ、今までお戻りにならなかったのですかっ」


ディーネがルシアに詰め寄る。


「アタシにも色々あったんだ」

「…そうでありますか。今はどちらに?」

「真紅の魔女の弟子になってる」

「真紅のっ!? そうでありましたか。なるほど、先ほどの大魔術は真紅の魔女殿の下で培われたものだったのでありますね。しかし、だとしても何故今までご連絡をなさらなかったのでありますか? 一報さえあれば、伯爵家の取り潰しにはならなかったはずであります」

「…うん、正直、そういうのに頭が回るほど余裕がなかったんだ。あとは、セティにまで危険が及ばないかって心配でさ」

「セティ?」

「アタシの娘だ。セティ、こっち来い」

「うん、ママ」

「え、娘…でありますか? え、え? ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!?」


頭を抱えて驚き叫びだすディーネ。まあ、当然。あの頃、6年前にはルシアにはそういうお相手はいなかったのだし。ルシアは錯乱するディーネに、セティが上級精霊であること、普通の子供ではないことを説明する。


「せ…精霊、つまりルシア様は『聖母』でありますか。それは、なんと素晴らしいことでありましょう」


説明したら説明したで、ルシアを尊敬の目で見始めるディーネ。精霊崇拝なエルフ的な感覚では精霊の仔、特に上級精霊を身篭る事は最大級の栄誉だったりするからである。ルシアのように上級精霊を受胎した女は一般に聖母と呼ばれ、崇められる。

と、ここでアネットが口を挟んだ。


「お姉さま、こちらの方とはどのようなご関係なんですか?」

「ん、えと、12年前の、アネットと生き別れになった後、アタシは実の父親に引き取られたんだよ」

「お父様…ですか。確かお姉さまのお家は母子家庭だったはずですが…」

「色々あったんだよ、あの後。んで、アタシの父親がパルティアの貴族でさ。つまり、アタシも貴族のご令嬢なんてのをやってたんだよ」

「へぇ、嬢ちゃんはぁ貴族だったのかぁ? へっへっへぇ、似合わねぇなぁ」

「うっさい、これでも深窓のご令嬢だったんだよ。んで、ディーネはその頃のアタシの護衛な」


あの悲劇の後、ルシアは記憶喪失となり、その後4年間は父と共に過ごした。魔術の基本的な知識や技術はその時に習得したと言ってもいい。

ディーネと出会ったのは父がとある事件で他界した後だ。伯爵家に使える騎士の家に生まれた彼女とは2年ほどの時を過ごした。理由あってたいした話も出来なかったけれど、ルシアはルシアなりに彼女を信頼していた。


「それで、ディーネ。この状況はいったいなんなんだ?」


ルシアは改めてディーネを問いただす。尋常じゃない状況。自動車化歩兵中隊に、2個飛行小隊の竜騎兵、それに軍用魔犬。とてもじゃないが、山賊が用意できる戦力ではない。どう考えても正規軍。しかも装備からしてパルティア王国軍のものだ。


「それは…、これが原因であります」


ディーネは抱えていた布に包まれる棒状のものを取り出す。布の中から現れたのは一振りの宝飾剣。見事な装飾のなされた柄と鞘。だがルシアが驚いたのは、


「妖精文書…、文具か」


ディーネは頷く。文具とは妖精文書を用いて作られた高度な魔術工芸品。その製法は今では機族しか知らないといわれるもの。柄のほか、鞘にも宝石の象嵌による装飾がなされているが、よく見ればそれら宝石は全て妖精文書であることが判る。鞘は青緑色の文書を主とした宝飾がなされていた。


「聖鍵ウルスラグナ、パルティア王家に伝わる王を選定する剣であります」


そうして、ディーネから事情が話された。クーデターが起きた王都において、守備隊の任についていたディーネが、偶然、王宮から聖鍵を奪取した第一王子と遭遇したこと。王子は死に際にこの聖鍵をメディア王国に留学中の弟に届けて欲しいと言って息絶えたこと。

ディーネは追っ手を振り切り、メディア王国の国境に程近いメルブにたどり着くことができたが、ここでも敵に捕捉されたこと。事情を知る村人は早く逃げるようにとディーネに言い、そして―


「へー、これで王様が決まるの?」


セティは物珍しそうに聖鍵を眺める。鞘に納まる剣の形状をした文具。アネットらも控えめにしているが、興味津々の様子。


「話によれば、この鞘から聖鍵を抜くことが出来た者がエルフの王となれるのだそうであります。パルティア王国の次代の王は特別な儀式の後にこの聖鍵を抜いて、初めて王と認められるのだそうであります」


王を選定する剣。ルシアは元の世界で言うエクスかリバーやグラムの逸話を思い出しながら、やはり好奇心に負けたのか鞘を手に取る。


「これを抜いたら王様になっちまうのか?」

「そういう話であります。実は私も好奇心に負けて抜こうとしてみたのでありますが、どうやら特別な術が施されているらしく、鞘から抜くことが出来なかったのであります」


つまり、血縁や特別な条件が重ならなければ鞘から抜くことができない仕組みを持つ文具なのだろう。おそらくは、王家の直系にあたる者、特別な場所、特別な時間といった諸条件が鍵になっているのだ。つまりルシアに抜けるわけはなく、だから調子に乗って―


「ふははははー、アタシ様が次代のパルティア王だぜっ!!」

「お、おいルシアよぉっ、止めろっ!」


周囲が呆れて笑う中、ルシアは聖鍵の柄を握り、思いっきり鞘から引き抜こうとする。包帯ウサギが何か焦って静止しようとするが、もちろん抜けないはずだ。もちろん―


「あれ?」


次の瞬間、サファイアにも似た深い青紫色の宝石板、大型の妖精文書がはめ込まれた刀身が晒される。選定の剣。その剣はどこまでも美しく、それ自体が宝石で散りばめられた小宇宙のようで、じゃなくて、


「ママすごーい、これでママは女王様だねっ」

「「「え?」」」

「へっへっへぇ、マジかよぉ」


つまり、その、抜いちゃった的な♪


「何それコワイ。あ、アタシ何もしてないから。アタイ、抜いてなんてないから。これは幻、夢」


ルシアはテンパりながら剣を鞘に戻してディーネに押し付ける。しかし―


「うわっ、これ手から離れない。くっついてくるっ!?」


ぶんぶん振っても手から離れることのない聖鍵。それどころかルシアの身体を伝って、勝手にルシアの腰元に落ち着く。ルシアは剥がそうとするが、全くびくともしない。


「離れろっ。このストーカー剣っ! ディーネっ、どうにかしろっ!!」

「え、どうしたら良いのでありますかっ!?」

「お、お姉さま、落ち着いて。今、引っ張りますから」


錯乱するルシア。どうしたらいいのか判らなくてオロオロするディーネ。アネットはなんとか文具をルシアの体から離そうと聖鍵を引っ張るが、まるでそれは瞬間接着剤でくっつけたようにビクともせず、それどころか、聖鍵はアネットの手からするする逃げ回り、


「ちょっ、お前っ! どこに入り込んでんだっ! やん、にゃうぅ、やめろ、セクハラ禁止っ!! って、ぎゃぁぁぁぁぁっ、パンツはダメっ、入り込むなこんにゃろうっ!!」


とうとうルシアの服の中に潜り込み出す聖鍵。そんなルシアに包帯ウサギから地獄の沙汰が言い渡された。


「ルシアよぉ、諦めなぁ。聖鍵ウルスラグナはなぁ、一度ぉ主人をぉ決めるとぉセキュリティがぁ発動してぇ、絶対にぃ持ち主からぁ離れなくぅなるのさぁ」

「なんだその呪いの装備っ!! ひぃぃっ、そこ、らめぇぇぇぇっ」

「いい得て妙だなぁ。ソレ、お前が死ぬまで取り付くぜぇ」

「なんだってぇぇっ!? ぎにゃぁぁっ! 尻撫でるなこのエロ剣っ!!」





ルシアさんは呪われてしまった。







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