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[29050] 祟り、悪霊、魑魅魍魎 まとめておまかせ雪士会!(旧題:フリーダイヤル0120~ 怪異のことなら雪士会!)
Name: 猫町にゃん之助◆96d05fd5 ID:96908137
Date: 2011/08/03 19:46
 *いきなりですが*

このSSの旧題は「フリーダイヤル0120~ 怪異のことなら雪士会!」でした。
ただし、「迷惑業者みたいなタイトル」というご指摘をいただき、タイトルを変更しました。
いろいろとご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。



 *背表紙にある「あらすじ」みたいなもの*

「お願いだ、助けてくれっ!」
 立派な大人が懇願の表情で、こちらの手を握り締めてきた。
 夜毎、徘徊する日本人形。悪夢にうなされる毎日。日に日に痩せ衰える家人。
 不可解な怪奇現象に怯える九里屋家の人間は、もはや限界だった。
 彼らが藁にもすがる思いで頼った先。それが《雪士会》という名の拝み屋ネットワーク。
 そんな《雪士会》に所属する俺――関屋孝助は、助手の少女ランとともに、九里屋家へと派遣されることになる。
 そこで待ち受けているものは、不気味に動き回るという形見人形。しかし問題は、どうにもそれだけで済みそうになかった――。




 *ご注意*

・一人称のSSです。
・主人公は第二話から登場します。
・ジャンルはオカルトです。ホラー(グロとか)ではありません。
・このお話は、ラノベ(42字×17行/1P)の百ページ超に設定した中編です。
 まだ書くのは不慣れなものですから、とりあえずは1話7000字前後。全12~13話で無理なく仕上げたいと思います。
 (プロローグだけは短いです)


 *もしよければ*

・読みにくい文体や、分かりにくい文章があったらおっしゃってください。


 *備考*

・このSSは「小説家になろう」でも投稿しております。
 縦書きで読まれたい方は、ぜひあちらをご利用なさってください。おすすめです。
・小説みたいにルビが出力できないので、自分で読めそうにもない漢字は除きました。
 しかし一部では、また特に後半は、その限りではありません。
 雰囲気優先のために、そうなりました。あらかじめ申し上げておきます。



[29050] 形見人形編01 プロローグ
Name: 猫町にゃん之助◆96d05fd5 ID:96908137
Date: 2011/07/28 12:20
 母の死から一ヶ月、それからよく母の夢を見るようになった。

 疎遠となった亡き母に会ったのは十年も昔……いや、いつのことだったか。
 ともかく夢の中の彼女は大層若く、まるで遠い昔に見たアルバム写真のようだ。
 娘の外見で、母は慈愛の笑みを私へ向ける。いつも私に会いたがっていたあなたへ、この身は何も報いることなど無かったのに。

「母さん、なぜ何も言ってくださらないのですか? なぜ、いつもほほ笑んでいるのですか?」

 どこかで見た紅色の着物をまとう彼女は、一言も発さずにたたずむ。
 手が届きそうで届かない、もどかしくなる距離に身を置いて。

「あなたは言いたいことがあるはずだ。私を恨んでいるのではないのですか? ついに身罷るときまで姿を見せなかった、この親不孝な息子に!」

 しかし母の口が開くことは無い。
 瀟洒な赤い振袖姿で、ただただこちらを見つめるのみ。淡い燐光が周囲を流れる。

 夢は欲の表出する機会だと聞く。しかし、これはどうしたことか。
 私は母に笑いかけて欲しいのではない。むしろ怒って欲しいのだ。
 私を溺愛し、いつも優しかったあなたが罵る場面など想像できないが、せめて皮肉のひとつでもこぼしてもらいたい。

 だが心の訴えとは裏腹に、亡き母の笑顔は私をひどく安心させる。
 その自分勝手な感情に気づいたとき、返って惨めでつらい気持ちになる。
 憎しみと愛情を求める、相反する願い。矛盾する情動の狭間で苦しむ私は、ついに膝を折った。

「こんな……、こんなことなら……」

 地面へ着いた手には細かな砂の感触。それを握り、目の前にある娘へ投げつけた。

「いっそ、あなたを憎もうか? それを望まないなら、私の心臓を止めてくれ!」

 けれども、娘の眉は揺れることなどない。またたきもせず、じぃっと動かない。
 夢の始まりから終わりまで、彼女は慈母の相を映し続けるのだ。

 いつまでこんなことが繰り返されるのか。
 暗澹たる気分で、おぼろげな夢の世界を眺めていると、ふいに身体が軽くなった気がした。
 ああ、夢が覚めるのだな。この凶瑞まじわる混沌の夢幻が。

「さようなら、母さん。また別の夢で」

 浮き上がる感覚に身をゆだねる。紅い輪郭が曖昧になってゆく。
 そして世界が暗転したとき、まぶたが開いて日常の世界へ戻ってきた。

「……坊ちゃま、坊ちゃま……」

 揺すられる感触。耳に届けられる声。
 それが誰によるものか、見当がつくまで少しだけかかった。

 起き上がり、ちらりと遠くの柱時計を見ると、まだ深夜。頭の巡りが遅いのも仕方ない。
 とはいえ、窓から入る初夏の夜風に当たったことで、ようやく脳が起き始めたようだ。

「タエさんか……。もういいかげん、小僧扱いしないでくれよ」
「ええ、申し訳ありません旦那様」

 ベッドの傍には、淡い常夜灯に照らされた家政婦のタエさんがいた。
 私が実家にいた頃からの付き合いのせいか、昔の呼称がなかなか抜け切らない。懐かしいが、面映いのも確かだった。
 隣のベッドからは、もはや常態となった妻のうなされる声。軽く嘆息し、本題に入る。

「それでなんだい、こんな夜分に」
「申し訳ありません。ですが……その……」

 目前の家政婦は要領を得ない。室内のあちこちへ視線が飛びがちな彼女は、ひどく動揺しているようだった。
 しかし決心したかのように、タエさんは眉に力を入れ、私と目を合わせる。

「どうか、気をしっかりと持ってくださいましね」
「な、なんだい。あまり脅かさないでくれよ」
「……そこに」

 彼女は真剣な眼差しで、私の背面にあるベッドの枕台を指差す。
 寝る前に読む本を置く、枕より一段高くなったスペース。

 その場所に――――夢で見た紅色があった。

 年頃の娘が着るような綺麗な発色の振袖。
 おもわず目に止めてしまう、紅の着物をまとった日本人形。

「な……なぜ、ここに母さんの形見が……。この人形は書斎にしまっておいたはずだ……」

 そうつぶやいてから背筋が粟立った。
 夢で見た母を思い出す。それとそっくりな姿をした人形。
 そいつが寝ている自分の頭の傍に、知らず忍び寄っていたというのだ。

「そ、そんなことなど……」
「坊ちゃま、落ち着かれてください」

 いつのまにか震えていた手を、タエさんが握ってくれていた。
 私は怪奇現象など、これまで気にとめたことがなかった。一度も体験したことが無いためだ。
 しかし初めて感じたオカルトへの恐怖。その感情は、私の思考をちりぢりに引き裂く。
 自分が混乱の極みに達しかけるのを自覚できた。

「…………お義母様の祟りだわ」

 いつの間にか目を覚ましていた妻が、紅人形を凝視していた。
 夜毎うなされていた彼女の顔は陰が差し、ほおがこけている。しかし不気味なほど、瞳だけがらんらんと輝いている。
 妻の色褪せた口元の震えが、首から肩へと伝ってゆく。
 その様子を、いまだ立ち直れない私は見ているしかなかった。

「お義母様が私を祟りに来たのよおおぉぉっ! やっぱり、私はとり殺されるんだわ!」
「なにをして……お止めになってください! 坊ちゃま、なにボサっとしてるんですか!」

 爪立てた指で頭を掻きむしる妻を、タエさんが慌てて羽交い絞めにする。
 異常な空気に押されて我に返った私は、遅れて妻の封じ込めに加わった。

「もう、いやぁあああああああっ! あなた、なんとかしてよぉぉおおお!」

 獣にも似た女性の叫びが、深更の夜気を切り裂いた。
 肺腑の空気を振り絞った涙まじりの鳴き声が、耳朶を強烈に打ちすえる。

 ようやく梅雨が明けたというのに、我が家だけは身が重くなる湿気で満ちたままだった。



[29050] 形見人形編02 ホットスタート、失敗
Name: 猫町にゃん之助◆96d05fd5 ID:96908137
Date: 2011/07/30 10:57
「やあ、見事に泣いてますね」

 俺の眼前には、両目から流れた涙で汚れた人形があった。
 人形といっても、おどろおどろしい定番の和人形ではなく、翡翠色のドレスをまとった西洋人形だが。

「だから、そう言ったじゃないの。信じてなかったのぉ?」
「いえいえ、とんでもない」

 横合いから不機嫌な声をかけられたので、俺は情けないスマイルを浮かべる。
 ちょっとしたことで失言となるところが社会の厳しさだが、まごつく暇など与えられない。なにしろ俺は、一個の社会人として見られているのだ。
 「数ヶ月前まで高校生でした」なんて甘えた態度では、不興を買うだけだと自覚している。

「その子、少し前に買い取った子なんだけどねぇ、そんなことになるなんてねぇ……」

 ふうっとアンニュイな息を漏らす彼女――と言っておいた方がいいのだろうか。世辞的に。
 はち切らんばかりの筋肉を、フリルいっぱいの衣装で包んだ性別不詳の方。この彼女……は、アンティーク・ドールショップの店長。趣味であふれた小世界の主だ。俺の依頼者でもある。

「大変ですよね……。ところでこの人形、髪の毛が伸びた、といったことはありませんか?」

 レジ台の上。そこに載せられた例の人形は、こころなし髪がボサついている感じがした。
 しかし問われた店長は、頑強な筋肉を震わせて怯えの混じった顔つきになる。

「ちょっ、ちょっと、脅かさないでよ。でも言われてみれば、そんな気がしてきたじゃない……。いやよお、そんなの……」
「あ、すみません。まあ、気のせいってこともありますからね」

 俺は普段以上にのんきな声を出して、さっさと話しを終わらせた。
 顧客を驚かせるのはマズイ。オカルト関連の商売は、詐欺と紙一重だからだ。
 「オカルト=うさんくさい=だまそうとしてんじゃねーの?」、という世間的な見方があるため、下手を打てば官憲の御用となる。

 空気を紛らわせるために首を巡らせたとき、思わず感心の息がもれた。

「しっかし、すげーな……」

 まず壁一面に、純白の刺繍レースで縁取りされたタペストリーが目に付いた。
 他にも、額縁で飾り付けられたパッチワークやリースの装飾。空いたスペースにはファンシーな熊のぬいぐるみ。
 正直、少女趣味が過剰すぎて、女の子でも「か~わいっ」とか言う気が失せると思う。

 そんな店内で主役を張るのは、ところ狭しと並ぶ陳列ケースに入ったアンティーク・ドール。
 セルロイドや綿、磁器の身体を、伝統的な衣装で着飾った人形の少女たち。
 数多くの彼女たちは、素人目にしても長い時間を大切に保存されてきたのがわかる。

「この人形ちゃんだけを差別するつもりはないんだけどねぇ……。やっぱり泣くなんてねぇ、ブキミよねぇ?」
「そうですね、わかります」

 女装したマッシブ兄貴にオネエ言葉でコラボの方が恐ろしい、とは口が裂けてもいえない。
 またもや俺は微妙な笑顔だ。

 とりあえず、泣き人形を検分するため手に持つ。
 シルクだろうか。古めかしいドレス生地のなめらかな感触が返ってきた。

「古い人形ですね。いつ作られたものなんですか?」
「う~ん、おそらく大正の後期じゃないかしら……。ヴィクトリア朝時代の海外製品を模倣して、国内メーカーが作ったんだと思うわ。ほら、ところどころの生地を見ると、昔の日本の業者が使いそうなやつでしょう?」

 大村店長が人形の髪留めのリボンなどを指差すが、わかるはずもなし。

「へ~、そうなんですかあ。大正ですかあ、なるほどな~」

 ヤブヘビになりそうなので、以降の無駄口をやめて俺は作業に戻ることにする。
 ドールの各部をあちこち触り、軽く動かしてみた。そして涙の跡へ指を走らせた直後、口の中に苦味を感じた。

「にがっ……アタリか」

 顔をしかめた俺の面相が、よほど頼りなかったのだろうか。
 一部始終していた店長はタメ息をつく。

「……人ヅテで《せっしかい?》ってところにお願いしたけど、ほんとに大丈夫なんでしょうねぇ」
「ええ、大村さん。《雪士会》は“この道”のエキスパートですから。それに、異変の理由については見当がつきましたので」

 さすがに、このときばかりは自信たっぷりな笑みで胸を叩く。
 個人的な低評価によって、所属先まで悪影響があってはならないからだ。世話になっている人たちを思えばこそである。
 効果があったのか、大村店長は少しばかり肩の力が抜けたようだった。

「へえ、ホント? 案外とやるもんねえ。で、なにが原因だったの?」
「ええとですね、ここを見てください」

 俺は片手で人形を持ち、ドレスの裾をまくり上げた。

「ちょっとアンタ、何すんのよ!」
「はい?」

 店長の思わぬ怒声に驚いて手が止まった。
 彼女は俺の手から少女人形をかっさらった。そして、性被害者を労わるように人形を撫でている。
 わけがわからない。

「あの、大村さん? ワタシ、何か粗相でもしましたか?」

 大村店長は、まるで社会の敵を見る目でこちらを睨んでいた。

「この変質者! この子の服をいきなり剥いて、はずかしめるだなんて、なんて男なのかしら……信じられないわ!」
「はずかしめるって……人形の服を脱がそうとしただけじゃないですか」
「人形だって女の子なのよ! もういいわ、文字通りアンタを叩き出してやるわ」

 俺へ敵意の視線を向けたマッシブが、肩を回してコキリと小気味のいい音を出した。
 世の中にはペットを家族と思う人がいる。それと同様に、人形へだって特別に扱う人がいる、ということを今知った。
 ささいな行き違いが原因だが、せめて人形へ手を出す前に、一言でも断りを入れるべきだった。
 いろんな人を相手にするサービス業って本当に大変だ……。

 再度の社会勉強に直面した俺だが、やはり戸惑ってなどいられない。怒り肩でせまる大村という、身の危険も迫っているからだ。
 こんなことで商機をフイにしたくないし、とにかく謝り倒すしかないか。
 そう判断して頭を下げようとしたとき、少し離れた窓辺から天の助けが入った。

「勘弁したってぇな。その男は痴れ者の類やあらへんえ」

 小鳥のようなさえずりが空間に広がる。出所は、窓より差し込む陽光を背負った十二・三歳ほどの少女だ。

「ロリコンやけどなあ」

 本当に助け……なのか?
 助け舟の真偽はともかく、効果はあった。
 大村店長は歩みを止めて、まだ幼さが残る和装の少女を見る。

「アンタ、この痴漢の助手なんでしょ。肩を持ってるだけじゃないの?」

 いい加減なことは許さない、という気迫が大村から放たれていた。
 小さな少女はそのオーラを正面から受けるも、動じた様子は無い。藍色の着物の袖で口元を隠し、コロコロと笑う。

「そんなんしても、一杯の茶代にもならへんわ。まあ、聞きい」

 彼女は色白の指を伸ばし、大村が持つ涙に濡れたアンティーク・ドールへ向けた。

「その人形……なんで泣いてると思うん?」
「はあ? アンタ、その事と痴漢男の何の関係が……」
「その人形なあ、さっきから『痛い痛い』言うてるんえ」
「えっ?」

 大村店長はギョッとして目を見張り、手元の人形を見る。
 「気味が悪い」と言いつつも泣き人形へ愛情を寄せた店長だが、オカルトへの恐怖は、普通の人と変わらないようだ。

「ウチには聞こえるえ、物言えんヒトガタの嘆き声が。ずっと……ううん、店に入ったときからなあ、ずっとずうっと『痛い痛い、痛い痛い』って言うてるんやわあ」

 つるり、と人形が大村の手から抜け落ちた。

「おっと!」

 それを予想していた俺は、床に落ちる寸前に両手で受ける。危うく間に合った。
 怪奇現象を体験した一般人への怪談。それは、生中を一気飲みさせた下戸へスピリタスも同然の行為だ。

 固まった大村を見て、俺は「やりすぎだ」という視線を投げかけるも、少女は気にもかけない。
 大村店長は身体を硬直させたまま、藍色の少女を凝視する。

「今の話……本当なの…………?」

 少女は軽く頭を傾けた。

「さあ? にわかには信じられへん話やろうしなあ」

 そして店内の年代物の人形達を見回し、うっすらと笑う。

「せやけど、今夜あたりおまえも――」
「ランっ!」

 俺の鋭い声にランと呼ばれた少女の動きが止まった。
 彼女はじとりとこちらを見て、おもしろくなさそうに顔を背けた。肩先まで伸びた黒髪が、ふわりと円弧を描く。

「やれやれ……」

 それを見て俺は頭を掻いた。ランのやつ、ふて腐れてないといいんだけど。
 とりあえず自分が大村から責められるという状況は、人形への注目という形へシフトした。
 方法はともかく、少女の確かな助力に内心感謝しつつ、俺は哀れな被害者の前に立つ。

「あの……大丈夫ですから。ワタシが責任をもって解決しますから。今日でおかしなことは、おしまいです」

 暗闇に放り込まれた子供のような顔つきで、大村店長はこちらを見つめる。

「……本当に?」
「ええ」

 俺は力強くうなずく。両手のひらには慎重に抱いた人形がある。

「この人形は、怖がらせようと思って泣いてるわけじゃないんです。理由があるんです。その説明の件で、ドレスの中を拝見しなければならないんですが……いいですか?」

 あわせて「先ほどは不躾なマネをして、すみませんでした」と伝える。
 こちらの真意で誤解が解けたらしく、店長はおずおずと了承してくれた。

 許可の下りた今回は悠々と、しかし丁重に翡翠色のドレス裾を引き上げる。
 服と同色の下着が見えた。だが、これを脱がすことは出来ない。
 どうやら素体へ直接縫い付けるタイプらしい。

「ここです……人形の股関節部分」

 稼動域いっぱいまで広げた股関節の奥。上肢部と腰部の隙間へ、下着の布越しに指を這わせる。
 すると何かの硬い感触と、内部からはみ出た柔らかい綿が手に当たった。

「関節の奥に何かあるんですよ。それと中の綿が出ちゃってます」

 俺に習って問題部分を改めた大村店長が、眉をひそめる。

「……たしかにそうね。人形ちゃん達を引き取るときは、ひと通り調べるんだけど、全然気づかなかったわ」
「この硬いのは何なんでしょうかね」
「ズロースの裁縫を一度ほどかなきゃわからないけど、縫い針じゃないかしら。前の持ち主が修理中にヘマして、小さい針を埋め込んじゃったとか。下手なうちはやっちゃうんだけどね。でもサルベージしようとなると、素体をほどく大作業になるから、初心者には難しい。それで腕が上がったら……と思ったものの忘れちゃったりとか。ありがちよね……」

 宙へ視線を投げかける店主。とつとつと語る彼女にも似たようなことがあったのだろう。
 語り内容の通りだとしたら、よく動く関節の内に忘れられた異物のせいで、関節縫合部が破れて中身が出たということになる。
 人間で例えるならオペ中に置き忘れられたメス……か。どっかのマンガで見たような。
 確認の用はすんだので、大村は人形の服装を整え出した。

「もしこれが人間の体だったら、痛いじゃすまなかったでしょうねえ……。この子が泣いた理由、それが針のことなの?」
「素体が破けていることも含めて、そうだと思います」
「ふーん……でもそれって、すごく曖昧というか……抽象的で……」
「うさんくさい、ですか?」

 俺が少し意地悪く聞いてみると、店長は慌てて首を振った。だが本音のところは「YES」だろう。

「はははっ、いいですよ、気持ちは分かります。『人形が涙を流した。もしや、どこかが痛むのでは? 患部はどこだ』なんて考え、眉をしかめて当然ですよ」

 陽気に笑う俺に対して、大村は困ったように同意する。その顔つきはとても日本人らしかった。

「とはいえ、呪物――その人形のような常に無い現象をもたらす物体を、我々はそう呼ぶのですが、呪物の作用というのはひどく観念的なものです。あえて言うならば、いっそ子供じみて純朴なアナロジーですらあります」

 俺はそばにあった装飾リースの青葉を撫でる。

「こんな言葉があります。“草木もの言う。草木も眠る”……風鳴りで夜毎ささやく植物も、見た目は違えど人と同様に“笑い、泣く”存在である、と。そのように古代人は自然を神秘的に解釈しました。しかしその解釈は、人による一方向な片思いではなかった……」
「――――卵が先か、鶏が先か。そんなん関係あらへん。人がどう思おうが、神秘はたしかに、そこかしこにあるんえ。それがときに、変事となって表れるんや。そこな毛唐人形のようになあ」

 カラコロと、下駄を可愛らしく鳴らせて和人形みたいな少女が近づいてきた。
 先ほどランから散々脅された大村は、盛り上がった筋肉を縮めて、わずかに身を退ける。

「そ、それは充分にわかったわよ。この子は現に泣いているんですもの……。アンタ――いいえ、関屋さん。あなたはさっき、この子が泣くのは脅すためじゃないって言ったわよね?」
「ええ、その人形は『助けて欲しい』と訴えているだけです。物を言えないばかりに、奇異な形になってしまいましたが。害意はありません」
「じゃあ、どうすればいいの? 針を取り除いて、身体を直してあげればいいの?」
「ええ、そうしてあげてください。ですが――」

 ガラスの瞳からこぼれた涙。
 それのせいで汚れてしまった人形のほほへ、指を触れる。
 舌上にじわりと苦味が広がった。

「その前にやることがあります。せっかく修繕しても、このままでは近いうちに怪事が起こるでしょう。涙は穢れの象徴だからです。泣くことで霊的な力が流出し、代わって穢れが付着した危うい状態――、今の人形は不浄なモノが憑きやすい状態と言えます」
「……不浄なモノ?」

 店長の疑問へ俺が答える前に、ランが口を挟もうとする。
 ご丁寧に両手を肩まで上げて、手首を支えに手のひらをふり動しながら。

「いわゆる悪霊の類や。そいつらが人形に入り込んで祟りを起こすんえ。もう夏やしピッタリな話やなあ」

 たゆらに揺れる黒髪に白磁の肌。藍の紬をまとったランは和人形のようで、まさに怪談に登場しそうで笑えない。
 一方の俺はというと、この前にホラー映画で見たチャキチャキチャッキーな濃い顔のメリケン人形が、ナイフを右手に歩く光景を頭に描いた。
 ワビサビのかけらも無いイメージに、我ながら苦笑してしまう。

 しかし災厄の焦点にいる大村店長には、たまらない演出のようだった。

「…………いいかげん、私も泣くわよ」

 涙腺を限界まで緩ませたゴスロリ筋肉が、変なキレ方で訴えてくる。
 R指定が付きそうな絵図なので、人形だけでなく、こちらの求めにも応じざるを得ない。

「だ、だいじょーぶですってっ、そんなこと、起きないようにしますから。……こらっ、ラン。悪ふざけをするな」

 いまだに店長の前で、怪奇人形のマネをする少女を止める。
 後ろから両肩を抑えて、体ごと封じようとしたら肘鉄を脇腹にもらった。ひどい……。

「先、に、言った通り、ワタシが完璧に処理します。問題ないです。安心してください」

 腹へ手を押さえ、涙まじりで「安心しろ」と言ってもサマにならない。
 けれども身体を震わす大村は、遭難中に発見した山小屋を見る目で、ただ一言――。

「お願い……」

 俺は信頼に応えるべく、胸を張って大きくうなずく。

「はい、お任せください」

 そして、付け加えることがある。

「あの……、料金は事前に了承してもらった値段から、変わることはありませんので」

 霊感商法に引っかからないために必須のことだった。
 ただし、ランが何度も依頼者を脅かしてくれたので、法的にギリギリかもしれない。
 事がすんだ後、法廷に俺が訴えられなければいいが……。

 依頼を遂行するために、大村店長には店の外へ退出してもらった。
 俺の目の前には、穢れに満ちた泣き人形。隣には和人形と見紛う小さな少女。
 さらにドール・ショップの店内には、ひっそりと無言で俺達を見つめる壁の花たち。
 なんだか人形だらけだと思った。

「とはいえ、この依頼品の人形……」

 ついぶやいた俺の後を継ぐように、ランが口を開く。

「十中八九、九十九やんなあ。まあ、まだ“成りかけ”の段階やろうけどなあ」

 年経た器物に魂が宿る。それが妖怪、九十九。

「半端な魂でも、それがあらへんかったら、そもそも涙による穢れ――“気枯れ”はせんしなあ。人形の中に、流出する元の魂気があらへんと辻褄が合わへんし……。せやけど、まだ髪が伸びるほどには至らんかあ」

 ちらりと少女が、こちらを流し見る。目元の両端に浮かぶ天然のアイシャドウが、いやに印象的だった。

「おまえ、どうするん? このこと、あの女男に言わんでええん?」
「まあ、おいおいな。今の大村さんの精神状態で伝えると、彼女にとっても人形にとっても、いい結果になりそうもないからさ」

 俺は机の上に寝かされた人形を見る。
 大正時代というと百年近く前だ。
 それなのに、ほつれなどなく、汚れも少ない。経年による生地の変色はあっても、とても綺麗なものだ。

「この人形は大切にされていることがわかる。穢れちゃいるが、なかば妖怪なのに悪意を感じない。ほら、悪害の感情があったら、もっと苦味がピリリッって感じだし」

 俺の確信をもった発言に、ランがあきれたように首を振った。

「おまえの変態的な能力なんか知るかいなあ」
「変態とか、ひどっ。家系的にちょっと変わった体質なだけだ。まあともかく、人形から穢れを除いたら、人に大切にされてきたこいつは、守り神的な存在になると思う。そんなイイやつなんだから、ちゃんとした落とし所を選んであげたいじゃないか」
「ふん……、人間にとっての“イイ”なんて評価……」

 面白くなさそうに少女は黙り込んだ。しかしそれも少しの間。彼女の瞳は細められ、からかいの表情になる。

「怪異の原因、九十九いう線で話が進んでるみたいやけど、亡霊やったりしてなあ」
「それこそ、ありえない。霊が現世に残留するには強い念が必要だ。そして大概、その念は怨念だってこと、おまえもよく知っているだろう? 怨念以外の可能性は都市伝説レベルだから、考えるだけ無駄だしな」

 つまりは悪霊。それなら俺の舌が異常を感じ取る。
 大きくタメ息をついた少女は、空気を払うように手を振った。

「冗談や冗談。真面目に答えぇな、つまらんやっちゃなあ。これやから機転の利かへん男は……」
「へえへえ、つまんない男で、すみませんねえ」

 彼女の一言には、わりと傷つくことが多々である。
 とはいえ言い返そうものなら、倍返しという展開が俺を心待ちにしている。
 古今東西、口の数で男は女に勝てることなど無いのだ。

 結局、ルーズなドッグは尾っぽを丸めて作業へ取り掛かることにした。

「さーて、それじゃ始めますか……の前に、ランさ~ん」
「男が気色悪い声出すん、やめぇ。なんえ?」
「もう口の中が苦くって苦くってさあ。アメ欲しいかな~なんて」
「しょうがあらへんなあ……」

 少女がぶすぶすながら、袂からコブシ大のスチール製の箱を取り出した。
 ホタルが飛び交いそうな、郷愁ただようキャンディ缶だ。振られると、中身の飴たちの遊ぶ音がカラカラと小気味よく鳴った。

「何味が、ええん?」
「そうだなあ、本日は……『初恋は甘酸っぱく胸をさいなむもの――。初キッスは愛しくも切ないレモン味』で」
「…………頭、湧いてんちゃうん?」

 あきれた表情をしつつも、ランは希望通りのレモンキャンディを渡してくれた。
 俺はさっそく口へ放り込む。さわやかな甘みが、既住者だった苦味を追い出した。
 甘味の助勢でヤル気増し増し、どんぶり山盛りだ。

「さーて、今度こそ始めますか」

 ゆっくりと息を長く吐き、身体を転回する。人形ではなく傍に立つランの方へ。ついで膝をつく。
 少女へは手が届く位置なのに、ひどく遠くから彼女が俯瞰しているように感じた。

 俺は手のひらを打ち鳴らした。
 続けてもう一拍のために腕を広げるが、手を打ち合わす寸前で止める。
 そして、厳かに無音で手のひらを合わせる。

 束の間のしじま。

「それでは……」

 ランは何ごとも発さず、静かにこちらを見据えている。
 俺は彼女へ頭を伏せ――。

「――――綾に畏き御柩の御前に、恐み恐み申し上げる」



[29050] 形見人形編03 うららかな朝、そして
Name: 猫町にゃん之助◆96d05fd5 ID:96908137
Date: 2011/08/03 20:18
 本日は天気晴朗なり。波の高さは、海が遠いからわからないけど。
 付け加えるなら俺の心の天気もまっ晴れだ。
 前日に果たした依頼の報酬を手にしたので、ようやく人並みの生活ができる。

〈――今日、梅雨の明けた最初の土曜日は、絶好の海水浴日和になりましたあ。見てくださぁい、照り付ける太陽のまぶしさに、打ち寄せる波の穏やかなこと。でも小さなお子さんへは充分、注意してあげてくださぁい。以上、須磨海水浴場からお伝えしましたあ――〉

 テレビから媚びっ媚びの猫なで声が流れてきた。
 うらやまけしからんビキニ姿の某局アナが、手を振っている。ついでに豊かな胸部も。
 思わず視線を一点集中してしまうのが、男の悲しいサガだ。

「はいっ、モーニングふたつ、お待たせしました」
「ありがとう、美弥ちゃん」

 店内に据え付けられたテレビから、『喫茶 スエズエ』の看板娘へ意識が移った。
 彼女の手にはクロワッサンに目玉焼きとサラダ、そしてコーヒーを添えられた楕円形のディッシュが二つ。
 手慣れた動作で美弥ちゃんは、俺とランのテーブルに二品を並べてゆく。

「海、いいですよねえ。京都から海へ行こうと思ったら、泊りじゃなきゃ厳しいですもんねえ」

 彼女の後頭部で揺れるポニーテールを目の端で追いながら、俺はのんびり考えてみた。

「北は舞鶴、南は大阪湾……じゃ汚水でしかないし、泳ぐとしたら兵庫県の中央部、か。たしかに遠いよね」
「はい、遠いです。おこづかいだけじゃ往復の電車賃も出ないし……。いいなあ、海で思いっきり泳ぎたいなあ」

 手ぶらになった彼女はクロールをするように腕を動かす。
 水泳部らしい日焼けした肌と合わさって、その主張には切実な響きがあった。

「うんうん、やっぱり夏の楽しみは海で泳ぐことだよねえ」
「はいっ!」

 美弥ちゃんは、元気いっぱいに顔をほころばせてうなずいてくれた。
 その笑顔のまま――。

「でも関屋さんの興味は、海で“女の人のおっぱい”を見ることですよね」
「あ、あはははは……」

 俺は乾いた笑いしか出ない。自分としては普通にテレビを観ているように装ったのだが、なぜか感づかれていたらしい。
 直観力に優れた多感な中学生のなせるワザか?
 とりあえず話題を避けるようにアイスコーヒーへ手を伸ばす。

「にがぃ……」

 ガムシロップを入れ忘れていた。ミルクも。しかし、場つなぎでコーヒーをのどへ流し続ける。
 生涯の敵である苦い系飲料に心が悲鳴を上げていた。

「みっともあらへんなあ、何うろたえることがあるん?」

 対面に座るランがサラダをつつきながら、あきれた顔をしていた。

「孝助は大きい娘に興味なかったやろ? 安心しい、ウチはわかっとる」
「人聞きの悪いことを言うな」

 背の高い女性だと、自分の低身長にコンプレックスを抱いてしまうだけだ。
 身内にしか見せない微笑で和服少女はうなずいてくれるが、誤解されそうな言説のどこに安心したらいいのか。
 ふと気づくと、水泳少女が自分の薄い胸元を、両手でエプロン越しにペタペタ叩いていた。

「そっかあ……、関屋さんはロリコンさんだったんだあ……」

 ほら見ろ。もう誤解されたじゃないか。

「じゃあ、あたしとかでもオッケーですか?」

 自分を指差し、小麦色のほほに朱を乗せてはにかむ美弥ちゃん。
 意味が広範すぎて、何が「オッケー」なのかイマイチわからないけど、君の笑顔はまぶしいです。
 とりあえず、親指を立ててサムズアップしようと思う。

「もちろん、最高だ――」
「そりゃあ、よかった」

 突然伸びてきた傷だらけの太い腕が、俺と美弥ちゃんの視界を割った。

「うちのコーヒーをそんなに喜んでくれるなんて、いやあ嬉しいねえ。ほら、もっと飲めや」

 もうもうと湯気の立ち昇る真っ黒なコーヒーが、俺の持つアイスグラスへぶち込まれた。
 強烈な熱変動によってガラスの内部崩壊する音が聞こえる。

「あの……マスター? なんかヒビが入っちゃてるんすけど……」
「んな細かいこたあ、若けぇうちは気にすんな。オススメはブラックやからな。余計ないらんもんは持って行っといたるわ」

 意地悪い顔つきで、ぽいぽいっとマスターに未使用のガムシロップとミルク、砂糖壷まで回収されてしまった。
 そして彼は去り際にぼそりと、俺だけに聞こえるようにささやく。

「それと、うちの娘にちょっかい出しよったら……」

 彼はテレビを指差す。大阪湾南港の映像が流れていた。

「ナンコ(南港)にコンクリやからのお」

 そこではドラム缶に入った変死体が発見されたとのことだった。
 俺は一も二も無く飛び上がって敬礼をする。

「了解っす!」
「さよけ。ほんなら、ええわい」

 マスターは分厚い手のひらで俺の肩を叩いて、カウンター裏へと去っていった。
 そのガタイのよい後ろ姿は、どうみても現役時代に武闘派を思わせるものだった。

「……情けなぁ」

 見た目、美弥ちゃんより幼い少女が、ぽそりと明快な感想をくれる。だが、反論する気も起きない。
 目下の問題は一難去ってまた一難。手元のコーヒーだ。

 呪術に使う蟲毒のごとき、どす黒いコーヒーに戦慄する。これが本物の呪毒なら、グラス越しでも俺の舌なら感じ取れるはずだ。
 しかし、手に触れても苦くない。ホッとしたような、そうでないような。
 とりあえず毒々しいくらいの墨コーヒーを、無言でランの元へずり動かすことにした。

「ウチに飲めぇて? しゃーないなあ」

 言葉のわりに彼女の目元はゆるんでいた。

「苦いもんを嫌いやなんて、おまえはホンマ子供の舌やなあ」
「甘いものが好きじゃないランこそ、人生の八割は損してるよ」
「……またですか、お二人も飽きませんねえ」

 タメ息をつく美弥ちゃんの言うとおり、それはいつものやりとり。いやあ、平和な世の中だ。

「ところで、関屋さん? たまっている家賃と光熱費の支払いはまだですか?」

 穏やかな日々が瓦解する。
 平和とは闘争と闘争の中だるみである、とは誰の言か。
 晴れやかな顔つきで、家賃の催促を切り出す彼女はなかなかの強者だ。俺が拝借している部屋の家主――つまりマスターの代わりを担う胆力は、伊達ではない。

「へへっ、これに」

 俺は越後屋よろしく、お代官様へ諭吉を身売りする。しかし美弥代官は渋い顔だ。

「ちょおっとばかり少ないですねえ……。これじゃ先月分の家賃は足りても、光熱費まで出ませんよ。あんまり滞りがちになると……」

 彼女の言葉を継ぐように、マスターがカウンターから声を張り上げた。

「関屋ぁ、おまえ、ちょっと愛媛に行ってみいひんか?」
「え、愛媛っすか? いやあ、ちょっと行く予定とか無いっすねえ」
「そっかあ……、でもそのうち行くかもしれへんから、知っといても悪ぅないで」

 マスターは不気味なくらいの笑顔でコップを拭いていた。
 不吉な予感が頭をかすめたが、「何を」知っておくといいのか気になった。

「……愛媛に何かあるんすか?」
「ええ温泉とか、まあいろいろあるわ。せやけど、なかでも今アツイんが病院や。――――若いもんの腎臓は人気が高いさかい」
「うひぃ~……」

 家賃回収の延長話だったのか。それもブラックの。
 聞いて損した。欝になるだけだ。

「もうっ、お父さん、カタギの人を脅かしちゃダメじゃない!」
「あれ、そうなんか? 関屋は“こっち側”の匂いがしたんやけどな」
「いえいえいえ、俺は至極まっとうに“そっち側”じゃないっす。そりゃあ、ちょっと変わった仕事してますけど……」

 顔の引きつりそうな誤解をされていた。
 自分に対する世間一般の認識について、しばし頭を悩ませる。

「お仕事って《雪士会》とかいうところの派遣業でしたっけ? 具体的に何するんですか?」

 元気な中学生少女がリスみたいにつぶらな瞳をぶつけてきた。
 誤解払拭のチャンスかもしれない。

「そうだねえ……、困っている人の悩み事を聞いてあげたり、疲れている人を心身ともに快復するのを手伝ったり……。一種のサービス業かな」
「ふーん、うちの学校のカウンセラーみたいなものですか……」
「まあ、そんな感じかもねえ」

 少女がひとりでに良いイメージを固めてくれたので、俺は曖昧にうなずく。
 とりあえずマシな方向へ一歩前進だ。

「関屋ぁ、なにボケたこと言うとんねん。要はおまえ、拝み屋やろ」

 さっそく二歩後退だ。さすが北風役のマスター。

「…………“おがみや”?」

 人差し指でアゴをつつきながら、美弥ちゃんは思案顔だ。
 中学生には縁の無い言葉だよなあ。

「拝み屋言うたらオカルト専門の相談業みたいなもんや。まあ、最近は需要が増えて社会的に認められつつあるけどな。……せやけどワシから言わせてもらえば、むにゃむにゃ眠たいことほざきよる街角の辻占いと変わらんわ。うさんくさっ」

 率直なご意見、ありがとうございます。これで俺のイメージは急下降だ。
 しかし美弥ちゃんは、きらきらと輝かせた眼差しをこちらへ向けていた。

「へーっ、へーっ、オカルト……占いかあ……」

 看板娘から胡乱な目つきで蔑まれることを覚悟していた俺には、その反応は意外だった。
 何気に、いつもより互いの距離が近い気がする。

「なんだかすっごく神秘的でステキですねっ。身近にこんな人がいたなんて……あこがれちゃうな~」
「そ、そうかい?」

 俺は思わぬ賞賛を受け、ほほを掻く。
 そういえば美弥ちゃんくらいの年頃の娘ってオカルト関係に興味があったっけ。
 男子は校庭でドッヂ・ボール、女子は教室でコックリさん。
 これが日本の古きよき小・中学校のカタチである……はず。とっくにレッド・ブックだけどな。

「あかんっ、あかんでっ、美弥!」

 焦りに満ちた表情で、マスターがカウンターから身を乗り出してきた。

「関屋みたいなようわからん稼業についとるやつ、将来性が無いし信頼できん。第一、しょっちゅう家賃を滞納しよる甲斐性無しや」
「この人の収入の低さは、あたしがよく知ってます。ときたま心配になっちゃうけど……。でもそれと関屋さんの人柄と、何の関係があるのよ!」

 力いっぱい擁護してくれる美弥ちゃんには嬉しいが、なんだろう、この胸の奥をさいなむ疼きは……。
 原因はもちろん、中学生から所得を気に掛けられる情けなさだ。成り立てとはいえ社会人として恥ずかしい。今すぐテーブルの下へ潜りたくなる。

 ふと視線を感じると、グラスに入ったコーヒーをちびちび飲んでいたランが、まん丸い黒曜石のごとき瞳を向けていた。隈取のような目端の陰りが、いっそ神秘的ですらある。
 慰めのひとつでも掛けてくれるのかと俺が期待したら、やつは鼻で笑いやがった。
 そして両手でグラスを抱えて、乳飲み子みたいな作業を再開。もはや彼女の視界には黒い液体しか映っていないようだ。

「へえへえ、どーせ俺は稼ぎの少ないロクでなしですよ」

 もはや味方らしい味方はいないので、俺は腐るしかなかった。
 手持ちぶたさにテレビへ意識を飛ばす。

〈――さん宅から夫婦の遺体が見つかりました。隣人の話では、夫婦に普段の会話は無かったとのことです。警察の見解では、状況から妻が無理心中を図ったのではないかと――〉

 ろくなニュースが流れていないので辟易とする。気分転換にもならない。思わずタメ息がもれた。

「化けて出られたら、誰が退治すると思ってんだよ。和魂を備えた穏やかな霊なんか、ゼロコンマ未満の存在率だからなあ。稼業的には儲かり話なんだろうけど……」

 意識を店内へ戻すと、親子の会話はいさかいレベルまで発展しようとしていた。

「…………わからんやっちゃなあ。惚れた晴れたとかしょーもない。関屋みたいなん、おまえにふさわしない言うとんのや!」
「んなぁっ」

 瞬間、美弥ちゃんが顔を真っ赤にして硬直した。
 その様子から、彼女が俺を慕ってくれている表れだったら嬉しい……けれども。

「だとしても、あと数年後か……」

 中学生の年齢では、自分の気持ちを読み解くには、ほんの少しだけ早いだろう。そこにつけこむのは、さすがに外道すぎると思う。
 しだいに美弥ちゃんの剣幕は、活火山さながら怒涛の勢いとなっていった。

「だからお父さん! あたしの“そういうトコロ”にまで関わらないでって、何度言ったらわかるのっ!」
「アホッ! ワシは、美弥が変な男に引っかからんようにやなあ」
「あたしはもう子供じゃないのよ、口出さないで!」
「なんやとっ、生意気な!」

 喧々囂々と親子ゲンカが始まった。気性の荒いマスターと、一歩も引かない娘の争いは苛烈だ。
 店内はお盆が飛び交い、撒き塩代わりに砂糖壷の中身がぶちまけられる。
 客の大半は代金をテーブルに置いてそそくさと出て行った。残る人間は観戦目的の変わり者くらいだ。
 だが見物する物好きの気持ちは、わからなくもない。親子が気持ちいいくらい啖呵を切りあうので、傍目に見ていても清々しい。

 今日び、どれだけの人たちが腹の底から本音をぶつけ合うことがあるだろう。
 だから観る際に危険はあるが、得るものもある。
 日常を通して、腹の底に凝りたまっていったドロドロの思いを、親子が代わりに解き放ってくれるようで胸がすくのだ。

 ヒートビート真っ最中の親子ゲンカの下、パラパラと紙のすれる音が耳に届く。

「……ところで、ランはさっきから何を読んでいるんだ?」
「んーとなあ」

 ちんまり座る少女が、小冊子の背表紙をこちらへ向けた。

「え~なになに……『一週間でマスター これでアナタも催眠術師』って、なんだこりゃ?」

 使い古された文句と、七三分けで糸に吊るした五円玉を持つ男のカバーデザイン。
 今どきツールがコインの催眠術とか、ある意味、購買者へパケ買いすらさせない殊勝な本だと思う。

「つーか、なんで催眠術……」

 ただでさえ「うさんくさい」イメージの俺達に、催眠術なんぞを加えたら、眉ツバの拍車が掛かりそうだ。
 少女のチョイス・ミスで内心あきれる俺を目にしたからか、ランはおっかなびっくりの様子になる。

「……あんなあ、ウチって一応、孝助の助手やろお? せやから、なんか特技でも身に付けとこぉ思ぅてなあ」

 上目遣いの彼女は、ほほを桃色に染め上げ、本で口元を隠す。

「ウチも、いろいろ役立てたいし……」
「そっか」

 そのような、けなげなことを告白されては、何を言っても無粋になる。
 こちらができることは、ひとつだけだと思う。

「頑張れよ、応援するぞ」

 俺が笑ってうなずくと、少女は黒い瞳を少し見開いてから、とうとう本で顔を覆ってしまった。

「…………似合わんこと言いなあ……」
「あれ? 扱いひどくね? リアクション、もしかして俺がミスった?」

 おそらく少女は照れくさいだけだろうと、俺は思った。
 珍しい彼女の仕草を内心楽しんでいると、『スエズエ』の動乱も収束に向かっていった。

「――――わかったわかった、この話はまた今度な。美弥ぁ、おまえ、もう部活に行かなあかんやろ」
「え、もうこんな時間? あ、でも注意報だけ見ておかなくちゃ」

 突発的な親子の衝突は終るときも唐突だ。そして言い分は通らなくとも、不思議と彼らの顔つきは晴れやかだった。
 ケンカという行為は粗暴でしかないが、ときに気持ちを発散することは良い方法だと思う。
 少なくとも彼ら親子の間では、ニュースの夫婦みたいに致命的な終局には至らないだろう。

〈――これで全国の天気予報は以上です。続きまして、本日の各地の日没警戒情報です。北海道東部の日没予想時刻は――〉

 いつからか定番となった日没情報を耳に流していると、ポケットの中から仕事用のケータイが鳴った。
 応じるために、すぐさま便所へ飛び込む。

「はい、関屋です。……ええ、予定はありません……、えっ、今日ですか? 午後から……。はい、わかりました。先方へうかがいますので、登録お願いします。では失礼します」

 《雪士会》からの業務紹介だった。
 ラッキーだ。依頼はせいぜい、半月に一回程度しかないのに。
 俺が席へ戻ると、ランは本にしおりを挟んで閉じる。挟まれたページは、ほとんど末尾だった。

「仕事?」
「おう、洛西支部から連絡があった。二日続けて依頼なんてツイてるな!」
「そうやなあ。せやけど、幸運の振り戻しがあったら怖いなあ」
「ヤなこと言うなよ」

 都合の悪いジンクスは信じません。
 悪運を振り払うように、俺は勢いよく椅子から立ち上がった。
 ふと気づくと、エプロンを脱いだ制服姿の美弥ちゃんが、ハイタッチの構えで待っていた。

「よかったですね、関屋さん、ランちゃん。お二人とも、お仕事、頑張ってくださいねっ」

 元気少女の祝福に、俺は笑顔で応じる。
 軽やかな音が打ち鳴らされ、門出の厄払いとなった。
 先ほどの騒動で砂糖まみれになった床。そこを、せこせこと履き掃除するマスターと目が会った。

「しっかり稼いでこいよ」
「うっす。それじゃマスター、行ってきます」

 扉を開くと、ドアベルが美弥ちゃんみたいに鳴り響いた。
 気圧差で、店内の涼しい風が耳元を駆け抜ける。その風に乗って届けられるニュースキャスターの声。

〈――日没までにご帰宅ください。それが難しい方は常夜灯の下から離れることを、決してなさらないでください。それでは皆様、よい一日を――〉

 外からは、目を開けていられないほどの日差しが降り注ぐ。空は山向こうまで青く遠い。

「まさに晴天、夏って感じ。いい日になりそうだ……」



[29050] 形見人形編04 依頼拝聴①
Name: 猫町にゃん之助◆96d05fd5 ID:96908137
Date: 2011/08/03 20:01
 太陽が中天を通り過ぎて一時間ほど。
 俺は京都市北区、宝ヶ池にある依頼社宅前に立っていた。

「えろう比叡山が近いなあ。家も大きいし……、ここ、京都とちゃうんちゃう?」

 家も山も仰ぎ見るように、藍色の着物裾を揺らす少女が背を反らしていた。
 京の町を北東から見下ろす比叡山。
 北西の愛宕山と対をなす蒼峰をバックにした邸宅は、なるほど、市内に建つ猫の額みたいな家屋が哀れになるくらい広々とした門構えだった。

「土地が比較的安いのか、はたまた開発ラッシュの初期で土地が余りぎみだったのか……。どちらにせよ俺たち貧民にはカンケーないさ」
「貧乏なんは孝助のせいえ?」

 風に流れる黒髪の隙間から白い視線を送られたが、俺は断固として無視する。
 何も返さない俺を見た少女は、少しむくれたようだ。

「……それにしても、おまえ、その格好は似合わんなあ」
「ほっとけ!」

 俺の格好――いわゆる新卒が着るような紺のリクルート・スーツ。安物だが、そんな物でも大事な一張羅だ。
 初夏の照り付けで、じわり背に汗が浮き出る。ああ、夏スーツが欲しい……。

 額にハンカチを押し付ける俺の様子を、ランが一瞥する。
 肌襦袢に長襦袢、絹の紬をきっちりと着付けた少女の姿も、夏の装いとしては重苦しい。
 けれども不思議と彼女に、熱気による不快感など見受けられない。

「暑そうやなあ。夏用のそれ、買ぅたらどない?」
「金があったらな……」
「貧乏は嫌やなあ」

 かたくなまでに無視。

「……さぁて、お宅訪問といきますか」
「人の話し、聞いてるん?」



 チャイムを鳴らして出迎えに来たお手伝いさんへほどほどに挨拶をし、通されたリビングはやはり広い。2DKの俺の部屋がすっぽり入るんじゃないだろうか。

「客間ではなく、居間へお連れして申し訳ない。しかし、こちらの方が話は早いと思ったのでね」

 この邸宅の主――九里屋茂(くりやしげる)さんが、ゆったりと頭を下げてきた。
 俺のような小市民的な、コメツキバッタのごとき謝り方とは全く違う。
 これが金持ちの風格なのか。それとも九里屋さんみたいに四十代になれば、自然と身につくものなんだろうか。

「ええ、そのようですね。気にしないでください」

 こちらも負けじと、できる限り余裕のある対応をしてみる。
 結果は、俺の隣に座るランの失笑で判明した。
 即座に馬鹿らしくなって止めた。いやあ、巨岩の前の石ころな気分だ。張り合うだけ無駄。

「それにしてもすごいですね……」

 そう伝えるしかないほど、リビングの中は異界だった。

 右を向けば、金色に輝く小さな観音像から始まって、青銅の香炉、写し鏡、菩薩の絵画、注連縄を掛けたよくわからん石、榊の活けられた花瓶、等々……。
 左を向けば、聖母マリアの木彫刻、ロザリオの首飾り、磔刑で血をダラダラ流した東洋人には理解不能な教祖像、銀の燭台、モザイクの宗教画、エトセトラ、エトセトラ……。

 つまり、ソファやテーブルといった最低限の調度品以外の家具にはすべて、宗教色のある品々であふれ返っていた。
 壁にも掛け軸やお寺で見る五色布などが掛かり、壁紙が見えないくらいだ。
 よくもまあ、こんなに節操無く集めたもんだとあきれるばかり。言葉が続かない。

「妻の趣味でね。いやはや、お恥ずかしい」

 きまりが悪そうに、後ろ頭を掻く依頼者。まあ、俺も当人なら部外者にこんな部屋は見せないだろう。

「いえいえ、本当に気にしないでください。商売柄、慣れていますので」
「そう言ってもらえると、助かるよ」

 九里屋さんは、本心から安堵したような笑みを浮かべる。
 その優しげな相貌は、向かい合う人間の心を解きほぐすようだった。
 実のところ、俺はまだ仕事に慣れていない。それなのに、やたらとリラックスしてしまった。

 相手の懐深くに歩み寄る行為。これがスキルの一環だとしたら、すっかり術中にはまり込んだのだろう。
 豊かな口ひげを撫でている彼の姿からは、そんなこと想像できないが。

「……あら、もうお着きになったのね…………。遅れた無作法、申し訳ありません……」

 扉が開き、九里屋さんより一回り若い女性が入ってきた。おそらく奥さんだろう。
 化粧では隠しきれない、やせて青白い顔つきの彼女。
 目尻の冴えた美人さんだと思うが、ゆったりと構える夫と違って、奥さんはどことなく攻撃的に見えた。

「妻の千佳です」

 九里屋さんの紹介で、ゆらりと千佳さんがお辞儀をした。
 俺も席を立って彼女にならう。

「この度はどうも。《雪士会》から派遣されました関屋孝助です。こちらは助手のラン」

 隣に座る少女を手のひらで示すが、対象に動きなし。基本的に無愛想・無配慮の人形みたいな子がいた。
 頼むから頭くらい下げてくれ。

「旦那さんへお伝えしましたが、当依頼でお話される内容や生じる事態などは、後ほど《雪士会》へ報告することになります。しかし守秘義務がありますので、《雪士会》からもワタシからも外部へ漏れることはありません。それだけはご安心ください」

 もはやマニュアル化した文言を一気にまくし立てた。我ながら手慣れたもんだ。
 俺が感慨深げな満足感にひたっていると、面前の革張りソファに座る千佳さんが、旦那さんへ耳打ちしていた。

「…………ほんとにこんな子たちで大丈夫なの……? まだ高校生くらいじゃない……。片方は小学生ほどだし……。あなた、騙されたんじゃないの……?」

 かすれ声なせいで少し聞き取りづらいが、しっかり丸聞こえだ。
 よくあることなので、いかにも俺は「気にしてませんよ」という笑みで座り込む。
 説得材料を探していると、また扉の方から声をかけられた。

「この方達なら大丈夫ですよ、千佳さん」

 首を回すと、お盆に麦茶の入ったグラスを乗せた老女がリビングへ入ってきた。
 彼女は門前で俺を出迎えてくれたお手伝いさんだ。互いの紹介は済んでいる。

「さあさ、ぬるくなったお茶を替えましょうね」
「あ、すみません」

 お婆さんはぬるい、というより空になった三つのグラスを取り替えてくれる。思わず俺は恐縮。
 そして、千佳さんの前にもお茶が置かれる。奥さんは目をつむって微動だにしなかった。

「タエさん、大丈夫ってどういう意味だね?」

 九里屋さんの当然の反応に、タエさんは少し当惑した顔つきをする。

「どうもこうも、この子たちは《雪使庁》の方でしょう? 昔、お世話になったのを、お忘れになったんですか?」
「……過去に世話になった?」

 逆に今度、狐につままれた表情になるのは九里屋さんの番だった。しかし突然、彼女は両手で口元を隠す。

「あら、ヤだ! あの時って、まだ坊ちゃまが生まれる前だったわ!」
「おいおい……」
「やあねえ、ついうっかりして……年を取るのはこれだから……。それじゃあ、坊ちゃまも千佳さんも知るよしないわねえ」

 おほほほ、とごまかすタエさんに対して、九里屋さんは困り顔で苦笑する。
 彼女はムードメーカーなのだろう。
 なにやら場がにぎやかになり、つられて俺も笑顔に。とりあえず麦茶を手にしようと――。

「タエさん! 奥様、旦那様と呼ぶよう、いつも言ってるでしょっ!」

 千佳さんがグラスをテーブルへ叩きつけた。
 激発の感情で肩を震わせる彼女の行為。中身の麦茶がこぼれないのが、不思議なくらいの勢いだった。

 空気が凍りつく。

「……あ…………」

 ぽつり、奥さんがつぶやいた。それ以上、何も言わずに身をよせて、うつむいてしまった。

 俺はグラスを取ろうと前かがみになったまま。
 横目でランを見ると、少女は麦茶を飲む姿勢で固まっていた。小さなあご先に、口端から伝う茶色の水滴を丸くふくらませて。
 九里屋さんとタエさんも似たり寄ったりだ。

 ともあれ、お茶が垂れ落ちる前に、と俺がハンカチを取り出す。
 それを契機に、時間が仕事を思い出したようだ。

「あ~、あ~、あっ……そうそう、タエさん、珍しい水羊羹があっただろう。あいつを持ってきてくれ!」
「そ、そうですね! それはいいですね。夏とはいっても、お茶請けがないのは寂しいですからねー」

 冷や汗まじりの作り笑いで二人も動き出す。
 俺がむずがるランの口元を拭いていると、思い出したように旦那さんは言葉を付け足した。

「あ、そうだ。タエさん、ついでに依頼品も見てもらおう。書斎に置いてある“アレ”を持ってきてくれないか?」
「あい、わかりました」

 命を受けて老女が立ち上がろうとするとき、また千佳さんがぼそりと。

「…………“アレ”」

 自然とひとつどころへ、場の注目が集まってしまう。
 しかし意に介さないのか、奥さんはふらりと立ち上がった。

「……あなた、…………お義母様の“アレ”をお見せするのでしたら、私は下がらせてもらいます……」
「あ、ああ、仕方ないな。君はもう休みなさい」

 夫の助言にうなずくと、彼女は俺とランへ一言。

「……ごめんなさいね…………」

 謝罪は目も合わせずに行われた。
 しかし、言葉の端にさまざまな感情が垣間見えて、腹立ちすら起こらなかった。ただ、「理由はわからないけど、大変なんだなあ」と思うだけ。

「奥様、大丈夫ですか? 寝室まで付いて行きましょうか?」
「……結構です」

 千佳さんはタエさんの介添えを断り、気力の枯れた陰鬼の歩みで部屋から出て行った。
 初めて相対したときより憔悴しているように感じられた。
 見送るタエさんは、ほおへ手を当て軽く息をつく。

「しょうのないお人……」
「まあ、そう言わないでやってくれ。千佳もつらいんだ」

 旦那さんの弁護に、タエさんは慌てて、ほおにあった手を口元へスライドさせた。

「あ、あら、ヤダ……。それじゃあ、わたしは取りに参りますねっ」

 どうもうっかり口を滑らせたようだった。彼女はにぎやかな足取りで退出してゆく。
 二人がいなくなってリビングは、しん……と妙な静けさに包まれた。

 俺は目線を、正面に座る九里屋さんへ合わせられない。右へ左へ、部屋中をさ迷う。気まずい、の一言だ。
 唯一の助けは手元のグラス。いや~、茶がうまい。
 場繋ぎに俺が麦茶をついばんでいると、やおら九里屋さんが両膝に手を置いた。
 その場で彼は頭を下げる。

「本当に申し訳ない。妻は元来気の強い人間だが、普段はああじゃないんだ。連日、夢にうなされていてね。心が休まる暇なく、心身ともに疲れきっているんだ」

 一見して門前の小僧でしかない俺に、これほど素直な謝意を見せる人は珍しい。
 少しあっけに取られた。
 それに構わず、彼は続ける。

「すでに色々と策は講じた。なかには効果のある品もあったが、すぐにダメになった。人にも会った。その……君達よりもソレらしい格好をした霊媒師だ。しかし助けにはならなかった」

 伏せられているので表情はわからないが、苦渋に歪んでいることだろう。声色で察せられた。

「途方にくれていた中、タエさんが君達――《雪士会》のことを思い出してくれたんだ。さっきみたいにね」

 九里屋さんは頭を上げて俺を見る。そして隣のランを。
 彼の瞳は、炎で燃え広がった森を背にした獣のようだった。

「お願いだ、助けてくれっ、もう妻は限界だ。どうか、どうか……、夜毎うなされる悪夢の原因を取り除いてほしいっ!」
 彼はもう一度、深々と頭を下げる。それこそ、膝頭を越えてテーブルへ額をぶつけそうなくらいに、深く深く。

 一連の様子を見て理解した。
 ああ、追い詰められているのは奥さんだけじゃない、この人もそうなんだ、と。
 俺は手にしたグラスを置き、静かに語りかける。

「任せてください。ワタシでしたら、微力ながら助けになれる自信があります」

 改めて室内を見渡す。洋の東西を問わない宗教関係の物品。
 よく見ると、ところどころに異彩を放つ品が目に付いた。
 宗教の本流から外れたもの。
 荒縄を巻きつけた石地蔵や、動物の頭蓋骨といった呪的な道具。苦しむ依頼者が残した足跡だろう。

 少しでもいいから、背の重みを引き受けてあげたいと思った。

「それにワタシの後ろには《雪士会》があります。ここには、いろんな得意分野を持つ人間がおります。技能の集合が組織の強みですから、怪事は必ず解消します。ですから……」

 俺は身を乗り出し、いまだに下を向いたままの九里屋さんの片手を取り、伝える。「一緒に、夜明けまで歩きましょう」と。
 彼が両手で懇願してきた。

「頼む……」

 こちらも気持ちを伝えるように手を強く握り返す――が、しばらくして頭の熱が冷めた。
 なにが「夜明けまで歩く」だ。我ながら、いくらなんでもクサすぎだろ。
 途端に羞恥が脊髄でほとばしる。

「な、なーに、なかば問題は解決したようなもんですっ」

 こーなったらもう、隣の少女を巻き込むことにしよう!
 俺は空いた片手で、静かに座るランの腕をつかんで引っ張る。
 黒髪を乱してとまどう女の子を、九里屋さんの前に引き寄せて言い放った。

「なんせこっちには、小さな女神さまが付いてますんで!」

 ちょっとした静寂。

「そ、そうかい……」

 間の抜けた夢から覚めたように、するりと旦那さんの手が俺から離れていった。
 渦中の少女は、みるみる白肌を桃色へと変えてゆく。

「…………ウチ、オチ要員ちゃうえ……」



 一応の信頼関係が築けたのか、九里屋さんと依頼以外の雑多なことも喋り合った。

 彼の家は京都で有数の油問屋だったこと。タエさんにはオシメを替えてもらっていたので、今でも頭が上がらないこと。部屋にある山積みの物品は、多くが旅行のお土産であること。奥さんの珍奇な趣味の発端は、小学生の時分に流行ったオカルトブームだったこと……などなど。
 俺の言う「男子は校庭で~」のくだりを、九里屋さんがやけにうなずいていて印象的だった。

 オチ要員は暇つぶしにか、部屋中の品々を見て回っていた。
 ときおり小さな悲鳴が聞こえたが、楽しげな物でも見つけたんだと思う。

「はーい、お待たせいたしました」

 話が盛りを過ぎた頃、ようやくタエさんが戻ってきた。
 左手に、茶器と茶菓子が載ったお盆。右手には、くだんの依頼品――“アレ”と思しき木箱。
 両手に物を抱えた彼女は、ドアノブを器用にお尻で押しこんで室内へ。

 部外者の前での横着に、少しだけ九里屋さんの顔が引きつっていた。
 箱を受け取ると、彼はそろりと脇へどける。

「せっかくだから、まずは水菓子を食べてからにしようか」

 テーブルの上に置かれた、冷え冷えとして旨そうな水羊羹。
 ひとつ変わった点といえば、あずき色ではなく、焦げ茶色をしているところだ。

「これは珍しく、ほうじ茶の水羊羹でね。葉茶屋だが茶房も開いている一風堂の新製品らしい。おもしろい味わいで……、まぁ能書きはいらないな。さあ、食べた食べた」

 旦那さんの勧めに、俺はありがたく頂こうとする。しかし隣に座る少女は、なんだか表情が硬い。

「一風堂かぁ……」

 ぽそり、と、俺にだけ聞こえる小声でランがつぶやいた。
 そこには実に不満そうな響きがこめられていた。
 ごちそうしてくれる相手へ失礼にもほどがあるので、彼女を肘でつつくと、それがスイッチだったかのように、また少女は小さく。

「ここ、代替わりしてから味落ちたんやわあ……」

 口の中で溶け入るような、かすかな声。
 面前の旦那さんに聞こえてないか、俺の心臓がバクバク音を立てる。ところが、話の内容自体には拍子抜けだ。

「なんだよ、その懐古趣味に囚われた発言は」

 黄金時代のまぶしさは人を魅了して放さない。
 だから過去を懐かしむあまり、前を見ようとしない人間ができてしまう。けれども、それではもったいない。
 輝かしい歴史は大切にするべきだ。それに付け加え、今後へも目を向けて、新たなモノを知ることも楽しみたい、と思う。

「ほんまえ? たしかに深い茶の渋みが、ぼやけ気味になって……、ほんでなあ――」
「それはお茶の話だろ? 茶菓子だと違うかもしれないぞ。とにかく食べてからにしようぜ」

 やたらと言葉が続くランをほうって、俺は水羊羹を一切れ、口へ放り込んだ。

 舌に滑り込んだ冷たさは、淡い甘みの細葛となって砕ける。
 その際に鼻を通る、かすかな芳香。
 ほうじ茶が焙煎されたときの薫煙は、残り香となって口内を包み込んだ。

「これは……」

 知らず、タメ息がもれていた。
 それを聞きつけた旦那さんが、興味深げな視線で茶菓子をつつく手を休める。

「どうだい?」
「お茶と甘味を同時に味わっているというか……なんとも妙味ですね。それに水菓子にしては、甘みはわずか。しかしそれが、逆に風味を引き立たせる。この非常に繊細な味わいは、とても印象深く心に残ります。また食べたくなりますね」
「ははは、そこまで言ってくれると、なにやら嬉しくなるね」

 彼は満足そうに笑った。
 ところで、ブツクサ文句をのたまっていた少女はというと――。

 彼女の前にある皿の上は、キレイに何もなくなっていた。

「あれあれあれ~?」

 俺のわざとらしい素っ頓狂な声に、ランは表情を難しくする。
 まっすぐな髪からのぞく小耳は、薄い紅葉色に染まっていた。

「……なんえ?」
「いえいえいえ、なんでもなんでも」

 いやらしい笑みを張り付けて、俺が肩をすくめると、彼女は一層、顔を険しくゆがめた。
 そして、そっぽを向いてしまった。
 思わず苦笑してしまう。

「ほんっと、子供みたいな性格だね、おまえ」

 やりすぎた仕返しなのか、ランが無言で太ももをつねってきたので、こちらが降参してお開きに。

 のちに感想を聞くと、「はんなりしてて、ええんちゃう?」とのこと。
 百聞は一見にしかず、一食は百想に勝る、といったところか。











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長くなったので二話に分けます。すみません。
次の投稿は土曜の予定です。


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