ISの運用協定である、アラスカ条約を批准している国家の思惑は、当然の事ながら一枚岩ではない。
笑顔で握手を交わしながら、足元では相手を踏みつけるくらいなら可愛い物。
小さな冷戦状態の国も多い。
しかし、そんな彼らが一致団結する事もあるという実例が今、目の前にある。
『篠ノ之束博士、逮捕』
ISの生みの親にして、ISコアの製造法を唯一知る女。
お偉い方の孫か曾孫程度の小娘が、もしも宇宙人が攻めて来たら、宇宙人に協力して相手を蹴落とすくらいはしかねない連中を一致団結させてしまったのは、一新聞記者である俺が見ても小気味良くすら思える。
篠ノ之博士の逮捕から三日。
たったの七十二時間で、この法廷―――という名の茶番劇―――が開かれる事になったのは、まさに奇跡の名に相応しい。
罪状は大量に有りすぎて、現在も捜査中。
どこの国の法律で裁くのかも不明。
ただし、判決は何があろうとも、死刑だけは有り得ないのは、少し考えればわかる。
何しろ白騎士事件では千発を超えるミサイルを、たった一機のISが叩き斬ったのだ。
そのISを世界で唯一、作れる頭脳の持ち主を死刑にしてしまうのは、あまりに惜しい。
弾道ミサイルを運用していくのには莫大な金がかかる。
発射基地から大陸間弾道ミサイルを撃つか?
はたまた潜水艦からか?
そんな施設設備のみだけではなく、高度な教育を受けた軍人も必要だ。
一体、どれだけの金が、いつ使われるかわからないミサイルに注ぎ込まれて来たのだろうか。
その点、ISの保守は戦闘機三機を維持するよりも安く済む。
費用対効果は馬鹿馬鹿しくて論ずるまでもない。
狂ったように注がれる開発費を考えても、お話になりはしないだろう。
通常兵器で構成された軍隊を、鎧袖一触に蹴散らす程の圧倒的な質。
弱点と言えば数が少なく、ゲリラの掃討には不向きな事程度か。
それも装備を変えれば、対地対空を切り替えるのが容易いISの万能ぶりに傷が付くほどの弱点ではないが。
しかも、IS同士の戦闘では人の死なない"人道的な兵器"だ。
平和運動の活動家も人権団体も泣いて喜ぶだろう。
ちなみに、ここまでの話に何ら一切、関係無いが、ギロチンも発明された当初、人道的な処刑法だと呼ばれていた。
IS対人間の戦いの可能性を考えているのだろうか。
そんなISを、お偉いさん達はどう判断しているのか?
答えは単純。
「沢山、欲しい。 出来たら、あいつらより」
もし、敵にISがなく、自分達のみが十機も持っていれば世界征服も可能だろう。
現代でもユリウス・カエサルのような、アレキサンダー大王のような、チンギス・ハンのような、ナポレオンのような壮大な偉業を、自分の名で歴史の一ページに記す誘惑に勝てる人間は多くはいないだろう。
それも非常にお安く、だ。
しかしながら、篠ノ之博士が適当にぽんぽんとISを配った結果、戦力は絶対的に均衡してしまった。
どの国も下手に動きようの無い状態は、結果的に全世界に平和を生んだ。
人類の相互理解という美しい幻想ではなく、どこまでも現実的な結果は、ペンに生きる者としては不本意だが、これも平和だ。
だが、ここで篠ノ之博士の逮捕が事態をややこしくする。
どこの国も篠ノ之博士を独占したい。
しかし、篠ノ之博士を逮捕した数カ国の専用機持ちと、福音を強奪された被害者であるアメリカは、事件の最初から知っている。
そんな状況で篠ノ之博士を独占すれば、残り全ての国が手を組んで攻めて来る事だろう。
ならば、どうするか。
「とりあえず、あいつにだけは渡さない。 だが、利益は出来たら自分達が多めに欲しい」
場所こそ逮捕された日本になったが、各国が人を送り込んで来た結果、裁判官三十名、弁護士百名以上、検事七十名以上。
一体、彼らはどういう資格を持って、この場にいるのだろうか。
通常の国際裁判とは明らかに違う、どこにも法的根拠の無い裁判なのだ。
逆に各国の弁護士の資格を持っている連中なら、彼らの脳内を覗いてみたいものだ。
そして、その他もろもろ合わせると八万を優に超える。
その人員を収容するために東京ビックサイトを急遽、貸し切った。
結果、NATUKOMIと呼ばれる日本特有のサバトに並ぶ連中のように、いきなり祖国から日本に送り込まれて、何をしたらいいかわからない連中が真夏の炎天下の中、立ち尽くしている。
大国同士が密室で結託しないように、全面的に報道を入れての、全世界同時生中継での裁判という異例過ぎる状況が生まれた。
ついでに法の正義という物を考え直すいい機会に恵まれたように思える。
そのついでに、アフリカ人が倒れるような蒸し暑さの中、空調の効いた建物内に入れる自分の立場にも感謝したい。
全世界が注目し、適当にでっち上げられた裁判所風の雛壇の座席に座っている自称弁護士達と自称検事、自称裁判官達が見つめる中、ついに拘束衣に包まれた篠ノ之束が姿を現した。
どの写真を見ても、邪気の無い朗らかな笑顔を浮かべていた彼女の表情は、ホッケーのマスクのような猿轡の親戚に覆われていて一切、見えない。
どれだけ彼女の逃亡を恐れているのか。
手足を縛り上げる、ずた袋に似た拘束衣でくるんだ彼女を車椅子に乗せ、その上から狂ったように鎖で雁字搦めに縛られていた。
こんな風にやった奴は、恐らく性格の歪んだサディストだと確信しながら俺はシャッターを切った。
万雷の拍手のようなシャッターを切る音と、強烈なサーチライトに照らされているかのような光が彼女を襲う。
確かに彼女は世界有数のテロリストだ。
しかし、公式の発表では一人も殺していない彼女は、こんな風に晒し者にされる程に罪深いのだろうか?
俺にはさっぱり理解出来ない
禁固十二万と飛んで一年。
それが彼女に告げられた判決だ。
しかし、特別にその頭脳を生かし、研究に励めば大幅な減刑が認められるらしい。
新たな千年記(ミレニアム)でも始めろと言うのだろうか。
冗談と茶番を悪趣味で煮詰めたような裁判は、これで終わりを迎える、はずだった。
「被告人、最後に何か一言あるかね?」
最後に残った良心か、俺達マスコミに向けてのサービスかわからないが、裁判官の一人が言った。
ゴリラの親戚のような屈強な係官―――全員が医師免許を持ち万が一、篠ノ之博士が舌を噛もうと、彼女を天国から呼び戻せるだろう―――が、猿轡の親戚のマスクを外して行く。
これまた呆れるほど厳重に鍵を付けられて、ゆっくりタバコ一本吸えるだけの時間をかけて、マスクが外された。
何時間かぶりに外された拘束の下の彼女の顔には、はずれと書かれていた。
「はっ?」
と、最初に言ったが誰だったのか。
何がなんだかわからない、という意味で世界中の人間は心を一つにしただろう。
そして、裁判はどんどんカオスの中に叩きこまれて行く。
「ふふふふ……なははは……ふははははははは!」
いつ現れたというのか、黒一色のボディスーツ、黒地に外枠を赤に染めたマント。
丸く、顔の正面だけは濃いスモークのかかったガラスのような物がはめ込まれたマスク。
まるで子供向けのアニメから出て来たような何かが、空に浮いて高笑いを上げていた。
「やぁ、皆! 元気に働いてるかな? 束さんはいつものように、働きたくないよ!」
自称篠ノ之博士の黒尽くめは、地面に降り立つと、すたすたとはずれの篠ノ之博士に近付いて行く。
しかし、それを守るべき警備員達は何かに魅入られたように、身動き一つしない。
いや、俺達のように何をどうしようか迷っているのだろう。
「我々、黒の騎士団は……って言っても束さん一人だけどさ。 君達に奪われた物を、今日取り返しに来た!」
シャキン、と威勢のいい音を立てて、マスクのガラス部分が開く。
そこから覗く顔は確かに篠ノ之博士だ。
ついにはずれ篠ノ之博士の拘束衣に彼女が少し触れると、最初から切れ込みでも入っていたかのように、真っ二つに切れた。
「ふはははー! 確かに返してもらったよ、お気に入りの抱き枕は!」
抱き枕だった。
顔だった部分にはずれと書かれている以外、何の変哲もない抱き枕を抱き上げると、
「ではさらばだー!」
マントを翻すと次の瞬間には消え失せていた。
ベガスのホテルで見れば、手を叩いてブラボーと叫ぶショーだろう。
しかし、まだこの篠ノ之博士の舞台は終わらないらしい。
ばたんと大きな音を立て、それなりに立派な扉が開かれる。
「今、束さんが来なかったか!?」
トレンチコートを着た篠ノ之博士が現れた。
「は、はい、来ました……?」
篠ノ之博士の勢いに押されたのか、扉の近くにいた男が答えると、
「ばっかもーん! それが束さんだー!」
篠ノ之博士は、それだけを叫んで走り去って行った。
と、思ったら、今度はガラガラとキャスターのついた医療用ベッドを押して、篠ノ之博士が戻って来た。
「綺麗な顔してるだろ……? これ、束さんなんだぜ?」
ベッドの上にいるのも篠ノ之博士だ。
一体、これは何が起きてるんだ。
しかし、仕事で来ていなかったら腹を抱えて、爆笑してやりたいくらいだ!
「と、いう事で全員、束さんでした!」
「ツッコミがいない!?」
誰かツッコんでくれ!
俺と額にガーゼを貼ったシャル、右腕をギブスで固めているセシリアとパチリアで、束さんの裁判の生中継を見ようとしていたら、顔にガーゼが貼られた束さんがお茶を飲んでいるという訳のわからない状況。
最初から何故かお茶が五つセットされてたから、どういう訳かと思いきや……。
とりあえず皆、すぐ動ける程度の怪我でよかったと思って誤魔化すへきだろうか。
「ふむ、なかなかいいお茶だね。 褒めてしんぜよー、パチ金髪」
「あなたに褒められても、あんまり嬉しくないですわよ!」
いつものようにセシリアに抱きつきながらフシャーと毛を逆立てて、威嚇するパチリアに束さんは涼しい顔をしたままだ。
「あらあら、キシリアさん。 そんな事を言ってはいけませんわよ」
「はい、お姉様!」
まぁそれもセシリアがパチリアの頭を撫でるだけで収まるんだけど。
「……ところで束さんは一体」
どうやって脱獄したのか聞こうと思ったけど、束さんなら何とかするだろうな。
昔、千冬姉に身体中の関節外されて縛られても、普通に縄抜け出来てたし。
「うん、いっくん、よくぞ聞いてくれました! そんなに聞きたいなら仕方ないなぁ。 いっくんのえっち!」
普段からテンションの高い束さんが、今日は更にうきうきしている。
絶対、ロクな事しないだろ、これ。
正直、聞きたくない。
「それは僕の決め台詞だよ!」
「何言ってるんだ、シャル!?」
「嫌な決め台詞ですわねぇ」
一言だけ言うと、セシリアに抱き付いているパチリアは、頭でセシリアの胸をむにむにし始めた。
話に一切、混じる気ないな、あいつ。
「話を脱線させていいのは、束さんだけだよ!」
「僕の決め台詞を使わないでくれるのなら、話の邪魔しないと、神に誓います」
「よし、乗った!」
ちくしょう、ツッコミが追い付かない!
こんなにも俺とシャルの間に意識の差があるとは思わなかった。
もう、この場はセシリアに任せて俺もお茶飲んで落ち着こう。
ああ、紅茶が美味しい。
「あ、ちょっとテレビのチャンネルを変えるよ」
束さんは大混乱の裁判(今、「野球しようぜ!」と叫びながら、三十人目の束さんがサッカーボールをドリブルして乱入していた)からN○Kにチャンネルを変えた。
『我々は私設武装組織「世界を武力で統一する会」である』
「ブーッ!」
「熱っ!? 何プレイ、これ!? 熱膨張しちゃう!」
画面に映し出したのは、千冬姉だった。
何してんだ、一体!?
思わずお茶吹いたじゃないか!?
『私、織斑千冬は趣味と実益を兼ねて、我々は世界に宣戦布告をする!』
「趣味かよ!?」
見た事もないISに身を包んだ千冬姉は、堂々とどうしようもない事を叫んだ。
「ここで親族の方からお手紙を預かっております」
「束さんの小芝居が、今の俺には若干、腹立たしい」
とは言え、読まない訳にはいかない。
束さんから差し出された手紙……というか書状を受け取った。
『前略、一夏へ。
お姉ちゃん、ちょっくら世界征服して来る。
お前も大人なんだから姉離れして、強く生きろ』
「三行かよ!」
すぱーん、と思わず手紙をテレビ画面に投げつけてしまった。
「愛されてるねっ!」
「ああ、ちくしょう……女相手に手を出せない自分が、今だけは憎い」
何やってるんだよ、千冬姉……。
あとパチリアは遠慮せずに殴れる。
「あの人はいつかやると、あたくしは思っていました」
「否定出来ないのが悔しい!」
「落ち着きのないいっくんだねぇ」
束さんに言われた……。
死にたい。
テーブルに突っ伏す一夏を一瞥すると、束はセシリアに視線を移した。
口端を釣り上げ、目を細めて、悪意を隠そうともしない表情をセシリアの前に晒す。
一夏や箒の前では絶対に見せないであろう表情だ。
「落ち着きのないいっくんは置いておくとして……金髪、さっきから黙ってるけど何か言う事はないのかな?」
「ありませんわ」
「相変わらず気取ってるねぇ。 それとも、それ新手の無条件降伏? 受け付けないけど」
「元々、貴方はテロリストですもの。 為した事は尊敬出来ても、やり口は気に入りませんわ。 最初から敵ですのに今更、何か言う事がありまして?」
セシリアと束は、あくまで優雅にお茶を口にする。
「全くだね。 あんたが味方になるだなんて、考えただけで虫酸が走るよ」
「それは何よりですわね。 ところで篠ノ之博士」
「なんだい、金髪」
「わたくしが貴方を、このまま黙って帰すと思っていますの?」
いつ展開したのか、ブルーティアーズのビットが音もなく、束を囲んでいた。
照準は最初から頭のみだ。
「そんな玩具で束さんを仕留められると思ってるのかい? その頭におがくずでも詰め込んでるの?」
「前々からそのうさみみが微妙に長すぎると思ってましたの。 もう少し頭蓋骨に埋め込めば、ちょうどいいと思いません?」
うふふ、おほほと二人は笑い合う。
一切、友好的な空気などなく、冷え冷えとした雰囲気。
「千冬姉ぇ……」
「一夏……僕の胸で泣いていいよ?」
そんな中、よくわからない雰囲気を作っている二人を放置しながら、セシリアと束は笑顔のまま牽制。
緊張の水位は上がり、いつ決壊してもおかしくない。
「パチ! 今日こそカレーを食べさせてもらうぞ!」
「ラ、ラウラちゃん……ノックくらいしようよ」
「私も食べたいー!」
ばたんと音を立てて扉を開いたのはラウラと簪と鈴音。
そして、それは同時にギリギリの均衡に投じられた一石となり、均衡は一気に決壊。
「踊りなさい、わたくしのブルーティアーズで!」
セシリアは高速展開で一瞬の内にISを装着。
ビットはセシリアの意志に応えるように、レーザーを放つ。
「ゼロシフト、レディ!」
束はゼロシフトでレーザーを避けると、窓の外に現れた。
「いくよ、束さんの全力……ベクターキャノン展開!」
空に浮く束の背後から、人の背丈を遥かに超える砲が現れ、チャージを開始する。
「何事だ!?」
「と、とりあえず逃げよう……!」
「一夏!」
「少しくらい、悲しい現実から逃げさせてくれてもいいじゃないか!?」
少年は大人になり、大人は現実と戦う事になる。
一夏は今、大人になったのだろう。
五人は転がるようにして、廊下に逃げ込んだ。
「行くよ、セシリア・オルコット!」
「来なさい、篠ノ之束!」
セシリアは真っ直ぐに、束に向かって飛んだ。
「あれぇ!? お姉様のむにむにに没頭していたら何ですの、この状況!?」
キシリアを抱きつかせたまま。
「はっはー! 吹き飛べー!」
ベクターキャノンから放たれた光柱が、無人となったセシリアの部屋に突き刺さり、爆発。
しかし、セシリアはどう抜け出したのか、束の正面に浮いていた。
「パチがいないぞ!? 無事か、パチ!」
爆発の後にラウラの悲痛な叫び。
キシリアがいない事に気付いたのだ。
「ぶ、無事じゃありませんわ!?」
「ん、怪我一つしてないよね? 束さん、部屋吹き飛ばして、嫌がらせしたかっただけだし」
束、謎の超技術により、爆発はセシリアの部屋を焼き尽くしたのみで、炎の一筋すら廊下に出ていない。
しかし、それでもキシリアは叫んだ。
「カレーが……カレーが吹き飛びましたわ!?」
「なん……だと」
ラウラは泣いた。
あんなにも楽しみにしていたカレーが今はもう、どこにも存在していない。
あの豊潤な香りは、焼け焦げた臭いに取って代わられ、ひとかけらも残っていない。
こんなにも悲しい事が、こんなにも不条理があっていいのだろうか。
あまりにもひどい、この現実は幾多の戦場を超えて来たラウラを打ち据える。
ラウラは、ただ泣いた。
「……ゼロシフト、レディ」
束は無言で逃げ出し、勝者なき戦場に、ただラウラの嗚咽のみが響き渡っていた。
これが十年の長きに渡る、ラウラと束の因縁の始まりであった。
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/ _, ,_ ヽ|
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(ヨ,,. i /彡 |∪| ミ |`
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次回より「パチリアさん、暗躍する・血涙」が始まります。
嘘ですが。
あとはあとがき書いて終わり……!