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[28341] Summoner’s Stein(STEINS;GATE シュタインズゲート)
Name: ASRISK◆d8dcf864 ID:036f1c3c
Date: 2011/08/03 20:04
 前書き。

 STEINS;GATEの二次創作(長編)です。
 物語の終盤から、とある世界線へと移動した岡部の話です。
 内容を一言でいえば、シュタゲの学園ものです。
 ネタバレ全開なのでアニメ視聴中の方、もしくはゲーム未クリアの方は閲覧にご注意下さい。
 わりと気長に続けていく予定です。

 8/3 第七話を掲載

 次回は八月中にもう一度更新……を目指します。



[28341] Summoner’s Stein <1>
Name: ASRISK◆d8dcf864 ID:036f1c3c
Date: 2011/06/30 22:03
 俺は繰り返す。
 出来る限り、永遠に。
 この一瞬を無限に引き伸ばす。

 ――さて、俺は次に何をするべきだったろうか?
 
 過去でも未来でもない永遠の世界。
 ここはそんな終末の袋小路。
 その中でできる行動は限られている。
 タイムリープ。
 俺はタイムリープをしなければならなかった。
 プログラムめいた思考順序で、そのために必要な一連の行動を決定する。
 ヘッドセットを被り、記憶データをコピーして電話をかける。
 意識が過去に飛ぶ。
 時間が経って、またヘッドセットを被り、記憶データをコピーして電話をかける。
 意識が過去に飛ぶ。
 時間が経って、またヘッドセットを被り、記憶データをコピーして電話をかける。
 意識が過去に飛ぶ。
 リピート。以下省略。
 リピート。以下省略。
 リピート。以下省略。
 リピート。以下省略。
 リピート。以下省略。

「――――」
「――――」
「――――」
 
 ――他に何かをするべきことがあっただろうか?

 俺に出来ることはそれだけで、それ以外の何もできない。
 いつからこうなったのだろうか。
 普通の生活を送っていてはこんな珍しい事態に陥らなかったはずだ。
 そこには、決して忘れることのできない――忘れてはいけない過程があった気がする。
 それさえも壊れてしまったのか。
 繰り返し続けるうちに全部零れてしまったのか、今の俺には何も見つけることができない。
 何か新しいものが手に入ることはないから、何かを失っていくばかり。
 永遠の無益さは、人の心を容易に狂わせる。
 その中で、より上手く自然に行動するための試行錯誤を重ねた。
 結果として、一連の行動は限りなく安定したものに近づいた。
 あまりにも刺激が乏しいと人間はそれに適応するように進化できるらしい。
 生物から無機物に。
 リープによって無駄に増え続ける新規の情報を、俺の脳はいつからかカットし始めた。
 別に問題はない。
 どうせただのパターン化された日常なんだ。
 個人の脳の保存容量の限界か、度重なるリープマシンの使用による弊害か、俺の過去の記憶は段々と朧になっていった。
 そのあたりから、俺はリープによって起こる出来事のほとんどをまともに記憶しなくなった。
 聴覚も、視覚も、嗅覚も正常なのに、短期記憶から長期記憶へと移行するプロセスが遮断されたのだ。
 つくづく人間の脳とは上手くできたものである。
 環境に慣れるための機械化が進み、無駄なもの、不要な情報は自動的に処理される。
 見えないのなら、感じられないのであれば、それは存在しないのと同じだ。
 出口を失くした時間と同じように、俺という存在もやがて完全に閉鎖された。
 後は少しずつ、風雨によって削られる岩のように――

「――――」
「――――」
「――――」
 
 誰かが、俺に繰り返し語りかけてくれた気がする。
 タイムリープを繰り返す俺を止めようとしてくれた誰かがいた気がする。
 どちらも大事な二人だったような気がする。
 忘れてしまったけど。
 既に世界の色が俺には見えない。
 繰り返し続けたビデオが劣化していくように、限定した時間範囲内における完全知を得た世界はどんどんと色褪せていく。
 その中で俺の意思はほとんど失われたと思っていた。
 脳内にタイマーをセットして、規定の時間がきたらリープして、またタイマーをセットしなおす。
 カチ・カチ・カチ。
 カチ・カチ・カチ。
 カチ・カチ・カチ。
 まるで時計のような生活だ。
 時間を計っている時間が一番多い。
 簡単で単調極まる作業の遂行に何も考えないようになるまで時間がかかったけどもう慣れた。
 ずっと繰り返してきた。
 何度も繰り返してきた。
 最近はずっと調子にブレはなく、今日も規定の行動を俺は繰り返すだけだったはずだ。

 だが――今日の俺は少し調子がいいらしい。
 プログラムされた思考にほんの少しばかりのノイズが混ざる。
 最初の頃はずっと忘れまいと足掻いていた感情が久方ぶりに蘇った。
 思い出す。
 確か、これは苦悩という刺激だった。
 今のこの世界においてはとても珍しい刺激だ。
 動きの鈍った俺にときどき動力を注入するためのカンフル剤のようなものかもしれない。
 だから俺はその苦悩の源泉にメスを入れた。
 刺激にはいつだって餓えている。
 もっと刺激が欲しい。

 ――そういえば、紅莉栖とまゆりを助けようと思っていたんだっけ。

 今更のように思い返すことができた。
 この状況はカルネアデスの板と呼ばれる状況に似ている。
 俺の手持ちの手段では、二人のうち一人しか救い上げることができなかった。
 どちらも俺にとってはかけがえのない大事な人間なのだ。
 選べといわれて、あっさりと決定を下せる人間はいない。
 大昔の漫画で、この難問に対して『最後まで諦めず考える』と答えた名探偵がいた。
 その通り。
 俺は最後まで諦めず考え続けるための時間を求めた。
 考える時間はいくらあっても足りない。
 無限に欲しい。
 何故なら、考える時間が尽きたときが決定を下す瞬間で、そうなればもう二度と取り返しはつかない。
 考え続けた末に絶望という結論しか見えなかったとき、その名探偵はどうするかを答えていない。
 俺も同じように答えを出せなかった。
 だから答えが出るまでは考え続けなければならない。
 時間を作ることができるんだから。

 ――ああ、そうだった。今はずっと考えるための時間だったのに、何をしていたんだろう?

 カンフル剤だなんてとんでもない。
 目的と手段が逆転している。
 もとはといえば、何か悲劇的な結末を防ぐための時間を稼ぐためだったのに。
 俺の中からは、その悲劇を悲劇と感じる心が失われている。
 何らかの打開策を考えるべきだったのに、そのために思索を巡らす心の余裕は既に埋まっている。
 ある意味で当然だった。
 プログラム通りにしか動かない日常の中でどうして新しい発想が出てくる道理がある?
 そもそも最初からリープそのものが自己目的化していた。
 単なる責任逃れ、逃避にすぎなかったのだと俺はとうに気づいていた。
 今ではもっと単調な何かに堕落してしまっていた。

 ――結局、何もできなかったんだな。
 
 それはいつかのあいつの言ったとおりの結末だった。
 元よりそういう仕組みのものだったのだ。
 俺は最初からその点に関して諦めてしまっていた。
 世界は俺の意思があろうがなかろうが全て決定した流れに沿ってしか動かない。
 決定された枠組みの中でのせめてもの抵抗は、最初からループを繰り返し続けることしかなかったのだ。
 故にここは終末の袋小路。
 誰かが指摘したとおり、これは緩慢な自殺に他ならない。
 でも、それの何が悪いというのだ。
 神のように命を取捨選択する罪悪から逃げることの何が悪いのだ。
 俺の行動パターンにブレがないかぎり、この世界はずっと続く。
 地球が規定の軌道を周回し、朝になれば太陽が昇るほどに当たり前の事実だ。
 それがずっと続けば。
 それを続けることができるならば。
 俺の主観においては普通に生きるよりもずっと延命させたことになるじゃないか。
 助けることはできなくても、見捨てることだけはないじゃないか。
 何一つ真新しいことなんて起こらなくても、何か一つを守っていることには変わりがないではないか。
 みじめな機械と成り果てた俺だけど、まだこの身には存在意義が残されている。
 そう思えばこそ耐えられる。
 そう思えるから生きている。

 だから俺は繰り返す。
 出来る限り、永遠に。
 この一瞬を無限に引き伸ばす。

「――――」
「――――」
「――――」






          ■ Summoner's Stein 







 耳慣れたチャイムの音が鳴り響く。
 何回かまばたきを繰り返して前を向くと、壇上の人影が目に入った。
 一言二言を連絡して人影が部屋から出て行くと、ガタガタと机を揺らして立ち上がる学生たちの姿があった。
 前の席の誰かが振り向いて俺に話しかけてきた。

「で、オカリンこの後はどうすんの? いつもと同じ場所に集合?」 

 マイ・フェイバリット・ライトアーム。
 ダルだ。
 何故かいつもの服装ではなく、学生服を着ている。
 半袖のカッターシャツと黒色のズボン。
 白黒のバランスで、いつもの格好より心なしか痩せているように見えるな。
 なにより帽子をかぶっていないこいつの姿を久しぶりに見た気がする。
 で、ダルは俺に何を話しかけてきた?
 それ以前に、俺は何をしていたんだったか。
 なんとか思い出そうとするが、記憶自体が霞がかったような彼方にあるような感覚がある。
 まるで現実味がなかった。
 薄気味悪いほどに。
 なにより、俺は俺のことすらよく理解していないということに気づいた。
 俺は一体どこの誰で、いつからこの場所にいたのだろう。

「ダルよ。俺は――今まで何をやっていた。ここはどこで、そして俺は誰なのだ?」
「今度は記憶喪失系かよオカリン。いい加減厨二病卒業しろ」

 ダルは苦笑して答えた。
 オカリン。
 岡部倫太郎。
 そうだ。
 それが俺の名前だった。
 オカリンというのは俺の幼なじみがつけたあだ名で、その名で呼ばれることを嫌がっているにも関わらずこの二人はそう呼ぶことをやめない。
 この二人って、誰と誰だったっけ?
 ……まあいい。
 いずれわかることなんだろう。
 まだ長い夢の続きのように頭がぼやけてしまっているが、ダルのことはちゃんと思い出せた。
 他のことだってちゃんと思い出せるに違いない。

「しかしここはどこだダル? なにやら見慣れた風景のような気がするが」
「学校に決まってんだろ常考」

 学校……だと?
 いや、まあ。言われてみればそんな気はしないでもない。
 昔懐かしの制服を着ているダル。
 そして周りにはクラスメイトとおぼしき数人の人影が立っている。
 夏の暑さに窓は全開になっていて、整然と並んだ机に、前には教壇と黒板。
 さっき出て行ったのは教師に違いない。
 ……なるほど。
 これで学校にいると思えないのなら、そいつはちょっとどうかしている。
 さらに付け加えるなら、俺が知っている高校の風景だった。
 だが、俺は高校生だったか?
 俺は確か既に大学生ではなかったのか?
 少し記憶を探ると、大学に入ってから設立したラボの映像が思い出される。
 悲しいこともあったが、あそこは俺にとってとても大事な場所だった。
 ふと視線を落すと、ダルだけでなく、俺も昔懐かしの学生服を着ていることに気づいた。
 なんで俺は制服なんて着ているんだ?
 どうして学校の教室などに来ている?
 いつもの白衣はどこへやった?

「ラボ……ここはラボではなかったのか……? いや、それ以前に俺はもう大学生だったはず……」
「おい。もう受験終わったつもりとか、成績悪くないって言っても油断しすぎだろオカリン。余裕だって言うなら任意参加の夏期講習とか来る必要ないお」

 ぼんやりとダルの話を聞き流す。
 よくわからない。
 あまりにも記憶に欠落が多すぎて、現在の状況を上手く把握できない。
 テレビの中で、ドッキリで担がれている芸人でも見ているような気分だ。
 落ち着かない気分で、俺は視線を左右にむけた。
 すると、そこには見慣れた人がいた。
 どういうわけだかいつもの姿ではなく、半袖のカッターシャツに赤いリボンタイ。
 下は校則から見て長すぎず短すぎない濃紺色のスカートをはいている。
 まるで俺の昔の高校の女子のような格好をしていたが間違えるはずがない。
 モデルのようなスラッとした身体に、長い髪。
 どこか刺々しく映る不機嫌そうな表情。
 そして優れた叡智をもって真理を探究する強い瞳。
 窓際の席で、物憂げに一人小難しそうなタイトルの分厚い本を眺めている。
 牧瀬紅莉栖だ。
 俺は何だかとても嬉しくなった。
 すぐさまに椅子を立ち上がって紅莉栖に声をかけた。

「助手よ! そんなところで何をしている?」
「……はあ?」

 俺に突然声をかけられて、わけがわからないという顔をした助手を無視して俺は続けた。

「いつもの改造制服はどうした? 新たなコスプレにでも目覚めたのか? 俺の昔の高校の女子制服まで調達して何かの潜入指令でも受けたか?」

 その瞬間、シンと教室が静まった。
 時が止まったかのような静寂が流れる。
 なんだ。
 この違和感は。

「ちょ、オカリンそれはマズい。いくらなんでもふざける相手を間違えてるって」
「何を言うんだ。別に知らない仲というわけでもあるまいに。俺が助手に話しかけて何が悪い」

 いつの間にか俺の近くに来ていたダルが珍しいくらいの必死さで俺を止めた。
 しかし俺はそんな忠告を無視して紅莉栖に話しかける。
 助手はといえば、うざったしそうな視線で俺を睨んでいる。
 思わず怯んでしまうほど冷たい視線だった。
 冷ややかな声で、紅莉栖は淡々と話す。

「確かにちゃんと名前を認識できることは確かね、岡部倫太郎。同じ学校でクラスメイト。それで『助手』って誰のこと? 私はあんたにヘンなあだ名で呼ばれるほど親しくなかったつもりだけど」

 馬鹿な。
 何をふざけているのだコイツ。
 お前は飛び級して院を卒業し、サイエンスに論文が掲載されるほどの天才少女だろうが。

「おいおい、何をふざけたことを言っている。よりにもよって俺とお前がクラスメイトだと? それは新手の冗談か?」
「なっ……」

 俺がそのつまらない冗談を笑い飛ばすと、紅莉栖の視線が厳しさを増した。
 その強い視線に少し驚いた。
 初めてタイムマシンのことを話したときのことを思い出す。
 あのときと同じ純粋な怒りに染まった表情を見て、俺はようやく気づいた。
 もしかして俺は、本気で間違ったことを言っている?

「オカリン、いくらなんでもそりゃ酷すぎる。記憶喪失設定で遊ぶにしても人を選べっつーの!」
「まて……ダルよ。これは本当なのか? 俺が紅莉栖とクラスメイトだというのは……?」
「いい加減にしろよオカリン。それ以上続けると本気で怒るぞ」

 珍しく怒っているダルの反応。
 その反応を見て、俺はますます確信を深めた。
 恐る恐る紅莉栖に尋ねる。
 
「な、なあ。俺は間違ったことを言ったのか? お前とクラスメイトではないと。それは、事実に反することなのか……?」 
「――別に。あんたなんかにどう思われてようと構わないわけだけど。それで……たったそれだけのことが言いたかったわけ?」

 突き放したような言葉と裏腹に、紅莉栖は悔しそうに目端に涙すら浮かべていた。
 俺に『お前はクラスメイトなんかではない』と言われて傷ついたのだろう。
 静まり返った周りの人間の反応も納得だ。
 客観的に見れば、俺はいきなり公然とクラスメイトの女の子をイジめている頭のイカれた男であるわけで。

「まさか、違うのか……」

 ようやく俺は確信できた。
 ここは違う世界だ。
 元の世界とは世界線変動率の違う別世界だ。
 だが、覚えていない。
 どういう原因で俺はこの世界線に迷い込んだのか。
 一体いつリーディングシュタイナーが発動したのか。
 何もわからない。
 ただ、世界線変動率がこれだけ違うということは……
 膝から下の力が抜けて俺は崩れ落ちた。

「あ、はははは、はは! なんだよ、おい! 違う、そうだ! まるで違ったのだ!」
「お、おいオカリン、大丈夫か?」
「わからない。わからないはずだ! なにしろ全部、この世界の全部が! 既に変わってしまっていたのだからな! はは、はははははっ!」

 改めて周囲の光景を省みて、俺は眩暈がした。
 俺はなんで気づかなかったのだろう。
 ここはまるで違う。
 俺の知っていた世界と何一つ違うではないか。
 教室。
 怪訝な目で俺を見るクラスメイトたち。
 よく見ればそれは一年前に見たような顔ぶれが混ざっていて――
 その中でやはり一年前の姿に戻ったダルと、紛れ込んでいる全く俺の知らない紅莉栖。
 その事実を認識した瞬間に、耐え難い嘔吐感がこみ上げてきた。
 なんて気持ちの悪い風景なんだ。
 違和感しか感じない。
 グラグラと頭が揺れて、廻る走馬灯のように俺の中に過去のラボでの思い出が蘇る。
 俺は祈るように目を閉じた。
 もう一度目を開けたとき、俺の見慣れた風景が帰ってくると。
 これは何か悪い夢に迷い込んだのだと、そう信じるかのように。
 だけど……目を開いても、そこはやっぱり教室のままだ。
 近くには制服を着たダルと、状況がまるで理解できていないという表情の紅莉栖が俺を見下ろしていた。
 全ては自然にあるがままに存在していて、されどそれは俺の知っていた世界とは絶対的に違う。
 あまりにも違いすぎたんだ。
 
「ああ、ああああ……うあああああああああああああああああああああああああっ!」

 ここまで来れば馬鹿にだってわかる。
 俺はようやく悟ることができた。
 自分が全くの別世界に流されてしまったことを。
 俺は今まで知っていた世界の全てを失った。



[28341] Summoner’s Stein <2>
Name: ASRISK◆d8dcf864 ID:036f1c3c
Date: 2011/06/30 22:04
 赤い日がまぶたの裏の眼球を刺激して、俺は目を開いた。
 茫然自失だった状態から復帰すると、まず真白い天井が目に入った。
 ほのかに薬の臭いもする。
 一瞬病院へ運び込まれたのかと思ったが、どうやらここは学校の保健室らしい。
 ……本当に全く違う世界線にきてしまったんだな。
 冷静に戻る過程において大方の記憶を整理できていた俺はあっさりとその事実を受け止めた。
 こんなデタラメな異変はありえないと否定したくもなるが、俺はフェイリスのときに秋葉原という都市がまるごと一つ変わってしまったのを目撃している。
 世界線変動率があれよりもずっと大きければ、世界そのものが俺の全く知らない形に姿を変えてしまってもおかしくない。
 一度絶望して見切りをつけてしまうと、立ち直りは案外冷静になるものだ。
 こんなトンデモ展開に慣れる人生というのも嫌なものだが。
 俺は周囲の状況を認識し始める。
 隣にいたダルが心配そうに覗き込んでいた。

「オカリン大丈夫か?」
「ダルか……さっきは取り乱してすまなかった」
「お礼なら牧瀬氏に言うべき。教室で倒れて気絶したオカリンを保健室に運ぶように言って、そのまま付いてきてくれたんだお」

 横のベッドを見ると、そこには不機嫌そうな表情をした紅莉栖が座っていた。
 なんとなく気まずい。

「て、手間をかけたな……」
「別にどういたしまして」

 それっきり会話が続かない。
 空気を読んだダルが俺に再び話しかけてきてくれた。

「それでオカリンは何があったん? なんか世界がどうとかよくわからんこと言ってたけど」
「俺は部分的な記憶喪失なんだ」
「……さっきからそれ新しい設定かなんか? いつもの鳳凰院なんとかはもうやめたわけ?」

 ダルは俺の記憶喪失をまるで信じる気がない。
 どうやら俺はここの世界でも鳳凰院凶真をやっていたらしい。
 互換性があるのは助かると評すべきか、痛々しいというべきかどっちなんだろう。

「なんなの? ヘンな男子だとは思ってたけど、もしかして真性の人なわけ?」
「あながち間違いとは言い切れないのが恐ろしいお」
「誰が真性だ」
「話を聞く限りではそう聞こえたけど?」
「……なんで俺を助けてくれた?」

 俺の問いに紅莉栖は少しだけ意表を突かれたような表情を見せた。
 多分、助けたの意味を保健室に連れてきたほうにとったのだろう。
 この場で俺以外に、その外に込めた意味を気づく者はいない。

「私は病人を放っておくほど薄情じゃないわ。さっきのあんたとっても酷い顔をしてたもの。まるで明日にでも死にそうなくらいにね。そこの橋田もずいぶん心配してた」
「べ、別にオカリンが心配で気にしていたわけじゃないんだからねっ! 勘違いしないでよねっ!」
「これはひどい」
「これはひどい」

 思わず俺と紅莉栖の声がハモる。
 同時に同じ台詞を口にしてしまったことが恥ずかしいのか、紅莉栖は横に視線をそらした。
 そのよくわからない連携に、ダルが珍しいものでも見るような視線を向けた。
 本当に助手と俺がクラスメイト……か。
 にわかには信じがたいな。
 というか、この世界における俺は一歳若返ってしまったことになるのか?
 ここが本当に高校時代の俺だとすれば、未来ガジェット研究所がないのだからDメールもタイムリープマシンも存在しない。
 元の世界線に戻る手段はこの世界にはない。
 今は戸惑うばかりでも、最終的には受け入れざるをえないということか。
 たとえどんな結果でも……

どんな・・・結果でも?)

 そこまで考えたとき、ゾクリと悪寒が背筋に走った。
 嫌な予感がする。
 俺はまだ何か重大なことを忘れていないか?
 保健室を見渡した。
 壁にかけられた時計はある。
 時刻は夕刻を指していた。
 だが俺の知りたい情報はそれではない。

「ダルよ。今日は何日なんだ?」
「今日か? 今日は……」
「そうだ……携帯――」

 ダルの返事を聞く前に、俺は自分のズボンのポケットから携帯を取り出して画面を見る。
 俺はすぐに悪寒の正体を理解した。
 そこには2010年8月17日、と表示されていた。
 どう足掻いても乗り越えられなかった絶望の壁。 
 決定されたまゆりの死。
 この世界線でまゆりは生きているのか?
 ずっと生きていられるのか?

「馬鹿な。既に一日が過ぎてしまっているだと……? クソッ!」
「今度はどうしたんだお、オカリン」
「ダル、まゆりは今どこだ!? この世界にちゃんといるんだろう!?」

 知らない。
 あるいは世界にすら存在しないという回答は考えたくなかった。
 幸いにして、ダルからは否定的な返答はかえってこなかった。

「まゆ氏ならいつもの場所だと思うけど……」
「いつもの場所とはどこだ!」
「理科室――」

 聞くや否や、俺はベッドから飛び降りた。

「あ、ちょっと。すぐに動かずにここで大人しくしてろ!」

 後ろからの紅莉栖の制止の声を無視して保健室の扉を開け、そして駆け出す。
 校舎は俺の記憶するままの構造を維持していた。
 高校が別だったまゆりがここにいるというのは恐らく世界線移動に伴う変更箇所なのだろうが、今はそんなことはどうでもいい。
 確か保健室は一階にあって、理科室は同じ階の反対側にあったはずだ。
 呼吸を忘れて走る。
 予想通りの場所に理科室のプレートを発見した。

(……頼む! まゆり……無事でいてくれ!)

 俺はスライド式のドアを開けて中に飛び込んだ。
 理科室を見回す。
 ありふれたドクロの標本がまるで死神のように笑っていた。
 人影はない。
 どこにもまゆりの姿が見当たらない。
 まさか。
 俺はさっと床に目を落して血の気が引いた。
 リノリウムの床に俺のほうに背中を向けて転がっている女の子がいた。
 季節は夏なのに、そこだけは冷たい冬に彩られたように全てが停止していた。
 目に差し込んでくる赤い夕日が燃えるように痛い。
 見間違えるはずもない。
 俺の学校の女子制服を着ているが、それは俺の大事な幼なじみのまゆりの姿で――
 頭から背中に何度も味わった絶望の苦味が刺さる。
 不安が現実になった。

「う……あ……そんな、嫌だ……」

 何度も見た嫌な風景がフラッシュバックする。
 世界は殺し続けた。
 徹底的に、無慈悲にまゆりの生存を認めなかった。
 どんな手段を講じても、血の一滴も流さずに冷たくなった幼なじみの死体を何度も見た。
 ここでも、遅かったのか?
 ここでも、救えなかったのか?
 もう覆しがきかない決定的な形での幼なじみの死を受け入れなくてはならないのか。
 そんなのは認められない。
 認められなかったからこそ、俺は――

「馬鹿な……まゆり……!」
「あ、オカリンだ~」

 ぎょっとした。
 いきなり、倒れていたまゆりがむくっと起き上がったのだ。
 俺のよく知る微笑を浮かべ、暢気な調子で言った。

「えへへ、理科室の床は冷たくて気持ちがいいよ~。今日、暑いもんね~」
「は、はは……。ははは……」

 なんていうことだ。
 身体から全ての力が抜けそうになった。

「馬鹿者……紛らわしい真似をしやがって……!」
「きゃっ!」
「よかった……お前が生きていてくれて、本当に……」

 小さく悲鳴をあげるまゆりを抱きしめた。
 ああ、暖かい。
 まゆりは生きている。
 次第に冷たくなっていく骸と違うことを確信するために俺はより抱きしめる力を強くした。
 その鼓動はいつまでも暖かい。
 今日は2010年8月17日。
 この日を超えていることから見て、やはりここはα世界線でもβ世界線でもないということだ。
 牧瀬紅莉栖は生きていて、椎名まゆりもまたここに生きている。
 これは当たり前のようで、決してありえなかった奇跡なのだ。

「オカリン……その、嬉しいけど、ちょっと力が強いよ~」
「よかった……まゆり。本当によかった……」
「オカリン、どうして……どうして泣いているの? 不安? 何か悲しいことがあったの?」
「違う。違うんだ……」

 生きていてくれて。
 それにお前が俺の知っているものとかけ離れたまゆりでなくて、嬉しかったんだ。
 お前を救いたかった。
 そのために様々な時間の改変に手を染めてきた。
 こんな馬鹿げた話、とても信じられないだろうけど。
 未知の世界に漂流してきた俺が失ったものは多かったみたいだけど。
 この奇跡が在るなら、まだ俺は大丈夫だ。

「まゆり……」
「オカリン……」

 俺は溢れる涙をこらえることができなかった。
 何かを察してくれたのか、俺を慰めるようにまゆりの手が俺の頭を撫でてくれた。
 しばらくそのまままゆりを抱きしめたままでいると、扉のほうから声が聞こえてきた。

「ねえ。これは一体どういう反応すればいいわけ?」
「リア充爆発しろ、でいいんじゃね?」

 そこには俺をジト目で見ている二人がいた。
 どうやらあのまま出て行った俺を追いかけてきたらしい。

「おっ……お前ら、何を見ているのだ!」
「あれ? ダルくん? それと、もしかして牧瀬さん?」

 抱きしめられて俺の胸の隙間から顔を出したまゆりがもごもごと言った。
 それを見てますます二人がやれやれという表情を浮かべる。

「発作で倒れたと思ったら、次の瞬間には号泣しながら女の子を抱きしめに行ってるとか、彼の挙動はいつもこんな風なわけ?」
「さすがにここまでひどいのは僕も目にしたことないお」
「真剣に病院に行った方がいいと思うわよ。ちょっと値段は張るけど頭部MRI検査がお勧めね」

 いや、ひどいことを言っているのはお前らだろう。
 俺の頭は記憶を除いて全て正常のはずだ。

「えっと、とりあえずオカリン、いい加減に離してもらえないかな~」
「ぁ……すまない」

 とりあえず俺は抱きしめたままのまゆりを解放した。
 涙をぐっと制服の裾で拭う。
 妙に気恥ずかしかった。

「あーー、その、まゆり。本当に、突然すまなかった」
「う……うん。別にいいんだよ。オカリンに悲しいことがあったんじゃなかったんだよね?」
「あ、ああ……とても嬉しいことがあったからそうなってしまったんだ。驚かせてすまなかった」

 まゆりは、なんだかぽーっとした顔で妙に落ち着きがない。
 まあ、いきなり抱きしめられて号泣されたらそういう反応になっても仕方ないか。

「今のってもしかして彼なりの口説き文句? あの二人ってもしかして付き合ってるわけ?」
「いや……本人が言うにはただの幼なじみって話だったけど、今では限りなく黒に近いグレーといわざるを得ないお」

 いや、まゆりはただの幼なじみだ。
 しかしこの状況で説明して、果たして納得してもらえるだろうか。
 少し無理があるかもしれない。
 まさか死んでいるのか怖くて確認のために抱きしめましたとは言えないしな。

「全くもう。ちょっとは説教してやろうかと思ったけど気が抜けたわ。じゃあ私は帰るから」
 
 俺が困っていると、紅莉栖はやれやれとかぶりを振って言った。
 そして、さっさと踵を返してしまう。

「あ……」
「岡部は頭が心配なら本当に検査だけは受けときなさい。知らないところで怪我している可能性もあるんだからね」

 俺は呼びとめようと思って手を伸ばして、その言葉を思いつかなかった。
 微妙に失礼だかお節介なのだかわからない台詞を残して助手は去っていった。
 まゆりは去っていく助手を不思議そうな目で見ている。
 俺も今はクラスメイトだという少女をそのまま見送った。
 かける言葉が思いつかなかったというのが本音だろう。
 だが――

「いいのかオカリン?」

 確認するようにダルが尋ねてきた。

「だ、だが追いかける理由が俺には思いつかないのだが……」

 チッチッとダルがその太い指をかざした。

「先は調子が悪かったならしょうがないわけだが、オカリンは牧瀬氏に謝る必要があると思われ」
「謝ること?」
「牧瀬氏はクラスメイトでないとかなんとか言ってたお。覚えてないか?」
「あ……ああ」

 そういえば錯乱した挙句にそんなことを言っていたか?

『お前がクラスメイトだと……それは新手の冗談か?』

 今までこの世界線にいなかった俺からすれば当たり前の話なのだが、あいつの主観で見れば俺はとんでもないイジメを実行した愚か者なわけで。
 そういえば泣かせかけてしまったことを今更ながらに思い出す。

「ねえねえ。オカリンは牧瀬さんに意地悪しちゃったの?」
「う……こっちとしてはそういうつもりではなかったけど、結果的にはそうなってしまったというか……」
「じゃあ謝ってきたほうがいいんじゃないかな~」

 実にまゆりらしい能天気な反応だ。
 しかし正論でもある。
 まゆりもダルも純粋に俺を心配して言ってくれている。
 謝る……か。
 本当を言えば、あいつにはそれだけで済まないほど伝えるべき言葉があって迷っていたのだが。
 しかし、何事もまず紅莉栖に伝えていかなくては始まらない。

「そうか……確かにそうだった。恩に着るぞ。まゆり、そしてマイ・フェイバリット・ライトアームよ」
「いいんだよ~」
「報酬は口座に新作のエロゲ一本を振り込んでくれれば構わないお」
「じゃあ、まゆしぃはジューシーから揚げでいいよ」

 まゆりはともかく、ダルは微妙に高い報酬設定だな。
 しかもこの世界線の設定をよくよく考えると、俺はまだ十七歳なのではないだろうか。
 ……まあいい。
 俺は細かいことを置き去りにして紅莉栖を追いかけた。



「待て! クリスティーナ!」

 助手には校門のところで追いついた。
 さすがに俺の下駄箱の位置なんか覚えてはいなかったし、急ぐ必要から上靴のまま走ったおかげで若干俺が有利になった。
 俺の呼びかけが自分のことだと思わなかったのか、紅莉栖はそのまま無視して歩き始める。
 俺はもういちど呼びかけた。

「クリスティーナ! とまれ! 助手よ! そう、そこのお前だ!」
 
 俺の呼びかけにようやく助手は振り向いた。
 俺の顔を確認した瞬間に眉をひそめる。
 ムスッとした顔でいかにも不機嫌そうだ。

「それはもしかして私のあだ名か? もっと普通に呼べっての」
「いや。お前は助手だ。それかクリスティーナ」
「調子が狂うわね……まさか私にそんな口を叩く人間がいるとは思わなかった……牧瀬のほうで呼びなさいよ。クラスメイトらしく」
「だが断る」

 頭痛を抑えるような仕草で紅莉栖は頭を抱えた。

「はあ、もうどうでもいいけど。それで私に何の用事なの?」
「お前に謝ることがあったと思ってな」
「ああ……」
 
 それだけで何のことか悟ったのか、つまらなそうな表情で紅莉栖は言った。

「別に謝ってもらう必要なんてないわ。受験ノイローゼか知らないけど、あんた多分ストレスで記憶が混乱して一時的に調子を崩しているだけなのよ。私に言ったことなら忘れてあげるから気にしないで」
「ああ……そうだな」

 確かに通常の記憶喪失ならばそうだろう。
 俺はいつの日か何事もなかったように失われた記憶を取り戻し、違和感を覚えることなく世界に戻ることが出来る。
 だが、リーディングシュタイナーが認識した世界線移動に伴う記憶の喪失は二度と戻らない。
 なにをどうしようと、俺は二度と元の俺に戻ることはできないのだ。
 だから俺はそのことに関して謝ることはできない。
 もうこの紅莉栖には謝ることも、感謝を述べることもできないんだ。

「聞いてくれ。俺はお前をクラスメイトだとは思ってなどいなかったし、これから先そう思える日が来るのかわからない。それは確かに正しい」
「っ! そう……あなたがあくまでそう言うなら、それもいいわ」

 奥歯を噛みしめて耐えるような表情で紅莉栖が俺を睨む。
 一瞬でもそんな辛い顔をさせたことに罪悪感を覚える。
 俺はしっかりと紅莉栖の眼を見据えて告げた。

「だが、俺はお前を大切な仲間だと思っている。絶対に」
「は?」

 紅莉栖の冷静な表情が一瞬崩れて、呆けたような表情になった。

「今なんて言った? よく聞こえなかったけど」
「俺はお前をかけがえのない仲間だと思っていると言った。ただのクラスメイトなんかには絶対に思ってやらない」

 紅莉栖は耐えかねたように笑い出した。
 クスクスとこちらを皮肉るような嫌な笑い方だった。

「ふふふっ……あんた本当にバカね。あれだけ嫌われるようなことをやっておいて、今度は友達認定? 冗談もほどほどにしておきなさいよ」

 その笑いがこちらの言うことをまるで信じていないことが伝わってきて、少し悲しかった。

「本当に気にしなくていいのよ? 私なんてクラスメイトなんかじゃないってあんたは言ったけど、あながち間違ったことを言われたってわけでもないから」

 自嘲するような調子でこぼす。

「私なんかと関わりたくないっていうほうが普通の反応なんだから……」

 まあ、こんな言葉を返されるような気はしていた。
 けれど、俺にはこいつの態度が不可解だった。
 前の世界線と同じなら、こいつの態度がただの強がりであることは確かなはずだ。
 無愛想で冷酷ともとれる人間であることは事実だけど、ここまでシニカルで穿った態度を見せることは少なかった。
 ツンツンしているようで、結局は困っている人間を突き放すことなんかできないお人よし。
 俺の知っている牧瀬紅莉栖はそんな心優しい人間だったんだ。
 人の好意がわからないやつじゃない。
 ここでもきっとそうだと信じている。
 少なくともまるで無視することなんかできるわけがない。
 こいつには俺の言葉が百パーセント嘘だと断定する理由がないはずだ。

「何か理由があるのか?」
「え?」
「俺とお前が知り合って友達になることになんの問題がある?」

 だいたい気にしないでと言われて気にしないやつがいるか。
 本当に毎度のことながら、そういう部分には隙だらけなのだ。

「お前がどんな人間であろうとそんなことは関係ない! 普通の反応? そんなものに俺が捉われると思ったら大間違いだ!」

 俺の言葉を吟味しているのか、助手はじっとこちらを凝視してきた。
 その視線を俺は正面から受け止めた。
 心の奥底を探るような紅莉栖の視線の意味を図りかねたからだ。

「あなた、もしかして私のことをよく知らないわけ?」
「え?」

 お前のことなら良く知っている。
 だが、それはこの世界線の紅莉栖ではない。 
 助手は大きなため息を一つはいた。
 そしていつの間にか知らず助手への距離を詰めていた俺の額を指でピンと張り飛ばした。

「一般常識まで欠落してるって救いようがないな。高校生なんだから新聞くらい目を通しなさい。その上で、もう一度同じ台詞が吐けるようになったら考えてあげるわ」

 謎めいた台詞を残して紅莉栖は去っていった。
 今度こそ、俺は黙ってその後姿を見送るしかなかった。
 失敗した……な。
 無理もないことなのだが、この世界の新参である俺にここでの常識など通用しない。
 なにも知らないで言っている俺の台詞があいつには軽く聞こえ、恐らくそこにこの世界の紅莉栖が俺を拒絶する理由があるのだろう。
 まずはそこからはじめろというあいつの台詞はもっともすぎた。

「だが、どんな事情があっても、それでもやっぱりお前しか考えられないのだ」

 お前は知らないけど、俺には絶対に放っておけない理由があるんだ。

(――冷静になって考えてみれば、俺がこの世界に移動して来たのは誰のせいだ?)

 あの状況で全ての事情を知っていたのは紅莉栖しかいないのだ。
 そして解決のためにとることのできる手段も限られている。
 恐らくDメールを使って何らかの改変を行ったのだろう。
 あのままSERNにハッキングしたのだとすれば、俺が移動したのはβ世界線だったはずだ。
 正直言ってどんなメールのおかげでこんな世界になったのか想像もつかない。
 そして、俺にはそれを覆すための手段はもうない。
 残された事実は単純だ。
 俺は紅莉栖によって救われ、この世界線に辿りつくことができた。
 過去を変えることを嫌っていたはずの紅莉栖が、自分の正しさを曲げてまで俺を救ってくれたのだ。
 俺では何もできなかったんだ。
 責任から逃げていただけだったんだ。
 何度も何度も助けてもらって、結局最後まであいつには救われるばかりだった。
 今更ながらにそんな後悔が胸を締め付けていた。
 なりふり構わずに俺を助けてくれた末に、紅莉栖がこの世界であんな寂しそうな顔をするなどということなど許してはならない。
 俺が不甲斐なかったせいで、お前に決断させたというのなら……その結果がこの世界を生み出したというのであれば、それは俺の背負うべき責任に他ならない。
 お前を独りになどさせない。
 絶対にさせてやらない。
 この世界線であいつが一人でいなければならない原因があるのなら、俺は再び世界を敵にまわしてでもその原因を打破してみせる。
 俺が謝らなければならない相手は、もうそのことを覚えていない。
 本当の意味で謝罪はできないから、代わりに報いる道を探したいと思った。

 ――必ずお前を幸せにしてやる。

 それは、この未知の世界線で生きていくことを決めた俺が誓った目的だった。



[28341] Summoner’s Stein <3>
Name: ASRISK◆d8dcf864 ID:1cd52033
Date: 2011/07/13 23:03
 俺がこの世界に飛んで来た日から数えて十日が経過した。
 その間、この世界の歴史についていろいろと調べてみたが、そこから未来の成り行きを読むことができないことだけがわかった。
 この世界のSERNにも表にできない暗部が存在しているのかどうかすら俺には判断がつかない。
 あるいはこのままいつかの世界線のように、ディストピアが構築されてしまうのかもしれない。
 だけどそんな未来を決定するような大事件に積極的に関わっていくつもりはなかった。
 そもそも未来におけるディストピア構築だのなんだのは最初から俺の手に余る話だ。
 鈴羽の想いはできるならば叶えてやりたかったが、少なくとも俺は救世主に立候補したいなんて思わない。
 今のところ俺にとっては違和感しかない世界だが、じきに馴染むことができるだろう。
 年代が逆行しただけで、基本的には俺の知識で対応できる状況だからな。

 ――と、俺にもそんなことを思っていた時代がありました。

 時間の流れも何もかもが変化してしまうというデタラメが起こったこの世界は、やはりムチャクチャだったのだと痛感せざるをえない。
 世界のことを学習していく中で、今までにはなかった人間関係がひょっこりと顔を出す。
 それは例えば……

「やっほー。オカリン先輩。会いたかったよー」
「貴様は一体何者だッ!?」
「もー、いつもそういう冷たいことを言うー。そろそろ付き合いも長いんだし、いい加減そういうからかい方はやめてくれてもいいんじゃないの?」

 ぶーっと膨れる女子生徒A。
 本当に誰なんだお前と言いたい。
 が、残念ながら容姿に心当たりがある。
 ものすごくある。
 三つ編みで健康的な笑顔を浮かべて、ダルと一緒に理科室に入ってきた女子生徒A。
 制服で登校すればいいのに、何故か体操服の上下だ。
 下はブルマじゃなくてスパッツ(以前ダルが強烈に高校でのブルマ普及の夢を語ってはいたが、現実は無情である)。
 ここまで瓜二つだと疑う余地はない。
 その名を、橋田鈴羽という。
 信じがたいことに、ここではダルの妹だというのだ。

「……ダルの妹がそんなに可愛いわけがない」
「うわ、聞いた至? 今、オカリン先輩が可愛いって言ってくれたよ」
「お前がダルの妹だと信じがたいといっただけだ……」
「えー」

 ネタをネタとして理解してもらえないことはなんとも寂しいものである。

「オカリンそのネタ何度やれば気が済むんだお……まあ僕と鈴羽のことを知ったら誰もが一度はやってくるネタなんだが」
「似てない兄妹って散々言われるよね。至がそこまで横に広くなるまではそうでもなかったんだけど」
「……まあいい。お前がここで妹キャラなのはもう諦めた。好きにダルの妹を演じていてくれ」
「なんかすごく突き放したような言い方だなあ」

 ここ数日で慣れてはきたもの、はじめて会ったときは仰天した。
 思わず『その設定は嘘に決まってる!』と絶叫してしまった。
 未来人である鈴羽がなんらかの洗脳的手段を使ってダルの妹に化けている。
 そんな予想をしてしまった俺はきっと間違ってはいない。
 密かに周囲の言質をとった今でも、九割以上はうさんくさいと思っている。
 とりあえず過去のスレを片っ端からチェックしてジョン・タイターが現れていないかはチェックした。
 どこにもジョン・タイターの名前は登場しなかった。
 しかし油断は出来ない。
 いつか切羽詰ったときに、実は未来改変の使命を帯びてやってきたダルの娘だったことを明かしてくるのではないだろうか。
 そんな時がこないことを切に願うが。

「と、とにかくだ。これで全員集まったのだから、これから作戦について話すぞ……」
「全員集まったって、まゆ氏がまだ来てないわけだが」
「今日はまゆりは休みだ。俺がそうするように言った」
「あれ? 最近ずっと一緒だったのに今日はまゆちゃん仲間外れ?」

 最悪の未来は脱したとは思うが、まゆりの安否についてはやはり不安が大きかった。
 そのためあの日以来、できるだけまゆりの傍にいるようにした。
 平行して紅莉栖にも関わっていくつもりだったが、助手はあの日以来学校に姿を現さなかった。
 まあ、あんなやりとりをしてしまっては仕方ないのかもしれない。
 そもそもあいつがなんで学校主宰で任意参加の夏期講習に来ていたのかよくわからないが、単純に飽きたから来ないというわけではないはずだ。
 あのやりとりが原因で、俺を避けているということはわかる。
 今日までの間、紅莉栖に積極的に関わっていくという誓いは、まだ手付かずなのである。
 まゆりの安否はまだ心配だが、いつまでもまゆりにばかり構っているわけにもいかない。
 まゆりには、まゆりにしか出来ない役割だってある。

「というわけでお前たちはそこに座れ。俺が今から作戦について説明しよう」

 ダルと鈴羽が隣同士で座る。
 俺はその対面に立ち、用意していた紙の束を二人に渡した。
 理科室の黒い机を囲んで、俺は未来科学研究委員会の会議をはじめることにする。
 未来科学研究委員会。
 それはこの世界の俺が結成した機関と戦うための組織らしい。
 夏休みの間は理科室が、俺たちのいつもの集合場所になっていたそうだ。
 メンバーは、俺とダル。そして鈴羽とまゆりの四人だ。

「しかし実験の機材を一切使ってはならないとは、なんとも理科室に集まる意味がないな……」

 俺に使えるのは自前で持ち込んだ白衣だけである。

「ここは科学部の部室なんだから仕方ないっしょ」
「そもそもやつらが神聖なる実験場である理科室を独占しているのが間違っているとは考えないのか?」
「オカリンがせめて夏休みの間だけでも理科室を使いたいってゴネたんだろうが。僕が暴走するオカリンを抑えて科学部の部長と交渉したのを忘れたとはいわせない」

 忘れたというより思い出せるわけがないというのが正解なのだが。

「納得がいかんな。部室割り当てすら管理支配されているとは、やはりこれは機関の陰謀か……」
「部員五人未満の未来科学研究委員会に部室割り当てとかあるわけないだろ常考。向こうは部員数二十人を超える立派な部活だお」

 部でなくて委員会。
 あくまでも仲間内だけ、非公式の生徒活動だ。
 まあ、なんだ。
 そんな弱小っぷりがいかにも俺の作ったサークルという感じがしないでもない。
 なにせ機関に対抗するための組織なのだ。
 少数精鋭こそが望ましい。
 うむ。
 なるべく前向きに考えよう。

「それで、今日は僕らを集めて何するわけ? 最近の夏期講習聞き流して何か作ってたけど、その関連?」
「察しがいいな。これから説明するところだ。これは牧瀬紅莉栖を俺たちの仲間に引き入れるために必要な作戦――名づけてオペレーション・ノルンだ!」
「まゆ氏に内緒で牧瀬氏宛てのラブレターを作成するんですね、分かります」
「えーっ!? オカリン先輩、浮気は駄目だと思うな。重大な信頼違背行為だよ」
「だれが浮気だッ! そもそも作戦名は“ラブレター”ではない。オペレーション・ノルンだと言っているだろう!」
「鈴羽を悲しませる真似は僕が許さない。絶対にだ」
「そういう兄馬鹿な態度はどうかと思うんだけどね。そう思わない、オカリンお兄ちゃん」
「やめろ。お前にそんな風に呼ばれると違和感しか感じない。あとオカリンもやめろ。俺は狂気のマッドサイエンティスト鳳凰院凶真だ」
「最近は記憶喪失ごっこやってたと思ったら、その設定また復活してたんだ……」
「ていうか鈴羽にお兄ちゃん呼びとかうらやましすぎだろ。僕も昔のようにそう呼んでくださいお願いします」

 必死に懇願するダルをあははと笑って軽くスルーする鈴羽。
 がっくりと落ち込むダルは、いつものHENTAIだというべきか、情けない兄と言うべきなのか判断し難い。
 ちなみにわけのわからないことになっている俺の扱いはあえて無視だ。
 正直言って、この鈴羽との距離感は理解し難い。
 前はあまり互いに深くまで踏み込んだ関係ではなかったはずだ。
 馴れ馴れしいやつだったことは確かだが、ここまで親しい間柄になっていると正直戸惑う。
 まるで別キャラだ。
 というか俺から見れば、なんか無理して妹キャラ作ってる痛々しい女にしか見えない。
 俺はどういう関係をこいつと築きあげていたのだろう。
 想像が及ぶ範囲ではないが、なにやら不吉な予感がするのは気のせいだろうか。

「参考までに聞いておくが、俺は下級生にお兄ちゃん呼ばわりさせているHENTAIではなかったよな?」
「もう遅いと思うなー。幼なじみのまゆちゃんのことがバレてからは、すっかりそういう評価が固まっちゃってるからさ」

 確認のために聞いてみると、そんな気になることを言う。
 そんな評価ってどんな評価だ。
 なんだかとても聞きたくない気もするが。

「……ここでの俺はどういう種類の人間だと認識されていたのだ?」
「まゆ氏が入学してきて以来は、けしからん下級生キラーと呼ばれてたお」

 なんだそれは。
 頭痛がする。

「至もあたしが入学してきたとき、兄チェンジって言われてたよね」
「まあそれはお前がここに来るって決まったときにほとんど諦めてたから別に構わないわけだが……」
「下級生キラー……俺が、下級生キラー……」

 純粋に落ち込む。
 ちなみにこの世界線ではまゆりは俺と同じ高校に通っている。
 馴れ馴れしい二人と学校で付き合いを続ければ、そういう評価があってもおかしくはない……のか?

「ちなみにオカリンは最近、牧瀬紅莉栖にも手を出そうとする神をも恐れぬ男って言われ始めてるお」

 痛い。
 頭痛が痛い。
 確かに俺は神をも恐れぬ狂気のマッドサイエンティスト鳳凰院凶真だが、そんなふうに評価されるのは不本意極まる。

「……ちなみにお前もそんなことを考えてるのか」
「僕から見ればなんか方向性が違うく見えるお。牧瀬氏に執心かと思えば教室で倒れた日からずっとまゆ氏に構いすぎだし。幼なじみをお姫様扱いとかフラグ建築にもほどがあるだろ常考」

 まあそれは仕方がない。
 あいつにふらふらと動かれていると、とんでもなく不安なんだから。

「あたしは反対だな。オカリン先輩があの女に関わるのは」
「え?」
「鈴羽?」

 ボソリと鈴羽が口にする。

「そりゃ多少は事情を知ってて同情だってするけど、あたし牧瀬紅莉栖があんまり好きじゃないの」
「それは何故だ」

 この鈴羽が未来からやってきたのではないというなら、助手を嫌う理由がないはずだ。

「なんとなくよ。いわゆる女の勘だね。ここに来るまでに騒ぎになってたときはよかったんだけど、よりにもよってオカリン先輩のクラスに来るんだもんね。正直あのときから嫌な予感はしてたんだ」

 いや。
 ちょっとまて。

「まゆちゃんと付き合いはじめるならまだしも、鳶に油揚げを攫われるとかちょっとハンターとして許せないな……」
「ハンターってお前……」
「愛の狩人だよ!」

 笑顔の鈴羽の台詞である。
 冗談なのか真剣なのか判断しがたいが、こっちが赤面してしまうくらい恥ずかしい台詞だ。
 俺は唖然とするしかなかった。
 ダルがかぶりをふる。
 そして、腕を組んだ姿勢でボソリと口にした。

「Nice boat」
「…………」

 何故かサバイバルナイフでザックリ料理されている俺のイメージが思い浮かんだ。
 俺は下級生にキラーされるほう……ではないよな?
 この世界では、そういう運命に決定されているとかではないよな?

「ハハッ、まさかありえないだろう。この鳳凰院凶真がそんなふざけたリア充的生活を送っていたなど……」
「…………」
「…………」

 何故目をそらすお前ら。

「とにかく! 事前に送ったテキストで概要はつかんでもらえたはずだ」
「オカリンの手書きをコピーしたあれか? そりゃ概要は理解したけど、あれを牧瀬氏に送りつけるわけ?」
「その通りだ。さすがダル。理解がいいな」
「僕にはこれが牧瀬氏にちゃんと読まれるのかすら怪しいと思うお」
「そんなことはない。あいつはこれを無視できないからな」
「何その根拠のない自信。嫌な予感しかしないお。そもそもなんでオカリンが牧瀬氏を急に未来科学研究委員会に引き入れたいとか言い出したのかもわからんし」
「そうだよね。何で牧瀬紅莉栖を仲間にしたいのかは知りたいな」
「あいつの優れた頭脳は機関との戦いに必要だ。だから俺は勧誘を決めた」
「それだけでもないよな、オカリンの場合」
「そうだよね。頭がいいっていうだけならもっとずっと早く勧誘してたはずだし」
「……すまないが、あまり語るようなことではない。それは俺がそうせねばならん使命というだけの話だ」

 こいつらのことはもちろん信頼している。
 けど、この件に関してあまり本音の部分は晒したくはなかった。
 だからニヒルに笑って誤魔化す……つもりが何故か顔を見合わせて呆れられた。

「結局いつものオカリンの暴走か。僕も苦労させられるお」
「あはは、まあいいんじゃないかな。オカリン先輩が勢い任せなのはいつものことだし」

 苦笑しながらも、俺のことを手伝ってくれる気はあるらしい。
 全くこいつらは。

「本当は俺だけで組み上げるべきなのだがな。お前たちの力を借りざるをえない。だから頼むぞ二人とも」
「了解だお。オカリンのラブレターの添削がんばるお」
「気は進まないけど、オカリン先輩の頼みなら頑張って牧瀬紅莉栖宛てのラブレター作っちゃうよ!」
「…………」
 
 オペレーション・ノルンだという訴えは完全に無視されて、作戦名は“ラブレター”に決まりらしい。
 数の横暴って酷い。
 そんな当たり前の事実を実感させられた。



「……よくも私をこんな場所にまで呼びつけてくれたわね」

 次の日にラジ館の屋上に現れた紅莉栖は、開口一番そんな口を叩いた。

「別に来ることを強制した覚えはないぞ。お前が勝手に来ただけではないか」
「ええ。そうね。あんな熱心に書かれたデンパ的な“ラブレター”が私の家に投函されてなければ絶対に来なかったと思うわ……」

 憎々しそうな顔で俺を睨みながら紅莉栖が言う。
 というか何も知らないこいつまで作戦名“ラブレター”に賛成投票か。
 いよいよもって凡人のセンスは理解しがたい。

「休みの日までお前は制服か」
「一応学校規則にはそんなことが書いてあった気がするけど」
「単に制服が気に入っているだけだろう?」
「あんたの白衣ってセンスよりマシだと思うけど。たまに教室でも着てたところを見るとよほど拘りがあるわけ?」

 教室でも着ていたのか。
 さすがに授業まではそのまま受けていないよな?
 前の世界の俺だってそんな真似はしたことなかったし。

「ともかくその様子だとちゃんと読んでもらえたようだな」
「呼び出すならせめて学校にすればよかったのに。どうして秋葉のラジ館って指定されたわけ?」

 読んだとも読んでないとも答えずに、質問を質問で返される。
 なんでここに呼びつけた――か。
 その答えを俺は明確に意識することを避けていた。

「どうしてだろうな」
「はっきりしないのね」

 結論から言えば、ただの俺の感傷なのだと思う。
 ここもラボに次いで思い出深い場所だ。
 その説明をこいつは理解してくれるだろうか。
 空を眺める。
 いつかのような夕立を警戒して念のために折りたたみの傘をもってきた。
 空は鮮やかなグラデーションで赤く染まった夕焼けが広がっている。
 雨の一滴だって降りそうにない。

「言われたとおりにお前のことは調べさせてもらった。随分とこの世界では有名な人間らしいな」
「正確には私が有名なんじゃなくて、背景が有名なだけよ。ていうか、あんた本当に私のこと何も知らなかったのね」

 ああ。
 ここのお前のことは何も知らなかった。

「でもどうやって私のマンションまで探り当てたのよ……なんだかものすごく不穏なんですけど」
「意外に個人情報など脆いものなのだ。この鳳凰院凶真のハーミットシーカーにかかればな」
「あんたがストーカーで、いろいろと痛々しい人間なのは理解できた」

 助手は眉をしかめ、警戒色を強くする。
 実のところ紅莉栖の住所を探り当てたのは、まゆりの功績だ。
 教師のように立場のある人間に聞けなくても、近くの住人まで全員を騙しとおせるはずがない。
 どのあたりから通っているかという目撃情報を生徒から聞き出してしまえば、あとはまゆりの人懐こさで聞き込みをしてもらえばなんとかなる。
 まゆりはちゃんと任務を果たしてくれた。
 住んでいる場所さえわかれば後は郵便ポストに投函するだけだ。

「とにかく互いに警戒しあっていても仕方がない。まずは黙って俺の話を聞いてもらおう」
「ふーん。それで私に改めて何を言ってくれるわけ?」

 紅莉栖は俺のことを完全に警戒してしまっている。
 俺と関わるつもりなんか最初からなかったこいつがここに来た目的はただ一つ。
 本人はそれを俺が妄言を吐いていることの証拠調べだとでも言うのかもしれない。
 だがそれは違うと知っている。
 お前が後悔し、そしてどうしようもなかった悩みの歴史を知っているから。
 よって、俺は最大の切り札の一枚を最初に切る。

「お前の父親がドクター中鉢だったとは知らなかった」

 紅莉栖に向かってそれを告げる。
 空気が一瞬にして凍りつく。
 紅莉栖が息を呑んで黙り込んだ。
 俺の背中から射す夕日が赤く紅く、彼女の立ち姿を染めていた。



[28341] Summoner’s Stein <4>
Name: ASRISK◆d8dcf864 ID:1cd52033
Date: 2011/07/13 23:09
「ドクター中鉢……あなたは古いほうの名前で呼ぶのね」
「俺にとってはそっちのほうが慣れているんだがな」
「今は全部昔の名前よ」

 てっきり俺がその話を持ち出したことに怒るかと思えば、意外に冷静な口調で紅莉栖は言葉を返してくる。
 だがそれは表面上だけのことだ。
 こいつが父親との関係に、どれだけ悩みを抱えていたか俺はよく知っているのだから。

「偉大なる科学者、牧瀬章一……か」
「…………」

 それが紅莉栖がこの学校に来ることになった原因であり、壁を作って他人を拒絶する理由だった。
 きっかけは一つの論文だった。
『カーブラックホールの特異点リングと事象の地平に関する仮説』
 誰もがイロモノ科学者扱いしていたドクター中鉢の提出した論文は、当時の学会を随分騒がせたらしい。
 幾度かの検証の末に査読が通ってその正当性が認められた後、彼の評価は一変した。
 彼が記者会見で熱く語ったタイムマシンは実現可能だというメッセージは、詳細を知らない一般人にとってもわかりやすい形で伝わり、特に日本の熱狂は凄まじかったそうである。
 彼をドクター中鉢と呼ぶ人間はいなくなり、タイムマシンの科学者・牧瀬章一と呼ばれることになった。
 時間旅行は夢物語ではない。
 ノーベル賞間違いなし。
 不屈の執念が実る。偉大なる科学者の半生。
 当時の全国新聞の一面に躍った文章は決して誇大広告というわけでもなく、誰もが明るい未来を信じて疑わなかった。
 この時点では。

『すべてはこれからだ。私の夢であるタイムマシンの実現に向けてようやくその一歩を踏み出したばかりなのだからな』

 彼はいつものように、お決まりの台詞で講演を締めくくった。
 そして、それが牧瀬章一の最後の言葉になった。
 乗りこんだ車が何者かの仕掛けた爆弾によって吹き飛んだのだ。
 牧瀬章一は即死。周囲にいた人の何人かに重軽傷者を出した。
 それがちょうど今から一年半ほど前のことだった。
 少しばかり世界の裏側を覗き見た俺だが、この事件がどういった種類のものであったかはわからなかった。
 SERNの裏側を統べるような機関の関与があったのか、それともまだ何か俺の知らない未知の利害対立があったのか。
 いずれにせよ、あまりに唐突な惨劇の一報は、またしても世界に衝撃を与えた。
 未来の展望に熱狂したぶんだけ人々の落胆は大きかった。
 牧瀬章一という男の頭脳というより、彼が語るビジョンの喪失が世間の情熱を完全に冷めさせてしまったのだ。
 タイムマシンは再び夢物語となり、彼の論文は学会においてのみ議論される過去の業績となった。
 それはただの現実。
 世界がそのように動いただけの歴史に過ぎない。
 だが、その悲劇で残された彼の家族は?
 確かに牧瀬章一という男の死は、世界にとっての痛手だった。
 世間の関心は全てそこに集中したといってもいい。
 だからこそ価値尺度の違いに思いを馳せることは難しかったのだろう。
 世間的には全世界に死を惜しまれた天才科学者であっても、紅莉栖にとってはそんなことはどうでもいいことだった。
 ずっと続いていた不仲が解消されればそれで構わなかった。
 タイムマシンなんか完成しなくても、父親が自分のことを見てくれさえすればよかったのだ。
 その気持ちは誰も理解しなかったし、できなかったに違いない。
 紅莉栖の母親を除いては、きっと誰も。

「希望の未来を語り、悲劇の死を迎えた牧瀬章一。まあ重い話よね。私に誰も関わりたくない理由には十分だわ」
「…………」

 日本は平和な国だ。
 それだけセンセーショナルで血なまぐさい事件の当事者が隣にいることが、どこか虚飾めいて見えたとしても不思議はない。
 背景をよく知っている人間であれば、どう声をかけてよいものやら分からなかったのではないだろうか。
 それとない優しさを向ける人間くらいはいても、当の本人である紅莉栖がそんな遠慮がちな態度を好意的に受け入れる理由もない。
 結果としてお互いの溝ばかりが深まっていく。

「まあ、ニュースも知らない岡部みたいな人間もいるんだけど。でも私のことを知ったなら、もう分かるわよね? 何かと物騒な私なんかに関わるメリットなんて何もないんだって」
「メリットならあるさ」
「それは同情なの? それとも有名人の娘である私の気を惹いてみたいだけ?」
「違う。そんな理由ではない」

 もともとは贖罪の代わりのつもりだった。
 もう謝ることすらできないのであれば、お前を少しでも幸福にしようと思った。
 けれども逃避した俺を救うために出来上がった世界は、紅莉栖にとってかけがえのないものを奪い去っていた。
 何度か相談に乗って、父親の存在が紅莉栖にとって非常に大きいものだということは理解していた。
 自分が原因で関係を壊してしまい、なんとかして仲直りしたいのだと語っていた。
 だが、この世界線でその望みが叶うことはない。
 歩み続けた科学への道すら曲げてしまうほど、それは重大な事件だったのだ。
 紅莉栖に残されたのは全世界に死を惜しまれた天才科学者の娘という立場だけ。
 それが他ならぬ紅莉栖自身の行った過去改変の結果だ。
 全てを見通すことなどできない。
 たとえ天才である紅莉栖であろうとも、過去改変の不確定さから逃れられなかった。
 俺を救うために差し伸べた手が、自分にとって一番大事なものが失われる絶望の歴史に収束してしまった。
 世界を恨むのは筋違いだが、どうしていつもこうなってしまうんだろうと思う。
 俺は神じゃないから、犠牲を生まない完璧な世界なんてものは作ることはできない。
 理想は抱くかもしれないが、どこかで欠けてしまうんだとわかっている。
 何かが、誰かにとって大事なものがどこかで必ず犠牲になっている。
 けど、それでも――
 そう理解していても、とても納得なんてできはしない。
 紅莉栖にとって、俺にとって、これほど皮肉な因果もないだろう。

「お前はずっと後悔しているのか?」
「え?」
「ある日の自分に送られてきた不思議なメール。それを信じなければこんなことには……か?」
「――――!」

 今度こそ紅莉栖の表情が驚愕に染まった。

「どうしてそれを知っているの? 今までママにも言ったことがなかったのに」
「知っているさ。世界でただ一人、俺だけはそのことを知っている」

 ここまで世界を捻じ曲げたメールが一通であった証拠はないし、その内容だってわからない。
 でも最低限一通は自分に向けて送ったはずだと考えていた。

「後悔……していないわけがないじゃない。結局、私が余計な知恵で援護しなければパパはずっと生きていられた。私がパパを殺したのよ」

 自分を疫病神だと紅莉栖は自嘲する。
 父親を死に追いやったのは自分だと。
 そうやって周囲と壁を作っている。
 けど、それは間違っている。

「違うんだ。お前は何も悪いことなんかしていない」
「一体何が違うって言うの? 最初から私なんていなければよかった。パパはずっと前にその正しい真実を教えてくれていたのよ!」

 違う。
 何もかも違うんだ。
 その皮肉な因果を生み出した原因は、お前が信念を曲げてまで俺を助けようとしてくれたからなんだ。
 だからお願いだから、そんな悲しいことを言わないでくれ。

「過去の自分が在るから今の自分が在る。だから、自分の過去をなかったことになんかしたくない」
「――――!」

 俺が言ったそれは、かつての紅莉栖が語った信念である。
 今の紅莉栖に返すには、あまりにも残酷な台詞だ。
 過去はなかったことにしたい。
 無駄ばかりの人生に後悔のない人間なんていないから。

「これは俺を救ってくれた人間の受け売りだ。俺はそんな奇麗事を信じられるほど強くはなかった。けど、お前は違うだろう?」
「……っ! そんなことを言われても困るわ。私だってそんなに強い人間なんかじゃない……」

 綺麗で、強い人間。
 あるいは彼女のそれは、ただの意地や強がりからの台詞だったのかもしれない。
 それでもその強がりを維持して踏み外さなかったから、あれほどの高みに上り詰めることができたのだと思う。

「……まあ、別にお前が折れて休んでしまっても幻滅したりはしないのだが」
「え?」

 今でもこいつの芯は失われていないという確信はある。
 でも常にそんな紅莉栖でいてほしいというのは、俺の都合のいい願望だ。
 この世界の過去を歩んできた紅莉栖に同じ信念を強要することはしない。

「俺にこの世界のお前を非難する資格はないからな。だから……お前が望むなら協力してやる」

 ビクリと紅莉栖は身を震わせた。

「協力って……何よそれ。意味がわからない」
「俺の“ラブレター”をちゃんと読んだんだろう?」
「そんなの全部読む前に捨てたわ。最初の数行からして妄想設定がいっぱい書いてあったみたいだけど。どこの中学生の日記ですかってくらいに……」
「嘘だ」

 俺は断言する。

「お前はそれが何であるか理解できたはずだ」

 強くなる夕日が血のように屋上を染める。
 紅莉栖は深く沈黙した。
 怖い表情で拳を強く握り、歯を噛みしめる。

「……ずいぶん酷い“ラブレター”だったわ。赤ペンで全部添削して送り返してやりたかった」
「それで添削したからこそ、俺の呼び出しを無視できなかったんだろう?」
「違うわ。あれはあなたの妄想設定よ。私はそのことを証明するために……」
「だがその証明は成功しなかった。お前は心のどこかであれが実現可能だと認めてしまったからここにいるんだ」
「…………」

 紅莉栖に送ったのは俺とダルと鈴羽で作りあげた、Dメール送信装置とタイムリープマシンについてのレポートだ。
 もちろんこれは俺のうろおぼえの知識を元に作ったいい加減なレポートである。
 ダルに手伝ってもらって、ようやく完成度は従来の三割を超えたかどうかというところ。
 普通に考えれば頭のおかしい人間の妄言にしか見えない。
 だが、お前にとってだけは違うはずだ。
 たった数週間でタイムリープマシンを作りあげるほどの天才である紅莉栖だ。
 数年前にタイムマシンの理論の一端を与えられれば、俺では到底辿りつけない地平にきっと辿りついているはずなんだ。
 その知識があれば、俺の欠陥だらけのレポートの先にどんな技術があったのかを察することができる。
 あれはまるでエデンの知恵の林檎だ。
 悪魔の誘惑とわかっていても、その技術を無視することなんかできない。

「重ねて言うが、お前の頭脳さえあればそれは実現可能だ。もちろんダルの協力も必要なんだが」
「タイムリープマシン。そして、過去へのメール発信のための装置。あんたの言う電話レンジっていうのを私に作れっていうの?」
「正確にいえば俺が作ってやりたかったのだがな。残念ながら、それだけの頭脳も技術もない。お前に頼るしかないのだ」
「ハッ、それで読めたわ。あなたが私に関わる理由って言うのは、私に利用価値があるからっていうわけね」
「そうかもな。タイムリープマシンもDメール送信装置もお前がいなければはじまらない。だが、俺は自分のためだけに使うつもりはないぞ」
「じゃあ何のために……」
「認めたくはないだろうがな。お前は俺の協力という言葉の意味をちゃんと理解しているはずだ。お前を幸せにしてやる。そう俺は手紙に書いたはずだぞ?」

 俺は内心を極力表情に出さないよう深くに押し込めて、努めて平静を保ったまま口にした。

「お前の父親が死んだ過去をなかったことにできるんだ」



「……それで」

 長い沈黙をはさんで、紅莉栖がようやく言葉を続けた。

「一体どうなるの? その、Dメールを使ったとしたらだけど」
「世界は一瞬で変わる。俺以外は変わったことすら意識できない」
「それってすごいわね。あなたの主観が世界を創るって言うわけ?」
「そんな大層なものではないと信じたいが。いずれにせよ手軽なものだ。十分な時間とちゃんとした計画さえあれば、リスクは無視してもいいほど小さいものにできるだろう」

 嘘だ。
 個人のエゴで世界を弄り回すことの罪はあまりにも大きすぎる。
 紅莉栖のため、まゆりのためなどという言葉ではとても正当化できはしない。
 だが、この世界がお前の望んだ世界でないのであれば、それを取り消すだけの権利くらいはあるはずだ。
 俺を救うためのやむを得ない措置だったんだ。
 だからもう一度交替して、今度は俺が手を下す。
 改変の罪は全て俺が背負う。
 もともとそうしなければならなかったものなのだ。

(世界を敵にまわしてもと誓った。それは決して嘘なんかじゃない)

 心の中で誓いを復唱する。
 そうでもしなければ、さっきから震えが止まらない心が折れてしまいそうになる。
 再び逃れようのない罪を増やすのは、どこまでも恐ろしいことだ。
 この世界に満足して落ち着いてしまうほうが幸せになれる可能性は高い。
 あるいはどこまで世界に楯突いたところで、幸福な結末なんて最初からないのかもしれないのだから。
 結末を恐れずに前に進むなんて口にできるほど俺は強い人間じゃない。

「……見え見えの嘘はやめて。詳しい状況は察せないけど、あんたはその結果を受けてこの世界に飛んで来た。岡部が教室であげた悲鳴と表情を覚えてる。過去を改変するっていうのは、きっとそういう・・・・ことなんでしょう?」
「…………」

 ああ、優しいな。
 そしてやはり思慮深く、頭の回転が早い。
 限られた情報からDメールの作り出す世界の因果がどういうものなのか、そしてリーディングシュタイナーを持つ俺がどうなったのかについてについて洞察できている。

「俺のことなど気にするな。お前はお前のことだけを考えればいい。この世界がこうなってしまったのは全て俺の責任なんだ。だからお前には取り戻す権利がある」
「…………」

 再び紅莉栖が沈黙する。
 建前でない本音として、大事な人間の死はそれだけ受け入れ難いものなんだ。
 俺はそのことを良く知っている。

「……パパ、私とタイムマシンの実現について話し合ってるときすごく喜んでたのよ」

 長く、永遠にも思えるほど長い沈黙の末に紅莉栖は口にした。

「これで人類の夢が実現できるんだって。友達との約束が果たせるんだって。今まで私に嫉妬して邪険にしててすまなかったって……私の今まで知らなかった話を沢山してくれた」

 どういう意図を込めて紅莉栖は過去の自分にメールを送ったのかはわからない。
 ただの偶然の産物かもしれないが、もしかしたらそこには紅莉栖の無意識の願望も混ざっていたのかもしれない。
 かつては完全にこじれてしまっていた仲も、ある時点までは歩み寄るだけの余地が残されていたのだろう。
 あまりにも短すぎた父親との日々がどんな時間だったのか俺から聞くことはしない。
 だけど、何もかもが失われてしまったとはいえ、少しだけでも和解の後の喜びの時間があったことは嬉しかった。
 全く救いがないばかりではないのだと、俺の心を和らげてくれる薬程度にはなる。

「タイムマシンは……パパの望んだ夢はほんの些細な知的好奇心を満たす程度のものだった。間違ってもその発明は不幸な人間を生み出すためのものじゃない。そんなものじゃなかったって私は知ってるから――」

 ポツポツと紅莉栖は語る。
 それは今では幾重の後悔に塗れてしまった思い出の一端。
 だが、最後は毅然とした態度で断言した。

「私はあなたの言うDメール送信装置や、タイムリープマシンを発明するつもりはないわ」
「そうか……」

 それが紅莉栖の出した結論だった。
 そして、それは完全な決別の言葉だった。
 俺の思惑なんかまるで無視して、紅莉栖はやっぱり強い人間だった。
 俺の想定を完全に超えて、紅莉栖らしさに溢れた最高の答えだった。
 それがとても嬉しくて、頼ってもらえなかったことがほんの少しだけ悲しかった。

「結局、余計な世話でしかなかったな。俺の協力などお前には不要……か」

 ため息とともに言う。
 すると何故か紅莉栖が不満げな視線でこちらを睨んでいた。

「ど、どうした?」
「あのね。岡部は自分で最初に何を言ったか覚えていないわけ?」
「え……いや……」
「できることならあるわよ。私を苦しめた謝罪代わりに岡部がここに来た経緯について洗いざらい吐いてもらうから。それで許してあげるわ」
「え?」

 さらりと紅莉栖は信じられないようなことを口にした。

「え、って何よ。その……最初は私を仲間に勧誘したいっていう話からのつながりじゃなかったのかしら?」
「――――!」

 ……本当に、一体こういうときに何と言えばいいのだろう?
 どうやってもこいつには勝てる気がしない。
 何度俺にそう思わせれば気が済むのか。
 俺は二つ返事で頷くことしかできない。
 必死に涙をこらえた表情はきっととんでもなく滑稽なものに見えただろう。



 屋上のフェンス越しに秋葉原の風景を二人並んで眺めた。
 俺は紅莉栖に話をした。
 前の世界でどんなことがあって、こちらに来ることになった経緯について。
 最後は情けない結末に終わった俺の歴史を粗方話し尽くした。
 世界線の移動やリーディングシュタイナーについて紅莉栖は半信半疑ながら信じると言ってくれた。
 そんな中で、こっちの紅莉栖のことも聞いた。

「どうして夏期講習に参加していたんだ? お前に必要だとも思えないが」
「別に。来なくてもいいですよ、みたいなことを暗に言ってくるから行ってみただけよ」
「相変わらずお前は性格が悪いな……」

 こいつのチェックつきだと教師も気が気ではなかっただろうに。

「そうやって捻くれていたところを、お前なんかクラスメイトじゃないとか岡部に酷いこと言われて反省したんだからそれでおあいこよ」
「ぐ……」

 だからといって別に教師の味方をするつもりなんてなかったけど。

「まだここに来た理由も聞いていなかったが、そもそもどうしてここに来ることになったんだ?」
「ママがここに来るように言ってくれたのよ。ここってパパの母校だったんだって。前の世界でもそうだったの?」

 いや。
 元の世界でどうだったのかなんて、ここからでは観測不可能なのだが。

「向こうで研究を続けようとは思わなかったのか?」
「私は物理とは専攻違うから大丈夫って言ったんだけど。ママにあのまま院を卒業して向こうで研究者になるのは少し頭を冷やしてからになさいって、無理矢理ここに放り込まれた」

 それは英断だと思う。
 あれだけ騒がれていた牧瀬章一の娘という特級のステータスに、飛び級の天才科学者となれば世間が放っておかない。
 精神的に不安定な紅莉栖をそんな騒動の渦中に放り込むような真似は親として避けるだろう。

「だったらこの世界のお前はサイエンスに論文が掲載された天才科学者ではないのだな?」
「プッ、いきなりサイエンスってそれはいくらなんでも夢見すぎよ」
「いや、そのまま続けていればお前はその程度の業績をあげる科学者になれたぞ」
「……見聞きしてきたみたいに言うなって言いたいけど、あんたはそれを見聞きしてきたのよね。なんだかこんがらがりそう」

 正確に言えば、それは父親との確執を抱えたままの紅莉栖だったからこそなのか。
 心の隙間を埋めるように取り組んだ成果があの論文だったのかもしれない。
 過去の自分があったからこそ、今の自分がある――か。
 間違ってはいない。
 まるで間違ってはいないはずなのに、それはなんて悲しい現実なんだろう。

「それにしても何で俺と同じ学年なんだ? 年齢で言うと俺より一学年下のはずだよな」
「さあ? 一応期間限定の留学って名目らしいから、そのへんは適当だったんじゃない? ママとしては私がこっちで冷静になる時間があればいいってスタンスみたいだったし」

 そんな下らない話をするうちに、すっかり日が沈もうとしていた。
 沈みきる前の夕焼けの最後の輝きが強く目を焼く。
 一面の赤を背景にした紅莉栖がこちらをじっと見つめてきた。

「ねえ、最後に一つ聞いてもいい?」
「なんだ」
「岡部ってさ、その……向こうの私のことが……好き……だったわけ?」
「――え?」

 てっきり他のことを聞かれるかと思ったら、あまりにも意外な方向から質問が来た。
 俺は動揺してしまって上手く言葉を返せなかった。
 紅莉栖はそんな俺をニヤニヤと笑って見ていた。

「だって手紙で幸せにしてやる~だもの。それってプロポーズにとられてもおかしくないわよ」
「ちょ、待て! 誰が誰にプロポーズだと!? そんなことは決して――」

 決して――
 何故か言葉が続かなかった。
 決して、なんだ?
 なかったのか?
 そんな気持ちの源となるものは何もなかったのか?
 本当に?

「正直に言うと、そこまで真剣に私のためにって言ってくれる人間なんて今までいなかったから、ちょっと悔しいのよ。岡部にそこまで言わせる以前の世界の私っていうのが」
「……お前とそうは違いがなかったぞ」

 そう。
 この世界の紅莉栖も俺の考えていたよりずっと綺麗で強い人間で、俺の知っている彼女と本質的な違いはない。
 違いがあるとすれば、俺と過ごした三週間ばかりの記憶があるかないか、その程度のこと。
 でも、そんな些細なことが俺にとってはとても大事なことで――

「やっぱり悔しいわ。岡部の中にいるのは、そういう顔をさせることのできる私だったってことよね?」
「あ……」

 ああ――そうか。
 そうだったのか。
 俺はようやくその言葉で自分の感情をはっきりと自覚した。
 奇妙な因果の流れで俺は彼女に興味を持ち、彼女も俺に興味を持った。
 ラジ館で初めて会って、嘘みたいな経緯でラボの仲間同士になって、最後はお互いの意見がすれ違って別れて。
 基本的には口論ばかりだった気がする。
 最初は眩い才能を持つ彼女をなんとかやりこめてやりたかった。
 最後はそんなことはどうでもいいくらいに、彼女の才能に惚れこんでしまっていた。
 父親との関係に悩んでいることを知り、相談に乗った。
 まゆりのことがあって、リープするようになってから真っ先に助けの手を差し伸べてくれた。
 メールのやりとりをするようになったこと。
 重度の@ちゃんねらーであることを知ってからかったこと。
 タイムリープマシンを作るために徹夜してくれたこと。
 全てが今あったことのように鮮明に思い出せる。
 俺の心の奥底、消すことができないほどの深くに彼女との思い出が刻まれている。
 彼女のタイムリープは逃げだという正論を無視してでも、終わりのないループに逃げ込んだ。
 世界が決定されたものであると諦めていたくせに、そのことを意地でも認めたくなかった。
 彼女のことを心の奥底で覚えていながら、現実には救えないという矛盾を解決するために思い出に厳重な鍵をかけた。
 それは、なんて贅沢な望みだったのか。
 俺はあの・・記憶をもったままの彼女のことを生かしていたかったんだ。
 もう全てが遅かったとわかった今になって、紅莉栖をこの場所に呼び出した本当の理由は、

「……そうだな。俺はきっと牧瀬紅莉栖・・・・・のことが好きだった」

 それは一つの始まりと終わり。
 この世界の平穏に馴染んでいくために、最後に必要な儀式を執り行う。
 俺は心の奥底の扉の鍵を開けて、そこに留めていた彼女の影を開放する。
 優しくて残酷な赤い日のことであった。



[28341] Summoner’s Stein <5>
Name: ASRISK◆d8dcf864 ID:1cd52033
Date: 2011/08/03 19:59
 9月1日。
 今日から夏休みが終わって新学期が始まる。
 紅莉栖を説得して仲間に引き込んだ残りの時間を使って、俺はこの世界の秋葉原を見てまわった。
 世界線の変更に伴う変化は、ほとんど観察できなかった。
 俺はその中で、未だ出会うことのできていないかつてのラボメンを探し始めた。
 まずメイクイーン+ニャン2に行ってみたが、フェイリスには会えなかった。
 他のメイドに話を聞くと、相変わらずここでナンバーワンメイドをやっているとのことだった。
 フェイリスも学生だ。俺が行ったのが彼女の働く時間帯とずれていたのだろう。
 あいつはいつでも店にいるようなイメージだったのだが、意外と夏休み終わりの三日間で宿題を片付けていたとかそんな理由だったりしてな。
 さらに続けて柳林神社のほうに行ってみたが、ルカ子とも会えなかった。
 ルカ子の父親である宮司はいたので、それとなく尋ねてみると姉と夏休み最後の旅行に行っているらしい。
 さすがにルカ子の性別は男かどうかなど踏み込んだ質問はできないので、そのまま引き返してきた。
 タイミングは悪かったようだが、二人の安否が確認できただけでも有益だった。
 最後に今までなんとなく避けていた未来ガジェット研究所のあった場所を訪ねてみた。
 そこはやはり、ただの空きビルとなっていた。
 一階に天王寺裕吾のブラウン管工房の店舗が見えることもなかった。
 俺の周囲にSERNの影が見えなくなったのであれば、彼との接点は消えてしまったということなんだろうか。
 俺はどこかしらの寂寥感を胸に、未来ガジェット研究所のあったビルを後にした。

「おう! お前ら夏休みちゃんと過ごしてきたか? 今日から新学期だ。センターも近くなってきたし、気合入れていけよ」

 ガハハと教壇に立って豪快に笑う教師は確認するまでもなく天王寺裕吾だった。
 信じ難いことに俺のクラスの担任らしい。
 新学期早々吹いた。

「おい岡部、お前大丈夫か? いきなり咳き込みはじめて。夏風邪か何かか?」
「い、いえ。何でもありません。俺の心配は要りませんよ、ミスターブラウン」
「ミスターブラウンってなんだそりゃあ。俺のあだ名か?」

 あんたが担任って何の冗談だと言いたい。
 相変わらずのスキンヘッドに髭面で、教室に熊が存在するかのような威圧感を醸し出している。
 ノーネクタイ、ノー上着のクールビズも、はちきれんばかりの筋肉で台無しだ。
 超絶似合ってないし、ものすごく暑苦しい。
 まさか学校の教師と兼任でラウンダーをやっているとかじゃないだろうな。
 発明も何もしていない未来科学研究委員会を監視する理由もないので関係ないんだろうけど、油断するわけにもいかない。
 事が事だけにより慎重さが必要とされる。
 俺はホームルームが終わった後、探りを入れる意味で桐生萌郁のことを尋ねてみた。

「なんでお前が俺の遠縁の姪のことなんて知ってるんだ?」

 どうやらこの世界の萌郁と彼はそんな関係らしい。

「いえ。少し小耳に挟んで。彼女は今何を?」
「教師を目指してるよ。けど、なにかにつけ引っ込み思案なやつでなあ。なりたいんだって言い出したときはビックリしたもんだが」

 どうやらここでの萌郁は俺より少し遠くなった場所で、前と違った生きがいを見つけているらしい。
 もともと彼女とはIBN5100の捜索過程において関わりをもつことになったのだ。
 この世界の俺はそんなものを探す理由がないのだから、彼女と出会う機会はなかったんだろう。
 いつかなんでもない隣人として出会えたならば、今度は前と違った関係を築いていきたいな。
 彼と彼女のことを俺は赦したのだから。
 俺はそんなことを考えた。

「……しかしミスターブラウン。彼女がそうなりたいと願った理由は自明のことですよ」
「ん?」
「あなたに憧れたからに決まっているじゃないですか」

 俺がそんな言葉をかけると、珍しいくらいに赤面した天王寺裕吾が見られた。
 照れるようなこと言うんじゃねえと俺の背中をバシバシ叩いてきた。
 背骨が折れるかと思うくらいに強烈だった。



 前略。
 助手がデレました。

「はい、クリスちゃん、あーん」
「ちょっとまゆり。それは恥ずかしいから」
「あれ? まゆしぃのお弁当いらなかった? お母さんが作ったやつだから美味しいよ」
「ええと、まゆりのお弁当が嫌なわけじゃなくて……」
「じゃあほら、クリスちゃんに好きなものをあげるんだよ~」
「じゃあその玉子焼きを……」
「あーん」
「あ、あーん」
「…………」

 俺の目の前で雪解けの春満開の風景が展開されている。
 興奮したダルがまばたき一つせずに凝視していた。
 どうでもいいけど牧瀬氏のあーん頂きましたとか、そういう台詞を本人に聞かれるとまたHENTAI扱いされて罵倒されるぞ?

「我々の業界ではご褒美です」

 そうか。
 できればもう少しHENTAIは自重したほうがいいと思うが。
 兄として自称妹の冷たい視線が気にならないなら構わないのだけど。

「えへへ、クリスちゃんおいしい?」
「うん。まゆりのとっても甘くてふわふわして美味しいわ」

 未来科学研究委員会に出入りするようになってから、まゆりと紅莉栖はあっという間に仲が良くなった。
 仲良くなりすぎだろうとも思う。
 ダルではないが、さっきからいろいろとやりとりに問題がある気がする。
 そして、こっちの世界線でもこいつはやっぱりまゆりに弱いのか。

「新学期早々いきなり飛ばしてるな、クリスティーナよ」
「だからティーナは禁止って言ってるじゃない。それに私がここで昼食を食べていることに何か問題でも?」
「そうだぞオカリン。そのやりとりをとめるだなんてとんでもない」

 ちなみに集合場所は夏休みと同じ理科室を使っている。
 科学部となんとか交渉して、実験が本格化するまでの一週間だけ滞在期間を延長してもらえることになった。
 再度の交渉の矢面に立ってくれたダルにはコーラとポテチをくれてやろう。

「まあどんな形であれ、お前が楽しそうならそれで構わないのだがな……」
「何か言った? 岡部」
「いや……なんでもない」

 あの日以来の俺はどうにも調子を発揮しきれない感じだ。
 紅莉栖相手に教室で話しかける姿をクラスメイトに驚かれたが、それ以上の進展があったわけでもない。
 どちらかといえば踏み込むでもない留まるでもない中間圏内を行ったりきたりしている。
 俺が半ば告白紛いのことを話してしまった結果として、紅莉栖との関係がぎこちないものになるのは無理のないことなのかもしれない。
 紅莉栖も俺も、お互いにそのことにはなるべく触れないようにしている気がする。
 助手にとっての俺は友達として付き合いはじめて日が浅い男であり、俺もこいつのことを以前の紅莉栖と同一視することを避けている。
 その絶妙なバランスの緩衝材となって踏み込んできたまゆりに、紅莉栖がかようにデレているわけである。

「それで、相変わらず鈴羽はそこで不貞腐れているのか」
「納得がいくわけないじゃない。というかなんでオカリン先輩が牧瀬紅莉栖を愛おしげな目で見守っている姿を祝福しなければならないのさ」
「べ、別に愛おしげな目で見守ってなどいないぞ!」
「あたしは至と違ってNTRを楽しむ趣味はないんだ」
「少しは人の話を聞けよ」

 理科室の黒い机に突っ伏したまま、ジト目で睨みをきかせているのは鈴羽だ。
 紅莉栖の参加を全メンバーが歓迎したというわけではない。
 ある意味でまゆりと対極の反応を示すのが鈴羽である。
 相変わらず体操服の上下姿で、理科室という場所からすれば非常に浮いている。
 スポーツ万能で様々な部活の助っ人をしていることが多いらしく、自称未来科学研究委員会の用心棒らしい。何で鈴羽は体操服姿でいることが多いんだろうと思っていたが、どうやらそういう理由だったそうだ。
 今はその用心棒が獅子身中の虫にならないかが心配だ。
 それというのも、

「牧瀬紅莉栖。まゆちゃんを懐柔したからっていい気にならないことね。あたしを勝負で破るまでは未来科学研究委員会のメンバーとしては認めてあげないよ」

 椅子から立ち上がった鈴羽が助手に向かって挑発的な視線を向ける。
 このように、鈴羽はことあるごとに未来科学研究委員会に入ってきた紅莉栖に喧嘩を仕掛けるのだ。
 以前の世界のようにとことんまで険悪なわけではなく、むしろ微笑ましい部類の喧嘩ではあるが。

「ねえ。私、鈴羽さんに何か恨まれるようなことしたかしら? 正直こうやって喧嘩を売られる理由がわからないんですけど」
「ラブ臭がする。ボーイミーツガールで甘酸っぱい夏の思い出的な。同情につけこんでオカリン先輩を誘惑したんだね。あたしには分かってるよ!」
「ちょっ、ちょっと! 誰がラブとか夏の思い出で岡部とそういう関係なのよ! 言いがかりはよしてもらうわ!」

 喧嘩の理由がなんというかアレなのだ。
 大抵はああやって無視しきれず反論し始めた助手と鈴羽が口論を繰り広げる形になる。
 下手に口を挟むと被害が俺に向かってくることを学習したので、あえて口出しはしない。
 無論、怖いからできないとかそういう情けない理由じゃないぞ?
 これは個人の譲れない部分に踏み込んで、場を無理に引っ掻き回すことをよしとしないリーダーとしての深謀遠慮なのだ。
 喧嘩するほど仲がいい。
 二人とも多分そんな感じだ。
 何も問題はない。
 問題はないはずだ。

「まゆちゃんもまゆちゃんで、その女はライバルなのよ。それをちゃんと自覚すべきだと思うな」
「らいばる? もしかしてクリスちゃんってとっても料理が上手なの? まゆしぃのお母さんより?」
「いや、そっちじゃなくて。恋。そう、これは恋の戦争なんだよ!」

 ビシィと謎のポーズを決めて鈴羽が宣言する。

「生物的本能に従って周囲の雌は排除しないとダメなんだよ。力が全て。生き残るのは一人の壮絶なサバイバルが始まるんだ」
「えー。仲良くしようよ。まゆしぃは戦うとか争うとか苦手なのです」
「ていうか何で私たちが岡部の争奪戦とかに参加する必要があるのよ」
「じゃああたしの不戦勝でいいのかな?」
「そっ、それは……って、そもそも恋愛ってそういうものじゃないと思うわ!」
「女の子たちでオカリンの争奪戦とかハーレム主人公すぎだろ。メシマズってレベルじゃねーぞ」
「というかその争いの目的は本当に俺なのか?」

 闘争自体が目的化していて、俺なんかどうでもいいんじゃないだろうか。
 そんな雰囲気が見え隠れしているのは気のせいではあるまい。
 俺はダルに尋ねた。

「お前の妹は一体何を考えているんだ?」
「鈴羽の考えてることは僕にもよくわからんお」

 兄でもわからないものがどうして俺にわかるというのだろう。

「ならせめて兄として鈴羽を止めたらどうなんだ?」
「そこにオカリンが絡んでるのはともかくとして、女の子同士のキャットファイトはむしろ大歓迎ですが何か?」
「…………」

 やっぱりHENTAI少しは自重しろ。



 飲み物でも買ってくる。
 そう言って、騒がしくなりつつあった理科室から脱出して自販機を目指す。
 喉の渇きを満たせても、校内にドクペは売っていないので何だか物足りない。
 しかも日差しの暑さが呼び起こしたか、最近ときどき痛むようになった偏頭痛が襲ってきた。
 秋葉の探索に乗り出した夏の終わりあたりから続いている症状だ。
 ミスターブラウンの言うとおり夏風邪でも引いてしまったのかもしれない。

「くっ……どうやら俺が抱えてしまったシンが疼いているようだな……」

 片膝をついて頭を抱える。
 いや、別に膝をつくほど辛いわけでもないが、何となくそうしてみたかったというだけだ。
 特に意味はない。

「あの、大丈夫ですか? 調子でも悪いのですか?」

 俺が膝をついていると、後ろから声をかけられた。
 俺は何事もなかったかのようにさっと立ち上がり、平然とした顔で大丈夫だと返す。
 まだ心配してくれる女子生徒の保健室への誘いを丁重に断ると、女子生徒はようやく去っていった。
 下級生の女子だろうか?
 ずいぶんと小柄だな。
 だがあの女の姿をどこかで見たような気がする。

「おい! そこの女!」
「はい?」

 女子生徒がこちらに振り返る。
 俺はその顔を正面からじっと眺める。
 やはりだ。
 他人の空似とかではない。
 髪を全部下ろしているし、ネコミミもつけていないが、こいつは……

「……フェイリス?」
「ニャッ!?」

 女子生徒は飛び上がらんばかりに驚いた。
 やっぱりどう見てもフェイリスだよな。
 普通のカッターシャツ着た女子生徒の格好ではなんだか違和感が漂うが。

「やっぱりフェイリスだよな。それともここでは秋葉留未穂と言ったほうがいいのか?」
「ふぇっ、フェイリスって誰のことなんですか! 私は秋葉留未穂ですけど、フェイリスなんて全然知らないニャ!」
「……いや、猫語混ざってるからな」
「しまったニャァッ!?」

 あわあわと動揺するフェイリス。
 まあ考えてみれば、当たり前のことだ。
 以前は家ですらネコミミという徹底振りだったが、いくらなんでも学校にまでその服装で通っているはずがない。
 とすれば、ある程度キャラを分離させて使い分けているのだろう。
 素のキャラのときがコレか。
 中の人なんかいないという言葉の意味が少し理解できた気がする。
 なにやら見てはいけない姿に遭遇した気分だ。

「ちょっ、ちょっとこっちに来て下さい!」

 腕をとられて人気のない廊下に連れ込まれる。
 小柄なのに意外に力が強い。
 正面に相対した状態で、真剣な眼差しで睨まれる。
 背は俺よりずっと低いはずなのに相変わらず妙な迫力があるな。

「一体どうして私のことを知ったんですか? あの店で働いていることは学校では秘密にしてるのに。それに店に来たことがないですよね?」
「お前は客の顔をいちいち覚えているのか……」
「常連を大切にする店なんだから三度以上見かけた人は大体覚えます」

 相変わらず恐るべきプロ根性だ。
 そして、もって生まれた能力を壮絶なまでに無駄遣いしている。

「それより答えて。あなたはどうして私のことを?」
「どうしてと言われてもな……」

 どうしたものか。
 こいつには生半可な嘘は通用しないはず。
 下手なことを言っては、俺の秘密を洗いざらい吐くことになってしまうかもしれない。
 一体それをどうやって回避しよう。
 それは困難極まる課題に思えた。

(しかし待てよ。口調や姿が違うことに惑わされたが、こいつがフェイリスであるなら……)

 もしかして、たいして思い悩むこともないのではないか。
 俺は心の中の閃きに従い、思いきりもったいぶった調子でフェイリスに告げる。

「俺が知っているのは当然のことだ。俺はあの・・禁断の知恵に触れてしまった人間なんだからな」
「まさかそれはあの・・真理の扉を開けたという意味ですか? つまりはあなたも人柱となる資格を持つ人間……!」

 乗って来た。

「ああ……だが俺は機関の人柱にされる気はない。生命の実の具現結晶化を狙う機関の目論見は必ず俺の練成式で阻止してみせる」
「それはきっと宿星の練成術を受け継いだ者の定めなのニャ。私もあなたと同じように――」

 ノリノリになりかけたところでフェイリスがハッと気づく。

「い、いえ。そうではなく嘘をつかずにちゃんとした理由を教えて欲しいのですが」
「俺は真理の扉を開けて人柱となる資格を持つ人間じゃなかったのか?」
「そ、それは私の設定……ではなく、思わず口をついて出てしまったというか決してそんなつもりはなかったのに乗ってしまった結果というかニャ……」

 動揺したフェイリスが混乱してああでもないこうでもないと頭を悩ませている。
 なんだろう。
 すごく爽快な気分だ。
 こいつを手玉にとることができたのは、世界線を越えて初めての出来事ではないだろうか。
 このチャンスは逃さない。
 俺は止めとばかりに鳳凰院凶真らしい笑いを浮かべて言った。

「俺の真名は鳳凰院凶真だ。これも運命石の扉が導いた出会いに違いない。秋葉留未穂……いや、フェイリス・ニャンニャンよ。興味があるならば俺についてくるがいい。未来科学研究委員会はお前の力を必要としている」
「鳳凰院凶真……未来科学研究委員会……」

 いろいろと誤魔化されたくはないという思いはあるだろう。
 だがフェイリスのキラキラ輝く瞳は、既に湧き上がる興味に半分以上染まっていた。
 こいつがフェイリスならば、絶対に面白そうなことには食いついてくるのだ。
 やはり俺は天才に違いない。
 フゥーハハハ!
 こうまで俺の想定どおりに事が進むとは実に気分がいいぞ!



「というわけで新たなメンバーを連れてきた」
「というわけで連れて来られました。秋葉留未穂です。皆さん、よろしくお願いします」

 フェイリスがペコリと頭を下げる。
 順調にメンバーを増やす未来科学研究委員会に感無量である。
 科学部からの理科室奪取計画にまた一歩近づいたというものだ。
 この俺の偉大なる功績に対してメンバーからは、鳳凰院凶真を讃える声が高らかに――

「一触即発の状況にめげずに新たな女の子つれてくるとか、オカリンの強心臓に脱帽するお」
「あたしに断りもなく、これは一体どういうことなのかなオカリン先輩」
「本当よ! あ、いや、別に私は岡部が女の子を連れてきたことはどうでもよくて、経緯が疑問だってだけなんだからな。勘違いするなよ!」
「留未穂ちゃんだよね? クラスが離れてたからお話したことなかったけど歓迎するよ~」

 全く響いてこない。
 ほのぼのとした態度でフェイリスに接してくれるのはまゆりだけである。
 というかフェイリスよりも俺への風当たりが強い。
 どうしてこうなった。

「ダルよ。少なくとも貴様だけは俺の偉業に対して賞賛の声があるはずだ。フェイリスのストーカーのお前にとって鼻血を吹きながら俺を拝み奉るレベルのニュースだろうに!」
「フェイリスって誰のこと? 女の子が増えるのは大歓迎なんだが。つかオカリンって秋葉氏と知り合いだったか?」

 あ。
 そういえば忘れてた。
 俺としてはすっかりこいつがフェイリスのつもりで連れてきたが、こいつはここの誰とも面識がなかったのだ。
 ダルがメイド喫茶に通い始めたのは大学に入ってからだ。

「だ、だからつまりだな。俺はこいつとの運命的な出会いを大切にする意味でだな――」
「……運命的・・・な出会い?」

 紅莉栖の鋭く低い声。

「いや、それは言葉の綾で、だいたい俺がフェイ……秋葉留未穂を勧誘したら悪いというわけでもないだろう!」
「確かに悪くはないけど、不思議だらけだよ」
「秋葉氏ってことは秋葉の大地主っしょ? 一年にそういう子がいるって噂になってたけど。その子がオカリンと接点があるとか考える方がおかしいだろ常考」
「なるほど。確かにそういう子が岡部と関わりをもつとか因果関係が不自然よね」
「それはどういう意味だお前ら?」

 俺の疑問に全員がシニカルな笑いで応えてくれた。
 なんなんだその上から目線は。
 ほら、フェイリス。お前も何か言ってやれ。
 鳳凰院凶真さんのカリスマにすっかり感服させられましたとかそういう説明的なことを。
 俺が視線を向けるとフェイリスは薄く微笑を浮かべた後、俯いて言った。

「私は凶真に決して知られてはいけない秘密を握られてしまったんです。多分だけどそのことで写真とかも撮られて……」

 っておい!?
 いきなり何を言い出すんだこの猫娘は!

「へえ……なんだかとっても興味深い話ね。詳細を詳しく」

 その問題発言に真っ先に反応したのは、根が真面目な委員長気質を持つ助手である。
 寒気がするくらい綺麗な笑顔の紅莉栖が、俺を威圧するような声色で凄む。

 ――そこに座りなさい。

 これは、うっかり逆らってしまうとヤバイと本能が警告する。
 命令に従って、俺は理科室の椅子に着席した。
 アイコンタクトしたダルと鈴羽が、ガタガタと理科室の四角椅子を動かして配置を整える。
 どうやら裁判室を模した場を構築したいらしい。
 俺を中心にして二つにわかれ、対面に裁判長気取りの紅莉栖が座る。
 検察側にはダルと鈴羽。対面の弁護人の側の席にはあまりよくわかっていないまゆりと、ニヤニヤを巧妙に隠したフェイリスが座っていた。
 形だけは近代的でも、実際は味方ゼロのお白洲裁きである。
 こんな場を即席で作る連携は見事としかいいようがない。
 さっきまで小競り合いを繰り返していたはずが、本当はものすごく仲がいいんじゃないかこいつら?

「それで? オカリン先輩の弁明は?」

 逆転の検事っぽく人差し指を立てて鈴羽が聞いてくる。

「誤解してもらっては困る。俺はコイツの真の姿を知っていたというだけなのだ。だから騙されてはいけない」
「こんなことを言ってるけど、留未穂さんとしてはどうなんですか?」
「彼の言うとおりです。私の無垢なる純白の姿――夢見る猫王女プリンセス・ドリームは凶真に奪われちゃったんです。とても逆らうなんてできません」

 ピキピキと何かがひび割れるような音が聞こえた気がした。
 ゆらりと紅莉栖が席を立つ。
 かつかつと俺に無言で近寄ってくる。
 その無表情が逆に怖い。

「どうやら真っ当な勧誘の結果とも思えないことが判明したわけだが」
「何を馬鹿な。たったこれだけの証言で何がわかる。第一、ヤツは曖昧なことしか話していない。お前も科学者ならばもっとはっきりした言葉から真実を導き出すべきだ!」
「という主張なんだけど、留未穂さん。もうちょっと詳しく話してもらえます?」
「ご、ごめんなさいっ……でもあんなこと、あんなことを詳しく伝えるなんて……私……」

 とうとうしくしくと泣きまねまではじめやがった。
 両手で顔を覆って、目の位置が紅莉栖に見えないように絶妙に計算してやがる。
 俺にだけ見えたフェイリスの口元は――

 計 算 ど お り!

 まさにそんな邪悪な笑いで歪んでいた。

「岡部」
「ハイ。なんでしょう」

 冷や汗が背中を伝う。
 絶望的に状況は悪い。
 だが、本当に俺は悪くないんだ。
 どうやったら信じてもらえる?
 俺は真摯に、そして誠意を込めた視線で訴えかけるように紅莉栖に結論だけを伝える。

「俺は少し調子に乗って留未穂を手玉にとってみただけなんだ」
「ギルティー」

 ああ、俺だ。
 薄々読めてはいたが、どうやら俺はフェイリスの姦計に誘導された紅莉栖たちに処刑されるらしい。
 フェイリス相手に主導権をとれたことが嬉しくて、つい調子に乗りすぎたのがいけなかったのか。
 あるいは、これも運命石の扉の選択ということか。
 エル・プサイ・コングルゥ(泣)



[28341] Summoner’s Stein <6>
Name: ASRISK◆d8dcf864 ID:1cd52033
Date: 2011/08/03 20:00
 9月2日。
 白衣の裾で額の汗を何度かぬぐいながら、俺は柳林神社のほうに向かっていた。
 ついこの間に訪ねたときに聞いた話では、ルカ子は夏休みの旅行中だったそうだからさすがにもう戻っているだろう。
 前と違ってすれ違いに終わることはないはずだから、向かう身として幾分か気は楽だ。
 とはいえ残暑厳しい秋葉が暑すぎるくらいに暑いことも事実だった。
 夕方近いというのに日差しは陽炎がちらつくほど容赦なく照り付けてくる。
 ダルのように帽子でも被ってくるべきだったかもしれないな。
 染めていない黒い髪は太陽光線の吸収効率がハンパない。
 適度に水分を補給していても熱中症で倒れそうなくらいに頭が熱い。

「しかもこんなときに限って例の頭痛が襲ってくるしな……」

 夏の終わりから続く頭痛がなかなか治らない。
 最初は偏頭痛のようにも思っていたが、ときどき広範囲にわたってガンガン痛むようになった。
 夏風邪だとたかをくくっていたけど、何か別の症状なのかもしれない。
 ただでさえ脳に負担をかけるような真似には、心当たりがありすぎる身だ。
 病は気からというが、ネットで脳に関する諸症状を検索してよくわからないままにいろいろと悩んでいたら余計に悪化してきたような気もする。
 これ以上続くようなら一度ちゃんと診てもらったほうがいいかもしれない。
 そんなことを考えているうちに、ようやく柳林神社に着いた。
 入ってきた俺の気配に気づいて、境内にいた巫女が俺のほうを振り返ってハッとした表情を見せた。

「――もしかして、岡部さん?」

 さて。
 ルカ子とまるで面識がない状態も想定していたのだが、どうやら向こうは俺のことを知っているようだ。
 まずは俺と知り合ったのがどういう経緯なのか、そのことについてじっくりと聞かせてもらわねばならない。
 だがその前に、

「違うだろうルカ子よ。教えなかったか?」
「え?」
「俺の名前は鳳凰院凶真。世界に混沌をもたらすものであり、お前の師匠だ。違ったか?」
「あ、はいっ、すみません凶真さん!」

 頭を下げるルカ子の肩を軽く叩いて、頭を上げさせた。
 たとえ間違っていたとしても、一度くらいはこういう偉ぶった態度で接しておきたかったのだ。
 幸いなことにそれほど間違った態度というわけではなかったようだ。
 そして俺はルカ子に俺と出会った経緯について細かく尋ねていった。
 そんなことを聞いてくる俺にルカ子は困惑気味だったが、素直に答えてくれた。
 なんでも俺がこの世界に飛んで来た数日くらい前に、巫女服を着て秋葉を歩いていたルカ子をカメコから庇ってやった事件があったそうだ。
 俺はこっちの世界でも同じような事件に遭遇しているのか。
 この世界でも鳳凰院凶真を名乗っていることから考えて、そういう星のもとにでも生まれたんだろうか。
 自分では考えているつもりなのに、お前の行動はワンパターンだと言われているようで少しだけ悩ましい。

「それでボクに凶真さんが言ってくれたんです。お前の卑屈な態度が気に食わないって」
「男であるか女であるかそんなことはどうでもいい、だったか?」
「はい。ボクはその言葉があったから凶真さんのことを……」

 ――信頼できると思うようになったんです。
 そうルカ子は告げる。
 果たしてそれは本物の言葉であったのか。
 ――その言葉があったから好きになったんです。
 そんな風にでも続きそうな含みのある台詞に一瞬ドキリとさせられた。
 カメコから庇ったというのが以前の事件と全く同一であれば、こいつは男のはずであるが、それだけでは百パーセント否定しきれそうにないのが恐ろしい。
 前の世界線のように直接触って確かめるわけにもいかないしな。
 もっともこいつの容姿だと、本人から男だと聞かされてもなお信じ難いという人間も多いに違いないだろうが。

「その後は店で模造刀を買ってもらって。それで一週間おきくらいでボクに修行をつけにきてくれるって約束していたんですけど」
「俺はお前とそんな約束をしていたのか?」
「だ、だから今日になって凶真さんが来てくれたのはとっても嬉しくて……てっきり一度会っただけのボクのことなんて忘れてしまったんだと」

 瞳をうるうるさせて言うルカ子の言葉が少し痛かった。
 約束をしておいて、知らずにそれを破っていたのか。
 状況的に仕方がなかったこととはいえ、随分酷い男だな俺は。
 繊細なルカ子のことだ。実際は期待を裏切られたかもしれない失望で日々悩んでいたことは想像に難くない。
 こっちに飛んできて暫くはまゆりと紅莉栖のことで頭が一杯だったが、もっと早くかつての仲間の安否は確認すべきだったかもしれないな。
 俺はそのことをルカ子に謝ることにした。

「ここ暫くの間、俺は機関の精神攻撃を受けて記憶が混濁していてな。しかしお前との約束を忘れてしまったことは謝ろう。すまなかった」
「きっ、記憶が? そ、そんな重大な事故があっただなんて……そんな、ボクとの約束なんかで無茶をさせてしまって……申し訳ありません!」

 どこまでも純朴で心優しいルカ子であった。
 そう軽々しく謝るなと言ってやりたかったが、記憶喪失は嘘というわけでもないし、なによりこいつの場合本気で信じて心配してくれるからな。どうもむず痒い気持ちになって仕方がない。怒るというよりも嬉しい気持ちが先立って困る。
 加えて言うなら薄く涙ぐむような瞳は可憐過ぎるし、いろいろと反則すぎる。
 だが男――なのか?
 本当に?

「しかし携帯の番号すら教えなかったのか俺は?」
「あ、すみません……そのときボクはちょうど携帯を家に忘れていたので……凶真さんの番号だけは教えてもらったんですが」
「ん? ならば気になったときに俺にかければよかったではないか」
「えと……なんだかそれってすごく恐れ多くて……」

 恐縮しがちな表情を見せるルカ子の頭を軽く小突いた。

「馬鹿者。弟子がそんなことでいちいち遠慮するな。お前はただでさえ未熟なのだ。もっと積極的に修行に熱を入れなくてどうする」
「あ、すみません……」
「謝るな。謝るくらいなら一刻も早く携帯をもってこい。今日はさすがに持っているんだろう?」
「あ、はい。じゃ、じゃあちょっと取ってきますから」

 自室に置いていた携帯をルカ子がもってきたので、俺はアドレスを交換した。
 ルカ子は携帯に表示された俺のアドレスを眺めて、心底満足そうな表情を浮かべていた。

「嬉しい……凶真さんのアドレス。本当に……」

 はにかむような仕草でぱあっと輝くような笑みを見せる。
 ぐっ……相変わらず天然で男を惑わす凶悪な仕草を身につけているな。
 胸がキュンとしてしまった。
 本当にこいつは男なのか?
 誰か男なのだと言ってくれ。

「そっ、それでは修行を始めるぞ我が弟子よ! 妖刀“五月雨”をもって構えをとるがいい!」
「はっ、はい!」

 うっかり胸に芽生えそうになる思いを誤魔化すように修行の始まりを告げると、かしこまった表情になったルカ子の返事が返ってくる。
 だが、そのままルカ子は首を傾げて俺に聞いてきた。

「あの、凶真さん。さっそく質問があるんですけどよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「刀の名前は“白楼”じゃなかったのでしょうか?」
「…………」

 そこだけ名前が違ってるのかよ。
 どうしたんだこの世界の俺。

「ところでルカ子よ。お前は学校はどこに通っている?」

 それから一時間ほどが経過しただろうか。
 一通り修行というやりとりが終わって、俺はルカ子にそんなことを尋ねた。

「ボクは私立花浅葱大学附属学園に通っていますけど」
「私立花浅葱大学附属学園?」

 それは以前の世界のルカ子が通っていたのと同じ学園だったはず。
 すると、かつてのラボメンの中でルカ子だけが別の学校に通っていることになるのか。
 あの学校に全員揃っていることを便利に思っていたが、こうなると逆に不便という気もするな。
 まあいい。

「ククク……これからを楽しみにしておけよ、ルカ子。そんな些細な障害は俺の手にかかっては何ほどのこともなかったのだと思い知らせてやる」
「は、はい? 何だかわかりませんけど、楽しみにしておきます」

 このときの俺には既にある構想が持ち上がっていた。
 距離の離れてしまったルカ子を俺たちの仲間に引き込むための計画だ。
 理由?
 そんなものは決まっている。
 このままルカ子だけ距離が遠いのは面白くないからだ。
 俺は修行の終了を次げて、柳林神社を去る。
 と、まだ背中に視線を感じて振り返った。
 思いつめたような目をしたルカ子が俺の背中をじっと見つめていた。

「……凶真さん」
「ん?」

 迷いながらも確かな意思を込めた瞳を向けて、ルカ子が聞いてきた。

「凶真さん。もしボクが本物の女の子だったら、どうしましたか?」

 少しだけ――忘れていた頭痛が蘇った。
 だが俺は即答した。

「愚問だな。そんなことはきっと関係ない。お前が女であろうとなんだろうと、出会う機会さえあれば間違いなく俺の弟子にしていただろうな」

 例えどんな世界線に飛んだとしても些細な関係を維持してみたい。
 それは、一度は世界の意思に屈した俺が信じてみたかった運命のようなものだ。
 師匠をやりたいからお前を弟子にするというのは、まるで本末転倒かもしれないけどな。
 俺の答えを聞いて、ルカ子は向日葵のような笑顔を浮かべた。

「岡部さんならそう言ってくれると思っていました」



 さて。
 メンバーにフェイリスが加わって、未来科学研究委員会の境遇はさらに改善されることになった。
 具体的には理科室の奪取計画がさらに前進したのだ。
 科学部の部長がメイクイーンで働くメイド(フェイリスではない)に熱をあげている常連客であることが発覚し、それをとっかかりにして交渉(脅迫ではない)を行った。
 そして先までの一時借りているという状態から、遂に恒常的な使用を認められるまでになった。
 科学部自体が休みの日の水曜日だけという限定はついたが、それでも大きな前進であることに変わりはない。

「今日も遊びに来たニャ!」
「トゥットゥルー♪ 今日はフェリスちゃんと合流して来たよ~」

 理科室のドアがスライドして二人入ってきた。
 相変わらずメンバーと仲良くなるのは早いまゆりと、理科室に入る直前でネコミミをつけたフェイリスである。
 フェイリスは髪形は下ろしたままだし制服のままだけど、すっかり猫メイドモードである。実際に一度だけメイド服姿をお披露目しに来たことがあるくらいだ。
 本当に仕方のないやつである。
 ここは理科室なのだから白衣にしろというに。
 もちろん自費で購入してくることが前提だが。

「そもそも秋葉留未穂とフェイリスは別なんじゃなかったのか?」
「フェイリスの魂は秋葉を中心とした封印結界に縛られているニャ。外に出るにはある特殊な方法を使わなければならないのニャ。具体的には猫魂交信者ソウルコンダクターとしての素質を持つ秋葉留未穂の身体を利用しなければならないのニャ……」
「そういう設定にしたのかよ」
「設定じゃないニャ! フェイリスはいつだってフェイリスなのニャ!」

 と、設定厨のフェイリスが言い張る。
 柔軟な鈴羽はまあそんなのも面白いからいいんじゃないとあっさり受け入れ、まゆりは仲良くできる相手ならそういう細かいことで頭を悩ませたりはしない。
 そしてダルはといえば、

「フェイリスたんハァハァ……フェイリスたんかわいいよフェイリスたん」
「駄目だこいつ。はやくなんとかしないと」

 ダルはこの数日で、すっかりフェイリス信者になってしまっていた。
 とはいえこれは俺が原因でもある。
 例のフェイリス加入時の騒動でメイクイーンの存在すら知らなかったダルが悔しかったから、あの後で所在地とフェイリスについての詳細を教えてやったのだ。
 ダルは「オカリンは僕を見くびってるお。三次元上に僕を萌えさせるメイドさんなんて存在しない」と自信満々の態度だったくせに、

「いやあ。三次元って本当にいいですね」

 このように、どこぞの映画解説者のように繰り返す賢者モードになっていた。
 ダルはやっぱり節操がないやつだ。
 二次元と三次元に両方萌えるのはやめろというのに。

「……こんな兄をもってお前も大変だな。鈴羽よ」
「そうだねー。大変だよ。でもオカリン先輩もあたしと結婚したら同じ苦労を背負い込む可能性が高いんだから忘れてもらっちゃ困るね」

 心底楽しそうに鈴羽は微笑む。
 背筋が凍るとはこのことだろうか。
 鈴羽そのものに対する好感度は置いておいて、間違ってもダルを義兄あにと呼ぶ関係にはなりたくないぞ。

「それで、お前はまだ受け入れられないのか。助手よ」
「だから助手じゃないって言っとろうが」

 フェイリスの変化に一番戸惑ったのが紅莉栖であった。
 まさかあのお嬢様然とした秋葉留未穂がこんなはっちゃけた人間だと思いもしなかったようで、暫く頭をかかえていた。

「勘違いしないで。今は別に留未穂さん――もといフェイリスさんがああいう人間だったことにそれほど驚いてるわけじゃない」
「ん? それとは違うのか? じゃあ何でまた頭を抱えてるんだ」
「何がって、それは……なんだか岡部の以前の交友関係が謎だというか。フェイリスさんとはやたら波長があってるみたいなところがあるし。もしかしてメイド喫茶に積極的に通ってたとか?」

 ヒソヒソ声で紅莉栖が俺に聞いてきた。
 それは前の世界のことが気になるということだろうか。
 こいつからその話を持ち出してくることは滅多にないのだが、今回は好奇心を隠せなかったと見える。

「勘違いするな。確かに俺はフェイリスのいるメイド喫茶の常連と言えない事もなかった。だが、それはダルがよく行くのとまゆりがあそこで働いていたせいだ」
「まゆりが働いていた……?」

 自分の名前が呼ばれたことに反応してまゆりがこちらを振り向く。
 俺がなんでもないと首を横に振ると、すぐにフェイリスとの会話に戻った。

「待って。ならもしかしてまゆりがネコミミつけたメイド服姿で接客してたわけ?」
「その通りだ。付け加えると金髪のかつらを被っていた」

 眉間にしわを寄せて、紅莉栖は悩んだ挙句。

「……それはアリね」

 一言だけ感慨深げにこぼした。
 お前は一体何に目覚めようとしているんだ。

「ところでオカリン今日は何するん? そもそも実験機材を使えないのに理科室に拘る意味がわからんお」
「本当は理科室ではなくてビルを借りたいところだが、とある理由によりそれは却下されたからな」

 相変わらずここに集まることはできても、ここにある実験機材を使うことは出来ない。
 これは早急に改善されるべき課題である。
 実験機材に近い場所という以上に、理科室に拘る理由といってもあまりないからな。
 強いて言えば、学校の中でここが一番、科学っぽい場所であることは魅力的だ。
 何より机が黒いのがいい。黒円卓という響きにはなにやら地下組織独特の空気があって素晴らしいではないか。
 実際に円卓の机などないし、四角の木製椅子はチャチいけどそれはそれだ。

「ビルなんか借りて岡部は一体何をするつもりなんだ。場所に拘るよりいくらかまともな実験機材を揃えたほうがいいと思うけど」
「どうしてもビルを借りたいのニャら、フェイリスがいくらか紹介してあげられるニャン?」
「どちらも却下だ。金銭的都合がつかんのだ。言わせるな恥ずかしい」
「本当に言わせると、それほど面白みのニャい理由が来るとは予想外だったニャ……」

 凶真にはガッカリニャ、なんて言いながらかぶりをふる。
 チッ。これだからセレブどもは。
 これ以上話がグダグダになる前に俺は本題を切り出すことにした。

「聞け! 諸君。審判の日ジャッジメントデイは近い。我々は来るべき日に向けて、全力で計画の遂行のため邁進しなければならない!」

 立ち上がって宣言する。
 若干緊張しているらしい。焦って白衣を翻す所作を付け加えるのを忘れてしまった。

「……何であんたはまずどうでもいい格好つけた情報から入るのよ。ちゃんとみんなにわかる結論から言いなさいよ。三行くらいで」
「フッ、そう焦るなクリスティーナ。文化祭だよ。外部の者に我々の存在を知らしめるには実によい機会となるとは思わないか?」
「へー。なんだか面白そうだねオカリン」
「文化祭かー。そういえばもうあと一ヶ月くらいでそんな時期だったねー」

 これこそが一人だけ学校の離れたルカ子をこちらに呼び込む秘策である。
 普段からこっちの集まりに参加しろと言っても、遠慮しがちなルカ子が素直に通ってくる公算は低い。
 だが正式なイベントを呼び水にしてしまえば、引っ込み思案なルカ子とメンバーの交流を深めることは難しくあるまい。
 一日二日過ごせば、忘れがたいきっかけの一つや二つできるだろう。
 何よりもまゆりがルカ子という超一級の素材を無視できるはずがないからな。
 すぐにかつてのような仲の良い関係を築き上げると、俺は半ば確信していた。

「何を言い出すかと思ったら。牧瀬氏はともかくとして、オカリン今年が受験だって忘れてね?」
「そういうつまらない意見は却下だスーパーハカーよ」
「スーパーハカーって呼ぶな。スーパーハッカーだろ常考。まあ盛り上がるのはいいんだけど、まだわからないことが多いっつーか」
「ていうかさ。あたしたち学年が離れてるよ。クラス単位の企画でみんなが集まってできることってあるの?」
「ククク……鈴羽よ。俺は一言もクラスにおける企画に力をいれるなどと言っていない。別の方法があるだろう?」

 基本的に進学校である俺たちの学校で、三年生クラスは文化祭に積極的に参加しない。
 せいぜい思い出作り程度に細々とした展覧企画が開かれる程度で、面白みはないのが普通だ。
 しかし部活単位でならばいくらかのスペースが貸し出されているし、企画も自由なのである。

「あれ? でも同好会ってスペースの申請できたのかな? ダメだって先生が言ってた気がするよ?」

 まゆりが疑問の声をあげる。

「フッ、まゆりよ。お前にしては中々鋭い着眼点だ。だがそれは先日までの状況に過ぎない。今ここにいる人数をよく数えてみろ」
「フェリスちゃんが入ってから六人になったよね」
「……ってオカリン先輩、まさか?」
「そう! 本日をもって未来科学研究委員会はただの同好会から、未来ガジェット研究部に昇格したのだ! 従って企画さえ提出すればスペースがもらえるのだよ! フゥーハハハ!」

 五人以上集まれば部になれる。
 そして部活の申請をすれば、文化祭のスペースに申し込むことができるという見事なコンボが成立する。
 タネを明かしてみればなんということはないが、こういう細かい部分にも光るのが俺の采配である。もっと褒め称えるがいい。
 受験が迫っているこんな時期に部活とか何を考えてるんだお前はとミスターブラウンには呆れられたが。

「でもさすがにあたしとかはクラスの手伝いのほうにもかからないとマズいよ。三年に盛り上がれないぶんだけ二年の熱狂振りはすごいからね」
「まゆしぃも難しいと思うな~。一年目だからクラスの方はまだごちゃごちゃしてるんだよー」
「ニャハハ。フェイリスも似たようなものニャ。あんまりクラスをないがしろにするわけにもいかないニャン」
「心配するな。そのあたりはちゃんと考えて計画を作ってきた」
「おお、みんなのことを考えて企画立てるとかオカリンとは思えない素晴らしい心遣い」
「ダルと助手のことは特に考慮してない。フル稼働で俺の役に立ってもらうぞ」
「だから誰が助手なんだ! っていうかなんでよ!」
「繰り返すけどオカリンと僕は受験組みだっての! 遊びすぎて浪人とかマジ笑えないから!」

 そういう現実的な意見は無視である。
 そもそも今回の企画に際して、ダルと助手の協力はかかせない。
 部活の名前として正式に“未来ガジェットの研究”を名乗る以上、用意しておくべきものが沢山あるのだからな。



 とりあえず文化祭に関する取り決めは紛糾しつつも一定の方向性に固まりつつあった。
 問題となるのは企画内容と製作場所で、その解決はまだ思案の段階だ。
 まだまだ課題は多い。
 そして、それとは別件で俺は紅莉栖と話をすることに決めていた。
 部活を解散した後に機会を窺って、二人きりになれる中庭のほうに呼び出した。
 と、俺が話題を切り出す前に紅莉栖のほうが尋ねてきた。

「あんたがさっき未来ガジェットって言ってたときに思ったんだけど、それってもしかして?」

 やや憂慮するような表情。
 それを見て俺は紅莉栖が何を言いたいのか悟ることができた。

「それは杞憂だ。まさかお前にタイムマシンを作れなんて言わないさ」
「まあそれはそうなんだけど。だったら私に二人きりで話って一体何?」

 怪訝な表情をした紅莉栖が聞いてきた。
 それは非常に難しい問題だ。
 なんというか、切り出すのに勇気がいるという意味で。

「あー、実はだな……その、一体どう言えばいいのかわからないんだが……」

 俺が言いよどんでいると、何故か紅莉栖が神妙な態度になってその様子を窺っていた。
 心なしか顔が赤い。
 奇妙な沈黙が場を満たしている。

「いや、やはりこんなことをお前に言うのは止めておくべきか……」
「ちょっと! 何よその思わせぶりなのは。そっちが呼び出してきたんだから、ちゃんと最後まで話しなさいよ!」
「だったらそんな恥ずかしいヤツでも見るような目はやめてくれ。俺としてもかなり言い出しにくい事柄なんだからな」
「べっ、別に私はいつもどおり冷静よ。だから遠慮せずに言いたいことはちゃんと言いなさい」

 冷静……なのか?
 こいつにこういう類の相談をもちかけるのはできればよしておきたいと思っていたのだが。
 何しろ余計に悩ませてしまうかもしれない。

「そんなの今更じゃない。突然あんたに教室で話しかけられた日からどれだけ私が悩まされたと思ってるのよ……」

 ふむ。
 それも確かに今更だな。
 俺はそんな情けない事実を再確認した上で、紅莉栖に尋ねた。

「俺によい病院を紹介してほしいのだが」
「……は?」



[28341] Summoner’s Stein <7>
Name: ASRISK◆d8dcf864 ID:1cd52033
Date: 2011/08/04 22:17
 俺たち未来ガジェット研究部の第一の使命は、失われた未来ガジェットの復活である。
 文化祭を目標地点としたその一大プロジェクトは、仲間の手を借りて徐々に地盤を強固なものにしている。
 展示場所は既に確保しているし、懸案になっていた作成場所もフェイリスのマンションを使用させてもらうということで決着した。
 個人の自宅を借りることに難色を示したのは助手だが、フェイリスのマンションを実際に見るとすぐに納得した。
 確かにあそこは俺たちが想像する自宅という括りには入らない。
 もちろん場所代はタダでとはいかず、場所を提供してもらう代償にメイクイーンの宣伝が俺たちのポスターに付け加えられることになった。
 どちらかといえば提供:メイクイーン+ニャン2の文句で侵食されることは回避したかったのだが、最大目的のために背に腹はかえられない。
 抜け目がないというか、この程度なら問題ないというラインを絶妙に攻めてくるフェイリスの手腕はさすがというべきだろう。
 失われた未来ガジェットの復活といっても、ただの俺の記憶からの焼き直しではもちろんありえない。
 新たなメンバーのアイデアを盛り込んだ改良案も活発だ。
 噴出口を改良して効率を上昇させた「モアッド・スネーク」や、引き金の引き具合で隠しコマンド(電源ボタン)を追加した「ビット粒子砲」は今回の目玉となることを約束されている。
 ただ残念なことに、「サイリウム・セーバー」は塗料が飛び散るという場所的な都合で、「攻殻機動迷彩ボール」はその巨大さと大量のブラウン管を集めてくるのが困難であるという理由で保留になった。
 そういう理由とは別に、改造が行き過ぎて廃案になった例もある。
 「もしかしてオラオラですかーッ!?」については、紅莉栖がノリノリで行き過ぎた魔改造を施し、妙ちきりんな脳波測定装置になりかけたので多数決による封印指定処分が下された。
 助手の目論見では、なにやら怪しげな測定装置に繋いでカップル度判定機能なるものを付加しようとしてたらしい。
 あいつは暴走すると本当に恐ろしいものを作ってしまうから困る。
 とにかく何だかんだの問題を抱えながらではあるが、文化祭の準備は順調だった。
 計画の壮大さから考えると、順調すぎると言ってもよいくらいだ。
 しかし、禍福はあざなえる縄の如し。
 順風満帆の学校生活には思わぬ落とし穴が待ち受けていた。
 具体的には、夏休みの間に受けていた模試の結果が返送されてきたのだ。

「オカリン模試どうだった?」
「……何も問題ない。大丈夫だ」
「その点数は問題だらけにしか見えないわけだから聞いてるんだけど。つか夏休みから遊びすぎで点数落すとかマジやばくね?」

 水曜日にいつものように理科室に集まっていた。
 今日は一年生のまゆりとフェイリスが抜けて四人だ。
 文化祭の準備も本格化してくるとクラスの都合もあって集まりは悪くなる。
 とはいえこの場所に実験機材を置いて準備を進めているわけではないので、ひとまずの方針だけでも決定したら時間は余る。
 そこで空き時間を使って模試の結果を確認することにしたのだが――
 薄青い色をした模試の結果の紙に記載された第一志望に対する判定はE。
 さすがに直視することが躊躇われ、理科室の黒い机に視線を外す。
 もういちどじっくりと眺める。
 やっぱり結果は厳然とE。
 完膚なきまでにE。
 これでもかってほどにE。
 一学期の最初くらいならともかく、夏休みの終わったこの時期にかなり悲惨な結果であることは間違いない。
 言い訳させてもらうと、受験時代の勉強など大学へ合格を決めた端から忘れていくものである。
 ロクに勉強すらしていない状態だった俺が、今テスト対策を練っている現役受験生たちに勝てるはずがないのだ。

「フッ、俺の計画は完璧だ。つまりは明日から本気を出すということだよ。マイ・フェイバリット・ライトアームよ」
「完璧な浪人フラグです。本当にありがとうございました」

 そもそも浪人したわけでもないのに、再度の大学受験というのはかなり理不尽極まる状況だ。
 しかし一度やったことの復習でもある。
 これからの短期間で取り戻せないことはない……よな?
 何よりもこのまま浪人して、ダルに先輩面されるという重大な問題を発生させることを許してはいけない。

「でも点数伸ばしているところもあるんだよね。英語は悲惨だけど、理数はそれほど落ちてないし。第一志望からすれば大丈夫といえば大丈夫なのかな?」

 鈴羽はそんな風に俺の結果を分析した。
 言われたとおり、理系分野についてそこまで落ちるということはなかった。
 そして、政治経済には少し強くなった。
 この世界のことを少しでも知るために、目を皿のようにして過去の新聞を読み漁ればそうなるのも当然だ。

「そうやって甘やかすのもどうかと思うけど。これはちょっと死ぬ気で勉強した方がいいんじゃないの?」

 一番容赦のない批評が紅莉栖のものである。
 言外にこれは生きているのが恥ずかしいレベルとでも言わんばかりの冷徹さで模試の結果の紙を指でピンと弾く。
 まるで身分を詐称していた不審人物でも見るような眼差しが胸が痛い。
 紅莉栖は他の二人よりも詳しく俺の事情を知っている。
 だが彼女にとっては元大学生が高校生に負けるということ自体が恥なのだろう。
 これだから天才で秀才は困る。

「まあ大丈夫だって。いざとなったらあたしが付きっ切りで勉強に付き合うからさ」
「鈴羽はまだ二年だろ」
「年齢なんて関係ないって。あたし今日大学受験したって受かる自信あるよ?」

 鈴羽がさらっと口にする。
 嫌味のようにも聞こえるが、これは本当のことである。
 アホの子のような言動も目立つが、この世界の鈴羽は優秀なのだ。
 ダルや助手のように特化して何かに秀でているわけではないが、スポーツ万能で成績優秀という典型的なチートスペックのモンスターである。
 この前の紅莉栖を勧誘したときに作ったレポートの作成時もそうだったし、今回の未来ガジェットの復活に際しても優秀なサポート役として力を発揮してくれる頼もしいヤツなのだ。

「だから勉強ならあたしに任せてよ。いろいろと偏った牧瀬紅莉栖なんかより、よほど上手く教えてあげられるからさ」

 鈴羽に問題があるとすれば、相変わらず必要以上に好戦的な性格だろうか。
 それも特別に紅莉栖限定で。
 よせばいいのにまたそんな煽るような台詞を吐く。
 反応してピクリと助手の肩が揺れる。
 話題を仕切りなおすかのようにゴホンと咳払いして紅莉栖が言った。

「私も全分野が得意だなんて言いませんけど。でも鈴羽さんよりは優れている分野もあるんじゃないかしら? 例えば本場の英語とか」
「ハッ、だから牧瀬紅莉栖には教える才能がないって言うんだ。本場の英語? そんなものは受験に全く必要がない。受験に必要なのは試験に受かるための勉強法だよ」
「その思考は本末転倒だわ。先のことを考えた勉強のほうが将来的な資産になる。大学に入るだけじゃなくて、その先何を目指すのかを考えないと」
「大丈夫だよ。オカリン先輩はあたしが稼いだお金で養ってあげるから。料理と家事と何よりもあたしに対する愛情表現がしっかりできれば何もいらないね!」

 おい。
 さらっと俺の人生を勝手に決めてくれるな。
 そしてダルよ。
 妙に同情的な視線で俺を見るな。
 お前に同情されるくらいなら、まだリア充扱いで爆発しろとでも言われる方がマシだ。

「というわけでオカリン先輩はあたしの家に来て二人きりで勉強するんだよ。二人きりで!」
「なんでそこをわざわざ二回言うのよ! 二人きりだなんてとんでもない! 得意分野のわかれた複数の専門家がサポートにあたるほうが効率的よ!」
「だからあたしが全分野の専門家だし」

 バチバチと火花が散るかの如き視線の衝突。
 切れ味鋭い刃物のように紅莉栖の瞳が細められる。

「全分野の専門家はいいけど、やっぱり教えるための意欲って必要だと思うのよ。さっきから聞いていると“二人きりになること”に主たる目的があるように思えるんだけど」
「それに何の問題があるわけ? 副次的効果をあたしが見込んでいるからといって成果に違いは出てこない」
「そんなの不純よ。目的意識が曖昧なのに、優れた成果を出せるなんて私は思えない」
「鏡見ろって言葉知ってる? 本音を誤魔化しているのはどちらなのか考えてみなよ」
「なんですって。私が何を誤魔化してるって言うの? ちゃんと説明してもらう」
「牧瀬紅莉栖は“あたしたちが二人きりになること”について感情的反発を起こしているようにしか思えないってこと。違った?」
「なんで私が岡部と二人きりで勉強したいとか思わないといけないのよ!」

 いつもはストッパーになるまゆりがいないせいで、苛烈なる舌戦がますます加速する。
 蚊帳の外に置かれる男二人としては沈黙せざるを得ない。
 ダルが沈痛な面持ちで口にした。

「鈴羽が家における僕の存在を無意識的に除外している件について」
「そもそも俺は鈴羽に教わるなんて一言も口にしていないんだが」

 相変わらずの理科室の喧騒に、男二人のため息は儚くかき消された。
 とりあえずコツコツとでも勉強は進めておこう。
 意図しない二度目の大学受験は精神的にこたえるが、仕方がないことだ。
 なにより、まゆりと紅莉栖が生きているこの世界には替え難いからな。



「ふぅ」
 
 病院から出てきたところで、ようやく緊張から解放されたことに安堵の息を漏らした。
 少し前のこと。
 俺は紅莉栖に継続する頭痛について検査したいから、その方法についてどうすればいいかを相談した。
 相談の内容が内容なのでやっぱり過剰気味に心配されたが、そこはあくまでも念のためだと根気強く言い聞かせておいた。
 紅莉栖から聞くところによると、病院でちゃんとした脳の検査を受けるには一度診察を受けてから紹介状を書いてもらう必要があるそうだ。
 とりあえず彼女から教わったとおり、医者に一度診察を受けてそのときに頭部MRI検査の予約を行った。
 その検査日が今日だったのである。
 脳の検査なんてマッドサイエンティストとして貴重な経験……と言いたいところではあるが、人に語りたくなるような楽しい経験でもなかった。
 事前に狭いところが苦手なら云々と医者に説明されたが、いざ装置の中に入ってみてそれを十分に実感できた。
 あれは閉所恐怖症の人間には辛いのではないだろうか。
 そして機械の作動音が大きく、ヘッドホンを嵌めていても結構耳に来た。
 不気味な駆動音の響くカプセルに閉じ込められるのは、モルモット扱いされているようで割と気味が悪い。
 二十分から三十分くらいかかって、俺はようやく装置から解放された。
 写真はわりとすぐに出来上がり、医者からそれを見ながらの診断をもらった。
 結果は異常なし。
 先日の模試とは違って健全なるA判定。
 年相応の健康的な脳であるとの評価である。
 ただ今後も頭痛が続くようなら、また改めて来て欲しいだそうだ。
 その後に続いた医者の態度から判断すると、どうも受験のストレスか何かだと思われており、あまり心配はされていないらしい。
 わざわざ検査まで受けて君も心配性だねと笑って言われた。
 心配することなんて一つもない。
 現代医学は俺の症状にそんなお墨付きを与えてくれたのだ。

「くっ――」

 病院から出た途端、その診断を裏切るようにガンガンと頭の芯から痛みが響いてくる。
 俺は中からの痛みを押し込めるように片手で頭部を掴む。
 検査をして異常がないとわかったところにこれだ。
 これも医者に言わせればストレスからの痛みだということなのだろうか?
 だが本当に?
 本当にこれはそんな原因での痛みなのか?
 また電流のように鋭い頭痛が走る。
 その痛みは俺の不安を感じ取ったかのように、特定の記憶分野を強く刺激した。

 Error.Human is Dead,mismatch.

「……う」

 瞬間的に嫌な映像を思い出して吐き気がした。
 そんなのはただの妄想なのだと自分に言い聞かせる。
 さっき写真をちゃんと見せてもらった。
 何も俺の脳細胞がフラクタル構造化して、壊滅しているというわけではない。
 俺は根拠もない不安に躍らされて余計な心配をしすぎているだけだ。
 確かにノーリスクでタイムリープマシンを使用しようなんて考えは元からなかった。
 過去改変に伴ってのリーディングシュタイナー発動の影響についても詳しいことは何もわかっていないのだ。
 それによって身体に異常が発生したとしても受け入れる覚悟はあった。
 だがそれは無駄に死ぬことや傷つくことを恐れないという意味ではない。
 あくまで悪い目が出たときに受け入れるだけの準備があるというだけのこと。
 ただの頭痛に過ぎないのに、自分らしくもないほど慎重になって検査を受けたのはそのためだ。
 それでちゃんと検査を受けて、肝心の脳には物理的に何の異常の兆候も発見できなかった。
 今のところ門外漢の俺に打てる手は全て実行した。
 精密な検査の上で、現代医学は俺の頭痛を精神的なストレスだと判断したのだ。
 いくら慣れてきたと言っても、何もかもが変化してしまった世界への戸惑いは大きい。
 今の俺は単純にそのストレスを溜め込んでいるだけなのかも知れない。
 この痛みに関して俺が抱く不安は、ただの杞憂でしかない可能性が高い。
 だけど――
 杞憂であるにも関わらず、この俺の変調が無視できない何かを抱えているという不安は日々大きくなっていた。
 いつもの厨二病的思考ではないが、それはまるで何かの警告のようだなんて何の根拠もない考えが湧いてくる。
 一体どうして俺はそんなことを……

「あれ? オカリン先輩じゃん。どうしてこんなところで。っていうか何で病院から出てくるわけ?」

 俺の前方からやってきた体操服姿の女が声をかけてきた。
 ちょうど逆光になっていて顔が見えない。

「鈴羽?」

 鈴羽の顔をちゃんと確認するために眉間に意識を集中すると、ふらりと身体がよろけた。

「ちょ、ちょっと大丈夫? 具合が悪いの?」

 慌てて駆け寄ってきた鈴羽に力強く支えられる。
 それで少し安心したのか、だんだんと頭痛が和らいできた。

「す、すまない」
「ねえ? 何で病院から出てくるの? もしかして結構深刻な病気とかだったり?」
「…………」

 これは……失敗したかもしれない。
 あまり知られたくない事情の一端を見せてしまったという意味で。
 俺は咄嗟に鳳凰院凶真を装って誤魔化すことにした。

「し、心配するな。今さっき、この病院に送り込まれた機関の刺客と熾烈な戦闘を繰り広げた末の後遺症なのだ。俺の特殊能力である約束された不死身の治癒エンドレス・アヴァロンがあればこんな傷は明日にでも……」
「オカリン先輩? もしかして誤魔化すつもりなのかな?」
「ご、誤魔化すも何もそういうことなのだ! 素直に納得しろ」
「ふうん」

 にこりと鈴羽が笑う。
 何故だろう。
 その鈴羽の醸し出す気配が、沈黙のナントカに単騎突入する無敵の男のようで。

「本当に明日にでも治るんだったら、ちょっとキメちゃってもいいよね?」
「……何を?」

 鈴羽は微笑んだまま答えない。
 無言の威圧感を纏ってポキポキと鈴羽が拳を鳴らす。
 俺はごくりと唾を飲み込んで、携帯を耳に当てた。

「ああ、俺だ。どうやら俺は罠に嵌ってしまったらしい。この後に待ち受けてるのは機関の手による拷問だろうな。だが心配するな。仲間とお前の秘密については例え何をされようとも吐いたりはしない。幸運を祈っていてくれ。これも運命石の扉の選択だ。エル・プサイ・コングルゥ」



「つまりずっと無理をしてたってわけなんだ」

 痛い。
 泣きそうなくらい痛かった。
 まだ体の節々に痛みが残留しているような錯覚がある。
 間接の駆動範囲の限界を確かめる程度の拷問に敗北し、やむなく事情を吐いた俺に対する鈴羽の第一声がそれだった。
 睨みつけるように細められた視線もセットで痛い。

「だ、だから無理などではない。別に検査結果は大丈夫だったといっただろう。何なら引き返して医者に聞いてもらってもいい」
「でもさっき頭が痛かったのは確かなんだよね」
「そ……それは……」
「思えば文化祭の準備してるときでも、ときどき片膝ついて頭抱えてたよね。あたしたち相手にはいつもの設定みたいに装って誤魔化してたわけ?」
「ぐっ……だが準備には設立者たる俺の頭脳は不可欠なのであり、休むわけにはいかないだろう?」
「身体のほうが大事に決まってるよ。何もそうやって一人で格好つけることないって。オカリン先輩のそういうところ、ときどき嫌い」

 こいつに面と向かって嫌いといわれたのは初めてかもしれない。
 鈴羽は膨れっ面になって俺を睨む。

「しかも最初に選んだ相談相手が牧瀬紅莉栖なんだもんね。どうしてそこであたしに相談してくれないかなあ」
「いや、しかしだな。脳科学分野に明るいといえば助手だし、何も鈴羽に相談する理由がないというか……」
「理屈は通っていても納得がいかない。そういうものなの!」

 非常に理不尽である。
 俺のことを心配してくれていることは感じられるが、その源泉が俺にとっては読めないから余計にそう思う。
 せっかくの機会だ。
 俺は鈴羽に前々から感じていた疑問を聞いてみることにした。

「なあ、鈴羽」
「ん?」

 少しだけ躊躇したが俺はそのまま質問を続ける。

「前から聞きたかったのだが、お前はどうして俺たちの同好会に参加していたんだ?」
「ん? どーしてって?」
「まゆりとダルについてはなんとなくわかる。だがお前にそれほどの理由があるとは思えないのだが」

 新学期になって学校で過ごすうちに、何度か他の部活の助っ人に出かける鈴羽を見た。
 一度だけ体育館でバスケをやっているところを見学したこともある。
 みんなの輪に入って楽しそうにはしゃいでいる鈴羽を見ると、どこか他の運動系の部活に所属したって構わない気がしたのだ。
 あまりインドア趣味というわけでもない鈴羽が俺たちの同好会活動を中心にする理由があったようには思えない。

「前からちゃんと理由を答えてるんだけど。あたしはオカリン先輩に憧れて入ったって」
「それがわからん。もっと詳細に言え。そもそもなんで俺がそんなに期待されてるんだ?」

 ここで鳳凰院凶真らしく自信に満ちた態度は引っ込める。
 カリスマだとか運命だとか、そんな理由は今は要らない。
 俺がそこまで好意的に見られている本当の理由が知りたかった。
 それは鈴羽との思い出の大部分が欠けてしまっている俺に必要な情報なのだ。

「……それはちょっと恥ずかしい話になるからあんまりしたくないんだけどなあ」

 俺の質問に珍しく鈴羽にしては悩んだ調子で頭を掻いた。
 どうしても話さなきゃダメかと聞いてくる鈴羽に、俺は話して欲しいと答えた。

「――あたしはさ。昔から何でもできる人間だったから」

 さすがに面食らった。
 こいつが言うと不思議と嫌味は感じないけど、真顔でそんなことを言われるとは思わなかった。

「それは……確かに恥ずかしい話だな」
「でしょう? これはあたしの痛々しい過去の話だからさ。こうして話すのは恥ずかしくてたまらないんだ」

 鈴羽は苦笑する。
 やや頬を紅潮させながら、鈴羽は子供の頃の自分について語ってくれた。
 子供の時代の鈴羽は無敵だったと言う。
 スポーツでも勉強でも誰にも負けなかった。
 周囲の人間が年齢を重ね、自分に向いた何かの才能を特化して伸ばしていく時代が訪れるまで、ずっと頂点に位置していた。
 だからそれまでは当たり前のように自分の万能性を信じていた。

「今から思えばものすごい傲慢な考えだったと思うよ。でもそのことをあたしは理解していなかった。自分の力では救えない人間が目の前に現れるまではね」
「救えない人間? 誰のことだ?」
「オカリン先輩のことだよ」
「……俺?」
「あたしね。実はまゆちゃんのことを前から知ってたんだ。まゆちゃんのおばあちゃんが死んでからの時間のことも知っていた」
「……お前はまゆりと友達だったのか?」
「それは違うかな。どちらかといえばあたしが一方的に知っていただけだよ」

 鈴羽が断片的に語ったのは、おばあちゃんが死んでからまゆりが抜け殻のようになっていた時間のこと。
 墓場に一人で佇むまゆりを鈴羽は何度か目撃したそうだ。
 そして話しかけても、まゆりはそのときの鈴羽に反応することはなかった。
 虚ろな瞳で、聞いているのか聞いていないのかわからない空っぽの台詞を返しただけだった。

「詰まるところ、私の万能性なんてそんな程度だった。私がどれだけ頑張ったところで、あの頃のまゆちゃんを助けることはできなかっただろうね。助けることができたのは鳳凰院凶真――つまりオカリン先輩だけ。あたしには傍観することしかできなかったと思う。オカリン先輩が犠牲を払ってまでまゆちゃんを助けるのを」

 犠牲という言葉にドキリとした。
 だけど今のこいつが言っているのは、いくつもの過去改変において俺が想いを裏切ってきたその犠牲ではあるまい。
 第一あれは俺が支払った犠牲ではないからな。
 鈴羽が言っているのは、まゆりのために俺が鳳凰院凶真として振舞うようになった時間のことを指しているのだろう。
 確かにそう振舞うようになったからこそ、取りこぼした可能性は多いのかもしれない。
 しかし、

「俺はそのことを犠牲だなんて思っていない」
「そうだね。犠牲だとは思っていない。だからあたしにはそれ以上何もできず、救いの埋め合わせは確定的に不可能になる。価値がないんだよ。オカリン先輩にとってあたしっていう存在は」

 乾いた口調で鈴羽が口にする。
 それはいつだって元気なこいつからおよそかけ離れた覇気のない表情だった。
 確かに鈴羽がまゆりを救うことはできず、助けた俺の支払った代価を代わって支払うことは不可能だ。
 それは事実なのかもしれないが、何故そんなに思いつめることがある?

「別にそのときのお前にまゆりをどうこうするような義務があったわけでもないだろう。まるで論理的じゃないぞ? それでお前に価値がないなどと誰が言った?」
「義務があったかどうかじゃないよ。その埋め合わせができるかできないかが問題だったんだ。それまで可能という概念しかなかったあたしの世界はそこで破壊された」
「よくわからんな」
「ま、簡単に言えばすっごいショック受けたってことだよ。あたしのその感動はオカリン先輩に説明できるようなことでもないしね」

 こいつの悩みは高尚で小難しくて、俺にはその半分も理解できない。
 俺にわかることは、鈴羽が何かを救おうとして、それが自分にできないことだと悟って、それでも憧れているとそんな程度のことだ。

「でも勘違いしないでよ? だからこそあたしは感謝してるんだからさ。あたしにできることは万能じゃないって教えてくれた人。あたしの世界を変えてくれた人。そういう人をなんていうか知ってる?」

 そこでなんとなく、続く鈴羽の台詞がどんなものであるか読めそうになって――
 でもそれはあまりにも恥ずかしい台詞に思えたので、俺は鈴羽の顔から視線を逸らした。

「オカリン先輩はあたしにとっての救世主なんだ」

 ほら、やっぱり恥ずかしい台詞ではないか。
 この世界ではと思っていたのに、やっぱりお前は俺にそんな欲しくもないレッテルを張って神格化しようとするのか。
 基本的に万能人間で、ときどき好戦的。
 そんな鈴羽にはもう一つだけ重大な欠点があったらしい。

「お前はすぐにそうやって恥ずかしいことを言う癖を直したほうがいいぞ?」
「あたしってそんなに恥ずかしいヤツかな? オカリン先輩に関することは全力全開で本気だよ」

 本気で自覚がないというなら、それこそが深刻な問題だ。
 この世界に来て新たに結びなおすことになった鈴羽との関係。
 少しは理解できた気になっても、相変わらずこの鈴羽との距離感は慣れないことのほうが多すぎる。
 ここまで親しい間柄になっていることに戸惑いが大きいし、今だってダルの妹だなんて設定については半信半疑だ。
 けれども――

「お前はいいやつなんだな。鈴羽」

 きっとそれだけは真実なのだろう。
 お前に価値がないなんて嘘に決まってる。
 少なくとも、こいつと過ごす新しい生活がストレスだなんてことはありえない。
 そんな風に思えた。


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