俺たち未来ガジェット研究部の第一の使命は、失われた未来ガジェットの復活である。
文化祭を目標地点としたその一大プロジェクトは、仲間の手を借りて徐々に地盤を強固なものにしている。
展示場所は既に確保しているし、懸案になっていた作成場所もフェイリスのマンションを使用させてもらうということで決着した。
個人の自宅を借りることに難色を示したのは助手だが、フェイリスのマンションを実際に見るとすぐに納得した。
確かにあそこは俺たちが想像する自宅という括りには入らない。
もちろん場所代はタダでとはいかず、場所を提供してもらう代償にメイクイーンの宣伝が俺たちのポスターに付け加えられることになった。
どちらかといえば提供:メイクイーン+ニャン2の文句で侵食されることは回避したかったのだが、最大目的のために背に腹はかえられない。
抜け目がないというか、この程度なら問題ないというラインを絶妙に攻めてくるフェイリスの手腕はさすがというべきだろう。
失われた未来ガジェットの復活といっても、ただの俺の記憶からの焼き直しではもちろんありえない。
新たなメンバーのアイデアを盛り込んだ改良案も活発だ。
噴出口を改良して効率を上昇させた「モアッド・スネーク」や、引き金の引き具合で隠しコマンド(電源ボタン)を追加した「ビット粒子砲」は今回の目玉となることを約束されている。
ただ残念なことに、「サイリウム・セーバー」は塗料が飛び散るという場所的な都合で、「攻殻機動迷彩ボール」はその巨大さと大量のブラウン管を集めてくるのが困難であるという理由で保留になった。
そういう理由とは別に、改造が行き過ぎて廃案になった例もある。
「もしかしてオラオラですかーッ!?」については、紅莉栖がノリノリで行き過ぎた魔改造を施し、妙ちきりんな脳波測定装置になりかけたので多数決による封印指定処分が下された。
助手の目論見では、なにやら怪しげな測定装置に繋いでカップル度判定機能なるものを付加しようとしてたらしい。
あいつは暴走すると本当に恐ろしいものを作ってしまうから困る。
とにかく何だかんだの問題を抱えながらではあるが、文化祭の準備は順調だった。
計画の壮大さから考えると、順調すぎると言ってもよいくらいだ。
しかし、禍福はあざなえる縄の如し。
順風満帆の学校生活には思わぬ落とし穴が待ち受けていた。
具体的には、夏休みの間に受けていた模試の結果が返送されてきたのだ。
「オカリン模試どうだった?」
「……何も問題ない。大丈夫だ」
「その点数は問題だらけにしか見えないわけだから聞いてるんだけど。つか夏休みから遊びすぎで点数落すとかマジやばくね?」
水曜日にいつものように理科室に集まっていた。
今日は一年生のまゆりとフェイリスが抜けて四人だ。
文化祭の準備も本格化してくるとクラスの都合もあって集まりは悪くなる。
とはいえこの場所に実験機材を置いて準備を進めているわけではないので、ひとまずの方針だけでも決定したら時間は余る。
そこで空き時間を使って模試の結果を確認することにしたのだが――
薄青い色をした模試の結果の紙に記載された第一志望に対する判定はE。
さすがに直視することが躊躇われ、理科室の黒い机に視線を外す。
もういちどじっくりと眺める。
やっぱり結果は厳然とE。
完膚なきまでにE。
これでもかってほどにE。
一学期の最初くらいならともかく、夏休みの終わったこの時期にかなり悲惨な結果であることは間違いない。
言い訳させてもらうと、受験時代の勉強など大学へ合格を決めた端から忘れていくものである。
ロクに勉強すらしていない状態だった俺が、今テスト対策を練っている現役受験生たちに勝てるはずがないのだ。
「フッ、俺の計画は完璧だ。つまりは明日から本気を出すということだよ。マイ・フェイバリット・ライトアームよ」
「完璧な浪人フラグです。本当にありがとうございました」
そもそも浪人したわけでもないのに、再度の大学受験というのはかなり理不尽極まる状況だ。
しかし一度やったことの復習でもある。
これからの短期間で取り戻せないことはない……よな?
何よりもこのまま浪人して、ダルに先輩面されるという重大な問題を発生させることを許してはいけない。
「でも点数伸ばしているところもあるんだよね。英語は悲惨だけど、理数はそれほど落ちてないし。第一志望からすれば大丈夫といえば大丈夫なのかな?」
鈴羽はそんな風に俺の結果を分析した。
言われたとおり、理系分野についてそこまで落ちるということはなかった。
そして、政治経済には少し強くなった。
この世界のことを少しでも知るために、目を皿のようにして過去の新聞を読み漁ればそうなるのも当然だ。
「そうやって甘やかすのもどうかと思うけど。これはちょっと死ぬ気で勉強した方がいいんじゃないの?」
一番容赦のない批評が紅莉栖のものである。
言外にこれは生きているのが恥ずかしいレベルとでも言わんばかりの冷徹さで模試の結果の紙を指でピンと弾く。
まるで身分を詐称していた不審人物でも見るような眼差しが胸が痛い。
紅莉栖は他の二人よりも詳しく俺の事情を知っている。
だが彼女にとっては元大学生が高校生に負けるということ自体が恥なのだろう。
これだから天才で秀才は困る。
「まあ大丈夫だって。いざとなったらあたしが付きっ切りで勉強に付き合うからさ」
「鈴羽はまだ二年だろ」
「年齢なんて関係ないって。あたし今日大学受験したって受かる自信あるよ?」
鈴羽がさらっと口にする。
嫌味のようにも聞こえるが、これは本当のことである。
アホの子のような言動も目立つが、この世界の鈴羽は優秀なのだ。
ダルや助手のように特化して何かに秀でているわけではないが、スポーツ万能で成績優秀という典型的なチートスペックのモンスターである。
この前の紅莉栖を勧誘したときに作ったレポートの作成時もそうだったし、今回の未来ガジェットの復活に際しても優秀なサポート役として力を発揮してくれる頼もしいヤツなのだ。
「だから勉強ならあたしに任せてよ。いろいろと偏った牧瀬紅莉栖なんかより、よほど上手く教えてあげられるからさ」
鈴羽に問題があるとすれば、相変わらず必要以上に好戦的な性格だろうか。
それも特別に紅莉栖限定で。
よせばいいのにまたそんな煽るような台詞を吐く。
反応してピクリと助手の肩が揺れる。
話題を仕切りなおすかのようにゴホンと咳払いして紅莉栖が言った。
「私も全分野が得意だなんて言いませんけど。でも鈴羽さんよりは優れている分野もあるんじゃないかしら? 例えば本場の英語とか」
「ハッ、だから牧瀬紅莉栖には教える才能がないって言うんだ。本場の英語? そんなものは受験に全く必要がない。受験に必要なのは試験に受かるための勉強法だよ」
「その思考は本末転倒だわ。先のことを考えた勉強のほうが将来的な資産になる。大学に入るだけじゃなくて、その先何を目指すのかを考えないと」
「大丈夫だよ。オカリン先輩はあたしが稼いだお金で養ってあげるから。料理と家事と何よりもあたしに対する愛情表現がしっかりできれば何もいらないね!」
おい。
さらっと俺の人生を勝手に決めてくれるな。
そしてダルよ。
妙に同情的な視線で俺を見るな。
お前に同情されるくらいなら、まだリア充扱いで爆発しろとでも言われる方がマシだ。
「というわけでオカリン先輩はあたしの家に来て二人きりで勉強するんだよ。二人きりで!」
「なんでそこをわざわざ二回言うのよ! 二人きりだなんてとんでもない! 得意分野のわかれた複数の専門家がサポートにあたるほうが効率的よ!」
「だからあたしが全分野の専門家だし」
バチバチと火花が散るかの如き視線の衝突。
切れ味鋭い刃物のように紅莉栖の瞳が細められる。
「全分野の専門家はいいけど、やっぱり教えるための意欲って必要だと思うのよ。さっきから聞いていると“二人きりになること”に主たる目的があるように思えるんだけど」
「それに何の問題があるわけ? 副次的効果をあたしが見込んでいるからといって成果に違いは出てこない」
「そんなの不純よ。目的意識が曖昧なのに、優れた成果を出せるなんて私は思えない」
「鏡見ろって言葉知ってる? 本音を誤魔化しているのはどちらなのか考えてみなよ」
「なんですって。私が何を誤魔化してるって言うの? ちゃんと説明してもらう」
「牧瀬紅莉栖は“あたしたちが二人きりになること”について感情的反発を起こしているようにしか思えないってこと。違った?」
「なんで私が岡部と二人きりで勉強したいとか思わないといけないのよ!」
いつもはストッパーになるまゆりがいないせいで、苛烈なる舌戦がますます加速する。
蚊帳の外に置かれる男二人としては沈黙せざるを得ない。
ダルが沈痛な面持ちで口にした。
「鈴羽が家における僕の存在を無意識的に除外している件について」
「そもそも俺は鈴羽に教わるなんて一言も口にしていないんだが」
相変わらずの理科室の喧騒に、男二人のため息は儚くかき消された。
とりあえずコツコツとでも勉強は進めておこう。
意図しない二度目の大学受験は精神的にこたえるが、仕方がないことだ。
なにより、まゆりと紅莉栖が生きているこの世界には替え難いからな。
◆
「ふぅ」
病院から出てきたところで、ようやく緊張から解放されたことに安堵の息を漏らした。
少し前のこと。
俺は紅莉栖に継続する頭痛について検査したいから、その方法についてどうすればいいかを相談した。
相談の内容が内容なのでやっぱり過剰気味に心配されたが、そこはあくまでも念のためだと根気強く言い聞かせておいた。
紅莉栖から聞くところによると、病院でちゃんとした脳の検査を受けるには一度診察を受けてから紹介状を書いてもらう必要があるそうだ。
とりあえず彼女から教わったとおり、医者に一度診察を受けてそのときに頭部MRI検査の予約を行った。
その検査日が今日だったのである。
脳の検査なんてマッドサイエンティストとして貴重な経験……と言いたいところではあるが、人に語りたくなるような楽しい経験でもなかった。
事前に狭いところが苦手なら云々と医者に説明されたが、いざ装置の中に入ってみてそれを十分に実感できた。
あれは閉所恐怖症の人間には辛いのではないだろうか。
そして機械の作動音が大きく、ヘッドホンを嵌めていても結構耳に来た。
不気味な駆動音の響くカプセルに閉じ込められるのは、モルモット扱いされているようで割と気味が悪い。
二十分から三十分くらいかかって、俺はようやく装置から解放された。
写真はわりとすぐに出来上がり、医者からそれを見ながらの診断をもらった。
結果は異常なし。
先日の模試とは違って健全なるA判定。
年相応の健康的な脳であるとの評価である。
ただ今後も頭痛が続くようなら、また改めて来て欲しいだそうだ。
その後に続いた医者の態度から判断すると、どうも受験のストレスか何かだと思われており、あまり心配はされていないらしい。
わざわざ検査まで受けて君も心配性だねと笑って言われた。
心配することなんて一つもない。
現代医学は俺の症状にそんなお墨付きを与えてくれたのだ。
「くっ――」
病院から出た途端、その診断を裏切るようにガンガンと頭の芯から痛みが響いてくる。
俺は中からの痛みを押し込めるように片手で頭部を掴む。
検査をして異常がないとわかったところにこれだ。
これも医者に言わせればストレスからの痛みだということなのだろうか?
だが本当に?
本当にこれはそんな原因での痛みなのか?
また電流のように鋭い頭痛が走る。
その痛みは俺の不安を感じ取ったかのように、特定の記憶分野を強く刺激した。
Error.Human is Dead,mismatch.
「……う」
瞬間的に嫌な映像を思い出して吐き気がした。
そんなのはただの妄想なのだと自分に言い聞かせる。
さっき写真をちゃんと見せてもらった。
何も俺の脳細胞がフラクタル構造化して、壊滅しているというわけではない。
俺は根拠もない不安に躍らされて余計な心配をしすぎているだけだ。
確かにノーリスクでタイムリープマシンを使用しようなんて考えは元からなかった。
過去改変に伴ってのリーディングシュタイナー発動の影響についても詳しいことは何もわかっていないのだ。
それによって身体に異常が発生したとしても受け入れる覚悟はあった。
だがそれは無駄に死ぬことや傷つくことを恐れないという意味ではない。
あくまで悪い目が出たときに受け入れるだけの準備があるというだけのこと。
ただの頭痛に過ぎないのに、自分らしくもないほど慎重になって検査を受けたのはそのためだ。
それでちゃんと検査を受けて、肝心の脳には物理的に何の異常の兆候も発見できなかった。
今のところ門外漢の俺に打てる手は全て実行した。
精密な検査の上で、現代医学は俺の頭痛を精神的なストレスだと判断したのだ。
いくら慣れてきたと言っても、何もかもが変化してしまった世界への戸惑いは大きい。
今の俺は単純にそのストレスを溜め込んでいるだけなのかも知れない。
この痛みに関して俺が抱く不安は、ただの杞憂でしかない可能性が高い。
だけど――
杞憂であるにも関わらず、この俺の変調が無視できない何かを抱えているという不安は日々大きくなっていた。
いつもの厨二病的思考ではないが、それはまるで何かの警告のようだなんて何の根拠もない考えが湧いてくる。
一体どうして俺はそんなことを……
「あれ? オカリン先輩じゃん。どうしてこんなところで。っていうか何で病院から出てくるわけ?」
俺の前方からやってきた体操服姿の女が声をかけてきた。
ちょうど逆光になっていて顔が見えない。
「鈴羽?」
鈴羽の顔をちゃんと確認するために眉間に意識を集中すると、ふらりと身体がよろけた。
「ちょ、ちょっと大丈夫? 具合が悪いの?」
慌てて駆け寄ってきた鈴羽に力強く支えられる。
それで少し安心したのか、だんだんと頭痛が和らいできた。
「す、すまない」
「ねえ? 何で病院から出てくるの? もしかして結構深刻な病気とかだったり?」
「…………」
これは……失敗したかもしれない。
あまり知られたくない事情の一端を見せてしまったという意味で。
俺は咄嗟に鳳凰院凶真を装って誤魔化すことにした。
「し、心配するな。今さっき、この病院に送り込まれた機関の刺客と熾烈な戦闘を繰り広げた末の後遺症なのだ。俺の特殊能力である約束された不死身の治癒があればこんな傷は明日にでも……」
「オカリン先輩? もしかして誤魔化すつもりなのかな?」
「ご、誤魔化すも何もそういうことなのだ! 素直に納得しろ」
「ふうん」
にこりと鈴羽が笑う。
何故だろう。
その鈴羽の醸し出す気配が、沈黙のナントカに単騎突入する無敵の男のようで。
「本当に明日にでも治るんだったら、ちょっとキメちゃってもいいよね?」
「……何を?」
鈴羽は微笑んだまま答えない。
無言の威圧感を纏ってポキポキと鈴羽が拳を鳴らす。
俺はごくりと唾を飲み込んで、携帯を耳に当てた。
「ああ、俺だ。どうやら俺は罠に嵌ってしまったらしい。この後に待ち受けてるのは機関の手による拷問だろうな。だが心配するな。仲間とお前の秘密については例え何をされようとも吐いたりはしない。幸運を祈っていてくれ。これも運命石の扉の選択だ。エル・プサイ・コングルゥ」
◆
「つまりずっと無理をしてたってわけなんだ」
痛い。
泣きそうなくらい痛かった。
まだ体の節々に痛みが残留しているような錯覚がある。
間接の駆動範囲の限界を確かめる程度の拷問に敗北し、やむなく事情を吐いた俺に対する鈴羽の第一声がそれだった。
睨みつけるように細められた視線もセットで痛い。
「だ、だから無理などではない。別に検査結果は大丈夫だったといっただろう。何なら引き返して医者に聞いてもらってもいい」
「でもさっき頭が痛かったのは確かなんだよね」
「そ……それは……」
「思えば文化祭の準備してるときでも、ときどき片膝ついて頭抱えてたよね。あたしたち相手にはいつもの設定みたいに装って誤魔化してたわけ?」
「ぐっ……だが準備には設立者たる俺の頭脳は不可欠なのであり、休むわけにはいかないだろう?」
「身体のほうが大事に決まってるよ。何もそうやって一人で格好つけることないって。オカリン先輩のそういうところ、ときどき嫌い」
こいつに面と向かって嫌いといわれたのは初めてかもしれない。
鈴羽は膨れっ面になって俺を睨む。
「しかも最初に選んだ相談相手が牧瀬紅莉栖なんだもんね。どうしてそこであたしに相談してくれないかなあ」
「いや、しかしだな。脳科学分野に明るいといえば助手だし、何も鈴羽に相談する理由がないというか……」
「理屈は通っていても納得がいかない。そういうものなの!」
非常に理不尽である。
俺のことを心配してくれていることは感じられるが、その源泉が俺にとっては読めないから余計にそう思う。
せっかくの機会だ。
俺は鈴羽に前々から感じていた疑問を聞いてみることにした。
「なあ、鈴羽」
「ん?」
少しだけ躊躇したが俺はそのまま質問を続ける。
「前から聞きたかったのだが、お前はどうして俺たちの同好会に参加していたんだ?」
「ん? どーしてって?」
「まゆりとダルについてはなんとなくわかる。だがお前にそれほどの理由があるとは思えないのだが」
新学期になって学校で過ごすうちに、何度か他の部活の助っ人に出かける鈴羽を見た。
一度だけ体育館でバスケをやっているところを見学したこともある。
みんなの輪に入って楽しそうにはしゃいでいる鈴羽を見ると、どこか他の運動系の部活に所属したって構わない気がしたのだ。
あまりインドア趣味というわけでもない鈴羽が俺たちの同好会活動を中心にする理由があったようには思えない。
「前からちゃんと理由を答えてるんだけど。あたしはオカリン先輩に憧れて入ったって」
「それがわからん。もっと詳細に言え。そもそもなんで俺がそんなに期待されてるんだ?」
ここで鳳凰院凶真らしく自信に満ちた態度は引っ込める。
カリスマだとか運命だとか、そんな理由は今は要らない。
俺がそこまで好意的に見られている本当の理由が知りたかった。
それは鈴羽との思い出の大部分が欠けてしまっている俺に必要な情報なのだ。
「……それはちょっと恥ずかしい話になるからあんまりしたくないんだけどなあ」
俺の質問に珍しく鈴羽にしては悩んだ調子で頭を掻いた。
どうしても話さなきゃダメかと聞いてくる鈴羽に、俺は話して欲しいと答えた。
「――あたしはさ。昔から何でもできる人間だったから」
さすがに面食らった。
こいつが言うと不思議と嫌味は感じないけど、真顔でそんなことを言われるとは思わなかった。
「それは……確かに恥ずかしい話だな」
「でしょう? これはあたしの痛々しい過去の話だからさ。こうして話すのは恥ずかしくてたまらないんだ」
鈴羽は苦笑する。
やや頬を紅潮させながら、鈴羽は子供の頃の自分について語ってくれた。
子供の時代の鈴羽は無敵だったと言う。
スポーツでも勉強でも誰にも負けなかった。
周囲の人間が年齢を重ね、自分に向いた何かの才能を特化して伸ばしていく時代が訪れるまで、ずっと頂点に位置していた。
だからそれまでは当たり前のように自分の万能性を信じていた。
「今から思えばものすごい傲慢な考えだったと思うよ。でもそのことをあたしは理解していなかった。自分の力では救えない人間が目の前に現れるまではね」
「救えない人間? 誰のことだ?」
「オカリン先輩のことだよ」
「……俺?」
「あたしね。実はまゆちゃんのことを前から知ってたんだ。まゆちゃんのおばあちゃんが死んでからの時間のことも知っていた」
「……お前はまゆりと友達だったのか?」
「それは違うかな。どちらかといえばあたしが一方的に知っていただけだよ」
鈴羽が断片的に語ったのは、おばあちゃんが死んでからまゆりが抜け殻のようになっていた時間のこと。
墓場に一人で佇むまゆりを鈴羽は何度か目撃したそうだ。
そして話しかけても、まゆりはそのときの鈴羽に反応することはなかった。
虚ろな瞳で、聞いているのか聞いていないのかわからない空っぽの台詞を返しただけだった。
「詰まるところ、私の万能性なんてそんな程度だった。私がどれだけ頑張ったところで、あの頃のまゆちゃんを助けることはできなかっただろうね。助けることができたのは鳳凰院凶真――つまりオカリン先輩だけ。あたしには傍観することしかできなかったと思う。オカリン先輩が犠牲を払ってまでまゆちゃんを助けるのを」
犠牲という言葉にドキリとした。
だけど今のこいつが言っているのは、いくつもの過去改変において俺が想いを裏切ってきたその犠牲ではあるまい。
第一あれは俺が支払った犠牲ではないからな。
鈴羽が言っているのは、まゆりのために俺が鳳凰院凶真として振舞うようになった時間のことを指しているのだろう。
確かにそう振舞うようになったからこそ、取りこぼした可能性は多いのかもしれない。
しかし、
「俺はそのことを犠牲だなんて思っていない」
「そうだね。犠牲だとは思っていない。だからあたしにはそれ以上何もできず、救いの埋め合わせは確定的に不可能になる。価値がないんだよ。オカリン先輩にとってあたしっていう存在は」
乾いた口調で鈴羽が口にする。
それはいつだって元気なこいつからおよそかけ離れた覇気のない表情だった。
確かに鈴羽がまゆりを救うことはできず、助けた俺の支払った代価を代わって支払うことは不可能だ。
それは事実なのかもしれないが、何故そんなに思いつめることがある?
「別にそのときのお前にまゆりをどうこうするような義務があったわけでもないだろう。まるで論理的じゃないぞ? それでお前に価値がないなどと誰が言った?」
「義務があったかどうかじゃないよ。その埋め合わせができるかできないかが問題だったんだ。それまで可能という概念しかなかったあたしの世界はそこで破壊された」
「よくわからんな」
「ま、簡単に言えばすっごいショック受けたってことだよ。あたしのその感動はオカリン先輩に説明できるようなことでもないしね」
こいつの悩みは高尚で小難しくて、俺にはその半分も理解できない。
俺にわかることは、鈴羽が何かを救おうとして、それが自分にできないことだと悟って、それでも憧れているとそんな程度のことだ。
「でも勘違いしないでよ? だからこそあたしは感謝してるんだからさ。あたしにできることは万能じゃないって教えてくれた人。あたしの世界を変えてくれた人。そういう人をなんていうか知ってる?」
そこでなんとなく、続く鈴羽の台詞がどんなものであるか読めそうになって――
でもそれはあまりにも恥ずかしい台詞に思えたので、俺は鈴羽の顔から視線を逸らした。
「オカリン先輩はあたしにとっての救世主なんだ」
ほら、やっぱり恥ずかしい台詞ではないか。
この世界ではと思っていたのに、やっぱりお前は俺にそんな欲しくもないレッテルを張って神格化しようとするのか。
基本的に万能人間で、ときどき好戦的。
そんな鈴羽にはもう一つだけ重大な欠点があったらしい。
「お前はすぐにそうやって恥ずかしいことを言う癖を直したほうがいいぞ?」
「あたしってそんなに恥ずかしいヤツかな? オカリン先輩に関することは全力全開で本気だよ」
本気で自覚がないというなら、それこそが深刻な問題だ。
この世界に来て新たに結びなおすことになった鈴羽との関係。
少しは理解できた気になっても、相変わらずこの鈴羽との距離感は慣れないことのほうが多すぎる。
ここまで親しい間柄になっていることに戸惑いが大きいし、今だってダルの妹だなんて設定については半信半疑だ。
けれども――
「お前はいいやつなんだな。鈴羽」
きっとそれだけは真実なのだろう。
お前に価値がないなんて嘘に決まってる。
少なくとも、こいつと過ごす新しい生活がストレスだなんてことはありえない。
そんな風に思えた。