岩田亨の短歌工房 −短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎-

短歌、日本語、斎藤茂吉、佐藤佐太郎について考える

戦争を厭う歌:近藤芳美の短歌

2010年08月15日 | 私が選んだ近現代短歌の一首
・傍観を良心として生きし日々青春と呼ぶときもなかりき・

 「静かなる意思」(1949年・昭和24年)所収。

 作者は建築技師であった。治安維持法下である。戦争に反対するのは命がけだった。実際に従軍した宮柊二(大正元年生まれ)より若いので(近藤は大正2年生まれ)、召集令状がきてもおかしくない年齢だが、従軍はしなかった。おそらく、建築技師であったためだろう。齊藤茂吉が戦中の言動のありかたを問われ意気消沈している時に、近藤芳美は戦後派歌人としての活動を活発化した。被爆した竹山広が断続的に「心の花」へ投稿し始めた時期である。

 とにかく近藤は徴兵を免れた。

 それだけに一層、戦争で同年代の若者が戦死していったのを見て、忸怩たる思いだったにちがいない。

 戦後も朝鮮戦争・ヴェトナム戦争・60年安保と続くなかで、近藤は積極的に「社会詠」を詠んでいく。それが、近藤にとっての「新しき短歌」だったのだろう。

 近藤のリアリズムは土屋文明のそれとは異なる。実際に従軍した宮柊二とも異なる。(かなり近いが近藤の方が語感が固い。それでも「一緒に出来ただろう」と岡井隆は言う。「私の戦後短歌史」)そこで、岡井隆らの兄貴分的役割を果たしつつ「未来」を結成することになる。
 
 近藤の「社会詠」を幾つかあげておこう。


・国論の統制されて行くさまが水際立てりと語り合ふのみ・

・世をあげし思想のなかに守りきて今こそ戦争を憎む心よ・

・みづからの行為はすでに逃る無し行きて名を記す平和宣言に・

・反戦ビラ白く投げられて散りつづく声なき夜の群衆の上・


 「戦争と短歌」については、< カテゴリー「総合誌・雑誌の特集や記事から」 >を参照してください。

 他に< カテゴリー「私が選んだ近現代短歌の一首」「短歌史の考察」「短歌の周辺」 >をクリックして関連記事も参照してください。
ジャンル:芸術
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