ダイアリー★
August 03 [Wed], 2011, 22:00
こんばんは!
変わらずお元気でしょうか?
さて、今日は学校に教材を取りに行ってから、自宅で勉強を〜
ジェンダーのレポートを今日中に終わらせる予定です♪
今朝は、久しぶりに夢を見ました。

ありきたりな光景で、登場人物の実名はブログでは出せませんが、何となく懐かしいような愛おしいような、一言で言えば「じーん」とするような、そんなカンジでした。
目、覚めなければよかったのに(笑)
んー、今日はちょっと真面目なお話をしちゃいましょう
長くなっちゃうかな?
私は、随分前から仕事をしてきて、留学もして、自分のお金で海外旅行も沢山(15か国くらい?)して、結婚して、子供も生まれて、育児の大変さも少し齧り、、、今では、お陰様で、色々な立場の人たちの気持ちが、手に取るように分かるようになりました。
もちろん、私より先輩ママたちの気持ちはまだまだ未知の世界で、日々勉強させていただいています★
だから、自分が学生の頃や25,6歳の頃には、この先どうなるのか不安だった事、その反面、漠然とした大きな希望や夢を持っていた事も、そういう気持ちをとてもよく理解しているつもりです。
独身時代には、人生観という枠組みの中で、考える時間が多かったことも思い出しました。
自分1人なら身軽だし(笑)、何でもできると思っていたし、実際、自分自身で考えたことは実行してきました。
女の子は、独身時代にしか仕事を思いっきりできないと思っていましたし、もちろん結婚してからは、ハード・スケジュールは望んではいませんでしたので、30歳までに、何か1つ仕事上で成し遂げようと思っていました。
結局、旦那からのプロポーズを3回以上断り、私は30歳までは結婚する気がないし、きっと私はあなたに相応しくないので別れると何十回も言い張ったのですが、半分ストーカー行為において言論の自由を奪われ(笑)、
…結果としては、日本で1つの仕事を精一杯やって、一区切りつき、ある程度納得した時点で婚約を機に退職して、結婚式直前まで自分にご褒美として、アメリカで最後の独身生活を謳歌してみよう(変なことではないですよ・笑)、働いてみようと渡米…。
それで、アメリカで少し疲れたこともあり、やっぱり人間1人ではやっていけないのね★と思い、帰国しておとなしく結婚することにしました(笑)。
結婚式の次の日、新潟に転居したのは、ちょうど何十年ぶりかという寒い冬でした。
全く体が適応できず、低体温症になったり、急に体重が3キロ増えたり(脂肪が増えた・笑)、原因不明の体調不良になったり。
なんとなく頼れるものがなくて、心細くて、毎日泣いていました(あはは、そんなに可愛らしかったのに、今は大分逞しくなっているような・笑)
今では、おかげさまで、どこに行っても生活していけそうです(笑)
ロースクールの入学試験に合格して、暫くしてから妊娠していることがわかり、1年生の夏から休学して30歳で子供が生まれました
ロースクールがこんなにハードだとは思っておらず(笑)、あと、子供がこれほど(1か月につき20日熱を出すとか、毎日のように小児科や耳鼻科に連れて行くとか、何度か入院するとか、、、)手のかかるものだと思っておらず(笑)、全く予想外でしたね〜
でも、子供はスクスク育っていくし、ロースクールは「3年間プラスα」集中した勉強が必要だし、そういう時は、エネルギッシュに前に進むしかないですから、とにかく走り続けて、一時期、体重がベスト体重より5キロくらい減り、いくら食べても全然だめで、私をボンキュボンに戻してくれと思い…じゃなくて、いつか倒れるだろうなと思いつつ、本当にヤバいと感じた時は、どこにいても時間を決めて眠ったりして、何とか乗り切ってきました。
今、Tちゃんは、すっかり体が強くなり、私も実家近くにいるので、両親と兄の全面的なバックアップを得て、勉強できる何とも恵まれた環境をやっと手に入れました〜
それなりに幸せですし、決して不幸ではありません(笑)
Tちゃんがいるから、私は今、母としてとても幸せなのですが、その幸せを支えてくれているのは、両親や旦那や兄なんですよねー。
こんな恵まれた環境で、これ以上の幸せを手に入れようと願うことは、どんなにわがままなことなのでしょうね。
それでも、娘の幸せを願う実家の母は、2か月ほど前から、円形脱毛症が続いていまして、私が落ち着けば治るものではなかった様子で(汗)、私が「幸せ」だと言わないと、円形脱毛症は増え続ける一方だと思うので、一応口に出して(笑)、わたしは幸せなんですと言っておきましょうね
少し、話は戻りますが、落ち着いた環境の今だからこそ、私が学生の頃、25,6歳の頃、どんな気持ちで毎日過ごしていたのか、ふと思い出したんです。
いっぱい両手に夢を抱えていた頃の話です
あ、今は現実的な夢をいっぱい両手に持っている(笑)
当時の私は、実際、結婚なんて全然眼中になく、夢中になれることがあれば、私は彼氏はいらないタイプだったので、お付き合い自体、面倒だと思う時期もありましたし(失礼な話ですけどー・汗)。
色々な「タイミング」なんて、考えたことなかったです〜わがままでしたから(笑)
それと、漠然とした不安ですね。
私の場合、学生時代は、まだ希望ばかりでしたが、学校立ち上げに取り掛かる前までは、うまく言えないのですが、何となく不安がつきまとっていました。
これで、食べていけるのか?って(女なのにね、全然しおらしくなかったかも・笑)
あ、そして、子供が生まれてからは、また多少逞しくなり、いつでも、私が働けばどうにでもなると思える所まで来ました(笑)。
もし、これで、仮に私が男性で、しかも小さい子供がいたりしたら(実際、仲良くさせていただいているロー卒のパパさんはそんなカンジでしたよ〜
)、かなりのプレッシャーだと思いますよ
Tさん(男性)は、ローに入る頃、ちょうどお子さんが生まれて、お仕事を辞めて、ローで3年間。
Tさんとは深〜いお話を色々とさせていただいたのですが、もちろん金銭面のやりくりのお話も。
なるほどー、やり方はいっぱいあるし、意外にどうにでもなるんだなぁと思いました
でも、私にも分からないような、Tさんが抱えるそのプレッシャーはかなりのものだったと思います。
もし、仮に、自分の家庭の話だったら、相手にはそんなプレッシャーかけたくないですね
それなら、私も働けますし(笑)
自然な流れが一番です。
タイミングが合わなかったら、それは、仕方ないことですね、、、片方が努力してどうにかなる訳でもないし、お互いがそうしたいと思わなければ物事は前には進まないし、お互いに変なプレッシャーや、変な心配事は、少ない方がいいと思います
ちょっと話はずれましたが、そういう訳で、今のところ、わたしの夢は、Tちゃんがスクスク育つことで、私の幸せは、Tちゃんの成長を見られることがですね
「核」みたいなもの?
数年後の私が何をしているのか、今はまた想像がつかなくなっていますが、きっと、今と変わらず、それなりに幸せに過ごしていると思います
ここまで読んでくださってありがとうございました
それでは、今回はこの辺で…

暑さの厳しい折、お身体ご自愛くださいませ
変わらずお元気でしょうか?
さて、今日は学校に教材を取りに行ってから、自宅で勉強を〜
ジェンダーのレポートを今日中に終わらせる予定です♪
今朝は、久しぶりに夢を見ました。
ありきたりな光景で、登場人物の実名はブログでは出せませんが、何となく懐かしいような愛おしいような、一言で言えば「じーん」とするような、そんなカンジでした。
目、覚めなければよかったのに(笑)
んー、今日はちょっと真面目なお話をしちゃいましょう
長くなっちゃうかな?
私は、随分前から仕事をしてきて、留学もして、自分のお金で海外旅行も沢山(15か国くらい?)して、結婚して、子供も生まれて、育児の大変さも少し齧り、、、今では、お陰様で、色々な立場の人たちの気持ちが、手に取るように分かるようになりました。
もちろん、私より先輩ママたちの気持ちはまだまだ未知の世界で、日々勉強させていただいています★
だから、自分が学生の頃や25,6歳の頃には、この先どうなるのか不安だった事、その反面、漠然とした大きな希望や夢を持っていた事も、そういう気持ちをとてもよく理解しているつもりです。
独身時代には、人生観という枠組みの中で、考える時間が多かったことも思い出しました。
自分1人なら身軽だし(笑)、何でもできると思っていたし、実際、自分自身で考えたことは実行してきました。
女の子は、独身時代にしか仕事を思いっきりできないと思っていましたし、もちろん結婚してからは、ハード・スケジュールは望んではいませんでしたので、30歳までに、何か1つ仕事上で成し遂げようと思っていました。
結局、旦那からのプロポーズを3回以上断り、私は30歳までは結婚する気がないし、きっと私はあなたに相応しくないので別れると何十回も言い張ったのですが、半分ストーカー行為において言論の自由を奪われ(笑)、
…結果としては、日本で1つの仕事を精一杯やって、一区切りつき、ある程度納得した時点で婚約を機に退職して、結婚式直前まで自分にご褒美として、アメリカで最後の独身生活を謳歌してみよう(変なことではないですよ・笑)、働いてみようと渡米…。
それで、アメリカで少し疲れたこともあり、やっぱり人間1人ではやっていけないのね★と思い、帰国しておとなしく結婚することにしました(笑)。
結婚式の次の日、新潟に転居したのは、ちょうど何十年ぶりかという寒い冬でした。
全く体が適応できず、低体温症になったり、急に体重が3キロ増えたり(脂肪が増えた・笑)、原因不明の体調不良になったり。
なんとなく頼れるものがなくて、心細くて、毎日泣いていました(あはは、そんなに可愛らしかったのに、今は大分逞しくなっているような・笑)
今では、おかげさまで、どこに行っても生活していけそうです(笑)
ロースクールの入学試験に合格して、暫くしてから妊娠していることがわかり、1年生の夏から休学して30歳で子供が生まれました
ロースクールがこんなにハードだとは思っておらず(笑)、あと、子供がこれほど(1か月につき20日熱を出すとか、毎日のように小児科や耳鼻科に連れて行くとか、何度か入院するとか、、、)手のかかるものだと思っておらず(笑)、全く予想外でしたね〜
でも、子供はスクスク育っていくし、ロースクールは「3年間プラスα」集中した勉強が必要だし、そういう時は、エネルギッシュに前に進むしかないですから、とにかく走り続けて、一時期、体重がベスト体重より5キロくらい減り、いくら食べても全然だめで、私をボンキュボンに戻してくれと思い…じゃなくて、いつか倒れるだろうなと思いつつ、本当にヤバいと感じた時は、どこにいても時間を決めて眠ったりして、何とか乗り切ってきました。
今、Tちゃんは、すっかり体が強くなり、私も実家近くにいるので、両親と兄の全面的なバックアップを得て、勉強できる何とも恵まれた環境をやっと手に入れました〜
それなりに幸せですし、決して不幸ではありません(笑)
Tちゃんがいるから、私は今、母としてとても幸せなのですが、その幸せを支えてくれているのは、両親や旦那や兄なんですよねー。
こんな恵まれた環境で、これ以上の幸せを手に入れようと願うことは、どんなにわがままなことなのでしょうね。
それでも、娘の幸せを願う実家の母は、2か月ほど前から、円形脱毛症が続いていまして、私が落ち着けば治るものではなかった様子で(汗)、私が「幸せ」だと言わないと、円形脱毛症は増え続ける一方だと思うので、一応口に出して(笑)、わたしは幸せなんですと言っておきましょうね
少し、話は戻りますが、落ち着いた環境の今だからこそ、私が学生の頃、25,6歳の頃、どんな気持ちで毎日過ごしていたのか、ふと思い出したんです。
いっぱい両手に夢を抱えていた頃の話です
あ、今は現実的な夢をいっぱい両手に持っている(笑)
当時の私は、実際、結婚なんて全然眼中になく、夢中になれることがあれば、私は彼氏はいらないタイプだったので、お付き合い自体、面倒だと思う時期もありましたし(失礼な話ですけどー・汗)。
色々な「タイミング」なんて、考えたことなかったです〜わがままでしたから(笑)
それと、漠然とした不安ですね。
私の場合、学生時代は、まだ希望ばかりでしたが、学校立ち上げに取り掛かる前までは、うまく言えないのですが、何となく不安がつきまとっていました。
これで、食べていけるのか?って(女なのにね、全然しおらしくなかったかも・笑)
あ、そして、子供が生まれてからは、また多少逞しくなり、いつでも、私が働けばどうにでもなると思える所まで来ました(笑)。
もし、これで、仮に私が男性で、しかも小さい子供がいたりしたら(実際、仲良くさせていただいているロー卒のパパさんはそんなカンジでしたよ〜
Tさん(男性)は、ローに入る頃、ちょうどお子さんが生まれて、お仕事を辞めて、ローで3年間。
Tさんとは深〜いお話を色々とさせていただいたのですが、もちろん金銭面のやりくりのお話も。
なるほどー、やり方はいっぱいあるし、意外にどうにでもなるんだなぁと思いました
でも、私にも分からないような、Tさんが抱えるそのプレッシャーはかなりのものだったと思います。
もし、仮に、自分の家庭の話だったら、相手にはそんなプレッシャーかけたくないですね
それなら、私も働けますし(笑)
自然な流れが一番です。
タイミングが合わなかったら、それは、仕方ないことですね、、、片方が努力してどうにかなる訳でもないし、お互いがそうしたいと思わなければ物事は前には進まないし、お互いに変なプレッシャーや、変な心配事は、少ない方がいいと思います
ちょっと話はずれましたが、そういう訳で、今のところ、わたしの夢は、Tちゃんがスクスク育つことで、私の幸せは、Tちゃんの成長を見られることがですね
「核」みたいなもの?
数年後の私が何をしているのか、今はまた想像がつかなくなっていますが、きっと、今と変わらず、それなりに幸せに過ごしていると思います
ここまで読んでくださってありがとうございました
それでは、今回はこの辺で…
暑さの厳しい折、お身体ご自愛くださいませ
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