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[26586] 明日の影の中で 【第三新東京市編 始】
Name: 二十二号機◆3ff6d448 ID:908f7153
Date: 2011/07/21 16:08
大昔に構成だけ考えてみたエヴァンゲリオンの二次小説を投稿してみました・・・。

エヴァ小説黄金時代は既に去り、この板も随分と荒れてしまってるようですね・・・。昔は良かったとは言いませんが、昔はもっと一杯エヴァ小説があったもんだなぁ・・・。

他の小説を書きながら、投稿しようと思っているので、中々更新しないと思いますが、頑張ります。

ヒロインがアスカ嬢で、彼女が独逸に居るころを書きます。
独逸編とでも言いましょうか。

もっとも、先にネタ晴らししておけば、基本的にはサードインパクト後の世界を書くつもりなんですけど。オリジナル設定で書いていくので、ご容赦を。
オリジナル設定のエヴァンゲリオンに似ている小説とぐらい思っていただければ幸いです。換骨奪胎というとカッコいいので言えません。


3・23 日

タイトルがあまりにもいい加減な気がしたので、タイトルを変更しました。読んでくださってる方がけっこういらっしゃるのに、この態度は無いかな、と思ったので。

タイトルは、全体的に暗いストーリーなのと、アスカと明日を掛けました。セカンドインパクト後の明日に怯える人々の様子だとか、使徒が何時襲来するか判らないぞとか、ゼーレの糞みたいな計画が迫ってるぞ、とか、そんなイメージです。

元ネタは、ホイジンガの中世の秋って本です。

世の中が、地震だ原発だと大変ですね。東京に住んでいますが、水さえ安全に飲めない状況になってしまいました。被災地の方はどれほど大変だろうと思います。自分に出来るのは募金ぐらいですが、頑張って頂きたいと思います。



4/2

9話を編集するために、一時削除します。既に読んで下さった方はすいません。時間が無かったからといって、少し努力が足り無すぎると思ったので一度引っ込めます。もう少し、推敲を重ねたいと思います。
重ねて、すいません。



4/5

9話を編集し、再投稿します。一度、読んで頂いた方も、かなり加筆
修正をしたので、読んで頂けたらと思います。
書き加えた方の話の方が良い出来だと思うんですが、どうでしょうか。



6月22日

独逸編、書き終わりました。文章量的には、予定通り、単行本一冊ぐらい。内容的に、満足だ、とは言っちゃいけなそうですが・・・。

ゼーレの雰囲気が難しくて、何処に挿入するべきか、とか迷って、カットしたシーンとか有りますし・・・。もうちょっと、何とかならなかったもんかなぁ。後悔。


第三新東京市の話は、テレビ番に近づけて楽出来るかなぁ。でも、それで書いてて楽しいのかなぁ、なんて思いながら、構想を練っています。
二ヶ月ぐらい放置するかもしれません・・・。予定は未定ですが。




7・21 


うわあ、荒れてる荒れてる。こんな事して、何が楽しいのか良く判らないなぁ。
暑いですねー。台風のお陰で、数日ですが一息付けそうですが。
あんまり暑くて、この前、屋外で肉体労働してたら頭が痛くなってくるんですよ。慌てて水をがぶ飲みしましたが。みなさんも熱中症には気をつけて下さい。 それでは






[26586] 第1話 
Name: 二十二号機◆3ff6d448 ID:908f7153
Date: 2011/03/19 21:12

1キロ先の演習場を、大勢の集団が双眼鏡で覗いていた。会場には大型のモニターが設置され、演習場内部で起こったことはリアルタイムに映し出されるのだが、誰もがその新型の兵器を目に焼き付けようと、接眼レンズに目を押し付けていた。

東の空から、大型の輸送機が飛んでくる。その輸送機の底部には、紅白の縞模様の幕が張ってあり、そこに張り付いているものの姿は見えない。軍事兵器に無用な派手さが目立つ。今回の公開演習を立案したのはある日本人という話だった。

演習場の上空、約300Mに到達した輸送機から、センスの無い幕が取り外される。
同時に、輸送機からパージされた全長30メートル近い赤いカラーリングの巨人が、青空を切り裂いて大地に降って来た。
空中でまるで体操選手のように伸身新月面宙返りを決める間に、巨人の肩のウェポンラックから取り出されたナイフが、太陽の光を反射する。
そして、一キロ先の、目標の真ん中にナイフが突き刺さると共に、巨大なリボンが切れ、テープカットが成功し、照明弾が上がった。

巨人は上手く膝を曲げて、演習場に着地し風を巻き起こした。
演習場の観客席に居る要人達は、頬に受ける微風と足元から来る振動に心を揺らし、歓声を上げた。

巨人の中のパイロットは、その様子を拡大して確認すると、舌なめずりをして次の動作に入る。
何度も前転を決めると、転がりながら目標点に用意してあった巨人用のアサルトライフルを手に取り、腹這いになって乱射する。それも全て目標に命中した。再び、照明弾が上がる。

その後、巨人は格闘戦を模した演舞を行って見せる。連続の掌打、回し蹴り、巨人が空を切る度に、音の無い烈風が沸き起こった。

短い演舞が終わると、巨人は観客の前にその歩をゆっくりと進める。
誰もが自分を見上げていることを確認し、パイロットはにやける口元を押さえた。

■ ■ ■

ステージの前で身を屈めた巨人の首元から、一人の少女が昇降機を使って降下した。

ステージの中央に降り立った彼女は、赤いダイバースーツの様なパイロットスーツを来ている。
その体の線の細いラインから、彼女がまだ未成熟な少女であることが判った。
彼女がヘルメットを脱ぎ取ると、長い金髪が風に舞う。切れ長のアーモンドアイは蒼い。
少女は、軽く膝を折って、観客に挨拶をした。

西暦2013年7月6日、エヴァンゲリオン弐号機は、こうして正式に世に広められた。

弐号機のお披露目式の後、弐号機を囲んでネルフ主催のパーティーが開かれた。
ネルフとは、弐号機を保有する国連直属の特務機関である。
その目的は、2000年に未知の生命体に引き起こされたセカンドインパクトという大災害を再び起こさないようにすること、つまりはサードインパクトを未然に防ぐ事だった。


■ ■ ■


制服姿の男たちの間を、先ほどのパイロットが挨拶をして廻っている。
男たちは、各国の大統領や首相といったVIPばかりである。
少女は、その歳には未だ早いような赤いカクテルドレスを着ていた。
金髪の髪を頭の上に纏め、ささやかな化粧をし、気後れすることなく笑みを振り撒いていた。

「ちょっと、失礼、ちょっと、すいません」
その少女に、一人の長身の女性が人込を割って近づいていく。

女の名は、葛城ミサト。ネルフ独逸支部の作戦課に所属する女である。
今回の弐号機のお披露目式において、弐号機の演舞を取り入れたのは、日本出身の彼女の采配だった。

「何よ、ミサト」
「ちょっと早いけど。時間よ、アスカ」
「そう、判ったわ」

少女の耳元で、女は囁く。
「おぶってあげたいけど、ちょっち、我慢してね」
「・・・ダンケ、ミサト」

少女は、可憐な笑みを浮かべてVIPに別れの挨拶をして、ミサトの後に続いた。

アスカはパーティー会場をVTOL、垂直離着陸機の窓から見下ろしていた。
弐号機の周囲に居る人々は、赤い腐肉に燕尾服の蠅たちが群がっているように見えた。

セカンドインパクト後の復興計画、ネルフといった特務機関の新設、各国の利権が絡み合っているのだと聞いている。弐号機を運用するに当たっても、莫大な金が動いているのだろう。

感覚的には、この頃覚えた東洋の箸という奴で蠅を摘んで、自分の弐号機から遠ざけたかった。
弐号機は、自分にとって特別なものだったから。汚い蟲どもが、近寄って気分が良いものじゃない。

「アスカ、右足出して」

隣に座るミサトの声に、アスカは無言で右足を出す。
ミサトは、ゆっくりと赤いハイヒールを脱がせた。
踵に靴ずれが出来て、血が流れている。
赤い靴で良かった。他の色の靴だったりしたら、血が滲んでいるのが、ばれてしまっていただろう。
世界のVIPの前で、そんな醜態をさらすのはご免だった。

「けっこう、酷いわね。帰ったら、ちゃんと消毒して絆創膏張るのよ」
「判ってるわよ。あんな親父どもの為に笑顔作って、傷物に成りたくないもん」
「ふふふ、そうね」

ミサトは、恐らく会場からかっぱらって来たであろうミネラルウォーターのボトルキャップを外すと、
傷口を洗い流してくれた。そして、自前の白いレースの付いたハンカチをあてがってくれる。
そして、血が止まるまで、ミサトは傷を抑えてくれた。白いハンカチが、少し赤くなる。

こんなに彼女が優しくしてくれるのも、私が世界にただ一人の弐号機の正式パイロットだからだ。
替えが効かないのだから、優しくしてくれるのも当然という思いから、特に目の前の女に対して礼を言う気にはなれない。

「どうしたの?アスカ」
「何でもないわよ。はー、つっかれた」
両腕を伸ばして、私は伸びをする。もう、猫被ってる必要は無いかった。
自分の本当の性格なんて、あの場に居た人々には関係無いという理解はあったが、体面というものがある。

「お疲れ様。明日から、二週間の休暇でしょう?家に帰れるじゃない」
「私は、暫くゆっくりしてから帰るつもりなのよ。こっちで、一人でのんびりするつもり」
「そっか。じゃあ、その内に時間があったら、遊びましょ。買い物付き合ってよ」
「ま、時間があったら、ね」

私は、ミサトとなんて買い物に行きたくなかったので、適当に話をはぐらかす。
この女、加持さんの知り合いだか何だかしらないけど、妙に馴れ馴れしい。
アンタが、弐号機のパイロットに気を使ってるみたいに、私も未来の指揮官なるかもしれない人間に、仮面被ってるんだってノ。その辺、判ってないんじゃない、コイツ。バーカ。

「何、アスカ?」
「何でもないわよ」
ホント、こいつ馬鹿みたい。

■ ■ ■

アスカとミサトが居なくなったパーティー会場の壁際で、一人の男が煙草を吸いながら、人々を眺めていた。男の名前は加持リョウジ、特務機関ネルフ特殊監査部に所属していた。
精悍な顔つきをして、きちんと背広を着てネクタイを締めているが、何処かだらしない。剃り残しの無精ひげが顎の裏に残っていた。

一人の男が、加持に近づいてきた。
「すいません、火、貸してもらえますか」
「ああ、良いですよ。こっちは火付け役が少ないから、暇ですし」
「そうでしょう。火付け役、か。中々、適当な人ってその場に居ないんですよね」

火付け役、もちろんエヴァンゲリオンという独自の兵器を保有するネルフに群がる諜報部員の事である。
加持リョウジの表向きの仕事は、そういった輩を排除することだった。

男は、旨そうに煙草を吸う。銘柄は、指定された通りのラッキーストライクだった。
一本どうですか、と言われて、加持はパックに残っていた三本を全て貰った。これも、手続きの様なものだった。

「いやー凄いですね、汎用人型決戦兵器、エヴァンゲリオン弐号機。まさに、次代を担う兵器ですね。
 こんな兵器が出てきたら、通常兵器では役に立たんでしょう。N2を除けば、ですが」

N2とは、2000年に実用化された新型爆弾で、戦術核並の威力を持つが、放射能汚染を発生しないクリーンな爆弾である。
この世界で、最も破壊力のある爆弾として注目されていた。

「それにゲインを利用しても、5分が限界の兵器ですよ。エヴァは金食い虫でもありますが、相当の電気食い虫でもありますからね。もちろん、外部電源を利用出来る環境であれば、その真価を発揮できますが」

「日本の第三新東京市を守る為の、所謂、女神ってところですかね。しかし、技術は進歩するものです。
 エヴァが、その内に電力という楔から解き放たれることも想定される未来ではないですか?」

「そうなりますかね。私には、良く判りませんが。何分、門外漢なもので。――戦略自衛隊の方ですか?」

「いやいや、その付き添いで、内務省の者です。ほら、あそこで酒飲みながら馬鹿笑いしてる奴の。良いですよね、偉い人は。こういう場でも勧められなくてもお酒飲めるんですから。
 おっと、呼んでる呼んでる。多分、相手が何言ってるか判んないんでしょ」

さっと、男が加持に手を差し出してきた。
「辞めましょう。俺は、ネルフの犬です。何処で、良からぬ輩が見ているとも限りませんよ」
男は、そうですね、と言って笑って去っていった。






[26586] 第2話
Name: 二十二号機◆3ff6d448 ID:908f7153
Date: 2011/03/20 06:02


独逸支部にVTOLで帰ってきたアスカは私服に着替えると、ミサトに連れられてミーティングルームに向った。
薄暗い部屋に、ミサトが先に滑り込むとアスカの手を引っ張った。
アスカは子ども扱いして欲しくなくて、むっとしたが、黙ってそれに従った。

部屋の中では、スクリーンに弐号機のお披露目式の様子が映っていた。
20人程のアスカと同年代の子供たちが、スクリーンの映像を椅子に座って静かに見ている。
アスカとミサトは、入った扉の横に立つ。

丁度、ナイフがテープカットをした瞬間にアスカは叫ぶ。
「きゃー、カッコいい!あれ、誰が乗ってんのー、ミサト!」
静かな空間に、アスカの高い声が響いた。

「しー、静かに見てるの、アスカ」
ミサトは、人差し指を立てて、アスカを黙らせた。

アスカは、はいはい、と言って黙った。勝利宣言は、十分、コイツラに聞こえただろうと判っているからだ。
もっとも、目の前の映像を見て、まだ納得していない奴など皆無だと思っていたが。

子供たちの幾人かが、アスカの声に後ろを振り向く。しかし、殆どの子供は前を向いたままだった。
部屋に入ってきたアスカの行動は、彼らにとって慣れたものだったからだ。

弐号機からアスカが降り立ち、拍手で迎えられるシーンで、映像は止まった。
部屋の明りが点り、カーテンが自動的に開いていく。

三人の大人達が、映像の続きのように拍手をしながら子供たちの前に立った。
子供たちも自分達が同じ事をするまで、彼らの拍手が止まらないことが判っているので、拍手を始める。
この弐号機の正式発表は、自分たちネルフ独逸支部にとって吉事に違いなく、拍手で迎えられるに相応しいものだったからだ。
アスカはミサトの隣で、誰よりも大きく手を打ち合わせた。

壮年の男が、咳きを一つして両手を広げて話を始めた。拍手が鳴り止んだ。男は、この独逸支部の管理者であり最高責任者だった。

「今日この日、ついに我々ネルフの技術の結晶であるエヴァンゲリオン弐号機が世に広められた。
 独逸支部だけでなく、ネルフ全体にとって、此れほど喜ばしい日は無いだろう。
 無論、ネルフの重要性は君たちも知っての通り、誰に何と言われようとも揺ぎ無いものだ」

男は、浪々とネルフの重要性を子供たちに説いていく。子供たちにとっては、何度とも無く聞かされてきたものだった。
彼らは、その言葉を寝物語として育ったと言っても過言ではない。彼らは、選ばれたパイロット候補生、つまりはエリートとして、今日まで育てられたのだから。さらには、この二十数人は数千という子供たちの中から選別された百を超える候補が次々と選り分けられていく中で、最後まで残った子供たちだった。

「また、今日と言う日を迎えられたのも、君たちチルドレン候補生の絶え間ざる努力の結果だ。
 その中でも、惣流・アスカ・ラングレー!こっちに来なさい」

「ハイ!」

アスカは姿勢を正して、男の前に赴き、男の分厚い手と握手を交わした。

「本部の碇総司令も大変お喜びだよ。良くやったと伝えてくれと言われた。
 そして、君にとって最高の贈り物が贈られた。
 今日から、君がセカンドチルドレンだ」

「ありがとう御座います!」

微笑むアスカに、男は何度も頷いた。アスカにとって最上の吉報であり、男にとっても独逸支部からセカンドチルドレンを排出するということは名誉な事だった。

セカンドチルドレンとは、正式にエヴァンゲリオンのパイロットに選ばれたという称号だった。
チルドレンとは、エヴァンゲリオンのパイロットの呼称であり、他の子供たちはチルドレン候補に過ぎない。
正に今、アスカは他の子供たちとは一線を画す存在に成ったのだ。


■ ■ ■ ■


翌日、アスカは寮の自室で寝ていたが、物音で目を覚ました。部屋の中からの音では無い。
隣室の音だった。

ベットからのそり、と起きると頭をかく。ふわあ、と猫の様な欠伸をすると、置き時計を確認した。朝の8時20分、普段なら完璧に寝坊だが、今日はそうじゃない。
何故なら、二週間の休暇の始まりだったからだ。

寝なおそうか、と思ったが、隣の部屋の音が五月蝿い。アスカは枕を壁に投げつけた。
里帰りの準備など、昨日の内に終らせておけ、と言いたかったが、アスカの部屋にも大きなスーツケースが鎮座しており、その周りには服が散らばっている。
そんな事が言える身分では無かった。

セカンドチルドレンに決まったという話を親に自慢したところ、帰ってきてお祝いしましょうと強く勧められたので、荷物の準備を始めたのだが、途中で気が乗らなくなって放置したのだ。

衣服など実家にあるだろうと思うだろうが、彼女は13歳の成長期、去年と今年では身長だけも10センチの違いがある。他にも、色々と女らしく成りはじめているのだ。
スレンダーで筋肉質の体型をしているが、出るところは十分に主張し始めている。

簡単に言えば、ショーツからブラまで色々と用意しなくてはならないわけで。
服だの下着だの色の組み合わせだの考えていたら、面倒になった。
アスカは、親の前では性格から服装まで完璧に装う事をモットーにしているからだ。

「アスカ、居るー?」

部屋のドアをノックされて、アスカは寝巻きのままスリッパを履いてドアに向った。
この格好でドアを開けるわけにはいかない。インターホンで応対することにした。

「何、アンジェリカ?」
アスカは欠伸をかみ殺し、腹を掻きながら言った。

「ほら、今度の休暇は、私の実家に遊びに来てくれるって言ったじゃない。 
 そろそろ、準備できた?」

「・・・ゴッメーン、アンジェリカ!ほら、セカンドチルドレンに選ばれたじゃない?
 そしたら、ママとパパが帰って来いって五月蝿いのよー。だから、今回はキャンセル」

アスカは、出来るだけ友人に明るい声を出した。

「・・・そうなの。判った。次は絶対だからね、アスカ」

「ええ、判った!今度、私もアンのお母さんに会うの楽しみにしてるから!」

ドアの向こうから友人が歩き出したのを確認し、ベットに向おうとしたアスカの耳に、スーツケースのキャスターが転がる音と外の会話が入ってきた。

「どうして、あんな奴誘うわけ?アン!」
「そうそう、あのアスカだよ。あのアスカ。怖くない?」
「私、アスカとは長い付き合いだし、一度言っちゃったし・・」
「そー言うの断る勇気持ちなって~」

ドアに寄りかかって、その声を聞いていたアスカは、俯いた。
アンジェリカとは、長い付き合いだった。心が許せる、数少ない友達だと思っていたのだ。
でも、感じていた友情も、自分の一方通行のもので勘違いだったらしい。
数少ない、本当の自分を判ってくれる人の一人だと思っていたのに。

アスカは部屋に戻ると、思いっきり、部屋に散らばった服を蹴り上げた。

泣こうとは思わなかった。
泣く事は、人間にとって一番無駄なことだ。泣く暇があったら、思考を廻らせなければいけない。
泣いても何も変わらない。自分が可愛そうだと思うのは、軽蔑すべきことだと思うし、
泣いた姿を人に見せるなんて、持っての外だ。

アスカは、部屋を見渡した。この部屋は、自分の実力で勝ち取った一番良い部屋だ。
ライバルと勝負して部屋を交換した事を思い出し、少し気分を落ち着ける。

「私は、惣流・アスカ・ラングレー。ママの弐号機を受け取った、№1!」
元気一杯、笑顔で宣言する。

私は、迷ってる暇なんて無い、セカンドチルドレンだと甘い感情を切り捨てた。
でも、何だか遣る瀬無くて、アスカはベットに丸まった。
こんな余分な記憶、早く消えてしまえと願いながら。


■ ■ ■ ■




加持リョウジは、あるホテルの一室で煙草を吸っていた。机の上の灰皿には、煙草の吸殻が山の様に成っている。
彼は、昨日から徹夜で報告書を作成していた。報告書の内容は、エヴァンゲリオン弐号機について。

その内容は、ネルフの特殊監査部所属という職権を利用しても、本来得られないような情報が含まれていた。もし、ネルフ関係者にその事が発覚でもしたら、即座に軍法会議ものだった。

何故、彼がその様な情報を持っているのか、という説明には、彼の数日の行動を追わなくてはならないが、
何故、彼がその様な情報を集めているのか、という説明は簡単に書く事が出来る。

彼は、ネルフ特殊監査部という肩書きを持つ一方で、日本政府内務省所属という肩書きも持っていた。
所謂、二重スパイだったのである。

昨日の内務省の人間の接触は、加持に言わせれば、素人が火事に手を突っ込むものじゃ無い、と苦情を言いたくなるものだった。
偶には、自分たちが飼っている犬の顔でも見ようかという、有り難い親心かどうかしらないが、実際に嗅ぎ回っている加持からすれば、良い迷惑だ。
此れまでの実績からすれば、自分を内務省の役人は使い捨てにするつもりは毛頭無いと思えるが、ひやひやさせてくれる行動だった。
彼の上司の方に、厳重注意をしてもらう事にした。

渡された煙草を解体すると、情報を早急に送れという催促と、情報の受け渡し方法の変更、という陳腐な内容が、暗号で書かれていた。
その煙草は、もう一度、加持によって巻き直され、煙となって加持の肺に吸い込まれた。
外国製の煙草に飽きはじめていたので、大学のころに吸っていた懐かしい日本の銘柄は多少ストレスの発散にはなった。

ストレス、と書いたが、本来、この男、ストレスとは殆ど無縁である。
命というチップを掻けて、二重スパイという仕事を何年もしては居るが、この仕事は殆ど、彼の趣味であり、ライフワークの様なものだった。

彼が、この仕事を始めた理由は、セカンドインパクト、という大災害に機縁するものであり、その目的は、その真相を知ることだった。

セカンドインパクトの通説とは、20世紀最後の年、西暦2000年9月13日、に発生した、南極大陸マーカム山への大質量隕石落下のことである。

その直後に発生した津波と溶け出した氷による海面上昇によって、南半球諸国あわせて20億以上の人々が死亡し、有史以来、人類の被った最大の天災となった。

国連発表によると、南極に落下したのは直径10センチに満たない超小型の隕石であったが、光速の95%以上といわれる速度によって、
その質量は膨大なものとなっていた。落下の15分前にメキシコのアマチュア天文学者、セイモア・ナンによって観測されている。

北半球の諸国も海面上昇によって多大の被害を生じ、大混乱となった。隕石の落下から2日後の2000年9月15日、インドパキスタン国境で難民どうしの衝突から戦端が開かれると各地で軍事衝突が発生した。翌2001年2月14日、バレンタイン休戦臨時条約が結ばれるまで、世界各地の紛争は続いた。

この衝突による衝撃のため地軸が傾いた為、彼の故郷、日本は常夏状態と化している。

およそ40億年前に、地球から月が分離する原因ともなった小惑星の衝突であるジャイアントインパクト(ファーストインパクト)に習い、セカンドインパクトと言われている。

男は両親と、日本全土を襲った大津波で死別した。当時、13歳だった彼は、11歳になる弟を連れて友人と山にハイキングに行っていて助かったのだ。男は、山の上から自分の街が崩壊していく様を見た。

男とその弟、その友人は、さながら戦争孤児のようにその地獄を生き抜いた。当時、日本の食糧自給率は40%程度であり、大部分を諸外国からの輸入に頼っていた。世界各国の紛争は、もちろん日本の食糧の輸入に大打撃を与え、親の居ない子供が簡単に食料に有りつける状態では無かったのだ。強盗の真似事までして、命を繋いでいた。

幸運にも、その数年後、弟と彼は親戚が見つかり、別々に引き取られた。
彼は、弟と積極的に連絡を取り合い、例え、離れ離れになろうとも、兄弟の絆は消さなかった。
何時でも、兄として弟の支えになろうと思ったのだ。
その関係は、彼が日本の最高学府である東京大学史学科の3年生になるまで続いた。

東京大学史学科の三年の秋口、弟から電話が掛かってきた。
弟は、防衛大学の一年生であり、少々、過激なサークルに入っている、と本人から聞いていた。
弟の事は心配だったが、その電話までは平穏な日々が続いていた。

彼は、弟からの深夜の電話に驚いたが、弟の切羽詰った願いを聞き届ける。昔、二人で隠れ住んでいた当りの郵便局に小包を送ったから、それを受け取って欲しいとの事だった。其の内に取りに行くつもりだから、それまで預かっていて欲しい、と。
一月待っても、受け取りに行けなかったら小包を捨てて、この電話の事も忘れて欲しいと。

弟の事が心配になった彼は、郵便を受け取りに行き、即座に開いてみた。
そこには、一台のノートパソコンが入っていた。
パスワードが必要だったが、何度かパスワードを試すうちに、ふと、母親と父親の生年月日を入れてみた。

そして知った。セカンドインパクトが人為的に引き起こされたものだということを。あの大災害は、人の意思が絡んでいたものだということを。さらには、弟が両親の為に復讐を誓う言葉も綴られていた。

その数日後、弟が友人と共に、交通事故で死んだ事を知った。轢き逃げであり、犯人は不明だった。
ただ、大型の車に二度轢かれたとの事だった。まるで、命を奪う事が目的の様に。

唯一の本当の家族を失った彼は虚脱感に襲われたが、その数ヵ月後、日本政府の内務省の人間だという男から、ネルフという組織に内偵として潜入してくれないか、と誘われた。

弟の意思を継げるのではないか、と囁かれ、加持リョウジは迷わなかった。

当時付き合っていた葛城ミサトとの関係を清算し、その一年後、彼は国連直属の非公開組織ネルフで勤務することになる。

今でも、弟の意思を継いで、復讐をする為にこの仕事をしているのか、と言われれば、加持は表向きはそうだと答えるかもしれないが、内心は別のものだった。

ネルフという闇は深く、その中で生きようとすれば、まるで闇は体に纏わりつき、自分の意識を飲み込む様だった。
又、自分という、一匹の蛾がその闇の中で真実という灯りに迫り続ければ、一瞬で焼き殺されるだろう。

そんな不安定な立ち居地の中で、復讐という妄執は消えざる負えず、ただ純粋な意思だけが残った。

焼き殺される前に、真実に触れる、という意思だけが。






[26586] 第3話
Name: 二十二号機◆3ff6d448 ID:908f7153
Date: 2011/03/21 14:17
寮の広いロビーのソファーに、アスカは横になっていた。
ジーパンにバスケットシューズ、チェックのシャツに赤いキャップという気軽なスタイルでへそを出しながら、携帯を弄くっている。

11時頃に再び目を覚まし、誰も居なくなった寮の自室で、そのあまりの静けさに、まるで部屋の壁が迫ってくるような息苦しさを感じて、脱出してきたのだ。

ポニーテールに纏められた長い金髪が、床に付いているが彼女は気にしていなかった。苛々しながら、昨日から相手が何度コールしても出ないので、メールを送信する。

送信相手は、自分のネルフ内における保護責任者、加持リョウジという男だった。
加持リョウジは、アスカのスタイルの良い足長お兄さんであり、憧れの彼氏候補だ。
ライバルとの競争に疲れるアスカを励まし、ずっと君だけがセカンドチルドレンに成れる、と言ってくれていた。

彼女に宛がわれた殆どの保護責任者が彼女の態度に匙を投げる中、名乗りを上げた加持だけが、彼女を見捨てなかった。加持は、何時でもアスカの背を押し、見守ってくれた。
初めは無視をしていたのだが、其の内に理想の男性として、加持の背中を目で追うようになった。

そして、気が付けば、恋をしていた。初恋だった。

彼のオリエンタルな眼差しは、祖母の故郷である日本を想起させ、自分の中の四分の一の血が、彼の血と引き合っていると思った。

「君は、今はまだ俺を信用していないかもしれないが、俺は、君のセカンドチルドレンへの抜擢を信じている。いや、これは予言と言っても良いかもしれない。成功率100パーセントのね。
 だから、青田刈りさあ。俺は、君の将来に賭けている」

最初に出会った時の言葉を、アスカは今でも覚えてる。パイロット候補生の他の子供と徐々に訓練の結果に差を付けられ始めて卑屈になっていた自分に、彼が言ってくれた言葉を。
彼は、自分への誕生日プレゼントを欠かさないような気遣いに溢れた預言者だった。
暇が有れば、アスカを誘ってデートにも連れて行ってくれた。

――加持さんのアスカは、加持さんの予言を叶えて、セカンドチルドレンになりました。
  近い内に、お祝いにドライブに連れてってね。絶~対、だからね!

アスカの周囲に居るチルドレン候補が、この文面を見たら、目を丸くするだろう。
気位の高い彼女が、まるで歳相応の子供の様なメールを書いていると知ったら。

「あれ、ソーリューじゃん。何やってんだ、こんな所で。帰んなくて、良いのかよ」

アスカは、ん、とそっちを見る。チルドレン候補の一人の男子であるランドルフ・カーターだった。
アスカは、携帯を閉じるとよっと起き上がった。

ランドルフは、アスカの無防備な姿を久し振りに見たと驚いた。
それに、切れ長の青い瞳に、白磁の肌、優雅な金髪という少女が、眠そうに携帯を弄くっている姿はそれでも絵になっていて、ちょっと見惚れてしまった。

カーターは、アスカと言えば、テッペッキのガードの気の強い女、相当の高慢ちきで、将来有望な美人として認識していた。
多くの仲間たちは、彼女を嫌っていたが、カーターはどちらかと言えば、羨望の眼差しで彼女を見ていたのだ。
自分たちの中で、唯一、弐号機とのシンクロ率が50パーセントを突破しているヒーローだと思っていた。

それに、カーターは昔、アスカと友人だと思っていた。今は、どうか、判らないが。
彼女は徐々に変わってしまったのだ。エヴァの操縦で抜きん出るにつれ、高慢な態度を取るようになった。
昔のアスカは、今の様にチルドレン候補生の中間達に嫌われておらず、今の様な性格でも無かった。
片鱗は有ったとしても、態々、嫌われる様な態度を取っていなかった、と記憶している。

彼女はエヴァやそれを取り巻く大人たちに摂りつかれたのだ。彼女はエヴァとのシンクロ率が上昇するにつれ、心を徐々に抜き取られていった。カーターは、それが怖かった。それは、元々低かった彼のシンクロ率を徐々に押し下げていく要因ともなっていった。

「あんたこそ、なんでこんなとこに居んのよ」

「忘れ物をしたから、取りに戻ったんだ」

「そ。さっさと取りに行けば?ぐずぐずしてないで。ママンが待ってるんじゃないの~?」
アスカはカーターをからかう様に、嘲笑った。

「判ってる。じゃあな、ソーリュー」

カーターは、数歩足を勧めたところで、アスカに振り返った。アスカは、再び、携帯を見ている。
誰かからの着信を待っているのだろうか、その目はじっと液晶を見ていた。

「ソーリュー、言うの忘れてたよ。セカンドチルドレンに認められて、おめでとう」

カーターの心からのお祝いの言葉だった。昨日からずっと言いたくて、心に閉まって置いていた。
二人きりの良い機会だと、口にしたのだ。今なら、アスカは昔の様な笑顔を見せてくれるかもしれないと思った。

「敗北宣言ってわけ。それとも、私を油断させようとしてる?お生憎様、椅子は一つ。譲る気なんて全く無いわよ」

少女は冷たく、その言葉を袖にする。少年の思いは、伝わらなかった。

「そんなんじゃない。ただ、俺は純粋に・・・」

「あんた達じゃあ、弐号機を鈍亀ぐらいにしか動かせないんだから。指くわえて、私のこれからの勇士を見てなさいよ」

「・・・ああ。応援してる」

カーターは、もっとアスカに言葉を贈りたかったが、それが喉に引っかかるように出てこなかった。
カーターの中の思い出の少女から、アスカはもう随分と変わってしまったのだと再認識され、もう後ろを振り返らずに歩き去った。


■ ■ ■ ■


ヴィルヘルムスハーフェンは、独逸連邦共和国の北西に位置する港町で、古くから軍港として栄えていた。
セカンドインパクトによる海面上昇によって、海岸部は随分と侵食されたが、今もまだ軍港としての機能を失っていない。

ネルフ独逸支部が破壊されなかった軍施設を利用して湾岸部に建設され、他の独逸の都市よりもいち早く復興していった。

アスカは、旧市街に列車で向っていた。暇つぶしに、散歩に出かけようと思ったのだ。

近代的なビル郡を列車は通り抜け、視界に徐々に趣きのある町並みが広がっていった。
頬杖を付きながら、アスカはその様子を見ていた。

――セカンドチルドレンに認められて、おめでとう

少年の言葉は、嬉しかった。ネルフ独逸支部の中で、一個人としてその言葉を言ってくれたのは、彼が初めてだった。
何時もの通りに、皮肉交じりに受け答えしてしまったけど、内心は、悪くなかった。
でも、恐らく嫌われてしまっただろう。

どうして自分は、友達の前でこんな風にしか話せなくなったのだろう。
強くなろうと思った、それだけだったのに。
自分に強要した仮面は、何時の間にか、自分の顔に張り付いて、自分では外せなくなっていた。
仮面は、自分のセカンドチルドレンに成りたいという強烈な願望を適えた代わりに、体を自由に動かし始めたのか。

アスカは、窓に映った。自分の顔を良く見る。さきほど、冷酷な言葉を発した自分は、本当の自分だろうか。
冷酷な青い瞳が、弱い自分を射抜く。自分でさえ、もう味方ではないのかと、彼女は笑う。

外弁慶だった彼女を注意してくれた、優しい母親はもう居ない。六歳の時に、自分を置いて、天国に行ってしまった。
私の仮面を外せるのは、彼女だけだったのに。優しく、私の頬に触れてくれたのは、彼女だけだったのに。

「岩をぶっちわり、ぶっちわり、ぶっちわり、路をぶっぴらけ、ぶっぴらけや、ぶっちわり、ぶっぴらけ、
 ぶっちわり、ぶっぴらけ、われらの力、しめせや」

アスカは街並みを見ながら、母親が歌ってくれた童謡を口ずさんだ。
母はもう居ない。仮面はいずれ、自分でぶち割らなくては、と思った。
もう手遅れかもしれない、とも感じていたが。


■ ■ ■ ■


旧市街は、母が好きだった。近代的なビルは、無機質で土の香りがしないと言っていた。
化学者としての母は尊敬すべき存在だったが、同時に、化学に同様の無機質さを感じていたのかもしれない。
家の庭にも、色とりどりのチューリップを植えていた。母はそういう女らしさも持った女性だったのだ。

私もスコップを持って、球根を埋めさせてもらったのを覚えている。
私は色鉛筆で、観察日記を書いた。
母は、絵が上手いわねぇ、アスカちゃん、と言ってくれた。

そんな母が、エヴァンゲリオンの実験中に、事故に合ってしまった。
忙しい母が、明日にはマドレーヌを沢山焼いてあげるから、と言って、私を宥めて仕事に行った矢先だった。
母は、廃人同様の障害者となり、私をもう娘だとは判らなかった。
人形を抱え、その人形にアスカちゃん、アスカちゃんと呼びかける存在になってしまった。
私は病室の硝子の向こうからその様子見て、恐怖した。

私は、母の研究を引き継ぐか、母が作製に関与したエヴァンゲリオンのパイロットになろうと思った。
生憎、六歳の私が母の研究を引き継ぐのは無理だったが、エヴァのパイロット候補生を集めていることを知り、父を説得しそれに応募した。
結果は、合格した。何千人と集められた候補生の100人程の中に入ったのだ。

母が知れば、喜んでくれる。また、私に笑顔を向けてくれる!

そう喜び勇んで、母親の病室に向って見たものは、沢山の看護士とその向こうの天井からぶら下る母親だった。
看護士たちは、母を何とか天井から下ろそうとしていた。

「ママに触らないでぇ!」

そう言って、天井からぶら下るママの足先に私は駆け寄った。
ママの足元には、首に紐が絡まった人形が落ちていた。

――心中しようとしたのかもしれないな

――娘さんが居なくて良かったな

看護士の中の心無い人がそう言ったのが聞こえ、私はそいつを涙目に睨んだ。

――大丈夫だよ

そう言って伸ばされた手を、私は振り払った。

「ママ、ママ、ママ、ママ!どうして、私を天国に一緒に連れて行ってくれなかったの!」

私は叫んだ。心からの叫びだった。



■ ■ ■ ■



その数年後、当然の様に、私は父が紹介した女性にも懐かなかった。
ママとの記憶が、その女性によって上書きされていくようで、私は恐ろしかったのだ。
その恐怖は今だ続き、中々、私の足を実家に向けてくれない。

家族を避け、のめり込むようにパイロットの訓練に参加し、飛び級で大学を卒業した。
そうやって、私は当初から天才児として注目を集め、今の地位を掴んだ、とは残念ながら言えなかった。

徐々に選別され、数が少なくなっていく候補生の中で、私は残り続けた。
しかし、私は、パイロット候補生の中で、中の上の成績でしかなかったのだ。
同じ様に、飛び級で大学を卒業するような子も当然の様に多かった。
格闘訓練の様な身体的な能力を測る場でも、私は何度も同年代の子に地面に這い蹲らされた。
パイロット候補生は、言わば、エリートの集団だったからだ。

私は何度も挫折感を味わった。このままでは、ママが造った弐号機に乗れないかもしれないと、焦った。
ママとの繋がりが、誰かに奪われてしまうと。

徐々に私の性格は変質し、時に凶暴性を持つようになった。
組み手の相手を、半殺しにしてしまったこともある。
あまり覚えていないが、自分の事を笑ったと言って私は切れ、相手の目を狙い指を突き刺したらしい。
幸い、失明には至らなかった。

そんな私の周りからは、徐々に人が居なくなった。両親でさえ、私を恐れるような素振りを見せた。
彼らは隠していたつもりかもしれないが、私は敏感に感じ取った。

そんな中、私は加持リョウジに出会った。彼は、私を見捨てなかった。

それでも私は鬱屈した生活を送っていたが、(精神安定剤は、私の常備薬になっていた)
徐々に頭角を現すようになる。何が切っ掛けか。それは私にも判らない。

何故、私が頭角を現すことが出来たのか。それは、私は、他の子と違い、シンクロ率の伸びが良くなったのだ。
シンクロ率とは、エヴァとパイロットの交感神経を接続することであり、これによりパイロットは痛覚を初めとした感覚を共有することになる。

そういった意味で、シンクロ率は諸刃の剣なのだが、エヴァのパイロットにおいて、絶対的に必要な数値ともいえる。
何故なら、エヴァとの感覚を共有することにより、パイロットはエヴァを正しく自分の手足の様に動かせるからだ。

それだけが私の取り得と、最初は周囲の子供たちから陰口を叩かれていた。
しかし、私は気にしなかった。私にはある種の直感があった。
私は、誰よりも頑張っているから、エヴァンゲリオンという物言わぬ人形たちは、私を認めてくれたのだと。

徐々に、周囲の子供たちとシンクロ率は離れ、10パーセント代をふら付く子供たちとは違い、20、25、と私はシンクロ率をマークしていった。

私は、シンクロ率という砦の中から、優秀な周囲を嘲笑って虚勢を張るようにもなった。
お前たちは、どんなに頑張っても、エヴァに乗れば絶対に私には適わない、と。
それが、自分よりも優秀だった子供たちへの、私の口癖になった。






[26586] 第4話
Name: 二十二号機◆3ff6d448 ID:908f7153
Date: 2011/03/22 16:35



旧市街を私はぶらぶらと歩き回った。特に目的が無いのだから、歩き回るしかない。
旧市街は、新鋭のアーティストが集まる街として、最近有名になってきている。
有名な通りには、ギャラリーが立ち並び、観光客の姿も有る。

チルドレン候補の女子の間でも、ある子が可愛いアクセサリーを安く買ってきたとして話題になった。

風変わりな看板や一風変わったモニュメントが配置され、セカンドインパクト前の街並に紛れて、芸術家たちが競って才能をアピールしている。
しかし、古臭さを壊している訳ではなく、共存しているという感じだ。
それも、この場所が人気の理由の一つらしい。

セカンドインパクト前後、で建物を区切るのはちょっとおかしいかもしれない。
古臭い石造りの建物たちは、セカンドインパクトよりずっと前、中世ぐらいから続いているらしいから。

でも、私たちはセカンドインパクトで時代を区切るのが普通だ。そう言われて育ってきている。
大災害の前と後。決定的な違いが、私たちの外というより、内、内面的な問題として残っているのだ。
主に、私たちを育てた大人たちの間に心的外傷として、拭えない傷跡として。

芸術といえば、セカンドインパクト後は排斥運動らしきものも有ったらしい。
我らドイツ人の過去である、ナチスが近代芸術を退廃芸術として見下したという歴史ほどでは無いにしても、そういう風潮があったとのことだ。

ある政治家が、セカンドインパクト後、最高の芸術は医者のメスと、パンとスープであると言ったとか。
医者のメスは医療を、パンとスープは食料を現していたわけだ。

身を着飾る服装やアクセサリーぐらいにしか、私は興味が無いので、そういうのは全部、加持さんの受け売りだ。加持さんなら、もっと薀蓄めいたたものも聞かせてくれる。

加持さんも子供のころは、食えない芸術には興味が無く、見下していた時期があったらしい。
でも、痩せ細った流しの若いボーカルが自分たちに食料を分け与えながら、歌を聞かせてくれて、その後仲間内で音楽が流行ったのは良い思い出だ、と言っていた。

日々の生活で疲れた子供たちが、下手なロックを歌い、感情が生活の中でようやく廻り始めたのは、その歌手のお陰だとも。

芸術というものは、人間の精神に不可欠な愛や慈悲の心を分けてくれるものだ、とその時知ったとか。
加持さんは、その頃からカッコ良かったのだ。

加持さんの言葉を思い出しながら、私はあるブティックのショーウィンドウに並ぶ、ハンドバックに目を奪われた。白い皮で出来ていて、金の留め金を使ったシンプルなデザインだ。

ちょっと、年齢に合わないけど、加持さんの横で背伸びをしたい私には、丁度良いかもしれない。
そのバックに似合う服装に、頭の中で着替える。
うん、合いそうな白いパンプスは持ってるし、グリーンのカシミアのセーターに、この色は絶対に映える。そのバックを持ったお嬢様っぽい私が立っているのが想像できた。
もちろん、隣に居る男性は、加持さんだ。

値段は高めだけど、私はチルドレン候補生として給料を貰っていたのだ。十分、買える。
それに、セカンドチルドレンになったのだ。自分へのご褒美という奴だろう・・・。

「ちょっと、君、学校はどうしたんだ?」

想像に耽っていた私に、声が掛けられた。振り向くと、二人組みの警察官だった。
私を威圧的な目で見下ろし、一人は警棒で手の平を叩いている。

「観光客かい?ご両親は何処かな?」

私は黙って、成り行きを見る。正直、幸せな幻を中断されて、テンションは急降下した。

「黙ってないで、なんとか言いなさい」
「学校、サボってるだろう。何処の学校だい?先生に連絡しなくちゃな」

「親はここに居ないわ。学校にも行ってない。あんた達、どっか行きなさいよ。邪魔だから」

私の一言で、警察官の一人が私の手首に腕を伸ばしてきた。私は、手首を返してその手を払った。

「触んないでよ」

正直、簡単に二人を行動不能にする事は出来ると思うけど、銃を当然携帯してる警察官相手に大立ち回りをするわけにもいかない。

私は、二人に挟まれる形になったが、ゆっくりと財布から紅いカードを取り出して、見せつけた。

「私は、ネルフ独逸支部所属のセカンドチルドレン。何なら連絡とって。まあ、連絡したら、あんた達、私にペコペコ頭下げなきゃいけないと思うけど?」




■ ■ ■ ■




ぐだぐだとそれから三十分以上の時間を取られて、私は漸く解放される。
最終的にはミサトに電話をして、その携帯を警察官に押し付けることで対処をした。
カードを見せても、私を不良少女だと判断していた彼らは、私の話を殆ど相手にしなかったのだ。

ミサトなんかに借りを作ることになった私の機嫌は、急降下した。
バックは欲しかったが、もうそんな気分では無かった。
ウィンドウショッピングを早々に止め、景観が良いところにでも行って気分を晴らそうとした。

私の目的地は、ある坂の上の広場だった。幼い頃に、母親に連れて行ってもらったことも有る場所で、気分が悪い時には、良くそこに一人で行っていた。

そこに向おうとした私は、その広場がある坂の下で、車椅子の少年を見つけた。
銀色の髪の少年は、坂の上を見上げながら、何だかため息を付いている。
どうやら、坂の上に行きたいが、車椅子に乗っているために、それ以上進めないらしい。

私は、何となく可愛そうになって、少年に話しかけた。
「あんた、大丈夫?坂の上に行きたいわけ?」
振り向いた少年の顔を見て、驚いた。彼の目の虹彩も瞳孔も紅かったからだ。

彼の容姿は、私のライバルである、日本の第三新東京市に居るはずのファーストチルドレン、綾波レイを思わせるものだった。綾波レイは、私とは違って、もう5年も前にファーストチルドレンとして登録されている。
ネルフの総司令である碇ゲンドウの秘蔵っ子として知られている。

私は、嫌なもの見つけた、と瞬間的に思ったが、一度声を掛けているのだ、放り出すのも気が引けた。
少年の服装が、寝巻きの上にカーディガンを羽織っているだけという、保護欲を駆られるものだったという事も私の感情に輪をかけた。

私は、驚いたような顔をして私を見て黙っている彼に、変な奴だ、と思ったが、取り合えず彼の車椅子を押す事にした。
坂を暫く上ったところで、少年がぽつりと口を開いた。

「だ、ダンケ。そ、その、ありがとう・・・」

ん?今この子、変な発音のドイツ語の後に何て言った?小さい声で良く聞き取れなかったけど。

「もしかして、アンタ、日本人?」
私が、日本語で彼に話しかけると、彼は本当に驚いた顔をした。

「もしかして、君も?」

今度は、ちゃんと聞き取れた。こいつ、日本語喋ってる。同時に、私は呆れた。私の容姿を見て、日本人なんて思う奴が居るとは思わなかった。こいつ、馬鹿だ。

「あんた馬鹿ぁ?私の何処を如何見たら、日本人って思うわけ?」

「え、あ、いや。だって、日本語上手いし」

「ふーん、日本語が上手かったら、日本人ってわけ。私は喋れるだけ。確かに、日本人の血は流れてるけど、国籍は独逸よ」

「そうなんだ。ほら、僕だって、こんな姿をしてるから・・・。別に日本人だからって、黒髪に黒い目って訳じゃないと思うし」

なるほどね。確かに、彼の容姿は、私の想像の日本人像とは随分とかけ離れてる。
まあ、こいつはアルビノっていう先天性白皮症だと思うから、日本人でも相当珍しいと思うんだけど。
ちょっと言っている事が変だ。

「でも、良かったよ。日本語を話せる人に会えて。だって、病院からここまで誰も話せる人が居ないんだもん。
 僕の名前は、渚カヲル、っていうんだ。宜しく」

「私は、惣流・アスカ・ラングレー。付き添いの人とか、居ないわけ?あんた、ここまでどうやって来たのよ」

「新市街から、朝、一人で病院を抜け出したんだ。だから、僕一人なんだよね。凄い、迷っちゃってさ。ここが何処かも判らない・・・」

「あ、あんた、真性の馬鹿ね。言葉も録に喋れないのに、どうやって帰るつもりだったのよ」

新市街からここまで車椅子で来るとしたら、二時間は掛かる。こいつ一人では、電車にも乗れなかっただろう。

「ほんと、途方にくれてたよ。それで、取り合えず、高い所に上ったら、今どの辺に居るか判るかと思ってさ。簡単な地図なら頭に入ってるんだ」

ちょっと得意げな顔をした彼に、私は引きつった笑顔を浮かべた。

「真性の馬鹿って言った奴を、これ以上罵倒する言葉がとっさに思いつかないのは、私の言語能力に問題がある訳では無さそうね。ホント、何て言ったらいいか判らない・・・」

「本当にアスカに会えて、良かったよ!病院まで頼むよ、この通り!」

両手を合わせて私を拝むこの馬鹿が、私が車椅子から手を離して、坂を一人で急速に下っていく姿を思い浮かべた。



■ ■ ■ ■



ネルフ独逸支部のある部屋で、一人の医師が受話器を取った。
短い報告を聞くと席から立って、ビルの20階からの景色を楽しむ。

本当に楽しそうに、笑顔を浮かべて、旧市街の方を見ていた。

「God's in his heaven --- All's right with the world」

神は天にいまし、すべて世はこともなし

男が口にした詩は、劇詩である「ピパ過ぎゆく」の一説であり、ネルフの無花果の葉を模したロゴの下に書かれたものだった。ピパという名の純真な少女が歌う唄で、罪を犯している男女の心をうつものである。

「原罪を負ったアダムとイブが、この空の下で偶然に出会う、か。
 神はただ天に居れば良いと、子供たちを使って、天に神を追いやる私たちに、神はまだ恩寵をたれるのか?」
 
男は、眼の上に手をかざした。遠い空の下で出会う二人を、まるで良く見ようとするように。



■ ■ ■ ■



坂の上の小さな広場で、私たちは一先ず休憩をした。休憩といっても、私は殆ど疲れていない。
私はこの程度の運動量でへこたれないし、カヲルの体重は、私よりも軽いだろう。
特に聞かなかったが、私より細いカヲルの手足は彼の長い入院生活を如実に物語っていた。
彼は反対側の坂の下に海が見える、とはしゃいでいるが、もしかしたら重い病気を患っているのかもしれない。

「アスカはさあ、何で、ここに来ようと思ったの?」
ベンチに座る私に、カヲルが問いかけた。

「何でって、カヲルが坂を上ろうとしてたんでしょ?私は、別に」
私は、自分の本心を隠した。拾ったお荷物に、話す事でもない。

「嘘だ。何だか、懐かしそうに広場を見てたじゃないか」

「勘が良い奴ね。まあいっか。ここは、思い出の場所なのよ。ママと一緒に遊んだ事があるの」

どうせ、今日一日の間柄だ。同じチルドレン候補にも隙を見せるようで話した事は無いけれど、一般人のカヲルになら、別に良いだろう。

「へー、良いお母さんなんだ」

「仕事、仕事のキャリアウーマンだったわ。とても凄い研究者だったの。
 だけど、私にはとっても優しかった。あのシーソーで遊んでくれた」

私は、古ぼけたシーソーを指差した。今は茶色に塗られているけれど、昔は青い色をしていたことを覚えている。

ふと、良い匂いが近所の家からしてきた。お昼ごはんの用意をしているのだろうか。
幼い子供の笑い声して、その家庭的な匂いと共に郷愁を誘う。
ママの足に抱きついて料理を待っていた自分は、もう遠い存在だった。

「もう、ママは遠くに行っちゃったけどね。私が、六歳の時に」

「会いたい?」

「そりゃあ、会えるなら、会えるなら・・・」

――会いたい

「死んじゃったもの。端的に言えば。察しなさいよ」

「そっか。変な事を聞いて、ごめん。僕はね。記憶が無いんだ。先生が言うには、記憶喪失なんだって。
 三ヶ月前に目を覚ましたんだけど、それまでずっとベットの上だったんだ。
 それに聞いた話だと、本当の両親は二人とも、セカンドインパクトで死んじゃったらしいんだ。
 名前だけ、鏡をずっと見てたら、思い出したんだ。
 僕にあるのは、渚カヲルっていう名前と日本語だけだ。だから、アスカの事がちょっと羨ましい」

「そう・・・思い出せると良いわね。色々と」

記憶喪失・・・、自分の名前だけしか覚えていないという彼は、本当は自分なんかよりもずっと不幸なのかもしれない。もちろん、綺麗な思い出だけじゃなくて、汚い思い出も忘れ去っているなら、自分よりもずっと自由なのかもしれないけれど。

湿っぽい話をしちゃった。私は気分を入れ替えようと、カヲルの背後にそっと廻った。

「海、見に行こう。馬鹿ヲル」
「うん」

私は 海に向う坂に向うと、坂の頂上で、カヲルの車椅子の手すりに両手を乗せて、カヲルの頭に寄りかかるようにして、上手く乗っかった。つまりは、私という支えが無くなった訳で。
車椅子は私とカヲルを乗せて、急速に坂を下りていった。

「アスカ、アスカ、ばヵ、馬鹿じゃないの!」

「こんなスピード、如何って事、ないわよ!」

うん、エヴァに乗って、輸送機から飛び降りたことに比べれば、どうってこと無い。




[26586] 第5話
Name: 二十二号機◆3ff6d448 ID:908f7153
Date: 2011/03/23 23:38
「でねでね、聞いてよ加持さ~ん。私、坂の下で上手くドリフトして、車椅子を止めたんだけど、
 カヲルったら、心の底から怖かったみたいで、震えてんの、あ、アスカ~って、だらしない声あげて。
 もう少しで、海に落ちちゃうじゃないかって、怒って」

車の助手席で、少女は頭の上で両腕を組ながら、昨日出会ったという少年の事を話す。
加持は、相槌を打ちながら、ハンドルを操作していた。
少女のドライブに行きたいという願いを適え、仕事の合間に時間を都合したのだ。

彼女の膝の上には、白いハンドバックがある。加持がアスカにセカンドチルドレンになったお祝いに買ってやった。
この頃の子供という奴は、ませたものだった。加持が子供のころには考えられないような値段だった。

「それで、お腹すいたっていうから、ホットドック奢ってやったの。
 朝から何も食べてないっていうから、可愛そうだったし。私も、まあ、ちょっとはお腹空いてたしね。
 食べながら、カヲルの奴、どうして、建物が海の中から生えてるんだろうって聞いてきたの。
 ほら、あの辺って、港として整備されてないから、海の中に昔の建物が放棄されてるじゃない?
 ほんと、何も知らない、お子ちゃまなのよ。まあ、記憶喪失ってことが原因だろうけど、
 それにしたって、セカンドインパクトの事も良く知らないのよ」

「まあ、カヲル君って子は、日本語しか判らないんだ、それなら、新聞もテレビも良く判らない。
 しょうがないさ。その、彼の担当医のミハエル・ガードナーって医師が、唯一、日本語を喋れたんだろ」

「うん。まあ、そうかもしれないけどさ。でね、私、からかってやろうと思って、言ってやったの。
 南極に隕石が落ちたって海面上昇したのが、政府の発表したことなんだけど、本当は、天使が南極で目覚めて、氷を溶かしちゃったんだって。
 それで、私は天使が目覚めても、二度と悪さをしないように、ヒーローとして訓練してるんだって」

「そんな事を、話しちゃったのかい?まあ、与太話だと思われただろ」

「うん。他の人に話したら、あんた、政府の秘密研究所に連れてかれるわよっても脅したの。
 そしたらね、私をすっごい冷めた眼で見て、僕が世間知らずだと思って馬鹿にしてるだろって、怒るのよ。
 私が信じられないなら、別に良いわよ~って言ったら、何なら証拠見せてみろよ、変身してみろって言うの。
 世界を救うのは、変身ヒーローか何かだと思ったわけ。
 ほんと、一般人って、そういう認識なのね。スーパーマンが世界を救うってほんとに思ってるのかしら」

「アスカが、正義の味方って言われてもそりゃあ、判らないさ。こんな可愛い女の子の肩に、人類の未来を背負わせてるなんて、俺だって今でも、信じられない。
 それで、彼は怒っちゃったけど、ちゃんと病院まで連れて行ってあげたのかい?」

「もちのろん!私は、モラルある現代人だもの。でもね、病院で別れる時に、カヲルの頬をひっぱたいちゃった」

「はは、アスカ、それは無いんじゃないか?」

「だって、加持さん。あいつ、病院に着いたら、看護婦に見つかって、車椅子取られちゃったのよ。 
 悪戯するなって。そう、あいつ、二本足で立ったの!歩けたのよ!私に散々、車椅子を押させてた癖に。
 それで、言うに事欠いて、何て言ったと思う?」

「何て言ったんだい?」

「苦笑いしながら、だって、僕が歩けるかって、アスカは聞かなかったじゃないかって。
 一度、押してもらった手前、言い出しにくかったしって」

「で、バシーン、と。痛そうだ」

加持はぷっと吹き出した。アスカは、直情的な女の子だ。我慢できなくて、叩いてしまってもしょうがない。

「そう、この馬鹿って言って、バシーンって。カヲルは、気弱な日本人の典型かもしれない。
 日本に行ったら、ああいう奴が一杯いるのかしら」

「いや、人それぞれさ。それで、カヲル君だって、謝ってただろ?」

「バシーンって叩いた後、何だか、ぼそぼそ、ごめん、とか言ってたわ。
 私、聞こえないフリして、さっさと帰っちゃったけど」

「きちんと謝罪を聞いてやらなくちゃな。アスカは美人で気立ても良かったから、彼はつい甘えたくなっちゃったんだよ。病院で、自分と同い年ぐらいの友達も、そうそう見つからない立場に彼は居るわけだし。
 今度、お見舞いに行ってやるといい。きっと相当、喜ぶと思うよ。
 彼は今、大海の底で哲学的にピリアー、友愛について悩んでいるはずさ」

「ピリアーねぇ。あの年代の子って、エロースだけじゃないかしら。それに、アガペーを、ママと加持さんに捧げるだけで、私は精一杯なの。友達への愛なんて、私には判らないし」

「アガペーは神が人を愛する愛さ。アスカも知ってるだろ?そして、神が人を無償で愛するように、人は人を愛さなくてはならない、というのがキリスト教の教えだ。
 アスカが、カヲル君の車椅子を自然と押したようにね。
 そして、アスカのアガペーはピリアーに通じるものだよ。
 アスカは、友達への愛がどういうものか、本質的に判ってる。自信を持って良いさ」
 
「そっかな。そうね、私、判ってるかも。判ってても、知らないふりしてるのかも。
 昔の友達がね、私に、セカンドチルドレンになっておめでとうって言ってくれたの。
 今まで、冷たい態度を取ってたのに。そういうものかしら」

「そうさ。後は、アスカが相手を友達だと思って、踏み出すだけさ」

でも、踏み出すってことは、私にとって、とても難しいことよ、加持さん。
そう言って、アスカは窓の外に景色に目をやった。

加持は、アスカの横顔を見つめて、ふと思案した。自分は、どのようにアスカを愛しているのだろうかと。
自分の愛は、父性愛に近いだろうか。
アスカの恋心を上手くあしらって、遊戯的な恋愛を彼女相手に仕掛けている気は無い。
この少女を相手に、火遊びするほど、自分は落ちてはいない。

だが、自分にとっての遊戯的な恋愛とは、常に自分への対価として、相手の愛でなく、価値ある情報を求めるものだった。命のチップを賭けたスパイ行為の一環として、遊戯的な恋愛を楽しんできたのだ。

そういった意味で、アスカとの関係は遊戯的な恋愛とも言えてしまうものではないか。
アスカの保護責任者という立場を利用しても、様々な情報を手に入れてきたのだから。
真実というパズルゲームを完成させるためには、アスカの保護責任者という立場は、悪くない立ち居地だった。

オペラの主人公であるドン・ジョバンニは危険な火遊びを繰り返し、ラストシーンでは、地獄に連れて行かれた。
自分も最終的には、そうなる運命だろう。そういった運命をもう自分は受け入れている。

だが、ジョバンニの様に、いつか地獄へと連れて行かれるにしても、その時は、彼とは違って、自分の足で地獄へと歩いてくつもりだった。

木々の下を通る時、偶然、アスカだけに日が当たり、自分は葉の影に隠れた。
それは、自分とアスカの立ち居地の違いを示している様だった。
自分は既に深い谷間の底に居て、少女は岸に立っている。

けれども、少女に幸せになって欲しいという気持ちは嘘じゃない、と思った。
少女の自分を求める眼差しは、弟に良く似ていたから。
両親を無くし、自分に縋る弟の眼差しに。



■ ■ ■ ■



アスカは加持と楽しい会話を楽しみ、目的地まで連れて行ってもらった。
郊外にある二階建ての一軒家。ママと私とが暮らしていた場所。

ママは当時既にパパと別居しており、私の世話はノーランドカレッジ出身の若いイギリス人のナニーが殆どしていた。それでも、私は優しいママが大好きだった。

加持さんには、車で待ってもらう事にした。
私が一人で錆びた門扉を開けると、荒れ果てた庭が広がっている。
だが、花壇だったところには、チューリップの細い葉が他の雑草に紛れながら覗いていた。
誰に世話をされなくとも、懸命に生き残っていたのだ。
強い子だ、と思った。きっと、今年も小さくとも綺麗な花を咲かせたのだろう。

この家は、私が居なくなっても、売らないで欲しいとパパに頼んだものだ。
パパは、泣きそうな私の顔を見ながら、頷いてくれた。
私は、そのことをとても感謝している。
新しいママが居るのに、昔のママを私は忘れないという娘の宣言を、良く受け入れてくれたものだ。

ポケットを探り、鍵を取り出した。この鍵は、ママにねだった宝石箱の中に、いつでも閉まってある。
他のアクセサリーに埋もれながら、いつか、私がこの家を受け継ぐ時をずっと待っているのだ。

真鍮のドアノブを廻して、中に入った。よろい戸からもれる僅かな明りだけが頼りだが、私の足に迷いは無い。
なぜなら、中の家具は、殆ど昔のままだからだ。白い布が掛けられてはいるが、当時の配置のままだった。
私は、記憶と重ね合わせるように、ひとつ、ひとつ見ていく。
昔、私が付けた床の傷跡を見つけて、当時の私が、駆け回っているように感じられた。

「ママ、私ね、セカンドチルドレンになったの。夢が適ったんだ」

私は、ママに語りかけるような口調で、ママへの報告を始めた。
暗がりの中から、ママがふと現われることを期待しながら。

ママは、お墓には居ない気がしたから、此処に来た。
ベットの上では、もう母と呼べる意識は無かったから、埋葬されたのは母の体だけだと、幼い頃から思っている。

「大変だったのよ?本当に、大変だった」

――そう、アスカちゃん、頑張ったのね、と声が聞こえるような気がした。

「みんな、ライバルでさ。でも、私、一人で頑張ったんだ。
 どんどん、ライバルが少なくなっていく中で、私、生き残った」

そう。私は、誤謬では無く、生き残ったのだ。幼い私に、訓練は辛いものだった。
吐きそうになる気持ちを抑えつけ食物を飲み込み、棒の様に動かない足を無理やり動かし、疲れた頭を、一生懸命回転させた。

「何度も泣きたくなったけど、泣かなかった。泣くのは弱い子だって思ったから。
 でも、私は本当は羨ましかったのよ?泣けるってことは、誰かに涙を拭ってもらえるってことでしょ?」

私は、二人掛けのソファーに話しかけた。そこには、ママと一緒に笑顔で座る私と、ママのエプロンを被って、独りで泣いている私が居るようだった。

ママと一緒に居る私は、無邪気に何も考えずに、絵本を読んでもらっていた。
泣いている私は、マドレーヌを焼いてくれると言って居なくなった母の、残り香にしがみ付いていた。

私は、泣いている自分に手を差し伸べたかった。
アンタは将来、誰からも認められるセカンドチルドレンになるの。
ママの造ったエヴァンゲリオンに乗って、敵と戦うのよ、と言ってやりたかった。
それに、優しい初恋の人にだって会えるんだから、と。

私は、二階の自室へと歩を進めた。自分の机の上に掛かる布を取り、
一番下の引き出しを開けた。
そこには、一通の便箋と万年筆、ママのエプロンが入っていた。

そっと手紙とエプロンを取り出す。
エプロンに鼻を近づけてみると、ママの優しい肌触りと微かに残ったママの好きだった香水の香りがした。
一度、大きく息を吸って、ママの香りに包まれる。ママが、抱きしめてくれたような気がした。

鎧戸を開け、新鮮な風を通す。
窓の外では、初恋の人が、車の側で煙草を吸っている姿が見えた。
明るい日差しの下で、私は手紙を読んでみる。

手紙には、チルドレンになった私へ、と書いてある。

――チルドレンに成って、私はママの願いを適えましたか。
  ママは、色んな人々を守る仕事をしていました。
  私も、色んな人を守っていますか。
  最後になりますが、この手紙を読んだら、私に返信を下さい。
  私はとても寂しいです。

拙い言葉が、綴られている。未来の私から、手紙が届くと本当に思っていたのだろうか。
いや、当時の私は、押さえ込んだ寂しいという気持ちを、文字にしたかったのだろう。

私は、少し思案しながら、ペンを手に取り、キャップを外した。

――昔の私へ。
  私は、セカンドチルドレンになる事が出来ました。
  胸を張って良いのよ。私は、選択を間違っていなかったのだから。
  今日は、初恋の人に車でここまで連れてきてもらいました。
  友達だって、大勢居る・・・ううん、これは嘘。
  そんな事言っても、あなたは知っているんだものね。
  嘘を付く意味が無いか。
  時折、寂しいと思う事もあるけれど、これが私の選んだ道でしょう?
  だから、後悔はしていない。
  カヲルっていうんだけどね、友達だって出来るのよ。
  未来はまだ判らないけれど、私は幸せになるつもり。

  またね

カヲルが、友達。うーん、昨日会ったばかりの子を、友達として良いのか、と思ったが、書いてしまったのだし、名前を借りることにした。

しかし、私はまた未来に手紙を書いているのか。これは、実現できるだろうか、と頭を悩ませた。
まあ、カヲルなら落としやすいだろう。彼には、私の未来に巻き込まれてもらうことにした。
巻き込まれても、損にはならないはずだ。私という美人と友達になれるのだから。

ママのエプロンをきちんと畳み、と便箋一緒に元のところにしまう。
そして、窓辺によると、窓から身を乗り出した。

「加持さーん」

私が手を振ると、加持さんが困ったような笑みを浮かべながら、手を振ってくれた。





[26586] 第6話
Name: 二十二号機◆3ff6d448 ID:908f7153
Date: 2011/03/24 23:57


全身筋肉といった男が、黄色と緑のツートンカラーのコスチュームを着て、空を飛んでいる。
顎を突き出して大口で笑い、半漁人の様な怪物から金髪の女性を掻っ攫った。
そして、男は半漁人を殴る、蹴る、自動車を持ち上げて投げつける。
自動車が爆発し、男は高笑いすると、空に浮ぶ。
助けられた女性は、何らかの言葉を空に向って叫ぶが、男は親指を立てて飛び去っていくのだった。

カヲルはテレビを消すと、病院のベットに転がった。
カートゥーンを見て、独逸語を勉強していたのだが、話の筋は単純なので見ていれば判るが、何と言っているのか殆ど判らない。それほど面白くないので、熱中も出来ない。
はっきり言えば、勉強と言うより、暇つぶしだった。

最後に助けられた女性は、ヒーローに向って、何と叫んでいたんだろうと気になった。
待って、名前を教えて、だろうか。
それとも単純に、ありがとう、と言っていたのだろうか。
それすら、良く聞き取れなかった。

ぼんやりと、物思いに耽りながら、昨日、自分はヒーローだと言ってた少女のことを思い出した。
車椅子で坂を駆け下りた時は、抜群の運動神経を見せて車椅子を止めてくれた。
彼女が居なかったら、もちろん、彼女が居なかったらそんなことにはならなかったんだけど、僕は車椅子ごと、海に突っ込んでいただろう。

中々、怖かったジェットコースターだったけど、後頭部に当る柔らかい感触は、とても良い思い出になったと、何となく、鼻の下が伸びてしまう。

そういえば、自分を助けれくれたアスカに、お礼を言っていなかった。
ちょっとした気後れと、些細な悪戯心から、別れる時に完璧に怒らせてしまった。
一言でも、連れて来てくれてありがとう、と言うべきだったな、と反省する。

張られた頬を擦っていると、目鼻立ちのすっきりとした彼女の顔が浮ぶ。
勝気な青い瞳は魅力的で、サラサラとした長い金髪は思わず触りたくなる程だった。
お母さんの事を思い出している時には、ちょっと憂いのある表情を浮かべ、そんな表情すら、惹かれるものがあった。
テレビのコマーシャルに出てきて、ニッコリ笑っているような子なのに、気取ったところが無い。
本当はモデルとか、子役とかの女優の卵なのかもしれないな、と思った。

「Du bist mein Ein und alles」

僕が彼女の柔らかさとかを思い出していると、隣のベットのお爺さん、クリストさんが何か話しかけてきた。
笑いながら、同じ事を何度も言ってくれている。
何と言っているか判らないが、どうやら、僕に何か教えてくれてるみたいだ。

クリストさんは、良いお爺ちゃんで、僕がこの六人部屋に入ってから、お菓子をくれたり、林檎やバナナをくれたり、気を使ってくれる。
僕の事を孫のように扱ってくれているのだ。
家族の写真を見せてくれた事もあって、どうやら、もっと小さい男の子のお爺ちゃんらしい。

クリストは自分の口を指差しながら、口をパクパクさせている。
彼は、時折、何かを指差しながら、同じ動作をし、同じ単語を何度も言ってくれる。
僕に、何時もの様に、簡単な言葉を教えようとしてくれているのだ、と判った。

「Du bist mein Ein und alles」

僕がマネをしてみると、クリストは嬉しそうに頷いた。何時ものように、単語では無く、文章なので、覚えるのはちょっと難しかったが、何度もたどたどしく発音している内に、丸暗記した。

彼は僕が丸暗記したのが判ると、今度は、ウィンクをしながら、別の言葉を言った。

「Ich bin in dich verliebt」

僕がその言葉を真似すると、手を顔の前で振り、何だか難しい顔をする。
ぱちぱちと、彼が何度も片目を瞑るので、どうやらウィンクが抜けていると言いたいらしい。

良く判らないが、ウィンクをしながら、僕がその言葉を言うと、
「パーフェクト!」
と英語で褒めてくれた。
何を言ってくれているのか判らないが、どうやら、僕は合格の様だ。
今度、ミハエル先生にでも言って、日本語でどういう意味か聞いてみようと思った。



■ ■ ■ ■



午後になって、ミハエル先生が病室に僕を迎えに来た。
何でも会わせたい人が居て、病院の庭でその人は待っているらしい。

「Du bist mein Ein und alles。Ich bin in dich verliebt」

廊下で僕がそう言うと、ミハエル先生は、腹を押さえて笑い出した。
一しきり笑った後、茶色の髪を掻き揚げ、それでも込み上げる笑いを
必死に押さえつける様だった。

「先生、僕、そんなに可笑しい事言ったんですか?」
僕は、憮然として先生の顔を見上げた。

「いや、くく、そんなに可笑しい事じゃない。カヲルは、一流のエンターテイナーの素質があるな」
「エンターテイナー?」
「ああ。クリストさんに、一流のジョークを教えてもらったんだよ」
「一流のジョーク。どういう意味なんですか?」

ミハエル先生は、僕の眼を見ない様にしながら、息を整えた。

「意味は、アダムはイブに世界の始まりで、こう言えばよかったのにっていう意味さ」

「それが、ジョークなんですか?」

「そう。使い所が難しい、一流のジョークさ。そう何度も同じ相手に使えるものじゃないけどね。
 相手も飽きてくるからさ。私も、一度、言った事がある。そうしたら相手は、とても驚いてたよ。
 きっと、クリストさんも誰かに言った事が有るんだろうな。
 そもそも、それはある映画の台詞で、若者の間で流行ったんだ。
 1980年代の映画で、確か、題名は新世界の夜明け、だったかな」

「へー、有名なジョークなんですね」

「ああ。とってもね。でも、気をつけろよ。言う場面に気をつけないと、酷く後悔することになる。
 そう簡単に言えるジョークじゃないんだ。こんな風に、病院の廊下で、突然私に向って言うジョークじゃない。
 そうだな。誰かと仲直りしたい時とか、そういう時に使うんだ。
 効果はてき面さ。きっと、相手は笑ってくれるよ」

「誰かと仲直りしたい時、ですか」

「そうそう、ああ笑った。久し振りに大声を出して笑ったよ。さて、行こうか。
 あんまり、待たせても悪いしね」

「はあ」

僕は、生返事をすると、先生の後について行った。




■ ■ ■ ■




病院の中庭は、広い芝生と林のある大きな公園になっている。
病院の人たちの憩いの場で、みな思い思いに芝生に転がったり、キャッチボールをしたり、ゴルフのスイングの練習をしている人も居る。

ミハエル先生が僕を連れてきたのは、そんな公園の一角だった。
ベンチに一人の僕と同じくらいの一人の少年が座り、その横に看護婦さんが立っている。
ミハエルさんが、看護婦さんに手を上げると、看護婦さんは会釈をして去っていった。

「紹介しよう。シンジ君だ。君と同じ、特別病棟から出てきたばかりでね。
 彼と友達に成って欲しくて、君を連れてきたんだよ」

シンジ、と呼ばれた少年は、不思議な様子だった。俯いていて、寝ているのか、起きているのか判らない。
そして、彼の髪の毛は、金、黒、白、緑、橙、とパッと見だけでも様々な色が混ざっていて、派手な南国のオウムの様だった。
肌は、僕と同じ様に真っ白だが、右腕だけ黒人の様に黒い。

「見ての通り、シンジ君は、病気なんだよ。病気の学名も付いていないような遺伝子的な難病だ。
 意識も、ほとんど無いようなものだ。時折、しっかりと目覚めるけどね。
 今日、久し振りに眼を覚ましたものだから、君に会わせようと思ったんだ。
 カヲル、挨拶して上げくれないか?」

「え、あ、はい」
僕は、彼のその奇抜な容姿にすっかり眼を奪われて、声を失っていた。
先生に促されて、シンジ君に挨拶する。

「あ、あの、宜しく、シンジ君」

僕の呼びかけに、シンジ君はゆっくりと顔を上げた。その顔を見て、僕は驚いた。
右目が黒くて、左目が紅い。左目だけが、僕と同じ様に紅かった。

彼は僕の顔を見て、一瞬、驚いたような顔をすると、赤ん坊の様な声を上げた。
そして、涎を垂らしながら、微笑み、そして、泣き出した。
ミハエル先生は、ハンカチを取り出して、彼の口元を拭ってあげる。

「言葉も、上手く喋れなくてね。カヲル、彼と友達になってあげてくれるかな」

先生の言葉に、僕は頷いた。



■ ■ ■ ■



暫くしたら、又来るから、シンジ君と話をしてあげてくれ、そう言って、先生は去っていった。
僕は、彼の横に座ると、改めて自己紹介をした。彼は、聞いているのかいないのか、虚ろな眼をして地面をじっと見ている。

どう接すれば良いか、良く判らないので、自分の事を話す事にした。
シンジ君と同じ特別病棟で、三ヶ月前に目覚めたこと。
記憶が無いけど、日本語だけは覚えていたこと。
お金は無いけれど、どうやら、何らかの保険のようなもので、入院費を賄ってもらっていること。
ミハエル先生は、背が高くてカッコ良く、とても優しくて、頼りになること。

「最初はね、歩く事も出来なかったんだ。本当に、体を起き上がらせることも
 難しくて。介助してもらって、立ち上がるんだけど、ちょっと歩こうとすると、バランスを崩して倒れちゃって、大変だったんだよ」

シンジ君は、僕の話を聞きながら、まるでまどろんでいる様に、頭を前後に揺らしている。
僕が話すのを止めると、揺れる頭が止まるので、僕の話を聞いているのが判った。
まるで彼は夢を見ながら、僕の声を聞いているみたいだな、と思った。

「記憶が無いってことは、話したよね。うん、渚カヲルって名前しか判らない。
 鏡で始めて、自分の顔を見たときに思い出したんだ。渚カヲルって、ふっと頭に浮んだんだよ。
 口に出して、何だか、実感した。ああ、僕は渚カヲルだなって。
 何となく、僕に合ってる名前のような気がしたんだ」

「カヲル・・・」

シンジ君が、ぽつり、と僕の名前を口にした。僕は、彼の言葉が嬉しくて、興奮した。

「そうそう、僕の名前は、渚カヲルだよ」

彼は、ピタッと頭の動きを止めた。何となく、彼が話の先が聞きたくて、催促しているような感じがした。
あくまで、そんな気がしただけだけど、彼と話をする時には、そういった感覚が必要なのではないか、という事がだんだんと判ってきた。

「それでね。記憶が無いって変なんだよ。思い出そうとすると、影絵の様なものが頭の中に浮ぶんだ。例えば、そうだな、友達とかかな。
 友達って思い出そうとすると、何だか、友達の形をした影が、僕の肩を叩いて、笑っているような気がするんだ。
 それで、変なんだよ。何だか、その影に親近感が湧くんだ。
 あ、これ、友達だって判るんだよ。
 反対に、何だか妙でさ。実際の両親の写真を見せてもらっても、実感湧かないんだ。
 黒髪だから日本人だってことは判るんだけど、それだけ。
 お母さんの顔を見ると、僕の顔に何となく似てて、僕ってお母さん似なのかなって思うんだけど、それだけ。
 それだけなんだ。可笑しいよね。影絵の中のお母さんの方が、よっぽど実感がある」

僕は、一気に喋って、一息ついた。シンジ君は疲れてないかなって思ったけど、よく判らなかった。

「それでね。記憶が無くて、不安かなって聞かれるんだけど、別にあんまりそうじゃない。
 多分、ミハエル先生とかが、良くしてくれるからかな。
 将来の事とか、其の内に考えなくちゃいけないんだろうけど、今は取り合えず、マラソンぐらい出来るようになりなさいって言われてるから、取り合えず、今の目標はもっと体力を付けることかな。
 シンジ君、疲れてない?ごめんね、僕ばかり喋っちゃって」

僕は、1時間ぐらい喋って話にようやく区切りをつけた。これ以上、何を話して良いか良くわからないので、ミハエル先生、そろそろ来ないかな、と思ったけど、どうやら未だ来ないようで、背の高いミハエル先生
らしき姿は無かった。

「こんなに人と話したの、多分、起きてから初めてだよ。シンジ君って、聞き上手だね。
 シンジ君?」

シンジ君は、突然立ち上がると、林の方に遊歩道を歩き始めた。
僕は、彼が転んだりしないように、慌てて彼の黒い右手を握って、一緒に歩き始めた。

「ごめん。飽きちゃったか。そうだね、散歩でもしようか。ミハエル先生、まだ来ないし」

林といっても、病院の中庭の一部なので、彼と一緒に散歩するぐらい良いだろうと思って、彼と並んで歩く事にした。



■ ■ ■ ■



林の中の遊歩道を歩きながら、僕は、昨日の事を話す事にした。
今日は天気も良いし、ベンチに座って話をしているのも良かったが、
林の中は木々の香りや小鳥の鳴き声が気分良くさせてくれる。

ちょっと、冒険譚めいた口調で、僕の昨日の脱走を話す事にした。
最初、車椅子で病院を出たときは、人込に紛れるまでどきどきした事や、通勤するためにせかせか歩く小父さんを見るだけでも面白くて、
よっぽど僕は退屈していたんだという事が判った事などを思い出しながら喋っていく。

彼は、最初、先ほどと同様に黙って聞いていたが、其の内に何か鼻歌を
口ずさみ始めた。彼の歌声は、澄んでいて、メロディーしかないけれど、耳に心地よいものだった。
最初は、何を歌っているのか、良く判らなかったんだけど、
そのメロディーにはっと閃くものがあった。

「それって・・・、バッハのG線上のアリア・・・」

どうしてだろう。僕は、そんな事知らないはずなのに、曲名が頭に浮んだのだ。
同時に、バッハが独逸の有名な作曲家であり、音楽の父と呼ばれ、ベートーベン、ブラームスと共に、独逸三代Bと呼ばれる、なんて事を思い出した。
そう、僕は思い出したのだ。

「凄いやシンジ君!僕、その歌、判るよ!ううん、思い出したんだ!」

興奮して、彼の両手を握り締めると、彼は嬉しそうに微笑んだ。
僕は彼の両手を、ぶんぶんと興奮して振ると、彼は何となく離して欲しそうな顔をした。

「あ、ごめん、痛かった?」

ふるふる、と、彼は首を振る。そして、今度はその場で何か楽器を弾くような素振りをしだした。そして、別のメロディーを口ずさみ始める。
僕は、それが何の曲か直ぐに判った。

「それもバッハで、無伴奏チェロ組曲だね!シンジ君はチェロが弾けるんだ!」

シンジ君は、嬉しそうな顔をすると、ぱたりと曲を口ずさむのを止め、また歩き出した。僕は、再び彼と手を繋ぎ、歩き出した。

僕は興奮して、もっと何か曲を聞かせて欲しいとシンジ君にせがんだんだけど、シンジ君は、今度は僕にも良く判らない鼻歌を歌うだけだった。

もしかしたら、一瞬だけ、シンジ君の意識が戻ったのかもしれない。
そんな一瞬で、僕の記憶を呼び覚ますような贈り物をしてくれたのだ。
僕は、シンジ君の事がとても好きになった。




■ ■ ■ ■




また歩きながら、僕は病院を脱出した時の冒険譚の続きを話し始めた。
今度は、帰り道が判らなくて、途方に暮れた僕が、ある坂の下でアスカに出会った時のことだ。
二人で坂道を車椅子で下ったときは、すごく怖かったと身振り手振りで教える。

「アスカ」

シンジ君は、アスカの名前に反応を示した。

「そうそう、惣流・アスカ・ラングレー、変わった名前だよね。名前が、三つも有るんだよ?
 惣流とラングレー、どっちが苗字なんだろう。それとも、アスカってのも苗字かもしれない。
 今度会った時、って何時会えるか判らないけど、聞いてみたいな」

「アスカ・・・」

シンジ君は、頭を押さえるような素振りを見せると、突然体の力が抜けたかのように座り込んでしまった。
そして、アスカ、アスカ、と呟きながら、しゃくり上げて泣き出してしまう。

「ど、どうしたの、シンジ君!気分でも悪くなった?直ぐ、先生呼んでくるよ!」

そう言って、駆け出そうとしたのだが、シンジ君が強く手を握って離してくれない。
そして、僕には聞き取りづらいような小さな声で、喋っている。
僕は、どうしたら良いか判らず、取り合えず彼を落ち着かせようと、彼の頭を抱きしめた。

シンジ君は独逸語や英語、その他、僕の知らない外国語を織り交ぜて、早口に何かを喋っている。
その中で、僕が聞き取れる言葉もあった。

――逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、アスカ、避けて!

そう言い始めると、彼は全身で震え始め、僕に抱きついてきた。
彼が怯えているのが何となく判って、僕は彼を強く抱きしめる。

「大丈夫だよ。大丈夫だから。シンジ君、大丈夫だから」

僕が何度となくそう繰り返していると、シンジ君の体の震えが少しずつ収まってきた。
同時に、意味不明な呟きも収まった。

彼の涙と鼻水を僕の服の裾で拭ってやると、彼は笑顔に戻った。
そして、僕の手を握り締めていたのとは反対の白い手を、僕に向けてきた。
僕が何だろうと思って手を出すと、何かを渡してきた。

それは、綺麗な赤いビー球だった。僕の手の平の上で、日の光を浴びて、紅く輝いている。
何処から取り出したのだろうと思ったが、取り合えず、僕は聞いてみた。

「くれるの?」

こくり、とシンジ君は何だか真剣な目をして僕を見つめながら頷いた。
反そうとしたが、彼は顔を振って、僕にそれを何とか握らせようとする。
取り合えず、僕は押し付けられたそれをズボンのポケットにしまう事にした。

彼なりのお礼なのだろうか、若しかしたら、友情の記念なのかもしれない、と思って。







[26586] 第7話
Name: 二十二号機◆3ff6d448 ID:908f7153
Date: 2011/03/28 04:24



加持リョウジは自室で資料を読みながら、思考に耽っていた。
加持の顔からは、アスカを構っていた時の柔和な表情は消え、触れば切れるような鋭利な鋭さを持った顔をしている。アスカには見せない、男のもう一つの表情だった。

「ミハエル・ガーランド、ね」

加持はその男の名前を呟きながら、パソコンに表示された男の顔を良く見る。
資料の内容は、2004年となっているから、もう10年近く前のものだ。
金髪に知的な青い瞳をしたゲルマン系の優男が、白衣を着た同僚達と共に写真に写っている。

アスカに出会った頃に興味本位に調べた男が、再びご登場とは思わなかった。
そして、その名を、まさかアスカから聞くことになるとは、因縁を感じずには居られない。

ネルフ独逸支部の技術部に所属していた男が、今は、ネルフの運営する病院で何をやっているのか。
一度、ネルフの機密事項に触れたミハエルという男が、組織から離れて、一介の医者をしているなんて事が有るだろうか。
資料には遺伝子工学に功績を残すような優秀な研究者だったと書かれているし、そんな人間をネルフが簡単に手放したりはしないだろう。
監視を付けて世に放つよりは、いっそ飼い殺してしまえというのが、普通の思考の筈だ。

それにミハエル・ガーランドについて三年前に聞いた話では、独逸支部の地下、アバドンと呼ばれる区域で働いているという話ではなかったか?

アバドンとは、ネルフ独逸支部の地下研究施設の名称だった。
穴倉に篭った研究者達が、エヴァンゲリオンに関係する様々な実験を繰り返している。
其処での研究内容は特秘事項だが、第1使徒アダムに関係した内容を扱っているとの噂もある。
厭くまで噂だが、加持はその噂にある程度の信憑性を感じていた。

アバドンにはヘブライ語で、奈落の底、という意味もあるが、滅ぼす者という意味も有る。
滅ぼす者、まさにセカンドインパクトを引き起こした第1使徒アダムに相応しい名前だ。

アバドンは地下核施設なんてものじゃない堅牢な作りをしている。
そんな場所に封じ込められる存在といったら、アダム以外に居ないのでは無いだろうか。

「貴方の墓(過去)を掘り起こす様な真似は、本当はしたくないんだが・・・」

加持は、グラスにウイスキーを注ぐと煽った。
そして、もう一杯グラスに注ぎ、写真の中で、ミハエル・ガーランドの横に居るアスカに良く似た面影の女性に手向けた。

アスカの母親である、惣流・キョウコ・ツェッペリンが気難しい顔をして、映っている。
その横で陽気に笑うミハエル・ガーランドという男は、彼女の当時の恋人であり、アスカの本当の父親ではないか、と噂をされていた。

ミハエルという男の事に近づく為には、彼のキョウコとの関係も洗い直さなくてはならないだろう。
そして、アスカの保護責任者であるという立場も、利用しなくてはならない。
加持は、もう一杯、ウィスキーを飲もうとしたがグラスをテーブルに置き、煙草に手を伸ばす事にした。

酔いで罪悪感を薄めるなんて立場に自分はもう居ないと判っているからだ。




■ ■ ■ ■




加持とのデートの翌日、アスカはカヲルを見舞う為に病院へ向っていた。
右手に持つ紙袋には、途中のスーパーで買った果物が入っている。
輸入品の果物として売っている中では、一番高いものを選んだ。
見た事が無い果物だったし、恐らく、少年も食べた事が無くて喜ぶだろう。

服装だって、今日はスカートを履いてちょっと女の子らしくした。
あんな奴に媚売ってどうするんだと思うんだけど、病院に行くんだもんね。

今日は、アイツと出会った快晴の日とは違い、朝から雨が降っていた。
でも生憎の雨だったが、特に気になるほどの土砂降りという訳ではない。
寧ろ、気になっていたのは、自分の心の中だった。
私の心は、ちょっと混乱している。

朝、行こう、と決心したのは良いのだけれど、男の見舞いになど行ったことが無いから、どんな顔してカヲルに会ったら良いか判らないし、どんな言葉をかけてやればいいのか判らないし、病院ってどんな服を着てったらいいか判らないし、とにかく、ちょっと混乱したのだ。

それは、少し心地良いカンジの混乱で、気分は悪くなかったけど。
だって、友達のことを考えてるから混乱するのよね。

病室に入った時の第一声とかも、何種類か考えてみたけれど、どれもあまり良いとは言えないような気がして、歩きながら迷っていた。

単純に、元気になると良いわね、はいこれお土産、だろうか。
何となく湿っぽい気がするし、一度会っただけの相手に気軽過ぎないだろうか。
大体、カヲルは私に会った時、十分、元気でムカつくオチを提供してくる奴だった。

そんな言葉を掛けたらなめられて、甘えてくる様な気がする。
甘えられても、困るのだ。友達付き合いはして欲しいのだけれど、男友達に甘えられた事なんてないし、毛虫を扱う様な顔をする自分が想像できる。

アンタみたいな奴には、病院のベットは勿体無いわ。さっさと退院することね、だろうか。
これは、自分のレパートリーの中でも納得の良くものだが、彼と恒久的な友人関係を築いていけるとは、流石に私でも思えない。
出来れば、メールをやり取りするようなフレンドリーな関係を作りたいのだから。

カヲルが、加持さんぐらいとでも言わないけれど、年上だったら問題なかったのになと、アスカは傘から垂れる雫を見ながら思った。
大学に通っていた事もあり、年上の連中との付き合いはそれなりにやってきた。
差し障りの無い会話には、一応、慣れているつもりだ。

ただ、如何せん、同年代の男という奴が、チルドレン候補しか知らないのだ。
同い年ぐらいの会話という奴を、ここ数年、殆ど気軽にした記憶が無い。
自分から、彼らに近寄った事は無いし、彼らから声を掛けてくる事も殆ど無い。
声を掛けられた場合も、寄り付かせない様な言葉を投げ掛けてきた。

その方が、楽だったからよね、と思う。自分の心境なんて、相手に説明したくなかったし、相手の心境なんて、考える必要が無かったから。

何時でも、ただ貪欲にセカンドチルドレンという称号を得るために競い合ってきた。その中で馴れ合いなんていう、自分の足を引っ張る感情は不必要だったのだ。
そんな束縛からは無縁で、自由に前を向いて走ってきた私には、後ろを振り返る余裕も無かった。

セカンドチルドレンになって、余裕という奴も出てきたのだろう。
空に浮ぶような気持ちを味わって、同時に、足元に何も無いという不安感も感じているのだと思う。

元々、私には精神を安定させる為の土台という奴が欠けているとカウンセラーに言われている。
土台、つまりは、家族、友人との関係性という奴だ。
普通の人、まあ、理想の人だろうか、は、家族や友人という関係の上に立っている。
私にはそういった関係が薄くて、平行棒の上に立っているようにバランスが悪いし、精神的に不安定になった時に、直ぐに持ち直すことが出来るかどうか不安が残るとか云々かんぬんと五月蝿い事を言われている。

それに、そういった土台の欠如は、誰かを守りたいという、気持ちの欠如にも繋がっているとか。
口では幾らでも、人類を守る為にとお題目を唱えてきたが、考えてみれば、誰かを本気で守りたいと思ってきただろうか。大事な人なんて、ママと加持さんぐらいしか思い付かない。
その片方は、とうの昔に死んでしまっている。

加持さんを守るという気持ちだけでも、十分だとは思うけれど、そこにカヲルが加わって、悪い事ではないだろう。加持さんへの思いが薄まる訳ではないし。
私は、エヴァンゲリオン弐号機パイロット、セカンドチルドレンだ。
本気で守りたいという人間が、もう一人ぐらい増えたって良い。




■ ■ ■ ■




「Guten Tag!カヲル」

病室へ押しかけた私を見て、ベットの上のカヲルはとても驚きながら上半身を起こした。
その表情を見て、私は少し胸が軽くなるのを感じた。色々考えてたけど、カヲルの方が狼狽してて、正直助かった。だって、気を使わなくて良さそうなんだもん。

「アンタみたいな奴に勿体無いけど、お見舞い品も持ってきたわ。
 さっさと元気になりなさいよね」
そう言って、照れ隠しに紙袋を押し付ける。

「あ、ありがとう、アスカ。来てくれるとは思わなかったよ」
カヲルは、にこにこと笑い、本当に嬉しそうだった。

「何よ、随分嬉しそうね。そんなに私が来てくれて、嬉しかったわけ?」

カヲルに勧められた椅子に座ると、私は足を組んで背筋を伸ばした。
なめられる訳にはいかない。

「だってさ、アスカ、この前、怒って帰っちゃっただろ?
 それに、お見舞いなんて、僕初めてでさ」

「ふーん。単純な奴ね。私、まだ怒ってるから、ちなみに」

そう言って、私はふんっと横を向いた。
本当は、自分が怒って彼とさよならした事なんて、ほとんど頭に無かったんだけど。

ちらりと見ると、カヲルは私の態度に面食らったようで、少しオタオタしている。
だらしが無い奴。男なら、此れぐらいの我侭、きちんと察して受け答えしなさいよね。
でも、仲良くなりたいのに、こういう態度って無いかしら。

私が、何か言ってやろうとしたら、カヲルは隣のベットの老人に何か目配せされてる。老人にウインクをされて、カヲルも納得したようにウインクを返している。

そして、私のほうを何だか自信ありげに向くと、ウインクをしながら言った。

「Du bist mein Ein und alles。Ich bin in dich verliebt!」

病室に響くように、カヲルは慣れない独逸語を言いきった。
次の瞬間、病室は大爆笑に包まれた。隣の老人は、膝を叩いて笑っている。何人かは、クラッカーを鳴らして喝采を上げた。

カヲルは、周囲の様子に照れていたが、私の顔を見て、怪訝そうな表情をした。

「アスカ、面白くなかった?」

私は、頬をぴくぴくさせながら言ってやった。一瞬でも、ドキッとした私が許せない。
何だか、純情を弄ばれたカンジがする。

「あ、あんた、ほんと~に馬鹿だ、馬鹿だと思ってたけど。
 出会って直ぐの人間に、告白するような奴だとは思わなかったわ・・・。
 あんた、本当に日本人?イタリア人じゃないの?ていうかどうせ、からかわれたんでしょうけど」

「こ、告白ってなんだよ!一流のジョークだろ!
 アスカには、ハイセンス過ぎたのか、ちょっと時代が違うのかもしれないけどさ・・・」

私は、椅子から身を乗り出して、カヲルの鼻を摘んでやった。

「Du bist mein Ein und allesは、君が全てだ。
 Ich bin in dich verliebtは、君に夢中なんだって意味よ。
 まさか、アンタなんかに告白されるとはね。私、年上好きだから、アンタ、眼中に無いの。
 ごめんなさい?」

カヲルは、みるみる赤くなると、布団を被ってしまった。

「ごめん、そんな気じゃなかったんだ!確かに、アスカは可愛いけど、そんな気全然無くて!」

「はいはい、判ってるから」

暫く経っても、カヲルが布団を被って出てこないので、私はため息を一つ付くと病室を出る事にした。
カヲルには、頭を冷やす時間も必要だろう。

扉の前で振り向くと、暇な病人たちに一言言ってやる。

「お爺ちゃんたち、せっかく来たのに、カヲル出て来ないじゃない。
 からかうのも、いい加減にしといてよね」

「ガールフレンドを作ってやろうと思ったんだが、ちょっと、早すぎたみたいだな。
 また来てあげてくれ。この子、寂しそうにしてるから」

カヲルの隣の老人が、ウインクをしながらそう言った。他の大人たちも、笑って手を振る。
悪気無く笑う彼らに、私はもう一度ため息を付いた。




■ ■ ■ ■




アスカが去った後、暫くして、漸く布団から出てきたカヲルはため息を付いた。
恨めしそうに隣のクリストを見るが、クリストは笑って肩を叩いてきた。
眉間に皺を寄せて、怒ったような顔をしてみたが、気の強くない彼は、日本語で彼を罵倒する事は出来なかった。
何とか復讐として悪戯をし返したいと思ったが、言葉の壁は厚そうだ。

それに、老人だって悪気が有ったわけじゃないというのが、老人の笑顔を見て何となく察しがついた。もっとも、もう少し考えて欲しかったというのが、正直なところなのだ。

あんな事を告白をするぐらいなら、謝る方が先立ったと二回目のため息を付いた。
せっかく来てくれたのに、謝るチャンスを失ってしまった。
もう一度、来てくれるだろうか。義理で来てくれたにしても、そう何度も、とはいかないんじゃないだろうか。

はー、とまた三度目は、大きくため息をつきながら、ふとアスカが持ってきた紙袋が目に付いた。
何を持ってきてくれたのだろうと、手を伸ばして取り出すと、大きな果物だった。
イボイボに包まれた大きな果物で、見た事の無いものだ。匂いを嗅いで見ても、特に甘い匂いもしない。

どうやって食べるのか判らないが、果物ナイフで半分に切ってみることにした。
手こずりながら半分に切り分けると、鼻を突く玉ねぎが腐った様な異臭が漂ってきた。
クリストの方を見ると、自分の手元を見て、引きつった笑みを浮かべている。
カヲルは、一応、恐る恐る、その果物の一片を口に運んでみた。

30分後には、駆けつけて来た看護婦によってその果物は没収され、少年は盛大に怒られることになる。
カヲルと同室の大人たちは、その匂いに負けて、部屋から逃げ出していった。

カヲルの復讐は、アスカの持ち込んだドリアンによって、一応成されるのだった。
もっともカヲルは、辛うじて飲み込んだドリアンの味を思い出し、アスカは実は本当に怒っていて、自分の悪戯の仕返しに来たのだと思うのだった。



[26586] 第8話
Name: 二十二号機◆3ff6d448 ID:908f7153
Date: 2011/03/30 17:04


加持が車をある男の横で止める。男は怪訝そうな顔をしたが、独逸支部のゲートまで送りますよ、と言うと、少し思案した後、助手席に乗り込んできた。

加持は、その男、ミハエル・ガーランドに無害そうな微笑を浮かべると、タオルを渡した。
ミハエルが濡れた肩を払っている横で、加持は気さくに会話を始めた。

「いやー、雨が降るなんて、天気予報で言っていませんでしたよね。
 セカンドインパクトで気候も不安定になっているのかな」

「確実な予報なんて無いものさ。それは、セカンドインパクト前から変わらないよ。
 ところで、君は・・・」

不機嫌そうなミハエルの様子を見て、少々事前の認識を改める必要があるな、と思った。
ミハエルは、加持の中ではある程度、陽気な性格をしていると判断していた。
ところが、実際に会ってみるとそうでもないらしい。まあ、こういう事は良くあることだが。
人のその時々の気分なんていうものは、そんなものだ。

「加持リョウジです。ネルフでは、特殊監査部に所属しています。
 セカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレーの保護責任者なんてものもやっていますが」

「君が、セカンドの保護責任者か・・・。高慢なお嬢様らしいね、中々、出来るものじゃない。
 頑張って欲しいと思うよ。ところで、何時になったら車を出すんだい?」

アスカの名前と自分の立場を出す事で、ミハエルが加持の事を良いように勘違いして喋り出さないかと誘ってみるが、駄目だった。

「少々、お伺いしたい事が有りまして。それでミハエルさんを待っていたという訳です」

「嫌な偶然も有ったもんだね。だが、私も君に聞きたいことがあったよ」

「アスカの事、ですか」

食いついた。どうやら、釣り針を不審そうに見ていた魚は、案外、情に脆かったようだ。

「此処で待っていたという事は、粗方、事情は知っているんだろう。私が、一応、彼女の遺伝子提供者であることも」

「父親である、とは名乗らないんですね」

「法的にも、彼女と共有した時間からしても、父親なんて名乗れないさ。
 最後に彼女の顔を見たのは、キョウコの葬式だよ。それも、泣いている彼女を人の間から見ただけだ」

「それでも、気になっては居たと」

「そうだね。キョウコの事は愛していたし、事情が有って身を引いたが、自分の子を産んだとはキョウコから聞かされた。彼女が死んだ後でアスカを引き取ろうとも思ったが、結局はそうしなかったよ。
 始めて見る小父さんが、君の本当の父親だよ、と言うのは、自分の傲慢だと思ったからね。
 ・・・アスカは最近どうだい?」

ミハエルの様子は、上々だ。アスカの事を心配していたなら、もう少し手を打ってやれと言いたくもあったが、そんな事は、加持は御くびにも出さない。取り合えず、アスカの事を一般的な表現で褒めることにした。
 
「アスカは、少々お転婆で、気難しいところも有りますが、元気に育っていますよ。
 あの歳で大学まで卒業して、セカンドチルドレンに選ばれて、俺とは比べ物にならない人生を送っています」

「幸せな人生を送っている、とは言わないんだな。正直だね、君は」

どうやら、アスカの現状を多少なりとも知っているようだ。この男の求める答えは何だろう。
罪悪感が薄れるような事を言ってやればいいだろうか。

「いや、幸せの定義は、人それぞれでしょう。
 アスカは、母親の関与した弐号機のパイロットに成りたくてなったんですから。
 親が想像するような人生を子供に送って欲しいと思うのは、親がただ安心していたいだけ、ではないですか?」

「そうかもしれないな。私も自分の親が言っていた事を繰り返しいるだけなのかもしれない。
 つまらない夢を子供に押し付けるような大人には、昔は成りたくなかったものなのに。
 いや、正式な親にすらなったことが無いからこその、寛容さとも言えるかな」

「親とは、人生のてすりの様なものだ。ニーチェの言葉です。歩いているのは、子供たちですよ。
 人生の重荷を背負っているのもね」

「私は、支えにもなっていないよ。君の方がよっぽど、彼女を支えてる。
 考えてみれば、私は君に借りがあるというわけだ。それで、加持君、君は私に何を聞きたいんだい?
 アスカの世話話をする為に、私を待っていた訳では無いんだろう?」

その通りだ。俺が聞きたいのは、そういう事じゃない。だが何だろうか、男の態度が友好的過ぎる
のではないだろうか、と加持は不審に思った。しかし、ミハエルからの申し出だ。
断る事も無いと判断した。

「いや、アスカの事を話したかったんですが・・・、では一つだけ。
 貴方は、渚カヲルという少年の主治医の様な立場の様ですが、彼はネルフとどの様に関わっているんですか?
 先日、アスカがこの少年と友達になったと話してくれましてね。
 貴方が主治医の様な立場をしているとも聞きまして、因縁を感じつつも不思議に思いまして。
 老婆心ながら、アスカの友人がどういった立場なのか、聞きたかったんですよ」

渚カヲルの事を調べても、殆どの事は当たり障りの無い内容しかなかった。
病院のデータバンクにハッキングをした情報では、その程度だったのだ。

「アスカの為、か。それなら、多少話をしても、やぶさかではないね。
 秘匿事項に関わることだから、あまり多くを語ることは出来ないが良いかな。
 話は、それほど長くない。車を出してもらえるかな」

「ええ、それ程多くの事を知りたいとも思っていません」

加持は、ウインカーを出してアクセルをゆっくりと踏み始めた。
ミハエルは加持の顔を見ず、正面だけを見ている。
加持は、その表情から何か推察出来ないかと、表面上は冷静さを保ちながら伺っていた。

「私が遺伝子工学の立場から、エヴァに関わっていることは知っていると思う。 
 今も昔も変わらないからね。
 渚カヲルは、偶然にも発見された、エヴァとシンクロ可能な遺伝子を持った存在だよ」

「それでは、他のチルドレン候補と変わらないのではないですか?
 彼が、貴方の言っては悪いが、研究対象になることは無いでしょう」

「他の子供とは、明確な違いがある。エヴァとシンクロ出来る可能性のある子供たちから得られた実験データを踏まえ、より高レベルなシンクロをすることが出来る可能性のある遺伝子の特定は我々の急務だった。
 カヲルは、漸く特定出来たその遺伝子を偶然にも持っていた、という訳さ。
 ただ、残念ながら、彼を発見したときには、彼は意識不明の重態だったわけだ」

「なるほど、正に彼はネルフの虎の子という訳ですね」

「そういう事になるね。望まずとも、其の内に彼は、エヴァのパイロットにさせられるだろう。
 アスカと同じくね。ところで、君は、運命というものを信じるかい?」

アスカと同じく。ミハエルは、アスカがエヴァのパイロットにさせられたと言っている。
どういう意味だ、アスカはつい先日、セカンドチルドレンに選ばれたばかりだ。
それも、厭くまでも彼女の意思で、だ。この男はそれを違うというのか。

「運命、ですか?生憎と、私は無神論者ですから」

「そうかい?だが、世の中には運命という奴を盲信する輩も多くてね。
 例えば、ゼーレなんて組織は預言者の言葉を絶対だと信じているらしい」

「ゼーレ・・・、ネルフの上位組織ですか。セカンドインパクトを予言したという」

加持は、高名だが一介の研究者に過ぎないと判断していたミハエルが、ゼーレという名を口にしたことを驚いた。どうやら、ミハエルは自分が思っていた以上にネルフの闇に関わっているようだ。

「ああ、本部の碇ゲンドウ氏の子飼いの君だ。当然、知っていると思っていたよ。
 ゼーレは、碇ゲンドウに鈴を付けたいと思っている。彼の思想を危険視しているわけだ。
 彼が、サードインパクトを引き起こす切っ掛けになるやもしれないとね。
 君、鈴になる気はあるかい?私が、推薦しても良い。
 君の探究心を満足させるに足る情報を得られるかもしれないよ」

三重スパイになる条件は、より詳しい情報。もしかしたら、ネルフの根幹に関わる情報に自分は触れることが出来るかもしれないと、加持は年甲斐も無く心躍らせた。
だが、確認しなくてはならないこともある。

「なぜ、私が碇司令を裏切る、と」

「それは、君がそういう男だからさ。預言者は全てを語らなかったが、多くの推察すべき事柄を言い残した。
 その中には、当然、君の事も含まれていたというわけだ。そう聞いている。
 君はネルフに所属してから、ゼーレの監視下にあったとの話だ」

預言者とは、何者だ?ゼーレは、取るに足らない存在である自分を、監視していた?
加持は警戒心を高めた。

「まるで、私の事を見通されていたみたいですね。今日、私が貴方に話しかけることも、運命だと?」

そうだ、都合が良すぎる。ミハエルは、何を考えているのか。

「いや、私は何れ、君がゼーレに関わり、碇氏の鈴になると聞いていただけだ。
 それで、返答は?君は、自分の欲求を抑え、運命に逆らうかい?それも、一つの選択だ」

「まるで、脅迫されている様ですね」

「別に、脅迫はしていない。君は、今、私から聞いた情報だけで満足しても良い。
 だが、君は常に、全てを忘れて別の人生を歩んでもいいのに、今の居場所に拘っているんじゃないのかい?」
 
「いや、参ったな。貴方の方が、私の事に詳しそうだ。それで、条件は何なんですか?
 私を何の取引も無く、ゼーレに紹介して下さると?
 生憎と、悪魔との取引には、用心深いつもりですよ。それが、未来を見渡すラプラスの悪魔となれば、なおさらね」

「ラプラスの悪魔、か。君はニーチェといい雑学に詳しいんだな。生憎と、私は預言者じゃない。
 そうだな、君は既に魂なんて売ってしまっているだろうからな。
 アスカ、カヲル、この二人を見守っていて欲しいと言ったら笑うか、君は」

「願っても無い好条件ですね。まさに、悪魔のささやきだ。辿り着く先に、落とし穴があるとしか思えない」

「君にとっても、良い条件だと思うよ。
 彼らは、これから望まずとも、エヴァンゲリオンのパイロットとして、シナリオの中心となる訳だ。
 君は彼らの側に居て、そんなシナリオを結末まで見てみたいと思わないか」

「こんな商売をしているんです。いつ、その物語から途中退場するか判りませんよ」

「その時は、私の助言も無駄だったとして諦めるさ」

「私の死も、予言に含まれているというわけですね。彼らを見守る位置にいるということが、私の人生の延命にも繋がると」

「私は、口数が多すぎるな。君と話をすることに緊張しているのかもしれない。普段、スパイとなんか喋らないからな」

「・・・良いでしょう。その取引を受けましょう。どう考えたって、好条件の案件としか思えない。
 こんな取引を断るなんて、馬鹿のすることですよ。何しろ、自分の命が掛かっているんだ」

加持は内心と裏腹に笑って、その条件を飲む事にした。この車にミハエルを誘ったときから、自分は悪魔の腹の中に
居たという事だ。だが、ゼーレという存在が、新たに見せてくれる景色に期待し、自分の欲求に何時ものように従う事にした。腹の中からしか見えない景色もある。




■ ■ ■ ■





暗闇の中で、ミハエル・ガーランドは立っていた。
彼を囲むのは、七枚のホログラフィーで浮かび上がるモノリスだった。
ゼーレ、つまりはネルフの最高意思決定機関の重鎮達は、一同に会し、顔を見せることを好まない。
彼らは会議の度に、この遠隔地からモノリスを利用していた。

「加持リョウジの件は、良しとしよう。
 奴には、我々の用意した情報の中で踊ってもらわねばならん」

01と表示されたモノリスが、ミハエルの提案を了承した。このモノリスが、議長の立場なのだ。
彼の決定は、ゼーレ全体の意思である。

「加持リョウジの代わりなど幾らでも居るが、この男は人形たちの中でも、特異点に近い存在だ」

「左様、我々の人類補完計画に不可欠な存在とは言えんが、彼もまた定められた運命に従ってもらうのが良策といえる」

「有難う御座います。後日、ゼーレの皆様方にお引き合わせしたいと思います」

ミハエルは、淡々と受け答えをする。まるで、自分の引き合わせる相手にまるで興味が無いように。
ミハエルにとって加持リョウジは憎むべき相手ではあったが、興味をそそられるような相手でも無かった。

「次に、セカンドチルドレンと渚カヲルの接触の件を話せ。これは、神々の悪戯か、はたまた因果律か」

「偶然などでは、あるまい。引き合っているとしか、思えんだろう」

「預言者が予言した事ではない。これは、イレギュラーだよ。
 我々の計画では、早くとも来年、第6使徒の進行後に引き合わせる予定だった。
 確かに、これは今現在の状況から鑑みれば、予定を繰り上げることも我々の議題に上がっていたことだが」

「ミハエル、お前に渚カヲルの件は一任している。何故、この様な事態を招いたのか。 
 その後、セカンドチルドレンと渚カヲルを引き離す気も無い様だな。
 セカンドチルドレンは、渚カヲルとの接触を繰り返しているとも聞いている。
 これは、どういうつもりだ。渚カヲルに、余分な知識など必要が無い。
 我々が用意したものを与え育て、パイロットとして生き、そして然るべき時に死んでもらわねばならん」

「左様、渚カヲルに用意されているものは、我々の計画の礎となる立場だけではないか」

「渚カヲルには、今だ、記憶が戻っておらず、その兆候もありません。
 このままでは、何も知らず使徒との戦いを始めることになるでしょう。
 それは、計画の頓挫の可能性が飛躍的に上がると判断いたしました」

ミハエルは、表面上の事実だけを伝えるに収めた。
加持リョウジに伝えた嘘が入り混じった情報と同じく、自分の手札をゼーレに見せる気は無かった。

「セカンドチルドレンとの接触が、記憶を取り戻す切っ掛けになりうると。そういう事だな」

「はい。厭くまで可能性ですが、確立は高いと判断します」

「サードチルドレンをパイロットとして利用できない今、それも已む無しか・・・」

「渚カヲルの意識が、使徒侵攻の前年に戻ったという事すら僥倖なのだ。受け入れるしかあるまい」

「良かろう。この件は、状況観察を続けることにする。一同、宜しいか」

――異議なし。全ては人類の明日の為に。

01のモノリスを除く、全てのモノリスが声を揃えた。

「はい。全ては、人類の明日の為に」
ミハエルは、その声に続く。人類の明日にさえ、まるで興味が無いように。






■ ■ ■ ■





ネルフ独逸支部の地下研究所、通称アバドンの一室で、裸の少年が愉快そうに笑っていた。

「全ては、人類の明日の為に、か。子供たちは、まるで変わってないんだな。安心するよ」

ミハエルがコーヒーの入ったマグカップを渡すと、少年はそれを受け取って呑み始めた。

「ゼーレはカヲルとアスカを観察対象として選んだ。君は、もう彼らに会うことは出来ない。
 これで、良かったのか、シンジ」

オウムの様な色とりどりの髪をした少年は、黒く染まった右腕を白に、また黒に染め、それを興味深げに見つめつつ、答えた。

「カヲル君には、会えた。アスカには出会えなかったけれどね。
 この時期に、彼に会うことが出来ただけでも、僕は君と神に感謝するよ。
 それに、僕がカバラの実を渡したカヲル君がアスカと、それから皆と笑っているだけでも、僕は納得できる。
 それで、納得できるんだ。
 それに、時期が来れば、再び彼らに直接会うこともあると思いますよ」

少年は少し、寂しげに微笑んだ。

「君の計画は、一歩進んだ、という訳だ。礼は良い。君をカヲルと会わせることが、君との約束だったからな。カヲルと出会った後、再び眼を覚ます、と言い残した君との」

「ええ。彼と出会えなかったら、僕は使徒の尖兵として、生まれ変わっていたでしょう。
 だが、最後の引き金は引かれなかった」

「そうなれば、独逸支部は壊滅か。
 弐号機を失った我々は、これから来る使徒、アイオーン達に蹂躙され、計画外のサードインパクトを引き起こしていた」

「いいえ?アスカに、僕は殺してもらうはずだった。カヲル君の様にね」

「それが、君の愛か」

「少なくとも、僕が使徒である限り、次の世代に世界を譲り渡す手段は、其れ位しか無いですから。
 生と死が等価値とは言えませんが、其れ位しか、僕に出来る事は無い」

少年は、愛については語ろうとはしなかった。
ミハエルは、彼の愛とは使徒としての役割の延長線上にあるのだろうと思い、それ以上聞こうとはしなかった。

「さて、君が再び意識を取り戻したと、ゼーレの連中にもう一度報告に行かないとな。
 彼らは、君に会いたがるだろう。ちゃんと、服を着てくれよ」

ミハエルが、ベットの上に畳まれた病院着を指差す。

「狂っている間だけの自由とはね。ベットの上が懐かしいな。まるで、道化師みたいだと思いませんか」

少年は、それを着ながら話を続けた。

「それが、シナリオの中の君の役割だからな。
 これからも、私も君もシナリオの上で役に立っていると彼らに思わせなくては、直ぐにでも殺される立場だ」

「僕は時期が来るまで少なくとも殺されませんよ。自ら死ぬと、彼らに公約していますし。危ないのは先生でしょう」

「そんな口約束を彼らが信じていると思っているのかい?」

「そうかな、僕はもうそんな立場かな?人が未来に不安を持っている限り、僕は生かされると思っていたけれど」

カヲルは、自分自身の生死にそれほど興味は無さそうだった。

「ゼーレにとって、未来はもう後僅かしか残っていない。君の神秘性も、もう効果は薄いな」

「まあ、そんなものかな。用が無くなった預言者の末路なんて、そんなものか。
 人は与えられた法のみで生きるに非ず。それが人の歴史か。
 さて、行きましょう。迷える子羊の皮を被った狼が、僕を待ってるんでしょう?」

服を着たカヲルを連れて、ミハエルはその部屋を後にした。







[26586] 第9話 再投稿
Name: 二十二号機◆3ff6d448 ID:908f7153
Date: 2011/04/05 18:14



アスカは夜、寮の自室でパソコンに向かい、自分宛のメールを読んでいた。
帰省を促す父のメールは二通着てて、一通は、早く帰ってきてパーティーをしようという誘いで、二通目は、帰って着たくないなら、連絡ぐらいしなさいという催促だった。

随分と腰が低い父に、溝のようなものを感じる。父にそんな気は無いのかもしれないが、そういうものを感じてしまう。

思えば、母が死んでから、ようやく自分の前に現われた父には、自分との間に隙間を最初から感じていた。
隙間はその時は、何だか薄い氷の様に、父の顔を良く見えなくさせた。
もしかしたら、父に最初に会った時に自分は泣いていたのかもしれない。

抱きしめてくれなかった事だけは、不満というか、怨んでいたと思う。
その思いは、今もしこりになっている。
父は肩に手を置いてはくれたが、私がその時欲していたのは、誰かの暖かさだった。
母のように、泣いた私を抱きしめて欲しかった。
その幼い恨みと、良く見えない父親の顔だけが、印象に残っている。

其の内にパイロット候補生としての時間が、その隙間に吸い込まれていく内に、目視できるほどの溝になってしまった様に思う。
父の顔は今ははっきりと見えるが、彼の脳ミソの中が今度は怖い。
何が怖いと言うわけではない。ただ、怖いのだ。

偶には、家族のぬくもりが欲しくなるんじゃないか、という父親の心無いメールの一文が入っていて、私にぬくもりという言葉が頭の中を廻らせた。

父とのぬくもりなんて、私は感じられないのに、どうしてそういう事を言うんだろう。
血の繋がりなんていうものは、心の繋がりではないと思える。

ぬくもりって何なのか。私にとってのぬくもりとは何よ。
そんな事、パパは教えてくれなかったのに。私が父の差し伸べた手を取ろうとしなかったのかもしれないが、それにしたって、この言葉は無いと思う。差し伸べられたという手に、まるで感情が無いかのようだ。

ぬくもりというものに対して思考して、自分の頭の中にある百科事典を引いてみた。

私の周りにあるのもから、三つだけ。光の暖かさ、ベージュ色をしたソファー、自分の体温。
私の周りに無いものから、三つだけ。母の笑顔、友達の声、男の肌。

クスクスと笑いながら、アスカは自分が座る椅子を廻し始める。
私は天井を見つめながら、堂々巡りに父の事を考えるのを辞め、自分の想像力の無さを笑った。

男の肌って何考えてるんだろう。私って以外に欲求不満だろうか?
13才でこれじゃあ、先が思いやられる気がする。

淫靡に男のペニスを求める自分を想像する。
その思考にぷっと吹き出してしまった。

でも、両親や友人なんて、自分の思いとは関係なく居なくなるものなんだから、女が男の肌を求めるのも、それは能動的な本能かもしれない。
そのうち、通過儀礼として性器の温かさって奴が欲しくなるのかしら?お婆さんになったら無くなっちゃうのに。

くるくると廻っていると、自分の気分の高揚に酔っている様な気がした。
エヴァの操縦にだって、酔わない訓練を受けている自分が、友達のぬくもりって奴に酔っているみたいだと
思った。こんな事を考えるのも、あのシマラナイ男のせいだろうか。

シマラナイ男ってだれよ、加持さんじゃなくて、あの渚カヲルに決まってる。
男には未だ遠い、チェリーボーイだ。私に、馬鹿な告白をしてきたあの子。

この酔いは、友達付き合いなんて、慣れない事はするものじゃない、という警告の様なものだろうか。
それとも、自分で歩ける私への祝福の天使のラッパだろうか。
祝福の天使のラッパ。また、自分は友達ごときで大層な事を考えてるわね、と私はクククと笑った。

私は、自分の力で進んでいけるという自身が湧いてくる。
ママが居なくても、パパが居なくても、私は友達を作って、其の内に家族を作るかもしれないし、自分の居場所が造っていけるんじゃないかって思えてくる。
未来への展望を、カヲルが指し示してるみたいだと思った。男として、アイツを見てる訳じゃないんだけどね。

カヲルが、未来を指し示す天使?あのバカが、あの単細胞がそんな訳ないのに。
何でだろ、でもアイツの事を考えると楽しい。

今日は、カヲルとチェスゲームとウノをやった。カヲルが先生から貰ってきたらしい。
今時、そんなアナログなゲームなんて、と思ったが、やってみると中々面白かった。

もっとも、チェスに関しては、私の方がカヲルよりも断然強くて、カヲルは相手に成らなかった。
頭の出来が違うのよねー、とからかったら、カヲルは今度は勉強して絶対に勝つから、と言い張ったが、
まあ、無理だろうと思う。だって、カヲルのチェスの教本って独逸語で書いてあったし。
大体IQが違うのよね、IQが。カヲルがちょっとした戦略を学んでも、引っくり返せる自信がある。

ウノは、取り合えず二人でやってみた所、何だか勝負に成らなかったので、カヲルと同じ部屋の病人たちを誘って、四人ですることになり盛り上がった。
私にチェスで散々負けたカヲルが、一番最初に勝ち、私を挑発してくるので、私はムキになった。
カヲルのカードを増やすカードを集め、カヲルが残り一枚になる度に使ってやったのだ。
その後の勝負は、二人で勝負そっちのけで相手の邪魔ばかりしていたので、結局、二人とも勝率は良くなかったので、痛み分けとなった。

「友達、か」

友達と一緒に一日中遊ぶなんて、私には久し振りで、途中で飽きてしまうかと思ったけれど、どうしてだろう、そんな事にはならなかった。カヲルが私の廻りに造る空気は、私という魚でも楽に呼吸が出来るもので、私を優しく包んでくれた。

そう思えば不思議だ。子供って、誰にも言われずに二本足で立ち上がるし、友達の間でも余裕を持って話すことが自然と出来るようになるのだから。
それとも、カヲルが特別かしら。だとしたら、私は街中で良い拾い物をしたものだ。

何だか、エヴァに関わらず、普通に学校に通って、カヲルみたいな友達が出来るのだとしたら、それはそれで、貴重な経験だったのかもしれない、と思わせるには十分だった。
私からエヴァを取ってしまったら、何も残らないと判っているのに、友達というのは甘い罠を思考に仕掛けてくるものだ。

明日は加持さんが、私とカヲルを山へ連れて行ってくれる。きっと、カヲルは直ぐへばるだろうから、カヲルの背を押しながら上らなくてはならないかもしれない。
でも、楽しみだ。早く寝よう。

私は、くるくると椅子を廻すのを止め、父にメールを打ち出した。

友達が出来て、遊んでいるので、帰るのはもうちょっと先になりそう。
心配しないでね、私は上手くやってます、等々、適当な長さに書き揃えていく。

何時もは憂鬱な作業も、今はなんだか楽しかった。




■ ■ ■ ■




夜の病室は、静かに時を刻んでいた。そのベットの一つに眠るカヲルの額の上で、静かに回転する小さな紅い玉があった。その紅い玉は、血のような粒子を纏わせている。空中に散布されるその粒子は、少年の口や鼻から少しづつ体に入っていく。

少しづつ、少しづつ、徐々にその体積を減らしていくその紅い玉に、痺れを切らすモノが居た。
そのモノは、少年の額から腕を伸ばした。少年の額から、半透明の腕が生える。
その腕は、その小さな紅い玉を掴むと、引き込むようにして、少年の頭の中に消えてしまった。

少年は一瞬、呻き声を上げるが、その声は静かな病室の中で、誰の耳にも届かなかった。




■ ■ ■ ■





これは、夢だ。眼を覚ましてから、ずっと夢なんて見なかったのに、最近、夢を見るようになった。
アスカと出会ってからだろうか、こんな夢をみるようになったのは。

夢だって判るのに、僕はどうしてこんなに悲しいんだろう。
シンジ君やアスカという友達が出来て、順風満帆な病院生活を送っているというのに、僕はどうして悲しい夢を見るんだろう。

夢の中で、僕は、一人泣いている。木で作った簡単な十字架の前で、一しきり、時を忘れて泣いている。その十字架には、誰かのネックレスが釘で打ちつけてある。
白い十字架の形をしたネックレスは、誰か大切な人のものだったのだろうか。
僕には良く判らない。良く判らないのに、僕は涙が溢れてきて止まらない。

一しきり泣いた後、僕は、コップを持って海に行く。
海は、赤い。空も、赤い。水平線まで続く赤い海と空は、これが僕に夢だと教えてくれる。
まるで、夕日が海に溶け、その光を空が反射しているみたいだ、と思った。
でも現実感の無いそんな風景なのに、潮風が妙に生々しく、僕の頬にへばり付く。

僕は、波を掻き分け、海の中に入っていく。
余り浜に近いと、コップに砂が入ってしまうからだ、と夢を見る僕は考えなくても判る。
水面が胸の位置まで届くと、ようやく僕はコップでその水を掬う。
そして、コップから水がこぼれないように静かにまた浜に戻っていく。

海から上がった僕は、暫く歩き、静かに朽ち果てたビルに入っていく。
震災にでも有ったかのようなビルは倒れそうで、窓ガラスは割れ、壁には皹が入っている。

薄暗い、モノが散乱した一階のフロアーを抜け、二階への階段を上がる。
エレベーターは動かないのだ。

二階の廊下は、少し片付いている。多分、僕が片付けたのだと思う。
瓦礫が、廊下の置くに積み重なっている。

ある部屋の前で、僕は足を止める。深呼吸をしながら、返事が無いと判っていてもノックをし、がた付く扉を開けて入り、靴を脱ぐ。

薄暗い廊下を抜け、ある部屋に向う。僕は、音を立てないように、ゆっくりと歩く。
部屋の戸の前で、再び深呼吸をして、ノックをする。

戸を開けると、布団が敷いてあって、一人の女の子が寝ている。
アスカだ。でも、あの魅力的な金髪は艶を失い、青い瞳も何だか今は生気が無い。

僕は夢の中でも、眼が閉じられたら良いのに、と思うけれど、それは無理だった。
こんな顔をしたアスカを見て居たくなかった。

静かな呼吸をして寝ている女の子に近づき、本当に生きているのかどうか、息を確かめると、彼女の上半身を起こして、コップを彼女の唇に押し付ける。
ゆっくりと、水を少しづつ呑む彼女を支えながら、僕は何を思っているのだろう。

水を飲み終えたアスカを再び寝かせ、その横で僕は彼女に語りかける。
僕が何を言っているのかは、よく聞こえない。でも、それほど楽しい内容でも無いのだろう。
だって、僕は全く笑っていなかったから。

僕は独り言のような呟きを終えると、アスカの側に横になる。
アスカの体温が感じたくて、そっと手を伸ばし、寝ているアスカの細い手首を掴む。
アスカの手首から、血の鼓動を感じながら、僕はそっと眼を閉じた。

夢の中で、僕が寝始めると、別の夢を僕に見せ始めた。夢の中で、別の夢を見るなんて、不思議な感覚だ。

僕は、アスカと楽しそうに会話をしていた。そこは、学校の様で、周りにはクラスメートも居た。変な事に、周りには日本人しか居ない様だった。
黒髪の中で、きっと僕の白髪は目立っていたに違いない。
でも、誰も僕の事を見て囃したりすることは無かった。

僕が、アスカに御弁当を渡すと、アスカは当然の様にそれを受け取る。

そうだ、今は作れないけど、こんな風にアスカに御弁当を作ったら、アスカ、喜ぶかもしれない。僕が料理が出来るか疑問は残るけど、夢の中で出来るんだったら、多分、努力すれば、現実でも出来るようになるんじゃないかな。

それで、可笑しい事に、アスカは、こう言う。
「ありがと、馬鹿シンジ」って。
そう言うと、お下げをしたそばかすの少女と机をくっつけて、食事を始める。

アスカに馬鹿って言われるのは、慣れてるけど、シンジっていうのは、僕の名前のことだろうか。
夢の中で、僕はシンジ君になっているんだろうか。変なの。夢の中で、僕はシンジ君なんだ。

僕は、アスカに御弁当を渡すと、友達と一緒に食事を始める。
学生服姿の子供達の間で、何故かジャージを来た少年と、眼がねを掛けた茶髪の少年だ。

彼らと楽しく食事をしながら、馬鹿な話で盛り上がる。
声は聞こえないんだけど、多分、僕?、いやシンジ君は楽しそうだ。
この夢の方が、さっき見ていた悲しい夢よりずっと良い。
僕も其の内に学校に行くようになったら、こんな友達が出来るだろうか。

そんな風に友達と仲良く食事をしながら、僕はそっと窓辺の席を見る。
その席には、一人の女の子が座っている。その後姿は僕のように髪が白くて、細い首をしている。
どうやら、彼女は食事をせずに、本を読んでいるようだ。
何の本を読んでいるんだろうって思った。

アスカに御弁当を渡しながら、そんな風にその子を見るなんて、僕は気が多いのだろうか。
何となく、その子が気になるようだ。
気になるなら、その子にも御弁当を作って上げればいいと思う。
もっとも、其処まで好きじゃないのかもしれないけど。

「御弁当を、作ってあげればいいのにね」

唐突に、僕は話しかけられた。誰だろうと思い、僕は声の方を振り向いた。
その時、なんの偶然だろうか、流されるように夢という映像を見ていた僕は、初めて夢の中で主導権を握ったのだ。

そこには、知らない少年が居た。他の子の同じ学生服を着ているが、薄ぼんやりとしていて、まるで幽霊の様だ。顔は良く見えない。髪の毛が黒いことだけは、何となく判別できる。
けれど彼は、他の夢の住人たちと違い、「僕に」話しかけているのだ。

「でも、あの子の事情も知らないしさ」
僕は、その子に話しかけた。まるで普通にクラスメートに話しかけるように話すが出来た。

「独りで居たくて、独りで居る子なんて、居やしないよ。誰だって、他人を求めるものさ。
 どんなに自分に篭っても、暗闇で光を求めるように、人は人を求める。
 アスカだって、同じだろ?」

「アスカ?アスカが寂しいと思ってる?」

「そうさ、君と同じ様にね。そして、それはあの子も同じだよ」

「僕や、アスカみたいに」

言われて僕は、少女の細い首筋に、寂しさを感じつつも、僕はアスカのことを考えていた。

アスカは寂しかったから、僕を構ってくれるのだろうか。
僕は寂しいから、アスカが病室を訪ねてくれると、とても嬉しいのだけれど、アスカも寂しくて、僕を求めているんだろうか。そんな事、考えた事が無かった。

夢の中でアスカは、僕と話している時の様に、お下げの少女と楽しく会話をしている。
アスカの表情はきっと、僕の知らない場所で、アスカが誰かと話している姿と重なるんだろうと思うのだけれど。

アスカは、僕が知らない場所に、自分の居場所を確保していて、満ち足りた人生を送っているのだと思う。あまり、自分の事をアスカは話そうとしないから、良く判らないのだけれど。

病院に縛れた、記憶喪失の僕と違って、アスカはあまりにも自由だ。
その自由の中に、様々な関係を内包しているだろうと、僕は思っていた。
僕との関係なんて、アスカにとっては沢山の中の一つでしかない。

「アスカの事を考えてるね。今は、あの少女の話題をしているのに」

「・・・だって、アスカは僕の唯一の友達だからさ」

僕は気恥ずかしさで、口ごもった。それほど意識しない様にしていた感情に、戸惑ってしまう。
周りに一人しか居ない女の子だから、その上、美人だし、意識するのも当然だと思うし。
それが、好きだって気持ちなのかはよく判らない。

「好きな子だって言わないんだね。君は控えめな表現を好むんだ」

「そんな事、思ってないよ。大体、アスカに迷惑だ。僕にそんな事を考えられたら」

「でも、好きになりかけてる。君とアスカが出会った意味を考えなくちゃ。
 偶然なんかじゃないかもしれない。御互いに好きになる運命かもしれない」

「偶然だよ。偶然」

「そう言いきるなんて、君は夢が無いな」

「運命なんて言う君こそ、楽天的だ」

「僕は現実的に考えるたちなんだけど、楽天的に希望を持ちたくもなるんだよ。
 与えられた舞台は限られているのに、世界は余りにも狭いんじゃないかって、思えてくる。
 それとも、君とアスカが出会う一幕が用意されていたんじゃないかってね」

「君が何を言っているのか、良く判らない」

「其の内に、判るさ。覚えておいた方が良いかもね」

「・・・夢の中で言われても、僕は忘れちゃうよ。朝起きると、夢を見たんだって事は
 覚えてるけど、夢の内容までは、よく覚えてないんだ」

「夢が君を其の内に、覆い尽くすさ」

「怖いな、何だかその言い方」

「怖くなんてないよ。僕と君にとって、それはそんなに怖いことじゃない。
 卵の殻の中に入るようなものだよ。生まれ直すためにね」

卵の中に入るように、夢の殻に覆われる。それは、どういう事だろう。
僕には、その幽霊の言葉の意味が判らなかった。







☆ ☆ ☆ ☆



加筆修正して、少しは良くなったと思うんですけど、どうでしょう。



[26586] 第10話 前編
Name: 二十二号機◆3ff6d448 ID:908f7153
Date: 2011/04/10 18:55


その日の朝は天気が最高に良く、青空は抜けるようで、日差しの下は少し暑いがキャンプには持ってこいの日だった。

病院の前で、カヲルはフンフンと鼻歌を歌いながら、迎えを待っていた。
セパアテードという曲は、鼻歌で歌うには難曲なのだが、ある程度は適当だった。
最近、記憶が戻ってきたのか、クラシックの曲が好みになってきて、語学の勉強を放っておいて、ラジオで音楽を聴いている。

リュックの中には、真新しい水筒と換えのTシャツとタオル、
お昼ごはんは、連れて行ってくれる相手が用意してくれているらしいので、弁当は持っていなかった。
その代わり、チョコレートやクッキーといったお菓子を多少用意していた。

「あ、アスカ、おはよう!」

人の間から歩いてきた少女に向って、カヲルは挨拶をした。
だが、アスカは不機嫌そうに眉をしかめ、ジロジロとカヲルの身なりを見ている。
そして、少女は片手を額に当て、大きなため息を付いていた。

「な、何か、変かな」

少女の格好は、白いジーパンに薄手のパーカー、スニーカーといったラフなスタイルで、横髪を一房編んでいる。
特に自分と変わらないよなぁと、少年は少女を観察した。だが、明らかに少女は機嫌が悪そうだった。
良く見ると、何時もと違って薄っすらと化粧もしているようだ。
カヲルは、何だろう、何か怒らせることしたかなと冷や汗を掻きながら、アスカの顔色を伺う。

そんなカヲルに、アスカはもう一度ため息を付くと、通りの向こうの方を指差した。

「何でもないわよ。車、あっちに止めてあるから、行くわよ」

少女は言った後で、「・・・お邪魔虫が居るけど」とぼそっと付け足した。

「お邪魔虫?誰?」

「天気が良いから、どっかから、湧いてきたわけ。まあ、見れば判るから」

そう言うと、アスカは肩を落として歩き出した。カヲルは首を捻りながら取り合えず、付いて行った。

病院から一ブロック歩いた所に、大型の白いジープが止めてあった。
少年は知らないが、ドイツ製の4WDで、大抵の悪路は走行できる車種である。中々、古い車なのだが、外装はピカピカだった。

少女は、黙ってさっさと後部座席に乗り込んだ。カヲルが車に近づいていくと、運転席から、サングラスを掛けた女が声を掛ける。長い黒髪で、サングラスが良く似合っている。

「今日は、私、葛城ミサトが運転手を務めまーす。よろぴくね、カヲル君?」

助手席からも、男がミサトに乗りかかる形で、身を乗り出して挨拶をしてきた。

「おいおい、葛城、よろぴくは無いんじゃないか、年齢的に。
 俺も宜しくな、カヲル君。俺は、加持リョウジ。今回のガイドを務めるよ。宜しく」

ミサトは、男に乗りかかられると窮屈そうに眉をひそめたが、カヲルと眼が合うとにっこりと笑った。

「今日は宜しく、お願いします、渚カヲルです。あの、誘っていただいてありがとうございました!」

カヲルは、葛城と加持に挨拶をしながら、何故、アスカが不機嫌なのか判った。
恐らく、アスカの好きな加持さんが、葛城さんを誘ったからだと。




■ ■ ■ ■




「加持、この道を行けばいいのよね」

「このご時世にナビが付いてない車、借りてくるなよな。ちょっと調べるから待ってろよ。
 しかし、こうやってると昔を思い出すな。大学時代、車を借りてはどっかに行ってたよな。
 山にも海にも随分行ったもんだ」

「まあ、ね。それより、さっさと地図確認してよ」

「おいおい、もうちょっと、会話って奴を楽しもうぜ。久し振りなんだし」

大人二人は、何か楽しく会話をしているが、後部座席のカヲルとアスカは無言だった。
カヲルはちらちらとアスカの方に視線をやって何か話そうと思うのだが、完全にむくれて外を見ているアスカにどんな話題を振って良いか判らなかった。

カヲルは触らぬ神に祟りなしと、アスカとの会話を諦め、加持と葛城に話しかけることにした。

「お二人は、アスカの事務所の方なんですか?」

「事務所~?あれ、アスカ、言ってないんだ。加持も説明してなかったの?」

ミサトがアスカに声を掛けるが、アスカは何も言わなかった。フンっとした態度を崩そうとしない。

「おいおい、俺がカヲル君と会ったのは初めてだよ。でも、カオル君、アスカにそう聞いてたのかい?」

カヲルは、加持という男性が優しそうな笑みを浮かべるので、何となく良い人だなと思った。

「え、いや、そんな事聞いてないんですけど。その、アスカって美人だし、モデル事務所とか、そういうのじゃ無いんですか?
 だから、昼間に暇な時間が有るのかと思ってました。葛城さんも、その美人だし、加持さんもスマートで格好良いし」

「加持は置いとくとしても、確かーに、お姉さんはこの通り、ナイスバディの美人だし?アスカも可愛いモンねー。
 それにしても、モデル、か。うん、カヲル君、正直な子は好かれるわよ。
 こんな子を友達に出来るなんて、アスカ、運が良いのね。それにしても、ふふ」

「いやーカヲル君、君は口が上手い。女性からモテルぞ、そういう子は。いや、マダムキラーかな」

「何言ってんのよ。カヲル君は正直な子なんだからー。アンタと違ってスレてないし?
 お姉さん、カヲル君の彼女に立候補しちゃおうかしら」

ミサトは一人ご機嫌といった様子だったが、アスカの小声で言った氷点下に近い一言が水を注した。

「馬ッ鹿じゃないの?」

アスカは、窓の外を見ながら、そんな会話に苛ついた様に呟く。

「アスカ、そんな言い方無いじゃない。カヲル君は私たちを見て素直な感想を言ってくれたんだから~」

「カヲルじゃない。アンタの事よ、ミサト。良い年して、馬鹿みたい。カヲルは、アンタは謙遜して持ち上げたのよ。
 日本人の謙虚な心ってやつね。ミサトみたいなオバン、誰が彼女にしたいなんて思うのよ」

「え~、アスカちゃん、嫉妬?カヲル君が私も褒めたもんだから。私の魅力はグローバルなのよ。
 その辺りの美意識、センスが判んないと」

「だ・れ・が、嫉妬してるっての!馬鹿!」

「アスカ、ミサトさんに悪いよ。ミサトさんが綺麗だってのは、正直な気持ちだし。あ、アスカだって、美人だって・・・」

カヲルは、自分の一言が原因で、何だか二人が喧嘩を始めそうだと思い、アスカを取り成そうとした。

「私が将来有望な美少女だって事は、誰もが認めてるの!そんな事はどうでも良いのよ!
 アンタがミサトなんか持ち上げるから、この女が調子に乗ってるって言ってんの!」

「ちょっと、アスカそういう言い方は無いんじゃない?私も、将来有望な美女だと自覚してるのよ」

葛城は片手でハンドリングしながら、胸に手を当てて答える。
アスカは、その所作が何となく演技臭い所が気に食わないのだと頭に来た。
葛城はまるで、自分の前で良いカッコをするピエロみたいだ、加持さん以外の大人に似ていると思った。

「美女だろうがなんだろうが、三十路を迎えるオバンの末路なんて決まってるわ。
 皺くちゃのお婆さんになるって輝かしい未来がね」

「・・・おっと、ハンドルが!」
葛城は、アスカの容赦無い一言に、口角を吊り上げると、急にハンドルを右に切った。

「きゃっ」
シートベルトをしていなかったアスカは、ごろごろとカヲルの方に転がり、カヲルに覆いかぶさるようになる。

「あ、アスカ、重いって」

カヲルが頬を染めながら、アスカに注意すると、アスカは矛先をカヲルに向けた。

「誰が重いのよ!大体、アンタが変な事言うからでしょうが!もう、何処触ってんのよ!」

「自分から転がってきたくせに!シートベルトぐらいしっかり締めろよ!
 それに僕は別に変な事言ってないじゃないか!
 アスカが勝手にミサトさんと喧嘩したんだろ!」

「何ですってぇ~、馬鹿ヲルの癖に生意気なのよ!」

アスカは、カヲルの頬を両手で引っ張っり、カヲルの笑える顔ににんまりと笑う。

「やーい、豚みたいな顔しちゃって~」

「ふぁふか、いふぁいって」

中々頬を離そうとしないアスカに、カヲルは涙目に成りながら負けるかと、アスカの頬を両手で潰す。
アスカの手が緩むと、カヲルは言ってやった。

「アスカの方こそ、豚みたいじゃないか!」

アスカは、無言で右手を離すと、高速で拳をカヲルの腹に抉り込ませる。
アスカの訓練された右フックは、的確にある程度手加減して放たれたが、カヲルの薄い腹には
十分な衝撃で、カヲルは咳き込んだ。

「ふん、バーカ」
アスカは手をパンパンと打ち合わせると、自分の席に戻ってシートベルトを確りと締めた。
そして、再び窓の外を見始めた。

「仲がいいのね~」

ミサトは、自分の悪戯の結果、被害をこうむったカヲルに内心で手を合わせた。
この歳の男女関係というものは、ど付き合いが含まれるもんよね、と微笑ましく思いながら。




■ ■ ■ ■




車は山間部に入り、なだらかな斜面の川沿いを徐々に登っていった。
田舎の果樹園や、何処までも広がる牧草地の間を通っていく。
山には広葉樹の木々が初夏に煌く青々とした葉を茂らせていた。

「うわー、ホントに綺麗ですね」
「そうでしょー。この辺りは海からも遠いから、セカンドインパクトの被害にもあんまり合ってないのよ」

カヲルは、目の前に広がるパノラマに目を輝かせる。病院の白い壁に飽き々としていたカヲルにとって、始めて見る独逸の田舎の風景は新鮮で、駆け出したくなる様だった。

アスカは、キャンプの間、加持さんに纏わり付こうと思っていたことを忘れるように、その風景に見入っていた。
窓から入ってくる風は、山々の木々の間を抜けて涼しく、草原の草花の優しい匂いがし、羊たちの鳴き声が風に混じっている。
何処か懐かしく、気持ちを落ち着けてくれる。
ヴィルヘルムスファーヘンの何時も潮の匂いがする空気と違い、胸いっぱいに吸い込みたくなるようだった。

「アスカ、ありがとう誘ってくれて。本当に、嬉しいや」

「お礼なら、加持さんに言ってよ。馬鹿」

アスカはくすりと自然に笑って、頬杖を付いて窓の外を見続ける。
アスカの日を浴びる横顔に、カヲルが見惚れていることに、アスカは気が付かなかった。
そんなカヲルの初々しい様子を見て、大人二人は黙って微笑み合うのだった。



■ ■ ■ ■



森の入り口、殆ど崩れた砦の近くで、四人はテントを張る位置を決めた。
車からバーベキューセットを取り出すと、さっそく昼食の準備をする。
折りたたみ式のテーブルを広げ、その周りに椅子を置いた。

クーラーボックスから肉類を出し、野菜を適当に切って、網に並べていく。
肉や野菜を切ったのは加持で、ミサトは既に椅子に座って、ビールを飲み始める。
どうも、ビールを入れたクーラーボックスの方が大きい様だ。

「青い空、美味しい空気!美味しいビール!最高だわ~。長い間運転して疲れた体に染み渡る~」
ミサトはぐびぐびと、ビールを喉を鳴らして飲んでいく。

「カヲル、あれが駄目な大人って奴ね。成るんなら、加持さんみたいな大人になりなさい」

アスカが、サイテーと言いながら、カヲルに注意した。
カヲルも苦笑いを返すしかなかった。もっとも、カヲルはそんなミサトが嫌いでは無かったが。

「アスカ、ミサトにもずっと運転してもらったし良いじゃないか。ミサト、俺にも一本くれよ」

「そーよ、アスカ。労働には対価が必要なの。これは正当な報酬なのよん」

そう言って、ミサトは缶を一つ加持に放る。受け取った加持もさっそくプルタブを抜いて、美味そうにビールを飲む。

「もー、加持さんまで!ミサトと居ると、加持さんまで下品になるんだから!」

「はは、アスカ、何だか、大人の特権って感じだね」

「そう!カヲルちゃん良い事言う!これは、大人の特権なの。そして二人の特権は、今なら幾ら食べても太らないこと!
 お肉も野菜も一杯有るんだから、どんどん、食べちゃって!・・・でも、おつまみは残しといてね。そのソーセージとか」

「言われなくても、食べるわよ。お腹空いたモン。これもーらい!」

さっと、アスカはカヲルが焼いていた肉を取る。

「あー、アスカ!それは僕が焼いといたんだろ!なら、僕はこれ!」

そう言って、カヲルはアスカの皿の上にあった肉を取る。

「あんたは野菜食べてれば良いの!私の肉を取らないでよ!意地汚い奴~」

「意地汚いアスカに言われたくないもんね~。これも、もーらい!」

「バーカ、生焼けよ、それ」



■ ■ ■ ■



食事が終ると、酒盛りを続ける大人二人を置いて、子供二人は砦の方に遊びに行った。
仲良く歩いていく二人の背を見ながら、ミサトは加持に話しかけた。

「加持君、ありがとね。誘ってくれて。何だか、ようやくアスカの素顔を見た気がする。
 加持君の前だと、いつもこんな感じなの?」

葛城は、先ほどまでのアスカの表情に、安堵を感じていた。
ああいった笑いが出来る子なら、自分はこれからも関わっていけると。

「そうだな。でも、最初はそうじゃなかったよ。手負いの獣みたいな雰囲気を持っていた。
 シンクロ率が徐々に上がって、エースとして自覚を持ってからは、良く笑うようになったけどな」

加持は昔のアスカを思い出す。当時のアスカの笑いは、今の笑顔とは、全く違うものだったと。
悲しみ、悔しさ、そんなものが入り混じった笑顔だった。

「エースとして笑っている顔なら、私だって何度も見た事が有るわよ。でも、それって何だか違うじゃない?
 歳相応の子供の笑顔と違うっていうか」

葛城にとって今のアスカの表情は、自分の高校時代のクラスメートが、教室で見せた笑顔と重なる。
将来の事なんて考えなくて良い、明るい自由な時を謳歌する笑顔に。

「そうだ。でも、そういう笑いを俺たちは強要してるんだ。兵士としての笑顔を。
 アスカは、子供っぽい笑顔を見せないんじゃない。見せられないんだ。そんなものネルフでは求められていないから」

アスカは、ネルフでチルドレンに求められているものを現しているのだと、加持は言った。

「でも、私は見たかったのよ。ああいう顔を。私たちは本来、ああいう笑顔を守る為に戦うんでしょう。
 だから、見たかったの」

「辛い役目だな。将来の作戦本部長様は」

加持は、一本煙草に火を付けた。車の中では吸えなかったので美味く感じたが、好きな女の前で演技をしているという実感は残った。

「何よ、皮肉?皮肉っぽい性格は相変わらずね。何と言われ様と、私はああいう顔をするアスカを守りたいつもりよ」

「俺たちの役目は、サードインパクトを防ぐ事だ。アスカのあの笑顔を守る事じゃない」

「そんな事、判ってるわ。でも、私は・・・」

「でも、そんな葛城が俺は好きだがね。俺も、あんな表情をしたアスカが好きだから」

加持は、ビールを飲みながら何気なくそう言った。

「あんたとは、もう何年も前に終ったの。馬鹿なこと言わないでよ」

葛城は、やだやだ痒くなるといって、お腹を掻く。

加持の板に付いた演技に、葛城は気が付かない。それは、加持の本音も含まれているからだ。
大学で出会い、一度は結婚しようとまで思った女を相手に、加持は本音と嘘を混ぜながら話すのだった。










[26586] 第10話 中編
Name: 二十二号機◆3ff6d448 ID:908f7153
Date: 2011/04/15 18:51




砦跡と言っても、石が積まれた壁が所々に残っているぐらいで屋根は無い。
ノイシュバイシュタイン城の様に白亜の壁が美しい訳でもなく、交通の便も悪い。
観光客も当然の様に依って来ないのだろう、完全に放置されている様だった。

私は、三メートル程の高さの崩れた壁をひょいひょいと上る。
壁といっても、石で作られたソレは幅が50センチくらいあって、足場には不自由しない。

壁の上から廻りを見渡すと、大体100平方メートルに渡って砦の基礎部分だけが残っている様だった。
その基礎部分も、所々膝まで伸びた草に覆われている。

「アスカ、危ないって。降りてきなよ」

そんな私に、カヲルが情けない事を言う。もっとも、カヲルとしては正直な忠告なのだろうが、
私にとってはこんな高さなんでも無いので、カヲルの忠告は馬耳東風といった所だった。

「嫌よ。そっちこそ、ヘビでも居ても知らないからね」
「ヘビ?アスカ、怖いこと言わないでよ。マムシでも居るわけ、こういうとこ」
「さーね。知らないから言ってるわけ。ヘビが怖いなら、上ってきなさいよ」

ふふんと私は、足元を見回しているカオルを笑った。私は、ヘビなど怖くなかった。
サバイバル訓練で、何匹か食べた事も有るぐらいだ。もっとも、捕まえたのも調理したのも担当教官だったのだけれど。

風ではためく髪を押さえながら、加持さんが居る方に眼を向けると、ミサトと何か話している。
遠目からでも、二人は楽しそうで、胸の何処かがキュッと締まる。
自分は加持さんが好きなのだと心底実感させてくれる。何だか、舌に苦い味が絡まっている様だ。

ミサトと昔馴染みだなんて、加持さんは教えてくれて居なかった。
キャンプだって、加持さんとカヲルと私、三人で行くはずだったのに、今日になって、ミサトを連れて寮に迎えに来た。

裏切られたという子供っぽい感情に支配されて、車の中ではずっと苛々としてしまった。
美しい田園風景に心を奪われても、頭の片隅でアラームが鳴り響いた。
ミサトという女の存在に加持が取られるんじゃないかという、初めての嫉妬心が首をもたげる。

確かに、ミサトは自分よりも加持さんに歳は近い。昔馴染みでもあるんだろう。
もしかしたらだけれど、男と女として付き合っていたのかもしれない。
耳をそばだてて聞いていた、車の中の二人の会話は、友人以上の関係を十分を匂わせるものだった。

自分と加持さんとの間にも、十分な時間が流れていると思うのに、加持さんとミサトの二人の間に、自分の知らない時間が流れていると思うと堪らない。堪らなくなってしまう。

自分がもう少し歳を取れば、もっと積極的にアプローチ出来るのにという思いがある。
でも、私は13歳で、加持は28歳。兄と妹ほどの今の関係を、何時か越えられるのだろうか。

後、五年も経てば、私も18歳だ。
精神的にも肉体的にも十分に成長すれば、ミサトと肩を並べて張り合う事が出来るのにと思うと歯痒かった。
今直ぐにでも、あの二人の間に割って入りたいのに、今の自分では子供が駄々をこねているようにしか見えないだろう。
そんな事は、プライドが許さない。ミサトに、そんな眼で見られるぐらいなら、死んだ方がマシというものだ。

「アスカ、加持さんとミサトさんは、そんな風じゃないよ」

私の表情から、カヲルが察したのか声を掛けてきた。

「あんたに、何が判るのよ。あの女が、火事場泥棒みたいになったらどうしてくれんのよ」

「それは、泥棒猫だろ」

「火事場泥棒だろうと、泥棒猫だろうとどっちでもいいのよ。加持さんはカッコいいんだから。
 あの女が変な気を起こさないとも限らないじゃない。
 良い?何か二人が良い感じになったら、あんた二人を邪魔すんのよ。それから、私に逐一報告すること」

私が、びしっとカヲルの顔に指を突きつけると、カヲルは心底不満げな顔をした。

「なんだよ、僕は別にアスカの子分じゃないんだからさ。しないよ、そんな事」

「あんた、私とミサトとどっちの味方なのよ」

「そりゃあ、もちろんアスカだけどさ。それとこれとは別の話でしょ」

「無神経!あんたには、恋する乙女の気持ちが判んないわけ?」

「そんな事、判んないよ。アスカの気持ちなんて、僕は知らないね。
 それよりさー、宝探しでもしない?
 何か、落ちてるかもしれないじゃないか」

「た、か、ら、探し~?子供ねー、カヲル様は!こんなとこ、何も落ちてないに決まってるでしょ。
 トレジャーハンターゴッコなんて、私はしないわよ。残念でした~」

「ふん、何か見つけても、アスカになんてあげないからね。一人で、ずっと二人を見張ってなよ」

そう言って、カヲルはさっさと歩いて行ってしまった。

宝探し。なんたる子供だと、私は壁の上に座る。足をぶらぶらさせながら、加持さんとミサトの方を見た。
なんで、あそこに居るのがミサトで、私じゃないんだろうと思いながら。
素晴らしい天気、心地よく頬を抜ける風、でも、寂しい気持ちに好きな人は気が付いてくれないなんて最悪だ。



■ ■ ■ ■




僕は、足元の草を拾った棒で掻き分けながら、歩いていた。
バッタやテントウムシのような虫は居るが、ヘビは出てこなかった。
本当に、何かお宝が見つかるかと思ってそうしているわけではない。
でも、気分が面白くなくて、惰性でそんな事をしていた。

加持さん、加持さん、加持さん、アスカは加持さんばっかりだ。

加持リョウジという人は、確かに男らしくて格好の良い人だ。
自分は、恋敵とも言えないような人だと思った。微笑にも、包容力のようなものを感じる。
アスカの加持さんは、僕だって憧れるような人だった。
でも、折角キャンプに来ているのだから、アスカはもう少し僕を構ってくれても良いんじゃないだろうか。

アスカに一人で遊ぶと言っても、彼女は僕の方を振り向きもしなかった。
アスカは、僕なんて見ていなくて、眼が追っているのは加持さんばかりだ。
僕が多少、多少アスカを好きなのに、無神経なのはアスカの方だ。
僕が、ちょっと傷ついてるってことに、気が付いてくれないのだから。

「・・・アスカは、昔から自分が美人だっていう所に無自覚な所があるからなぁ」

アスカは、自分でも自分が美人だと思っているようだ。
でも、それなら男からどういった眼で見られるのか、其処の所が判ってない。
それとも、そんな男の些細な気持ちまで気にして欲しいというのは、我侭だろうか。

「昔から、か」

ふと、自分の言っていることに矛盾を感じた。アスカの事を知ったのは、つい五日前だ。
アスカの昔なんて、全然知らない。
でも自分のアスカへの気持ちは、まるで、年月を経ていて馴染んでいる様に感じられた。
まるで、ずっと前から、アスカの事を好きだった様だ。

「アスカは、ぽんぽん気軽に会話をしてくれるからかな」

恐らく、何だかアスカと会話をしていると、気が置けなくて、昔からの知り合いの様に思ってしまうのだろうと思った。

「あーあ」

ため息を付いて、枝を放り投げた。アスカと会ってから、僕はため息が増えたような気がする。
まるで、案山子が心をもらって持て余しているみたいだと思う。

彼女と居ると、心が生を取り戻したように、病院生活に張りが出た。
でも同時に、心が自分ではどうしようもないもの、厄介なものでもあるという事を知ったのだ。
心は自分に活力を与えると同時に、自分を振り回す。
まるで、アスカが心の中に入ってきたみたいだ。

ふ、と息を口から出して、落ち込みかけていた気分をコントロールしようとした。
青空を見つめて、風を感じて、美しい景色に眼をやると、元気に慣れるような気がしてくる。

「宝探し、宝探し、と」

草を踏み分けて、もう少しトレジャーハンターゴッコを続けることにした。





■ ■ ■ ■




私は青空を見ながら、壁の上で寝ていた。
加持さんとミサトの方を見ていても、どうやらキスシーンになりそうな雰囲気でもない。
段々と見張っているのにも、飽きてきたのだ。

大きな雲が、ゆっくりと通り過ぎていく。低空を飛ぶ鳥たちが、囀る声が聞こえる。
私なんて存在が、ちっぽけな息をしていることに、誰も気が付かないような、そんな広大さを感じる。

セカンドチルドレンとして、世界の命運を握る立場に居るっていうのに、世界はどうしてこんな態度を取るのだろう。

そんな有り触れた勘違いに、私はふと笑みを浮かべて、詩的な考えになっちゃう私にけりをつけた。
加持さんが私だけを相手にしてくれないという寂しさのすり替えだと判っているからだ。
地球は地球。ただの岩石の塊でしかない。滅びたくないというのは、人間の勝手な願望だもの。

腕時計を確認すると、一時間ちかく私はぼんやりと寝転がっていたらしい。
起き上がって辺りを見回すと、大人たち二人はまだ酒盛りをしている様だ。
カヲルはどうかというと、砦の端っこの方に居る。
どうやら、トレジャーハンターゴッコを性懲りも無く未だ続けているらしい。

私は、夢追う盗掘屋でもからかってやろうと、カヲルの方に向って壁の上を歩いて行くことにした。
一度も壁から降りずにカヲルまで辿り着けたら、100点だ。
地面に足を付けた回数だけ、10点マイナス。マイナス分だけ、カヲルに馬鹿って言ってやろう。
そんなちょっとしたゲームを始めた。

「おーい、馬鹿、何か見つけた?馬鹿なんだから、そんな簡単に何か見つけられる訳無いでしょう?
 馬鹿ね、ホントに馬鹿。因みに、馬鹿って連呼してるのは、私の責任じゃないのよ?
 あんたが、中々辿り着けないようなところに居るからよ」

私が、カヲルに近づいていくと、カヲルは名にやら地面にしゃがみ込んでいる。
私の声にも無反応とは、どういう訳だ。ムカつく奴。

「ちょっと、どうしたのよ。気分でも悪いわけ?」
カヲルの側にしゃがみ込んで、カヲルの顔色を伺うと、何やら眼を瞑ってジッと動かない。
「ちょっと、どうしたのよ、カヲル」
カヲルの肩に手をやって揺さぶると、ようやくカヲルは顔を上げた。
「あ、アスカか。ちょっと、何だろう、立眩みをしたんだ」
「何よ、心配させないでよね」
一応、カヲルは病人だ。何か有ったのだろうかと思った。

立ち上がったカヲルは、少し神秘的な笑みを浮かべた。
私は、カヲルの何時もは浮かべないような笑みに少し、心動かされた。
「アスカ、右手を出して」
「何なのよ、アンタは」
私が内心を隠すようにぶっきら棒に右手を出すと、カヲルはそっと私の薬指に金色の指輪を嵌めた。

ちょっと、ぶかぶかしているけれど、その指輪は、蔦が絡まった様なゴールドのリングに、一房の葡萄が付いていて、その実の一つがルビーだろうか赤く輝いている。

「これって、まさか・・・」
私は、指輪とカヲルの顔を交互に見た。

「その通り!何か有るような気がして、地面を掘ってみたら有ったんだよ!
 それで、アスカに似合うかなって思って」

照れたような笑みを浮かべるカヲルは、何時ものカヲルだった。

「ふ、ふ~ん?で、何よ、これくれる訳?本物のアンティークよこれ。
 けっこうな価値が付くと思うけど」

「アスカは、僕の友達第一号だし、今日の記念に、さ」

「あんた男らしいところもあるじゃない。ちょっと見直したわ。
 うん、加持さんに見せてくる!」
  
私は、男の子に友達として指輪をもらうなんて、気恥ずかしくなって、脱兎の様に逃げ出した。
嬉しくて、体温が上がって耳まで赤くなってるような気がする。
右手に眼を落とすと、紅いルビーが魅力的に輝いていた。




■ ■ ■ ■




カヲルは、駆け出したアスカの背に、結局、加持さんには適わないかと苦笑した。
でも、指輪一つで、アスカがあんなに喜んでくれるなら、良いプレゼントになったな、と思った。
アスカが女の子らしく喜んでいる姿なんて、初めてで、ちょっと感動モノだった。

ただ、一つ疑問だったのは、あの指輪を見つけた時、付いていた石は透明な石ではなかっただろうか。
光の加減でそう見えたのかもしれないが、立眩みをして、軽く意識を失った後で、アスカの指に指輪を嵌めると、石は紅く輝いていた。

もしかしたら、魔法の指輪だったのだろうかとふと思った。
指輪を見つける時も、誰かに手招きされているように、何の変哲も無い地面を掘り返したくなったのだから。

その後、ミサトが加持を引っ張ってくるという一騒動があった。
何でも、男としてあんたも役に立つところを見せなさい、という事らしい。
カヲルちゃんも手伝うのよっ!という御達しだった。

カヲルは途中でアスカに手を引っ張られて、その場を抜け出し、近くの川で水遊びをして遊んでいた。
アスカの機嫌は本当に上々で、カヲルはプレゼントって効果があるんだなぁと、
水と一緒にきらめくアスカの笑顔に、感慨深い思い出になったと頷くのだった。

結局、大人二人の宝探しは夕日になるまで続いたが、何も見つからないという結果に落ち着くのだった。







☆ ☆ ☆ ☆


ちょっと、短め。だけど、まあ、良いですよね。遺跡でトレジャーハンターゴッコ、したこと有りますか。作者は、高校時代に平凡な石ぐらいしか拾った事がありません。まあ、それでも歴史マニアの子に上げたら、かなり嬉しがってもらいましたが。



[26586] 第10話 後編
Name: 二十二号機◆3ff6d448 ID:908f7153
Date: 2011/04/23 20:07


夕食を食べ終わって雑談に盛り上がり、アスカとミサト、カヲルと加持でテントに別れて寝る事になった。
アスカが私も加持さんと一緒が良いと言ったのだが、大人二人がそれを認めなかった。
アスカはぶつぶつと不満を言っていたが、加持がじゃあ、子供二人と大人二人に別れるってのはどうだ、と言ったら、ミサトがアスカを引っ張ってテントに入ってしまった。
ミサトは、加持と同じテントに寝るのは御免だったらしい。

カヲルと加持は一緒のテントに入ると、カヲルが直ぐに寝息を立て始めてしまい、加持はちょっとカヲルを伺ったが、カンテラを消し、自分も目を瞑る事にした。虫の音しか聞こえない、静寂に包まれる。
一時間程経って、カヲルがもそりと起き上がった。そして、静かにテントを抜け出した。

カヲルにとってテントの外は、都会の暗さに比べて、本当に暗かった。
街灯の無い暗さは初めてで、これが、本当の夜なんだ、と驚いた。
右手の森は、森というよりは黒い塊、砦の方も黒い石がゴツゴツとある月の風景の様だった。

「あれが、こと座のベガ、左下が白鳥座のデヌブ、そして右下がわし座のアルタイル。
 夏の大三角形って奴だな。せっかく抜け出したんだ、空をみなくちゃなカヲル君」

言葉に従って、カヲルが空を見上げると、満点の星空が広がっていた。
加持が煙草を吸いながら、カヲルの隣に立って、星座を指差す。

「加持さん。起こしちゃいました?」

「いいや、狸寝入り。君と同じ、だろ?」

ふふ、と笑う加持に、カヲルは何とも言えない表情をした。

「ばれてたんですか」

「寝にくかったかい。一応、石を取ってからマットを引いたんだが」

「そうじゃなくて・・・」
カヲルは、本心は言い出し辛かった。せっかくキャンプに誘ってくれた人に、嫌な印象は与えたくなかったからだ。

「知らない大人とは寝難かった、か。それが正解かな」

加持は、確信に近い事を言った。石がうんたら、なんていうのは冗談だった。

「すいません」

「謝る事は無いさ。ある意味、当然の反応だよ。葛城と俺は、君と初対面だ。
 ちょっと慣れたからって、不信感はそう拭えるもんじゃない」

「不信感とか、そういう事じゃなくて。何と言うか、僕は気弱なんだと思います。
 初対面の人に、一本線を引いちゃうっていうか、畏まっちゃうっていうか・・・」

「言い方が悪かったかな。この通り、俺はオジサンだし、君とは歳が離れてる。
 二人っきりじゃ何を話して良いか判らないってところだろ。だから、狸寝入り。
 そんな大げさな事じゃないさ。誰でもある事だよ。特に、思春期にはね」

「・・・加持さんは、アスカに好かれてるのが良く判る気がする。
 何となく、察してくれるんですね。でも、僕が気弱だって方がたぶん正解ですよ」

加持の言葉は、カヲルを勇気付けるものだったが、自分に自信の無いカヲルはそうは受け取らなかった。

「そうかな?俺は、そうは思わない。ちょっと歩こうか。二人の間に、まだ時間が足りないだけさ」

カヲルはちょっと戸惑ったが、加持が微笑みながら、ほら、おいでと言われて右手を差し出すと、
その手を握って歩き出した。

二人は、テントを離れ、砦の方に向って歩き出した。星と月しか光源は無く、何とか足元が見える
程度だ。カヲルは何度か転びそうに成ったが、加持に支えられた。
加持は確りとした足取りで、飄々と歩いていく。

カヲルは、自分の手を握る加持の手に、大人の手だ、と感じた。骨ばっていて、自分の細い指に比べて確りとしている。力強く、自分を引っ張ってくれる手だ。

何となく、アスカの好きそうな手だ、と思った。



■ ■ ■ ■



砦の広場になっている所で、二人は丁度いい大きさの石の上に座った。
カヲルが黙っていると、加持は空を見上げて星座の話を静かに始めた。
射手座が蠍座の心臓、アンタレスを何時も狙っている理由や、射手座の元はケイローンという馬人で多くの英雄を教育したという話だった。

「ギリシャ神話は、面白いかい?カヲル君」
加持は話に一区切りが付くと、カヲルに話しかけた。

「はい、加持さんは色んなことを知ってるんですね」
カヲルは、加持を尊敬の眼差しを送った。加持は少し照れた様に、無精ひげを触る。

「君より長く生きてるからね。本を読むのも好きだしな。カヲル君、君も暇なら色々本を読んでみるといい。
 先人の知恵は偉大だ。ドイツ語が読めないんだったら、今度、日本語の本を貸すよ」

「ホントですか。あの、ありがとうございます。正直、ドイツ語って未だ良く判らなくて。
 何だか、アスカが加持さんの事が好きな理由が判る気がするな。
 色々知ってるし、優しいし、行動的だし、何だか、僕に無い所ばっかりだ」

カヲルは、加持の顔を見ず、風に吹かれる草を見ながら言った。

「・・・アスカが、好きなのかい?」
加持は、カヲルの口調にアスカへの好意と、カヲルの劣等感を感じた。

「何となく、ですけど。何だか、アスカと一緒に居ると、楽しくて。
 駄目ですよね、こんなの。友達が少ないから、勘違いしているっていうか。
 アスカは、僕なんかよりもずっと魅力的で、良い人なんか幾らでも出来るだろうし」

少し俯いたカヲルに、加持は御茶らけた口調で話す。

「自分に自信が無いんだな~、カヲル君は。男はもっと、ガッツで恋愛に勤しまないと。
 もう少しで退院して、学校なんかに行けば、女の子なんて一杯居る。
 でも、アスカは一人しか居ないんだよ。
 星の数だけ出会いが有っても、本当に輝いて見える女の子に出会える回数は少ないんだ。
 そういう出会いは大切にしないと」

ガッツだよ、ガッツ、と言って、加持は握りこぶしを作る。そんな加持に、カヲルは苦笑した。

「僕なんかじゃ、絶対無理ですよ。アスカに比べて、僕なんて友達も少ないし。
 それに、僕とアスカの友情なんて、アスカの善意で成り立ってるみたいなもんだから。
 それ以上、先は無いっていうか」

アスカと自分がこの先どうなるのか?、カヲルにはあまり良い展望が思い描けてなかった。
カヲルにとって、アスカはとても魅力的な女の子だ。

アスカに友達や恋人を紹介されて、自分が薄れていくような未来がとても自然な事に思えた。

加持の隣で狸寝入りをしながら、カヲルは酷く怖かった。
昼間、川遊びをしながら、輝くような笑顔を見せてくれたアスカ、でも、自分はそれをいつか、そう遠くない未来に失ってしまうのではないかという現実感のある想像が、頭を廻っていた。

「アスカが、友達は多いって言ったのかい?」
加持は、煙草を燻らせながら、カヲルの兄であるかの様に問いかけた。

「え、いや、アスカは自分の事あんまり話さないんです。でも、それが当然だっていうか」

カヲルは言いよどむ。アスカの事など、殆ど知らないから。
でも、あんな風な笑顔で笑うんだから、人を惹きつけないはずが無いと思っていた。

「自分の事は、話さない、か。アスカも、どう話して良いか判らないんだろうな。
 アスカの親の代わりに言わせて貰うが、アスカは友達、あんまり居ないんだ。
 君とは積極的に付き合っているが、どちらかと言えば、人付き合いは苦手な方だよ」

加持は言葉を選びながら、自分の知る少女の事を話した。
肩肘を張って生きている彼女だ、自分の弱みなど、欠片も話さないだろう。
だが、人は相手の弱さも含めて愛した方が良い。

カヲルなら、この先アスカと共に歩む事が、大人たちに運命付けられたカヲルなら、アスカの弱さも知っておいて良い事だと思っていた。

「人のプライベートに干渉するなんて、柄でもない無いお節介を焼いているという思いは有る。
 でも、アスカは俺に取って、そうだな、大切な子なんだ。
 それに、君はいつかアスカを支えてくれると思うから話すんだが」

「アスカが、人付き合いが苦手なんて嘘でしょう?」
加持の言葉が、カヲルは信じられなかった。しかし、加持の表情は先ほどとはうって変わって真剣だった。

「いや、これは事実さ。アスカはね、特別な立場に居る。同年代の子と、競い合うような立場に居るんだ。
 そこで、アスカはトップを走っている。でも、いや、だからかな。孤独なんだよ。親との関係も薄いしね」

「アスカが」

「そうさ。何時も寂しがってる。人との繋がりを求めてる。でも、人前でそんな素振りは見せない。
 そういうのはさ、苦手なんだよ、彼女。それに、頭が良い子だからさ。取り繕うのが上手い。
 周りは中々、気がつけないんだ」

加持の中のアスカは、そんな女の子だった。
強気な態度も、憎まれ口も全て、自分を隠す為の演技、虚構に過ぎない。
そんな弱さをアスカは何時も内包しているように、加持は感じていた。

「僕も、騙されてたってことですか?」

「騙す、騙されないって言うと、語弊が有るな。人は、人に見せない部分を抱えて生きる事が有る。
 アスカには、その部分が多いって事さ。
 もし、アスカがそういった事を匂わせたら、優しく見守ってやってくれないか?
 それに、出来れば、アスカを助けてやって欲しい」

この通り、と言って、加持は頭を下げた。そんな加持に、カヲルは慌てる。

「加持さん、そんな事辞めて下さい・・・。
 僕は、僕が何か出来るか判らないけど、アスカがどんな立場に居るのか判らないけど・・・。
 もしも、アスカの為に出来ることが有るなら、出来ることをしようと思います」

出来る事を。自分にとって出来る事なんて、僅かだろうと思いながら、カヲルはそう言った。
でも、何かが出来るなら、出来るだけためらわずに、やってやりたいと感じていた。

「そうか。ありがとう。君は、優しい子だな」

加持は、取り合えず上手くいったかな、ともう一本の煙草に火を付けた。
紫煙が自分の気持ちの様に、揺らめく様を見つめる。アスカが絡むと、自分の信念が僅かに揺らぐのを感じた。

「煙草って美味しいんですか?」

「体には悪いよ。でも、一時の気分転換にはなるかな。もう少し、星座の話をしてあげようか・・・」




■ ■ ■ ■




アスカが、草叢の影からカヲルと加持を覗き見ていると、何時の間にかミサトがやってきて、アスカの横に同じ様に身を屈めた。

「男同士の話を、盗み聞きするのは良くないわ、アスカ。テントに戻りましょう」

「ちょっと待って」
そう言って、アスカはミサトを小声で押し留め、二人の会話に耳を澄ました。

加持がギリシャ神話を話し終わり、アスカの事をカヲルに話し終えたころ、ミサトが、アスカをテントに帰るように促した。
テントに向って歩いていく、アスカの足取りは重かった。つま先で、落ちていた石ころをつつく。

加持が言うように、アスカは自分の弱みなど、カヲルに話したことは無かった。
必要ないと思っていたからだ。
いざ、カヲルに自分の事を多少なりとも知られたと思うと、恥ずかしいのではない、何処か、怯えるような気持ちになった。

二人は黙ったまま、テントに帰り、横になった。アスカは、テントの堅い布地を見ながら、呟いた。

「ミサト・・・。私は別に盗み聞きしてた訳じゃなくて、二人の間に入りにくかったのよ」

「そう。でも、あまり褒められた事じゃないわね」

ミサトは、眼を瞑ったまま、それに答えた。

「ミサト、加持さん、何で、あんな事話したんだと思う?」

あんな事、とは自分の事だ。何故、カヲルの同情を誘うような事を、加持はカヲルに言ってしまったのか。
折角、エヴァとは無関係な友人を作ったというのに、これでは台無しでは無いか、と思った。

「アスカなら、判ってるんじゃない?」

ミサトは、聡い少女なら自分なりの回答を導き出しているのではないか、と思った。
だが、アスカの答えは歳相応のものだった。

「加持さんには悪いけど、良い迷惑だわ。アイツの顔を明日、どんな風に見たらいいのか判らない。
 それに、アイツ、きっと勘違いしてると思うわ」

明日から、カヲルは自分の顔をどう見るのだろうか、同情?哀れみ?そのどれもが、要らなかった。
カヲルの愛も要らなかった。ただの友人として都合の良い関係だけが、そんな普通の関係だけが、欲しかったのに。

「カヲル君が勘違い、か。良い子じゃない、カヲル君。アスカの為に出来ることをする。
 中々、言える事じゃないわ?そうでしょ?」

ミサトは、カヲルの青臭い言葉が贈られたアスカが、少し羨ましかった。
自分には多くの友人が居るが、そんな風に言ってくれた人は、どれぐらい居ただろうか。
高校時代、大学時代、数えてみれば、片手に収まるだろう。

「アイツは馬鹿なのよ。人が他人に出来る事なんて、殆ど無いわ。そうでしょ?自分次第なのよ、なんでも」

全てが自分次第、自助努力。
それだけが、アスカが孤独な人生の中で学んできた一人で生きていくための知恵であり、教訓だった。

全ては自分次第、そう言いきるアスカに、ミサトは子供らしい考えね、と思いつつ、アスカに掛ける言葉を思い出そうとした。
加持の様に口が廻るわけではないが、大人には子供に言ってやらなくてはいけない事もある。

「人は、人の間で生きているの。今の時代、ちょっとそんな事忘れちゃうけど。
 人との関わりっていうのは、人生の大半を占めるのよ。だから、人とは良く付き合ったほうが絶対にオトクよ。
 加持は、ちょっとお節介だと思うけれど、そうよね、何れ、アスカ自身がカヲル君に話せば一番良いことだから。
 でも、加持は、カヲル君にもっとアスカの側に居て欲しかったのよ。
 そうすれば、アスカの人生がもっと豊かになると判断したのね」

人との関わりが人生の大半を占める。だから、人と良く付き合いなさい。こう言ってくれたのは、高校時代の教師だったろうか。
今、思えば、思春期の狭間で、両親の愛だけでは足りなくなり始めた子供たちに、良いことを言ってくれたものだと、ミサトは思った。
子供は大人に成るにつれ、本当の友情や異性への愛という奴への嗅覚を発達させていく。
そんなもの無くても言いという子も居るが、やはり寂しさだけは残るのだ。

思春期に入ったアスカも、きっと自分なりにそういったものを求め始めているのだろうと、ミサトは思った。

「加持さんはお節介よ。私、カヲルに自分のことなんて話すつもりは無かったわ」

「でも、もっとカヲル君と深く関わりたいとは思わない?今よりずっと、人と支えあう様に生きたいと思わない?」

「そんなの、そんなの理想論だわ。カヲルが、ただ私を可哀相な子だって思わないって、どうして言えるのよ。
 そんな感情要らないわ」

「理想論じゃないわ。人と人はそういった関係にも成れるのよ。
 それに、カヲル君を信じてあげたら?加持は、カヲル君を信じたのよ。だから、アスカの事を少しだけ話したの」

そう言いつつ、私はそんな関係、昔に置いて行ってしまったかしら、とミサトは思った。
自分は随分と人を省みないで、夢を追ってきた。
今、偉そうにこう話している自分とアスカの間にどれだけの違いが有るのか、判らなかった。
でも、アスカの様な子供にはそんな関係という人生の果実を味わって欲しかった。

「・・・信じるって何よ。私は、アイツとあって、一週間ぐらいなのよ。それで、信じられるっていうの?」

「面白いことにね、人との繋がりに、時間は関係ないこともあるの」

「判らないわ、私には」

時間が関係ないというならば、どうしてこんなにも明日のカヲルが怖いのか、アスカには判らなかった。

「アスカ、私ね。セカンドインパクトで父親を目の前で失ったの。
 丁度、中学生の時だから、歳はアスカと同じくらいね。
 酷く、心に傷を負った。ずっと、誰の言葉も聞かずに、病院の壁を見つめてたわ」

何の特徴も無い、白い壁。それだけが、私にとって一時期、世界の全てだった、とミサトは言った。

「私は、あんたの弱みなんて聞きたくない」

「聞いてよ、私にとって大事なことなんだから。アスカに、私の言っていることが伝わりにくいと思うから、
 ちょっと、私の思い出を話そうと思って。続けていい?」

ミサトは、アスカの無言を了承と捉え、瞼の奥に当時の情景を描きながら語り出した。

「私が病院に入って、半年ぐらいだったかしら。
 あまり、時間の感覚が無かったから、良く覚えて無いのだけれど・・・、ある日、千羽鶴が届けられたの」

「千羽鶴って何よ」

「折り紙って知ってる?紙を折って、動物なんかを作る遊びなんだけど。
 千羽鶴っていうのはね。鶴を幾つも作って、それを紐で繋げるの。
 日本では、病人の回復を祈って送られるものなのよ」

その千羽鶴を、ミサトは今でも直ぐに思い出すことが出来た。

「それでね。私、その色とりどりの鶴をまたずーっとただ見てた訳だけど。
 母が手紙を読んでくれたの。手紙の送り主は同級生の女の子だったわ。
 手紙には、自分の母も死んでしまった事、クラスメートも随分亡くなってしまった事、それでも、自分独りで幾つも折り紙を折った事、元気になって欲しいって、また、遊びたいって事。
 そんな事が書いてあったわ」

「その友達とは、それほど親しい訳じゃなかった。親しい時間は私とその子の間にそれほど流れていなかったのよ。
 それに、自分のお母さんも死んでしまったのにね。その子は、私に鶴を折ってくれたの。
 私、その時、泣いたわ。自分の感情を閉じ込めて居たのだけれど、堰を切ったように涙が溢れてきた。
 ただただ、涙が出たのだけれど、その後、私はもう一度歩き出したの」

今思えば、ありふれた言葉で書かれた手紙だった。
でも、人の心に届くのは行動であり、飾った言葉ではないと、その時学んだのだと、ミサトは思っていた。
そして、もう一つ学んだ事をアスカに話した。

「アスカ、時に人はね、自分ではどうしようもない事もあるの。
 でもね、そんな時、誰かが居てくれるっていうのは、とても大切な事よ。
 病院を出た後でも、ちょっとした事で落ち込んだ時なんか、良くそう思ったわ。
 加持は、アスカにとって、カヲル君がそうであったら良いと思ったんだと私は思う」

「ふーん。感動的な話ね。・・・悪いけどミサト、私、もう眠いから寝るわ」
アスカは、その話が良く判らないという様に、ミサトの話を遮る。

「そうね、もう寝ましょうか」

ミサトは、アスカの言葉に未だ人との距離を縮める事に慣れない、あどけなさを感じた。


――でもね、そんな時、誰かが居てくれるっていうのは、とても大切な事よ

アスカは、その言葉を思い出しながら、カヲルとそんな関係を築けるだろうかと思った。
今のように、自分を偽った関係の先にでも、そんな関係が有るのだろうか、と。
自分の指に嵌る、カヲルから贈られた指輪を弄りながら、アスカは物思いに耽った。












[26586] 第11話
Name: 二十二号機◆3ff6d448 ID:908f7153
Date: 2011/05/04 02:03



―― 僕は、僕が何か出来るか判らないけど、アスカがどんな立場に居るのか判らないけど・・・。
 もしも、アスカの為に出来ることが有るなら、出来ることをしようと思います

私は寮の自室のベットに横になって、盗み聞きしたカヲルの言葉を反芻しながら、天井を見つめていた。
唇から漏れる音は、聞きなれない友情の言葉。私に向って言われた言葉じゃないけれど、確かに、私に贈られた言葉だ。

あの夜の後、帰りの車中の中、私はカヲルの顔を見ようとせず、そのまま彼と判れた。
加持さんやミサトと意識して多く喋り、カヲルの事は無視した。
別れの言葉を口にする時だけ、彼の瞳の奥を観察するように見つめた。

カヲルの心の底など見通したかったからだ。そこに有るのは、可愛い女の子を見る下心であって欲しかった。

私が見つめると、彼はちょっと犬が困った様な顔をして、短く――じゃあね、アスカ、とだけ言った。

私が気分屋であることを察している彼だけれど、どうして私が彼と喋ろうとしないのかは判らなかったのだろう。
私が楽しい二週間の休暇の終わりを見据え、彼への別れの言葉を考えているなんて、想像も出来なかった
はずだ。友達と仲良く成り始める時、一番心が湧き立つ時に、最低の別れを演出することを考えているなんて。

「アンタに何が出来る訳?所詮、人は一人なのよ。一人で如何にかして、もがいていくしかないの。
 さっさと大人に成りなさい。ちょっと、仲良くしてあげたからって、調子に乗らないで。
 じゃあね、二度と会わないと思うけれど、気晴らしに付き合ってくれてありがと」

でも、私が車に揺られながら、頭の隅で考え出した言葉は、結局使われることは無かった。
何時ものように、つい彼と出会う二週間前のように振舞えば良いだけの話だった。
私にとって、それは慣れた演技で、長年付き合ってきたもう一人の私と言っても良い。
でも、私は病院の前で、彼にそう言う事は出来なかった。

彼と別れる理由なんて、千は考えられた。友達にするタイプじゃなかったとかいうものから、
最も妥当性の有りそうなものとしては、エヴァのパイロットとしての職務に支障を来たすというものだ。
甘っちょろい感傷なんて、私には必要ない、いや、エヴァのパイロットには必要無いのだ。

でも、私はそんな千の理由たちが、自分を納得させる見せ掛けの理由でしかない、と判っていた。
だから、使えなかった。

私は、本当は怖いのだ。父に対する思いの様に、それは漠然としていたけれど、はっきりと自分の中に感じられる感情だった。

何が怖いのか?カヲルに別れを言う事?でもそれは、簡単に「出来る」事で、躊躇する様なことじゃない。一度息を吸って、流暢な日本語ではっきりと言ってやれば良い。
単純な事、酷く、単純な事だ。

彼を傷つける事が怖い?そんな事、知った事じゃないと何時ものように割り切ってしまえば良い。
そう、何時もやってきた事じゃないの。チルドレン候補に敵意を持って接してきた様にすれば良いだけ。

そんな私は、頭を廻る考えの中でひっそりと佇む、一人の私に気がついていた。
枕を抱きしめ、そんな私に手を伸ばす。彼女が言う言葉は判っている。

「・・・怖いんでしょ。自分が傷つく事が」

私が呟く、私の中の一人の私の言葉。それは、酷く正鵠を射ているものだった。





■ ■ ■ ■




私は酷く自己嫌悪して、今まで放って置いた帰省の準備に何日かぶりに手を伸ばす事にした。
鬱っぽく成る時は、走ったり、筋トレしたり、勉強したり、気分転換をして何かに集中した方が良い。
そうやって、生産的な事をしている方が、何ぼかマシというものだ。

一度取り掛かると、荷物の用意など、あんなに迷っていた事が嘘の様に直ぐに片付いてしまった。
これなら、明日にでも実家に帰れる。そうだ、実家に帰ろっかな、と思った。
残りの休暇を実家で過ごし、カヲルには電話の一本でもするか、手紙でも一枚送れば良い。

口上はこうだ。

――休暇が終って、忙しくなるから、もう会えないと思う。元気でやってきなさいよ

私は椅子に座って、カヲルに貰った指輪を弄りながらこう思った。
「今度は、もっと良い奴に出会えると良いわね」
思った事が自然と口から出てきた。そう、今度は私みたいに諸事情ある冷血な女じゃなくて、単純な良い友だちって奴が彼に出来て欲しかった。

私が、机に指輪を置くと同時に、玄関のベルが鳴った。時計を見ると、夜の10時を廻っている。
こんな時間に誰だろう、寮には誰も残っていないはずだ、と思いながら、インターホンまで行く。
私は眉をひそめた。葛城ミサトが、カメラドアホンに映っていたからだ。

無視してやろうかと思ったが、一応、声を掛けてやった。
「こんな時間に、何の様よ、ミサト。人を訪ねるには、ちょっともう失礼な時間じゃないかしら?」
私は、ワザとちょっと礼儀正しくする。この女とは、一本の線を引きたかった。

「起きてて良かったわー、アスカ。窓から電気が漏れてるから、多分大丈夫だろうと思ったんだけど」
ミサトはにこにこと笑い、カメラにピースサインなんかしている。何なのよ、この女。

この女は、私の寮の部屋の位置まで把握しているのか。いや、寮に居るのが私だけだと知っていたのかもしれない。

「何の様か知らないけど、明日にしてくんない?もう疲れたから、寝ようと思ってるのよ」
私は、ニヤリと笑いながらそう言った。
明日になったら、私は早朝に実家に帰っちゃえば良い。この女は、肩透かしをくらうわけだ。

「アスカ、お姉さんとちょっとお話しましょ?ジェラートも有るのよ。ほら、駅前の。
 ナッツが入ったチョコの奴、好きなんでしょ?他にもプレゼントを持ってきたの。すっごく良い物よ」

そう言って、ミサトは手に持っていた袋を掲げた。袋には確かに私の好きな有名店のロゴが入っている。
確かに、私はへーゼルナッツが入ったチョコのジェラートが好きだ。誰から聞いたのか知らないけれど。

私は、少し扉を開けることにした。紙袋だけ受け取ろうと思ったのだ。
正直、プレゼントなんて要らなかったが、シャワーを浴びた後に、ジェラートを食べるのは良い気分転換になりそうだった。荷物の整理をしてちょっと疲れたから、甘いものが食べたかった。

私が少し扉を開けると、急に、ミサトがドアノブを引っ張った。私はたたらを踏んでしまう。
その隙に、ミサトはずかずかと部屋の中に入ってくる。チェーンをしておくんだった、と気が付いた時には遅かった。

「美少女の部屋に侵入成功!アスカ、ちょ~っとだけお邪魔するわね」
ミサトは、ウインクをして、置くに入っていった。

「ちょっ、ちょっとあんた、勝手に部屋の中見ないでよ!」

私は、急いでミサトを追った。




■ ■ ■ ■




「広いわねー。さすが、エースの部屋って感じ。片付いてるし、家具もセンスの良いものばっかし。
 いーなあ、こんな部屋にお姉さんも住みたい」

ミサトはソファーに座り、私が出したコーヒーを飲みながら、そう言った。私は、カップに入ったジェラートをスプーンで食べながら、相槌を打つ。ミサトが持ってきたという事実を除けば、とても美味しかった。

「二部屋しか無いってのに、広いも何も無いわよ」

「日本の住宅事情を知らないから、アスカはそんな事言えるの。そんなんじゃあ、日本に来た時、苦労するわよ」

「日本の名物、ウサギ小屋って奴ね。悪いけど、そんな部屋に住む気は無いわ。
 それなりに広いアパルトマンを用意してもらうつもりよ」

狭い部屋で生活するなんて、考えられない。そんな私を見て、ミサトは腕組みをして唸った。

「一人暮らしかー。アスカになら、予算は下りると思うけど、一人暮らしってそれなりに大変よ。
 食事だって、今みたいに食堂に行けば良いわけでもないだろうし。料理、掃除、洗濯、みーんな一人でやるのよ」

アスカに出来るか心配だわ、とミサトは首を捻っている。

「あんた、私を生活不能力者だとでも思ってるわけ?大丈夫よ、私は何処だって上手くやっていく自信があるわ。
 料理は覚えなくちゃいけないかもしれないけど、掃除に洗濯ぐらいなら、今だって自分でやってるもの」

「そう?私が知ってる誰かさんは、部屋が何時の間にか荒れてきちゃって、一週間もしない内に、動物の巣みたいになっちゃうのよ?居心地は良いらしいんだけど」

「誰よソレ。そんな奴、居るわけ?フツー」

ミサトは、居るのよねぇ、居ちゃうのよねぇ、と真剣に悩んでいる。もしかしたら、ミサトのそれなりに親しい人かもしれない。
ミサトの彼氏とかかも。大酒呑みには、生活不能力者が彼氏でも不思議じゃないかもしれない。
そんなミサトの彼氏を想像して、加持さんは無いわねと思った。加持さんは生活スタイルも楽しむだろうから。

「そういえば、アスカ?実家に帰るつもりなの?」
ミサトはふと顔を上げて、私の私室の方を見た。スーツケースが鎮座しているのに、気が付いたらしい。

「ええ。明日、帰るつもりよ。偶には、家族サービスもしなくちゃね」
私は、曖昧に頷いた。

「そっか。もう、休暇も後3日だものね。親御さんも、アスカに会いたがってるでしょ」

何だか、ミサトは嬉しそうだった。人が家に帰るのが、そんなに嬉しいものなのか。
歳を取るっていうのは、判らないものだ。

「まあ、歓迎してくれるとは思うわよ。久し振りだし」

きっと、義母は得意の料理を振舞ってくれるだろう。笑顔を浮かべる事を意識しながら、食事をする自分が想像できる。6歳になった妹の相手を同様にして、父は、そんな私を戸惑いながら見ているだろう。

「親は、何時でも子供に会いたいものよ。家の母親も五月蝿いのよ。
 いつ帰ってくるの、なんて電話する度に言われるんだから。
 後、結婚なんかも五月蝿いのよ?まだ、そんな歳じゃないのに」

「そう。結婚は抜きにしても、私の家はそれほどでも無いわよ。放任主義というわけではないけど、理解はしてくれてるみたい」

「理解が有るなんて、良い親御さんね。私なんて、軍人になってるなんて、まだ曖昧にぼかして話してるのよ。
 絶対に反対されるだろうから」

「ふーん。まあ、人それぞれ、って感じね」

どう答えて良いか困る話題だ。私には家族の事を人と話すには、話題が親密すぎて困る。
溶け過ぎたジェラートみたいに扱いに困る。美味しくないとは言えないし、けれど美味しいとも言えない。
無表情に飲み込むしか無いものだ。

エヴァに乗っている時、どんな時が一番好きかとか、そういう他愛の無い話題に次第になった。
そんな話題だったら、幾らでも私は口が廻った。得意になって、私は話をした。

「それで、さ。アスカ・・・カヲル君とは、もう会わないつもり?」

私は、突然の話題転換に、スプーンを止めて、ミサトの顔を見る。
何だかミサトの顔は、無理に優しさを演出している様だった。

「いきなり何を言い出すかと思ったら、カヲルの事?別に、もう休暇は終わりってだけじゃない」

私は、自分の悩みをこの女に言い当てられた事に苛々しながらそう答えた。
家族の事といい、カヲルの事といい、こいつは本当は何が言いたかったのか理解した。

「キャンプでの事といい、ミサト、人の事構い過ぎじゃない?お節介も、あんまり度が過ぎると五月蝿いわよ」

「そうかもしれないんだけど、でも、私は加持と同じでアスカに幸せになって欲しいの。
 一度しかない青春時代なんだから、もっと良い思い出を作ったって・・・」

「友達の一人や二人で、どうしてそんなに気を使わなきゃいけないのよ。
 それから、加持さんを引き合いに出さないで!アンタのそういう所、本当にムカつくわ!
 何も知らない癖に!」

私は何だか裏切られた様な気分になって、ミサトに怒鳴りつけた。頭が真っ白になって、私は立ち上がり、ドアを指差した。

「帰って!帰りなさいよ!」

ミサトは黙ってバックから何かを取り出し、それをソファーテーブルの上に置くと立ち上がり、ドアに向って行った。
一度だけ振り返ると、こう言った。

「コーヒー美味しかったわ。それから、アスカ、御免なさい。でも、私の気持ち、多分、アスカになら判ると思ったの。
 プレゼント、気に入ってもらえないかもしれないけど、机の上に置いておくから」

そう言って、ミサトは帰って行った。




■ ■ ■ ■




私は、ミサトが居なくなった後、ミサトの呑んでいたコーヒーカップをドアに投げつけたかったが、何とか自制して、シャワーを浴びる事にした。熱いお湯を顔に浴びて、デリカシーの無い奴だとか、ミサトの悪口を散々言って憂さを晴らした。

さっぱりした気分になって、髪をタオルで拭きながら、私はパソコンに向った。
父親に、明日帰るとメールを打つためだ。後3日しかない休暇で御免なさいだとか、心にも無い事を書いていく。

文面を考えながら、私は何だかミサトへの態度を反省し始めた。
メールや手紙を書くということは、自分と向き直ることでも有るのかも知れない。

「加持さんだったら、もっと上手くやるわよ、ね・・・」

そうこれがもし、ミサトではなく加持さんだったら?私の気持ちをもっと良く考えて、もっと言葉を選んで優しく言ってくれただろう。
そうしたら、私は素直に頷きながら話を聞いていたかもしれない。
加持さんと私の間には、信頼関係が有るから、きっとそうなっていただろう。

私はため息を付いて席を立つと、ミサトが置いていったものを確認してみることにした。
受け取るかどうかは別にして、確認だけはしようと思ったのだ。

それは、白い便箋だった。中を確認すると、遊園地のチケットが二枚入っていた。
そして、小さなメモが、ひらりと便箋から落ちた。

――カヲル君と楽しんできて

身を屈めて拾ったメモにはそれだけがシンプルに書かれていた。

「それだけ言えば良いのよ、それだけ」

私は、肩を落としたミサトの様子を思い出して、慰める様にそう言った。
遠まわしの言い回しなんて、好きじゃない。

私は、父へのメールに明日の夕方に家に着く、午前中は友人と遊園地に行くからと書いた。
最後の遊びだから、カヲルとちょっとデートしてやってもいいか、と思った。
ちょっとだけお洒落して、カヲルを迎えに行こう、そして、良い別れを演出しようと思った。

悩んだが、携帯からミサトにもメールを送った。

――sinple is the best. danke.

それだけ。








☆ ☆ ☆ ☆


もう少し時間が有ったら、加筆修正するかもしれません。




[26586] 第12話 Ich-Ich=diavolo 私から私を引いて出てくる悪魔 前編
Name: 二十二号機◆3ff6d448 ID:908f7153
Date: 2011/05/26 21:00



その日、私は普段よりも一時間早く起きて、準備を始めた。熱いシャワーを浴びて、すっきりと眼を覚ます。
朝食をトーストとオレンジジュースだけで手早く済ませると、デート用に装い始めた。準備している間、付けっぱなしにしたテレビによると、
今日も快晴らしい。

アイロンを掛けた灰色のギンガムチェックのワンピースに白いサンダルを履いて、銀の細いチェーンのネックレスをそれに合わせた。
ネックレスには、カヲルから貰った金の指輪を通してある。
指に嵌めると抜け落ちてしまうけど、ネックレスに通しても指輪は洒落たデザインだから、アクセントになって丁度良い。
髪を梳かし、唇に薄く口紅をひき、リボンがデザインされた白いポシェットを肩に引っ掛ける。

鏡の前で、デート用に装った自分と見詰め合って、納得する。
ワンピースから伸びる細身の手足、良く梳かされた髪、卵型の顔、青い瞳はチャーミング。
決して裏切る事を知らない、最高の友達である自分自身は今日も完璧のようだ。

「今日も最高ね、アスカ」

鏡の中の私は、私の言葉に何時ものように、私を見つめて何も言わない。でもそれで良いのだ。私は黙って私に従っていれば良い。
ただよくよく見ると、ちょっと口紅がケバイかと思って、鏡に顔を近づけるとハンカチで拭い取った。

私は再び鏡から少し離れて立ち、自分の姿を確認する。

カヲルに対しての思いは自分のちっぽけな感傷だ。
その感傷の中には、母を無くしたトラウマを抱える幼い自分と、
例えどんな立場に居ても自分を認めてくれる友達が居てもいいという、私の甘い理想論を抱える13歳の私からの、抗議だと思う。
13歳の私は、ミサトの言葉に惹かれて、私の背を押そうと頑張ってる感じ。

「正直、そんなものを意識して、幸福な人生なんておくれるの?重いだけじゃない」

私は、そんな私に向って、キツイ口調で言ってみた。
そして、そんな内側の私からの干渉を捨てて、自由に生きる為に、カヲルに向けるつもりでにっこり笑ってやった。
そこには、エヴァンゲリオン弐号機パイロットとして理想的な私が居た。


■ ■ ■ ■


寮を出る前に、寮に残っていたスタッフに声を掛け、帰省の荷物を実家まで送って貰える様に手配した。
こうすれば、カヲルと別れた後、私はそのまま実家に帰れるからだ。

そして足早に寮を出て、病院までの道の途中、私は心の中で鼻歌を意識しながら歌って歩いた。
そのアップテンポの曲調は、未来へ向って歩く女を讃えたセレナーデであって、儚かった友情へのレクイエムじゃない。
そう、やっとこの日を境に、トモダチだとか人生だとか余計な事を考えず、弐号機の操縦桿を握って集中する日常に戻れるのだから。

自分は寂しい女だ、という思考が無い訳ではない。
でも、そんな女は、思い付きで作ったトモダチが渡してくれる幸福感と、自分を不安定にさせる良く判らない感情を天秤にかけてみればいい。
そうすれば、どちらが心に取って置きたいものか判るはずだ。

エヴァ弐号機のパイロットという立場は、自分の他に、誰も手が伸ばせない場所だから。
その場所に立つ自分が、これ以上、良く判らない感情に揺れ動いて良い訳が無い。

幼かった自分への手紙に、カヲルというトモダチ候補が出来るなんて嘘を付いてしまったかもしれないけれど、今の私は、もう幼い女の子じゃない。背中一杯に、背負うものを持っているんだもの。
その上、その背負うものだけは、人に自慢できるぐらいに重いものだ。何しろ、人類の明日なんて背負っているのだから。

色んなものをブッチラケ、踏み越えて、ここまでやってきた。
寂しいともらす口を閉じて、背中の荷物を背負いなおす、そして、自分の荷物が増えるような事は決してしないという、習慣が出来ているかもしれない。

この休暇は、余計な荷物に気が付く隙を私に与えた、そういう意味では失敗だったのだろうか。
カヲルとの出会いは、失敗だったのだろうか。

いや、トモダチを実験的に作ってみるなんて、慣れない事はしない方がいいという事が判っただけでも、この休日は有意義だったと思う。
自分の心の重心をずらす様な事には、これからはあまり触れようとしない方が良いという教訓も出来た事だし。
何事もプラス思考に考える事が、人生を前向きに渡る方法だと言ったのは誰だっただろうか。私はその言葉に賛成しておこう。

今の気分は何だか、二週間近い小旅行を終えて、家路に着いているようだとふと思った。
私の体、いや心だろうか、が家に帰って荷物の重さから開放される時を、そしてお湯が張られたバスタブの中で手足を伸ばす時を待ち望んでいる。

そして、カヲルとの思い出を現像し、心の隅に置かれたアルバムの中に収めるのだ。ふと、思い出すぐらいなら別に良いと思う。
それぐらいなら、私にだって許されても良い筈だ。

そんな事を考えながらも、私は、時折道すがらガラスに映る自分自身を横目でチェックした。
自分の様子に変な所は無いか、カヲルに対して気後れを感じていないか、そんな風に私自身を見張った。
見張っていなければ、何となく根拠の無い理想論に自分が傾きそうだったから。

根拠の無い理想論は、頭の片隅でちらついている。それが、自分にまだ甘さが残っているようで、苛々した。
カヲルとは金輪際、会わない。そうと決めたのだから、そうするのが私だ。
カヲルと別れれば、そんな妄想からも開放されるはずだったと、ガラスに映る自分を睨んでやった。

そんな自分への監視行為を続けながら、私は病院に着いた。
私は、カヲルの病室の前に着くと、相応しい演技が出来るように、一度息を吸って自分を整えた。

白い病室に入ると、カヲルはベットの上で単行本を読んでいた。少しは、独逸語が読めるようになったのだろうか。
それとも、童話でも読んでいるのかもしれない。
子供っぽい?私には良く判らない魔法の言葉・優しい未来への啓発文書を、恐らく自然と読めるのだとしたら羨ましい。

ちょっとそんな様子を見つめていたけれど、私は気を取り直して、私はカヲルに声を掛けた。

「カヲル、おっはよー。今日も良い天気ねえ」

厭くまで平常を装ったのだけれど、私は自分の声が普段よりも一オクターブ高い様に感じた。
押さえつけていた内心の動揺が、私の意識とは関係なく零れ、私は自分を叱咤する。

「お、おはようアスカ。今日はどうしたの?何だかお洒落しちゃって、もしかしてデートとか?」

カヲルは、普段どおりの間抜けな顔をして私を迎えた。つい先ほど起きたという顔で、そんな彼に私は安心した。

「まあ、ね。今日は天気も良いし、ちょっと出かけようと思って。
 言っとくけど、相手はアンタよ?加持さんって言いたい所なんだけどね。
 さっさとちょっとお洒落しなさいよ。
 遊園地のチケットをミサトにもらったの。別に何時も通り、暇なんでしょ?」

「え、あ、うん。うん、相変わらず、暇なんだけど。・・・僕なんかで良いわけ?
 そんなにお洒落してるのに」

カヲルは本を閉じ、ちょっとどぎまぎする様に私の服装を見上げた。私はふふんっと顎を上げた。
うん、どうやら、カヲルは私が可愛すぎて気後れしてるみたいだ。

私が舞台の主導権を握ろうと思って可愛くしてきた訳だけど、素直な反応で大変宜しい。
カヲルに何を恐れていたのだと、内心笑いが込み上げてきた。

「もう直ぐ、休暇が終っちゃうからね。アンタとも中々、会えなくなるし、ちょっと気合を入れてやったわけ。
 ほら、さっさと起きて、用意する!」

口からぺらぺらと嘘が出てきた。幾ら拘束時間が増えるからといって、カヲルと会う時間が作れない訳ではない。
それに、中々、では無く、永遠に、というのが真実だ。
そんな事はカヲルは知らないのだから、お構いなしに口が動いた。

カヲルは一旦、青いカーテンを引いて、私に見えないように着替えた。
暫くして出てきたカヲルは、何処で見つけてきたのか、漢字の「山」と書いたTシャツにジーパン、キャンプに行った時に履いていた運動靴、おまけに野球帽という、とてもデート向きじゃない服装をしていた。

「アンタねー、もうちょっと良い服無いわけ?」

私は、お前はこれから誰と何処に行くつもりなのか判っているのかとちょっと睨んで、カヲルの服装を上から下までチェックした。
最後の思い出としては、カヲルの格好は締まらない。これでは気合を入れたヒロインが、馬鹿みたいだ。
これではまるで、私が空回りしているみたいじゃないか。
もちろん、一応病人であるカヲルがそんなにお洒落出来る訳が無いとは判っていた事だけど。

「そんな事言ってもさぁ、そんなに良い服持ってないよ。一応、まだ着た事が無いシャツ選んだんだけど」
ぽりぽりと頭をカヲルは掻いて、申し訳無さそうな顔をする。

清潔感を大事にしました、と言いたいのだろうけど、そのダサいシャツの横を歩くかと思うと、ちょっとゾッとするではないか。
私は、暫く腕を組んでカヲルの服装を見ていたが、良い事を思いついた。
服装は、東洋の漢字って奴に魅力を感じる馬鹿な人も居るから、もう少し、彼をデート用に整えてやろうと思った。

「頭。頭出して」

「え、あ、うん」

私の言葉に素直に従って頭を下げたカヲルから野球帽を取って、それを彼のベットに放った。彼の残念そうな嘆息を無視し、ポシェットからワックスを取り出して、クリームを少しとって手に広げる。

カヲルの銀髪に指を通すと、カヲルの髪、男の癖に柔らかく癖の無いものだった。
これが東洋人の髪質だとしたら、高いシャンプーやリンスなんて使う必要が無さそうで羨ましい。
そんな事を考えながら、私はカヲルの右巻きの旋毛を見ていた。

「髪、あんた柔らかいわね・・・。はい、お仕舞い」

「ありがと。髪に何か付けるなんて、初めてだな。似合ってる?」

私は、何だか不思議そうに髪を触っているカヲルの顔をじっくり見る。
本当は、赤い瞳は贔屓目に見て神秘的だし、優しそうな顔をしてる。正直、今日、人生を別つのが少し勿体無い。
だがしかし、今日この日を岐路として、別々の道を行くという事は、私にとって大切な事なのだとその考えを振り払った。

同時に私は、カヲルは運が無い男だと思った。きっと、この先も運が無い人生を送るかもしれない。
私も大概だと思うが、カヲルは悪い女に利用されて捨てられるという星の巡りに生まれているのだろうかと、彼の今後を少し心配した。

「・・・及第点ってとこかしら」

いや、この別れを彼の運命と結びつけるのは、卑怯だと考え直した。
もし私じゃなかったら、きっと友情は続いていただろうと、私は口を濁し、心の中で謝った。




■ ■ ■ ■



私にミサトが渡したチケットは、ドイツで一番大きくて有名な遊園地、ヨーロピアンパークのものだった。ヨーロピアンパークは、絶対に忘れられない思い出を提供するという売り文句が有名で、(きっとミサトはその文句に惹かれたのだろうと思う)広大な敷地に数々のアトラクションが盛り沢山という話だ。

虹模様の山高帽を被った、大きな目の黄色い人形がぴょんぴょん跳ねてるCMを、私も見た事がある。
その内に加持さんに、連れて行ってもらいたいとは、ちょっと子供っぽくて言い辛かったのだけれど、
こんな形で訪れることになるとは、思っていなかった。

ヴィルヘルムスハーフェンから、ヨーロピアンパークまで高速リニアに乗って二時間かかる。
私は、列車の中でカヲルと向かい合って座り、ワザと楽しい会話を演出することに精を出した。
何でもない事に大げさに驚いて、窓の外を指差したり、楽しそうに可愛げに笑ったり。
今日だけは、友達以上の関係を、そうカヲルと付き合っているかの様に考えて振舞った。


けれど一時間もそんな事を続けていると、私は自分の中に徐々に重たいストレスが溜まっていき、それがカヲルへの罪悪感に混ざって、良く判らないものに代わっていった。
それは、私の心に静かに浸透していって、氷の様な冷たさを感じさせ、胸がむかつくような熱い怒りを湧き起こした。

そんな私に、カヲルは全く気が付かない様だった。照れた様な笑顔を浮かべ、お気楽そのもの。
そうすると私の口は、時々、早口でカヲルを囃したて、カヲルに困惑したような表情を浮かべさせ、彼が気が付かない様に冷笑を浮かべ始めた。

何がそうさせたのか。それは、カヲルも私の周りに居る人間とそう変わらないという事であり、
私の本当の気持ちを判ってくれるのは、此処には居ない加持さんだということだった。カヲルも、結局、私の仮面の奥を垣間見ただけで、本当の私の表情と区別は付かないのだ。

私を守るって何から?言ってみなさいよ、鈍感なカヲル君?

そう、カヲルは思い出にも値しないツマラナイ男の子でしかないのだと、気が付いた。
そうなると、カヲルは何でもない、ただの空気だ。ただ其処に居るだけで、何の価値も無い。

私は、私の中の感傷に向って、演技している。

――私、全然楽しくないってのが判る、カヲル!

理想論を掲げる13歳の私が、無性にそう言って、カヲルを馬鹿にしてやりたがった。
それを私が、今は駄目だと押さえつけると、今度は私とカヲルにこう言って罵倒した。

――あんたは、結局、私の事なんて何も判ってないのよ!アンタもよ、アスカ!

そんな私に私は、何て馬鹿な奴だと白けた笑いを返した。


■ ■ ■ ■


ヨーロピアンパークに到着し、ゲートを潜ると、広大な敷地と大勢の人込が広がっていた。
例のマスコットの人形が、風船を配って廻っている。平日だというのに、家族連れや、学生なんかも多そうだ。
人々はみな、にこやかに笑みを浮かべて園内を廻っている様だった。

私は、この人込で離れ離れになったら面倒だと、無言でカヲルと手を繋いで引っ張って歩き出した。
はっきり言って、もうカヲルに対する気持ちはかなり冷めてる。こうなっては、デートの振りも何も無い。
ただの作業を惰性で行っているようなものだった。

「何処行きたいのよ、アンタは。付き合うから、言って」

「うん。アスカは、何処か行きたいとこ無いの?」

マップを見ながら、何処に行こうかとカヲルは悩んでいる様だった。
カヲルは、私の態度に相変わらず気が付いていない。私は、そんな様子に陰で眉を顰める。

「私は良いの。今日は、アンタの為に着た様なもんなんだから」

カヲルは、もう私に一緒になって選ぶような優しさも無いってことも判らないらしい。

「・・・そっか。じゃあ、先ずは定番のジェットコースターに、お化け屋敷かな。それで良い?」

「はあ、ま、そんなものかしら?二、三個廻ったら、お昼にしましょっか。多分、良い時間になるでしょ」

「そうだね」

そう言って、私たちはアトラクションを廻り始めた。
そんな私たちの間に、会話は最初に比べて随分と減ってしまっていた。
私の方からカヲルに話しかけようとしないし、カヲルの方からも私に話しかけようとはしなかった。

何となく繋いだ二人の手だけが、まだ私とカヲルの関係をか細く繋いでいる様だった。





☆ ☆ ☆ ☆




そろそろ終盤なんですが、更新が遅くなります。すいません。
出来れば書き直したいとことか、間につっ込みたい話とか有るんですけど、けどね・・・。

プロットが微妙だったかなぁ、と反省中です。





[26586] 第12話 Ich-Ich=diavolo 私から私を引いて出てくる悪魔 中篇
Name: 二十二号機◆3ff6d448 ID:908f7153
Date: 2011/06/08 13:15


ジェットコースターに並ぶ人の列は長蛇で、先ほどから動こうとしなかった。
何か、メンテナンス上の問題が有ったというアナウンスが先ほど流れたのだが、其れ位で諦めるような人間は少ないらしい。

各言う私たちもそうなのだが、私たちはコースターを待って時間を潰しているわけじゃない。ただ、二人の関係に、停滞する時間が有って、そのやり過ごし方を探していた。

「暑いわね・・・」

二人の時間が居た堪れなくなって、私は一言そう言った。
ぱたぱたと手で顔を仰ぐ。私たちの真上に、昼に差し掛かった眩しい太陽があった。
そして太陽に申し訳ないというほどの千切れ雲が浮んでいるだけの青空だった。

「そうだね」

カヲルは私の方を見ようとせずに、前に並ぶ人の汗ばんだ背中を険しい眼で見ながら、不機嫌そうにそう言う。
この列に並んでから、三十分、これが私とカヲルの間に交わされた初めての会話だった。

この奇妙な沈黙は、私とカヲルの友情関係が、綺麗さっぱり終ったという証明だと感じた。
私も、加持さんのように予言する。
太陽が此の侭沈んでいく事実と同様に、明日になれば、私はカヲルともう会わないだろう。
出来れば、良い思い出でラストを飾りたかったが、私たちの雰囲気はそれどころじゃなかった。

私の機嫌の悪さは、普段は温厚なカヲルに徐々に伝染してしまった。
私の心の中の愚痴を聞かれたのかもしれない。まあ、私のカヲルへの振る舞いに耳をそばだてれば、聞こえないソレも、誰でも耳に入ったかもしれないけれど。

いや、聞こえている訳が無いか。もしも、私の心が聞こえているなら、

「行こう。待っても、無駄だよ」

カヲルが、私の手を引っ張って、列から抜け出した。

何も言わずに、私の手を引くカヲルに従ったのは、熱い日差しの中で長時間立っているのが辛かったからでも、何時もの私のように、不快指数のボルテージが上がりっぱなしだった訳でもなかった。

カヲルへの不信感と同じくらい、こんなの私らしくないけれど、カヲルに済まないような気持ちがあったからだ。
何処まで考えても、私は私の未来しか考えていないから。
カヲルを傷つける事に眼を伏せて、完璧なエヴァのパイロットであろうという自分を優先させている。
でも、私はそうやって生きていかなければならないから、私たちのすれ違いも仕方が無いことだと受け止めていた。

お化け屋敷に向うと、行列は疎らだった。十分程度待てば、恐らく私たちの順番に成るだろう。
木造建築の屋敷が舞台らしいが、ゾンビハウスという名称が安易で、怖さを感じられない。
大体、腐った死体が近づいてきても、偽物だと判っているのだから、怖いなんて思わない。

つまらない事を考えているな、と再び前を見ると、出口から出てきたカップルの女性が、定番どおりの手段を使って、男性に縋りついているのが眼に入った。

このデートの相手が加持さんだったなら、今頃、私も嬌声を上げ、満面の笑みを浮かべて、腕にぶら下っているだろう。

つまりは、お化け屋敷を怖いという感覚も、楽しもうと思える心が大切なのだ。今の私とカヲルに決定的に欠けているものが。
それが無いせいで、遊園地という場所で酷く場違いな二人になってる。

本当に怖いものは、人の心の間から出てくる感情だとふと思った。それをゴーストというのかもしれないとも。
私も、良く、そんなゴーストに付きまとわれて振り回されている。

例えば、自分は勿論の事、父だったり、チルドレン候補生たちだったり(まあ、彼らの心の隙間から出てくるゴースト
など、無視してやっているのだけれど)。

私は、額にうっすらと浮いた汗をハンカチで拭きながら、そんな事を考えて時間を潰していた。
そして、横目で、カヲルの心から出てきているゴーストを盗み見ようとした。
カヲルは、相変わらず、いや、先ほどよりも意地になった様な視線を前に投げ掛けている。

本当に、睨みたい相手は、私だろうに。

「つまんない奴」

ゴーストに取り付かれるように、ぽつりと言ってしまった。



■ ■ ■ ■



「アスカは、何時もそうだね・・・。でも、そうやってポンポン言ってくれる方が安心するよ!」

カヲルが遂に切れて、口角泡を飛ばした。
私の言葉に触発されて、その剣呑な眼差しをついに、直接の原因である私に向けて来た。
その感情の火が、私に飛び火し、燻っていた導火線が、一気に火花を上げ始める。

私とカヲルは繋いでいた手を振り解き、顔を寄せ合って、御互いを罵倒し始めた。

「何言ってんのよ!あんたの事考えて、何も私は言わなかったんでしょーが!
 つまんない、つまんない、つまんない!
 何考えてんのよ、何で何も言わないのよ!せっかくの日が台無しじゃない!」

私が、右手の人差し指でカヲルの顔を指差しながらそう言うと、
カヲルはその指先に噛み付く勢いで、私に怒鳴りつける。

「口で言えるなら、言ってるさ!大体、何も言わないのは、アスカだろ!
 今日だって、迎えに来た時からおかしかった!
 そんなにお洒落しちゃってさ!」

「何よ、あんた、人がお洒落してるのがそんなに変なわけ!
 私は、あんたとは違うの!大体、服だってアンタの為に選んだのよ!
 それをどの口でそう言うのよ!」

胸に手を当てて、私は自分の服を弁護する。カヲルはそんな私に、悪態を付く。
私たちは、周囲から見れば、遊園地で喧嘩をするカップルの典型という奴に陥った。

「服なんて、関係ないね!何時ものアスカで居て欲しかったよ!
 電車の中では、僕の事なんて、てんで無視して喋ってばかり!
 その後はだんまり、今日を楽しもうなんて、全然考えてない癖に!」

「人の気持ちなんて、全然、気にしない癖に、良くそんな事言えるわね!」

売り言葉に買い言葉、黙って心の中に閉まって置けば良い13歳の感情が、ぽろぽろと出てきた。

「アスカよりは判ってる、今日のデートの目的だって、最初から薄々気が付いてるよ!
 アスカは、僕を捨てる気なんだろ!
 僕の事なんて、さっさと忘れようとしてるんだろ!」

カヲルは、気が付いていた・・・、その事実が、私の心の一部を刺激する。
隠していた本心を指差され、私は動揺して、ボルテージを上げた。

「はあ?アンタとの付き合いなんて、二週間も無いじゃない!
 そんなんで、良くそんな事、言えるわね!彼氏面してんじゃないわよ、バーカ!」

「彼氏面なんて、してないだろ!大体、アスカは僕の彼女なんかじゃないじゃないか!
 でも、友達だろ!何かに悩んでるなら、相談してくれても良いじゃないか!
 それなのに、何も言わない!何も聞かせてくれないのに、何か出来るわけないだろ!」

そして、カヲルの怒りが、今日この日に向っていないという事に、私は驚いた。
捨てられるという事に怒っているのでも無い、ただ私の事を心配しているのだった。
本当に、こいつはお人よし、その事実が、私の怒気を喉の奥に引っ込めた。

「・・・あんたは、聞こうとしたわけ。大体、あんたに相談したって、何も変わりゃしないのよ」

私は、カヲルの顔が見れなくて、顔を背けた。
カヲルが、嗚咽を漏らし始めたのが聞こえる。アスファルトの上に落ちた水滴が、落ちる度に乾いていく。
私は落ちる涙を辿って、カヲルの顔にもう一度眼を向けた。

カヲルは、俯いて泣いていた。前髪に隠されて、その表情は伺えない。

「僕は、聞きたかった。でも、そんなに僕は器用じゃないんだ・・・。
 それに、アスカが言いたくない事を無理に聞きたくなかったんだ」

――器用じゃないんだ・・・そう繰り返して、カヲルは顔を上げようとしなかった。

私は、無言でその様子を見つめながら、罪悪感で心が冷却されていくのを感じて、顔を顰めた。




■ ■ ■ ■
 



私はカヲルの手を引っ張って列を離れ、プラスチック製の椅子やテーブルが並べられている
場所にやってきた。お昼には未だ早いので、大きな木の木陰に席を取れたから、少し涼しい。

カヲルをそこに置いて、私は近くの売店で、ジュースとベジタブルバーガーのセットを二組買ってきた。
テーブルの真ん中にそれを置くが、カヲルは未だ項垂れて、それに手を付け様としない。

私は、ストローに口を付けて、冷えたオレンジジュースを飲みながら、この現実を知らない駄々っ子を如何諭そうかと考えるのだった。

泣くという救命信号を発した所で、難破船の船員が助からないように、そんな事をしても無駄なんだとか。
明日は今日の続きで、未来を変えたいならば、少しづつの積み重ねが大事なんだとか。
他人が助けてくれる事なんて、滅多に無いんだから、自分で何とかしていく生き方を見つけるべきだ、とか。

カップを揺らすと、氷がぶつかる軽い音がする。

私の思い出を心の中でぶつけ合っても、カヲルを慰めるような言葉は無かった。
友達って、本当に嫌な気分にさせてくれる。自分こそが不器用な奴なんだって、思わせる。
・・・自分が、不幸せなのかもしれないって思わせる。

それなのに、カヲルは、どうして友達なんか、私なんか欲しいんだろうか。
カヲルと私、ただ楽しいだけの友達関係であって、くれなかったのだろう。
私は、そんな事を思いつく、私の性格を呪いたくなってきた。

「あんたが、そんなだから私まで落ち込んでくるじゃない・・・」

「・・・ごめん」

――加持さんなら、こんな時にどう言うんだろ。

私を慰めてくれた加持さんは、私の加持さんなら、こんな時。
私は加持さんの笑顔を想像した。純粋な思いやりを、私に向けてくれた時のことを。

――君なら出来る、君なら弐号機の専属パイロットになれる。

加持さんの思い、は使える。きっと相手を支えようって気持ちだ。

でも、それは私がエヴァのパイロットに慣れるって加持さんは信じたから。
私が、特別なエヴァのパイロット候補生だったからだ。

私は、普通の友達に伝える、普通の言葉は知らないんだ。
それは、きっと誰にも貰った事が無いから。
貰った覚えのない無いものは、人に渡す事は出来ないから。

私はそう考えると、席を立って、思いを捨てて、カヲルを見捨てて帰りたくなった。
嫌な思いを振り払って、私は立ち上がろうとした。

その時、私のポシェットの紐をカヲルが掴んだ。



■ ■ ■ ■



「捨てるのかい、僕を」

今まで泣いていたのが嘘のように、何だか、カヲルは、人が代わったかの様な、大人びた深い色を瞳に浮かべていた。
言葉では言い表せない、誰のものでもない、カヲル独自の存在感がそこにあった。
私は、気圧されるように再び椅子に座った。

「・・・そうよ。アンタは愚図愚図なんか落ち込んでなさいよ。私には、必要が無いものでね。
 アンタに、私に出来る事なんて無いの。何にも無いのよ」
 
右手で、耳に掛かった髪を掻き揚げる。

私はそう、カヲルを捨てようと思った。
ママが教えてくれなかった、加持さんが教えてくれなかった方程式と共に。

カヲルは、知らない男のような低い口調で言葉を続けた。

「病院で、本読んでただろ。あれ、加持さんが貸してくれたんだ。
 その時、僕、聞いたんだよ。僕がアスカを助けられる事って、何だと思いますかって。
 自分で言っておいて、僕にも、良く判らなかったから。そしたら、加持さんがアドバイスをくれたんだ。
 ――アスカに、捨てさせないで欲しいって。あの人は帰りがけにそう言ってた」

カヲルの諭すような、独り言を言うような口調に、何故か私は、叱られている様な気がしてきた。
反抗心から苛付いてきたが、それよりも疑問が先立った。

私に何を?加持さんは、私に何を捨てさせたくなかったのだろう。カヲルを、だろうか。
いや、加持さんはもう少し意味を含ませているはずだ。そうやって、いつも私を諭してくれた。

「私に、何を?」
カヲルは、こうして私が捨てようとしているものが言葉に出来るのだろうか。

カヲルは、今まで泣いていた事が嘘のように、優しく微笑んだ。
私は、その表情を見て、私の幼かった頃の思い出が、頭を過ぎった。
ママが、私の目線に降りて私を諭してくれた時のことを。

「謎めいた言葉だろ?僕にも、加持さんが何を言いたかったのか判らなかったんだ。
 でも、何だか、色んなアスカの表情が浮ぶような、直感みたいなものがあって・・・、それを言葉にするのは難しいんだけど。
 そうやって、頭の中のアスカの表情を追いながら、考えたんだ、アスカの事」

カヲルの眼から、私の知らない光が消え、代わりに真剣な紅い眼差しが私を貫いていた。
カヲル相手に、取り繕わないで動いていた私。
鏡では見続けられない私自身を、カヲルは如何思いながら見ていたのだろうか。

こんな事を思ってはいけないのかもしれないが、不安な気持ちは不思議なほど何処かに消えて、何処か恥ずかしく心地かった。
私の心の隙間から出てきた幽霊が、カヲルの言葉に惹かれていた。

「アスカは、頑張って・・・、頑張って、僕が想像も出来ないぐらい頑張って。
 ある種の飛行法が上手くなったんだ」 

「ある種の飛び方?」

ある種の飛行法、その独創的な発想に、私は眉を寄せる。
心の中のどこかで、女の私がクスリと笑った。そして、そんな表情は表面には出さず、カヲルの言葉に耳を傾けた。
男がこんな表情をしている時に、そんな事をしてはならないという女としての直感が、私に芽生えていた。

「うん。他の人には出来ないぐらい、空を早く飛べるやり方。独創的な滑空の方法」

「・・・アンタ、馬鹿ぁ?それが、どう捨てるとかそういう話に繋がるのよ」

それでもカヲルの言葉に、私は肩透かしを食らったように、苦笑を押さえられなかった。
ママ、コイツはこれで真面目なのよ、加持さんとは大違い、と心の中で呟いた。

私は、頬杖を付いて話の先を促した。

「あんまりにも、その飛行法を練習したから、飛ぶのが上手く成り過ぎたんだ。
 それで、その鳥は独りになった。最初は良かったんだ、孤独なんて感じなかった。
 飛ぶのに一生懸命だったから」

「それで」

馬鹿なことを言ってると思った。でも、私の事を真剣に考えている、だから許せた。

「誰だって、孤独で居たいなんて思わないよ」

カヲルは、寂しい様な顔つきで、そう言葉を続けた。

「独りで誰よりも早く、飛ぶ事が好きなカモメも居る筈よ。面白さなんて、人それぞれじゃない。
 それに、そんなカモメじゃないと、到達出来ない場所が有るのよ?」

私は、人差し指を立てて意地悪く、彼の読んだであろう本に合わせながら、論理のほつれを指先で突いてやった。
カヲルは、子供っぽく少し口先を尖らせる。

「でも、飛んでばかりは居られないだろ?仲間と一緒に羽を休める時が有る。
 そんな時、寂しいはずさ。アスカだって・・・」

「私も、寂しい、と。それで、アンタは如何してくれるの?言っとくけど、アンタは私と一緒に空は飛べないわよ?」

カヲルは少し迷った様な素振りを見せた後、私が彼に求めていた答えを口にした。

「僕は、アスカと一緒には飛べないけど・・・。アスカが休んでいる時に、アスカの側には居られるよ」

「私、疲れてる時って、評判悪いのよ。当り散らすかもしれないわよ、今日は風が最悪だったって」

私の側に居る・・・でも、その言葉だけでは私は安心出来なかった。
そう、カヲルには未だ見せていない私の一部は、きっとカヲルにも受け取られないだろう。
候補生の間で見せる、私の人の心を無視した態度は、きっと。
今日のように、カヲルへ心無く接しない自信なんて無かった。

「僕は、多分、大丈夫だよ。僕は・・・」

「僕は何?」

どうして、カヲルは大丈夫なのか、私にはカヲルの言葉の先を思い描く事が出来なかった。
私と、カヲルがこの先、二人で仲良く話している未来が想像できないように。

カヲルは少し言いよどむと、勇気を出すように、私の眼を見て言った。

「僕は、アスカが・・・・、好きだから。だから、僕はアスカの側に居る。居たいんだ」

カヲルの手がそっと、私に湧いた寂しさに手を入れてきた。カヲルの手の温度が感じられて、暖かい。
何だか、私に本当に羽が有る様な気がしてきて、顔が熱かった。

「加持さんが、私に捨てさせたくないものって何だと思う?」

でも、隣に居るカヲルの羽が、何だかむず痒くて、私はその告白に返事をせずに逃げた。

「人によって違って、他人には言葉にする事が出来ないんだ。思い出の積み重ねで・・・。
 大切なものだと思うんだけど、自分の心を分析し出したら際限が無くて、自分にも輪郭がはっきりと突き止められないんだ。
 感覚で、感じ分けるしかないんだと思う。
 僕は、記憶が殆ど無いけど、頭の中に、アスカの横顔が多めに積み重なってる。だから、僕はアスカが大事なんだ。
 僕が、大切だって思うものの理由に、アスカが居るんだ」

私が捨てようと思っていたものは、心の嗅覚で、私が感じ分ける、きっと大切なもの。
大切だから、切なくて、見てみぬ振りがしたくなるもの。
それは、何処か加持さんらしき姿があって、ママの匂いを感じさせるもの、だった。

「上手い逃げ方ね。アンタが言葉に出来ないだけじゃないの?」

私は、ママの言葉を聞いて、素直に頷いていた時の、可愛い私では無かった。
カヲルの大切なものの理由になっている私なんて、恥ずかしげも無く良く言えるもんだ。
こいつってこういう奴だっけ?、とカヲルの顔をジッと見る。何だか、別の一面を見ているような気がした。

「そうかもしれない」

その自身なさげな返答に、小さく、カヲルには見つからないように、私は微笑んだ。
その答えのハッキリしない問いは、良く判らなかったけれど、カヲルの告白は、私を安心させ、心を浮つかせた。
心の中に、私が積み重なっいて、だから大事なんだ、なんて、ちょっと素敵だった。

頬の熱さに、喉が渇いている事に気が付いてストローに口を付けた。
朝も、同じオレンジのジュースを飲んだのに、氷が溶けて水っぽいジュースの方がずっと美味しく感じる。

独りでは味わえない味、色褪せないであろう思い出の味、がする。
私の中で、カヲルが一つ積み重なっている。

「それで、さ。アスカ、その・・・僕を思い出と一緒に捨てる?」

そんな私に、カヲルが躊躇いながら、私の返事を聞いてきた。
私は、そんなオレンジ色の思いを隠すように、白い歯を魅せた。

「あー、はいはい!話はお仕舞い!さっさとご飯食べ終わって、遊ぶわよ!
 取りあえず、私の機嫌は直ったの!――それで良いでしょ」

「・・・うん。アスカが元気になってくれて良かったよ」

カヲルの乾いた笑い声を、私は無視してやった。

カヲルの事が好きと答えるべきなのか、私は良く判らなかった。
ただ、良く判らない答えを、大切な答えを有り難う、そう心の中で、私の胸元で揺れる金の指輪に告白した。

ヴィルヘルムスファーヘンの空に、両腕を広げて白いカモメになって、気持ち良く飛び出せそうだった。








☆ ☆ ☆ ☆




中篇で終らせるか。後編で終らせるか。

何となく、多少描写とかを、中篇も書き直すかも。
 




[26586] 第12話 Ich-Ich=diavolo 私から私を引いて出てくる悪魔 後編
Name: 二十二号機◆3ff6d448 ID:908f7153
Date: 2011/06/26 23:16


昼食を急いで食べ終わって、私とカヲルはもう一度、再び、手を繋いだ。

カヲルの女のように見える細い指は、私よりも握ってみると少しだけ硬い事に気が付く。
先ほどまで、確かに繋いでいたはずなのに、急に男らしく成長を始めたみたいだ。
何時か、加持さんの様な、力強くて頼りがいの有る男の手になるのかもしれない。
少なくとも、そんな片鱗を私に予感させる。

そんな今更気が付いた、カヲルへの慣れない気恥ずかしさに晒されて、私の頬は赤くなる。

「さーって!取りあえず、片っ端から廻りましょうか!何よ、結局、一つも廻ってないじゃない。
 行くわよ!バカヲル!」

もっとも、そんな私の些細な気持ちに、バカヲルが気が付くはずが無いんだけど。

「うん、何処から廻ろっか、アスカ」

「そうねぇ、取りあえず目に付いた面白そうなの全部ね。中途半端やえこひいきは良くないわ。手始めに、あそこから!」

私はプレイボーイには成れないバカヲルに、ウインクをして、手を引っ張った。

再びジェットコースターに並んで、二人で絶叫して。カヲルと私が絶叫している瞬間の写真を貰った。
その写真には、私とカヲルが確りと手を繋いでいるところは映っていなかった。

スペースキャリアに乗って、カヲルが吐きそうになって、私がカヲルの背中を撫でて。

イギリスの庭園式迷路で、入り口で二手に分かれて競争してゴールを目指して、私がやっぱり先にゴール。
十分以上ゴール地点で待たされて、私が怒って。

ティーパーティーに乗って、私がカップをガンガン廻して、やっぱりカヲルが吐きそうになって、私がカヲルの背を撫でて。

3Dハウスで、手を叩いて笑いあって。

異国写真館で、御互いに衣装を選び、私が十二単を着て、カヲルが騎士の格好をして、写真を撮った。

エヴァンゲリオンのパイロットに成りきれない13歳の私をはしゃいで、そんな私をカヲルが不器用に受け止めてくれる。
この日を思い出すたびに、私は人生に大切なものを感じ分ける事が出来るかもしれないと感じさせた。

楽しい時間は瞬く間に時計の針を廻して、園内の時計は私の許可無く16時を廻るのだった。
まだまだ、伸び盛りの13歳の体力は遊び疲れては居ないけど、私が実家に帰る為に、そろそろ、此処をを立たなくちゃならない。
魔法の時間は終わりを告げたが、実家に帰って、休暇が終っても、カヲルとの関係は終らない。
夢の後先には、カヲルと再び、今のような時間を過ごす日々が待っている。
そう、私の人生はちょっとだけ軌道を変えたから、今の時間の終わりを惜しいとは思わなかった。

私は、隣でソフトクリームを暢気そうに舐めているカヲルに声を掛けた。

「カヲル、そろそろ時間なのよ。悪いけど、私、帰らなくちゃ。ほら、時間が、ね。夕食に間に合うように帰りたいの」

「え?もうそんな時間?」

カヲルがソフトクリームを舐めてる姿は、間抜けな少年そのもので、私に告白していた時の雰囲気なんてちっとも有りしない。
でも、そんなカヲルを見つめる私は、思う以上に優しく笑った。

私は、チケットの半券を大切に日記に挟んでおくような性格の女でもあったらしい。
役を終えて舞台で拍手を待つ俳優には、次の公演が来るまで、観客は次の有るかどうか判らないラブシーンを待っていないといけない。
そんな時、女は半券を取って置き、甲斐性無しの男達に次の機会を待つものかしら。

「そ。私が居なくなって、かなーり名残惜しいでしょうけど?どうする?カヲルはもうちょっと、遊んでく?」
「いや、僕も帰るよ。アスカが居ないと詰まんないし」

「じゃあ、駅まで一緒に帰りましょ」

御互いの顔を見て、二人で一緒に何となく笑った。きっと、この先も何処かで、カヲルは私の右側でこんな風に笑ってる。
私は、カヲルの左側でこんな風に笑ってる、そんな掛け替えの無い予感が有った。




■ ■ ■ ■



だが、魔法の時間が過ぎ去ると、現実は向こうから歩いてくるものだった。
ゲートの方に暫く歩くと、見知った二人の男が前方に居る事に気が付いたのだ。

私はそいつらを見て眉を寄せると、カヲルの手を引っ張って、無視して通り過ぎようとした。
だが、背の高い方の男、ロバートがそんな私たちを遮った。
私は舌打しながら、仕方なく彼らに相応しい表情と憎まれ口を、一瞬で用意して二人に向き合った。

「ソーリュー、デート?まさか、ソーリューが同年代とデートしてるなんてな」

「確かに。お前って、いつも俺たちなんて眼中にねーじゃねーか」

休暇の初日に会ったランドルフ・カーターと、ロバート・W・ソーヤーだった。
ランディとロバートというのは、妙な組み合わせだった。
目の前の二人の格好からして、タイプが違う。
ランディはシンプルなシャツにパンツで大人っぽく装っているが、ロバートは典型的な遊んでいる男そのもののような格好で、紫のスポーツバッグを左肩に下げ、右耳に幾つもピアスが安光している。

「ふん。妙な所で、妙な組み合わせに会ったわね。あんた達、まだ一緒に遊ぶような仲だったわけ?」

昔のロバートは元気が良い子供で、ランディは、どちらかと言えば、寡黙な子供だった。
四年程前までは、私もロバートやランディ達と幼い声を上げて遊んだから、それなりに良く知っているのだ。
もっとも、最近では、ランディもロバートも別々のグループで仲間を作っているはずだった。
チルドレン候補生の中で、ほぼ孤立している私にも、そんな噂だけは、耳に入ってきていた。

ロバートはいつ頃からか女癖が悪いと有名になり、いつも所謂そういう奴らとつるんでる。
ランディは、ランディで、堅実な友達関係という奴を大事にしている筈だった。

成長期に入ってから、話が合うような二人でも無かったはずだったが、彼らと話もしない様になってからもう何年もたつ。
彼らにも心境の変化が有ったのかもしれないし、実際には会話が有るのかもしれない。
私には、二人から離れてしまった私には、良く判らない事だった。

「ん?ああ、一緒に遊ぶわけねーだろ。俺はリーネと一緒だよ。ランディとは、偶然会ったんだ。
 で、今度はお前と偶然会ったわけ」

リーネ。ああ、あの頭軽そうなファッションが好きで、口の悪い秀才か。確かに、あの子なら、ロバート何ていう趣味の悪い男を連れていても、気にしなそうだった。

「ランディ、趣味が悪くなってなくて、安心したわ。まあ、あんた達が本当はゲイカップルだったとしても、私には関係無いことだわね。
 まあ、もしそうだとしても、寮でそんな空気撒き散らさないでよ。
 空気が、サイッテー、になるから。私の足を引っ張りたいなら、別の方法を考えて」

私が皮肉っぽく言うと、ロバートは頬をヒク付かせた。

「尻がむず痒く成る事言うんじゃねーよ。俺は、いたってノーマルだっての。
 気持ち悪いやつなんか、俺達が寮から追い出してやるよ。ピーターみたいにな。
 しかし、彼氏、ソーリューのこの性格の悪さ知ってんのか?」

私が、剣呑な眼差しそのままに、カヲルの方を見るとカヲルは少しこの状況に動揺しながら、ソフトクリームを舐めている。私と眼が会うと、視線を逸らした。
ドイツ語で喋っている限り、意味は判らないだろうが、雰囲気から何かを察しているだろう。
後で、適当な言い訳を言っておいた方が良さそうだ。

それを確認してから、私は、もう一度、ランディ達に向き直った。

「もちろん、知ってるわ。まあ、あんた達よりは付き合いが短いけど。
 休暇に入ってから、作った友達だから」

「ソーリューが、友達、ねぇ。おい、聞いたかよ、ランディ」

ロバートが大笑いしながら、ランディの肩を叩いている。ランディも、苦笑している。
私は、そんな彼らを半眼で睨みながら、方頬を引き上げた。

「へー、あんた達、私が友達とか言ったら、そんなに可笑しいわけ?
 美人の私に、男友達の一人ぐらい居ない方が可笑しいじゃない」

「友達ほど、お前に似合ねぇもんはねーよ。あーあ、ランディが可哀想だぜ。それに、そいつも、な。
 捨てられた友達と、捨てられる予定のIQ低いゴミ、並んでるなんてなぁ。
 ランディ、そいつと握手でもしたらどうだ?多分、気が合うぜ、お前ら」

「はっ、あんた達みたいな奴らと友達に成りたくなかっただけでしょう。
 ランディ!あんた、自分が馬鹿にされてるって事も判らなくなったわけ?」

ロバートが、ランディの肩に腕を廻す。ランディは、そんな様子のロバートに少なくとも表面上は笑顔を返していた。

「俺とランディは、これからマブダチに戻る予定なの。友達同士の間に遠慮は不要ってな」

「へー。随分と、ロバートはランディにご執心なのねー。そう言えば、ランディ、会ったついでに言うけど。
 ――休暇の最初の日、おめでとうって言ってくれて、ありがと、ね。それから、そんな男と付き合うの辞めときなさい。
 あんたは、どっちかって言うと品が良い男なんだから」

私がそう言うと、ランディは驚いた様に、一瞬眼を見開いた。昔は親しかった幼馴染といっても、最近は顔を会わせれば、私の憎まれ口ばかりで、碌な会話が無かった。だから、私の昔みたいな口調に、私の変化を敏感に感じ取ったのかもしれない。

「アスカ、」

ランディが何か言おうとすると、ロバートがランディの耳に何かを囁いた。ランディは顔を顰めて黙った。

「ま、こんな所で、お前の澄ました顔見てても仕方がねぇな。ソーリュー、帰るんだろ?」

「そうね、ロバート。私も、アンタの顔なんか見てたく無いわ。ランディ、忠告はしたから。カヲル、行くわよ」

どんな会話をしていたのか、聞きたそうなカヲルを引っ張って、私は歩き出そうとした。

――その時、私の爪先の先のコンクリートが、細かい破片を飛ばした。

私は、咄嗟に身を低くすると、ボケッとしたカヲルの手を引っ張って、身を屈めさせた。
カヲルのソフトクリームが地面に落ちて崩れた。

視線を左右に配るが、何処から撃ってきているのか、判らなかった。
相手は、もう移動してしまったのだろう。
恐らく、サイレンサーが付いている上に、バックか何かに銃自体を隠してる。周囲の客達に、園内に流れる音楽の為か、反応が無いからだ。

ロバートが、私の前に立って、銃弾が飛んできたであろう方向から、壁になった。
昔は、殆ど身長が変わらなかったのに、今はロバートの後頭部を見上げてる。
幼馴染の背中への既視勘と、男性的な背中への安心感を同時に感じて、奇妙な気持ちになった。

「ソーリュー、多分、狙いはお前だ。今、保安部に緊急コールを送った。
 直ぐに、お前を守ってる保安部員が駆けつけてくるだろうけど、ここは場所が悪い。
 ランディ、お前はソーリューの右側、俺は左側について走るぞ、付いて来い!俺に考えがある」

「ちょっと、何処に行くきよ!遮蔽物に隠れながら、先ずは安全な所に・・・」

「馬鹿やろう!相手が何処に居るか判んねーんだ。さっさと、行くぞ!それから、その彼氏は置いてけ!」

「置いてけるわけ無いでしょ!人質に取られたらどうすんのよ。さっさと案内して」

「・・・判った。ほら、ランディ、ぼさっとすんな走るぞ!」

そう言って、ロバートは人込の中を駆け出した。私は、カヲルの手を離さないようにしながら、それについて行く。
ロバートは、来園者を盾にしながら走る気のようだ。確かに、相手が無差別テロを計画していないなら、無闇に発砲出来ないはずだった。

正式にセカンドチルドレンとして、任命された訳では無いのに、何処から情報が漏れたのか。
情報部は、仕事をしていないのか。私を守っている筈の保安部は、何をやっているのか。
聞きただしたい事は多数有ったが、逃げる事が先決だった。





■ ■ ■ ■




 
ロバートが連れてきたのは、ヨーロピアンパークの立体駐車場だった。
今の所、追っ手らしき影は無い。人影も疎らで、ここなら暗殺者(若しくは拉致犯)が、近づいて着ても直ぐに判る。
駐車された車の陰に身を隠すのは苦労しないし、隙を見て相手を反対にやり込める事も可能かもしれない。

私とカヲルがリニアを使って着ているという情報を相手が持っているとしたら、リニアには敵が張り付いているだろうから、そういう意味でも悪くない。
ただ、相手が思った以上に数が多かったら、袋の鼠になるかもしれないという危険性もあった。

カヲルだけが膝に手を付き、息をゼーハー言って整えてる。この距離の全力疾走は、カヲルにはきつかっただろう。
私やランディ、ロバートはさすがに息を切らしてはいなかった。私は、優しくカヲルの背を撫でた。
そんな私を、ランディが奇妙なものを見るように視ていて、一瞬視線が交差した。
私は、まるで自分がカヲルの彼女の様に思われているのかと気恥ずかしい気持ちになった。

咳払いしつつ、私は現状に思考を持っていった。
「で、ロバート。此処まで逃げきて、次の手を考えてないって事は無いわよねぇ」

「まあ、付いて来いって。追っ手が来るのも時間の問題かもしれないからな」

そう言って、ロバートはパンツのポケットから、車のキーを出してちらつかせた。

「あんた、免許持ってない・・・って、そんな事は今は関係無いか」

「ソーリューの、そういう手段を選ばないところ、好きだぜ?まあ、五月蝿く言っても座席に放り込むだけだけどな。
 良い手段だろ?相手だって、まさか13の俺たちが車で来てるとは予想外の筈だからな」

そう言って、ロバートが私達を連れて行った先には、黄色のアルファロメオが止めてあった。
本来は人の目を惹く為の派手な車で、逃走用に用いるには不向きだが、元々はデート用に親の車でもかっぱらって来たのだろう。
出所に文句を言える立場でも無かった。・・・ただ、その車はスポーツカーらしくツーシーターだった。
つまりは、四人の中から、二人を選ばなくてはならなかった。

「ちょっと待ちなさいよ。二人しか乗れないじゃない」

「お前と俺。十分だろ?彼氏とランディは、狙われてる可能性は低い。置いてっても、構わないじゃねーか」

ロバートは助手席の扉を、私の為に嫌みったらしく開いた。

「私が運転して、カヲルを乗せて行っても良い筈よね」

これでも、自動四輪ならオートマ、マニュアルに関わらず、戦闘機まで運転出来る。
パイロット候補生の訓練の中に、そういったモノも含まれていた。

ロバートは、私の態度に呆れた様に言った。

「俺は運転手。この場から確りとエスコートしてやるよ。
 これは、俺の車だ。文句は言わせねーし、文句を言う時間も無い。そうだろ?」

躊躇する私に、カヲルが眼を覚ますように自分の頬を両手で叩く。そして、私に躊躇の無い紅い瞳で言った。

「アスカ、良く判らないけど、行った方が良い。僕が狙われる訳が無いんだから、狙いはアスカなんだろ?」

私は、唇を噛んで返答に迷った。そう、駄々を捏ねているのは私だと判っていた。今、必要なことは何なのか。
今、一番大事なことは何なのか。エヴァンゲリオンのパイロットとして、正しい事は何なのか。
それに集中するべきだった。

「判ったわ。カヲル、もしも見つかっても抵抗しないで。目標じゃない筈だから、そうすれば大丈夫よ。
 ランディ、カヲルの事頼んだから」

ランディは、苦虫を噛み潰したような顔をしているが、ランディも訓練された兵士だ。
一抹の不安は残るが、彼も何が重要かは、理解している筈だった。
今、重要な事は、セカンドチルドレンである私が、この場を脱出することだ。
逆に、この三人と一緒に居る事は、彼らを危険に晒す事にもなる。

身を屈めて、車に乗り込もうとした私の右腕を、力強く掴まれた。
そして、私を引っ張り出すと、ランディが私とロバートの間に立った。

「ロバート、辞めよう。こんな事を馬鹿なことをしても、何にも成らない。
 俺たちは、みな被害者みたいなものなんだ」

「ランディ、あんた、何言ってんのよ。他に良い手段でも有る訳?」

私は、眉を寄せてランディの手を振り払おうとしたが、続く言葉に唖然として身を固めた。
それは、有ってはならない言葉だったからだった。

「この襲撃の主犯は、ロバートだって事だよ。・・・俺もその仲間だ」




■ ■ ■ ■



「あんた達・・・」

私は、ゆっくりと距離を取ろうとした。足が上手く動かない。頭に氷を突っ込まれたように、
脳ミソの何処かが痺れてる。ロバートもランディも幼い頃の時間を共有した仲間だ、そう何処かで信じていた。
感情が刺激されて混ざり合い、冷静な理性が動かなかった。

そんな私を他所に、ロバートが何気なくスポーツバックからハンドガンを手早く取り出した。
透明な殺意そのままに、口元には、薄く笑みさえ浮かべている。
そして、パープルのバックを地面に落とすと、何の躊躇も無く引き金を引いた。
その瞬間を、私はただ目で追うことしか出来なかった。

軽い銃声と共に、ランディは右肩を抑えて蹲った。私はその音に漸く体が動き、近くの車の陰に脱兎の如く逃げ込んだ。
私の足跡を追うように、小石が跳ねるような音がした。現状を認識する前に、体が動いたのは身に染みついた訓練の賜物だった。

私は、眩暈がしそうな感覚を振り払う為に呼吸を整え、今何をすれば良いのか、自分に言い聞かせた。
逃げなくては駄目だ。今すぐ、自動車の陰を縫っていけば、駐車場の入り口まではいける。
伏兵が居るかもしれない。しかし、この場で空手でロバートを相手にする事は出来ない。

取り合えず、移動しなくては。だが、私が踵を上げる前に、カヲルの苦痛に満ちた声がする。
顔を出して覗くと、ロバートにカヲルが右腕を捻り上げられている。
私は舌打をしながら、サンダルを脱いだ。その自分の行動に戸惑った。足音を消し、接近して・・・如何する?
ロバートは銃を持っている上に、格闘術において、私よりも上位成績者だ。

例え、背後から挑んでも、勝てる見込みは少ない賭けだ。

奥歯で頬肉を噛締めた。痛みで、冷静さを取り戻そうとした。血の混じった唾を嚥下する。
だが、湧き上がる情念に、泣き出しそうになった。
逃げるべきだ。カヲルは目的じゃない、殺される事は、無い筈だ。逃げるべきだ、逃げるべきだ・・・・。
リフレインする、頭の何処からか来る最善の命令に、何故か必死に耐えなくてはいけなかった。

「ソーリュー、先ずは彼氏の腕、足、何処が良いと思う」

ロバートが、歌い上げるようにそう宣言した。

「ロバート!辞めろって言ってるだろう!こんな事をしても、俺たちはチルドレンなんかに成れないんだ!」

肩を押さえたまま、そう叫んだランディの右太股に銃弾が打ち込まれる。
ランディは、歯を食い縛って、悲鳴を堪えていた。

「負け犬は黙ってろ。俺は、ソーリューと話してるんだ。
 せっかく、取り巻きを撒いて、マインツの大聖堂だろうが何処だろうが、ソーリューを天国に一番近い場所にエスコートする予定だった。
 お前の所為で台無しだ。本当は、口が効けなくしてやりてーよ」

これは、戦術だ。負傷兵を助ける為に、飛び出す馬鹿を狙う常套手段。
おどける様に、ロバートは話を続けた。

「ソーリュー、出て来いよ。お前の寮のパソコン、偶にハッキングして、メールとか読んで、仲間内で笑ってたんだけどな。
 普段、偉そうに踏ん反り返ってるお嬢様が、加持さーん、とか言ってんのとか、大うけだった。
 それが、急にヨーロピアンパークに行くなんて言い出すもんだから、良い事思いついたんだよ。
 けど、お前、何せ次の日には出かけるわけだろ?これでも、準備とか色々面倒だったんだぜ」

私は、眼の端を拭うと、再度冷静になれと自分に言い聞かせ、ロバートの卑劣な仲間内で自分がどれ程馬鹿にされていたのかという事に歯噛みしながら大声を出した。

「どうして、こんな事するのよ!あんたら、軍法会議に掛けられるわ、あんたの仲間全員ね。
 無事に逃げられるとでも思ってるわけ!」

時間を稼ぐ、今出来る事はそれだけだった。保安部の大人達を信頼し、彼らが駆けつけるまでの猶予を稼ぐしかない、私は廻らない頭でそう判断した。

「その辺りは、ちゃんと考えてあるさ。俺だって、馬鹿じゃない。何年も刑務所に入れられる程、暇人じゃないんでね。
 ・・・どうして、こんな事をするのか、か。それは、他に方法が無かったからだ。
 俺達の気持ちを正確に、間違い無くお前に伝えるなぁ!」

ロバートが、銃底を思い切り、アルファロメオに叩きつける金属音が鳴り響いた。

「――俺達が、どれだけ訓練したか知ってるよな、ソーリュー。毎日、毎日、教官の言葉を聞いて、必死に努力してきた。
 眠れなく成るまで聞かされた、チルドレンって称号、その為に、全員が必死に血の滲む思いで努力した。
 それをお前が打ち壊したんだよ。ハーモニクスだの、シンクロ率だの、学者でさえ良くわかんねーもんでな。
 そんなもん、どうやって努力すりゃいい?俺たちは、今残ってる奴らの殆どが、お前より優秀な人間なんだぜ?
 努力する方法さえ判れば、お前なんかにセカンドなんて名乗らせなかった。
 お前以外の、俺たちの中からセカンドが選ばれる筈だった」

私は、何も言えなかった。ただ、零れ落ちそうに成る涙を、ランディへの謝罪と自分の軽薄な彼らへの態度への後悔が押し上げる。
私の冷静になれという意思に反して、目頭が熱くなって、熱くなって、強く眼を瞑った。息が吸いにくくて、堪らなかった。
これは自分の脆弱さが招いた結果だと、唇を噛締めた。

「出て来いよ、ソーリュー。別に、お前が死んで欲しいとは思ってない。
 ただ、死ぬ程後悔して、俺達に謝って、チョット怪我してくれりゃ良いんだ。
 片足が動かなくなるとか、それぐらいで良いんだぜ?教官たちが、セカンドに成るのが本当は誰が良いのか。
 それが判るぐらいで良いんだ」

セカンドチルドレンに選ばれなくなる。ママが造った弐号機に、私以外の誰かが乗る。
つい先日の栄光が、私の手から摩り抜けていく。そんな事は、考えた事も無かった。
私は後頭部を、何度も車体に打ち付けたかった。

「ロバート・・・。アスカだって、俺達を馬鹿にするしかなかったアスカだって、変わってるんだ!
 成長してるんだよ!昔のアスカみたいに、」

ランディが、私を擁護する言葉を聞いて、私は叫んだ。

「ランディ!馬鹿なこと言ってないで、黙ってて!」

「確かにその通りだ。うっせーよ。ランディ」

再び、発砲音が鳴り響いた。ランディの声が聞こえなくなった。いや、荒かった息遣いさえ感じ取れない。
ロバートが、優しく私に語り掛けた。

「ソーリュー、お前が成長してるとか、どうでも良いんだよ。そんな事は、どうでも、な。
 いや、そうでもないか。確かに、昔のお前みたいに、可愛い女の子に戻るんだったら、
 彼氏離して、終わりにしてやってもいいぜ」

私は、結末を予想して、泣きたかった。感情のままに、泣き叫び、ただ大声を張り上げたかった。
それを押さえ、答えの判っている問いを発する事しか出来なかった。
ロバートが、何を強烈に欲しているのか、そんな事は判っていた。
これは、彼の私に対する復讐なのだから。

「・・・何がして欲しいの」

「最初から、言ってるだろぉ、ソーリュー。出てきて、謝って、俺達の恨みを体に受ける。
 それだけで良いんだぜ」

その死刑宣告を聞いて、私は目の前が暗くなった。
そんな事が、私に出来るのか。私の人生の全てを否定する事が、出来るのか。
私は虚ろな眼で、地面を見つめた。遠近感を失った視界が揺れ、現実感が、まるで無い。
震える手で、両足に力を込めようと、爪を立てた。






■ ■ ■ ■





玄関のベルを鳴らし暫く待っている。額に張り付いた前髪から水が滴って、私の眼窩を下り、鼻筋を通った。
雨に打たれた私を見て驚いた義母が、タオルを持ってくると言って走って行った。
父親が何かを言っているが、良く聞こえなかった。周囲の音が、接続を切られてしまったようだった。

父親の足に隠れる義妹が、幼い顔に怯えた表情をして私を見上げていた。
私は、母親を待つ間、無表情にその顔を見つめていた。

渡されたタオルで頭を拭きながら、私はゆっくりと二階の自室へ向った。
父親と母親が何かを言っているが、やはり良く聞こえなかった。
「ごめんなさい。疲れたから、放っておいて」
機械的に唇が小さく動いた。
これは、私の声なのか。誰が何を喋っているのか、自分でも良く判らないかった。
頭蓋の中を、恐らく私が発した声が乱反射して、耳から抜けていった。

部屋に入ると、靴も脱がずにベットの上に横になった。
他人の体の様に、自分の体が重かった。だが、外側から切り離された心臓も肺も脳も規則正しく機能している。
体は盲目的で、何も無かった様に過ごしてる。

何もかもが正常なのに、意識だけが明瞭じゃなかった。
夢と現実の境を行き来するように、私に見たくも無い映像を突き付ける。
揺れる意識の中で、ヨーロピアンパークの立体駐車場の一角に、私は居て、またベットに倒れていた。

喉の奥から、何か得体の知れないものがせり上がってきた。
上半身を起こし、口元に手をやった。
私の内側に居た、眼も耳も口も無い、不定形の黒い塊の様な自分を、吐き散らしたかった。
私の心が、その異物を何度も嘔吐しようとした。胃液が顎を伝って、シーツに染みを作る。

苦しむ私の眼前に、記憶が容赦無く流れ込んできた。

右膝を撃ち抜かれたカヲルが傷口を押さえて呻いている。血の池を作ったランディが倒れている。
自分の頭を打ち抜いたロバートに、リーネが縋りついてる。保安部の男達が、彼らを取り巻いていた。

「ソーリュー、出て来いよぉ!次は、彼氏の右膝じゃない、お前の番だろぉ」

血塗れのロバートが、私の三半規管を揺らすように、大声で呼んでいる。

瞼に張り付いた一枚の映像の中に、自分が再び戻ってしまうのが恐ろしくて、体が細かく震え始めた。
吐き気を押さえ込もうと、何度も右手で拳を作り、何度も自分の心臓を打った。
涙が次々と零れて来る、そんな卑しい自分に、怒りを含めて、ただ胸を何度も叩き、大声で叫んだ。

「私は、正しい事をしたの!ママ、私は、正しい事をしたの!!」

そうだ、私は正しい事をした。教えられた通りに、教えられた通りに。
でもそれは、私の心の底に醜い自分自身が居る事を、確認させるだけだった。










☆ ☆ ☆ ☆


構想を練っていた当時の自分を、小一時間問い詰めたい。



















[26586] 第13話 一つの終局
Name: 二十二号機◆3ff6d448 ID:908f7153
Date: 2011/06/22 18:25


「大人が振りかざす知性の背後には、個々人の人生で得た思い込みや先入観、偏見が隠れていて、
 我々の現実をどう認識するか、どの事実に眼を注ぐか、その重要性や展開を如何判断するか、
 それは、それらに如何したって左右される。
 でも14歳までの幸せな子供たちは、そんな事から自由なのさ。俺達、大人とは違ってな」

加持は、自分の自由だった子供時代を思った。
その頃は、自分が食べる事、弟に食べさせる事に必死だったが、それでも全てから自由な能天気さが有ったと。

「そんなこと、カヲル君に言ったの?」

葛城と加持は、視線を動かさずに会話をしていた。葛城は、相変わらず加持は理屈っぽい男だと思った。
そんな事を突然言われて、カヲルが理解できたとは思えなかった。

「いや、難しい事を考える事は無い、君に必要なのは、自分の目的に最大限に合わせて現実を単純化した地図だ、と言った」

そう伝えた時のカヲルの眼、純粋な色を浮かべていたが、もう子供の眼じゃなかったと加持は思っている。
しいて言うなら、志を持った青年の目だ。そんな彼には、伝えるべき言葉だったと思った。
突然の事故で肉体的な自由を失った事が、何故カヲルにそんな強さを与えたのか、興味深かった。

「自分の為に現実を単純化した地図を持ってるアンタに、相応しい言葉ね」

良く、アンタには振り回されたわ・・・と、葛城は呟いた。
もっとも、自分も同じだったが。加持を同じぐらい振り回した記憶があった。
両手を繋いで二人で廻って、どちらが先に手を話したのか。
それは、良く覚えていなかった。

「それが、大人って事だろう。人生は短かく、何もかも選られる訳じゃない。
 そして、何の目的も無く、ただ怠惰に生きられる程、人生は甘くない。
 それに人は、目的を持って縛られた時、最大限に自由だと感じる不思議な生き物さ」
 
「自分を思考で縛ってしまわなければ、自由だと言えない。そんな人間に、私は子供達になって欲しく無いわ。
 もっと周りを見て欲しいじゃない。そんな人生、窮屈だわ」

葛城は、それでも、人生を窮屈だと感じても、そうやって生きていくしかない自分の様な人間も居るのだとは判っていた。
だが、だからこそ、未来有る子供たちに、心の何処かで窮屈だと内省する人生を送って欲しいとは思わなかった。

「それは、自戒かい?葛城。一途に生きるって事は、誰かに批判される様な事じゃないさ」

加持は、葛城の本心に近い事を知っているから、その言葉を自分にもそっと重ねあわせた。
加持も葛城と理由は違うにせよ、こう生きるしか無かったからだ。

「いいえ、只の呟きよ。ただ、そんな人間は不自然だと感じるわ」

「不自然も自然さ。どちらも、俺たちには手の届かない所で決まっていることだからな」

加持は運命、そんな言葉は使わなかった。ただ、偶然の結果だと思っている。
偶然が重なって、偶然に落ち込むように、人は生きていくしかないと。

「・・・カヲル君はどうあれ、自分で自分の道を決めた。彼の真意は、誰にも判らない。
 エヴァのパイロット候補生になると、自分で決めたんだ。
 恐らく彼のシンクロ率なら、チルドレンに認定されるのもそう遠くないだろう。
 だが支部長が話す、人類の平和、大人たちの大儀なんて、彼にとっては、耳から耳に抜けただろうさ」

「地図の先に、女の子が入った宝箱が埋まってるなんて思ってたら、この先やっていけないわよ。
 それに、女はそんなに都合の良い生き物じゃないわ」

葛城は、カヲルがアスカが待っていると思うならば、二人の関係は当然の様に破局するだろうと思った。
求める事には罪は無い。だが、求め合うには、二人の関係は既に重過ぎる。
自分がアスカなら、カヲルに放って置いて欲しいだろう。若しくは、アスカはカヲルとの出会いを忘れたいと思っているかもしれない。

「男は女を求める悲しい生き物だけど、女を理由に人生を決める事は無い。俺は、そう思うね。
 男は、自分の矜持に従って生きる。そう生きる様に作られてる」

そう、渚カヲルの矜持とは何なのか。今は未だ、彼には言葉に出来ないだろう。
だがしかし、抱いている、きっと確実に。加持はそう思っていた。

「だから、そういう男は女に捨てられるのよ。一度捨てられて、後悔とか反省の念は無いわけ?」

「未練たっぷり、さ」

加持は笑って煙草を探し、そんな仕草を葛城に手で押し留められた。





■ ■ ■ ■




 
紅い巨人・エヴァンゲリオン弐号機が、巨大な実験施設の中で拘束されていた。
その巨人の頸部に挿入された、エントリープラグつまりはコクピットの中に、少年が入っている。
今、少年は弐号機の起動実験の最中だった。葛城と加持は、その様子を見学していたのだ。

「シンクロ率、22.4パーセント。アスカにはまだまだ及ばないけど、驚異的な数字よね」

「天分の才って奴かな。よく望めよ、されば与えられん、そういうのを天才って言うべきかな」

葛城は、この実験が成功する可能性はほぼ無いだろうと思っていた。だが、実験は成功した。
そして、運命の悪戯か、皮肉にも順調に、連動実験に移っている。

何の訓練もされていないずぶの素人である少年が、遺伝子の配列から、パイロットとして優秀な可能性が有る、として選出された。いや、実際には、徴兵されたのだ。
少年の自由意志など、一応聞かれただろう。
だが、そんなものは対使徒戦を生き残る事に必死な上に、巧妙な話術を持つ大人たちにとって、何の障壁にも成らなかった。
その上、カヲルはアスカの事を気にしていた、と言う。少年の恋など、禿鷹たちの格好の餌だったろう。

そのプロセスは作戦課の彼女にとっては、管轄外の問題だった。彼の登用に関して作戦課からの正式な抗議文書を送ることは可能性の問題としては残る。だがしかし、その意見が通る事は、天地が引っ繰り返っても無いという事も判っていた。
それに、エヴァを動かせるパイロットを確保する事に、作戦課として反対する理由は無かった。

現在、正式にパイロットとして認められているチルドレンは、日本支部の綾波レイ、独逸支部の惣流・アスカ・ラングレー、以上の二名しか居ない。我々人類の決戦兵器エヴァンゲリオン、気難しい乙女は、自分が認めたものしか、操縦させない。
少しでも気に入らなければ、男を袖に振る。何とも、兵器として根本的な欠陥を抱えたお嬢様だった。

そんな中、偶然にも発見された少年が、その乙女の厳格な審査を通ったのだ。
一人でも多くの正式なパイロットを確保したいネルフにとって、正に晴天の霹靂だったろう。
例え、彼が全くの素人であり、また、右膝に怪我を負い、杖を使わなくては歩けない様な少年であっても。

葛城は、人の手を借りて漸くエントリープラグの座席に座った少年の、痛々しい右膝を思い出す。
彼のパイロットスーツは右足だけ短く、白いギプスを嵌めた生足を晒していた。
つい一週間ほど前に撃ち抜かれたばかりの右膝は、まだ動かせる状態じゃない。

「もうちょっと、怪我が治ってからでも、良かったと思うんだけどね・・・」

「何時、使徒が攻めて来るか判らない。気が気じゃ無いのさ」

葛城は、その言葉を冷酷だと思った。加持の言葉が、ネルフとして正しい発言だったとしても。
だが、葛城もそれ以上は言わなかった。この場で、そんな事を言っても始まらないからだ。

加持も、葛城の言葉に賛成しようとは思わなかった。葛城を、優しい女だとは思ったが。
彼にとって、葛城は未だ特別な存在なので、彼女を侮辱する様な言葉が出てくる筈が無かった。

「あれから、13年。もう直ぐ、14年になるって言うのに、誰もがセカンドインパクトを忘れてない証拠か・・・」

「忘れられる筈が無いさ。平和呆けしている奴らも、根本的には大災害を恐れてる。
 だから、ネルフなんて組織が有るし、また、存在が許されているんだ。
 復興予算を削っても、誰も文句は言わない」

「文句は来てるわよ。成果を出さずに、只吼えるだけの番犬を飼っていられるほど、裕福な国ばかりじゃないから」

「それもそうだな。情報部の人間には、関係の無い事だったから忘れていたよ」

「私もまだ対処する立場に居ないから、人事だけどね。本部に戻ったら、そうも言ってられないわ。
 それより、今回の事件について、情報部は責任を取らされなかったの?」

「お偉いさんの首が、内々に一つ飛んだぐらいだ。公けに出来ることじゃないからな。
 結局は、ロバート・W・ソーヤーの個人的な自殺って事に落ち着いたし。
 候補生の管理問題が問われてるが、情報部が大っぴらに責任を取る立場でも無い。
 候補生のプライバシーに首を突っ込んでました、なんて言えないからな」

「個人的な自殺、ね。確かに、報告書を読んだ限りだと、随分と突発的な行動だったみたいだけど。
 被害は、一人自殺したぐらいじゃあ、納まらないのにね。
 死亡者2名、重傷者1名。アスカが無事だっただけでも、奇跡だけど・・・。
 アスカも、今頃どうして居るのか・・・、アスカの休暇が延長されたけど、何か知らない?」

「昨日、電話したよ。初日は、随分と荒れたそうだが、次の日からケロッとしてたそうだ。
 妹と遊ぶのが、楽しいらしい。良いお姉さんだな」

「それなら良いけど・・・。カヲル君が、候補生に成ってるとは伝えた?
 アスカ、そんな単純な子かしら?」

「内々には苦しんでるだろうけどな。強い子だよ。現実を認識する事に優れてる。
 自分の道を見据えて、幾つも困難を乗り越えてきたんだ。これぐらいで、潰れる様な子じゃない。
 カヲル君のことは大っぴらにする時期が来たら、その前に話しとくさ」

「頼んだわよ。あれぐらいの時期って難しいものだから」

「三人しか居ない、パイロットだ。ネルフの虎の子だからな」

加持が言葉を終えた瞬間に、大きな衝撃が施設に走った。
葛城が体勢を取り戻し、実験の失敗かと、強化ガラスの向こうを疑ったが、特に問題は無いようだ。
しかし、警報が鳴り響き、その音の意味を知っている人間たちは、慌てふためいていた。
葛城が走り出し、加持もその後を追う。

「使徒・・・」

葛城は未だ見ぬ敵に、奥歯を噛締め、発令所に急いだ。





■ ■ ■ ■ ■





コーヒーの入ったマグカップの液面が、振動で揺れる。
独逸支部内の騒乱を他所に、静かにコーヒーを楽しみながら、ハインツは椅子に座っていた。
シンジ、と彼が親しげに呼んでいた少年との思い出に浸りながら。

長い付き合いだった少年は、別れも言わずに、男を置いて出て行った。
その事に対して、男は別に寂しいとは思わなかったし、探そうとも思わなかった。
彼は役目を果たしに行ったのだ。

男も時が来れば、自分の役目を果たさなくてはならない。だが、それも未来の話だった。
男は、今はただ、天使が奏でる背信から始まるファンファーレを、静かに聴いていたかった。





■ ■ ■ ■ ■






芝生の上に、VTORが青空を切って着陸しようとしていた。
それを睨み上げる少女は、拳を固く握り締め、爪が手の平に食い込んでいた。
遂に、本番(本物の戦闘)が遣って来たと、心を奮い立たせる。
彼女の父親が、物憂げな視線を彼女に送っているが、彼女はそんな事に気が付く余裕は無かった。

VTORから降り立ってきたのは、彼女の最も信頼する相手だった。
「アスカ、ついに出番だ。準備は良いかい?」
「もちろん、OK。問題は無し」
少女は握り拳を作ったまま、不敵な笑みを浮かべた。

彼女は、父親を振り返ること無く、男と一緒にVTORに乗り込んだ。
ただ、上昇するVTORの窓から、自分の家の風景を心に納めた。

二度と此処に戻らないからでは無い。敵に立ち向かう為の強さを、ただ少しだけでも高めたかった。
同様の理由で、スカートのポケットには、一つの指輪が入っている。
その指輪には、弱い自分の心への決別の証、甘さへの教訓が込められていた。

VTORと独逸支部の発令所と映像回線が繋がった。
アスカの座席の前の小さなモニターに、葛城ミサトの顔が映る。

「アスカ、良い?支部へ到着したら、G-12ルートに迎えが来てるから。
 そのまま、弐号機へ向ってくれる?準備は整えて置くわ。
 スーツとヘッドセットがVTOLに積んであるから、着替えておいてね」

「G-12?格納庫じゃないわけ?使徒は何処に出たのよ」

「使徒は、現在、独逸支部内で何らかの目標に向って、進行中。
 エヴァ素体廃棄所から突然現われた、としか今の所判ってないわ」

「独逸支部内に突然現われたって・・・、進入を許したの?ちょーヤバイって感じ」

「そう。正に、大ピンチよ。映像を見て。これが、私達の敵よ」

映像が切り替わると、グロテスクなエヴァが現われた。
装甲が無く、肉を剥き出しにした体からは、腕が四本生えている。そして、その使徒を相手に、弐号機が掴み合いの戦いをしていた。

「私の弐号機に誰が乗ってるのよ・・・。時間稼ぎにしても、子供の喧嘩ね。
 あ、跳ね飛ばされた。やーねえ、品が無い戦い。代用品に、私が行くまで弐号機を傷つけない様に言っといて」

「・・・乗っているパイロットは、渚カヲル君。貴方も良く知っているでしょう。貴方が来るまで、時間稼ぎをしてもらっているの」

「なんで・・・なんで、カヲルが乗ってるのよ!ミサト、説明して!」

「悪いけど、今は説明している時間は無いわ。カヲル君に、F12地区に使徒を追いやって貰って、隔離閉鎖する予定なの。
 目標は弐号機に興味が無いのか、進行を止めようとした時にしか反撃してこないから、何とかなると思う。
 ATフィールドも現在確認されていないわ」

「ちゃんと説明して!素人が、何でパイロットなんかやってるのよ!」
 
「アスカ、駄々を捏ねてる時間は無いのよ。私も、カヲル君への指示に戻るわ。
 ・・・アスカ、カヲル君は貴方を待ってるわ」

通信が途絶えると、アスカは画面を殴りつけた。そんなアスカの肩に、加持が手を置く。
アスカが、加持を睨んだ。まるで、加持とアスカが始めて出会った時の様に。
剥き出しの感情を加持に押し付ける程に、彼女には余裕が失われていた。

「アスカ。説明はちゃんとする。パイロットスーツに着替えてくれ。
 カヲル君なら、大丈夫さ。そう、今は信じよう」

「ゼンブ、全部、思い通りにならない!」

そう一言だけ捨て台詞を残すと、アスカは座席を立ち、加持の手からパイロットスーツを受け取って着替え始めた。

加持は、アスカの方を見ない様にしながら言った。

「それが、この世界だ。でもどんな状況でも、自分なりの折り合いを付けていくしかないんだよ」

「加持さん、安心して。私は、私のちゃんと責任を果たすわ。でも、此れだけは覚えておいて。
 私は、カヲルをパイロットとして認めないから、絶対」

認められる筈が無いじゃない・・・アスカの呟きに、加持はアスカの心の傷口が未だ、血が滴っている事を感じ取り、眉間に皺を寄せた。

大人の思考を押し付け、自由な思考の羽を折られている子供が苦しんでいるというのに、今はただ戦えと言うしか無かったからだ。



■ ■ ■ ■ ■



G-12ルートから軍用ジープに乗り換えて、通信機の指示に従いF12地区に向った。
時折破壊された通路が、エヴァと使徒という巨大質量の戦いの痕跡を残していた。

F12地区は、独逸支部の基幹部からは遠く離れた、エヴァによる戦闘訓練を行う区画だ。
使徒は上手い具合に誘導され、現在、閉鎖されたF12地区で沈黙中というが、使徒の目標は何なのか、
何故、現在沈黙中なのか?、加持は答えを推測する事が出来なかった。

F12地区のゲートに到着すると、閉鎖されたゲートに凭れ掛かる様に、弐号機が横たわっていた。
アンビリカルケーブルは挿入されており、起動は問題無さそうだった。

弐号機の下まで、ジープで接近すると、アスカが飛び出した。
そして、アスカがエヴァの首元に近づくと、救護班がカヲルを運び出そうと集まっている。
アスカは、救護班を急いで掻き分け、エントリープラグをイジェクトさせると、入口からLCLの中に飛び込んだ。

意識を失ったカヲルが、LCLの中を漂っていた。カヲルを掻き寄せて、胸に耳を当てると、はっきりとした心音がする。安堵に胸を撫で下ろすとカヲルを抱いたまま、LCLから泳ぎ出て、救護班にカヲルを任せた。

「アスカ、カヲル君は任せろ。早く弐号機に乗るんだ」

「判ってる!!」

後ろから加持に声を掛けられ、アスカはエントリープラグのLCLの中にもう一度飛び込んだ。
LCLを肺に入れながら、パイロットシートの手元のコンソールで、エントリープラグを再び挿入する。
LCLの血の様な匂いが、自分が流させたカヲルの右膝の血を思い出させた。

ウィンドウがモニターに開き、葛城がアスカに指示を与え始めた。

「アスカ、敵は以前沈黙中。何を考えてるのか知らないけど、これはチャンスよ。
 救護班が撤退したら、直にゲートを開けるから。準備して」
 
――ソーリュー、出て来いよぉ!ソーリュー、出て来いよぉ!次は、彼氏の右膝じゃない、お前の番だろぉ

ロバートの幻声が、アスカの耳元で聞こえ、アスカは耳を塞ぎたくなった。心臓が跳ね上がり、口が空気を求める。
動きを止めたアスカに、ミサトが声を張り上げた。

「アスカ、確りして!!」

「判ってる!シンクロスタート!」

弐号機の眼に光が宿り、巨人が立ち上がった。アスカは外部カメラで加持と救護班が撤退する様子を確認すると、
ゆっくりと呼吸をして、今は只、目の前の戦闘で生き残る為に自分を宥めた。
ミサトの声が聞こえ、ゲートが徐々に開いていく。アスカは、操縦桿を握り直した。




■ ■ ■ ■ ■




飛行機の座席に、金髪の壮年の男と銀髪の少年が並んで座っていた。
独逸から日本へ向う専用機には、彼らの二人と数人の護衛しか乗っていなかった。

男は新聞を広げ、少年はイヤホンを耳にして、窓の外を見ていた。
少年は、雲が層を成して浮んでいる様子が好きなのか、視線を動かさない。

「何だか寂しそうだな、カヲル。搭乗ゲートでも、誰かを探している風だった」

男は新聞を広げたまま、少年に尋ねた。

「別にそんな事は無いです、ハインツ先生。僕は独逸に知り合いなんて、殆ど居ないし」

少年も窓の外を見たまま、そう答えた。独逸の街並みはもう見えない。
それでも、心の先には、少女と遊んだ国が未だ有った。

「そうか。日本の第三新東京市までは長旅だ。少し、眠ると良いよ」

「そうですね。少し、寝ようかな・・・」

少年は、その言葉に素直に従い、座席をリクライニングさせると目を閉じた。
エントリープラグで霞んだ視界で見た金髪の少女が、一瞬浮んだが、直ぐに消える。
悲しみと寂しさを、見送りに来なかった少女に伝えたかった。








明日の影の中で 独逸編 終





★ ★ ★ ★ ★




やっと終りました。全部で大体11万字。綾波レイという難攻不落のハードルに再び挑む時が遣って来た・・・。
最後まで読んでくださった方、下手な文章に付き合って頂いて、有り難うございました。
それでは、第三新東京市編で又会いましょう!
(独逸編は人知れず微妙に書き直すこともあるかも知れませんが・・・、無視して頂いてけっこうです・・・。大筋は変わりません)


2011 6・22




[26586] 明日の影の中で 【第三新東京市編】
Name: 二十二号機◆3ff6d448 ID:908f7153
Date: 2011/07/21 15:56


 7・21 書き始めたので投稿してみます。

一人称の視点よりも、三人称の視点で統一しつつ、工夫をしてみようと
思っております。以後、こんな感じで書いていこうかなと。
頑張って、スキルアップを目指すぞー、と言いつつ、けっこう不定期に更新する予定の未定。一月ぐらい休んでも全然、構想が纏まらないんで、苦労しそうな予感。








[26586] 第1話 アンビバレンス
Name: 二十二号機◆3ff6d448 ID:908f7153
Date: 2011/07/21 16:03
少女が赤眼を見開くと、ジオフロントの天井都市郡が青い湖面に映し出されて揺れていた。
何故落ちているのか、誰に突き落とされたのか、それとも自分で飛び降りたのか、それは判らなかった。
意識できるのは、湖面に揺らぐビルの谷間へと落ちていく事、そしてやがてはコンクリートの様に硬い水面に叩きつけられ、粉微塵になり、泡となって消えるだろうということだ。
その瞬間、この体から開放される瞬間を楽しもうと、頬を切る風を感じながら、無意識が求める死への開放感に身を任せた。

少女が、さあ今こそ、叩きつけられる瞬間だと、そう感じた時、水面から二本の少年の腕がスッと伸びた。
悲惨な死を受け止める前に、自分を誰かが優しく抱きとめ、水音も立てずに水底へと導いた。
泡の中で、自分を強く抱きしめるその人の顔を伺おうとしたが、良く見えない。
少女は当然の様にその少年を受け入れ、少年の薄い胸に顔を押し付けた。
彼は罪で甘く重く、自分を死という希望へと導いていく、その直感に抗おうとは思わなかった。

綾波レイはベットの上で、カーテンの隙間から射す強い日差しの刺激に眼を細める。
頭の中で柔らかい夢、自分を抱きとめた誰かの暖かさを追って、運命を受け入れる朝に緩やかに抵抗しつつも、少しづつ意識を取り戻した。

レイは思う、朝は次の日の続きで、誰の意思も及ぶ所じゃない。
ただ自分が乗る地球の側面が、太陽の光を浴び始めたという事であって、この世には神の慈悲なんて無いのだという事実を。
もし、仮に神の慈悲があるならば、眠るように絶対的な死を迎えられるだろうと。

ベットから身を起こすと、昨夜読んでいた単行本が胸元から落ちた。
顔を洗って自分の気持ちに区切りを付け、玄関の鍵を開けに行き、朝食を作る為に台所に立った。
ほぼ習慣の様に玄関の鍵を開けるのは、大切な人を迎え入れる為だ。
レイは夢の中で死を望み、アンビバレンスに生の中で大切な人を作っている。
それでも彼女は矛盾を感じては居なかった。ただ、それが自分にとっての自然だと怠惰に受け入れていた。

トーストを焼く前に、やかんに火を掛ける。そしてコーヒー豆を小鍋で軽く炒って、それをミルで挽く。
サーバーに乗せたドリッパにフィルターをセットすると、挽いた豆をフィルターに入れる。
沸騰したお湯を、ゆっくりとドリッパに注ぐと、コーヒーの香りが立ち昇ってくる。
豆を炒っている時の芳ばしい香りも好きだったが、この時の芳醇な香りの方は頬を優しく撫でてている様に感じていた。

それはレイが、初めてコーヒーを淹れた時の事を思い出すからだ。
五年前、まだ幼い彼女には水がたっぷり入ったやかんは持ち上げられ無いから、やかんに二人分だけ水を入れて沸騰させて、そして椅子に登って、両手で持ったやかんを傾けた時の事を。
それがレイが誤謬無く生まれて初めて、他人の為に何かをしようとした瞬間だった。

クローンとクローンの連続性が無いならば、レイは五年前に生まれた。
クローンの一人目は殺されたそうだが、それ以前の記憶は曖昧で、良く覚えていない。
当時まだ記憶のコピーを完全に取れる装置は無く、断片的な記憶が印象深い白黒の映像を繋げているに過ぎなかった。

コーヒーの香りが、世界は只廻り、そこに神の慈悲は無くても、自分と人の繋がりが有る事をふと確認させる。
そんな不確かな確認の連続性の中でなら、自分は生きていけるし、死んでいけるだろう。
それぐらいの軽い命で居たいと思っていた。そう思わなくては、クローンとして生まれた使命の為に何時でも死が受け入れらる様に生きていけないからだ。

キリマンジャロの香りにつられて、レイの保護責任者である赤城リツコ博士が起床して来た。
レイの緑色のパジャマとは色違いの青いパジャマを、リツコはスラリと着こなしている。

「良い香りね、レイ」

そう言って微笑するリツコに、レイはぎこちなく意識した笑顔を返す。
レイとリツコの間には明確な壁が有った。
レイは無意識に、喉に引っかかる異物感を飲み込む。

レイが今笑っているのは目の前の彼女に向ける場合には、庇護を求める為だと思っていた。
リツコの手から定期的に渡される薬を飲まなければ、レイの体は生命活動を続けていけない。
週に一度、一粒、一粒、白いカプセルを嚥下しながら、レイは今の生にしがみ付いている。
リツコを見る度に、レイは喉に引っかかる無気力な味を思い出した。

リツコは、レイに度々何故そんな事をするのかと理由を聞きたい程に外面的には優しかった。
レイには、科学者であるリツコと自分の姉の様な存在として振舞うリツコに何時も戸惑っていた。
でもリツコと自分との関係は、死と生の架け橋であると気が付いた時から、答えを求めてはいけないと自分の心と現実に
見切りを付けていた。
だから、レイはリツコにぎこちなく笑い、彼女が満足するであろう話題を敢えて選ぶ無味乾燥した会話を代えようとしない。

「おはよう御座います。赤城博士」

「おはよう。コーヒーを一杯頂ける?」

「トーストは一枚ですか?」

「そうね。自分でやるから良いわ。貴方の分も焼いておいてあげるから、その寝癖直してきなさい。
 シンジ君ももう少ししたら迎えに来るんだから、着替えも。また、笑われるわよ」

「判りました」

レイは、小走りに洗面所に向うと、鏡の前で寝癖を直した。
それから、レイは一つの儀式を始める。毎朝行う、クローンが人の社会に出て行くために繰り返す手続きをだ。

先ず始めに、髪を櫛で梳して抜けた髪を一本探し、その根元を見る。
本当の自分の髪の色が、人に見分けが付かないか確認し、髪を染める時期を見定める。
次に、無感情な紅い瞳に黒いソフトコンタクトを被せて、蓋をする。
それから、レイを学校に迎えに来る少年の事を思い浮かべながら、そっと微笑みを練習する。

レイは分不相応だと判っていたが、その少年の事が心の底から大好きで、彼の事を考えると胸が温かくなってくる。
初めて出会い、彼を眼で追う私に、彼が話しかけてくれた事を忘れた事は無い。
彼は、麻酔の様にレイの日常的な絶望の感覚を鈍らせてくれた。
自分を創り上げ使命を与えた人物の息子だからだろうか、でも、其れだけじゃない気がした。

彼は自分にとって遺伝子的には、彼の姉か妹という二等親の関係に近いという。
レイは、彼の母親の卵子を元に作られたクローンだからだ。
その彼が、その事実を知らないという事は救いだった。
その事実を知ってしまったら、彼はもう、私をあのような、自分の大好きな優しい瞳で見つめてくれないだろう。

態度にも表せない、言葉にする事も許されない、けれど思うだけはレイに残された自由だ。
その胸に抱く思いこそが絆で、彼女を二番目の生に繋ぎとめる一番大切な理由だった。

「ほら、鏡の前でぼーっとしてないの。シンジ君着ちゃうでしょう?ちゃんと制服に着替えて、ご飯食べて」

鏡に向って微笑むレイを、洗面所のドアに寄りかかって、リツコが観察する様に見ていた。

「はい、判りました」

「五分以内に身支度しなさい?スクランブルエッグも冷えちゃうし」

レイは頷いて、自分の部屋に向った。




■ ■ ■ ■ ■




「おはようございまーす!」

「こら、シンジ君。ちゃんと、チャイム鳴らしてから応答を待って入りなさい?
 これでも、女二人暮しなんだから」

学生服姿の少年がリビングに入ると、レイとリツコがリビングで朝食を取っていた。
挨拶だけしてリビングに入ってきたその少年、碇シンジにリツコが方眉を上げて注意する。

コンフォート21の最上階で、赤木家の隣に住んでいる碇シンジは、学校がある日には毎日、綾波レイという少女を迎えに来ていた。リツコは、早朝の少年の訪問にはもう慣れていたが、チャイムも無しに進入してくる少年に、苦言を言った。

「鍵は掛かってませんでしたよ?」

「また犯人はレイね。でもそういう問題じゃないでしょう。江戸時代の長屋暮らしでも無いんだし。
 まあ、いいわ。上がってコーヒーでもどう?レイがまだもそもそ食べてるから」

「ありがとうございます。レイ、おはよう!」
 
「もう聞こえたわ」

レイは、心持ち嬉しそうにトーストにバターを塗る手を止めてそう答えた。
そして、シンジの為にコーヒーを淹れようと立とうとするが、それをシンジが押し留める。

「ああ、いいよ座って食べてて。自分でコーヒーは淹れるから。それより早く食べちゃって。
 いつも遅刻ギリギリにクラスに入ってくるって僕たち有名なんだから」

シンジは、勝手にガス代の上に置かれたサーバーを取り、食器棚からマグカップを取り出して注いだ。
マグカップは、以前レイにプレゼントしたもので、今レイが使っているものとペアになっているものだった。

「有名なのは、良いことだわ」

「冗談言ってないで、急いでよ。レイはコーヒー飲み終るのに、トーストの二倍は時間を掛けるんだから。
 僕はクラスの副委員長なの。そんな浮名を流されちゃ困るんだ。ただでさえ、名前負けしてるって言われるんだからさ」

そう言うシンジに、リツコが呆れた顔をする。

「シンジ君に、碇司令の10分の1でも威厳が有ったら、そんな事は言われないのにね。
 それにしても、たかがクラスの副委員長で名前負けしてるって言われてるの?
 あんなの、只の黒板係じゃない」

「僕は母親似なんですよ。それに、あんな髭面には成りたくない。それにあれは威厳が有るんじゃなくて、ただの仏頂面ですよ。
 クラスの副委員長も馬鹿にしてますね。色々と忙しいんですよ、色々と。リツコさんの時代と一緒にしないで欲しいなぁ」
 
「こら。そんな歳にしないの。アラサーを舐めてると痛い目に会うんだからね。
 ユイさんも、怒らせると怖かったわよ?同僚が実験のデータを無くした時なんて、凄かったらしいわ」

「そうなんですか?僕も、怒ったら凄いかもしれませんね。あんまり怒った事無いけど」

シンジは一息でコーヒーを飲み終わると、マグカップを食器洗い機に入れた。

「あら?レイが同級生に悪戯された時のこと忘れたのかしら?大喧嘩して、私、呼び出しをされたんだからね。
 忘れたとは言わせないわよ?」

シンジは、台所で苦笑いをしながら、それに答えた。
「小学校の頃の話はノーカンで。もう、中学生なんですから」

「たった一年前の話でしょう」

「冬休みが終ったら、もう二年です」

「それも未だ先の話。まあ、いいわ。それよりレイ、食べ終わったなら早く席を立って、学校に行く」

「はい、判りました」

「レイ、そんな風にしてる時間無いんだって。ほら、急ぐ急ぐ」

レイが食器を食器洗い機に並べて入れようとすると、シンジがさっと奪って流し場に置いた。
そして、レイの背を押して、玄関に向う。そんなシンジに、レイは抵抗する事なく従った。

「碇君。急いでも学校は逃げないわ」

「時間は手から逃げてくもんなの!リツコさん、行ってきまーす」

「行ってきます」

行ってらっしゃい、そう言ってリツコは小さく手を振った。
そして、騒々しい二人が居なくなると、少し物思いに耽り、それを振り払うようにもう一杯コーヒーを入れ、
自室からノートパソコンを持ってきた。
パソコンを起動すると、メールを開いて確認しその返事を書くと、書類を整理し始めた。




■ ■ ■ ■ ■




中学に入学してから、碇シンジは俺という呼称を使い始めた。
僕はではなく、単純にぶっきら棒に、俺は、と言いたかったからだ。
そうした方がカッコいいし、気弱なイメージを相手に伝えたくなかった。

母親譲りの女顔だって、薄っすらと髭が生え始めたんだから、心にも自然と男としての自覚が芽生えたんだと思っていた。
男としての自覚は、自分の父親と、隣を歩く少女に早く認めて欲しいという思いに自然と繋がった。
父親には、もう言う事に唯々諾々と頷いているだけではないと。
レイには、もう友達から次のステップへ、例えば彼氏彼女の関係とか、進んでも良いんじゃないかって。

この二人しか埋められない心の隙間に、いつもシンジは悩んでる。
でも二人とも、気が付いているのかいないのか、いつも知らん振りだ。
遣る瀬無い思いが一人歩きするけれど、手探りに進むしか無いんだと思う。

学校へ向かいながら、片思いの相手を、横目でを盗み見る。
レイとの会話は、彼女の小さなアクションを見逃さない事から始まるからだ。

レイは、いつも通り、永遠に夏が続く日本で一人涼しそうに、通学路をゆっくりと歩いている。
でも、暑くないわけじゃなくて、夏に犯されない白い首筋に薄っすらと汗を掻いている。
彼女はお化粧とかに興味が無いみたいだけど、自然と纏う雰囲気が、いつも誰かの為に薄化粧をしている道端の花の様だった。
レイも又、自分が少年から男性になる様に、少女から女性に成りつつあるのだと感じる。

そうすると何時の間にかレイが着け始めたブラジャーが、薄っすらとシャツの向こうから透けてくる様で、横を歩くシンジは心まで自然と暑くなってきて堪らなくて、レイから視線を避ける。

君が好きだ、そんな強い気持ちが簡単に僕に表現できたら、きっともうレイは僕の彼女になってくれるんじゃないだろうか。
でも、何時も僕の口から出てくる言葉は、何時も通りの会話だ。切っ掛けが、中々掴めなかった。
二人でデートの様な事をした事もあるけれど、何時もシンジは踏み出せなかった。

「そういえば今日、転校生が来るらしいよ」

シンジは結局、無難な会話を選ぶ。好きだ、可愛い、手を繋ごうか、何ていう言葉が頭には浮かぶのだが、それを口にする勇気は何時も無かった。

「そう」

「そうって・・・興味無い?先生が洞木さんと僕だけに話してくれたんだ。
 委員長と副委員長の特権だね」

「・・・名前、何ていうの?」

少し考えた後、レイはぽつりと呟いた。
本当はあまり興味が無いのだと、シンジには判ってる。でも、自分を気に掛けて、一生懸命に話題を探してくれたのだ。
レイは興味が有ること以外は、無視するというか、考えない癖が有る。

シンジは、自分が大切だと思われてる優越感を味わいながら、言葉を続けた。
それがクラスで只一人、レイと普通に会話が出来る幼馴染の特権だった。

「渚カヲル君って言うんだって。それで、彼、足が悪いらしいんだけど。
 驚いた事にさ、レイと同じアルピノらしい」

「私と同じ?」
レイが僅かに瞳を大きくする。それを視て、シンジはオッと思った。

「そうそう。灰色の髪に紅い眼をしてるんだってさ。しかも、ドイツからの転校生!
 ちょっとわくわくするよな」

「そう。碇君はその子に興味があるのね」

「うん。レイだって、実際に見たら話してみたくなるんじゃない?
 それに、レイと以外に気が合うかもよ。話しかけてみると良いよ」

「私、人と話すの苦手だから・・・。でも、考えてみる」
レイは少し口篭って、それからシンジの眼を見てから言い直した。

「うん。俺は、そうしてみた方が良いと思うな。お節介かもしれないけど。
 レイにもさ、僕以外にも友達が居た方が良いと思うし」

シンジはまだ俺で言い通す事に慣れておらず、時々、レイと話す時には、僕と自分を呼んでしまう。

「碇君のお節介なとこ、好きよ。でも、友達は碇君が居れば良い」

「レイのそういう所、ずるいよなぁ」

そう言って、微笑むレイにシンジは頬をぽりぽりと掻いて照れた。
そんな事を言われたら、好きな子にどういう表情をすれば良いだろう。
レイは不器用な生き方をしている癖に、何処か動物的な自然体で、羨ましくもあった。

「そう?」

「そう」

レイはもう少し交友関係を広げても良いと思う。友達って凄く良いものだし・・・。
でも少し嬉しそうに、僕が居れば良いと話すレイに、いつもシンジは友達を作れとそれ以上言えなかった。



■ ■ ■ ■ ■




レイがシンジと第三中学校、通称第三中の校門までやってくると、一人の外人の男性と灰色の髪の男の子が立っていた。
彼らは何やら体育の大久保先生と話しているようだった。大久保は背が高く筋肉質の体型だが、その外人の方が少し背が高い。

シンジが歩を止めてレイの事を肘で突付く。
「あれ、今話してた転校生じゃない?」
「そう?」
レイがその灰色の髪の少年に眼をやると、見かけた事は無さそうだった。
それに、碇君が言ったように足が悪いのか、アームカフの付いた杖を右腕にしている。
確かに、彼が碇君が話していた転校生の容姿と一致する。

「遅刻するわ、碇君」
「そうだね。彼が転校生だったら、クラスで顔を会わせるんだし」

彼が転校生だろうが無かろうか、レイには心底どうでも良かったので、シンジを促して、校門を黙って通り過ぎようとした。

そこで、シンジが先生に呼び止められた。この背の高い男性と転校生を職員室まで連れて行く様に言われている。どうやら、此処でシンジとは別れることに成りそうだった。

「碇君、先、行くわ」

「うん、ごめん、レイ。俺は彼を職員室に連れて行くからさ」
「ありがとう。ご免ね、彼を取ってしまって。直ぐに返すから。綾波レイさん」

そう言って、碇君の横に立った灰色の髪の少年はアルカイックに微笑んだ。
灰色の髪、紅い瞳、白い肌、自分と同じアルピノの彼。そして、私と同じ匂いがした。
レイは何故か、その瞳に吸い込まれる様な気がして、足元が崩れる様な感覚を味わった。

「レイ!大丈夫!?」
立眩んだレイを、シンジが支える。頭痛と眩暈が、レイを襲い、如何しようも無かった。
それでもレイはそんな状態でも、私は彼の眼から、視線を退ける事が出来なかった。

少年は、まるで興味深いものを見るような視線を一瞬見せたが、直ぐに顔色を変え、腰を屈めてレイの額に手を当てた。一瞬の表情とは違い、真摯に自分を気遣っている顔だ。
レイは、その表情に何故か安堵して、同時に痺れるような甘い感覚を味わった。
心臓が、ドッと踊り出す。

「日射病かな。日本てホントに暑いし。碇君、彼女、保健室に連れて行った方が良いよ。
 僕は大丈夫だからさ」

「うん!有り難う。ほらレイ、行こう?立てる?」

「私は大丈夫、だから」
「大丈夫じゃないよ。行った方が良い」

立とうとするレイに、シンジが慌てて肩を貸した。
灰色の髪の少年が、自分を心配して優しくて心地良い声を掛ける。レイはその声を聞くと耳が熱くなった。
何故?判らない。でも、悪い気分じゃない。ずっと聞いていたい様な、そんな安心感があった。

でも、その声をこれ以上聞きたくないという思いも有るのだ。耳を塞ぎたかった。
彼に惹かれつつ、離れたい。自分ではどうしようも無い感情が、レイを体を二つに分けた。
まるで、無意識に死を望み、そして生にしがみ付いているレイの奥底を試す様に。

「ほら、レイ!」

「判ったわ」

彼の何が自分をそんな状態にするのか戸惑い、後ろ髪を引かれる思いで、レイはシンジに腕を引っ張られて、保健室に向った。
彼の事が無性に知りたくて、喉元まで出掛かった形に成らない問を押し込めながら。





■ ■ ■ ■ ■




神奈川県下、芦ノ湖北岸(足柄下郡箱根町仙石原地籍付近)に建造された第三新東京市、通称TOKYO-3。
表面上は長野県に建設された第二新東京市からの二次遷都計画における新首都として建設が進められている。
その裏の目的は、対使徒迎撃の為に造られた要塞都市だった。

市街地には兵装ビルと呼ばれる、内部にEVA用の装備(予備パレットガン、電源ケーブル等)を納めたものや、EVAの射出口となっているもの、戦闘時に盾として役立つものや、集光ビルと呼ばれる建造物が立っている。
全体が七つの工期に分けて建設されたが、現在、その七つ目の最終工程に入り、要塞都市としての機能は64%程の完成度だ。現在は2014年2月であり、来年の2015年6月には完成する予定だった。

その第三新東京市の地下、直下50メートル程の地点に巨大な地下空間が有り、ジオフロントと呼ばれる。
第三新東京市の迎撃機能はこの空間を守る為に有り、ジオフロントと第三新東京市の間には22の特殊装甲で防護されていた。

そのジオフロントの中心部に有る第弐芦ノ湖の畔にピラミッド型のネルフ本部が有った。
そのネルフ本部の司令室に二人の男が居た。地下に有るジオフロントだが集光ビルによって明るく、司令室にも太陽の光が射している。

「マルドゥック機関を飛び越えて、自らの意思でエヴァへの搭乗を決めた少年か。予定外の因子だな」

白髪で痩身の男が、司令室の窓から見えるジオフロントの風景に眼を遣りながら、そう言った。
老人の名を、冬月コウゾウという。国連直属の非公開組織である特務機関ネルフの本部副指令に任官されいていた。

眼鏡を掛け顎鬚を生やし、制服を着崩した学者然とした男がデスクから立ち上がると、書類を冬月に渡す。
こちらの男の名を、碇ゲンドウという。
碇シンジの実父であり、同ネルフの本部総司令に任官されていた。

「14年前、日本からドイツへと向う旅客機がロシア首都近郊で墜落した事件の生き残りだそうだ。
 意識不明状態で当時のコールドスリープ実験の被験者となり、目覚めたのは去年の2月。
 目覚めさせたのは、ネルフ独逸支部だ。遺伝子的にエヴァの操縦者としての資質を認められてな」

「ネルフ独逸支部・・・、ゼーレの御膝元か。ゼーレに洗脳されて手駒にされる前に、此方に引き取れたのは運が良かったと言うべきか。予定外の使徒侵攻に感謝すべきだな。
 しかし、セカンドインパクト前に眠り、この地獄に再び眼を覚ますとは運が無い少年だ」

冬月は14年前、セカンドインパクト前の日本を知っている少年が、今の夏しかない日本を見て如何思うかと思索した。
記憶を失っている事は、ある意味救いではないかと冬月は思った。家族や友人を失い、別世界に連れて来られたも同然だろう。
其れほどまでに、14年前と今の日本は違いすぎた。
当時の日本の世界の中枢としての立場を失い、セカンドインパクト後の世界を痛々しく生き残ろうとしているというのが今の日本の実情だ。

「私が渚カヲルを引き抜いた訳ではない。ゼーレの意思が関与していないとも言い切れんな。
 現に、ミハエル・ガーランドという独逸支部技術部の人間を連れてきた。
 ミハエルは恐らく、ゼーレの息が掛かった男だ」

碇は、ただ淡々と報告書をから読み取れる事を述べる。冬月は、そんな碇に視線をやるが、何も言わなかった。
冬月にはこの碇ゲンドウという男が感傷という人間に不可欠な感情など欠落している事を知っているからだ。
独善、冷酷、この男は内側に、科学者が持つべき良心などという不要なものを飼っていない。

だが、冬月も嘗てはこの男の本性を軽蔑すらしていたが、今はもう侮蔑する事は出来ず、精々苦言を洩らす事しか出来ない。
冬月は良識と現実の板挟みに合う善人では無く、世界の現状に見切りを付け、碇ゲンドウという薄気味の悪い男の右腕に収まったからだ。
嘗て教育者として説いてきた人の道など、二度と口に出来ないなという思いが冬月には有った。

「ゼーレから我々への牽制という所か。
 まあ、彼らがまだお前の首を挿げ替えようと思わないという事は、直接的な証拠までは揃えて居ないのだろう。
 彼らをどうする、こちらの手の内を知られる様な立場に配置する訳にもいかんな」

ゼーレ、ネルフの最高意思決定機関が二人の思惑に気が付いているとしたら、それは二人の計画の大幅な見直しが迫られた。
 
「牽制というならば、我々もゼーレにダミーの情報なら、幾らでも渡している。
 ミハエルは利用するだけ、利用させてもらうさ。役職も権限も与えず、名目上はリツコの下に付かせる。
 担当の仕事は渚カヲルのサポートだ。医者としての仕事に専念してもらう」

「つまりは、リツコ君の命令には従って貰うが、仕事はさせないという訳か。
 勿体無い気もするがな。やれやれ、碇、リツコ君に睨まれるぞ。厄介な事を押し付けるなと。渚カヲルはどうする?」

「予備だな。サブ・チルドレンという所か。訓練もされていないパイロットなど、不要だよ」

「だが、第三使徒戦での一応の実績は有る」

昨年、六月にドイツで起こった使徒進攻。独逸支部が壊滅的な被害を受けなかった事実に、渚カヲルは助力している。訓練も受けていない身で有りながら、見事に使徒を目標地点まで誘導する役目を遣り遂げた。

「冬月、ゼーレへの言い訳など如何とでもなるさ。不確かな実力に、人類の命運を任せる事など出来ないとでも言えば良い。
 此方にはレイが居る。そして、シンジもな」

碇は、レイとシンジ、二人の名を盤上の駒の様に上げた。碇ゲンドウにとって、二人は其れだけの存在だった。
自分が造り上げたレイは勿論、息子に対してもそれ以上の価値を見出す事は、二人を抱き上げた時から出来なかった。
母を失って泣く事しか出来ない無力な息子に対して、侮蔑する事しか出来なかった男だった。

「シンジ君か。それこそ、今は未だ只の中学生だがな」

「それで良い。初号機に選ばれるのは、シンジだ。そして、ユイを目覚めさせるのもな。そうなれば、誰も否定出来ない」

「渚カヲルは計画の誤差の範囲内、か」

碇ゲンドウは白手袋を付けた手で、炯々とした眼を隠すように眼鏡を押し上げ、口元を歪める。
冬月は、小さく咳きをすると後ろ手に組み、その顔を避ける様に天井を見上げた。
司令室の天井には、旧約聖書の創世記にエデンの園の中央に植えられた木、が浮かび上がるように描かれている。

「禁断の実、生命の果実、知恵の実、世界の卵。エデンを追い出された人が再び手を伸ばす罪の結晶。
 セカンドインパクトを繰り返す事は出来んぞ、碇」

「その為のネルフであり、我々ですよ。冬月先生」

「だと良いがな・・・」

――天上への梯子を上るには、老人には肩に負う罪が重すぎる、そう冬月は人知れず呟いた。






[26586] 第2話 転校生
Name: 二十二号機◆3ff6d448 ID:908f7153
Date: 2011/08/03 02:46




レイは保健室のベットの上で、昨夜読みかけていた単行本を鞄の中から取り出して、時間を潰そうとしていた。
しかし何時もの様に自然と文章の間に入っていくように黙読出来ず、数ページをめくる毎に手が止まる。
再び栞を挟んで、胸の上に置くと横になって眼を瞑った。

時期外れの転校生、渚カヲルと呼ばれた少年の笑顔が、夏の光が水面に反射する様に目の前を何度も横切る。
しかも、時折、自分の幼馴染である碇シンジの顔と重なっては離れる。
ふとした拍子には、どちらが自分に笑いかけているのか判らなかった。

渚カヲルという少年の事を考えていると、目を覚ましているのか、夢を見ているのか、まるで白昼夢を視ている様だった。
レイは初めての体験に困惑し、赤城博士にこの事を相談する必要が有るだろうかと迷った。

しかし、こんな事を話しても、かつて自分の幼馴染への思いを相談した時の様に、彼女は意味深な笑いを浮かべるだけではないかともレイは思った。
渚カヲルへの気持ちは、レイが碇君と呼ぶ少年への気持ちとは、重ならない。赤城博士には自分が渚カヲルを好きになったと邪推されるのは不愉快で、そんな事は避けたかった。

生まれたばかりのレイは、リツコと良く疑問符の多い頓珍漢な会話をした。その時の会話の一つ一つを今でも彼女は良く覚えている。
レイは昔は良く彼女と、そんな会話をしたものだが、歳を少しとって少し背が伸びた頃からそんな会話も少なくなっていた。
そして、リツコから心が離れた今となっては、そんな会話は成立しようがなかった。

リツコはあの時、幼いレイに意味深な笑いを浮かべた後、――その内に判るようになるわ、一言そう言った。
その答えに、レイは――その内にとは何時ですか?と聞いた。
そして彼女はこう言った。――探している時が、女にとって一番ソワソワするものよ、と。

その頃からだろうか、暇が有ると自分の気持ちを本の中に探し始めた。
読書をして自分の中の様々な感覚を見つける度に、自分の答えを見つけるようで、それが借り物の答えだと判っていても、自分の中に言葉が溜まっていく。
手の間の砂が落ちていく様に、残された時間が磨り抜けていく自分に、読書は未来を垣間見させてくれる。
そんな時間が好きだった。

でも、あの時――心が、そわそわする、馬鹿な答えを聞いたものだと思う。そして、不相応な事を探し始めたものだと後悔していた。
自分が幼馴染に恋をしているなんて、事実を知らなければ、重苦しい罪には気が付かなかった。
その事で赤城博士を心の何処かで逆恨みしている自分も、読書を通してその内に見つけ出した。
唇を柔らかく結ぶと、レイは細い右腕を額の上に乗せた。薄っすらと汗を掻いていて、肌と肌が張り付く。

転校生の事を考えていた筈なのに、碇シンジの事を思うと、他に考えていた事なんて、何処か脇に置いてしまう。
そして、深く彼の事を考えようとする度に、薄っぺらくて其れでいて硬直的な壁の向こうに彼が居る事を思い知る。

シンジへの恋しいという淡い気持ちなんて、硝子の箱に閉じ込めて眺めるだけにしているのに、自分の仮装の様が何時剥がされても可笑しくないように、蓋が直ぐにずれてしまう。
そんな時は凍りつくような寂しさと共に、沈黙の中に沈んでいく自分を、誰かに見つけて拾い上げてもらいたい、そう切実に感じるのだった。





■ ■ ■ ■ ■





「レイ、起きてる?入るよ?」

ベットを取り巻くカーテンに人影が浮んだ。その声に律儀に反応して、レイは上半身を起こした。
気分が深く滅入っている時にも、レイは幼馴染の声を聞くだけで、ふっと心が軽くなる。
シンジには、自分の生への倦怠感を少しだけ寄り掛けられる優しさが有った。

「寝てなきゃ駄目じゃないか」

シンジがカーテンを引いて、丸椅子に座る。そして、シンジはレイの眼を見守る様に見つめた。

「もう、大丈夫だから」

レイは何となくシンジと視線を合わせづらくて、単行本の表紙に眼を落とす。
シンジの事を考えていたことを知られたくなくて、再びページを開きたくなった。
読書に集中している時には、余計な事を考えなくて良いからだ。

「ほんとに?それなら良いんだけど。先生も心配してたよ」

「そう・・・。御免なさい」

「嫌だなぁ、僕に謝る必要は無いって。でもほらさ、最近はジオフロントに泊まる事も多いだろ?
 忙しいんだったら、その分、体も大事にしなきゃ」

レイは学校が終ると、ネルフから送迎車が迎えに来る。そして、ジオフロントまで降りて、ネルフでの任務に就くのだ。
シンジは何時もレイのか細い背中を見送っていた。そして夜、テレビを見ながらレイが帰宅すると携帯から送ってくれるメールを確認していた。

「・・・ネルフでは、そんなに忙しくないの。忙しいのは、技術部の赤城博士とか、伊吹さんとか。
 私はけっこう、ボーっとしてる時間も有るぐらいだから。心配しないで」

伊吹さん、と聞いてもシンジには良く判らなかった。ただ、リツコが関わっているとなると少し安心した。
レイの姉代わりの存在が側に居るなら、レイに負担を掛けすぎないように気を配っている筈だった。

「まあ、僕にはネルフの事は良く判らないんだけどね。父さん、って言っても父さんは聞き流すだけか。
 リツコさんには、今日倒れた事は言っておくからさ」

「・・・ありがとう。でも、本当に私は大丈夫だから」

シンジは、一つ大げさにため息を付いた。そんなシンジに、レイは怒られていると判って少し肩を竦める。
レイがその様に感情を出すのは、シンジの前だけだった。シンジはそんな頑張り屋のレイ、気丈と言っても良いと彼は思っていた、に愛しさと共に心配がつのる。

「レイはさあ、いっつも大丈夫って言うんだからなぁ・・・。
 ネルフがどういう組織なのか良く判らないけど、中学生を夜遅くまで働かせたりしてさ。
 ほんと、頭に来るよ。しかも、父親がそこのお偉いさんって言うんだから」

「碇君のお父さんは、悪くないわ。悪いのは、仕事が忙しい事だから」

レイは、シンジに静かに言い聞かせるようにそう言う。シンジは、それが面白く無かった。
レイが自分の父親を信頼しているという事に、シンジは嫉妬する。

「仕事、仕事で、息子の事を考えない父親は、普通、良くない父親だって言われるよ?
 まあいいや、父さんの事は。あまり話したくないし。それより、渚君の事知りたくない?
 購買でパンを買ってきたから、食べながら話そうよ」

「もう、そんな時間なの?」
レイは恥ずかしげに少し慌てた様子が、可笑しくてシンジはプッと噴出した。

「もう、そんな時間。寝てて気が付かなかったんでしょ。何時も、レイは昼食食べないけどさ。
 今日はレイの分も買ってきたから。倒れたんだからさ、お昼ぐらいしっかり食べないと駄目だからね」

「・・・はい」

レイは嬉しげに小さく頷くと、心配屋の幼馴染の為に昼食を食べようと、ベットに座り込む。
やがて保健室にシンジの楽しげな話し声と、レイの相槌と小さな笑い声が聞こえ始めた。





■ ■ ■ ■





渚カヲルは、クラスに入ってくると杖を付きながらゆっくりと黒板の前に立った。
その灰色という髪の色と紅い瞳、白い肌の上に、鼻筋の通った甘いマスクという風貌に、注目が集まり、教室は静かになった。

カヲルは、少し緊張したように瞬きを数回すると、自分の名前を言い、ドイツのヴィルヘルムスハーフェンという所からやって来たと自己紹介をした。

頬杖を付いたシンジの眼から見ても、人前で話す事が慣れていないという事が伝わってきて、何となく好感が持てた。
帰国子女という事を鼻に掛ける訳でもなく、少し人見知りをする様な日本人的感性を持っているようだった。
殆どのクラスメート、まあ、恐らくは女子を中心に、彼への親しみを増したなとシンジは思った。

カヲルは、ヴィルヘルムスハーフェンがドイツのどの辺りに有るのか黒板に地図を書いたり、人から聞いた話だという簡単な街の歴史を紹介したりした。カヲルは半年程しかドイツには居なかったというが、随分と詳しかった。

そして、カヲルの話が終り、
「はい、それでは、質問タイムです。質問したい方は手を上げてください」
と委員長の洞木ヒカルが言うと次々に女子の手が上がる。

恋人は居ますか、とか積極的な質問が先ず最初に上がり、質問をした女子に拍手が送られると共にダイタ~ンとか言って女子がはしゃいだ。

――好きな人は居ますが恋人は居ません。

その言葉を聞いて、女子から落胆の声が上がる。シンジは、取り合えず幼馴染に近づけても大丈夫だな、と判断した。
コイバナ好きの別の女子が、ドイツにその人は居るんですか?というか遠距離恋愛?なんて聞き出す。
その積極性に、女子は強いなぁとシンジは感心した。

――恋人では無いので、遠距離恋愛とは言わないかもしれません。ただ、その人はドイツに居ます。

おお~、という声が広がる。その女子に、外人が相手じゃあ、勝ち目は無さそうですか?と聞かれ、カヲルは少し紅くなった。

――タブン、ですが。でも、凄く美人な子なので、僕が振られるのは時間の問題かもしれません。

――ガンバレや~、転校生!

と、クラスの後方に座り、学生服姿のクラスメートの中で一人ジャージ姿の鈴原トウジがエールを送ると、カヲルは後ろ頭を掻いてテレてみせた。可愛いww~と女子たちの黄色い歓声が、カヲルをいじった。

――鈴原君、あんまり大きな声を出さないで下さい、とヒカルが冷静に注意する。

――なんや、ワイばっか委員長は虐めんのやから

好きなものは何ですか、趣味は何ですか、とその後も女子が御見合いの様な質問を重ねる。カヲルは一つ一つ丁寧に答えていった。
最近、音楽を聴くことが好きで、友人に触発されて何か楽器を弾いてみたいそうだ。
身長は165センチ、体重は48キロ。知らなくても良い情報に、女子も悪乗りしているなとシンジは思う。

「何だか、女子の質問ばっかりですね。男子も何か質問して下さい。渚君だって、男子ともっと仲良く成りたい筈です。
 代表して、そうね、碇君。先ずは先陣を切ってよ。副委員長でしょ」

洞木さんもそう思ったのだろう。だからと言って、突然白羽の矢を自分に立てなくてもシンジは思う。
しかし、確かに男子からの質問も有った方が良いとは思った。自分が質問をすれば、他にも手を上げる男子が現われるだろう。今は、女子のテンションに引いているだけで。

「そんな、突然言われてもな~」
シンジは決心して立ち上がったが、何を質問して良いかは迷った。オーソドックスな質問は、既に女子がしているからだ。

――シンジ君は、保健室のクラスメートの事が心配で頭が其処まで廻りませーん。

シンジは、その癖の有る茶髪で眼鏡を掛けた少年、相田ケンスケを睨むと、中指を立て、次に親指を下に向けた。
シンジのジェスチャーのファック、殺すぞ、という意味は伝わったようだが、ケンスケは面白がっている。

――おー怖、ヒューヒュー

「えー、ごほん。その馬鹿は気にしないで下さい。この街に来たのは、お父さんの仕事の関係ですか?」

――えっと、まあそんな感じです

カヲルは少し考える素振りを見せたが、素直な受け答えをした。

――そんな詰まらん質問すんなや、シンジ。頭廻っておらへんで~

鈴原トウジが机をがたがたさせながら茶化すが、シンジは無視した。
注意してくれないかと、洞木さんの方を見てみたが、頬を少し染めて眼をきらきらさせている。少女漫画モードに入っているらしい。

「あの馬鹿も気にしないで下さい。万年ジャージの変人です。
 じゃあ、もう一つ。ドイツ語で何かしゃべって貰えますか?聞いてみたいです」

――えっと・・・実はドイツ語は殆ど喋れないんですが・・・。
  うーん、あ、良いものがあった。これも人から教えてもらったもので、使い所が難しいジョークが有ります。

カヲルは、少し時間を掛けながら、黒板にドイツ語を書いていった。そして、全部書き終ると、流暢に発音する。

  Du bist mein Ein und alles。Ich bin in dich verliebt。
  
「・・・どういう意味なんですか?」

――意味を知ってしまうと、使いにくいです。男性が、女性に時と場所を選んで使うジョークなんですが・・・。
  僕は以前、使い所を間違えました。あ、忘れてた。言う前に、相手にウインクをしながら言うと良いらしいですよ。

にこにこと笑うカヲルに、シンジは戸惑った。どうやら、意味は教えてくれないらしい。

「ドイツ語は難しいですよ。もっと簡単なドイツ語のジョークありませんか?」

――そう言われてもなぁ。うーん、じゃあドイツ語で・・・、バームクーヘン?
  すいません。僕のドイツ語はこの程度です。
  
真面目な顔をしてドイツの銘菓を言い放ったカヲルに、クラスは一瞬静まったが、笑いが広がった。
シンジも思わず笑ってしまう。

――判りやす過ぎやろ!

鈴原トウジだけは、ボケにツッコミを忘れなかった。




■ ■ ■ ■ ■




黒塗りの日本車が、学校の校門から少し離れた所でレイを乗せて、徐々にスピードを上げていく。
シンジは暫く、レイの後ろ髪を見つめていた。ネルフに向うレイは、何時も少し口数が少なくなる。そんなレイを気遣って見送るのはもう慣れていた。

携帯を取り出すと、リツコにメールを打って送信する。
――レイが今日、学校で眩暈を起こしました。気を付けて上げて下さい。出来れば、今日は早く帰して上げてください。

レイの事を幾ら心配しても、こんな事しか出来ない。シンジは、自分の無力さに何時も打ちのめされる。
自分に、あの無愛想な父親の様に力が有ったら。せめて、もう少しだけレイの側に居られたら。
あの車に、レイの横に座って居られたらと思うのも何時もの事だった。

校門まで戻ると、鈴原トウジと相田ケンスケが立って待っていた。
二人は中学に入ってからの友人で、部活に入っていない三人と学校が終ると良くつるんでいた。
三人とも母親が居ない片親暮らしという共通点もあったし、何となく気が合った。

二人とも少し気落ちしているシンジに、敢えて問いただそうとはしない。
シンジが何を悩んでいるか、良く知っているし、自分たちに出来ることは何も無いと判っているからだ。
それでも、本当にシンジが気落ちしているような時には、きちんと声を掛け、話を聞いてくれる。

シンジは取り合えず気を取り直して、二人に話し掛けた。

「今日、何処行こっか」

「そうやなー。ケンスケの家でゲームすんのも良いけど」

トウジが鼻をポリポリと掻きながら、そう言う。
相田ケンスケの部屋は、ケンスケがサバゲーマニアな上にコンピューターマニアという訳で、海外のゲーム等も多く、暇を潰すにはもって来いだった。
トウジの部屋は、阪神ライガーズの応援グッズが有る位で、遊ぶものは漫画ぐらいで殆ど無い。
弾にトウジと一緒にライガースの応援をするのは面白いが、普段遊びに行くような家でもなかった。

「あー悪い。今日、親父がたまの非番でさ。俺んち駄目。シンジん家は?」

ケンスケは頭の後ろで腕を組み、たまの休みぐらい逆にどっか行って来いって言いたいよなー、とため息交じりに呟く。

「まあ、俺の家でも良いけど。古川さんが夕飯作りに来るから、二人とも食べてく?」

古川さん、と言うのは、シンジの家に掃除や夕食を作りにやってくる60歳を超えた家政婦だった。
殆ど家に帰らない父親が、世間体の為に雇った人だと、シンジは思っていた。

「シンジん家行く度に、古川さんにはご馳走になってるしなー。何だか悪いような気も」

「そうやなー。ワイ、家で妹と一緒に食べてやりたいしな」

「まあ、その辺適当に考えるとして。ワックでも行く?ハッピーセット、今なら500円だろ?」

ワクドナルドという繁華街のファーストフードか、ゲームセンターが彼らの溜まり場だった。
弾にはお好み焼き屋などにも行くが、小遣いを多分に貰っているシンジとケンスケはトウジに遠慮をして月に1度しか行かない。
まあ、トウジが人並み以上に食べるから、という事でもあったが。

「そうやな。ワクドでも行こか、取り合えず。腹減ったし」

「トウジは何時も腹減ってるからな」

「しょうがないやろー。成長期なんやから」

「それは俺たちも同じ。な、シンジ」

「そうだよね。トウジは食いすぎ。良く太らないよ、部活もしてないのに」

「ま、根性やな」

気の置けない会話をして繁華街へ向って歩いていると、転校生が歩道に立っていた。
その目立つ風貌から、三人は直ぐに気が付き、声でも掛けようかと近づいていった。

もっとも、シンジはカヲルに少し屈折した思いを感じずには居られなかった。
レイが午後の授業に戻ってきた後、カヲルの背中を時折見つめていたことを知っているからだ。

あのレイが、幾ら転校生だからといって、カヲルに興味を抱くのは不思議だったし、面白くは無かった。
勿論、カヲルには何の責任も無いのだと判っていたけれど、レイの転校生へと投げ掛ける視線の意味を探らずには居られなかった。

「よ、転校生。何してるんや?」

トウジが戸惑うシンジを他所に先ず一番に声を掛ける。トウジは、男っぽい性格をしており世話好きだった。
年中ジャージ姿の彼は、女子には何となく避けられているが、そんな性格から嫌われているというより、それなりに好かれているのだが、そういう事には気が付かない損な男だった。

「鈴原君か。迎えを待ってるんだ。こんな足だからさ。まだ、慣れなくて、ちょっと疲れるから」

カヲルは屈託無く笑う。こんな足という割には、気にしていなそうだった。
まだ慣れないという事は、怪我をしたのは最近ということか。
カヲルは普通に歩けるようになるんだろうかとシンジは心配になった。

「鈴原君とか言われると、背中かゆうなるわ。トウジでええ。
 シンジも、ケンスケも呼び捨ての方がええやろ?」

トオジは大げさに背中をぼりぼりと掻きながら、シンジとケンスケにアイコンタクトをする。
大変な奴なんやから、仲良うなってやろうや、という意味だと、二人は直ぐに察した。

「ん?おお、俺もケンスケで良いぜ。宜しくな、カヲル。カヲルって呼ぶよ、俺も」

「俺もシンジで良いよ。俺も、これからはカヲルって呼ぶ」

「そっか。判った。トオジ、ケンスケ、シンジ。これで良いかい?」

「おお。それでええ」

「そっちの方が良いよな、シンジ」

「うん。そうだね」

「ありがとう。僕もそっちの方が呼びやすいや。あ、先生の車が来たみたいだ。
 ちょっと待っててよ。三人を紹介したいからさ」

左ハンドルの白い外車が四人の前に止まり、運転席から、背の高い金髪の壮年の男が降り立つ。
俳優の様なその男に、外人さんや・・・トウジが呟くと、ケンスケが肘で突付く。
シンジは今朝、校門の前で見かけていたので驚かなかった。

男は片手を上げて、シンジたちに挨拶をした。
「やあ。カヲルの友達かい?私の名前はミハエル・ガーランド、宜しく。
 そうだな、ここで話をしてるのも難だし、三人共、車に乗りなさい。
 ちょっと、何か食べながら話そうじゃないか。学生だからお金も無いだろうし、何か奢るよ?
 カヲルと早く仲が良くなって欲しいしね。カヲルは時折、学校で友達の手助けが必要になるだろうし」

「ええんですか!!」

その流暢な日本語に、トオジが即座に喜色満面で反応した。そんなトウジの頭をケンスケが、パコっと叩く。

「トウジ!カッコ悪いだろ。大体、家で夕飯食べるんじゃなかったのかよ」

「こんな時は夕飯は別バラじゃ!折角、こう言ってもらっとるのに、断ったら失礼に当るわ。
 ミハエルさん、この辺の店は未だ知らんようでしたら、任せて下さい。
 ワイらが良く行く、日本のソウルフードをご紹介しますさかい。めっちゃ美味しいんでっせ」

任せてくれ、と胸を叩き一人異常な盛り上がりを見せるトオジを横目に、ケンスケとシンジがぼやいた。
「トオジのソウルフード、ラーメンに50円」
「ラーメンだと話せないから、お好み焼きに100円」




■ ■ ■ ■ ■



第三新東京市の地下、ジオフロント。そのジオフロントのネルフ本部の最下層部にターミナルドグマという名称の場所がある。その場まで降りられる人間は、ネルフ内でも最高レベルのセキュリティーカードを持つものだけだった。
そのターミナルドグマに隣接する場所、公式には存在しない部屋で、綾波レイは静かに時を過ごしていた。

かつて地球の地軸は、公転面の法線に対して、約23.4度傾いていたという。それが南極で起きたセカンドインパクトによって、それから約30度程傾き、世界の環境は激変した。セカンドインパクトから14年経ち、60億の人類がその半分ほどに激減した事から思えばやや緩やかになったとはいえ、やはり徐々に減少している。

南極の海は紅く替わり、生物の住めない死の海は徐々に広がり、やがて世界の海は塗り替えられるだろう。
地球は既にヒトの楽園では無くなり、斜陽の時を迎えているという事実を殆どのヒトは知らないけれど、一部の人々は其れを知り同時に隠している。

そんな世界情勢の中で、滅びゆく人類を救う為、人類補完計画がゼーレという組織により提唱された。
ネルフはゼーレによって設立され、碇司令は人類補完計画を遂行する為に、綾波レイという使徒と人間とのハイブリッドを造り上げた。
人類補完計画が最終段階に入った時、ヒトという種を新たな段階へ導く為に。

レイは、自分の生命の使命だという人類補完計画の概要をこの程度しか知らなかった。ただ言われたように訓練をし、実験に参加をして、週に何度かLCL調整槽に入り延命を行う。昼間に学校へ行くのも、人の社会を知る為と命令されたからだ。

レイは自分の境遇を深く考えようとはしない。自分の事を考えるのは、レイの役割ではなく、彼女の敬愛する碇ゲンドウや赤城リツコの仕事だった。

彼女は今、全裸で人一人入る円筒形の水槽の中に浮んでいた。水槽の中身はLCLが満たされ、レイは慣れた呼吸を繰り返す。
肺の中から小さな気泡が口元を抜け、昇って行った。
レイは足の指の間から徐々にLCLが抜けていく感触から、そろそろ時間だという事が判った。

気が付くと、水槽の外に碇司令が立っており、自分の事を見つめていた。レイは、その視線に優しさを感じる。
人から好かれない男だと聞いているけれど、レイには親代わりだ。自分の事を、本当の子供である幼馴染の少年よりも大切に扱ってくれる不可思議な男だった。

それが、自分の命を賭した契約に依る者だとレイには判っている。
しかし、そういった人々、例えば冬月コウゾウや赤城リツコといった補完計画への賛同者に向ける顔よりも、ゲンドウはレイに向ける顔の方が人間味を帯びた顔をしている事をレイは知っていた。

「レイ、時間だ」

ゲンドウが微笑むと、レイも微笑みを返した。赤城リツコに向けるものとは違う、レイ自身の心を込めた微笑だった。
レイはゲンドウの前だけでは擬態的な対応を取らなくていい。人でも無く、使徒でもない自分を在りのままに受け入れてくれるゲンドウを、彼女は信頼していた。




■ ■ ■ ■ ■



レイはシャワーを浴びて中学校の制服に着替えると、ゲンドウに連れられて司令室に向った。

「学校での生活はどうだ?」

エレベーターに乗ると何時もの会話が始まった。碇ゲンドウの代わり映えのしない会話のレパートリーを、レイは愛しく思う。
自分と同じ様に不器用な人だという事が判っているから、碇司令の事が理解できる。
大切な事は話術ではなく、ぎこちなくとも繰り返される行動だと、レイは知っていた。

「問題ありません。ただ、今日クラスに転校生が来ました」

「そうか。問題が無いなら良い。シンジの事を宜しく頼む」

「はい」

レイは、この男が不器用ながらも、この男なりに息子の事を心配しているのを知っている。
そうでなくては、事有るごとにシンジの事を話題にはしないであろうからだ。

それも、嬉しく思う。だから、シンジが碇司令と対立していても、レイは碇司令の味方だった。
子供の未来の為に戦っている親を、子供が嫌っているのは皮肉だと思っていた。
願わくば、シンジがもう少しだけ碇司令の思いに近づけるような機会が有って欲しかった。
そうすれば、きっとシンジも自分と同じ様に碇司令の優しさが判る筈だと思っている。
シンジと碇司令、この二人が親子らしい生活をして欲しいと影ながら願っていた。

「今日、お前に紹介する人間が居る。新しいチルドレンとして、恐らく認定されるであろう少年だ。
 既に使徒との戦闘を経験しているが、素人同然だ。レイ、お前が親しくなる必要は無いとは思うがな」

「・・・渚カヲル君、ですか」

きっと、彼の事だと確信に近い思いが有った。脳の何処かに、彼が真剣な咆哮が聞こえたような気がして、レイは米神を押さえた。

「気が付いていたか。3日前に来日したばかりだが、此れでお前の負担も減る。大丈夫か?
 零号機の起動実験の再開も近い、十分に休養を取れ」

「私だけ、休んでいる訳にはいきません」

ゲンドウがレイの肩に手を置いた。レイはその無骨な手を見つめ、暖かいと感じた。

「苦労を掛けるな、レイ。全ては、あと少しで終わりが来る。それまで、私に協力してくれ」

「はい、碇司令」

レイは碇ゲンドウの言葉に微笑んだ。




■ ■ ■ ■ ■




司令室で碇ゲンドウのデスクの横に立ちながら、レイは無感動にデスクの前に並ぶ二人を見つめた。
ミハエル・ガーランドという鼻の高い外人男性は自然と立って、冬月副司令から辞令を受け取っていた。

その横で、渚カヲルという少年は、何処か場違いな所に来てしまったという様に所在無さげにしている。
だが、レイと一瞬眼が合うと、面白そうに口を歪めた。

「ミハエル・ガーランド、君は技術部の赤城リツコの下に配属される。
 同時に、渚カヲルの保護責任者として働いてもらう。
 辞令等の書類は此処だ。何か質問が有れば、追って対応する。赤木君を通す様に」

「はい、判りました。赤城リツコ博士の様な方の下で働かせて頂く事は光栄です。
 宜しく、赤城博士」

「いえ、ミハエル博士、私も若輩では有りますが懸命に職務を勤めていますので、
 ご助力に期待しています」

「そうですか。私が年上と言っても、もうロートルですよ。
 研究者として油が乗っていた時期は当に過ぎました。
 その辺り、貴方のお母様の様に第一線で活躍し続けた方もいらっしゃるが」

「ご謙遜を。母も歳には何時も悩んでいましたわ。どうしても体力が続かないと。
 それでも、発想において、人の数倍先を行く人でしたから。
 ミハエル博士にも期待しています」

二人の社交辞令が終ると、冬月はカヲルに向き直った。カヲルが緊張した様に一瞬背筋を伸ばす。

「それでは、渚カヲル君。エヴァンゲリオンのサブパイロットに任命する。
 専属の機体は未だ用意できないが、何れその問題も解決するだろう。
 当分の間は、初号機への搭乗準備を赤木君と進めるように。
 もっとも、零号機の起動実験が先に予定されているので、君の方は少し遅れるだろう。
 その間は訓練に勤しむと共に、この都市の防衛機能を十分に理解してもらいたい」

「はい、判りました」

レイはカヲルと再び視線が交差するのを感じた。昼間、彼から感じた優しげな雰囲気とは打って変わって、何処か挑発的なその視線に、レイは細い眉を少し顰めた。どうも、彼のその態度は好きになれそうに無かったからだ。
そんなカヲルに、レイは戸惑いと心が波立つように苛立ちを感じたが、何故そう感じているのかは判らなかった。









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地球の地軸がセカンドインパクトによって何度ずれたのか?誰か知っていたら教えて下さい・・・。ORZ




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