「原発離婚」「放射能別居」「避難所婚」 被災地で決断する女たちのホンネ
週刊朝日 8月2日(火)21時0分配信
女性は男性に比べて決断力がない」というが、本当にそうだろうか。今、被災地には「決断する女」が大勢いる。放射能の汚染に無頓着な夫に見切りをつけた妻、避難所で結婚を決断した女性……。東日本大震災は、生き残った人の人生をも変えた。「もう迷っていられない」と、前を向く女性たちのホンネに迫った。
◆仮設住宅への引っ越しも徐々に進んでいる◆
非常時にこそ、人間性が露呈するという。
「今回の震災で、主人がどんなにダメな人間かがわかりました。原発を恨む気持ちはありますが、あんな人ときっぱり別れる決心ができたことはよかったと思っています」
こう話すのは、福島県の中部に住む山岡美紀さん(仮名・41)だ。山岡さんは現在、夫と離れ、小学生の息子と幼稚園の娘を連れて広島県に避難している。
福島第一原発の事故が起きた直後は、山岡さんも放射能の影響をさほど気にしていなかった。同じ県内といっても50キロ以上離れていたからだ。
だが、連日の報道で放射能汚染の広がりが明らかになるにつれて、不安を感じるようになってきた。子どもを守ろうと外で遊ぶことを禁じ、内部被爆を避けるため学校で給食を食べることもやめさせた。
それでも不安は拭えない。息子の同級生のなかには、子どもを連れて遠方に引っ越す家族も出てきた。「自分たちも遠くに引っ越したほうがいいのでは?」と夫に相談したが、「大丈夫だろう」の一点張り。無頓着さに不信感が募った。
そんなある日、幼い子どもを抱える知り合いの母親から、10万円以上もする放射線量測定器を購入したと聞いた。居ても立ってもいられなくなって山岡さんも購入したが、それを見た夫は怒りだし、激しい口論になってしまったという。
「どうしてそんな高いものを買ったんだ」
「子どもの健康、安全を守るために必要だからに決まってるでしょ」
「放射能なんて、過敏になる必要はない。そのうち子どもは育つ。とにかくそんな高いものをオレのカネで買うな! 返品しろ!」
その日から、口を開けば測定器を巡って口論ばかり。当時を振り返って山岡さんが言う。
「主人は近所に住む自分の両親まで連れてきて、一緒になって『なんでそんな高い買い物をしたんだ。すぐに返品しなさい』と繰り返す。そのくせ余震が起きると、いつも私や子どもを放って、我先に一人で机の下に隠れてしまう。私は必死に覆いかぶさって子どもを守っていたのに、後から『おまえらも無事でよかったな』なんて言うんですよ。こんなダメな人だったのかと、すべてが悪く見えるようになってしまいました」
そして、山岡さんはついに行動に出た。6月上旬、署名した離婚届を置き、子どもを連れて家を出たのだ。
「住み慣れた福島にいたいという気持ちはありましたが、どうしても子どもが心配だったので、今は広島の親戚の家で世話になっています。原発のおかげで私も子どもたちの人生も変わってしまいました。福島の友達に聞くと、地元では放射能を巡って夫婦間のトラブルがあちこちで起きていて、うちのように離婚沙汰になるお宅もあるそうです。まさに“原発離婚”ですよ」
福島第一原発から20キロ圏内に入る福島県双葉郡の沿岸部に住んでいた手塚雅子さん(仮名・30代)も、原発の事故に翻弄された。
手塚さんが言う。
「原発事故が起きてから、主人と衝突ばかり。もう元に戻ることはありません」
手塚さんの夫は原発の作業員をしていたが、自宅が警戒区域に指定されたため、原発から約58キロ離れた同県郡山市に住む遠縁の親戚宅に身を寄せた。同じ郡内の別の場所で暮らしていた夫の両親も一緒だった。
「しばらくして、主人に『もう一度、福島第一原発で働かないか』という話がきて、原発に行ったきりになりました。間に入って取りなしてくれる人がいなくなったために、残された私は主人の両親といさかいが絶えなくなってしまったんです」
原因の多くは放射能の問題だった。一人娘はまだ小学生。しかも、原発事故直後から風邪でもないのに頭痛と鼻水を訴えており、手塚さんは不安を感じていた。
「こちらは子どもが心配で仕方がないのに、義理の両親は放射能に対する危機感がまったくない。外で遊ばないようにと子どもに注意していると、『子どもは外で遊びたがっているじゃないか。原発の近くに住んでいる時だって外で遊んでいて、問題なかった。郡山は遠いから大丈夫だ』なんて言う。次第にストレスがたまり、主人に電話であたりちらすと、『こっちも仕事で大変なんだよ!』と逆ギレされてしまって・・・」
◆賠償金の百万が夫婦の溝広げる◆
そんな折、東京電力が避難した住民に対し、賠償金の仮払いとして1世帯100万円を支払うという話が出てきた。手塚さんはそのお金でアパートを借りて、夫の両親と離れて暮らそうと考えたが、夫の両親は「こちらの100万円と合わせて、一緒に広いアパートを借りよう」と言う。それだけは避けたかったので夫に相談してみたが、
「オレも原発にいるから、おまえが両親と一緒にいてくれたほうが安心だ」
と言うばかりでラチがあかない。それがきっかけで夫との口論も増え、最後は「もう離婚するしかない」と思い詰めるようになったという。
「結局、私が娘を連れて家を出ました。今はパートをしながら福島県内のアパートで暮らしています。私はもう主人の顔も見たくないのですが、なかなか離婚に応じてくれません」
1995年に起きた阪神大震災では、非常事態に直面した夫婦が価値観の違いに気付いて破局に至る例が相次ぎ、「震災離婚」という造語も登場した。
今回の東日本大震災は、地震や津波といった自然災害に加えて原発の事故が起きたため、被災者たちは目に見えない放射能汚染の恐怖にさらされ続けることになった。そうした中で、前出の2組の夫婦のように亀裂が生じたり、離婚に至ったりするケースが増えているという。
離婚問題に詳しい露木幸彦行政書士がこう話す。
「震災や放射能をきっかけに離婚を考えているという相談は確実に増えています。相談件数を震災前の2月と比較すると、3月は8割減、4月は7割減だったのが、5月に入ると急に増えて2割増しになった。相談者に話を聞くと、震災の直後に価値観の違いが露呈したり、『何もしてくれない』『一人で逃げてしまった』と相手に幻滅するような問題が発生したりしていたようですが、『被災地に住んでいるのに離婚の話なんて』と我慢していたという。それが、少し事態が落ち着いてきたゴールデンウイーク明けから、一気に噴き出たという印象を受けます」
露木さんによると、震災の影響は、被災地から遠く離れた場所で暮らす夫婦にも及んでいるという。
「神奈川県茅ケ崎市の沿岸部に家を買ったという男性からは、『妻が津波の恐怖でヒステリックになって関係が悪化してしまった』という相談がありました。地震による景気悪化で収入が減ったために、夫婦仲が悪くなったという相談も多く寄せられています」
一方で、「離婚を考えていたが、震災で家族の大切さが身にしみたので踏みとどまった」という相談者もいたという。
被災地で、そんな女性に会うことができた。
福島市の瀬川理恵子さん(仮名・50代)は、数年前から認知症になった義母を巡って夫との争いが絶えなかった。瀬川さんいわく、夫は「昔の男性」。家のことは何もせず、義母の面倒もほとんど瀬川さんが見ていた。
それなのに、夫は母の病気を認めたくないのか、「ご飯を食べていない」と訴える母を信じて瀬川さんを怒鳴る。これまで女性問題にも目をつぶってきたのに、夫は頑固になるばかり。震災の直前に二人で話し合い、家庭内別居を始めたという。
◆被災で気付いたダメ夫の大切さ◆
震災では、自宅は無事だったものの、部屋の中はグチャグチャになった。だが、夫は当然のように何もしない。水が出るまでは、瀬川さんが細い腕でポリ容器を担ぎ、男性ばかりが並ぶ給水場で水をくんだ。
だが不思議なことに、そんな毎日を過ごすうちに、瀬川さんは「離婚したい」という気持ちが収まってしまったという。
「亡くなった方たちのことを考えると、私の不満なんて不満のうちに入らないと思うようになったのです。今日あるものが明日もあるかわからない。どんな人でも家族は家族(笑い)。大事にしたいです」
避難所で知り合い、新たに家庭を築いたという新婚ホヤホヤのカップルにも話を聞くことができた。
宮城県多賀城市で被災した絵美さん(仮名・28)は、7月7日に結婚し、おなかの中にはすでに赤ちゃんもいるという。
お相手の男性は、大阪府貝塚市からやってきた田中可亮さん(35)。震災の約1週間後に多賀城市を訪れ、避難所でボランティアとして活動するなかで、津波の被害に遭って避難していた絵美さんに出会った。
やがて絵美さんもボランティアとして活動するようになり、避難所となった文化センターで被災者のケアに励んだ。
5月には被災者の人たちに喜んでもらおうと、田中さんたちとともに避難所で「子供祭り」を開いた。その晩の打ち上げの席で、二人は互いに惹かれ合い、後日、交際をスタートさせたという。
ほどなくして妊娠が判明。思い切って、
「産みたい」
と田中さんに伝えると、
「じゃあ、結婚しよう」
と言ってくれたという。
夫の田中さんはこう話す。
「今、妻は母親と弟と仮設住宅で暮らしています。私は結婚を決める前から、ボランティアの取り組みをNPO法人化して長期的に支援活動を続けていこうと考えていました。なるべく早くここで生計を立て、家族を養っていけるように頑張りたいと思っています」
非常事態の中で結婚に至った二人。絆は人一倍強そうだ。
今回の取材で出会った女性たちはみな、潔い「決断力」を持っていた。それは、この非常事態にこそ発揮された力だったのかもしれない。この国のトップにも見習ってほしいものだ。 (本誌・小宮山明希)
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こう話すのは、福島県の中部に住む山岡美紀さん(仮名・41)だ。山岡さんは現在、夫と離れ、小学生の息子と幼稚園の娘を連れて広島県に避難している。
福島第一原発の事故が起きた直後は、山岡さんも放射能の影響をさほど気にしていなかった。同じ県内といっても50キロ以上離れていたからだ。
だが、連日の報道で放射能汚染の広がりが明らかになるにつれて、不安を感じるようになってきた。子どもを守ろうと外で遊ぶことを禁じ、内部被爆を避けるため学校で給食を食べることもやめさせた。
それでも不安は拭えない。息子の同級生のなかには、子どもを連れて遠方に引っ越す家族も出てきた。「自分たちも遠くに引っ越したほうがいいのでは?」と夫に相談したが、「大丈夫だろう」の一点張り。無頓着さに不信感が募った。
そんなある日、幼い子どもを抱える知り合いの母親から、10万円以上もする放射線量測定器を購入したと聞いた。居ても立ってもいられなくなって山岡さんも購入したが、それを見た夫は怒りだし、激しい口論になってしまったという。
「どうしてそんな高いものを買ったんだ」
「子どもの健康、安全を守るために必要だからに決まってるでしょ」
「放射能なんて、過敏になる必要はない。そのうち子どもは育つ。とにかくそんな高いものをオレのカネで買うな! 返品しろ!」
その日から、口を開けば測定器を巡って口論ばかり。当時を振り返って山岡さんが言う。
「主人は近所に住む自分の両親まで連れてきて、一緒になって『なんでそんな高い買い物をしたんだ。すぐに返品しなさい』と繰り返す。そのくせ余震が起きると、いつも私や子どもを放って、我先に一人で机の下に隠れてしまう。私は必死に覆いかぶさって子どもを守っていたのに、後から『おまえらも無事でよかったな』なんて言うんですよ。こんなダメな人だったのかと、すべてが悪く見えるようになってしまいました」
そして、山岡さんはついに行動に出た。6月上旬、署名した離婚届を置き、子どもを連れて家を出たのだ。
「住み慣れた福島にいたいという気持ちはありましたが、どうしても子どもが心配だったので、今は広島の親戚の家で世話になっています。原発のおかげで私も子どもたちの人生も変わってしまいました。福島の友達に聞くと、地元では放射能を巡って夫婦間のトラブルがあちこちで起きていて、うちのように離婚沙汰になるお宅もあるそうです。まさに“原発離婚”ですよ」
福島第一原発から20キロ圏内に入る福島県双葉郡の沿岸部に住んでいた手塚雅子さん(仮名・30代)も、原発の事故に翻弄された。
手塚さんが言う。
「原発事故が起きてから、主人と衝突ばかり。もう元に戻ることはありません」
手塚さんの夫は原発の作業員をしていたが、自宅が警戒区域に指定されたため、原発から約58キロ離れた同県郡山市に住む遠縁の親戚宅に身を寄せた。同じ郡内の別の場所で暮らしていた夫の両親も一緒だった。
「しばらくして、主人に『もう一度、福島第一原発で働かないか』という話がきて、原発に行ったきりになりました。間に入って取りなしてくれる人がいなくなったために、残された私は主人の両親といさかいが絶えなくなってしまったんです」
原因の多くは放射能の問題だった。一人娘はまだ小学生。しかも、原発事故直後から風邪でもないのに頭痛と鼻水を訴えており、手塚さんは不安を感じていた。
「こちらは子どもが心配で仕方がないのに、義理の両親は放射能に対する危機感がまったくない。外で遊ばないようにと子どもに注意していると、『子どもは外で遊びたがっているじゃないか。原発の近くに住んでいる時だって外で遊んでいて、問題なかった。郡山は遠いから大丈夫だ』なんて言う。次第にストレスがたまり、主人に電話であたりちらすと、『こっちも仕事で大変なんだよ!』と逆ギレされてしまって・・・」
◆賠償金の百万が夫婦の溝広げる◆
そんな折、東京電力が避難した住民に対し、賠償金の仮払いとして1世帯100万円を支払うという話が出てきた。手塚さんはそのお金でアパートを借りて、夫の両親と離れて暮らそうと考えたが、夫の両親は「こちらの100万円と合わせて、一緒に広いアパートを借りよう」と言う。それだけは避けたかったので夫に相談してみたが、
「オレも原発にいるから、おまえが両親と一緒にいてくれたほうが安心だ」
と言うばかりでラチがあかない。それがきっかけで夫との口論も増え、最後は「もう離婚するしかない」と思い詰めるようになったという。
「結局、私が娘を連れて家を出ました。今はパートをしながら福島県内のアパートで暮らしています。私はもう主人の顔も見たくないのですが、なかなか離婚に応じてくれません」
1995年に起きた阪神大震災では、非常事態に直面した夫婦が価値観の違いに気付いて破局に至る例が相次ぎ、「震災離婚」という造語も登場した。
今回の東日本大震災は、地震や津波といった自然災害に加えて原発の事故が起きたため、被災者たちは目に見えない放射能汚染の恐怖にさらされ続けることになった。そうした中で、前出の2組の夫婦のように亀裂が生じたり、離婚に至ったりするケースが増えているという。
離婚問題に詳しい露木幸彦行政書士がこう話す。
「震災や放射能をきっかけに離婚を考えているという相談は確実に増えています。相談件数を震災前の2月と比較すると、3月は8割減、4月は7割減だったのが、5月に入ると急に増えて2割増しになった。相談者に話を聞くと、震災の直後に価値観の違いが露呈したり、『何もしてくれない』『一人で逃げてしまった』と相手に幻滅するような問題が発生したりしていたようですが、『被災地に住んでいるのに離婚の話なんて』と我慢していたという。それが、少し事態が落ち着いてきたゴールデンウイーク明けから、一気に噴き出たという印象を受けます」
露木さんによると、震災の影響は、被災地から遠く離れた場所で暮らす夫婦にも及んでいるという。
「神奈川県茅ケ崎市の沿岸部に家を買ったという男性からは、『妻が津波の恐怖でヒステリックになって関係が悪化してしまった』という相談がありました。地震による景気悪化で収入が減ったために、夫婦仲が悪くなったという相談も多く寄せられています」
一方で、「離婚を考えていたが、震災で家族の大切さが身にしみたので踏みとどまった」という相談者もいたという。
被災地で、そんな女性に会うことができた。
福島市の瀬川理恵子さん(仮名・50代)は、数年前から認知症になった義母を巡って夫との争いが絶えなかった。瀬川さんいわく、夫は「昔の男性」。家のことは何もせず、義母の面倒もほとんど瀬川さんが見ていた。
それなのに、夫は母の病気を認めたくないのか、「ご飯を食べていない」と訴える母を信じて瀬川さんを怒鳴る。これまで女性問題にも目をつぶってきたのに、夫は頑固になるばかり。震災の直前に二人で話し合い、家庭内別居を始めたという。
◆被災で気付いたダメ夫の大切さ◆
震災では、自宅は無事だったものの、部屋の中はグチャグチャになった。だが、夫は当然のように何もしない。水が出るまでは、瀬川さんが細い腕でポリ容器を担ぎ、男性ばかりが並ぶ給水場で水をくんだ。
だが不思議なことに、そんな毎日を過ごすうちに、瀬川さんは「離婚したい」という気持ちが収まってしまったという。
「亡くなった方たちのことを考えると、私の不満なんて不満のうちに入らないと思うようになったのです。今日あるものが明日もあるかわからない。どんな人でも家族は家族(笑い)。大事にしたいです」
避難所で知り合い、新たに家庭を築いたという新婚ホヤホヤのカップルにも話を聞くことができた。
宮城県多賀城市で被災した絵美さん(仮名・28)は、7月7日に結婚し、おなかの中にはすでに赤ちゃんもいるという。
お相手の男性は、大阪府貝塚市からやってきた田中可亮さん(35)。震災の約1週間後に多賀城市を訪れ、避難所でボランティアとして活動するなかで、津波の被害に遭って避難していた絵美さんに出会った。
やがて絵美さんもボランティアとして活動するようになり、避難所となった文化センターで被災者のケアに励んだ。
5月には被災者の人たちに喜んでもらおうと、田中さんたちとともに避難所で「子供祭り」を開いた。その晩の打ち上げの席で、二人は互いに惹かれ合い、後日、交際をスタートさせたという。
ほどなくして妊娠が判明。思い切って、
「産みたい」
と田中さんに伝えると、
「じゃあ、結婚しよう」
と言ってくれたという。
夫の田中さんはこう話す。
「今、妻は母親と弟と仮設住宅で暮らしています。私は結婚を決める前から、ボランティアの取り組みをNPO法人化して長期的に支援活動を続けていこうと考えていました。なるべく早くここで生計を立て、家族を養っていけるように頑張りたいと思っています」
非常事態の中で結婚に至った二人。絆は人一倍強そうだ。
今回の取材で出会った女性たちはみな、潔い「決断力」を持っていた。それは、この非常事態にこそ発揮された力だったのかもしれない。この国のトップにも見習ってほしいものだ。 (本誌・小宮山明希)
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最終更新:8月2日(火)21時0分
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