第1章
――扉はなんとも無気味な音をたてて、皆を迎えいれた。
ナオミたちの前には赤い絨毯、その先には螺旋階段が見えた。
赤い絨毯の左右には、数人の執事がナオミたちを出迎えにきていた。総執事のユトレヒトにつれられ、歩いていくと傍に控えていた音楽隊がトランペットをいきなり吹き、ビクッとナオミたちを驚かせた。ジョジョは毛が逆立った。
玄関は美術館のように大きな大広間だ。
天井を見上げれば螺旋階段にともなって、何百という部屋がぐるぐると果てしなく続いている。螺旋階段の始まりの小間には電気で動く、豪華な装飾の赤い扉のエレベーターがあった。ナオミたちが驚きのあまり声がでず、みとれること数分、コホンッと誰かの咳払いが聞こえた。
すっと咳払いのほうに目をやれば、鼻眼鏡をかけた厳格そうな女の人が立っていた。この人はこの領主館ではそれなりの地位にある人に違いない――――ナオミの女の直感だ。そして自分はこの人をにわかに知っている、ただ話したことはないけれど。
「こちらが伯爵家の家宰、デイム・クーデンホーフだ」
家宰とは家長に代わり、家政を取りしきる重役のことだ。
「デイム、皆さんは思っていたよりも元気ですよ。ええ、こちらが今年の騎士候補生です」
「ドワーフの砲撃に遭ったと聞いておりましたが――無事でなによりです」
クーデンホーフはホッと胸をなでおろすと、ゆっくり鼻眼鏡をかけ直した。
「お迎えのほどご苦労様でしたね、ユトレヒト。ここからは私が引き継ぎましょう、あなたは下がってよろしいですわ」
クーデンホーフはパンパンッと手を叩けばピタッ! と音楽隊の演奏がやんだ。
「さあ、ついていらっしゃい」とクーデンホーフは右の大きな廊下を大またで歩いていく。いわれるがままに家宰についていく騎士候補生たち。騎士の回廊という廊下では、歴代の騎士たちの肖像画がみられた。
「どうして魔術師マーリンの肖像画があるんだろう?」
声の主はテル。騎士でもないのにどういうわけか、ここに魔術師マーリンの肖像画があることに一同は不思議に思った。杖をついた長髭の老魔術師マーリン、威厳のある肖像画だ。ちなみにマーリンの肖像画は、ほかの騎士たちよりも豪華な額で飾られていた。
――魔術師マーリン。
その碑には「魔法使いにして予言者、アーサー王とその父ユーサー王のよき相談者。聖女が夢魔との間に身篭った呪われた子ども。僧院で生まれ、生後すぐに洗礼を受けたので魔界に堕ちることをまぬがれた」と記されていた。
マーリンといえば予言や透視などの魔術にたけており、姿も自由に変えられることでも知られる。幼少のおり、砦を築くための人柱に引きだされるが、アーサー王の出現を予言して、自分はその王の後継人であるとして、自らの命を救ったことは有名な話だ。
悪魔との混血児のため、祓魔師などその強大な魔力をもった血を求める輩に、何度もなんども命を狙われたという。泉の聖女ニミュエを溺愛したため、最後は彼女の計略にかかり、湖の樹のうろに閉じこめられてしまった。湖の樹のうろ、やがて人々はその場所に墓碑の意味もこめた修道院を建立した。現在、そこはモン・サン・ミッシェルと呼ばれている。
「それが現在に続く、モン・サン・ミッシェルの歴史なの」
ココの言葉にサンチョ・ボブスリーの顔が思い浮かんだ。
泉にかこまれた館に住んでいたという、泉の貴婦人ニミュエ。
ときに彼女はヴィヴィアンという称号で呼ばれていた。円卓の騎士物語では、アーサー王の腹心である聖騎士ランスロットの育ての親であり、かのアーサー王に聖水から作りだした聖剣を授けた魔女だとか。彼女は魔術師マーリンの弟子であり、マーリンが愛する世界でただ一人の女性でもあった。
「なぜニミュエはマーリンを幽閉したの?」
さすがにココもこれはわからない、と首をかしげた。するとクーデンホーフがコホンッと、また咳払いをしたので、ナオミはビクッと飛びあがった。
「身代わりだと先生は聞いています。物語には書かれていませんがあそこにアーサー王が逆臣たちの企みにより、幽閉されていたそうですの。国王を助けるためにマーリンは身代わりになったと伝えられています。しかし可哀想なことにニミュエはマーリンの子どもを身篭っていたのです。そこで彼女はその子のため、アーサー王の側近であった、円卓の騎士ペレアスに自分を愛する魔法をかけて、彼と結婚しましたの」
――なんと悲しい恋愛物語のことか。
「マーリンとニミュエは愛しあっていたのね」
幽閉されたマーリンがどうやって生きながらえたのかは分からないが、百年後にモン・サン・ミッシェルから逃げだした。しかし脱獄のおりに魔力を失い、アルデリスの戦いとやらに遭遇して命を落としたといわれる。
「ブルトンの文献にも記されていると思いますが――――まあ、今の世のなかを騒がしている、あの脱獄者サンチョ・ボブスリーもそうあればいいのですが」
第2章
領主館の家宰は、奥にある大きな扉のところまで連れていくと、そこでピタッと足をとめた。彼女の厳格な声が聞こえ、一同は背筋をのばした。どうやらその先は、引継ぎ式の会場のようだ。重圧で心が痛い。緊張のあまり、おしっこがしたくなってきた。
「補佐役はここにいますか?」
ココが前に歩みでた。ロレンツォの従姉妹だ。
「ドワーフの砲撃、大惨事だと聞いています。幸い死者はでなかったそうですが、こうして無事を共に喜びあえるのは補佐役がいたればこそ。さすが生徒会役員、キング・アーサー地区の補佐役だけあります」
クーデンホーフはゴソゴソしたと思えば、小さなメダルを三枚ほど取りだして「コクリコ・サクラダにメダル三枚」とわけのわからないことを呟いた。
ココは家宰から小さなメダルを受け取った。
「騎士メダルっていうの」とココ。
「騎士メダル?」とナオミ。
騎士に叙勲されるには、条件として騎士メダルを三〇〇枚集めないといけいない。
メダルが三〇〇枚に達すればときの領主の推薦をもって、公爵より正式に騎士勲章を叙勲される。すなわち騎士メダルとは自身の名誉の証なのだ。騎士候補生が親方騎士に仕えるのはそのメダルを集めるためでもある。もちろんメダルは悪いことをすれば没収されるし、逆に名誉のかわりにメダルを賭けて物事を治めることもできる。
「ふーん、それで?」
興味のないテルの声が聞こえてきた。
「三〇〇枚に達した人から騎士になっていくの。でも三〇〇枚に達していない人はずーっと騎士候補生のままなの。最長で騎士になるのに二十年かかった候補生もいたぐらいよ」とココはとても恐ろしいことをいった。
その言葉にナオミとテルは顔をものすごく青ざめてしまった。
騎士になるには、騎士候補生一人ひとりが、この町の人々から騎士メダルを集めなければならない。自動的に繰りあがるものでも何らかの試験に合格すれば、なれるものではないのだ。日々の良き行いが騎士メダルの数になり、それが騎士の道へと直結する。また騎士メダルはたえず、誰にあげたとか日々報告されるので不正はできない。
「あ、そうそう。騎士メダルの数は領主館に貼りだされるから」
学校の成績みたいに掲示板に貼りだされるのか。
「僕はマイナスにならないように頑張るよ」
テルは声を落として、ほどほどにいった。
「コクリコ・サクラダ、生徒会はもう席についていますわよ」
クーデンホーフの言葉に在団生たちはコクッと頷くと、そろりとおしあいへしあいながら、左右の廊下の非常扉から会場へとはいっていく。
ココも「またあとでね」と右の廊下へと姿を消した。
ピックル・タナカも一年間の代理教師として、候補生と顔合わせしておく必要があるとのことで、家宰の言葉に従って、彼らのあとについていく。
耳を澄ませば扉の内側では、彼らの無事を友人たちがヒソヒソと喜び合っていた。
「入団生の皆さん、ようこそアッパータウンへ」
クーデンホーフはナオミたちにニコッと微笑んだ。
「あと五分足らずで、騎士候補生の入卒団式が始まります」
まもなく騎士候補生の入卒団式が始まるとのことだ、式場の踊り場で待機するナオミたちに緊張が奔った。入卒団式、ロロが本から得た知識によれば、自分たちが入団すると同時に見習期間を卒団する騎士たちといれかわりに入団する、とか。
「へえ、知ったかぶりも役に立つときがあるんだな」
テルの小さなぼやきに、すかさずロロの拳が少年の脇腹にくいこんだ。「ウゲッ!」とテルの悲鳴とともに、クーデンホーフは社交界の理をナオミたちに説明した。
「新人の皆さんは先輩たちから、配属される地区の引き継ぎを受けなければなりません。地区の引き継ぎはアッパータウンの伝統。地区での生活こそが皆さんの社交界ですの」
地区、響きよくいえば町というそうだ。
子爵が経営する領地のことだ。ここで自分たちは様々な人々と出会い、彼らから学び、彼らと一緒に寝食をともにすることによって、人間として大切なものを得るのだという。
地区には円卓の騎士の名前が冠されている。
キング・アーサー、ランスロット、ガウェイン、ガラハッド、トリスタン、モードレッド。この六騎士の名前がアッパータウンの六地区の名前にして、この都を形成している六つの町の名前だ。
また各地区には、生徒会から補佐役に任命されている騎士候補生がいる。ココがその一人、キング・アーサー地区の補佐役だ。この六人の補佐役の意見をまとめるのが書記の仕事で、現在その大役を担っているのがロレンツォだ。その書記がまとめた意見を生徒会を代表して、領主や親方に掛け合うのが生徒会長だとか。
「その昔、偉大な騎士たちがここで生活して卒団式を迎えました。騎士候補生のあいだ、どの地区で過ごすにしても、皆さん一人ひとりの騎士伝説をつくってくださいね」
「…私たち一人ひとりの騎士伝説…」
ナオミは父と母がどんな伝説をつくったのだろうか、と静かに思った。
「どういうふうに引き継ぐのかしら?」
ナオミは控えめなヒソヒソ声でテルに訊いてみる。
「…たぶん…」とすぐにテルは自分の右手にペッと唾を吐き、それをクーデンホーフに気づかれないようにそっと扉につけて「お互いに唾のついた手で握手じゃないかな。昔はそうだったって、父ちゃんがいってたんだけど」と呟いた。
「それって不潔だな」とロロ。
「だからヴァンヌ育ちは大嫌いなんだ。なんでも汚いとかいうし、すかしてるし…」
すかしていることは関係ないが、ナオミはなんだかハラハラしてきた。地区を引き継ぐといわれても、一体全体どうすればいいのかさえわからない。
はたしてテルがいったようなものでいいのだろうか――――それにこんな自分にちゃんと引き継がせてもらえるのか、資格がないとかいわれないだろうか。
ナオミがそっとあたりをみまわせば、テルの言葉を信じたのか、ほかの入団生たちはしきりに右手をハンカチで拭いていた。ミスリル地下鉱山で知り合ったマイケル・コービーは眠たいのか、コックリと立ちながら寝ている。この変わった少年はのんびりとしているせいか、緊張しないのだろう。まったくうらやましい。
そんな彼女たちをさらに驚かせたのは毛のまばらなジャックウサギの群れだった。よくみるとグレムリンと呼ばれる妖精だ。このグレムリン、機械に悪戯をする妖精とされ、ゴブリンの遠い親戚にあたるそうだ。かつては人間に発明の手がかりを与えたり職人達の手引きをしていた。
あの発明の父エジソンが助手にしていたことは大変有名だ。
エジソンがいうには、どの家庭にもグレムリンの一匹や二匹、住みついているという。彼らは好物のチューインガムをクチャクチャさせて、そのあたりを走りまわっていた。
まるで彼らはウサギのぬいぐるみのようだ。
彼らはしきりに大広間を走りまわり、ナオミたちの頭などにのぼってきたりした。興奮のあまりお互いにぶつかりあい、気絶する者もいた。グレムリンたちが時間に追いやられるかのように壁のなかへ逃げこんだ頃、スゥーとエレベーターから五名ほどの騎士たちが降りてきた。
あのヤドリギのようにブタのようにでっぷりと太ったのやら、ヤドリギ夫人のようにごぼうのようなのやら、短足や足長やらいろんなのがいた。彼らは入団生たちをみると「今年も元気そうなのがいっぱいじゃねえかよ」とか「まったく、まったく」とお互いに話ながら、玄関扉のほうへ歩いていった。
彼らはぶつぶつと彼らの仲間内のことについて、しきりに議論していた。
「あいつは親方失格だぜ。候補生は従者だぞ。それをマルボロときたら、まるで丁稚奉行人みたいに扱っていたそうじゃないか。食事もろくに与えやしねえから、もうすぐで餓死寸前だったとか。この俺にいわせればだな、今すぐあのクズから騎士の地位を剥奪すべきだと思うんだ」
「リンドバーグ、パン屋のお前に俺の何がわかる?」
「ティソ親方、アニタ・ジブリ・パリの皆は、少なくてもお前の味方ってことだよ」
リンドバーグと呼ばれた、スラッと足の長い騎士は入団生の視線に気がついたらしい。いきなり大また歩きで彼らのほうへ近づいていくと、怖そうな声で話しかけた。もちろん誰も返事などするものはいない。
「…君たちは入団生だね? 引継ぎ式はもう決まったのかい?」
リンドバーグをなだめていた、優しそうなもう一人の騎士が彼らに話しかけた。
「あの…今からです…」とナオミ。
「おお、そうか。握手のコツは心の声に従うことだ」
心の声に従うこと? どういう意味だろう?
「心の声に従うといってもな、君たち。キング・アーサー地区のマルボロの従者になることだけはやめておけ。それならパン屋の俺のところにこい」と足長の騎士は入団生たちに忠告した。
ナオミはマルボロの従者になるよりも、この人の従者だけはなりたくないなとひそかに思った。だって乱暴そうだからだ。それは入団生、皆の意見でもあった。
「親方、挨拶はあとからにしてもらえませんか」
苛立ちながら、しきりに懐中時計に目をやるクーデンホーフ。
「時間がないんだね、すまないな。それでは騎士候補生の諸君、キング・アーサー地区でお会いしましょう」と家宰にせかされ、親方騎士たちはその場を立ち去った。
あとになって分かったことだが、騎士の身分と職業は違うのだ。
騎士とは中世のように騎馬で戦う軍人階級のことではなく、ブルトン社会における成人を意味する言葉だ。騎士は『勲爵士』とも呼ばれ、ブルトンの伝統教育を受けた身分証明に他ならない。爵位についても同じだ。昔は地主身分だったが、国が株式会社となった今では、その土地の運営を担う経営者格にすぎない。
騎士や爵位を授爵されようとも、ブルトン人には職業がある。
だからあのときテルが騎士は卒業後、サラリーマンやОLになるといったことは少なからずも間違ってはいない。そもそも『円卓の騎士団』に軍事的機能はなく、騎士訓練所というべき教育機関なのだ。軍事的機能を求めるなら、彼らには軍警察がある。
十三歳までブルトン人がフランス人と一緒に暮らしているのも、フランス社会の一般常識を心得るためだ。十三歳になったあとはブルトン人として、ブルトン社会のなかで生きねばならない。そのための基礎魔法教育組織が円卓の騎士団というわけだ。そしてここは某騎士団のアッパータウン校、いわゆる分校だ。
「おしゃべりはそこまでです」
家宰は七秒間のあいだに身なりを整えるようにいった。
「二列になって準備はよろしい? さあ、私のあとについてきてください」とクーデンホーフはコホンッと咳払い、鼻眼鏡をかけ直すと大客間の扉を開けたのはよかったのだが、すぐに「誰です、こんなところに唾をつけたのは!」とベトベトした手を見て、顔をしかめた。
第3章
扉の向こうはちょっとした小間があり、さらに扉があった。
その扉の左右にはナオミの何倍もの大きな大理石の彫刻が飾られていた。家宰によればこの彫刻はアーサー王とモードレッドの一騎討ち、カムランの戦いとやらを再現した彫刻だとか。クーデンホーフはくるりとふり返り、「よろしいわね?」と総勢四十九名の騎士候補生に目をやった。
扉を開けて、大客間へとはいっていった。
クーデンホーフの姿がみえたとたん、大客間にものすごい拍手が鳴り響いた。その拍手は卒団生や在団生たちの拍手ではなく、何百という白い紳士手袋がパチッ、パチッと出迎えながらに拍手をしているのだから、奇妙といえば奇妙だ。
大客間はナオミが見たことのない、それは素晴らしい二階建ての広間だ。
どことなくどこかの国のオペラハウスに似ている。天井の大きな星座盤には春夏秋冬の星座が黄金色で描かれ、ゆっくりと天体のようにまわっていた。それはとても幻想的だった。三本立てキャンドルがステンドガラスの窓をうっすらと照らしだすなか、大客間の真んなかには教会のように階段のうえに赤い絨毯が敷かれてあった。
赤い絨毯を左右にわって、十二人がけの長椅子が三十ほどあり、各々の騎士団の紋章入りの旗槍がかかげられていた。長椅子にはナオミたちの先輩たちが着席しているのだろうが、ところどころに空席も目だっていた。最前列の長椅子には生徒会たちの席、ココとロレンツォが、まるで別人のようにかしこまって着席しているのが見えた。二階には卒団生のご両親たちの顔が見える。
大きな円卓の絵が描かれているところでは、自分たちとちょっと違った服装をした騎士候補生たちが跪いていた。彼らの制服はふちが金レースで飾られ、金の肩章もついてあるダブルボタン式の立襟の黒い服装だ。
「あれは騎士の正装、舞踏会とか冠婚葬祭のときの公式の制服だぜ。あいつらは卒団生だな、俺たちの数年後だ。でもお前は卒業できるかどうかさえ怪しいな」
「またはじまった、知ったかぶりのぶりぶり百科事典の自慢が――」
ロロの言葉にテルはうんざりしていった。
ウォ・アボカド家は騎士血族のなかでも落ちこぼれを襲名するほどの一族だ。対するロートレック家といえば、ヴァンヌのロートレック孤児院出身に与えられる姓名だが、この名前の出身者は努力家と天才が多いことで知られ、歴史的にみてもエリート騎士が名を連ねる。
とくにヴァンヌ・ロートレック家の本家筋にあたる、南仏のトゥールズ・ロートレック伯爵家の先祖は、九世紀の古代フランス・ドイツ・イタリアの王、シャルルマーニュ時代までさかのぼることできるほど由緒正しい。
孤児院出身の英雄といえば、ドラゴンヌ孤児院のロエスレル・ドラゴンヌ(今では臆病風に吹かれた腰抜けと名高い)が有名だ。そしてその人はナオミの父の友人でもある。機会があれば、是非会っておきたい人だ。
「孤児院出身は人の痛みがわかる分、偉大な仕事を成し遂げるんだ」
確かにロロのいうとおりかもしれない。
少年には早くも天才騎士の風格がにじみでている。逆立ちしてもハンサムと天才には勝てないことがわかっているからこそ、テルは歯痒くてしかたがない。子どもには目の前の人間が何者かを一瞬で見抜く神通力、いや眼力があるのだ。
もうちょっと先に目をやれば、教壇のうえにはミスリル製の剣と盾、王冠の紋章がはいった豪華な台座が一つ、それを取りかこむ、たくさんの椅子には先生方らしき騎士たちが座っていた。ピックル・タナカも静かにそこに座っていた。クーデンホーフは卒団生たちの後ろにナオミたちを跪かせた。長椅子の空席は彼らが座るべきところのようだ。
「さてとクーデンホーフ女史、準備はよろしいかのう?」
「はい、始めていただいて結構ですわ。サー・トモロヲ・ブドリ」
トモロヲ・ブドリ、この言葉にナオミは胸が踊ってしまい、じっと老人を見つめた。
少女の眼差しに気がついたらしく、トモロヲ・ブドリが少女ににわかに微笑んだので、ナオミは思わず顔を赤らめてしまった。
「只今より『円卓の騎士団』アッパータウン校・卒団式を始めます」
式の進行役は召使いのユトレヒトだ。
「在団生、卒団生のために最敬礼!」というと今まで座っていた、在団生たちは一斉に立ちあがり、鞘から剣を取りだして、自分たちの顔に近づけて剣をたてた。しかもそれは炎のように波打っている変てこな長剣だった。
この剣はフランベルジュといわれる、儀式用の剣だ。
「知ったかぶりはちょっとは黙っていろよな」
「俺はお前のためを思って、わざわざ説明してやってるんだぜ」
しばらくして音楽隊がファンファーレの演奏を始めた。
それからすぐに「六地区の卒団生代表、まえへ」というユトレヒトの厳粛な声が聞こえたと思えば、五十名ほどの卒団生たちのなかから、各地区から一人ずつ、計六名の騎士候補生が壇上へとあがり、トモロヲ・ブドリの前に跪いた。
「卒団証書ならびに記念品授与!」
ユトレヒトの声とともに先生方も立ち上がり、両手をまえに組んでいた。
トモロヲ・ブドリは見習証書を読みあげたあと、卒団生の代表者たちに「ご卒団、おめでとう」と握手をガッチリッと組みかわし、フランス共和国親衛隊のような黄金の兜を六地区の代表者にかぶせた。最後に円卓の騎士団の紋章がはいった内側が赤色、外側が黒色という騎士のマントをかけてやった。
音楽隊の演奏とともに、拍手が鳴り止まない。
「ご出席の皆様、どうぞご静粛に! ご静粛に! ご静粛に!」
頃合とともに、ユトレヒトは式を進行に務める。
「ご領主祝辞。サー・トモロヲ・ブドリ、我らの宮中伯」
その名がでると、水を打ったように場は静まり返った。
「…コホンッ」
トモロヲ・ブドリはナオミのほうを見ながら、優しくいった。
「過日、サーの称号を許されし五十名の候補生諸君、わしはしみじみした話が大嫌いなのはご存じのとおり。そこでいきなりじゃが点呼をとりたいと思う。えーっ、騎士らしく大きな声で返事をすること――――ではさっそく、アンナ・ハイネノハイネ! ユリウス・ベドウィン! ピピン・マクベス………」
「はい!」
「はい、はーい」と次々と元気な声が聞こえてきた。
「ユリウス・ベドウィン! 『はい』は一回でよろしい」
五十名すべての卒団生の名前を呼び終えたあと、トモロヲ・ブドリはそのくるりっとしたお茶目な瞳を輝かせて「皆、元気でよろしい」とすぐに「ええ、ついでじゃから今度は入団生、アイウエオ順でいくからのう。小さな声での返事でもよし、大きな声ならさらによし。読み方を間違えれば返事しなくてよし――――ではさっそく、テル・ウォ・アスパラガス! ヴィクトル・イエファ! マリアン・ウォルト………ナオミ・ニト…」
ナオミの小さな返事の声は、ざわめきでかき消されてしまった。
「ナオミ・ニトだって?」
「うん、今さっきトモロヲ・ブドリがそう呼んでいたよ」
「ついにあの英雄の子が、僕らの円卓の騎士団に入団するんだ」
大客間の視線はすぐさまナオミ一人に注がれてしまった。
ナオミは顔を真っ赤にしてもじもじしながら、トモロヲ・ブドリに助けてと――――見つめていた。いやはやトモロヲ・ブドリにしてみれば良きことだと思って、彼女をわざと紹介したことが、ナオミにとってはた迷惑なことだったらしい。
「皆さん、厳粛に! 厳粛に!」
ユトレヒトは場を鎮めようととあたふた。
「ふーむ、これは明らかに騎士メダル百枚、没収じゃな」
トモロヲ・ブドリの言葉に候補生たちは瞬時に静まりかえった。
「…わしの…」とポツリッと呟けば、誰かがぷっと笑いをこらえる音がした。
「誰か屁をしたな。いや責めんよ、よくあることじゃからのう」
さらにこの言葉に大客間は大爆笑。
お腹をかかえて大笑いする者、瞳に涙をうっすらとうかべて笑いをこらえる者、すでに笑いすぎて呼吸困難になっている者、ナオミはこの人は自分の味方だとわかったらしい。
「ねえ、テル。返事した?」
「するわけないじゃないか、だってアスパラガスだぞ!」
テルの言葉にロロが大爆笑。
「あはっはっは、テル・ウォ・アスパラガス!」
「…黙れ! 知ったかぶり!」
自分の名字を間違えられてテルはムッとしているようだ。
ナオミはいい雰囲気にしようとトモロヲ・ブドリのことを必死にかばえば、テルは「トモロヲ・ブドリは変人だよ」と嫌そうな顔でこういう。
「静かにしろ! 腹をかかえて笑うな! 転げまわるのはやめろ!」
そう声を張りあげるユトレヒトの必死の努力のすえ、式場はやっと静まり返った。
「うむ、話は以上で終わり。ともあれ見習諸君、卒団おめでとう! これより諸君は紳士淑女としての教育を立派におえた。しからば社会に貢献して、よりよい人間になることを心から望む。君らはまったくもって若い、歩みたくない無理な道を選ぶことはない。好きに生き、好きに死んでかまわん。ただし大切な人を守ることだけは、どんな道に生きようとも忘れてはいかんぞ」
「大切な人って?」
アンナ・ハイネノハイネは瞳を丸くしていった。
「心から慕い、愛している者のことじゃよ。君たちにはそういう人がおるかね?」
卒団生たちは両親や恋人、友だちのことを思い、テルはナオミのことを見つめ、ナオミはチラッとロロのことを見つめた。また彼女は自分の父と母のことを想い、二人は自分を愛していたんだと、心からそう思えることに誇りを感じ、もしかして自分にそのことを教えるためにトモロヲ・ブドリはそんなことをいったんじゃないのか、と思った。
「伯爵にもそんな人がいますか?」
アンナ・ハイネノハイネは恐縮しながら、皆の意見をいった。
「わしは――――」
老人の身内といえば孫娘のダ・カーポだ。今は黒ヤギだけど。
「わしはこの町で暮らしている――――」
一瞬、会場は水を打ったように静まりかえった。
「すべての者たちじゃ」
ユトレヒトは尊敬の眼差しで老人を見つめた。
「とにかくご卒団、まことにおめでとう!」
もうこれ以上ないほどの笑顔のトモロヲ・ブドリ。卒団生たちは自分がかぶっていた制帽を「わあっー」と天井高く投げた。
式場が騒がしくなったこともあってか、ユトレヒトの太い青筋が額にうっすらみえた。在団生たちが自分の席を立とうとしたので、ブドリは彼らに自粛を求めた。
「卒団生は引継ぎ式の準備にとりかかりなさい」
冷静さを取りもどすためユトレヒトは、大きく深呼吸をした。
「コホンッ、只今より第二部『円卓の騎士団』アッパータウン校、騎士見習いの入団式並びに卒団生による引継ぎ式を始めます。一同、厳粛にお願いしますよ。いいですか、無断におしゃべりした人はメダル五枚没収ですよ」
第4章
トモロヲ・ブドリの準備はよいか、とクーデンホーフにパチンッと目配せした。
彼女は入団生たちを床に大きな円卓の魔法陣が描かれているところまで引率すると、彼らをアイウエオ順に並ばせた。まずテル・ウォ・アボカドが一番最初にやや緊張した顔つきで、魔法陣の中心に立たされた。
「…一番最初って、けっこう何事も失敗するんだよな」
テルの呟きが聞こえる。
どうやって引き継ぐのかな、もしかして底がぬけるんじゃないかと思いながら、入団生たちは不安げに彼をみており、また在団生たちはドキドキ、ワクワクしてテルを興味深々にみていた。
ココとロレンツォは、どの子がどの先輩の騎士団や親方を引き継ぐのか、ボソボソと喋っていた。ナオミのほうを指さして、友だちに彼女のことを話していたのがにわかにわかった。そのうち一人が「はじめまして、よろしくね!」とナオミにそっと手をふったのもわかった。
「コラッ! そこ、入団生に手をふらないように!」
総執事のユトレヒトのカリカリした声が大広間をクスクスと小笑わせた。
光をおびた魔法陣からぬっとでてきたのは、赤い布で包まれた大きな何か。赤いビロードの天幕が外され、騎士候補生たちの目の前に現われたのは大きな四角い鏡だった。
ナオミたちは驚いて声もでない。壁のような大きな鏡にラッパを拭いている天使たちの黄金の彫刻装飾、匠の業というべき素晴らしさがある。
「これは魔法の鏡です」
クーデンホーフの声色がやや緊張しているのがわかる。
「引継ぎは『心』に従いなさい、すでに卒団生は鏡のなかで待機しています」
鏡は真実を映しだす、ヴァンヌの星読みがそんなことをいっていた気がする。でも人間が鏡のなかにはいれるなんて、今まで聞いたことがない。でもこれは真実、ブルトンの魔法文化なのだ。
「鏡の中だってさ。きっとチクチクして痛いと思うな」
テルは皆を代表していうも、ユトレヒトは時間がないと暗にトモロヲ・ブドリのほうに目をやった。
「諸君が己の弱き心に打ち勝つことを切に願う」
トモロヲ・ブドリの言葉が耳に残った。
「では先頭の騎士候補生から、鏡に身を委ねなさい」
テルはやや緊張した顔つきで、鏡に手をいれてみた。
次に頭と身体をいれ、ついに少年は鏡の中に姿を消した。普通に姿を消せばいいものを、テルはわざと右手をだして宙でぐるぐるまわして「チクチクする!」と姿を消すときに呟くものだから、外で待機する騎士候補生たちの恐怖心をやたら駆りたてたことはいうまでもない。
次々に鏡の中に子どもたちは身を委ねる。
ナオミの番だ、そろりっと指をいれてみれば痛くはないものの、鏡の中は山の麓の清流みたいにヒヤッと冷たい。まるで水が絶えず流れているかのようだ。他の子どもたちが鏡の中にはいっていくたびに「キャッ!」という悲鳴をあげたのも頷ける。
――――騎士候補生全員が鏡のなかに姿を消して五分が過ぎた。
鏡のなかから何かが、いや誰かが、男の子と女の子が歩いてくるのがわかる。鏡に映っているのはテルとアンナ・ハイネノハイネだ。アンナとテルが仲良く鏡からでてくると、在団生たちは「うおぉーっ」と歓声をあげた。
クーデンホーフもとても嬉しそうに「キング・アーサー!」とテルの引継ぎを声をあげた。赤毛のロレンツォなんかは、一番最初にキング・アーサー地区の名前が呼ばれるなんて三年ぶりだ、と騒いでいた。
「キング・アーサーの席はあそこ、左から二番目があなたの席よ」
テルを引率するアンナはココの横の席を指差した。
次々と鏡から先輩とでてくる騎士候補生。クーデンホーフは入団生の名前がかかれた、長い羊皮紙の巻紙を読み、引継ぎのペアの名の声をあげるも、なぜか式場からはため息が漏れてくるのがわかった。
まだあの名前が呼ばれていないからだ。彼らが最も期待しているあの名前、そうナオミ・ニトだ。彼女の名前が呼ばれていないことに入団生、在団生、卒団生、教諭たちまでやきもきしていた。
――――ナオミが鏡のなかにはいって七分がすぎた。
鏡の中は冷たい世界だ。光も何もない暗黒が支配する世界といってもよい。
卒団生らしい黒い影が自分と握手しようと求めてきたものの、ナオミはこれという人がいない。そのうち卒団生たちの一人が何かを語りだせば、次々と卒団生が声をそろえて同じ言葉を繰り返していた。きっと騎士の誓いの言葉かなんかだろう。
物事の是非は騎士道に問うがよい
いばらの道こそが おのが騎士道に通ずると知れ
かよわき者はその楯でつつみ
邪悪なものには正義の鉄槌をくだせ
『誠実さ』『優しさ』『勇敢さ』『公平さ』
そして『献身さ』『名誉』『清らかさ』『慎み深さ』
騎士見習いはこの「八つの徳」と「名声」を重んぜられよ
「ナオミ・ニト」と突然、低い声が聞こえてきた。
冷徹な声はナオミの心に直接語りかけてくるようだ。
さらにその声は「お前にふさわしい地区は、父王を討った黒騎士モードレッドだ。さあ、わが手を握るのだ。さすればお前は皆から迎えいれられ、恐れられよう」と呟いてくる。
声の主は『迷いの森の辺境伯』だった。
騎士切手でみたから間違いない。なんて冷淡な声なんだ。耳障りな声といってもいい。でも彼は九年前、仲間の裏切りにあって死んだはずだ――――となれば目の前の男はどこの誰なんだ? トモロヲ・ブドリは弱き心に打ち勝つことを切に願うといっていた。じゃあ、コイツは私の心なのか? いや違う。私の心はこんなに汚れてはいない。
「何を戸惑う? 今更自分の心に嘘をついてどうする?」
男は冷淡な声で自分に語りかけてくる。
「「黙れ! だまれ!」
「大抵ヒトは嘘をつく」
どこかで聞いた言葉だと思えば、ヴァンヌの星読みの言葉だ。
あのとき自分は正直に「鏡には自分が見える」といった。
――――じゃ、じゃあ、コイツは自分の心。
なんて醜いんだ。いや言い訳はよそう。
弱き心は迷いを生み出すものだ。そうコイツは自分の心の迷いなのだ。
「そうだ、鏡は真実の自分を映しだす。私はお前の心なのだ。さあ、わが手を握れ。お前の未来は私が決めてやろう。ともに悪道に堕ちようぞ」
「く、来るな! これ以上、近寄ればお前を斬る!」
ナオミは剣を抜こうにも、なぜか剣が鞘から抜けない。魔法で封印されているようだ。
落ちつけ、落ちつくんだ! 怒りに身を任せてはいけない。目の前にいる男は本物の辺境伯ではなく卒団生なのだ。自分の感情、弱い心に負けてはならない。
「いったであろう、私はお前の『心』であると。さあ、我とともに行こうぞ!」
「ち、違う! 私はそんなこと思ってなんか……」
「…きさまの心に嘘をついてどうするというのだ? 自分に正直になれ、ナオミ・ニト…」
彼女は必死に辺境伯に言い訳をするものの、そのたびに男はヤドリギ家のこと、彼らを自分に跪かそうなどと少女を誘惑してきた。辺境伯の言い分も一理ある――――ひどく後ろめたい気がするものの、ナオミは興味がないわけでもなかった。
――――いくじなし? 違う。勇気をだすときがなかっただけだ。
ナオミは必死に抵抗しつつも、いくじなしでないなら、辺境伯は自分を受け入れよと迫ってくるではないか。
自分の心と口論して一分後、悪に染まるのもそう悪くはないのかもしれないと、ナオミは辺境伯の声に従うかのように、その手を握ろうとした瞬間、別の声が聞こえた。
「自分の弱い心に打ち勝つのです、ナオミ!」
意志が強そうな女の人の声だ。聞いているだけで心地よい。
「人の言葉であなたの価値は決まらない、あなたの価値はあなたが決めるもの」
ナオミは何も答えることができなかった。
「自分を信じること、それはとても勇気がいることです」
女の人は今こそ勇気をだすときだ、と少女に問いかけてくる。
さあ、わが手を握れとばかりに迷いの森の辺境伯。
その右隣には聖母のような女の人が手を差しだしていた。ナオミはぐっと目をつぶり、『迷いの森の辺境伯』の手を握ろうとしたが、途中でそれをギュッと握りつぶし、女の人の手を握った。
女の人はとてもよく頑張った、と微笑みをうかべていた。
ナオミは女の人をじっと見つめた。
銀髪の女性だ。耳元から顎、首筋にかけて美しいシャープな線がくっきりわかる。青い瞳に透きとおる肌、銀髪が優雅にたれて、どことなく聖なる品格、威厳に満ちている。本当に美しい人だ。ナオミと目が合うやいなや、彼女はニコッと微笑み、出口に案内するから自分についてきなさいという。
「勇気をもって自分を信じること。今、あなたはそれを学びましたね。そう自分の弱い心に打ち勝つためには、自分を信じる勇気しかありません。そして勇気は自分の胸のなかにあるのです。これだけは忘れてはいけません」
「…は、はい。あ、あのう。お父さんとお母さんって……どこの地区だったの?」と会話の途中、出口らしい四角い光が自分たちを優しく迎えいれる。
「キング・アーサー!」
突然、クーデンホーフの声が聞こえ、ナオミはビクッと背筋が震えた。
気がつけばあの冷たい鏡の世界は霧のように晴れて、自分は拍手喝采の広間にいた。なかにはあまりの嬉しさからか、立ち上がって万歳をする者もいた。自分を引率している人をみれば、その人はユリウス・ベドウィンという男の子だ。
ナオミはわけがわからず、きょとんとしていた。
女の人と思っていた人が五秒後には、男の子になっているのだから、仕方がないといえば仕方がない。 赤毛のロレンツォは「伝説が帰ってきた、伝説が帰ってきた」と歓声をあげた。トモロヲ・ブドリをさりげなく見つめてみれば、とても嬉しそうだ。
「やはり英雄ニトの血ですかね?」とクーデンホーフ。
「いやこれから始まるのだよ。彼らの時代、彼らの伝説がね」
新しい伝説が古い伝説を終わらせるのは、物事の道理なのかもしれない。
第5章
「あーっ、よかった。僕、祖父ちゃんの手を握ってさ」とテルの安堵の声、少年によれば握手を求めてきたのが、自分の父親だったとか。彼はテルに「お前は俺の息子、だからモードレッド地区にすべきだ」といったそうだ。
「で、どうしたの?」
ナオミのとても不安そうな声。
「うん、僕は『モードレッドは絶対にいやだ!』っていったのさ。それで夏休みに家に帰ったらぶん殴ってやるといったら、そばにいた死んだ祖父ちゃんが感激して、僕に握手を求めてきたんだ。祖父ちゃんはウォ・アボカド家始まって以来、初めてのキング・アーサーだったからね」
自分の場合はそれがあの女の人だった。
それにしてもあの人は一体誰だろう? なぜか気になる。
ココロヨワミという幻覚魔法だとココはいう。すべては嘘幻、自分の心の声。人はいざとなったときに自分の心の声を聞くもの。だから引き継ぎには、その者の心の声がそのまま住み込むこととなる地区になるとか。ナオミの場合は『迷いの森の辺境伯』への恐怖が心に表れたのだろう。
キング・アーサー地区の異名は「勇気」だ。勇気にもさまざまな勇気があるが、ナオミの勇気は自分を信じるという、一番大切な勇気なのかもしれない。
「モードレッド!」
家宰の厳格な声が聞こえると、マルコ・パパティーノはヒューッと口笛を吹いた。
「ナオミ・ニトがモードレッド地区じゃなくて残念だよ」
ナオミはマルコの視線を無視した。
かわりにテルが右手の親指を下にむけて、彼女の返事とした。
「あの地区はね、別名『憎しみ』というのよ」とコクリコ・サクラダはいう。なるほど『迷いの森の辺境伯』の幻がなぜ見えたのか、ナオミはひそかに納得した。
クーデンホーフは次々に名前をすらすらと読みあげていった。
その度にトリスタンやガウェイン、ガラハッドなど各地区で歓声がわき起こった。鏡のなかで残っている生徒もごくわずかになってきたと思えば、やっと聞き覚えのある名前ロミオ・ロートレックという名前が呼ばれた。
「アイツはモードレッドだな、知ったかぶりだから」とテル。
「なんでそんなこというの、私たち仲間じゃないの!」
ナオミはぷりぷりしてテルを本気で怒った。
もちろんロミオ・ロートレックはナオミたちと同じキング・アーサー地区だった。ナオミはとても嬉しそうだったけれど、なぜかテルは舌打ちした。
「最後の一人、この子は転校生のハレルヤ・ヤドリギ」
クーデンホーフのその言葉にナオミとテルは度肝を抜いた。
少年はナヴァグリオに乗り損ねたので、別の方法でこの町にやってきていた。もちろんハレルヤは二人の期待を裏切らなかった、見事にモードレッド地区入りをはたした。
いやはやそれにしてもマルコ・パパティーノと握手をする光景ほど最悪なものはなかった。マルコがヴァンヌでカンペールの友人を待っているといったのは、このハレルヤのことだったのだ。
「君がいれば鬼に金棒だな、ハレルヤ!」
「僕らがタッグを組めば、キング・アーサーなんて毎日血祭りだよ」
少年はナオミと目が会うと、ニタッと不気味に微笑んだ。
ナオミは、きっと例のアレとやらを見つけるため、ヤドリギは自分を監視させるために少年をよこしたに違いない。あの嘘八百は何がなんでも、昔の栄華を取り戻したいのだ、とハレルヤを見つめながら思う。
クーデンホーフが「以上で終わりですわね」と魔法の鏡の天幕をはずしたとき、赤いビロード生地のなかでモゴモゴと「助けて!」と誰かが必死に動いている。悲鳴の正体はへっぽこ少年マイケル・コービーだった。
「まだ終わりじゃにないよ、僕を忘れないで!」
意外なことに彼はキング・アーサー地区の配属となった。
コービーは嬉しそうに右側の長椅子にかけだしたのはいいもの、誰かがさりげなく彼に足をかけた。そのせいでコービー少年は皆のまえですってん! とこけてしまい、在団生たちは大爆笑した。
コービー少年は「…てへっ、こけちゃった…」と苦笑い、しかも少年が腰かけた長椅子はモードレッド地区の席だったため、彼らに悪態をつかれながらトボトボと恥ずかしそうに、キング・アーサー地区の席を探すはめになった。
コービー少年を最後に入団式と引き継ぎ式は無事に終わった。
各地区の入団生数はキング・アーサー八名、ランスロット八名、ガウェイン七名、ガラハッド七名、トリスタン七名、モードレッド十二人の合計四十九名だ。
「以上にて入団式と引き継ぎ式は終わります。卒団生退場!」
ユトレヒトの厳格な声が大広間に響いた。卒団生たちは大きな花束を渡され、入団生と在団生たちの拍手、今流行の吟遊詩人の歌に見送られ、大広間をあとにした。
トモロヲ・ブドリの祝辞、二回目とあって疲れているようだ。
「初めにアッパータウンへようこそ、入団生の諸君。次に大きくご入団、誠におめでとうと申しあげたい。今日は天気がよいことから、外で諸君の歓迎会をしようと思う。では皆さん、領主館のまえで会いましょうぞ」
「コホンッ、途中欠席は騎士メダル三枚没収だぞ!」
すかさずユトレヒトは声を張り上げた。
※フランベルジェ
フランベルジェには、大型で両手持ちの長剣ツヴァイヘンダーから細身の片手剣まで様々なものが知られている。その特殊な刀身が肉を引き裂き、止血しにくくするため、一般に殺傷能力が高い。衛生事情が現代と比べ物にならなかった時代には破傷風などに感染して死ぬ例が多かったという。
治りづらい傷を作るため、「死よりも苦痛を与える剣」として知られる。。前線の兵士が敵の馬上の騎士の槍先を切り落とすのに都合がよい、敵の剣による攻撃を受け流すのに都合がよい、などの利点もあるという。叙事詩に登場するカール大帝につかえたとされる騎士ルノー・ド・モントーバンがこの剣を愛用していた。銃器が開発され、剣は日の目を見なくなったが、それでもこの剣は美術的評価と共に生産されつづけた。
(Wikipedia フリー百科事典引用)
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