二〇一一年三月十一日の午後、運命の怒涛が宮城県・東北沖合いを襲った。のちに東日本大震災と名づけられる今回、東北地方を襲った大地震は、いつもの変わらないものと人々は考えていた。
小学校の校舎がこれほどまでに揺れたのは初めてだったが、もっと驚きだったのは隣の席にいた通称『肥満』、俗にいうデブの秋山亨の腹の肉が普通に波打ったのをみたときだ。彼の腹の肉がぷにゅぷにゅと波打つのは、だいたいは体育の時間ぐらいなもんだ。
――平時にあれほど波打つのは尋常ではない。
「先生が裏山に避難しろって!」
廊下の割れた窓ガラスを踏みしめながら、校舎外へ避難する子どもたちの声に混ざって「ただの地震だろ? あいつらは大げさなんだよ」と一週間後に小学校の卒業式を迎える、新渡勇人は生意気にいった。
「結局、あの赤い扉を開けることができなかったよな、デブ!」
「ユージンってば! 僕はデブじゃない、ぽっちゃりだ! 何度いえばわかるんだよ! それに今はあの扉のことなんか、どうでもいいじゃんか!」
勇人のいう赤い扉――――それは何度試しても、そう引いても押しても、うんとも寸ともいわない、彼らの小学校に伝わる開かずの扉伝説だ。もちろん開かないのだから、勇人はその先(おそらく廊下か、もしくは物置部屋だと思うが……)を見たことがない。
卒業式をふまえ、それだけが彼にとって唯一の心残りだった。
「コラッ! お前たち、早くしないか!」
勇人の担任の先生が急げ! と声を張りあげたときだった。
ゴ、ゴ、ゴゴゴゴゴッッ――――、地響きのうなりにも似た音が近づいてきたとともに校舎が揺れた。いや正しくは廊下がケーキの空箱のようにガタガタッ、ゴトゴトッと大きく揺れた。割れずに残っていた窓ガラスがパキーンッと音をたてた。一瞬、同じクラスの女子の悲鳴が聞こえたと思った瞬間、抵抗も許さないとばかりに勇人たちを大量の水が呑みこんだ。
自分たちを呑みこんだ大量の水に顔があった気がしない。
優しそうな女性の顔だった気がしないでもないが、今はそんなことどうでもいい。息をしように足掻こうにも、出口らしき場所はない。今まで廊下だった水底に目をやれば、先ほどまで会話をかわしていた友人、秋山亨が横たわっているのがみえた。
溺死――――勇人の脳裏にそんな言葉が一瞬、思い浮かんだ。
(…そ、そんな息ができな…い…、僕、ここで死ぬんだ…)
だめだ、意識が遠のく。
と思った瞬間、薄れゆく意識のなかで誰かが自分を抱きかかえ、開かずの扉にはいっていくのがわかる。一体誰だろう? 酸素不足のせいか目をあけても、目が霞んでいるせいもあって――――姿かたちがぼやけ、はっきりととらえることができない。
ただ不思議なことが起きているのは、なんとなくだけどわかる。
その人のまわりだけは水が割れて、息ができる空間ができているのだ。明らかに意図的な空間だ。一言でいえば光の環、いや魔法という類のものなのかもしれない。
「…あ、あなたは……誰?」
勇人を抱きかかえる者は少年にむかって、静かに微笑んだ。
「君には運命を選択する権利がある」
キミニハ、ウンメイヲセンタクスル、ケンリガアル?
ランキング参加中! 面白かったらポチッとクリックお願いします。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。