小池一夫さんが郷土・大仙市に
住所も移し、花館に同級生らと集える自宅(10月8日・日)
劇画「子連れ狼」の原作者である小池一夫さんは大仙市大曲上栄町出身だ。その小池さんが、大仙市の会社経営者が同市花館に持っていた別荘を買い求め昨年秋から、「百歳寓」として移り住んでいる。現在も劇画作家として「新・子連れ狼」(作画・森秀樹、週刊ポスト)や「桃太郎侍」(作画・池辺かつみ、時代劇漫画「刃」)など7本の作品を連載、その合間を縫って週3日は大阪芸術大学キャラクター造形学科教授として通う多忙さ。それでも故郷の同級生たちと顔を合わせ、人生を楽しみたいと本籍も住所も大仙市に移し、月に1回は帰ってきている。6日夕方も「百歳寓」には20数人の同級生らが集まって料理とお酒を囲んでワイワイガヤガヤと楽しんだ。
小池さんは1936年5月生れで、70歳。元徳川幕府の公儀介錯人・拝一刀と息子・大五郎を主人公に、刺客の世界を描いた時代劇画「子連れ狼(画・小島剛夕)」は、70年9月から漫画「アクション(双葉社)」に掲載され、大ブームを呼んだ。76年4月までの6年間で142回掲載され、その単行本は国内だけで累計830万部、アメリカやドイツ、フランスなど9カ国でも翻訳され、それを含めると1180万部もの売り上げを記録したという。
小池さんは大曲小学校から大曲中学校を卒業。そして秋田高校から中央大学法学部を出て、弁護士を目指したが司法試験に3度失敗。その後は、農林省や外国航路の船員、ゴルフ場でのアルバイトなどを体験し、「桃太郎侍」で知られる時代小説家・山手樹一郎氏に師事。そして1968年、さいとうプロダクション「ゴルゴ13」制作チームに参加、劇画作家として独立した。
その間、真言宗の霊地・高野山にも通って僧侶としての修業を重ね、本名(僧号)俵谷星舟の名を頂いた。「子連れ狼」の拝一刀が幼子・大五郎と共に「一殺500両」で殺しを請け負う「冥府魔道(めいふまどう)」の世界に生きるのはその仏教の教えが背景になっているという。拝一刀は劇画「子連れ狼」を通じて次々と名台詞を吐く。「親に会ったら親を殺し、仏に会ったら仏を殺す」などだ。
小池さんは「ああ。その言葉は仏教の『大道無門』で、人の生きる道に門はない。行く手をさえぎるものがあったら、それを排除して行けという意味なんです」と説明した。さらに「たとえ父が死に、おまえ一人になりたるとしても 月を見よ 月に父在り母在り 我在りと思え 月を見ること即ち我らは共に在ることなのだ」など高尚な文語体の台詞と歴史観で多くの読者を魅了した。
その言葉の原点を小池さんは「自分が生れた家の近くに倉のある旧家があって、その倉の中には世界文学全集や立川文庫、講談社文庫などの本が山のようにあった。その本の魅力に取りつかれ、倉の中で夢中で読んだのが勉強になった」と話す。
人気作家だけに出版社は小池さんを手放さない。どこへ行くにも個人秘書と出版社の小池さん担当者が同行する。月1回、花館の自宅に戻る時も秘書が先回りして帰り、そして飛行機で秋田空港に下りる小池さんを車で迎えに行く。
東京と大阪にも住まいを持っている。それでも大曲は帰りたい故郷だった。大曲福住町の下山胃腸科内科医院の下山維敏医師とは幼稚園から小・中学校、高校まで一緒だった。下山さんは小池さんの「百歳寓」管理者を努め、同じく同級生の佐藤文吾さんが管理人として家を守っている。「百歳寓」は約2640平方メートル(800坪)の広大な庭に建つ木造平屋建ての住まい。同級生らは小池さんを中心にその住まいを集いの場として利用し、交流を楽しんでいる。
小池さんは劇画作家として成功してからは後進の育成にも力を入れ、1977年に「小池一夫劇画村塾」を開設し、これまで多くの漫画家や小説家、ゲーム作家などを育てた。その弟子の数は300人を超える。「東京や大阪ではどこへ行っても弟子と出版社の付き合いで、先生、先生と呼ばれるだけ。こっちに帰ってくると同級生が集まって『おい。お前』の呼び捨てで楽しめる。昔の仲間はいいよ。楽しまなきゃ」と豪快に笑う。
子連れ狼と言えば「しとしとぴっちゃん」で始まる歌も忘れられない。この歌の作詞も小池さんだ。小池さんは作詞家としても活躍している。そして花館に住所を移してからは請われて大曲商工会議所の顧問にも就任した。7日は株式会社TMO(高柳恭侑代表取締役)の依頼を受けて大曲中央公民館で「時代劇映画のいろいろ」と題して約250人の市民を前に講演もした。その夜は月岡シネマで田村正和さん主演の映画「子連れ狼
その小さき手に」をファンと共に観賞を楽しんだ。「子連れ狼」の武士道としての〃世界観〃はハリウッド映画界にまで影響を与え、それをモデルにした映画も作られたという。もはや「世界の……」とも言える小池さんが、大仙市大曲出身だということを誇りにしたい。