普賢岳:大火砕流から20年 追悼式に600人が出席

2011年6月3日 11時34分 更新:6月3日 15時1分

犠牲者追悼式で遺族代表としてあいさつする山下譲治さん=長崎県島原市で2011年6月3日午前10時40分、加古信志撮影
犠牲者追悼式で遺族代表としてあいさつする山下譲治さん=長崎県島原市で2011年6月3日午前10時40分、加古信志撮影
大火砕流から20年を迎え、慰霊碑に献花する横田修一郎・島原市長(手前左)ら島原市関係者=長崎県島原市で2011年6月3日午前8時、加古信志撮影
大火砕流から20年を迎え、慰霊碑に献花する横田修一郎・島原市長(手前左)ら島原市関係者=長崎県島原市で2011年6月3日午前8時、加古信志撮影

 43人が犠牲になった長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流から丸20年を迎えた3日、同県島原市の島原復興アリーナで5年ぶりの犠牲者追悼式が開かれた。102人の遺族や消防団のほか、横田修一郎市長、中村法道知事ら約600人が出席し、祈りをささげた。火砕流が発生した午後4時8分にはサイレンを鳴らし、黙とうする。

 式典では、消防団員だった山下日出雄さん(当時37歳)の長男で中学教諭の譲治さん(33)が遺族を代表してあいさつ。「家族の大黒柱を失った悲しみは癒えることはなく、あの大惨事が頭から離れない。しかし、噴火活動の終息後、私たちは希望を持って再建の道を進むことができた。島原の復興が皆様の支援に応えられるよう頑張っていきたい」と述べた。【古賀亮至】

top
文字サイズ変更
このエントリーをはてなブックマークに追加
Check
この記事を印刷

PR情報

スポンサーサイト検索

アーカイブ一覧

 

おすすめ情報