1048さんが先月4日の投稿 『庭の雑草』 でオオバコのことを書いていましたが、植物学者塚谷裕一さん(東大大学院教授)のエッセイ『日本人とオオバコ』にこんな話があります。
オオバコ(車前草、大葉子)は日本中どこにでもある雑草ですが、神社仏閣型と呼ばれるオオバコがある。その特徴はとにかく小さいこと。普通は長さ4,5センチある葉が小指ほどしかない。花の穂もすくっと立っておらず、短くてしばしば地面を這うようにしており、とにかく小さくて目立たない。そういう小柄のオオバコが三井寺付近の琵琶湖縁、仙台沖ノ島の金崋山、厳島神社のある宮島などで見られるそうです。
その共通点は、神社仏閣があり鹿がかなりの密度で暮らしていること。鹿は背の高い草は軒並み食べてしまうが、鼻面を地面に擦るのが大嫌いで、地面すれすれに生える小さな草は相手にしない。だから草は自衛上、小さくなるとか、棘を強化するとか、臭い匂いを出すとか、とにかく食べられないように努力する。棘や匂いという手段を持たない神社仏閣のオオバコは長い年月をかけて小さくなるしかなかった。
こうして小柄になったオオバコの種を採取して栽培しても、彼らは小さいサイズが完全に習い性になってしまっていて、いくら肥料をやっても、草むしりをしないと約束してやっても、決して大きくならない。鹿がオオバコを小さくしたのだそうです。
寺社の境内だけでなく家屋の庭や校庭、公園、はては路地まで草一本生えぬよう保とうとするのは、日本人がもともと農耕民族であり、農耕の邪魔になる雑草に対して非常にきびしいから。日本人は自然に優しい、自然を愛する民族といわれることが多いが、むしろ猛威をふるう植物を疎ましく思い、なるべく植物の生えない地面を広げようと努めた。そこにこそ日本人のメンタアリティを求めるべきだろう。日本各地の寺社境内で身を縮こめて暮らすオオバコのことを思うにつけても、日本人は本来、植物につらく当たる民族だったと思うのである、と筆者は結んでいます。
そういえば、かつて猛威をふるった道端のセイタカアワダチソウも最近は小振りになってきましたね。
マル
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オオバコにこのような話があるとは思いもよりませんでした。