もう掲載から1週間を過ぎたから出しても良いだろう。
私も取材を受けた記事です。
******週刊文春2011.7.28号*******
七月十五日、森達也氏(55)の『A3』(集英社インターナショナル刊)が、講談社ノンフィクション賞に選ばれた。『A』とは、オウム真理教の教祖、麻原彰晃死刑囚のイニシャル。森氏は東京地裁で、麻原に死刑判決が下った〇四年二月の裁判を傍聴、松本智津夫被告(当時)を間近で見た結果、彼の精神は崩壊しているとして、裁判所が採用した精神鑑定や、事件が取材したジャーナリストらの「麻原は詐病」という指摘を否定。同書では、一連のオウム事件を、「弟子の暴走であるとほぼ確信している」と述べている。
だが、長年、オウム真理教と闘い続けてきた関係者は、同書に批判的だ、信者の脱会支援活動を続け、自信もサリン襲撃の被害に遭った滝本太郎弁護士はこう語る。
「森氏は、裁判記録も面会した被告人の言葉も、自分の論旨に都合の良い所だけ使っている。早川紀代秀、林泰男、岡崎一明死刑囚らは『麻原の指示は絶対で、逆らえるものではない。暴走なんてしていない。裁判でも、面会に来た森さんにも言ってある』と述べているが、森さんは無視しても本にまでしてしまった。」
麻原裁判の傍聴を続けてきたジャーナリストの青沼洋一郎氏もこう批判する。
「たった一度の傍聴だけで、公判全体を批判し、自分の都合よく事実を解釈したり、評価を下すなど、基本的な死刑に疑問がある。この本がノンフィクションとして評価されることに非常に恐ろしさを感じる。」
滝本氏の批判について、森氏に聞いてみた。
「早川さんと岡崎さんが、僕の唱える暴走論と意見が違うことは、本でも再三書いています。彼らの言ったこと、手紙に書いたことを引用しながら、彼らの思いはこういうことなんじゃないかなと書いていますが、それは解釈ですから。ただ、彼らはまさしく暴走していた弟子の一人ですから、実感が持てないのかなという気はしていました。」
滝本太郎弁護士は、『A3』の影響を懸念する。
「オウムの残党は今も活動をしています。麻原の免罪につながりかねない本は賞を与えれば、そのないようにお墨付きを与えたことになる。新たな信者の勧誘に利用されるおそれもあります。そこまで考慮されているのでしょうか」以 上
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森さんに関しては、このブログで、なんどか書いてきた。だが書籍「A3」は、昨年購入して読んだが、まとめて批判は書いてなかったです。なんか馬鹿らしくもなって。それでも、月刊プレイボーイに出ていた元記事の方については、時に批判文を書いてきた。下記は、このブログ内の「森達也」氏で検索した結果です。
そのうち、2007.1.28と2007.4.6の所で、「A3」について書いてます。ご参考までに。
http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%90X%92B%96%E7&inside=1
で、この「講談社ノンフィクション賞」の紹介は下記にある。
http://www.kodansha.co.jp/award/nonfiction-essay.html
選考委員は、下記。
・重松清
・立花隆
・中沢新一
・野村進
・辺見じゅん
立花隆氏については、下記にもと教え子などの批判文が書いてある。「臨死」のあたりからなんともずれてきて、似非科学主義になって来たなあ、と。確かに私もそう思う。
http://blog.goo.ne.jp/nityshr/e/5ad3d76adf2c06eb19e66800ae6063df
http://www008.upp.so-net.ne.jp/sekiya/shiko/GDKSK_09.HTM#09_001
重松、野村、辺見さんという人は、いまいちよく分からない。重松さんは、素敵な本も書いていたけれどなあ。
で、中沢新一が選考委員だと。なんなんだ。そもそもが「ノンフィクション」の選考できる立場の人かね。ましてオウム真理教問題についての外部の人での最大の『戦犯』が、中沢さんです。オウム集団の成立・維持・拡大につき、最大の影響を及ぼしてきた人です。(これも批判対象の吉本隆明は事件発覚後のことですが中沢さんは元々から)今も、アレフに属する信者の精神的な支柱にもなっている。この人が選考委員だと、なんともお。
なんか今は、偉いさんになっている、日本の文学関係というか、論壇というか、文化人類学?のしょもなさを証明している。
その中沢さんは、未だに、そんな自分の総括も反省もしていない。
島田裕巳氏とは大違い。
その中沢さんが、選考委員の一人だと、笑い話です。
森さんは、「ドキュメンタリーは嘘をつく」という標題で、自分の先入観的な考えに併せて映像記録を、まさに意図的に編集、取捨選択をしても良いとしている人。
そりゃ、どんなドキュメンタリーも、本質を暴こう、一面の本質だけでも示そうとしても、「嘘をつきたくなくても、ついてしまう部分がでる」ということは、当たり前です。それに注意は必要。
だが、森さんは、「嘘をついてしまう」のではなく、ドキュメンタリーで「嘘をついて良い」と居直っているものです。それは決してドキュメンタリーではないのに、ね。
そんな森さんの、まして欠陥の多すぎる書籍が「ノンフィクション賞」だと。
笑い話です。

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