不安の中でたまらん方へ
ぼく( ̄o ̄) いま、ものすごく解放が起こっています。
それはしみじみ感じる。
ちょっと言葉の解釈による誤解を防ぐために、
「恐怖・不安を感じる」
ということと
「恐怖・不安に囚われる」
ということを分けて話していきましょうかね〜
守護さん(⌒∇⌒) 解放のとき、古いものが一気に出てくるとき、
それを観る ということは、不安に浸りきることではない。文字通り不安を観察することだ。
( ̄o ̄) 感じ尽くしましょう というスローガンを持ち歩いて、ずっと不安の中でぐるぐるすることじゃないんです。
そこを取り違えると、
不安に囚われて、
ぐるぐるぐるぐる・・・
エンドレスですなぁ。
(⌒∇⌒) 恐怖・不安はあなた方ではないんだ。
それは、光の無い状態。それが擬似的なエネルギーを作り上げる。
その時、人はその擬似的なエネルギーに支配される。感情も。行動も。
( ̄o ̄) はい、はい。そうです。
(⌒∇⌒) それを感じる、まずはね。
そうしてそれにぴったり引っ付くのではい。浸るのではない。
それを認め、それを握り締めていた自分を受け入れる。
不安や恐怖を握り締めていた自分に寄り添う。
寄り添うということは、それと一体ではないということ。
わかるかな?
( ̄o ̄) 私たちは何者でもないんです。本来は。
深呼吸になりきっているとき、まさにそれです。
ソフトクリームを無心で食べて「うまーい」って「言葉にする前」の、その時、それです(笑)
(ぼくだけか?)
瞑想で思考を眺めているときも、それです。
感情のレベルの、さらに深いところでちゃーんとそれを観る自分がいます。
(⌒∇⌒) いま湧き上がる不安をしっかり観てあげなさい。
蓋をせず、それを感じ、観る。
そのときは、ストーリーを離れていい。
ただ感情を観る。
ストーリーに原因を求めだすと、その感情は蓋をされ、盲目になり、ストーリーに依存してしまう。
( ̄o ̄) はい。そうですね。
よくやりがち〜。
(⌒∇⌒) 深い深いトラウマのとき、自我同士の意識体同士の確執の解消のときは、ストーリーを思い出すこともあるかもしれない。
しかしそのときも、その確執の元となる感情があったはずだ。
いま、調和に向かう上で、もうそういった深い部分さえも昇華しようといろいろ浮上してくるものなんだよ。
( ̄o ̄) なぜ、この時代、そんなことしなきゃならないんだ!
と思う方もおられましょうが、
いま、最大のチャンスですよ。
準備ができてるから、あなたの許容ギリギリの感情が浮上する時代です。
過去数千年、数万年、そういったものをゲロしちまって、
降参して(笑)
いまここを生きましょうよ。
楽しんで。
(⌒∇⌒) 楽しむって好きだなぁ。お前さん。
( ̄o ̄) ゲームですから。
ゲームって軽いノリで、眉をしかめる人、いるかな?
であれば、壮大な映画監督でもいいですよ。
監督兼主人公。
楽しんで小ボス、中ボス、大ボスと対峙してみてください。
そして戦うのではなく(笑)、受け入れて、観るんです。
あなた以外、あなたのカルマを取ってあげることはできません。
あなたが自分で、それから自由にならなきゃなりません。
だってあなたのゲームなんですから。この世界は。
ぽちのゲーム、スライム級。
ありがとうございます。
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