http://video.jp.msn.com/browse/rvr
「芥川賞-受賞作はなし」
これを聞くと、少なくとも村上龍は円城作品が芥川賞に値しない最大の理由は「DNAについての記述が不正確だから」だと言っているように思える。
もちろん、そういう価値観はあっていいし、実際不正確な記述で興醒めになる作品はあると思う。それはまあ、作品の種類による。SFだって嘘ばっかりだ。それが気になるか気にならないかは作品の種類と読者の期待との関係だから、「気になるのはおかしい」というわけにはいかない。
しかし、それは本当に記述が不正確な場合で、では円城作品は本当に不正確なのか。どうも、読んだ生物系の研究者は「不正確なところはない」と言っているようだけど。
もし本当にその「正確さ」が賞の判定に決定的な影響を与えたのだとすると、多くの研究者「いや、不正確ではない」と言った場合、どうなるのだろう。
文学作品の価値が科学的正確さで決まるかというのはなかなか難しい問題で、さらに「著者は正確に書いた」「読者の一部は不正確だと思った」「読者の一部は正確だと思った」などさまざまな判断があった場合にどれを作品の価値判断に使うのか、よくわからない。いや、実はそんなことは読者が勝手に決めればいい。著者がどれほど正確に書いたとしても、読者がそう受け取らないなら、それは著者の問題だ。一般論としては。
ただ、それが賞の選考に決定的に利いたのであれば、読み手(選考委員)の科学知識も問われる必要があるのじゃないかな。村上龍氏は円城塔よりDNAに詳しいという自信があるのだと思うけど、円城塔の経歴を知っている人間からすると、その自信はちょっとどうかなという気がする。
この記事に対するコメント[108件]
1. K — July 26, 2011 @15:41:25
2. 技術開発者 — July 26, 2011 @16:40:55
>ただ、それが賞の選考に決定的に利いたのであれば、読み手(選考委員)の科学知識も問われる必要があるのじゃないかな。
発表の後の記者会見の報道によると、
http://career.oricon.co.jp/news/89476/full/
「今回は本当に点数が低調だった」と選考員代表として発表会見でコメント。「候補作と言えるものはないが、とりあえず選考したのでは?と本来ならノミネートのレベルにも達していないとし、「前に選ばれてきた作品を考えると、今回はとても選出することができなかった」と辛口評論を下した。一方で今回の候補者たちに向け「素晴らしい作品を書いて下さる方と信じているので、次ぎに候補に上がったときには」と期待をこめた。
となっていますから、村上氏の理由が決定的に利いたという事でもないのでしょうね。
3. yamaguchi — July 26, 2011 @17:18:28
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/800/88997.html
何を言っているのかちょっと解らないところがありますが。
4. Toriuchi — July 26, 2011 @18:22:30
「不正確」発言を実践的心理学(ヤマカン)で解析すると、「村上さんはホントに詳しいの?」の挑戦を手ぐすね引いて待っているような。
そしてその先の議論の結論を野性的統計学(博打)で予測すると「何故に自信をもっていたの?あれ、文章技法の話にすり替えちゃうの?」となるでしょう。
口がすべるのをもう少し静かに待ちましょうよ。
と書かれたら、普通は「そういうことで判定されてもなぁ」と思いますよw
K氏も書かれているように「これはペンです」を実際に読んだうえで書かれているのかどうかも不明だし、もし仮に読まずに書いているのなら酷い話だと思う。
6. 門前の小僧 — July 27, 2011 @19:37:16
>
>と書かれたら、普通は「そういうことで判定されてもなぁ」と思いますよw
菊池さんが、「文学として素晴らしい「これはペンです」を芥川賞に選ばないのはおかしい」という主張をすれば、上記の「その自信はちょっとどうかな・・・・」という批判が出てくるでしょうし、それに対して「そういうことで判定されてもなぁ」というような批判(感想?)もあまり出ないのでは?
もし菊池さんが、「私は村上龍氏より優れた文学センスを持っている」なんて言ったら、多くの人に笑われるでしょう。
7. yamaguchi — July 27, 2011 @19:57:07
8. zorori — July 27, 2011 @22:47:45
まあ、これは文学の評価の問題ではないですね。「DNAについての記述が不正確」なことが文学として欠点なのかどうかは、文学者や読者が判断すべきことでしょうが、「DNAについての記述が不正確」かどうかは、生物系の研究者が適任ですね。
「これはペンです」が受賞に値するか否かには興味がなくても、実はDNAについての正確な記述が不正確と一般の人に誤解されることは、不正確な記述が正確だと誤解されること同様に、生物系の研究者にとっては困ったことだと思います。
文学の評価とは切り離して、不正確かどうかはっきり決着を付けられないものかと思います。
9. 技術開発者 — July 28, 2011 @08:24:15
>「これはペンです」が受賞に値するか否かには興味がなくても、実はDNAについての正確な記述が不正確と一般の人に誤解されることは、不正確な記述が正確だと誤解されること同様に、生物系の研究者にとっては困ったことだと思います。
う〜ん。なんか違うような気がします。それは作者や作家の問題ではなく読み手のリテラシーの問題じゃないかな。低レベルな例えで言うと、TVの時代劇には、当然だけどきちんとした江戸時代の文化から見るとおかしな事が一杯あるわけですね。きちんとした既婚婦人がお歯黒をしていなかったり、馬が蹄鉄の音を立てていたりとかね。私は人に江戸時代の話をする事もあるけど、「既婚婦人はお歯黒をしました」という話をして、「時代劇ではお歯黒なんてしていないから、あなたの言う事は間違っている」なんて人にあった事がありません。つまり、多くの人が時代劇を楽しみながら、それは実際の江戸時代の風習とは異なるドラマとして楽しんでいる訳ですね。文学作品の記述で生物学を勉強するような意識をもつのは読み手のリテラシーの方が問題に思えます。
SF作品に関して云うと、例えば安部公房の「第四間氷期」とかには、その当時の科学知識から見ても「おかしい」面はあるんですね。彼はその当時ルイセンコドグマの影響を受けていたということも言われていますからね。じゃあ、彼の「第四間氷期」が文学的に駄目かというそういうものでもないと思います。なんていいますか、文学というのは作者の世界に読者を引っ張り込む力を必要とする訳で、自然科学的な事柄の記述の不正確さが問題になる場合というのは、その不正確さが「引っ張り込むのを邪魔をする」なら文学的に問題であるというだけだろうと思います。
考え方としては選考委員の過半数を自分の作品世界に引っ張り込む筆力が無かったというだけの事なのだろうと思います。そして、引っ張り込まれなかった選考委員の一人が「自然科学的な事柄の記述の不正確さが自分が引っ張り込まれるのに邪魔になった」と言っているだけではないでしょうか。
「自然科学的な事柄の記述の正確さが自分が引っ張り込まれるのに邪魔になった」と言われたら納得できるけれど、「自然科学的な事柄の記述の不正確さが自分が引っ張り込まれるのに邪魔になった」と言われたらなんか納得できないものが残る、ってだけなのかなぁ、と。
11. element — July 28, 2011 @10:16:17
ちょっとした疑問なのですが、
この記事にコメントなさっている方々は、当作品を読まれたのでしょうか?
読んでいないとしたら、憶測の上に二重に憶測を重ねて発言なさっているわけで、それこそ「酷い話」になってしまいますね。まさかそんなことは無いと思うのですが。
まず、前提として、「これはペンです。」のDNA記述に間違いはありません。これは、京大阪大の現役生物学研究者が『査読』により太鼓判を押しています。
「いや、経歴で判断するのがおかしい!彼ら日本を代表する現役研究者の渾身の査読よりも、村上龍の15年前(ヒュウガウィルスの時に勉強した、だそうです)のお勉強の成果の方が正しいかもしれないじゃないか!」と思われる方がもしもいらっしゃるとしたら、
…………その、ありとあらゆる可能性を検証することは大切ですが、それはそれとして日本の科学の未来が少々心配です。
『科学』が10年一昔進歩がないなら、あんなに世の中に論文誌はありません。
『15年前に勉強した』知識で、相手の『間違い』(科学的に誤りを指摘する上でもっとも強い表現です)を指摘できるという発想が、そもそもサイエンティフィックでありません。
そして実際、その知識は誤っていたわけです。
村上龍氏の問題点は以下です。
・『15年前のお勉強』で、科学者の書いた小説の『科学的間違い』が指摘できる、と思ってしまった、見識の無さ
・その誤った知識をたてに作品の評価を不当に貶め、審査の内容を歪めた
・更に、その誤った知識をラジオでも標榜し、作品の名誉を毀損した
・その後、村上龍氏の誤りが各研究者から指摘されたが、今に至るまで上記の行動に謝罪なし
・読めば分かることだが、そもそも「これはペンです。」の該当箇所は、仮に知識が間違っていたとしても、「当該人物が誤った認識を持った」として十分成立する。作品の本質としてクォリティを左右するような箇所ではない。
・件の村上龍氏のラジオによると、氏は「設定が誤っているのはSF作品として致命的」として本作品を批判した。
「作品がつまらなかったから設定の細かな粗が目に付いた」という論ではない。
そして、その設定は誤っていないわけだから、この論は根底から崩れ去る。
科学というのは、普遍を求めるから科学なわけで、そこで「センス」のような要素は少なくなります。
「どれだけ勉強したか」でその人の知識は把握できます。つまり、経歴である程度把握可能です。
理学博士号もちでバリバリ論文読んで『科学』と関わった人に、
「小説を書くのに勉強した」門外漢が「お前『間違ってる』んだよ!」と言いだしたら、「…いや、その自信はどこから…?」と言いたくなってもおかしくはないでしょう。
そこで「芥川賞に関する知識」「文学に対するセンス」なんてものを例に挙げるのは、少々揚げ足取りに思えます。
12. symbioticworm — July 28, 2011 @19:14:31
ちょっとした疑問なのですが、村上龍氏は該当作品が現役研究者から査読を受け通過していたことを、選考以前に知っていたのでしょうか?
そうではないなら、生物系ではないながらも自然科学プロパーである円城氏の経歴を考慮すれば依然として勇み足の感はあるけれども、村上氏が己の知識と信ずるところに基づいて「間違いだ」と指摘したこと自体は、結果的に指摘の方が間違いだったとしても、そこまで強く否定できるものでもないように思います(できれば選考の場で指摘する前に、専門家の裏付けを取る努力くらいはしてほしかったけれど)。
ある自然科学分野で博士の学位を取った人間でも、専門外の領域ではあまりに杜撰な間違いをするというケースもそれほど珍しくはないことですし。
結局今回のケースでも村上氏の指摘は勘違いに過ぎない、そうでなくともとても文学的な瑕疵とは程遠いというのがほぼ確定的となった以上、間違いの謝罪と否定的な評価の撤回(基本的にはそれで済む話だと思いますし)は可能な限り迅速にお願いしたいところではありますが、人間の常として「中々引っ込みがつかない」感情がある以上、現時点ではもう少し時間を与えてもよいのかなと自分は思います。
余談ではありますが、かのアンドレ・ジッドも、マルセル・プルースト(!)の持ち込み作品に対して「骨の名前が不正確」として即座に却下したことがあるそうです。
もっとも後にジッドも態度を改めプルーストの実力を認めて謝罪することになるのですが……。
13. ピュア — July 28, 2011 @19:24:36
> まず、前提として、「これはペンです。」のDNA記述に間違いはありません。
では、あなたが「これはペンです。」のDNA記述について正しいと思った箇所の中で、プライオリティの高いもの5つを箇条書きで引用してください。(あなたが勝手に考えるプライオリティでいいです)
「これはペンです。」読みましたが、まるでピカソの前衛的な抽象画ですよ。ぐちゃぐちゃした文で何が書きたいのかさっぱり伝わってこない。ピカソの絵に価値があるように、「これはペンです。」にも立派な価値があるのかもしれないが、その難解さ(科学的な難解ではない。前衛芸術のような難解さ)を一切解説せずに「正しい正しくない」なんて言っても
極端な話、言葉遊びでしか無いと思う。
ピカソの描いた象の抽象画は正しいか正しくないかという問に、どういう基準で正しいと言っているのかその判断基準を抜きにして話を進めても、言葉遊びでしか無い。
「科学的に正しい正しくない」という話ではなくて、幼稚園児の落書きみたい前衛芸術をどう解釈すれば正しい正しくないという議論に持っていけるのかみたいなことです。
難しい話なので理解できない人もいると思うけど。
文学としての評価なら、好きにすればいいので。
円城塔を読めない人も認めない人もいることは、SF大賞の選評でよくわかっています
そうではなくて、あたかも「科学的に不正確な記述」が賞の審査において決定的であったかのように村上龍氏が言っていて、しかし、研究者は「不正確なところはない」と言っている、という一点です。
15. yamaguchi — July 28, 2011 @19:07:31
> この記事にコメントなさっている方々は、当作品を読まれたのでしょうか?
> 読んでいないとしたら、憶測の上に二重に憶測を重ねて発言なさっているわけで、それこそ「酷い話」になってしまいますね。
読んでいませんが文学論の話ではありません。仮に読んでいたとして、村上龍氏に対して文学論を戦わせるなんて不可能です。
問題は村上龍氏が円城塔氏のDNA記述にダメを出したという事だけです。
> まず、前提として、「これはペンです。」のDNA記述に間違いはありません。これは、京大阪大の現役生物学研究者が『査読』により太鼓判を押しています。
それは、どなたがどの部分に対して太鼓判を押しているのでしょうか?
そしてelementさんは、「その査読」に同意しているのですね?
ビデオでは村上龍氏はDNAに関する記述としか言っていませんが。
> 村上龍氏の問題点は以下です。
> ・『15年前のお勉強』で、科学者の書いた小説の『科学的間違い』が指摘できる、と思ってしまった、見識の無さ
15年前のお勉強以降、お勉強をしていないとは言っていないと思うのですが(勿論しているとも言っていません)
> ・その誤った知識をたてに作品の評価を不当に貶め、審査の内容を歪めた
だから、これは成り立ちますか?
> ・更に、その誤った知識をラジオでも標榜し、作品の名誉を毀損した
これは、その通りだと思います(標榜というかどうかは別にして)。
> ・その後、村上龍氏の誤りが各研究者から指摘されたが、今に至るまで上記の行動に謝罪なし
各研究者の指摘を知りたいので、URL等教えていただけませんか。
> ・件の村上龍氏のラジオによると、氏は「設定が誤っているのはSF作品として致命的」として本作品を批判した。
ビデオでは、ディテールの誤りと言っていますが、設定の誤りとは何でしょう?
山田詠美さんの会見にある「彼が思っている種類のことは決して小説になると彼が思っている種類ではないとおっしゃっている方がいました。」という部分でしょうか?
ラジオを聴いていないので、質問ばかりですみません。
16. yamaguchi — July 28, 2011 @19:47:48
>> ・更に、その誤った知識をラジオでも標榜し、作品の名誉を毀損した
> これは、その通りだと思います(標榜というかどうかは別にして)。
村上龍氏が、箇所を明確にしないという意味で同意です。
17. zorori — July 28, 2011 @22:30:13
>「これはペンです。」読みましたが、まるでピカソの前衛的な抽象画ですよ。ぐちゃぐちゃした文で何が書きたいのかさっぱり伝わってこない。ピカソの絵に価値があるように、「これはペンです。」にも立派な価値があるのかもしれないが、その難解さ(科学的な難解ではない。前衛芸術のような難解さ)を一切解説せずに「正しい正しくない」なんて言っても極端な話、言葉遊びでしか無いと思う。
私は当該作品を読んでいませんが、何となく仰りたいことは分かります。円城塔氏の作品は以前に読みかけましたが難解すぎて途中で読むのを止めました。まさに、「正しい正しくない」なんていっても仕方ないようで、村上龍氏の論評は的外れもいいところという気もします。でも、読んでいないので文学論についてはあくまで憶測です。
18. ピュア — July 28, 2011 @23:11:33
> 村上龍氏の論評は的外れもいいところという気もします。
むしろ『読んだ生物系の研究者は「不正確なところはない」と言っているようだけど』こっちの方が問題だと思います。
日本の科学者の体質が『裸の王様』になっているんじゃないのか?と危惧します。
私の言いたかったことはそういうことではないです。あの文は職業差別じゃないのかと、そういうことが言いたかったんですよね。
職業差別が駄目というのではなくて、菊池氏は職業差別を推論の根拠にしてそこで思考停止していますよね。だから多分『自分で読んでみる』という行動をしなかったんじゃないのかな?ここは私の想像も含まれていますが
20. 門前の小僧 — July 29, 2011 @00:24:22
どの文がどの職業をどのように差別している(とピュアさんが感じている)のか教えて下さい。
私には本エントリで菊池さんが職業差別をしていると思う箇所が全くなかったので、残念ながら上記の文章を理解できませんでした。
21. ピュア — July 29, 2011 @01:03:47
該当するのは
> 村上龍氏は円城塔よりDNAに詳しいという自信があるのだと思うけど、円城塔の経歴を知っている人間からすると、その自信はちょっとどうかなという気がする。
この文+『これはペンです』を読まなかったとしか思えないブログ全体ですね。おそらく菊池氏は『小説家にDNAなんて分かるはずがない』と思ったのでしょう。だからこそ彼は『これはペンです』を読まなかった。と想像しています。
科学的に不正確なのか不正確でないのかだけの話をしています。
ちなみに僕は村上龍の「ヒュウガ・ウィルス」を非常に高く評価していますが、その評価に科学的に正しいかどうかはほとんど関係ありません
23. ピュア — July 29, 2011 @01:17:12
DNAの記述について、細部が間違っているからいけないと言うなら、まずその間違いをきちんと科学者も納得できる指摘をした上で、こうでなければならないと結論すべるべきでしょう。その上で文学的価値について言及すればよい。
しかし村上はそれをせず、自分の科学知識が正しいという前提だけで、選考会において円城の作品にだめ出し発言をしたと受け取れるビデオ内容です。
中身が虚構であれ事実であれ、読んだときに心が揺さぶられるのなら、その小説は文学として成功している。文学とはそんなものではないでしょうか。小説がすべてノンフィクションである必要はありません。
日本沈没は地殻変動のディテールは大間違いですが、作品としては成功しました。たとえばこれについて、科学的には日本は沈没せずむしろ隆起して行くはずで、沈没してしまうのは科学的に間違いだからだめ、という論評があったとすると、私はこれを難癖だと思います(冥界の小松左京に黙祷)。
きくちさんは当該作品はお読みになってないでしょうし、読まれる必要もありません。村上龍の発言は難癖のような気がするな、文学賞というのは科学的正確さに依存するのかな(その科学知識もちょっと怪しそうだけど)、と疑問を書かれているだけなので。
25. symbioticworm — July 29, 2011 @02:25:11
菊池氏は「小説家にDNAがわかるはずがない」とハナから断じておられるわけではないでしょう。
白か黒かの決めつけではなくて、DNAの記述について「勉強した作家」と「専門外ではあるが科学者」の間で相異なる意見が出された際、自身の知識のみでは最終的な判断に窮する第三者は、どちらの意見をより重く取るのか。
これはなかなか微妙なところで、人によっては後者を尊重することがあっても(それが必然だとは言いませんが)、それは差別と断定できるようなものではない。
ましてや現役の生物研究者の査読を問題なく通過したという事実も後から加わったとあれば、作家側の意見により強い疑問を呈すのも、まるで理のないことではありますまい。
おそらく円城氏の経歴を深く知らなかった村上龍氏が己の知識に自信を持って「記述が不正確」と指摘したことも、また菊池氏があくまで「円城塔の経歴を知っている人間」として村上龍の指摘に対し「その自信はちょっとどうかなという気がする」と書いたことも、どちらも差別のない妥当なものだったと自分は考えます。
書いたとおり、円城塔の経歴を知っている人間には非常に奇異に感じられるということです
27. ブランク永井 — July 29, 2011 @09:46:57
>う〜ん。なんか違うような気がします。それは作者や作家の問題ではなく読み手のリテラシーの問題じゃないかな。
私は違わないような気がします。ここでの一般の読み手に要求されるリテラシーは「DNAに関する記述が正確かどうか」を判別できる能力ではなく、村上龍氏の評をもとに「その記述が不正確である」として捉えてしまう程度の能力でしょう。
これは単なる事実認識の問題であって、「文学作品の記述で生物学を勉強する意識を持つかどうか」にはあまり関係がありませんから、「額面上は」zororiさんの言われるように、生物系の研究者にとって困ったことには違いありません。いずれにせよきくちさんの主題からは脱線していますが。
フィクションというのは「嘘」ということですから。
それは初めから前提としていますよ。zororiさんの以下の書き込みとそれに対するコメントに対して書いたことですから。
>「これはペンです」が受賞に値するか否かには興味がなくても、実はDNAについての正確な記述が不正確と一般の人に誤解されることは、不正確な記述が正確だと誤解されること同様に、生物系の研究者にとっては困ったことだと思います。
30. SF物理マニア — July 29, 2011 @12:49:47
>文学なので正確だろうが不正確だろうがどうでもよいです。
>フィクションというのは「嘘」ということですから。
村上龍氏は不正確だとかディテールが駄目だとかいう批判を展開していましたが、菊池さんが言うようにフィクションですからこのようなこだわりは妥当でないと思います。
推薦者は面白いいうことでしたが、村上龍氏の趣味に合わなかったというところでしょうか?
科学そのものも、竹内薫氏が言っているように最も有力な仮説ということなので現在の有力論であっても仮説にすぎないということです。
31. SF物理マニア — July 29, 2011 @16:20:42
http://togetter.com/li/163954
>村上龍ビデオみた。
>1.実験的な作品ではディーテール大切。そこに、間違いがあれば致命的。
>2.円城塔作品のDNA記述は不正確。
>3.よってあれは不合格。
1項からして、このような必要性があるとは考えにくい。
村上龍の恣意的な条件に思える。
2項は、円城塔氏ご本人のTogetterから
http://togetter.com/li/166455
>ああ、なんかわかったよ。スクラッチしたDNAがウイルスたりうるかが問題とされたのね、きっと。
これも不正確とは断定できません。
32. ピュア — July 29, 2011 @19:22:32
> 「これはペンです」を実際に読まれたうえでの感想ですか?
これにきちんと回答すべき。今回の場合「これはペンです」を読んだか読まないのかは非常に大きな意味を持つ
2:「これはペンです」がゴク普通のSFなら菊池氏の主張も十分に成り立つ。しかし「これはペンです」はあまりにも特異すぎる。どう特異なのかは #17 に書いているが、私のヘタな説明で理解できないのなら自分で読んでみて欲しい。そうしない限り話が噛みあわないし、そういう事をサボルのであればこの件に関してこれ以上話しあうつもりはない。
3:例えばですよ、あるブログで『科学と神秘のあいだ』に書かれている内容は科学的に正しいのか間違いなのかの討論がされていたとしましょう。しかし、討論の参加者は『科学と神秘のあいだ』を1ページも読んでいない。こんなブログがあったら、あなたならどう考えますか?
こんなバカげた事を影響力のあるブログでやられたら、円城塔氏も迷惑だと思いますよ。
33. symbioticworm — July 29, 2011 @19:00:56
>小説家にDNAがわかるはずがない、なんてことはひとことも言っていません。そもそも円城塔も小説家ですよ。小説家同士の比較にすぎない
>書いたとおり、円城塔の経歴を知っている人間には非常に奇異に感じられるということです
そうですね。両氏を等しく「小説家」として見、その上で+αとして円城氏の経歴を考慮した場合……というシンプルな話だったのであって、またそう考えると自分の先のコメントも、村上龍氏の「作家」性と円城氏の「科学者」性をそれぞれいたずらに強調したきらいのある、いささか不当な記述でした。失礼いたしました。
※あと、「ハナから断じておられるわけではない」という部分も、本来の自分の意図ではないものの、きくちさんが「最終的には断定している」かのようにも受け取れる書き方であったように思いますので、こちらも重ねて訂正の上お詫びします。ごめんなさい。
> きくちさんは当該作品はお読みになってないでしょうし、読まれる必要もありません。
ひょっとして他の人もこの意見に賛同しているのでしょうか?それは真剣に作品を作られた円城塔氏、真剣に作品を評価された村上龍氏に対してあまりにも失礼な行為だと思いますよ。
35. かとう — July 29, 2011 @22:07:50
そういう問題ではないです。
『文学作品の評価に、科学を持ち出すのがどうかしている。』
と、それ以上もそれ以下も言ってません。
なので、該当作品を読んだかどうかは無関係です。
36. ピュア — July 29, 2011 @22:25:24
> これを聞くと、少なくとも村上龍は円城作品が芥川賞に値しない最大の理由は「DNAについての記述が不正確だから」だと言っているように思える。
>
> もちろん、そういう価値観はあっていいし、実際不正確な記述で興醒めになる作品はあると思う。それはまあ、作品の種類による。SFだって嘘ばっかりだ。それが気になるか気にならないかは作品の種類と読者の期待との関係だから、「気になるのはおかしい」というわけにはいかない。
>
> しかし、それは本当に記述が不正確な場合で、では円城作品は本当に不正確なのか。
どこをどう読んだら『文学作品の評価に、科学を持ち出すのがどうかしている。』という話になるのですかね?
37. SF物理マニア — July 29, 2011 @23:13:05
〉35. かとうさん
〉・・・
〉どこをどう読んだら『文学作品の評価に、科学を持ち出すのがどうかしている。』という話になるのですかね?
すみません。カトウさんの代弁です。
>1.実験的な作品ではディーテール大切。そこに、間違いがあれば致命的。
>2.円城塔作品のDNA記述は不正確。
>3.よってあれは不合格。
村上龍の判定ロジックは、上記1〜3の3段ロジックですが
1項の前提条件がおかしいので、破綻しています。
2項以下がどうあろうと関係がありません。
2項も具体的でないのでどこが悪いのか不明です。
まあ単に趣味の問題であったら、単に好みでないといえばいいと思います。
38. ピュア — July 30, 2011 @00:18:43
> すみません。カトウさんの代弁です。
カトウさんの代弁ということは、かとう氏の発言『文学作品の評価に、科学を持ち出すのがどうかしとる。』に関わる話なのですかね?SF物理マニア氏の意見はかとう氏の発言と一致しているように見えないのですがね・・・
1:普通のSF小説ならSF物理マニア氏の意見でもいいかと思う。しかし「これはペンです」はそんな常識からはみ出している作品ですよ
2:異常にディーテールにこだわる人はいる。黒澤明氏もその一人です。
黒澤明氏の逸話
妥協を許さない厳しい演出はことに有名で、何カ月にもわたる俳優たちの演技リハーサル、スタッフと役者を待機させながら演出意図に沿った天候を何日も待ち続ける、カメラに写らないところにまで大道具小道具を作り込む、撮影に使う馬はレンタルせず何十頭を丸ごと買い取って長期間調教し直してから使う、ロケ現場に立っていた民家を画に邪魔であるとして立ち退きを迫ったなどなど逸話は多い。
> >1.実験的な作品ではディーテール大切。そこに、間違いがあれば致命的。
> 1項の前提条件がおかしいので、破綻しています。
村上龍氏が「これはペンです」に対してディーテールを求めた事に意義があるのなら、SF物理マニア氏は「これはペンです」をどういう視点で見てどう評価したのでしょうか?前衛的な芸術は一般論的な評価ができない。ある人の100点の答えが別の人にとって0点になる世界です。その部分が理解できていないとしか思えない。
「これはペンです」を読んでいないんでしょ
「これはペンです」は読んでいません。読む暇もありません。
しかしながら、前にも引用している関連Togetter等を見れば、状況はわかります。
前にいったように、村上龍は単にこの作品がかれの趣向に合わなかっただけで、それを妙な論理で置き換えて説明しているのがまずい。
下馬評記事をみても、ピュアさんが言うような前衛的なSF作品とは書いてないです。
http://news.ameba.jp/20110704-40/
▼一部抜粋
文學界新人賞受賞のデビュー作「オブ・ザ・ベースボール」に続いて二度めの芥川賞候補入りを果たした円城塔の「これはペンです」は、所在不明のヘンテコな叔父さんと手紙をやりとする姪の物語。問題の叔父さんは、論文の自動生成プログラムを開発し、論文と大学の卒業証書をセットで売る商売で財をなした愉快な人物。文章を書くことをめぐるヘンテコな手紙ばかり送ってくるが、家族の中で、語り手の姪だけはきちんとその相手をしてやっている(ので、母親からは感謝されたりする)。
帰ってこない叔父について研究する小説といえば、「オブ・ザ・ベースボール」が落選した回の芥川賞を受賞した諏訪哲史「アサッテの人」がまさにそれだが、本編は「アサッテの人」への返歌とと言えなくもない。
大学生の姪が語り手ということもあり、従来の円城作品にくらべると非常にとっつきやすく、リーダビリティの高い仕上がり。今回は意外と受賞可能性が高いのではないか。
40. moorhen — July 30, 2011 @11:48:09
>『文学作品の評価に、科学を持ち出すのがどうかしている。』
私は件の小説どころか村上氏の発言すら見ていませんので、以下の意見はノイズかもしれません。
もしかしたら、村上氏の発言の意図は、事実とは異なる描写(しかも作者がよく知っていると思われる分野で)には作者の意図があるべき、ということではないのでしょうか。
例えば日本人が書いた大阪が日本の首都という設定の小説があったとして、そのことが作中で一切何の意味も効果も持たなかったら、作品として欠陥があると感じるでしょう(いっぽう遠い外国にいる人が書いた小説なら、単なる勘違いと判断して、作品自体の評価とは切り離すだろう)。
したがって、単なる興ざめという以上に、科学的不正確さが文学作品の価値を下げてしまう状況はありうると私は思います。
もちろん、そういう状況においては選考委員の科学的知識の正確さが求められるという点は、きくちさんに同意します。
41. zorori — July 30, 2011 @11:37:42
「これはペンです」の論評をするなら、読まないと拙いですよ。
なお、このエントリーはそれがテーマではありません。
42. disraff — July 30, 2011 @12:15:12
ここでされている議論は「ある書物の内容は科学的に正しい」という科学者と「正しくない」という一般人のどちらに信をおくか、という話ですね。「ある書物」が何であれ、科学的な判断は科学者の方が正しいだろうと考えます。科学的に正しい判断をしてもらうために社会は科学者に給料を払っているわけですから。
もしも「前衛芸術的な読み方をすると語句や文章の意味が根本的に変わるので、見た目正しい記述でも正しくなくなるのだ」ということでしたら「そうですか…」としか言えませんけど。
43. K — July 30, 2011 @13:51:30
ここで議論に参加している方はそれくらいは読むべきだと思います。
そして、円城氏の作品にしては珍しく極端に前衛的ではありません。
これが駄目なら村上春樹の初期短編すら、読めないでしょう。
基本的なストーリーは謎の叔父から届く、手紙から叔父の正体を探ろうとしている姪の話です。
叔父の手紙を色んな形で解析するうちにDNAの記述が出て来るといった内容です。
読んでもいないのに議論に参加されている方がいるという時点で、呆れ返ってしまいます。
45. Toshi2100 — July 30, 2011 @17:21:38
トピックの主題とは直接関係の無い点が重要であると殊更強調するとか、ブログ主に読んだか否かを問うところとか...
そのうち「きくちさんだけ返答してください」とか言い出さなければいいけれど...
やっぱりするーか検定なのだろうか?
46. K — July 30, 2011 @18:27:02
読んでないのに内容がわかると発言している人や、読む必要がないっていっている人はエスパー?
それとも適当にヤマ勘で言いたいことだけを無責任に言い散らして逃げてるんでしょうか?
読んでないのに、どうして記述箇所が正確か不正確か判断できるのでしょうか?
不思議でなりません。
全くばかばかしいです。
47. disraff — July 30, 2011 @18:33:02
48. captnemo — July 30, 2011 @19:29:06
個々の作家、選考委員が、自分は林真理子とは違うとおもっているのは、それでもいいが、賞事務局は、事実関係に係る評が出そうなときは、警戒すべきだろう。
私が問題にしているのは、以下の村上龍のコメントです。
それぞれに#で私のコメント示しておきます。
1.実験的な作品ではディーテール大切。そこに、間違いがあれば致命的
# これは、村上氏作パラレルワールドを扱ったSFであるヒューガウィルスでは当てはまるでしょう。
しかし、パラレルワールドやハードSF以外のSFやその他の小説に関して当てはまるとはいえない。
「これはペンです」に当てはまるかどうかは、明らかでない。
村上龍は、自身の作がこのような前提で書いたものだから、文学的価値として円城塔の作品もそのようにしなければならないと思い込んでいる。
2.円城塔作品のDNA記述は不正確
# これは具体的な説明がなく、どこが間違っているのかわからない。
円城氏も問い合わせをしたようであるが明確な答えはなかったという。
もし、1項からの思い込みでこのようなコメントをしたのであれば、村上龍の誤りである。
以上
P.S. 本を読めという皆さんは、問題の本質を捉えてくださいね!
50. ピュア — July 30, 2011 @21:13:18
#43.Kさん。『これはペンです』は前衛的でないですか・・・
あの作品は既存の評価の枠組みが単純に当てはまるようなものとは思えないし、村上龍氏もこの作品に対して「実験的」と言っていたような気がしますし・・・・・・これに関しては建設的な議論にはならないような気がするので、ここで止めておきますが
51. ピュア — July 30, 2011 @21:29:31
『これはペンです』がゴク普通のSF作品ならSF物理マニア氏の発言は全て正しいです。『これはペンです』は普通の作品ではありません。どこがどう普通でないのかは、自分で読んでみてください。
以上
52. ブッダ派 — July 30, 2011 @20:46:28
文壇勢力図から判断するに、豊崎社長と大森望さんが円城さんを激賞しているのを芥川賞選考委員の面々が嫌って、村上龍の意見に加担したというのが今回の顛末じゃないでしょうか。池澤夏樹が芥川賞選考委員を止めなかったら、次回の芥川賞は「道化師の蝶」で円城さんが芥川賞作家になっていただろうになあ、、、というのが文学バカたちの妄想ではあります。
53. K — July 30, 2011 @22:28:06
そこを読まないで推測で議論している人がいる時点でおかしいと感じ酢方が正常でしょう。
円城塔氏の書いた、科学の情報箇所の書いてある箇所くらいは読むべきですよ。
村上龍氏が間違っていると感じた箇所すら読まずに、議論できると思い込んでいる人は、何を根拠に語っているのやら。
全くアホらしいですね。
55. com — July 30, 2011 @22:53:10
どうでもいいのですが、(誰も言っていないような)極端な二元論とか、言いたい放題書く割に他人からの(重要な)問いかけには返答しない…等、「ご兄弟」臭がしますね。
#あ、皮肉でも何でもなく、同類項、程度の意味です、ハイ。
というか、このnet上の書き込みで、「あなたは読みましたか?」「はい」と問いかける意味がどれくらいあるのか。それを確認するすべはないし、その「はい」の信憑性を担保するのは、結局過去の書き込みからの推察に過ぎないし…
#そういった意味で、Kさんが圧倒的不利であること、もっと自覚すべきなのですが^^;
まぁ、新しい方はご存じないのかもしれませんが…きくちさんご自身にSFについてあれこれコメントするのは、ある意味きくちさんのご専門の学問についてあれこれコメントしているのと同義なのでは…と、古い人であるcomなんぞ、思ってしまうわけで。
56. 門前の小僧 — July 30, 2011 @23:00:14
> 村上龍氏が間違っていると感じた箇所すら読まずに、議論できると思い込んでいる人は、何を根拠に語っているのやら。
現役の生物研究者が読んで「不正確なところは無い」と言っている事ですね。自分で読んで判断するよりよっぽど正しい判断ができるでしょう。
逆に、Kさんは一介の素人が当該箇所を読んだだけで議論できると思い込んでいるようですが、その自信の根拠は何ですか?
仮にKさん自身がDNAに詳しいとお考えであれば、何がどう間違っているのか具体的に書き込んでみてはいかがでしょうか? ただ、現役の生物研究者が「不正確なところは無い」と言っている事柄に対して。一介の素人が間違いを見つけることは相当に難しいとは思いますが。
57. 岩井 — July 30, 2011 @23:05:08
さて、
ピュアさんwrote :
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1311650781#CID1311940738
>それは真剣に作品を作られた円城塔氏、真剣に作品を評価された村上龍氏に対してあまりにも失礼な行為だと思いますよ。
村上が真剣に作品を評価したというのは、その通りかもしれません。ただ、村上は評価するのに文学とは違う物差しを持ってきてしまったのではないか、ということ。それは文学を批評する態度ではありません。
さきのコメントにて、私は小説には科学的な正確さは必要なく、すべてが嘘っぱちでも全然問題はない、ということを書いたつもりでしたが、お分かりいただけなかったようですね。
いうならば村上の発言は、グルメレポーターが『京料理に羅臼昆布を使うのは間違いで、出汁は利尻昆布で取らなくては料理として認められない』と言い放ったようなものです。お分かりですか? 材料が羅臼でも利尻でも、料理は美味しければそれでいい。食材を峻別できる味覚をもった者でなければ料理を食べてはいけないという法はない。文学も同じです。
このエントリの趣旨はそういうことだと理解しております。
次に円城のことですが、円城が真剣に作品に嘘を塗り込める作業をしていたとしても、それを読む読まないは読者の勝手です。そもそも円城作品について、このエントリでは批評されていませんし、私も批評しておりません。
たとえ話の流れでピュアさんの主張を言い換えると、村上が「真剣に」批評したその料理は、円城が「真剣に」作り上げたのだから、村上の批評が当たっているのかどうか、いちど味わって確かめろ、とおっしゃるわけですね。
よけいなお世話です。
私には読むべき本が多すぎて、とてもかの本を読む気にはなりません。そして、もし私が科学知識を得たいときは、小説なんぞよりよほど優れた書物が数多くありますから、そちらを選びます。
ほかの方のことは存じませんが、私には円城の作品を読まねばならぬ義理など、まったくありません。それを読まねば作者に失礼だと言い募るピュアさんのほうが、よほど失礼です。
ともかく、ピュアさん(だけでなく「まず円城の本を一読せよ」と主張なさる方々)はもうちょっと読解力を高めてください。私ももう少し分かり易い文章を書けるよう、精進しますから。
58. disraff — July 30, 2011 @23:20:39
さて今回の件で、「記述が科学的に正しいか否か」がとある小説の評価にあたって意味を持つ、「科学的に正しくない」のは重大な欠点だ、としたのは村上龍氏のようです。もしそうであるならば、その「科学的に正しくない」に対する専門家からの批判に頬っかむりを決め込むのはとうてい「真剣な」批評姿勢とは言えません。
何のことか、よく分からないと思うんだが
例えば、地図の中で、略図は比較的不正確な地図であると言える
「ディテールを記述していない」という意味で、不正確と言って
いるのかもしれない
60. かとう — July 30, 2011 @23:48:17
また、ディテールが駄目でも素晴しい作品もあります。
選考するのであれば、“その作品内にそのディテールが必須であり”、それが科学的に間違っているという話なら解らなくもありませんが、前段をすっ飛ばしたら文学賞の意味がありません。
ましてや、生物学者から見て科学的に正しいと指摘されているのであれば、ここは「論評で科学的云々の発言は取り下げる。ただ、僕の感性としてこの作品は芥川賞に値しない。次回以降を期待している」と言えば、少なくとも科学をやってる人からは、村上氏の評価は上がりますね。
61. loh — July 31, 2011 @01:45:21
見ない絵をみて、こうだったのではないかというだけでは結論は出ないように思えます。
62. K — July 31, 2011 @01:50:26
医者の作家でも、平気で医学的におかしいことを書いていることなんてあるでしょう?
それはさておき、円城塔氏がどう描いたか読みもしないで、ただしいとか間違っているとか断言できるのはやっぱりおかしいでしょ。
「これはペンです」は違いますが、円城塔氏は男が子宮がんになったり、時空列が意味をなさないヘンテコなSFを書く人なのでDNAというものが急に人格を持ち始めたとか位書いてもおかしくない人です。
読んで記述箇所(数行ですよ)を見もしないで全てが分かる人は傲慢としか言いようがないですね。専門的知識をたとえ読者が持ち合わせてなくてもその箇所をもとに調べることも可能です。
そのうえで分からない場合はわからないとすべきでしょう。
読まないでわかったという人は、傲慢で、そのような人に科学も文学も語る資格はないと思います。
読まない本の選評が書けますか?批評が書けますか?
何が正しい、間違っているとわかるのですか?
その糸口すら見ることはできないでしょう。読む暇もないというのに、ここに書き込む暇があるというのも変な話ですね。
呆れてしまいますよ、まったく(やれやれ)
63. zorori — July 31, 2011 @07:18:54
問題にされている不正確かどうかは作品を読まなければ分からないわけですから、さらに円城塔の作品も読んだ方が望ましいです。でも、DNAの素人が読んでも判定は出来ないことは門前の小僧さんの仰るとおりでしょう。それが出来ると思うのは村上氏と同じ勘違いをしていることになります。
余力があれば読めば良いでしょうけど、必須とは思いません。
でも、作品の評価をしたい人は読んでください。
ちゃんと読んでない議論に口を挟むな、と何度も言ってるのに。いったいいつになったら、「作品の評価をしてるわけではない」という事がわかるのでしょうか。
誰が「全てが分かる」などと言っていますか?
誰が「読まないでわかった」と言ってますか?
誰が「読まない本の選評」を書いていますか?批評していますか?
言えるものなら言ってみなさい。
65. 猫耳将軍
— July 31, 2011 @11:28:04
どうしても『村上龍氏は何を不正確だと思ったのか』というお題に対して「該当の小説の全文を読む」という前提が必要なのかが理解できません。
今回のお題を突き詰めると
・村上氏この小説に対して「科学的に間違ってるからダメ」という旨の評価を下したけど、実際には間違っているのは村上氏のほうだった
・村上氏が低い評価を下した理由の大部分が「間違い」だったのだけれど、村上氏の下した低い評価が覆ったわけではない
・村上氏の評価理由の大部分が「科学的間違い」を理由にしたものであり、その「科学的間違い」が間違いだった時点で評価そのものが意味を失う事は明白だ
(・だったら村上氏はこの小説の何が悪くて低い評価を下したんだ?)
という事じゃないのでしょうか?
最後のカッコ内はちょいと意地悪で、村上氏の指摘が間違いだった時点でそんなもの後付けの理由以外にはあり得ないので、実質は上の3つの項目が今回のお題のはずです。
これらのお題について語るために小説そのものを全て読まなくては議論にならない程度にしか理解力の無い方って、このトピックス内にいるのでしょうか?
今回のお題に小説の中身自体は関係ないでしょう?
中身が何であれ、間違った知識をもとに他者の作品を叩きのめして、間違いが発覚したあとも何のアクションも起こしてない事を指摘するのに
小説の中身なんて関係あるんですかね?
おいら自身、ホメオパシーなんて試す気も起きませんし、加持祈祷で病気が治るだなんてちゃんちゃらおかしいわ!というスタンスですが
「実際に試して、専門学校に通って勉強してから言え!」なんて意見は論破された人間の苦し紛れ以外に聞いたことがありません。
こと文学の領域では、そのような暗黙の了解が日常的にまかり通っているのでしょうか?
66. mmj — July 31, 2011 @12:44:23
どんな風に書かれているかどうかは、最低限でも知っておくべきだと思います。
67. K — July 31, 2011 @12:46:28
わたし自身も作品の評価の話をしているわけではありません。
円城氏のDNA表記の内容のも知らないで、正誤の判定をしている人がいるという人がここにいることにまず、呆れ返っただけです。
やれやれ、分からない人は分からないんですねえ。
勝手に無駄な憶測で発言を続けてなさい。
68. disraff — July 31, 2011 @16:21:47
である以上、村上龍氏は、具体的に何をどのように「不正確」と判断したのかを詳らかにした上で、もし円城氏なり「査読」した生物学者なりから要望されれば議論に応じるべきでしょうね。さもなくば、評者として不誠実の誹りは免れますまい。
もっとも、村上龍氏がそのように言いさえしなかったら当該作品が芥川賞に輝いたはず!というわけでもないような雰囲気ですが。
>「科学的に誤り」という趣旨なのか、どうかを気にしている
と読むのはズレてますよ。第一義的には「具体的に言ってくれ」でしょう。
70. yamaguchi — July 31, 2011 @19:47:44
確かに、設定の問題であれば読んでみないと解らない事もあるかも知れませんね。
でも半年前の雑誌に容易にアクセス出来ない環境ではねぇ・・・
まぁ、嫁、嫁って叫ぶお見合いおばさんがこれ以上、跋扈しない事を願うばかりです。
71. よかちゃん — July 31, 2011 @21:09:27
個人的には件の方の小説は、あまり読みやすいとは思っておりません。
初期の一連の作品を読ませていただいてからしばらくして、金子さんの門下と知り、もしかして個人的に知り合いかもと認識し直したくらいです。(けれども、その後は全く読んでおりません)
ですから、もちろんのことながら、今回話題の作品は未読です(すみません)
ただし、たとえば、
http://ci.nii.ac.jp/els/110006825822.pdf?id=ART0008763734&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1312114287&cp=
数年前に寄稿された文章です。(今回の件があって、初めて読みました)
初期作品よりはるかに読みやすいのは、学会誌という性質を考慮した上でのことかもしれません。その上で、内容は、「フィクション」で必ずしも事実を正確に写し取っているものではありません。しかし、「現場の実感」の描写としては、この上なく正しいと思います。(まぁ、現時点で読むと、個人的には、ポストクvsテニュアの二分法は単純すぎて、その間の「期限付きポスト」の深い闇の追求が甘すぎると思いますが、2008年時点の論評としては仕方ないかもしれません)
もし、今回問題になっている描写がそのような類のものであったとしたら、申し訳ありませんが素人の方には評価不可能かもしれません。もしそれがネガティブな材料となって、氏の評価につながったとしたら、(個人的な作品の好悪は別として)大変残念に思います。
該当作品を読まずに論評するのは如何なものかという批判は尤もだと思います。もし全文へのポインタがあればお示しください。そうでなければ、個別に潜在的に問題がある箇所を提示していただければ、この場をお借りして「査読」してもかまいません。
72. ピュア — July 31, 2011 @22:04:57
「これはペンです」(円城塔)新潮2011年1月号より引用
(なお、私が見たサイトは http://tekkamaki.exblog.jp/11837645/
『 叔父は文字だ。文字通り。
だからわたしは、叔父を記すための道具を探さなければならない。普通の道具を用いる限り、文字は叔父とはならないから。彼は文字のくせに人間なのだ。ペンを用いて叔父を書き、それが文字となるならば、いや勿論これは逆なのであり、ペンを用いて文字を書き、それが叔父となるならば、他の文字まで母やら祖母やらいうものなのだとなりかねない。それは困る。面倒だ。面倒なので困ってしまう。』
さて。作品を読まない人は以下の設問に答えてください。
問:この文章は以下のどれに該当するか
1:これはDNAとは関係ない記述である
2:これはDNAに関する記述であり、正しい
3:これはDNAに関する記述であり、間違っている
この作品はこの調子でえんえん続きます。だからこそ村上龍氏も「実験的」「前例のない」みたいな事を言っています。
73. 門前の小僧 — July 31, 2011 @22:54:21
Kさん
> 円城氏のDNA表記の内容のも知らないで、正誤の判定をしている人がいるという人がここにいることにまず、呆れ返っただけです。
本当に一介の素人が「円城氏のDNA表記の内容」を知れば正誤の判定ができると思い込んでいる人がここにいることに呆れ返ります。
ピュアさん
> だからこそ村上龍氏も「実験的」「前例のない」みたいな事を言っています。
それが選外となった理由なら誰も文句を言わないでしょう。
村上氏が選外とした理由は、あくまでDNAの記述が科学的に正しくないという事です。
私には日本語的に難解だからといって科学的な正誤の判断が困難になるとはとても思えませんが、もしかするとピュアさんが拘っているのは、その点かもしれませんね。日本語的に難解だから生物研究社が科学手に間違っているDNAの記述を見つけることが出来なかったと。
だとしたら、村上氏がどの点が科学的に間違ったDNAの記述であるかを示せばすぐに解決する問題なんですけどね。
そのどれでもない。
DNAの記述としては不正確ではない。以上。
75. ピュア — July 31, 2011 @23:19:18
> そのどれでもない。
設問を全く読まずに返答を書いているでしょ・・・
76. ピュア — July 31, 2011 @23:22:52
> 本当に一介の素人が「円城氏のDNA表記の内容」を知れば正誤の判定ができると思い込んでいる人がここにいることに呆れ返ります。
結局みんな『小説家なんかにDNAなんて分かるはずない』って職業差別したいだけじゃん
77. e10go — July 31, 2011 @23:37:22
読んでるけどね。
DNAを理解していれば「DNAの記述としては不正確ではない。」という答えになるよ。
少なくとも、上の1・2・3には当てはまらない。
78. captnemo — July 31, 2011 @23:05:48
1:2:3: のどれでもないと思います。
「これはDNAとは『関係ない』記述である」かどうかは、先を読まなきゃわからない。
もし「DNAと『関係ある』記述」であっても「DNAに『関する』記述」ではない。
このような記述(私には、違和感なく腑に落ちたのですー「本当に困るよね」と)が、延々とつづいたところで、
「実験的」とか「前例がない」とかいうほど、オフビートでも前衛的でもないと思いますが(いかん、作品に踏みこみ、△□♦※§⊕⧺)
だから、ここは、文藝批評をするところではないというのに。
だからわたしは、叔父を記すための道具を探さなければならない。普通の道具を用いる限り、文字は叔父とはならないから。彼は文字のくせに人間なのだ。ペンを用いて叔父を書き、それが文字となるならば、いや勿論これは逆なのであり、ペンを用いて文字を書き、それが叔父となるならば、他の文字まで母やら祖母やらいうものなのだとなりかねない。それは困る。面倒だ。面倒なので困ってしまう。』
設問を変えます
問:この文章は以下のどれに該当するか
1:これはDNAに関係ない記述である
2:これはDNAに関係ある記述である
この作品はこの調子でえんえん続きます。
本当にこの調子で続きます。
80. e10go — August 1, 2011 @00:16:36
>問:この文章は以下のどれに該当するか
それはDNA、というかヒトゲノムについて文学的に表現しているでしょう。
81. Toshi2100 — August 1, 2011 @00:03:01
>
結局みんな『小説家なんかにDNAなんて分かるはずない』って職業差別したいだけじゃん
<
「みんな」の範囲が難しいですが、「DNA分かる人は生物(関連)学者だけである」という表現・主張をしているひとは多分にいるでしょう。しかしながら、ピュアさんおっしゃるような「小説家には云々」という差別をしている・感じているのは、わたしが読んでいる範囲ではお一方だけです。
余談ですが、この構造もちょっと前に見た気がします。
折角なので、
> ピュアさん ― July 31, 2011 @23:55:22
の問いの方も。
私は1と答えます。
念のためですが、最後の2文(「この作品はこの調子でえんえん続きます。」「本当にこの調子で続きます。」)の意図がわかりませんでした。ですので、わたしの回答はこれらの文とは一切関係ないことを宣言して終わります。
82. ジルベルト下大利 — August 1, 2011 @00:14:48
>#81. 門前の小僧さん
>> 本当に一介の素人が「円城氏のDNA表記の内容」を知れば正誤の判定ができると思い込んでいる人がここにいることに呆れ返ります。
>結局みんな『小説家なんかにDNAなんて分かるはずない』って職業差別したいだけじゃん
ここで門前の小僧さんが「一介の素人」と指しているのはDNAに関する知識のない人たち(このブログに関わらずこの件に興味を持っている大多数)を指しているように読めますが?
なにやら曲解しているように思えます。
私はDNAに関する記述について専門家が誤りでないとしているものの瑕疵を見つける自信なんてありません。
83. captnemo — August 1, 2011 @00:35:31
この調子で延々と続こうが、調子が変わりながら延々と続こうが、この調子で突然終わろうが、調子が変わってあっというまに終わろうが、関係ない設問だと思いますが。
「叔父」(どこかのプレビューでは「伯父」になっていたような気がする)「祖母」「母」と、血縁関係の語がでてくれば、DNAとまったく関係ない記述とは言えないと思いますよ。
ここが科学的に正しい云々をいうところかどうかは、保留。
作品評価に踏み込むところではないが、「この調子」好きです。延々と続いても苦になりません。
>
血縁関係の語がでてくれば、DNAとまったく関係ない記述とは言えない
<
確かに。納得。前言撤回。2にします。
# 「念のため」以降は変更なしです
85. ピュア — August 1, 2011 @01:42:47
村上龍氏は「これはペンです」に誤りがあると言っているが、その詳細は一切不明。これは事実。
とある生物研究者は「不正確なところはない」と言っているが、その詳細は一切不明。これもまた事実。
「これはペンです」を読んでいるとDNAのメタファーのような記述も出てくる。あの難解な文体でだ。生物研究者の「不正確なところはない」というのは、このメタファーにも言及しているのかね?していないのかね??さっぱり分からない。
メタファーの正誤はチェックしていないのならチェックは十分とは言えない。
メタファーの正誤をチェックしているのなら、あの文体の中のメタファーを完璧に洗い出すなんて、文学素人の生物研究者には不可能だぞ?
86. Pediatr. — August 1, 2011 @09:45:47
ピュアーさん。
メタファーである部分に正確さを求める理由がわかりません。メタファーである以上、正確な表現にはならないはずです。正確な表現は直接的でなければ受け手側の恣意が入り込みます。多分生物学者はこのメタファーの正誤には言及できないと思います。言及した時点で科学的な検討ではなく文学的な検討になるからです。
87. maru — August 1, 2011 @13:24:36
山田詠美さんの発言と合わせてみると、選考時も同じような内容の発言をした可能性が高いです。
>村上龍「けっこう一刀両断にする人が多いですよ。
例えば『これはペンです』っていう円城塔さんの作品を僕は批判したんですけど、その時に…これは自分の事だからここで言ってもいいと思うんですけど、
僕はコンピューターのプログラミングとかそういう事はわからないけど、DNAとかゲノムに関しては<ヒュウガウイルス>書く時に相当勉強したんである程度わかります。
非常に難解な作品だったり、今までの文学と違うその…スタイルで書かれていると、まあ、円城さんって方はSFも書かれるらしいんですけど、で、円城さんを強く推す人もいました。
でも僕が批判したのは、少なくともDNAに関する記述が不正確だと。サイエンス的要素があったり、通常の物語と違う文学世界をつくるときに、そういったディテールで間違うと、決定的だと言ったんですよ」
<インタビュアー>それは、これですよね、物語とか文章とか、共通認識としてあるはずの概念をぶち壊すっていう…
「いや、そういう作品はね、マルグリット・デュラスとか、アランロブグリエとか、その最後の世代がル・クレジオとかだったりするんですけど、
そういった今までの物語を壊すようなものっていうのはみんな見てきてるんですよね。たとえばウイリアムバロウズの裸のランチにしても、従来の文学とは全然違う…
僕のトパーズって作品でも従来の短編の文学とは全然違う文体で書いているわけですよ。どんなに実験的であっても、それが実験的だって理由で批判する人はいないです。
そんな低いレベルの選考会じゃないです。ただ僕も、従来の文学と全く違う文学が出てきても、それは大歓迎なんですけど、
ただ僕が言ったのは、DNAに関する記述がおかしいと言ったんですよ。で、そういった実験的な作品に関して、ディテールが不正確だと致命的なんですよね」
88. maru — August 1, 2011 @13:26:46
「ヒュウガウィルス」の時に勉強したと発言していることから「これはペンです」のウィルスに関するDNA表記があやまっていると、感じた可能性はありますね。
他の方の選評はわかりませんが、村上龍氏は少なくともDNAに関する記述が間違っていると判断したことは確かなようです。
文章や表現ではなく、DNAに関する記述が間違っていると言っているのですから、やはり知識として村上龍は正しくないと指摘しているのではないでしょうか?
90. JJ — August 1, 2011 @15:00:02
認識・描写などが不正確:的はずれの(指摘)、当を得ない、 不適当な(言葉)、 ずさんな(論理による〜)、ゆがんだ(印象)、 かたよった(見方)、 (事実)誤認
「不正確」だけでもこれだけの意味があるようです。ですので、村上氏が上記の中のどういう意味で「不正確」と表現したのかが分からなければ、彼の発言を巡る議論もまた「不正確」にならざるを得ないと思います。
また、当の村上氏の「不正確」の使い方もまた「不正確」であるとも言える。
91. 。 — August 1, 2011 @15:09:14
はっきりとDNAに関する情報が明記されているのは、このページなので、ここを村上龍が間違いだと思ったと考えられる。
掲載誌の14ページ
>Aを押せばUが出る、Cを押せばGが出る、
>なんだかそんなような機械に、
>祖父のタイプライターは生まれ変わることになる。
>このA、U、C、GはRNAを構成する塩基アデニン、
>ウラシル、シトシン、グアニンの略号...
DNAの塩基がA-T、C-Gの組み合わせで対を形成してるのは割と有名
でも、RNAっていうのはDNAと違って一重らせんなので
塩基対を形成しうるということがイメージしにくいと思われる
しかし、実際にはDNAの転写、翻訳にtRNAが使われる場合をはじめとして
A-U、C-Gの組み合わせで、相補的に塩基対を形成することは多々ある
そこを村上龍は取り違えてAと塩基対を形成するのはTだけだと思い込んでしまっているのではないだろうか
92. maru — August 1, 2011 @15:19:04
やはり選評を待つしかないですがNHKの記者の書いたブログ等で確認できる山田詠美のコメントによると、正しくない、間違っていると選考会で発言したという情報もあります。
どちらにせよ、村上龍の選考時のコメントについては選評を待つしかありませんね。
93. 。 — August 1, 2011 @15:26:02
通常の物語とは違う文学世界をつくるときに、
そういったディテールで間違うと、決定的だって言ったんですよ。』村上龍RVR龍言飛語 今回は第145回芥川賞についてです。】
村上龍(RVR)のTwitter上での発言です。
動画も合わせて見たけれど、やはりDNAの記述が間違っているというような内容に受け取れました。
「ヒュウガウィルス」にもDNAの専門的な記述が出て来ます。
DNAの記述について、決定的な間違いがあるかどうかの確認は専門家の方にお任せします。
95. maru — August 1, 2011 @15:57:30
と言ったあとに、あの発言に続くので専門的な知識について言及しているように思います。
比喩についてはとくに触れていないですね。
とくに比喩の間違いや不正確っていうのではなさそうです。
わざわざ「ヒュウガウィルス」を引き合いに出しているうえに、村上龍自身最近は「歌うクジラ」などで(他には「トパーズ」?)ご自身も実験的な作風にチャレンジしているので、その点はよかったのでしょうか。
とりあえず選評が出れば今よりもはっきりするでしょうね。
96. 技術開発者 — August 1, 2011 @16:34:25
>そのようなことは「そういったディテールで間違うと、決定的だ」というようになることのように思えません
>村上龍は、もしかしたら思ったのかもしれないですが…
その昔半村良が「庄ノ内民話考」という、しょうのない話(この小説は題名でタネ明かししている)を書いた時に、実在する地方鉄道の実在の駅名をテンポ良く並べて、その中に架空のしかしいかにも有りそうな駅名を滑り込ませ、その駅からやはり架空の支線を出して、その支線の終着駅のある地名が「庄ノ内」ということにした。なんてのがありますね。
まあ、私の様な鉄道音痴には、そのテンポ良く並んだ駅名が実在だろうとそうでなかろうと、割と簡単にその話に引き込まれたりします。
もし、読者が「鉄ちゃん」なら、その駅名の羅列が実在である事により引き込まれやすくなるかもしれません。「あっ、この駅名の羅列は実在だ」と思う事に「引き込む力」があるととすると、その実在の駅名を間違えたりすると、引き込みにくくなる面はあるでしょう。そういう意味で、虚構に人を引き込む上で、「ディテールの正確さ」というのは、意味があったりします。
さらに言うと「なりそこない鉄ちゃん」で自分が覚えている実在の駅名が間違っていて、「なんだこの小説、駅名を間違っているじゃないか」と思えば、引き込まれるのに邪魔になるかも知れません。あくまで、読者が「なりそこない鉄ちゃん」だから起こる「引き込まれにくさ」である訳ですが、まあ、そのことにより、その「なりそこない鉄」の読者が「引き込まれ難かった」というのは事実ではあるのでしょう。
97. 北極南極西東 — August 1, 2011 @18:12:16
>1から10まで説明しないと理解してもらえないようですね。
あ、やっと分かりました。
つまり、「文学的に表現されているから生物系の研究者は誤読している可能性がある。『不正確なところはない』という判断もその誤読に基づいているかもしれない。」という話だったんですね。
>1から10まで説明しないと理解してもらえないようですね。
そうです。少なくとも私はそうでした。
例えば、電子レンジはアース線を接続するというのは家電に詳しい人には当たり前です。でも、「当たり前だから説明書には書かなくてもいいよね。」とはならないです。世の中には家電に詳しくない人も大勢いるからです。
ネット上も同じで、いろんな人がいます。自分の考えが相手に伝わらなければ議論はかみ合いません。私もよく説明不足になってしまって、「あーやっちゃったー。」ということがよくあります。そういうときは「説明不足ですみません。」と追加説明をします。
とか書いといてなんですが、よく考えたらこのエントリーは、タイトルどおりに、「菊池さんが、『村上龍氏は何を不正確だと思ったのか』が知りたいので情報が欲しい」という内容であって、別に議論するようなことではないような気がしてきました。違ったらすみません。
98. ピュア — August 1, 2011 @18:50:15
実験的な作品に対しては、狂気にも似たこだわりを求めているような気がしますね。
レゴでガンダムを緻密に作るみたいな。なぜにそこまでやり込むのかという狂気。
うまく説明できませんが。
普通の作品なら人物の心理描写などで勝負できますが、そういう箇所で勝負できない作品ですからね。
#116. 北極南極西東さん
誤読というかそういうレベルと言えないような。やはり実際の文章を見てもらわないと話が噛み合わない。
『 叔父は文字だ。文字通り。
だからわたしは、叔父を記すための道具を探さなければならない。普通の道具を用いる限り、文字は叔父とはならないから。彼は文字のくせに人間なのだ。ペンを用いて叔父を書き、それが文字となるならば、いや勿論これは逆なのであり、ペンを用いて文字を書き、それが叔父となるならば、他の文字まで母やら祖母やらいうものなのだとなりかねない。それは困る。面倒だ。面倒なので困ってしまう。』
#89. e10go ― August 1, 2011 @00:16:36
> それはDNA、というかヒトゲノムについて文学的に表現しているでしょう。
上記文章はどうやらヒトゲノムについての文学的表現らしい。
この表現は科学的に正しいか誤りか。
答えれますか?
この作品はこんな感じでえんえんと続きます。
文章は文章ままの意味です。
文学的じゃなくってそのまま、ウィルスやDNAのことについて書いてある文章の箇所でしょ。
でないと円城が専門家にチェックを頼みようがないですからね。
100. 。 — August 1, 2011 @21:08:52
DNAはかなり安定的で、RNAへの転写にもほとんどミスがなく、
たまにミスがあっても修復する機能まで持っている、DNAが不変のものだったら生物は変異しない、
突然変異は、ほとんどの場合それが起こる種にマイナスに働く、DNAが放射線や紫外線などで損傷を受けた場合、
遺伝子が染色体上でジャンプしてしまった場合、いずれも重い障害となって現れ生物を衰弱させる、ただ生き残る上で何らかのメリットがあるという数少ない例外がある、
海の中では大型の魚に補食されてしまう小さな魚たちが陸地に近い干潟に逃げ込んでいる状況を想像してみよう、長い長い年月の間にえら呼吸から肺呼吸へと遺伝子が変異した個体が現れる、
その個体数の多い種が地上へと進出することができた、海の中でそんな変異が起これば生きていけないが、海にいては危険な種にとっては好都合だった、
進化というのはたかだかそういうものだ、海にいて常に危険を感じていた種が突然変異の助けを結果的に借りて陸に上がり陸上脊椎動物の祖となった、海で何の危険もなかった大型魚の代表シーラカンスは二億年前と同じ姿で泳いでいる。
村上龍氏が勉強したのは「RNA」の転写のことや、ウィルスのことのようなので、円城氏が言ったように「ウィルスを捨てたシーン」か、上記に出ていた14ページの「DNA」のシーンが正しくないと思ったのではないでしょうか?
どっちにしろ「決定的」に正しくないと言っている割には、どこが間違っているのかハッキリしませんね。
101. maru — August 1, 2011 @21:11:58
山田詠美氏のコメントも、村上龍がこのジャンルに詳しく専門的な箇所が正しくないと詠美氏も受け取っているようでした。
もしかすると、円城氏はもっと具体的な選考時のコメントなどを知ったうえで、判断してそう受け止めたのかもしれません。
(問い合わせて調査中と言っていましたし、編集者等はその場にいあわせたでしょうから、著者には伝えているかもです)
どちらにせよ、ここで議論しても分かりません。
選評を待ちましょうとしか言いようがないです。
そして、円城氏の周りの専門家は専門的な箇所については間違いがないと判断を下したようですが、もし、それが文学的なDNAとやらの間違いとか村上龍が言っていたのでしたら、お手上げです。
ネット上の話によると以前、村上龍は「パラサイ・イヴ」はアニミズム的におかしいという変わった評価を下していますね。
102. zorori — August 1, 2011 @21:13:21
>July 31, 2011 @23:22:52
>結局みんな『小説家なんかにDNAなんて分かるはずない』って職業差別したいだけじゃん
素人判断で、重病に売薬を使っている小説家に、「医者に診てもらいなさい」と忠告するのは職業差別ではありません。
芥川賞選考審査員をやりたいという私に対してピュア さんが「文学素人にできるものじゃない」と忠告するのも職業差別ではないと思います。
>August 1, 2011 @01:42:47
>村上龍氏は「これはペンです」に誤りがあると言っているが、その詳細は一切不明。これは事実。
>とある生物研究者は「不正確なところはない」と言っているが、その詳細は一切不明。これもまた事実。
前者は詳細つまり、どの部分が不正確か、そして正確な記述とはどういうものかを明らかにする必要がありますが、後者には詳細はありません。「不正確なところはない」で尽きています。
>メタファーの正誤はチェックしていないのならチェックは十分とは言えない。
>メタファーの正誤をチェックしているのなら、あの文体の中のメタファーを完璧に洗い出すなんて、文学素人の生物研究者には不可能だぞ?
ある種の文学においてDAN記述の正確さ云々について言及することはそもそも出来ず、当該作品はその種のものだということですね。July 28, 2011 @19:24:36で言われていることと同じかと。つまり、村上龍の論評は的外れってことですね。ピュア さんは、言及不能と考え、村上氏は言及可能で、不正確と考えているわけです。
103. maru — August 1, 2011 @21:31:39
円城氏や周りの専門家の方がチェックされたのは、メタファー箇所ではなく、ウィルスの記述とDNAのタイプライターの箇所ではないでしょうか?
でも、メタファーとして正しくないと村上龍氏が思っているのならば、そう明言するべきでしょうね。
とにかく選評を待ちましょう!
選評待ちという方々がいらっしゃって、私も最初そう思ったんですが、冷静になってよく考えてみると、選考会のすぐ後に円城さんが分子生物学の専門研究者に査読してもらったという情報が流れてから、文藝春秋の芥川賞選考委員選評入稿締め切りまで2週間ほどの余裕があったわけです。全国の何万人という理系研究者が、「この小説のDNAについての記述の何処が不正確なんだ?」と手ぐすねひいて待ち構えているところへ、「円城作品のこの部分がおかしい」なんて明言する選評を出しますか?出さないでしょ?普通は。何か抽象的な事を並べ立ててお茶を濁すと思うんですよ。だから、私たちの知りたい中心部分、『村上龍氏は何を不正確だと思ったのか』は永遠に分からないんじゃないでしょうか。
ちなみに文藝春秋の選考委員選評は五十音順でなく、到着順に掲載されますので、もし龍ちゃんが一番最後だったら、かなり悩んで選評書いたんだなと想像してあげればいいと思います。
駄話その2。
文藝春秋は芥川賞発表の翌月に全選考委員の選評と受賞作の全文を掲載します。受賞作なしの場合は、候補作一編を載せます。舞城王太郎が芥川賞落とされた時は、「ビッチマグネット」を候補作として掲載しました。今回の場合、最終選考の第3回投票まで生き残った「これはペンです」(新潮)か「ぴんぞろ」(群像)のどちらかが掲載されますが、「最近の芥川賞は新潮が強い」という分析を合わせて考えると、円城さんの「これはペンです」が候補作として掲載されるでしょう。二人とも2回目の候補で条件は同じなので。ですから、普段、文芸誌を買いためておく習慣のない理系の方々もあと1週間ぐらいすれば、「これはペンです」全文を読めると思います。
ただし、ごく一般の文学ファン的には「ぴんぞろ」の方が読んでおもろいので、どうなんだろ。間違ったらゴメン。
駄話その3。
かとうさんの書くことは、いつも素晴らしい。
駄話その4。
村上龍ファンの立場から言わせてもらうと、今回の件は「龍ちゃん、地雷踏んだな」という感想です。
失礼しました。
どういうわけか、円城塔作品の「自分の評価」で語るかたがおられるのですが、そんな話はまったくしていないし、面白いかつまらないかも、優れているかいないかも、まったく元のエントリーのテーマではありません。
円城塔作品(中でも特に抽象的なやつ)を好まないかたがいるのは当然ですし、SF大賞のときですら「わからない」と公言した審査員がいました(それはSF大賞の審査員としては情けないと思います)。
作品の評価はそれぞれにされればいいと思いますが、僕は村上龍のビデオ・コメントについて書いたのであって、円城作品をどう評価するかという話はしていないのです
作品の好き嫌いは個人のものです。
それを誰が嫌いで誰が好きかなんて、どうでもいいのです。
106. e10go — August 1, 2011 @22:02:39
>この表現は科学的に正しいか誤りか。
>答えれますか?
文学的に表現された文章の意味はどんな風にでも受け取れるんだから、「科学的に正しいか誤りか」と問うのは野暮ですよ。
「科学的に正しいか誤りか」を問題にするには http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90
107. 。 — August 1, 2011 @22:37:17
はっきりしないことを村上龍や編集者や賞関係者が望んでいるのなら、あえて載せはしないでしょう。
108. disraff — August 1, 2011 @22:34:01