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福島第1原発:大津波警報中、点検で犠牲 東電2社員死亡

 東京電力福島第1原発で3月11日の地震発生後に行方不明になり、約3週間後に遺体で見つかった東電男性社員2人が、当直長の指示を受けて大津波警報発令後に4号機タービン建屋地下で水漏れを点検中、津波にのまれていたことが分かった。東電は6月公表の事故対応調査結果で「当直員の安否確認を行い、地震発生と津波について周知」したとしているが、実際には津波の周知が徹底していなかった疑いが強まった。

 2人の死亡の詳しい経緯が明らかになったのは初めて。4号機は当時、定期検査中で、核燃料棒も取り出し済み。東電の安全管理体制と説明責任が問われそうだ。

 亡くなったのは第1原発第1運転管理部の小久保和彦さん(24)と寺島祥希(よしき)さん(21)。東電などによると、2人は地震発生時、4号機の電源操作や弁の開閉の検査員として中央制御室にいた。地震発生後、4号機タービン建屋の冷却水系のタンクで水位の低下を示す警報が鳴ったため、現場責任者だった当直長から水漏れがないか点検に行くよう指示された。建屋は停電中で、2人は懐中電灯を持ってタンクの配管がある地下に向かったという。

 同日午後3時ごろ、寺島さんは青森県むつ市の実家に電話をしており、点検に向かったのはこの後とみられる。気象庁は地震発生3分後の午後2時49分に福島県などに大津波警報を発令し、第1原発には午後3時27分ごろ、高さ約4メートルの第1波が到達。その8分後には高さ10メートルを超えたとみられる第2波が到達し、防潮堤を越えて敷地の建物がほぼすべて冠水した。

 東電は3月12日、2人が行方不明になったと発表。その後、4号機のタービン建屋地下を捜索したが、放射線量の高い水がたまっていたため難航し、水が引いた30日に警察が遺体を確認、4月3日に多発性外傷による出血性ショック死と発表した。

 同日の会見で東電は、2人が地下にいた経緯を「調査中」とし、点検を指示していたことを明らかにしなかった。

 東電が6月18日に公表した「福島第1原発における対応状況について」と題する事故対応の調査結果でも、「当直員の安否確認を行い、地震発生と津波について、ページング(一斉通報できる通信機の一種)で周知を行う」と当時の対応を記しているが、2人への点検指示には一切触れていない。

 東電広報は当直長の指示があったことを認めた上で、大津波警報の周知について「中央制御室にも周知は徹底していたが、本人に届いたのかどうか確認はできない」としている。【杉本修作、浅野翔太郎、町田徳丈】

毎日新聞 2011年8月2日 2時32分

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