チラシの裏SS投稿掲示板




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[27911] 【ネタ】ゼロのVIROLOGIST【「ゼロの使い魔」・オリキャラ主人公】
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/07/30 23:11

 はじめに。

 主人公はオリキャラ、ヒロインはエレオノール、ラスボスはカトレアの病気です。
 普通のバトルシーンは一切ありません。しばらくはヒロインも出てきません。(注1)

 ……そんなSSに需要はあるのでしょうか。

 読者ウケが良かろうと悪かろうと、定期更新している長編を優先で書いていきますので、こっちに本腰を入れるのは、かなり先の話になります。半年くらい更新がなくても「投げ出した」と思わないでください。でも、そんなに長い物語ではないので、細々と並行して書いているうちに先に完結する可能性もアリ。

 (注1) ヒロインは第二話で登場



 2011年5月21日 プロローグ投稿
 2011年5月24日 第一話「ゼロのVIROLOGIST」投稿
 2011年6月07日 第二話「スパイ発覚! 王女さま来訪中止!」投稿
 2011年7月30日 第三話「明るみに出たラブレター! 同盟の破棄!」投稿




[27911] プロローグ
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/21 21:05
   
 若い頃に読んだ書物には記されていた。「悪魔に魂を売った死者は全盛期の肉体で蘇る、つまり十代の若さで蘇る」と。
 ……まあ『書物』と言っても、ぶっちゃけ漫画なんですけど。そもそも俺、死んだわけじゃないんですけど。
 アメリカの田舎町での一人暮らしを終え、数年ぶりに日本へと帰国する飛行機の中。就寝時間っぽいので目を閉じてウトウトしていたら、なんだか、まぶしい気がして手を前に突き出し……。
 目を開けたら、青空の下だった。そして若々しい十代の少年の体で、仰向けに寝転がっていた。

「どこだ、ここは?」

 空はどこまでも青く、周囲には緑の草原が広がっている。遠くに写真でしか見たことないような、石造りの大きな城が見えた。
 しかも。
 黒いマントつけた変な少年少女がたくさんいる。それが皆、アリエナイ色の髪だった。

「なんだ、夢か……」

 カラフル頭たちが、何やら騒いでいる。そのうちの一人が近づいてきた。

「感謝しなさいよね。貴族にこんなことされるなんて、普通は一生ないんだから」

 そんなことを言いながら、俺の顔を覗き込む。
 可愛らしい女の子ではあるが、ピンクの髪だ。それもコントのカツラのようなとってつけたピンクではなく、本物のピンク。
 やっぱり夢だ、現実じゃない。じゃあこのままここで寝ていようと目を閉じたら、唇に柔らかい感触があった。
 ……なんだ? これって……キス!?
 さすがは夢だ。ちょっと幸せな気分で、そのまま目を閉じていたら……。

「ぐあ! ぐあああああああ!」

 急に体が熱くなって、俺は立ち上がった。
 何だよコレ!?

「熱い!」

「すぐ終わるわよ。待ってなさいよ。『使い魔のルーン』が刻まれているだけよ」

 思わず叫んだ俺に、ピンクの少女が言葉を返す。
 でも、俺はロクに聞いちゃいなかった。
 あまりの苦しさに耐えられず……。
 俺は意識を失った。

########################

「ここは……?」

 ふと気づくと、薄暗い一室に連れ込まれていた。
 結構な広さがあり、高級っぽい家具もある。ベッドがあったが、なぜだか俺は、床に寝かされていた。

「私の部屋よ」

 俺の言葉に応じたのは、先ほどのピンクの少女。ベッドにチョコンと腰かけている。
 これも夢なのだろうか。しかも、さっきの夢の続きっぽい。でも普通、夢って続かないよなあ。……っつうことは、まさかこれ現実!?

「あんたは私に召喚されて、私の使い魔になったの」

「……召喚? 使い魔?」

「はぁ、なんで私の使い魔、こんな冴えない生き物なのかしら。契約のルーンが刻まれるショックで気絶するなんて話、聞いたことないわ……」

 聞き返した俺を無視して、なにやら嘆く少女。
 まともに会話が成り立つ気もしないが、とりあえず。

「あのう……。あなたは誰なのでしょうか? 名前くらい教えて欲しいんですけど」

 相手は年下だが、一応、丁寧語。ため口か丁寧語か迷った時は、ともかく丁寧語。日本語使うときは、原則として丁寧語。
 敬語のない英語圏——というか厳密にはあるのだろうが俺はカタコト英語だったから——で暮らすうちに身に付いた習慣である。めったに日本語を使わないから、そこらへんの切り替えが自然に出来なくなったのだ。
 ……あれ? でも俺、なんで今、日本語で会話してるんだ? こいつ、どう見ても日本人じゃないんだが?
 ふと疑問に思ったが、俺が考え込むより早く。
 彼女は顔を上げて。

「私は二年生のルイズ・ド・ラ・ヴァリエール。今日からあんたの御主人様よ。覚えておきなさい!」

########################

 このルイズという少女の話によると。
 ここは地球ではないらしい。そもそも『地球』という言葉も知らないそうな。そういえば、窓から見える空には、月が二つ浮かんでいる。
 ハルケギニアと呼ばれる異世界。魔法やら幻獣やらの跋扈する、ファンタジーの世界……。
 はあ。
 外国の次は、地球外かよ。どんどん日本が遠くなるぜ。
 まあ、でも。
 アメリカへ行く時だって「このままアメリカで一生を過ごすことになるかも」って覚悟したけど、結局、日本へ帰れることになったんだ。ここからだって、たぶん、いつかは帰れるんだろう。

「……それほんと? 信じられないわ。別の世界って、どういうこと?」

 ルイズはルイズで、俺の話を聞いて、疑わしげな目をしている。
 ……ま、無理もないか。

「俺が元いたところはそうなんだよ……」

「冗談はやめてよ。平民の分際で」

「平民って……」

 これまた古めかしい言葉を。日本人の感覚ではそう思ってしまうが、国が変われば習慣も変わるというのは、つくづく思い知らされている。
 だから深い意味はなかったのだが、俺の発した一言は、ルイズの気に障ったようで。

「だって、あんたメイジじゃないんでしょ。だったら平民じゃない」

 なるほど。どうやらハルケギニアというのは、メイジにあらずんば人にあらず、という世界らしい。魔法が使えぬ者は『平民』と罵られるのか。

「たしかに、俺の世界には魔法はない。しかし科学がある」

「カガク……?」

 鞄も荷物もなく、着の身着のままの俺ではあるが、ポケットの中にこれがあった。
 携帯電話を取り出し、ルイズに見せる。

「科学は、こういうものを作り出してくれた」

 もう電話としては使えない。アメリカの携帯電話なので、日本に帰っても使えない。
 ただ仲良くなった外国人の電話番号が入っているから、半ば記念に、持ち歩いていただけ。それが、こんなところで役立つとは……。
 スイッチを入れると、小さな液晶画面に、待ち受け画像が映し出される。
 ルイズが驚きの声をあげた。

「うわあ、なにこれ? 綺麗ね……。何の系統の魔法で動いてるの? 風? 水?」

「……おい。さっき言ったろ。科学だ」

「カガクって、何系統? 四系統とは違うの?」

 きょとんとした顔で、ルイズが俺を覗き込む。
 無邪気な表情ではあるが、どうも話が通じていない気がする。

「違う。俺の世界に、その、何とか系統っていう魔法はない。……ちなみに、俺も一応、科学者の端くれだ」

「カガクシャ……?」

「科学を研究する人間だ」

 ひょっとして『研究』という言葉も通じないのでは……と心配したが、それは杞憂だった。

「カガクっていう魔法を研究してるの? じゃ……あんた、エレオノール姉さまみたいなものなの? 平民のクセに?」

「だからあ。平民じゃなくて……」

 この世界の『魔法』が、俺の世界の『科学』に相当するなら。
 科学者は、一種の魔法使いということになるであろう。
 ならば正直に、俺が何者なのか告げればよい。

「……俺はVIROLOGISTだ」

########################

「ゔぁいろろじすと……?」

「そうだ。俺の世界では、魔法のかわりに科学が発達している。一口に『科学』と言っても多岐に渡るが、俺の専門分野はウイルス学。……例えば、俺はウイルスを作ることが出来る」

「ういるすをつくる……?」

 ますます混乱した顔の少女に、俺は説明する。
 一般にウイルスというものは、生物の細胞に感染してそれを宿主とし、そこで遺伝子を放出して、宿主細胞の力を借りて、遺伝子から自分と同一の存在——子孫ウイルス——を作り出して、細胞の外へ出ていく……。

「でもさ、リバースジェネティクスと言って、人工的に逆をやる技術があるんだ。遺伝子を切り貼りすることで、全く新しいウイルスを作り出す技術があるわけ。……その技術でワクチン開発をするのが俺の仕事だった」

 とりあえず、最新の研究内容を語ってみた。
 学生時代にやってた研究の方が個人的には面白かったけど、ここでウイルスの内部タンパクの話をしてもしょうがない。だから実用的な、わかりやすそうなテーマを持ち出したのだが。

「……」

 それでもルイズは、ぽかんとしている。
 ……まあ、そうだろう。今の話は、専門用語の羅列である。
 しかし、素人に対して専門用語だけで終わらせるのは、学者バカのすること。本当の専門家というものは、ちゃんと理解しているから、シロウト視点まで噛み砕いて話せるのだ。
 そして、リバースジェネティクスとかそれを用いたワクチン開発とかの話をするには、まずウイルスそのものの説明から始めねばならない。

「いいか、よく聞け。よく混同されるが、そもそもウイルスというものは、バクテリアとは全然違う」

 ウイルスは微生物の一種である。だが実は、生物としての特徴を完全に備えてはいないのだ。
 生物とは、独立して存在し、同じ形態の子孫を作れるものである。『独立して存在する』といっても外からエネルギーを取り入れなければ何も出来ないわけだが、少なくとも、摂取したエネルギーを活用する器官は持っている。これが生物学的な『独立』である。
 その点、ウイルスは『独立』していない。
 遺伝子という『設計図』はある。外膜や構造タンパク質という『パーツ』もある。複製機構という『設計図のコピー機』もある。
 だが『設計図』から『パーツ』を作る『製造機械』がない。これでは子孫は作れない。「私が死んでも代わりは居るもの」ではなく「私が死んだら種族は滅亡」となってしまう。
 また、他にも色々と『機械』が足りないので、生きるためにエネルギーを取り入れてどうこう、なんて事も無理。だからウイルスは、生物として必須の機械を借りるために、他の生物に感染するのだ……。

「……と言っても、具体的なイメージがないとわかりにくいだろうな。……そうだな、ガチャガチャのカプセルを思い浮かべたらいい。中に小さなゴム人形の入ってるカプセル。あのカプセル部分がウイルスの外膜やら外部構造タンパクであって、人形の変わりに一枚の紙が中に入っていたら、それが遺伝子という設計図で……」

「あんたの話、チンプンカンプンだわ」

 調子に乗って話していた俺は、不機嫌そうなルイズに遮られた。
 ここでハッと気づく。
 ……しまった。ここは異世界、ガチャガチャなんて言っても、わかるわけないじゃないか!
 そもそもこの例え話、外人にも通じなかったし。なぜか今は日本語が使えるから、それで油断したが……。

「ういるすって何? ばくてりあって何?」

 あ。
 そういう概念やら用語やらがないのか。
 これは根本から説明の仕方を変える必要がありそうだ。
 ……なんて思っていたら。

「そもそも……設計図って何?」

 ……。
 そのレベルかよ!?
 俺は、思わず頭を抱えた。
 でも、ルイズの方でも俺と同じ気持ちだったようで。

「先生ぇぇぇっ! 私、なんか変なの召喚しちゃったぁぁっ!?」

 大声で叫びながら、彼女は部屋を飛び出していった。





(第一話へ続く)

########################

 とりあえずプロローグだけ投稿して様子見。
 ……感想でツッコミを頂く前に書いておきますが、ハルケギニアにも『設計図』があることくらい、理解しています。でも今回の話し相手は、コルベールじゃなくてルイズなのでこんな感じに。次回、そのコルベールが登場。
   



[27911] 第一話「ゼロのVIROLOGIST」
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/24 22:54
 
「先生ぇぇぇっ! 私、なんか変なの召喚しちゃったぁぁっ!?」

 そう言いながら部屋を飛び出していった少女は、しばらくしてから戻ってきた。
 その間、俺は頭を抱えてふさぎ込んだままだったが、とりあえず顔を上げる。
 ルイズは、一人の中年男性を連れてきていた。
 眼鏡をかけた禿頭。たぶん、この魔法学院の教師なのだろう。

「ミスタ・コルベール、私の使い魔ったら、自分のことを『平民』じゃなくて『ゔぁいろろじすと』だ……って言い張るんです」

「ゔぁいろろじすと……?」

 顔をしかめる中年教師。
 ……はあ。
 ため息をつきながら、俺は、先ほどルイズにしたのと同じ説明を繰り返す。子供ではなく大人にならば、少しは話も通じるかもしれない……という一縷の望みに縋って。

「……だからウイルスは、生物として必須の機械を借りるために、他の生物に感染するのです。つまり設計図だけを入れたカプセルのようなシロモノですね」

 ここでいったん話を切って、中年教師の顔を覗き込む。
 今回は、ガチャガチャの話は持ち出さない。ただ『カプセル』とだけ言っておいた。『設計図』という比喩は使ってしまったが……どうだろう?
 すると、彼は何か考え込むような表情をしながら。

「なるほど。君の世界では、生物を構成する部品や設計図に関して、そこまで研究が進んでいるわけか……。すごいな!」

「……え? 先生、『設計図』って言葉……わかるんですか?」

 俺が言うと、彼は笑いながら。

「ははは……。私は発明好きな変人だからね。平民が使うような、魔法に頼らぬ機械や道具を作るんだ。その際は当然、図面を引く必要も出てくるさ」

 おお! ようやく話の通じる人が出てきたらしい!
 俺の顔がパッと明るくなった。まるで、役所をたらい回しにされたあげく、ようやく目的の窓口に辿り着いたような気分である。
 一方、いまだにルイズは困惑気味。

「ミスタ・コルベール、こいつの言ってること……わかるんですか?」

「完全には理解できないが、何となく、という程度なら。……どうやら彼は、小さな小さな生き物について調べる学者だったらしい」

 ウンウンと頷く俺。
 しかしルイズは、胡散臭いような目を俺に向ける。

「小さな小さな生き物って……。そんなもの調べて、何の役に立つの? メイジでもないクセに、それを使い魔にできるわけ?」

「ちげーよ。普通はペットにしたりしねえ。……病原体だから研究するんだよ」

 ルイズに対して、俺は投げやりな言葉を返した。
 これだけでは彼女には通じないが、ちゃんと理解した中年教師が補足する。
 
「……つまり、その小さな生き物が、病気の原因になる……ってことだね?」

「はい、先生! そのとおりです!」

 満面の笑みで肯定する俺。
 すると。

「病気の原因!? ゔぁいろろじすとって、病気の原因を調べる人なの!?」

 ルイズが身を乗り出してきて、俺の両腕を掴む。
 ……なんだ!?

「ちょっと違うけど……。まあ、そんなところかな?」

 だいぶ違うけど、そういうことにしておけばイイ感じ。これが異世界で生きる道。
 だいたい俺の世界でも、ウイルスと細菌の区別がつかない人とか、ウイルスは悪いバイキンって決めつけてる人とか、たくさんいたわけだし。

「じゃ何? ういるすとか、ばくてりあとか、イデンシとか……全部あんたの世界にある病気の名前なの?」

「いや、だから……」

 はてさて、どう説明しようか。
 困った俺に、中年教師が再び助け舟を。

「ういるすというのも、ばくてりあというのも、病気の原因となる小さな生き物のことだね。そしてイデンシというのは……」

 彼は、ルイズの髪を見ながら。

「ミス・ヴァリエール。御家族の髪の色は?」

「髪……ですか? ちいねえさまと母さまは私と同じで、桃色がかったブロンド。エレオノール姉さまは父さま似の金髪ですけど……それが何か……?」

「髪の色は親に似る。それが遺伝だよ。そして、その仕組みを説明するための要素が遺伝子。……そういうことだね?」

 中年教師がこちらを向いたので、俺は頷く。
 ようやくルイズも、ここまでは理解したらしい。

「わかったわ。あんたが病気を研究する人だったっていうなら……あんたが私の使い魔になったのも、運命みたいなものなのね」

 ……ん?
 女の子——外見的には一応美少女——の口から運命だの何だのイキナリ言われると、さすがに少しビックリ。そんな俺の内心には気づかず、彼女は言い切った。

「ならば、メイジとして使い魔に命じます。……ちいねえさまの病気を治して」

########################

 三人姉妹の末娘、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
 彼女の真ん中の姉カトレアは体が弱く、ラ・ヴァリエールの屋敷から一歩も出たことがないという。
 病気の原因は、よくわからない。体のどこかが悪くなり、そこを薬や魔法で抑えると、今度は別の部分が悲鳴をあげるのだ。結局それの繰り返しで、医者も匙を投げてしまう。今も様々な薬や魔法で症状を緩和しているはずであった。

「国中から医者を呼んで、強力な『水』の魔法を色々と試したわ。だけど魔法でもどうにもならなかった。なんでも体の芯から良くないみたいで、少しくらい水の流れをいじったところで、どうにもならないって……」

 説明するルイズの顔は暗い。

「……でも! あんたの世界に『カガク』という別の魔法があるというなら。そして、あんたがその『カガク』で病気を研究する人間だというなら。……お願い、その力で、ちいねえさまを助けて!」

 ふむ。
 先ほどまでのルイズは、言葉にも表情にも、高慢ちきな雰囲気が漂っていたのだが……。
 今は違う。真剣な目をしている。
 きっと、そのカトレアという姉を大好きなのだろうなあ。

「ザッと話を聞く限り……。要するに対症療法をやってるわけだよな?」

「タイショウリョウホウ?」

 また「わかりません」顔になったルイズ。コルベールという中年教師も同じような表情をしている。
 ならば、説明の必要があるだろう。

「えーっと。こっちの世界でも、風邪を引くことってあります……よね?」

 二人が頷く。

「風邪を引くと、熱が上がったりしますよね?」

 これまた頷く。
 よかった、これなら話も通じそうだ。

「熱が出たら、薬とか……あと魔法も使うのかな? ……とにかく、熱を冷まそうとするでしょう。それは正しいけれど正しくないのです」

 高熱は体に良くない。気分も悪くなる。だから熱を下げようとする。
 ……ここまでは正しい。
 でも、そこでもう一歩踏み込んで考えて欲しい。
 そもそも、熱が上がったのは何故?

「それこそ、あんたが言ってる……なんとかっていうのが……」

「病原体」

「そう、その病原体っていうのが、体の中で悪さをしてるんでしょ?」

「違う。別に病原体は、悪の手先でも何でもないから」

 パタパタと手を振ってみせる俺。
 まあ俺はウイルス学者であって細菌学者ではないので、細菌に関しては断言できないが。
 少なくとも、ウイルスは『悪の手先』ではない。
 前に説明したように、ウイルスは生きるために必須の器官を借りたくて、他の生物に感染するわけで。ただし宿主生物の方でも使っていた装置なので、それを他者に使われてしまった結果、宿主に少し不具合が生じるだけで。
 ……別にウイルス側には、宿主へ障害を与える意図はないのである。そもそも、宿主が健全に機能しなくなったら、ウイルス自身も困るわけだから。

「……あんた、どっちの味方?」

「ごめん、話が少し逸れた。……えーっと。つまり病原体が悪さをして熱が上がるんじゃなくて、体が病原体を殺そうとしてるんです」

 われながら、下手な説明だと思う。
 ルイズはわからなかったようだが、コルベール先生は理解してくれた。

「なるほど……。人間は大きいから少し具合が悪くなる程度で済むけれど、病原体は小さいから死ぬ……というわけだね」

「まあ、そんなところです」

 おおざっぱ過ぎるが、良しとしよう。説明のための説明を続けると袋小路に入り込むので、とりあえず。
 ……そもそも風邪と発熱の話を持ち出したのは、対症療法というものを説明したかったからだ。
 俺の世界でも、ちょっとした熱ですぐ解熱剤を飲む者がいる。それを俺は「おかしい」と思うのだ。
 たしかに熱を下げればラクかもしれないが、そこには、ウイルス増殖の抑制を妨げる……つまり完治が遅くなるというリスクが伴う。その点を理解した上で、「今日は会社で重要な会議があるから」とか「今日はプライベートで大切なデートがあるから」とか、やむを得ず薬に頼るのは悪くないが……。

「じゃあ何? タイショウリョウホウは中止しろって言うの? ちいねえさまが具合悪くなっても放っておけと?」

「いや、そうは言ってない。ただ、症状を緩和するための治療と、病気の原因を取り払うための治療は似て異なる……と言いたいのだ」

「だから! その原因がわからないの!」

「わかってる! だから今は対症療法なんだろ? ……そこまではいい。ぜひ続けたまえ。今言った風邪の発熱の例のように、対症療法が病気の完治を遅らせる例だってあるけど、現状では仕方がないと思う」

 そう。
 原因がハッキリしないのであれば、『対症療法がかえってマイナス』というのも、可能性に過ぎない。

「……で? あんたの知識を使えば、ちいねえさまの病気の原因も判明するの? そうしたら治せるの?」

 あらためて、ルイズが俺に詰め寄る。
 ま、そうだろう。
 彼女は学術的な興味を持っているわけではなく、彼女にとって大切なのは、治せるか否かである。

「先天的な病気じゃなければ、治せるかもしれないな」

「センテンテキ……?」

「つまり、遺伝的な病気じゃなければ……」

 言いかけて。
 これじゃ説明になってないと気づく。

「えーっと。この世界には、魔法を使える人と、使えない人がいるんですよね?」

「貴族と平民」

「そう。貴族は魔法が使えて、平民は魔法が使えない。……これが先天的。でも貴族だって、エネルギーが尽きたとか調子が悪いとかで『今日は魔法は無理』って日はあるでしょう? ……これが後天的」

 ……っつうか、俺自身が理解していない『魔法』というものを例え話で使うのは少し無理があるが、たぶん、あっているだろう。
 なんだかルイズが、むちゃくちゃ複雑な顔してるのだが……?
 まあ先天性の病気であっても、俺の世界なら遺伝子治療って手もあるわけだが。そこまで話しても、どうせ無駄だよな……。

########################

 こうして。
 俺の『使い魔』としての生活が始まった。
 一般に、使い魔として召喚され契約されるのは人間ではない。だから、この魔法学院内でも、俺は希有な例。
 特殊技能を持たない、ただの人間。しかも平民……。
 最初ルイズは大きく落胆し、俺を下僕扱いするつもりだったらしいが。

「いいわ。あんたはVIROLOGIST。あんたの仕事は、ちいねえさまの病気を治すこと」

 彼女は彼女なりに納得して、それなりの待遇を俺に用意。食事は厨房で賄い食をもらえるように手配し、部屋の片隅には俺のスペースを作り、毛布もくれた。
 俺は俺で、洗濯や掃除を適当にこなしつつ、使い魔として彼女について回るのが日課となっている。
 そうやってルイズと彼女の友人たちを見ているうちに、一つわかったことがあった。
 実はルイズは、貴族のメイジでありながら、魔法が苦手なのだ。

「ああ、だからか。例えで魔法の話を持ち出したら、変な顔をしていたのは……」

「なーに? あんたまで私を『ゼロ』のルイズって馬鹿にするつもり……!?」

「違う、違う! まあ落ち着け!」

 ルイズが自分の部屋で暴れ出そうとしたので、慌てて止める。
 あとで部屋の片付けをするのは俺なのだ。

「ルイズ、別に『ゼロ』じゃないじゃん」

 魔法が使えない……ということで、彼女は時々クラスメートから『ゼロ』のルイズと笑われている。
 でも実際には『使えない』わけではなく、失敗するだけ。試みた魔法とは違うが、ちゃんと爆発魔法として発動している。
 だから魔法を使う事そのものの遺伝子には問題ないはず。ただ、カスケードの途中に異常があるのかも。つまり、何をやっても爆発魔法になるということは、回路の途中のシグナル伝達が正しくなくて……。
 いやいや。
 魔法が使えるか否かが遺伝であるというのは間違いないとしても、四系統が大きく四つの回路に別れているというのは、まだ仮説の段階だ。

「仮説で構わないから、教えて。……ただし、私にもわかるように」

 我が身に関わることだけに、ちゃんと興味深く話を聞くルイズ。彼女も俺と会話するコツがつかめてきたらしく、わからない用語を一々聞き返したりしなくなってきた。
 ふむ。
 ならば……。

「これを見ろ」

 俺は、模式図代わりに、川の絵を描いてみせた。

「貴族のメイジの体内では、魔法を使おうとすると、こんなふうに四種類のシグナル伝達回路が動き出す」

 上流から下流へ、水が流れていく四つの大河。
 ただし、そのうちの三つは、すぐに行き止まり。

「……これが普通のメイジ。ところがルイズの場合は……」

 隣にもう一本、別の川を書き足す。『爆発』の川だ。
 そして先に書いた川を、全部そこに繋げる。

「……たぶん、それぞれの魔法へ命令が伝達されず、シグナルが全て『爆発』に行き着くから……」

「何よこれ!? これじゃコモンマジックの説明がつかないじゃないの!? それに! ライン以上なら普通は別系統の魔法も使えるのよ!」

 あっさり却下。
 ……そもそも同じ系統でも色々と魔法があるのだから、この説明は無茶だった。知ったかぶりした俺が悪いのだが、ついつい逆ギレしてしまう。

「無理言うな。俺もまだこっちの世界のこと完全に理解してねえ!」

 どうせ仮説なんだし。
 まだ可能性の一つだし。
 先天性欠陥じゃなくて後天性かもしれないし。
 だいたい、魔法っつうファンタジーを遺伝的に解明しようというのが、間違っていたのかも……。
 色々考えながら、俺はジーッとルイズを見る。

「何よ、そのイヤラシイ視線は……?」

「ちげーよ! 今さら小娘見て欲情するかよ!」

「なんですって!? わ、わ、私の胸は……そ、そんなに小さくないわよ!?」

 殴られた。
 そういう意味じゃなかったのに。

「……」

 本当に、イヤラシイ気持ちなどなかった。
 ただ……遺伝子解析できたらなあ、と思って眺めていただけ。
 魔法使いの遺伝子と平民の遺伝子の比較!
 系統の異なる魔法使いの遺伝子の比較!
 それらとルイズの遺伝子の比較!
 ああ! 考えただけでもワクワクするではないか!? 遺伝子抽出キットとDNAシークエンサーさえあればなあ……。

########################

 若者たちは元気である。
 トリステイン魔法学院は、俺の世界でいうところのハイスクールに相当するんだろう。学生や若い職員の中には、みんなの噂にのぼるような出来事をしでかす者もいた。
 金髪の少年が、二股がバレて恋人に愛想つかされたらしい……とか。
 緑の髪の女性秘書が、実は盗賊だったらしい……とか。
 前者は香水の壜を落として、それがキッカケでバレたそうだ。後者はどうしても壊せない壁があって、その前で悩んでいたら捕まったそうだ。
 こういう話を耳にすると、ふと思う。この世界は平和なんだろうなあ、と。

########################

 ある日。
 朝食の後、先に教室に来て、その片隅でルイズが来るのを待っていたら。

「……ヴァイロ。聞きたいことがある」

 ルイズのクラスメートに声をかけられた。
 たしか名前はタバサ。色々な意味でルイズよりも小さい、青髪の眼鏡っ子である。
 ……ちなみに、ヴァイロというのは俺のこと。命名者はルイズ。

『VIROLOGISTだからヴァイロ』

 ということらしい。
 この世界ではカタカタ名前の方がそれっぽいから、俺も結構、気に入ってる。
 郷に入れば郷に従え、ってやつだ。
 もしも俺がずっと日本で暮らしていたら違和感を覚えたかもしれないが、ちょうど数年間のアメリカ暮らしで、『名前』に対するこだわりも消えていた。初対面からファーストネームで、しかも真ん中でチョン切って呼ばれるのと比べれば、『ヴァイロ』は全然マシである。

「……ん? 何でしょう?」

 とりあえず、丁寧語でタバサに対応。
 すると、彼女は淡々と。

「私の母さまは病気。特殊な病気。……治せる?」

 またかよ!? ルイズといい、このタバサって子といい……。
 俺は、ゆっくりと首を左右に振る。

「ごめんなさい。俺は医者じゃないです」

「……それは変。あなたはVIROLOGISTだ、とルイズが言っていた。医術に長けた種族だ、と」

 はあ、ルイズのせいか。
 使い魔が平民というのは嘲笑される元らしく、彼女は『平民じゃない、VIROLOGISTだ』と言い張っているらしい。しかしハルケギニアにVIROLOGISTという職業はないので、俺は、そういう種族なのだと誤解されている。

「たしかにVIROLOGISTだけど……。臨床系じゃなくて基礎系なんだ」

「リンショウケイ? キソケイ?」

「病気を治す人と、病気の仕組みを調べる人。……俺は調べる人の方」

「……仕組み知ってたら治せるはず」

 うーん、どう説明しよう……?

「この世界って……魔法の原理を知ってたら、誰でも魔法使える?」

 タバサは首を横に振った。
 そりゃそうだろう。
 ……実は、俺もこの比喩は間違っているとわかっている。しかし、何となく、ケムに巻きたい気分だった。
 ちゃんと説明したら長くなるし。
 あと、基本的に俺、人見知りだから。
 長い付き合いになりそうなルイズ相手なら、時間かけて説明しようって気にもなるが、タバサが相手では無理。初対面の、しかも無表情の、しかも女の子なのだ。そんな彼女を相手に、しどろもどろの説明をする気分ではなかった。

「……座学は優秀。でも魔法は苦手」

 タバサは、ちょうど教室に入ってきたルイズを指さした。
 うん、話を終わらせるには良いタイミングだね。

「それと同じです。だから……ごめんなさい」

 言いながら、ペコリと頭を下げる。
 彼女は理解したらしく、無表情ながらも、少し哀しそうな目で。

「そう。あなたはルイズの使い魔なのね……」

 ん? 何を今さら……。

「ゼロの使い魔はゼロ。あなたは……ゼロのVIROLOGIST」

 そして彼女は歩き去った。

「ゼロのVIROLOGIST……」

 オウム返しにつぶやいてしまう。
 ……。
 どうせこの世界じゃVIROLOGISTは役立たずだろうよ!
 なお、この少女が実は読書家であると知り、ならば彼女から色々教えてもらえばよかったと後悔するのは、ずっと後のことである。





(第二話へ続く)

########################

 タバサによって命名された、ゼロのVIROLOGIST。これが、このSSのタイトル。
 サラリと数行で流しましたが、一応、原作第一巻のイベント終了。こんな感じで今後も、各巻数行程度で片づけていくつもり。

(2011年5月24日 投稿)
   



[27911] 第二話「スパイ発覚! 王女さま来訪中止!」
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/06/07 20:27
   
 ある日。
 教室で『疾風』ギトーによる風魔法の講義が行われていたところに、変に着飾ったコルベール先生が飛び込んできた。

「おっほん。今日の授業は全て中止であります!」

 どこの世界でも、これくらいの年頃の学生は授業など好きではないようだ。教室中から歓声が上がる。その歓声を抑えるように、コルベール先生は説明を続けた。

「えー、皆さんにお知らせですぞ」

 この国の王女さまがトリステイン魔法学院に来るのだという。ゲルマニアという国を訪問した帰りに、フラッと立ち寄るらしい。
 ……俺にはよくわからない話だが、教室はざわめいている。生徒は皆、正装して門に整列するように命じられ、いったん解散となった。
 ところが。
 いざ着替えて正門近くで待ってみると、いつまで経っても、お姫さまなんて来やしない。

「……どうしたのかな?」

 やがて、王宮から使いが来た。王宮でちょっとした騒動が起こり、魔法学院に寄っていられる場合ではなくなり、急いで城へ戻った……とのこと。
 後で聞いた話によると。
 なんでも、敵国と通じるスパイが城下にいたそうな。それがフーケという盗賊を脱獄させようとして、失敗して捕まったそうな。
 ……スパイとか、脱獄とか。言葉だけ聞けば、物騒な感じもする。平和なファンタジーの世界でも色々と事件は起こるのだなあ、と、他人事のように俺は思った。

########################

「今日は、街まで出かけるわよ」

 ルイズが突然そう言い出したのは、虚無の曜日の朝のことであった。
 虚無の曜日とは、ようするに日曜日だ。しかし不思議なことに、ハルケギニアでは一週間が八日ある。こちらの暦では、一週は八日、ひと月は四つの週、一年は十二の月。つまり、一年の長さが地球とは異なるのだ。
 これは、なかなかに興味深い。俺は最初ハルケギニアを異世界だと思っていたわけだが、もしかすると異世界ではなく、地球と同じ世界(universe)に存在する別の星なのかもしれない。
 つまり、ファンタジーの世界(world)ではなく、SFの世界(world)だ。
 ……だが、しかし。
 実は俺は、宇宙人の存在を信じない人間である。地球人そっくりな宇宙人がいるというのは、生物学者の端くれとして、感覚的に受け入れがたいのだ。同じ地球という惑星の中にも多種多様な生物が存在し、中にはウイルスのように、生物と言えるかどうか微妙な存在まであるのに……。他の惑星に地球と酷似した生物が存在する可能性なんて!
 とはいえ、純粋なフィクションとしては、俺はSFドラマも大好き。そうしたSFによくある設定で、地球人も宇宙人も起源は同じだとか、宇宙人は地球人が大昔に移住させられたものだとか。……それがハルケギニアにも適用されるのであれば、ここが別の星だとしても納得できる。
 召喚魔法があるくらいだから、大昔にハルケギニアへやってきた地球人がいて。いやいや、魔法が使えるようになったのはハルケギニア移住後であろうか。環境に適用できるように、突然変異で……。

「どうしたの、ヴァイロ?」

 ルイズが不思議なものでも見るかのような目で、俺の顔を覗き込んでいる。
 うん、あーだこーだと深く考え込んでる場合じゃない。
 だいたい、今は世界の成り立ちよりも、もっと考えるべき事があるはずだ。
 俺は、少し誤摩化すように、ルイズに聞き返す。

「街まで出かけるって……。呑気に遊びに行ってていいのか? そんな暇があったら、ルイズの姉さんの病気について調べたいんだが……」

「そのために行くのよ」

 ルイズは、少し複雑な表情で。

「エレオノール姉さまのところへ行くの」

########################

 魔法学院からトリステインの城下町までは、馬で三時間。
 もちろん乗馬は初体験。腰が痛くてたまらない。何かに似ている気もするが、こんなに腰が痛くなるような行為は、もう何年も……ゴニョゴニョ。

「情けない。馬にも乗ったことがないなんて。これだから平民は……」

 二人で城下町を歩きながら、ルイズが言う。
 使い魔が平民というのは恥ずかしいらしく、クラスメートに対しては「ヴァイロは平民じゃない、VIROLOGISTだ」と言い張っているルイズだが、今は二人きり。俺を馬鹿にする意味もこめて、あえて『平民』と言っているのだろう

「心配すんな、そのうち慣れる」

 そう。
 ハルケギニアで暮らす以上は、馬にも慣れないといけないのである。『郷に入れば郷に従え』というヤツだ。
 素早く新しい環境に適応するという自信はないが、時間さえかければ順応できるという確信はあった。
 なにしろ。
 俺はずっと日本の都会で生まれ育ったわけではなく、ハルケギニアに来る直前の数年間は、アメリカの田舎町で働いていたのだ。鉄道はなく、唯一の公共機関であるバスも週末はお休み。でもアメリカなのでタクシーは危険だから乗っちゃいけません、という辺鄙な環境。
 最初は辛かったが、やがて『住めば都』となった。日本で自転車に乗る感覚で、自家用車を使うだけ。車がないと買い物にも行けないからこそ、週末は助手席に同僚女性を乗せて遠くまで買い物ドライブ、なんてイベントも発生したわけだし。……ただし単発イベントであって、先のあるフラグでもなんでもなかったけど。
 今度は——このハルケギニアでは——、馬がそれに相当することになるだけだ。

「そんなことより、そのエレオノール姉さんのところってのは、まだ遠いのか?」

「もう見えてきたわ。……ほら!」

 そう言ってルイズが指さしたのは、トリスタニアの西の端。そこに『王立魔法研究所(アカデミー)』の塔があった。

########################

 ルイズの長姉エレオノールの研究室は、塔の四階にあった。

「いつ見ても、研究一辺倒な部屋だわ……」

「そうか? むしろ俺には、飾り過ぎに見えるんだが」

 ルイズのつぶやきに、全く逆の感想をもらす俺。
 壁際には棚があり、研究材料らしきものが入った壷が並んでいる。しかし棚の間には、肖像画が飾ってあるのだ。装飾らしい装飾はそれだけであるが、本来、実験をする部屋ならば、飾る必要などないはずだった。
 もしかして、俺が思っている『研究』とハルケギニアの『研究』って、まったく違うのだろうか? 理系的な『研究』を想像していたのだが、むしろ文系的なのか?
 そして、この部屋の主は……。

「……これが、ちびルイズが召喚した使い魔? ただの平民じゃないの」

 眼鏡のふちに手をかけながら俺をジロジロと眺める、見事なブロンドの女性。
 歳の頃は二十代後半だろうか。どことなく顔立ちがルイズに似ている。美人ではあるが、やや吊り上がり気味の眼鏡の形と相まって、きつい印象を与える。ルイズの気の強い部分を煮詰めて成長させたような感じだった。

「ただの平民じゃありません。VIROLOGISTです。……あ、ご婚約おめでとうございます、エレオノール姉さま」

 エレオノールは、ルイズにとって絶対に頭の上がらない存在らしい。それでも軽く口答えをし、とってつけたように婚約祝いを述べるルイズ。
 ここに来る前にルイズが教えてくれた情報では、このエレオノールという女性、近々バーガンディ伯爵家というところに嫁ぐ予定になっているそうだ。
 すでにエレオノールは、この世界の貴族の感覚では行き遅れ気味の年齢。女だてらに研究生活を送っているせいで結婚も遅れがちと言っていたのに、めでたく話がまとまって、今はとても上機嫌。何かあったらとりあえず「婚約おめでとう」と言っておけばいい……というのが、ルイズの考えだった。
 案の定。

「ちびルイズ。そんな言葉では誤摩化されなくってよ?」

 そう言いながらも、エレオノールの纏う空気は少し柔らかくなった。
 ふむ。
 キツイ美人であっても、やはり女性ということか。貴族同士の適当なお見合い結婚ではなく、本当にバーガンディ伯爵とやらに惚れているのだろう。恋する女性特有の色気がわずかに滲み出ていた。
 自慢じゃないが、こういうオーラに俺は敏感である。昔はよく、詳細不明なまま何となく感じ取って「最近あの子、かわいくなったな」と、恋人が出来たばかりの女の子に惚れてしまって困ったものだ。
 ……まあ、それも地球にいた頃の昔話。ここハルケギニアでは、大丈夫であろう。
 などと俺が考えていると。

「まあ、いいわ。ただの平民じゃないって言うなら、芸を見せてごらんなさいな」

 芸って。犬かよ。……いや、使い魔なんてそんな扱いだというのは、俺も何となくわかっているけど。

「ほら、ヴァイロ。ビシッと言ってやりなさい。姉さまも知らない、あんたの世界のカガクってやつの話を」

「カガク……?」

 ルイズに小突かれ、エレオノールには不思議な顔をされ。

「わかりました。では……」

 ひとつ深呼吸をしてから、俺は話を始めた。

########################

 俺の世界では魔法の代わりに科学が発達していること。その中でも俺はウイルス学(virology)をやっていたこと。ウイルスとは微生物の一種であること……。

「……というわけでウイルスは、生物として必須の機械を借りるために、他の生物に感染するわけです。つまり、設計図だけを入れたカプセル……と言えばイメージしやすいでしょうか」

 とりあえず、前にコルベール先生に話したのと同じ内容を告げてみる。
 エレオノールは一応、研究者のはず。ルイズには通じないがコルベール先生ならば理解できた言葉は、エレオノールには大丈夫と判断して使ったのだが……。
 失敗だったかな?
 見れば、エレオノールは眉間に皺をよせて、親指で額をグリグリとやっている。
 少し考え込んでいたようだが、すぐに顔を上げて。

「ウイルスには『設計図』も『パーツ』も『設計図のコピー機』もあるが『製造機械』がない……。その例え話のほうが、かえって私にはわかりにくいんだけど……」

 げ。
 コルベール先生とは違うようだ。
 では、どう説明しよう?

「……でも少しは理解できたわ。魔法で羽根ペンを操って、一度に幾つも同じ筆記をすることがあるけど……『コピー機』っていうのは、それのことね? 『コピー機』があって『製造機械』がないというのは、それは出来るけど錬金の魔法は使えない、みたいなものでしょ?」

 ちょっと違うような気もしたが、俺は頷いておく。
 例え話である以上、あまり細かいことにこだわっても仕方ない。重要なポイントさえ正しければ、それでいい。それよりも、話を先に進めなくては。

「ああ、エレオノールさんの御専門は土魔法なのですね」

 ルイズから聞いた予備知識を活かして、言ってみる。
 エレオノールが口にした『錬金』は、土魔法の一種だ。ルイズの授業に同席していたから、それくらいは俺も知っている。
 授業では見本として、教師が石を金属に変換していた。物を作り変える魔法であるというなら、なるほど、一種の『製造機械』と言っていいかもしれない。

「そう、私の専攻は土魔法。それを使って美しい聖像を作るための研究をしているの」

「すごいですわ、姉さま!」

 ルイズが御機嫌取りの言葉を挟むが……。
 ちょっと待て。
 俺は心の中だけで、思いっきりツッコミを入れていた。
 美しい聖像を作るための研究……だと? この人がやっているのは、芸術的な研究なのか!? ならば、俺たちの役には立たないぞ!?
 ……いやいや。このハルケギニアの世界は、地球でいえば、昔のヨーロッパのようなところ。地球でも昔は、学問の専門分野が細分化されていなかったし、芸術も科学もゴッチャだったんじゃなかったっけ?

「ほら。見なさい、ちびルイズ。これが、私が今とりかかっている物で……」

 俺が少し考えている間に、いつのまにかエレオノールは、聖像を引っ張り出してきていた。
 ルイズの「まあ!」とか「さすが!」なんて言葉でいい気になっているところを見ると、この人も研究者の端くれなんだなあ。自分の研究成果というものは、研究者にとっては我が子のようなものなのだ。
 それはともかく。
 彼女の研究披露が一段落ついたところで、俺は話を本題に戻す。

「……えーっと。ウイルスというものを理解して頂けたなら、では免疫の話をしましょうか」

 そう。
 誰かの病気を治すにしても、俺が地球でやっていた仕事の詳細を語るにしても。
 この『免疫』という言葉を避けて通るわけにはいかない。

「人間には免疫反応というものがあります。簡単に言うならば、体の中に入ってきた異物をやっつけようとする力のことで……」

「待って」

 エレオノールが、俺の言葉を遮った。

「あなた……えーっと、ヴァイロ……だっけ? さっきから難しい用語ばかり使っているけど……。その『免疫』って、ようするに、体の中の水の流れの一種ね。抵抗力のことでしょ。水魔法もそこに作用するんだから、ハルケギニアにも同じような概念はあるし、研究だって進んでいるわ。……この魔法研究所(アカデミー)でも、同僚のヴァレリーの専門は水魔法よ」

「姉さま。でも、ちいねえさまの体は、ハルケギニアの水魔法では治せないのでしょう? だったら、ヴァイロのカガクで……」

「はあ……。それがルイズの魂胆だったのね。わざわざ私のところに来るなんて、何かと思ったら……」

 ため息をつきながら、首を横に振るエレオノール。

「あのねえ、ルイズ。私に何をさせるつもりだったのか、具体的にはわからないけど……。ここは王立魔法研究所(アカデミー)なの。変わった研究はすぐに異端のレッテルをはられて、追放されたり研究停止になったりするところよ」

「じゃあ姉さまは、協力してくれないの!? 姉さまならば、私と違ってヴァイロの話も理解できるのに……」

「待って」

 御丁寧に手まで前に突き出して、エレオノールがルイズの言葉を止める。

「たしかに私は、あなたの使い魔の言ってることを理解したわ。でも……信じたわけではない」

「……へ?」

 意味がわからない、という顔をするルイズ。
 でも。
 俺にはわかった。

「つまり『俺がそう信じている』のはわかったけれど、『それが真実であるかどうか』は別ってことですね」

「そうよ」

 俺の補足に頷いて、エレオノールは、こちらに厳しい目を向ける。
 ……こういう視線を喜ぶ性癖は俺にはないが、それでも俺は、彼女に好感を抱いた。
 これぞ、研究者の正しい姿勢なのである。他人の研究内容を鵜呑みにするのではなく、自分に理解できるデータを自分なりに吟味し直して、別の解釈が成り立つかどうか考えてみる……。
 俺がやっていたウイルス学の世界でも、データそのものは正しいのに考察された結論が間違っている研究論文など、ゴマンとあった。データそのものに問題がなければ一流誌にも掲載されるし、特に問題視もされない。それが学問というものだ。

「でも……信じてもらえないにしても、理解してもらえるのであれば、歩み寄りの可能性はありますかね……」

 冗談めかして苦笑する俺だが、エレオノールの表情は変わらない。
 静かな口調で、彼女は言い放った。

「あなたも研究者だって言うなら……はっきりとした証拠を見せなさいな」

########################

「ほら、ヴァイロ。例のアレを出しなさいよ」

 ルイスがそう言うので。
 俺は、持参してきた携帯電話を取り出す。なるべくスイッチを入れないようにしているので、まだバッテリーも切れてはいなかった。

「見てください、姉さま! これがカガクの証拠です!」

 お前が威張ってどうする。
 誇らしげな態度で、ルイズがエレオノールに携帯電話を手渡した。
 キラキラ光る液晶画面だが……。

「何よ、これ」

 一目見ただけで、ポーンと放り投げるエレオノール。
 ああ!? なんということを!
 慌てて拾いに行く俺の背中に、彼女は追い打ちの言葉を投げかけた。

「こんなものじゃなくて……カガクの証拠じゃなくて、ウイルス学の証拠を出しなさい! ウイルスだかバクテリアだか、そういったものが存在する……っていう証拠よ!」

 そんな無茶な!?
 顕微鏡もないだろう、ハルケギニアには!
 そもそもウイルスを見ようと思ったら、普通の顕微鏡ではなく、電子顕微鏡が必要だ。俺だってウイルスそのものを顕微鏡で直接視認したことはない。顕微鏡を使うのは、ウイルスを培養するための細胞や、ウイルスが感染した細胞や、ウイルスタンパク質が発現した細胞を観察する時であり……。
 ……そうか。
 頭の中でプランを立てた俺は、顔を上げて、言った。

「わかりました。では……」





(第三話へ続く)

########################

 第二話にして、ようやくヒロイン登場。ただし時期的には、まだバーガンディ伯爵と婚約中。
 なお今回はサブタイトルで不思議に思った方々もおられるかもしれませんが、原作第二巻相当だということをハッキリ示したかったのです。そんなわけで、アルビオンへ行かずに第二巻のイベント終了。次回は原作第三巻相当の予定(たぶん次回サブタイトルは「明るみに出たラブレター! 同盟の破棄!」)。

(2011年6月7日 投稿)
  



[27911] 第三話「明るみに出たラブレター! 同盟の破棄!」
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/07/30 23:10
   
「……ウイルス学の証拠を出しなさい! ウイルスだかバクテリアだか、そういったものが存在する……っていう証拠よ!」

「わかりました。では……」

 エレオノールの鋭い視線に負けぬよう、彼女を正面から見据えつつ。
 俺は、慎重に言葉を選んだ。

「目に見えぬ微生物を、ちゃんと見えるようにしてみせましょう。……ただし準備のために、しばらく日数をいただきたい」

########################

 ……少し昔話になるが。
 かつて、俺がまだ地球の、日本で大学院の学生だった頃。
 研究室配属されたばかりの後輩と、なぜかテレビゲームの話で盛り上がったことがあった。

「そういやぁ、あんなに好きだったRPG(ロールプレイングゲーム)も、もう長いこと、やってないなぁ……」

「研究が忙しいと、ゲームをする暇もなくなるんですか?」

 そう聞いてきた後輩に対して、俺は少し考えてから、答えたものだ。

「違う。もうRPGなんて、前ほど楽しめなくなったから。だって……研究だってRPGみたいなものだし、そっちのほうが面白いからね」

 俺は元々、シナリオ性の高いRPGが好きだった。ゲーム作者が用意した謎を、少しずつ解き明かしていく……。その面白さに魅せられていたのである。
 物語の真相が明らかになった時の「ああ、そうだったのか!」が楽しみだったわけだが、ゲームの謎なんて、今にして思えば、しょせんゲーム作者が用意した謎。
 一方、生物学者が一つの研究をまとめあげた時に導き出される新しい結論——『結論』と言い切るのに抵抗あるならば『学説』——は、人間が作った問題に対する答えではない。生物の謎は、大自然が生み出した問題! それに対する答えの一つ!
 ゲームと同じように好奇心を刺激され、しかも、ゲームを超える壮大なスケールが用意されている……。それが生物系の研究というもの。
 めんどくさい実験をチマチマやるのは、RPGでいうところの経験値稼ぎ。地道に弱モンスターと戦って、ちょびっと経験値をもらうのと同じ。そう思えば、ロクなデータも得られない予備実験とか、ただ再現性を確認するためだけの退屈な追試実験とかも我慢できる。
 重要なデータを導くためのキーになる実験は、RPGでいうところの中ボス戦。貴重なサンプルを使っている場合などはミスも出来ないし、慎重に、心してかからねばならない。そのかわり、満足な結果が得られた後には、RPGで難敵を倒した時と同じような爽快感……。

「へぇ……。それって、研究好きな人の、考え方ですねぇ……」

 ゲームに例える俺の話を聞いて。
 後輩は、呆れたような声ではなく、少し感心したような声を上げていた。
 これが実際の研究生活とは無縁の人間ならば、「そんな軽々しい気持ちで実験するな!」と怒るかもしれないが、後輩は違う。俺と同じ側の人間だったのだ……。

########################

「ボーッとしないでよ、ヴァイロ!」

 ルイズに背中を叩かれて、俺は回想から現実へと引き戻された。
 別にボーッとしていたわけではない。微生物が実在する証拠をエレオノールに示すことは、カトレアの病気を研究するという『ゲーム』における、言わばファーストバトル。むしろ気を引きしめていたつもりなのだが……。
 ルイズに言っても無駄だろう。RPGなんて言葉が通じるとは思えないし、通じたら通じたで、姉の治療をゲーム扱いしたということで怒られそう。

「エレオノール姉さまに対して、あんた、自信ありげな口ぶりだったけど……」

 王立魔法研究所(アカデミー)からの帰り道。
 トリスタニアの城下町を並んで歩きながら、ルイズは少し不安そうな目で、俺を見上げる。

「……本当に大丈夫なんでしょうね?」

「ああ、心配するな」

 安請け合いではない。
 これは、俺にとっての最初の戦い。ある意味では、中ボス戦とも言えるかもしれない。
 そこに勝算もなく突入するほど、俺は無謀ではないのだ。

「自分の目で見るまでは信じられない……というのが、研究者の本質だ。でも、ハッキリ目に見える形で示せば、嘘ではないとわかってもらえる」

「そうは言うけど……ヴァイロの話だと、見えないくらい、小さな小さなものなんでしょ?」

 微生物の『微』くらいは、もう理解しているルイズ。
 彼女に対して、俺はニヤリと口の端を上げた。

「……プラークアッセイってものがあってね」

 猫も杓子も分子生物学という時代。ウイルス研究の分野でも、リアルタイムRT-PCRでメッセンジャーRNAやウイルスRNAをチェック……なんて定量法が主流になってきたのかもしれないが、俺が研究を始めた頃、最初に教わったのは、もっと生化学っぽい手法であった。

「ぷらーくあっせい……?」

「そう。希釈したウイルスを細胞シートに感染させて、粘性の高い培養液で培養する。するとウイルスが最初に入った細胞とその周囲の細胞だけが死んで、そこにプラークが形成される。これを数えることで、ウイルスの定量が出来るんだ」

 培養細胞の多くは、シャーレなりガラス皿なりの底面に付着して育てるものだ。浮遊系細胞というものもあるが、この際それは例外ということで。
 池の底に広がったヘドロをイメージしてもらえばいいだろうか? 湖底の土や岩の上にヘドロが積もり、さらにその上に湖水があるように。容器の底面に細胞が吸着して、さらにその上に培養液がある。
 そうやって培養している細胞にウイルスを感染させると、感染した細胞内で子孫ウイルスが作られて、細胞の外へ放出される。それは培養液の中をプカプカと浮かんで別の細胞へ感染して、またウイルスが作られる。
 池とヘドロの例えで言うならば、湖底のヘドロの中に産みつけられた魚の卵のようなものであろうか。卵から孵った魚が成長して、池の中を泳ぎ回り、また湖底に卵を産みつける。しかもヘドロに堆積した養分を利用するので、その度にヘドロも減っていくイメージ。
 ……と、まぁ、これが普通のウイルス感染なわけだが。プラークアッセイの場合、ちょっと培養液に一工夫。使うのは、ドロドロした培養液や、培養液を寒天で固めたもの。だから子孫ウイルスも自由に動けず、出てきた細胞の隣の細胞にしか入れない。細胞が死ぬのも、最初に感染した細胞の周りだけ。
 池の比喩ならば、池の水を全部ゼリーにしたようなものである。卵から孵った魚は身動きとれず、成長しても、すぐ近くに卵を産むしかない。ヘドロが減っていくのも、その周囲だけ……。

「……わかんない」

 わかってくれよ。
 わかりやすく説明したつもりなのに。
 とっさに思いついた池やヘドロの例え話は、どうやらルイズには通じなかったらしい。
 うーむ。
 やっぱり、言葉だけでプラークアッセイを説明するのは難しいのか。研究室配属前の若い学生たちを対象に、実験授業で原理を教える時だって、模式図の助けを借りていたわけで……。

「そうだ。細胞シートって言葉から、ピクニックシートのようなものを連想したらいい」

 別の比喩を使ってみる。
 容器の底いっぱいに広がった細胞、これを俺たちは細胞シートと呼んだりする。隣り合った細胞同士がくっついて、一枚のシートのような状態になっているからだ。
 キズ一つないピクニックシートに、一滴の強酸をたらす。今度の場合は、この強酸がウイルスに相当する。酸でシートは溶けて穴が開くわけだが、ほんの一滴の強酸でもジワジワと広がり、ハッキリと見える程度のかなり大きな穴があく。
 ……あれ? この例えだと、ウイルスが遠くの細胞まで届かないことは、どう説明するんだろう? そもそも、強酸があける穴が広がっていくのって……どういう原理? 俺、生物系であって化学系じゃないから、そのあたりは知らんぞ……?

「……もっとわかんない」

 案の定。
 ちょっとルイズを混乱させてしまったらしい。

「ごめん。ともかく……プラークって形で、死滅細胞の塊が出来るから、それを数えるんだ」

 アッセイとしては『ウイルスを希釈する』というのも、大きなポイント。細胞を全部殺してしまうような濃いウイルスでは、プラークなんて数えられない。
 十倍、百倍、千倍……と段階的に希釈したウイルス液を用意する。少ない時でも十の六乗とか七乗とか、多い時には十乗以上の段階希釈をする。ウイルス価を測定したいサンプルごとに、嫌になるほど段階希釈しないといけないので、そこが一番面倒なところ。

「……よくわからないけど……その『ぷらーくあっせい』ってやつをするのね?」

「違う」

 ルイズの言葉を、アッサリ却下する俺。
 だいたい、ここハルケギニアで研究をするにあたり、細胞培養だってそう簡単に確立できるとは思えない。ましてやウイルス感染とかプラークアッセイなんて、まだまだ先の話である。
 ……と説明したら、ルイズが怒り出した。

「何よ! だったら、なんであんな難しい話を始めたのよ!? 私のこと混乱させて、馬鹿にしてるつもり!?」

「わっ!? おい、殴るな! 暴力反対!」

 ルイズのポカポカから、身を守りつつ。

「プラークアッセイとは違うが、似たような原理で……」

 叩かれながらも、それでも笑顔で言い切った。

「……バクテリアのコロニーを作るのさ!」

########################

 魔法学院に戻った俺たちは、ルイズの部屋へ。
 そこでいったんルイズとは別れて、俺は一人で厨房へ向かう。

「あら、ヴァイロさん」

 厨房に入ったところで、メイドのシエスタに声をかけられた。
 そばかすと黒髪が可愛らしい、素朴な少女である。髪の色が黒いというだけで、俺は親近感を感じてしまう。なにしろこの世界、ありえない髪の色をした人間が多いのだから。
 人間には、自分と違うものに憧れる気持ちや、逆に恐れる気持ちがあるはず。俺のように人見知りな人間の場合、たぶん後者の方が強いのだろう。
 アメリカで暮らしていた時も、一番親しくしていた女性は、黒髪のアジア人だった。酒の席でアメリカ人から「アメリカの女の子に興味ないの?」と聞かれても「ない」と即答したほど。アメリカ人女性なんて宇宙人(エイリアン)のようなものだ、どうして恋愛の対象に成り得ようか、と正直に言ったら、ずいぶんと笑われたものだっけ。
 ……といっても、ここでシエスタを口説くつもりなど毛頭ない。あくまでも親近感のみ。
 だいたい、シエスタの方でも俺に特別な感情なぞ持っていない。彼女の前でカッコ良く大活躍……なんてイベントもないわけだし。

「今日は出かけるって聞いてましたけど……?」

「うん。トリスタニアの街まで行ってきた。ちょっと予定より早く戻ってきただけ」

「予定が変わったんですか? 大変ですね、ミス・ヴァリエールに振り回されて……」

 シエスタから見た俺は、平民なのに特殊技能を持った、少し変わった人間。
 俺が彼女に対して専門知識を披露したことはないのだが、一応、ルイズが『平民じゃない、VIROLOGISTだ』と言って回っているのは耳にしているらしい。VIROLOGISTが何なのかわからなくても、貴族でない以上は平民である、というのがシエスタの認識のようだ。

「いや、別に振り回されてるってほどでも……」

「でも……人間なのに、使い魔をやっているわけでしょう? それに……大きな声では言えませんが、ミス・ヴァリエールって、すぐカッとなって手を上げるとか……」

 シエスタの言葉に苦笑しつつ、俺は一応の擁護をする。

「いやいや。そんな理不尽な子じゃないよ、ルイズは。……噂は噂、かなり大げさになってるみたいだね」

 ……まあ、シエスタの言うところも、わからんではない。もしも俺が若い時に召喚されていたら、俺も「理不尽だ!」と腹を立てていたかもしれない。
 しかし。
 地球で、大学の理系の研究室を経験した後では……。ルイズなぞ、まだかわいいものだ。大学教授の理不尽さと比べれば、大抵の物事は許せてしまう。
 研究室のボスである大学教授は、一国一城の主であり、お殿様である。白と言えば黒いものでも白となる、そんな絶対君主である。
 もちろん研究室だって大学という大きな組織の一部ではあるわけだが……。管理すべき事務側の人間も、教授連中にはペコペコ頭を下げる。教授が書類の提出期限を破って事務所が迷惑しても、「偉い人だから仕方がない」という顔を見せる。
 そんな扱いをされていては、教授が学生に対して尊大な態度になるのも、当然なのかもしれない。他の研究室の友人なんて、「夜中の三時に突然電話で教授に呼び出されることも頻繁」と嘆いていたっけ。さいわい、俺はそこまで酷いボスの下で研究をしたことはなく、せいぜいが、夜の十時頃に帰ろうとしたら「もう帰るのかい、今日は早いね」と言われたり、日曜や祝日の翌日に「昨日は丸一日来なかったようだね、何をしていたんだい」と言われたり……。

「……端から見てると、実際以上に苦労してるように見えるだけさ。……俺から見たら、シエスタのメイド仕事の方が、よっぽど大変そうだ」

「いえ、私なんて……。これは、お給金もらってやってる仕事ですから」

 俺もルイズの分の掃除や洗濯をやらされているわけだが、これだって、下僕、というほどでもない。
 研究室の当番の仕事のようなものだ、と考えて、自分を納得させている。
 ……ちょっと説明すると。
 ウイルス学の研究で使う実験器具は、ただ洗ってあればよい、というわけではない。目に見えない微生物が器具に付着していては、実験が成り立たなくなってしまう。だから、物理的な汚れや化学的な汚れを落とすだけでなく、生物的な汚れを落とすことも重要となってくる。
 そのため、洗って乾かした後で、ガラス器具は蓋をして密閉して、乾熱滅菌する。ものすごい高温に一定時間さらして、菌やウイルスを殺す——滅菌する——わけだ。この『ものすごい高温』というのは、ゴムやプラスチックならば溶けてしまうレベル。そのため、ゴムやプラスチック器具の場合は、乾熱滅菌ではなく、高圧で熱い蒸気を吹き付けて滅菌。これを蒸気圧滅菌(オートクレーブ)といい、直後は湿っているから、さらに乾かしてからでないと実験には使えない。
 そんなわけで。実験の後で、器具を洗って、また次に使えるようにするだけで、結構な手間と時間がかかってしまうのだ。これをイチイチ小さな実験の度にやっていては、研究が全然進展しない。だから、いくつかまとめてやるようになる。さらに、各人がそれぞれやっていては、乾熱滅菌機やらオートクレーブ装置などが足りなくなるので……。結局、研究室全体の分をまとめて洗ってまとめて滅菌するのが合理的、となるわけだ。
 ちょっと経済的に余裕のある研究室ならば、洗浄アルバイトを雇っているので、こうした過程にはノータッチ。しかし余裕がなければ、研究者たちが自ら当番制でやることになる。当番の日には「ああ、今日は実験にならないな」と思いつつ、最初から時間のかかる実験はしないように研究日程を組んでおき、「でも、こういう当番の仕事を地道にこなしていかないと、器具が足りなくなって実験できなくなるわけで」と思って我慢して……。
 ……あれ? ここでは俺、何のために我慢してるんだろ?

「おお、ヴァイロじゃねえか」

 俺の思考を遮るかのように、厨房の奥からマルトーさんが現れた。
 見かけは四十過ぎの太ったおっさんであるが、ここのコック長である。丸々と太った体に、立派なあつらえの服を着込み、厨房を一手に切り盛りしている。
 魔法学院のコック長ともなれば、それなりに収入も多いらしいが、平民なので貧乏貴族より身分は下。貴族や魔法を毛嫌いしているようだ。そのくせ「こうやって絶妙の味に料理を仕立て上げるのだって、言うなら一つの魔法さ」と、自分の技能を魔法に例えることもあった。
 ……まあ、彼が貴族をどう思おうと、そこは大事ではない。彼のおかげで毎日おいしいものを食べられるのだから、俺は、ただただ感謝するばかりである。

「……中途半端な時間に来たもんだな。夕飯はまだ出来てないぞ? 昼は外で食べてくるって聞いてたから、もう残ってないし……」

「……ええ、もう昼食は済ませました。今日は食べさせてもらいに来たんじゃないんです」

 そう。
 今回ここに来た理由は、いつもとは違う。

「マルトーさん。腐りやすいスープって……作れますか?」

########################

 味は二の次。とにかく栄養満点で、放置しておいたら、すぐ腐るようなスープ。
 俺に必要なものは、それであった。
 ……もちろん、自分で飲むわけではない。実験に使うのである。

「……腐りやすいスープ?」

 マルトーさんは、あまりいい顔はしなかった。
 そりゃぁそうだろう。
 料理人にしてみれば、食べ物を粗末にするのは、料理に対する冒涜だ。
 それでも、どうしても必要なんだ、と頼み込んで……。
 三日後。
 ようやくマルトーさんから『スープ』を貰えた。
 それをルイズの部屋に持ち帰ると、不思議そうな顔でルイズが聞いてくる。

「そんなもの、どうするわけ?」

「これでバクテリアを増やす」

 食べ物や飲み物が腐るのは、そこに微生物が入り込むから。
 ならば空気中に常在する菌を増やすのにも使えるだろう、と考えたわけだ。

「……で、そっちの粉は何?」

「これは塩」

 厨房からは、『スープ』と共に、塩も少し分けてもらっている。
 まがりなりにも、生物系の実験をするのだ。生理食塩水……とまではいかずとも、等張の食塩水がなければ、話は始まらない。
 ウイルスにしろバクテリアにしろ、ただの水に放り込んだら、増える増えない以前に、まず外膜が破けてしまう。浸透圧の関係である。
 この浸透圧を調節するために加えるのが塩。人間でも鼻から水が入ればツーンとするし、それが嫌だから鼻うがいには食塩水を使うはずだが、あれも原理は同じ。等張じゃないと粘膜がダメージを受けるのだ。

「……この『スープ』の塩濃度がどの程度か、わからないからね。自分で適度に塩を加えて、調節してやらないと」

 実験で使う液体の成分には『140mMのNaCl』を含むケースが多かった。実験書で読んだりレポートや論文に書いたりすることも多かったから、こうして『140mM』という数字までハッキリ覚えているほど。
 この『スープ』も同じ濃度にしたいわけだが……。
 はてさて、『140mM』って、どれくらいだろう? 重量パーセントで覚えていたら、100mlに対して数値分のグラム数を入れるだけだから簡単なのだが、モル濃度では、分子量から計算しないといかん。正確な分子量は覚えていないが、大ざっぱに50くらいだっけ……?
 ……いやいや待て待て。グラム換算したってダメじゃん! ここはハルケギニアなんだから、グラム単位で計り取ること自体できないだろ!?

「どうしたの? いきなり挫折?」

 軽く頭を抱え込む俺に対して、軽蔑したような視線を向けるルイズ。
 それにも負けず。

「いや、大丈夫……」

 俺は、もらってきた『スープ』をガラスのビンに小分けし始めた。
 蓋は開けたままで、パラパラと塩を加えていく。一番目のビンには小さじ一杯、二番目のビンには小さじ二杯……。
 まずは、適切な塩濃度を決める実験だ。

########################

 ウイルスにしろバクテリアにしろ動物細胞にしろ、普通は37度Cで培養する。低温の方が増えやすいウイルスを35度Cで増やしたり、高温に対する抵抗性を実験するため39度Cに上げたりすることもあるが、基本は37度C。
 要するに、人肌の温かさである。人間も微生物も、根本は同じなのだ。
 だから本当は37度Cの恒温培養機を使いたいのだが、そんなものがハルケギニアで手に入るわけもない。火や熱水で温めることは可能だろうが、一定の温度に保てないようでは、実験の再現性が得られなくて困る。
 それくらいなら、むしろ室温の方がいい。日によって多少の変化はあるとはいえ、なまじ不安定な装置を作るよりは、温度変化は小さいはず。それに、室温は人肌より10度C以上低いだろうが、それでも微生物は増えるのだ。……室温で微生物が増えないなら、いたみやすい食材を冷蔵庫にしまう必要もないわけだし。
 そんなわけで。

「何よ……これ……」

「これが空気中の雑菌……つまりバクテリアだ」

 ルイズの部屋で数日放置しておいたら、透明な澄んだ『スープ』も、立派に濁ってくれた。
 あんまり差はついていなかったが、一応、一番濁りが激しいのは三番目のビンのようだ。
 つまり、このサイズの容器なら、小さじで三杯の塩を加えた時に、最適条件になるらしい。

「空気中の……? 目に見えないだけで、私の部屋は実は汚いってこと……?」

 結果をチェックする俺の横で、ルイズが不機嫌な顔になった。
 まずい。
 慌てて、俺は訂正する。

「違う、違う。そうじゃない、これが普通なんだ。どこでもこれくらいは、いて当然」

 別に菌は『汚い』ものではないのだが……。
 一般人の感覚だと、そうなっちゃうのかな?

「……で? エレオノール姉さまに、これを持っていって見せるの? 『この濁りがバクテリアです』……って」

「いや……」

 自分でも煮え切らない態度だろうな、と思うような口調で、俺は続けた。

「……もう少しハッキリした形で見せる。液体をまんべんなく濁らせるんじゃなくて……固形のバクテリアの塊を見せた方が、具体的でいいだろ?」

「そんなことできるの?」

「ああ。それが『コロニー』さ」

「……? じゃあ、なんでワザワザ、こんな濁ったスープを用意したの?」

 ルイズの言葉は、当然の疑問。
 だが、これに対する答えは簡単だ。

「この『スープ』……つまり培養液が、今回のためにも、今後のためにも、必要なんだよ。ちゃんと『濁る』力を持った『スープ』が、ね」

 濁ったスープが必要だったわけではない。
 スープが濁るのを確認することが必要だったのだ。

########################

 ルイズには『これが空気中の雑菌』と言ったが、では、あの濁りのもとが本当に空気中に漂っていたのかと問い詰められたら、俺は上手く答えられないだろう。
 だから、液体培養ではダメなのだ。
 そこで出てくるのが、いわゆる寒天プレートである。
 ……塩と例のスープと、さらにゼラチン粉を持参して、俺はコルベール先生の研究室に向かう。

「やあ。待っていたよ」

「すいません。頼んでいた器具ですが……」

「ああ、それも作っておいたよ。……こんなものでどうかな?」

 コルベール先生が指し示したのは、作業台の一画に置かれた鉄の箱。
 ちょっとした机くらいの大きさがあり、前面以外の五面は、ただの鉄板。ただし前面は上から2/3はガラス板、下1/3は鉄の小扉という構造になっていた。

「ありがとうございます! バッチリです!」

「何……これ?」

 後ろからルイズが、不思議そうな顔で覗き込んだ。
 ここは制作者のコルベール先生の口から語ってもらおうと思ったが、彼の顔を見ると、俺に説明を促しているっぽい。
 まあ、基本設計は俺なのだし、意図や目的を説明するのは、俺の方が相応しいか。

「これは……無菌箱だ」

「むきんばこ?」

「そう。微生物を扱う……つまり無菌操作を行うための、基本的な実験装置さ。……もっとも、中でも一番簡素なものだけどね」

 微生物の実験で最も困るのは、雑菌の混入である。ルイズの部屋の雑菌を増やしてみせたように、一見どんなにキレイに見える部屋でも、空気中にはバクテリアなどがウヨウヨしているのだ。
 だから、実験には無菌化されたスペースが必要である。そのための一番簡便なものが無菌箱であり、俺も昔はお世話になった。
 もちろん、ぶっちゃけて言えば、ただの箱である。クリーンベンチとか安全キャビネットほどの高い無菌性は望めない。フィルターを通して無菌の空気を流しこんだり、手を突っ込むところに空気流の壁があったり……というわけではない。
 それでも、バクテリア操作くらいならば、これで十分だ。

「……ただし、これを使うのは今すぐじゃない。まずは外で、ちょっとした準備」

 ルイズに軽く説明してから。
 俺は、例のスープに塩とゼラチン粉を加えた。
 ……厳密には『ゼラチン』とは違うのかもしれないが、ともかく、これも厨房で分けてもらってきたものだ。ゼリーやプリンを作る際、固めるために加える粉だそうだから、寒天だかゼラチンだか、そんなものなのだろう。
 そして。

「では、お願いします」

 コルベール先生に頼んで、ゼラチン入りスープを熱してもらう。
 あとで冷まして固めるためには一度温める必要があるし、同時に、滅菌の意味もある。だからコルベール先生に渡す前に、ビンにはキチッと蓋をしておいたし、また、蓋をしているからこそ、この段階の作業は無菌箱の外で出来るのだ。

「ここに浸けたまえ」

 コルベール先生は、お鍋にお湯を沸かして、湯煎の用意をしてくれていた。
 彼は火を得意とするメイジ。彼の火力で直接熱するのは危険……ということらしい。
 湯煎では温度が100度C以上にはならないので、滅菌という意味では、やや不完全だが……。
 100度Cでも死なないくらい丈夫な微生物など稀なはず。そんなものが混入してきたら、さすがにゴメンナサイするしかない。

「なんだか、料理みたいね」

 横で見ているルイズが、そうつぶやいた。
 貴族の公爵令嬢だから、料理なんてしたことないだろうに。
 ……まあ、でも、そう見えるのも無理はないか。やってることは、まさにスープのゼリーを作っているようなものなのだから。

「ヴァイロくん。そろそろ……いいかな?」

「そうですね」

 念のため、かなり長時間加熱した後。
 今度は、少し冷ます。といっても無理に冷ますわけではなく、自然冷却。
 もちろん、冷ましすぎては意味がないので、容器が手で持てるくらいの温度になったところで、次の段階へ。

「ようやく、これを使うの?」

「うん」

 いよいよ、無菌箱の中での作業である。
 両手を肘の辺りまで消毒してから、前面下部の小扉を開けて、中に突っ込む。
 ……ちなみに、消毒液もコルベール先生に用意してもらったものだ。ハルケギニアで消毒用エタノールなど手に入るわけもないので、安酒のアルコールで代用。それを『錬金』で増やしてもらった。
 実は飲食物を『錬金』するのは難しいらしいのだが、その理由は、多少の不純物が混じって風味が変わるから。でも俺たちの用途では、消毒さえ出来れば良くて、味など関係ないので、そこは問題なし。
 コルベール先生は『火』のメイジであるが、土魔法の『錬金』も使える。もちろん本職の『火』は、乾熱滅菌や火炎滅菌の際に大助かり。微生物の実験をするにあたっては、コルベール先生、マジ便利である。

「……で、何をするの?」

「寒天プレートを作る」

「かんてんぷれーと……?」

「まあ、見てればわかる」

 ルイズの好奇心に答えながら、俺は無菌箱の中にガラス皿を並べていく。
 ちょうどパカッとはまるような、同じサイズの蓋がついたガラス皿だ。ただし今、その蓋は、少しずらして半開きにした状態。ちょうどコントでカツラがとれかけた禿頭のおじさんのように、斜めになっている。
 そこに素早く、熱したスープを注ぎ込む。次から次へと。

「これでOK」

 全部ガラス皿に注いだところで、無菌箱での操作は、いったん終了。
 無菌箱自体の扉は閉じたが、ガラス皿の蓋は半開きのまま。スープは熱いので、もしも閉じると、蓋の内側が湯気で曇って、あとで水滴が垂れてしまうのだ。かといって、全開にしておくのは、いくら無菌箱の中とはいえ——雑菌混入の可能性がゼロではないので——、少し気持ちが悪い。だからこの段階では『半開き』とするのが恒例になっている。

「スープが固まるまで、しばらく放置だよ」

「なんだか……待ってばっかりなのね」

 そのとおり。
 生物系の研究というのは、やたら『待ち時間』が多いのだ。
 例えば『72時間培養』なんてなったら、丸三日である。その間ただ待っているだけでは給料泥棒なので、当然、別の実験をやることになるが、そっちも長い待ち時間があったら、その間にまた別のをやることになり……。
 そんな感じで複数の研究を並行して行うのが、生物系の研究者というもの。……まあ、冒頭の例え話じゃないが、RPGでもイベントが複数同時発生することがあるし、それと同じである。
 慣れてしまうと、三つくらいまでは何も考えずに自然に出来る。四つになると、メモしておかないと、ちょっとキツイ。が、ここハルケギニアでは、そんなにあくせく研究するほど、出来ることも多くはあるまい。
 ……ともかく。
 しばらくするとスープは冷めて、中のゼラチンのおかげで、プルンプルンに固まった。『寒天プレート』の完成である。

########################

 さて。
 こうして俺がチマチマと研究の準備を進めている間に、世の中は、少し慌ただしくなってきたようだ。
 まず、ゲルマニアという国との同盟が破棄されたらしい。政略結婚が失敗したのだとか。お姫さまの昔のラブレターが明るみに出たからだそうだ。
 俺なんかから見れば、恋のひとつもするほうが人間らしくていいと思うのだが……お偉いさんは、そうもいかないのだろう。
 続いて、アルビオンという国が攻めこんで来た。港町や、その近くの村が陥落したらしい。戦争、やだねえ。
 しかし実際に戦地となったのは、遠い田舎の話。地球のようにテレビがあるわけでもなく、ニュース映像という形で、自分の目で見ることは不可能。だから、どうにも現実感がない。
 貴族のルイズにしてみれば「関係ない」では済ませられない話のようだが、俺は声を大にして「関係ないね」と言いたい。頼むから、俺を巻き込まないでくれ。
 ……俺は勇者でも何でもない。俺はVIROLOGIST。VIROLOGISTにとっては、研究こそが戦い。
 今の俺にとっては……。エレオノールの課題をクリアすることこそ、大事なバトルなのだ。

########################

「では……これから、目に見えぬ微生物を、目に見えるレベルまで増やしてごらんにいれます」

 その日。
 俺たちは再び、王立魔法研究所(アカデミー)の四階、エレオノールの研究室まで来ていた。
 持参してきたものは、六枚の寒天プレート。無菌箱は大きすぎるので、持ってきていない。
 ルイズは少し、心配だったようだが……。

「むきんばこ使わなくていいの?」

「ああ、この程度なら大丈夫」

 一応、事前に説明しておいた。
 プレート作製時には、ガラス皿の蓋を開けている時間が長いので、無菌環境にしておかないとまずい。しかし植菌の際は、蓋を開けるのは一瞬。この段階の作業は、無菌箱やクリーンベンチの外でやっても平気。
 このあたりは俺の経験に基づいた話なので、まあ、自信があった。
 ……さて。

「……で? そのお皿の中で微生物を増やすわけ?」

 眼鏡のふちに手をかけ、厳しい表情をするエレオノール。
 彼女に対して、俺は臆せず言い切った。

「そうです」

 今この部屋にいるのは、エレオノールと俺とルイズだけではない。実験に協力してもらうため、街で適当に労働者に声をかけ、二人ほど来てもらっている。
 つまり、全部で五人。だからプレートは六枚なのだ。

「……では、みなさん。これから俺がやってみせるのと同じことを、俺に続いてやってください。お願いします」

 俺は左手でガラス皿の蓋をパカッと開けて、素早く、右手を——手のひらと指を——皿の中の寒天に押しつけた。
 この間、わずか一秒足らず。もちろん、作業終了後、ただちに蓋を閉じている。

「じゃあ、次は私ね」

 俺に続いて、ルイズが二枚目のプレートで、同じことを行う。あらかじめ説明しておいたので、ルイズも間違えたりはしない。
 二人の実演があったので、初見の者たちも、やるべきことは理解。三枚目はエレオノールが、四枚目と五枚目は街の労働者二人が、それぞれ同様にやってくれた。

「もう一枚あるわね」

「はい。これは……」

 エレオノールに言われるまでもない。
 俺は六枚目のプレートの蓋を開け、今度は中に手を押し当てることなく、すぐにまた蓋をする。

「……対照(コントロール)のプレートです」

 そう言って、俺は微笑んだ。
 とりあえず、今日の作業は、これで終了である。

########################

 寒天プレートは、寒天培地などと言われることもあるが、要するに培養液を固めたものだ。だから上に菌が乗っかれば、そいつはプレートの栄養のおかげで増える。ただし液体培養とは違って、ふわふわ漂うわけにはいかないから、最初に菌が接触した地点でのみ、菌は増えていく。
 一個体では目に見えない菌体も、一点に密集して増えれば、やがては目に見える塊となる。これが、コロニーと呼ばれるものである。
 そして。
 人間の手には、目に見えない雑菌がウヨウヨしている。人々が帰宅時やトイレなどで手洗いをするのは悪いバイキンを落とすためであるし、また、それとは別に常在菌といって、あんまり悪くない連中も付いているのだ。
 だから。
 手を寒天プレートに押し当てれば……。

########################

 二日後。
 俺とルイズは、またまたエレオノールのところへ。
 彼女の研究室の片隅に、室温で放置しておいた六枚の寒天プレート。それを見に来たのだ。
 今回は結果を見るだけだから、街の労働者も必要ない。今、部屋にいるのは、俺とルイズとエレオノールの三人だけである。

「なるほどね……」

 眼鏡に指をやりながら、ポツリとつぶやくエレオノール。
 結果は、ほぼ俺の予想どおりであった。
 労働者二人のプレートは、ほぼ手の形に、菌がビッシリ生えていた。もちろん完全に『手』を形作っているわけではない。指の先とか、手のひらの一部とか、どうも汗をかきやすい場所ほど、雑菌が多かったらしい。そこが濃くなっていた。
 ……いや、菌の分布の濃淡がわかりやすいのは、むしろルイズとエレオノールのプレートか。

「私たちでも、ゼロではないのね」

 これはルイズの漏らした言葉である。
 そう。
 女性であり貴族でもある二人は、日頃から手も清潔にしているようで、菌は非常に少なかった。それでも皆無ではないわけだが、これはいわゆるバイキンではなく、手に常在している菌なのだろう。

「……全部が全部、汚い細菌というわけじゃないから。安心してください。たしか……健康な肌をつくり出すための善玉常在菌、というのもあったはず」

 一応、教科書的な知識を補足しておく俺。『教科書的』といえば聞こえはいいが、悪く言えば『他人の受け売り』ということなので、真偽のほどは定かではない。

「ヴァイロは……私や姉さまより汚いのね。やっぱり平民ね」

 俺のプレートは、ルイズやエレオノールと、労働者二人との中間くらい。
 なお、六枚目の対照(コントロール)プレートは、一点の菌塊もない、きれいなものだった。
 ここに雑菌が生えるようでは実験が成り立たなくなるので、俺は、ホッと胸をなで下ろした。

########################

 液体培養で濁らせた場合とは違って、コロニーという『塊』として見えているし、何より、手の形で菌が増えているのだ。どこから菌が来たかも明白である。
 バクテリアはウイルスではないが、これも一応は微生物。目には見えない、小さな小さな生き物だ。その存在を、エレオノールも信じてくれたらしい。
 だが……。

「なんだか……曖昧なのね。ちょっと釈然としないわ」

 王立魔法研究所(アカデミー)からの帰り道。ルイズは、やや不満げな表情でつぶやいた。
 もっとあからさまな、感動やらカタルシスやらを期待していたらしい。 

「無理を言うな。研究なんて、こんなもんだ。……いや、実際の研究なんて、もっと曖昧なのも多いぞ。データをどう解釈するか、って方が重要だったりするし」

 戦争の勝ち負けとは違うのだ。
 研究者の戦いは、現実のバトルとは違うのだ。

「……うーん……。姉さまの機嫌がいいから、これで認めてもらえたけど……。そうじゃなかったら、きっと、認めてもらえなかったわよ」

 エレオノールの性格や現状も加味して、そんな意見を口にするルイズ。
 そう。
 この時、俺はキチンと理解していなかったが……。
 当時のエレオノールは、まだ幸せだったから良かったのだ。
 ……まだ。





(第四話へ続く)

########################

 こうして、微生物培養のための培地(培養液)がハルケギニアで用意されました、というお話です。一応、第二話に対する解決編という意味もありました。
 読者の方々に納得していただける合理性を保ちつつ、話の展開で意外性も作る……というのが最善なのでしょうが、なかなか難しいです。
 バトルものでも、事前に戦略を説明してしまって、そのとおりに戦闘描写するだけでは面白みに欠ける。しかし後で全部説明するとクライマックス後が蛇足的に長くなるので、事前に一応説明しておいて、戦闘の際は予定と違った部分だけ詳述する……というのが一つの手法のはず。
 そう思って、コロニー形成の原理説明のために、わざわざプラークアッセイの説明をしてみたのですが……。わかりやすかったのかどうか、とか、説明が長過ぎたのではないか、とか、少し心配です。

(2011年7月30日 投稿)
   


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.34854888916