2011-07-31

社会人に必要なコミュニケーション能力についての私見

学生に求めるものは?」の問いに対して「コミュニケーション能力です」が無難な回答になったのはいからだろう。いつも便利な言葉だと思うのだけど、この「コミュニケーション能力」に対して当の学生はとても誤解しているように思う。「コミュニケーション能力」は「リーダーシップ」のことでも「プレゼン能力」のことでもないし、ましてや「飲みニケーション能力であるはずもない。

大企業だけに当てはまることなのかもしれないが、内勤で「コミュニケーション能力」と言ったら、それは「反対意見を抑え込む能力」(の一部)だ。

仕事には必ず何らかの問題(障害)がつきもので、その解決は大抵何らかの「変化」を伴い、そして「変化」には【絶対に】反対意見存在する。(逆に言うと、もし反対意見がないなら、その行動は変化をもたらさない。)何故なら、人間は「変化」の兆候を目の当たりにしたとき本能的に不安になる生き物だからだ。そして、その「本能不安」は必ず「反対意見」という形で表現される。もちろん、この「反対意見」の中には正しいものもあって、それに従うべきであると結論づけられることもある。けれど往々にしてこの「反対意見」は「でっちあげ」みたいなもので、たとえば極めて稀な例外的状況を100倍くらいに強調したものにすぎなかったりする。「コミュニケーション能力」とは、周りの人間が変化を忌み嫌っていることを見越して、あらかじめ反対意見の元に根回ししておくか、もしくは反対意見が出たあとにフォローすること、要は「角が立たないようにする能力」のことである

 

最初の話に戻ると、「学生に求めるものは?」の問いに対する答えは、「何かを変える必要が生じたとき、角が立たないように周りを説得する能力」だということになる。(学生は「角が立たないように調整する」なんて泥臭いことに興味も夢も抱かないだろうから、オトナは学生に対してこんなふうに答えないけど。)この能力を鍛えるためには、何らかの問題(障害)にぶつかって、何かを変えようと努力する機会に恵まれることが必要だ。だから企業は、「大学時代に取り組んだことは?」の次に「取り組んだ中で困難にぶつかった経験はありますか?」と学生に投げかける。したがって、この問いに対する理想的な回答は「大勢で一つのことを成し遂げるようなことに取り組み」「障害を越えるため、周りを説得する必要があった」であり、これなら100点が付けられる。(あとは回答内容の真偽の問題になる。)

といってもこんな経験をしてきた学生はそういないので、「一人でこういう工夫をした」でもとりあえず合格点。これはコミュニケーション能力と対を為す能力で、「問題を発見して解決への道筋をイメージできる」能力を表している。これだとコミュニケーション能力が測れていないので、企業側はそこを何とかして測りたいのだが、誰にでも困難にぶつかった経験があるわけではないことも分かっている。そこで、こうした学生に対しては、とりあえず企業は人当たりを見る。人当たりのよい学生というのは、何を言っても角が立ちづらいし、角が立ってもそれをフォローする術に長けていることも多いだろう。人当たりがよいというのは一種の才能であると思う。

 

ということで、まとめ(と+α)。

企業学生に求める「コミュニケーション能力」とは「角が立たないように周りを説得する能力」のこと

・「問題(障害)を解決するために周囲を説得した経験」があればベスト

・「問題解決に対し工夫することができる」「人当たりがいい」でもOK

・問題に気付けてその解決に向かって正しい判断ができて行動力があって人当たりがいい人材が最強だが、

 そんな人材を低コストで選抜する術があったら教えてほしい

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    リア充を見抜く 以上。 非リアは劣等種なので、採用してはならない。

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    貴方の意見はもっともだと思うんだが、こういうのを聞いて思うのは、ある人が「問題に気づいて解決に向かって正しい判断をして行動力を発揮して周囲を説得して実現しようとする(失...