‐伊良部さんが亡くなった。
「ただただ残念ですね」
‐伊良部さんで思い出すことは。
(しばし沈黙して)
「その振る舞いが独特な方だったと思いますけど、それと内面が比例していない印象でしたよね。振る舞いとはまったく裏腹な内面の細やかさというか、そういうのをもっていた。それが僕の印象ですね」
‐野球に対する情熱はどういうものがあったか?
「(02年4月の対戦時に)テキサスで焼肉食べに行った時に話が止まんなくなっちゃって、どうやって帰ろうかと(当時の同僚で同席していた)長谷川さんと考えたぐらい。ピッチングフォームについての力説が始まって、野球についての考え方も含めて、止まんなくなっちゃったんですよね。それぐらい野球が大好きだったんでしょうね。あの時はあきれ返りましたけど、そういう熱い、ゲームに対する思いをもった人だった」
‐日本時代はパ・リーグの目玉対決の一つだった。
「こっちに来て球の速いピッチャーはたくさんいますけど、比較する時に必ず頭に浮かぶのが伊良部さんの真っ直ぐだったというのはありますよね。伊良部さんの一番速い球っていうのが大リーグで10年以上やっても、ものさしになる。それはずっと変わってないことですね」
‐いつごろ?
「95、6年ぐらいですかね」
‐対戦の中で何を感じていたか。
「オールスターで話をした時に、これはちょっと記事にできるかどうかわからないですけど、『バッターを殺したいぐらい憎い』っていうんですよね。『頭に当てようがなにしようが俺は抑えたい』っていうことを聞いた時にちょっと恐ろしい人だな、と思いましたけど、それぐらい、勝負に対する思いが大きかったんでしょうね。あの言葉は一生忘れないですね」
‐勝負に命を懸けていた?
「命を懸けるのは俺たちだな、と思いましたよ。バッター側ですよ」
‐ほかに、そんなことを言った選手は?
「ほかにそんなこと言った人はいないですね。思ってる人はいるかもしれませんけど、はっきりとバッターに対して言いましたからね。実際、対戦している僕に言いましたからね」
‐それは引退後ではなく、現役中?
「バリバリもバリバリですよ」
‐最後に会ったのは?
「お見かけしたのは(09年の)WBCの時ですね」
‐決勝の韓国戦で決勝打を打った時にネット裏から観戦していた。
「そうですね」
伊良部氏死去…バレンタイン氏悲痛/ヤ軍の元同僚、悲痛な思い 伊良部氏の死去を悼む/松井が、上原が、デーモンが…伊良部氏死去に沈痛/藪コーチも悲痛…伊良部氏の訃報に/伊良部氏悼む日本ハム・吉井コーチ「寂しがりや」
ソーシャルブックマーク・RSS・google+1・twitter・Facebook