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BEX(ベックス)


……そして、怒りは笑いにあがなわれうる。

            

 二千七年卯月乙酉(四月二十一日)。
 曇天。
 気温は高い。

            

 午前十時を少しまわったころ。京都市。加茂川が高野川と合流し、鴨川となり中京にむけて注いでゆく、その、川の出会いの地点に出張った逆三角形の尖端にて。ある者は拡声器を提げ、またある者は大きなバッグを肩にし、そんな男が六人、ぞろぞろ歩いてやってくる。荷物がおろされ、バッグがあけられると、中には布きれがつめこまれていた。男らが手分けして布きれをひろげた。すると、そこにはなにやら文字が書きこまれており、しかも、そんな布きれがなんまいか出てくるのである。ひとりが指示し、ある面が表にむけられるようにして、布きれはピンと張られた。指示した男は、スイッチの入れられないままの拡声器を肩にかけ、マイクでなにやら喋るのだったが、どうもそれは演舌のようなのだった。うながされ、喋る役の男が代わった。ひとり、またひとり、男らは次々とマイクを手にした。布きれの、違う面が表にされ、さらに違う面が表にされた。ひとしきり喋り終えると、男らは集まり、ひたいをよせて、なにか議論をしているふうだった。そこへ、女がひとり現れ、彼女も議論に加わった。いかにも異様な集団だった。七人の男女は、飽くこともなく、熱心に話し合っていた。
 しばらくして、彼らは立ちあがった。話がまとまったらしかった。おかしな七人は、そしらぬふうを装って、飛石をトントンわたっていった。
 そして誰もいなくなる。

            

 午前十一時、半になるかならないかのころ。京都市。K電鉄の準急は、今しもD駅を出たところだった。そのとある車輛には、ひとりはラジカセを、ひとりは拡声器を手にした、不審な男女がそして乗り合わせていた。黒めがねをかけ、オカリナを首にかけた男、この男は統領格らしいのだが、彼が男女に指令を出した。すると、ひとりの男がやにわに跳んだ。別の男がもろ手をあげた。と見るや、また別の男がくねくねとおかしな仕草をした。いちいちと、黒めがねはこまかい所作までもを命じていった。おかしな動きはくりかえされた。黒めがねの男は、自分の理想とするものを彼らの動作に見出そうとするかのよう。彼は、あたかもオーケストラを率いる指揮者めいていた。そして、少しはなれて立っていた女、彼女の手には撮影機があり、それが男らにむけられているようなのだ。
 電車はS駅に到着した。以上は僅か五分、ないしは十分程度の事件だった。七人はここで下車した。
 そしてなにごともなかったかのような車輛内。

            

 午後零時ごろ。京都市。あの布きれは、三条川端交差点の南東角に掲げられていた。鴨川の合流点で行なったものと同じ形だ。ふたりの男が布きれを張り、ひとりが前に出てマイクを手にする。拡声器にスイッチが入れられていることだけが、唯一の、そして大きな違いである。黒めがねの男が、まずいちばんに喋った。すぐに「反対!」の声が挙がった。次の男に拡声器がまわされる。再び「反対!」の声が挙がる。たまに横断幕が裏がえされることを除けば、これはよくある街頭演舌の風景だろう。しかし、小さな歯車が狂っていた。なにかが違う。通行人は、どことなく訝しげに目をほそめた。おかしな空気が漂っていた。小さく指差す者があり、あるいは同伴者とささやき合う者もあった。演舌する男らは、そんなことには頓着しない。頻りと「反対!」を言いながら、なにやら社会を論じるばかり。
 そして、いつのまにか人数が減っていた。七人のうち、二、三人の男女が通行人に紛れてしまったようだった。演舌する男らは、そんなことにも、いっこう気をとめる素ぶりがない。際限なく「はんたあい!」が続く。ゆきかう人々の間に、もしあの女を見つけることができたなら、彼女の手にやはり撮影機が握られていることに気がつくだろう。そうして、ひそかに通行人の会話に耳をそばだてている、ふしぎな男のあることにも。
 黒めがねの、オカリナをかけた男は、通りのむこうの警官を気にしはじめたようだった。演舌がやみ、男らは警官の動向をうかがった。警官は、いっこう去る様子がなかった。撤収が指示された。布はバッグに押しこめられ、拡声器だけをあらわにして、男女七人はまたたく間に三条大橋をわたっていた。
 そしてなにごともなかったかのような交差点。

            

 午後零時はだいぶんまわっていた。京都市。
「京都市民のみなさん、こんにちは。われわれは日本哲学者選挙会ニーチェ分派の者です。われわれはニーチェを応援しています。みなさん、どうかニーチェに清き一票を! そう、なんといってもニーチェはかしこい。彼の理論は洗練されています。みなさん、ニーチェに、ニーチェにぜひご投票ください!」
 黒めがねの男は、こんな内容を拡声しながら三条通りを西にむかった。彼が、
「ニーチェをよろしく!」
 とさけぶたびに、うしろをぞろぞろ歩く男女は「よろしくおねがいしまあす」を復唱する。たいへんな大音量だった。男女は河原町通りを南に折れた。黒めがねの演舌が終わると、違う男がマイクを持つやいなや、
「わたくしは、このたびの三年B組の学級委員長に立候補した者です。京都市民のみなさん、どうかわたくしに清き一票を……」
 さらに違う男がマイクを手にした。
「わたくしが晴れて委員長とあいなりましたあかつきには! クラスの全員への金魚の平等開放! 学級文庫に少なくともエロ本三冊を入れること! を、約束いたします。わたくしは明るい、健康なクラスを、みなさんと共に作ってゆきたい所存です……」
 彼らはついに四条河原町交差点にいたった。

            

 午後零時半をとっくにすぎていた。京都市。四条河原町交差点の南東角にて。人がごったがえしていた。黒めがねはテキパキと指示を出した。ひとつの横断幕あたり演舌者は二人、入れかえはスムースに、すべての横断幕を使い終えた時点で撤収。二、三人の男女が、またしても通行人に紛れこんだ。撮影機がやはりまわされはじめた。文化演舌の本番が、そしてスタートした。
「わたくしは、重力反対運動日本支部長、重力太郎と申す者です。ええ、われわれがどうして重力に反対するのか。はい、重力がありますとですね、われわれは地面に縛りつけられなくてはならなくなります。……」
「只今ご紹介に与りました、重力反対運動の京都代表、重力次郎です。ええ、重力規制条例の制定につきましては、諸外国の間で大きなひらきがあるわけでございます。たとえば欧州などをながめてみますと、……」
「……遠足のお菓子の値段規制とは、これなんの意味か。いいですか、みなさん。三百三十円ですよ、三百三十円。三百三十円で、いったいどんなお菓子を持っていけるというんでしょうか。これは明らかに人権侵害であり、子供の健全な発育を阻害します。われわれは断々固として反対であり、この規制の緩和にむけて……」
「ええ、姉妹組織の、拡声器騒音について考える会です。われわれは、ええ、このように拡声器を用いて演舌をするということに反対しております。拡声器を使うと、たいへんにうるさい。人の迷惑になる。こんなふうに拡声器を使って街頭演舌するということは、絶ッ! 対ッ! に、許してはいけません。……」
 横断幕は次々と裏がえされる。
「……相対性理論、これはイー・イコール・エム・シーの自乗ということなんですが、われわれ戦う物理学者の会は、この相対性理論に反対しております。われわれの研究によりますと、エム・シーの自乗というのは間違いなんでして、本当はイー・イコール・エム・シーの……」
 アフリカ人だと紹介され、黒めがねの男がマイクをひきついだ。横断幕は、わけの分からない象形文字のようなもので埋めつくされていた。黒めがねの男は、理解不能の言語で五分ぐらいをまくしたてた。あちらを指差し、こちらをふりむき、時おりは意味が通じることもあるのだが、だいたいにおいて、なにを言っているのだかさっぱり分からない。通行人には笑い出す者もあった。次に出てきた男が、これを翻訳しはじめた。……
 撤収の合図が掛かった。
 男らは、雑踏に紛れていた男女と速やかに合流した。彼らは、四条通りを西にむかって歩いていった。
 そしてなにごともなかったかのような道端。

            

 午後一時半ごろ。京都市。四条界隈にある一軒のレストランにて。
 拡声器が、無造作に棚に置かれている。すみのテーブルに顔を突き合わせているのは、なにやら怪しげな七人の男女。時おり議論をはじめ、時おりには危険な笑みを浮かべたりもしている。

            

 午後二時ごろ。京都市。六角新京極の公園前にて。
 人通りは絶えず、気温は高みを目ざして這いのぼっていた。一台のラジカセが、通りのすみに据えられている。誰も、そんなものがあることにすら気づかず、また気づいたとしても、きっと宣伝用のものかそんなたぐいだろうと理解して、立ち止まる者はひとりもない。男が、ラジカセの前に歩み出てきて、正座してからスイッチを入れた。ラジカセをうしろにして、男は一心に前をながめる。音楽がはじまった。ひくく勇壮なひびきであり、鼓舞するかのようなシンバルが特に印象的だ。男は、正座を崩さない。正座したまま、そして踊り出す。しかしながら、それは踊りと言うにはあまりにも異様なものだった。男はぎこちなく手をあげ、さげ、くるりと腕をまわしてみたり、ふしぎな表情を作ってみたりしながら、ただひたすらに踊り続ける。ベンチで休憩していた人々は、不審そうにその男をながめた。通りを歩く人々も、好奇心に抗しきれず、男の踊るさまを横目に見やる。音量大きく、音楽は二分たらずを鳴り続けた。男もまた、ちっともなにを考えているのか分からぬ。ただ踊る、うまいともへたともなく踊る。やがて音楽が鳴り止んだところへ、黒めがねの男が歩いていった。それを見た休憩者のある人が「あ、注意しに行くんだ」と言った。黒めがねは、踊っていた男と少し会話し、いっしょになって戻ってきた。「あの人も仲間らしい」と休憩者がまた呟いた。入れ代わりに、もうひとりの男がラジカセの前に正座した。音楽は前と同じものであり、この男も無言で踊り出した。先の男とはスタイルがいくらか違う。ひれふすようにしたり、手をもみ合わせて祈るようにしたりする。あたかも、舞踊を魔物に捧げているのか、雷神でも招来しようとしているのか、そんなふうな感じである。この男もやがて去り、代わってまた別の男が現れた。この男も同じ音楽で、同じように踊った。人波の中から撮影機を片手に女が現れた。あのおかしな男女の集まりは、すでに五人にまで減っていた。
「ううむ、南蛮ダンス、よいなあ」
 黒めがねの男が呟いた。撤収は速やかに行なわれた。風のごとく、五人は立ち去った。
 そしてなにごともなかったかのような公園の前。

            

 午後二時すぎ。京都市。とある地下道にて。
 あの音楽だ。あの音楽がまた鳴っている。往来の少ない、H電鉄の駅にむかうためだけの地下道である。そしてあの男だ。あの黒めがねの男だ。こんどは彼が踊っている。ネックタイに黒めがね、そして不穏な踊りが加えられ、これほど異常な場景といったらない。目前では、拡声器を抱えた男が壁にもたれ、ずっとこれを観察していた。そのむかって右手では、踊りをひとりの女が撮影している。左手には、ふたりの男が柱の陰からひそかに踊りをながめている。
 駅員が現れた。拡声器を抱えた男と、なにやら会話している様子だった。それから女の方に歩いてゆき、彼女ともなにか会話をする。拡声器の男は、反対側に歩いてゆき、ちょうど踊りを終えて歩きはじめた黒めがねの男に、ふたりの男と合流して従った。しばらく歩いて、四人は顔を見合わせた。いったん隠れていた女がやってきた。男女五人が、これで揃う。その話し合う背後を駅員が通り、じろりとこの集団をにらみつけた。
 そして五人は硬直する。

            

 午後二時半。京都市。H電鉄の各駅停車はすべるように始発駅を出た。数区間は地下を走る。はじめのうち、乗客はたいそう疎らだった。シートの端で、女子高生ふたりが会話しており、むかいのシートには学生らしき三人の男の姿がある。三人は、出会ってまだ間もないらしく、自己紹介めいたことなどを喋り合っている。この三人の会話はとぎれない。その斜めむかい、女子高生と同じならびのシートに、ひと組の男女が乗り合わせていた。この男女はあまり喋らない、ひと言ふた言をたまにやりとりする。だんだんと人が増えてきた。電車はいつしか地上に出たが、このころには立っている人も多くなっており、なかなかの混雑ぶりだった。線路は春の明るみのもとに続く。
 いきなり男女が立ちあがった。と見るや、ツカツカと三人の方に歩いてゆく。彼らの前に立ち、男(そしてこの男は黒めがねを掛けているのだったが)はおもむろに宣言した。
「はい、カットカット! ううん、だめだね、よくないよ。もっとこう、なんていうかさあ、感情をこめて。それに、やっぱり背景も悪いなあ。ほら、ここは火星なんだからさあ、もっと火星にいる感じをちゃんと出してよ。そうだ、あそこでもう一度やってみてくれるかな?」
 いつしか女は撮影機をセットしはじめている。三人は「だめですか……」「きちんとやってるんですけどねえ」などと呟きながら、立って、指示されたところまで歩いていった。三人がスタンバイすると、女は撮影機をむける。
「ちょっと待ってください、いま距離を調整します……はい、オーケー。いきますよ。3、2、1、はいッ」
 三人は再び会話をはじめた。
「それで、どうなんですか最近は?」
「いや、それがさあ、ちょっと事件があって」
「事件って? ……」
 シートで腕と足を組んでふんぞりかえっていた黒めがねは、すぐに撮影を止めた。
「ほら、カットカット! 君ら、本当にやる気あるの? ここは火星なんだろ、そんなんじゃ全然火星らしくないでしょう。うむう、そうだなあ、みんなその場で小刻みにジャンプしてくれるかな。うん、それがいい。それにしよう。それに決定。さ、もっかいやりなおし!」
 三人は小声で不平をもらす。再び撮影がはじまった。ドタドタと、三人は小さくジャンプしながら、同じような会話をくりかえす。
「それでね、俺の飼ってた蟹がさあ、死んじゃったんだよね。それでお葬式があって……」
「はい、カットカット! へったくそだなあ、だめだよだめ。火星なんだよ。もっと暗く、そして憂鬱に。はい」
 やはり不恰好にジャンプしながら、三人は同じ内容をまた喋る。
「はい、カットカット! 情緒がないなあ。ここは木星なんだよ。もっと明るく、そして楽しげに。はい」
 乗客全員が、この撮影風景を注視している。ひそひそ言葉をかわしながら、笑いをこらえる者もある。撮影は続行した。
「カーット! カット、カット! オーケー、これでいきましょう」
「オーケーですか?」
「まあこんなもんだろう。あとは自由にしてて」
 言いながら、監督と撮影はシートに戻った。そして映像を確認する。
「使えますか、これ?」
 と、撮影。
「いや、だめでしょ。まあ、このシーンはなしだな。ふはははは」
 やがて電車はK駅に着いた。五人は連れ立ち、くちぐちに「お疲れさまでした」を言い合いながら、ここで下車した。
 そしてなにごともなかったかのような車輛内。

            10

 午後三時。京都市。市の中心にむかう電車は、K駅でも乗客を吐き呑みした。あの撮影劇のころから、すでに拡声器もラジカセも片づけてしまっていた五人には、かくべつ異様な点も認められない。彼らも電車に乗りこんだ。吊革につかまると、全員はしばらく押し黙っていた。
 電車が走りはじめた。車輛のゆれも収まってきた。黒めがねを仕舞ったあの男、開口一番こう言った。
「ベゴ、ルスモルギ、ドラデナエケケ、カルデンサキョウチ」
 差しむかいの男が応じた。
「ゴルゴルモデガ、サマゴレイザアイヤイア、フェソロンスチュルコン」
 その左の男も会話に加わる。
「ペコペコデゲ、サモペロメーリュンクルメ、トラメコラノペパン……」
 さらに別の男が話に混じり、ビールの広告を指差した。
「カルモナ? ラモレンケン。マックルスント……、テンコリゾザエンガ」
 はじめの男が答える。
「オー、オー。カロメンデスモンギ。カルバエン。ダモオ」
「ダトンチン? ウェラレロン、クルーメン。サモガンディ」
「カゴサモクルミ。……エッタガン! ナノシセンガ」
「オメゲードランドラン、プペプペサロミケンナ」
 この発言に、五人はいっせいに笑うのだった。

            11

 午後四時ごろ。京都市。傾きかけた陽差しは斜めから雑踏に打ちつける。ショーウィンドーから、金物の装身具から、あちらこちらから光が交錯し、大通りはたいへん蒸していた。四条通りを折れ、アーケードを少し歩いたビルディングの二階に、そのカフェは小ぢんまりと収まっている。窓辺には観葉植物の鉢が置かれ、丸テーブルがいくつか。さらに、矩形のテーブルも奥まってならべられており、客は頻繁とは言われぬが常時なん組かが席を占めている。階段をあがってくる者、五人。先頭に立つ男、その次には女、さらに男が三人、彼らは一言だに喋らずもくもくと階段をあがり了えた。叙述の都合のため、五人に名前を与えたいのだが、この順番でA、B、C、D、Eと、おのおのをよぶことにする。
「いらっしゃいませ」
 この言葉に応じたのは、先に立っているA氏、ひとりだけだった。残りの者はやはり無言を極めこんでいる。全員は丸テーブルに就いた。順番は崩さない。しんがりのE氏はラジカセを抱えており、これをドカリとシートにおろした。水がすぐに運ばれてくる。店員の女性は、一瞬不審げな表情を見せたのだが、それというわけは、五人が意味の分からない言葉で会話しているからに他ならなかった。
「クェースル、リィン。トンクェ、カンニェー?」
「テジィ……アワァ、リューケンナ。カレンゲンニモ」
「スルペルペルポン、ニューケンカピェーデショーエ、ジュージャンニャ。ナニャンジ?」
 さて、この五人のお喋りには、一定のルールのあることが看取されよう。A氏は日本語と英語の話者であるらしく、店員との対応はすべて彼がこなす。日本語の流暢さからして、ネイティブ・スピーカーなのには相違あるまい。B氏は、英語を理解し、またわけの分からない言語をひとつ使用する。この言語をも、A氏は聴きとることが可能なようだ。A氏はB氏とだけ話す。B氏は両隣のふたり、すなわちA氏とC氏とだけ話す。C氏の、これもまた意味の分からない言語は、両隣のB氏とD氏とにだけ通じる。D氏はC氏、E氏と会話でき、E氏はD氏とだけ疎通しうるようだ。つまるところ、おのおのが左右の人間としか会話できないのである。右から左へ、左から右へ、同時通訳してゆくような形で五人のお喋りはなりたっている。
 冗談っ気をおこしたA氏、むかいのE氏を示しながら、B氏に「あいつに You are a foolish boy という意味を伝えろ」と、英語で指示を出す。B氏はC氏にこの内容を通訳、C氏はさらにD氏に繋げ、ようようE氏に伝言が届いたが、もはや原型は失われていたようだ。E氏はなにを言われているのか理解しない。再び伝言劇がくりかえされた。D氏から話を聴いているうち、いきなり気色ばむE氏。テーブルを叩き、怒り出した。この怒りの言葉は「ヴォーガデ、ドジィテル! ナゴ、ドォキネングワシ、ダモガネゴンゲ!」というものだったのだが、この内容がE氏から逆方向に通訳されて行き、ついにはA氏のもとに届いた。まあまあとなだめる仕草をするA氏。「It's a joke と伝えろ」と、またも英語で通訳を依頼する。愚か者と言われたE氏は、なんとか納得した様子だった。
 こんなふうに彼らがくつろいでいる間、なかなか註文をとりにこなかった店員の女性は、やがて諦めたらしい、そうっと歩いてきてこう言った。
「ご註文はお決まりでしょうか?」
「ああ、はい。少し待ってくださいね。いま全員の註文を確認しますから。ぼくはホットコーヒー」
 そう言っておいて、B氏にむけ、A氏は英語で註文を尋ねた。B氏は意味不明の答えをかえし、A氏は「彼女もホットコーヒー」と告げる。店員は「ホットコーヒーふたつですね」と復唱した。
「ええっと、それから……。あ、もう少し待ってくださいね、こんどはあの人の註文を聞きますから」
 A氏からB氏を経由し、C氏はメニューを示されてなにごとかを言った。A氏に伝言が戻ってきた。
「それからウインナーコーヒー。で、その次の彼は……?」
 伝言がまた飛ばされた。かえってきた伝言を日本語に通訳した男は、
「あと、もう少しだけ。最後の彼の註文も聞きますね」
 A氏からB氏へ、そしてC氏、D氏へと受けわたされた伝言は、ようやくE氏に届けられた。
「ゴネンシ? グヮレンメンケ、ヅゥアガシゲット……」
「ショーレンゴネンシ。ペロペロミ、ネーネン、サロチョガシ」
 ……註文がとられはじめてから十分後、全員の註文が出揃った。五人は再び談義に戻った。新しいお客がやってきて、彼らの近くのテーブルを占める。少しして、異邦の言語が飛びかう中へ、店員の女性が戻ってきた。
「あの、ですね。ウインナーコーヒーには、ホットとコールドがあるんですけれども」
「あ、そォなんですか。分ッかりました。じゃあ、ちょっと順番に聞いていってみますね……」
 E氏はなかなか理解しないようで、イラストを描いたりして、D氏はやっと理解させたのだったが、この伝言劇にも、実に十分程度の時間を要した。
 飲みものが運ばれてきた。伝言に仕損じがあったようであり、ホットコーヒーを註文したE氏はウインナーコーヒーを飲まなくてはならなかった。
 店内はとても暑かった。
 それからも、同時通訳が続けられた。不可思議な文字を走り書きした紙が、あっちこっちへやりとりされた。五人の男女は、一時間以上もの間、奇天烈な言葉だけを用いて会話していた。A氏が立った。店を出るようだった。彼が支払いをすまし、五人は無言で階段をくだっていった。
 そしてなにごともなかったかのようなカフェの中。

 アーケードに出、五人は顔を見合わせた。それからいっせいにこう言った。
「と、いうわけでッ」

            12

 午後五時をいくらかすぎていた。京都市。雑踏の中で立ち止まり、しばらく話し合っていた五人は、やがて挨拶をかわし、誰からともなくそれぞれの方向に散らばってゆく。そして、どこかのサラリーマンがくしゃみをしようとも、どこかの子供が餓え死にしようとも、なにごともなかったかのような宇宙が残される。その沈黙。沈黙。……

            13

 BEX。それは魂の祝祭。

(Copyright:“崎山ワタル with STUDY UNION”&“谷口一平 [novelize]”)

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◇脱稿:2007年4月24日(推敲終了:5月4日)
◇原稿用紙換算枚数:28枚

 はじめにおことわりしておきますが、この小説に、もし些かなりともおもしろさをお感じになることがあった場合、それはぼくの力によるものではありません、ぼくはただノベライズしただけなのです。
 2007年4月21日に行われた、STUDY UNION のストリートパフォーマンスイベント“BEX”の、本作は谷口一平による小説版です。現にぼくも参加してきました。この、どこか「天井桟敷」をもほうふつとさせるようなナンセンス&シュールがとってもツボです。次はいつやるんだか、ハッキリしたことは未決ですが、誰か「参加したい」という人がいらっしゃいましたら、ぜひいらしてくださいな。

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