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水浸しに月の洽す


 水浸しに月の洽(うるお)す、黄いろいよるは深みいった。かけわたされた電線さえが、ほそい光をこぼしていた。たがいに弓なりを描き合い、すべてを中(うち)へからめとろうとするその聯(つら)なりは、もうたいへん古くなっていて、けれども、そういうふうにして生きているかのように、電気をうけわたしうけわたしゆれていた。ゆすぶるものは、ひどく冷たい十二月のよるだった。そのようにして、都市は崩れつつありながら永らえていた。こんな時間ともなり、人はめっきり出歩かなかった。走り去る車だけが、かすかな音楽をふりつもらせていた。それをきいているのだか、きいていないのだか、その者たちは、ますます明かるい月光に沈みこんでいた。ならんだベンチに差しむかいですわり、水のない噴水をとなりに見ながら、呟き、また緘(だま)る、みっつの影。ひとりはネズミとよばれている。もうひとりはウサギ、あとのひとりはネコだった。

×      ×      ×

 ネズミが言った。
「おお、さむい! ひどくさむいね。月はぼくらを温めないんだ。いつのことだったか、君がくれたよね、たいへん黄いろい花束だった。ああいうものを、また味わいたい。ほかほかしていたよ、あの花の汁は」
 ひげを扱(しご)きながら、ネコがこたえた。
「およしよ、およし。十二月なんだ、さむいのは当たり前だ。あの花だって、三月を待ってるさ。そうして、すると、ここはどこなんだい」
 これにこたえる、ウサギの声は高かった。
「ここがぼくの邸(やしき)だということを、あれほど言ったのに忘れたのかい。お茶がそろそろ入るんだよ、もうさむいなんてことはないんだ。いかにぼくらがさむがろうとね」
 ネズミがまた言う。
「ふうん。それならそうなんだろう。けれど、どうしてテーブルが冷えてるのかな。どうして風がびょうびょうしてるのかな。おまけに、ほら、月が出てるよ」
「それは天まどだ、そしてぼくの邸はなにしろ建てつけが悪いんだ」
 こたえたウサギの言葉にかさね、ネコが大声でわめきちらした。
「蝶ネックタイをなおせ! 君の蝶ネックタイなど、それはなんだ。ぼくらはお茶をたのしむ場合にあっても、きっと紳士でありたいものだよ」
 言われたネズミは、ひっくりかえっておどろいた。ウサギがくちをはさんだ。
「けれどもそれは、君、お茶をたのしむ場合にあってこそ、と言うべきなんじゃないか」
「そんなことはないさ。してみると君はコソ派なのだね、けれどもぼくはテモ派なんだ。いくら友人だろうと、こういう点についてならぼくは、ふむ、決して自分をまげはしないよ」
「ぼくならコテ派、あるいはソモ派だね」
 ネズミはもう、なにごともなかったかのようにおきなおっていた。
「そうか、けっこうだ。黄いろい花は、もう君にはやれないね。これからは、魚の汁でもなめたまえ」
「君はぼくのお茶が、魚くさいと言うのだな!」
 ウサギがさけんだ。
「おかしなことだ、黄いろい花のことを論じていたのに。君は十年くらいおくれている」
「その十年については、君なんかに分かろうものか。ぼくの十年は青かった。君の十年は、しかしすっかりかわいている」
「なにを言うんだ。このお茶はレモンを入れないかぎり、十年かけても青くはならない」
 かみつき合っているふたりの間で、ネズミがいきなりふるえはじめた。
「ぐう、ぐう。苦しい、なんだか苦しいよ。まだまだ冷えるんだ、なにもかもが。ああ苦しい、ぼくはおそろしいよ、なにかおそろしいことになるよ。ぐう、ぐう。ぐむ、……」
 ネズミはことりとよこたわった。それきりうごこうとしなかった。油絵具をぬりたくったみたいな、ひどく生気のない表情になっていた。
「ねむったようだね、すぐにお茶ができると言っているのにな。どうかしているよ、なにをわめいていたんだろう」
 ウサギがこう言い、ネコも加わった。
「ねむりネズミだ、多分そうなんだ。ぼくらは情けない友人をもったよ。そら、なにしてるんだ、おきろ、おきろ」
 ネコが叩いても、ネズミはひくりともしない。
「そうとう深くねむったようだ。冷たくなっている、それに、かたくなっている。ぼくらはもう、かからわないでおこうよ。お茶をくれないか!」
「よし!」
 お茶が注(つ)がれた。ふたりは大げさにお茶をあおった。
「君、それをそのままにしておくのは、よろしくないね。ぼくらはお茶をたのしむ場合にあっても、きっと紳士でありたいものだよ」
 ネズミを示して、ウサギが言った。
「それならこうだ。イスにしよう」
 ネコは無造作にネズミにすわった。バイクの音が小さくわたった。
「このお茶はおいしいね。それにしても、どうしたことだろう。いったい月の明かるいことは! たしか君の花束のことを喋っていたんだっけね」
 ウサギが呟き、ネコがこたえた。
「うん、そうだ。かまわないさ、そのことは。ところで君、ぼくらはいつまでお茶をのんでいなくてはならないんだろう。ここにこうしていることが、君にはどうだ、ふしぎじゃないかい」
 そう言われ、ウサギは不意に、片耳をひくつかせた。
「こういう五月は、昔にもあったね。あの日は、こんなにさむくはなかったな。言われてみると、ふしぎなことだ。君、けれどだよ。こういうことが、生きるということではないんだろうか。ぼくらが存在してるのはふしぎなことだ。だが論じるのは、ぼくらの役まわりじゃない。そのために哲学者がいる。ぼくらはただ生きていれば充分なのさ。それはそうとして、ここはどこだろう」
「むう、するといまは十二月ではなかったのだね。そしてここは、君の邸なのだろう?」
「誰がそんなことを言った? ここはおそらく、ネズミの邸かどこかだ。なんてホコリだ、不精者だからな」
 ベンチを撫でて、ウサギは呟いた。
「それにひどく、汚らしい。このお茶だって、魚くさいぞ」
 ネコが言った。それからふたりは緘りこくった。
 バイクの音が、かさなり合ってとどろいた。多くの人のけはいがした。と、歩みよってくる者があった。その手にバットがにぎられていた。
「君もまた、魚くさい! こんな五月なんだ、花だっておしまいさ。蝶ネックタイをなおせ、君のはかなり捩(よじ)れているね!」
 ネコの言葉に、その者は歩みをとめた。バットはぶらりと提げられている。
「用があるのか。なんにもしねえよ、俺はあっちに行きたいだけだ」
 吐きすてた男に、ネコは言い募った。
「けれども君は、ネズミの友人だろう。ネズミはねむった、ねむりネズミだからね。ぼくらは花を待っている。さっきまでは十二月だった、それなのにすぐ五月だろう。青い十年だって、これならまたたく間(ま)だ」
 男はバットでネコを小づいた。ネコはネズミからころげおちた。
「だったら君はどうしたいんだ! ネズミのように、ねむりたいのか! それともお茶か、魚の汁か! ぼくには君のすることが分からない、無礼だ、無礼だ、こんなことは!」
 バットが月にひらめいた。すぐに男は去ってしまった。
「君、これはひどいね。多分インキがこぼれているんだね、そんなふうになってしまって。お茶もインキ入りになってる、とりかえよう。この月はどうもいけない光だね。チェスをしないか、それともカードにしようか」
 ウサギの声に、こたえる者はいなかった。ネコはうつぶせになっていた。ぬらぬらと月が洽していた。
「君、ねむってしまったのかい。よしてくれよ、そんなくだらないことは。コーヒーにするかい、かまわないよ。ああ、ねむった、ねむってしまった。だめだよ、ぼくはおもしろくないよ」
 ウサギはそれから月をながめた。
「おお、さむい! ひどくさむいね。月はぼくらを温めないんだ。どんどん冷えてゆくぞ、ぼくはいつまでこうしていれば好いんだろう。誰もぼくにこたえてくれなくなった。情のうすいことだね。ぼくはひとりでお茶をのむのかい。ひとりで花を待つのかい。なにしろさむいよ、ほんとうにさむい」
 黄いろいよるは、深みゆくばかり。……

(了)............

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◇脱稿:2007年3月17日
◇原稿用紙換算枚数:10枚

 ホラーと言うべきなんでしょうか。それともシュール? こういうタッチの作品が、ぼくはたいへん好きなのです。昔書いたものをながめかえしてみると、もう意味も分からない、ひたすら気持悪いだけの小説が多くありました。夢に取材していたせいでもあるでしょう。「するとお前は、こういう気持悪い夢ばかり見ているのか」と言われるかもしれませんが、現実、ぼくの見る夢などはたいてい不可解なものばかりです。ネタにはこまりません。それにしてもこういう小説って、小さい子によませるとウケるんですよね。前にざくざく殺されるものを書いたおりは、ひとり殺されるごとにゲラゲラわらってました。
 なお、この作品について言っておくなら、書いてみはしたものの、あまり気に入っておりません。もう少しトリッキーなことをやりたかったのですが、なにもおもいつかなかった。一年くらい、まともに小説を書いていなかったので、これからはまた、きちんとやりたいとおもいます。

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