大草城から見えた大野城に行ってきました。
知多市と常滑市の境を流れる矢田川を渡ってすぐ南側の小高い丘の上に天主がみえます。
別名 宮山城とも言うそうです。
以前、物見櫓があったところに、四代にわたって城主として、
大野湊一帯を支配していた佐治一族を祀る佐治神社があります。
この天主は、二層の模擬天守(展望台)で、当時の建物のを復元したものではないそうです。
一帯は城山公園となっていますが、山頂には、駐車場はありません。麓の無料駐車場を利用しました。
山頂周辺は、宅地造成が進み、ほとんどが住宅地になっており、
かっては、二重、三重の空堀を廻らし、土塁、曲輪を配したであろう面影は、北側斜面中心にそれらしき形跡が僅かにみられます。
大野城とよばれるお城は、全国に沢山あるようで、愛知県内にも大野城は三箇所あったそうです。
他の2箇所は、早い時期に廃城となり、現在は、石碑が立つのみのようです。
ここの大野城を尾張大野城と呼んでも良いのではないかと思います

駐車場横の階段を利用し、一気に山頂を目指してのぼりました。


階段を250段まで数えました。まだまだ、坂道は続きます。

ようやく前方にお城の門と、右側に石垣がみえてきました。

木々の合間に、天守がみえました。



大野城の模擬天守

伊勢湾が目の前に広がります。

大草城の天守の屋根がみえます。


佐治一族を祀る佐治神社
大野佐治氏の歴史
室町時代の終りから戦国時代にかけ、ここ大野城を居城とし、四代100年にわたり、知多半島の西部の大半を支配下に置き、伊勢湾の海運交通を掌握する佐治水軍を率いていたようです。
この海運力に関心をもつ戦国の覇者 織田信長との繋がりが強く、とりわけ三代目佐治信方は永禄初年頃に信長の妹 於犬の方を室に迎えていることから織田一門格で活躍していたようです。佐治信方は一成がまだ幼少であった元亀二年(1571年)に伊勢長島攻めにおいて戦死したとされています。(天正二年という説もあります。)若くして四代目を継ぐことになった 佐治一成は信長の妹 お市の方と浅井長政の三女 小督の方(お江の方)を妻として迎えています。一般には、秀吉が、自分の養女(お江このとき12歳)として天正十一年、佐治一成(このとき16歳)に嫁がせたと云う説が定着しています。
佐治一成は、小牧長久手の戦いに豊臣秀吉に敵対し、小督の方(お江の方)と離縁させられ、領地没収の上、伊勢へ追放されたようです。天正一二年(1584年)
新しく、織田長益(有楽斎)が入城するが、より水利の便の良い大草城を築城、大野城は、廃城になりました。
小督の方(お江の方)は、後に、徳川二代将軍秀忠の正室になり、三代将軍徳川家光、 千姫の母となった人。
豊臣秀頼の母,淀君は、小督の方(お江の方)の姉!!
さすが、尾張の地、大河ドラマに登場する有名人がキラ星の如く、次から次へと登場します。
地図はこちら
常滑市教育委員会作成案内板等参照
知多市と常滑市の境を流れる矢田川を渡ってすぐ南側の小高い丘の上に天主がみえます。
別名 宮山城とも言うそうです。
以前、物見櫓があったところに、四代にわたって城主として、
大野湊一帯を支配していた佐治一族を祀る佐治神社があります。
この天主は、二層の模擬天守(展望台)で、当時の建物のを復元したものではないそうです。
一帯は城山公園となっていますが、山頂には、駐車場はありません。麓の無料駐車場を利用しました。
山頂周辺は、宅地造成が進み、ほとんどが住宅地になっており、
かっては、二重、三重の空堀を廻らし、土塁、曲輪を配したであろう面影は、北側斜面中心にそれらしき形跡が僅かにみられます。
大野城とよばれるお城は、全国に沢山あるようで、愛知県内にも大野城は三箇所あったそうです。
他の2箇所は、早い時期に廃城となり、現在は、石碑が立つのみのようです。
ここの大野城を尾張大野城と呼んでも良いのではないかと思います
駐車場横の階段を利用し、一気に山頂を目指してのぼりました。
階段を250段まで数えました。まだまだ、坂道は続きます。
ようやく前方にお城の門と、右側に石垣がみえてきました。
木々の合間に、天守がみえました。
大野城の模擬天守
伊勢湾が目の前に広がります。
大草城の天守の屋根がみえます。
佐治一族を祀る佐治神社
大野佐治氏の歴史
室町時代の終りから戦国時代にかけ、ここ大野城を居城とし、四代100年にわたり、知多半島の西部の大半を支配下に置き、伊勢湾の海運交通を掌握する佐治水軍を率いていたようです。
この海運力に関心をもつ戦国の覇者 織田信長との繋がりが強く、とりわけ三代目佐治信方は永禄初年頃に信長の妹 於犬の方を室に迎えていることから織田一門格で活躍していたようです。佐治信方は一成がまだ幼少であった元亀二年(1571年)に伊勢長島攻めにおいて戦死したとされています。(天正二年という説もあります。)若くして四代目を継ぐことになった 佐治一成は信長の妹 お市の方と浅井長政の三女 小督の方(お江の方)を妻として迎えています。一般には、秀吉が、自分の養女(お江このとき12歳)として天正十一年、佐治一成(このとき16歳)に嫁がせたと云う説が定着しています。
佐治一成は、小牧長久手の戦いに豊臣秀吉に敵対し、小督の方(お江の方)と離縁させられ、領地没収の上、伊勢へ追放されたようです。天正一二年(1584年)
新しく、織田長益(有楽斎)が入城するが、より水利の便の良い大草城を築城、大野城は、廃城になりました。
小督の方(お江の方)は、後に、徳川二代将軍秀忠の正室になり、三代将軍徳川家光、 千姫の母となった人。
豊臣秀頼の母,淀君は、小督の方(お江の方)の姉!!
さすが、尾張の地、大河ドラマに登場する有名人がキラ星の如く、次から次へと登場します。
地図はこちら
常滑市教育委員会作成案内板等参照
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