NHKには、英会話、フランス語講座、ドイツ語講座等、様々な外国語講座の番組がある。しかしそれら外国語講座の中でも一つだけ、奇妙な名称の番組がある。「アンニョンハシムニカ?ハングル講座」である。
「アンニョンハシムニカ」とは、皆さんご存じの通り、朝鮮語(韓国語)のあいさつの言葉である。では、「ハングル講座」とは? ハングルとは、朝鮮文字とも呼ぶように、朝鮮語を書き表すための文字のことである。「ハングル講座」と言うくらいだから、三十分間ずっとハングルの書き方や綴り方を教える番組なのかというと、そうではなかった。ハングルの書き方でなく、朝鮮語の会話ばかり教えている番組なのである。
英語講座を「アルファベット講座」、ロシア語講座を「キリル講座」、中国語講座を「漢字講座」とか「簡体字講座」、日本語講座を「ひらがな講座」とか「カタカナ講座」と呼ぶことがあるだろうか。まあ、「おはよう!ひらがな」という名前の日本語講座ならあってもおかしくないから「アンニョンハシムニカ・ハングル」という名前ならおかしくない。でも「ハングル講座」はないだろう。
私は朝鮮語には非常に興味があるから、たまたまチャンネルを変えた時にこの番組が流れていたら見てしまうけど、番組の中で「〜という日本語はハングルでは何と言うでしょうか?」という言葉が出てくるたびに、どうも気になって仕方がない。いつからハングルは音声言語になったのだろう。
さて、NHKは知っててこんな間違い表現を使っているのだろうか? テキストにはこんな興味深い一文があった。
※「ハングル」は正確には文字のことですが、この講座では便宜上、言葉のことも指します。
(「NHKテレビ アンニョンハシムニカ?ハングル講座」2002年4月号5ページ、日本放送出版協会発行。)
「ハングル」とは、韓国・朝鮮で使われている「文字」の名前です。
この講座では、故あって、韓国・朝鮮で使われている「言葉」のことも「ハングル」と呼んでいます。
まぎらわしくて申し訳ありません。
(「NHKテレビ アンニョンハシムニカ?ハングル講座」2002年4月号14ページ、日本放送出版協会発行。)
なるほど、NHKも、朝鮮語の意味で「ハングル」と呼ぶのは、厳密には間違いであることをちゃんと認めているのだ。しかし、果たして「便宜上」「故あって」とはどんな理由があるというのだろう。
それにしても、どうしてこの「ハングル講座」なる奇妙な名前が生まれたり、「ハングル」を朝鮮語の意味で間違って使ったり、さらには「ハングル語」なる変な言葉まで広まってしまっているのだろう。実は、これは朝鮮半島が南北に分裂していることとも関連がある。
朝鮮を呼ぶ言葉には「朝鮮」「韓(国)」の二種類がある。簡単に説明するなら、前者は昔の明(今の中国)の皇帝が付けた名前、後者は韓国自ら付けた名前である。
1897年(つまり1894〜5年の日清戦争終結の際の下関条約で、日本が清に朝鮮独立を認めさせて二年後のこと)、朝鮮は中国の支配圏から脱したことをきっかけに国号を「大韓帝国」と改めた。1910年に日本に併合された時、大韓帝国は姿を消して、日本の朝鮮地方と呼ばれるようになった。1945年の日本敗戦後、朝鮮半島の北側に共産主義国の朝鮮民主主義人民共和国(通称「北朝鮮」)、南側に資本主義国の大韓民国(略称「韓国」)が興り、今なお対立しているのは皆さんご存じの通りである。
このような歴史的背景を考えるならば、どちらかというと自ら名付けた「韓」の方がふさわしいように思えてくる。しかし話はそう単純ではない。北朝鮮はあえて「韓」という言葉を使わず「朝鮮」を使っているのだ。皇帝時代の名称は共産主義に合わないという理由なのだろうか、それとも別の理由なのだろうか、本当の理由はわからないが、とにかくそう呼んでいる。
実は、北朝鮮は自国を「朝鮮」と呼び、韓国は自国を「韓」と呼んでいるのだ。北朝鮮は「共和国」(「北朝鮮」とは呼ばずこう略す)「南朝鮮」「朝鮮半島」「朝鮮語」「朝鮮人」と呼び、韓国は「北韓」「南韓」「韓半島」「韓国語」「韓国人」と呼ぶ。「朝鮮」派と「韓国」派に分裂してしまっていて、今なお統一されていないのだ(もっとも、韓国で「朝鮮」という言葉を全く使わないかというと、そんなことはない。「朝鮮日報」という名前の新聞は有名だし、日本で言う「李氏朝鮮時代」のことを、韓国でも「朝鮮時代」と呼んでいる。つまり、現在の国名としては用いないが、李氏朝鮮時代の古い名称という扱いである。ちょうど「日本」と「倭」の関係に似た部分があるかもしれない)。
ここまで来ると、「ハングル講座」の謎は解けたも同然である。「朝鮮語講座」と称すれば親韓国派の機嫌を損ね、「韓国語講座」と称すれば親北朝鮮派の機嫌を損ね、「朝鮮・韓国語講座」と称すればどちらが先かでもめそうだ……と気を遣い過ぎた挙げ句、結局「朝鮮」も「韓国」も使わない「ハングル講座」になっただろうことは想像に難くない。
でも、気を遣っても構わないから、せめて「朝鮮」「韓国」どちらとも取れる「コリアン講座」あたりにはできなかったものだろうか。「ハングル講座」という名前は、やっぱり気になる。
もう一つ言うなら、恐らく両国の存在に気を遣って生み出された「ハングル講座」という呼称なのだろうが、実は北朝鮮では「ハングル」という呼称を使わない(ハングルのハンは「韓」と同音であるので、「ハン」を「朝鮮(チョソン)」に替えて「チョソングル」と呼んでいる)。全然問題解決になっていないではないか。それなら「ハングル講座」なる奇妙な言葉を使うまでもなく、きちんと「韓国語講座」と名乗るのがよかろうに。
さて日本語では、「韓国」「朝鮮」どちらも用いられている。しかし伝統的に、「朝鮮」が用いられることが多い。「朝鮮半島」とは呼んでも「韓半島」とはあまり呼ばないし、「高麗人参」や「朝鮮人参」とは呼んでも「韓国人参」とは呼ばない。1950年代の戦争を韓国では「韓国動乱」と呼ぶが、日本では「朝鮮戦争」と呼ぶ。
現在の日本語では、「朝鮮半島」「朝鮮民族」といった、地理的・民族的区分では「朝鮮」が使われることが多いが、しかし政治的区分となると、残念ながら二国に分裂してしまっているので、それぞれ「北朝鮮」「韓国」と呼び分けられることが多い。
言語については、「朝鮮語」「韓国語」両方の言い方があり、迷うところだ。しかし、朝鮮民族一般の言語というニュアンスの「朝鮮語」(民族的区分)に対し、「韓国語」では大韓民国の言葉(政治的区分)という、範囲の狭まった言葉となる。あえてその意味で使い分けることもあるが、このような理由で、朝鮮半島で用いられている言語の総称としては、私は普段「朝鮮語」を用いることが多い。
「朝鮮は日帝時代(朝鮮半島が日本領だった35年間)に日本が使っていた呼称で、差別用語だ」と言う人がいるが、そうではない。日本人の考えた蔑称などでは決してなく、もともとあった名前を日本人も使っているに過ぎないのだ。
なるほど、政治的な問題とか、「日本人はその言葉を侮蔑の意味で使う事がある」という知識から、「朝鮮」という言葉を嫌っている朝鮮人は多いかもしれないが、「専ら差別的意図で用いられてきた」というのは戦前も戦後も大きな間違いであるし、至って一般的な日常語として用いられてきた。「朝鮮」という言葉そのものは決して間違いではないが、言葉にはTPOというものがあり、使うのにふさわしい場面と、ふさわしくない場面がある。インターネットで一部の日本人に「朝鮮人」と呼ばれて、「私は朝鮮時代の人間でも北の人間でもない」と反論している韓国人を時々見かけるが、私個人は、主に韓国人を相手にして話をしたりメールを送る時は、主に「韓」の方を使っている。その方が通りがいいからだ。とは言え、学術用語として、また歴史を語る時なら「朝鮮」という言葉も場合に応じて使う。韓国人と「朝鮮時代」(日本でいう「李氏朝鮮時代」のこと)について語る時には「朝鮮」という言葉も普通に使うだろうし、こういう場面で「朝鮮」という言葉を使っていることに目くじらを立てている韓国人など、これまで見た事がない(大体、日本人が「李氏朝鮮時代」という言葉を使っていると、「それは朝鮮時代の間違いではないか」「どうして李氏という言葉を付けるのか」という反応が返ってくるのが先であり、「朝鮮」という言葉に対するクレームはまずないはずである)。
このように、「韓国人は朝鮮という言葉を嫌がっているらしいから100%避ける」などというのは極端な行動だし、逆に、韓国人を挑発する意図で「朝鮮人」という言葉でしつこく呼んで、「朝鮮人を朝鮮人と呼んで何が悪い」などというのも、また逆の極端である。コンピュータとは違うんだから、0か1かで考えてはいけない。状況に応じて適切な判断をすることが必要だ。
「北鮮」のように、「朝鮮」を「鮮」と省略するのは差別表現だという意見がある。しかしこの意見には反論も提出されている。
まず、国名や地域名の省略は非常に一般的であることである。中には途中の漢字だけ抜き出す省略法も非常に多い。アメリカ(亜米利加)の米、オランダ(和蘭陀)の蘭、中華の華といった具合である。日本国内でさえ、京葉・京浜・阪神とは東京-千葉、東京-横浜、大阪-神戸の略といった具合に非常に多い。だから、省略したから差別だとか、頭でなく途中の字だから差別だというのは短絡的な発想であり、単なる言いがかりである。
次に、「朝」には国とか自国という意味もあることである。「帰朝」とは朝鮮に帰るという意味ではなく、海外から日本に戻ってくることを言う。「朝廷」「王朝」「明朝」「清朝」のように、「朝」とは国、特に天子の治める国という意味がある。アメリカが「亜」ではアジアと間違うし、オランダが「和」では日本と間違うが、似たようなことで、「朝」ではどの帝国かわからない。そう考えると、曖昧さを避けて「鮮」と省略したのは自然なことだったと言える。
また、ほんの三十年くらい前までは、北朝鮮に好意的な人でさえも「北鮮」という言葉を普通に使っていた。北朝鮮帰還事業を薔薇色に描いた「キューポラのある街」という映画では、日本人も在日朝鮮人も「北鮮」という言葉を普通に使っているシーンが何度も出てくる。当時の実際の在日朝鮮人も本当に「北鮮」と呼んでいたかどうかはともかく、「北鮮」が本当に差別的意図で使われる言葉なら、北朝鮮に好意的なこの映画で、果たしてこんな使われ方をされるだろうか。また北朝鮮に亡命し、軍事教練を受けて革命の闘士になることを夢見ていた、よど号ハイジャック犯でさえも「北鮮」という言葉を普通に使っており、「私たちは北鮮に行く」という言葉を残したことが知られている。
「鮮という省略が専ら差別的意図で用いられてきた」というのは本当だろうか。前述のような理由があったということも念頭に置きながら昔の本を読んでみると、その答えは自ずと出てくる。