まほちゃん
旅先でこの写真を見て、あんまりちびに似ていたから、この写真集を買った。
島尾伸三「まほちゃん」。
もう、6年くらい前のことだ。
まほちゃんは漫画家のしまおまほ。
雑誌リンカランなどでも名前を見かけたような気がする。
目のクリクリかげんは昔から変わらないのね。
島尾伸三は写真家で、奥さんもまた写真家の潮田登久子。
「まほちゃん」は、まほちゃんを中心に三人の家族風景を写した写真集。
まほちゃんが自然体で楽しくて、最後の家族三人のあとがきにほろりとして。
久しぶりにこの本を手に取ったのには理由がある。
日曜日の読書欄に島尾伸三の本が紹介されていた。
「著者に会いたい」欄。著者を取材した欄だ。
「ずっと絶望していた」。
その見出しにどきりとした。
島尾伸三の父親は「死の棘」で有名な作家の島尾敏雄。
愛の形、夫婦の再生を描いた、などと帯に書かれたりするその本だけれど、実際そのような家庭に生まれた子供はたまらないだろう。
そのことを考えたら、夫婦の愛の形なんて評価できるだろうか。
小学二年生で絶望し、自殺を図った島尾伸三が得た家庭は、自分が育った家庭とは全く異なる家庭だ。
「まほちゃん」に詰まった家族の形、夫婦の形。
朝日新聞には「恋人のような妻」とあったけれど、本当にそうなんだろう。
どうやらかなり年上の登久子さん。
あなたの優しさに甘えてのことなのですが、ですから、おいしいご馳走、やさしい言葉、あたたかい心遣い、いつの間にかのお金の工面、おまけに写真の現像まで上手にやって下さるし、旅行中には勇敢で、あの、あの、あの、アリババと四十人の盗賊の、盗賊をやっつけた賢いモルギアナのような方なのです。子供の頃に憧れたモルギアナがあなただったなんて、なんと幸福な私なのでしょうか。あなたは、元気な赤ちゃんを事もなく一人前のおとなに育てあげましたが、ええ、私はその赤ちゃんも大・大・大好きですよ。あなたの写真作品はどれも正面から物事を捉え上品で素晴らしい。あなたへの感謝と尊敬は大きくなるばかりです。
「まほちゃん」のあとがきの一部分。
これはなんとなく茶化しているのではなくて、心からの言葉なんだと思う。
自分がまっとうな子供時代を遅れなかった人間が父親になれたこと、それを含めて自分の生というものを支え続けてくれた登久子さんこそが、島尾伸三にとっては自身の中の家族の一番であること。
そういうのがいい。
子はかすがい、子供は家庭の中心、それはもちろんそうだしそれでいいけれど、一人の女が妻や母としてでなく、一人の人間として全人格を求められているということが。
子供はいつか巣立ってしまうもの。
どの写真でもまほちゃんは生き生きと無邪気なのである。
それを引き出した父親のまなざしは、ただただ、登久子さんの愛情と庇護という後ろ盾があったからこそ得られたまなざしだと思う。
誰だって、当たり前に親にはなれない。
ことに生まれ育った家庭が不全だった場合は。
私が「まほちゃん」を買ったのは東京だった。
心身ともに疲れ果てた私を家族はなかば煽るように東京に送り出した。
大好きな東京へ行けば、私も少しは元気になるだろうと思ったみたい。
私は骨と皮みたいにげっそりしていて、駅からホテルまでの通路さえ長く感じたものだ。
途中の本屋でたまたま手に取った。
どういう縁か、サイン本でした。
その後、元気になった我が家のモルギアナは、
「誰のおかげで、気兼ねなく飲みにでかけられると思うとんのじゃい」
と一人ごちながら、夫の帰りも特に待っていないのでした。
ちびはもう寝たし、一人になって、今日何杯目かのコーヒーを飲んでおります。
めでたし、めでたし。
島尾伸三「まほちゃん」 オシリス(河出書房新社)
「死の棘」我が家にもありますが、みなまで読んだことはありません。
何回か試みたのですが、途中で私が受け止めきれなくなり
きつくなってきて読むのをやめてしまっていました。
死の棘の本には伸一さんという子供の名前がありますが、
この伸三さんとは同一人物ではなく兄弟なのか、
それとも本人なのかわかりませんが・・・
島尾まほさん・・・よく雑誌でみかけていました!
そうかそうかと色々なことが繋がりました。
子供に罪はないけれど、親によって子供は翻弄される部分って
あると思います。
今はそういうのを「負の連鎖」とか言ったりすることもありますが、
伸三さんはモルギアナに出会えて、とても幸せでしたね!
そして、まほちゃんもスクスク育って。
もう一度「死の棘」読んでみようかな、と思いました。
何回か試みたのですが、途中で私が受け止めきれなくなり
きつくなってきて読むのをやめてしまっていました。
死の棘の本には伸一さんという子供の名前がありますが、
この伸三さんとは同一人物ではなく兄弟なのか、
それとも本人なのかわかりませんが・・・
島尾まほさん・・・よく雑誌でみかけていました!
そうかそうかと色々なことが繋がりました。
子供に罪はないけれど、親によって子供は翻弄される部分って
あると思います。
今はそういうのを「負の連鎖」とか言ったりすることもありますが、
伸三さんはモルギアナに出会えて、とても幸せでしたね!
そして、まほちゃんもスクスク育って。
もう一度「死の棘」読んでみようかな、と思いました。
anemonexs さま
親が問題を受け止め切れないとき、それが子供に向かってしまうということは往々にしてあるのでしょうが、子供が親を選べないというのはやはり悲しいことですよね。
それも子供の運命だと考えたとしても、その後モルギアナに出会えたことは本当に幸運だったと思います。そういう人にもまた、誰でもが出会えるわけではないでしょうから。
「死の棘」実は私も途中までしか読めていないのです。
もう、読めないだろうなあ。
年齢を重ねるほどに刺激の強いものがだめになってきて、なんとなくプラスのエネルギーを感じるものしか受け付けられません。
「まほちゃん」はいいですよ。
伸三さんはなんとなくまほちゃんを客観的に眺めているのです。父親というよろいがなく、「いつまでもこんな生活続けていくつもりはないよー、と思いながらずっと続けてしまいました」と言う感じが、過酷な子供生活を送ってきた一人の男性のありのままに思われて。
今でも、それぞれがやりたいことをやって、それを持ち寄って見せ合える大切な仲間である。島尾家のそんな雰囲気がいいなと思います。
親が問題を受け止め切れないとき、それが子供に向かってしまうということは往々にしてあるのでしょうが、子供が親を選べないというのはやはり悲しいことですよね。
それも子供の運命だと考えたとしても、その後モルギアナに出会えたことは本当に幸運だったと思います。そういう人にもまた、誰でもが出会えるわけではないでしょうから。
「死の棘」実は私も途中までしか読めていないのです。
もう、読めないだろうなあ。
年齢を重ねるほどに刺激の強いものがだめになってきて、なんとなくプラスのエネルギーを感じるものしか受け付けられません。
「まほちゃん」はいいですよ。
伸三さんはなんとなくまほちゃんを客観的に眺めているのです。父親というよろいがなく、「いつまでもこんな生活続けていくつもりはないよー、と思いながらずっと続けてしまいました」と言う感じが、過酷な子供生活を送ってきた一人の男性のありのままに思われて。
今でも、それぞれがやりたいことをやって、それを持ち寄って見せ合える大切な仲間である。島尾家のそんな雰囲気がいいなと思います。