◆4月6日
翌4月6日、内閣府原子力安全委員会が、政府に伝えた防災指針変更の内容を発表する。「年間の累積被ばく放射線量が20ミリシーベルトを超える可能性がある住民に、避難などの措置を講じる」。これまでは10~50ミリシーベルトで屋内退避、50ミリシーベルト以上で避難だったが、基準はより厳しくなった。
会見した安全委の代谷誠治委員は「防災指針は事故の長期化によって実情に合わなくなった」と説明した。
このころ、日本の農産物の輸入規制は欧米やアジアだけでなく中東や南米にも広がっていた。菅野村長は「国としてしっかりやっている、と言うために『世界の飯舘』を標的にするつもりだ」と不信感をいっそう募らせた。
同じ6日。飯舘村の広瀬要人(かなめ)教育長に、文科省の前川喜平総括審議官から電話が入った。「すぐに避難の準備をしたほうがいい」
面識のない相手からの突然の連絡に、広瀬教育長は戸惑った。「なぜ私に電話をしたんですか」。前川審議官は、鈴木寛副文科相の指示だと答えた。広瀬教育長は「村長に直接言えば、正式な通知になってしまうからだろう」と推測し、避難に向けての政府の「地ならし」と受けとめた。
同様の電話は同日夜、のちに飯舘村全域とともに「計画的避難区域」に一部が指定される川俣町の神田紀(おさむ)教育長にもあった。「今、官邸サイドでやっているが、これから川俣町の一部が場合によっては避難指示のようなことになる。対応は可能か」。そう尋ねる前川審議官に、神田教育長は「大変なことになる」と反発した。
「これから官邸に出向いて伝える。この件については町長にもマル秘(秘密)として取り扱ってほしい」。前川審議官が口止めしたことが神田教育長のメモに残されている。
飯舘村の広瀬教育長は「近く避難区域に指定される」と予感し、すぐに菅野村長に報告した。菅野村長は翌7日に急きょ上京し、官邸で福山哲郎官房副長官に説明を求め、2日前に送付した提言書を直接手渡した。だが、その場で福山副長官は新たな避難区域の指定には明言を避けた。
4月10日、福山副長官は飯舘村、川俣町の首長2人を訪問する。用件を察した菅野村長は混乱を避けるため、面会場所を報道陣の待ち受ける村役場ではなく、福島市内の県知事公邸に指定した。
「おおむね1カ月以内に全村民の避難をお願いしたい」。そう切り出す福山副長官に、菅野村長は思いのたけをぶつけた。
「会社もつぶれる。生活のリスクを少なくしながら避難させないと大変なことになる。もっと柔軟に考えてもらわないと『はい』とは言えない」
議論は3時間に及んだ。しかし、「全村避難」という政府の方針が変わることはなかった。
2011年6月10日