検証・大震災

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検証・大震災:福島原発事故3カ月(5) 人口の7割脱出

 南相馬市立総合病院の小沢政光事務部長は液体酸素の確保に苦しんでいた。震災2日後にも、貯蔵タンクの液体酸素が切れるのを知らせる赤い警報ランプが点灯し、半日から1日で入院患者の人工呼吸器が止まりそうになった。いわき市の取引業者と連絡が取れず、市役所の災害電話を使ってNTTの交換手を経由しながら別の業者とやり取りし、ぎりぎりで補充できた。

 15日になっていわき市の取引業者と電話がつながったが、今度は「屋内退避」が壁になる。業者は「そちらへの立ち入りが制限されているので、市から緊急要請の文書を出してもらわないと」と言う。小沢事務部長は「ここは放射線量も低いので大丈夫ですから」と頼み込み、やっと納品してもらった。

 約250人いた病院スタッフの3分の2は14日の3号機の水素爆発で避難し、200人以上の入院患者を支えきれなくなっていた。自衛隊の支援で全員転院できたのは、20日になってからだった。

 ガソリンがなければ住民生活を守れない。タンクローリーが届けたガソリンは、市内のほとんどの車がガス欠だったためすぐに底をつく。市はエネルギー庁が残していった空のタンクローリーを使うことにした。だが、誰でも運転できるわけではない。大型免許と危険物取扱免許を持つ人を探した。

 宇都宮市の備蓄基地から往復16時間をかけてガソリンを運んだ。21日には物資の倉庫を北隣の相馬市に開設。そこへ市内の業者が取りに行くようにした。ようやく市の生涯学習センターや「道の駅」でカップ麺や米を配ることができた。

 被災者の2次避難も並行して続けた。連日数百人から1000人以上がバスで群馬や新潟に向かった。秘書課の星高光係長は市庁舎からバスを繰り返し見送った。「屋内退避」のはずの住民がなだれを打ってふるさとを離れていく。切なかった。

 市を脱出したのは約7万人の市民のうち5万人を超えた。

2011年6月10日

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