◆3月15日、南相馬市対策本部
福島第1原発2号機と4号機で爆発が起きた15日の午前11時。菅首相は原発から半径20~30キロ圏の住民に屋内退避を求めると発表した。南相馬市は市役所のある市の中心部、原町区(旧原町市)がその20~30キロ圏にあたる。だが、この時も国からの連絡はない。
同市は比較的原発に近い10~20キロ圏も抱え、市への「風評」は既に広がっていた。大手運送業者は市内への物資搬送を拒んだ。屋内退避は原子力災害対策特別措置法に基づく「指示」ではないものの、内外にいっそう「30キロ圏内は危ない」と印象づけた。
同市は沿岸部で4600戸以上が津波で破壊され、死者・行方不明者が700人を超えた。それでも大熊町などの被災者を受け入れ、約30カ所に避難していたのは約1万人。15日の市災害対策本部会議で市幹部は「多くの避難所で暖房用の灯油が底をつき、提供できる食料は明日には尽きるような状態だ」と報告した。
桜井勝延市長は「もう被災者を支えきれない」と覚悟した。市外に2次避難させることを決め、夜のNHKニュースで全国に窮状を訴えた。「原発事故で汚染地域扱いされ、物資が届かない。国は指示するが情報はくれない。何とか助けてほしい」
翌16日朝、新潟県の泉田裕彦知事から「被災者は何人でも受け入れる」と申し出があった。桜井市長らは市内7カ所の避難所などで説明会を開き「ここを維持できない。新潟に行っていただきたい」と頭を下げた。
だが、新潟県の用意したバスも30キロ圏内には入ってこない。市の手配したバスで30キロ圏境まで住民を運び、そこから先で乗り換えてもらった。
16日夜、計80キロリットルのガソリンを積んだタンクローリー4台が突然、経済産業省資源エネルギー庁の手配で市に到着した。市幹部は「NHKで桜井市長の話を聞き、慌てて飛んできたのではないか」と推測した。タンクローリーは15日夜、菅首相が原発周辺自治体へガソリンを提供するため経産省に指示したものだった。
17日には国土交通省の津川祥吾政務官が初めて市を訪れた。「必要なものを言ってほしい」。津川政務官は市長にそう伝えた。震災7日目のことだった。
2011年6月10日