葛尾村は避難に向けた準備を着々と進めた。13日朝から村民や村外からの避難者に聞き取りをして約150人に移動手段がないことを把握。村営バス5台を準備し、同日夕にはドライバーや誘導役として村営バスの運転手ら15人を指名した。
原発に関する村の情報源は国や県ではなく、東電やその協力企業の社員を家族に持つ村職員や村民のネットワーク、それに広域消防だった。
14日午前11時1分、今度は3号機が爆発した。「報道されているより深刻」「東電の社員が原発から撤退し始めた」。松本村長は、職員の話から事態の悪化を感じ取っていた。
情報交換のため松本村長は午後6時半、原発までの距離がほぼ同じ川内村の遠藤雄幸村長と協議した。「うちは自力で逃げる準備をした」。そう告げる松本村長に、遠藤村長は「こっちは沿岸自治体の避難者を預かっている。動くことは考えていない」と応えた。この会話を最後に防災無線は使用不能になる。葛尾村は孤立し、村独自で避難するかどうか判断するほかなかった。
午後9時前、災害対策本部のテーブルを村幹部が囲んだ。「国の避難指示は20キロから30キロに広がる可能性もある」。職員の報告を松本村長は腕組みをしながら聞いていた。「決め手がほしい」
その時、防護服姿の地元の消防職員が息を切らしながら飛び込んできた。「消防無線で聞いたんですが……」。原発事故対策の拠点である大熊町のオフサイトセンターまでが撤退を始めたというのだ。
「避難すっぺ」。松本村長は即座に判断した。もし避難が空騒ぎに終わったら、責任を取るしかない。腹をくくった。「国や県よりずっと情報は少ない。しかし、一か八かの賭けではない」
予定通り村民ら約150人を乗せたバス5台が午後10時45分、村役場を出発した。翌朝、2号機と4号機が相次いで爆発。北西に吹く風に乗って放射性物質が村に降下したのは、すべての村民が避難を終えた後だった。
2011年6月10日