第1章
――扉はなんとも無気味な音をたてて、皆を迎えいれた。
ナオミたちの前には赤い絨毯、その先には螺旋階段が見えた。
赤い絨毯の左右には、数人の執事がナオミたちを出迎えにきていた。総執事のユトレヒトにつれられ、歩いていくと傍に控えていた音楽隊がトランペットをいきなり吹き、ビクッとナオミたちを驚かせた。ジョジョは毛が逆立った。
玄関は美術館のように大きな大広間だ。
天井を見上げれば螺旋階段にともなって、何百という部屋がぐるぐると果てしなく続いている。螺旋階段の始まりの小間には電気で動く、豪華な装飾の赤い扉のエレベーターがあった。ナオミたちが驚きのあまり声がでず、みとれること数分、コホンッと誰かの咳払いが聞こえた。
すっと咳払いのほうに目をやれば、鼻眼鏡をかけた厳格そうな女の人が立っていた。この人はこの領主館ではそれなりの地位にある人に違いない――――ナオミの女の直感だ。そして自分はこの人をにわかに知っている、ただ話したことはないけれど。
「こちらが伯爵家の家宰、デイム・クーデンホーフだ」
家宰とは家長に代わり、家政を取りしきる重役のことだ。
「デイム、皆さんは思っていたよりも元気ですよ。ええ、こちらが今年の騎士候補生です」
「ドワーフの砲撃に遭ったと聞いておりましたが――無事でなによりです」
クーデンホーフはホッと胸をなでおろすと、ゆっくり鼻眼鏡をかけ直した。
「お迎えのほどご苦労様でしたね、ユトレヒト。ここからは私が引き継ぎましょう、あなたは下がってよろしいですわ」
クーデンホーフはパンパンッと手を叩けばピタッ! と音楽隊の演奏がやんだ。
「さあ、ついていらっしゃい」とクーデンホーフは右の大きな廊下を大またで歩いていく。いわれるがままに家宰についていく騎士候補生たち。騎士の回廊という廊下では、歴代の騎士たちの肖像画がみられた。
「どうして魔術師マーリンの肖像画があるんだろう?」
声の主はテル。騎士でもないのにどういうわけか、ここに魔術師マーリンの肖像画があることに一同は不思議に思った。杖をついた長髭の老魔術師マーリン、威厳のある肖像画だ。ちなみにマーリンの肖像画は、ほかの騎士たちよりも豪華な額で飾られていた。
――魔術師マーリン。
その碑には「魔法使いにして予言者、アーサー王とその父ユーサー王のよき相談者。聖女が夢魔との間に身篭った呪われた子ども。僧院で生まれ、生後すぐに洗礼を受けたので魔界に堕ちることをまぬがれた」と記されていた。
マーリンといえば予言や透視などの魔術にたけており、姿も自由に変えられることでも知られる。幼少のおり、砦を築くための人柱に引きだされるが、アーサー王の出現を予言して、自分はその王の後継人であるとして、自らの命を救ったことは有名な話だ。
悪魔との混血児のため、祓魔師などその強大な魔力をもった血を求める輩に、何度もなんども命を狙われたという。泉の聖女ニミュエを溺愛したため、最後は彼女の計略にかかり、湖の樹のうろに閉じこめられてしまった。湖の樹のうろ、やがて人々はその場所に墓碑の意味もこめた修道院を建立した。現在、そこはモン・サン・ミッシェルと呼ばれている。
「それが現在に続く、モン・サン・ミッシェルの歴史なの」
ココの言葉にサンチョ・ボブスリーの顔が思い浮かんだ。
泉にかこまれた館に住んでいたという、泉の貴婦人ニミュエ。
ときに彼女はヴィヴィアンという称号で呼ばれていた。円卓の騎士物語では、アーサー王の腹心である聖騎士ランスロットの育ての親であり、かのアーサー王に聖水から作りだした聖剣を授けた魔女だとか。彼女は魔術師マーリンの弟子であり、マーリンが愛する世界でただ一人の女性でもあった。
「なぜニミュエはマーリンを幽閉したの?」
さすがにココもこれはわからない、と首をかしげた。するとクーデンホーフがコホンッと、また咳払いをしたので、ナオミはビクッと飛びあがった。
「身代わりだと先生は聞いています。物語には書かれていませんがあそこにアーサー王が逆臣たちの企みにより、幽閉されていたそうですの。国王を助けるためにマーリンは身代わりになったと伝えられています。しかし可哀想なことにニミュエはマーリンの子どもを身篭っていたのです。そこで彼女はその子のため、アーサー王の側近であった、円卓の騎士ペレアスに自分を愛する魔法をかけて、彼と結婚しましたの」
――なんと悲しい恋愛物語のことか。
「マーリンとニミュエは愛しあっていたのね」
幽閉されたマーリンがどうやって生きながらえたのかは分からないが、百年後にモン・サン・ミッシェルから逃げだした。しかし脱獄のおりに魔力を失い、アルデリスの戦いとやらに遭遇して命を落としたといわれる。
「ブルトンの文献にも記されていると思いますが――――まあ、今の世のなかを騒がしている、あの脱獄者サンチョ・ボブスリーもそうあればいいのですが」
第2章
領主館の家宰は、奥にある大きな扉のところまで連れていくと、そこでピタッと足をとめた。彼女の厳格な声が聞こえ、一同は背筋をのばした。どうやらその先は、引継ぎ式の会場のようだ。重圧で心が痛い。緊張のあまり、おしっこがしたくなってきた。
「補佐役はここにいますか?」
ココが前に歩みでた。ロレンツォの従姉妹だ。
「ドワーフの砲撃、大惨事だと聞いています。幸い死者はでなかったそうですが、こうして無事を共に喜びあえるのは補佐役がいたればこそ。さすが生徒会役員、キング・アーサー地区の補佐役だけあります」
クーデンホーフはゴソゴソしたと思えば、小さなメダルを三枚ほど取りだして「コクリコ・サクラダにメダル三枚」とわけのわからないことを呟いた。
ココは家宰から小さなメダルを受け取った。
「騎士メダルっていうの」とココ。
「騎士メダル?」とナオミ。
騎士に叙勲されるには、条件として騎士メダルを三〇〇枚集めないといけいない。
メダルが三〇〇枚に達すればときの領主の推薦をもって、公爵より正式に騎士勲章を叙勲される。すなわち騎士メダルとは自身の名誉の証なのだ。騎士候補生が親方騎士に仕えるのはそのメダルを集めるためでもある。もちろんメダルは悪いことをすれば没収されるし、逆に名誉のかわりにメダルを賭けて物事を治めることもできる。
「ふーん、それで?」
興味のないテルの声が聞こえてきた。
「三〇〇枚に達した人から騎士になっていくの。でも三〇〇枚に達していない人はずーっと騎士候補生のままなの。最長で騎士になるのに二十年かかった候補生もいたぐらいよ」とココはとても恐ろしいことをいった。
その言葉にナオミとテルは顔をものすごく青ざめてしまった。
騎士になるには、騎士候補生一人ひとりが、この町の人々から騎士メダルを集めなければならない。自動的に繰りあがるものでも何らかの試験に合格すれば、なれるものではないのだ。日々の良き行いが騎士メダルの数になり、それが騎士の道へと直結する。また騎士メダルはたえず、誰にあげたとか日々報告されるので不正はできない。
「あ、そうそう。騎士メダルの数は領主館に貼りだされるから」
学校の成績みたいに掲示板に貼りだされるのか。
「僕はマイナスにならないように頑張るよ」
テルは声を落として、ほどほどにいった。
「コクリコ・サクラダ、生徒会はもう席についていますわよ」
クーデンホーフの言葉に在団生たちはコクッと頷くと、そろりとおしあいへしあいながら、左右の廊下の非常扉から会場へとはいっていく。
ココも「またあとでね」と右の廊下へと姿を消した。
ピックル・タナカも一年間の代理教師として、候補生と顔合わせしておく必要があるとのことで、家宰の言葉に従って、彼らのあとについていく。
耳を澄ませば扉の内側では、彼らの無事を友人たちがヒソヒソと喜び合っていた。
「入団生の皆さん、ようこそアッパータウンへ」
クーデンホーフはナオミたちにニコッと微笑んだ。
「あと五分足らずで、騎士候補生の入卒団式が始まります」
まもなく騎士候補生の入卒団式が始まるとのことだ、式場の踊り場で待機するナオミたちに緊張が奔った。入卒団式、ロロが本から得た知識によれば、自分たちが入団すると同時に見習期間を卒団する騎士たちといれかわりに入団する、とか。
「へえ、知ったかぶりも役に立つときがあるんだな」
テルの小さなぼやきに、すかさずロロの拳が少年の脇腹にくいこんだ。「ウゲッ!」とテルの悲鳴とともに、クーデンホーフは社交界の理をナオミたちに説明した。
「新人の皆さんは先輩たちから、配属される地区の引き継ぎを受けなければなりません。地区の引き継ぎはアッパータウンの伝統。地区での生活こそが皆さんの社交界ですの」
地区、響きよくいえば町というそうだ。
子爵が経営する領地のことだ。ここで自分たちは様々な人々と出会い、彼らから学び、彼らと一緒に寝食をともにすることによって、人間として大切なものを得るのだという。
地区には円卓の騎士の名前が冠されている。
キング・アーサー、ランスロット、ガウェイン、ガラハッド、トリスタン、モードレッド。この六騎士の名前がアッパータウンの六地区の名前にして、この都を形成している六つの町の名前だ。
また各地区には、生徒会から補佐役に任命されている騎士候補生がいる。ココがその一人、キング・アーサー地区の補佐役だ。この六人の補佐役の意見をまとめるのが書記の仕事で、現在その大役を担っているのがロレンツォだ。その書記がまとめた意見を生徒会を代表して、領主や親方に掛け合うのが生徒会長だとか。
「その昔、偉大な騎士たちがここで生活して卒団式を迎えました。騎士候補生のあいだ、どの地区で過ごすにしても、皆さん一人ひとりの騎士伝説をつくってくださいね」
「…私たち一人ひとりの騎士伝説…」
ナオミは父と母がどんな伝説をつくったのだろうか、と静かに思った。
「どういうふうに引き継ぐのかしら?」
ナオミは控えめなヒソヒソ声でテルに訊いてみる。
「…たぶん…」とすぐにテルは自分の右手にペッと唾を吐き、それをクーデンホーフに気づかれないようにそっと扉につけて「お互いに唾のついた手で握手じゃないかな。昔はそうだったって、父ちゃんがいってたんだけど」と呟いた。
「それって不潔だな」とロロ。
「だからヴァンヌ育ちは大嫌いなんだ。なんでも汚いとかいうし、すかしてるし…」
すかしていることは関係ないが、ナオミはなんだかハラハラしてきた。地区を引き継ぐといわれても、一体全体どうすればいいのかさえわからない。
はたしてテルがいったようなものでいいのだろうか――――それにこんな自分にちゃんと引き継がせてもらえるのか、資格がないとかいわれないだろうか。
ナオミがそっとあたりをみまわせば、テルの言葉を信じたのか、ほかの入団生たちはしきりに右手をハンカチで拭いていた。ミスリル地下鉱山で知り合ったマイケル・コービーは眠たいのか、コックリと立ちながら寝ている。この変わった少年はのんびりとしているせいか、緊張しないのだろう。まったくうらやましい。
そんな彼女たちをさらに驚かせたのは毛のまばらなジャックウサギの群れだった。よくみるとグレムリンと呼ばれる妖精だ。このグレムリン、機械に悪戯をする妖精とされ、ゴブリンの遠い親戚にあたるそうだ。かつては人間に発明の手がかりを与えたり職人達の手引きをしていた。
あの発明の父エジソンが助手にしていたことは大変有名だ。
エジソンがいうには、どの家庭にもグレムリンの一匹や二匹、住みついているという。彼らは好物のチューインガムをクチャクチャさせて、そのあたりを走りまわっていた。
まるで彼らはウサギのぬいぐるみのようだ。
彼らはしきりに大広間を走りまわり、ナオミたちの頭などにのぼってきたりした。興奮のあまりお互いにぶつかりあい、気絶する者もいた。グレムリンたちが時間に追いやられるかのように壁のなかへ逃げこんだ頃、スゥーとエレベーターから五名ほどの騎士たちが降りてきた。
あのヤドリギのようにブタのようにでっぷりと太ったのやら、ヤドリギ夫人のようにごぼうのようなのやら、短足や足長やらいろんなのがいた。彼らは入団生たちをみると「今年も元気そうなのがいっぱいじゃねえかよ」とか「まったく、まったく」とお互いに話ながら、玄関扉のほうへ歩いていった。
彼らはぶつぶつと彼らの仲間内のことについて、しきりに議論していた。
「あいつは親方失格だぜ。候補生は従者だぞ。それをマルボロときたら、まるで丁稚奉行人みたいに扱っていたそうじゃないか。食事もろくに与えやしねえから、もうすぐで餓死寸前だったとか。この俺にいわせればだな、今すぐあのクズから騎士の地位を剥奪すべきだと思うんだ」
「リンドバーグ、パン屋のお前に俺の何がわかる?」
「ティソ親方、アニタ・ジブリ・パリの皆は、少なくてもお前の味方ってことだよ」
リンドバーグと呼ばれた、スラッと足の長い騎士は入団生の視線に気がついたらしい。いきなり大また歩きで彼らのほうへ近づいていくと、怖そうな声で話しかけた。もちろん誰も返事などするものはいない。
「…君たちは入団生だね? 引継ぎ式はもう決まったのかい?」
リンドバーグをなだめていた、優しそうなもう一人の騎士が彼らに話しかけた。
「あの…今からです…」とナオミ。
「おお、そうか。握手のコツは心の声に従うことだ」
心の声に従うこと? どういう意味だろう?
「心の声に従うといってもな、君たち。キング・アーサー地区のマルボロの従者になることだけはやめておけ。それならパン屋の俺のところにこい」と足長の騎士は入団生たちに忠告した。
ナオミはマルボロの従者になるよりも、この人の従者だけはなりたくないなとひそかに思った。だって乱暴そうだからだ。それは入団生、皆の意見でもあった。
「親方、挨拶はあとからにしてもらえませんか」
苛立ちながら、しきりに懐中時計に目をやるクーデンホーフ。
「時間がないんだね、すまないな。それでは騎士候補生の諸君、キング・アーサー地区でお会いしましょう」と家宰にせかされ、親方騎士たちはその場を立ち去った。
あとになって分かったことだが、騎士の身分と職業は違うのだ。
騎士とは中世のように騎馬で戦う軍人階級のことではなく、ブルトン社会における成人を意味する言葉だ。騎士は『勲爵士』とも呼ばれ、ブルトンの伝統教育を受けた身分証明に他ならない。爵位についても同じだ。昔は地主身分だったが、国が株式会社となった今では、その土地の運営を担う経営者格にすぎない。
騎士や爵位を授爵されようとも、ブルトン人には職業がある。
だからあのときテルが騎士は卒業後、サラリーマンやОLになるといったことは少なからずも間違ってはいない。そもそも『円卓の騎士団』に軍事的機能はなく、騎士訓練所というべき教育機関なのだ。軍事的機能を求めるなら、彼らには軍警察がある。
十三歳までブルトン人がフランス人と一緒に暮らしているのも、フランス社会の一般常識を心得るためだ。十三歳になったあとはブルトン人として、ブルトン社会のなかで生きねばならない。そのための基礎魔法教育組織が円卓の騎士団というわけだ。そしてここは某騎士団のアッパータウン校、いわゆる分校だ。
「おしゃべりはそこまでです」
家宰は七秒間のあいだに身なりを整えるようにいった。
「二列になって準備はよろしい? さあ、私のあとについてきてください」とクーデンホーフはコホンッと咳払い、鼻眼鏡をかけ直すと大客間の扉を開けたのはよかったのだが、すぐに「誰です、こんなところに唾をつけたのは!」とベトベトした手を見て、顔をしかめた。
第3章に続く
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