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昭和48年6月11日、1月に開院したばかりの札幌市豊平区真栄にある精神科北全病院から2人の入院患者が脱走した。
2人は札幌弁護士会に救いを求め、病院の惨状を告発した。
2人は北全病院には看護婦が少なく、掃除などをする病棟婦、作業指導員らに注射や点滴をさせている事、患者を薬づけにし退院を遅らせている事、手紙の検閲をし、手紙を焼いたり不都合な部分を消したりしている事、不満をもらす患者には暴行し、電気ショックを加える事を訴えた。
外見は小奇麗な北全病院だったが、中身は惨澹たるものだったのだ。
2人のうち、河合幸次(37)は3月6日に北全病院に入院した。
内科のつもりで北全病院に行き、診察もなく生年月日を確認しただけで入院手続きは終わった。
河合は閉鎖病棟に入れられて、はじめて精神病院だと知った。
退院を申し出たが許可が下りず、面会に来た妻も追い返されいた。
河合は脱走を試みた。
2階の窓ガラスを破って地上に飛び降りたが、その場で職員に捕まった。
四畳半の保護室に連行され、電気ショックをされた。
手足を抑え付けて拘束衣を着せられ、口に手拭いを突っ込まれた上に手足を固定し、左右のこめかみを濡らし、電極をあてる。
一瞬体が痙攣し、意識がなくなる。
北全病院では「作業療法」として様々な作業を患者にやらせていた。
食事の配膳、後片付け、掃除洗濯、院長比田勝孝昭の車の洗車、死者が出た場合の死体処理まで患者がやらせられた。
そのくせ、自分で用便の出来ない女性患者を全裸にし、オムツをあてがうのだけは男性職員がやっていた。
脱走した2人は、作業療法を利用した。
ゴミを捨てに行かされ、そのまま原野を横ぎり、山伝いに逃げたのだった。
北全病院の実態は道内のメディアで大きく取り上げられた。
北全病院に対する非難が高まって行った。
その中で、ロボトミーをされた患者が発見された。
元鉄筋工の加藤直信(29)は酒で体を壊し生活保護を受けていた。
肝硬変、糖尿病、慢性胃炎の診断で市内の病院に入院したが、2月14日、福祉事務所のケースワーカーが加藤を北全病院に連れて来た。
比田勝院長は加藤を慢性アルコール中毒、爆発型・意志薄弱型精神病質と診断し、内科ではなく精神科の患者とした。
比田勝院長は病院は最初、加藤に大量の向精神剤を投与し、次に札幌市立病院脳外科の竹田保医長にロボトミー手術を依頼した。
4月19日と6月5日、市立病院で加藤のロボトミーが行われた。
6月29日に退院した加藤は北全病院への再入院を拒否、帰宅した。
加藤はまったく別人となっていた。
行動が遅く、まとまりがない。
無遠慮で投げやりで身辺整理もできない。
無気力で集中力がなく、記憶にも障害があった。
その上、失禁をし、自分では着替えなかった。
妻は、2人の幼子を抱え、こうした状態の加藤に手を焼いた。
加藤が発見されたのは、そんな時だった。
加藤のロボトミーには本人はもちろん、妻の同意書もなかった。
比田勝院長は、入院の同意書を「ロボトミーも含めた入院中の全治療行為についての同意」とし、加藤には検査と説明して手術をしていた。
3人の弁護士が代理人となり、3人の医師が特別補佐人となった。手弁当だった。
裁判のための証拠保全で様々な事があきらかとなった。
まず、カルテを書きかえていた。
差し押さえたカルテと後に提出されたカルテと内容が違っていた。
比田勝院長は「証拠保全で持っていかれたので、書き写した。その時に写し間違えた」と言い放った。
コピーをとらずに手で書き写したというのである。
こうして12年におよぶ裁判が始まった。
昭和59年、突然、加藤が誘拐された。
元道警札幌南署員と旭川市内の興信所員の2人が、7月22日午後1時頃、旭川市内の精神病院に入院していた加藤を「ちょっとドライブに行こう」と誘い出し、乗用車で札幌市内のマンションに連れ込んだのだ。
加藤はその後、札幌高裁に訴えの取り下げ書と弁護団の解任届を提出し、11月7日にタクシーの無賃乗車で札幌西署に保護されるまで行方不明になった。
弁護団は、訴えの取り下げなどに対して札幌高裁に異議を申し立てる一方、保護された加藤から事情を聴いた。
加藤は、病院から連れ出されたあと、札幌市内のマンション2カ所で元警察官ら4人と共同生活をし、食事などは元警察官に用意してもらっていた。
元警察官は加藤が保護された直後にマンションを引き払い、行方をくらませてしまった。
昭和61年3月31日、比田勝孝昭院長が2千万円、執刀医1千万円を支払うという内容で和解が成立した。
加藤は42歳になっていた。
★比田勝孝昭
北川医院
比田勝 孝昭
120-0037
足立区千住河原町22-6
電話:03-3881-0364FAX:03-3881-0397
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