夢、の醸造所

夢をもち、夢を語り、夢を実現しよう!

昔の体験 -補足2

2011-04-21 | 信仰体験

2)祈っていたこと

振り返りの2つ目として取り上げたいことは、当時祈っていたことです。
当時、初めての御本尊流布を決めるべく頑張ってもいました。
ハッキリと祈りの一念に入れていたのは、

●自分は犠牲になってでも、友人が幸福になりますように。
 私はどんな目に遭ってもかまいません。
●友人が、私以上の広布の1級の指導者に、大人材になりますように。

という2点でした。
これらは完璧に叶うことになります。
信心の確信をつかむことができた大きな体験となりました。

念願の本流を決めたあと、病で1年間入院したりがあったのですが、この私の祈りに関して、あとで間違っていたことを指摘されました。
女子部時代にゾーン主任部長まで全うした妹に、

「この信心に犠牲はないよ。折伏した方もされた方も、どちらも幸福になるのが信心だよ」

と指摘されるまで、自分の誤りに気づかなかったのです。
何かが叶うということは、一方で何らかの犠牲を強いられることと誤解していたのです。

「妙の三義」の1つとして「具足の義」があるのと、法華経自体も円教であり欠ける部分が無い教えです。
何も犠牲を強いることは一切無い教えが、南無妙法蓮華経なのです。
そもそも何らかの犠牲を強いる思想・宗教というのは、その教えに力が無い証拠なのです。
創価の仏法は、少しの犠牲も払うこと無く、自分も友人も、社会・世界をも、根本から幸福に変えゆく物凄い力があるのです。


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折伏の功徳

2011-01-08 | 信仰体験

前回は心の病という「難」の部分をお話ししましたが、今日はこの時、折伏をして得た「功徳」を中心にお話しします。

5年制の工業高専を卒業し神奈川に就職し約3年、大変な思いをして同級生のK君に御本尊流布を実らせることができました。
男子部や4者の多くの先輩同志に支えられて、正に「獅子奮迅之力」「不自惜身命」を、自分らしく身読する中での、初めての弘教でした。

翌日から、勤行指導に友人宅へ寄ってから職場へと、大和市→相模原市→大和市→藤沢市 と3つの市を往復する毎日を1ヶ月続けました。
男子部の先輩の方々の有り難い応援も度々いただきました。

K君はその後、信心根本に職場をリードする存在になり、ベルギーやシンガポール等に出張もしました。
学会においてもK君は平成2年には、池田先生も出席された、学会創立60周年を記念した神奈
川文化祭にも組体操の一員として参加しました。
そうした勝利の実証の中、K君の母親に御本尊流布することができたとの、報告もありました。
池田先生にお会いできたのも、海外出張できたのも、私よりK君の方が先に実現しました。

K君は学会では男子部副本部長まで全うし、牙城会、少年部責任者をやり切りました。
その中で、東京の女子部幹部の方と結婚し、お子さんも生まれ、一家和楽の家庭を築いています。
男子部を卒業後は、夫妻ででブロック長、地区副婦人部長をされていますが、連絡を取り合ってから3年ほど経過していますので、役職はさらに上がっているかもしれません。

一方、折伏をした側の私はと言うと、一時期は心の病による入院やその悪化がありましたが、多くの人の助けも借りながら何とか乗り越えて、退院し社会復帰しました。
方面のドクター部長が院長をしていて、御本尊御安置OK、勤行OKの病院でしたので、「こんな所で負けてたまるか」と必死に題目を上げていました。
結局、退院1ヶ月前から毎日3時間半の唱題を6ヶ月ほどやり切りました。

その時に、鉄格子のはまった病院で必死に祈っていたことは、
1.退院と就職。
2.人材グループの牙城会になること。
3.創価大学の通信教育を始めること。
4.池田先生にお会いすること。
5.地区幹部という一段大きな広布の責任を担いたいということ、でした。

何年か多少時間は掛かりましたが、それらの願いを完璧に叶えることができたのです。
専任講師として地元の歴史ある学習塾に就職でき、そこでノウハウを覚え、独立しもう13年になります。
パソコンの技術もサポート業として生かせています。

牙城会は12年間休むことなく、無事故で全うできました。
少年部支部責も10年間務めました。
創大通教は平成10年に卒業でき、池田先生に2回お会いすることもできました。
地区幹部にという願いも、12年ほど副地区リーダーとしてみっちり務めさせて頂きました。

こうして事実を列挙するだけでも、折伏というのは、折伏した方も、された方も、本当に莫大な功徳があるのだな、と振り返ってみてつくづく感じます。
これは何も私だけということではなく、創価学会80年の広宣流布の歩みの上で、1千万人以上に実証されてきた功徳なのです。

これからも2世帯3世帯と言わず、私の生涯で出来る限り折伏していけるよう、精進しガンバります。
人を幸福にし自分も幸福になるための唯一最高の実践が折伏ですから、喜び勇んで取り組んでいきます。

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自己新記録

2010-06-04 | 信仰体験
最近見た映画・ドラマは以下の通り。
・沈まぬ太陽 大変良い ☆☆☆☆☆
・AVATAR 大変良い ☆☆☆☆☆
・ウォンテッド 良い ☆☆☆☆

映画ばかり見ていないで、良い本を読まなくてはいけないと反省しています。

唱題についてですが、今年の1月1日〜6月3日の間で87万遍余り行ないました。
上半期での百万遍達成、そして昨年・今年の2年で400万遍達成が目標です。
「祈りとして叶わざるなし」を、断じて我が身で証明していきます。

広布の1つの結果として5月末時点で、新聞啓蒙を今年だけで37ポイント達成しました。
昨年の分と合わせると1年半足らずで65ポイントできました。

私の今までの人生で、この題目闘争と新聞啓蒙の2つは、間違いなく新記録であり最高記録です。
座談会結集も担当幹部の力を借りて、かつてない結果を勝ち取りました。
法戦の戦いも、自己目標の半分まで何とか到達しました。

これに決して安住・油断することなく、今こそ「まことの時」と決めていよいよの決心で前進して行きます。
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東京交流

2010-04-13 | 信仰体験
東京交流へ土・日曜に行ってきました。
予定通り、北はさいたま市から西は練馬区、南は横浜の六浦まで訪問し、10人の友と対話ができました。

せっかく費用をかけて来たのだから機会を惜しまず、食事した喫茶店のマスター、ホテルのフロントの人等にも、しっかり頼んできました。
友人と何と25年振りに旧交を温められたのが、何より嬉しいことでした。
30分1時間と対話が弾み、「良く来たね、分かったよ、KOMEIを応援するよ」と言ってくれる友人の心が本当に有難かったです。

電車の切符を買った回数は10回以上となり、歩いた距離も25kmは超えたと思います。
1つの駅を降りる度に友人宅まで往復2〜3kmは歩きますし、駅構内での乗り換えで歩いた距離も相当なものだからです。
おかげで今日に至っても、足腰の疲労は取れていませんが、ダイエットと足腰の鍛錬にはかなりの効果がありました。

出発前に、ネットでお世話になっている東京在住の模範の先輩、説教オヤジさんから、「行きたい所を車で全部、案内してあげよう」との貴重な申し出も頂きました。
しかし、説教オヤジさんの仕事にも迷惑が掛かりますし、せっかく行ってもどれだけの人が実際に会えるかが明確でなかったのもあり辞退いたしました。

本音は喉から手が出るほど有難い申し出だったのですが、自分の足で動こうと思い、断らせて頂きました。
説教オヤジさん、誠にありがとうございました。
声を掛けてくれたことは決して忘れません。

土曜には巣鴨の東京戸田記念講堂での会合に参加、埼玉の西田まこと、東京の竹谷とし子、北海道比例区のよこやま信一の3候補から、渾身のあいさつがあり、全国婦人部副書記長や長谷川副理事長からの指導がありました。

長谷川副理事長はいつも先生の代わりにスピーチを読んでいる方です。
一言一言が全身全霊の丁寧な思いのこもった話しでした。

昨日は帰宅後、丁度、地元の座談会に参加し、東京交流の報告を致しました。
正にその当日、パソコン家庭教師のお客さんに長期の新聞啓蒙もでき、大きな手土産の1つとして、地区の皆さんに喜んで頂きました。
聖教啓蒙も4月半ばにして今年だけでも25ポイントを達成することができました。

何より十数年振りに東京交流に行けたこと、楽しんで無事故で交流から帰って来れたこと、自分として大きく聖教啓蒙の結果も出せたことは、題目根本に戦っている功徳と感謝しています。
これを励みに着実かつ大きく、さらに戦いを起こして行こうと腹を決めています。
すべて地元の地区の皆様、このブログの読者の皆様、いろいろな局面で支えて下さっている同志の方々の応援のお陰と、深く感謝しています。
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2010-03-02 | 信仰体験

最近見た映画・ドラマは以下の通り。
・私は貝になりたい 良い ☆☆☆☆
・S.W.A.T. 良い ☆☆☆☆


すっかり春めいてきました。
3日ほど前にカメが卵を産みました。
写真はその卵です。
大きい方がメスです。

オスとメスの2匹なので産卵は珍しいことではないのでしょうが、飼い始めて初めてのことで少し驚きました。
良いエサを食べて最高の題目を聞いているのもあるのでしょう。

家庭教師の受験生1名は、推薦合格を勝ち取って2月24日に修了となりました。
YouTubeで「仰げば尊し」を1人で聞きましたが、感慨も深いものがあります。
今までに送り出した1人1人の生徒が、パソコン教授の生徒さんも含めて、社会貢献の大人材に成長していくよう、陰ながら祈る日々です。

次に先月の収入ですが、昨年の平均月収の4〜5倍の収入がありました。
昨年が少な過ぎたのもありますが、4〜5倍ですから、仕事の忙しさもかなりのものでした。
睡眠時間を削る日も幾日かあり、ふと気付くと背中が鉄板のようになる位の疲労もありました。
これも1日90分の題目を継続している功徳です。

次に入決した友人については2度目の座談会参加後に、いろいろと魔が競っています。
私自らが勇気ある唱題と行動で、魔を打ち破って折伏を成就させて行きます。

と同時に、1人だけに入れ込み過ぎるのでなく、改めて友人・知人に広く当たって行こうと決めています。
それが結局、その友人も救い守っていくことにつながると思うからです。



カメ1



カメ2

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昔の体験 2

2010-02-07 | 信仰体験
【昔の体験 の続きです】


こうした嫌がらせ・いじめにもへこたれないで、仕事に学会活動にガンバリ続けていると、今度は工場の隅に追いやられていきました。

仕事らしい仕事は何も無く、朝から晩までハンダ付け作業の繰り返しです。
小さな基盤にハンダを付けて、すべて付け終ったらリムーバーという器具でハンダを取り除くのです。
毎日毎日8時間ぶっ続けでその繰り返しだけです。

時々、エンジニアが来て、
「このハンダでは基準を達成していないので、やり直してください」
と言われます。
私が何か反論すると、
「ハンダを特殊なカッターで切断し、顕微鏡で拡大すると、このように気泡が入っています」
と写真を見せられ、毎日のハンダ作業の繰り返しに戻ります。

昼休み、小説『レ・ミゼラブル』全巻を感動の中で読破したのもこの頃です。
そうした窓際族の状態が、似たような部署も含め半年ほど続いたでしょうか。

このような苦境の中で、念願の御本尊流布がとうとうできました。
高専の同級生にでした。
勤行指導に 自宅→友人宅→私の職場 と3つの市をまたいで、1ヶ月間、毎日、通いました。
しかし私の疲労は限界を越えて、本流した3ヵ月後に心の病となってしまいました。

念願の本流を決めたのもあり、もうこの会社は私の居る所ではない、と思った私はその年の年末に会社を辞め北海道へ戻りました。
それが昭和63年の年末のことです。

私が働いていたその工場は、当時1000人が働いていた所ですが、今から数年前に他の会社に売却されました。
その会社総体も、不況のあおりもあるでしょうが、売上も従業員数も当時より大幅に縮小しています。
私はそれは、一部の社員の行動とは言え、学会員をいじめた罰であると思っています。

しかし恨みなどは一切ありません。
元より存知のこと、とあるように、御書にある通りだからです。
むしろこの期間に、これだけの迫害を受け切って乗り切ったことにより、大きく過去世の謗法を転重軽受し変毒為薬できたと確信しています。
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昔の体験 1

2010-02-07 | 信仰体験
22年前に私は、外資系大企業のコンピューター会社のF工場(神奈川)に勤めていました。
中学から高専4年生まで退転状態だった学会活動を復活し、クラスメート全員や教官たちへ仏法対話をやり切った初心の功徳で、入れた会社でした。

何としても御本尊流布をしたいと願っていた私は、職場での休み時間や土・日の休みを利用して、同僚・先輩・上司へと仏法対話に挑戦する日々でした。

休日には、地理に慣れていないことと自動車免許を取って間もないことから、往復5〜10時間位かけて何軒かの友人・同僚の家を探し当てました。
せっかくチャイムを鳴らしても不在が多く、居たとしても突然、私が来たことに警戒してか、ドアを13cm位しか開けてくれません。

会話もままならず、会合への誘いのチラシやグラフを読んでくれるよう渡そうとするのですが、当時はほとんど受け取る人が無かったです。
これも御書や学会指導にある通りだと、気を取り直して、休み毎に友人・同僚への家庭訪問を繰り返しました。

それを1〜2年続けたころ、仕事と仏法対話、そして一人暮らしの気苦労など、疲労がピークに達していました。
ある時、会合に会館へ駆けつけた時に、疲労のために足元がふらついた私を、玄関に居た圏男子部長がかばうように両手で抱きかかえるようにしてくれたこともありました。

どんな有名会社の人であっても、普段は友人のような顔をしている人でも、いざ、仏法の話し学会の話しをすると、その反応は当時は非常に厳しいものでした。

同じ北海道の同期入社(高専卒)の人の自宅へ上がらせてもらっての対話では、私からの仏法の話に対して友人は、
「俺は、空手三段だ。それ以上その話しを続けるなら、何をするか分からないぞ」
と脅され、それにもひるまず、
「何をされても私はかまいません。あなたにこの信心で幸福になってもらいたいという気持ちしか、僕にはありません」
とのやりとりをしたこともありました。

また、ある日上司に呼び出され、注意を受けたこともありました。
課長:「きみは、隣の課の○○君や○○君、○○君などの自宅へ行って、創価学会の布教活動をしているそうだが、そいうことは今後は一切止めるように」
私:「布教活動も含め、信教の自由は憲法に保障された、人間の権利です。仕事中には一切行なっていないのですから、注意を受ける理由はありません」
課長:「仕事にはチームワークというものが必要だ。きみの布教活動は、そのチームワークを乱すものだ」

また、ある時は、課の7〜8名で1つの大きな机で組立作業をしていた時です。
向かいの先輩が2〜3人ほどこちらを見て忍び笑いをしているのです。
隣に居た同期入社の人が、音を立てずに私の後ろに回って、からかうジェスチャーを何かしていたのです。
作業に集中していた私は、それまでまったく気付かなかったのです。

また、ある時は、大型コンピュータの磁気記憶装置を、フレームに組み付ける作業をしていた時です。
近くに離れて作業していた社員が突然、金属部分をチーン、チーンと鳴らして題目を唱えたのです。
時間を置いて何度か繰り返していました。
明らかに、私への嫌がらせでした。
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私の生い立ちと両親

2010-01-14 | 信仰体験
今回は私のおいたちと両親について、書かせて頂きます。

母は子どものころ、ジフテリアや紫ハシカ、顔面神経痛など、様々の病気になり、顔が引きつるので学校で弁当を食べる姿を男子生徒に笑われたり、いじめを受けて道端の小屋に息をひそめて隠れたりしたこともあったそうです。

病に苦しみ、それを心配した(現在97歳の)祖母、亡き祖父と一緒に入会したのが、一族の学会員としての始まりです。
信心で病を克服し父と結婚し、私と妹はいわゆる福子として生まれました。

母は10代の時に、体育祭へ参加し戸田先生と若き池田先生を、距離を置いてですが、雄姿を見たそうです。

私は少年部時代、地元市で希望祭に参加しステージで体操を披露する1人になる位にガンバっていたのですが、中学・高校と信心から離れ、高専5年生で将来と人間関係等の悩みから信心を復活できました。

外資系の一流企業に就職しましたが、3年で心の病をわずらい帰郷しました。
この間に、初めての弘教を実らせました。
その友人はB長として地区副婦人部長の奥さんと子どもたちと、ガンバっています。

父の話が抜けましたが、元々は鍛冶屋の家で、D型鉄骨ハウスを30年以上、人を使って親方として建てていました。
(農家や牧場等の倉庫などとして使う建物で、大きいものですと体育館位のもあります)

今は父は引退し、B員でもありますので一緒に同中へ参加することも度々です。
良く近所の子どもたちを10人くらい、我が家に呼んで遊ばせたりしています。
囲碁もゲーム機で毎日、楽しんでいます。
冬は除雪に長時間汗を流し、地域の方との友好も深めています。

母の話に戻りますが、母は69歳ですが今も病院の調理場で働いています。
元気な内は働きたいと言ってますが、2番方の時は朝出て帰宅が20時を過ぎるので、キツイなどというものではないでしょう。
早く少しでも楽をさせてあげたいものです。

母は、地区副婦人部長をしていて新聞長などの役割も4〜5つ位兼務しています。
仕事をしながらなので、苦労は半端でないでしょうが、「誰もやる人がいないなら」と言って、地区の皆さんの手助けも頂きながらこなしています。

何と言っても父母があってこその今の自分であり、感謝の念を新たにしています。
信心の功徳でしょうが取り立てて持病も無く元気ですが、いつまでも元気とは言えませんから、早目に大きく親孝行をしていきます。

創価同窓生に対して先生はよく「ご両親を、世界旅行に連れて行ってあげるような、皆さんの成長を期待し見守っています」と仰ってくださいます。
このことも私が実現したいことの1つです。
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新年

2010-01-02 | 信仰体験

最近見た映画・ドラマは以下の通り。
・坂の上の雲 第1〜3話 良い ☆☆☆☆
・ホステージ ふつう ☆☆☆
・ランダム・ハーツ ふつう ☆☆☆

新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

「坂の上の雲」は力のこもったなかなか良いドラマです。
海軍と陸軍の兄弟将校と、正岡子規の3人を主人公に配し、明治以降の日本や世界の激動を描いています。

東郷平八郎や乃木希典【のぎまれすけ】、伊藤博文初代首相なども絶妙な配役で登場し目が離せません。

明治時代を壮大なスケールで描いたものは珍しいのと、キャスティングや映像も良くできており、原作の司馬遼太郎の語り口も節目に現れ、明治人の心意気が強く響いてきます。

難を言えば3年がかりの放映のため、間が空くことです。
別な見方をすれば、それほどの大作ドラマということでしょう。


信心に話しが移りますが、大晦日3日前という時に入信決意が成りました。
入決は20数年振りです。

20年も結果が無かったのは、これまでいかに力を出し切っていなかったかとも言えると思います。
入決はあくまで通過点ですので、友人と共に幸福をつかむべく、一段と強く祈り行動していきます。

写真は、私が新年勤行会で頂いた、先生の歌です。
僭越かもしれませんが、今の私の心境や行動にピッタリ当てはまる感じが強く、しかも80周年ですので一塩、感動も深いです。


新年の詩2010

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壁を突破

2009-12-30 | 信仰体験
まだ詳しくはここに書きませんが、折伏の上で1つ大きく前進の結果が出ました。
執念とも言える祈りに呼応するかのように、1つの壁を突破することができました。

目標の期日まで未だ数日ありますので、気を引き締めて、引き続き祈り行動していきます。
この件に関しては、あと数日経ってからまた詳しく書かせて頂きます。

年末年始に広布に戦う人を見聞きして、いつも
「よく頑張ってるよなぁ。とても真似はできない」
と感嘆とあきれる気持ち半々で眺めていましたが意外にも、自分がその当事者になって戦うのは、なかなか楽しいです。

やはり題目のおかげであり、折伏実践で命が躍動してきたのを感じています。

もちろん陰に陽に励まし支えて下さっている、多くの方々のお陰であり、深く感謝いたします。

それはともかく、今年1年もご愛読いただきありがとうございました。
読者の皆さまお一人お一人にとって来年を、素晴らしい1年に勝ちゆかれますようにお祈りします。
今後ともよろしくお願いします。
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