私を出産した時のことについて、母に聞きました。
けっこうな年になるオヤジが、自分の出産時のことを詮索【せんさく】するのもおかしな話ですが、気になることがあったのです。
それは私の頭が子どもの時から、標準サイズより大きく、親戚・友だちなどからよくバカにされるように言われていたのです。
「○○の頭はでかいねぇ。中に何が入ってるんだい、石ころでも詰まってるのかい?」
今にして思えば、ひどい言葉ですが、母親のアドバイスも参考にして、そう言われた時は、
「僕の頭には脳みそが一杯詰まってるんだ」
と答えていました。
その後、大人になって、同居の母が私を出産した時のことについて、何度か話してくれました。
自分なりに、ひどい難産だったために、頭が大きくなったのではと、2つの事柄をかってに結びつけて考えていました。
いかに難産であったかの話は次の通りです。
実家の森町の自宅で、すでに4日位苦しんでいました。
費用が安く済むので、お産婆さんに来てもらっていたのですが、そのお産婆さんが5日目に、余りに難産のため、
「私おっかないよ。私には手にをえない」
と手に余すほどでした。
そこでとうとう、オシロナイという町にある病院へ向かうことになりました。
タクシーで1〜2時間かかる道なのですが、当時は道がじゃり道で凸凹で揺られっぱなしだったそうです。
やっと真夜中の24時頃病院に着きましたが、病院で生まれるまでさらに、朝方5時までの5時間を苦しみ抜くことになります。
夜中だから、「他の患者がいるから、泣いたりほえたりしないように」と注意されたが、もう疲れ切って声も出なかったそうです。
難産の理由は、へその緒が2回位 首に巻かさっていたのです。
それで赤ん坊は、引っかかって出てこれなかったのです。
母が息をしなくてはいけないから、その時に引っ込んでしまいます。
ですから、一瞬で取り出さなくてはならないのです。
「お母さんも苦しいけど、子どもも苦しいんだよ」と医者に言われたそうです。
やっと生まれた時には、感動で、涙が出たとのことです。
母の話では、私の頭が大きいのは、この出産とは無関係とのことで、それよりも母方の曽祖父が体も頭もガッチリしていたためだそうです。
母方の家系は皆、そういう体つきなのだそうです。
頭が大きいことの後日談が1つあります。
子どものころ、「ずいぶん頭が大きいな。石でも詰まってるのか?」との心ない言葉に、「脳みそが一杯詰まってるんだ」と答えた話を、冒頭でしました。
私の家系は大学を卒業した親戚が極端に少ないです。
父は9人兄弟の長男、母は6人兄弟の長女で、そのおじ・おばのそれぞれに計15人くらいのいとこがいます。
その30人を超えるであろう親戚の中で、大学を卒業したのは伯母の長男と私の2人だけです。
自分の体の特徴について笑われながらも、祖母・母の代から創価の信心を貫いてきた1つの功徳の姿が、大学卒業(しかも創大卒です)として現れたと、つくづく感じています。
しかもそのまえに高専も卒業し、電気工学の準学士と、創大での教育学学士の2つを修めたのです。
さらに現在、私の妹も創大通教に励み、卒業が近づいています。
身を挺して私を生んでくれた母、育ててくれた父、学問を教えてくれた先生方、今まで様々に関わってくださった方々に、深く感謝申し上げます。
自分がしてもらったことを、次の時代を担う青年たちに広く社会へと、還元していきたいと思います。
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