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2011年7月29日 (金)

ネタ切れで、腐ったネタを新鮮なように見せかけている?・・・時間が捻じ曲げられる仮想現実

噂になっている愛誤犬屋は、神にでもなったつもりでいるのか?ただ、単純に時間を認識できなくなっているのか?記事の内容が時間軸で辻褄があわなくなっているのです。

大変におかしい話なのです。倉庫などの賃貸物件は契約約款に、現状復帰した状態で賃貸契約を解除するなどという一文があるはずです。そして、家賃の清算に関しても、月分以外の端数に関しては、日割り計算をするという事も明記されているのだと思います・・・このこと後の時間軸の指摘に繋がるので、記憶しておくこと大事です。

7月5日にシェルター建設が開始されたそうです。(彼らのブログ記事より)

7月12日にシェルターへの引越しが実行されたそうです(彼らのブログ記事より)

という事は、7月12日以降に賃貸契約していた倉庫の賃貸契約が切れたという事になりますよね・・・。さて・・・賃貸料の退去時の計算で、端数は日割り計算とすると、退去日から何日も契約続行しているというのは、費用の使い方としてだらしがないと言われますよね。(賃貸契約も集められた支援金でまかなわれたでしょうから)

でもね・・・ちょっと怪しいのは、消臭消毒の薬品散布のサービスを提供した会社のHPの記事に因れば、散布を提供したのは、6月22日なんだそうです。それ以降の記事の更新はありません。文字通り、存在している情報だけで分析すると、6月22日以降は、消臭消毒の実績はないという事になりそうです。

実際にはこの愛誤犬屋がいう記事で、時間の整合性がなかなか見つけることができません。この薬品を散布したのも、実際には6月22日であって、古くなったネタ、かび臭いネタを引っ張り出しては、新しいネタのように見せかけて、公開しなければならないのは・・・何かのパフォーマンスにそのかび臭いネタが必要だったのでしょうか?

これもまた・・・自分たちの団体はちゃんとした正当な活動をしている団体ですよ!と外向けにアピールしなければならなくなった何か特別な事情でもあるのでしょうか?化けの皮がはがれた?安物の地金に貼り付けた薄っぺらな鍍金がはがれた?・・・今まで濡れ手に粟だった、支援金の振込みが止まってしまった?

だから、必至になって・・・かび臭くてもちょっと古びたネタを新鮮なように見せかけて公開しなければならなくなった?

こう言うことをするのが・・・愛誤の現実なんです。

この団体に騙されて支援している人たちが一斉に支援を停止したら・・・この団体は毎日かび臭いネタを更新するしか方法がなくなるはずですよ。かび臭いネタも切れたら・・・最後は自然消滅していくしか方法が無いのだと思います。

あなたが騙されているうちは、あなたもその愛誤の被害者です。でも、ある日突然あなたも支援金集めに知らないうちに加担していて・・・加害者になる可能性は否定できません。

あなたが、加害者となる前に・・・正体不明の犯罪組織からは離れるべきだと思います。この団体って・・・動物支援の為に寄付金をあつめておきながら、その支援金の使途明細(借方・貸方)を明記できないと言うのは・・・団体の理事たちが業務上横領の罪に問われる可能性が非常に高いと思われます。

支援金を負担した善良な飼い主が、捜査機関に告訴すれば言いだけの話ですから、簡単に捜査は実行されると思います。業務上横領っていう罪は・・・単純な詐欺より罪が重いですからね・・・。団体の理事たちは、一斉にあわてるでしょうね。

ちなみに業務上横領の罪というのは・・・10年以下の懲役ですからね!団体の理事たちだって、知っていながらそれに加担していたと言うことが証明され、起訴、公判で事実認定されれば、犯罪幇助ということで罪が認定される可能性が極めて高くなりますよ・・・。

それでも、この団体にしがみついていなければならないその理由とは?ヤクザの血で縛られているから?・・・どんな理由があろうとも、如何わしい団体から離れることは、自分自身が決めること。犯罪の幇助なんて普通はできないことですよね?

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2011年7月28日 (木)

”犬”にコントロールされているかわいそうな飼い主たち・・・犬に人格を与える程度の悪さ

記事にしようか?やめようか?と悩んだ末に、多くの飼い主たちに考え方を改めてもらいたいと思って記事にします。

批判だとか、嫌がらせだとかそういう意図は全くありません。あなたが一緒に暮らしている”犬”を”犬”らしくさせるために必要なことです。

犬は、家族の枠の中にいる場合は、犬様でも良いのだと思います。しかし、犬様にした責任は飼い主が負わなければならないという事を理解してもらわなければならないのです。

大抵の飼い主たちは、その責任から逃れようとしています。私が嫌いなフレキシブルリードもその一つです。何故に、飼い主の傍から犬を離すのですか?犬は、人の近くにいるものです。

さて・・・あるブログは、10項目のNGダメ飼い主としての定義が公開されていますが、そのダメ定義は本当に正しいのでしょうか?私は、その定義がダメ犬とだらしの無い飼い主を作る定義に思えてなりません。

犬を犬と言うなというこ・・・犬を犬と呼べないのはどうしてなんでしょうかね?犬を犬と呼べないのは、犬に人格を与えて、人間にしてしまったということなんでしょうか?犬に人格を与えた所で、人間の社会では生きていけません。人間の手助け、サポートが無い場合には生きていけません。この理屈がお分かりなんでしょうかね?

オス・メスを言うなとはどういうことでしょうかね?雌雄(しゆう)でもダメですかね?男の子女の子・・・っていう表現を望むらしいのですけど、人間の子供じゃあるましし。これだけの擬人化を望まれるのでしたら・・・人間の子供を家族の一員に迎えたらとも思います。犬は、どこまで行っても犬であって、ある日突然に人に変わることはありません。人より犬でしょうかね?

餌という表現はダメなんですね・・・では餌という言葉の定義はどうなっているのか?餌というのは、動物の飼育に使う食料のことなのですが・・・人に食べさせるご飯のことを餌って言いますか?と逆に問われているのですけど、人間に食べさせるのは食事であって餌ではないのですから、当然答えはNOですね。でも、犬に”ごはん”と言う世界観はどうでしょうか?きっちりと枠に当てはまらないのです。

太っているという言葉・・・太らせた原因はどこにある?人間由来の症状じゃないですか?人間(飼い主)の負うべき責任から逃れるために、ふくよかだとか、ぽっちゃりしているだとか好き放題言ってはダメですね。犬の散歩も満足にさせられない、太ってしまったから、結局は食事量で調整しなくてはならなくなった責任はすべて飼い主にあります・・・その責任を放置するような表現はNOですね。

なんで、前足後足という表現がいけないのでしょうか?あんよ・・・おててなんていう赤ちゃん言葉が非常にあたりが柔らかくて良いという理解なのでしょうか?獣医師の前では、きっと前足、後足って表現するんでしょうね、怪我の場所を除くというような表現をしていますから・・・都合が良いときは擬人化、都合が悪ければ一気に犬の世界へ閉じ込める・・・。人として見るならば、獣医師の前であっても、あんよ、おててが云々と説明されたら良いのではないでしょうか???

犬を飼っているという表現はなんでダメなんだ?一緒に住んでいると言うが・・・事実一緒に住んでいるが、犬は人間と一緒には生活できていません。犬は、犬の生活、考え方があります。例え同じ屋根の下に暮らしていても、犬は、人間の理屈に合わせることができても、人間が犬の理屈に合わせる事はできません。犬はどんな形であっても、人間に飼われているというロケーションを変化させる(変容させる)という事はできません。このブログのオーナーは基本的に言葉の真意を掴みきれていないようです・・・。犬の”ゲージ”は存在しないと言っています。それ正しいと思いますよ。”ゲージ”という道具を犬は使いませんから・・・。

この人は、多分・・・”ケージ”と言いたかったのでしょうね・・・檻と言うなと言う事らしいのです。檻に入れているわけだから、檻といって何が悪いのでしょうかね?ケージは家なんだそうです。檻を家と言うのでしょうか・・・cageとは檻を示す言葉ですが、この飼い主たちは、きっとcage=prisonのように感じているのでしょう。だから檻という言葉を忌み嫌うのではないでしょうか・・・?実際に家と言うなら、犬の家を建築して、その犬の家に人間が間借りすれば言いだけの話です。

飼い主・・・犬の主であって何が悪いのでしょうか?犬たちの群れには、絶対的な指導力を持つリーダーが必要なのです。そのリーダーが飼い主なのだからその言葉絶対に必要です。そして・・・飼い主という言葉を嫌うなら、NGワードを定義した犬の”家族”はリーダの責任を果たす役割をもった人のいない、危険極まりない無法地帯の犬の集団ですか?そういうことになってしまいますよ。

犬のフンもダメらしいのです。・・・人間のものはなんて表現するんでしょうね?人間のフンとは言わないですから・・・もっと優しい表現とは??? フン・・・ウンコでいいのじゃない?

大きい犬が良くて・・・とか言いますが、大小の比較は基本的に飼い主のエゴ。言い訳のように小さいのはそれなりに可愛いなどという表現は基本的に好ましくない。嫌いなものは嫌いだとはっきりいえる事がより良い当たり障りの無い関係でいられると思うのです。私は、犬の種類より、飼い主の種類が鼻について・・・。こんなNGワードとかを公表している飼い主は、ラブラドールの飼い主であっても敬遠するタイプの飼い主ですね・・・。

匹も頭も同じ意味を現す言葉・・・犬に匹とか頭で数を勘定したらいけないのか?何故???人間の頭数を勘定するときに、匹や頭で勘定されたら激怒するだろうけど・・・この言葉を定義している飼い主たちは、犬に匹はダメ言うが・・・そこまで犬を擬人化するのはどうだろうか???

犬をトレーニングするよりも、飼い主をトレーニングしないとダメな集団のようです。ここまで、犬を擬人化していると、後にも先にも行けませんなぁ・・・。このように、状態が刻一刻と勘違いの方向へ進んでいるとは驚きです。犬を飼うという事に、一定条件をクリアーしないとダメだというような免許制度が日本にも必要かもしれません。

きっと・・・NGワード大賛成でそのNGワードの検証や犬を擬人化させるなという意見はマイノリティー・・・。淘汰されるのだろうか?気の触れた飼い主が与えた意味不明な人格を持った犬たちがこれ以上増えませんように・・・。

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2011年7月26日 (火)

散歩の途中に見かける区別の表現・・・ペットはお断り!補助犬は除く

DexBuddママさ~ん! お待たせしました。わが家のブログで扱う頻度の極端に少ない補助犬の話ですよ・・・。

最近の散歩で見かけるクソ面白くない看板の色々。ショッピングセンターや公共施設の前に掲げてある看板にまだまだ怒りの納まらないわが家の飼い主なのです。

お決まりの盲導犬は除くという表現・・・×ですねwww。

日本では、ペットお断りのお決まりのあの表現で終始一貫しているあの看板注意書きに、まだ補助犬は除きますというあの表現が許せなくて、その手の看板を見ると、内容を訂正しないさいとあちこちで要求をしているのだが、予算の関係なのか?どうしても看板の内容を訂正もしくは修正してくれないのです。

補助犬と呼ばれる、介助犬、聴導犬、盲導犬などは、法律でその存在を排除してはならないとなっているのに・・・どうして、ペットお断りの看板の中にペットとその存在を併記されるのか?という所なのです。認知度はまだまだ低いのでしょうかね???

最近は、町で補助犬と呼ばれる犬たちの活躍を見かける機会が多くなったというのに、あの看板はまだまだ補助犬たちに法律で規定されたロケーションが認知されていないような書き方なのだから問題なのです。

実際に、公共の施設などであの看板を見ると無性に腹が立ちますし、行政機関へあの看板の真意を尋ねても、私が考えるような意図はありませんと言うのだ。沢山の設置ですから、いきなり看板を修正する事は予算の問題もありますし・・・と言い訳をするのですからたまりません。

盲導犬を代表とする補助犬を利用しているユーザーさんたちには、気兼ねなくあちこちに出かけて欲しいと思いますし、一般の市民は、補助犬たちの仕事をもっと理解して欲しいと私は思うのです。

あの看板の考え方は、基本的に犬猫はどこまで行っても、(ペット)動物であって・・・法律で存在を認められている補助犬は別の話ね・・・というあのロジックにはどこか違和感を覚えてなりませぬ。補助犬もペットと同じというロジックをごまかすために”除く”という表現をとって付けたように感じられてなりませぬ。

犬だの猫だの言うな!、家族の一員だと理にかなっていない事を言う飼い主も沢山います。でも、どこまで行っても、犬や猫は動物なんです。人間の家族の枠には組み入れることは、公の場所ではどうしても出来ないのです。飼い主たる群れのボスが、その群れの構成員である犬猫の人間社会で追うべき責任を代理で負うことが出来なければ、問題外という事になることを十分に理解して欲しいのです。

猟犬の事に関しても、最近では話題に上がっているようです。道具として醜い扱いを受けている・・・とか一時の可哀想と言う気持ちだけで、色々と鉄砲撃ちに犬を使うななどと、声をあげているのも目に付きますが・・・そう言うことを言ってしまうと、補助犬の存在も否定しかねない話になりはしないでしょうか?補助犬だって道具ですよ・・・。

補助犬は、生きた(命ある)道具です。その存在を否定するようなことがあってはならないと私は思うのです。

補助犬を特別視しないでください・・・狩猟に使う猟犬を特別視しないでください・・・色々な用途のある犬たちを、あなたの家に居るペットと同じ条件を与えないでください。あくまでも公共の場所に出て行けば、あなたの家に居る家族と称されている動物たちは、単純にペットであって、どこまで行っても動物でしかないのです。補助犬のように命ある道具ではないのです。

家族と言う枠組みを与えることが出来る場所は、家族だけしかいない極限られた場所だけしかないのです。真実に目を向けて欲しいと思うのです。公の場所では、動物たちは家族としての人格を与えてもらうことは出来ません。

色々なことを言う人たちがいるのです・・・餌をご飯と言うとか、飼い主と言うなとか、色々と人間の世界観に動物たちを引き込んでしまっていること・・・人間の世界に引き込む事こそが、そもそもの間違いだと私は思っています。ペットとして家庭に迎え入れることこそ、最大の間違いであったと思っています。しかし、その間違いの代償として、飼い主は様々な障害をペットと一緒にクリアーする義務が生じるのです。

だからこそ、わが家の犬たちには公において犬というロケーションを与えているのです。公の場所に出れば、家族(人間同等)という人格を飼い主の権限として剥奪する事もしています。これが・・・虐待だと言うのであれば、とっくに愛護法違反で起訴されているのでしょうけど・・・未だに起訴されていません。理屈が整っているから、逮捕拘留、起訴となっていないのだとわが家の犬との関わりかたに自信を持っています。

あなたのその考え方に、根拠はありますか?犬に人格を与えたその責任を飼い主はきちんと払わなければならいという事を考える事は飼い主としての素養の一部だという事を心に刻んで欲しいと思います。

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2011年7月24日 (日)

フィラリアが陽性で・・・保護した殆んどの犬が云々って全く獣医学の知識ナシ

獣医学の一般知識を有していないそんな保護活動家がプロの活動家と言えるのでしょうか?場合によるのでしょうけど、狂犬病に関すること、フィラリアに関することくらいはお勉強していて欲しいと思うのです。

ペテン師率いる愛誤犬屋は・・・福島県から保護してきた犬の殆んどが、フィラリア陽性だと言うがはたして本当に陽性なのだろうか?獣医師の診断書のリストでも公表して欲しいものだと私は思います。この団体・・・都合が悪くなると一切資料を公表しないのが特徴ですよね。ブログの記事には、愛護の精神が無いような連中に使う時間は無いというのが口癖のようですけど・・・。それで幕を引く常套手段。

フィラリアというのは、口径薬などの予防薬を使ってしっかりと予防できる犬の感染症です。フィラリアに感染しているか感染していないのか簡単に検査で確認できることから、症状が重篤でなければ体調を維持していくことも可能です。通常検査というのは簡易検査キットで検査する親虫検査なのでミクロフィラリアは抗原抗体反応は検出できません。

しかし・・・この検査方法にはちょっとした不具合があります。前述のとおり、ミクロフィラリアには抗原抗体反応が見られない為に、陰性と診断される可能性があるのです。フィラリアとはどのような感染症なのか?それは、各人で検索して調べてみてください。

実を言えば、フィラリアの親虫というのは、2-3ヶ月程度でミクロフィラリアから成長するのではないので、この団体が言う陽性だと言うことも全てを信用するわけにはいかないのです。陽性となれば、かなりの数のフィラリアが心臓に住みついているでしょうから、ある程度のフィラリアの症状は顕在化していたはずなのです。最低でも、1年は予防薬を飲ませていないということが確認できなければ、いきなり陽性ということにはならないのです。

さて・・・この団体が言うように、わずか数ヶ月の間にフィラリアに感染し、親虫に成長したということなのでしょうかね???実を言えば、大抵の動物病院は、予防注射(狂犬病予防ワクチン)の接種に合わせてフィラリアの予防という事を啓発してきているのに飼い主は・・・フィラリアを予防しないという理屈はあまり存在しないように感じているのです。福島県ですからね・・・5月からのフィラリア予防でしょうね・・・地域柄。

フィラリアがいきなり陽性反応なのだと言うような話は・・・考え物です。そして、殆んどの飼い主は、フィラリアの予防をしていないと言うが・・・その根拠はどこにあるのか?実は、フィラリアの予防よりも、混合ワクチンの接種率の方が低いはずです。フィラリアはその辺を蚊が飛んでいて刺されたらと飼い主は心配するが、5種とか7種とか言われても、車の事故に遭遇するような確率でしょ?だったら、フィラリアはやるけど、混合は必要ないという理屈が通るんです。東北の田舎って地域はね!

やっぱり、この団体って地域の特性も良く分かっていないのに、ああでもない、こうでもないと理屈を付けるのですけど、その根拠になるステージが用意できていないんですよ!

いきなり、フィラリアの検査で陽性が多いとか散々言いますけど・・・フィラリアっていきなり成長するわけじゃないんです。ミクロフィラリアには簡易検査で陽性を示す抗原抗体反応はないという事を沢山の飼い主に理解してもらいたいと思っています。

それから、ペテン師愛誤とは別の保護施設で、パルボウィルスが発生して、犬が死んでしまったとあるのですが、管理はどうしていたのでしょうかね?犬がいきなり死んでしまったように感じる文章でしたが、パルボに感染した犬が発症すればそれなりに症状を外に見せるのにねぇ・・・。パルボウィルスが発生した犬舎などでは、基本的に消毒ごときでは、そのウィルスを消滅させることはできません。その土地の土を総入れ替えするとか大掛かりな作業が必要となります。基本的には、免疫力を上げる飼い方をして、犬たちに獲得抗体を授けるような飼いかたをするしか方法はありません。

お涙頂戴の作戦で、ひたすら、消毒していますでは話しになりません。免疫力を高める飼育の方法・・・よく考えて欲しいと思います。長時間ケージの中に閉じ込めて太陽の光にも当てないような飼育の方法が良いとは誰も思いませんよ。

いくら強力な消毒剤でも完全にパルボを死滅させることはできません。まずは、免疫力を高める飼育を心がけることと、高カロリー低タンパクで抵抗力をつけるような食事を心がけることです。パルボが出てしまったら仕方が無いなぁとあきらめることも肝心です。死んでしまった命を悔やんでいるよりも、残されている犬たちに大きな影響が出ないようにと考えるのが施設のオーナーの腕です。

まだまだ・・・あちこちにお涙頂戴の愛誤ってたくさんあるもんです・・・。

フィラリアにパルボ・・・様々ですが、感染力の強い愛誤というのは、人間の間でしか感染しません。どうかお気をつけください。

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プレハブ小屋シェルターの供用開始・・・何故に国会議員と町長?

何かのパフォーマンスが無いと浄財を集めきれない愛誤犬屋のシェルターと言われる単純にプレハブを2段重ねにしたシェルターが完成して供用されているようです。

愛誤犬屋のブログ記事を見てみれば、写真にまたあの疑惑の和歌山県選出の衆議院議員の玉置公良が写真に写っているじゃないですか・・・。この衆議院議員何かと愛誤犬屋のイベントに連れ出されているが、特別なカネの関係でもあるのだろうか?京都の愛誤犬屋が、和歌山県で何か特別な人脈でも?議員が衆議院議員に当選する前に、和歌山県議会議員をやっている時からのローカルなお付き合いなのかな?

それにしても、あまりにも肩入れしすぎるその活動ぶりに何かただただならぬ関係が裏に隠されているような気がしてならないのです。和歌山選出の議員が・・・わざわざ、京都の愛誤犬屋のなんちゃって犬猫救出保護活動を応援できますか?正しい行いをしている団体なのかどうか・・・国会議員ならば裏を取ると思うのですが・・・この衆議院議員 玉置公良も今注目の動物愛護で名前を売れ!名前を上げろ!の愛誤国会議員なのでしょうか?ええ年のおっさんでしょ?だったら、正しい行いがされているのか?そうではないのか?をしっかりと見極める必要性があったのだと思います。

シェルターの供用開始となった時に、神奈川県寒川町の町長も視察にやってきたようですけど・・・一団体の施設供用開始のお披露目に通常であれば、町長など公職の人たちは出てきてはくれません。この町長をひっぱり出したのも・・・自分たちの団体が正当性のあるものだと、熱狂的な信者に信じ込ませるために使うパフォーマンスでしょうか?

この愛誤犬屋は何かと、行政と連携と言いますが、行政と連携した実績値の無いのですから、行政と連携と言う言葉も、何かを誤認させるためのマジックワードなのでしょうか?One thousand and One nights (Arabian nights entertainments)の中の有名なおまじない、Open sesame(開け!ゴマ)と同じように感じているのです。

実際に、行政との連携が取れているのならば、連携の中身が自身のブログの中でデカデカと記事にされているはずなのに・・・一切行政との連携に関する記事が無いのがこの団体の特徴といえます。他の愛誤も同じです。行政との連携に関する詳細事項が公開されないのです。と言うか・・・実績値が無いのです。

町長直々のお出ましとは穏やかではないですよね?違法建築の視察を兼ねて実地検証だったりしたのではないでしょうか?建築基準法違反、建物撤去を行政からの指導で受けているが、この団体が、屁理屈を捏ねて建築基準法を捻じ曲げようとしているから・・・それを公表しないで、実際には・・・供用開始のパフォーマンスに写真を使ったってところが本当の部分だったりするのかも?建築基準法関連は、県が窓口になっているので・・・実際にはハテナ?ですけどね。

ならば、国会議員(衆議院議員 玉置公良)が金で雇われて、町長を恫喝するのに、あらわれた所でなんら不思議はありません。この国会議員、福島県の飯舘村でも、村長にごり押ししたことは事実確認できています。そうそう・・・あの”一任”の話ですよ。

村役場(飯舘村)の役人たち・・・困っていましたよ。どんな内容で、村長に迫ったのかは私には分かりませんが、役人たちは・・・”困りました”と本音をポロリポロリとこぼすのですから、不憫でなりません。今回も寒川町に何かを、同じように迫ったのでしょうね・・・。

たまには、パフォーマンスと言うのも必要になるかも知れません。でもこの愛誤犬屋がやっているのは、殆んどが金集めを目的にしたパフォーマンスではないだろうか?と思えてしまうのです。大道芸と趣旨はほぼ一緒・・・

こんな記事もありましたよ・・・実際の飼い主が見つかったと言うことで、福島まで届けに行ってきたと言う一時預かり家族からの報告。一見すると、美談に感じますが・・・これトンデモない話です。愛誤犬屋の名前で、保護しているわけですから・・・一時預かりの家族がどんな申し入れをしようとも、団体として、本来の家族の元へ直接返還してあげなければ、責任を果たしたとは言えないのです。・・・”ちょっと忙しいから、福島まで連れて行ってあげて!”なんて言う蕎麦屋の出前みたいな話では通用しないはずですが・・・この団体は通用してしまうらしいのですから、怪しげなことが、普通に存在しているそんな奇妙な仲間関係なのです。

そのように分析をしてみれば、国会議員とみょうちくりんな関係になっていてもなんら不思議はありませんよね。この後・・・どんな形で国会議員が絡んでくるのか楽しみで仕方がありません。もしかしたら・・・国会議員の介入ということで、カネが裏で動いていたら・・・例え1円でも贈賄、収賄です。もしかしたら・・・国会議員も証拠が揃えば、訴追の可能性もあるでしょう。

さて・・・愛誤犬屋に加担した人たち・・・どこまで逮捕者が出るのか?それは、紐を解いて見なければ分かりませんが、一般のところまで逮捕者が出る可能性だって否定は出来ませんよ。結局の所、愛護を食い物にして、愛誤が成り立たないと言うのは、団体自身で証明してくれていますから・・・。

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2011年7月23日 (土)

獣医師がシェルターに来てくれた?・・・獣医師を呼んだのではないのか?

ふざけるな!って言いたくなります。

人の文章の表現は、時としてそれぞれの個人の都合に合わせた表現になってしまうことがります。かの有名な犬種登録団体でありながら、各方面で動物愛護団体と称している、カネに目の眩んでいる愛誤団体のブログには、こんな記事が載っています。

”獣医師による、保護犬たちの狂犬病ワクチンの接種の様子”

この記事には、どう見ても団体を各方面から支える支援者がいますと言う様な表現が多分に含まれているので注意願いたいと思います。

滋賀県より、桂田犬猫病院の獣医師 桂田 守先生が、保護された子たちの、狂犬病ワクチンの接種に来てくださいました。とあるのです・・・

1)この獣医師が何故神奈川シェルターに滋賀県からやって来たと言いたいのか分かりますか・・・?。掛け値なしで、わざわざ遠くの獣医師がやって来て支援するほど内容がしっかりしているボランティアだと印象付けるために獣医師の資格を利用した巧みなマインドコントロールなのです。人というのは、自分が有していない資格免許に絶大な尊敬や信頼を置くものです。この団体過去にも国会議員を使っての行政への圧力で”一任させて欲しい”とわけの分からない要求を提出していましたよね?失敗したけど・・・。あれと同じ理屈です。

2)桂田犬猫病院って滋賀県大津市にあるんです。この獣医師が獣医師会から公式に派遣されたのであれば、滋賀県獣医師会からなんらかの公式な発表があるはずですが、獣医師会からは何の発表もありません。個人で且つ、好きで神奈川のシェルターに出かけたのか?団体からカネで雇われたのか?のどちらかでしょう。私が何も知らないとでも思っているのかも知れませんが、この団体の代表理事の営んでいるグローリータッズと言う犬舎の犬たちは、なんと京都府亀岡市から滋賀県大津市の桂田犬猫病院へ掛かっているのですから・・・何故に滋賀県から神奈川県のシェルターまで来て狂犬病予防ワクチンの接種に来たのか・・・想像がつきますよね。私は、カネで雇われた獣医師だと想像しています。ある意味往診ですよ!ずいぶんと遠くまでやって来るもんです。代表理事がこの動物病院に犬を連れてきているのを目撃されていますよ・・・。

3)団体のブログには、獣医師の資格を現すネームプレートのzoom写真が二枚掲載されているのですが・・・この写真の意味するものとは?何だろうかと考えてみました。獣医師の資格の無いものが色々な処置をしているなどと各方面で書きたてられた事を払拭するために、獣医師である資格を前面に押し出すため、所謂文章の不足を写真で補った典型的な事例なのでしょう。獣医師ならば、神奈川県内にだって腐るほどいますから・・・どうして、近くの獣医師ではなくて遠くの獣医師なのでしょうか?言ってみれば、たかが狂犬病予防ワクチンの接種ですよ!難しい手術でもないのに・・・と思うのは私だけでしょうか?

やること成すこと全てが、後手後手になって、前に話題にされた事を打ち消すことも結局出来なくて、また物議を醸すネタにしかならないのはいづれの世も悪にとり憑いて廻る話なのです。

自分たちの団体の活動は、遠くの獣医師も駆けつける正しい行いだと判断させるためのパフォーマンスならもう少し上手にネタを提供すべきです。そして・・・今になって狂犬病予防ワクチンの接種とはチャンチャラ理屈に合わないのです。シェルターに入れる場合は、メディカルチェックを・・・と言うのですが、狂犬病予防ワクチンはメディカルチェックの土俵には上らないで、後回しでも良いのでしょうか?

何だか相撲協会のまわし組の屁理屈に似たような気もします。自分たちの実入りが少ないため本場所の再開を急ぐが故に、中途半端になっている相撲協会の八百長問題と、この団体の支援(現金)が急速に推進力を失っている為に団体は正しい団体だとパフォーマンスを繰り広げるその理由はまわし組の屁理屈に酷似したものではないか?と思わざるを得ません。

カネに雇われている獣医師にも問題ありだと思うが・・・獣医師としてすべきことは、遠くの獣医師を招聘するのではなく、今後想定される動物たちの体調の変化に備えて、近くの獣医師たちとお付き合いするのが一番だぞ!とアドバイスする事だったのではないでしょうか?

メディカルチェックをしてくれている獣医師たちには狂犬病予防ワクチンの接種をさせないその理由とは何なんでしょうか・・・。

そこが知りたい・・・誰かその情報をリサーチ!

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2011年7月22日 (金)

愛誤のカオスの狭間に真実を見つけろ!・・・信頼できる獣医師だからという理由は成り立たない

身内の不幸もあり、ブログの更新をサボっていたわけですが、一通り片付いたので、溜まってしまったネタを一気に放出します。

7月16日、17日に福島県警戒区域に立ち入っての犬猫の救出活動を行った獣医師チームと原子力災害対策本部(オフサイトセンター)は後始末が悪いので各方面から矢の様な催促を受ける事となるでしょう。今日は7月22日なのですが、未だに、救出した犬猫の情報が公開されていません。作戦から1週間も経過しているのに、どこにも情報が公開されていないのは非常に問題があります。

やりっぱなし・・・トイレに行って、ケツを拭かないで外へ出てくる事と同じ様なものです。後始末がばっちいから・・・たまらん話ですよね。これも・・・また行政批判、チームに対する単なる中傷だと言われるのでしょうか?

チームに参加している獣医師と前々からの知り合いだからという理由で、獣医師がチームに参加すれば、飼い主もその獣医師の考え方に同期して、チーム全体が正しいという理屈にはならないのです。この考えこそ・・・愛誤のカオスの縁に置かれた愛護を見失いかけている飼い主そのものだと私は思うのです。

実際に、その後獣医師チームはどのような活動をして、どのように救出した動物たちを保護しているのか?その様子は、twitterなどで一切見られなくなりました。とっても信頼のできる獣医師であるならば、そこからの情報を公開すればいいのじゃないですか?

でも・・・実際にはどこにも情報は流れてはきません。愛誤という言葉は非常に人の心を傷つける言葉という事は理解しています。私もその言葉で傷つけられました。しかし・・・愛護という言葉の陰に誰もが、愛誤と言う一面を有しているのです。それには大小という違いはあるでしょうけど。

冷静になって考える必要性があるのです。今回行われた獣医師チームによる犬猫の救出活動・・・その作戦行動のスキームとは?

今の段階で、そのスキームを再度調べる事なんて出来ません。ですが、結果を放置しているという事実だけが取り残されているのです。(遺留物)さて・・・このような状況からこのチームも愛誤の烙印を押さなければならないのでしょうか?・・・。

証拠を残さないやり方は、その辺りの愛誤とはステージが違うと思うのです。行政との思惑が一致した所にその逃げ場は用意されていたのだと私は思います。

16日17日に保護された動物たちの一部は、福島県動物救護本部の第一シェルターに保護されています。これはどこも情報を公開してくれなかったのですが、結局は一番信頼のできる、福島県動物救護本部の設置者である、福島県食品衛生課が情報の提供に応じてくれました。

しかし、獣医師チームが発表している数字と合致しない事と、獣医師チームから詳しい保護の詳細のデーターを受けていないと言うのです。福島県動物救護本部が有している第一シェルターで預かっているのは、犬が8頭だと言いますが、公式に保護した犬というのは5頭だと、獣医師チームの公式発表になっていますが、足し算引き算の単純な間違いでしょうか?・・・救護本部の勘違いかもしれませんけどね・・・。

犬猫あわせて、15頭くらいを無理やり置いていったそうですよ・・・。コンセンサスが取れているなら、無理やり置いていくということは無いでしょうけど、保護した後に、事前協議も無く置いていくというのはあまりにも無茶ではないでしょうか?

こんな状況と結果が露呈していてもこの獣医師チームは正しい行いだったと言えるのでしょうか?

福島県動物救護本部が、オフサイトセンターへ警戒区域内部での動物救出について再三許可申請をしていたのだが、却下され続けたのに、何故に今に来て寄せ集めの獣医師チームを許可したのか?それは、どこかの国会議員の外圧に負けた結果だとも私は思うのです。そこへ、獣医師チームが、救出活動をさせて欲しいと申請してきたもんだから・・・渡りに船ということで、両者それぞれの思惑が一致したのだと思うのです。

にわかに、無理やり合意させた話なので、後からストーリーをつければよいと言うことでヨイヨイで見切り発車してしまったのだと考えられます。大風呂敷を敷いていた、オフサイトセンター、獣医師チームは、100頭からの保護だと豪語したものの、実際には20頭の保護実績なので、始末がわるくて、ケツ捲った形になってしまったのでしょう。

獣医師のメンバーに含まれる福島県の獣医師の関係もあるので、福島県獣医師会もこの救出作戦には触れてくれるな!の世界を決め込んでいます。

本来は、獣医師たるもの動物救護本部の構成員ですから、新しいチームを有志で組むなんてことは出来なかったはず。実際には、4団体から構成される、緊急災害時動物救援本部がめまぐるしく機能していないために、名を上げろの目的を持った売名獣医師を自然発生的にfaceで募ったのでしょう・・・。

これから、福島県の第一シェルターで保護されている動物たちは前からいる子達とは差別されること無く大事に扱われるでしょうけど・・・きっとケージには、”夏堀”っていうラベルがつけられ、きっと”区別”されるでしょう・・・。

スキームは整っていると言いながら実際にはスキームどころの話でなく、押し込み強盗のように、無理やりにシェルターにやって来て、捕獲した犬猫を無理やり置いて行ったのですから・・・問題ありですよね?

福島県の食品衛生課の担当たちの苦悩が目に浮かぶようです。彼らは、おいしい所などという考えはまったく持たされていない、行政奴隷のような立場に置かれています・・・。彼らのような最前線に置かれる役人たちへ責任を押し付けるようなあり方は、スキームとは言わないのです。獣医師チームを統括している”夏堀獣医師”あなたこそ、今の混沌とした状況を責任を持って処理できなければ、愛誤の烙印を押されたままになってしまいますよ。

とある、福島県のシェルターに手伝いに行っている人の話では、福島県の県職員(獣医師)たちを苦しめるような事をする連中は許せないと言います。私自身も、助けになるような事はしても、実際に最前線に不具合をもたらすような事はすべてがNOだと思っています。

今回は、動物救出問題で頭を悩めていたオフサイトセンター、武勇伝で名前を上げろ!の夏堀獣医師チーム、福島県獣医師会に加盟している河又獣医師の圧力に負けた獣医師会これらが・・・・愛誤を引き起こしたと露呈している事実からひっぱりだすことができました。

それにしても・・・これらの愛誤の餌になった福島県動物救護本部を統括している食品衛生課が不憫でならないのです。救護本部を構成しているメンバーでもある、獣医師会にも餌(えじき)にされるとはなぁ・・・。

まだまだ・・・裏に隠された事実があるようです。しかし、私は単なる一般人であって、オフサイトセンター、獣医師会などに保護された情報の公開を要求しても門前で却下されるのです。どこかからシャットダウンしろと情報統制の命令が出たのでしょう・・・。あとは、しかるべき情報の筋から情報を入手して、この愛誤も事実を追求していくようにします。

あなたが、信用している獣医師だって、腹の中まではわかるまい?実際には何を考えているのか?なんて分からないのに・・・その愛護という言葉をストップして愛誤とするべきではないか?

支援はその内容を確認してから、冷静な目で見ることが出来るうちに、その真実を追究すること、感情はどこにも存在しないそのある種冷ややかな目で見る必要があったのに、メンバーに知り合いがいれば、どうしても、それに引きずり込まれてしまうようです。

愛護であるならば、もう一度その中身を検証してみるべき、情報はネットの中にるが、すべてが真実だということではない。真実は、その現場にあるのだ。真実を掴みたいならば、効率の良い調査方法を頭の中で組み立てるべし。

愛護が愛誤にならぬように・・・。

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2011年7月15日 (金)

愛誤のカオスに呑みこまれたわが家の飼い主・・・それでも愛護を貫けるか?

わが家の飼い主・・・愛誤のカオスに呑みこまれているかも。

・・・と正しく分析をしてくれているであろう、twitterのfollowerが、それって愛誤と同じじゃない?とわが家の飼い主の行き過ぎた、そして手荒で、稚拙な思考を訂正しようとしてくれたが、わが家の飼い主は、その本質を見抜くことが出来ずに屁理屈を捏ねているようである。実際には、屁理屈を捏ねた。

今回問題になるのは、通産省所管の福島県オフサイトがある意味特定の獣医師グループを公認としたことの真偽と、その公認に至るプロセジャーを問題にしているのであって、どこかの行政官を追及しようとか?自分に利益が出るようになどとする意図と当方にはなかった・・・。

どうも、行政側の理屈だけを重視して考える、または、市民としての理屈だけを重視して考えるなどと・・・どっちもどっち基本的には歩み寄る余地などどこにもないと冷静になってみれば考えられるのです。行政側の理屈としてみれば、いちいち詳細を伝えることはしていない、決定は決定という考え方なのだろう。そのプロセジャーとしては、公表の必要性はない。行政は間違った判断はしていないというその理屈が成り立つのだろう。

一方市民側の理屈としては、隠すその理由はない、基本的には、どの公務員であっても、市民の為にという謂わば、公僕という立場が与えられているだけで、その職に特殊性は無い。市民が知る権利を有しているのであれば、その問い合わせに真摯に応答するのが公務員の服務であるという考え方。

行政には、秘密にしておく部分もあるのだろう、その秘密にしなければならない理由を説明し、秘密ね!とでも言ってくれれば、凡そは理解を得られただろうが、後から調べてたり、裏を取るという事をされてしまえば・・・矛盾が現れるという事を知っておきながら、お茶を中途半端に濁すのは、上手ではないその判断であったと理解されてしまう。お茶を濁すのであれば、徹底的に、茶碗の底が見えなくなるまで濁すと言うのが鉄則だったはず。

愛誤には、彼らの既得権益というべく、支援金をHOLDすることが第一目的になっているが故に、愛誤に都合が悪ければ、どこにでも矢のような催促をしてい、都合の良い理屈を求めるのに必死になる。わが家の飼い主は、愛誤のカオスに多くの善良な飼い主たちが呑み込まれない様に、真実を追究してその真実を公表することが大切だと思っているが故、元来愛誤とは別物だと思っていた。

愛誤と同じ程度の行動であると評価するのであれば・・・わが家も今日から、新しい愛誤の熱狂的な信者の仲間入りと言うことになる。はたして・・・愛誤はわが家の飼い主を仲間として迎え入れてくれるだろうか?>>>きっとそれは叶わないと思う。

今現在、愛護という言葉に踊らされていて、愛誤のカオスに呑みこまれた多数の被害者とも言うべき、熱狂的な信者が存在しているのは周知。これ以上の愛誤の熱狂的な信者を増やさない具体的な方法はあるのか?それなりの判断力と知識を有しておけば、愛護なのか?愛誤なのか?を判断する事は可能だと思う。

ただ・・・すべての人がそうかと言うとそうにはなっていないのです。今週末の救出と言うのだって、その本質は誰にも分からない。集まった獣医師メンバーにおいてもその趣旨のコンセンサスは取れているとは言えないだろう。寄せ集めで、コンセンサスを・・・と言っても無理がある。その証拠に、主義主張のバラバラだった、民主党の成り立ちを見てみればよい。一枚岩と言えるだろうか?一枚岩であると言うならば、事態はこんなに混乱はしないはず。当時の社会党やら、自民党を飛び出した連中が集まった所で、何もコンセンサスなど取れていないいわば、数の集団だった。

だからこそ、このオペレーションの真偽、成り立ち、承認までのプロセジャーが明らかにされる必要性があると言うのです。各方面のブログの記事には、政府が動いて、このオペレーションの主導をしています・・・ブログ記事からの転載とばかり、転載という言葉で、自身のブログ記事への責任を放置しているではないか?

情報社会の中で、自分の発した情報は、自分が根拠をしっかりと持って、その根拠を他のネット記載事項に責任を転嫁するようでは、情報の垂れ流し、情報の不法投棄と理解されても仕方が無いのではとも考える。

とってもパスするのが難しい、国家公務員一種試験をパスして官僚になられたのでしょ?であれば、もっと前に今回のオペの思考が成り立ったのではないか?何故に今になった?と多くの人が疑問を持つことでしょう。

その疑問を払拭するのは、正しい根拠、正しい証拠でなければそれに勝るものはありません。ただ、言った言わないの世界では、通用しません。

ただ・・・この考え方思考そのものに問題があるというのであれば・・・私も今日から”一人愛誤”となることでしょう。愛誤のカオスに呑みこまれ、最終的に愛誤になったとしても、どこの団体とも交わることなく、自分の正しいと思われるその思考を根拠を持ってして、貫くことでしょう。

きっと・・・この記載を見てある人たちは・・・嗚呼、カオスに呑みこまれたね!ときっと声を上げるでしょう。

愛護を愛誤とするのか?そうでないかは・・・私自身の判断と思考です。まだ、私の脳みその中に、愛護がかすかに、わずかでも光を放っているのならば、愛誤を打ち砕くことが出来るかもしれません。私はそう期待を込めてこの記事を掲載しています。

ただ・・・その光が本物であるのか?どうかは。私にも分からないですし、誰にもその光の本質を見極めることは難しいと思うのです。

ただただ・・・かわいそうだからというのではなく・・・と思っていたことが、自分の飼い犬や飼い猫は自分で面倒見ろ!という、犬猫嫌いの淡い幻想だったのか?とある意味迷いも生じるのです。これが、愛誤のカオスに呑みこまれようとしている、一般飼い主の心の内面かも知れません。

さて・・・カオスの縁から生還できるのか?そうでないのか・・・

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2011年7月14日 (木)

やっていますと言い訳をする環境省役人・・・やってますやってますは愛誤のスゝメ

昨日話題にしている、今週末に福島県富岡町で繰り広げられるであろう捕り物劇開催の真意についていろいろと注目して調べてみた・・・。多方面からの聴取、関係ブログ記事などの確認でそうとうな時間を費やしてみたが、未だ真相というべき核心には多くの因子が複雑に絡みついているために、確認作業に困難を来している。

今回の問題になるのは、武勇伝を上げろ!という感じでfaceで同じ目論見の獣医師が仲間を募ってできたのが問題視されなければならない。faceで集まった仲間なのかは、団体の説明はないのだがメンバーにfaceから登録した獣医師の記録からはそう窺がえる(うかがえる)。http://ameblo.jp/matsumoto-sac/entry-10941620238.html

FB上で作られたグループで・・・。実は、僕もそのグループの一員です。。。このチームの活動は、各都道府県の獣医師の有志達が結集し、FB上で情報を共有しながら、各々が出来る事を出来る限りやっています。などと記載がある。

私が環境省担当から確認した話では、日本動物高度医療センター放射線科の獣医師である夏堀雅宏獣医師が中心となって設立した任意の有志団体だという事を聞いたのだが団体の成り立ちそのものの話の辻褄が合っておりません。

最初から辻褄が合っていないというのは活動についてもメンバーの中でコンセンサスが取れているのか?よくわかりませんねぇ。辞任した大臣ではないが・・・お前らコンセンサスをしっかり取れよ!分かったな?って言いたくもなります。

成り立ちと存在そのものが非常に不安定要素を多分に含んだあやふやな船出です。そしてこの団体は、どこにその本部機能を持って、どこでその情報を集約しているのかまったく分からないのです。その本部機能は、団体の成り立ちと同じように、faceでしょうか?彼らのなんだか怪しい部分というのは、本部機能を明確しない所でも十分に確認できるでしょう。

さて・・・この獣医師のチームは、国のいきあたりばったり政策の犠牲者となってしまうのか?今後の活動に注目です。

この獣医師チームが、20KM圏内に立ち入ることを許可されたチームなのか?そうではないのか?許可証の存在を確認したいところですが、このチームからその許可証の提示などは未だに見られません。

福島県庁内部にある、通産省管轄のオフサイトセンターのこのオペを担当している部署の担当官は、はっきりと説明することが出来ずに、今まで来ています。

本当に許可したのであれば、このチームへ発行した許可証があるということの説明があってもしかるべき、曖昧な応答をすべきではないのです。私の確認したところでは、許可証なる書面は存在していないと言うのですが・・・報道では、保護活動が行われると言う内容で広く広報されています。

どのような位置づけでこのチームを承認したのかの説明も出来ていない、オフサイトの担当官はまやかしの行政官僚ということになるかもしれません。実を言うと・・・私は、担当官を捕まえるべく問い合わせを行い、席に戻り次第電話をよこすようにと要求をしていますが・・・この担当官昨日13日17:30より今現在まで逃げ通しています。やっていますやっています・・・と理屈の通らない言い訳で逃れることは私を相手にしては無理です。法的根拠、書類の存在すべてをもってして納得させない限りは、今から先ずーっと。ハッタリ官僚と呼ばれることでしょう。

やっていますやっていますと・・・理屈の通らない言い訳で逃れようとするのは、愛誤を助長する原動力になりかねしません。この官僚は・・・もはや愛誤のスゝメとしかなっていないのです。

苦し紛れ、八方塞の政府の方針に何か打開策をと・・・災害対策本部の政務官が思いつきで言い始めた、動物愛護を盾にした国家規模のやってます詐欺の片棒を担いだということなのか?衆議院議員 田嶋要議員こいつを信用しても良いか?

その判断は国民一人一人の判断に委ねられるでしょう。

内閣では、総理大臣が孤立化しているのに・・・オフサイトセンターでは、政務官を必死に守ろうとする官僚が沢山居て居心地がいいのかもしれません。能無し官僚に守られる気分はどんなもんか?政務官に直接聞いてみたいとも思いますが・・・

政務官は、基本的には表に出てこないでしょうね・・・官僚が守る牙城を崩すにはそれなりの力が必要とされますね・・・その辺のキチガイ愛誤がクレームで電話する程度では牙城は崩れそうにありません。

不眠不休の官僚が守るその仕組みは果たして国民の為になっているのだろうか???

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緊急愛誤注意報・・・今週末福島県警戒区域にキチガイ愛誤の保護活動予定されているみたいよ

キチガイ愛誤が福島県富岡町に動物の保護と称して区域内に入るようです。

この団体がどうやって警戒区域に入るのか?どうやって進入許可を受けたのか?当然のように知りたいですよね?私もその実態を知りたかったのです。あちこちに問い合わせをしてその真実を知ってしまいました。

一番の問題は、福島県富岡町の担当職員が、このキチガイ愛誤に騙されてしまったという事です。裏を返せば・・・愛誤は、行政職員でも騙すという事になってしまいます。

経緯・・・

福島県富岡町の公式HP>>>http://www.tomioka-town.jp/?p=2085

にはこうあります。福島県警戒区域内動物”救助”獣医師チームというのは、どうやら正体不明のキチガイ愛誤のようです。この団体が20KM圏内への立ち入りが許可されたと言う実績はありません。

富岡町 町長からの許可が提示された実績がありません。という事は・・・許可されていないと言うことですね。

彼らの団体の事務所は・・・はっきり言っていい加減そのものです。なんと・・・お掃除道具のネットショップに通じるのです。電話番号をググってみました。”ふーみんどっとこむ”という東京三鷹に事務所を構えるネットショップです。

一応中身が気になったので、興味本位で電話してみました。するとこの事務所の電話には、男性が対応しましたがネットショップの名前をはっきり言うでもなく、団体の名前をはっきりと言うでもなく、正体はつかめません。保護の話を切り出せば、”そうです政府公認の団体です”だそうです。ここは日本であって、共産主義の国ではありません。政府公認という言葉に何も迫力を感じないある意味キチガイわが家の飼い主は、はじめから胡散臭いなぁと思ったのです。

代表者の名前を聞いても明らかにしない、保護したあとの保護先は?と聞いてもその場所を明らかに出来ない。保護した犬たちのトレーサビリティーは?と聞いてもしっかりと保護しますとか、要領を得ない応答ばかりだったので、頭にきて電話を置いたのです。

このような団体でもあなたは・・・信用できますか?信用は出来ませんよね?たぶん・・・。

何故か・・・富岡町の役場は、この情報をHPから消さないのです。いろいろと手続きはあるのでしょうけど、すばやい対応が求められています。さっさと消しましょうねと言いたいのです。

もう一つ問題があります。本物の獣医師が連携したチーム・・・こちらは、団長の名前も明確にされているのですが、政府公認という看板が気になって仕方がないのです。政府として公認した組織なのか?それは調べれば分かることです。福島県庁の内部にあるオフサイトセンターの担当へ確認をしてみました。この確認の内容に担当は真っ当に応えることはやはり出来ませんでした。相手は、環境省のキャリアーですから簡単には崩すことができません。公的文書記録のないままに、誰が責任を取るのか?誰でもケツまくって逃げることが出来るようになっているのではないか?と根掘り葉掘り聞いているのですが、のらりくらりの対応でなかなか前に進みません。

オフサイトセンターの理屈、獣医師チームの理屈少々辻褄の合っていない部分があるのです。この色々な噂や情報が垂れ流しになっているなかで・・・辻褄は最低でも合わせておく必要があると思うのです。現状辻褄が合っているとは思えません。

エリート官僚なのですから・・・もう少し辻褄が合うようにして欲しいものです。

政府公認と言っている団体は、このような団体のようです。福島生物資源放射能調査団 福島警戒区域内動物”救援”獣医師チームだそうです。

ただ・・・この団体も20KM圏内への立ち入り許可が提示されている団体なのかどうか?政府公認の団体なのかどうかは・・・まだはっきりとしていません。少なからず、今週末に20KM圏内へ立ち入って動物保護をするという事は明らかなようです。

保護した後の、トレーサビリティー、保護先の確保、保護報告すべてが、政府公認というのであれば、政府主導で実行されなければならないでしょうけど・・・今の段階では政府からの公式な見解はありません。

はたしてこの団体は信用できる団体なのだろうか?はたまた中途半端な団体で、武勇伝目的の中途半端獣医師が集まっただけなのか?

福島に20KM圏内に取り残された動物たちに光はさすのか?これから先の行動予定が示されないままに・・・実行されて、やっぱりダメでしたではダメでしょうね。

いわゆる愛誤と言う団体(ペテン師愛誤、愛誤犬屋)は早速ですが、この計画についてネガティブキャンペーンを貼っています。

愛誤が勝つのか?政府公認という獣医師たちの理屈が通るのか?天下分け目の戦いになりそうです。私は、今までどおりできることを小さい力でも少しずつという考え方に方針に転換はありません。

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2011年7月12日 (火)

にわかに物議を醸す救出グループと既存の救援本部の情報

何やらネット上で物議をかもしている、にわか救出団体として名がでてきている団体。

福島県警戒区域内動物救援獣医師チームとは何ぞや?今更かい?って言いそうになります。彼らのHPを確認してもその内容が不鮮明でどんな団体なのかよくわかりません。彼らの成り立ちと言うものは、今までに存在していた緊急災害時動物救援本部の存在を根本から覆すようなその設立の経緯には驚きです。

http://vaffa311.com/?pid=1 ここには面白い情報が提示されています。メンバー構成に、緊急災害時動物救援本部、福島県獣医師会、各都道府県獣医師有志で構成。とあるのですが・・・。緊急災害時動物救援本部は新たな自身の子を作ったという事になるのでしょうかね?福島県獣医師会は、緊急災害時動物救援本部の構成メンバーですが、新たにわけのわからない団体の構成メンバーに加わるということはどう言う理由なのでしょうか?

これは、一方的に新たに活動を展開しようとしている福島県警戒区域内動物救援獣医師チームの理屈ですが・・・。

驚くことに、この団体は、福島県、環境省、獣医放射線学教育研究会が協賛または後援(予定)と記しているのです。福島県、環境省はいわゆる20KM圏内の立ち入りについては推奨していないのに、福島県や環境省は、この団体の活動を協賛したり、後援するのでしょうか?あくまでも予定と記していますが・・・この団体は既成事実を作り上げたように思えてなりません。

きっと誰かが・・・この情報の真偽を確かめるのでしょう。方法はお分かりですよね?文句かまけるのではないのですよ。あくまでも真偽を確かめるのです。動物たちのためにと言うだけでなく、あくまでも冷静に。

この獣医師たちのグループは、7月16日、17日、18日に富岡町で集中的に動物たちの救出を行うそうですが・・・この救出した後に動物たちは飼い主と一緒に生活が出来るのでしょうか?今、ペットといっしょに生活が出来ないという問題が浮き彫りになってきているのに・・・。

福島県で被災動物たちの世話をしているボランティアメンバーの意見で賛否は分かれるのでしょうが、私はそのボランティアが言われる話には基本的に賛成です。

ボランティアはこう言っています。

20キロ圏内のペットを救え?集めてどうする?その後のQOLが保障される可能性は? 助けて!と叫ぶなら、少なくとも1頭は引き受けるってことですね?一旦野良になった犬を飼うってかなりのリスクがありますが、覚悟はあるんでしょうね。あ、虫なんて普通。狂犬病ワクチンだってやってないかもよ。

その後のQOL(Quality of Life)動物たちのQOLについて疑問視しているが、その通りだと私は思えるのです。福島県には被災した動物たちが暮らしているシェルターに100を超える動物たちが暮らしています。その多くの子は、家族がまだ見つかっていない(見捨てられた?)、今は一緒に暮らせないからという理由で預けられている子だそうです。今回、華々しく救出が行われたとしても、その子達のQOLが保障されるようなことは実際には言われていない。

福島県動物救護本部にいる子たちだって、満足のいくような扱いは受けていないだろうと私は思っている。犬の種類も良く分からないような連中が事務官として情報を扱っているのだから・・・まともな情報が発信されているのか?という部分に疑問が生じる。いわゆる頭の中に?がいっぱいという状況なのだ。

http://www4.pref.fukushima.jp/saisiyou/sousou/uproadfile/html/html/stray/dog/list.html このページの中で、アフガンハウンドという犬の写真と、アメリカンコッカースパニエルの写真をみてみたら良い・・・実際のその犬種とは似ても似つかないそんな犬の写真だ。飼い主であれば・・・その犬の種類で検索をするだろう。それが効率的だと考えるから。アフガンハウンドとはそのロン毛が特徴的な犬であって、いかなる長毛の種類の犬よりもそのロン毛が特徴的なのだから・・・写真のような犬をアフガンハウンドとは言えないと私はそう思うのです。アメリカンコッカーと記載がある写真にしても、顔つきがまったくコッカースパニエルの顔をしていない。この写真を見てきっと探している人は絶望するだろう・・・こんな所の情報は信用できない・・・と。コッカースパニエルの写真掲載については、注意しなければならないであろう。イングリッシュコッカーも同じ顔つきをしているのだから、アメリカンなのかイングリッシュなのか?と言うような記載を心がけるべきだと私はそう思うのです。

虚勢避妊の処置が済んでいるのかどうか?についても、不明ってどういうことなんだ?と情報を検索している人たちにしてみれば・・・不確定要素が多すぎるのです。例えば、去勢しているかしていないか?はキンタマがぶら下がっていれば、未処置と判断が出来るであろう。避妊については、腹を切っていれば凡そは処置していると判断できるが、中身があるのかないのかは?外見から判断できないので、傷跡ありなどという様な情報を早期に付することと要求を出していたが・・・未だに情報の付記がない。

行政叩きというのをしても仕方がないのだが・・・アドバイスしたことでそうでした・・・その情報がないと困りますよね?早急に手配しますという返事ばかりが先行して・・・その情報が更新されないのは、飼い主と飼い犬を離してしまう結果になりかねしない。

さて・・・どうだろうか?基本的な見解を述べたまでだが・・・飼い主としての意識が低い。行政の付和雷同的な判断、あちこちで乱立する名を上げよ!の新しい団体の成立・・・これらが基本的に飼い主の意識をより低くしている(スパイラル)その要因ではないのだろうか?

せめて・・・コンセンサスぐらいは通しておくべきだったよね?VAFFAの設立趣旨や設立メンバーは。行政発信の情報のいい加減さについては・・・非常に腹が立つ所だ。分からないなら分からないでよいのだが・・・いつまでも過去の情報を放置するのは、情報の不法投棄というものです。間違っている情報は分かった時点で情報の訂正をかけること・・・これ必要でしたね。

すぐにできることはすぐに行う・・・ということが必要です。ネットの情報の書き込みについてはすぐに訂正を行うこと出来ますよね?

なんで・・・難しい試験をパスして公務員になったとか獣医師になったとかそういう人たちがこんな程度ではいけませんなぁ。これじゃ・・・アドバイスしきれない。がっかりさせないでほしいのです。 

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2011年7月10日 (日)

情報管制なのか・・・愛誤犬屋の話題を記事にすれば

愛誤犬屋を話題にすれば・・・不思議なことにボランティアに行きましたというコメントが投げかけられる。実際はどうだろうか?気になる所ではあるが、実際にその場所を見てみたいとは思えない。

どうしてか?・・・犬や猫を扱っている場所は、どのように管理されていたとしても、動物の臭いが充満していて臭いからだ。その場所を見なくても、どの程度きれいにされた正しい形での保護施設なのかどうかは判断がつくからだ。だから見に行かなくても良いと判断してしまう。ブログなどの写真は臭いなどは届かない・・・。

日本人が正しい形で運営されている施設だと評価しているものに、その通りだと判断できる施設はまずない。日本には、正しい保護が行われている施設は0だから。

日本人が賛成した保護施設というのは、かわいそうだから、その命をどうにかしなければいけないといった・・・あいまいな気持ちから派生した施設が賛成という評価を受けたものだ。

行政が管理運営している、各都道府県や政令市の動物保護センターだって、熊本県の保護施設だけが”良し”と評価されている。何故か?熊本県では保護した動物たちを殺していないからだ。この殺していないという事実だけが評価されている。他の行政機関はどうだろうか?相変わらず・・・殺している数だけの大小論で良い悪いと評価している。こんなことで・・・本当に愛護というものを理解できているのだろうか?

愛護団体なるその本質がうやむやな団体は内情を把握するのは非常に難しい。ペテン師率いる、愛誤については、広島の事件からその本質を追求しようとあちこちから注目されているが、いまだかつて、連中の本筋が見えたことはない。

私が怪しいと見ている、愛誤犬屋についてもその本質を見極めるためには・・・方法がない。それでも、内部の情報を外へ少しずつでも流してくれるいわゆる密通者がいるので、内部の情報はある程度見える。

この連中は、はっきり言って、団体からの嫌がらせや、陰湿ないじめを受けたくないが故に・・・表に出て来れないのだと言うのは分かる。なんと言っても・・・UKCの代表と、神奈川のシェルターの場所を提供している理事というのは、ヤクザ繫がりっていうじゃありませんか・・・。ヤクザは、民間人に手出しはしないそうですけど、このヤクザ崩れは民間人に嫌がらせやイジメをするそうですから、もはやヤクザではなくて・・・その辺の三流チンピラでしょうかね。

この連中に関係した人は、たいてい団体について良いことしか言いません。脅しがあるのか?情報管制が行われているのか?私のそれほど犬業界に影響もないようなちゃっちいブログでわめかれることは相当に脅威なのでしょうか?あちこちで口止めすることをしていたり、メンバー限定のSNSでわが家のブログの記事を叩いてみたりと・・・口止めすることに必死になることは非常に不可解なことです。

私は・・・知っていますよ。愛誤犬屋が、何故にボランティアと称して震災の直後に現地へ走ったのか・・・。遅れてはならないという、行ったもの勝ちの理屈が過去に証明されたからそれを実践したということも知っています。

ペテン師愛誤を真似て・・・支援物資、支援金で懐をあたためて今後の生活の足しにしようとしている考えがあるという事を。ある身内の集まりで莫大なカネが集まってくる、支援を受けたカネを全部遣ってしまったら、支援者から睨まれるだろうけど、その一部をもらっても誰も文句は言わないだろう・・・と代表理事はお話したそうですね。はじめから・・・保護活動は有料のものだと豪語していたようですから・・・この団体は、ビジネスで犬猫を保護しているのです。新しいシェルターが出来ましたとか記事にしているが・・・あくまでも架設じゃないですか?プレハブじゃない!!!ペテン師愛誤と一緒。

建築確認はどうした?などと私から・・・また追求されますよ。写真を見ても10㎡以上ですから、どうやっても建築確認は必要です。ペテン師愛誤のように、あとから文句でもかまけるのでしょうか?震災特例はないのか?などと行政の窓口でわめく姿が想像できます。

愛護という言葉だけで・・・突き進むのはもう限界が来ているのは見えています。情報管制をしたところで、先にその情報発信が止まることもありません。

実際に保護された犬たち猫たちがどうなっているのか?見に行った所でどうなるわけでもありません。良い所だけを見せられて、それが正しい姿だと誤認させるネタを突きつけられるだけです。

私の情報発信がどのように取られるのかはそれぞれの理解で取られても仕方ががありません。あるところで、保護された犬猫たちの世話に行っている人の話を聞いてみてもその状況は悲惨極まりないのは目に見えています。一箇所に数多くの犬猫を集めれば、不具合も生じます。その不具合を隠してまで、きれいにしていますとか、臭いがしませんとか・・・良いことを並べることはいくらでも出来ます。

問題なのは、現状を正しく情報発信することと、施設の限界が来ているのでこれ以上は面倒を見れません。面倒を見れる状態で今後も保護支援していきます・・・などと正直に事実を表明することが必要などだと考えます。どうでしょうか・・・犬猫の保護のためと表向きに愛護を掲げて、家族ごと保護の前線基地へ引っ越してきてまでの保護活動というものは・・・もはやボランティアの枠組みを超えています。

あなたが、愛護という言葉に踊らされていないのであれば・・・子供までを犠牲にして保護する価値はあるのだと思えますか?ボランティアとしてのその素養は、踏ん切りをつけることも評価されて当たり前のことです。

少なくても・・・この団体の代表理事は、子供をや自分の家業を犠牲にしてまで被災動物の保護をしているというのは、その陰に隠された何かを追い求めるが故の理由があるからだと疑われてもしかたがありません。

日本人のボランティアという活動で誤認している部分・・・表面だけで判断しているということ。そして、情報管制が敷かれていることに気がつかないこと。

細かいことを言い出せば・・・きりがありません。愛護という言葉だけで評価されている”愛誤”には加担しないようにすること。必要じゃないですか?

福島県の動物救護本部が運営しているシェルターでは、一時預かり、新しい飼い主を求めています。得体の知れない団体を支援するような、預かりであったり、新しい飼い主に名乗りをあげるようなことはしないでください。

例えその動物がかわいそうだからという理由が成り立ったとしても・・・その犬たちは、飼い主が基本的には一緒に避難する事、一緒に暮らすことをあきらめた結果もたらされた現実です。

騙して・・・飼い主から引き離した動物たちもいるかもしれません。情報管制されているでしょうから・・・その事実は公表されてこないでしょうね・・・。

情報管制された中で、公表されている情報が正しいと言う判断はできません。当に、大日本帝国大本営発表ということなのです。原子力発電所のトラブルに関する発表においても、大本営発表が信用できないと騒いだ人たちもたくさんいました・・・、でも、愛誤に関するものには、大本営発表だと疑いをもたないのは・・どうしてでしょうか?

あなたが愛誤そのものだから?

様々な論議を呼ぶ愛誤ですが、愛誤である以上どこまでも大本営発表なのでしょう。私はそう思っています。

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2011年7月 8日 (金)

ヘタレ飼い主が誤解をしないように・・・上高地の続き(使役犬とペット)

上高地の話題・・・まだまだ継続しています。

でも、凡その話が見えてきました。まずは、先に記した記事に対して、当方が一定の配慮を示していなかった事を反省し、以下のように付け加えます。

盲導犬が上高地を訪れることが可能で、ペットが駄目だという話。同じ犬なら両方を許可するのか?両方を排除すべきという話題が、誤解を招いているようです。

私として(わが家の飼い主)は、観光地から盲導犬を排除するつもりはありません。先に掲載された記事の内容と言うのは、上高地観光旅館組合が示している一定の見解に問題があるために、当方がその内容を噛み砕いたまでの事であって、盲導犬排除の広告塔になる意思はまったくありません。

ペットが環境に与える負荷が大きいと協会が示すお願いがあるのですが、生物の種として”犬”を見た場合には、例え盲導犬を含む使役犬であろうともペットであろうとも、ご遠慮頂くという表現にするのが必要であったと思うのです。

種としての犬ならば・・・ペットとしての犬、盲導犬を含む使役犬であっても犬は犬という考え方(上高地観光旅館組合の考え方)

ただし、盲導犬を含む使役犬と言われるworking dogは、道路交通法、身体障害者補助犬法などの法律で、その存在を認められ保護されるようになっています。であるが故に、排除してはならないのです。法律でも致し方ない場合には、補助犬の侵入を断ることも出来るが、一方的に断るのではなく、障害を持つユーザーさんへの一定の配慮、使役犬には出来ない、人間の介助者としての補助を付加するというのが必要であると私は思うのです。

決して、障害を持っている人たちの自立を阻害したりするものではないのです。多くの人たちに、その観光地を感じて欲しいと思うのです。何らかの方法でその観光地を障害のある人たちにも感じて欲しいと思うのです。

さて・・・一方のペットが問題になるでしょう。このペットと言っても、飼い主の素養で大きく二つに分かれます、犬の責任を取れないヘタレな飼い主とそうでない飼い主。やっかいな問題です。明確な線引きが出来ません。

さて・・・上高地周辺の犬の泊まれる宿屋をネット上で洗い出して、そのオーナーから上高地の現状を確認してみました。

結論・・・犬を全面的に排除している(禁止)しているわけではない。ということです。(ペットでも上高地に行ける!)

おそらく・・・わが家のブログで、禁止になっていないと言うのを確認するとわんさか・・・上高地に犬が押し寄せるでしょう。禁止になっていないからと言って、誰でもいけるわけじゃないですよ・・・そこ重要です。

ペット禁止が声高にそして、実際に法的根拠があるようにささやかれているのはある一定の過去から始まったそうです。すべては、飼い犬の行動に責任をもてないヘタレ飼い主から始まった。

ある飼い主は、犬を飼うという約束事を守れずに、首輪をしない、リードを着けない・・・そういう格好で上高地に現れたそうです。この飼い主と飼い犬は、どのようにしなければなりませんか?お分かりですよね?

首輪・リードの装着をしなければ、法律で許された形の飼育方法にはなっていないのです。狂犬病予防法では、そうなっているはずです。予防法を記事にするのも毎回で飽きたから・・・自分で調べてください(犬を飼っているなら知っていなければならないバイブルとも言うべき法律です)

こういう単純な事を守れていないが故に排除・禁止という事になっていくのだと思います。

犬のウンコの後始末について・・・犬を飼っている人の中でこれも問題になっていますよね。近所の散歩でも、飼い犬のウンコを片付けられないとんでもない飼い主の存在。日ごろの散歩から出来ていないのに、観光地へ行ったからといって、いきなりウンコを拾って持ち帰るということができそうにありません。

上高地で実際にあった話しだそうです。ある飼い主が飼い犬のウンコを片付けなかったのを他の旅行者に注意されたそうです。飼い主は、他の犬もやっていると、理屈なしに怒りまくった挙句、梓川にティッシュで包んだウンコを放り投げたそうです。そうして、川の流れがきれいにしてくれる・・・だってさ。

こんなことをされたら、観光地としては犬を禁止・排除と言いたくもなりますよね。誰って言いませんが、散歩の時に、飼い犬のウンコを拾って帰らないような飼い主は、自身の家から外には出られませんよ・・・。こう言うような、飼い犬のウンコを片付ける習慣のない飼い主意外に多いそうです。

人も犬も立ち入れない場所へ、平気で入っている。字を読めない飼い主・・・沢山いますよ。これ・・・わが家の飼い主も見たことあります。悪いのは、字を読めない飼い主なのに、飼い犬も一緒に悪者にされちゃいます。

上高地では、人もペットも進入禁止と厳しく規制線で規定されている進入禁止の場所があります。植物保護地域はそういう場所が殆どです。ただ・・・きれいな高山植物が花をつけていたりすると、ヘタレ飼い主は、その高山植物と犬を一緒に写真などと規制線を越えていたりすることがあります。

平地でも、規制線を越えることは出来ませんよね?それを守れない、飼い主(字を読めない)は、上高地などの自然保護地域に犬と一緒に行くことは出来ません。

犬と一緒にいることを周りの人たちに存在を発し、周りに配慮することができないから、上高地からペット禁止。排除とささやかれてしまう。

犬を連れて歩くというのは、相当に気を遣うものです。正面から人が歩いてきた時に、その人が犬を怖がっていたらどうしますか?知らん顔で犬と一緒に通り過ぎていませんか?きっと殆どの飼い主は、犬を怖がる人は殆どいないだろう・・・と勝手な思い込みで、人との交差を行っていると思える。

狭い道や人通りの多い場所では、人優先、犬は後と言う考え方を持って、犬をコントロールしていますか?よく、躾していない大型犬は駄目だという偏屈飼い主がいます。しかし、躾というのはその犬に合わせたレベルでの躾が必要だと思うのです。いわゆるPDの訓練士はこう言います。座れ、伏せ、待てが三点セットだと。

考え方だとは、思うのですが・・・座れという言葉が、その飼い犬にとって究極の行動制止の言葉だったら、伏せや待てという言葉に行動を制止する意味はなくなってしまいます。だから、躾といっても、三点セットすべてが出来なければいけないという事はありません。むしろ、飼い主が飼い犬をコントロールできると言うことが重要になるのです。

ちょっとだけ、上高地で発生した、発生している不具合(犬と人との問題)をあげてみれば・・・何故に、禁止・排除という方向へ動いているのか?舵取りされているのか?見えてきませんか?

ペットについては・・・日ごろからの飼い方にだらしのない飼い主の行動が、上高地でも日常的に行われている事が問題を大きくしているのだと容易に想像ができます。

観光協会は、どうしてもペット排除のために、飼い主を明確に区別することが出来ないために、犬が自然環境に与える負荷を懸念したような注意書きをしたのだと思います。しかし・・・犬と言ってしまうと、盲導犬を代表とするような保護された使役犬をどうしようかと、配慮に苦慮したのだと思います。結果として、盲導犬などは除くという表現にしてしまったのでしょう。

もう少し・・・表現は考えて欲しかったのです。盲導犬を代表とする使役犬は、どこでも行けるというイメージは出来上がっていると思うのです。盲導犬云々と注意事項に書かなくても、黙っていても盲導犬なのね・・・とサラッと理解できるような文化・マインドになってほしいと思いますが・・・まだまだですね。

わが家の飼い主は・・・不埒で自分の犬の行動に責任を取れないようなヘタレ飼い主を応援するようなことはしません。上高地を代表とするような自然公園にヘタレ飼い主がやってくるようなことは絶対に許しません。

そして・・・視覚障害者の盲導犬ユーザーが盲導犬を連れて外へ出ることを阻止しようという意図はありません。出来る限りのお手伝いはしたいと思っています。そして、使役犬には出来ない、人の介助で手伝える部分で何か出来ないものか?と私は考えているのです。だから、それぞれの障害に合わせた、観光地でのガイドも必要だと私は考えるのです。この考えが、障害者の自立を阻害すると言うのであれば、考え直さなければなりませんが・・・。

視覚の障害がある方が、このブログを音声変換して読まれていると言うことなんだそうです。誤解ができるだけ解ければいいのですが・・・。

盲導犬を含む、使役犬たちが・・・”○○犬は含まない”という様な書き方がされなくなる日を待ち望んでいます。日本人のマインドには、まだまだ、人に対するボランティアの精神も備わっていないのでしょうか・・・支援をする側にも、支援をされる側にも遠慮があるのだと感じています。

わが家の飼い主・・・支援の押し売りではないのですが、過日、バスで乗り合わせた白杖を突いている視覚障害の方を手助けしようと声をかけました。その結果・・・体よく断られました。

なんだか、嫌な気分にもなりました。白杖を突いている視覚障害の方、こう言うのです。まったく見えないわけじゃないから、余計なことするな!だそうです。本当に余計なことだったのだろうか?と今でも考えることがあります。もしかすれば・・・盲導犬をはじめとする、使役犬のことを話題にすることも余計なことなのか?ちょっと考えてしまいます。nervousになる事が一番駄目な方向に向かっているのだと思うのですが・・・いざ自分に降りかかるとねぇ。考えされられます。

わが家は・・・盲導犬排除を強く訴えるようなキチガイじゃありません。公共の場所でペットに人格を与えて喜んでいるとんでも飼い主でもありません。

正しい方向に、物事が進むようにと・・・考えその推進を図るようにしています。今回は、メールにも指摘を受けましたし、稚拙な文章で一部不快な思いをさせてしまったことに深く陳謝いたします。

上高地をはじめとする有名観光地(自然公園)にとんでもない飼い主が集まらないように・・・と願うばかりです。とんでもない飼い主は、どこでも歓迎されないという事を記事の最後に記しておきます。

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2011年7月 6日 (水)

犬さまでもいいじゃないか?・・・玄関から一歩でも出たら犬さま取り消しの飼い方

夏の避暑を考える時期に今年も到達してしまいました。

平地でも連日の夏日・猛暑日・・・。犬たちにも避暑をさせてあげたいと、ささやかな願いを持つわが家の飼い主なのです。

多くの犬が避暑に出かけるのに、その場所をどこにしようかなぁと考えた。たまには、本当に涼しい場所へと考えるあまり・・・長野県の上高地へと行き先を考えてみました。上高地は、マイカー規制もあり犬にとってはとても厳しい条件を突きつけられるのですが、”人も上高地へ行きたい”・・・そう思うが故に、いろいろと情報を集めてみました。

各方面のブログ、団体のHPどれを見てもペット禁止の言葉が踊ります。その情報の中でも、犬が上高地をバックに写真を撮っているものなど若干ではありますが存在を確認することができました。

禁止の情報は、観光協会などの思惑が先行した状態での情報だったと思い、いろいろと法的根拠などを探すことに終始しました。

結果、法的に規制されているものは、存在の確認が出来なかったのです。環境省所管の法律”自然公園法”には、以下のように規定はありますが、ペットを同行することに規定はありません。4節 / 20条 / 3項-14には、環境大臣が指定する区域内において、当該区域が本来の生息地ではない動物で、当該区域に於ける風致の維持に影響を及ぼす恐れがあるものとして環境大臣が指定するものを放つこと(当該指定する動物が家畜である場合に於ける当該家畜である放牧を含む)とあり、動物を放すことを禁じている。

放つという行為は、リードを装着してその飼い主から離れていないことも含むということにはならない。

法律上では、この条文以外に動物に関する規制が確認できる部分はない。

しかし・・・上高地では以下のように、観光客に情報を提示している。(上高地観光旅館組合HPより)

上高地をはじめとして乗鞍など北アルプス地域では盲導犬などを除いてペットをお連れいただく事について、”できるだけご遠慮いただくようお願いしております。”上高地など一帯には、野生動物が数多く生息しています。それらの野生動物にペットが元々持っている病原体などが流行しないようにするためです。ペットと野生動物では、病原体に対する抵抗力が元来違います。これらのことにより、ぺっトの連れ込み自粛についてご理解とご協力をお願いします。とあります。

まずは、表現で気に入らない所・・・ペットと盲導犬はどこが違うのか?明確な根拠がどこにも示されていない。working dogとpetではまったく違うのは理解できるが、犬という生物種の観点から言えば、どこをどう取っても、同じ犬である。その同じ犬であるのに、何故に盲導犬はOKで、PetはNGなのか?その説明は明確ではない。

後続している文章の中にも、野生動物が受けるであろう、環境負荷を配慮してのお願いというのであれば、盲導犬しかりであろう。何もhandecapperから犬を取り上げようとしているのではない。環境負荷を問題視するのであれば、盲導犬であろうともその入山は規制すべき。その後の人へのケアとしては、目の代わりを成すボランティアの配置、耳の代わりを成すボランティアの配置などなど、それぞれの手助けをする人員を配置してこそ、環境負荷への問題を声高に提唱することが可能だろうと考えるのです。

この観光旅館組合が提唱するその内容は、あまりにも中途半端で、真っ当な犬の飼い主を愚弄するような内容になっています。盲導犬は病原菌が無い、ペットは病原菌だらけの汚い犬であって、環境負荷を大きく与える悪因子であるような言い方は良い表現方法を検証して訂正してもらわないといけないでしょう。

自粛ということについて、観光旅館組合に問い合わせを行いました。返答は至って短絡的。結局は、犬を連れてくるなと言いたいそうです。法律に根拠を探ろうとしてもその根拠は見つかることなく、思惑だけが一人歩きして、広く”ペット禁止”という既成事実を作ってしまったのです。わが家の飼い主・・・観光旅館組合の担当からはっきり言って脅迫を受けました。

犬を連れてくる人もたまには居ますけど、周りのお客さんからは白い目で見られて顰蹙(ひんしゅく)を買いますよ・・・と言われてしまいました。それでも、犬を連れて上高地へ来るならその判断は、お宅さましだいですけど・・・だってさ!

こう言うのは、はっきり言って脅迫です。こんな観光旅館組合が牛耳っている観光地なら行かなくてもいいわ!って気になりませんか?

そして、ペット禁止を決定したのは、環境省が決定したものだと責任を転嫁するし、説明の理屈も三流、脅迫も三流、言い逃れも三流。観光地としてのグレートはトップレベルなのに・・・なんでかなぁとやりきれない気分になってしまいます。

飼い主のモラルの問題だと言うのはよく分かっているのですが・・・それだけに話を集中させるわけにはいかないのです。不埒な飼い方をしている飼い主の果たすべき責任を何故に、ルールを守っている飼い主が果たさなければならないのでしょうか?私は、自然環境への負荷を訴えるりも、不埒な飼い主が、ルールを護らないから上高地に犬がやって来てもらっては困るんだよ!と看板を出してもらってもいいと思うのです。

ウンコ放置、注意されたら、梓川の清い流れに、ウンコを流すとかそう言う不埒な行いをする飼い主を集中的に指摘するのが正しい流れじゃないのでしょうか?

今の流れでは、ペットは全部駄目!って言われているのです。そして、その括りは、”犬”ってなっています。もちろん、訓練された盲導犬などはどうぞいらしてください!の世界になっているのですが・・・。盲導犬も種としては犬だろうが・・・と言いたくなります。

決して、working dogを排除しようなんて思っているわけじゃないんですよ。

こんな内容を記事にしたら・・・私が、変に不埒な飼い主を擁護しているとか?自分の都合で、上高地へ犬を入れさせろとか言っているわけじゃないと理解してもらえるでしょうか?ちょっと自信がありません。でも・・・ブレてないですよね?

法的根拠が無いのに・・・禁止と言わしめた、その不埒な飼い主たちの犯した行動はきっちりとその責任を果たしてもらわなければならないのですが、正しき犬の飼い方をしている飼い主にその責任を押し付けるのは困ってしまいます。

環境省のお役人様の見解(個人的な見解ではなく環境省としての見解)

確かに、法律上ペットが立ち寄ることが禁止されているという事実はありません。”見解の相違によって、拡大解釈が観光旅館組合においてされた可能性が高いです。”申し受けた意見については、会合において訂正がされるように議事に盛り込みますという見解を受けた。

環境省と財団法人の職員は、同じようなことをわが家の飼い主に提言してくれました。正しき方法で犬同行で観光をされているようですね。ただ、上高地では、ペット禁止という大義名分が一人歩きしてしまって、その中で、実際に規制が無くても規制があるように見えてしまっています。その中で、他の観光客から白い目で見られたり、罵倒されることがあるかもしれませんよ。それでも、あなたは、犬を連れてくることに何か不安はありませんか?もし不安を感じられるようでしたら、犬を連れ来るのはヤメにしたほうがよいかもしれませんね。不本意ですが、今は、ペットを排除してしまう仕組みなっている上高地なのです・・・。だそうです。

悲しい現実です。ペットを排除する前に、どうして、飼い主のマナーアップという事に目が向かなかったのでしょうか?わが家の飼い主は、飼い主のマナーアップのために今年の夏、家族(人+犬)で上高地を訪れるでしょう。例えその時に困難が待ち構えていたとしても・・・。

今日連絡してくれた、環境省の担当職員は、わが家の飼い主を含めて、家族がちゃんと動物愛護を推進しているのだと理解してくれたようです。

わが家の飼い主・・・環境省職員から、ペットホテルに犬を預かってもらったらどうですか?の答えとして、ペットホテルに預けるくらいなら、犬来るな!の上高地になんか行かない!そして、上高地は、ペット排除する動物愛護の考え方もない偏屈観光地という位置づけを与えたら二度と近くにも行かない!って考えます・・・と答えた。それを聞いて、どうも考え方が変わったようです。犬も人も一緒であっても、犬が人社会の中に場所を求めるなら、飼い主が全責任を負うという考え方を理解したようでした。

不埒な飼い主からの問い合わせも多いそうです。なんで犬は駄目なんだ?という一方的な内容だそうです。しかし、わが家の場合には、理由が明確に説明できるなら、自粛もしましょう。でも、その理由に因果関係の証明ができないものであれば、一方的な自粛要請には応じられませんと返答もしています。最終的には、すべてのマナーアップされた飼い主と飼い犬に上高地が開かれるようになって欲しいのです。決して、わが家だけが許されて欲しいと先走りしているわけじゃないのです。

現状は、大変悲しいかな・・・門戸は非常に狭いです。

犬さまが家族で居られる(人格を持たされた)のは、家族限定で決められた枠の中だけ・・・一歩でもその枠を越えれば、犬さまとしてのロケーションは奪われてしまいます。人と共生するためには、飼い主が犬さまの行いに責任を取る覚悟が必要です。それは、観光地であったり店舗であったりその公共性の高い場所はそのとおり。理屈をちゃんと分かっている飼い主だって沢山います、だからこそペット排除の理屈を捏ねる前に、マナーアップを講じるとか他に方法があったはずです。

その理屈の中に、盲導犬はOKよ!なんていう理屈があれば、普通の犬を飼っている飼い主は、尚更怒り心頭になるところだと思うのです。

種としての犬なのか?用途としての犬なのか?をごっちゃにしたままで情報を展開するのは心外です。そう言う意味での盲導犬も犬だろう?という私の表現です。盲導犬を飼い主から奪うようなことを助長したいわけじゃないのです。こんなことで、盲導犬が引き合いに出されることすら本来ならば問題外であったはずです。

今回も不埒な飼い主と凡そ愛誤と思われる連中に関わるお話です。

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2011年7月 5日 (火)

何年かかっても・・・犬の飼い方が変わらない

犬を散歩している時に、17歳の老犬を見かけた。ハスキーとコーギーの交雑種なんだそうだ。どこから手にいれた犬なのかは知らない。飼い主は、飼い方なのか愛情の注ぎ方なのか何とも理解しがたい話をしてくれた。

もうじき18歳になるから、狂犬病の注射は打ったり打たなかったり・・・フィラリアの予防もしばらくやっていない。どうしてなのかなぁ?と考えたが・・・あまりその手の飼い主の話を聞いたところで、共感できることがないのでいい加減に聞いていた。

狂犬病予防法に定める法廷ワクチンは1年以内に追加接種をすることとなっているが、老犬の場合、その体調を考慮して追加接種の時期を考慮できることになっている。しかし、免除ということはないのです。年がら年中調子が悪かったのだろうか?となんだか理屈がまとまっていないことにちょっと・・・イラっときた。フィラリアの予防薬については、獣医師が言うには、副作用なる症状は殆ど出ていないので、毎年決められた期間は予防することが望ましいというのです。17年も一緒に居て、そろそろ・・・最期の時期を迎えるかなぁ?もうちょっと長く一緒に入れるのかなぁ?と考えていても、予防できる病気については・・・予防しておくものだと考えるが、この飼い主はそうでもないようだ。今まで予防してきたのに、何年か前からその予防を中止したというのだから・・・。予防の理屈も通らなくなってしまう。

フィラリアに関しては、蚊取り線香を犬の傍で焚いているとの事だが、予防が万全でないために、フィラリアに感染している可能性は非常に高い。予防できるものなら予防してあげればいいのになぁと思った。

飼い犬の出所がいい加減だから・・・そういう飼い方になるのかもしれない。犬の出所がいい加減だと、その飼い方は10年経過してもその根本的な考え方は変わらないのだろうか?

今回の震災でたくさんの犬たち、猫たちが、愛護団体、愛誤団体に保護されている。この子たちの飼い主が見つからない場合には、仕方なく新しい飼い主が見つけられ、その家族の一員として残りの時間を過ごしていく形になるのだろうと思う。

しかし、新しい家族は、保護されている動物たちの今までの生活などを知る由もない。そんな中で、不埒に動物たちを扱うことになれば、10年先、15年先までもその怪しげな飼い方は継続して、改善されることなど無いように思えてならない。

どうやっても、人の考え方次第になる動物たちとの共生の条件・・・今まさに新しい家族を探すのと同時に、共生の条件を厳しく規定しなければ、ますます、愛誤がはびこる事態を招くことになるのではないか?と一抹の不安を覚えるのです。

犬を飼うなら、飼うためのルールはしっかりと勉強するべきです。フィラリアの予防をしてあげるとか、狂犬病のワクチン接種をしてあげるとか・・・いろいろ勉強していかなければならない事はたくさんあります。

愛誤は・・・もとの家族を見つけることよりも、一時預かりの家族を見つけることに必至になっています。犬を処分する方法を必至になって見つける前に・・・大切なことを情報発信するべきです。

愛誤犬屋のブログにはこんな事が記事になっています。ハスキーのMIXが子供を産んだ。一時預かりの家庭で出産をしているそうですが、出産を控えているような子を一時預かりの家庭に送り出すことは、本当に良かったことなんでしょうか?

出産に立ち会ったことがない、家庭に預けるようなことがあっては、本当はいけないことだったのではないですか??獣医師のメディカルチェックがあって、一時預かりの家庭へ送り出したのに、一時預かりの家庭で出産ですからね・・・。獣医師の腕前も疑われます。

犬を飼うという事・・・飼い主となるために、マインドも変わっていかなければならないのですよ。ただただ、可哀想だから・・・可愛いから・・・目があったから・・・などと言う理由だけでは、家族の一員として迎え入れることはできません。

愛誤から、犬を助け出すことも必要かもしれません、でも愛誤を助けることになる可能性が非常に高いのです。愛誤の考え方に毒されれば、今後10年から先まで、愛誤は安泰という事になってしまいます。そうならないように何か方法を考えなければいけませんね。愛誤の毒に侵されれば・・・その先の10年以上の先までお先真っ暗。怪しい経済活動は、根絶させないとどうしようもありません。

九州生まれの政治家がどうだとか・・・血液型がB型だからどうだとか・・・なんだか理屈の通らない言い訳に徹している大臣と愛誤そのものは大変似ているように思うのは私だけなんでしょうかね?

愛誤の言い訳は常に・・・理屈が通っていません。理屈が通っていると言うなら・・・証拠の提示が必要ですよ。世の中すべて・・・証拠。証拠が無いのはインチキの烙印が押されたも同然。

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2011年7月 2日 (土)

生きていていいのだよと言う言葉が本当に適切なのか?

よく目にする愛誤たちのブログには、”生きていていいんだよ”と、いい加減な表現でお涙を誘うことが綴られている。

本当にそう思っているのだろうか?本当のところは、”生きていてもらわないと駄目なんだよ”じゃないかなぁと私は思えて仕方がないのです。ありとあらゆる方面へ情報を発信して、ペットが飼い主と離れてしまった状況を解消しなければと思うなら、もっと強いメッセージでなければならないと思うのは私だけでしょうか?

”生きていなければならないんだよ”という表現を使わなければならなかったのではないかと・・・私はそう思います。ただ、この言葉を使ってしまうと、死んでしまった命はどうなる?とか大きな誤解を招くことが必至なので簡単には使えなかったというのも理由の一部かもしれません。

それでも被災地で生きている動物たちは、家族と離れてしまってそんな状況下でも生きていかなければならないのです。

”生きていていいのだよ”と言う言葉はなんとも当たりが柔らかくて、支援を受け易い、または、支援をしたくなるそんな言葉です。これを巧みに利用した愛誤は絶対に許せません。

今は・・・”生きていていいのだよ”と言う言葉が独り歩きして、その管理を誰もがしていない・・・握りしめていたものを一気に開放して、手から放した状態にあることを理解して欲しいのです。

サンクチュアリ獣医師は、自身のブログでこうも記しています。

http://blogs.yahoo.co.jp/shinjo_ah/62680735.html ボランティアってのはね。

の中で彼はこう言っています。

ボランティアってのはね。何かいことしようとするのではないんですよ。自発的に行動するのがボランティア。自分のためではなくて、誰かのためにするんです。自分の感情で動くのではなく、誰かを思ってするものです。一人一人の判断も時には重要かもしれないが、冷静であることがボランティアの条件かもしれませんね。感情的な熱い魂は、胸のうちだけでいいのかもしれません。そういう熱い心は、自然とにじみ出ると思います。

なんだかブレブレのような気がしませんか?この獣医師は、自分の名声のためにサンクチュアリファーム構想を打ち立てて、世間一般の飼い主を巻き込んで応援させたのではないですか?果たして、その煽った結果が見えない今、彼は当時の判断が正しきものであったと自信をもって言えるのでしょうか?

感情と熱い魂は胸のうちだけでいいのかもしれませんとも言っています。結果ありきで、結果が出てから公表したところで良かったのではないでしょうか?

自然ににじみ出る前に、結果煽ってしまいましたよね? こう言うことはブレブレじゃないのでしょうか? 私はそう思えてなりませぬ。

愛誤のクレクレ争奪祭り・・・熱狂中。

愛誤犬屋は、民主党の動物議員連盟の会合へ引っ張り出されては、なんだか理屈の通らない自論を展開したのですか?連盟の会合へ出席させた、国会議員のブログにもなんだか意味の分からない抽象的な記事が載せられています。有識者へ鋭い質問を矢継ぎ早にあびせました・・・。鋭い質問ってどんな質問ですか?矢継ぎ早に浴びせてなにか良いことはありますか?じっくりと議論するべきところを省略して、矢継ぎ早とはいかなるものか?

愛誤を擁護する国会議員に黒い癒着の痕跡が見え隠れしているような、していないような?合法ですか?非合法ですか?愛誤に芳しい鼻薬でも嗅がされたのでしょうか?前回も中途半端、今回も中途半端・・・中途半端議員だから、鼻薬の痕跡隠しもどこか中途半端ですか?

黙々と違法尽くしで作業を進める、ペテン師率いる愛誤の新しい(平/たいら)シェルターも・・・何から何まで違法尽くしではないですか?、ユニックから車両コンテナを下ろすその作業に、玉掛技能士はいないようです。吊荷の上に人が乗っていたり、吊荷が傾いていたり・・・玉掛技能士がいないと言うのは、火を見るより明らかです。

こんなことを黙々とやり続ける愛誤、とその熱狂的信者。獣医師、弁護士、国会議員を巻き込んでのクレクレ祭り、端から見ていると大盛況でこの上ないという状況ですね!!!

でも、こんな祭りをいつまでも継続させることは許されない。今許されているのは、”生きていていいのだよ”と言う魔法の言葉に騙されている熱狂的な信者が数多くいるからです。それを許さない、極々一般的で正しい動物との共生を模索している飼い主であれば、とうに・・・まやかしの言葉だと理解できているのです。

愛誤にとっては・・・この極々一般的な飼い主が声高に間違いだと言うのが、怖いのでしょう。だから、国会議員や弁護士などとにわかに協調してしまうのでしょうね・・・。

”生きていていいのだよ”と言う前に、”生きていなければいけないのだよ”と言える活動ありきでしたね。カネに目が眩んで愛護ビジネスに突っ走った報いはどこかのタイミングで清算しなければならないのです。

新たなマジックワード ”生きていていいのだよ”ではなくて”生きていなければならないのだよ”として欲しいものです。

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2011年7月 1日 (金)

犬を扱う素養がない・・・それでも愛護活動と言われる

こんな人たちにでも愛護活動推進派と言われるのはどこに理由があるのだろうか?

サンクチュアリファーム構想という名前ばっかりで、その中身がはっきりしない阿保らしい構想を提唱していている、何とかっていう獣医師とそれを支持する熱狂的なキチガイ信者。サンクチュアリファームとは英語で理解すれば、聖域的な牧場とでも翻訳をすればいいのだろうか?考え方としては、問題になっている20KM圏内の家畜を一箇所にまとめるという構想なんだろう。最近は、この構想が声高に言われることが聞えなくなってきている。当初は、ドイツだどこの学者だと・・・その相手をしている獣医師の話が良く聞えてきたのだが、趣旨がはっきりしていないがために、なんだか尻切れトンボになっている。ドイツの犬猫たちのためのティアハイムのシステムをサンクチュアリファームに応用したかったらしいが・・・そんなのは、日本人に、ドイツの税の仕組みが理解できていないのにハイムの仕組みをあてがうのはそもそも無理があった。この獣医師は、ドイツの税の仕組みでどのように愛護活動がまかなわれているのか?理解ができていなかったのだろう。本業を疎かにしていては、何も始まらないし、成就しないというのがはっきりと証明された。

どさくさに紛れて、動物愛護法改正の署名活動を展開する、胡散臭い弁護士の活動も鼻につく。福島を代表選手とする岩手、宮城で被災したペットたちの取り扱いについて何だかんだと横から口を出す”ペットなんとか塾”ペットのためにある法律は日本には一つも存在していません。なにせ、法律は飼い主のための法律でありますから・・・この弁護士の活動は中途半端でどこに焦点が合っているのかわからない。20KM圏内で活動が出来るようにと嘆願書を一部の愛護団体と連携して作成したようだがその後はどうなったのか?その結果が報告されていない。ペットのための法律塾など言う看板を掲げるのであれば、状況の回復が見込めない飼い主のために、方法を探ってはその解決策を見つけることに焦点が合っていなければならないのではないのか?どさくさに紛れて、今年の愛護法改正で自身のライフワークとも言うべき掲げている改正ポイントを盛り込んでもらおうと、自身の人気UPを震災プレミアに依存しているのが目に見える。

こんなことをしていても・・・結局は多数の支援者がとりまきとなれば・・・大義名分も整った、この活動は正しいと日本の愛護では評価されてしまう。こんな連中は、動物たちを扱う資格はあったとしても、素養はまったく無いと私は考えるのです。この連中も間違いなく愛誤に加担する熱狂的信者かもしれません。もしかしたら、愛誤そのものかもしれません。

気にかかることは、愛誤そのものの活動が停滞気味になっていることです。ペテン師率いる愛誤は、福島県に新しい拠点を設けたとある。彼らのブログを見てみると何ともおぞましい場所に犬たち猫たちを移動させているみたいです。地図で場所を確認しましたが、海岸からの距離はどのくらいあるのでしょうかね?大体直線距離で500M弱ですね。海岸段丘で標高はある程度高くなっているのでしょうけど・・・防波堤もなくなってしまって無防備な場所へシェルターを建設するなんていうことは・・・この団体の暴挙であって、それ以外理由はどこにもないと思います。新しいペテン師の被害者が存在してしまったのではないか?と私は疑ってしまいます。川の近くですし・・・。海岸の近くに住む人がこの土地を提供するでしょうか?まして、命を扱うというその理由に賛同できるでしょうか?私は、この地権者は許可しなかったと思いますよ。今後の地震(余震)が想定されている中で、施設を護る術が無いのに・・・標高の高い場所を選びなさいとアドバイスをしたのではないか?と容易に想像できます。ペテン師率いるその団体は、ブログでは、土地のオーナーが快く貸してくれた(快諾)と言うがその裏側には、脅しとも言うべき闇に隠さなければならない何かがあったのかも知れません。海岸に住む人たちは、地震=津波を頭に常においています。山の中から出てきたペテン師たちにその理屈は理解できるかなぁ?

相変わらず・・・人手が足りないといい続ける、犬屋が営む愛誤はどうかと言うと、こいつらの理屈だって筋の通るものになってない。人手が足りないから助けに来てくれとは、どの面さげて言わなければならない?もう自身のキャパシティーは超過しましたと表明しているだけで・・・今後の救援活動なんてものは幅を広げることは出来ないはずです。常識的に考えればね。それでも・・・まだまだ救援しなければならないという理由はどこにも無いはずです。だって・・・レスキューが本業ではないでしょ?今のあたなたたちがやらなければいけないことは・・・ブリーディングじゃないの?犬たちの世話はどうなっている?レスキューで集めてきた犬たちがプレミアでカネになるからそのプレミア犬をいじっているほうがよろしい?

自分たちの本業を疎かにしているキチガイに、被災した飼い主と動物たちのケアをする資格と素養はどこにも認められません・・・。クレクレの温床になっているとしかいい様がありませんな。しこたま集めた支援金で、人を雇ったらいかがですか?クレクレじゃなくて、支援金で不足物資を購入したらどうですか?何か考え方が間違っている。カネは、物資でまかなえないものに自由な形に変わる支援だという理解はどこにも無いのだろうか?

愛誤を代表する巨塔にはそれぞれ・・・どこか理屈に筋を通せないところをそれぞれに持っているようですが、この問題を解決できないと今後もいろいろな問題が噴出して、愛誤崩壊の道を辿ることになるでしょう・・・。もう飼い主たちはだまされないぞ!愛誤には独特の腐ったにおいがするものです。あなたたち団体からも腐ったにおいがしています。

支援が先細りしてきて・・・もはや”チョロチョロ”ではないのですか?だから、焦っては、支援してください!とお願いモードになっているのですね。哀れな姿です。紫式部はどうにもならない心の様子をこのように和歌に詠んでいます。

入る方は さやかなりける 月影を うはの空にも 待ちしよひかな

沈んでいく方角ははっきりしている月を上の空で心落ち着かずに待っていた宵でしたという意味なのですが・・・なんとなく言わんとしている事はお分かりですよね。

人の財布を期待してみたり、自分のライフワーク成就のために人心を掴もうとああでもないこうでもないと煽ってみたりすることは、例え動物たちを扱う資格を持っていたとしてもその資格は無効であって、無効とされるその理由は素養を持ち合わせていないといういわゆる倫理的な部分で評価されることが必要だと思われる。

倫理で今まで論議されてきた愛護だから、決着は倫理でつけようか?といわれたら当然受けて立つだろうな?

倫理観と言うのは・・・結局は諸刃の剣だったと言うことです。

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2011年6月29日 (水)

現代に蘇った恐怖政治

恐怖政治という言葉をご存知?

恐怖政治とは、古代ローマ時代にはあったと歴史書には記されている。ティベリウス帝は元老院との仲が悪かったために、恐怖政治を行ったとある。さて・・・恐怖政治の中身とはいかに?

密告によって都合の悪い連中を処刑にする政治の形態を殆どの場合は、恐怖政治という。世界史の中で、日本人に一番知られている恐怖政治といえば、清王朝の西太后の恐怖政治だろう。詳しくは、映画”西太后”を見てもらえば・・・イメージが掴みやすいと思う。

日本に蘇った恐怖政治とははてな?・・・民主党のゴタゴタ劇は、ある意味恐怖政治なのだが、そこには脅しはなかなか見えてこない。あるブログを読んでいると、ペテン師愛誤がかつて、捏造したとされるブリーダー崩壊に伴うレスキューの一部始終が記載された資料を見てみたのだが・・・ペテン師愛誤の代表とその妻のやり方というのは、恐怖政治そのものであるとピィ~ンときたのです。最初から最後まですべてが脅迫ですwww

自分がマスコミを止めているとか、自分がマスコミを連れてくれば、すぐにでもお前を潰せるとか・・・その脅迫染みた発言にはなるほど、是が愛誤のやり口なのか?と妙に納得してしまうのです。どこかのオババもなんだかそんなことを言っていたなぁと思い出してしまうのです。お前のことは簡単に潰せる・・・どこかで聞いた言葉だと思ったのです。愛護を支援したばっかりに、本質を見失った残念な結果しか出せないそんなオババwww

そして、自分たちは愛護団体だと自己申告するただの犬屋がこんな事を言っているようです。団体の方針にいろいろと意見することは、団体に対する非難だと受け止めるなどと・・・手伝いでシェルターを訪れる人たちに、一定の恐怖心を与えているようです。私が、確認した情報では、この団体に意見した人たちは、完膚なきまでに叩きのめされ、これでもかと言うほどの、嫌がらせを受けているそうです。その嫌がらせは、ずっと継続しているそうです。私もそのうち、嫌がらせを受けるのでは?と心配をしてくれる人もいますが・・・実行動に出られたときはそれなりの処置をきっちりとさせてもらいます。私は、ヤクザではないので、指を落とせとは言いません。

こんな恐怖心を植えつけるようなことをしてまで、どうして・・・本当の愛護だと言えるのでしょうかね?是は体裁の良い脅しであって、口封じと言わなければならないでしょう。連中のブログには、今日もシェルターでの手伝いを求める記事が掲載されていますが・・・そんなに人手が足りないならば、自分たちのレスキューキャパを超えていると認識してもらって、これ以上の負荷の大きなレスキューはしないという方針を一日でも早く打ち立てて欲しいと思うのは私だけでしょうか?

ここで、レスキューを中止したら、今まで大風呂敷を広げていたことが、嘘になるから無理をしてでも・・・継続しなければならないのでしょうか?それとも、目標としている支援金が集まっていないから?

これ以上のレスキューは、人手も多くかかり、その人手の口を封じるのにも大変な労力が必要とされます。この団体たちは、口封じに今後どのような方法を考えるのでしょうか・・・。今から楽しみで仕方がありません。

人の口に戸板は立てられないといいますが・・・戸板を立てるのには、新規でシェルターも建設しているようですから、シェルター建設の大工に頼んで、釘で人の口に戸板を打ちつけるのでしょうか?今後も、馬鹿げた方法で口封じと、クレクレで物資、支援金を際限なく集める気満々でしょうか・・・?

恐怖政治が永遠と継続するなんてことはありません、何時かは崩壊するものです。宇宙戦艦ヤマトではないのですが・・・”愛誤崩壊まであと○○日”って誰かがカウントダウンでもしてくれないだろうか?と期待しているのですwww

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2011年6月28日 (火)

魔法の言葉 ”犬猫の命も人と同じ命”

どんな連中にも通用する魔法の言葉というのはあるのです。

今流行の魔法の言葉と言えば、”犬も猫も生きているその命は人の命と同じ”・・・。

この言葉を耳にして、いてもたってもいられなくなるのは至極普通の感性だと思う。それには間違いは無い。ただ・・・魔法の言葉を使って人心を惑わす不埒な愛誤というのが問題になるのです。

命の重みは人と同じと言うのに、その命を人と同じように扱うことが出来ない、カネの亡者。もっと醜い言葉であらわすなら、守銭奴とも言えばいいのだろうか?

問題視されなければならないその愛誤は、震災プレミアという冠を、保護したという犬たち猫たちに与えその冠を使っては、カネと物資を集め、それを死守したいが故に犬たち猫たちの命を粗末に扱っているのです。

私は、愛誤の現場を直接見たいとも思いません、そして今後も愛誤の近くに身を寄せるつもりもありません。ただ、既に愛誤の近くに身を寄せてしまった人たちがいるのは事実です。

愛護という文字通りの愛を護ろうとしたその心優しい人たちも、恐ろしいことに愛誤は愛護を愛誤に変えてしまったのです。

何故にそう言えるのか?疑問でしょう・・・愛誤は常々ボランティアが不足していると人的資源の支援を訴えているのがその疑問を晴らしてくれます。

一度でも愛護を推進したくて、愛誤と分からずに支援してしまった人たちは、殆どが一度の支援でその場から身を引くでしょう。だから、ボランティアが慢性的に不足しているのです。容易に想像がつきます。

しかし・・・継続的に支援をしてしまう人たちもいるのが事実です。ただ・・・この継続組は何故に支援をしてしまうのか?本当に心根が優しい人たちだからなのだと私は思えてならないのです。間違った方法だと理解していながら、支援を止めると保護されている犬猫たちの命の重みをぞんざいに扱ってしまうのだと罪の意識に囚われてしまうのでしょう。だから・・・なし崩し的に継続支援をしてしまうのです。

愛誤が使う魔法の言葉は、人間の弱みを見つけ巧みにその支援を継続させるのです。

あなたの耳に魔法の言葉(愛誤の魔の囁き)が決して届きませぬように・・・。

愛護は清く正しいその形を変容させることはありません・・・しかし、愛誤はその時々に都合よく変容してしまうのが特徴です。愛誤、その時々の理屈を見てください。”命がそこにあるから”、”まだ生きているから”と言ってみたり、”原発を止めろ!”と言ってみたり、その時々で都合の良い相手をみつけては、執拗に叩いているのではないでしょうか?

こんな愛誤は決して正直だとは言えないでしょう・・・私は、福島県の県民と離れ離れになってしまった犬たち猫たちを一日でも早くマッチングさせてあげたいと考えます。そして、囚われの身(愛誤の保護)になっている犬たち猫たちの福島への帰還に出来る限りの支援として、愛誤の現場の惨状を拾い集め、愛誤の呪縛から逃げられない人たちを救いながらも、動物たちの命を大切に扱ってくれる保護施設へ誘導していく考え方に”ブレ”を来すことはないでしょう。

正直の頭(こうべ)に神宿る・・・正しき行いをする人には何時か神様の助けがある。神様は正直な人を守護し給うと言うことを現しています。正直な人とは、愛誤ではなく、今や福島で多くの生き別れになっている動物(ペット)とその飼い主を結び付けようと頑張っている福島県の動物救護本部のシェルターであると私は考えます。もちろん・・・福島以外の被災地についても同様のの考え方を持っています。

朝早くから、夜遅くまで、外での仕事、机の仕事を処理している県職員の苦悩を思えばこそ正しき道が見えるのだと言う事を考えてみてください。心に響く魔法の言葉でもなんでもありません・・・人として大切な感性です。

愛誤は決して正直ではありません・・・。

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2011年6月27日 (月)

過去記事へのアクセスが急増・・・そこで明かされた真実であろうと思われる事

過去記事になってしまったが、わが家のブログの中に、福島県庁へ講義しろと騒ぎたてる愛誤に騙されるなと言う内容の記事をUPしていたのだが、そこへいろいろと興味深く検証をしなければならないような内容のコメントが寄せられている。

事を荒立てるつもりはないが、問題視しなければならない団体は襟を正してもらう必要があるとも考えるし、それを支援する熱狂的な信者についても、自身の支援が本当に必要だったのか?と考えてもらいたいと思う。

あるボランティアの体験者はこう言っています・・・。

犬屋は自身のブログにメディカルチェックが入っていると記載したり、保護してきた犬を1週間隔離しているというが、その実績は無いと言っています。

保護してきた犬をシャンプーして除染していると言っているが、そんな事はしていないようだ。個体の管理をしていないから、死んでしまった子たちもいるようだと、シェルターの様子を事細かに見てきた人の話が寄せられています。

犬屋のシェルターであったり、本部での活動が本物なのか?どうかははっきりと証明することは難しいでしょう。しかし、断片的にでもこの状況に近いのではないか?と思わせるような事実を一時預かりの家族からの近況報告がされています。まさか・・・団体が信頼して預けた一時預かりの家族にまで、責任を転嫁するような事はしないでしょうね?

メディカルチェックについては、取材の内容とブログの記事の内容に辻褄があっていません。6月27日の記事にも獣医師ボランティアの募集の記載があります。獣医師はどれだけの頭を必要としているのでしょうね?うわさのVTRには獣医師が常駐していると放送されていましたが?メディカルチェックなるものもいい加減ですね。すでに獣医師が常駐しているのであれば、それほど人数を増やさなくとも問題は無いのではないですか?この掲載そのものに大きな疑問を感じます。現在の常駐獣医師は何名で、今後何名増員するのかその計画を示して欲しいですね。

1週間隔離しているのは、どのような理由から1週間の隔離なのでしょうか?狂犬病を危惧しているのであれば、最低限2週間は経過観察しますよね?1週間のチェックとはどの様な感染症を疑うためなんでしょうかね?隔離しているそのシェルターとしてのスペースは用意されていますか?そんな記載は見えませんねぇ。まずは、1週間隔離のその理由の提示が必要ではないでしょうか?

また、シャンプーの実績は無いと言われています。100も200もの犬たちをシャンプーさせるような施設がないとその行為そのものが不可能に見えますよね。犬たちをシャンプーさせると、換毛期であれば驚くほどの毛が抜けます。そして排水溝への排水に支障を来すでしょう。ブログでの写真を拝見しましたが、あの外へ架設で設置したような業務用の流し台ではほとんどの犬たちがシャンプーされたとはちょっと考えにくいですね。

すべての事象にNOを突きつけるつもりはありませんが、あまりにも情報の公開が不足しています。情報発信不足がもたらしたNOだと思って欲しいものです。

個体の管理が出来ていないから、保護している途中で死なせてしまったものもあると言われていますが、団体のブログには、死んだ個体があるという事は掲載されていませんね。その子の死は本当に存在したものでしょうか?実際に現場でお手伝いしたボランティアが聞いた話なんだそうです。私も伝聞ですから、この内容について正しいものだとは諸手を上げてYesとは言えません。しかし、団体は、保護した総数を発表していませんし、トレーサビレティーの考え方もなっていません。保護した犬のリストは一応は公開されていますが、その後追加は無いのか?掲載内容に変更があった場合に、変更の日時、変更前記載と変更後記載の照合が出来ないようにしながら管理しているので、これでは、個体管理がずさんで死なせた個体もあるといわれても仕方ありませんね。

ボランティアとしてシェルターでの手伝い要員を確保しないままに、”命を助ける”という名目でどんどん保護?してくるそうですね。体制が整っていないのに、連れ帰るというのは、キチガイそのものではないですか?受け入れの態勢が整っていないから、散歩に連れ出すと言っても、10分も外にだしてもらえない、いわゆる囚われの身という状況になるのではないですか?

内部を手伝いながら観察した人の話ですから、おおよそ正しいのだと私は思っています。何故に、そこまでして、震災プレミアを製造したがるのですか?こう言うのを"premier mills"というのではないでしょうか?

そして、団体の不具合について色々と口にすると圧力がかかるとも言っておりましたよ・・・。

私が何も知らないとでも思っているのでしょう、私はこの団体がいかがわしい考え方で愛誤ビジネスに取り組んでいる事を知っています。ただ、それはその情報をもたらしてくれた家族を不必要な圧力から守るために、すべてを公表しないだけです。

あなたたちがやっているのは、愛護じゃなくて、愛誤であり、単純に私腹を肥やすためのきっかけが今回の大震災になっただけです。ブリーダーとしての収入だってさほどの収入は見込めません、そして、血統登録手数料だって、食っていけるような手数料収入にはなっていないはずです。

だから・・・愛誤ビジネスに起死回生の秘策を捻り出しただけでしょ?愛誤のビジネスモデルは、先行しているペテン師の団体をモデルにしただけだから、同じようなところでつまずくのが私には見えます。

私は、今後もこんなクソ団体の愛誤ビジネスの存在を絶対に許さないし、追求の手を緩めるつもりもありません。

ここ数日の、クソ質の悪いパフォーマンスを見ていてどうしても許せなくなっているのです。私が伝家の宝刀を抜かないのは、情報を提供してくれた、あなたたちの家族を守らなければならないという”約束”も守らなければならないからです。私のはらわたが煮えくり返るのを容易に想像できると思っています。

でも今回のこの記事は・・・私の堪忍袋の紐が少しだけ切れていると思ってください。

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2011年6月26日 (日)

動物救援物資の支援を要請する理屈と輸送支援する理屈のギャップ

ここ数日前に、福島県の動物救援本部が運営するシェルターで、犬猫の飼育保管ケージの床に敷く古新聞が大量に不足しているのが判明した。

問題なのは、大量に不足しているという如何にもアバウトな数量なのです。どの程度の数量が不足しているのかまったく明確になっていない。緊急を要しているがゆえに、シェルターの犬猫を世話しているボランティアが窮状を自身のTwitterアカウントで訴えるものがあったり、福島県救援本部のWEBには、古新聞、猫砂の支援が欲しいという訴えが出てきているが、内容はどちらも不明瞭。

わが家の飼い主も自身のTwitterアカウントからシェルターの窮状を把握はしていたが、その数量が明確ではない事に・・・頭を悩めたのだが、経験からその不足数量を割り出してみた。

犬1頭にどれだけの新聞紙を必要としているのか?と考えてみた時に、およそ1日分の新聞紙が必要であろうと推測した。シェルターにいる犬猫は100頭以上と聞いているが故に、1日に100日分の新聞は消費してしまうのだろうと単純に割り出した。

ここからは計算式に当てはめて必要数量を検討すると・・・。新聞紙1日分の重量はおよそ160gと想定して100頭分=16KGSの新聞紙が1日で消費される。

何日分を当面の物資として送り込むのか?と考えたときに1-2か月分のを送り込んでその物資を倉庫保管する必要性があると考えた。総重量は、16KGS*60日=960KGSおよそ1トンと言うことになる。この重量を一気に輸送されたら、福島県は、十分な倉庫管理(物資管理)ができるのだろうか?そう考えてみた・・・。

まずは、支援物資がどの位必要としているのか?福島県に確かめる必要性がある。福島県に問い合わせを行った結果・・・なんともお粗末な見解だった。ダンボール箱30箱くらいでしょうか?というざっくりとした見解だった・・・。

無理も無い、県庁の職員といえども、全知全能ではないが故に、物流の知識はほとんど持っていない様子。わが家の飼い主は、前述の計算式を元に割り出した数値を提示したときに、はい?トンですか?という反応。いかに、自分たちがざっくりとしたどんぶり勘定で支援物資を要請していたのかはっきりとわかったようだ。

福島県は、早速・・・物資の必要数量の割り出しと、その物資の保管方法について担当部局で検討をすると言っていた。その検討には、物流のオーソリティーが絡むわけも無く、無意味に検討がされて、必要な場所に必要な物資が滞りなく供給される保障は無い。

福島県は・・・わが家の飼い主に、必要なアドバイスを求めるとは言っているが・・・果たして連絡は来るのだろうか?

物流コストの算定には、必要以上の輸送費は計上できない・・・できるだけ安く、できるだけ効率よくと言うのが鉄則なのだ。今の方式、宅急便を使った方法で支援を受けていると、1個口の新聞紙の輸送費は80円/KGSとなって、貨物対価に対して馬鹿みたいに高い輸送費を課せられるという不具合が生じてくるのです。

物資を要求する側、物資を輸送する側の双方のコンセンサスが取れたものが本当の支援というものだろう。愛護も同じで、問題視される愛誤は、団体と、飼い主との間で十分なコンセンサスが取れていないケースが事態の悪化を呼ぶその要因になっているに違いないだろう。何事もコンセンサスが大事ですね。

それにしても・・・専門知識が無いもの、思惑とまったく違う世界の思惑のギャップの大きさにびっくりさせられたそんな・・・支援すると支援される側のとんでもない話でした。

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また震災プレミアを強調する愛誤・・・メディアを使った方法で藁をも掴む?

何故に震災プレミアが今必要なのだろうか?その理由は愛誤にしかわからないのだろう。数字欲しさに真贋の見極めができなくなっているメディアの分析能力についても嘆かわしいのだが、愛誤を熱狂的支援するキチガイにもここは警鐘を発せなければならないのか?

被災地は、犬猫の救出から、保護された犬猫の新しい家族探しにシフトしてきている。実際には、愛誤が言うような大規模な救出劇は存在していないのだ。愛誤は地味な活動になると、極端に求心力が低下して熱狂的な信者を集めにくくなるのだ。だから今、”震災プレミアをもう一度”という世界になっているのだろうと思う。

いよいよ辻褄が合わなくなってきているのは、特定犬種登録団体。なぜかメディアの取材したVTRの中ではいつの間にか神奈川県の”動物愛護団体”となっていた。そのVTRを見たとき思わず、プッと噴出してしまった。単なる犬屋じゃねーか?と思ったのは私だけなんだろうか?いつから愛護団体になったんだろうか?こんな茶番を編成するメディアの信頼性も地に落ちたと考えてしまうのです。

そのVTRは、ペットと離れ離れに暮らさなければならなくしたその理由は、原子力発電所のトラブルだと言うのです。ここにも、原子力発電所のトラブルでの一時避難においての疑惑発言があった。原子力発電所の事故で一時避難をする時に、ペットを連れての避難はできないと指示があったとされているが、実際にそのような指示を提示されたその経緯はないのです。一緒に連れて行かなかったのは、飼い主にその判断がゆだねられていたはずです。結果として飼い主の責任を問われないように、どこか相手を不透明にしながらその責任を押し付けたように感じられます。そして・・・最後には、1-2日で戻ってこれると思っていたのに・・・と言うのですから、飼い主の理屈も通っていません。原子力発電所が爆発したとか当時流言があった時に、爆発したと思うなら、どれだけ知識の無い人たちでもそそくさと逃げることを考えたはずです。日本人というのは、世界で核の脅威を3回も経験した世界には類の無い民族ですから、核=影響の無いところに避難するというのを頭に描いたはずです。広島長崎の原爆症と言われるその放射線の影響を今でも耳にしているのに・・・1-2日で戻れると思っていたという言葉に真実味は無い。

また・・・こんな気違い染みた事をブログの記事としているのもある・・・。どでかい、違法建築物群を乱立させているキチガイ愛誤なんかは、ペットを行政が住民の依頼で保護した場合の預かりの期間は1ヶ月だと言っているが・・・そんな行政団体はどこにも無い。どこの団体なのか詳細をはっきりとさせて欲しい。行政というものは、右倣えで内容は似たり寄ったりもしくは、同一になってしまう。こんな特性を持っているのに・・・なに?1ヶ月しか保護してくれないと言うってか?それはどうかなぁ・・・。話題になったのは、震災発生直後に仙台市動物管理センターは、震災で保護された動物たちには、殺処分はしないと方針を打ち出したのが被災動物たちへの処置の雛形となったはず。それを無視してわずか1ヶ月しか保護しないというのは、信憑性に欠ける。

国や自治体のやる気度問題視しているが・・・これも数字的に根拠が無いものだと考えられるがどうだろうか?ご自分たちが、正当な愛護活動団体だと主張するために、こんなクソみたいな戯言まで掲載している。自分たちの活動が評価されたのか?海外からの支援、声援が届いているそうだ。

某チャリティー機関からの推薦を受けたとあるがどこのチャリティーなのか?何の推薦なのか?

海外マスコミにも報道されたとあるがどこの放送局?共同配信で都合よく使われただけじゃないのか?

海外在住邦人たちが支援組織を作って応援してくれているとあるが、海外在住邦人は基本的に、その国の愛護団体を通じて日本を支援するものです。海外からの支援(物資輸送、支援金の送金には予想以上の手数料が発生して、支援物資、支援金よりも手数料が高くつく場合があるので、日本の特定団体を直接支援することはほとんど無いと思いますよ)

と・・・それぞれの愛誤は、溺れるものは藁をも掴むという状況を必死になって回避しようとしているが、そんな愛誤にはこんな言葉がお似合いです。

平家物語の冒頭の祇園精舎からです。

祇園精舎の鐘(カネ)の聲、諸行無常の響きあり。娑羅(しゃら)雙樹(そうじゅ)の花の色。盛者(愛誤)必衰のことはりをあらはす。おごれるひとも久しからず、只春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。・・・中略・・・

是等(これら)は、皆舊主先皇(きゅうしゅせんこう)の政にもしたがはず、楽しみをきはめ、諌め(いさめ)をもおもひいれず、天下のみだれむ事をさとらずして、民間の愁(うれふ)る所をしらざしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。

というのが・・・とてもお似合いです。カネに目がくらんだその活動は、何の意味も持たないのです。犬屋から愛護団体に華々しく転身したあの団体、広島の夢を再びのあの団体。どいつをとってみても胡散臭さ満載だなwww

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2011年6月25日 (土)

6月23日はアンパン子さんの3回目の誕生でした

この頃ちょっと、アンパン子さんの様子がおかしいかなぁ?って思っていました。身体の調子が悪いというのではなくて、ちょっとずつ聞き分けが良くなってきているのです。ラブラドール5年も経過してやっと落ち着いてくる子が普通だと言われるような、やんちゃな犬種。まだまだあと3年、あと何年・・・といい続けてきたのに、最近はあまり、あと何年・・・と言わなくなったのです。

6月23日 アンパン子さんの3回目の誕生日でした。普段と変わらない生活でしたし、特別お祝いすることもありませんでした。彼女にとっては、特別にしてもらわなくても、飼い主が忘れていないことも知っているから変に要求することだってありません。何気なく、その日を迎えてしまったのですが、アンパン子さんには特別なプレゼントというものは無くても、彼女は、飼い主にとっても素敵なプレゼントを残してくれました。これじゃ・・・逆じゃないか?って犬に言われそうですけど!!

彼女が残したプレゼントとは、このくそ暑いほとんど熱帯夜のようなさなかに、顔の近くに来ては、はぁはぁと熱い息を耳に吹きかけてくれることと、お散歩に出かけても、以前より周りに気が散らなくなって、飼い主の方へ意識が集中していることです。アンパン子さんは、飼い主のわがままで、訓練をまったくしていません。”犬は絶対に訓練士のところへ預けっぱなしにして訓練させることは絶対にならん”と言い張って、今まで3年間、すったもんだのどたばた劇を演じてきたが、これからは、ちょっとずつ違う、成長していくアンパン子さんの姿が見れそうです。

こんなささやかな彼女からのプレゼントですけど、大事に大事にしていきたいと思っています。何を思ったのか・・・毎夜毎夜・・・はぁはぁはちょっとサービス過剰のような気がします。なにせ、コンパニオンが2頭ですからね・・・非常に夢見が良いのです。でも犬の夢しか見ないけどねwww

動物を家族として迎え入れている皆さんには、こんな風にしてその動物と接して欲しいですね・・・いつまでも変わらぬ愛を / 織田哲郎


YouTube: いつまでも変わらぬ愛を-織田哲郎

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2011年6月24日 (金)

愛誤を止めて・・・愛は止まらない/ Nothing is going to stop us now

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愛誤の世界・・・なかなか止まりません。でも、現実問題 愛を止めちゃ駄目です。愛を止めないで。昔むかしの話で大変申し訳ないのですが、マネキンという映画がございました。その映画を見ては、毎回涙する、愛・愛・愛のそんなラブコメディーです。

この映画を極端に盛り上げるその挿入曲というのが、StarshipのNothing's gonna stop us now♪という曲です。日本人はよくもまぁ変な和訳をするもんです。この英文は、何者も私たちを止めることはないでしょう・・・という意味なのですが、”愛は止まらない”良くできた意訳です。

この曲を聴いていると映画のマネキンに命が宿って人になるその場面が、無償の愛で大切に守られていた動物たちのことが何故か重なるのです。

そして、邦題になっている愛は止まらないとシンクロする、愛誤を止めろ!愛は止めるな!と心の中で思いが募るのです。

今、震災発生から100日を経過して、愛誤にも何か動きが見られるようになってきているところで、わが家の飼い主は、前述の愛誤を止めろ!と何故か強く思うのです。今日はじめてわかったのですが、所謂いわき市のヒルズでは、またもやペテン師の蛮行に苦慮しているとの状況が見てきました。ヒルズのお嬢さんのブログ拝見しましたが・・・ペテン師の蛮行が日を経過する毎に激化しているとのこと。今度は、ヒルズのオーナーが本当にペテン師と決別することを願うばかりです。お嬢さんが大変心配しておりました。彼女のブログからはその内容を読み取ることができましたし・・・。

ペテン師、どういう訳か・・・”シェルター”建設については、法を守らずに届けを提出せずに建築してその施設の運用を始めているとの情報もあります。まぁ・・・愛誤には法令順守という観念はまったく無いのでしょうか?コンプライアンスという言葉だけが何故かむなしく響きます。無知蒙昧にもほどがあるってもんです。プレハブ会社も愛誤に加担したのでしょうか?違法建築はとっとと撤去されなければなりません。

愛誤が止まらないではいけないのです。愛を止めたら駄目!愛誤は止めろ!

ということで・・・愛誤を止めろ! じゃなくてStarshipの愛は止まらない♪


YouTube: 愛はとまらない/スターシップ 歌詞入り

保護された犬に対する疑問と疑惑・・・保護やってます団体の実態とは?

毎回、毎回のブログ記事UPに異常なまでの疑問と疑惑が果てしなく沸きあがるのはどうしてだろうか?特にどこかの団体を狙い撃ちしていると言うわけではなく、愛誤の匂いがプンプンしているとその饐えた(すえた)臭いが非常に気になるのです。

シェルターに常駐してくれる獣医師を求めてみたり、様々な支援者、支援物資、支援金を矢継ぎ早に募った愛誤団体がどうして、犬たちへ基本的なメディカルチェックもされないままに一時預かりの家庭に引き渡されるのか不思議でなりません。

昨日、私のブログには愛誤団体の内情を知っているという内容でコメントがあった。そかし、私はその内情を知らせるコメントを無視しようかと思ったのだが、一応検証することとした。そのコメントにはこうあるのです。

コメント主の友人が愛誤団体の手伝いに行ったときの話で伝聞情報になります。愛誤団体は、犬に対してメディカルチェックを行っている、保護してきた犬を1週間隔離するとか言っているが、その実績値は無いということ。保護してきた犬をシャンプーで除洗していると公表しているがそんな事実は無いと言っている。管理ができていないから死んでしまった子もいると言います。保護犬の頭数とボランティアの頭数(あたまかず)とのバランスが取れていないために犬たちに十分な世話ができていないと言うこと。その事を言うと団体から圧力がかかると言うこと。

現状として、の告白は大きく分ければ、犬に対するケアが十分でないこと。団体の方針に意見すると圧力がかかることの柱は2本のようです。

この2本について検証してみる必要性はあるでしょうね。

犬に対するケアの問題としては、メディカルチェックを行うとか1週間隔離するとかそういう類の記事はちょっと見つけられませんでしたが、とても興味深い記事が多いのです。一時預かり家庭からの報告では、一時預かりの家庭へ出るとどうもメディカルチェックが初めて行われるような内容の報告を目にするのです。例えば、6月23日の家庭からの報告にはこうあります。心配していたフィラリアは陰性でした・・・。この陰性でしたということは、預かりの家庭に出るまでわからなかったということになりませんか?メディカルチェックと言うのはどこまでのチェックなんでしょうかね?もっと腹立たしいのは、あずかりの家庭に送り出してから、その家庭で子犬を出産していると言う事実。6月19日の報告には、こんな阿保らしい記載もあります。6月3日に妊娠していることがわかり、13日に出産しましたという記載があるのです。メディカルチェックあきれてものも言えません・・・。

このような状態では十分なケアが施されているとはとてもじゃないが言えません。だって、自分の家業がブリーダーで他の犬の面倒まで見る余裕なんて無いはずですから・・・それでも、犬猫を気が狂ったように集めるその後先を考えない暴挙どうしようもないですね。

団体から圧力がかかると言うのは、実際に私が体験したわけじゃ無いですから、これについてもどうだろうかなぁとは思います。でも・・・この団体の代表理事って結局はヤクザでしょ・・・神奈川のシェルターを開いている理事も結局はヤクザ。理屈なしで脅せば何とかなると言う世界で暮らしてきた人たちが、どのように表面が変わろうとも三つ子の魂百までもという諺のとおり、足を洗ったとしてもヤクザって事なのだと私はそう思います。だから、圧力をかけるなんていう事は日常茶飯事なんとも思っていないのだと。

一時預かりの家庭からの報告を見る限り、その家庭で病院へ連れて行っていることが伺えるのです。その費用は本当に一時預かりの家庭に支給されているのでしょうかね?本当なら、保護してから獣医師の診断を仰ぐべきなんでしょうけどね・・・。

子犬が産まれたタイミングと犬の妊娠期間から考えてもどうにも・・・怪しい。どこで妊娠したのか?わからないような子犬がどんどんとシェルターで産まれているのは確かなようですね・・・。きっと雄雌一緒のシェルターで隣り合わせにケージを置いていたりと、初歩的なミスが望まれていない子犬を持たせる結果になったのではないか?と想像させられます。

何やっても・・・怪しいと思われるのは非常につらいでしょうけど、その活動の趣旨そのものが怪しいので何でも疑われるのでしょう。メディアを使っての宣伝広告というのは、一見効果的ですけど、なにか不具合が生じた場合には、一転して協力的だったメディアは手のひらを返してしまうでしょう。

だんだんと犬猫問題は収束して、華々しい救出劇というのは皆無になってしまいましたね・・・今後も熱狂的な信者をひきつけるのは相当な演出がないと難しいでしょう。福島県の動物救援本部では、新聞紙、猫砂が足りないとWEBには要求を出しています。得意のレスキューですから、この際福島県の動物救援本部を助けてあげたらいいのじゃないですか?

支援金の入りが少なくなってきていて・・・今後どうするのか?の対策を早期に考えないと駄目なのかもしれませんね。

動物の命は、人の命と同じという強力なメッセージを感じさせるような記事はここ最近見かけたことはありませんね・・・。結局は大義名分であって、熱狂的信者をひきつけるスローガンだったということでしょうか?ナチスヒトラーのゲルマン民族は世界で一番優秀な民族だ!をスローガンにドイツ国民を騙したあの話題が頭をよぎります・・・。結局愛誤もファシズムと同一化されるのだろうか?

どこか・・・この構図は愛と幻想のファシズムに重なる・・・。

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2011年6月23日 (木)

Just the way you are!・・・本当にその犬たちのそのままなのでしょうかね?

多くの犬の飼い主は、犬のそのままにしてあげたいとか、犬が気に入っているようにとか、好き勝手にと言うのが多い。

そう言う、わが家の飼い主だって・・・そのままにしてあげたいとか、お気に召すままと言うのだが、実際にはそうなっていないのです。まずは、犬そのままでとは、Just the way you are. でしょうか?そしてお気に召すままとは、As you like if you want. だと思うのです。でもどっちにしても日本の犬の飼い方ではそうなっていないのです。

わが家の飼い主が悪いお手本になるのは・・・面倒くさいから、2頭一緒に散歩するなんて言うのです。そう言うのは、飼い主の都合であって、飼い主のJust the way you are. そのものなのです。犬のそのままなんていうことは一切関知していません。

わが家の犬軍団に関しては、本当であれば、1頭毎の散歩になれば、飼い主にべったりと張りついて散歩ができるのでそれこそ、犬のJust the way you are. であって、As you like if you want.の世界にあるのだと思っています。しかし、現実には、犬のことはあまり考えられていないのです。哀しいかなこれがわが家の現実です。

犬たちが、飼い主の横暴を許せなくて様々な場面で様々に要求します。その要求には、自分を世界に中心に置け!、もっと早く足を動かせ!、立ち止まるな!それとは逆に、もっとゆっくり!、止まれ!など場面場面で様々な要求をしてくるはずです。その要求に対して、わが家の飼い主は・・・身勝手にもこんな言葉で、犬たちを脅迫するのですから、犬たちの気持ちなんか考えたことが無いと、罵倒されることもあるでしょう。ある意味躾という言葉で許されるのですから、ほとんどは人間様のご都合主義に犬たちは翻弄されてしまいます。

Oh! what a terrible noise that you make. What are you doing here? Right away, shut your noisy mouth. Do not make a noise anymore! Do you you understand??? Can you hear me???などとほぼ罵倒するのですから、犬としてはたまらんでしょうね・・・。

できる限りは、犬の気持ちを汲んであげたいと思うのですが・・・それがなかなかできないので困っています。

♪Just the way you are. / billy Joel♪


YouTube: Billy Joel - Just the way you are

ちょっと変わった飼い主もいるようです。自分たちの飼い方が悪かったのを理解しているのに、11年もそのままだから今後も変えるつもりはありませんと言う変わった飼い主・・・怒りだしたら、延々と怒ることで犬へ恐怖を与えて、その後にほめてあげるというケアを一切していない飼い主に出会いました。この犬は、他の犬を見るとどうしても威嚇してしまうそうです。、この威嚇の原因はなんだろうなぁと思っていたら、飼い主が何でも犬を守るように、犬からの命令で動いているのが原因でした。わが家の犬たちを傍に置いて、犬の興奮が終わるのか?更に興奮するのかを見てみました。結局は、飼い主がリードーを引っ張っておいてその犬を止めることに意識が集中していたようです。犬だって無駄な攻撃はしません、嫌ならその場所から離れることが普通です。それをわかっていないままに11年も縛り付けられていたのですから、犬には相当なストレスがかかっていたと思います。

犬の飼い方ってそれぞれの方法があって、どれが正しいとは言えないでしょう。でも、基本的な部分については、同じような行動をとるのでその行動については、屁理屈なしにその行動を認めるように、広く知識として拡散される必要性があるでしょう。私はそう思えてなりません。

犬が・・・本当に、私の言うままにさせて!と言うのか?私のそのままでいいでしょ?と言うのか???それはわかりません。でも・・・犬たちは、何かしら飼い主に対してのメッセージを発信しているでしょう。そのメッセージを上手に受信する努力を惜しんでは優良な飼い主とは言えないでしょうね・・・。

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支援するを支援する方法・・・いろいろな方法で支援ができます

支援すると言いながら、その支援そのものが正しい形で支援されているのか?それは全くわかりません。今話題になっている、緊急災害時動物救援本部の義援金の行方が不透明だとか、そんなことを言う弁護士、動物愛護風団体、獣医師、一部の熱狂的なそれらの支援者が多くは、本当に支援できているのだろうか?と私は疑問に思うのです。

なぜか、ペット問題に首を突っ込みたくなる弁護士・・・MBSの報道番組にネタを売ったとの噂も絶えません。何故に弁護士が気が狂ったほどに動物愛護に熱狂的にならなければならないのか?本業の弁護士で食っていけるはず?この弁護士は、何故か動物愛護団体とくっついているのが気になります。なんだか、以前に嘆願書のPDFが出まわった時に、動物愛護団体と連名で嘆願書を提示していたように感じます。行政批判が主な理由でしょうか・・・必ず行政を批判するネタにはこの弁護士が出てきますね。

いわずと知れた、動物愛護風団体・・・この団体こそ最も問題視しなければならないでしょう。動物救援本部の集めた義援金よりも、自分たちが集めた義援金の中身と支出を明確にしない限り、人の財布のことなんか言えたもんじゃありません。ある団体は・・・もらってもいない義援金配分があったとして、自分たちの活動が正当化されたようにブログの記事としてUPしていたが、そんな団体は本当に支援しているのか全くわかりません。

一部の獣医師・・・サンクチュアリファームとかなんだか英単語を並べ立てての意味不明な構想は、果たして支援となっているのだろうか?サンクチュアリとは、聖域をあらわす言葉であって、何も、原子力発電所の周辺で飼育されていた家畜の保護地域を言うものではない。その事をちゃんと説明できているのだろうか?その説明はちゃんとできていないと思う。政治家との懇談を繰り返すだけで、一向にその後の進展は見えない。売名行為の獣医師のように感じられる。その獣医師は、本当に支援している形になっているのだろうか?アイディアを提示することも支援の一つだが、そのサンクチュアリファームの構想には、根拠が無くて、ただただお涙頂戴のエッセンスしか見当たらない。このことからも、この構想は、支援しているのだろうか?と疑問に思われてしまう。

さて、意外に問題視されていないのは、熱狂的な愛誤支援者(熱狂的信者)だ、この連中は、基本的に普段から愛護というものにあいまみれているとは到底言いがたい。その証拠に、熱狂的信者には愛護推進の実績値なんてものがない。おおよそ、愛誤に傾倒する理由は2つ。周りの愛誤熱狂的信者から仲間はずれにされたくないために、理由や根拠なしにその活動に傾倒する。日ごろから自身のペットにたいしたことをしてあげてないから、せめてもの罪滅ぼしに、愛護活動らしきものに参加して・・・贖罪の日々を過ごして罪の意識から逃れようとしている。とこんなところだろう。

本当に支援するとは、寄付金や支援物資を投入することだけじゃない。それは、二の次三の次で十分。支援のシステムを構築するために、専門の知識を現場に投入してあげて初めてその支援金や、支援物資が十分な効果を発揮するのに・・・おおよその人たちは、専門知識を現場に投入しようとしない。受付けないのだろうか?現場が・・・。

現場にはそのような知識がふんだんに有るとは言えない。あっちにぶつかり、こっちにぶつかりながら、トラブルまみれになりながらの試行錯誤でなんとかやってきているのが現状です。だからこそ・・・その不具合を解消するために、その専門知識を開放する時が来たと考えるべきです。

さて・・・わが家の飼い主は、専門知識の在庫、物流コストの面で、被災地支援を行うことができるでしょうか???

きっと・・・支援物資を個人で発送してしまった人たちは、発送費用が負担になって何回も支援することが厳しくなってきているのではないでしょうか?だって・・・1KGSあたりの輸送費が80円近くになっていたら、宅急便での輸送費は1回当たり2000円ほどになるのを感覚的には高いなぁって思っているでしょう。

その費用をできるだけ安く抑えて、適時適切に輸送してあげることを考えてあげなきゃいかんね。

どんな専門知識でもいいのです、その専門知識を被災地支援に使ってあげられるようにちょっとだけ頭をひねってみてください。

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2011年6月21日 (火)

地獄からの叫び・・・可哀想!ボストンテリアの命はあと数日(東大阪市動物指導センター保護分)

数日前から、話題になっている東大阪市動物指導センターに保護されているボストンテリアの命をめぐってネット内部が騒然としている。

まずは、東大阪市動物指導センターは成犬、成猫の譲渡事業は行っていないと明言しなければなるまい。このシステムが今回のボストンテリアの殺処分にかかわる問題に大きく波及しているのである。

東大阪市動物指導センターでは何故に成犬、成猫を譲渡しないのか?譲渡するためのシステムを持っていないために、その行為はほとんどの犬に対して行われていない。その理由は如何に?と尋ねると、譲渡した先で適正に飼育されるのか?それを調査する方法が無いから。出戻りということでまたセンターへ舞い戻るようなことが有っては、譲渡した意味が無い。殺処分を減らしたという実績値だけが評価されて中身を評価されないという状況に陥るから。

これが、成犬、成猫を譲渡しないその理由なんだそうです。

今回、東大阪市動物指導センターへ保護されている犬は、ボストンテリアだそうです。私は、その犬の詳細について確認をしませんでした。年齢、性別不詳です。何故に、このボストンテリアが動物指導センターへ保護されたのかと言うと・・・ある事件を引き起こしたその犯人だからなんだそうだ。

散歩中の犬を咬んで、相手の犬に怪我をさせたことで、被害にあった飼い主から、捕獲の要請が出たということが経緯になります。保護時点では、首輪無し、リード無しの状態でいたということです。

この状況からしてみると、飼い主は、犬を放置していたと考えられるようですね・・・。東大阪市動物指導センターでは、この犬に関して、監札登録から該当が無いかどうかをチェックしたそうです。まぁ・・・驚きはしませんが、この犬は、監札登録がされていないのです。おそらく、法定ワクチンの実績もないだろうと見当がついているそうです。

現状としては、飼い主を探す手段はこの時点で途切れてしまうのですが、別のルートから飼い主らしき人物の情報を得たということなので、この飼い主らしき人物に一両日中に当たると言うことも申しておりました。センターの担当職員は、このようにも言っております・・・現時点で東大阪市への監札登録が無いと言うことは、どこか別の場所で登録されていたとしても、移動30日以内の届けがなければ、違法(狂犬病予防法違反)という事になりますね・・・と。実際には、登録がされていないと言うことは、とっても残念なことだと・・・声のトーンが低くなっていました。

さて・・・この犬、この状況でも譲渡を受けてまでも命を繋ぐ必要性はあるでしょうか?一つ一つ整理してみよう。

犬が他の犬を咬んだということで、事故の手続きをしなければなりません。この処置をするのは飼い主であって、譲渡を受けた人ではない。実際に相手の犬が怪我をしているのだから、民事上の責任を果たすことが求められる可能性があります。そのような中での譲渡は適切ではないと東大阪市動物指導センターは考えているとのこと。

咬傷事故を起こした犬が、譲渡の条件を満たされる犬かどうかの判断基準について・・・は、当然のことながら咬みついた犬をそのまま譲渡できるかと言う次元の話になれば、通常はできないという判断がされて当たり前だと思われる、今回センターは譲渡不可と言う判断をした。この判断に間違いは無いと私は考える。非常に怪しい飼い主たちが電話で譲渡をして欲しいと要求をしているそうだが、この飼い主たちに譲渡できる理由など根拠はどこにも無い。

自分が譲渡を受けられると勘違いしている飼い主の多い理屈とは、自分は同じ犬の種類を飼育しているから、その犬の扱いには慣れているという話をする。はたしてこの理屈が受け入れられるだろうか?私の個人的な見解としてはその理屈は通らない。

根拠・・・わが家にはラブラドールが2頭が寝転がっているが、この2頭はラブラドールと言われる基本的な行動パターンは同じなのだが、個性の部分で見ていくと全く違う犬だと思われるほど、別の個性を有している。だから個性というのだろうけど。(親子でDNAは半分が一緒であっても、個性に影響している部分は見られない)全く別の犬という考え方が無い以上、複数頭数の同時飼育は難しい。同じ犬種だからと言って、その犬の扱いに慣れていると言える根拠を示すことは上記のとおり不可能。

どうして・・・飼い主は現れないのでしょうかね?ボストンテリアの姿が家から見えなくなったらすぐにでも迷子の手続きを行うのでしょうけど、この飼い主は現れる様子はありませんね・・・。状況証拠としては、首輪、リードも無いままにその辺を放置しているのは、飼い主としての素養を疑われてもしかたありませんね。

事故を発生させてしまったこと、飼い主が現れないこと、相手に対しての事故処理が済んでいないことを考えれば、当然のように譲渡はできないでしょうね。今回、あちこちのTwitterやブログで、このボストンテリアをセンターから引き出そうと躍起になっているのはわかるが・・・本ちゃんの愛護でなくて、凡そは可哀想だからという理屈先行の愛誤が優勢のように感じられます。

愛誤で問題なのは・・・東大阪市動物指導センターへ気が狂ったように、譲渡しろ、殺処分はNOという理屈だけで電話をしまくってその結果電話がつながらない、日常の業務の妨げになっているという現状を引き起こしている。センターの職員は嘆いておりました、どんなにセンターとしての方針を説明しても、殺処分NO、譲渡しろ!の世界で話が進むために、正しい理屈を理解してもらえないのは残念ですと・・・。困った愛誤ちゃんたちですね。

東大阪市動物指導センターの今後の方針について、成犬、成猫の譲渡については今後議論を慎重に重ねて早期に譲渡を実現しなければならないと考えている。しかし、その譲渡が出戻りを増やしてみたり、システムとして欠陥が多いものでは譲渡と言うシステムを運用する意味が無いという考え方に立ちそのシステムを十分に検討する用意があると言っています。どこの行政も同じように、命について真っ向から向き合ってその命を繋いでいこうと考えているのは確かなのです。その姿勢に耳を傾けることなく、譲渡しろ!殺処分NOと鼻息荒く罵倒するのは、愛護ではないはずです。

Twitterやブログでこの東大阪市動物指導センターの件に触れている諸君・・・あなたの見解はどっちより?愛護なのか?愛誤なのか?世の中可哀想だけでどうにかなると思ったら大間違い!東大阪市の動物指導センターを糾弾するのを止めて、飼い主が糾弾されなければなるまいな・・・。(東大阪市動物指導センターは、糾弾される理由はどこにも無い。)

東大阪市動物指導センターでは、このボストンテリアについては、飼い主が現れない場合にはは、殺処分とする方針を固めており、今後どのようにブログなどで情報が流布したとしても方針が転換されることは無い。可哀想だと思うなら、今後二度とこのようなことが起こらないように、飼い方について十分に啓発する努力をすることが大事なのでしょう。この後数日間は飼い主捜索に時間を費やすそうです。すぐに殺処分ということで考えているわけではないそうです。

それでもあなたは・・・東大阪市動物指導センターの業務を妨害すべく電話攻撃をしますか?わが家の飼い主なら、できうる範囲で啓発活動をしますけどね・・・。

あっちの愛誤が消えればこっちの愛誤・・・つぎから次へと愛誤の山。まだまだ、愛護という価値観を見出すのは日本人にとって難しいのでしょうかね???

もういい加減に愛誤は飽きた・・・。

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2011年6月20日 (月)

あなたの犬は何歳?・・・じゃぁ長寿の表彰まであと何年だね!

身体の毛がだんだんと白くなっている犬を見ると、この犬は何歳なんだろうか?と気になることがある。犬の毛が白くなってきてるのはたいていの場合、シニアと言われる年頃になっている場合が多い。

わが家のチョコパン子さんも、シニアと言われる世代の犬になってしまったので、散歩でも気になることがある。世の中、犬の飼い方が”犬から犬様”になって、凡そ寿命と言われている一般の指標が3割程度延びたと言う見解もある。大型犬と言われる部類の犬たちは、過去には10年の寿命と言われていたが、今では13歳位かなぁと言われるようになった。あと7年くらい・・・一緒にいられるかなぁ・・・。

都会いなかの街では、長寿犬を年一回動物愛護週間に表彰してくれるのだが、そのハードルは非常に高い。なんとも・・・18歳をクリアーしなくてはならないのです。犬の寿命が長くなった事と、小型犬を飼育する家族が増えたことで条件がどんどんと厳しくなった。年齢が引き上げられて行くことになった。なんとも短絡的な、行政の阿保らしい予算消化事業になっているとも考えられる。

よく考えてくださいね・・・18歳の寿命ぎりぎり、もしくはよぼよぼの犬を表彰すると言うことよりも、愛護の広告塔としての犬と飼い主を年齢如何に問わず表彰していくべきだと言うことを考えないのでしょうか?、わずか数百万円の予算消化の為に、年齢を引き上げてその長寿を祝うことなんか、動物愛護に寄与した事業だとは私は思えない・・・。

基本的には、その事業の趣旨が時代遅れになっていないのか?見直すことをやってこそ、生きた施策を実行していると言い張れるのだと思っています。わずか数百万円の予算を死守してその予算を消化することに意義を持って欲しくないのです。犬を愛しその行動に問題があるのであれば、犬と共にどうしたらよいのかと考え、人との共存を考える、良き犬飼いとして周りから認知されるような飼い方をして、その愛護と人との共存を模索するあり方を表彰し、広告塔になってもらうと言う方法が一番の理想ではないでしょうか?(予算を有効に使うために)

実際には、18歳と言う年齢で表彰を受けたとしても、その翌年には息を引き取ってしまったというようなこともたくさんあるそうです。表彰を受けた事がもう寿命ですよなんて意味合いを含んでいるような事ではあまり意味がないのです。

18年という垣根を越えて、どうか・・・良い飼い犬と良い飼い主が表彰されるように、制度が一日でも早く変わって欲しいと思うのです。頭でっかちな都会いなかの街の役人では、こんな事を考えてはくれないでしょうね・・・。

都会いなかの街の公園に集まる、良識的な大型犬の飼い主たちは口を揃えてこう言います。18歳じゃねぇ・・・。大型犬の年齢も考慮した制度にしてもらわないと表彰を受けさせてあげられない。表彰を受けたら、その寿命が”ハイ”お仕舞いと言われそうな年齢だよね?だそうです。

でも、シニアと言われるような犬たちでも、瞳はどこまでも澄みきっていて、どこにも曇りなんかありません。飼い主をまっすぐに見つめるその瞳に誰もが吸い込まれてしまうような・・・そんな子たちばかりです。よく話題に上るのは、映画カサブランカでの名シーン”Here is looking at you, kid!” そうハンフリーボガードが言ったその台詞。直訳は、こうしてあなたを見ていられる事という英語なんですが・・・。名訳としては・・・君の瞳に乾杯!なんでしょうね・・・。犬と一緒に乾杯というわけにはいかないのですが、たいていの飼い主はこう言うのです。

きっとこんな曲もお好きででしょう・・・私は大好きです。いろいろな歌手がこぞってカバーしているのですが、私はなんと言っても、boys town gangのこれです。♪Can't take my eyes off you ♪


YouTube: Can´t take my eyes off of you. Boys Town Gang

わが家の犬軍団から目が離れない・・・。

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2011年6月18日 (土)

Raindrops keep falling on my head・・・雨にぬれても

今日は朝から小雨がぱらついていたり、ちょっと強く降ってみたり・・・安定しない空模様の週末です。

午前中は、犬軍団”将軍”幼稚園の園庭を整備する父母の会へ出席しました。幼稚園の庭にある小さい山の傾斜を利用してウォータースライダーを作るちょっとした土木作業を手伝ってきました。

もちろん犬たちはお留守番です。犬たちは家の中で雨が降りそうな天気を恨めしく思っていたようです。それでも犬たちは、不満に思うことなくちゃんと留守番をしていたそうです。帰宅後に家の中がめちゃくちゃになっていることはありませんでした。

午後からは、少し空の様子も安定するのか?と思うとそうではなく、やや強めに雨が降ってくるそんな午後です。散歩に出かけると言うこともできないままに夕方になってしまいました。今日は、15時から大好きだった黒子の火葬と葬儀が執り行われると言うことだったので、自宅の中で彼の旅立ちについて、思いをはせていたところでありました。本来であるならば、外へ出て彼が旅立つのを肌で感じるべきだったのでしょうけど・・・あいにくの雨で外には出ませんでした。

彼の旅立ちには、太陽が眩しいそんな空模様が似合うのだと思いましたが、まぁちょっと安定しない空模様も彼の旅立ちも彼らしいのかも?と思ってしまいます。雨の時期にマッチした名曲と言えば・・・”雨に濡れても”でしょうね。

この曲なら彼を見送るにはふさわしいでしょう。

Raindrops are falling on my head and just like a guy whose feet are too big for his bed, nothing seems to fit. Those raindrops are falling on my head, they keep falling.

So I just did me some talking to the sun, and I said " I did not like the way he got things done, sleeping on the job." those raindrops are falling on my head they keep falling.

But there is one thing,I know. The blues they sent to meet me would not defeat me. It would not be long till happiness steps up to greet me.


YouTube: 雨に濡れても(訳詞付)

ベッドのサイズに合わない男の人のように・・・雨が止め処も無く空から落ちてくる。雨があたまの上に落ちてくる、止め処も無く・・・。

だから、ちょっとだけお日様に向かって一言だけ。お前さんのそのやり方が好きじゃないんだ。晴れないでおいて寝てばかりとはなぁ。雨が頭の上に落ちてくる、止め処も無く・・・。

でも一つだけは知っている。彼らが私に送ったブルーな気持ちには屈しないでしょう。そのうちに幸せのほうから私に挨拶しにやってくるでしょう。

彼らしい・・・と私は勝手に思っています。どこの犬たちも好き勝手に生きているのですから。犬たちだって心の中に好き勝手に思う事があってもいいじゃないですか?

今日はあいにくの空模様でしたが、彼の旅立ちとしては最高の日になったと思います。たくさんの家族に見守られながらの旅立ちですから。

明日の天気は回復傾向です。きっと彼も、お日様に、そしてかぁさんに・・・お日様は寝てばかりいては駄目なんだ!とはなしかけてくれるのでしょうか・・・。その声はきっと聞こえるはずです。

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2011年6月17日 (金)

またまた熱狂的信者集めの作戦ですか?・・・どこまでも根性が醜い動物を食い物にする悪徳犬種登録団体の愛誤活動

こう言うことを何回もやっていると・・・狼少年の話のとおりになってしまいます。今はまだ、だまされている熱狂的な信者がたくさん居るから良いでしょう。私が知っているだけで、この団体は今回で4回も心優しい動物好きの心に偽りの衣を纏って、団体のブログに正当な活動をしているなどと・・・印象づける記事をUPしている。

まずは、20KM圏内での動物保護をすることを一任して欲しいという嘆願?暴挙を首相官邸へ持ち込んだこと。この件については、後日談も何も無いじゃないですか?喉元過ぎれば熱いのを忘れるからそれでいいのでしょうか?

飯舘村での動物レスキューを一任させてください・・・結果村長は一任しますと言った。でもその記事をUPしてすぐに一任の文字を記事から削除した。やっぱり、一任されると言うことなんか無かったのに・・・どこからかクレームがついたのでしょうね。(飯舘村か?)

シェルター建設の為に福島県内に1200坪の土地を用意したといいながら・・・それを断念した。飯舘村にあの国会議員を招聘したその理由はどこにあるの?福島市西部において放射線空間線量が大きいために動物たちを移動することを優先してシェルター建設を断念したとあるが、はたして福島市西部の空間線量は長期間その場所に居た場合でもその身体に影響が出るレベルか?と言われればそうでもない。でも結果理由が不明確にしておいて、なし崩しに断念したのです。

そして今回は4回目。自分たちは正当な活動をしている団体であって、マヤカシの団体ではないとでもアピールしたかったのだろうか?今回も緊急災害時動物救援本部義援金 B区分 配分先にかの団体の名前は無い。これも、団体が事実を捻じ曲げた悪意一杯の捏造なのか?

はっきり申し上げます。どの区分においても、民間の団体は行政との協調を取っていると言う意見書の提出が義務つけられています。さて・・・この団体はどこの行政庁からお墨付きと言われるような意見書を取り付けたのでしょうかね?

誰にお礼と言っているのかさっぱりわかりませんが・・・彼らのブログにはこう記してあります。

動物対策本部に申請にてB区分とし、300万円の義捐金が配布されると通知がきました。だそうです。細かいことを言うのですけど、義捐という漢字は使わないで欲しいのです。意味は、公共の為に”捨てる”お金を意味しているからです。代用漢字とは言え、義援を使って欲しいですね。

この団体の人たち・・・どうもおかしい話をするんですよ。自分たちの団体が300万の義援金配分を受けたように記載していますが、直接300万って話にはなっていません。詳しくは動物救護本部のHPを参照してください。

http://www.jpc.or.jp/saigai/pc_gienkin0610.html#kofukin

配分先を記した動物救護本部のHPにはこの団体のお名前はございません。それでも、300万の配分を受けたと言うことなら、受けて無くても、会計簿に300万収入で計上する必要がありますね。

実を言えば・・・この団体はB区分の中にある”動物ボランティア団体全国民間ネットワーク”という複合団体の中に名を連ねているのですから、300万まるまる配分を受けたとは到底言えません。

数ある連合の一構成メンバーでしかありません。複合団体のHPには、このような記載も残っています。5月13日 茨城県牛久市との協力体制を前提にしたB区分での申請となりました。と記載があるのです。そして、動物救援本部のHPには、5月24日現在の報告とありますよ。はたして・・・直近で報告を受けたのでしょうか?

このタイミングでこの話題ですか???時間軸の辻褄もあっておりません。

さて・・・今回のこの茶番とも言うべく義援金配分の連絡云々の話は、どうして、このタイミングなの?と疑問が残るのです。

今回もこんな安っぽい茶番でだまされる信者が増加するのでしょうか?こんないい加減な商売なら・・・私も参加してみたいよ!と思っても見るのです。ここまでして、カネを呼ぶ信者を集めようとするその言動の裏側に・・・は何があるんでしょうね?

探られたくもない腹の内はちゃんと隠しておくのが鉄則じゃないですか?こんなに簡単にインチキを見破られるのは、程度が悪いとしか言いようがありませんなぁ。

100以上の団体で構成されている複合団体に300万配分されたからといって、単純に割り算してもたかだか3万ですよ。それをオーバーに”300万”って大風呂敷敷くその根拠はどこにあるのだろうか?

大風呂敷敷いても300万以上は回収の見込みがあるからなのか?そう簡単にカネは集まってこないものです。いつまでも、騙し続けられると思ったら、大間違いです。足元をすくわれないようにね!

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巨大な温室で餌を作れ!・・・コアラの偏食とグルメの実態

夕方に散歩へ出かける公園には、動物園に飼育されているコアラのためにユーカリを栽培している温室がたくさん並んでいる。

素人目でも、ユーカリには多くの種類があるということはわかるのだが・・・なぜに、たくさんの種類のユーカリを栽培しなければならないのか?今までそれを調べる方法がなかった。

今日の散歩で、公園の管理をしている役所の管理チームに所属している担当と久しぶりに会った。彼、動物園のことなら何でも聞いてくださいって前に言っていたから、思い切ってユーカリのことを聞いてみた。

なぜに、たくさんの種類を栽培しなければならないのか?聞いたら答えてくれる?・・・もちろん答えてくれました。実は、コアラって映像で見たり、現物を動物園で見たりするのですけど、その生態については、全くと言っていいほど理解していないと言うことがわかりました。

コアラの餌はユーカリだということはわかっていたのだが、特定の品種のユーカリしか食べないものだと思っていたが、それは半分正解で、半分間違いなんだそうです。さすが・・・動物園に勤務しているだけあって、コアラのことでもなんでもドンと来いだそうです。

なぜに、半分正解で半分間違いなのかと言うと、コアラは、大変な偏食家なんだそうです。食べ始めると、その種類しか食べなくなる、あるとき突然その種類を食べなくなると、別の種類なら食べるというように、人で言うところのグルメみたいな食べ方をするそうです。だから、たくさんの種類を栽培していないと、コアラの餌がなくなってしまうということになってしまうそうです。

知らないって事は・・・恥ずかしいことではなく、その知らない事を自身の知識にするために専門家の話に耳を傾けることが必要です。むしろ・・・知ったふりをしていることが恥ずかしいことなのです。

コアラの餌の件は、更に面白い話があって、親が食べている餌を子供も好んで食べると言う様に・・・親から子供へ偏食が遺伝していると言うことも観察からわかってきているそうです。

人の偏食も・・・ちょっとヤバそうです。わが家の飼い主も相当な偏食で、犬軍団将軍もちょっと偏食気味です。わが家の食卓には絶対上らないもの・・・それは納豆です。誰一人として食べませんから、今まで一回も買った実績はありません。極度の偏食です。わが家の飼い主に至っては・・・納豆の売り場にも近寄らないという徹底した偏食ですから・・・困ったものです。

コアラはかわいいですけど、グルメというのか?ただ単純に偏食というのか?わがままというのか?困った奴ですね。ついでにわが家の人も偏食で困ったやつです。全く問題の無いのは・・・犬たちだけですね。あいつらは・・・食べれるものなら何でも良いから、胃袋に収めてしまえ!って考え方でしょうか?

偏食のない連中がとてもうらやましい。

是非とも動物園へ遊びに来てくださいとしっかりと営業もされましたwww

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2011年6月16日 (木)

僕はここにいる・・・やっぱり大好きな飼い主の傍に戻っていた

大好きだった黒ラブの子が死んでしまってからはなんとなく彼の写真を見れなくて淋しく、飼い主もきっと抜け殻のようになってしまっているのではないか?と少し心配をしていたのだが、実はそうでもなかったようだ。その黒ラブは猛烈な勢いで飼い主の心の中に戻ってきていたようです。

そして・・・”僕はここにいる”とちゃんとアピールをしていたのですから・・・。飼い主の暖かくそして大きな愛情に包まれて生活を送ってきたのだから、そこが安住の地であることを知っていたかのように。でも現実には、その子を触ってあげることもできない、その子の匂いも無い・・・でも”僕はここにいる”と猛烈にアピールするその魂は偽物ではないはず。飼い主の見たものは夢でも幻でもない。まぎれもなくその飼い犬なのだから。こう言う犬たちこそ本当の意味での家族なのだと思う。

飼い主はこう言っています、最期を迎えるその瞬間に、飼い犬と一緒になって新しい犬を産んだ。飼い主はそれを介助した、新しく産まれた犬は、すべてが私だけのものだと・・・。


YouTube: 山崎まさよし 僕はここにいる 

すべてに君のやさしい微笑が離れない、手をのばしても届かない場所にいる。もっと君のこと知りたいよ、悲しみもささやきも全部見てみたい。苦しいよ今度はいつ逢える・・・。うまく君の名を呼べないよ。せつなくて、むなしくて、つぶされそうさ。わかるかい?僕はここにいる・・・。

飼い主さんは・・・ペットロスになんかはならないだろ。彼を看取ったその充実感に満たされている。彼はちゃんと新しい自分を飼い主に与えてくれたのだから・・・。

こんな心温まる飼い犬と飼い主の話に耳を傾け、その声が広く世の中に広まっていくことが大切なことではないだろうか・・・。

”僕はここにいる”・・・この世に存在できなくなった犬たちからのメッセージを聞ける飼い主たちはどれくらいいるのだろうか・・・?果たしてわが家の飼い主は、”僕はここにいる”とその時を迎えた犬たちが耳打ちしてくれるのだろうか・・・。

今週末の午後は彼が荼毘にふされるそうです。遠く・・・都会いなかの街の空から彼の門出を祝福しようと思います。そして、彼がちゃんと安住の地である飼い主の心の中に戻ってきて、I'm home!と言うのを想像しながら・・・。

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2011年6月15日 (水)

There must be an angel・・・天使はそこにいる、心の目を開け!

ここ数日のうちに旅立ってしまうのだろうと覚悟を決めていた。いつも気にしていた黒ラブラドールが彼の14年の時間にピリオド(終止符)を打った。

彼は、盲導犬として10年の歳月を過ごしてきた、残りの4年は一般の家庭犬としての時間を過ごした”盲導犬の引退犬”なのです。この飼い主さんは(かあさん)、本当の引退犬としてどうしても盲導犬の冠を彼から外してあげたかったのだから、彼の打ったピリオドは飼い主(かあさん)が望んだ本来の姿に導いていたのかもしれない。

これは本当に表面に見えた部分の事であって、飼い主(かあさん)が飼い犬を失ってしまった事に関して、その心の闇というのは計り知れない。その深さを示すことはできないだろう。私は彼の最期をブログで知っても、飼い主に対しては弔意を表すようなことはしていない。それは、できるだけ飼い主の気持ちを尊重してあげたかったからなのだ。何故なら彼の最期を彼が彼なりに決めたその方法で旅立ったのだから、弔意を表明することは無くても良いのだと思っている。それは、飼い主(かあさん)が自身のブログに綴っているように・・・”かあさんの所へStraight Go!”な訳ですから・・・。これからは、ずーとかあさんの心の中にそして、かあさんだけの犬となるのだから。

彼の魂は、自身の中に14年閉じ込められていたが、彼が自らの意思で、囚われの身にピリオド(終止符)を打ったことで、すべてが一気に解放された。楽しい思い出も、悲しい思い出も、彼の匂いも・・・ありとあらゆる物すべてだ。彼はかあさんの心の中に向かう道に乗るためにちょっとだけかあさんの所から離れただけ、それは生まれてから初めての経験なのだ。ちょっとだけ彼に時間を与えてあげてください。そしてかあさんにも彼が心の中に戻って来るその時の準備に滞りがないように少しの時間を与えてあげてください。

たぶん・・・天使がそこに彼の心をつれてくるのだから、その時をしっかりと感じるそう思わなくてどうする?There must be an Angel.そこに天使が居るから・・・。


YouTube: there must be an angel

No one on earth could feel like this. I'm not thrown and overblown with bliss.There must be an angel,playing with my heart. I walk into an empty room and suddenly my heart goes "boom" ! It's an orchestra of angels and they are playing with my heart. Must be talking to an angel...

地球上の誰もこんな感覚をもったことはなにでしょう。至福に満たされているのじゃないかしら・・・そこに天使がいるから私の心の中で遊んでいる彼が居るから。何も無い空っぽの部屋に入ると突然私の気持ちが高鳴る。天使のオーケーストラ。彼が私の心の中で演奏している・・・。天使とお話しなくちゃ(彼とお話しなくちゃ・・・)

私が今思いつく美辞麗句とは、Eurythmicsの歌うThere must be an angelの歌詞の一部でしかないのです。でも、きっと彼はこの歌のようにかあさんのところへ戻ってきてくれるでしょう。きっと来る。

これが私にできる精一杯の美辞麗句であって、できる限りの弔意を現しました。彼の最期を想像するに、壮絶であってその壮絶な最期を完全に看取ったかあさんの献身的な愛に私は記事を作りながらも目に涙を浮かべ、その涙が水幕を作りキーとモニターを見えにくくするのです。

命の最期には必ずドラマがあって、お涙頂戴の世界だけにはどうしてもならないものです。お涙頂戴の世界はどうしても作られた世界です。実際にあるその世界というのは、単純にお涙頂戴の世界ではありません。むしろ涙がどこかへ隠れてしまうような壮絶な現実もそこにはあるのです。

かあさんや・・・これできっと彼はあなたの心の中でずーっと安住の地を求められるはずです。これでやっと盲導犬という冠が外れて、あなただけのかわいい彼になれますよ。

悲しいことばかりじゃないないのです。これからは、彼が老いも無く、病も無い本当に自由な生活を送れるのです。そう思ってあなたの心に宿してあげてください。

彼が彼の時間を生き、そしてこれからは彼がかあさんと一緒の時間を過ごせるように。そしてかあさんが、彼との時間から引き離されること無く一緒に過ごせるように神の御名によって祈りを捧げます。アミン

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2011年6月14日 (火)

トイレの神様とゴミ箱の神様・・・どこにそんな神様が居る?わが家には役に立たない2頭の神様が居ました

トイレにはトイレの神様が居るって最近の歌にありましたが・・・わが家には何の役にも立たないトイレの神様が居ます。

飼い主の後を追いかけては、トイレに様子を伺いに来る・・・そして、トイレの前にちゃんと座り込むそんな神様だったら、何の役にも立たないし正直見られているので迷惑です。この神様は、どうやらアンパン子さんにとりついているようです。まだトイレの神様と称する厄介な神様がいらっしゃるようです。玄関の廊下を毎回毎回トイレにしてしまうだらしのない神様が・・・チョコパン子さんにとりついているようです。この厄介なもう1頭にとりついている神様は、時には台所の流しの前にしっかりとトイレを作ってくれるそんな神様なのです。小さい家にトイレは何箇所もいらないから・・・。

ゴミ箱の神様もいます。油断をしているとゴミ箱からいろいろなものを引っ張り出しては、その辺でがっつくそんな神様です。このゴミ箱の神様、家の中にあるありとあらゆるゴミ箱を巡回してくれるのですから、飼い主としては大変な後片付けを要求されます。この神様は、どうやらアンパン子さんにとりついているようです。

いろいろな神様が家には居るのでしょうけど・・・どうもわが家の犬たちが呼び込んだ神様にはろくなのが居ないようです。トイレの神様に・・・ゴミ箱の神様・・・トホホ

後片付けは、黙って飼い主の役目・・・なんだか神様にもてあそばれているようでなりません。おそらく・・・今日の夜も人間が寝静まったころに、トイレの神様とゴミ箱の神様の宴会が始まるのでしょう・・・。

さて、あなたの家の犬たちはどんな神様を家に呼び込んだのでしょうか???

わが家の犬たちにとりついている神様にろくなのは居ませんが、それでも犬たちにとりついた神様です。犬の個性だと思って楽しくつきあっています。ゴミ箱をひっくり返されないように、ゴミ箱の上に重量物を置いてみたり、台所の建具を閉めて、できるだけ開けないようにと気をつけてみたり・・・。

それでも、どこかで神様は必ず現れるのです。さて・・・今日も夜の餌が終了していますから、そろそろトイレの神様のお時間でしょうか?

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2011年6月13日 (月)

チャラチャラしたネェーちゃんとショーに出ているバーニーズ

散歩の途中にバーニーズを散歩しているネェーちゃんがいた。バーニーズは、11ヶ月なんだそうだ。まだまだ子供、他の犬が気になって仕方が無いとか、吠え立てるとかがあっても、誰も気にはしないだろう。まして、毛がフサフサで見た目は愛嬌のあるバーニーズなのだから。しかし、このネェーちゃんはどこか普通の飼い主と毛色が違う。

なんだろうかなぁ・・・と探っていると。どうも、犬をショーに出してプライズを取った犬だと言う事を自慢に散歩をしたいそんな類の飼い主だったようです。わが家の飼い主は、やっぱり頭にきた。結局はそのプライズ欲しさに自分のかわいい犬をショーへ送り込むキチガイを質問攻めにしてイヂメておりました。

質問)ショーへ出す目的は?どうしてショーへ出すのよ?子を産ませるためにショーへ出すのか?という質問に対して飼い主は、返答)犬がショーに出たがるからだって・・・こんなキチガイ見たこともないし、聞いたことも無いぞ・・・。結局は、理屈なしにショーへ出すのが良いことだと思っているらしい。

質問)ショーへ出すのに、ほとんど自分の家にいないのでは?ということに対して返答は・・・結構家にいるよ!家で寝ているからだって・・・なんなんだこいつは・・・と腹が立って仕方がありませんでした。

世の中には、プレミアをペットにつけたがるキチガイ飼い主が多いようです。どうして、ショーへ出すのか?その理由も考えないままに、ショーへ出してしまう。ショーへ出すことは、基本的には、その子の血を評価してもらうことであって、その子がプライズを獲得した後の一生を決定してしまうことです。

ショーでプライズを獲得してしまえば・・・その後は、否が応でも繁殖という道が自動的に与えられます。犬にはその道を選ぶことはできませんが、人間の思惑に左右された飼い主は、繁殖に使わせてくださいという周りからの言葉に・・・最終的にはショーへ出すんじゃなかったと後悔する日々がやってくるでしょう。

一般家庭で育てるなら・・・ショーへ出すなとは言いません。でもそのショーでプライズをとった後のことを考えた上で参加を考えるべきです。ショープライズにはこんな裏側に隠された事実もあるのです。その裏側を見るのも飼い主にとって必要なことです。

ショープレミアを欲しがるのと震災プレミアを欲しがるのはある意味一緒。プレミアを与えられると、のちのちその命を預かる飼い主が苦しむだけです。一般の家庭で暮らしているのに・・・繁殖場所での生活を強いるということを飼い主が選択するのは果たしてどうでしょうかね・・・。

プレミアを好む日本の飼い主、小型の犬も、大型の犬もやっぱりプレミアが欲しいのか。ショープライズを獲得したら・・・プライズ獲得しました!ってプラカードを下げて散歩しそうな飼い主にイライラとしたそんな散歩でした。

わが家の犬たちは、ショーに出たところで当然のようにプライズは獲得できません。それは、飼い主である私が一番そのことをわかっています。でも、犬たちは、犬舎のご夫婦が丁寧に育ててくれたその結晶です。その命を大事に守ってこそ、飼い主の鑑であってそれが当にプライズだと思います。ショーでチャンピオンになったから・・・そんなプライズは繁殖を考えなければ何も意味はありません。

見かけどおりの・・・キチガイ飼い主だったなぁと思うのでした。

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2011年6月11日 (土)

巨大な施設が徐々に顔を出してきている・・・高島市にある被災動物シェルター?

言わずと知れた、高島市に籍を置くNPO団体の広報ブログには巨大な保護施設の様子が記事として掲載されているとともに、その写真が数枚公開されている。

写真を見た限りでの想像で話を進めるしか方法はないのだが、敷地面積に関する建築基準法の規制値を逸脱しているのではないか?そんな疑問に駆られる。

敷地に関しては、法務局で地名地番から登記簿を確認することが可能なのだ。登記簿には地名地番はもちろんのこと、地積、権利者、その土地の抵当関係までもが記載されている。

高島市にお住まいの皆さんたちは、この登記簿について既に確認をされていることだと思います。その中の情報をお持ちの方はぜひご連絡いただけたらと思っております。問題視する項目は、地積(土地の面積)と権利者はぜひとも知っておきたいです。面積関係は、同一の敷地に関して複数の建物を建設する時に、建蔽率、容積率の 問題が絡んでくるので、無制限に建築が可能と言う理屈はどこにもありません。土地の権利者についての確認は、NPO法人としての資産なのか?代表個人の資産なのか?第三者個人の資産なのか?という事を確認することで、NPOとしての会計報告を確認する上でその会計報告が正しいと判断できるのか?そうではないのか?の指標の一つにできます。

6月末日まであと20日です。この20日を目いっぱい使っての会計簿を作ることは可能でしょうか?または、提示が可能なのでしょうか?いわゆるNPO法27-30条で会計については厳しく規定されているので、もしも、6月30日を過ぎても情報が公開されないような場合は、その資料の提示を強く求めることが可能です。会社法でも同じように、新規会計年度がスタートしてから3ヶ月以内に前会計年度の実績を報告することになっていますので、NPOと言えども特別に呈示期限を超過することが許されるなどということはありません。そして・・・命を繋ぐことが忙しかったから、会計なんぞやってねぇ~わなどという屁理屈は絶対に通用しません。

さて・・・問題になっている敷地に建設されている巨大なプレハブの収容施設は、仮設の建物だと言えるのでしょうか?細かく検証する必要性があります。団体の6月9日の記事を確認すると2枚目の写真にはしっかりと床がコンクリートでできているというのがわかる写真です。写真の右側にU字溝がしっかりと埋設されているじゃありませんか?おそらく呼び名称240だと思います。

建築基準法に影響されない建物については、同法施行令第40条で以下のように規定されている。(適用の範囲)この規定は、木造の建築物または、木造と組積造その他の構造とを併用する建築物の木造構造部分に適用する。ただし、茶室、あずまやその他これらに類する建築物または述べ床面積が10㎡以内の物置、などその他これらに類する建築物については適用しない。

したがって・・・この建築物はどう見ても10㎡以上ありますので、適用範囲外とはなりません。建築確認は必要ということになっています。この建物、ざっくりと写真から面積を計算すると81.98㎡(階段を含まず)ありそうです。それが2棟建築されているわけですから・・・。

ここまで巨大な建物を建築して保護するということになれば、住民の理解は得られれているんでしょうかね?進出もえらく反対されていたようですから、当然のように住民からの反対にあうと思って承諾なしに建設してしまったのでしょうね。

問題なのは、今現在何頭の動物たちが保護されていて、今後何頭の受け入れを行うのか?ということが明確になっていないと、住民の理解は到底得られないでしょう。そもそも・・・団体が言う700頭保護できるキャパと言うが、施設はOKかもしれないが、その施設の運営資金、運営する人的資源はどのように調達するつもりなのだろうか?NPOって会社のように思われたり、ボランティア団体のように思われたり中途半端な存在ですが、基本的な解釈からすれば、ボランティア団体に、法人格を与えたというものです。したがって・・・この団体も単純にボランティアなのですから・・・誰の支援も期待しない、ご自身でどうぞ!っていう形になるのを覚悟で、700頭を保護できると豪語しているのでしょうか?それとも・・・何でもクレクレで運営しようとしているのかは定かではありません。連中の財布の中身を見ているわけじゃないので。

それにしても・・・被災地から1000KMも離れているそんな地域まで犬猫を連れてきては、どうやって元の家族とのマッチングを行うつもりなんでしょうか?まさか・・・被災者に高島市まで来いよ!って言わないでしょうね・・・。

この建築物が本当にシェルターなのかどうか怪しいものです。今は、シェルターとして使うのかもしれませんが・・・じきにに被災動物たちだって家族の消息確認され、それぞれの場所へ移動され事態は収束の方向へ向かうでしょう。その時に、この建築物は、仮設だったから撤去すると言う形になるのでしょうか?(土間床基礎にばっちりとアンカーで固定されているプレハブ物置ですよ)再利用を考えない手は無い・・・。

仮設にしては基礎の仕様などがあまりにも仮設っぽくないと気になるのは私だけでしょうか?実際にボランティアでメシは食えないのに・・・こうやってボランティアだけでメシが食えているというのは・・・やはり疑問が残るのです。

決して、ボランティアでメシが食えているのをうらやましく思ってその邪魔をしようとしているわけではありません。今後、高島市の住民の皆さんが、さらに声を上げてこの団体がやっぱり偽物だったと証明されるように、できるだけ参考になるような切り口を提供していくつもりです。市議会とかでこのような問題は話し合われないのでしょうかね?・・・。はっきり言えば、この団体が行っている処置は適切な処置とは言い切れません。むしろ、住民の生活環境を脅かしていることを懸念しなければならないのではないでしょうか・・・。

シェルター建設の陰に心を痛める近隣住民もいるということをヨクヨク考えて、その寄付行為が正しいものなのかそうではないのかを考えるべきです。

この団体も一時預かりの家族を求めているようです・・・。似たり寄ったりのなんだかわけのわからんそんなデーターです。付け刃のデーターにも程がある。内容体裁まさに似たり寄ったり。参考になるのかならないのかは・・・私の判断基準では参考になりません。飼い犬を探している被災地のみなさんが確認できるように、大量にポスターにでもして各拠点に配布したらいかがですか・・・?

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ペテン師の申し子が咬みつく動物救援本部・・・理解できない?意味が解からん?なんか気分悪い?

理解できないとか、意味が解からんとか、なんか気分悪いとか言っている奴と、それを支援するキチガイの行動や、言動が私には到底理解できないし、意味が解からん。

ペテン師の申し子がこう申しておりました・・・。緊急災害時動物救援本部に集まった義援金は動物愛護団体エンジェルズには配分されなかったとある。だって・・・行政などと協調して活動ができていないんだから・・・配分が無かったのは当たり前でしょ?チャーリーズエンジェルズでさえも貰っていないんだから、その辺のペテン師らが配分を受けられるはずが無い。と思うのです・・・

配分を受けられなかったその理由として掲げられているのは、被災地域の役場から意見書の発行を認められなかったとある。意見書を提示しなかった行政は、ちゃんと本質を見抜いていたと私は思う。この申し子は意見書が提示されなかったことが意味わからんとしているようだから・・・私はその理由をしっかりと幼稚園に通っている子でも解るように噛み砕いて提示するよ!

動物愛護風団体が犬猫を保護したのはわかるが、正式な手続きを踏んでいないから意見書を提示できなかったのです・・・。遺失物の届出を保健所であったり、警察へ届けた実績はありませんでした(福島県)。これが、意見書の提示にいたらなかったその内容でしょう(私は推測しています)

今までやってきた活動が行政に否定されたわけじゃない・・・最初から承認されていなかったから今の結果があるのです。この申し子は、かなり早い段階からエンジェルズの活動を支えてきた実質的被災地活動のリーダーであっただろうと思われますが・・・ここに来て申し子のブログで、否定されたと言う文字を見てしまうと・・・まだまだペテンの呪縛に囚われたままなのね!と憐れに感じてしまいます。

認めてもらうためにやっているわけじゃないけど・・・なんだか気分が悪いと最後締めくくっています。認めてほしいから、配分金をもらえなかったことが意味わからなかったのではないですか?行政に承認されていたと思って活動していたから、否定されたと判断しているのではないですか?認めてもらえると思っていたが、実際には認めてもらえるような勲章がなかったので負け惜しみで、認めてもらおうと思ってやっているわけじゃないと強がっているのではないですか?

ペテン師本人もどこかおかしいのは周知の事実であるが、周りに集まる連中もどこかおかしいのです。このおかしい連中に接近するときっとおかしくなってしまうのでしょう。ペテン師たちが言うように、疥癬が怖いの理屈になってしまう。

すべてにおいて、思惑通りに進まなかったのでそれが・・・気分を悪くした最たる要因じゃないですか?

こうやって・・・ボヤキボヤキで、熱狂的支援者がすこしずつ離脱していく悲しい現実。この申し子も数年後には、あぁ・・・そんな奴いたなぁ~って程度の話にしかならないでしょう。だって、動物愛誤の世界にカリスマは一人で十分なのだから。

そうやって、動物愛誤の二大巨塔はしのぎを削るそんな形になっていくのでしょうか・・・。

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2011年6月 9日 (木)

数のマジックなのか?それとも単純に間違っているだけ?・・・保護したその後の実績

動物のレスキューとか保護とかって言うのは、結果・進捗の報告が非常に曖昧なのです。今回もほとんどの団体が現在進行形でまだまだ、レスキューしなければならない命があります。増え続けていると訴えるその中で、彼らの進捗実績報告は非常に曖昧なものになっています。

ある一時期に保護した詳細が、どさっとWEBに掲載されたと言えばそれっきりでまったく更新の様子がない。更新記録もまったく残さないままに秘密に更新している。こんな状況は、原子炉内部で燃料が溶けていました!と状況ほとんど一緒じゃないですか?あっ!この犬保護していましたと同じです。

ある団体は、どうもおおよその数字400頭を保護しているようです。その実数を把握することはできていません。彼らのブログに掲載しているその頭数を追ったところで400頭以上というところしか見えていません。犬猫あわせて400頭以上はいるってことですね・・・。

そして、団体は家族が見つかっていない犬の一覧というのを公開しているのですが、その枠に掲載されている犬だけで103頭(家族が見つかった、家族のもとに帰ったを含む)家族の依頼を受けて保護した犬猫が引き算をしたところで300頭はいるって計算になります。

今現在400頭いるのは多分事実なんでしょうけど・・・毎夜20KM圏内で10-13頭の犬たちを保護していると豪語していたのは、どこにカウントされているんでしょうか?そのカウントの実績が見当たらないのです・・・。結局は、毎晩闇夜にまぎれて保護しているというのは、単なるパフォーマンスであってその実績は無いってことになるんでしょうかね?法規的措置を加えられるのが怖い?

毎晩毎晩・・・10-13頭を保護しているのなら、供給してくれる20KM圏内にも犬はいなくなってきますよね?どこから犬を調達してくるんでしょうか?犬の情報は、ある程度出てきているのですが、猫の情報はほとんど出てきていません。一時預かりの家族らしき所からは写真つきで近況報告が寄せられているようですけど、どうして猫の情報は公開されていないのでしょうか?

実際に猫も保護しているようですけど・・・どこでどうやって保護してきたのかそのデーターだって公開を求めている人たちはいるんじゃないですかね??世の中犬の飼い主だけではないので。片一方では、毎日毎日保護していると煽っておきながら、片一方では、保護の実績が増えない、報告の無い猫のデーターなのに、何故か一時預かりをしている家族からは近況報告がある・・・こんな矛盾だらけの保護活動でも許されるのだろうか?

行政が団体にシェルター建設を自費で依頼をかけたという記事もあったが・・・こんなことを行政がするわけがない、誰がその依頼を承認したのか?などということの責任問題になるので行政官というやつはこんな曖昧な約束はしない。水面下で作業を進めてください・・・よくありそうないいわけだが。この言い訳は行政では通用しない。

シェルター建設断念の本当の理由は、建設してまでの保護活動継続に収益性が薄いと言う判断をしたのがもっともな理由だろうと思う。愛護団体みたいになっているが単なる繁殖屋が保護活動をしているのだから、ブリーダーが商売を断念した時、計画的に犬を処分するための方法として計画崩壊というのをやってのける。その崩壊に実情は似ているような気がしてならない。

愛護を笠にしてレスキューで犬を譲渡したことだって疑われる。ブリーダー同志で昔からのつながりがあった、その片方のブリーダーが繁殖をやめるけど犬の処分に困ったからどうするか・・・?じゃぁブリーダー崩壊ってことで保護活動展開すれば、支援金も集まるし、犬たちも新しい家族のところにもらわれていくから・・・その方法で崩壊しちゃおうか?って話になれば、すぐにレスキュー活動らしきものはできるし、支援金も集まるし・・・一石で二鳥でも三鳥でも好き放題できるって仕組みです。団体がやっていたのかどうかはわかりませんけどね・・・。

とにかく、被災地では保護活動が必要でその保護実績は毎日毎日増加している。その反面、保護施設では保護実績は増加しない・・・。保護実績報告の無い犬や猫がどんどんと一時預かりなどで外へ放出されている・・・。いったいぜんたい保護実数はどうなっていて、施設の外へ出てしまっている犬たち猫たちはどのくらいいるのだろうか?まったくわからない・・・。数のマジックというよりは、適当にあしらわれていて、お涙頂戴の文面でだまされているようでならない。まずは、保護実績総数というのが不明、更新データーがまったく無い、保護データーの完全版がない・・・なにからなにまで、お茶を濁した程度の資料でしかない・・・。

なんだか、保護されたその犬たち猫たちって外に情報を公開してもらえないと、家族に会うチャンスっていうのが絶たれてしまうのでそのあたりはちゃんとトリートしてもらわないとまずいんじゃないかなぁと思うのです。

実績値-公開データ=0じゃなきゃつじつまが合わないのに、今出てきているデータをどういじっても最後は0にならない。こんな等号で結ばれないような算式は通常算数だったり数学では学ばないだろうに・・・。やっぱり一般人に認識されるような公明正大な数字で説明をされるのが良いのではないですか?

説明がされないと・・・やっぱり、愛護でメシが食えるんだ!ボランティアだけでもメシが食えると勘違いした連中が次から次へと現れるそんな仕組み作りに協力してしまうことになりますよ・・・て言うか、どっぐパークの二匹目のどじょうを狙って参入したのだからそんなのはとっくにお見通しって言うところでしょうか・・・。

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2011年6月 8日 (水)

キリスト教世界の動物観・・・動物たちは死んだら天国へ行けるのか?

ペットは死んだら天国へ行けるのか?それは、キリスト教の世界ではNOですね。

天国に行けるのは、主イエスキリストを救い主と信じるものだけなのですから。人間は神に似せて作られました。それは、姿かたちだけでなくすべてを似せているのです。神と魂の交わりが出来るものとして作られたのです。しかし人は罪によって、神との交わりが出来ないようになってしまいましたが、神との信頼関係を修復し、神を信頼して生きると言うことが、すべての人に対する神からの要求です。そしてその要求に従った者だけが天国に行けるのです。

↑は人が天国に行けるその理由です。さて・・・動物たちはどうでしょうか?動物たちというのは、神に似せて作られていません。ですから、神との魂の交流はできません。端的に言うと天国には行けない存在です。残念ですけど・・・。だからキリスト教世界のペットの飼い主たちは、ペットの天国として所謂虹の橋の御伽噺を作り上げたのです。

ですが、その命をゾンザイに扱って良いと言うことにはなりません。神が世界を創造した時に、人間にすべての創造物を管理する役割を与えたのです。この役割は支配ではない。神が創ったすべてのものを無駄に破壊したり、粗末にすることは神の計画に反してしまいます。即ち神の栄光を現さないのです。そういう事からキリスト教徒は絶対に他の命も粗末にはしないのです。ペットの延命がすべて良しと言うわけではないのです。

一部の狂信的な自称愛犬家という飼い主は沢山いますが、この厄介な愛犬家という人たち、ちょっと考え方に幅を持ってくれれば、本当の愛護というのが見えるのだと思うのです。でも・・・狭まった視野はそう簡単に広げられません。

動物のいまわの際に直面した時に、どうしても一日でも長く!と、人間主体になって物事を考えてしまうのです。数多くのブログの中でも、凡そは、一日でも長く家族と一緒に居てあげて!、がんばって!などと人間への要求を感じさせるような言葉だけが羅列される。実際には、動物病院んどから命を止める判断が飼い主に要求されているとしても・・・。わが家のブログでは、その命の取り扱い方について、一日でも長くと言うのではなく、動物のために、命を無理やり延ばすための輸血であったり、投薬治療については、その子を苦しめるだけだからと、その考え方をもう少し広げてもらおうと思ってのアドバイスをしたつもりなのですが、気に入らなければ、それを批判だと称してあででもないこうでもないと・・・論争の中心に置いてくれるそんな連中も居ます。決まってそんな連中は、自称愛犬家というのが多いのです。

飼い主がどのような治療方針を立てても良いのです。それが、ただただ延命と言う処置であっても。アドバイスに耳を傾けなかったり、目を据えることがなかったのは、その人がそれなりの考え方だと言うことです。結局は、その判断した処置が本当に適切だっただろうか?と毎日毎日ペットロスと言う病で心が蝕まれていくことだと私はそう思います。だって・・・無理やり延命したのですから。別の方法を選択したら、あと一日長く一緒に居れたかも?って思う幻想が恒につきまとうのです。きっと・・・そのような経験を過去にもしているのでしょう。

わが家の飼い主だって、過去に犬の死に際に何度も直面しています。過去には、今ほどの獣医療が発達していなかったので、なんだか様子がおかしいよ?と動物病院へ駆け込めば、大抵は手遅れで助からない命。あとは家に連れて帰って、一緒に時間をすごしてあげてくださいね。というのが一般的な最期だったと思う。それでも、もっと早く異常に気が付いてあげればと悔いが残ったものです。

だから、わが家の飼い主は・・・できるだけ悔いの残らない方法で犬の最期を迎えられるようにとそのアドバイスの必要性があるのだと考えるのです。飼い主の判断で安楽死を決定する。延命治療なしにその犬の生命力を信じる。その二つの選択肢しかないのだと思います。わけのわからない理由で延命というのは、未来永劫悔いを残すものだと感じます。この方法が最善だったという根拠がないのですから、延命治療というのは・・・。

キリスト教の考え方の動物観というのは、ある意味人間の事しか考えていないのね?とか思われるかも知れません。主イエスキリストを信じるものだけが天国へ行けるという思想ははっきり言って選民思想だと私も思います。がしかし、その文面の裏側に隠された大きな愛を感じられないのは、はっきり言って、その思想を信仰する価値がないのだと思っています。

飼い主の判断で、決めた延命措置ですから、今後どのような苦しみが飼い主を襲ったとしてもそれは、望んだ結果であって、その結果からはどうやっても逃げることは出来ません。もちろん・・・延命措置を承認したり、それを応援した人たちだってその通りです。飼い主は、そのことを一番知っているのだと・・・。

ある飼い主は、こんな決断をしたようです。飼い犬が逝くタイミングは飼い犬が決めることだから、その場面に一緒に居るというのは、その時まで絶対に寝ないということ・・・そんなことは無理だからと、出来るだけ一緒に入れる時間を作ると決めたようです。きっと飼い犬は、自分の気持ちが飼い主に伝わったと思って安心していることでしょう。飼い犬は、きっと旅の支度は出来ているんでしょう。あと何日一緒に居るかなぁ・・・と決めているところでしょうね。旅に出ると行っても目的地そこは、すぐ近くなのですから・・・飼い主はほんのチョッとだけさびしくなるだけです。旅の目的地は飼い主の心なのだから。飼い主の心へ旅立ってしまえば、あとはずっと一緒です。老いも、病気もありません。一番の良い時、一番可愛いかったその時しかないのですから。

きっとこの飼い主さんにペットロスなんて心を蝕むような病は襲わないでしょう。最善の方法を飼い主が良いタイミングで選択できたのだから。獣医師もその決断に良いアドバイスをしてくれたと思います。

動物にはキリスト教世界で言う天国は無い!でも彼らの安住の地である”天国”は飼い主の心の中である。でも、その心の中にある安住の地にいける飼い犬は非常に少なく、路頭に迷うそんな犬たちの魂があちこちに浮遊しているのだと思うと心が痛みます。最期のことを飼い犬が元気なうちから考えるのはちょっと出来ないかもしれません。最期が近づいてくる時に適切な命の取扱いが出来るようにと考えてておく必要性と、人の訓練の必要性を考慮しなければならないかも知れませんよ。

あなたの家の犬たちは、安住の地である飼い主の心の中にある”天国”へ導かれるのでしょうか?

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2011年6月 7日 (火)

あたりまえの世界があたりまえにならないお涙頂戴の世界

ある飼い主の犬は、現在その命に幕をおろそうとしている。飼い主は、その命の幕引きの時期を見定めている。飼い主の考え方は、非常に共感できるものであって、その辺に転がっているような安っぽい気構えでないのも私は十分に理解しているつもりである。飼い主も私の考え方を理解しているようだ。

犬でも何でも同じなのだが、心臓が動いていて温かい血が身体を流れているものには、その命が止まるということが早かれ遅かれそれにはやってくることであって避けられない。ただ、飼い主にとっては、その最期の瞬間を受け入れることが難しく取り乱してしまうことはおうおうにある。この取り乱してしまうことは、誰にでもあることだと理解しているが、そのことに配慮をしないで、ブログの記事にダラダラとがんばってね!とか一日でも長くそばにいてあげてね!などという飼い主とその飼い犬を愚弄するような言葉を投げかけるのはどういったものか?と私は考えるのです。

それは命に対しての厳しい意見なのかもしれないが、飼い主と飼い犬をそっと見守っておくことが周りの配慮と言うものだと思う。問題なのは、命の終わりが見えていたのを、ブログに記事として掲載することは、飼い主の気休めになるのかも知れない。実際にブログという公表の手段を持たなかった頃の私の日記には、犬を失うことについての記載もあり、状況を事細かく記載していたのも事実。ただ、あちこちにむやみやたらと助けを求めるようなことは当時出来なかった。ネットを駆使すれば、あちこちから助けを受けることも出来るのは周知の事実。

獣医師と話をしてみたが、命に見切りをつけるのは日本ではまだ許されていない。おおよその飼い主たちは、どのようにしても良いから一日でも長く一緒にいさせてくださいと、獣医師に嘆願する飼い主が多いとの事。犬には、人間に有るような病気は殆ど存在していて、ガン、糖尿病、心臓疾患などなど・・・不治の病と呼ばれるものは数多くあるのですから、その度に死を宣告していたのでは、まかりしないと言うのです。

ただ獣医師は言うのです、飼い主次第で死の宣告をする。薬に頼って生きていくのは正常な状態ではない、だから安楽死を選択するのも一つの愛護の形だと厳しく現実を突きつけると言うこともあると言うのです。ただ、それは本当に少ないレアケースなのです。安楽死を推奨するつもりは全くありません、しかし、動物たちを苦しみから1日でも早く解放すると言うことは、飼い主が出来る最良の取扱いであって、その責任を飼い主は果たさなければならないと思うのです。

欧米での獣医師は、すっぱりと、この子は助からない。命を止めるのも飼い主の判断で必要なことだと・・・とアドバイスをしてくれます。このあたりの判断は、日本人の獣医師は感覚として持ち合わせていても、飼い主がこの感覚を持ち合わせていないが故に、飼い主のお涙頂戴の世界に引き込まれてしまっているのです。

獣医師は、出来るだけ飼い主たちと飼い犬がどのように過ごしているのか?飼い主はどのように犬たちの気持ちを汲んでいるのか?を探るために必死になっていると言います。闇雲に薬漬けにしているわけじゃないのです。

薬漬けにしているのは、殆どの飼い主と言うことになりそうです。飼い主が治療方針を決めているのですから。今、命の幕引きの準備をしているその犬の飼い主さんは、すべての治療を取りやめて、その命が尽きるのを静かに待ちながら、一緒の時間を1秒も無駄にしないように過ごしているそうです。このような買い方に共感するかしないかは、人それぞれの判断です。批判しているなんてそんなことなんかどこにも存在しません。

実際には、貧血の症状も進んでいるので、輸血をすれば、延命が望めたかもしれません。でも実際に、この飼い主さんは延命の措置を取りませんでした。それも、飼い主の判断です。輸血が悪いとかそんなことを言うつもりはないのです。飼い主の心構えが、一日でも長く生きられるように、それが例え延命であってもなどと言う考えが許せないし、それに賛同するその連中の考え方にも大きな疑問を抱くのです。

時として、輸血にはできるだけ協力しますなどといいながら、その犬の供血犬としての登録はしていますか?ブログでなんとなく繋がったその飼い主に悪く思われたくないが故に、供血の申し出をしてみたりと、所謂お涙頂戴の世界での協力ということになっているのでしょう。

実際に、わが家の犬たちは、心臓疾患などの大掛かりな手術が発生した場合に、供血犬として、協力するようにと供血犬として登録をしているのです。それは、ただ、延命のための協力と言うのではなく、外科手術によって、疾患を治癒することが出来るような場合にということです。

場合によっては、延命措置のために協力をすることがあるかもしれません。ですが、基本的には外科手術のための血液確保の協力です。延命措置をして1日長く家族と一緒にいたことを良しとするのか?延命措置なしにして、家族と一緒に居る時間が短くても内容の濃い時間を共有するのか?どちらかを選択しなければならないでしょう。

犬は人間の家族に迎え入れられた時から、首輪を預けられてその自由を制限されてしまいます。病気、老いによって、死を覚悟して、更には目の前に死が迫っている、その死を避けることが出来ない場合に、飼い主は、一刻も早くその不自由な囚われの身から解放してあげるというのは、これ必要な取扱いだと思っています。

輸血をしてその命を延命させるということは、囚われの身の立場を延ばすということになるのではないでしょうか?今いま命を閉じようとしている犬は、飼い主さんがちゃんと倫理規定を設けているので、今は人間の家族として、命の尊厳も守られながら、残りわずかな時間を許す限り楽しんでいるのが、この飼い犬だと思います。

今までに、数多くの困難をクリアーしてきた犬ですから、その命の尊厳を守り抜く飼い主さんの考え方も十分に理解してあげるということは必要だと思います。

世の中かわいそうだから、という理由だけでは成り立たないことも沢山あります。そして、ブログで情報を公開した所で、その情報の真意がすべてに伝わるとは言い切れません。まして、チョッとでも気に入らない事があれば、その気に入らないことに牙を剥くことだってあります。

ブログでの仲良し、友達といいますが、所詮は、ネットの中のある意味バーチャルの存在でしかないのです。いくらキレイな文章を並べてみたところで、それが本物かどうかなんて分からないのです。そして、キレイな写真を並べたところで、その犬の様子が分かるかどうか?・・・そんなの分かるわけがありません。犬の匂いや、息遣いなどが一瞬を切り取った写真で分かるわけがありません。

もう・・・命を閉じようとしている犬の様子は、写真で見ることは出来ません。飼い主さんが写真は公開しないと言う方針で決定したのですから。この飼い主さんは、お涙頂戴をするようなことはしません。ただ、飼い犬の最期をどのように受け止めるのかをしっかりと心して、その時を静かに待っているのですから・・・。

この飼い主さんは、言っていました。犬にがんばってとか、一日でも長くそばに居てあげてねとかいうコメントには正直どうやって答えたらいいのか?ということを・・・。この飼い主さんがブログ上で公開しているその気持ちは、お涙頂戴でなく、本心からその命の最期を見つめ、どのようにしているのかと言うことをありのままに表現しているが故に、共感できる部分も沢山あるのでしょう。

私も、この飼い主さんの記載には共感できる部分があって、その最期を静かに見守るようにとしているのです。ブログにコメントが有るか?無いか?は、そのブログに共感しているかしていないか?賛同しているのかしていないのか?については全く問題外であって、そのブログが支持されているのか?されていないか?などを判断するその材料にはまったくなりません。

だって・・・ブログにコメント残してね?など一回も要求したことはないし・・・。嫉妬に狂ったわけの分からないコメントも有りますけど、コメントで自信の考え方を方向転換することは絶対にありません。

嫉妬に狂った飼い主にになっても、犬はきっと喜んではくれないでしょう・・・。命を粗末にしているとは、必要な時に必要な処置をしてあげなかったということです。命を飼い主の責任で止めてあげなければならないこと、その時がきたときに飼い主として本当に心を痛め、その決断が正しかったのかどうか?と常に飼い犬から問いかけられることになるでしょう。

今の殆どの飼い主は、仔犬が生まれた時に、時としてその命の中に、この先命を与えてはいけない子がいたとしてもその命を止めることに戸惑いを持つのでしょう。かわいそうだけでは、なんともならない現実もあります。知り合いにブリーダーが居ればそのブリーダーからブリーダーとして一番心苦しいことはなんですか?と問いかけると命の大切さと言うのを知ることが出来るかもしれませんよ。

命の大切さを知るためには、手厳しいことを言われるのも覚悟、その現実を直視することも覚悟しなければならないのです。すべて・・・お涙頂戴の世界ではなんともなりません。

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2011年6月 5日 (日)

日本人が愛護風団体に際限なく寄付し続けるその理由、カネも気持ちも無尽蔵にある!そこに注目

日本に存在している動物愛護風の団体は何故にチンケな規模なのか?と考えたこはありますか?おおよその反応は”ありません”と言う反応になるでしょう。そうなんです・・・答えはそこにあるのです。普段はそんなことを考えない国民性を持つ日本だから巨大な組織になることができないのです。

チンケな団体では、”イベント”を抜きにして生き残っていくことがほとんどできないのです。だから、愛護風の団体にとってショッキングで話題性のある”イベント”には目が無いのです。それは、私自身のブログでも以前に示したところの”震災プレミア”と言うことに他ならないのです。

とは言っても、震災の発生は、3月11日であって、まもなく3ヶ月が経過しようとしています。さすがにまだ生きている、飲まず食わずで、野山を放浪していると言う理屈は使えなくなってきます。連中の言い訳を時系列で並べてみると論旨の展開がおかしくなってきているのです。命をつながなければならないと言う理屈には変わりはないのですが、被災地での命の存在が状況とはちょっと違うのでないか?と想えて仕方がありません。

震災発生当初、犬たちは大変怯えていて、人間に近づこうとしない・・・云々とある。震災発生直後であれば、人から離れた直後で人を探して歩くので人を見かければ苦労なく保護が出来たはずであるが・・・連中の記載にはそのような記載は見受けられなかった。

そして、震災から1ヶ月を経過した頃には、まだ飲まず食わずで生きている子達がいる。その子たちをどうしても助けなければ・・・と理屈先行で、イケイケドンドンで捕獲をしていたのではないでしょうか?彼らの理屈からしてみれば、人恋しくてどんどん近寄ってくるという記載になっているが、このような記載は根拠が無くて、クリフォードギアツ言うところの厚い記述になっていない。

クリフォードギアツが分からない人はここで詳細を説明するつもりは無いので、以下の書籍を参考にしていただければと思う。クリフォード・ギアツ 著 文化の解釈学I II 出版社 岩波書店 ISBN 9784000047876, 9784000047883

それ以降の記述については非常に曖昧で現地の様子は殆ど報告されることが無くなった。そして、犬たちはどうなるのか?というとすべてを原子力発電所のトラブルに責任転嫁をしておいてその命を守ることの重要性と原子力発電所の危険性をどさくさに紛れてどこかの環境保護団体と一緒になったようにみせかけ政府批判を繰り返し自身の存在をピンボケにさせているのではないか?

被災地の中で、犬を捕獲することが難しく、行政が手を焼いているのは、殆どや野犬化して捕獲が難しくなっているから捕獲数が実績値として上がらない、やる気の問題ではないと思うが、動物愛護風の団体は行政批判のネタのためにやる気などと言い精神論の世界で実績数が上がらないのを叩いている。実績数が上がらない理由を、捕まえやすい犬たちを先を争い捕獲した動物愛護風の団体ならその実態を十分に理解しているだろう。実際に愛護風の団体ですら、保護した犬の詳細のデーター公開スピードが猛烈に低下してきている。

それでも、人心を惑わせ、善意の寄付をふんだんに受けながら、何らかの理屈をつけては新しい寄付を募るのが目立ってきている。シェルターの建設(新しいのも建てました)コンテナハウスの設置、いつでもかかって来い!などというようなパフォーマンスははっきり言ってイラネ!それでも、その風の団体はそれぞれにそれぞれの理屈を用意して、次から次へと寄付金を集めようとしているではないか?

その煽動に惑わされる人心にも問題がある。あなたのその資金は無尽蔵ですか?次から次へと寄付をするその行為は、はたして本物の愛護から出る行動でしょうか?疑問を一斉に払拭する方法などありません。

私がアメリカにいた時にある、自然環境保護団体のパーティーに参加したことがあります。日本ではありえない規模のパーティーです。日本の愛護風の団体を含めそんなパーティーなんかをやったと言うようような記憶はありませんので、きっと無いのでしょう。そのアメリカでのパーティーと言うのは、一般の支援者もやって来ますし、大物の政治家もやって来ます。そしてアメリカなど欧米では当たり前のロービーイストと呼ばれる圧力団体の大物もやってくるのです。結局はパーティーと言っても大掛かりなチャリティーであってその場が寄付を集める場所であり、その理屈なのです。日本の愛護風の団体がやろうとしているのはこのアメリカなどでよく見られる光景なのではないでしょうか?

でも、日本人にはこのパーティーは基本的に納得してもらえないものです。平常時何もプレミアが発生していない時のパーティーですから、日本人はそんなパーティーに足を運んではくれません。むしろ、今の震災などショッキングなことが発生しているのが日本人を騙すのにはちょうどいいのかもしれません。

なんだかんだ言ってもプレミアが大好きな日本人ですから。そういえば、AKBの総選挙の投票権が組み込まれているCDを一人で800万円分以上も購入したキチガイがいるようですけど、プレミアを求めるこの姿と、気が狂ったように動物愛護風の団体を支援するその姿は重なる部分が多く見えるのは私だけでしょうか?

直近では、梅雨時期になったので平日のボランティアが減少しているから手伝いに来てほしいなどという書き込みも見られます。どういう意味なのか?さっぱりと分かりません。実際問題自分たちだってボランティアなわけなのだから、活動してくれるボランティアを募集していますなどと言う表現は・・・自分たちは何者になっているんでしょうね?”救済の神”にでもなったつもりなのでしょうか?謎だらけです。

そして笑えるのは・・・今のシェルターを増設するから犬たちを移動するボランティアが欲しいのだそうです。どこへどうやって移動するのでしょうかね?400頭以上。

敷地一杯に作られた仮設の所謂バラックをどうやってこれ以上増やしていくのでしょうか?そして、福島に建設予定のシェルターはどうしたんでしょうかね?私は、福島から出来るだけ動物達は離さないほうがいいのだと思うのですけど・・・結局は福島から離してしまって別のところにシェルターを増設してしまうのですから。この主義主張が適当に変更されてしまうのは説明を受ける必要性があると考えます。

日本人の多くの寄付行動と言うのは、寄付したら”ハイおしまい”と言う考え方に基づいた行動が一般的です。欧米の寄付行動と言うのは、信念(信仰)に基づいた行動であるために、その寄付がどのように使われたのか?などと定期的に報告しないと継続しての寄付はえられません。欧米ではその辺のケアはちゃんと出来ています。日本の場合は、お涙頂戴でなんとかなりますから、欧米の寄付よりはやりやすいものではないでしょうか?

ところで、多くの外国の動物愛護団体と協調しているといった話題の愛護風の団体は、海外の団体、個人に対してどの程度の言い訳をして支援を受けているのでしょうか?それとも海外は納得してくれなくて、すでに支援はされていない?そのあたりも、”俺達は海外からも注目されている”としながらその後の協調の様子などは全く見えませんね・・・。結局はあれもパフォーマンスであって、意味を成さなかった?

こんな内容でも、日本人はお涙頂戴の世界でつぎからつぎへと寄付を行い、その寄付者の財布は底が見えないほど資金を蓄えているのだろうか?日本人の寄付行為は無尽蔵というよりは、節操がないと表現せざるを得ない。

まさか・・・あなたもその無尽蔵な寄付行為に加担しているとは言わないでしょうね?活動の趣旨やあり方を検証しないままに、募金箱があれば、考えずに小銭を握りしめて投入するなんてことやってないでしょうね・・・。

あなたの行為(善行)が無になるかもしれない恐ろしい日本人の集団心理が湧く無尽蔵の寄付行為は善意をダイナシにるす危険な行為です。

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2011年6月 3日 (金)

証拠が無いのでなんとも言えません・・・訳の分からない愛護風の団体が独自の活動を展開するその本当の理由

どうも、被災地での動物愛護風の活動はある一定の決着を迎えそうなところまできている。それは、どういうことかと言えば、動物救護本部は、一定の活動が収束を迎えるとその本部を閉じなければいけない。その収束を一応定義したのは6月の20日前後と言うことなのです。この情報は私のように、一般の飼い主であっても容易に入手できる情報ですから、当然のように愛護風の団体も情報は入手しているでしょう。

もう、尻が見えているシナリオでどんな屁理屈をつけて引き伸ばすのか?を考えたところで今回は、予想もしていないところで邪魔が入ったりで資金十分に集められなかったのではないかと思われます。

資金を集めるのに障害になったのは、以下5つが主だったのではないでしょうか?

まず第一に、命を繋がなければいけない・・・と煽ったのはいいが、思ったほど犬たち猫たちが居なかったということ。津波に飲み込まれて、保護の対象が居なかったと

第二に、東北と言う地域でどのように犬猫が飼育されているのか?認識が無いままに思い込みでの情報をネットに流してしまったと言うこと。地元からの反感があった

第三に、動物救護本部の活動が、予想外に地域密接であったこと。地域密接型の活動であったために、飼い主を騙すところまで饒舌になれなかった。

第四に、被災地以外からのボランティアの活動をネット経由で見ていた連中の事実追及が激しかったために手足を出せないところがあった。

第五に、東北は思った以上にネットとPCの普及率が低かったことと、飼い主の高齢化が進んでいたた。通常デジタル的な生活をしていないのにいきなりデジタル生活を押付けるのは無理だった。

とまぁこんなところだろう。実際に事実確認が出来ているのは、1,4,5については事実の確認が出来ている。

さて・・・今回の震災で懐に納めようとしたその善意はどのくらいを想定していたのだろうか?まぁ・・・数ヶ月に渡るその支援風の活動ですからねぇ・・・3つくらいは計画していたんでしょうか?3つもあれば、莫大な金額でしょうか・・・。(十分ですか?コッソリ)

さて・・・動物救護本部が設置されているのに、どうしてその本部と強調しないのかその謎が深まるのですが、ここへきてやっとその理屈が分かりました。動物救護本部と協調すると、行政からの縛りが出てくるために、独自の勝手極まりない傍若無人な保護風の活動が出来ない事と、動物救護本部を名乗っておいて、支援金は、自分たちの団体にね?とはいえなかったからだ。救護本部と協調していないが故に、殆どの意味の分からん愛護風の団体は義援金分配を受けられなかったのが現実となっている。是を見越しておいて・・・結果的には、動物救護本部をバッシングした内容を自身のブログ記事に展開したわけだ・・・。なるほどね!

問題は、それぞれの現地救護本部が収束して撤収した後のそれぞれの保護団体の活動のあり方について予測しておかなければならないだろう。

何れの場合にも、何らかの屁理屈をつけてその活動の継続性を周知徹底させなければならない。どんな理屈をつけるのだろうか?理屈によっては、団体自身が疑惑にまみれる可能性も否定は出来ない。まずは・・・被災しているであろう犬猫総数がどのくらいなのか?おおよその数字も把握できていないのは問題がある。

今様々な情報が飛び交っている中で、福島県いわき市でドッグガーデンをペテン師率いる愛護風の団体に場所を提供して協力をしていたドッグガーデンですが、自身の生活がままなら無くなったので、その活動を終了して、自身での生活再建云々の表明までしておいて、舌も乾かないうちに、やっぱりこれからも団体を支援していきますとは何がそう再度支援させるようにしたのか?そこに何があったのかは分かりません。ただ、支援しますと表明した以上何か鼻薬でも嗅がされたのか?と疑わなければなりません。団体のブログには、水の問題が撤退の理由だと記載がありましたが・・・水の問題は解決したのですか>それからドッグガーデンのオーナーの生活はどうやって保障してあげるのですか?ちょこっとだけ表面を見ただけでいくらでも疑惑が湧いてくるじゃないですか?・・・いくらの支援を受けていくらの支援を実際に消費したのか?子供のお小遣い帳くらいの報告があってしかるべきじゃないですか?それは、支援した人たちへの最低限の礼儀です。ペテン師に礼儀なんか説いても理解なんかしてくれないか?

じゃぁ・・・今度は別の団体だな。福島県内に、1000坪なのか2000坪なのか取得してそのあとそこに1000頭規模のシェルターを運営すると豪語していたのにその中間報告はどうした?衆議院議員のブログには、飯舘村の犬700頭、猫1000頭を支援していくために、1200坪の用地を確保したとあるが・・・その後はどうしたんだ?

5月31日に福島県北保健所から15:00に湘南シェルターへ犬1頭を移送するという計画があったのではないですか?福島にシェルターを設けるのであれば、長距離を移動させると言うのは、非常に効率が悪い話です。衆議院議員は5月12日に自身のブログにそのように記載してあったのですが、その後の報告は・・・秘密ですかね?もう既に、3週間は経過しているのですから、なんらかの工事は進んでいますよね?待っている命はまだまだありますと言うなら・・・さっさとシェルターを運営してあげなければならないのではないでしょうか?

矛盾だらけ・・・シェルターのキャパ(湘南)を大きくするために資材などの支援をお願いしたとあるが・・・福島に造ってやれよ!って言われませんか?何故に、湘南まで移送してくるのですか?湘南以外の場所にシェルターを作ってしまうと採算分岐点を下回ってしまうから・・・できるだけカネをかけるなとボスから激が飛んでいるのですか?

ほら・・・ちょっとしたところを見られただけでああでもないこうでもない・・・と疑いが湧いてくるのはどうしてなんでしょうか?身辺がキレイになっていればこんな疑惑にまみれる必要性もないでしょうし、例え疑惑にまみれたとしてもすぐにその疑惑を晴らすことが出来るでしょう。

この組長が率いる団体も、今回受けた支援の内容が見えませんし、その使途会計が報告されていません。本当にこの団体で良かったのだろうか?不安になっている人たちは沢山居るんじゃないでしょうかね・・・。

この団体については、官邸で喚いた、警戒区域での活動許可の話、福島に建設計画のあるシェルターの進捗報告ななど、ネットユーザーに対しての報告義務が果たされていません。辛くも・・・個人の適当なブログとはあなたたちの法人としてのブログの信頼性は全く違うものです。法人は、ちゃんとけじめをつけるべきですね・・・私はそう思います。

結局は、カネ、カネ、カネが複雑に絡んだそんな中での動物救援活動だから言い訳にも苦しくなるそんなところなんでしょうか?

フィラリア、狂犬病予防ワクチン、避妊去勢の処置を被災地の飼い主がなんだかでたらめにしているような記載が一部の愛護風の団体にあった部分を知人の獣医師に示したところ、大変に怒っておりました。疥癬とは、基本的は完治する病気であっておそるるに足らない病気だと言うこと、シェルターを運営するなら、すべての動物がOpenになったスペースにひしめき合っているようなそんな構造のものでは話にならないと・・・

実際にシェルターとしての運営経験がある人の発言だとはとてもじゃないが思えないだそうです。疥癬があるような犬であれば、素人目にもその症状の把握は出来ると言うことです。まして・・・犬猫の愛護活動をしていて年がら年中動物達を見ているわけだから、凡そ間違いなく発見できるとも言っておりましたよ。

フィラリアの抗体検査をしたところ殆どが陽性だということが記載されているが、その抗体反応は、極最近の抗原抗体反応ではなく、過去、昨年、一昨年に感染したその結果であって、直近の物ではないというのです。そして、東北地方は、犬を番犬として古くから家の外に繋ぐ風習が有るが、実際には30年も前の世界の犬の飼い方をしているわけではなく、昼は外、夜は中というように、反外、半中みたいな飼い方になっているので獣医師はなお更フィラリアの予防について周知徹底し、飼い主には予防してもらうように案内し、予防の実績も上げているというのですから、殆どがフィラリアなどというのはチョッと考えられないと申しておりますが・・・。

このような、根拠の無い殆どがフィラリアなんだとかいうような話は、地域で犬猫の診療をしている獣医師であったり、診療機関を愚弄するような発言なので大変遺憾だということです。根拠を持ってして記事掲載するならまだしも、根拠を示さないで殆どがフィラリアだというのは許せないなぁと言っておりました。

行政、獣医師までも排除の対象にするそんな愛風の団体、カネが動くから、その活動をする。是が本当の活動趣旨かもしれないなぁ・・・。

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2011年6月 2日 (木)

そんなに心配ならば真相は自分で調べて見たら?・・・ここ数日動物愛護を食い物にしている団体に関する記事へのアクセスが多い

毎回毎回思うのだが、自分が支援しているその愛護風の団体が信用できるのか出来ないのか?何故に自分で調べようとしない?その理由は、自分が支援したものは、間違いなく清く正しく使われたんだ・・・とどうやってもその思いだけは、根拠の無い話で汚して欲しくないというのが殆どだろう。ただ・・・心の奥底では、本当にその支援は正しかったのだろうか?と疑いもあることは否定できない。

でなければ・・・根拠を求めて、ネットを彷徨うことなんかしないのである。

今日の記事にはどこにも根拠がないが・・・もし、わが家の自信に満ちたブログの根拠は内部情報を漏洩させる手引きが居るんだと言うことを私が言い出したら、この話題に上げられている”風”の団体はその裏切り者を徹底的に捜索するのだろうか?実を言うと・・・そこが非常に興味のある部分なのです。

核心に迫るには、故事成語のとおり、”虎穴に入らずんば虎子を得ず”ということと同じで、愛護風の団体へ自身の身を投入して探らなければならないのだろう。当に、東京電力が原子炉本体の中で発生している事象がどんなものなのか把握できていないのとほぼ状況は同じ。 A core melting or  A swindle?

辛くも、東京電力は、原子炉を制御している各種のセンサーからのデーターを分析することで凡そ原子炉の内部で発生しているであろう事象を予測できた。一方わが家の飼い主が東京電力同等の情報を得る為に敵陣へ乗り込んだという実績は無く東京電力のそれからは、一歩も二歩も後退しているものだと認識をしているのです。

ただ・・・面白いもので、つじつまが合っていない事を指摘すると、過剰に反応する熱狂的な信者が現れたり、どこか?2chあたりでリンクを貼られているのでしょうか、そこからの来訪が爆発的に多くなるのです。中には、果敢にもブログへコメントを残すのだが、支離滅裂で論旨不明、どうやってあしらって良いのか?迷うような豚沈寒(トンチンカン)なものもあります。 所謂ブタ 浮上できない屁理屈 そしてコメントの内容が薄くて寒い トンチンカン(敢えて正しい漢字は記載しない)

なんだか良くわからないのです・・・、正常であれば、お前が載せている記事の根拠はどこにあるんだ?それを正しいと証明できる方法はあるのか?とそこを追求してくるのが正常でしょうけど・・・どこか残念な連中は、殆ど、論旨無しで、なんだか訳の分からない誹謗とも中傷とも言えないような中途半端な内容で連続してコメントを残してみたり、どこかのブログサービスにブログ記事を掲載してそこをリンクして誘導してみたり、根本的にやりたい事とか打ち消した事とかをうやむやにした憎悪に満ちた単純に個人を攻撃することしか術が無いのです。なんとも悲しい現実ですね。

こういう、一時の怒りであったり、憎悪というのは、根拠が無くても消失せれば良いと思うが故に、益々論旨など無くなるのです。困った連中と烙印を押すのもちょっと考えます。烙印の価値も無いっていうのは・・・基本的に残念な人たちですよ。烙印も押してもらえないのですから・・・。

わが家のブログが正々堂々と記事にできると言うことは、根拠があるからであって、根拠が無いものに触れている記事は無いと記憶している。例えば、噂の”風”の団体が、ブリーダー業だけでは、食っていけないので、収益を上げるために、なんちゃってボランティアで莫大なカネを稼ごうか?などと法人内部で話し合った・・・と根拠を掴んでいないのに、そんな記事を掲載したつもりはありません。

↑がもし本当の話だったら・・・明日には気が狂ったように情報を漏らした奴は誰なんだぁ~って内部はどやしまくられるんでしょうか?もしかして・・・?

誰か内部通報者がいて上のような話をすべて私にしてくれるとしたら・・・もう既に口を閉じておくのが我慢できなくて次から次へとドンドン記事にしているところだと思います。憶測は憶測をドンドン成長させます。だからこそ、根拠の無いものについては記事に掲載しないようにしているのです。

あそこの団体は・・・支援金を集めて、役員達で山分けにしようと言っているとかそんな事は言えないなぁ。わが家の記事に記載されたのは、救援物資、支援金の使途会計報告が明確に報告されていないが故に、いくらでも好き放題作文が出来るからその報告をもってして資金の透明運用性を証明する必要性があると言って、それが出来ないのは非常に怪しいという所謂三段論法の型式を辿っているはずだ。

憶測が憶測を呼んだ・・・支援金を集めて、莫大なカネが団体に入ってくるぞぉ~なんて取らぬ狸の皮算用をやっておいて、今は・・・左団扇になっていることはよもやあるまいな・・・という具合の表現になっているだけ。そうじゃない・・・って説明、弁明をするなら記事掲載を継続し透明性を高める措置を取る必要性がある。

でもだれも・・・やってくれないし(熱狂的な信者)、団体自身でも怪しい部分を払拭できていない。あえて触れたくないのかもしれないけどね・・・。

わが家のブログ記事に瞬間的に群がる連中は、所謂嫌がらせなのだろう(無言の圧力ってやつか?)、定期的に訪問している極少数は、根拠を探しに来ているのだと私はそう理解しています。

本当はボランティアなのだから、自己完結してもらわないとダメなんです。熱狂的な信者であっても、その支援が正しかったのか正しくないのか?それをは、わが家のブログで確かめるのではなく、自身の努力で情報を集め、そして自身で判断することが是自己完結というものですよ。

今になって・・・自身が支援したその先の団体が怪しいのか?怪しくないのか?ということについてどこかで判断基準を得ようと思うのは、最初の判断が冷静ではなかったと今になって、冷静に考えられるようになったということなんでしょうかね?

真実なのかどうかは分かりませんが・・・わが家のブログにコメントを残す人の中には、実際にボランティアをしていたが、マヤカシノ活動に耐えかね、その活動を少しでも支援してしまったことを後悔していると、わが家のブログで懺悔しているそんな人もいます。

言っておきますが、私は、神でも、神父でもありませんからその懺悔を聞いたところで赦免を与えることはできません・・・残念ながら。

さて・・・わが家のブログで、チョッとだけ内部で”発生したであろう”カネ集めの理由を想像してみたのでこれが現実に有ったこととシンクロしているようであれば、きっと明日から犯人探しが行われるのでしょう。

いくら万全を来たしたとしても・・・どこかに穴はあるもんです。だからこそ悪は栄えることが出来ずに日陰の存在になるのです。それから、ブリーダーが始めた愛護風の活動でおかしいなぁって思うもの彼らのHPから確認も取れているんですよ。

実は、社団法人にJAPANなんて憑いていますけど、この会社、アメリカの本家と一切親子の関係ありません。言ってみれば日本だけの会社ですよ。きっと調べれば証拠は出てきます。法人登記している法務局で登記簿の閲覧をすれば、会社の籍が日本なのか?外国なのかすぐに分かります。

そして・・・親子の関係だと言い張っているその団体のページにはこんな英語で彼らの会社を紹介している。その団体の”ご本家”のページには、日本で地震と津波が日本で発生してその動物達が家を失ったり、遺棄されている。寄付して応援してやってくれないかねぇ~?リンクは直接私達の唯一の日本にある特定の犬種のクラブ”ブリーダーの名前”のPAY-PALアカウントに移動しますなんて・・・そんな表現になっているのです。親子の関係なら、本店、支店というような表現をするのしょうけど・・・。The link goes directly to the Paypal account of "name of breed in Japan" our primary club in JAPAN.だって。

この文章からは親子の関係は認められません。

うそっぱちが・・・どんどんと表面に現れて内部からどんどんと膿が流れ出し、醜態を晒しながら消え行く準備をしなければならないのでしょうか?

テレビなどでもその活動が報告されているそうですけど・・・その報道は本物でしょうか?団体から取材をしてくれ!なんて得意のお涙頂戴で嘆願したんじゃないですか?このテレビ放映の件についても、わが家のブログを見て・・・あっ!そう言えばなんとなく釈然とこないよなぁ~と思う人が増えて、テレビ局へ一方的な取材だけでなく、多方面からその活動が正しいのか判断する必要性があるという意見が局へ提示されるようになれば、今度、テレビ局はその真相を確かめるべくトコトン調べ上げ逃げ場のない肉食動物の前の獲物みたいにただただ震えあがるようになるだろう。報道って言うものは、上手に使えば、費用対効果が抜群に良いのはわかりますが、それこそ両刃の剣で、使い方を間違えれば、自身の身体を傷つけるそんなものです。

さて・・・今回のこの団体は果たして、自身の疑惑を晴らすことが出来るのだろうか?それとも惨めに、消え行くのか?その行方は、誰も分からない。もし、報道が多方面からの追加取材をした場合には、明らかに怪しい分が見えて、朝のワイドショーを賑わせるのでしょう。

内部から情報を漏洩させる人がいると疑心暗鬼になって・・・あしたから犯人探しでも始めるのでしょうかね?踏み絵? 拷問? 脅迫?どんな手法で探すのだろうか?ちなみに・・・私の情報の根拠は、内部には依存していません。あくまでも伝聞ではなく、物的証拠を提示できるのかどうかと言うところで判断しています。

あしからず・・・。

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2011年6月 1日 (水)

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?・・・その最後に綴られる台詞に思うこと

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?・・・あまりピンとこないかもしれません。ブレードランナーという映画がずいぶんと前に放映され、アンドロイドが心を持ってしまって、そのアンドロイドが生きる希望に向かって・・・人間から離れていくと言ったような話なのです。遠い記憶なので曖昧ですけど、その映画をDVDで見てもらえればその真意が伝わるかもしれません。

その最後の台詞に、何年先まで一緒に居れるだろうか?それは明日かもしれないし、1年後かもしれない・・・というような台詞があったと記憶している。

最愛の犬との別れを映画の場面になぞるのはどうかなぁと思ったのだが、死期を認識して飼い主はきっと・・・同じように考えるのではないだろうか?と不意に思った。いつまで一緒に居れるだろうか?・・・・それは、わが家の犬軍団たちにも当然のようにやって来ることであって、考えさせられことだろう。

わが家の犬軍団”チョコパン子さん”は、今年の誕生日で6歳になり、言われている寿命まであと人間の時間で4年ほど。あとはおまけみたいなその時間です。最近になって、まじまじとチョコパン子さんの顔を見てみると、顔に多くの白髪が目立ちなんだか歳を取ってきたなぁとしみじみ感じることがあります。

なにか・・・いつもより白く見える毛が多いのです。

そんなこともありますが、数あるブログの中で、お気に入りと勝手に思い込んでいる犬がいるのです。その飼い主さんの記事によると、どうもそろそろ・・・時間がやってくるような内容になっています。

でも飼い主さんはとっても犬のことを愛している。言葉だけしかブログからは見えません。でも見方によっては、非常に気丈であって”一般に言われる愛”は?って思うようなことも伺えるのですが、本当の犬に対しての愛の表現型だと私は感じて涙を抑えることが出来なくなるのです。

もちろん・・・コメント欄にはその胸の内をさらすことなんて出来ませんでした。なにせ、飼い主さんの気持ちを無にしてしまう可能性があるからです。心にもない、上辺だけの慰めの気持ちをコメント欄に並べたところでどうにもなりませんし、むしろ、私の真意が届かなくなる可能性が非常に高いのです。

命との別れというのは、時として人の心を狂わせます。そして、死は、永遠の別れと表現され、その言葉を悔やむ美辞麗句だけが評価されることになるのがおうおうです。時として本当の慰めは、心を痛める凶器にもなり得るので、その言葉を慎重に選ぶのが必要になるでしょう。わが家の飼い主のように所謂がらっぱちの性格では、その適切な言葉を見つけることが出来ずに悪戯に飼い主さんの心を傷つけないようにと考えているところです。

こんな時が、わが家にもいつなのかは分かりませんが必ずやって来ます。その時わが家の飼い主はこの犬の飼い主さんのように正々堂々と犬の命を見守ってあげることは出来るでしょうか?おそらくは・・・取り乱し、この世の者とは思えないような風貌になり狂気に満ちた化け物に変身するかもしれません。

きっと、犬たちはわが家の飼い主へ”今日からはずーっと一緒、どこでも一緒だよ!”とメッセージを残してくれるのでしょう。そのメッセージを確実に受け止めるようにと日々の飼い主としての訓練も必要なのでしょう。

さて・・・わが家の犬軍団といつまで一緒にいられるだろう?その命の灯火が尽きるのは明日かもしれないし・・・1年後かもしれないし・・・ただ今は誰もその最期を知ることはできない。一日、一日を大切に愛情一杯に過ごすこと是が飼い主の務めであって、その重大な責任なのだと改めて感じるのです。

今、命の灯火が残り少なくなっているその犬に、がんばれ!一日でも長くなどと不埒な声をかけてはいけない。愛情一杯のその時間を楽しんでいるのだから・・・

絶対にがんばれとは言わない・・・。この家族にめぐり会えたこと本当に良かったと犬にメッセージを残してもらえるように・・・。飼い主としての最高の勲章です。是非ともその勲章を手にしてください。

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2011年5月31日 (火)

天使の顔・悪魔の顔・・・両方の顔を使い分けるなんてできるだろうか?

人たるもの、己の心に善と悪の両極面の顔を持ち合わせている。ただ、その顔は、時として都合よく悪の顔を現すから厄介なのである。本来は、すべてが善であるとは思いたいのだが・・・。

悪の顔の出現頻度というものは・・・最初は極わずかだったかもしれないが、この顔つきというのは、その悪の顔を使えば使うほどその極面の居心地の良さが忘れられなくなるのだろう。やがて、善人でも・・・その悪の極面の虜になってしまうのだろう。

巷で流行っている動物愛護風の団体を気が狂ったように支援する愛護ごっこというのは当に悪の極面に居座っている状態なのだと思う。根拠が無くその行いが良いと判断している時点で手遅れなのかもしれないが・・・。

どうしても・・・その愛護風の活動を肯定しなければならなくなるその理由はどこにある?なぜそうさせる?説いても・・・誰もまともに答えられることが無い。天使の顔と表現をしたが・・・動物たちをどうしても助けなければならない、1頭も命を奪ってはいけない!この理屈一見してみればまともなように感じるのだが、何頭いるのかも把握できていない現状で、1頭も見逃す事無く助けるというのはちょっと無理なんです。命を繋がなければとか、動物の命も人の命も同じ云々と理由をつけては、感情論で人心を惑わす。これは、巷にいる人たちにとって非常に神に近い存在のように感じられるでしょう。当にカルトの尊師を神格化した形です。これを動物愛護風の団体の”天使の顔”とでも言いましょうか?

悪魔の顔・・・考えるのもおぞましいそんな悪の極面をもった顔です。天使の顔が穏やかで、最高位の神格を与えられたのに反して、非常に憎悪に満ちた醜い考え方を持ったそんな顔なのです。実際に、動物愛護風の団体が集めた支援金の使途がどうなっているのか確認されたことはありますか?どうして、その動物救援活動をしなければならないのですか?そこには、生ぐさい憎悪や金銭絡みの事柄がちりばめられていることでしょう。だから、我先に自分の団体を認証してくれ!と気が狂ったように行政へ詰め寄るのだと私はそう思えてなりません。怪しいとされる団体の多くは、基本的に何らかの形で行政批判を繰り返しながら、その反面、批判先である行政からお墨付きを得ようと必死になっているではありませんか?

ボランティアでは、”メシ”が食えない。本業を疎かにしておいて、何故にボランティアの継続ができる?おかしいと思いませんか?悪魔の顔は、カネをどうやって捻出していこうか?カネをどうやって増やそうか?錬金術はどんな方法だ?とカネに絡む醜いことを考え出したのでしょう。そして、熱狂的な信者達は、自信の支援が間違っていたと言うことを認めたくがないたいめに、憎悪をもってして、その活動の矛盾を突いている的確なものに対して根拠無く圧力をかけようとするのです。

天使の顔でずーっといるということは人の心にとって大変苦痛なことでもあります。がしかし・・・これが本当の人の姿であると思うのです。時折悪魔の顔になったとしても、神はそれを許してくれるでしょう。なにせ、人なのですから。ひとは過ちを起こすことになっているのです。だからその過ちを悔い改めることで罪から許されるのです。キリスト教で言うところの赦免です。

ただ・・・悪の極面にずーっと居座ってしまったものには永遠の苦しみが与えられてしまうです。かつての大天使であったルシフェルも悪の極面へ落ちた天使です。ならば、悪の極面は見ないように、近づかないようにと教えられると思います。誘惑に駆られれてその悪の極面を見てしまうのは仕方が無いのかもしれませんが、悔い改めることを忘れてしまってはいけません。

ただひたすら・・・悪の極面を終の棲家とするならばそれでも良かろう。ただ・・・人は天使の顔をもった神の子であって、悪魔の顔をもった悪魔の子ではないのです。悪魔に誘われて、そのお面をつけただけの天使であるはずです。

もうあなたのそのお面は・・・自身の顔に同化してしまったのでしょうか?本当にそのカネ集めが、犬たち猫たちのためのものなのか?はたまた、団体の私腹を肥やすためのそのカネ集めなのかは・・・本人が一番知っているところです。神は天からその行動をずーっと見ています。そう聖書には記載があります。いつまでも周りを騙し続けることはどうしてもできません。労せずして集めたカネは湯水のように浪費してしまうものです。あなたのその支援している団体は、活動のあとに見たことも無いような車とかバイクとか、洋服とかアクセサリーとか見かけるようになりませんか?そうなれば・・・次から次へと、あれらの身につけているものは、あの時の、あの善意のお金から出て行ったものかもしれないと、大きな土手に蟻が穴を開けた堤防のように一気に水が噴出すように、隠していたものが噴出するでしょう。

もしかすると・・・もうその時期はやって来ているのかもしれません。私は神でもなければ天使でもありません。ただの人です。しかし・・・神は私に、真実を追究する方法を与えてくれたのかもしれません。情報も確認できています。

悪魔の極面におられる不幸な人たちは、”そんな情報でまかせだ”と言うかもしれません。それでも一つ一つ紐ほどくと真実が見えてくるのは確かです。悪魔の顔をした仮面を自身の顔からはずしてその下の天使の顔で本当の動物救護に尽力したほうが動物達も本当に救われるのだと思います。今のままでは、失われた命たちは・・・救われること無く彷徨っていることだと思います。

どうか、彷徨える命たちを救ってあげてください。

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2011年5月30日 (月)

無いよ~届出の実績・・・あなたの団体が提出した直轄センターはどこ?

直轄センターに迷子の届出をしている・・・と記事の内容ではなっているのですが、どこの直轄センターなのでしょうか?

気になって気になって仕方が無いので直轄センターとおもわれるような場所へ確認をしてみた。その結果・・・全然そんな実績って無いじゃない???どうして実績が無いのでしょうか?

まずは、落し物の届出をする王道”警察の遺失物係り”へ問い合わせを行う事とした。webに落し物を検索するシステムを福島県は持っていたのでそのシステムを利用してチェックすることにしました。落し物のリストには、動植物、動物と言うことでばっちり検索キーワードが設定できます。いざ検索・・・んんん?HIT 0件ってどういうことよ?システムが作動していないのか?そんなわけはないわなぁ・・・。

県警本部へ問い合わせをかけると・・・システムは正常に作動しています、入力漏れはありません。との回答を受けた。でも・・・動物 HIT 0件って本当におかしいのです。落し物の届出をしていないのです。あぁ~やっぱり、ブログの記事は偽物だったのね?という結果に至ります。

ただ・・・警察の遺失物データーの確認を行っただけでは、結果残念な人になってしまうので、しっかりと保健所関係のデーターもチェックしました。

保健所のデーターはwebで確認が出来ないので、電話で問い合わせをしてみたのですが・・・此方のデーターにもどうも保護していますのデーターは登録されていませんでした。さて・・・直轄のセンターとはどこのことを指すのでしょうか?

謎は深まるそして、探究の道はただただ混沌とするばかり。

警察官は非常に楽しい話をしてくれました。飼い主の承認を受けて保護した場合は、遺失物の届出をする義務は発生しない。ただし、迷子の犬などを保護した場合は、遺失物法に従って届出をしなければなならない。

迷子の動物たちを法律では逸走の家畜(いっそうのかちく)と定義される。つまり、予期せぬところで逃げられた家畜なのだが、この家畜は落し物として遺失物法に定義されている。だから、届出は法律上必要であって、この手続きをしなかったものは、罪に問われる(遺失物横領)可能性が高いということで理解していてもいいですか?と尋ねた。

警察官は、どこかで法律のお勉強されました?といわれましたが・・・一般人ではここまで法律を理解しようとしている人はまずいない。この知識で愛護団体へ法律論の応酬をするつもりですか?と問うのです。そんなことはしません、ただ法律の解釈に足す引くなしでその意味を解釈すれば罪に問われる可能性があるという考え方で間違いはないのか?確認したまでですという話をした。そこまで法律を理解しようとしていられると、専門家でも返答に困ることが出るかもしれませんね・・・だそうです。

さて・・・こんな法律論を展開されるとどうやって切り返しをするのでしょうか?やっぱり、法律論には法律論ですよね?まさか・・・感情論の屁理屈捏ねるわけじゃないですよね?

動物救護本部の担当官はこんな面白い話をしてくれました。民間の動物愛護団体には協力を要請していませんので、その団体のデーターに責任は負えませんだそうです。民間の団体が勝手に保護したといろいろデーターを送ってくるケースがありますが、そのデーターを提出してくださいと要請をかけているのではないので、基本的にパフォーマンスでデーターを送ってきているのではないか?だそうです。

いま話題になっている、ペテン師率いる団体とヤクザ率いる団体の両方から保護リストなるデーターは提出を受けていないとはっきりと断言してくれています。

大変面白い・・・構造になってきました。直轄センターと思われる、動物救護本部と動物愛護風団体の仁義無き戦いなのか?それとも、パイレーツ・オブ・カリビアンのデービージョーンズの心臓をめぐる争いになぞられるのか?いずれの戦いであっても・・・結果は見えている。

ない物はない・・・。無い袖は振れない。所謂その届出とはどこへ提出しているのかはっきりとするべきだろう。直轄センターってどこよ?って死ぬほど問い合わせが来るだろうに・・・かわいそうだなぁ現地の救護本部。

どこぞの団体が、立ち入り禁止区域に立ち入りさせろと要求した時には、福島県県庁担当課の電話のベルが止まることは無かったそうだ。屁理屈ばっかり捏ねるおかあちゃんたちが、どこかの団体に誘導されてじゃんじゃんと電話したそうだ。

その時のことを救護本部の担当は、話してくれて、自分たちの言い分だけで、何も理解しようとしない、話を聞けない、最後には必ず捨て台詞を残してガチャンと電話を切るそんな電話が一日中仕事をさせなかったと言いました。

どこへ行っても・・・やっぱり理屈の通らないものは、屁理屈以外の何者にもなれないってことです。

直轄センターとはどこなんだ?私の能力ではこれ以上探せないなぁ・・・福島県の担当者も直轄センターってどこなのか分かりませんと言っていた。

この怪しい団体は・・・どこの行政機関と話をしているのだろうか?私が住んでいる世界は、どこか異次元なのか?そう思わせるような・・・直轄センターの存在です。

こう言うSFチックな話は、やっぱり星新一テイストなのかなぁ?いやぁそんな高級なSFじゃないな!安っぽいゴシップでしかないそんなゴシップ愛護風団体の直轄センターとは何ぞや?

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2011年5月29日 (日)

泥棒に加担するな!・・・福島県を含む被災地での多くの動物レスキューは遺失物横領の可能性が高い

多くのまともな動物レスキューは泥棒と呼ばれる必要はないと思われるのですが、いくつかの愛護風団体のそれは、泥棒と呼ばれる可能性が非常に高いのです。そして、その犬たちを一時預かりしていたり、譲渡してもらった飼い主たちもその泥棒の加担をしたことで罪に問われる可能性も否定できません。

まずは、遺失物法という法律があります。その法律では、落し物を拾った人は、それを届出しなければならないとなっています。そして、その拾った人に所有権が移転されるのは、届出受理から90日後ということになっています。実際に、被災地における保健所や警察署で拾い物としての届出が殆ど愛護団体からの提出が無いのが実態です。

まず命が云々というよりは、その命を繋げるためにも、法定の手続きはしっかりと行うことが必要です。被災地では、飼い主が飼い犬や、飼い猫を探そうとしても、届出がないのでどこに保護されているのか?どこへ預けられているのか?まったく手がつけられないようになっているのです。

さて、愛護風団体が牽引する活動が善行と勘違いされているようですけど・・・。動物愛護風の団体が保護した犬たち猫たちの様子が、ブログの記事としてどんどんと掲載されてきていますが、その犬たち猫たちは、飼い主さんが被災地で保護してくださいと承認のあった動物たちなのでしょうか?すべてが承認を受けた動物達ではないように記事から読み取れます。

では・・・愛護風団体が、その犬たち猫たちを保護した時に飼い主が不明であった場合に、最寄の警察署であったり、動物救護本部への届出が出来ているのか?といえば・・・その実績を確認することが現在出来ません。そして、保護した本人(愛護風団体)たちのブログでは、どこへ届出をしているのか?というような情報は全く告知されないまま。

そして、どうやって犬たち、猫たちの情報にたどりついたのか分からないが・・・毎回毎回、”ありがとうございました”のメールのコピペらしき記事が掲載される。そして、家族が分からない、犬たち、猫たちについては、勝手に譲渡をしてみたり、勝手に一時預かりをしてみたり、どこへ預けられているのかすら情報を発信しないそんな団体が見受けられますし、熱狂的に善い行いをしていると錯覚してその活動を支援するようなキチガイ飼い主まででてくる始末。

そんなキチガイ飼い主は、良い行いだと盲目的に信じて一時預かりを受けているとか譲渡を受けているとかなっているのだと思うのですが・・・これは、明らかに、遺失物横領の幇助と言うことで横領した本人(愛護風団体)と同様に罪に問われる可能性が無いわけじゃありません。幇助といっても、動物たちを引き受けた場合には、正犯が成り立つと考えられます。法律を文字通りに判断すればの話ですけどね。

ただ・・・飼い主が告訴をしない場合には、その捜査に警察捜査機関が動くということはよっぽどでなければありませんけど・・・。

それでも・・・まだこんな団体の手助けをする必要はあるのでしょうか?愛護を語るには、ただ単純に感情論だけではどうにもなりません。”かわいそうだから”だけであなたは、寄付をしたり、ボランティアとして手伝いに馳せ参じたり、一時預かりの家族として立候補してみたりそんな程度の愛護ではないでしょうか?同じ愛護でも私はそんな愛護は”愛誤”だと思っています。

福島第一原子力発電所におけるトラブルによって設定された、所謂20KM圏内”警戒区域”に立ち入るために行政の許可を受けたと世間に嘘の情報を流布して活動を展開している不埒な団体もあるようです。実際には、行政の承認を受けた民間の愛護団体は申請の実績無し、許可実績無しということで世の中にはそんな団体は一つもありません。騙されたらいけませんぜ。

とある団体は・・・夜な夜な闇に紛れて保護活動をしていると記事掲載が見られたが、この行為そのものは法令違反であって、言ってみれば、泥棒そのものの世界じゃないですか?人に見られたくないから、夜の闇に紛れて活動をするってことじゃないのですか?

経緯はわかりませんが、こんな話も福島県動物救護本部から確認をしました。過去(近過去)に警戒区域との境界に設置された警察の検問所である動物愛護風団体のワゴン車を止めたそうです。そのワゴン車には沢山の犬たち、猫たちが積まれていてそのドライバーは、許可を受けていると警察官に返答したそうですが、警察官は怪しいと思ってすぐに動物救護本部へ確認の電話を入れたのです。その時に、許可なくして勝手に警戒区域に立ち入って、犬たち猫たちをどんどんと拾い集めているという事実を動物救護本部は確認したそうです。

実際には、その後、その犬たち、猫たちの届出は無かったそうです。これって、誰も告訴・告発しているわけじゃないので明確に被疑者というロケーションを与えることは出来ませんが、法律論でいけば・・・間違いなく既遂であって、未遂ではないのです。法律上は既に泥棒です。

もしかすると・・・あなたが善い行いだと思い込んで、保護しているその動物は、遺失物横領の実行を幇助している可能性が高いのです。

この話が・・・思い込みででまかせだと思うのであれば・・・自身で動物救護本部へ確認するのがよろしかろうと私はそう思います。(電話でなくメールでね!)あれだけ、原発を止めろ!とか、被災地での動物救出は、あの団体に任せろ!だとか、災害対策本部へ電話で抗議しろ!とか散々エナジーを消費したのに、今回は、自身の行いが善行か?悪行か?を確認するためには、なかなかエナジーを使えないとは言わないでしょうね・・・?

また、私がいい加減なことを正しいと思い込んで勝手に情報を操作しているなどと訳の分からない理屈で今回もネット情報の渦に葬り去るつもりでいるのでしょうか?

結局は・・・根拠あるところにどんな屁理屈を持ってきてもその屁理屈は屁理屈のままで何にもならないと言うことになりかねしません。あなたが・・・行っているその活動とか行動は本当に正しいものなのか?そうではないのか?考える良い機会だと私は思いますよ。

この情報がネットの中に投入された直後から、動物愛護風の団体の熱狂的な信者がどれほど減少するのか楽しみで仕方がありません。これは、わが家の飼い主が個人的に楽しんでいるだけで、誰かを罪に陥れようと企てるつもりはどこにもありません。真意としては、今まで騙されていた人たちが、正しき判断を根拠を持って出来るようにと願うものです。

まやかしの救護活動なんてものは、本来救援や、救護を求めている動物たちとその飼い主たちには届けられる善意というものはありません。ただただ・・・その善意に群がる不埒な団体の私腹を肥やすものにしかなっていないのですから・・・。

泥棒の幇助なんて罪を着せられたくないですよね?もともとは、善行の人なのだから。

善行を悪行にするのはすべてまやかしのなせる業・・・あなたの善行がいつまでも善行であるためにしっかりと事実を確認し、自信をもって善行だと言える様に準備をしておいてください。

陰徳陽報・・・人知れず善行を積めば、必ず善い報いとなって現れるということ・・・よくよく考えてみる必要があるでしょう。

今の愛護風の団体は陰徳陽報ではないですね。何も善い報いとなっていないのですから・・・善い報いが無いのは、行政が悪いとか、原発が悪いとか、自分たちの活動を邪魔(非難)する連中がいるからだと熱狂的信者に言わせるのは、カルトと同じ手法をですね。かってのオウムみたいなもんです。まさか・・・オウムの残党ではあるまいな?

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悲しい現実・・・原子力発電所停止に伴う電力不足の思わぬ影響

昨日、実家のママンと電話で話をした。台風がやって来るので、雨の状況はどうか?と話は始まった。台風の雨にしては、冷たい雨らしく非常に寒いということなんだそうです。あまりの寒さに、”ストーブ”を使ったと言っておりました。

地震の影響についても、冷静になっているのか・・・正しく把握が出来ているようでした。わが家の飼い主の実家は岩手にあります。今回の津波の被害を全く受けていない内陸部なのです。実際に被害があったのは地震そのものの被害です。

道路について、内陸を背骨のように走る、国道4号線は、地震の影響で、道路が凸凹になっているところが多数見受けられるようです。通行に支障があるのは、マンホールが凹んでいるところがあったり、凸になっているところがあったりとしていてその修繕がいつ行われるのか全くわからないというところなのだそうです。

実は、内陸においても様々な影響を受けているのであって、被害は皆無であったという状況では無いようです。被害が集中した沿岸部。津波の影響を受けた地域ばかりが報道で取り上げられますが・・・見えないところの被害にも気を配って欲しいということでした。内陸でも、揺れの大きいな地域では、家屋の半壊や全壊の被害も沢山あるそうです。

年寄りが流言飛語に惑わされること無く、良かったなぁと思うことは・・・地震はまたすぐにやってくると常に思っていてくれていることです。油断しないですぐにまた大きな地震が来る・・・と思っていることです。被災地の中の住民にも、このくらい大きな地震がやってきたのだから、もうしばらくは地震はやってこないだろうと油断をしている人もいるようですけど、ママンは常に地震が来るかもしれないと気にかけているそうです。油断大敵、注意一秒怪我一生という気持ちなのだそうです。

今度大きな地震が来れば、電気、ガス、水道すべてのライフラインがまたストップするだろう。今までに経験したことが無いほどの長い時間だと言うのです。確かにそれはあるだろうと思うのです。3月11日の地震でそれなりのダメージを持ちながらライフラインはほぼ100%復旧しているのだが、今度大きなダメージを受けたら今のような復旧になるのには相当な日数を要するであろう。

電気のことを大変心配しておりました。東北電力管内でも、電力不足の様相が強く電力消費を抑えるようにと各地で節電の動きが高まっているそうです。夜になってみると、その様相は良くわかるのです。国道筋にある店舗でも、看板のライトアップを自粛していて、夜道が大変暗いそうです。その様子は・・・30年以上前の様子にそっくりなんだそうです。今まで、電気を好き放題使ってきたツケを払うのは仕方が無いことだが・・・と諦めムードを否定できないのです。

30年以上も前の生活にほぼ等しくなることについて・・・ママンはあまり苦にしていない様子ですが、やっぱり電気を沢山使いたい放題の生活に慣れてしまっているようで電気が無いのは困るなぁと本音がチラリ。ママンの考え方で良かったと思うことがもう一つ・・・原子力発電所を停止したことで安全性が追及されると思ってあちこちでデモ行進や集会が行われていることになんだか違和感を持っているというのです。

その考え方で良いのだと思います。ママンは原発不安行動に酔っていなかった。正しく考えていてくれると確信出来るのです。誰が悪いんだ?と意地悪な質問をしてみた。戦後50年体制の自民党を気が狂ったように支援してきて今更、原発は危ないからすべての炉を停止させろと言うのはどこにも根拠が無い・・・。選挙の時に、小泉純一郎が郵政民営化、構造改革を詠えば、それを良しとして気が狂ったように投票してOKとした、自民党がどうも怪しくなれば、民主党に気が狂ったように投票して政権交代をさせた。そんな無責任な投票行動をした有権者すべてに原子力発電所停止などというデモ行進や集会を開く権利はどこにも無いと言うのです。確かにそうですよね!国策として原子力政策を推進してきたところで、その政権与党を支援してきたその責任を棚上げしておいて、原発止めろ!とはなかなか言えないはずです。有権者すべてにある一定の責任があると申しておりました。

実際に、正しい知識を持った学者が、正しい判断をもってして原子力発電所のトラブルの後から広報するべきだったのだと思います。今の混乱を招いたのは、政権与党が悪いわけでもなく、単純に流言飛語を信用した我々個々人の責任が重大だと思われるのです。もはや情報が氾濫しすぎて、何をどのように信じたら良いのかわからなくなってきている。その時に、転載・拡散と言う言葉で無責任に正しいか?正しくないのか?を判断していない情報をネット上に流布させていることを気にかける必要はありませんか?

実際に岩手県では放射能に関してこんな事があったようです。盛岡市の北位置する滝沢村では、牧草から基準値を超える放射性物質が検出されたから、放牧をしないようにと岩手県から指示があったようですが、しばらくしたら基準値以下になったので放牧をしても良いと言うことになった。じゃぁ・・・滝沢村はダメだったが、それよりも福島に近い奥州市や一関市での牧草地は大丈夫だったのか?といえばその報告すらないそうです。かの江戸時代の俳人松尾芭蕉は、奥の細道で、平泉をこのような俳句で纏めている。”夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡””五月雨を降のこしてや光だう”きっと松尾芭蕉であれば、現代においてこのように俳句を詠んだであろう”夏草やセシウム・ヨウ素が夢の跡””放射能降のこしてや光だう”

放射性物質が検出されたとされる記事はここ>>>http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110514_3

松尾芭蕉でなくても・・・現代に生きる我々ならば、皮肉たっぷりの後の句ならその現状を容易に想像が出来るだろう。牧草から放射性物質が検出されたが、その後は基準値を下回ったから大丈夫とか、放射性物質は、岩手県の北部で検出されたが、南部は検出されない・・・平泉中尊寺金色堂を避けて放射性物質は降ってきたのか?こんなことも正しき情報のようにドンドンと情報は誰がせき止める事無く無責任に流れていく。

ママンは言っていた・・・原子力発電所は国策で推進してきたのだから、今後危なそうだから停止しますでは話にならん。今回は、津波の被害を受けて重大なトラブルに見舞われているから、安全性をどうやって高めるのかと言うことを十分に検討しなければいけない。止める事はいつでも出来るが、原子力発電所の安全性を検証し、対応するのは今がいい時期なんだと・・・。

原子力発電所を止めろとデモ行進、集会に参加して喚くのは好き勝手にしてもらってもかまわないが・・・大学まで親のエゴと経済力で行かせてもらったくせに・・・あの程度の知識では子供に投資した甲斐がないのでは?と言う。わが家の飼い主は、そんな意味不明の集会であったり、デモには参加などしないと宣言したので、どうも投資したことが無駄になっていないと安堵したようでもあった。

原発を止めろ!、廃炉にしろ!という人たちは・・・本当に30年以上前の日本エネルギー水準まで自分たちの生活を下げることが出来るのだろうか?まずは、エネルギー水準を下げてみてから・・・原発云々を言うのが筋であろうと思う。

この原子力発電所停止などのデモ行進や集会は、宮沢賢治の貝の火という童話でなぞれるような気がしてならない・・・。

動物愛護も、原子力の問題も・・・貝の火がキーワードになりそうだ。ご自身で、貝の火を読んでみてその本質を見極めて見てください。純真無垢な子供兎と狡猾(こうかつ)な狐。善行と悪行。その跡に残された結果。

どれもこれもが・・・すべてマッチングするとはなんとも皮肉なものです。

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2011年5月28日 (土)

これが団体の腹づもりなのか?それとも照れ隠しなのか?・・・保護活動を語るに落ちるなんとか・・・。

犬たち・・・”いらっしゃいいらっしゃい”と豪語していた自称動物愛護団体。あなたの設置した大変立派な二階建てのプレハブシェルターはお蔭様で満員御礼などと申しておりましたが、あれを字面だけで見れば商売のように取れるものでしたよ。

そのように、おおよその判断が下せるようにと表現を選んだのではないでしょうか・・・それで今度は、受け入れる容器が不足しているから、勝手に犬を保護する活動について”NO”を言えた義理ではないでしょう。犬を保護したからお願いしますと言われたら、保護してあげたらいいじゃないのですか?あなたが望んだ結果だから。それとも、自分たちが商売の”ネタ”に出来ないような犬はお断りですか?被災地プレミア満載の犬に仕上げることも可能ですよ!

感染症を疑ってシェルターへ迎え入れるのを拒否しているようですけど、先に保護されている犬たちが基本的にワクチンを接種していればどのような感染症を持っている犬が来ても怖くは無いはずです。恐ろしいことに・・・疥癬(かいせん)という言葉を使っています。疥癬ってなんだか分かりますか?つまり、カビとかダニアレルギーの総称です。白癬菌(はくせんきん)ってなんだか知っていますか・・・これつまり水虫のこと。疥癬とは、ヒゼンダニのフンや死骸、卵によって引きおこされる皮膚病です(アレルギー)このヒゼンダニの駆除には、フロントラインが有効とされていて、おそるるに足らないものですが、聞いたことの無いような漢字を使われると、ぎょぎょっとしてしまうのは否定できませんね。もっと怖い感染症を疑うならまだしも・・・あなたのシェルターでパルボなんかを危惧されるほうが現実味を帯びていますけどね・・・。

動物愛護を看板にして今まで実績を積んできたのならば、保護した動物はまず最初に動物病院でメディカルチェックを受けてから家に迎え入れるようにと情報発信してこなかったのでしょうかね?平常時は、ビジネスのために次から次へと受け入れてきた過去があるからそのように世間では、保護したらすぐに団体へ連れて行けと連想されるようになったのではないでしょうか?なるべくしてなった結果だとは思わないのでしょうか?自分たちの保護場所が一杯だから、他の場所を当たれというのは・・・愛護活動・保護活動をしているとは言いがたいのでは?ペテン師は、自身のブログで、よくキリスト教信者のような例をどこからか引用していました。

教会(神の家)はいつでもあなたを迎え入れるように扉を閉じることなく待っていますとキリスト教信者はよく言うのですが・・・この団体はキリスト教の教えを引用していて、実際には教会のように門戸は開いてはくれないのですか?たかが疥癬ごときの心配で・・・。心配する前に、フロントラインを用意しなければならなかったのではないですか?ご存知のように、フロントラインという薬は大変優秀です。

話をしていて、怒りが湧き出したから電話早々に切ったとあるのですが、電話を切る前に、ちゃんと啓発するべきでしたよね。なんと言っても、今まで実績を積み上げてきた実力のあるそして名前の通った団体ですから。いきなりガッチャンと電話を切るのはちょっと大人気ないです。

かっこいい活動だけを、あなたたち動物愛護風の団体は、武勇伝のようにブログで情報発信してきたじゃないですか・・・。そのツケが回ってきたからと言って泣き言なんて聞くつもりなんかありません。ある意味物見遊山で被災地へ現れた自称ボランティアが現れたときに、そのボランティアに、ボランティアのあり方を十分に説明してあげたのでしょうか?それもなく、自分たちが保護された犬を引き取ったと自慢げに、記載することは2つの文章理解へ自動的に導かれてしまう。その捉え方を曖昧にする日本語の使い方は非常に上手なのだが、それは活動の本質を曖昧にさせる両刃の剣になっていないだろうか?

いきあたりばったりで、ボランティア活動に来る武勇伝捜索ボランティアを戒める内容、自身の懐の深い取扱いで評価を高めたいとする内容この二つの取り方が存在するように巧みに文章が構成されているように感じられる。偶然なのかもしれないが・・・。どっちにしろ、中身がブレないようにと注意するならどっちつかずの文章にはなるわけがないのだが、おおよその自称愛護団体は曖昧にしておかないと後でつじつまが合わなくなった時の言い訳がし易いようにと文章の表現を曖昧にしておくのが通例になっているようだ。

物見遊山でボランティアに来るな!などと間接的にその活動を非難しているが、ご自分の団体だって・・・最初から岩手、宮城、福島に保護場所を用意して活動スタートしたわけではなく、あわただしく団体の本部を出て行ったのをブログの記事にしていたじゃないですか?ご自身の行動を自己否定する事になってもいいのですか?

などと・・・次から次へと、勝手に保護しては、自分たちのところへ犬を連れてくるのは迷惑だと思わせるような恨み節が次から次へと記載される。きっと、犬を受け入れる体制が強化できないままに、これ以上は経費が嵩んで実際に受けた寄付の利益率が損益分岐点を下回りそうになっているから、受け入れを制限するような記事掲載がなされるんではなかろうか?とも想像を容易にさせているのです。

なぜに今になって・・・その恨み節なの?もう受け入れるつもりはないの?直接的な受け入れ制限とは無いものの・・・間接的には受け入れ制限を設定しました的に聞こえるのは私だけでしょうかね?

自分たちで今までにやってきた事を棚に上げておいて、規模の小さい自称個人活動家を揶揄して自分たちへの批判が高まらないようにと目を逸らすのは大変お上手でしたし、小学校の評価基準をあてがえば、”たいへんよくできました”に分類されるでしょう。しかし、おとなの評価基準では、うらの裏まで読まれますから・・・”大変良く出来ました”とは誰も評価してくれないでしょうね・・・。

やっぱりこいつらには、腹の裏側があったのか?真っ黒じゃねーかよ・・・胡散臭いとは思っていたがなぁと残念な評価を受けることでしょう。

この団体の腹づもりとは・・・損益分岐点を下回りそうだから、ここで受け入れ中止の何か大義名分はないものか???と探した結果、これを記事にしよう。でも、個人攻撃みたいな記事では賛同を得られないから、自分たちの活動もちょっとだけ味付けに加えよう・・・でも隠し味だからちょっとだけね!と照れ隠ししながら。

結果残念だけど、文章のまとまりと論旨の整合性を持たせるために表現を曖昧にしたからなんだかどこかがおかしい文章になってしまったが、でも受け入れ制限についてはなんとなく理解してもらえるだろうと・・・語るに落ちる何とかとなってしまった。

根拠無しというのは、結局最後に苦しい言い訳をしなければならなくなる・・・。この団体は、毎回苦しい言い訳でどこまで逃げる用意があるのだろうか?噂のハーレーでどんどん遠くまでにげ遂せることができるのだろうか?

福島の中継地点の撤退が決定しているのに、いまだ新しい中継地点は見つかっていないのでしょ・・・あなたのその活動だって、先先を考えていない行き当たりばったりのそれじゃないですか???

お灸は軽めに、お仕置きは厳しくしないと、この愛誤の世界は変化変容が全く見られない特殊な世界観ですからねぇ・・・。

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