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■■ 東京急行電鉄・玉川線1961年 ■■
1961年(昭和36年)7月

この年、私は大学を出て、社会人になっていました
7月のある日
いわゆる玉電・東急玉川線の私の好きなエリア・・・・・桜新町〜二子玉川園に撮影に行ったのです
セミ判のカメラで何故か7枚しか撮っておりません

この辺りは、まだ田舎みたいな風景の中を、玉電の電車がのんびり走っていたのです


  初夏のある日、私は好きな玉電の写真を撮ろうと、いまだ農村の風情の残っていた、用賀近辺にやって来ました。セミ判のカメラは、35ミリと違い頻繁にシャターを切ると言う訳には行きません。そういうわけで、このアルバムもたったの7駒です。

 私の記憶では、用賀から桜新町に寄ったところでの撮影です。現在の国道246号は、他のルートでバイパスも出来、広くなっていますが、当時は、この辺が国道246号。線路が片側に 寄って居り、いかにもイナカ電車の雰囲気が漂っていました。車の往来も少なかったです。
 折りしも、渋谷行きのデハ200形がやって来ます。じつにいいタイミングでオート三輪が通り掛かりました。丸ハンドルではなく、棒ハンドルといわれたやつです。


渋谷行/デハ200形(No.203)

 上と同じ辺りと記憶します。渋谷行きのデハ80形が来ました。逆光ですが撮影しました。


渋谷行/デハ80形(No.88)

 瀬田へ移動し、終点の二子玉川園への下り坂です。デハ60形とデハ80形が続行でやって来ました。


二子玉川園行/デハ60形(No.62)
後ろの電車はNo.82


二子玉川園行/デハ80形(No.82)

 妙なところに階段がありました。プラットホーム跡とおぼしき構造物もあり、停留場の址らしく思えましたので、撮ってみました。友人が、ここは、昔、遊園地があり、成田山の別院があったので、『別院前』と言われた停留場があったのだそうです。


謎の『駅跡』らしい場所

 高いところに登ってみました。立ち木の多い中を行く電車。玉電は、こんな素敵な場所も走っていたのです。


渋谷行/デハ80形(No.96)

 坂を下って行くと、視界が開けます。砧線の線路が見え、電車がやって来ました。ネガを拡大すると、 デハ60形と判りますがナンバーは不明で、 二子玉川園行か、砧行かもわかりません

上の写真の電車部分を拡大しました

 二子玉川園周辺で、昭和29年に撮影した写真があります。

 ここをクリックすると御覧になれます。7年経てばこんなに替わるものなんですねぇ〜。


これで、玉電1961年の写真はオシマイです
このあと、何回か撮影に行っておりますが、いまのところフィルムが・・・・見あたりません

・・・・・・・また、そのうちにお目に掛けられるといいのですが

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