検察官は、一般市民にとって司法官であると同時に護民官の役割をも果たすのが望ましい。
検察官が法の正義を守らなくたっり、正義の執行を躊躇うようになったのでは国の秩序は少しずつ崩壊していく。
検察官はどんな場合でも法に基づいて厳正な正義の実行にあたらなければならない。
護民官たるべき検察官を束ねているのが検事総長であり、また、法務司法行政のトップにいる法務大臣である。
したがって、法務大臣も検察官と同様、法に基づいて厳正に法務司法行政を遂行しなければならない。
ところが、その法務大臣が昨日記者会見で、当分の間、法に基づく死刑の執行を行わないことを広言するようになった。
これは由々しき問題である。
法務大臣の職責放棄、サボタージュ宣言である。
江田五月法務大臣は直ちに法務大臣を辞職し、環境大臣の職務に専念することを表明すべきである。
江田氏が死刑廃止論者であり、アムネスティの活動に昔から深く関わってきたことは関係者には有名な話である。
したがって、今回の死刑不執行宣言はもともと危惧されていたことではあるが、やはりこれはいけない。
江田氏が法務大臣の本来の職務を放棄することを宣言したのは、結局自分自身の個人的信条を公務に優先させることにしたということだ。
法務大臣が法の明文の規定に反する行動を取ることを内閣や国会が容認するようでは、何のための法か、ということになる。
絶対にこれはいけない。
江田氏のこのような自分勝手を許すようになると、日本は刑法の改正をしないで事実上死刑を執行しない国、死刑廃止国となる。
残虐な死刑の執行をしなくなるのだからいいではないか、というご意見をお持ちの方もおられるだろうが、刑法に明記され、かつ裁判所で審理を経て判決が言い渡され、死刑判決が確定しているのにも関わらず、法務大臣一人の判断で死刑を行うことも行わないことも自由だ、ということになっら、日本は法治国家ではないことになる。
今、検察は冬の時代を迎えている。
前田元検事の証拠隠滅捏造事件で検察官全体が何か違法な公に手を染めているのではないか、と疑われる状態になっている。
これでは、検察官が自分の仕事に対する誇りや情熱を失い勝ちになるのは止むを得ないことだ。
しかし、こんなことが続くと、検察官志望者が激減していく。
私は司法官であり、かつ市民のための護民官でもあるべき検察官に立派な法曹が多数なっていただくことを念願している。
裁判官出身の江田法務大臣も基本的には志は変わらないはずである。
法務大臣が率先してサボタージュを行うようなことは是非止めていただきたい。
撤回しないということであれば、法務大臣を辞めることだ。