「民労党よ、北の人権問題になぜ沈黙するのか」(下)
「開かれた北韓放送」河泰慶代表、民労党・李正姫代表に宛てた手紙
北朝鮮の実態を把握するため、90年代後半に私は中朝国境地帯で2年以上も過ごしました。数百人の脱北者と会い、その人たちにインタビューをしました。そして今では、北朝鮮内部に通信員を置き、北朝鮮の実情を全世界に伝えています。この過程で私は、金正日政権下で欲しいままに行われている人権じゅうりんを、決して見過ごしてはいけないと判断しました。
私は、かつて同志だった民労党の多くの方々が、私のように北朝鮮をめぐる真実を直視することを望んでいました。しかし民労党の「親北朝鮮的」な実態は、少しも変わりませんね。そんな中、08年からでしたか、李正姫という懐かしい名前がメディアにしばしば登場するようになり、ついには民労党の代表になりました。私は、気丈で賢い李正姫議員が代表になれば、民労党が「北朝鮮への従属性」を克服するのではと期待したことがあります。ところが現実は、全くそうではありませんでした。
李代表と民労党は、哨戒艦「天安」沈没事件や延坪島砲撃事件をめぐり、北朝鮮より韓国の方を攻撃する姿勢を見せましたね。また、北朝鮮の3代世襲問題をめぐり李代表は、なおも民労党の「沈黙」の立場を擁護しました。北朝鮮人権法については、言うまでもありませんね。
北朝鮮の人権問題や国家指導者の世襲問題をめぐる立場の表明は、その人が民主主義者なのか、そうでないのかを判別する重要な物差しです。この問題をめぐる民労党の反対や沈黙は、民労党が北朝鮮への従属性を克服できずにいることを如実に示しています。
私は、民労党と李代表の今後を心配しています。民労党のような従北派は、日帝強占期の親日派よりむごい運命に遭う可能性があるからです。金正日政権の暴政は、日帝と比較してもさらにひどいものです。北朝鮮の人権じゅうりんに匹敵するのは、カンボジアのポル・ポト政権や、ナチ政権くらいしかありません。
もちろん、李代表が、私の話に全く心を動かさないこともあり得ます。もしそうなら、李代表はまだ北朝鮮への従属性を克服できないということです。とはいえ、時がたてば、私の言葉が正しかったということが分かるでしょう。80年代に同じ目標に向かって同じ道を歩んだ李代表と私は、今では互いに異なる目標に向かって異なる道を歩んでいます。でも、この手紙を政治的攻撃だと見なさないで下さい。この手紙は、後輩にして同志だった李正姫を真に重んじる気持ちを込めたものです。80年代のように、いつの日かまた、新林洞のノクトゥゴリ(ソウル大学近くの飲食街)で焼酎のグラスを傾け、胸襟を開いて語り合いたいと思っています。
■河泰慶代表
1986年にソウル大学物理学科入学。学生運動に身を投じ、全国大学生代表者協議会(全大協)の幹部を務め、89年と91年の2度に渡り投獄された。93年に釈放された後、文益煥(ムン・イクファン)牧師が主導していた民間団体「統一マジ(迎えるの意)」に参加して活動した。99年、中国・吉林大学に留学。04年に国際経済学の博士号を取得し、SKテレコム経営経済研究所首席研究員となった。05年に米国連邦議会や欧州連合(EU)の支援を受け、北朝鮮向け民間ラジオ放送「開かれた北韓放送」を設立し、代表を務めている。
- イラスト=李撤元(イ・チョルウォン)記者