【コラム】事故起こした原発と共に暮らす福島の人々(下)

 19日に福島市を出発し、立ち入り禁止になっている原発の半径20キロ線上にあるバリケードまで近づいた。取り締まりをしている警察官2人は防護服を着ているように見えたが、近くで見るとレインコートだった。「放射線量が高いのでは?」と聞くと、測定器を見せてくれた。福島市内と同じマイクロシーベルトの値だった。「距離よりも大気の流れが問題なんです」。警察官たちは記者をバリケード前に立たせ、写真を撮ってくれた。

 福島の会社員・公務員・記者・住民ら16人と語り合った。彼らの中に、日本政府の管理能力を信用している人はいなかった。だが全員、政府が提示した緊急時の放射線量許容基準を自分の生活の基準にしていた。平常時許容基準の10倍と考えている人も、20倍と考えている人もいた。もちろん、不安がないわけではない。このうち2人は家族を首都圏にある親類の家に避難させたという。そして、全員が子どもたちの将来を心配していたが、それでも現実を受け入れようと努力していた。

 問題を解決する方法は国によって違う。福島の対処方法も同じだ。「被災者が大声を上げないから解決が遅れている」という見方もあるし、逆に「被災者が静かに対応しているから国はより大きな危機に追い込まることがなかった」という見方もある。では、次のように仮定してみよう。福島の被災者200万人が原発問題に対し、一部の韓国人が狂牛病問題で見せたようなやり方で対応していたら、今の日本はどうなっていただろうか、と。

 福島は「国を支えるのは誰か」という原則的な問題を提起している。これは「原発とリーダーシップの危機という状況で、誰が日本という国家ブランドを維持しているのか」という質問と似ている。個人的な経験からすると、その答えは「国民」だろう。日本人のやり方が正しいのか間違っているのか、日本という国の持続性・可能性は、最終的には国民自身が鍵を握っていると思う。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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