【コラム】事故起こした原発と共に暮らす福島の人々(上)

【産業部=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)次長】 今月18日から3日間、福島県を取材した。3月11日に発生した東日本大震災後に被災地を取材していた際、東京電力福島第1原子力発電所が連鎖爆発を起こし、避難のため帰国してから4カ月ぶりだった。その時、東京方面に向かう国道がすいていて驚いた記憶がある。放射線量が通常の値をはるかに上回っていたにもかかわらず、県外に通じる道は渋滞していなかった。ガソリン不足だったからではない。3-4時間待てば避難に必要なガソリンは確保できた。記者もそうしてガソリンを手に入れ、福島を離れた。

 当時は「日本人は正確な情報を知らないから避難しないのだ。政府にだまされていることを知ったら、この道はすぐに避難する車で渋滞するだろう」と思った。海外では、福島原発事故を「チェルノブイリ事故と同レベル」と見ていた時期だった。だが、日本政府は「安全だ」という言葉ばかり繰り返していた。

 帰国直後「日本の話を聞かせてほしい」と何人かに言われたので「地震と津波の被害は復旧可能だが、原発の危機は大きな混乱をもたらすかもしれない」と話した。記者が避難する時、原発から約50キロ離れた福島市の大気中の放射線量は毎時18マイクロシーベルトだった。3日間で通常の1年間分の許容量を超えた。このような状況に耐えられるのだろうか。避難民が大挙して東京に押し寄せる様子が頭に浮かんだ。

 ところが、こうした予測は間違っていた。そんな大騒ぎは起こらなかった。日本政府がうまくやったからだろうか? そうでないことは、放射能汚染水の放出や汚染牛肉問題からも分かる。「韓国で同じことが起きたら?」と考える習慣が身についてしまい、今回も考えてみた。それと同時に、ソウルで起きた狂牛病(牛海綿状脳症〈BSE〉)騒動を思い起こした。どちらも、目に見えない恐怖という点では同じように思えたからだ。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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