1.論理的構成力既存の結果を使うことと自分で新しいものを作りだすことの最大の違いは、自分で一から構成する必要があるかどうかということだ。厳しい競争社会で詰め込み式の教育を受けた発展途上国の人は研究する段になって想像力が乏しいと言われることが多い。(もちろん、全ての人に当てはまるわけではない。)この大きな理由は論理的に自分で組み立てることを省略してきたために構成力が不足しているということだろう。こうした力を鍛えるためには、数学では公式を証明する力や他人に説明する能力を重視すれば良いし、国語では言葉の本来的な意味を抽象的に考えたり、文章の構成を論理的に分析する力を鍛えればよい。歴史、地理、政治、経済などであれば史実よりも必然性に重きを置いて教えればよいし、英語では構成力が必要なアウトプットをより重視すればよい。
2.圧倒的な知識量世の中では既存の結果に上乗せする形で、新しい成果が出る。エンジニアリングは学問の発想自体が、既存の結果の上に新しいアイデアや改良を加えるという形だ。自然科学は、科学者の論理的構成力により重点が置かれるが、既存の結果がどこにあるかを踏まえて研究を進める事が大事だ。ビジネスは他国での成功モデルと国内の社会事情を合わせたり、新しい技術と既存のビジネス環境の組み合わせを考察することによって生まれる。いずれにしても、十分な知識を仕入れておく事、どこに知識が存在しているかを抑えておく事、によって、新たな組み合わせで別のものを創造できる可能性が格段に高まるのだ。教育の現場に当てはめると、数学であれば、調べないと分からないような難解な公式の証明を課題に出す事で調査能力を鍛えてもいいし、複数人で相談して問題を解かせることで、公式を知っている人がどれだけ得をするか実感させてもいい。もちろん、公式を当てはめるだけの数学の試験でも、知識を整理して正しく使うことの大切さを教えることはできる。他の科目であれば、インターネットや参考文献でよく調べないと良い文章が書けないようなレポート課題を与えればいい。
3.ネットワーキング能力個人の論理的構成力や情報収集能力には限界がある。知りたい情報があれば、直接それに詳しい個人や組織に問い合わせるという経験を積む事で、ネットワーキングの能力は向上していく。小学校の自由研究はそういう点でも面白いと思うが、日本の教育ではそのような機会はたいてい大学の卒論くらいまでないし、下手をすれば大学でも卒論がない学部・学科もある。中学や高校でも、ネットワーキングの必要性を意識した形で似たような課題を与えることは有益だろう。
人々は創造性という言葉の神秘的な響きに思考停止して奇想天外なことを考えなければという強迫観念に囚われがちだが創造性とは、運と生まれつきに左右される部分を除けば、論理的構成力、知識量、ネットワーキングというありきたりだが身につけるのに骨が折れる能力の組み合わせだろう。