実社会で「創造性」が語られる文脈は大きく分けて二つあり、一つは会社のような組織で社員のアイデアをいかに潰さずに活かすかというマネジメントに関するテーマで、もう一つは
子供の創造性をどう育てるかという能力開発に関するテーマだ。ここでは後者について考えたい。子供の創造性を伸ばす上でも、社員のアイデアを潰さないことと同様、子供の表現したことを如何に否定せずに伸ばしていくかが重要であることは想像できる。しかし、さらに話を推し進めて、子供の創造性を伸ばすためにどんな教育をすべきかとかいうことになると、どうも議論に飛躍が増えてくる。まず見られるのが、既存の教育方法を否定しつつもその根拠がおかしいものだ。例えば、東洋経済7月2日号でネットイヤーグループ社長の石黒不二代氏は次のように述べている。
数学でも公式や解き方を教えてもらい、それを記憶している。だから、記憶力のいい人、教科書と参考書を多く読んだ人が勝つ。論理的に考えることとはまったく関係がない。
そもそも、日本でまともな教育を受けた人なら、数学で公式や解き方を暗記しろなどとは教えられていないはずだ。文部省検定の教科書でも定理の証明や説明に多くのページが割かれているし、どうしても避けられない例外を除けば、証明できない定理を使うような事はやっていない。論理的に理解することに重点が置かれるはずなのだ。しかも、まともな国立大学ではパターン暗記で解けるような問題はあまり出題されない。上のような主張をする人は、要するに、中学・高校時代に授業が理解できなくて仕方なく公式や解き方だけ覚えて試験を乗り切った苦々しい記憶を自分で無意識に美化して問題をすり替えているにすぎない。さらにいうと、「記憶力と論理的に考えることとはまったく関係がない」という部分も見当違いだ。
例えば数学では、論理的に意味を理解して初めてその内容を長期に渡って保持することができる。きちんと理解したことだけを長期間覚えておくのは動物の本能的な習性だろう。他の分野においても知識を互いに関連付けることで理解が深まると同時に、その内容を長期に渡って保持することができる。英単語でも文脈の中で覚えるほうが、覚え易いし応用も効く。語呂合わせの暗記ですら、複数の事象を関連付けることによって記憶力を上げている。論理的な繋がりを考えることと記憶力は最も密接に結びついているのだ。既存の教育の否定とセットでよく語られるのは、アメリカ式の受け売りで、創造性を育てるためにディスカッションやディベートの機会を増やせというような意見だ。
確かに、平均的に日本人にはそういう訓練が不足しているという面はあるだろう。しかしそれを初等・中等教育にそのまま持ち込んで当てはめるのは危険だ。ディスカッションやディベートのような訓練は、基礎学力がきちんと備わった人にとってのみ意味のあるものだ。台形の公式が正しいかどうかとか、ニュートンはなぜりんごで重力を発見したのか、とかいうことを延々と議論しても仕方ないのである。確かに、ディスカッションやディベートのある授業は眠くならないかもしれないが、想像性を伸ばすというのは、もっと当たり前で地道な訓練だろう。私は、想像性を伸ばす上で重要なことは単純に以下の3点だと考えている。