普賢岳:災害を記憶 「定点」が10年ぶりに建て替え

2011年5月30日 23時32分 更新:5月31日 1時27分

新しい定点三角錐を設置する上田さん(右から2人目)ら=長崎県島原市で2011年5月30日、古賀亮至撮影
新しい定点三角錐を設置する上田さん(右から2人目)ら=長崎県島原市で2011年5月30日、古賀亮至撮影

 長崎県の雲仙・普賢岳大火砕流(91年6月3日)で犠牲となった報道関係者が撮影ポイントとしていた同県島原市上木場地区の「定点」にある三角錐(すい)(高さ約2.5メートル)が30日、10年ぶりに建て替えられた。

 三角錐はヒノキ材で、白のペンキで塗られている。腐食が進んだため市が10万円かけて新しくした。

 大火砕流では報道関係者16人、タクシー運転手4人が普賢岳を正面に見る定点付近で犠牲になった。直後、市は警戒区域を設定し、定点は現在も立ち入り禁止になっている。

 三角錐は祈りを表現したデザイン。市が10年前、「犠牲者が出た位置が分かるように」と建てた。

 この日は、上木場災害遺構保存会のメンバーら地元住民や市職員ら15人が設置。保存会の上田実男会長(77)は「当時を知る住民が少なくなった。体が動くうちに手伝えて良かった」と話した。【古賀亮至】

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