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古川工、歓喜の頂点 利府下し初の甲子園 公立校9年ぶり
| 古川工―利府 9回裏、最後の打者を空振り三振に仕留め、両手を突き上げる古川工の主戦山田 |
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| 古川工―利府 6回裏利府2死一、二塁、佐々木の中前打の後、一走岡崎が二、三塁間で挟殺され、天を仰ぐ |
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第93回全国高校野球選手権宮城大会は最終日の26日、仙台市宮城野区の日本製紙クリネックススタジアム宮城で決勝が行われ、第4シードの古川工が3―1で利府を下し、初優勝した。古川工は春夏を通じて初の甲子園切符をつかみ、大崎地区からは初の甲子園出場。県内の公立校では、2002年の仙台西に次いで9番目の夏の甲子園出場校となる。同じ公立校で、ノーシードから勝ち上がった利府は、21世紀枠出場で4強入りした09年春の選抜大会以来の甲子園出場を目指したが、果たせなかった。古川工は1―1の七回に只埜達郎の左前適時打で1点を勝ち越し、八回には右前打を放った高橋徳至が相手のミスに乗じて一気に生還し、3点目を挙げた。主戦の山田大貴は1失点完投。利府は終盤の継投策が決まらず、相手につけ入るすきを与えた。全国大会は8月3日に組み合わせ抽選会が行われ、同6日に開幕する。
▽決勝 古川工 000001110=3 利府 000001000=1 ▽二塁打 岡崎 ▽試合時間 2時間3分
◎終盤の好機逃さず
【評】古川工が終盤の好機を生かして競り勝った。1―1の七回、山田の左前打、畠の投前内野安打などで築いた1死満塁から、只埜の左前打で勝ち越し。八回には高橋の安打が敵失を誘う間に一気に生還した。主戦山田は直球と切れのある変化球で要所を締めた。 利府は六回1死一、三塁から小野の左犠飛で同点。なおも続いた勝ち越し機を逸したのが痛い。
◎球音/仲間信じエース完投
最後の打者を決め球のフォークボールで空振り三振に打ち取ると、マウンド上に選手の大きな輪ができた。古川工の主戦山田は「みんなが助けてくれた。チームの勝利」と満面の笑みで仲間に感謝した。 五回まで、勢いのある直球とスライダー、フォークボールを織り交ぜて相手打線を封じた。味方打線も相手左腕を打ちあぐねていたが、「自分の調子は悪くない。点が入るまで我慢しよう」と仲間の援護を信じていた。 すると六回、打線がつながる。2死から平本が中前打、続く今野晴は左前打して一、三塁から、佐藤佑の左前打で1点を先制。その裏に追い付かれたが、七回に1死満塁から只埜が左前に決勝打を放つ。只埜は「とにかく山田を楽にさせたかった」と振り返った。 堅い守りも主戦をもり立てた。九回、力が入った山田が先頭打者に四球を与え、次打者に右中間への鋭い飛球を打たれた。抜けるかと思われたが、50メートル6秒1の俊足右翼手畠が「絶対捕ってやる」とダイビングキャッチ。山田は「助かった。あれで楽になった」と勝利を引き寄せたプレーをたたえた。 初の甲子園出場を決めた。「(準決勝で破った春の選抜大会出場校の)東北や被災地校の思いを背負い、被災した皆さんが笑顔になれるプレーをしたい」。6試合をほぼ一人で投げ抜いた右腕が、力強く誓った。(佐藤琢磨)
◎痛恨のミス、明暗分ける
4度目の挑戦も決勝の壁は厚かった。敗れた利府の小原監督は「決勝はミスした方が負ける。3年にはよく頑張ったと伝えたいが、1、2年には(決勝で)負けることはこんなにも違うということを覚えていてほしい」と振り返った。 先発加藤駿の力投で前半は緊迫した投手戦。0―1と先制された直後の六回、直球の伸びに衰えが見え始めた古川工・山田を捉えかけた。 1死一、三塁から4番小野の左飛で三走加藤大がタッチアップし、相手捕手のタッチをかわして追い付く。続く岡崎も中前にはじき返し一、二塁。しかし、この後に畳み掛けられず、唯一といえた勝ち越し機を逃した。 佐々木の中前打で、二走の浅野主将は本塁を狙えるタイミングに見えたが、三塁を回りかけてストップ。二塁を勢いよく蹴った一走岡崎が挟まれ、アウトになった。 「ちゅうちょしてしまった」と浅野。その後はまずい守りもあって、勝ち越しを許し、追う展開となる。打線も七回以降、変化球主体に変えた山田の前に二塁を踏めなかった。 古川工は、昨秋の県大会準々決勝で打撃戦の末に敗れた相手。チームが堅守と機動力で競り勝つスタイルに生まれ変わった出発点でもあった。浅野主将は「最後の最後にミスが出て負けたことを後輩に生かしてほしい」と2年生に夢を託した。(林直樹)
<中堅手高橋、走攻守にフル回転> 走攻守で光った古川工の中堅手高橋は「これまでチームに貢献できていなかったので、精いっぱいやろうと心掛けた」と声を弾ませた。 守備では、四回2死二塁で右中間に伸びる打球を必死に追い、後ろ向きで捕球。抜ければ先制点を許すところだっただけに、「捕った瞬間、(きょうは)流れが来てる、と思った」と予感したという。 2―1の八回には安打を放つと、外野手が後逸する間に三塁へ。なお、相手の中継が乱れるのを見て、一気に生還した。 大舞台での戦いを見据え、「(活躍は)たまたま。甲子園で戦うにはまだまだ足りないとこだらけ」と気を引き締めた。
<正確性の大切さ知る> 利府は八回の失点が痛かった。捕球ミスと中継悪送球の2失策が絡んで3点目を献上。小原監督は「やらなくてもよかった点だった」と悔やんだ。 この回、1死走者無しで、古川工・高橋の右前打を右翼手佐々木が後逸。カバーした中堅手崎山から中継の二塁手佐藤への送球がショートバウンドに。佐藤が体でボールを止め、もたつく間に生還を許した。佐々木は「打球の伸びの判断が難しく、スタートが遅れた」と唇をかんだ。 3人はいずれも2年生。「プレーの正確性の大切さを知った」と崎山。佐藤は「勝つか、負けるかの差は大きい。来年は勝って甲子園に行く」と誓った。
<興奮と落胆と> 初の甲子園を決めた古川工の応援席には、全校生徒600人に加え、卒業生、野球部親の会のメンバーらが駆け付け青のメガホンを手に声をからした。 九回2死、利府の打者を空振りの三振に仕留め、勝利が決まると、スタンドは歓喜に沸いた。親の会会長で、控えの長門大樹、賢両選手の父、靖さん(46)は「勝ってしまった。精いっぱいのプレーが実を結んだ」と大喜び。 東北大会に初出場した2003年春の主戦斎藤淳さん(25)は「東北を破って感動したが、優勝はさらにすごい。さまざまな世代の期待に応えた」と興奮気味だった。 初の夏の甲子園をあと一歩で逃した利府。2009年の選抜大会で4強入りを果たしたメンバー15人も駆け付けた。当時の主将、遠藤聖拓さん(19)は「勝たせてやりたかった。惜しかった」と話した。
<出来栄え100点以上/古川工・間橋康生監督の話> 選手は最後まで集中力を切らさずに戦ってくれた。山田には100点以上の点数をやりたい。疲れている中、自分をコントロールしていい投球をしてくれた。
<勇気出る戦いする/古川工・今野晴貴主将の話> 古川から初の甲子園出場を果たせて本当にうれしい。春の選抜大会の東北高のように、今度は自分たちが宮城の皆さんに勇気を与えられる戦いをしたい。
<打ち崩せなかった/利府・小原仁史監督の話> 高めの変化球を見逃すなと指示したが、打ち崩せなかった。先制していれば、流れは変わったかもしれない。ミスが重なった終盤をしのがないと甲子園出場は難しい。
<胸張り受け入れる/利府・浅野達朗主将の話> ベンチとスタンドが最後まで一体になって全力で戦えた。この準優勝は、選手一人一人が1年間、自覚を持って練習した結果。胸を張って受け入れたい。
◎県内公立校の夏の甲子園出場
回 (年) 出場校 甲子園戦績 第 9回(1923) 仙台一 初戦敗退 第11回(1925) 仙台二 初戦敗退 第26回(1940) 仙台一 初戦敗退 第29回(1947) 仙台二 ベスト4 第30回(1948) 石巻 初戦敗退 第32回(1950) 仙台一 初戦敗退 第35回(1953) 白石 初戦敗退 第38回(1956) 仙台二 ベスト8 第44回(1962) 気仙沼 初戦敗退 第49回(1967) 仙台商 2回戦敗退 第51回(1969) 仙台商 ベスト8 第65回(1983) 仙台商 3回戦敗退 第80回(1998) 仙台 初戦敗退 第84回(2002) 仙台西 初戦敗退 第93回(2011) 古川工 ※第29回までは中学選手権
2011年07月27日水曜日
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