おもしろそうなのが消えているのは悲しいので、全文転載
中曽根、正力、渡辺、児玉…
水元です。
「マスキング」されているのは、中曽根氏が閨閥をくんだ鹿島(建設)が、日本の原発の3分2を建設してきたという事実もですね。
原発反対派は、国や電力会社に「科学」と「生活」の話をしているのに、相手方は裏で「利権」の話をしているということなのです。これでは、いつまで経っても、決着がつくことはありません。
「地震」に関しても『地震学会』なんていうところは、ゼネコンの影響下にあり、やはり「科学の話」にはなりません。(そもそも、日本は原発に批判的な学者は教授になることもむずかしいというような状況があるようです)
それで、六ヶ所村の核燃料サイクルの敷地の二つの断層が、役所が作る地図からは忽然と消えてしまうということになります。
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自民党、児玉誉士夫とGHQ、CIAの関係(全文)投稿者 てんさい(い) 日時 2003 年 8 月 24 日
僕は正力氏を初代の原子力委員会委員長に選んだのはアメリカの采配ではないかと考えています。原子力には、カレン・シルクウッド事件(下を参考にして下さい。)に見られるような側面があり、いざという時の『鉄のカーテン』(これをご存知のかたは、かなりの巨人軍ファン?)を必要とする産業でもあると思われるからです。それにもっとも相応しかったのが、内務官僚だった正力氏ではなかったでしょうか。
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「カレン・シルクウッド事件」
シルクウッド連続怪死事件というのは、1974年、米国最大のウラン・メーカーである「カー・マギー社」のオクラホマ工場に勤めていたカレン・シルクウッドという若い女性が、工場の原子炉の燃料欠陥の情報資料を[ニューヨーク・タイムズ]に持って行く夜に、「自動車事故」で死亡し(彼女が携えていた証拠資料も「事故」現場から忽然と消え失せた)、また関係者が次々と消えていった事件。
また、裁判の証人喚問で面談申し入れの予定日の直前などに重要な証人が消えてしまい、そういった四人のうち一人が急死してただちに火葬にふされたりしているもの。
この怪死事件では、CIAとFBIとAECが総力を挙げて暗躍したようです。無論、工場及び原子力産業を保持するためであって、シルクウッドの無念さを晴らすためではなかったのです。
1984年、カレン・シルクウッドの遺族に二十億円相当の賠償をする判決が下されました。しかし、それは当夜の殺人のためではありませんでした。死亡したカレン・シルクウッドの身体がプルトニウムで汚染されていたからであり、彼女の部屋の冷蔵庫の中にあった食べ残しのハムからプルトニウムが検出されたからだったのです。彼女はその夜助かっていても、早晩死ぬ運命にあったのです。
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日本の九つの電力会社はこの「カー・マギー社」と組んでカナダのウラン鉱をあさっています。
ともあれ、幸いと言いましょうか(?)、日本の場合、マスコミも次のものにあるように、利権のなかに取り込まれているので、シルクウッドのような例も出なかった?ということでしょうか?
日本のジャーナリズム 広瀬隆
最近、元GE社の社員が東電のシュラウドの亀裂隠しを告発しましたが、彼が頼みにしたのがマスコミではなかった、というところにも、この問題の深さが伺えます。
ところで、読売新聞社社長だった渡辺恒雄氏は児玉誉士夫の舎弟分でありました。 この御仁はテレビ朝日の法王として君臨した三浦甲子二氏と二人で田中角栄の所へ行き、中曽根康弘を総理大臣にしてくれと土下座して頼んでいます。「あとでどんな無理な相談も聞くから」と。
戦時中、上海にある「新アジアホテル」を本拠に、ヘロイン(アヘン)や、通貨、金、銃、その他多数の商品を不法に、また暴力的に取り引きした児玉誉士夫氏は、日本の特務機関の上海事務所の資金も提供し、憲兵隊の後ろ盾としての評判を得ていたのだそうです。
そして…戦後。
『闇市に出回っていた商品のほとんどは、軍が持っていた国有財産の横領と横流しで、その金額は今の金にしたら数10兆円になり、それを官僚、政商、闇屋などが山分けしたのです。児玉機関が大陸で集めた貴金属やダイヤモンドも、海軍が買い集めた軍需用の資源だが、朝日新聞の飛行機に乗せて持ち帰ってから、右翼の辻嘉六が売って金に替え、その資金が原資で自民党が誕生した。朝日の河内航空部長は児玉や笹川と親しく、右翼に頼まれて社機を使わせたのだろうが、鳩山や河野がその背後にいたわけです』[朝日と読売の火ダルマ時代/藤原肇著]
児玉誉士夫はA級戦犯で投獄された翌年、CIC(アメリカの陸軍諜報部。
CIAの前身)に対するおよそ一億ドルの支払いと引き換えに、七三一部隊の隠蔽工作にも関っていたアメリカの高級軍人ウィロビーの手配によって刑務所から出、その余った金で自民党を作ったのです。
上の[朝日と読売の火ダルマ時代/藤原肇著]は出版にこぎつけるのに3年かかったのだそうです。その間、40社あまりの出版社に断られています。
この藤原肇氏というかたは元オイルマンで、70年代の石油ショックを、その4年前に予言した著書を書きながら、どこもそれを出版してくれることがないまま、石油ショックの直前になってやっと出版することができたという経歴をお持ちのかたです。それで、マスコミ界にもファンが多く、新聞社の内情にも詳しいおかたです。
以下その本から二つばかり。
”関東大震災は、甘粕と正力に似た運命を与え、憲兵と警官の違いを越えて虐殺事件を体験させ、共に人生の大きな転換点を踏み越えさせている。「大杉虐殺事件」に関しては多くの記録があり、歴史書の他に角田房子の伝記「甘粕大尉」(中央公論)もあるが、甘粕正彦に関しての記述に問題があることは、ミネ夫人の実兄の服部実の証言もある。
だが、正力に関しては自己宣伝的なものが圧倒的で、佐野真一の[巨怪伝](文芸春秋)や征矢野仁の著作集(汐文社)以外には、参考に使える資料を余り見かけない。
それは佐野がいみじくも指摘しているように、[正力は読売新聞を伸ばすため、自分にまつわる過去の出来事を、すべからく自己宣伝や美談に仕立てあげてきた]からであり、それを乗り越えるだけの眼力を持つ者が、正力と読売の過去を洗わなかったからだろう。
朝鮮人と中国人を虐殺した事件にまつわる、警察の情報操作と過剰な治安行動の面で、関東大震災の混乱を利用した動きに関しては、正力の役割が非常に重要だったと考えるから、佐野の分析に対し大いに敬意を払う。そこで、[巨怪伝]の記述を下敷きに使いながら、彼が関与した虐殺事件の点と線を繋いでみる。
震災の中で暴動に備えた警視庁は、非常事態に備えて臨時警戒本部を設置し、正力官房主事は特別諜報班長になって、不穏な動きを偵察する任務を持ち、その行動隊長として取締まりに専念した。だから、朝鮮人虐殺事件における正力の役割が、水野と後藤の2人の内務大臣の指揮下で、重要な役割を演じたのは疑問の余地がない。しかも、佐野が書いている東京朝日の石井光次郎営業局長の証言は、長いが興味深いので引用する価値を持つ。
[建物は倒壊しなかったものの、9月1日の夕刻には、銀座一帯から出た火の手に囲まれ、石井以下朝日の社員たちは社屋を放棄することを余儀なくされていた。夜に入って、石井は臨時編集部をつくるべく、部下を都内各所に差し向けた。帝国ホテルにかけあってどうにか部屋を借りることは出来たが、その日、夜をすごす宮城前には何ひとつ食糧がない。そのとき、内務省時代から顔見知りだった正力のことが、石井の頭に浮かんだ。石井は部下の一人にこう言いつけて、正力のところへ走らせた。
「正力君のところへ行って、情勢を聞いてこい。それと同時に、あそこには食い物と飲み物が集まっているに違いないから、持てるだけもらってこい」間もなく食糧をかかえて戻ってきた部下は、意外なことを口にした。その部下が言うには、正力から、「朝鮮人が謀反を起こしているという噂があるから、各自、気をつけろ。君たち記者が回るときにも、あっちこっちで触れ回ってくれ」との伝言を託されてきたというのである。そこにたまたま居合わせたのが、台湾の民生長官から朝日新聞の専務に転じていた下村海南だった。下村の「その話はどこから出たんだ」という質問に、石井が「警視庁の正力さんです」と答えると、下村は言下に「それはおかしい」と言った。「地震が9月1日に起るということを、予想していた者は一人もいない。予期していれば、こんなことになりはしない。朝鮮人が9月1日に地震がくることを予知して、その時に暴動を起こすことを企むわけがないじゃないか。流言飛語にきまっている。断じてそんなことをしゃべってはいかん」
石井は部下から正力の伝言を聞いたとき、警視庁の情報だから、そういうこともあるかも知れないと思ったが、ふだんから朝鮮や台湾問題を勉強し、経験も積んできた下村の断固たる信念にふれ、朝鮮人謀反説をたとえ一時とはいえ信じた自分の不明を恥じた。正力は少なくとも、9月1日深夜までは、朝鮮人暴動説を信じていた。いや、信じていたばかりではなく、その情報を新聞記者を通じて意図的に流していた]
内務官僚上がりの石井のこの証言に加えて、戒厳司令部参謀だった森五六の回想談によると、正力は腕まくりして戒厳司令部を訪れ、「こうなったらやりましょう」と息まいている。この正力の鼻息の荒い発言を耳にした時に、当時の参謀本部総務部長で後に首相になる阿部信行をして、「正力は気が違ったのではないか」と言わしめたという。
正力にまつわる一連の行動を分析した佐野は、[正力は少なくとも大地震の直後から丸一日間は、朝鮮人暴動説をつゆ疑わず、この流言を積極的に流す一方、軍隊の力を借りて徹底的に鎮圧する方針を明確に打ち出している]と結論づけている。
更に、警視庁に宛てた亀戸署の内部文書にも、[この虐殺の原因はいずれも警察官の宣伝にして、当時は警察官のごときは盛んに支鮮人を見つけ次第、殺害すべしと宣伝せり]と書いてあり、中国人労働者が300人ほど虐殺された大島事件も、正力がこの事件を発生直後から知っていたのは、間違いないと自身を持って断定するのである。”
”最近公開された国務省の機密文書によると、CIAが自民党に対して政治資金を提供し、岸内閣の佐藤幹事長が受け取っていたので、日本の政治は外国のカネで動かされていた。日本政府が米国の諜報機関に操られた事実は、1995年3月20日のLA・タイムス紙上で、マン記者が全項を使って解説しているが、日本とイタリーが売弁政治だったとして、国辱的な政治が歴史に記録されることになった。
それにしても、オウム真理教のサリン事件のドサクサに紛れて、この重大な売国事件は黙殺されてしまった。だが、世界の先進国が原子力発電を放棄した中で、核エネルギーに依存する道を突き進んだ路線と共に、日本の運命を狂わせた出発点がここにあった。
これに関連して興味深いのは征矢野仁の記述で、[読売新聞日本テレビ・グループ研究]に引用されたニューヨーク・タイムズの記事は、「、、、、、元CIA工作員(複数)の言によると、この他に、戦後の早い時期にCIAの恩恵を受けた人物として挙げられるは、強力な読売新聞の社主であり、一時期は日本テレビ放送網社長、第2次岸内閣の原子力委員会議長、科学技術庁長官となったマツテロ・ショーリキである」とあって、その後に訂正記事のエピソードを含むとはいえ、元CIA工作員の発言は否定されていない。
正力と中曽根が田中清玄や児玉誉士夫などの利権右翼と結び、CIAコネクションの中で日本の政治に対して、エージェントとして動いていた姿が見え、正力の人脈が占領軍のG2(参謀第2部)に密着し、ウィロビー部長との結びついた意味が納得できる。
原子力施設の工事で最右翼といわれ、中曽根と姻戚関係を持つ鹿島建設の繋がりが、闇の中から浮かび上がってくるのである。”
最後に「東京電力」にまつわる話を。
次の引用は[襲撃 伊丹十三監督傷害事件/安田雅企著]からです。この本は、伊丹十三氏を襲った後藤組傘下の富士連合の犯人の3人を擁護するために書かれたものです。
”後藤組。組長、後藤忠政。静岡県富士宮市。1970年山口組傘下。1991年、東京都八王子市ニ率会が系列入。福島、北海道、埼玉、熊本など十都道府県に三十近い団体。組員五百名、準構成員を入れると千名近い。都内に金融、不動産、物品販売業などの企業事務所を進出。祖父後藤幸正は実業家。富士川発電、身延鉄道、伊豆箱根鉄道を創設、社長を務めた。富士川発電が東京電灯(現、東京電力)と合併すると取締役に就任。成田鉄道の役員。浅野セメントの浅野総一郎、安田財閥の安田善次郎、運輸大臣・東京市長を歴任した後藤新平らの知遇を得、戦前・戦中に政界、軍部に顔を効かせ活躍。頭山満、古島一雄と親交を結び、蒋介石、孫文らと交わり、敗戦により全財産を失うまでは中国、台湾、朝鮮、カラフトに事業所、会社を持つ。”
このなかの後藤新平氏というのは、1985年に領有した台湾において、当時の内務省衛生局長としてアヘン収益政策を行っていた人物で、正力氏が読売新聞を買い取る時にその資金を調達した人物とももくされています。
追記。
朝日と読売が出たので、毎日も書いておきましょう。
戦時中日本は「日中アヘン戦争」とも言われるほどの量のアヘンを満州などで栽培しておりましたが(当時の国連の発表では、世界で流通している白色麻薬のうちの90%は日本が満州などで栽培したものとあったそうです)、1937年、毎日新聞の前身の東京毎日新聞の社長だった藤田勇は、陸軍中佐であった長勇から20万英ポンドのアヘンの密輸の話を依頼され行動しました。この20万英ポンドというのは、1963年における或解説文によれば、”今日1キロ1億円という麻薬密売市価でいうと9兆720億円というばく大なものだ。麻薬史上世界最大である。”というものだそうです。現在ではいくらになるのか僕には想像もつかないのですが。
しかも、この大量のアヘンを売りさばいたのも、里見甫という新聞記者出身の男でありました。
戦後、GHQの民生局の者が「君たちはこんなチャンスを見逃すのか?」と言ったのだそうです。それはドイツやイタリアも戦後処理で行った、戦争に荷担した新聞社の解体のことでした。
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日本のジャーナリズム
「危険な話━チェルノブイリと日本の運命」広瀬隆著(八月書館1987年刊)から
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■日本のジャーナリズム
日本のマスコミを絵に描くと、民放のテレビ局は、これは東京の例ですが、すべて新聞社とこのように資本でつながっています。
4チャンネルが読売新聞と日本テレビ
6チャンネルが毎日新聞とTBSテレビ
8チャンネルがサンケイ新聞とフジテレビ
10チャンネルが朝日新聞とテレビ朝日
12チャンネルが日経新聞とテレビ東京
そこで、テレビ局を調べると、民放は最大のスポンサーが電力会社で、しかもニュース番組を完全におさえている。具合の悪いニュース番組は極力流さないようにできます。内部の人に会って話を聞くと、「テレビ局は、あれはジャーナリズムなんてものじゃない。恥ずかしいことだが、何も言えないのと同じだ。どうでもいいニュースばかりを追っていて、肝心の最大の問題を放り出している」と自分で言うぐらいですから、推察してください。
NHKは大丈夫かと言えば、経営問題委員が平岩外四、これは東京電力の会長ですよ。
解説委員の緒方彰、このいかめしい顔をしながら、原子力産業会議の理事です。
放送番組向上委員の十返千鶴子、NHK理事で放送総局長の田中武志が、いずれも原子力文化振興財団の理事です。この財団は、東京の新橋にオフィスを訪ねてみましたら、原子力産業会議と同じビルの同じフロアにあり、『原子力文化』というPR雑誌を発行している原子力の宣伝部隊です。これを開くと、チェルノブイリ事故直後の七月号に、放射線医学総合研究所の館野之男という人物が、「退避の必要なかったワルシャワ市民」というとんでもないことを書いています。彼こそ、日本の新聞紙上で「すべて安全」と言い続けてきた人物です。
4チャンネルから12チャンネルまでの民放はやはり同様の仕組みで、表に見られる通りです。ひとつずつ、ゆっくり 読んでください。
朝日の一例を引きますと、原子力関係の記事は科学部がチェックすることになっている。検閲ですね。そして科学などまったく知らない人間が、当局の言葉通りに記事を修正する。悪名高い論説主幹の岸田純之助が、彼は原子力委員会の参与でしたが、「原発に反対する記事を書いてはならない」という通達さえ出している。彼に育てられた大熊由起子が、いまや論説委員に昇格して健筆をふるっているわけですから、いかに誠意ある記者がいても駄目です。
デスク・サイドで検閲をやれば、素晴らしい記事も最後のところで当局の言葉や数字が利用され腹の力が抜けるようになっている。勿論、朝日だけではありません。すべての新聞社が同じです。しかもこのごろの若い記者は、たとえば科学部であれば科学技術庁や原子力局に詰めて、これら当局の人間と毎日楽しく話をしたり酒を飲んで、その言葉しか知らない。それは、いつも一緒にいれば騙されますよ。ジャーナリストとして客観的に離れて見ることをしない。政治部は中曽根番とか竹下番というように、経済部は大蔵省や経済企画庁にべったりで、何ら批判する能力も勇気もない。
彼らはすでに記者としての資格を失っています。私のところへ来ればその通り書く。
記者でなくメッセンジャー・ボーイですね。記者としての自分のすぐれた調査と分析というものを、ほとんど見ることさえできない。これは私だけが言っているのでなく、最近非常に多くの人から耳にする言葉です。なぜここまで腐り切ってしまったのでしょう。数年前までは、このようなことはなかった。最近私は、自分の子どもたちを殺すのが、このジャーナリズムだという思いを痛いほど強く感じるので、ここはしっかり話しておきます。彼らが私たちを殺すのです。
いまや新聞記者は、超エリート集団です。ここにすべての原因があります。彼らが自ら受験戦争を鼓舞し、自ら誇りをもって競争に勝ち抜いてきた。しかし何と哀れな存在でしょう。それが社会を論ずる記者の態度ですか。 エリート意識などやめてください。たかが大学を出たぐらいで、何も知らずに鼻高々となっている。エリート意識というのは、劣等感があるからこそ生まれるものだ。自分が確固たる信念や哲学を持っていれば、劣等感など持つはずがない。ところがそれがないものだから、他人と競争して勝つことによって、ようやく自分の存在意義を発見できる。その瞬間、自分はエリートに変貌しているわけです。
しかし私たちにとってそこが問題なのは、彼らが新聞記者やジャーナリストになることを目ざしているのではなく、つまりさまざまの問題を自分個人の鋭い目で観察したり分析するのではなく、朝日新聞社やフジテレビの社員になることを目的地としている点です。エリート意識の一本道は、ただその目的地につながるのみです。だからこそ、チェルノブイリの深刻さがまったく記事として現われない。「まったく情報が入りません」などという言葉を、平気で私たちに語りますからね。このような言葉は、本来はジャーナリストとして自分は失格していると告白しているような恥ずかしいものではありませんか。
私は彼らに言いたい。自分個人に戻りなさい、と。社会問題など、この世に存在しないのです。すべて自分の問題ではありませんか。読売や日経や毎日の新聞社の社員になってしまうから、そのような目でしか取材できないのです。
ジャーナリストが、なぜ原発反対のデモに加われないのですか。記者という職業観など、人生にとって何の意味もありませんよ。いや、ジャーナリストだけでなく日本人全体が、ほとんどの人がこの職業観という幻想に振り回され、そのためにこのような危険が差し迫っていることに気づかないのではありませんか?
ひどい物書きが氾濫しているので、気をつけてください。たとえば私の本を読んで、「ここに書かれていることを確認できない」と書き、したがってひどい本だという論旨の評論にずい分めぐり会いました。彼らは、あまりに無能力で、あまりにも子どもです。評論家と自負するなら、なぜ自分で事実を確かめる努力を怠るのか。なぜ調べることさえできないのか。
実は、『億万長者はハリウッドを殺す』の内容を最も高く評価してくれたのが、皮肉にも私と真っ向から対立するはずの財界人や商社マンでした。彼らは少なくとも子どもでなく、第一線でロックフェラーやモルガンの代理人とわたり合い、金融の世界でしのぎを削ってきたので、容易に内容を理解できるのでしょう。ところが物書きや文化人は、叙情に溺れ、正義などという世界に遊んでいるため、何も知らない。私自身、調べるまでは何も知らない子どもでした。ジャーナリズムの遅れが、今ではよく分ります。彼らは、自分の子どもが殺されようという時にも、まだ物書き、作家、評論家、記者として机に坐り、落ち着いているのでしょう。
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