「ふむむ…」
わたしこと、八雲紫の朝は早い。遅くとも朝五時に必ず起床する。早起きは三文の得、なんて言う。三文自体そんなに多い金額じゃないよね、でも。
自分で突っ込みを入れながら布団から這い出る。明け方のまだ涼しい空気の所為か、寝汗をかく事は無かった。
ちょっと得した気分になって襖をがらりと開けると、さんさんと照りつける太陽とむわっとした空気が感じられた。あれ?
あ、ちょ、クーラーのタイマー設定押して無かった!三文の得どころか損じゃない!
…あ、消してから気がついたけどここって電気代とかないんだっけ。いけないいけない。…まさかこんな所で『前世』の影響が出るなんて…。結構経つのに。
ふっと、空を見上げる。
…もう…。何年になるかしら。私が八雲紫になってから…。
見上げた空は、いつもと変わらない、前世では見られなかった綺麗な青空だった。
たすけて、なんて言ったって誰も助けに来ない。そんな社会で生きてきた。なにしろ私は退治される側の妖怪。後ろから追っかけてきてるのは退治する側の人間。
よっぽど物好きな妖怪じゃない限りは、助けてはくれない。そしてそんな妖怪は早々いない。
なにしろ自分が退治されて消される可能性だってある。そんなリスクを冒してまで、助けてくれる妖怪がいるだろうか。
人間なんてもっと可能性は低い。なにしろ妖怪は人間の生活を脅かす存在なんだから。
ここにきて早々と突き付けられた現実。超美人の八雲紫に転生したと知って、チート能力を使って原作ブレイクしてやるとテンションが上がっていたころ。
自分は幸運で、何だってできると。原作知識があれば何とかなると。盲目的に信じてた頃。
だけど。偶々目の前で消される妖怪を見て。私の中からそんな甘い考えは遥かかなたに吹っ飛んで、地面に落ちて粉々になった。
苦痛にうめきながら、恐怖に喚きながら消えていく妖怪。それを笑いながら見る陰陽師。背筋が凍る光景だった。現実だと信じたくなかったそれは、どうしようもない現実だった。
その場からへなへなと逃げだして、何とか安全な場所に逃げて。
襲われたわけでもなかったのに失禁していた。顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり、みっともなく喚き散らした。これは夢なのだと。それでも何も変わる事は無かった。
あの『幻想郷』は、八雲紫が作りだした夢の世界だった。今の時代に、そんなものは存在しない。
だから。今この恐怖であふれた世界を私は、生きていかなければならなかった。
「で、結局自分に戦闘の才能は無いって解って」
でも諦められなかったんだよねぇ。だからあがいてあがいて、それでもどうにもならなくて。
せめて笑って過ごせるようにって、原作通りに動こうとしたんだけど別の向きに転がっていく歯車を止められなくって。
何とか元に戻してハッピーエンドを迎えたい。その旨を幽々子に話した事があった。
―――「酷い顔してる人に、笑い顔があふれる未来を作れるなんて思わないんだけど?」
…懐かしいわぁ。アレからもう…1500年、くらいかしら?
私はあれから、変われたのかしら。ありもしない未来ばかりを追い求め、臨機応変なんて言葉が頭の中に無かったころ。
どうなのかしらね…。
呟いた私の声は、鳴き出した蝉の声にかき消された。
「ってね。いやー、若かったわぁ」
「え、今でも若く見えますよ?」
「お世辞はいいの。私は十分お婆ちゃんよ?」
私は今居間にいる。ダジャレじゃなくて。
あの後なんだかんだ昔の事を考えてたら時間が過ぎてて、藍と橙の声が何処からか聞こえてきて我に返った。
この家でご飯を作るのは、主に私だ。炊事洗濯なんでもござれの八雲紫とはまさに私の事。その代わり戦闘は全部従者任せ。明らかに実力の足りない私の下について、私の事を主と慕う。
なんでこんな事になったのかしら。そんなに恩を感じさせるような事をしたかしら…?
ま、慕ってくれてるんだからいいよね。と、藍と橙の尻尾を見ながら考える。
「幻想郷でこうまで清々しく自分を年寄りと言い切る妖怪って珍しいですよね、みんな認めませんし」
「藍、命が惜しいならやめておきなさい。幻想郷の大妖怪は何処にでも現れるわ」
主に幽香とか。妙にエンカウント率が高いのよねぇ…。狙ってる、なんて事は…無いはず…なんだけど。
「それはそうと、紫様今日は体調がよさそうですね」
「あら、そう?」
自分の肌を見てみると、相も変わらず真っ白な色をしていた。まるで病気でも患ってるみたいで、溜息が出てくる。
「…普通に色白で綺麗な肌だと思うんだけどなぁ」
「?何か言った?」
「…いえ、なんでも」
藍って偶に聞えるか聞こえないかくらいの声でなんか言うんだよねぇ。何言ってるのかは分からないけど、独り事を聞かれた時くらい恥ずかしい事ってそうそうないから聞えても無視するのがいいかもしれないけど。
「あ、そうだ藍さま、また妖術の扱いが上手くなったんですよ!」
「おお、それは良かったなぁ橙!」
いいなぁこういうのって。ほのぼのする。
「あ、そうだ藍。今日なんかあったっけ?」
「んん…。確か…、あ、JENの再放送があります」
「や、無理矢理予定をひねり出さなくてもいいから。それあなたの見たいテレビでしょ」
「あ、紫さま!今日生物的危機2の再放送もあるんですよ!一緒に見ましょう!」
「え、な、私は…。遠慮、したいかなぁなんて…」
最初の奴を見たら夜眠れなくなったのよねぇ。あ、レーザーのトラウマが…。
「紫様こう言ってるけど絶対見るぞ、橙」
「変に怖いもの見てたりしますよね」
「え、それは…ゲームとかやってると突然ホラーものが出てきたりするだけで…」
ライブアライブのベヒーモスとかギーグとかきゅうきょくキマイラとか東方見聞録とかゼノギアスとか。
出た瞬間テレビのスイッチ切ってるわよいっつも。
「…ま、いいか。とりあえず今日の予定はないですよ」
「そう?じゃ、みんなで人里にでも行きましょうか!」
「わぁ、本当ですか!」
ぱっと、橙が目を輝かせる。子供っていいなぁ。
「じゃ、準備できたら行きましょうか!」
それから。着替えたりして準備万端。という訳で。
「…人里のA地点はX座標198,58、Y座標は100,76…」
「いつも思うけど何やってるんでしょう、あれ」
「こら、静かにして無いと紫様の気が散るだろう?」
念じ始めてから十五秒くらいでスキマオープン。いっつも思うけど不気味でグロくて怖い。入りたくない。
でも橙に背中を押されてスキマにドンドン向かう私。しまっちゃうお姉さんならぬはいっちゃうお婆ちゃん。違うか。
視界を紫と目玉と触手モノが埋め尽くす前に目を閉じる賢明な老女私。
…いつまでも押されてるのもあれよね。ここはこう、自分の能力を使いこなしてる、みたいな風格が…。
そう思った私は、橙に押されるのではなく、自分から一歩足を踏み出した。
ゴッ!(空中のスキマの端に足を引っ掛けた音)ガァンっ!(転んで勢いよく頭を打った音)
「ゆ、紫様ぁぁぁぁぁぁ!?」
い、いったぁぁぁ…!?
「大丈夫ですか、紫様!」
だ、大丈夫よ、藍…。
「骨は…折れてませんね!?意識はありますか!?内臓の損傷は…」
ちょっと心配し過ぎな気がするんだけど…。あ、ねぇ、なんでAED?ちょ、ま、服を脱がそうとするのはやめっちょっ私頭打っただけだし意識あるから意識あるからって「行きますよ!橙、離れてろ!」あ、アッー…!
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なんかマジですみません。